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有機の里づくり協議会に於ける、行政の役割

2010-02-28 06:25:08 | Peace Cafe
有機の里協議会の理事会に、代表である加藤市長も参加した。今年度一年の事業総括を行う事と、来年度一年の事業計画の検討である。モデル事業は仕分けでなくなるが、大変な事業量をこなした一年であったと思う。特に、事務量の大きさが予想できない事であった。打ち合わせ会議の膨大な時間や、4団体の意見調整が充分とはいかなかった。全員参加の原則で、役割分担が大きくなるばかりとなった。各会事務局2名、理事2名の参加で毎月集まると言う状態。それに加えて、ほぼ毎月1回は何らかの活動の開催をした。国のモデル事業関係への参加、県の推進計画に対する参加。さらに来年は小田原市の推進計画が作られる。この関連の関わりもでてくるだろう。国の行う補助事業への参加と言う事が、いかに大変な事なのか良くわかった。税金を使うのだから、当然の事ではあるが、実際には300万円貰って、3000万円くらいの活動を行ってしまったのだろう。

来年度の事業の実施において、市長と言うか、代表理事が言われるには、立ち上がりは行政が協力したが、徐々に行政の協力はできなく成る。というように言われた。今年度の総括としての、小田原市の農政課の職員の役割は、確かに大きな役割になっていた。意思疎通は当初ちぐはぐな事もあったが、行政の協力なくして、到底達成できない事業であったことも事実だ。一般の市職員としての役割の数倍の働きをしてくれたことは事実だ。担当者の本気な対応に申し訳ないことだとはとは思ったが。行政が担う方がいいことが実際には起きてくる。例えば、「田んぼの検討会」を行うのに、県の農総研の職員に指導をお願いする。農の会がお願いする場合、直接の連絡で希望と条件が合えば来ていただける。しかし、国の事業に職員を派遣すると成ると、正式に市長名で要請文を出してもらえればとなる。行政の仕組みという事になるのだろうか。国とのやりとりも、市を通して確認する事が頻繁であった。税金を使うための、煩雑さは普通の事ではない。

小田原市では推進計画は立案する予定である。計画を絵に描いた餅でなく、具体化してゆく方策を、有機の里づくり協議会として、どのように考えればいいのだろうか。市民が自主的に活動を行う。これは当然の事で、今まで4団体とも、何十年も行ってきた事である。そうした活動が評価された上で、これだけでは足りないと言うことになり、有機農業の推進計画の立案が行われているのだろう。確かに4団体の集結で、小田原の農業活性化に新しい風が起きた事は、実際の事であろう。小田原市が来年度計画している、農業分野での無尽蔵計画には、有機の里づくり協議会の役割は大きいと思われる。市長自信がそう言われていた所でもある。小田原市行政の現状が、無尽蔵計画に相応しい体制になっていない所を、有機の里がになっている部分が多分にあると、考えられる。ここは連携ははずせないだろう。むしろ、税金を使わないで、市民直接の自由裁量にしてしまうなら、実にシンプルである。

ともかく来年度は、行政職員の負担も軽減して、関われる運営にしなければならない。それには行政の職員の役割の分担を明確にする事が始まりではないか。連絡業務の行政一元化。連絡とは、国、県、他団体、当協議会に対してである。また、公的機関への申請業務もお願いしなければならないだろう。代表の名前を使って申請する書類を、行政が知らなかったと言う事が起きた。そのほかの事は事業主体が行う事だろう。これは、久野の里地里山協議会でもそうなのだが、どうしても雑用的業務を行政の方がになう事に成りがちである。これは良い事ではない。そういう部分を担う人が居なければ、できないような事業は、本来市民活動によって成立していない活動である。止めたほうがいい活動だと思う。しかし、難しいのは市民にはさまざまな意見がある。これを一つに決定すると言う事がしがたい所がある。市民参加の時代を推進するためには、行政の役割を、行政側から、全分野について、統一的見解を明確にすべきなのだろう。
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2010の冬から春への畑

2010-02-27 05:20:25 | 自給
不思議な感触の冬だった。1月も2月も観測史上高温では記録更新をしている。1月は平均気温でも比較的高かかった。日照時間も長かった。1月は雨量は少なかった。2月には、急に雨が多い。記録的な強い雨があり、強い風が吹いた。では、温暖化で暖かい冬だったかと言うと、むしろ冷たい感触の天候が続いた。不思議に感じるのはこのことで、植物は記録上の温度変化より、この冷たいと感じる、人間と同じように作物が反応している。作物の生育は遅れ気味の冬だった。それは、作物と言うより、緑餌としてどこでも種を蒔いている、菜花の生育が極端に遅れた。生育期に雨がない。と言う事と、生育初期の9月に虫が大発生した。この原因はよく分からない。一度は全ての菜花がやられた。早く蒔いて、緑餌が無い12月に確保するつもりが、あてがはずれてしまった。再度10月に蒔いた訳だが、この生育が悪かった。

木の花で言えば、梅はこの3,4日が満開だった。梅祭りは明日までだから、予定通り開花したようだ。我が家では、いつもの年なら2月中に咲いているボケがまだ開いていないから、少し遅めのようだ。何しろ、2月の後半の高温はまさに記録的で、26日は最低気温が14℃と言う3月だとしても、記録になるような天候である。繰り返して書いておきたいのは、気候変動が大きくなっていること。それに併せた、危機管理を用意する必要ある。例えば、稲の種籾は二度分取って置く。浸種は、余分にやる。冷蔵庫で保存するつもりでいた方がいい。使わないで済めば良かったという事である。何の種でも、二度蒔きするつもりでいる。踏み込み温床で育てている。苗ではナスの状態が悪い。毎年の事だが、難しいものだ。そらやさんの見事な発芽を先日見せてもらった。当然とは言え、さすがである。

3月にはあらゆる作物の種蒔きが始まる。早めのトウモロコシも又やりたい。苗で作れば6月には収穫できる。早く採れれば虫が少ない。トウモロコシこそ自給ならではの味がする。収穫直後なら生でも美味しい。もちろん醤油焼きである。ジャガイモも力を入れたい。自給分は充分確保したい。今までも出来てはいる、味は抜群のものだが、収量が低すぎる。10キロ種芋を用意して、100キロ。10倍になるのが普通らしい。せいぜい、50キロに成ればと思うのだが。毎年、2うねで30メートル作るのだが、30キロ程度にしかならない。1メートル、1キロ、一株2250グラムと言う情けない状態である。一株500グラムが目標。大根やコカブは切れ間なく少しづつ取れるようにしたい。播種のずらし方を工夫したい。トマトの中玉も今年こそ、安定させたい。そこそこ食べているのだが、これはという味までまだ到達しない。美味しいトマトの土は違うのではないかと思う。

