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小田原市自治会総連合

2007-01-31 05:57:17 | 地域
小田原は日本で一番の自治会加盟率の町だと聞いたことがある。実態は分からないが、舟原では100%の加盟率だと思う。73戸ですが。このところ増えたそうだから、75戸ぐらいになったかも知れない。戦前が50戸の集落だったそうだから、50%増加したと言う地域だ。40戸ぐらいが戦前からの家で、35戸が戦後住み始めた家という感じだ。風習と言うか、地域の付き合いの仕方は、相当古い時代のままのようだ。この状況に、自治会と言う形がどう適合しているのだろう。当然戦前に出来たものだ。正確にはわからないが、寄り合いのようなものが、江戸時代からあり、それが変遷する形で、今の自治会になった。ここに事が複雑化する要因がある。戦後のアメリカによる民主主義のお仕着せで、自治会や公民館運動は民主主義の学習の場、と言うような考えが与えられる。盛り上がった地域もあったようだが、結局これが身につかないまま、地域そのものの存在が、希薄に成り始めた。

一方地域社会の仕組みに変わって登場したものが、行政。隣のおばあちゃんの事も、お役所で世話をしてくれる。行政はそうした自分たちのやたらに増える役割に、自治会と言う組織を意識するようになる。そこで自治会もいつの間にか、行政の伝達機能が主な役割に変わる。老人会や婦人会の活動が消えて、行政直轄の活動に便乗して動くようになる。例えばこの自治会長というものが、どのような経過で選ばれて居るのか。民主的公平な選挙に基づくと言う、建前ではある。これこれしかじかといういい訳が用意される経過で選ばれている。忙しい時代状況の中、適当な成り手がない。しかし、自治会長としては後任を何とか探さなければならない。何とか引き受けてくれそうな人を見つけて、ひたすら日参し、お願いするほかない。適任の人を見つけて引き受けてもらう事自体が、自治会長の一番の仕事のような状態である。ここに、民主主義を形式的なものにしてかまわないと言う、暗黙のルールが出来上がっている。

一方、自治会長という役割は、地域の封建的な権威のある象徴でもあり、名誉ある職責でもある。市議会議員そして、市長。政治的志のあるものが、名乗り出る場でもある。舟原地区の自治会の上に、久野連合自治会がある。星野さんといわれる。尊敬できる方が現在されている。その連合自治会の更に上に、自治会総連合と言われるものがある。形式の3段重ね構造だから、実態など、何もある訳がない。舟原の自治会で何かを決めることがすでにできない。人が集まらない。委任状があるわけでない。その前に明確な総会がない。

今回、自治会総連合がホール建設について、要望書を出したと言う。どんな主旨のものであれ、明確な違法行為だ。政治的な発言や、意見の分かれるような問題では、意思表示をしないという、節度ある態度で、かろうじてて存在が成立してきたのだ。それが今の自治会の実態だ。その今までの配慮ある態度を踏みにじる暴挙だ。国会で審議なしで、アメリカに対して条約破棄を通告したような物だ。違法行為である、要望書を小田原市議会が取り上げたと言う事が、また情けない愚かな事だ。違法行為を根拠に答弁をするという市長の愚かさは、恥の上塗りのようなものだ。と書きながら、実は行政一体となって、この要望書を出させたのではないか。と大いに疑われる実態がある。小田原自治会総連合と言うものに対し、訴訟したらどうだろう。「自治会員の総意でもない要望を、総意のごとく市議会に提出した行為の撤回を求める訴訟。」提訴する事で、小田原に渦巻く、こうした裏取引で、事を進めようとする暗黒政治を、世に知らしめて行く、良い機会ではないだろうか。
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上勝町の笠松町長

2007-01-30 06:02:20 | 環境関連
日曜日には徳島県の上勝町の笠松町長さんの講演会にも出かけた。大豆に火を入れての待ち時間で丁度良く行けた。上勝の葉っぱで町興しと言う事で、現代農業では早くに着目していた。「葉っぱビジネスが特殊解であって、長続きするものではない」と言う意見を聞いたことがあった。「農業では一般解を見つけなければ、意味がない。」という訳だが、どうも長続きしているところを見ると、日本の農業の一般解なのかも知れないと思い始めていた。2億5千万円の仕事らしい。月の売り上げが百万円を越えるお年寄りがいるというから、大きな産業と言う事になる。もう一つ有名なのが、ゴミ0宣言の町だ。ゴミの収集をやめた町。ゴミを34分別。2020年にゴミの出ない町にすることを宣言した町。これを推進した笠松町長の話が聞けるというので、楽しみだった。

なるほどという実感が、町長の勢いだ。前向きパワーが出ている。町工場から、世界的開発をしている社長と言う趣だ。一方に人間味があふれ出ていて、お年寄りに人気があるだろうな。と納得がいく。地域を、人を動かす、源に触れた気がした。老人介護の使い捨てのオムツ問題が質問で出た。この処理について、現場の作業員が答えるように、同時にゴミ問題の権威の学者のように正確な社会的な分析と、方向付けを答えられていた。徳島の民間業者が現在燃やしているのだそうだ。その灰はどこかの最終処分場に持ち込まれる。そうした現状。オムツの製造会社に責任を持たす法を作る以外、ゴミにしない方法はない。と明快な回答。国がやるべき仕事、町がやるべき仕事。そして肝心な住民がやるべき仕事。

ゴミ収集車が来なくなったら、ゴミがあふれる町。ごみ収集をやめて、ゴミが3分の1になった町。葉っぱビジネスも、ゴミの処理の方法も、全く同じ感性が貫かれている。暮らしの現実と実感に基づいているのだ。生活者の視点、よく言われるが、都会のマンション暮らしの生活では生まれない、土に密着して暮している者にしか出てこない、感性を感じた。ゴミの34分別は、自分でステーションに運ばない限りできない。家に34の分別ゴミ箱を置くわけには行かない。出かけて行って自分で表示を見ながら分けるのだ。その分ける箱の上には、分けたゴミが、この後どのようにリサイクル、リユースされるかが表示されている。ゴミを捨てながら、ゴミの分別が生産的な作業である事が実感できる。まさにゴミは宝の山の実感だ。

何故、他の町では出来ないのか。よく言われるのが規模の問題。大きいところでは出来ないよ。と言うのが、愚かな発想で、小さくすれば良い。舟原なら舟原でステーションをやれば良い。その結果が、きちっとした対価が地域に戻されるなら、やる地域はある。生ゴミは出さないそうだ。各自が処理する。全く当然の事だ。我が家では出さないが、出さない対価が評価されないところが残念だ。良い暮らしをしたら、それが評価される仕組みが行政の役目だ。ゴミのダンボール箱堆肥化をピースカフェでは取り上げた事がある。ベランダで可能だ。こうした努力が評価されるシステムこそ、ごみ減量の鍵だ。ゴミ処理広域化はダメだ。ゴミは小さくして見えれば、減ってゆく。
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農の会の味噌作り

