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アフガン日本関係者1名脱出

2021-08-31 04:21:30 | Peace Cafe


 政府は自衛隊機をアフガニスタンに3機派遣して、邦人や日本関係者500名の救出を行う目的行動を行った。そして一人の救出に終わった。これが日本の政府と、自衛隊の力量なのだろう。そのことをよく覚えておかなければならない。日本は自助の国なのだ。

 韓国では390人の救出が成功した。韓国では8月初めから外交省、国防省、法務省間でアフガニスタンにいる現地スタッフとその家族らを救出する計画を立てていたことが伝えられた。 韓国政府の情報能力の高さと、その方針には頭が下がる。

  日本では真っ先に大使館員12人は英国軍機で17日に出国した 。これが政府の言うところの自助の事例。大使館員は危機を察知して、本国の邦人500名の救出どころではなく、指示を待つことも無いまま、脱出した。このような意味で日本は自助の国なのだ。

 日本大使館勤務の職員22名は置き去りにされてしまった。欧米諸国は大使館で働いていた、職員も一緒に国外へ脱出をした。日本大使館では15日タリバンがカブールを支配した日に、職員に自分たちだけ脱出することを告げたそうだ。その理由は、22名はその家族まで一緒に逃げることになるから、人数が多くなりすぎると言うことらしい。つまり22日時点では、自分たちの脱出だけを考えていたわけだ。

 現地に残された500名の関係者は見捨てられた形では無いのか。報道が余りに少ない。特に批判的な内容のものはほとんど見当たらない。この自衛隊の行動を報道は解釈が出来ないらしい。政府の大失敗だと思う。法律の問題を言う人もいるが、自助の国の在り方の問題だ。

 スガ政権得意の棄民と考えるべきだ。自衛隊は言い訳のような付け足し行動。そもそも、15日にタリバンがカブールを制圧した際、日本政府は何を考えていたのだろう。邦人全体のアフガン脱出には大使館員も、政府も思いが至らなかった。こんな風に日本は自助の国なのだ。

 日本政府が自衛隊機のアフガン派遣を決めたのは23日になってである。すでに17日に日本大使館の12名は脱出した後である。大使館員が逃げてから、6日経って、外務省に現地報告に行ってから思い出したかのような態度である。緊急事態で大使館職員が逃げ出しているのに、間の抜けたような自衛隊機の現地入り。各国の救出が進む中、格好だけ付けたのか。

 現地に最後まで残り、日本人と関係者の脱出を手助けするのが、大使館員の本来の役割では無いのだろうか。そうしたことを期待するのは間違いなのだろうか。日本は自助の国だから、現地職員など放置しておけばかまわないと言うことだろうか。

 15日には日本政府は大使館員12名だけの脱出を決め指示をしているのだ。その後、世界各国の動静に驚いてあわてたのだろうか。多くの国が職員をふくめて脱出をしている。大使館員現地職員を置き去りにした意味にこの時点で気付いたと言うことになる。

 確かにアメリカの配下だと思われている大使館員は危険度が高い。現地のアフガニスタン職員は、タリバンから脅迫が続けられていたという。JICAの職員などは残っているらしいが、カブールから離れていれば、それほどの危険を感じていないかもしれない。立場によりタリバンへの不安は異なるのではないだろうか。ペシャワールの会では活動が地方と言うこともあり不安は小さいようだ。

 福岡にいるペシャワールの会の方が、会では現地での活動は通常通りである。医療活動や、水路建設の作業は引き続き続行していると言われていた。日本政府の発表とは大分ニュアンスが違う。JICAの職員とはどんな連絡が付けられているのだろう。

 現在、現地の方がどんな状況なのかはまるで分からないが、何で日本の自衛隊はそのまま戻ってしまったのだろうか。日本人一人とアメリカ人12名を運んだとある。現地には多数の難民が生じているはずだ。飛行場には何千人かの避難希望の人が押しかけている。

 カブール飛行場で脱出を待っている人を、人道上いくらかでも乗せるという事はできなかったのか。この人達を隣国まで運ぶというようなことは出来なかったのだろうか。日本からわざわざ出かけて、自衛隊の活動は空しいもので終わったのでは無いだろうか。

 アフガニスタン大使岡田隆氏が「アフガニスタンの平和のための最良のチャンスは今です」と言う意味不明の文章を7月12日に書いている。アフガニスタンから脱出する直前に書いた日経アジアに書いた文章が出ている。日本の大使がどのような考えを持って、アフガニスタンで仕事をされていたのかがよく分かる。そして、どんな気持ちで脱出をしたのかも想像される。

 ANNの取材にアフガニスタンに取り残された日本大使館現地職員のインタビューがあった。
 在アフガニスタン日本大使館警備員:「カナダやイギリスなどの大使館は現地職員や警備員を一緒に国外退避させました。私たちの命も同様に危険にさらされているので、国外退避をお願いしました。日本が無理なら第3国でもいいのです。しかし、日本大使館の担当者は『私の責任では決められないから東京と話す』と言いました。そして渡されたのは紹介状だけでした。本当に悲しくて悲しくて仕方がありません。外国の人たちは皆、アフガニスタンを去ってしまいました」  日本大使館の22人の警備員は、日本、もしくは第3国への退避を求め、大使館宛てに嘆願書を出しましたが、まだ返事はありません。 

 日本という国は国民に対して自助を求める国である。当然、大使館で働いていた人にも自助を求めて、手助けする事は無い。こんなダメな国になってしまったのだ。日本の外交官は、22人の職員と一緒に脱出するのは無理とどの時点で考えたのだろうか。

 他の国の大使館では、現地の職員と一緒に脱出を試みている。一緒に逃げることで自らに危険が及ぶ可能性が出てくる。職員22名には家族がいる。脱出人数はかなりになる。それでは準備が出来ない。それでは自分たちも逃げ遅れる可能性が出てくる。こんな判断があったのだろう。

 岡田大使は12日に文章を書いているときに、行うべき事は自衛隊機の緊急派遣の要請だったのではないか。韓国では8月初めから脱出計画を立てたというでは無いか。飛行場までの脱出準備である。そうすれば、15日の政府の大使館員脱出指示の際には、職員や500人と想定される日本関係者の脱出も考えられたのでは無いか。

 いずれにしても、アフガニスタンでの緊急時の日本大使館の危機に対する対応。自衛隊の失敗した行動。これが日本の姿として世界に伝わるわけだ。空しいものを感じる。どこまでも日本は冷たい国である。こんなものかと思う。実に頼りにならない国に見える。

 スガ政権の頭の中は、総裁選挙で一杯になっているのだろう。他のことを考える余裕も無い状態かもしれない。人のことどころでないのかもしれない。自助を標榜する総理大臣である。何とか、下村氏を下ろすことは出来た。

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「楽観」を描く絵画

2021-08-30 04:31:09 | 水彩画


 絵を描く上で大事なことと思っているのは、何を描いているのかと言うことだ。それはバラを描くとか、向日葵を描くとか、そういう「何」ではない。風景画を描くとか、抽象画を描くとか、そ言う言う意味でも無い。何を表現しているのかと言う意味での何である。

 風景を描くことが大半である。そのほとんどが田んぼや畑の絵である。花の絵や静物の絵も少し描く。樹木の絵も描く。その意味では、海を描く、山を描くと言う対象となるものも、表現すべき「何」にも影響が無いわけではない。

 夕日と朝日では絵になるとよく似ていることになる。しかし、普段夕日を見ている心情と、朝日を見ている心情では大きく違う。それが絵となると、夕日だろうが朝日だろうが良いのだが、その大きな空の変化して行く色の中に「なに」を見るのかと言うことになる。その中を描こうとしているのだと思う。

 だから、写真ですむようなものをわざわざ絵に描く意味はまったくにないとおもっている。あの空にあるものを写真ではとうてい写すことが出来ないからだ。それは見ている私のかなにある、空に反映して始まっているものだからだ。

 朝日を見て表現すべき「何か」を気づき、それを絵に描いていることになる。言葉にしてみればそういうことになるのは確かなのだが、十分な意味では無い。その時気付いたものは具体的な言葉に出来るようなものでもない。何かしらの糸口ぐらいである。描いている内にはっきりするだろうと取り掛かって行く。

 リンゴの静物を描くときに、かじってガリッと美味しいリンゴを描けと、絵のなんたるかを語った先生がいる。いかにも立派な先生のようだが、まったく描くべき「なに」の問題から外れて行く。そういうことは写真に任せて、そのリンゴをきっかけにして表現すべき「なに」を発見する訓練をし無ければならない。

 中国ではその対象が石の塊だったそうだ。師が石を与えて写生を命ずる。そして、その石を描く中に、山水の雄大な世界が現われるまで描く。中国でも絵の素晴らしかった時代がある。いまは石をとことん見つめるような絵はない。大きく偉そうな絵が良いらしい。石を描くことで全宇宙を表現するような、内的な絵はない。

 ヨーロッパではその対象が人間である。人間を研究する一つの方法が、描くという方法だった。モナリザを見ていると、人間存在を直接見ている気がする。人間研究なのだ。だから、裸体画というような妙なものが後に登場した。

 絵における「何」はそれぞれの哲学から生じる。哲学は自分自身のものであると同時に、社会のものであり、その時代のものでもある。だから、江戸時代には絵がある。明治時代にも絵はある。せいぜい戦前ぐらいまでで、そして現代では絵が失われたのだろう。

 自分の生きる証のようなものを描く。この目の前にある絵にある自分で、自分を許せるのかと言うことになる。絵がそれくらい自分と密接なものになれば良いと考えている。ところがそれが絵から滑り抜けて行く。自分というものが、哲学と言えるような世界観を持てないからだと考える。

 接近はするときもあるような気がするのだが、もう一つ自分の何かを表現できたという感じからは離れている。自分の絵だなとは思うのだが、十全の自分では無い。それは自分のきれい事で、でっち上げた自分の絵になっているような事が多い。

 描いているときには絵画製造機のロボットのように絵を描いている。何か絵を描く自動運転が入力されていてかのようだ。その自動運転はその日その日で違っている。一つの方法に従って描くようなことも無い。まるでバラバラにその時々の絵である。後で何故このように描いたのかは、明確には分からない。

 それでも、これらの絵は何かに近づいているかもしれない。希望を観ずる絵と、まるで見当違いだという絵が現われる。見当違いの絵も必要で描いていると思っている。それでどうしたのと言うような、空しい絵はないと言える。出てきた以上何かへの道だと思える。

 表現主義的というか、苦悩をぶつけて描いたというようなことは無い。大きく言えば絵らしきものの範囲で描いている。絵を描くときは田んぼを耕作するときのように描く。田んぼをするときには絵を描く気持ちで田んぼの耕作をする。画耕一致と言っても大きくは間違えでは無い。

 無理矢理言葉にしてみれば「楽観」を描いている。風景の中の希望のようなものを描いている。この辺の不明確さが、絵の不明確さになっているのだと思う。「楽観を描く」と結論が出ていないのだ。自分というものが本当の楽観に至っていないからそうならざるえない。