イモ類の保存の横穴を作った。これに種子島の安納芋(蜜姫)の種芋が保存してある。まだ開けていないが、これで苗を作る予定である。小田原で作って、どんな味になるのか、とても楽しみにしている。できれば苗をさつまいもの得意な、中原さんにも届けたい。大収穫になれば、なる訳が無いのだが、やきいも系男子のつぼ焼きに提供したい。これも、「トラタヌ」計画ではある。上手く行かないのは、タマネギ。黒マルチで植えつけて、今年こそと期待したのだが、ずいぶん枯れてしまったようだ。玉だけ生きていて、再度出てこないかと期待しているだが、どうもだめらしい。松本さんによると、今頃再度苗を植えつければ、小さくてもできるはずだと言われていたので、やってみようかと思っている。
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畑の家

2010-02-26 05:16:23 | 自給
町田に「畑の家」という、精神の障がい者の園芸療法施設がある。畑を広く耕作され、園芸療法をされている。その生産物を販売することで運営もされている。始まりは1980年と言うから、30年になる活動である。園芸療法というのは、心や体を病んだ人たちのリハビリテーション。園芸活動をセラピーの手段として利用するもの。農の会と似ているわけである。農大にも『バイオセラピー学科』が新設され『登録園芸療法士』という仕事にすすむ学科らしい。日本の息詰まるような社会状況の中では、切実に必要度が増していると思う。中心に運営されている田丸さんという女性がまごのりさんの友人で、何度か農の会の活動に参加されてきた。先日田丸さんが、小田原でも農地を貸して貰えないかと言う事で、お話があった。田丸さんの望まれていたような農地は見つかった。実際に農地を前にしてみると、小田原で、精神の障がいのある方達の活動が、受け入れられえるかどうか。難しいに違いない。手立てはないのか。

一度、田丸さんとそのことを話してみようと思い出かけた。田丸さんは私がその心配を話し始めると、自然に話を農地を借りると言う事から、農の会の活動に参加させてもらいたいと言う話に、なっていた。田丸さんが長年経験されてきた、深い困難を思った。この仕事は、心配をかかえながらではできない。絶対的とも見える偏見の中で、戦ってきたのだと感じた。田丸さんはとても強い人だと思うが、あまりにやさしく、私の躊躇を受け入れてくれたので、そのことを私自身が気付かないほどであった。帰り道は、とても哀しい寂しい気持ちと、許していただけたと言う気持ちが交錯した。園芸療法という手法については、田丸さんのような、大きな存在が必要なものだと思う。私の祖父の黒川賢宗と言う僧侶は、寺院を精神障がい者の受け入れ場としていた。そこで暮す人達の祖父に対する態度は、他の人と対する時と、全く違っていたのを思い出した。

自殺者が毎年3万人出る社会とは、近隣でも、友人でも、そう言う事があって不思議でない社会である。誰でもが、何度も経験していることである。ああ、と絶句してしまうような、喪失と傷の伴う事である。思い起こせばシグナルはある。そのとき気付かないだけである。気付く事のできない、自分である。深刻度のレベルは違うにしても、ほとんどの人が傷を受けている。傷を受けないことの方が不思議なくらいの、許しの無い攻撃的社会である。責める事で傷つく心を凌いでいるような社会状況。瀬戸際に立つ人は多い。飛躍するようだが、やはり技術の問題だと思う。祖父や田丸さんのような特別な方でなければならないのでなく、誰でもが受け入れる心の技術を習得している必要がある。人と接すると言う事は、難しい奥の深いことだと、思う。

農の会は園芸療法の組織ではないが、畑を耕す事で、自分が支えられている事は、しみじみ分かる。シャベル1本の自給を、開始した時。多分心の危機でもあったのだろう。絵描きと言う職業を目指して生きてきて、絵描きと言う職業に就けない、苦しさ。情けなさ。能力不足に対する絶望。5年の開墾生活を通して、自然と言う大きなものが自分を受け入れてくれた事を知った。これでも良いんだと言う事を、山を耕して畑にしてゆくことで教えてもらえた。「比較するとか、競争するとか。」でない生き方。「だめでもいいじゃん。」だめであることを受け入れることができた。自然という物は人間の少々の良い悪いは、関係がない。まったく出来ないと思って始めた、自給生活が、シャベル1本でできた安心立命。この耕す事で、得られた安心感を、多くの人に体験してもらいたいことだとおもった。園芸療法に繋がっているのかもしれない。
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トヨタ公聴会

2010-02-25 06:10:44 | Peace Cafe
甘く見たら痛い目に遭う。アメリカの公聴会は日本の地検とはレベルが違う。又繰り返される、日本パッシングだと考えていたら、大事になる。今起きている事は、日本経済の、正念場である。責任はトヨタにあると考えた上で、どう対応するかを官民挙げて、考える時である。。少なくとも、アメリカ通省の対応の厳しさから、相当の所までの把握した上での事だ。ラフード運輸長官は「安全性の問題についてトヨタは鈍感だった」と述べている。これは自動車会社として、致命的な部分だ。これを、アメリカの僻みから来る、日本叩きだ。落ち目のオバマ政権の選挙対策だ。などと考えるのは、簡単で気が晴れることだが、そんな表層的な問題ではない。文明の問題だとまで考える必要がある。

自動車という物は、アメリカ文化の象徴的なもののような気がする。日本の若い人は、車に興味を失ってきているらしいが。アメリカはまだ違うようだ。今世界で起きている、車という物の変化は、アメリカ人の心の深い所で傷が生じたようなことではないだろうか。技術革新が新しい地平を開くと言う考え方と、アメリカンドリームは切り離せない所を感じる。月に最初に降り立つアメリカ。一番強い国アメリカ。アメリカを凌駕するのはやむえないとしても、フェアーでなければならない。いやフェアーなはずが無いという見方。その観点で機械という物を見て行けば、必ず問題はある。どのような機械であっても不完全なものだろう。不完全であるものを、完全でなければいけないという、前提で議論が進む。トヨタは謝罪を繰り返している。これでいいのだろうか。訴訟社会で、責任を認めると言う事は、いつその欠陥に気付いたのか。欠陥に気付いていたのに、リコールを届け出なかったのは、何故か。これは犯罪ではないか。

日本政府はトヨタの企業的問題としているかのように見えるが、そんな事態ではない。この機会に日本人が変わってきていることに気付くべきだ。クレーンが良く倒れる。現場の技術力の低下は深刻になっている。団塊世代の定年期が来ると、技術者の一斉退社で深刻な状態がくると言われていた。そうしたことが社会全体におき始めているのではないか。ボルトの締め忘れで電車が止まるような、うっかりミスの頻発。緻密な配慮に支えられてきた、日本社会が劣化を始めている感じ。マニュアル世代と言われた人達が、社会の中核と成っている。日本人が普通になったと言う風に考えるほうが良い。冬季オリンピックでは韓国選手の強さが目立つ。韓国の社会状況の反映でもあると考えられる。特別な国家状況にある国。かつての日本もそうであった。日本社会は転換期を迎えている。