2007-01-29 07:13:02 | あしがら農の会
農の会の味噌作りがあった。先週の日曜に麹作りがあって、昨日が味噌の仕込みだった。7月始めに大豆の種を蒔いてから、畑の整備、作付け、草取り、収穫。豆豆祭での脱穀選別。と長い長い経過を経て、昨日の味噌作りに到った。この全てを通して、初めて味噌作りと言う事を体験した事になる。こうした、長い長い農作業のすべてが、私達の暮らしに何かを伝えてくれると思っている。だから、農協や生協主催の味噌作りを、体験学習だとか簡単に言われると、ちょっと違うよと言いたくなる。最近始まった食育と言うことも、こうした食べ物にまつわる全てを体験する。そのことで始めて、食べ物というものの、何たるかを知る事になると思っている。だから、全ての作業で誰かが教えると言うような事は出来るだけないほうがいいと思っている。大豆の植え方一つでも、夫々のやり方がある。麹の作り方だってそうだ。実に奥の深い作業だ。それを知ったように教えてしまう事は、少々うまく出来たところで、何にも成らない。大いに失敗して、自分で考えて、やれるようになることが大切だ。

味噌作りの場所も転々として、今回は4番目の場所。もう10何回目かになる。小宮さんの叔父さんのところでやらせていただいた。100キロからの豆を煮るとなると、少々の大釜では、出来ない。小宮さんの所の巨大釜ならではの豪快な味噌の仕込だった。豆はおとといの土曜に仕込んだ。大きな竹の一本分の笹の葉を、大鍋の底に枝ごと敷いてしまう。その上に綺麗に選別して、良く洗った大豆を入れていく。笹の葉の間から、こぼれ落ちて底について焦げるのではと言う心配もあったが、そんな事は一粒もなかった。笹の葉の味がまめに移るような事も全くない。前日の準備は10人で1時間ほどだった。当日は朝7時に火入れで、4時間炊いた。火が沸騰するまでに1時間その後は殆ど、薪を足す事もなく、とろ火で煮続ける。あくもとらない。薪が節約になることに驚いた。叔父さんの話では、平塚の在のやり方だそうだ。この佐野と鋳造印がある釜は醤油屋さんの使っていたものだそうだ。

一品の持ち込み味噌料理と、イノシシ鍋があった。私は卵の黄味の味噌漬けを持っていったが、温かいご飯で食べるか、あるいはお酒の肴にいいのだが、おにぎりにはどうだっただろう。鍋のほうは、100人分以上あって、ベジタリアン用とイノシシ鍋とがあった。ベジタリアンが結構居るので、全部にイノシシ肉が入れられないのだ。イノシシは罠で捕まえたものだ。毎晩畑に出てくるので、罠を作って捕まえたのだ。イノシシと豚では味が全く違う。イノシシの方がはるかに美味しい。餌が違うのだろう。どんぐりや山芋を食べて、山を走り回っていたなら、豚もきっと美味しくなるのだろう。

味噌作りは農の会の活動の中でも、最も楽しい活動だと思う。大豆の会、田んぼの会、お茶の会、この3本の柱が農の会の活動だ。これらの活動がそれぞれ刺激しあって、より楽しい活動になって行けばと思う。どの活動も指導的なものであって欲しくない。何の為とか、何を学ぶとか、それは技術であっても、夫々が学ぶ場が作り出されているという形がいい。学ぶには大いに失敗する事だ、自己責任で失敗する。農協のイベントでは、失敗が許されないだろう。指導が悪いとか、言う事になる。だから、農の会では出来る限り教えてはいけないと思う。夫々が、工夫する空気に持ってゆくこと。焚き火一つでもこう燃やすのがいいのだ。と言って指導し譲らない人が居るものだ。
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鳥インフルエンザ岡山県高梁市で3例目の発生か

2007-01-28 05:54:53 | 自然養鶏
もし、この3例目が強毒性の鳥インフルエンザだとすると、もう対岸の火という訳には行かない。しばらくは厳戒態勢に入らないと成らない。前回の強毒化の発生の際は、関西までだった。野鳥による感染が一番疑われる。前回と全く同じ順序で、事態は経過している。韓国に暮れに発生した場合に年明けに日本で発生する。そして順次関西まで広がる。簡易検査で、7羽が陽性反応というから、鳥インフルエンザと考えて間違えはないが。死んでる数が少ない点から、弱毒の鳥インフルエンザの可能性は残されている。それに期待したい。前回の茨城の発生では、養鶏業者を集めて、注意指導する事は絶対にやめて欲しいと、農水省および茨城県にお願いをしたが、全く無視された。結果、人が保菌した事実が後に判明する事になった。状況証拠からは、人が感染を広げたと言う結果になった。今回もその恐れが多分にあるので、業者を集めるような愚かな事は絶対にしないで欲しい。もしそのような要請があっても、拒否したほうが間違いなく安全だ。

しかし、今回のような発生の経過は野鳥による感染と考えた方がいい。韓国では前回同様に、野鳥から鳥インフルエンザのウイルスが見つかっている。前回はカササギだったと思うが、今回はマガモから見つかったようだ。人が発見できるという確率はきわめて低い事だから、1羽でも見つけたということは、相当数感染の野鳥が居ると考えなくてはならない。渡り鳥による広がりと言うより、偏西風に飛ばされてくると想像している。だから、関東にまで直接来る事は少ないとおもう。

と言って、一反感染が日本国内で起きたその後の、2次感染は人が起こす場合の方がはるかに可能性が高い。これはゴーヤさんの繰り返し指摘しているところだ。防御服を着用した家畜保健所の職員が感染した事例はすでに、2004年の京都の際に起きている。その職員が他の養鶏所の調査に廻り、新たな感染を起こす可能性も高い。この時の反省がないまま起こした、茨城での極端な感染の広がりは、まさにこの事例だと思う。厚生省の血液検査でも、茨城県の再調査でも、処理に関わった職員に多数の抗体反応陽性者が出た。論理的に考えれば、風邪が咳で感染を広げるように、感染した職員が、他の養鶏場の調査に入り、鶏に触れたりしている。それが次の感染となったと考えられる。今回の事でも養鶏場をまわり歩いて、検査するような事はしてはならない。前回の3年前は、神奈川県警では養鶏場の状況把握と言う事で、全く伝染病に対する知識のないな警察官に現地調査をさせた。