 ある意味悲観の中でにいながら、楽観を描いている。見私が絵を見て楽観を知る。と言えるような絵が描きたいと言うことかもしれない。

 果たしてこんなことをしていて何になるのだろう。とは思うが、やりたくて、おもしろくて絵を描いている。表現した絵はこのまま廃棄されてしまうのだろう。そう観念している。生きると言うことは結局はそういうことだ。だからこそ、いま最もやりたいことをやり尽くそうと思う。

 つまり田んぼであれば、食べることの出来るお米の実りがある。だからやりがいもあるし、出来たお米で自分の命を繋ぐことも出来る。しかもその農業の方法は、確立できれば人の役にも立つ。絵はまるで無駄仕事である。無駄仕事であるから良いのだと言うことは、理解しているつもりだが、只管打坐の心境には至らず。

 乞食禅の中に生きている。それなら乞食禅のあくどさが絵に現われているならましである。絵は楽観のまねごとの域にある。最近絵が変わってきたというのは、こうした自覚が出来たと言うことにある。ここで言う楽観は、いわゆる楽天的というような、安易に見ているという楽観とは少し違う。

 勝手に使っている「楽観」かもしれないが、世界を良きものとしてみているという意味である。道元禅師が言われるところの、生をあきらめ、死をあきらめた、結果訪れる楽観である。生老病死というように、人間は生まれて、苦しい人生を歩み、世界の希望も見いだせず、死に至るというような前提の中で見いだす。楽観である。

 それでもなお生きると言うことの価値を見いだすと言うことだろう。世界観から生まれてくる、楽観というようなものが、絵にあって欲しい。別段そう願って絵を描いているわけでは無いが、そうなるに違いないと思っている。

 絵を描くと言うことは一人で出来ることである。誰にも見せないで描いていることも出来ないわけでは無い。だからこそ、それではいけないと思っている。常に人目にさらす努力を忘れてはいけないと思っている。人の評価を受ける必要がある。他者を意識することで、みっともない自分というものを自覚できる。そこでこのブログも書き、日曜展示も行う。
 
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第71回 水彩画 日曜展示

2021-08-29 04:01:31 | 水彩画
第71回 水彩画 日曜展示






399「名蔵湾」
ファブリアーノ 中判全紙
2021.8








400「シーラ原田んぼ」
ファブリアーノ 中判全紙
2021.8








401「シーラ原」
ファブリアーノ 中判全紙
2021.8







402「シーラ原田んぼ」
ファブリアーノ 中判全紙
2021.8







403「シーラ原」
ファブリアーノ 中判全紙
2021.8







404「名蔵湾」
ファブリアーノ 中判全紙
2021.8








405「天橋立」
サンダース水彩紙 中判全紙
2021.8







406「名蔵湾」
ファブリアーノ 中判全紙
2-21.8


 今回は俯瞰図を主に掲載してみた。空間の広がりに強く惹かれる。広がっている空間を見ると、この大きさのようなものを描いてみたくなる。自分では子供の頃見ていた、甲府盆地の広がりなのではないかと思っている。

 雄大ではあるのだが、ある意味箱庭的な物である。甲府の町は大きな盆地の中にあるから、いわば盆景のようなものを見ていたとも言える。様々なものが配置されている。それが人の暮らしをまぜこぜにして、景色になっていた。

 田んぼに水が入ると、昔甲府盆地が湖だったという時代を思い起こさせた。笛吹川が氾濫して、本当に湖になったときもあった。山の奥から、眺めている景色。当事者では無い景色とでも言うのだろうか。

 自分にとって進むべき方向は、未だにはっきりしないが、すこしづつ違う方向は、分かってきた気がしている。描き続けて行くほか無い。いつかどこかにたどり着くつもりだ。

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お帰りモネの感想

2021-08-28 04:03:48 | 身辺雑記

 水牛のわかばは自分で作った、泥溜まりに一日の大半寝転んでいる。ここに毎日水を加えてあげる。水を入れると、たぶん喜んでいるのだろう、足をバタバタさせてゴロゴロ転がる。まるで猫がじゃれているようだ。身体に泥を塗ることで、虫に刺されないようにしているらしい。

 問題はこの泥沼におしっこや糞をしてしまうことだ。どうもわざわざするように見える。わざわざ糞まみれになり、匂いを身体に付けているような気がする。それが一番の虫対策なのかもしれない。それはそれでいいのだが、臭いとみんなに嫌われるところがうまくない。

 昨日は水牛に水をやっていると、何かの用事で通りかかったおじいさんが、水牛に独特の声で呼びかけた。すると、水牛のわかばがとつぜん返事をするのだ。「ぶぅうおーー」と言うような独特の声で、牛とは違う。牛なら「もうー」だろう。

 何度も呼びかけて返事をさせていたのにはまったく驚いた。わかばはいままで一度も鳴いたことが無かったからだ。水牛がこういう声だと始めて知った。おじいさんは水牛の鳴き声と同じ声で水牛に挨拶をしたのだ。あとで、思い出して似たような声を出してみたが、不思議そうな顔で見ているだけで返事の鳴き声は聞けなかった。

 石垣島で沢山の水牛が家畜だった歴史を感じた。あんたが飼っているのか。いや、預かっているのです。素晴らしいな。すごいことだなー。そう言われて帰って行かれた。泣き方をもう少し教われば良かった。なかなか難しいのだ。

 大分練習している。わかばに対して、ブオー、ブオーとやっている。不思議そうな顔をして何のことだとみている。何故変な声を出してるの。そんな感じである。ところがどこでうまく声が出たのか、一度だけ返事をしてくれた。その後何度やっても返事をしない。

 NHKの朝の連続ドラマは「お帰りモネ」である。日本が抱えこんだ、東日本大震災の心の打撃のドラマである。人間がこの打撃から回復が出来るものか、その心の葛藤がテーマのドラマ化である。誰もが、辛い思いを未だに残している。

 決して忘れたわけでは無い。汚染された農地で、農業を続けるつらさを思い知らされた。危険な原発を停止できなかった日本人全員の問題だ。そう今に至っても原発再稼働が行われている。日本の原発事故で原発を捨てた国もあるのに、事故を起した日本が原発にしがみついている。

 農の会ではみんなで作ったお茶は廃棄したのだ。お米だって麦だって小田原でも食べていけないレベルの汚染が起きたのだ。苦しかった。東電はそれに対する補償などまったくしなかった。これも又自己責任。農業者として廃棄を命令しておいて、その対価を払わないで通る社会全体を許しがたいといまでも思っている。

 朝ドラ「お帰りモネ」が、東日本大震災をテーマにしているのであれば、一番心に傷を残している、原発事故に伴う放射能汚染問題を避けて通るのは物足りない。福島では子供の心に残した、甲状腺ガン検査問題がある。検査というものが引き起こした心の問題。

 気候変動にともなう気象災害と言うことがテーマなのだろう。天気予報の立て直さなければならない位置づけでもある。小田原で暮らしていた舟原地区が土砂災害地区に指定されたときに、その科学的根拠が実に不明瞭だった。

 正しい科学性に基づき、判断がされなければならない。自治会長として、神奈川県に対して、明確な科学的根拠を説明するようにお願いしたが、まったく出来なかった。そこでこのブログその経過を書いたら、なんとそんなところにすんでいる奴が悪いと言うコメントを書いた人がいた。日本にはどうも災害被害者に対して、そんなところに住んでいた人が悪いという、差別意識がある。

 農業をやるものとして、天気予報は重要である。天気に関しては学生の頃から興味があった。ラジオの気象情報を聞いて、天気図をかけるぐらいの勉強はした。農業をやるものとして、天気予報を非常に重視している。小田原では天気予報はおおよそは当てに出来た。

 しかし、石垣島では先ずは天気予報では当たらない。当然のことで、小さな島で島の南北で東西で豪雨と晴れが同時に起こる。田んぼにいて、今日はずいぶんの雨だったから、蘭に水やりはいらないと思って家に帰ると。鉢がまるでカラカラというようなことが珍しくない。

 これでは正確な予報は難しいだろう。島は風向きで雲が出来る位置が変わる。そのために、雨の位置も随分局所的になる。風もそうだ。どこで風が吹くかが大きく変化する。ネットの雨雲レーダーも機能していない。

 お帰りモネは気候変動の時代に合っている。ドラマにはなかなかキノ利いた風の哲学のセリフが出てくる。それがちょっといまいちなところがこのドラマの特徴だろう。まるで人生の深いところに触れるような、気の利いたセリフを言うのだが、それがドラマの映像と展開から来るものではない。セリフだけ飛んでいる。

 本来そんなことは台詞で言うものでは無い。ドラマ全体でその主張や哲学で示せなければダメだ。何故できないかと言えば、放射能汚染水問題を避けているような配慮から来ている。気が利いているのだが、ドラマの進行の方は哲学とは行かない。ちょっと現実離れしすぎだろう。ドラマのストーリーから、哲学を示してくれよ。とつい思う。

 いくつもの重要な設定はされている。漁業者、牡蠣養殖、林業家。しかし、違うだろう。大分ちがう。現実から距離がある。東北の農業の問題は触れないのだろうか。一番深刻なことが東北の稲作農家の問題である。放射能汚染でやられた農地の問題は触れないで良いのだろうか。漁業者であれば、福島から流される汚染水問題がある。

 あのときの放射能を押し流した風は、小田原にまで大量の放射能を運んだ。原発周辺から逃げ惑う人に、放射能の流れる方角を知らせるべきだった。多くの人がそんなことは分からないから、風の吹き込む地域に避難した人もいた。

 結果的には、放射能の被害は小さいものだった。しかし、デマが飛び交う中で、誰が信用される情報を出せるのかは極めて重要なことだった。コロナでも言われていることだが、科学の重要性である。人間がどこまで科学性を持てるかである。いまでもワクチンに対する、言われ無き誹謗が続いている。

 気象情報はますます重要になる。その本質的な意味を「お帰りモネ」で示して貰いたい。信頼される気象情報。科学的な判断とは何か。人間の暮らしにとって情報とは何かである。良い情報も、悪い情報も、科学は差別しない。どこまで客観性のある情報を出せるかだろう。

 ディープランニングを取り入れた、台風予報がどうも前より正確で無くなった気がして成らない。コンピューターと人間の判断はどう関わっているのか。世界各国の台風進路の予報が出てくるが、結果的にどこが一番正確なものか。私にはどうも気象庁には老婆心のようなものがあって、悪い可能性に引きずられて、予報している気がして成らない。これでは狼少年になってしまい、科学性では無くなる。

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スガ政権の終わり

2021-08-27 04:08:14 | Peace Cafe
コウトウシランイエロー

 スガ内閣は横浜市長選挙で敗北し、終わりとなるだろう。原因は林市長を無理矢理下ろしたことにある。人を人とも思わない扱いに林市長は怒ってしまったのだろう。学術会議任命拒否事件と同じ構造で、スガ氏の嫌らしい人間性が露出したのである。