アメリカの魅力は、建前だったのかもしれないが、民主主義、能力主義、正義が存在する事だ。戦後日本はそれをならって社会改革を行ってきた気がする。アメリカが指摘してくれたことを、幸いと考えて見る必要もある。トヨタの問題を機会に、新しい日本社会の形を模索するような、方向に進まなければならないのだろう。社内教育の問題。臨時雇用で支えられている現場。海外生産。海外部品調達。巨大企業化。どの事を考えても、とても危うい状況にある。もう一度日本がどこを目指すのかを見直すべきだ。アメリカのテレビに「大草原の小さな家」があった。とても好きな番組だった。ああした良質な感性が作り出した、アメリカの良心の姿とどう結びつくのか。
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家庭用生ごみ処理機

2010-02-24 04:24:54 | 環境関連
小田原市では来年度のモデル事業として、生ごみの家庭での処理を行う。将来、生ごみを焼却しないで、処理が出来るかどうかのモデル事業である。今年は、1000軒での実験である。小田原市は既に900軒の電動生ごみ処理機を配布しているから、もし継続使用してくれているなら、その人達が、900申し出があるはずである。ダンボールコンポストも140配布している。そのほか畑に埋けている。庭で枠を作り消滅処理している。EM方式で処理している人もいる。様々な人がいるので、新たに何かを配らなくても、このモデル事業に参加できる人が、少なくとも1000件あるはずだ。あるはずなのだが、多分無いだろうという予測で、新たにダンボールコンポストを1000配布できるように、準備を進めている。新しい人も含めて、生ごみの家庭処理の大きな流れを作り出したいと考えている。相当、危なっかしいモデル事業ではあるが、この実験が進まないようでは、今まで活動が無になる。

葉山町では、クルクル2型という処理機で昨年1年間モデル事業を行った。出来るだけ早く、状況を伺いに行きたいと考えている。300軒規模で実験をしたようだ。クルクルをつかった実験が200。小さいゴミ袋に変えた方式が、100。いずれも成功したように想像される。この規模の実験は小田原でも、ダンボールコンポストの会が140件で行っている。継続が難しいと言う結果が出ている。ダンボールコンポストの継続で、一番の障害は、材料が簡単に補充できないと言う事がある。かなり熱心に取り組んでいた、ダンボールコンポストのメンバーでさえ、途中で止めてしまう人がいる。強い環境意識のある特別の人か、継続力が人並み以上の人に継続は限られている。どこでも簡単に材料がもらえていつでも始められる。これが継続の最低条件だと考えている。

クルクル2型はその欠点を補っていると言うのだが。本当にそういう結果が出るか。先ず実験を行ってみようと言う事になった。一年間資材を変えないで行えると言う。しかし、ごみの量が100キロを超えれば、そこが限界であろうと想像しているのだが、違うだろうか。同じ検討委員のこいずみさんが2万円の費用で自ら取り寄せてくれたのだ。ともかく処理機としては、高価である。電動よりは安いが、普及にはハードルが高い。中に入れている「ソルビオ」と言う資材が、手に入れにくい。やはりどこでも誰でも始められ、継続できるものでもない。ソルビオは要するに、おがくずを米ぬかで発酵させたようなものである。製造元では、特殊な菌が植えつけられているとか、説明しているらしいが、最初がそうであっても、1週間すれば同じことになる。早速自家製のおがくず方式で実験を進めたいと考えている。葉山町の実験では、いくつかの問題がある。生ごみを細かく切れと言う事。ハンドルが重いこと。処理量が年間90キロ平均と少ないこと。ダンボールコンポストでは、4ヶ月でその程度を処理できる。

温度を上げないというところがもう一つの特徴だ。虫や臭いの問題で、温度を上げない範囲で進めると言う考えのようだ。外に置くという条件も同じ考えから来ている。今10日ほどの実験であるが、温度は、一番上がったときで、25度である。この調子であれば夏なら、60度まで上がるだろう。ハンドルは、確かに重い。私でも動かないかな、と思えるときがある。細かくしないで入れているからであろう。中の様子は、ダンボールコンポストと何も変わらない。処理は出来る。1ヶ月すれば、資材の最初が何であったにしても、同じ結果になっているに違いない。今後さらに攪拌のしやすい箱が出来ないか検討したい。箱自体が、くるくる回る方式が出来ないかと考えている。額田さんによると、太陽光発電で、自動的にまわるものが出来ないかと、言われていた。
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まちなか市場

2010-02-23 05:09:53 | 地域
街づくりと言う言葉は、少し違っている。その土台となっている、周辺部が含まれて居ない語感がある。他に適当な言葉がないので、いちおうそこに周辺農村部まで含めて、人間の活動している所は、全部含んで、街づくりと言う事になってはいる。それは、「小田原では」とみんなが話すとき、山北に住んでいた自分がはずれたような寂しい感じがした。それと似ている。本来的には街とは、商店や行政施設の集まる。中心市街地の事だろう。山奥に暮らしていたときには、街に行く。と言う事自体が、動物園に行くとか、遊園地に行くとか、と同じで目的化していた。今の時代連日がお祭りのような暮らしだから、晴れの日も、日常の暮らしの日も境がない。街に行くと言う大仕事の盛り上がりが無いのは当然だ。舟原と言う周辺農村部の事を考える時も、街づくりだから違和感がある。地域づくり、と言う意味で使われているのだろう。

第3回「まちなか市場」と言う小田原の商店街と地場の産品の市が、開催された。小田原郵便局の向かいのあたりの道路沿いに分散して開かれた。みんなの力が良い形で集まって、とても、楽しい市場が出来たとおもう。みんなと言うのは、野菜やお米の生産者もあれば、加工品を作った人。バラを売った人。菜の花を売った人。市場で販売にあたった人でもある。そして、買った人でもある。つまり、普通なら、お客さんがただの消費者でなくなった。買ってくれた人となるのだが、買うと言う行為が、実は市場と言う楽しみを作り上げている。おかしなことになるが買う人が良くなければ、良い市場は出来ない。農の会の宅配と同じことだ。今回の市場はそんな楽しさを少しだけ感じさせてくれた。「小田原は良い所だ。暮らし良いし。食べ物は美味しい。」そんな言葉がお互いに自然に出るような市場になった。この市場は商店街の方々が中心に居て、その周辺に農の会のような存在が、十幾つ位が寄り添う形になっている。

街の商店が昔ほど繁盛しない。これは小田原だけではない。街でものを買うという、行為自体が大きく変化した。小田原にもよい画材やさんが3軒ある。申し訳ないが、そこで買う事はほとんどない。例えば紙を買うのは、特殊なものになる。間違いなく販売していない。では絵具は、筆は、と成ってどれもあまりに特殊だ。あんなに揃ったお店であっても、実は置いていない。多分取り寄せてもらうことも、なかなか困難なはずだ。専門店が、20万都市では成立が難しい。街が衰退してきている理由は出尽くしていて、その論議で良いのだが。大切なこれからの事である。農家が資産家で、利益の出ない農業を続けているのと、ほぼ同じ構造がある。貸し店舗や、マンション経営。商店が農業と違うのは、日々の切実な競争の中で成立している。入れ替わりは激しい。20年すれば商店が変わっていて、普通の事である。銀座や渋谷を見ればそうである。