正直、気を揉むばかりで取りうる策は少ない。今回の事例でも分かるように、上空からの撮影や、消毒の様子の報道に映る範囲では、直接野鳥が入り込むような養鶏場で起きているわけではない。規模もそれなりに大きな何万羽と言うところだ。わざわざ行かなければ、人通りがありそうもない場所だ。今となっては、やれる事は野鳥より人を入れないことだ。他の養鶏場を歩くような人は絶対に入れない。そういう人とも会わないほうがいい。飼料にもウイルスが混入する。ゴキブリでもネズミでも、感染を媒介するわけだから、飼料も出来れば入れないほうがいい。

現在世界での人の発症者数は267人10年間の事だから、年間で30人以内。死んだ人は162人本当に稀有な事例と言っていい。感染した人でも発症しない場合のほうがはるかに多い。
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2007-01-27 06:39:28 | 自給
自給で困難な事はたくさんあるが、塩とか、油とかは、本当に困る。100円も買えば、相当あるわけで、これを自給する労力と言うものは、何十日分に値するだろう。だから、自給と言ってもあまり原則的なことにこだわると、すぐ不可能と言う事になる。衣服だって、布団だって、畳だって、自給しようと思えば、それらに殆どの労力を費やす作業になる。先日もある集会で、油はどうしたのですか。と言われた。こうした質問が出る人は、本気で自給を考える人だ。
ともかく、油ぐらいは何とかできないかと。人が必要とする量のほうから考えると、1人一升の油。これが1年間の必要量だ。これを菜種油で考えると、菜種が5キロ必要と言う事。去年田んぼの裏作で作った経験からすると、30坪の面積を栽培すると5キロの種が取れる。これは米が30坪で50キロと言う、一年の必要量と同じ事になる。やってみたのだが、驚くほど辻褄がうまく出来ている。

と言ってこれは食べる分で、暗くなったら寝ると言う事だ。夜も明るくしたいという思いは、常にあるのだからエジソンは偉い。明かり分は魚の油を使う。捕鯨だ。普通はいわしだろう。これもちょっと自給では難しいので、養豚。ラードは簡単に手にはいるが、これを燃やしたら臭いだろう。鶏の油と言うのも、これも楽に手に入る。
私の住む舟原では椿だ。椿が家の北西側に植えてあり、箱根降しを防いでいる。これが油の基になっていた。この木の大きさ様子からして、間違いなく江戸時代から、続くやり方だと思う。髪油、だったのだろうが。食用としても、10本ぐらいは各家にあったようなので、充分テンプラが食べれる量の油が取れただろう。私の家にも、3本あるので、これでどれくらい採れるか試してみるつもりだ。

菜の花プロジェクトが、あちこちで取り組まれている。景観作物と言う事で、行政主導で、南足柄でも小田原でも、取り組んでいる。美しい国づくりだ。問題は油を採るまでやらない事だ。しかも、田んぼの裏作でやるのでなく、休耕田の活用と言うことだ。こう言う活動のやり方が実は、形式主義の環境運動のイメージを増幅している。問題の表面をなぜているだけなのだ。環境運動と言うとボランティアが活動を行う。余り、現実的でないことをやるのだ。と言う評価になるのだろう。業として、菜の花を取り組めるようにならないと、まずいのだ。その方法があるのに、そこまでは取り組もうとしない。農業の本質を崩す事になる。農業が地域に必要なのは、環境調整力だけではない。食料の自給だけでもない。農業に人間本来の生き方があるからだ。

菜種油は、換金作物だった。庶民には贅沢な物のはずだが、人間ゆるい方に傾けば戻れない。魚油から、菜種油、それがろうそくと、明るい方へ明るい方へ傾いて、ガス灯から電気。暗くなったらに寝るのが一番。実は今私が使っているのはグレープシードオイルこれは、ワインのおこぼれから造るところが気に入った。使ってみて癖のない、いい油だと思う。油はなにからでも取れるほど多様だ。木で取れる油と、草でとれる油、魚から、獣から。使い分ければいいのだろうが、体質に合うのは、潅木の種から採る油のようだ。コーンとか、菜種は好みではない。ごま油もだ。魚や獣はやはり身体にダメ。オリーブとか、ブドウとか。木の種と言うのは、薬のような物に感じる。きっと椿もいいだろう。
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笹鶏孵化開始

2007-01-26 06:25:28 | 自然養鶏
昨日午後、意を決して笹鶏の孵化を始めた。自分の鶏種を自分で孵化して、行う養鶏というのは、それこそ大規模のイセ食品と笹村養鶏場ぐらいだろう。規模は極端に違うが、合理性をとことん追求するとこうなる、と言う意味では同じだ。ただ、合理性の意味が違う。私の場合は経済の合理性ではなく、自然の循環と言う合理性だ。他所から雛を入れなければ出来ない養鶏と言う事が、気持ち悪いのだ。この落ち着かない、基盤が他所にある感じはどうもまずい。自給自足に暮すとなると、自家採種は当然の事になる。鶏もついこの前までは、自家採種が当たり前だった。それに、自分の鶏種を作ると言うのは、実に面白い。鶏は美しいものだ。生き物は美しい。それを自分なりに、洗練さしてゆくなんて、特別な事だ。笹鶏には、白系と赤系が居る。夫々に、自然にとけこめるような、ものにしたいと思っている。江戸時代のお百姓さんに負けないような鶏を作りたい。

先ず1回目は笹鶏の2系統の純系を120個、卵を孵化機に入れた。100羽の雛が取れる予定だ。80%孵れば、相当いい成績だと思う。10年以上純系を保っている鶏だから、相当に孵化率は下がる。この結果で、今のうちの養鶏場の状態がわかる。毎年の試験のようなものだ。今年は、この辺の経過を出来るだけ正確に書き残しておくつもりだ。今私がやっている事は、この先何10年かすると意味がでてきて、知りたいと思う人が居るはずだ。例えば純系を保つと言う事が、どんな事になるか。この辺も時間が掛かることだ。すでに20年かかっている。私だってもう一度は出来ない事だ。もう一回ぐらいなら、やれるかもしれないが、そんな馬鹿な事は、若いうちでないと考えられない。私自身養鶏業としてはどう収束するかを考えているので、この種鶏がどう今後なるのかだけは、継続してみたい事だ。