 林市長は本来カジノには賛成では無かった。それを無理に賛成にさせたと思われる人が、横浜を地元とする衆議院議員スガ氏である。その上に今度は何か気に入らないことがあって林市長を無理に下ろして、自分の最側近である小此木氏を市長選に立候補させたのである。しかも、今度はカジノ反対を主張させた。何という節操のなさか。

 すべてにスガ氏の展望の甘さが命取りになった。充分に時間があったにもかかわらず、ワクチン接種が進めば収まるだろうと、楽観的な予測をしていたために、デルタ変異株の脅威を無視してしまった。あれだけ専門家会議がデルタ株の脅威を主張したのに、科学を無視してしまったのだ。

 スガ氏には国を運営するような力はそもそも無かったのだ。ねちねちと人事で人を操ることを、自慢げに語るような人だ。苦労が悪いかたちで身についてしまったのだろう。こういう人が総理大臣にまでなるという所に現代日本の政治の劣化がある。

 前任者のアベ氏はコロナ対策に限界を感じて、仮病のような形で政権を放り投げた。この放り出し方は、お坊ちゃんにありがちなことだ。最長内閣を達成したから、あとは裏に回わって、自民党を支配すれば良いと考えたのだ。

 それを引き継いだスガ氏は就任しての挨拶が、「自助、共助、公助」という地域の自治会長の挨拶でも今時どうかと思うほど、新鮮味のない陳腐なものだった。しかも、あえて自助を強調するという、端から政府の無能を示した。

 コロナ対策ではまさに、自助だけである。自粛しろ、自粛しろ、こう叫ぶだけ。感染したら、自己責任で自宅療養しろ。要するに政府には有効な手立てなど無い。ロックダウンした国でも感染は広がっているのだから、何をやっても同じだという説明しか聞いたことが無い。台湾はベーター株をロックダウンせず克服した。

 さすがに、保守化してきた日本国民も医療崩壊の自宅放置に、もうスガ氏ではダメだと感じているのではないか。これは保守とか革新とかでは無く、もう命に関わる問題だ。安心、安全では無い国になったと言うことだ。病院は沢山あっても、自宅療養しか出来ない国に日本が成った。

 さすがに横浜市長選挙では、内閣を辞めて、市長選挙に出た小此木氏の敗北になったのだろう。小此木氏の得票率は21.6%というから、スガ氏の支持率と似たものだ。そもそもカジノ推進旗振り役のスガ氏が何故、カジノ中止の候補者の支援をするのか。

 当選したら、どうとでも成るという林前市長のやり口の踏襲だろう。さすがにもう誰も騙されない。林氏を変える気になったのはたぶん林氏がどこかで、スガ氏の気に入らない自分の考えを述べたからだろう。逆らえば下ろす人事のスガだ。

 そして特徴的なことは唯一カジノ誘致の林現職市長は13.6%と言う得票率。カジノ反対がどれほど強いことかが分かる。カジノ推進派というのはカジノ利権のおこぼれを貰おうという人だけだ。カジノは大多数のものは関係が無い。その上金目的の社会悪である。

 スガ氏は総理大臣を辞職しないのであれば、解散総選挙で民意を問うべきだ。いまの状況では総理大臣としての統率力は全くない。「希望が見えている」いつまででも甘いことを夢見いる。日本がスガ氏では希望が持てないことが分からないのか。

 確かに直接的な危機はコロナである。しかし、そうしたことを生み出した原因は、政治と官僚の劣化にある。政治は政策論争を失い、官僚は出世主義者がはびこることになった。アベ、スガという日本の政治史上最悪の時代の結果だろう。医療でさえ、拝金主義であり、コロナには対応できない体制だったのだ。

 こうした無能な人が自民党で推される理由は、極右思想を隠し持っているからである。自民党内にある少数ではあるが堅固な軍国主義集団を背景に登場した政権だからである。稲田氏、高市氏、野田氏の3女性総理希望者などもそうした支持を得ようと色目を使い、総理大臣を狙っている。だから発言が時代錯誤で、どうしたのかと思うときがあるが、それが極右へのおべっかサインなのだ。

 自民党は極右勢力と、完全に縁を切り、民主主義国家を目指すべきだ。野党がダメだというのであれば、先ずは議会を正常化させ、議論が盛んに行われる状況を作るべきだ。野党を育てるくらいの自民党で無ければ本当の保守党では無い。

 スガ氏が何も言えない理由もそこにある。そもそも自分の考えがないから、嫌らしい人事で存在感を示してきたのだろうが、さすがに国の運営には倫理が無ければダメだ。自民党だからダメだでは無く、自分の考えが無いからダメなのだ。

 野党共闘で重要なことは有効なコロナ対策を示すことだ。コロナ一点選挙に持ち込むことだ。もしもう一点あるとすれば、カジノ法案廃棄である。野党に任せれば、確かにコロナが収まるだろうと国民が思えるコロナ対策を示すことだ。それが示せないのであれば、野党も本当の意味でダメだ。

 どうせ自民党は野党など反対ばかりで、政策が無い野合だと繰り返すだけだろう。コロナに対して対策がないスガ内閣がそんな野党批判をしても説得力が無い。経済対策がカジノ誘致だけというこの状況にあきれ果てたのが、横浜市長選挙の結果だろう。

 野党は自分たちが政権を取れば、コロナ対策の仕組みを変えて、実行力のある行動を取る。どうやってワクチンを手に入れて、迅速に3回目の接種をするのか。どうやって若者へのワクチン接種を広げるか。医療崩壊は具体的にこうやって解決する。感染症の専門家会議を再編し、その専門家としての助言の位置づけを明確にすることだ。

 コロナ緊急事態に対して、小学生でも良く分かる具体策で示さなければならない。子供達が一番の被害者である。これなら野党に任せた方が良いと心底思える対策案を野党は作り上げて、国民に示す必要がある。まず、感染症の専門家を入れた野党チームを作ることだ。

 野党チームで、これならばコロナ危機を乗り越えられるという対案を作り上げる。台湾に指導を仰ぐことも良いのではないか。いまやコロナが広がることが、経済危機も誘発している。コロナを納めることこそ、経済対策だという視点でコロナ対策を根本から考え直すことだ。

 このままずるずる解散が無いまま、任期切れ選挙になる可能性が高い。時間を稼いでコロナが収まるのを待つだけの態度である。しかし、コロナは11月になっても収まらない可能性が高い。日本の為には、早くスガ氏が辞めた方が良いのか。ネチネチと粘ってくれた方が良いのか難しいところである。

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どこでも通用するイネ作り技術はある。

2021-08-26 04:16:06 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」

 
 田んぼは一枚一枚違うから、一般的な稲作技術を語ることは出来ない。このように話す人がいる。そんなことは無い。必ず共通する稲作の基本となる技術はある。それを見付けるのは至難の業だとは思うが、無いわけではない。

 様々な条件下で稲作を行ってきた。その経験に基づき、イネ作りには基本的な技術は存在すると確信できる。特に石垣島という、小田原とは相当に違う稲作を始めて見て、そのことが確信できるようになった。

 基本技術を理解した上で、それぞれに田んぼで応用してゆくことが、イネ作り技術である。稲作技術は基本技術である。まずイネという植物の作物としての性質を把握すること。そして、土壌や気候や水の条件という変化要素を加味してゆく。

 この総合技術がが稲作技術となる。従来の農家であれば、同じ田んぼでやっていればことがすむので、あえて違う田んぼでの稲作という一般論を考える必要が無かっただけである。そのために、様々な自然農法が再現性がないと言うことになった。

 イネの病害虫は関東地方でも、石垣島でもほぼ同じである。稲の生育の段階はやはり、同じである。少し早いという程度である。これほど違う気候。土壌環境の中で、基本技術をどのように応用するかである。有機農業である稲葉式イネ作り法は、ネパールでも日本全国どこでも通用している。

 よく、福岡自然農法は福岡さん以外には出来ないと言うことを言う人がいる。まったくそんなことは無い。福岡さんは自分のやり方を、技術にしなかっただけである。技術とは誰がやっても同じに再現される方法のことだ。福岡自然農法が他の人には再現出来ないのは、福岡さんの田んぼから生み出された特殊解であり、一般化するには複雑すぎる技術の為なのだろう。

 野菜の叢生栽培というものがある。あたかもすべての作物に総生栽培が可能というように読み取っては成らない。出来る野菜と出来ない野菜がある。もし総生栽培で玉ねぎが可能だという人がいたら、その農業としての実践例を教えて貰いたい。無いはずである。

 植物には同じ植物だけの極相の状態を好むものもある。遷移の過程の植物のように様々な植物と共生状態を好む植物がある。作物によってそれに相応しい最善の方法がある。最善を尽くすことが食糧自給の基本姿勢である。自給農業だから、適度に取れれば良いというのでは、自然に対して申し訳ないことをしていることになる。

 農業という条件は、最小限のエネルギー投入で、最大限の成果を得るものである。どれほど素晴らしい技術であったとしても、投下するものが余りに大きすぎれば、農業としては無意味なものになる。自然栽培の中にはその点で農業とは言えないような仕組みもあり得る。

 IT農業とか、土から離れた工場農業など、地球の崩壊に手を貸しているようなものではないだろうか。気候環境、土壌環境に応じて食料生産をする。その食料生産量に従ってその土地に暮らす。これが人類の健全な姿だ。

 自然栽培が一番優れていて、次に有機農業があるというような思い込みを持たれている人がいる。それは偏見であって、一般に食べ物に対するこだわりの強い人の思い込みであることがままある。そもそも、無農薬栽培であると説明があったとしても、その生産法の全貌は何も示されているわけでは無い。

 その点JAS有機基準は全貌が表現されている。これは最低限の守らなければならない基準と言うことになる。ただし、この基準が日本の有機農業の展開の芽を摘んでいるのも事実だ。小さな農家にはこの基準の認定を受けて農業を行うことは出来ないのだ。認定料が高く、しかも書類提出等の手続きが面倒すぎる。

 だから、この基準は守るべき最低限の約束事であるととらえれば良い。その上で、どのような農業技術を構築するかである。本来であれば、食料である生産物を検査する。しかし、それが出来ないために生産法を基準にしているだけだ。

 重要なことは健全な作物が作られることにある。枯れかかった有機基準適合の農業の野菜が、良い野菜などとは言えないのだ。もし、様々な農法の作物を比較して順位を付けるのであれば、その成果物自体を比較してみなければ、結果は出ない。

 例えばそれが稲作であれば、良いお米はその種子保存が優れているはずである。何年間保存して、発芽する力があるかが重要だと思う。農薬を使おうが、化学肥料を使おうが、一番長く発芽できればそれが優れているお米である。

 発芽保存性に於いて、一般に言われている結果が、自然農法で作られたお米が一番長く発芽能力を保ったと言うことである。農薬や化学肥料を多投入して作られたお米は保存性が低いと言うことになっている。しかし、それは作物ごとに本当は違うことになる。

 自分が食べる食料であれば、一般論など無駄なことになる。これならより安全な食料であると言う判断力が必要になる。それが一番分かる為には自分で作ると言うことになる。自分で作ればどれほど良い方法であっても、手に負えない方法であれば、作物が出来ない。ここに農業技術が存在する。