まちなか市場と同様な試みは、小田原でも何度かあった。しかし、商店の意識や目的と出店の出展者の意識の、ズレが広がって、空気が悪くなり終わった。周辺部の生産者が街の商店街の方々に、お世話になっている構図。出店料も無しでやってくれている。出店料で運営がなされるようでなければ、継続は出来ないと思っている。この試みの成功部分は、街の楽しさの再確認なのだろう。地域の地場産品の充実にかかっている。この土地にしかないもの。あそこに行かなければ買えない、もの。街の商店がそうした、地場の流通と切り離されている事が、大きな課題なのだ。JAの大店舗が郊外に出来る。これとは違った、地場産品の細かな流れが「まちなか」にあってもいい。何しろ、多様でなければこれからの時代には、受け入れられないだろう。
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無施肥の稲作

2010-02-22 05:34:00 | 稲作
自給農業では藁は使い道が多くて、利用面から田んぼに戻すことは出来ない。そこで、田んぼでは冬の間、緑肥作物を作ることになる。雪の地方では、そう言う事もで出来ないだろうが、足柄地域では、田んぼを使わないで置く手はない。緑肥でなくとも麦を作る。菜種を作る。タマネギを作る。冬の間も田んぼは使っている方が良い。100坪の自給だから、何か作らなくてはもったいないと言うこともあるが、土という物は、一般に作物を作っていたほうが良いようだ。作物の耕作を通して、土壌が育まれる。無施肥の稲作でも、一般に緑肥作物を作ることが多いようだ。しかし、無施肥では緑肥作物自体がたいして育たないこともある。そこで、肥料を稲に与えるのでなく、緑肥作物に肥料を与えて、充分に育てると言うのが、考え方である。その上でその作物が、土壌にすきこまれたときに、充分に分解できるだけの窒素分がある状態にする。これは緑肥の抑草効果も考えての事である。使える腐食質を増やすと言う事でもある。だから緑肥作物は、マメ科のものがいいという事になる。

無施肥の田んぼでは緑肥作物が育てにくい。肥料分の少ない畑では、天候、気温、雨量、播種時期とか、僅かな自然の影響を受けやすいと考えている。自然農法と呼ばれるものほど、実は自然の影響に敏感なはずだ。私自身はそういう経験を何度もしてきた。それが、自然農法の優秀性を主張するあまり、自然の影響を凌駕するのが、自然農法だという主張がされ、冷害年でも充分に収穫が出来たという、稀有な例を一般化する傾向がある。足柄地域にはMOA自然農法をされる農家が10軒ほどあるが、収穫が他より優れていると言う事例は先ず見ない。MOA農法も人それぞれで、確立した稲作法が成立してはいない。この点では、一般の有機農法と同じ段階である。ただ、岡田茂吉氏の原理を否定できないため、苦労を重ねているのではないか。結果的に、何も入れないでやっている人は、皆無である。MOAの信者の方でもそういう状況だから、とてもこの農法を岡田理論どおり、一般化するのは至難の業である。

自然農法では、老化したと言われるような、発酵の進んだ家畜糞堆肥なら入れてもいい、という事になっている。それも慣行農法からの転換初期段階の事で、段々に入れないでも大丈夫ということになっている。そういう田んぼを見たことが無いので、一般技術として成立しているのかはわからない。多分信者の方ですら、そういう原理的な農法はしていないので、とても難しいということなのだろう。入水する水が、既に窒素過剰になっている所が多い。こう言う農法でやると、平野部では入水口の方が繁茂するような結果になる。山が雑木林で、その絞り水で耕作できるのであれば、又違う事だろう。海は山が育むと言われるが、田んぼも山が育むのだろう。土壌の性格も大きく影響する。たぶん、完全なる無施肥稲作が可能な稲作は、日本ではごくごく少ないのではないだろうか。私は信者ではないが、この農法の理論的優秀性をかんがみて、試みた事はあるが、5年我慢すると言うような事はできなかった。

無施肥理論でよく出てくるのは、山の自然林、雑木林の土壌の姿である。雑木林の土壌は確かに良い。何万年もかけて形成された土壌の姿である。畑とは根本的に成り立ちが違う。江戸時代から、400年かけて作られた、杉林の土壌は、畑の土壌に較べて悪い。さらに言えば、クロボク土が数万年前かの火山灰の蓄積の上に、イネ科植物の草原状態が何百年、あるいは何千年か続いて、炭素の蓄積がなされている。こう言う土壌と雑木林の林の土壌とでは、形成される土壌のイメージが違う。しかも、人間が永続して耕作して行く経過の中での、土壌の形成の問題である。作物の持ち出しの量微生物の意味が違うのだろう。光合成で蓄積される、腐食や固定窒素量。雨などで入り込む窒素量。雷で固定される窒素分まで問題とされるなら、野鳥や、魚の遡上。野生動物の死骸。大量の昆虫や小動物の蓄積。膨大な微生物の存在。検討しなければならない要素が多様にある。そうした自然的要素と、施肥の問題はきちっと論理的に考えなくてはならない。

無施肥理論が、原理主義的に一般に広まってきている事を、とても怖れる。さらに、消費者が植物系肥料だけを入れうように要求する事は、循環してゆく事を重んじるとすれば、とても危険なことになる。草や落ち葉の堆肥は確かに、障害が起こりにくく使いよい。良い収量結果が出る。それを作る労力を除けば、一番良い耕作が出来ると見て間違いがない。その意味で、もし良い畜産がされているなら、草食動物の糞を上手く利用する堆肥作りは、悪くないはずと考えるべきだ。また、家庭で出る生ごみも上手く堆肥化すれば、優れた草植系の堆肥になる可能性がある。こちらの考えで進める方が、現実的である。健康のための農産物は、無施肥の自然農法であるかのように流布する間違いである。無施肥で、堆肥を入れないで耕作した圃場で、農家的面積で、農家レベルの単位収量を実現した、現実の田んぼや、野菜畑がどこかにあるなら、教えて欲しいものだ。
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除草剤を使わないイネ作り

2010-02-21 05:44:32 | 自給
除草剤を使わないイネ作りというホームページがある。山下農園の山下正範さんが運営されている。このホームページの特徴は、メーリングリストと連動している事だ。「農家どうしの相互交流(ネットワーク)のためのホームページ」と目的が表示されている。見ていただくと、即解るのだが、今はやりの体裁から入るホームページとは、全く違って実用一点張りの見栄え無視の清々しいものだ。このホームページの中に入ると、実に奥行きが深い。実際の農家、(ちょっと一くくりには出来ないのだけれど)普通の農家の方が情報を発信している点が貴重な情報になっている。本当の声が時折聞こえてくる。わたしはメールを最近書かないでいるのだが、それは自分のようなタイプの人間の声は不似合いだな。と言う感じを持っているからだ。管理者の山下さんはもちろん普通の農家の方では無いとにらんでいる。除草剤を使わない、と言うくくり方がなかなかの知恵者である。