120個の卵はここ4週間ぐらいのものだ。暮れから、別飼いを始めていた。卵は販売してしまうので、中々たまらないのだ。今の時期どうしても予約に追いつかない。だから、純系の卵は残そうと思うのだが、出来ない日が多い。卵には日付と、赤、白、と記録が鉛筆で書いてある。後で孵化の経過を見る。無精卵の割合なども、参考にする。古いと孵らないかと言うとそうでもない。殻も綺麗で形が良い大きめな卵が案外に孵らない。卵は洗わない。糞がついていてもそのまま。手動の転卵方式なので、気が付いたら回す。そのぐらい気にかけていたほうがいい。だいたいの失敗は、事故だ。機械任せにしていると、危険だ。

孵化で一番大切な事は、親鶏の健康状態だ。下痢やら、風邪やらではとてもいい種卵はとれない。青草を出来る限り食べさす。産卵は減るが、健康な鶏を作るには重要な事だ。外に出して、虫やら何やら拾い食いをさせる。これでガラッと変わる。親鶏の選択も重要。頭の良い鶏の方がいい。良く見ていると、鶏によって随分頭の違いがある。おとなしい、人になつく鶏にする。卵は巣箱の中に産んだ物にする。殻のしっかりした、艶のある、色は濃い方が、受けがいい。フラン機の水は汚れやすいので、清潔に保つ。温度は機械に頼らず。温度計を入れて、時に確認する。1週目に発生の確認をする。明かりに透かせて、中を見るのだが、血管の伸び具合で状態が判断できる。怪しいような物は取ってしまい、割って中を良く観察する。これを繰り返すと、外から中の事が、想像出来るようになる。この後の経過を出来るだけ書く事にする。
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看板書き

2007-01-25 05:58:05 | 身辺雑記
5メートル×60センチの横断幕を書いた。上原公子さんの講演会のときに使うもんだ。「市民が主人公」のまちづくりと書いた。字を書くのは好きで、時々書く。お店の看板を頼まれて、書いたりしている。自然食品のお店とか、喫茶店の看板、これは難しかった。長鳴鶏の会の大きな看板を昔書いた。先日突然尋ねて見えた鳥好きの人が、鶏好き人というのは突然来る。長野の方で笹村さんが書いた看板が見たというので驚いた。そういえば、日本鶏の会の会報の字も書いた。以前から立派な字があるのに、何の事やら分からないのだが、結局書いた。当然だけど、上手いわけではない。下手だから、頼まれるのだと思う。下手な人は頼まれても書かない所を、平気で書いてしまうので、下手のほうが好きだと思う人も居ると言う事だと思う。まだ、迎春と書いたものが、玄関に貼ってある。山北の家では南山晴北山霧と、板切れに書いて玄関に掛けて置いた。それが良く似合っていた。

今の家には、平和よ届けと言う大きな幕が、前に出してある。これはイラク派兵に反対して書いた。派兵がどれほど馬鹿げた事になるか。良く良くわかっていた。案の定ブッシュは困り果てている。今もって、世界でそれに気付かないのは、日本政府ぐらいだろう。字を書く事だった。平和と言う事で、市民同士が連帯すると言う気持ちを書いた。内容によらず、字を書くことは面白い。良く墨を選ぶとか言うが、それなりに高級な墨も持っているが、字を書くのに墨は大した違いはない。墨汁で充分だ。紙も何でもいい。目があろうがなかろうがかまわない。にじみが出すぎるのは困るが、普通に書ければそれで言い。水墨を描くとなると、墨も紙も大いに影響する。字の場合はどちらかと言えば、アクリル絵の具のような味も素っ気もない方が却っていい。だから色で書きたいときはアクリル絵の具を使う。アクリルで板に書いても同じ事だ。と言うような事は井上有一氏から学んだ。

中川一政氏の字はすばらしいので有名だ。私の師山本素峰先生の葬儀の時、自分で書かれた、花輪を出してくださった。叔父に当るのだ。そのときの字は、板に先ず鉛筆で下書があった。それと全く外れて名前が書いてあった。自由と言うのはこう言う事だと思った。最後の百合の花をたくさん描かれた個展の時のパンフレットに、あるべき絵の世界に達成した感じを書かれていた。その達成したところが、実は20歳の時の場所だった。誰も20の時の絵の、そのすばらしさを教えてくれないので、生涯あちこち努力して、又そこまで来た。そのように記されていた。こんな生涯を送れる人がすばらしい。

今度の最小限の家には南海晴北山霧と書いて、入り口に張ろうと思う。多分これは山小屋の天気予報を模している、気がする。実は草家人と言う叔父の上野原の家で見た。草家人の字は面白かった。毎日炉辺閑話という日記を書いているのだが、それも本当に炉辺で筆で書いていた。字というものの面白さは意味がある絵だからだ。だから書家と名乗る人の字をありがたがる、心境がわからない。書家と言うのは所詮は代書屋だとおもう。字がありがたいのはその人が、何らかの道で一流の人だからだ。白隠の字に、自由解脱の心境が示されているのはそうした境地に達した僧侶だからだ。それを形で真似たような、書家と名乗る人達の字は、代書屋さんの字で何のありがたみもない。見たことはないが、そうした公募展というのもあるようだが、審査は、字面を見て、合格と言うのだとしたら、字というものを取り違えている事になる。
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宮崎で2例目の鳥インフルエンザか。

2007-01-24 10:16:32 | 自然養鶏
宮崎県で2例目のトリインフルエンザの発生らしい。日向市東郷町は今月11日に発生のあった、清武町から60キロ離れている、山間の農村地帯。わざわざ行かない限り通過するようなところには思えない。宮崎だから、ブロイラーの養鶏場が点在しているところのようだ。このパターンで、他の日本海側の都市で、次の発生があれば、渡り鳥説がかなり強くなる。今回のウイルスは前回の3年前の強毒ウイルスとは、違うタイプだそうだ。いくつかの強毒のウイルスが存在すると言う状態は、強毒化する原因のほうも、複数存在したと言う事だろう。これは今まではなかった事なのだから、やはり新しい状況に、原因は存在する。新しい状況とは、アジア全域に広がった、大規模養鶏場のどこかに、問題の所在があると考える事が自然であろう。