 鶏卵も同じである。良い卵とはどれだけ保存して、雛になるかである。2ヶ月を超えても雛になるのであれば、素晴らしい卵である。どのような飼育をするかでそれは決まってくる。そもそも、雛には成らない無精卵であれば比較のしようも無い。

 石垣島でイネ作りに取り組んでいる。作っているのは「ひとめぼれ」である。このお米は有機農業で作るには難しいお米だと痛感している。これだけ暑い地域で、東北向きのお米を充分に作ることは出来ないことだと思う。3年間じっくりと石垣島のイネ作りを観察してそのように実感している。

 かなりの農薬を必要としているイネ作りになっている。病害虫が多いためである。予防的に農薬の使用をしている。篤農家になればなるほどその傾向が強くなる。そうしなければこのお米は、十二分には出来ないからである。

 ひとめぼれを亜熱帯気候下の8月田植えの二期作で、有機農業で作れるかである。まさにここまで違う条件下で作れるとすれば、有機農業技術として成立していると言えるだろう。自分がいままで学んできた技術が通用するかどうかである。

 自分が試されているようで、実に恐ろしい毎日ではあるが、通用しないはずが無いと考えている。もし通用しないのであれば、いままでの自給農業の探求の日々が嘘になる。特殊解に過ぎないと言うことになる。農業技術は特殊解では意味が無いのだ。

 一日も欠かさず、ほぼ一日中田んぼを見ている。見ていてどうなるものではないが、見ていると分かることがある。水牛が田んぼに入るので、田んぼに行かないわけには行かない。どのみちどこかで絵を描いているのだから、田んぼが見えるところで絵を描いている。

 最近水牛に返事をさせることが出来るようになった。水牛が鳴くと言うことが始めて分かった。もちろん鳴くのは当たり前のことだが、1頭だけでいるとまったく鳴かなかったのだ。先日、おじいさんが通りかかり、なんと水牛に呼びかけて返事をさせたのである。感動してしまった。

 それ以来毎日真似をして、練習をしている。ついに返事をさせることが出来たのである。たいては一体何を騒いでいるのだという顔をしているのだ。何でも繰り返していれば分かることがある。こういうことがおもしろくて、生きているのだ。


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保守政権は先を読む力を失った。

2021-08-25 04:01:44 | 石垣島


 コロナ対策で政府は完全に失敗をした。何とかなるだろうという甘さで、先が読めていないためだ。菅氏によるとロックダウンした国でも感染は拡大したのだから、日本だけの失敗では無いと言うことらしい。自分が逃げたのは2歩だけだ。

 世界では10歩も逃げてもダメな国だってある。ロックダウンしてないだけましだろうと言うのつもりと見える。総理大臣としての責任を放棄し、居直ってしまった。政府には最悪の想定をして、国民を守る義務がある。

 ワクチンを充分に手当てできないことや、時間があっても医療環境を整えることが出来ないことなど、どう言い訳するのだろうか。何とかなるだろうという楽観主義がここまで感染拡大を引き起こしている。誰がやってもダメなのだから仕方がないでは国民が自粛するわけが無い。アベ氏、スガ氏とダメな総理大臣が続いたのだ。

 政府がダメなために医療崩壊が起きている。首都圏一都三県の自宅療養者数は、約7万4千人 3万人もの人。入院できる人が5,6%の状況。すでに自宅で無くなられた方が全国で119人もいると出ていた。こんなことになると政府は予測して居なかった。

 スガ氏は総理大臣なのだ。自分の言葉でコロナを切り抜ける希望の道を示す責任がある。政府は何の対応もしないままオリンピックに精一杯だった。この間に緊急医療センターをつくり、患者を収容する施設を準備する必要があっただろう。そうした能力が政府にはすでにない。たまらないのは医療関係者だろう。2年間もこの状態ではもう限界を越えている。

 原因は経済優先が本音であって、感染したら自己責任というのが政府の考え。自分が悪いのだから、自宅療養してくださいというのが、本音に違いない。自助、共助、公助であって、先ずは自主避難である。感染しないように努力しろ、政府は何も出来ないのだからと言う事態である。まさに棄民状態。

 世界でもかなりひどい無能政府状態と考えるほか無い。病気にならないように家に引きこもり、もし感染したら外に出ないように自宅療養である。日本には国民に行き渡る公助は無いというひどいことになったものだ。せめて、体育館でも、ホテル療養でも、準備できないものだろうか。

 一切の原因は、先の読みが甘いと言うことに尽きる。オリンピックをやったっとしても何とかなるだろう。年寄にワクチンを打てば収まるだろう。ワクチンも日本には優先的にくれるかもしれない。政府はすべての読みを一番うまく行った場合考えていると見える。戦争末期の軍国日本と同じだ。

 政府が行う予測は最悪の事態を想定して、それでも対応できる仕組みを考える必要がある。それが国の安全保障であろう。石垣市では国の安全保障は国の専権事項と言うことで、住民は口を挟めないと中山市長さんはおっしゃっている。

 石垣島では、その中山市長はなんと、音楽フェスティバルを9月に開催するとぶち上げた、ワクチン接種が進みコロナ収束を祝うフェスティバルと言うことだったらしい。何という甘い予測をしたものか。結局の開催中止になった。そんなアマチョロイ状況では無いのだ。まったく科学性が無い。

 石垣島の人でそこまで甘い予測をしたのは市長だけである。この人は甘いだけで無く、宴会好きである。また集団宴会に参加したのだ。今度は中山市長は豊年祭の打ち上げの飲み会で40人の宴会である。この人の頭はどうなっているのかとおもった。市長が宴会の場にいたら、宴会の中止を言うべきだろう。

 市議会での言い訳が、石垣市は飲み会の自粛を要請していないので問題ないと答弁している。市長がそんな態度では示しがつかないだろう。充分感染対策をしていたので、問題ないとも言っている。言い訳にも成っていない。もう言うことが支離滅裂である。

 驚くばかりのコロナ対応である。宮古島の選挙でキャバレーで夜中まで飲んでいた市長である。よほど酒好きなのだろう。この日は飲んでないと言うが、本当だろうか。こうして政治家は酒の席で選挙運動をしているわけだ。

 中山市長は石垣島で感染拡大する直前に、政府に対して河野大臣に直接面談した。その時の自慢げな態度は自衛隊基地を誘致したと手柄顔だった。そして、石垣島を沖縄県の緊急事態宣言から外してくれと、直談判して日本一の笑いものになった。中山氏は今の事態をまったく予測する能力がないのだ。石垣市は25日5万人の人口で33人の感染者である。

 コロナが収まるだろうと、根拠の無い楽観論にすがっているだけなのだ。だから、島に来る人をチェックする態勢などまったく準備しない。何しろ、ラジオ放送で石垣島への観光客の来島しないようにとの要請はしないのですか、と言う質問に対して、どうせ要請しても観光客はきてしまうので、来島自粛要請はしませんと答えている。何のこっちゃ。これが市長の態度か。

 こんな愚かな市長はさすがに全国に数少ないことだろう。市長の本音は観光客にきて欲しいので、来島自粛は要請しないと観光客には聞こえるだろう。先をこれほど予測できない人が、何故石垣島の安全の為に、自衛隊基地の誘致をしたのだろう。中国の出方など予測する能力は完全にないとみなければならない。能力がないから国の専権事項には口を挟めないだけだ。

 たぶん防衛省幹部との飲み会で、説得されたのだろう。市長さん、自衛隊基地は国の専権事項だから、石垣市長には関与できないと言っておけば良いから。と教えられたに違いない。そ言う言えば、今度はスーパーシティー構想に応募している。白保に富裕層の別荘を計画するらしい。これも自衛隊基地誘致のお礼を期待してのことのようだ。

 この地域は以前飛行場建設と環境破壊の問題で、地域を分断してもめにもめた地域だ。白保地域に相談も、事前説明もないままにスーパーシティー構想に応募してしまった。まったく環境アセスなどやっていないのだ。もし国の認可が下りてしまったら、コレマタ問題化するに違いない。

 ゴルフ場、別荘地と、市長の発想が観光開発業者のようだ。島の未来構想が開発業者と同じである。もうそれは違う。業者に食い物にされる観光開発は石垣島にはもう沢山だろう。50年前の石垣島を思い出す必要がある。50年後に価値のあるものは、富裕層の別荘地でも、自衛隊基地でも、ゴルフ場でも無い。

 本当に価値あるものは、ありのままの石垣島を残すことが出来るかにかかっている。50年前の石垣島が、50年後に再現することが出来れば、他には類を見ない価値を持つこと間違いなしである。その中に人間の暮らしをどのような形織り込んで行くかが政治家の役目だ。

 日本の方角が変わり始めている。今どういう歴史の分岐点にあるかを考え、未来の方角を定めなければならない。これだけ先が見えない政治家のひとたちには無理なことだ。政治家は経済に眼を曇らせているのだろう。既得権益勢力におもねっているのだろう。

 政治とは離れて、自分たちの暮らしの可能性を構築するほか無い。食糧自給の暮らしである。何が人間の幸せであるのかその原点に戻ってみるほか無い。人間は一日1時間自給のために働けば、食料は確保できる。この原点にたてば、何も怖いものはない。

 ダメな政府など無視をして、自分の暮らしの技術を高めることだ。保守的政治家が先が読めないのは、時代として文明の分岐点だから、過去の成功体験を引きづったものには、想定外の時代と言うことだ。政治家は選挙で選ばれるが故に、既得権益代表になりがちである。先が読めないのも当たり前かもしれない。

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アフガニスタンはタリバンが制圧した。

2021-08-24 04:46:33 | Peace Cafe


 アフガニスタンはアメリカが撤退すると同時に、ダニ大統領が政権を放棄し国外脱出した。その後、タリバンがたちまちに首都カブールまで制圧してしまった。あまりのあっけなさに驚きである。政府というものはこんなあっさりと国民を捨てる程度のものなのか、まざまざと見せられた。

 ミャンマーの軍事クーデターに続き、たちまちに国家が転覆する姿を連続して見ることになった。こうした国で暮らしている国民は不幸なことだろう。だから日本がましだとは思わないが。世界が大分怪しくなっている。

 タリバン政権は民主主義をはっきりと否定している。どういうものか知らないが、イスラム法で国を統治すると言うことらしい。宗教統治と言うことなのだろうか。アルカイダとはどう違うのだろうか。アフガニスタン国内の民族対立はどう考えるのだろうか。

 現代の世界情勢の不安定化を痛感せざる得ない。アメリカはテロとの戦いに、また敗れたと言うことになるのだろう。その敗北の理由は、自由と正義と民主主義を守るという建て前が、余りに本音が違うからである。アメリカの利益のために戦っていると言うべきなのだ。建前で戦争など出来ない。

 武力を持ってテロを無くすことは出来ない。武力が武力を呼ぶ悪循環である。メンツとか、意地とか、こういうことで軍事的行動を取ることが一番愚かと言うことだろう。戦争が問題なのは人が死ぬからだけでは無い。何も解決が出来ない方法だからだ。