自然を愛し環境を考える百姓「赤木 歳通」さんが発信の核をなしている。「菜の花除草」で現代農業ではとてもいい記事を書かれいる。この方の文章がなかなか読ませる力量がある。冷酒をあおりながらの文章と言う事であるが、とても用意周到に作られている。自然に対しての、作物に対して、農作業についての、洞察も独特のものがある。最近はメール便の方は、途切れがちであったのは、引っ張りだこらしいからやむえない所であった。その赤木さんが最近、刺激的な文章を投稿された。頭の芯がガツンと反応をした。「糞尿を使わない」農業をどうかと思う。と言う主旨である。頭の芯から、全身に電波が走るほど爆発してくる、様々な想念が沸く。「青森のりんごの木村さん」に対する、批判である。世間では、一番持てはやされている農家である。持てはやされている理由は、自然に従う。の一点である。それの相応しい、ここまでに到る、物語がある。

原理主義対現実主義の起こる対立。農の会の作物に対しても、「動物性肥料を入れていますか。」こういう問い合わせがある。一体、牛糞という物は動物性堆肥なのだろうか。草食動物の糞尿を動物性考えるのだろうか。一昔前は、福岡さんの自然農法。その後に続いているのが、川口さんの自然農。そして、最近のりんごの木村さん。正直、当たり前の農家は大変である。消費者と言う王様の指示が出る。裸の王様は原理主義が大好きだ。自分が作るわけではないのだから、どんな要求でも出来る。それは置いておくとして、自給的農業の道は、原理主義とどう関係するのだろう。「持ち込まず、持ち出さず。」の家庭菜園。と言うような本も結構ある。自分の出す生ごみや、糞尿も「持ち出さず」なのだろうか。江戸時代の農業の姿は、限りなくそれに近い。確かに現代人の糞尿は牛糞よりも、使いたくない。何でも食べるし、抗生物質まで入る、薬剤入りである。

自分の暮らし方だろう。草食系の男子が流行るようだから、そういう人は自給農園も草食のみだろう。4つ足は食べなかった江戸時代を手本とする、私としては、鶏の卵、鶏肉、鶏糞は循環に入れる。その循環は最小限の労力で、最大限の成果を目指すものとなる。一人100坪の土地で、一日、1時間の労働で、自給する。話がだいぶそれてしまったが。除草剤を使わないイネ作りのメーリングリストは、とても刺激的である。今同時代に生きて、この悪環境の中で、除草剤を使わない営農を続けている人の、意見が聞ける。技術論もあれば、精神論もある。是非とも赤松大臣にも入ってもらいたいぐらいだ。
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絵を描くわたしというモノ

2010-02-20 05:50:57 | 水彩画
「私」というモノは一義的に、物質である。屋根から落せば、落下する。石ころや瓦だ。モノとしての私は、60年使われた中古工作物で、せいぜい20年丁寧に使えば、使える精密機械である。その次に、「私」は生物である。木や草、犬や猫と同じ、生き物である。命のある物体である。生きていると言う事は、自ら活動している物体である。これは動くと言う事で、動物であり、動く事でつじつまのあうものだ。その先が問題の「私」で、人間である。この人間というものがなかなか厄介なものである。いつまでもよく分からない「私」である。人間という生き物は、生れてきた事や死んでゆく事を考える。と道元禅師は言う。確かに、死んだ先を考えると、随分恐かった。最近は、死んだら何もないというように理解するようになった。それほど恐くはなくなった。あと20年と言う時間が、どのくらいのものかは、今までの60年の経験でよく解るが、多分あっという間の20年であろう。

父は、年をとるとぼけてきて、死ぬ事が平気になるんだ。と教えてくれて死んだ。母は、大怪我をして、意識不明で入院した。それで、こうやって死ぬんなら、死ぬと言う事はなんでもないもんだ。言い残してくれた後死んだ。いずれも、私の両親はわたしの死に対する不安を良く知っていて、自分の命をかけた本当の事を言い残してくれたのだと思う。そのおかげで、その後わたしなりに安心した。年々、ボケてきたのか、若い頃ほど死ぬ事を、深刻に感じる事もなくなった。例えば、以前は以前と言っても、中学生の頃は、絵を描くと言う事を、生きた証を残すというような、思いがいくらか混ざっていた。孫悟空の天の果ての立ちション弁である。それは大体なくなってくるものだ。とすると、いまやっているのは、どうも生物としての私が強まっているようだ。人間として「私」と改めて考える時の思考は、精神とか何か並の生き物を越えた存在のようなものを期待する。

絵を描くと言う事は、自分というものがどんなモノかを、探っているようなものだ。それは大それた自分と言うようなモノを、自分を他者に誇示しようと言うようなものでもなく、ただ、ごく当たり前の生きているモノとしての自分が何なのかと言う、物心付いて以来の疑問を、考え続けているようなものだ。この考えていると言う状態は、実は畑をやっているとか、田んぼをやっている。ひたすら働いている。身体を動かしている。と言うような事である。道元が只管打座と言う時の作務が農作業に近い。自分に関する疑問は解けるというか、明らめることがあるのか。解脱があるのか今の所、不明であるが、ともかく絵を描くといいながら、畑をやっていると言う事はそう言う事だ。何かわかりにくいのだが、「畑を耕していることと、絵を描いていると言う事は、一続きである。」

何故その色で無ければならないのか。その線でなければ、その形でなければ、ならないのか。その決めているのが自分であるのか。全てを突き詰めれば、その時の勢いのようなものと、気分とか、反応とか、感性とか、訳の分かりにくいもので固めてある。こういうあいまいな物に頼りがちだから、いつまでも明らかにならない。それで、ただ畑を耕す。畑はそれなりに耕作される。消えてゆくものであるが、絵と変わらない形が、地面に描かれてゆく。こちらは、正しいか、間違いか、がはっきりとしている。正解に気が付かないのは、自分の能力不足だけだ。その色でその線でなければならない、そう言う事は畑では、明確に存在する場合と、どうでも良い場合がある。そしてそういう人間の行為という物は、自然と折り合いをつけて、ある美しさを表わす。どの折り合いが美しいのか。自然の中に自分というモノをゆだねて、耕作する。これはとてもいい時間である。
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久野里山歩き

2010-02-19 04:39:36 | 地域
日時:3月6日(土) 9:30-15:00
集合場所:久野中宿バス停前 小田原植木出荷場(駐車場有)
費用:500円(保険料含む)
定員:50人
持ち物:昼食、ウォーキング(ハイキングのできる用具)
特記:昼食は、奥舟原の峯自然園様のご好意で施設をお借りいたし、トン汁が振舞われます。
コースは健脚コースと一般コースを推薦コースとして記したマップをプレゼントします。マップには、コース内の見所ポイントも記されています。

