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地場・旬・自給

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「日本一のニートを目指す」phaさん

2012-10-31 04:35:46 | 身辺雑記
米田智彦「新時代の生活実験者に会ってみた!」この表題には興味が湧いた。トランク1つで東京都内を遊動。昼は東京のどこかで仕事をし、夜は東京のどこかで眠る、フリーエディター米田智彦による生活実験型プロジェクト。いま日本では、従来と大きく違うライフスタイルや働き方が次々と生まれています。まるで自らの生活を材料に実験するかのように、新しい生き方を実践する若い人たちを、やはり定住所を持たずに1年間暮らした経験を持つ米田氏がインタビュー。「こうやって生きています!」というライフクリエイターたちの声をレポートします。「日本一のニートを目指す」phaさんは興味深い対談である。まああまり、為にならない所がいい。「だるい」「面倒くさい」「疲れる」世界である。しかしこの対談の話題が、江戸時代であったりして、どうも私の関心と、接してくる。暮らしを極めたという意味では、江戸時代はすごい。

確かにこの競争社会を降りてしまって、競争社会の産物である都会に依存して暮らそうとすれば、だるいことだろう。いわば都会の寄生虫。今の社会ならではのものである。もちろん相当複雑な生き方をしているようで、実態についてはこの対談では鮮明ではない。ネットの広告とか、ウエッブ上の何かで生計を立てているらしい。意味不明であるが、ノマドというらしい。ノマドは初耳だったので調べた。どうも明確なのかどかもわからないが、オフィース代わりに、カフェー等のネット環境で仕事をする人らしい。この点はほとんど興味が無い。ネットで生活すると言ってもそれは手段と場所である。実際はその先の何で収入を得ているのか。食事はどうしているのか。生活費はどのくらいなのか。家賃と言うものは払わないのか。そう言う肝心な知りたいことは分からない。

こんなニートは都会にしか居ないだろう。日本一を目指すという言葉遣いのセンスがおかしい。これは講談社の方で付けた名前なのだろうか。だるくてこんな言葉になっちゃたのだろうか。どうも、独特の共同住宅のようなものがあるらしい。米田氏は東京中の共同住宅を渡り歩いて、一年間暮らした人らしい。そこで知った生き方を、生活実験者と呼んでいる。実験と言うからには、その目的は何かあるのだろうか。京大出身とか語られる所が、どうも高学歴のドロップアウト人種と言うくくりのようだ。能力はあるのだけれど、現代日本の競争社会はどうも、だるくてついて行けないというか、ついて行きたくない。その能力を生かして、今までにない暮らしかたを生み出している人。ネット社会のかすみを食らおうと言う人たちのようだ。私が提案するのも新しい暮らしだが、全く地べたにしがみついた、地道な自給生活である。対極である。その意味でここでは書かれていない部分の実態には、とても興味が湧いた。

後ろ向きに暮らし抜く方法。似てはいるけど、米田氏とphaさんは当然違う。米田氏はエセっぽい所が良い。成りあがりたい気分がムンムンしている。phaさんはちょっと本格的、アウトサイダーの匂いがする。しかし、これも見せかけであるとしている所が今どきの感じ。今どきの野心が溢れ出ているのかもしれない。それがだるい世界の実態だろう。野心がだるくさせている。野心を放棄することが出来れば、だるさは無くなるはずである。ここでのだるさは若さのだるさである。人生を持て余しただるさ。退屈から来るだるさ、無限に時間があるだるさ。確かにそう言う所に何かが生まれる。文化人。詩人。アーチスト。そう言う人は無限に時間が無ければならない。現代の山頭火なのかなと思ったのだが。そう言うようでも無い。

昨日の自給作業:タマネギの植え付け準備1時間 累計時間:56時間
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2012年の小麦の会

2012-10-30 04:26:31 | 自給
小麦の会は3年前意気揚々とスタートしたのだが、原発事故、イノシシの襲来による全滅など、困難を繰り返して来た。ことし、11家族で再スタートとなった。21日、28日と2回の作業があった。1回目は鶏糞を50袋鶏小屋から取り出し、畑に蒔いた。私は殆ど仕事が出来なかった。2回目も途中参加であった。籾すりと脱穀があり、お茶の刈り込み。この時期、色々の作業が重なる時期である。1回目のトラックタ―で耕す仕事は引き受けた。いずれにしても、美味しい小麦を充分に食べられるのは、小麦の会の御蔭である。自分ひとりで小麦を作っていた時には、小麦と稲作が重なってしまい、とてもこなす事が出来なかった。そして結局はスズメにやられたり、雨にやられたりで、無駄にしていた。何故か小麦は事故が多い。昔の農家の方の、能力のすごさを痛感したものである。グループとして行えば、幾らか楽かと思う。種まきは11月18日に決まった。