 米英の有志連合軍は2003年3月、世界の反対のなか強引にイラクに攻め込みイラクのフセイン政権を2ヶ月で崩壊させた。しかしその後米英軍の占領政策のまずさや、イラク新政府の失政と暴虐が重なり、民族や宗派の対立を引き起こし、戦闘状態はその後も続くことになった。

 米国のイラク侵攻は国連安保理により義務付けられた大量破壊兵器の破棄違反を理由とした侵攻のはずだったが、戦後の丹念な捜索でも大量破壊兵器は見いだせず、アメリカのねつ造情報だった事が分かった。一体それに加担してしまった日本はどういう頼りない国なのだろう。

 そのころ、イラクの人が3人日本に来て、確かに京橋の方で講演会をされた。当時日本の自衛隊もイラクに派兵をしていた。イラク派兵反対の集会だったと思う。回りを警察関係者が取り囲み、集会に来る人の写真を写していた。そこで、写真を撮っている警察関係者の写真を撮らして貰ったことを覚えている。

 公演後、フセイン政権の問題点もよく分かった。そしてさらにアメリカがより問題と言うことも分かった。それでアメリカに出ていって欲しいとして、いなくなったあとどうなるのかと質問した。その時の回答が、「悪いものと、さらに悪いものは比べようも無い」と言うことだった。つまりイラクの人には国作りの展望が無かった。

 当時イラクでは、議会制民主主義が採り入れられ、民主的な選挙により首相が選ばれることになり、イスラム教シーア派の政党が圧勝した。この選挙で選ばれた民主的なはずの政権が、敵対する宗派や旧体制の人達を徹底して迫害した。

 アメリカが軍事介入する状況下で、民主的な選挙を行ったはずのイラクで、ISのような過激派組織が生まれてきた。 結局の所、アメリカはイラク派兵によって、イスラムテロ組織を生んだ結果だけになる。独裁がテロを抑えて、民主主義がテロを生み出す結果に繋がるのか。

 アメリカは正義と民主主義を守ると言う建前で、世界で戦争を続けてきた。日本も属国としてその戦争に加担をしてきた。しかし、何一つ解決できたわけでは無い。むしろ、この軍事的圧力がテロ組織を産み、世界はより不安定化を続けている。

 世界平和のためには武力では何も解決できないと言うことだけは明らかである。アフガンと言えば、私にはペシャワールの会である。つい先日ペシャワールの会の会報が送られてきた。今回のような政治の問題は少しも触れられていなかった。ここまで根付いてきた灌漑用水の事業が頓挫するようなことが無ければ良いのだが。

 今のペシャワールの会は現地の人達が、灌漑用水を作るための活動を支援をする組織である。タリバン政権になり、ペシャワールの会の活動はどうなるのだろう。影響が無いはずがない。不安なばかりであるが、何とか灌漑用水工事の継続できればと思う。

 地道に生活が出来る地域を作る。貧困が武力主義を産む一番の原因だ。生活を破壊したのは、干ばつである。干ばつに生活が破壊され、テロ組織が支配を広げた。食料援助よりも、自立する道の協力をすること。これ以外に出来ることは無い。

 タリバン政権とアルカイダのようなジハード組織はどう関係するのだろう。一応の公式見解ではタリバン政権はアルカイダを認めていない。しかし、アルカイダ組織の残党はアフガニスタンに現存する。この組織が勢力を増してくる可能性はある。

 日本に出来ることは平和外交だけである。イラク派兵が無意味以上にひどい結果をもたらしたように、武力による解決は何も無いと言うことになる。そして、どこの国も外国の武力的圧力では無く、自らが国作りをしなければならないと言うことなのだろう。

 タリバン政権がどういう政権であろうとも日本に出来ることは、ペャワールの会のような住民の生活を、住民自身が立ち上げるための支援だけだ。自らが立ち上がるための支援以外、回りのものに出来ることは無い。そうした地道な努力以外に平和な国作りは出来ない。

 フセイン、カダフィと独裁者に問題があるとして、武力で抹殺された結果さらに悪い状況が生まれている。ミャンマーも軍事クーデターが悪い事は当たり前のことだが、ミャンマーを民主的な国家にすることが出来るのはミャンマーの人達だけだ。

 日本はミャンマーとの外交関係は歴史が深い。ミャンマーは歴史的にも民族的にも、複雑に入り組んでいる。国連はスーチー氏のロヒンギャ迫害加担を非難した。ミャンマー軍事政権は、スーチー氏を囲いの中で泳がせていただけなのだろう。抜け出そうとすれば、いつでもクーデターをする気でいたのだろう。

 それに対して世界の民主主義勢力はスーチー氏に手を貸すことは出来なかったのだろうか。どうすれば民主主義が根付く事ができるのか。アメリカですら、大統領が選挙に敗れれば、不正選挙だと叫んで、デモを先導する国である。とうてい民主主義が根付いているとは言えない。

 どれほどアメリカが正義を主張しても、結局の所中国の主張するように、内政不干渉以外にない。中国は言葉通り内政不干渉であれば良いのだが、中国方式の干渉をしているわけだ。その目的は結局の所経済競争である。資本主義の競争主義が世界の限界まで来たのだろう。
 
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石垣島での農地確保方法

2021-08-23 03:55:11 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」


 石垣島で農地探しをしている。耕作放棄地が沢山あると見えていたのだが、実は事情があって使えなくなっていると言うことが分かってきた。そのことは前回書いた。ではどうやって探せば良いかである。これを考えなければならない。

 先日5時過ぎに田んぼにいると、農業委員の方がみえた。遊休農地の確認をされているという。どなたからか聞いたようで、私が農地を探していることはすでにご存じだった。そしてこの上の遊休農地を借りたら良いと盛んに進める。もちろんそれが良いのだが、それができないで困っていると話した。

 それなら沖縄県の農業公社に相談に行けと、ポスターをくれた。農業委員会には3度相談に行っている。自分で解決しろと言うだけで、地主さんさえ教えてくれない。そこで法務局に行き、地主さんは自分で調べた。ところが、農業委員会では地主さんとの話し合いや調整などはしないと言うことだった。

 農業委員の人が言われるには、沖縄県の農業振興公社はそうした問題化した遊休農地を何とか農地に戻すための組織だから、そこに相談しろと言うことを教えてくれた。農業振興公社はこういう遊休農地の様々な困難を解決し、農家から公社が借りて、それを使う認定農家に貸し出す組織だというのだ。石垣市にも人が配属されているから、相談に乗ってくれるはずと言われた。

 早速、沖縄本島の公社に連絡をしてみた。驚くほど場違いな電話対応の感じだった。それは農業委員会に相談するべき事案で、公社はそうした問題化した農地の解決などしないと言うことだった。それでも、石垣市におられる出先機関の方を紹介はしてくれた。

 合同庁舎に連絡をしたがなかなか連絡がつかないので、合同庁舎の他の方に相談をした。その方によると、農業振興公社は地主さんとの交渉が成立している案件の、契約の間に入るだけで、土地貸借の交渉などしませんとはっきり言われてしまった。ここでもそういうことは農業委員会の仕事だと言うことだ。

 なるほど、農業委員会に振るだけのようだ。農業委員の方が言われていた、県の公社が遊休農地の解決に本気で乗り出すという話は、どこに行ったのだろう。こんなことだろうとは思っていたが、行政というものが、土地貸借にまったく頼りにならない姿を確認して終わった。

 石垣市の水田農地は遠からず危機的状況を迎える。そのことを真剣に考えている行政の人はどこかに居ないものだろうか。水田が無くなったところでかまわないと考えているのだろうか。あるいは、もう手の打ちようが無いと言うことなのだろうか。水田が無くなるなど考えても居ないのかもしれない。

 与那国島で水田耕作者が一気にいなくなったように、石垣島でも同様なことが起こる。まず、石垣島の環境と文化のためには稲作が無くなってはならないと言う、大前提を確認する必要がある。本島では稲作がほぼ無くなり、実に味気ない景色の島になってしまった。

 島の環境から水田が失われると言うことは、生物多様性の維持、赤土の流出の制御。水資源の確保。環境にとって水という大事なことが失われる。特に石垣島の伝統文化の根底にある稲作が失われてしまう。それでは豊年祭の意味も変わってしまうだろう。

 ラムサール条約では水田環境を湿地の一部としてとらえ、環境の多様性維持の重要な要件としている。稲作は人間の生活の営みが、自然環境の維持に繋がるという、循環型農業の形なのだ。人間の営みの永続性を示しているものが、水田農業なのだ。

 稲作を残すためには、経営という観点だけでは無理になってくる。大型の農業法人などが、大規模農業を行うことは望ましいことであるし、今後も継続されるだろう。しかし、大規模化が出来ない水田が放棄されてゆくことになる。こうしたの遊休農地の増加を防ぐことを今から計画しないとならない。

 そのためには市民の自給的農業である。市民が自分が食べるためであれば、経営を考えないで水田耕作が続けられる。この市民が行う農業は伝統農業の形であり、有機農業と言うことになる。ラムサール条約の意図する環境保全に繋がる水田農業である。

 行政には石垣島の水田が待っている危機的状況の認識が不足している。水田が無く成るとしても、それは行政のかんがえることでも、仕事ではないと考えているようだ。要するに、土地を借りるためもは自分で探さなければならないと言うことになる。

 回りくどかったが、石垣島で土地探しは自分自身でやるほか無いと言うことだ。と言うことは新規就農者がそれをやるのは極めて難しいことになる。先日農業法人から独立される人が、土地の貸借の希望を新聞広告していた。果たして借りられたであろうか。

 一般に農業法人に一定期間勤めていれば、独立するときに新規就農の農地は見付けてくれるというのが普通なのでは無いだろうか。自分で見付けなければ、成らないのだとすると、石垣島は遊休農地が多そうに見えてそうでもないと言うことになるが。

 石垣島に来て、3年目である。私の人間関係で農地を探すことはまず不可能である。そこで今考えているのは、稲作のための農地を購入してしまうことである。ただし、新参者の私が農地を購入することは、さらに借りる以上に難しい。

 そこで第3の方法を考えている。それは今のところブログでは書けない。上手く行けば書きたいと思う。書いてしまえば、実現できなくなりそうだからである。あと10年、何とか石垣島で農業を続けたいと考えている。半年前までは考えても居なかったことである。

 田んぼが好きだし、田んぼをやりながら絵を描くと言うことが、自分にはあっているようだ。動ける間は田んぼをやりきりたい。
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第70回 水彩画 日曜展示

2021-08-22 04:11:01 | 水彩画
第70回 水彩画 日曜展示






392「名蔵湾」
ファブリアーノ 中判全紙
2021.8






393「名蔵アンパル」
ファブリアーノ 中判全紙
2021.8







394「シーラ原田んぼ」
ファブリアーノ 中判全紙
2021.8







395「シーラ原の実り」
インド水彩紙 中判全紙
2021.8








396「崎枝の田んぼ」
ファブリアーノ 中判全紙
2021.8







397「崎枝田んぼ」
ファブリアーノ 中判全紙
2021.8






398「シーラ原」
ファブリアーノ手漉き水彩紙
2021.8


 絵が少し無理をしている様子が見える。絵に苦労をしている。絵が生まれたと言うよりでっち上げたような感じだ。これは良い兆候なのか、悪い事なのかは分からない。田んぼに気を取られすぎているのだろうか。