申し込み:小田原市農政課 0465-33-1491

現在コースを歩いて精査している。久野を一日ウォーキングしても全部はまわりきれない。ここだけははずせないと言う場所を、話し合っている。天子台の一番上からの小田原の市街、そして相模湾の展望。遠く、房総半島まで雄大な景観である。田中さんの茶畑や菜の花畑もある。普段でも、散策に来る人を良く見かける。諏訪の原の古墳群も小田原の事を考える上で、とても重要な地点。小田原と言う地域の形成されてきた、歴史的な実感。4号古墳と大きな木の立ち並ぶ圃場。棚田や、唯一残っている溜池、万治年間(1658~60)築造とも言われている、とあるもの。棚田が形成されてくる歴史。田んぼと暮らしの関係。舟原の奥にある小田原植木さんの圃場も、圧倒的な樹木の魅力というものがある。樹木の生産地としての久野。そして昼ごはんは峯自然園での、トン汁。出来れば、玄米卵のゆで卵くらいは、食べてもらいたい。

写真は久し振りの雪景色となった。舟原から、明星岳方面の景観である。ブリューゲルの四季図:冬を思い出した。暮らしのある景色である。振り返って、海の方も市街地が雪をかぶり、なかなか良いのだが、写真を二枚載せる方法が分からない。暮らしが循環してゆく姿が、景色に表れている。久野は暮らしのある場所だから、魅力がある。植林された林のほうが、太古の自然より美しい。この感じが段々解ってきた。雪が降ると全てが美しく見えるというのは、人間の行為が、自然の調和を壊しているからだろう。もちろん自然の圧倒的な力が、示されると言う事もある。久野の里地里山の魅力を掘り下げる事は、次の時代の暮らし方を感じてもらう事だろう。是否、里地里山散策に参加してもいたい。
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まちなか市場

2010-02-18 05:15:44 | 地域
2月20日(土)3回目のまちなか市場が開かれる。農の会が出るのは、小田原郵便局の前の静岡中央銀行のところになる。私はできるだけ玄米卵を出そうと思っている。2月のこの寒い状況で、どれだけ人が出るか心配。苦戦が予想されるからこそ、農の会も出ることになった。五平餅やガルビュールも出すので、是非とも立ち寄ってもらいたい。

小田原でも、街の活性化と言う事で、様々な試みがされてきているのだが、まだ、商店街の賑わいが戻ったとか、売り上げが伸びていると言う事は聞かない。全国どこでも経済の低迷は続いている。インターネットというものが出来て、街の機能は変化している。消費者が買い物に出て行くと言う事は、今後さらに減ってゆくだろう。消費者の多様化に、街の商店街と言う機能が、対応で来ていない。整理されていないと言う事だと思う。商店で育った人間だし、実はその昔は商売の経営もしていた。それなりにやったと思う。しかし、完全に止めた。商業という物の先行き、街という物の先行きより、もっと絵の方が大事になった。絵を描くのに商売をしながらと言うより、農業をしながらの方が、望ましいと考えるようになった。その点では、間違った判断だったとは思わない。農産物を生産して販売すると言うのは、筋道が見えて良い。絵を売って暮す、と言うのは色々の意味でつらい。

養鶏を始めて、商売の経験が生きて、どうすれば売れるのかはわかっていた。昨日は県の商工課の方が3人で見えた。農の会の活動の説明をさせてもらった。農の会が従来の商業の観点から見ると、商工課の方には、想像を絶するものであっただろうと思う。農の会は農業をしていたい。後は何とか生きていければ、文句はない。と言うような幸せ感の中で、成立している。もっと儲けたいとか、営農として拡大したいとか、そんな人は少ない。もっと小さくしても生きて行けるなら、それも良しと言うような、逆方向のベクトル、縮小再生産論理が生きている。こんな工夫をしたら、もっと小さくても住む。商工課の方々は何か協力したり、繋げたり、してくれると言う話だったようだが。何もつなげようが無い話で、戸惑った事だろう。3%の人はいる。足柄平野に1万人は農の会感覚の人が居る。これがイギリスなら、2万5千人居る事になる。

それで充分なのだ。農の会で1万人の食糧は無理だ。でも、1万人までは今のままで需要は続く。さらに、社会の方が10年の間にヨーロッパレベルの8%セントまで農の会の感覚の人は増加する。この予測は概ね間違えがない。循環する社会を好ましいとする人である。安全志向のひとは3%だったが、循環志向の人を加えながら5%ふえる。街という物は、100%を対象に動いてきた。20%の人がお客さんなら、それを25%の人をどうすれば呼べるかと言う方向である。これがもう通用しない状況が、年々強まっている。加速度的で、月々と言うぐらいの感覚で居ないとならない。農協のドレミファーミーが6億ぐらい売り上げていると言う。新店舗で、農産物だけで、善戦である。この流れは他の分野にも、現れてくるだろう。今世間の安売り合戦は、他店と同じものを他店より安く売る。大衆と言う見えない消費者を狙う商売の最終的姿で、最低の末期的商売の姿。

地産地消の模索。地域にしかない物産が、小田原の商店とどう連携できるのか。玄米卵は販売されている卵としては、日本1のつもりである。この足柄平野以外の人は食べることができない。そういうつながりを見つけたい。足柄地域に住んでいるので、足柄平野のお米が食べられて、相模湾の魚が食べられる。こんな当たり前の事が失われている。おいしいからと言って、魚沼産コシヒカリがもてはやされるので、それに便乗していても、小田原の物語は生れない。商店で売られているものは、世界中から集められたものである。それなら、インターネットをとおして、世界中から自分で取り寄せた方が、より良いものがよりやすく手に入る時代にどんどん変わってゆく。これはここでしかない、歩いて買いに来なければ、買えない。いわば、ウイロウさんの商売が、次の時代の街の姿だろう。最近駐車場が出来たようだが。
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足柄幹線林道のごみ拾い

2010-02-17 06:37:08 | 地域
3月14日(日)10時から12時足柄幹線林道の清掃活動がある。

小田原から直接箱根宮城野に上る自動車道がある。足柄幹線林道と呼ばれている。林道と呼ばれているが、林道利用は1%あるかないかだろう。通勤と1号線の渋滞時の迂回路として利用されている。箱根に小田原からどういう人が通勤するのだろうと思うが、案外にいるものである。公務員、旅館関係者。一度コンパニオンと言う人が、飯田岡から箱根に通勤していて、白山中学出身だと言う事だった。車の流れを見ていると、箱根から、小田原に通勤する人は少ないようだ。
先日、欠ノ上の伐採を手伝ってくれた「森の仲間」から、足柄幹線林道のごみが目立つ。箱根側は清掃活動があるので、きれいになっているのだが、小田原に入ると急にごみが増える感じがするので、一度掃除をしたいのだけど。と言う話があった。道のごみというやつは、増えだすと加速度的に増えだして、いつの間にか、ゴミ捨て場が出来てしまう。協力させてもらうので、是否やりたいと、話していた。