充分の管理知識がないまま、工業的養鶏が広がる。管理能力のない、地元農家の人に管理が委託される。その人の鶏でなく、その人が食べるわけでなく、その人の経済でもなく。その人は、いくばくかの賃金を貰って働いているだけ。例えば飼料に抗生物質を加えては成らない。等と言う事が、きちっと守られるだろうか。中国での野菜農家の実態と言うものが、もう自分が食べる物でないから、ひどい農薬の使用が行われた事例が、知られている。もし2,3軒養鶏場で、とんでもない飼育をしている、大規模養鶏場が存在したとする。そこに弱毒のウイルスが入り、感染を繰り返し強毒化してゆくと言う事は考えられないか。経済だけを優先した、一見合理的に見える、大規模養鶏が人間の暮らしをこわし始めている。インドネシアの今の状態など見ると、感染防御をあきらめてしまったのかと思うほどだ。鳥インフルエンザでの62人目の死亡があったそうだ。最初の発生以来、全世界での死亡数の半分が、インドネシアだ。インドネシアは被害国だ。被害国が今度は更に深刻な、人間のインフルエンザの出発になるかもしれない。

農薬のバナナ・ブーメラン、先進国で使用禁止農薬が、まだ使える国に安く送られてバナナとなって帰ってくる。家畜の大量飼育の問題は、一国の問題でなくなっている。今や大資本が、農村に入り込み養鶏をしている。その肉を日本が購入している。そんな事を、経済協力とか言っているのが資本の論理だ。日本が率先して、アジアの感染拡大の歯止めに協力する。世界から根絶しない限り、今宮崎で起きている事は繰り返され、もう養鶏というものが、危なくて出来ない状況になる。もう一つ日本の役割がある。それはウイルスの研究だ。茨城県の昨年の事例を見ても、人を介しての感染としか、思えない現実がある。このことに対して、ウイルスの専門学者の発言と言うものを、見た事がない。一体茨城でウイルスはどういう実態で拡散して行ったのか。スペイン風邪のウイルスは何故生まれて、どういう経過で消えていったのか。

経済優先の考え方が、一見日本人の暮らしを豊かにした。その内実、人間らしい鶏の飼い方すら、出来ない暮らしを強いられている。鶏を庭に話して飼う事が許されないような、現実を生み出したのは、経済だけを追い求めた、大資本の論理だ。これを世界中に広げて、いかにも経済協力とか言いながら、実は人間の暮らしを崩壊し続けている。最も天国に近い暮らしだと35年前言われた、ニューギニア高地人の暮らしは今どうなっているのだろう。鶏の放し飼いができないような生活を、彼らが強いられているとするれば、日本の利便性だけの暮らしの犠牲者だ。
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不二家の食品の管理体制。

2007-01-23 06:01:18 | 身辺雑記
不二家でいよいよ、液卵の使い方で問題が出た。「冷凍液卵」を、解凍後9日経過しても使っていた。冷蔵庫に入れていたらしい。しかし、これを使ってケーキを作っていたとすると、卵の事でちょっと黙って居れない。卵は生ものだ。刺身と同じだと考えるべきだ。卵はウイルスの増殖の器として利用されるぐらいで、菌が入れば、極めて繁殖しやすい。卵の殻は実に良く出来た防御壁だ。更に白味の壁がある。黄身はその中に中空に浮いている。そのまま置いておけば、私のところの卵なら、1ヶ月経ったとしてもなんでもなく食べられる。それでも、火は入れたほうがいい。それは中には、菌が増え始めた恐れがある卵があるかもしれないからだ。室温で、7週間保存して、その後孵化を始めて、7割の卵が孵化をした。それでも3割は孵化しなかったのだから、それを食べれば、何が起こるかわからない。

食品は基本的に自己責任だと考えている。だから、生ものはめったなところのものは食べない。作っている過程がわからないのだから、知らない人のところの物は食べない。今回の事件は間違いなく、氷山の一角だ。そう思っていたほうがいい。普通の家で、まさか、割った卵を冷蔵庫に入れておいて、1週間経った物を食べる人はまず居ない。それを平気で、やっていた感覚がすごい。食べ物を扱う感性じゃない。これが、11月に社内では問題が発覚してから後の事だというから、この会社の意思の伝達はどうなっていたのだろう。牛乳の賞味期限は実は大したことではない。牛乳はめったな事では腐らない。すっぱくなったとしても、乳酸菌が繁殖して、ヨーグルトに成っただけの事が多いい。卵は違う。サルモネラ菌が、少数はすでに居る場合が間々ある。だから、これが一気に増殖する可能性は常にあると思わないといけない。

何を食べても大丈夫だったのは、団塊の世代までだ。子供の頃は、変なものを食べられるのが自慢だったから、蛇やらかえるの生肝。虫は、ハエのうじまで、いって食べてみた。そんな事を出来たのは、子供達の集団生活があったからだと思う。腹をこわしながら育った方がよかったのだ。腹痛ばかりしていた。回虫もいたし、ギョウチュウも居た。お陰で免疫力が付いた。虚弱体質と言われて、育ったが、あり難い身体に育ててもらえた。多分もう少し年を取って、衰弱するまで、お腹の方は大丈夫だと思う。だから、孫の食べ物を同じ感覚で考えたら、極めて危険な事になる。全く別物と考えておいた方がいい。抗菌グッズや殺菌スプレー、の中で育ってしまっている。ちょっとした腹痛ではすまない事になるかもしれない。

食品を扱う大会社の実態にもう一つの危険がある。何故不二家の食品で、食中毒が出なかったかだ。腐らないケーキではないのか。絶対に食中毒を出さないケーキでなかったかだ。むしろ防腐剤の混入量を調べてもらいたい。マクドナルドのフライドポテトが1ヶ月経過してもカビも生えず、見た目変わらない。と言う実験の映画があった。腐敗しないと言う恐ろしさ。今不二家の事件の後、殺菌剤や、防腐剤の使用量が、各工場で増加していないか。水への塩素剤の混入量が増えていないか。食べ物は自己責任だ。死んでから文句を言っても始まらない。素性の分からないものは食べないほうがいい。今時水が変わって、おなかを壊したなどという話は聞かないが、昔はそれが普通だったのだ。それでしばらくすれば、その水に馴染んだのだ。
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麹の仕込み

2007-01-22 07:22:27 | あしがら農の会
昨日は早朝より麹の仕込だった。中原さんが実によく準備と手順を考えてくれてあった。だから、11時には時間通り終わった。順調に、発酵が進んでいる。少し麹の甘いにおいがしてきている。麹は猫のおりの中で、ふつふつと菌糸を延ばしている。ネコが6匹いると、猫小屋に人のほうが仮住まいさせてもらっているようになる。猫の布団に寝せてもらっている具合で、下手に寝返りなどすると、鋭い爪で、ギャッと起こさせれる。そんな状態だから、なんでもネコが触れないようにしておかないとならない。麹の温かい発酵床などはまさにネコの一番好きなところだ。どう隔離するかいつも悩む。電気で保温するので、電気のないところも困るし、寒いところでは、これも困る。と言う事で、もめた末にネコにはネコで対抗と言う事で、ネコのゲージに入れることにした。今の猫どもは周りをうろついている。