 394のシイラ原田んぼ以外は、高いところから見ている構図である。これに少し抵抗感が出てきている。何故かは分からない。シイラ原田んぼの絵も描けなかったのに描いている絵にみえる。描いているときはそうしたことも思わなかった。

 悪くなることであっても変わってゆくことは必要である。今のままで良いなら絵を描く意味が無い。どこから来て、どこに行くのか。絵は日々の現われである。自分の出来ることにぶち当たることが出来ればそれでいいわけだ。
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72歳の誕生日である。

2021-08-21 03:59:47 | 身辺雑記

 水牛のわかばである。水牛の世話をして2ヶ月ほどになる。3反ほどの昔田んぼだった草原で水牛は暮らしている。1頭の水牛には充分な草の量があるようだ。草原のなかをうまく移動させて、草を食べさせている。水牛はとても優しい動物だ。

 水牛を飼えるような体験が出来るとは思わなかった。生きていればおもしろい何かが起こるものだ。最初は大変なことだと思ったが、2ヶ月無事飼うことが出来て大分様子が分かった。この調子であれば、このまま飼い続けることも出来るかもしれない。

 歳をとったものだ。1949年8月21日山梨県境川村藤垈の向昌院の中二階で生まれた。標高400メートルほどの山中にある曹洞宗の山寺である。頭はいくらかボケたと思われるが、石垣島で田んぼをはじめて、毎日絵を描く幸せな日々を過ごしている。

 元気とはいえ、先日はキャッシュカードを無くしてしまい、再発行をお願いした。こういうことは初めてのことである。何でもしまい込みすぎて分からなくなることはあったが、無くしてしまうと言うことは無かった。うっかりする前提で無くさない工夫が肝心。カードのしまい方を変更した。

 頭を鍛えるためにもブログを続けるのは悪くないはずだ。ブログが怪しくなってきたならば、本格惚けの始まりだから、読んでこれはおかしいなと気付いた人は遠慮無く教えて欲しい。ボケの怖さはボケてしまえば自分では気付けないという所にある。この点他の病気とは少し違う。自分で病院に行く初期痴呆症の人は少ないのだろう。今だって怪しいと言えば言えないことも無い。

 人と話していて同じことを繰り返していることに気付く。これも前にはそれほどでは無かった。昔のことを何度でも話しているというのは、大分怪しいことだ。色々怪しくなってきていることはある。こういうことは回りの年寄を見るとすぐ気付く。自分のことだけ分からないというのが人間の常である。それでも72歳を無事迎えられたのだから、幸運である。

 身体の方は元気そのものである。かつて無いほどである。オムロンの身体年齢では41から43歳である。有り難いことだ。毎朝の動禅体操の効果ではないかと思う。食べたいものを食べたいように食べ、毎晩酒を飲んでいる。それでも体重は54キロ前後に維持されている。

 55キロを超えたら、酒は飲んではならないと決めているのだが、最近はそういう日もない。暑くて汗をかくせいだと思う。油断すればすぐ増え始めるので要注意。お酒は泡盛で100ccまでである。健康飲酒量の範囲である。わずかに酔う程度であるがこれで我慢できる。なんとか我慢している。

 すべてはもう少し絵を描きたいからである。これで終われば絵が作り物で終わりそうだからだ。目標にしてきた絵がこれでは耐えがたい。自分というものがどうにもならないからである。100歳まで絵を描き続ければ、納得が行くのではないかと思っている。諦めもつくと言うことかもしれないが。

 道元禅師はいわれる、「生をあきらめ、死をあきらむるは、仏家一大事の因縁なり。」出来ないと言うことを出来るように努力する。そうであれば、絵を描くことは、まだまだ納得できない。このでっち上げ感をいつか払拭できるのだろうか。ともかく生に固執して諦めがつかない。

 体組成計の数値で言えば、体年齢41歳から43歳である。この数値の理由は分からないが気持ちとして、都合良く信じることにしている。タニタとオムロンの体組成計では数値が違う。オムロンの方が若いのでそちらを使っている。タニタは誕生日を一年変えたらば、一年身体年齢も年寄に変わった。それ以来信用しないことにしたのだ。

 もう少し本当の身体が測定できる機器は出来ないものであろうか。今のところ一番良い身体判定は、内観法である。動禅の中で静かに自分の内部を感じてみる。おかしいところがあれば、何かを感じるのではないかと思っている。今のところ変化は無い。

 72歳の一番の目標は石垣島田んぼを成立させることである。イネ作りは身体が普通に動く内で無ければやれないことである。まだ、身体は充分に動いている。あと10年動くことが出来れば、石垣島田んぼも何とかなるかと思う。石垣島の厳しい気候条件では大変なことである。

 何とかなるというのは、有機農法による畝取り技術の確立である。きびしい病害虫、気候の中でどんなやり方があるのか、実践研究をしたい。かならず道はあるはずである。その時には小田原で行った30年間の稲作技術が生きるはずである。

 西表島には石垣金聖さんという方がいる。その方を中心にした「生々流転」というドキュメント映画が無料公開されている。美しいドキュメント映画なので見ていただきたい。金星さんは唄者である。そして、自給のイネ作りをしている人である。

 こういう方がおられることを今回初めて知った。本当の暮らしをしている人が西表島にいた。日本中にこうした人が増えることが希望である。この場所こそ、立ち返るところでは無いかと思う。日本は急速に消えようとしているが、いつだってここに立ち返ればやり直すことが出来る。石垣島にはそうした希望を持って移住している人も居る。

 石垣島に自給の田んぼが定着することが、72歳の今の希望である。石垣島という自然豊かな島に、自給の稲作が根付く事ができれば、日本の方角になるのではないか。そのために出来きることをやってみようと思う。先ずは技術である。誰でも可能な自給イネ作りを実現することだ。

 そのためには仲間作りと、連携である。あと10年すれば、石垣島のイネ作りは継続困難な状況に陥る可能性が高い。本島ではすでにイネ作りは無い。石垣島では80台で今イネ作りをしている人を多く見かける。経済性とは関係なくイネ作りが続いている。しかし、その後継者となると、続けられる人は減ってしまうないのではないか。

 石垣島に田んぼが無くなり、サトウキビやパイナップルや草地だけになれば、珊瑚礁は赤土で痛めつけられるだろう。水資源も危うくなるはずだ。石垣島の環境のためには水田稲作を減らさないことが重要なことになる。まず田んぼが無くなる危機に警鐘を鳴らすことからだ。

 与那国島がイネ作りの継続が危うくなっている事がその先行事例である。食糧自給の可能な島でありながら、イネ作りが継続できなくなる。もしそれを食い止めることが出来るとすれば、経済性だけでは無い、生き方としての自給活動を考えるほか無い。

 先ずは永続的に使わせてもらえる田んぼを見付けなければならない。今年中に見付けなければ、1月からの苗作りに間に合わないことになる。田んぼはいま8葉期である。分ゲツ数は平均して6本ぐらいだろうか。かなりニカメイチュウが出ている。2期作の困難を痛切に感じているところだ。

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見えてきたジャンボタニシ対策

2021-08-20 04:21:37 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」

 水牛の世話を始めて2ヶ月になる。もうしばらく飼うことに成りそうだ。しばらく生き物を飼っているといなくなれば寂しいことになりそうである。草がある間はここに置いておきたいと言うことだったが、3反の草地だから、1頭には充分あるのではないか。

 水牛は体中に泥を付けている。小さな泥あび場を作ってやったのだ。水をそこに運んでやる。寝転んでいる所に、水を浴びせてやると、何とも嬉しそうに、身体を反転させ、足をバタバタさせて、まるで猫がじゃれているようにしている。表情は無いが、喜んでいるとしか思えない。

 ところが残念なことにこの水たまりに、尿をしたり糞をしたりしてしまう。それを身体にくっつけるから、不衛生極まりない。しかし、どうもそれが好きらしくてどうしようも無い。こっちがその汚さに慣れるほか無い。糞尿泥を身体に付けていれば、虫に刺されないのかもしれない。

 汚いと行っても草食動物の糞尿だから、人間のような汚さは無い。人間ほどきたいないものは無いのかもしれない。牛の糞は燃料にしたり、壁にしたりするようだから、汚いと思うことを止めさえすればいいわけだ。水牛が好きでやっていることだから、そんなものだと思うほか無い。

 石垣島で伝統的農業の水牛を使う田んぼで取り組んだ。まず一番の課題は、ジャンボタニシ対策であった。現在田植え3週間目は過ぎたのであるが、ほぼジャンボタニシ対策は見えてきた。ジャンボタニシは草取りをしてくれる、利用できる生き物だ。排除から、共生を考えるべきだ。習性を知れば怖いことは少しも無い。

 ジャンボタニシと共存する田んぼでのイネ作りの方法を上げれば、大苗栽培をすることである。5,5葉期の二分ケツ苗である。大型機械農業でもすでに大苗栽培技術は確立している。稲葉農法では有機農業で完成した技術となり、10ヘクタールを超える農家が出現している。

 農協の苗生産は大型苗に変えてゆくべきだ。そうすれば、除草剤も不用になり、ジャンボタニシの殺虫剤も使わないですむ。安心、安全な農業に一歩前進である。ともかく草が生えない。ジャンボタニシは草の小さな発芽を嘗めるように歩いている。

 石垣島のジャンボタニシの量は半端ではない。小田原と比べれば、10倍も居るかと思えるほどだ。亜熱帯の気候がジャンボタニシの生息数を倍増させているのだろう。帰化生物の強さなのだろう。これから日本全体でジャンボタニシの生息数が増えるに違いが無い。

 ジャンボタニシを排除するのでは無く、共生できる技術があると言うことを探らなければ、農薬の使用量が増えるばかりである。ジャンボタニシがいる田んぼの雑草知らずのイネ作りが存在することを知ってもらいたい。

 いくつかの耕作方法で考えていることがある。一般には田植え前にジャンボタニシを完全に居なくなるように薬殺している。そして、ジャンボタニシは水が無いと移動が出来ない。そのために石垣島では田植えから2週間ほど淺水にしている。これは水鳥の対策でもある。

 しかし、田植え直後田んぼがひび割れるほど、水を落としていることは稲の生育には余り良くない。それでも徹底した薬殺が出来なかった田んぼではそれなりにジャンボタニシの食害は起きている。殺虫剤を徹底して使うので無ければ、ジャンボタニシは残る。苗が小さければ、ジャンボタニシは水たまり部分のイネを食べてしまう。

 次の対策は畦際を深くする。田んぼ一枚を一周するように溝を掘る。田植え後は全体をヒタヒタ水にして溝には充分水があるようにすると、ジャンボタニシはこの溝に集まる。集まったジャンボタニシを拾えば良い。この溝にジャンボタニシを集める罠を仕掛けるのもさらに良い。