ごみを捨てるのは、観光客が中心である。こんな事を断定すれば、怒る人もいるかもしれないが、旅の恥はかき捨て。と言うぐらいだ。車で遊びに来る人が、缶コーヒーを飲んでそのまま投げて帰る。わざわざ、車を止めて、灰皿のタバコの吸殻を捨ててゆく人もいる。もちろん林道に電化製品を放棄するものも居ないではないが、これをやられるのは少し道筋が違う。もう少し通行量の少ない横路になる。幹線林道を上りきった所に突き出した半島のような峰がある。ここが駒ケ岳を描くなかなかの場所である。中川一政画伯の駒ケ岳の反対から見たものである。火山としての姿はこちらの小田原側の方が良い。箱根駅伝の中継もここにカメラが据えられたこともあった。しかし、車が入るものでゴミ箱と化した。車止めが付けられた。絵が描きにくくなったのには困ったが、あれからごみはない。

小田原の魅力といえば、海川山と合言葉のような、総合性である。和留沢の集落は山村である。何しろ標高450メートルに暮らしている人がいる。小田原の街では、雪はちらついた程度である。和留沢では今も、そり遊びが出来る銀世界である。次の時代とても大切な財産になる。塔の峰の青少年の家はさらに上で、543メートルある。小田原の事業仕分けでは廃止と仕分けられたが、この施設の有効な使い方は、アイデアしだいだ。行政の今までの怠慢の方が、批判されるべきだ。民間から広く利用法を募集するべきだ。経費も削減できて、有効な利用法はいくらでも出てくるはずだ。臨海学校も、林間学校も、市内で出来るような恵まれた地域性を生かさない手はない。東京から日帰りも簡単に出来る。都会の教育グループと連携をとれば、冬は冬で有効な利用法がある。今回は林道掃除の後、森の交流会が青少年の家で予定されている。

林道掃除は久野の里地里山地域全体の問題である。田んぼの自然水路が3面張りのU字溝になってしまうのと同じで、管理する暮らしがなくなっているからだ。暮らしが地域の環境から距離ができる。竹薮がいくら汚れても、暮らしのほうには直接の影響はない。地域の環境を守る。と言う事が市民全体の役割になっている。しかし、その仕組みが見つからないまま、ボランティア頼みでは限界がある。ボランティアと呼ばれる存在が穴埋めしているのは、一時しのぎである。行政が直ぐボランティアを頼むのは、行政としての責任放棄だと思う。環境を守る事が収入にもつながる仕事として成立する必要がある。観光客の尻拭いを、奉仕精神で片付けるという、不思議な構図の固定化になる。
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占いで町興し

2010-02-16 06:04:07 | Peace Cafe
占いが、またぞろ流行っているらしい。占いで町興しが成功した地域が紹介されていた。テレビでも今日の運勢とか言いながら、天気予報と同列に扱っている。おひつじ座の人は☆3つとか、言うのか言わないのかしらないが、腹が立ってすぐチャンネルを変える。占いを、当るも当たらぬも八卦、冗談のようなものを放送で流すなど、放送の冗談化の一断面である。気軽な冗談だからそう目くじらを立てなさんな、と言うような隙間に、ドンドン入り込んできている。各局の今日のラッキーカラーは同じなのだろうか。日本テレビの方が当るとか、そういうのはあるのだろうか。占いが当らないとか、占いがいけないとか、そういう話ではない。テレビでやれるようなものではない。まともな占いなら、個人的なものに違いない。大雑把な、十束一からげの、細木氏監修とか言うようなものではない。そういえば、細木氏はテレビで見なくなって何かホッとした。占いがどこかに当たったのだろうか。朝青龍支持者だったが。今日の事態は占いに出ていたのだろうか。

中学生の時に原君から借りて、授業中に一週間で読んだ吉川英二作「宮本武蔵」では、下がり松の決闘の前に神社の前を通りかかり、一瞬手を合わそうとする。その弱い心を振り払って通り過ぎる所があった。困った時の神頼みだけでなく、目に見えない何かに依存する気持ちを、剣豪と同じく振り向かないようにしたい、と子供心に同感した。占い師に占ってもらうと言うのは、当然、新しい事で無く。明治時代ぐらいの人には、日常の事だったらしい。これがお狐様とか、お犬様とか、巫女による神降ろしとか。江戸時代から存在した、暗闇的世界に繋がっていた。わざわざオドロオドロシイ世界に、一族で沈むことで、何かを成し遂げようとする、暗黒。1950年代まではそれなりに、そういう世界が残っていた。身近な人たちが、一般にその怖ろしげな、おどろおどろしい世界の演出に心を侵食されていた。本当に当るんだから、死んだお父さんが来てくれたんだ。そう言う事が普通の会話に時折登場していた。

ところが、最近の占いの流行は実は人生相談らしい。剣豪の時代とはだいぶ違っている。時々、養鶏場の見学に見える方も、養鶏をやりたいというより、人生相談に来たのかなと思える事もある。そういう社会状況なのかも知れない。突然、「養鶏がやれるでしょうか。」こう言う事を聞かれても、占い師でも無い限り、わからなくて当たり前だろう。そう言う事はやる人が決める以外にない。やれなくてもやりたいから私はやっている。占い師になるための、講習があるらしい。相談者タイプ別の人の励まし方を研究している。励ましにならないような占いは、最近の占いではないらしい。このてん、あなたは20歳の寿命です。不幸の占いとは大違いである。足裏占いというので、調査会社と組んで、莫大な祈祷料を巻き上げると言うのがあった。占いと新興宗教は紙一重の場合がある。占い同様、現世利益の宗教も大嫌いだ。結局は、人生相談をする気持ち、何かに頼ろうと言う気持ちが嫌いなのだ。

占い師であると言う前提なら何でも言える。赤い服を着れば、お金が溜まる。と発言しても許される。養鶏が可能だと言ったのにと言う事にならない。この無責任さ加減が今の社会にちょうどはまっている。と言いながら、占いというものが当たらない。などとはまったく思っていない。実は結構当たる人が居ると思っている。高島易断のもととなった高島嘉右衛門は鉄道事業で伊藤博文と親しくなり、政商として明治期活躍する。その事業は全て監獄で学んだ易経による八卦にしたがっていたという。伊藤博文の暗殺を占ったが、伊藤がそれに従わなかったため、以後占いをやめたという。占い師も自らが、思い通りになって居ないともう一つおかしい。自分は占えないなどと言うのでは、どうも役に立たない占いである。
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竹薮の整備

2010-02-15 05:38:32 | 地域
欠ノ上(かきのうえ)田んぼの作業で、竹切りをした。3回目である。前二回は半日程度の作業だったが、今回は終わるまでと言う事で、4時過ぎまでの作業となった。9時からだから、7時間の作業時間になる。これだけの作業は久し振り。鋸作業が多かったので、腕が痛くなるかと思ったが、案外回復しているのでよかった。まだ、若い者には、とかいう訳ではないもないが、日頃身体を動かしていない人には、結構大変な作業だったと思う。しかし、みんな良く頑張った。これにはとても驚いた。竹切りと言っても、久野川の河岸整備と言う意味が強い。田んぼは、久野川の北側にあるので、本来なら、日当たりは良い田んぼである。それが対岸の木が大きくなり過ぎて、何しろ一番大きな木は長径が1mもあるほど。この竹薮混じりの林の為に、折角の美しい自然の川岸が残る貴重な場所なのに、ほとんど見えない状態になっている。