今回の麹作りは、小宮さんの旭ブルーベリー園でやらせてもらった。5つのかまどを用意した。これを並べて、ガンガン薪を炊いた。私は趣味が焚き火だから、燃やすのは自身もあるし、熱心だ。だから、5つとも管理したいぐらいなのだが、大釜のかまどの火付けだけを担当した。こういう作業になると、カマド奉行ではないが、みんな一家言があって自分流がある。農の会の参加者はみんな他の地域の行事などでは、こうした作業を頼まれる方だろう。だから、私と同じで自信満々で自分流を主張する。いつの間にか、大釜の火も担当をはずされてしまい、手が出せない状態で、残念だった。お米を順次せいろで蒸してゆくのだが、それが8せいろ。4カマドに2段。下の段でほぼ1時間蒸したお米は柔らかくなる事はない。硬くても芯がなくなればいい。火が強かったので、実にいい状態に蒸されたと思う。

5つのカマドに火があるのだから、寒いことはないし、薄日も指すいい日和だ。小宮園のすばらしい環境で火を燃やしていると、昔ここで、縄文人も火を燃やし、この景色を眺め、のんびり暮していた。その事が肌で直に感じられる。人間の進歩と言うのは何なんだろうと思う。ここで出土した土偶を見れば、彼らの方がづっと芸術的な感性をしていることがわかる。すっかり眺めを壊している、第一生命もビルもないし。この自然をどういう美しさと感じていたのだろう。文化というものは変化はあっても、進歩はない。やはり麹を作り、造ったどぶろくの出来が良いの悪いの。こぼしながら、楽しみながら暮していたに違いない。

味噌作りに参加する人は、他の行事に参加する人達と若干違う、もちろん重なる人も多いいのだが、他の行事には出ない人が居る。。田んぼに参加する人達もそうで、田んぼだけに参加する人が多い。そこがいいと思う。農の会の生産者の人は味噌作りにあまり参加しない。夫々が、自分の所で作るほうが、都合がいいという事もあるらしい。又大釜に、豆を混ぜて煮込むのが出来ないと言う事もある。今度の大釜の大豆は、更に味噌を美味しくするはずだ。夫々が作るものより、みんなが集まり、大釜で造ると言う事で、更においしくなると言う合理性が出来るのでないか。大豆作りも、一人でやるよりみんなでやるから、うまく作れるし、楽だ。味噌作りもそんな作業になって欲しいと思っている。そうして人の集まる、合理的理由が出来る事が大事だ。その集まりの中から、自然に方向が出てくることが一番いい。
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韓国で更に鳥インフルエンザ

2007-01-21 05:22:54 | 自然養鶏
「韓国で更に鳥インフルエンザが発生したと報道されている。」これが事実ならちょっと深刻な事だ。どうも読売の記事では5例目と成っているが、4例目だと思う。4例目と成っている牙山市の発症はニューカッスルだった、と修正されたと思っていたが。しかし、その修正の方が間違っていたとしたら、5例目となる。正確な情報が欲しい。そこで調べてみると。以下は滋賀県の家畜保健所の情報ですが。 韓国で12月中旬に高病原性鳥インフルエンザ(血清型H5N1)が発生しました。養鶏場、アヒル農場を中心に10カ所の農場で発生が確認され、さらに検査中の農場もあり、発生が拡大しています。発生の原因は検査中です。韓国での発生を受けて、我が国は現在韓国からの家きん肉などの輸入を一時停止しています。
○発生農場および半径3kmの地域で飼養されている家きんを殺処分(約100万羽)。卵も廃棄処分。
○発生農場から半径10kmの地域における家きんの移動制限、農場の消毒、サーベイランスの実施。
○ワクチン接種は禁止。

まさか家畜保健所でいい加減な事はないだろうから、正確なものとして、新聞報道とは様子が違う。今回のものが、4地域目の発症と考えればいいのか。ともかく12月中旬以降は発生がなかった。その後出た牙山市のものは誤報として、今回の読売報道の天安の養鶏場は1ヶ月ぶりの発生と言う事になる。1ヶ月時間が経過しての発生。しかも、前回のところから8キロというのでは、なんとも話にならない。いや、防疫処理等がきちっとしているなら、人が保菌して、再度鶏に感染させたと言う事もあるのか。ともかく、日本への影響は深刻だ。

宮崎の経過もまだ再発生の可能性は時間的にある。今月一杯は心配なところだ。そう思って指折り日を数えていたが、これで、又振り出しに戻った。それにしても報道のいい加減さにはあきれる。更に、韓国の防疫体制にもあきれる。これではインドネシアの対策と同レベルではないか。鳥インフルエンザと、ニューカッスルと間違えて発表するなどと言う事もあきれるが、10キロ以内で、1ヶ月以上経過して再発生とはあきれる。と言いながらも、この病気は中々手強いようだ。落ち着いて対応しなければならない。

スペイン風邪が、ただのインフルエンザではなかった。と言う東大の研究。サルを殺すほど強いインフルエンザウイルスは他にない。免疫反応の異常は、鳥インフルエンザ(H5N1型)が人に感染した場合にもみられる。悪性のインフルエンザに共通なのかもしれないとすると、どういう形でスペイン風邪は消えていったのだろう。どう人間はこの病気を吸収したのだろう。自然界でスペイン風邪ウイルスが現在発見できないわけで。スペイン風邪に人間が免疫があるという訳ではない。再度スペイン風邪ウイルスが発生すれば同じことが繰り返されるわけだ。それは、何処から来たのか。スペイン風邪の前に強毒性の鳥インフルエンザがあったと言う事は出ていない。なら何処から来たのか。そしてどう消えたのか。昔は、豚を介してインフルエンザウイルスが、強毒化して出てくるといわれていたが、今そう言う事を言う人は居ない。
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5回目の里地里山勉強会

2007-01-20 08:01:38 | 里地里山
昨夜は久野公民館で、里地里山の勉強会があった。行政の方達が何故、久野で里地里山つくりの事を言い出したのか、いよいよ見えなくなった。どうも行政はこれを仕事の一貫として手がけないといけないらしい。誰かの指示があるのだろう。しかし、個々の職員としては、それほど必要な仕事とは思っていないようだ。そうでなくて、そんな事はやらんでいい、と言う上司が近くに居ると言う事か。行政の思いと言うか、人としての情熱が感じられない。この辺が歯がゆくなる部分だが、里地里山は地域の者にとっては日々の生活の場だ。生計の場だ。他所から来た私のような者でもそうだ。解っているだけでも300年以上この地に暮してきた多くの人達にとっては、過去も未来もふくめて、大変大切なものとしての地域だ。仇や疎かに、仕事だからというレベルで口出しをすると言う姿勢に、怒ってしまわないか、心配でならない。