 ジャンボタニシは夜イネを食べていると言われるが、観察の結果では夜は何をしているのか分からないが、朝は居ない。10時頃出てきて、又居なくなる。そして5時頃又活動を始めるようだ。ジャンボタニシを拾って取り除くにはこの時間が一番効率が良い。

 どれほどジャンボタニシを拾ったところで、居なくは成らない。薬殺した田んぼでもどこかで再生していると思われる。いつでも現われて雑草の芽を食べ尽くす。田植え2週間を過ぎたならば、浅水は終わりにして深水にしてゆく。

 深水にしたほうが、がっちりした株になる。10センチ以上の水深を目指す。深水ががっちりした株にする。深水は分ゲツが採れないと言うが、水圧や日陰になるために分ゲツが抑えられると言うことは無い。7葉期の大きさになれば、深水でももうジャンボタニシは草取りに活躍するだけである。

 すると、出てくる分けつを食べてしまうのではないかという不安を抱くだろう。ところが種から出てくる柔らかな芽とは違い、分けつは余りかじられる様子は無い。確かに株にとりついているタニシは時に見かける。しかし、株を押し倒されないかぎり、イネは大丈夫に見える。もう少し観察はしてみたいところではある。

 3週間が過ぎて8葉期になれば、むしろジャンボタニシの利用である。雑草対策のためにジャンボタニシを適度に拾い管理してゆけば良いだろう。適正な量というものがあるのだろう。雑草が全くないという状態はイネには良い効果がある。
 
 一本植えで栽培して、比較の為に一部を2本植えにした。確かに2本植えは倒されないために、ジャンボタニシは余り食べることが出来なかった。また、風の強い石垣島では2本植えで無いと、風に押し倒されると言うことが起こる。

 2本植えにするには十分な量の苗を作る必要がある。これは少し負担になるが、補植の手間が減ると言うことには成るので、石垣島では種籾採取部分だけを1本植えにして、あとは2本植えにすると言うことが良いかもしれない。

 今年は5,5葉期の苗と言っても台風で苗が泥に埋め込まれてしまい、生育がもう一つ弱かった。本当にしっかりした苗が作れれば、1本植えでも大丈夫かもしれない。種籾採取部分だけ1本植えにしてみて、次回は観察を継続してゆきたい。

 一期作の苗であれば、1月6日に種籾の海水選を行う。そして穴あきビニールでの苗作りを行う。穴あきビニールであれば、中にタニシが入れない。風も防げる。石垣島の1月が丁度小田原の4月の気候である。サトジマンを作ることが案外に良いのかもしれない。小田原の田んぼが気になるところである。

 石垣島に向いた、種籾がみつから無いようなら、サトジマンの種籾を使おうかと思っている。夏の間の夜の気温の高さが、一番イネに悪影響を与えているのだろう。これに耐えうる品種を探す必要がある。

 ジャンボタニシ対策は3つである。1、大苗の2本植え。2,田んぼ畦際の溝。3,田植えから2週間の淺水管理。これで草取りがいらなくなるのだから、農薬不使用の田んぼが実現すると言うことになる。


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継続の工夫

2021-08-19 04:16:48 | 身辺雑記
 8月15日の田んぼ


 8月16日の石垣島田んぼ。
8月18日の田んぼ 急速に成長していることが分かる。

 15日からコロガシを続けている。田んぼも継続することで分かってくることが山ほどある。草は全くないが、コロガシをすることで、土壌がよみがえる。有機農業の病害虫対策は強い稲を作ることだけである。強い稲を作るためには良い土壌を作るほか無い。

 土作りには時間がかかる。成果が見えないようなことを、継続してやっと3年目当たりですこしづつ成果が見えてくる。イネ作りを続けてきたことで、勤勉と言われる日本人が作られたのだと思う。伝統的なイネ作りを止めたことで、日本人が失われつつあるのだろう。

 生きると言うことの面白さは、好きなことを日々継続できると言うことだと思っている。継続していれば、出来なかったことがいつか出来るようになる可能性がある。それが一番おもしろい。たとえいつまで出来ないとしても目標に向かっているという張り合いはある。

 出来るはず無いと思っていたことでも、正しい方向で長く続けているとかなりのことは出来るようになった。中でも続けて一番嫌だったのが、受験勉強である。我慢して、我慢して続けて、何とかな、、、

 小学校5年生の時に、美術の根津荘一先生が絵を評価してくれて、美術展などに出してくれたのだ。そうした機会に何度か賞を取ったりしていたので、何か狐につままれたような気分だったのだが、絵が上手なのかもしれないと思ったわけだ。

 根津先生は光風会日展の人だった。当時、叔父が芸大の助教授だと言うことを知っていて、そんな目で私を見ていたのではないかと今は思う。根津先生とは、渋谷の洋画人体研究所で並んでクロッキーをしたことがある。素晴らしいクロッキーをされた。

 父親は好きなことを見付けるのが子供の仕事だと、口癖のように言っていた。世田谷中学に入るとすぐに油絵を始めた。中学に入れば、油絵の具を買ってくれると親が約束してくれたのだ。小学校の水彩では、物足りなかったのだ。絵の具を盛り上げられると言うことに憧れていた。

 それからずーと切れ間無く絵を描いているわけだ。油彩画を止めた、というか描けなくなったのは40歳の頃で、水彩画なら描ける状態に変わった。一番継続できるかどうかの分岐点は大学進学の頃だった。父親が芸大を目指すことに絶対反対だったのだ。父親を信頼していたと言うこともあり、納得して芸大は諦めた。 

 大学のころに、絵を描くこを自己証明として、絵を描いていたのだと思う。自分が何者かであるかを絵を描くことで見付けようとした。こんな状況下でおまえは何で絵を描いているのかと、問いただされた。そんなこともあり、絵で世の中を変えられるかもしれないと考えるようになった。
 
 絵はそのまま今に至るが、続ける以外に考えられなかった。絵は描きたいときにだけ描いてきた。描きたくないときに描くようなことは避けてきた。描かないでいればどうしても描きたくなるのだ。今でも絵を描くことには新しいことが見つかる、わくわくするような面白さがある。

 これは絵を継続してきた様子である。そう肝心な書きたかったことは、どうやって継続するかであった。例えばこのブログである。書くのが好きと言うほどでは無いが、今は描きながら頭を整理していることが多い。この後田んぼをどうしようかと思うと、ブログに書いている。書くことで気付くことが結構ある。

 開墾生活に入り、必要に迫られその日にやったことを記録するようになった。それはルーズリーフノートである。10年ぐらい続いて、それがブログの方が便利なので、ブログにと変わったということだ。必要は継続の母。

 継続の一番は必要と言うことだと思う。そしてブログを続けることが出来て、継続力に自信がついた。ブログを始めた頃一番期待していたのは、文章が自分のものになるかであった。井伏鱒二氏の大ファーンだ。特に文体のファーンかと思う。

 ゆっくりとした気持ちで読んでいるだけで満足が出来る。不思議な高級な心持ちの世界に上昇してゆく。すごいものだと思う。ああいった文章が書ければと夢見る。文章を毎日書いていれば、いつか近づけるのではないかと実は思っていた。最近は、さすがにそれは無理な話だと分かってきた。

 それでも、今こうして書いている文章が自分なのだとは思う。何しろ毎日書いていて、こうなのだから、これ以上もないし、これ以下もない。井伏鱒二氏の文体に憧れたというのは、当たり前のことだが、その人間性に憧れたのだ。

 文体が人間を表しているに違いないのだから、その人の哲学や感性が充実しない限り、井伏鱒二文体には成れない。もちろん真似をしてみたところで、始まらない。まったく絵と同じである。一つ言えることは、井伏鱒二氏は水彩画を描く。この水彩画なら、私の方が良いかもしれないと思える。そうでもないか。

 水彩画も文章もかなり技術的なことがある。いくらその人の人間力だと言っても、技術を訓練しなければ、到達できないところがあるのが、芸術の術の部分だ。これには正しい努力とか、我慢というものが伴うものだ。そう思って、今も継続の努力を続けている。100歳まではあと28年ある。

 最近続けているのが動禅である。70歳からの修行である。朝1時間やっている。石垣島にいるときは必ず、行うことにしている。じつは今でも今日は終わりまでやれるのか不安である。我慢する気持ちを含んで始める。そしてたいていの場合は終わりまでやれている。

 それでも、以前は最初のスワイショウだけはやろうという気持ちで始めた。次第に八段錦はやる。太極拳まではやりきろうと思えるようになった。最近の心持ちは最後の蹴り上げ体操と、体幹「立ち金魚運動」はやらないでもいいからと思い始めている。ぜんぶやらなければと思うと、始めることの気が重い。

 結局の所、大抵は我慢して終わりまでやりきっている。それくらいやりきるのは大変なことなのだ。頑張って継続している一番の要因は、長生きしたい欲である。もう一つの欲が、動禅の心持ちは絵を描く心持ちに通ずると思えてきたからである。

 一日中車の中に座り込んで絵を描いている暮らしである。不健康そのものである。それが、動禅体操の御陰で体調が良いのだ。毎晩酒がうまい。食べたいものを食べて、好きな田んぼをやって、絵を描きたいだけ描いている。それで内観法で感じるところ、体調は万全である。あと10年は田んぼが出来そうな気がしている。

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明治維新から77年で敗戦した日本

2021-08-18 04:24:05 | Peace Cafe

 コロガシが終わり輝いている田んぼ。

 明治維新から77年で日本は第2次世界大戦に敗北したのだそうだ。そして、今敗北から又77年が経とうとしている。そして、日本はコロナに敗北をして、先進国から脱落をしようとしている。この歴史を充分に考えておく必要がある。

 明治帝国主義国家をもう一度作ることが自民党の目標である。愚かにもその結果が世界大戦での敗北と言うことに未だに気付いていない。たぶん、日本が目標とする国家像が、他に思いつかないのだろう。維新の会なども名前まで明治志向である。

 日本が愚かな戦争をしてしまった一番の原因は、東洋の雄という勘違いである。遅れたアジアを日本が盟主となり、建て直すのだという、思い上がった馬鹿げた目標を持ってしまったのだ。アジアの中で、白人植民地主義の餌食にならなかった国家という、自意識過剰である。日本が独立を維持した原因は江戸幕府の藩の独立性維持と鎖国にある。明治政府とは関係が無い。

 そうした大きな世界観の間違えが、コロナ敗北に際して又今生じている。背景にあるものは中国の大国化による自信喪失である。中国は自力更生を成し遂げた。日本が指導して上げなければ、国家の体裁も整わないと考えた中国が、日本をはるかに凌駕し始めている。

 自民党の議員の多くの人にとっては、青天の霹靂のことなのだ。中国はどこかで崩壊するに違いないと、5年前には言い続けていた人が自民党では多数派であった。中国で株価が暴落すると、これが中国崩壊の始まりだと、日本の企業は早く引き上げた方が良いと叫んでいた。