作業してくれた人の数が、20名は超えていたのではないか。作業の指導をしてくれたのは、和留沢のHさんである。そして、大勢で協力してくれたのが、「山の仲間たち」の皆さんである。こんなに有り難いことはない。田んぼ関係の参加者も、12,3名はいたのだと思うが、木を切る作業が出来るのは、石井さんのご主人と、岩越さんぐらいなので、離れて竹の作業を中心にやった。大きな木を切っているのに、何をしているのかが、わからないくらい広い場所だ。3時前ごろだったのだろうか。竹の片づけがほぼ終わりかかった頃だ。切った木の片づけをやってほしいと声がかかった。急いでいってみると、驚くほど、木が切られていた。見通しも良く、とても美しくなっている。これは素晴しい。疲れている身体に厳しいが。必死の木の片づけが続いたが、何とか明るい内におおよそ移動はできた。大変だったと思う。

この河原は富士山の形の石があるから、富士河原と呼ばれている。夏には子ども達の水遊びの場所になるそうだ。元連合自治会長の瀬戸國男さんがそういわれていた。昨日も、田んぼの参加者の子供が、一日中河原で遊んでいた。子供の姿がとてもいい景色を作っていた。整備を許可してくれた山の地主さんお二人、又地域の方々に喜んでいただけるような、環境整備に成ればいいと考えている。景観は地域全体のものだと思う。使われていることが美しい、と言うような場所になればいい。昔なら、特別に里地里山を守ると言うような事ではなく、暮らしのなかで、手入れが行われる。炭焼きがあり、薪採り、竹の方も用途は広い。竹の子を食べる。ハザ掛けの竹だけで、相当の数が必要だったはずだ。そうした暮らしがあれば、その延長で、自然に手入れが進んで、循環のバランスが取れる。それが美しい竹薮になり、河原になる。

今度は、お借りした栗林の栗の木を選定したい。選定した枝を薪として、積んでおけば良い。カマドが完成したときには大いに役立つ。温かいかまどご飯と味噌汁が食べれれば、またとない楽しみになる。あれだけ竹があるのだから、竹を上手く利用した、竹づくりの屋根が作りたいものである。小さな屋根が在るだけで、ずいぶんと違う。夢はドンドン広がるが、貴重な里地里山のポイントとなる素晴しい場所である。久野全体の宝のような場所にしたい。昔の姿をいつも考えてみる。想定していたより、はるかに作業が進んだ。これだけ多くの方の協力が得られたことがすごい。誰一人、報酬があるわけではない。ただ、あの場所を本来あっただろう姿に、戻したいと言う気持ちだけで、集まった人達だ。こうした気持ちのある、外部の力は善意であるだけに、ある意味不安ももたれる。この里山に昔から暮らしてきた人達に、安心して受け入れてもらえるような活動にして行かなくてはならない。

昨日の自給作業:ハザ掛け竿7時間 累計時間:14時間
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植木鉢作り

2010-02-14 04:49:33 | あしがら農の会
20人ほどで、植木鉢作りが行われた。みぞれ雪が降り続いていた一日だったが、充実した暖かい日だったと言っても良い。野焼きを来月行うので、その形作りである。一人2キロの野焼き用粘土で好きな形を作った。石楠花の家で行う予定で、薪ストーブまで用意したのだが、朝になってこの天気では、とても無理だと言う事がわかった。急遽床暖房のある、猫の遊び場を借りた。猫は大勢にビビッてしまって、隠れて出てこなかった。天井は全て透明で、みぞれが降っていても明るい。タイルの床はほんのり暖かかで、制作に没頭できた一日だった。何という鉢だか名前は知らなかったが、マスデバリアを植える鉢を作りたいと思っていた。作っていたら、その名前はストロベリーポットということを教わった。確かにそういうものが売られているが、あれとは一つ違う所がある。

中央が壺になってる。壺の周辺には出窓のベランダのような、マスデが植えられる小さな鉢が4つ付いている。水を入れると素焼き鉢だから、その水はにじみ出て蒸散する。その気化熱で、いくらかでも夏の暑さが凌げるだろうと言う、アイデアである。マスデバリアの原産地は南米の高原地帯。イメージとしてギアナ高地のようなところだ。花形は独特で、インカのイメージを誘う。と言っても形はガテマラの民芸のようなものが頭にあった。以前、蘭友会の蘭展でみたガテマラの女性が篭を抱いている、古い民芸品の土偶。その花篭に植え込まれた小さな蘭が見事だった。実は地肌としては、三島をイメージして、すり鉢の側面を使おうと考えていた。ところがこのすり鉢が、どうしても見つからない。仕方がないので、表面を土偶のようにする事した。いつの間にか、どんどん縄文の土偶のイメージに変わっている。先日の土偶展が色濃くなるのは、圧倒的なイメージが張り付いているからで、ありがたい。それならそれで行こうと製作途中で方向転換をした。小さな苔を植えることにした。苔が張り付いた感じである。

絵を描いているときには方向転換は無いのだが、手を動かしている内に頭よりも、手の方が勝手に移動して行くような感じで、それはそれで面白い。途中で、鶏のエサをやりに行く時間になったので、そこで、一次作業は終わりにした。後は乾いてから、彫刻刀で削りだしを行う予定である。エサをやっている間に、古典落語の「頭山」を思い出した。頭で花見。2作目として、これを作りたくなった。最後の5時まで作っていたが、完成までは行かなかった。今日これから続けてやってみる予定だ。こちらは本当に植え込むものではなく。鉢カバーのような使い方になる。バラはどうだろうか。バラの髪飾りのような。頭山である。どうしても桜の花が咲いている所が浮かんでくる。最後には自分の頭の池に身投げをするという、奇想天外な話である。江戸時代のシュールリアリズム。そもそも壺という物は、そういうシュールな所があると思う。壺に手を入れると言うのは、どこか恐いものである。

楽しくできたのは大勢でわいわいと、制作させてもらえたお陰である。制作という作業は一人でやると、ちょっと深刻になりすぎる。大勢で写生に行って、思わぬ絵が描ける。案外自分に無いものが出てくる。これは、そこに現れる空気。脳波が反応すると言うのか。集団の念に支配されると言うのか。その昔、春日部洋先生と絵を描きに行くと、自分を超えた絵が描けたのと似ている。自分を越えるというためには、一人でやっているだけではだめなものだ。常に開いいること。開いて何でも受け入れる気持ち。3月13日には四号古墳のまごのりさんの圃場に作る野焼き窯で、焼成する。これが又楽しみだ。いわこしさんが窯を考えてくれているらしいので、野焼きも、もう一段と進化しそうだ。
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