どうもそうした空気に耐えかねて、昨夜は言い過ぎた。行政が更にやる気を失くすと言うのも困るし。言い過ぎた後はどうも気が病んで眠れない。「里地里山のは住民が主体でやるのだ。」これを行政は繰り返して言う。今更そんな事ばかり念を押すなら、最初から言い出さなければ良かったのだ。言い出しておいて、逃げ腰ばかり繰り返す理由がわからない。提案した以上、覚悟を決めて欲しいものだ。私自身は、久野の里地里山の再生に全てを注ぐつもりだ。大したことはできないだろうが、やれる限りの事をやってみるつもりだ。かかわり始め、このことの重要性を深く認識してきた。久野地域には農業の継続の可能性はあると思っている。それは今の農業者のやり方に問題があるというのでなく。日本の農業のを取り巻く状況は必ず変わると考えているからだ。

今の農水の大規模化し、国際競争性のある農業を進める。と言う考えは、早晩失敗する。農政は失敗の連続だから、今更驚く事はない。しかし、そうした政治とはかかわりなく、農業は続く。それは農業には人間の生き方の根本があるからだ。日本人が日本人となってきたものは稲作であり、農業を取り巻く暮らしの在り様だ。文化と言うと貴族文化とか、武士道精神とか、特に際立った物に目がいきがちだが、当たり前の日々の送り方こそ、人間の文化だ。その大半のものが、農業によって生まれてきた。その暮らしが、久野地域には一定残されている。そのあり方はこれからの日本にとって間違えなく、貴重な物になって行く。

里地里山作りは環境保全の活動ではない。地域の暮らしの再生だ。地域の人への開発制限のような、発想があれば、これは成立しない。地域の人が暮らしを立て易い条件作り出す。里山地域だから家を建てていけないではなく。里山を守る為の、農業を継続する人ならば、むしろ、来てもらう為に家を建てられるように、法規制を取り払うような方向でなければ成らない。久野が久野らしい里地里山地区として、成り立つように、そうした開発はむしろ必要だと思う。同時に、里地里山らしくない、建設残土の捨て場のような施設が出来る事で、その価値が減ずることがないようにしてゆく事だろう。里地里山地域指定などというと、何か地域の暮らしが損なわれるようなイメージがある。そうでなく、地域の人が暮しやすくなるような地域指定でなければ、成り立つ訳がないだろう。
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鳥インフルエンザの情報

2007-01-19 06:59:11 | 自然養鶏
朝起きると、パソコンを立ち上げ先ず、鳥インフルエンザの情報を探す。今日も新しい発生がなかったので、ホッとしている。韓国で昨年の暮れに感染の発生がおきたときから、養鶏業を行うものとして、不安な日々が続く。雛の孵化を始めなければ成らないのだが、どうも状況が微妙で、踏み切れないで居る。やはり、雛のほうが、感染がしやすい。と言って囲い込んでしまうような飼い方では、笹村養鶏場の飼育法は成り立たない。

この間の情報で、いくつか気になった事がある。一つは韓国では移動禁止区域を、3キロと発表している。日本は10キロと言う事だ。これは何か根拠があってやっていることだろうか。結果的には、3キロの圏外から次の発生が見つかる事になった。やはり、10キロの方が合理的なのか。10キロと言うのは、普通の鳥の移動範囲だと思う。3キロだと、越える鳥はかなり出てくる。朝町へ行って戻る、カラスなどでも、超えているものも居るのではないだろうか。10キロはちょっと越えないだろう。

私は野鳥説をある程度根拠があると考えている。これも、ゴーヤさんのように、野鳥より、人間を介した感染の可能性が高い、という考え方もある。昨年の茨城の大発生の中で、感染しなかった、自然卵養鶏の方の発言もある。科学的な根拠が示されているし、実体験で、周辺で起きた事だし、又長い養鶏の経験もあり、全体の背景も良く把握されている。その上での発言なので、かなり根拠がある見解と言わなくてはならない。ゴーヤ氏によると、家畜保健所の職員あるいはそれを手伝った職員が、ウイルスの伝播を行っている、のではないかと言う疑問だ。そうとしか考えられない、事例の報告もある。それ以来、他所の養鶏場を歩き回ってくる、家保の人間に安易に養鶏場に立ち入らないように、注意している。しかし、理解できているかどうか。韓国でも、2例目、3例目への感染が、立ち入った人による可能性はかなり強いだろう。

しかし、この感染の経路は、明確に成った事がない。こんな事は調査でわかることのはずだ。ところが、きちっとした調査結果が出たことがない。ここに養鶏業界の不明朗なところが見える。背景に利害が存在すると、どうも矛先が鈍る。茨城の発生では、早い段階で、不法ワクチンが原因と農水は発表した。そして、発生の順序をたどり、ほぼ2箇所にたどり着いたらしい。ところが、そこで警察まで関与したが、わからない。すると、その次々に感染を広げた原因のほうまで、うやむやになった。たとえば、A養鶏業者が原因と特定されたら、その業者が保障をすべきだろう。そしてそれを広げたのが、県の職員であれば、その責任は県が取るべきだ。

不法ワクチンが、タイで摘発された。タイ警察当局は7日、南部サムイ島で、H5N1型鳥インフルエンザウイルス用の中国製ワクチン1800本(約6600万円相当)を違法に持ち込んだタイ人3人を逮捕した。鶏肉の輸出国であるタイは、ニワトリなど家禽類へのワクチン接種を禁止しているが、最近、中国製の違法ワクチンが同国に多数出回っており、当局が警戒を続けていた。こうした事を見ると、茨城の感染の根拠も、明確にしておかないと、次の事件に繋がるだろう。

もう一つウイルスの強毒化とは何か。と言う関連で東大の実験。スペイン風邪のサルはウイルスの撃退に必要なインターフェロンの一種の働きが大幅に落ちる一方、炎症反応がより激しくなるなど、免疫が制御のきかない状態に陥っていたことが分かった。どうも、ウイルスに対応する、機能をおかしくして居るのが、強毒化ウイルスの特徴らしい。これはちょっと手強い。これだと、自然免疫では対応できないだろう。困った。
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里地里山づくり