 中国に対する評価は概ね日本の報道も追随してきた。そのために日本人の中には遅れた中国の印象が根強くこびりついている。今は恥ずかしながらであるが、中国オタクの毛沢東ファーンの中学生であった。そして、興味を持って中国には3回行った。絵の関係と、自然養鶏の関係である。そして、中国人の優秀さに驚かされた。

 国を挙げての農業政策と、国民をリードする人達の優秀さからして、日本はたちまちに経済で追い越されるだろうと実感した。スーパーに行って驚くのは野菜の種類の多さであった。日本の4,5倍の種類があるように見えた。農業の状況もまさに多種多様であった。

 自然養鶏の交流であったのだが、中国の人達は何故日本から、発酵指導をされなければならないのかと疑問に感じていた。中国には日本どころではない発酵の伝統と技術が存在するという自負があった。キノコの工場の大きさと言ったら、すでに余りに巨大で比較にもならない状態であった。

 それは、養鶏でも、養豚でも同じで、この巨大化する経済合理性が、どこかで行き詰まるだろうと感じた。どれほど大きな畜産基地であっても、国家主導である以上、苦情も抗議もない。薬剤の使用もどうなっているのか不安を感じた。

 中国は環境政策の遅れと言うことで、世界から叩かれていたわけだが、すでに日本よりも環境政策で先進国になり始めている。日本が中国を敵視している間に、中国は自力更生を成し遂げたわけだ。そして覇権主義の大国として、日本に強い脅威になり始めている。

 一方すべてに後ろ向きの既得権益死守の日本は、アメリカの属国として敗戦以来やってきた。独立国家としてでは無く、アメリカの支配下で国家運営を行うという、国としての片肺飛行でやってきたわけだ。軍事力が無ければ、国の運営に安心できない奇妙に歪んだ国家になったのだ。

 アメリカの背後の虎の威を借りて吠える負け犬国家である。これでは国家としての尊厳を失う。国民はどこか独立国家の自尊心を失った。それが自民党が明治日本帝国に戻りたくなる要因である。ところが、現実には世界に誇れるほど強い軍事力は持てない敗戦国の立場を今も引きずっている。

 日本は持ちたくとも、原爆を保有することは出来ない国是である。政府は原爆が無い国家はアメリカの属国でいるほか無いと思い込んでいるのだ。日本は本来であれば、唯一の被爆国として、平和憲法制定の国として、進むべきだ。

 原爆保有国を批判し、原子力禁止条約推進国家になるべきなのだ。世界の大半の国が、原爆を保有しない。その保有しない意味を保有国家へ突きつけなければならない。非保有国の中心的存在になるべき国なのだ。

 こうして、敗戦という折り返しから、77年という歴史を踏まえようとしている。日本が江戸時代を否定して明治帝国主義を歩んだ間違えた進路が敗戦に続いていた。そして、アメリカの属国としての自立できない片肺国家が日本の国家としての品格を失わせた。

 この77年間の間に、日本人が想像もしなかった形で、アジア各国は日本を追い抜き始めた。日本人はいつまでも目を背けていないで、この事実に目を向けなければならない。そして、アジアの一国として、当たり前の独立国家としての道を歩まなければならない。

 アメリカから独立して、アジアの軍事力の小さな一国として、世界に対する必要がある。その現実からしか何も始まらない。それは恐ろしいことでも悲しいことでも無い。世界中の国がそうした独立国家なのだ。その時に始めて日本がどのような国作りをすべきなのかが見えてくるのではないか。

 日本には豊かな国土がある。四季に富む美しい日本列島がある。食糧自給が可能な国土がある。比較的にみれば、勤勉で正直な国民がいる。そして、平和憲法という世界に誇れる国是がある。日本は世界の平和の灯台になれる国なのだ。

 先ずは日本の独立である。アメリカの軍事力から距離を持つ。軍事力では無い、平和外交を模索する。アメリカの属国になれてしまった以上軍事力の笠を取り去る恐怖があるだろうが、まずその地点に立ち返る以外に日本が次の77年に向けて、正しい国作りは出来ない。

 食料は自給しなければならない。食糧自給が国としての基本要件である。食料生産を経済と枠組みとは別に考える必要がある。独立国家の基本が食糧自給できると言うことだと考えなければならない。これは経済の合理性とは別のものである。これは個人として食糧自給を達成した時の安心立命で分かったことだ。

 国家としての安全保障を見直さなければならない。次の時代の安全保障は通常の軍事力の時代では無い。感染症対策は安全保障の根本になるだろう。その時島国である日本は管理しやすいことになる。また、情報管理も重要な安全保障である。国を超えてゆく企業の問題も、国は管理をどうすべきかを考える必要があるのだろう。

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河村たかし名古屋市長の問題

2021-08-17 04:17:03 | Peace Cafe


 河村名古屋市長がオリンピック金メダルをかじったというので批判を浴びている。確かに市長としての品格というものはそもそもない。河村氏は気さくなオッチャンキャラが売りなのだ。最近キャラに陰りがあるので、おチャラケを外したに過ぎない。

 どうでも良いことではあるのだが、日本の選挙がおかしくなってきている原因は、この機会に考える必要がある。河村氏が選挙に強いという理由である。名古屋ではこの庶民的キャラには、不思議な人気がある。この受ける理由を考えておく必要がある。選挙は人気投票では無いのだ。

 その前に、菅総理大臣の支持率が軒並み30%を割ったというのが、オリンピック後のニュースである。オリンピックの日本選手のすごい活躍でも、言われていた菅氏の支持の復活は無かったのだ。当たり前のことだ。菅氏の農家出身の苦労人キャラはもう化けの皮が剥がれてしまった。どこか嫌みなただの人に見える。

 でもここで止めないで欲しい。じくじく粘って貰いたいものだ。衆議院選挙は菅氏で戦う義務がある。そうして何とか、自民党を崩壊させて貰いたいものだ。菅氏なら出来る。政策で選挙はやるべきである。菅氏の不人気の原因はコロナ蔓延である。又その責任も菅氏にはある。

 頭をすげ替えろは、たぶん電通の選挙対策情報では、かなり緊急のものになっているはずだ。それで、二階幹事長の手下どもが、妙なニュースを発進して様子を見ているはずだ。今がその裏の画策がやたら進んでいる状況だろう。

 日本の選挙がまともに行われないことが、日本の民主主義をだめにしている原因である。河村氏は、愛知県知事のリコール運動に維新の会と組んで血道を上げた。理由は愛知トリエンナーレだったわけだが、これは単なる理由である。

 県知事とはそもそも犬猿の仲だったのだ。初めは共闘したのだが、主導権を奪われてしまい、自分のお気楽なやりたい放題キャラが、知事には通用しないことになり、自分が霞み始めたので袂を分かったのだ。理論を整えた言論では自分を発揮できないことが分かっている人なのだ。

 しかし、名古屋では不思議な人気がある。東京、関西に挟まれた、名古屋人の意地のようなものが反応しているのだろうか。名古屋としての存在を主張を河村氏はしている。話題になれば勝ちみたいなところがある気がする。

 全国的に見れば、極めて不人気であればあるほど、名古屋人としては河村氏を支持する気持ちが高まる。金メダルをかじったぐらいで、そこまで言われるのでは可哀想では無いか。ちょっとギャクを外したぐらいで。と感じ始めているはずだ。

 この根の深いところでの支持層をつかんでいるのが河村氏なのだろう。叩かれれば叩かれるほど、河村氏に幸いしてゆくものがある。愛知トリエンナーレ問題をきちっと考えれば、市長に再選されることはあり得ない。これを許して受け入れる異常に、名古屋市民は気付いていない。

 この問題は何度も書いたことだが、美術館という特別な空間に於いて、意図を表明した展示で、見たくない人は見ないですむ状況を作り、表現の自由を担保することは必要なことなのだ。美術館内に於いては、意見や感覚が違うからといって、表現を制限することはあっては成らないのだ。

 もちろんそれは法律の範囲内のことだ。表現が法を外れるものであってはならないと言うことは、美術といっても人間社会の法の範囲を超えてはならないと言う意味である。分りやすく書けば、美術館内で美術表現として殺人を行うと言うことは許されないわけだ。

 愛知トリエンナーレ展では、美術館における表現の自由が問われた。自由に表現してはならないと言うことが、河村名古屋市長の主張だった。このことが名古屋の市長選挙では問われた。そして、名古屋市民は愚かにも、美術館内でも表現の自由は無いと投票したのだ。

 名古屋市民は市長選挙後は恥ずかしくて美術を語ることは出来ないのではないかと思っている。こうした異常な選挙結果を、名古屋市民は異常だと感じ無ければならないはずだ。それは、従軍慰安婦問題や天皇不敬問題にすり替えては成らないことなのだ。

 そのご、それなら美術表現として、在日韓国人に対するヘイトスペーチを認めろという活動があった。これが美術表現として退けられたことは法律的違法行為であるからだ。従軍慰安婦像や天皇の写真の燃やす映像は法律の範囲だったのだ。そう判断が出ている。

 違法で無いとしても気に入らないものは表現をしては成らないとしてしまうことが、表現の自由を制限してしまうことになる。河村市長にはこのことが理解できなかったのだ。たぶん今でも理解できていないはずだ。庶民感覚的に許せないというような位置から政治をやっているのだ。

 河村氏にしろ、維新の会にしろ、どうやって人気を取るかに躍起となっている芸人なのだ。芸がおもしろいから許されるというのが名古屋である。そう考えるとさすがに菅氏は芸人としてはまったくつまらない。ガースーでーす。で外した姿の哀れさよ。是非とも衆議院選挙は戦って貰いたい。

 菅氏は芸人では無くて、総理大臣であるのだから、菅氏を頭として選挙をやるなら政策で戦うしか無い。コロナでデタラメになってしまった、財政再建をどうするのか、先進国とは言えなくなった日本をどうするのか。きちっとした政策を示すほか無い。

 民主主義の選挙を再建して貰いたい。政策選挙を行って欲しい。野党も同様である。選挙に勝つために野合していたのでは、たとえ選挙に勝利したとしてもまともな政権はならない。少なくとも憲法に対する姿勢だけは、統一して選挙に臨まなければならない。

 憲法研究者と言って良いほど憲法を研究していた衆議院議員だった山尾志桜里 氏が、残念ながら立候補を止めた。立憲民主党や国民民主党の憲法研究が不十分であるから、政治家を降りるほか無かったのだ。残念な日本の政治の表れである。

 山尾氏の主張の基本は充分憲法は議論すべきだ。そして、憲法裁判所を作る必要があるというものだ。議論すれば押し切られるという、姿勢の今の野党勢力の判断が山尾氏を受け入れられなかった。議論を避ける背景には、日本の議会がまともでは無いと言うことなのだろう。

 民主主義が成立していない日本の政治を、どこから変えて行けるかと言うことだろう。まず自分の回りから始めるほかに無い。面倒くさくとも、どんな活動でも民主的に進める。ここが変われば、と言っても難しいが、ともかく足下から変えるほかない。
 
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