2007-01-18 08:15:05 | 里地里山
昨夜は遅くまで、久野の里山について話した。プチピースカフェの「環境のつどい」として私の家で集まった。13名の人が集まった。舟原の地域の方も二人参加してくれて、内容のある良い集まりになったと思う。この集まりが里地里山の第一歩になるように思った。その時口々にいわれていたのは、結局は人しだいと言う事。昨夜の集まりが内容が深くなったのは、多様な活動をされてきた人がいた。やはり今のような社会環境のなかで、環境活動を続けてくるのは、普通の努力ではない。人間的な魅力も大きい。

桑原の農村環境の保全活動を支えてきた高橋さん。この活動の体験を聞かせていただいたのは、今回の成果だったと思う。結局は沖津さんといわれる一人の人が、どうしても子供の頃からの自然を守りたいと言う強い思いに、多くの人が出会って行った。そして長い年月をかけた、調査の継続。将来の展望がない中で、地道な活動を続ける辛さはあるが、その事こそ人を動かす物だろう。そして、2001年になってのメダカの希少生物の指定で、局面が変わる。地域の大半の人はメダカに対しては、冷たかった。農村環境の保全より、地域の開発。それでも、どうしても守ろうと言う一人の人の気持ちの方が強かった。と言う事らしい。

その個人の活動を、行政を動かし、全体をコウディネイトしてゆく。手がけたのが、山田純さんだった。昨日は山田さんから貴重なアドバイスを山ほどもらえた。最近忙しい山田さんとはゆっくり話もしていなかったが、こういう人に地域に戻ってもらわなければならない。日本森林会議の事務局長をされてから、地域の事にはかかわって貰えない。行政には行政の事情や仕組みがあるようで、これを熟知した上で、動かなければ行政との協働の仕方は開けてこないだろう。メダカと言うものを活動の中心に据えた着眼点。メダカがこの地域で将来どんな物になって行くかの予測。メダカの学問的位置づけ。そう言えば、何度も専門家を呼んでシンポジュームを行った。

その意味で、今回集まりに県に勤めていた、Sさんが来てくれた事はありがたかった。県がここで何をしようとしているのか。どんな気持ちを持っているのか。どうしても良く見えなかった事が、大分理解できた。Sさんは現在自分の農家を成り立たせる為に奮闘されている。このことでお誘いしたのではなかったが、自ら出向いてくれた。お陰で県の農政畑の考え方が、少し見えてきた。ストーリの描き方と言う話が、面白かった。どうもまだ行政では、そこが出来てないようだ。今のままでは何度集まっても形式的なことに終わりそうだ。今回の里地里山構想には、久野の未来がかかっている。今回の集まりだって、全体から見れば、何のための集まりだかまだ見えないだろうが。各自の思いを高め、煮詰めてゆく事には大いに役立ったと思う。

地域の、MさんとUさんも来てくれた。それが、すでに実際的に活動を始めている。こうした潜在している里地里山活動を、顕著化して大きな方向のストーリーに書き込んでゆくこと。そしてその意味をきちっと思想化する。何故、農業が必要なのか。食料安全保障や農業の環境調整力だけではダメだ。農業には人間の生きる本質的な価値が存在する。この点をいつも思い出しておく必要がある。
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納豆人気

2007-01-17 06:35:12 | 自給
納豆が人気が出た、そうで、めでたい事はめでたい。テレビで放送があったらしいが、めでたいが、おめでたいにならないように願いたい。以前、「今日の卵をくれ」という電話が成り続けたことがあった。テレビでたちの悪い占い師が、何とかの日の卵を食べれば、金が貯まる。と言ったのだそうだ。金が貯まるなどと、言う事を得々と占う根性が厭だ。卑しい占師なことか。もちろん一つも分けてあげなかった。私は食べたが占いは外れている。納豆の方はきっと健康方面だろう。発酵食品が健康に良い。これはもう当たり前に成ったが、もう一ひねりあったかもしれない。納豆がきっとダイエットにいいとでも言ったのだろう。納豆を食べていれば、O-157や、サルモネラ菌が大丈夫と言うのもあった。今年の場合はノロウイルス予防に効果がある。これかもしれない。

大豆はいい。大豆が褒められたら、たとえダイエット関連であっても嬉しくなる。大豆の会では、ダイエット食品の大豆を栽培しましょうとか、一項入れれば、人気になるのか。人気が出るのもまずいから、大豆は脂肪まである作物だから、食べると太ると言う方を入れておけばいいか。大豆はともかく、面白い作物だ。味噌醤油に、納豆に豆腐。どれも面白い食べ物だし個性がある。料理の作り方の工夫が中々で、作者の個性や力が出やすい。古くからの各民族の伝統食の、主材料だ。農の会では大鍋で煮るのだが、これが、アルミの大寸胴鍋で煮たものと、鉄の伝統的な大釜で煮た物とでは、味がはっきり違うのだ。大豆が釜の中でぐるぐる廻る形状が良い。それと鉄との相性が良い。

来年は大豆畑を倍増すると中原さんが張り切っていた。今年で味を占めたのだ。私も大豆があんなに簡単に出来るのなら、是非やりたい。5畝で91キロ位とれた。これは普通の農家の半分だが、すごい出来だと思う。味噌作りで一番難しいのが、大豆作りだ。ずーと、こう思っていた。それが今年は何の苦労もなく出来たのだ。だから、大豆に相当費用がかかっていた。味噌作りが、本当に格安で出来そうだ。そうだ納豆だ。大豆に余剰が出たら、今度は納豆をやって、みんなにも食べてもらおう。納豆とブロッコリーを食べていれば、完全栄養食だ。そう納豆学会で言っている。

大豆はやはり栽培の問題がある。品種によっても、相当に土地を選ぶように感じる。各地各地に在来種があるようで、神奈川にもいくつかあったようだ。地元の方に伺うと、秦野在来と言うのがあってそれを作ったものだ。と聞いたので、探したが、見つからなかった。今少し有名になって、県でも奨励品種と言う事にしたのが、津久井在来種と言うものだ。しかし、山がちの津久井地域と、この辺の大豆では違うような気がする。写真で見ても乾いた畑で栽培している。田んぼの畦に作る畦豆が、この辺では中心だったと思う。1反の田んぼがあると1軒はやってゆけた。こう聞いた。1反の田んぼの畦にぐるっと作って、40メートル。これが一軒分の味噌醤油。1株100グラムの収穫で、150株植えたとして、15キロ。こんなものだったのだろうか。それで田んぼの方でも、大豆は作る事は作って来た。それなら確かに作り安い。その経験から、田んぼの転作で、大豆をやってみて、上手くいった訳だ。
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