今年小麦の会は、まだ形が出来たと言う訳ではないが、3人の運営委員会形式で進められている。Aさんが計画を建て、呼びかけを行っている。Kさんが代表と言う形であるが、畑の隣に住んでいる。地主さんとも一番親しい。動物の襲来や電気柵の管理など、一番目が届くので管理者的役割を担ってくれる。Iさんが会計をしてくれる。参加する人は現在11家族である。会費は3000円で小麦粉が10キロの配布が基本と成っている。それ以上採れることを願っている。20家族まで受け付ける。面積は768㎡。21日に鶏糞たい肥を50体750キロ散布した。22日にトラックタ―で耕す。丁度その夜雨が降った。土は3年前のみかん畑だった時とは大違いで、随分良くなった。草を生やしては、鋤き込んでいることが良くなっている原因だと思う。腐植質が増えると言う事が、良い土を作る原則だと思う。トラックタ―でもう一度耕す予定。

小麦はどうしても窒素分を必要とする。有機農業の場合窒素をどのような形で入れて行くかが、栽培の構想に成るだろう。堆肥をある程度の量入れる事が出来れば良いのだろう。堆肥で、窒素量を十分に入れることは労力的に難しい。また、穂肥としてどの段階で、追肥をするかも課題。又酸性土壌をどのように調整するか。クン炭を大量に作り、投入するというようなことに成るか。来年は緑肥を夏の間作ると言うのはどうだろうか。大豆を作ればという話も出ていたが、山の傾斜地の畑で乾燥をする。この点が上手く行くのかどうか。いずれ麦の無い夏の間どのように畑を利用するかは、課題に成るだろう。「ニシノカオリ」と言う品種を蒔くそうだ。もう種は12キロ準備が出来たという。実際の必要ようは、8キロ位に成る。昨年不足したので、多めに準備。余れば私の畑の方に蒔いて置いても良い。

イノシシ対策の電気柵の設置を進めている。獣害をある程度防げるだろう。電気柵もただ張ればいいという事ではない。細かい神経を使う管理をしなければ、結局侵入されてしまう。養鶏場では25年いの野生動物と戦ってきた。簡単に行くものではないが、ある程度防げることが分かれば、他の人にも参考に成る。このままでは、みんな農業を止めてしまうだろう。何かを作りたい人もいるのではないだろうか。電気柵も安く作らなければならない。その辺にあるものを集めてきて何とかする。支柱の単管は何とか集めて、打ちこんだ。碍子も再利用。ステンレス線も外した。3段にした方がいいようだ。種を蒔き終えてから、線を張ることになった。昨年は出てきた芽を何かが食べた。これも防げれば有難い。

昨日の自給作業:にんにくの植え付け等1時間 累計時間:55時間
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石原慎太郎の決断

2012-10-29 04:10:34 | Peace Cafe
石原慎太郎氏の決断を、老害とは言えない。80歳に成っての決断である。これはこれで、素晴らしいものがある。衰えずという所は評価できる。それだけエネルギーがすごいのだろう。まだ子供の頃、石原慎太郎氏が選挙に出る前だと思うおが、演説を聞いたことがある。賀屋興宣氏の応援演説に来た。都知事辞任会見を聞いていて、あの青年石原慎太郎を思い出した。国を具体的に変えたいという意識が高い。これは、石原慎太郎の小説を読んでも、現実の変える意思を感じる。行動したいという高いエネルギーがある。最近の政治家にはこれが無い。唯一あるかに見えていた鳩山さんは、現実感覚に乏しかった。東京都を変えようとした石原氏は、わたしが好まない方向に東京を変えていった。しかし、それまでの東京が無策であったことよりは、ともかく変えようとしたことだけは見える政治だった。一般に政治家が職業のようになり、仕事をしない官僚のような感じだ。

東京都では国に邪魔されて何も出来ない。知事でも市長でも国政に出るときに発言することである。大阪、名古屋、東京、地方からという流れはある。おかしいのは国であり、法律であり、特に官僚である。確かにそう言えないことも無いが、都知事で出来なかったことと同じで、国には国の限界がある。地方から政治を変えると言う事もある。どうせ、政治が出来ることには限界はある。火を付けた尖閣の領土問題も、中国が悪いからと言っていればなないも解決は出来ない。やるべきことをやらないという所に問題がある。もし尖閣を解決したいなら、10年前がタイミングだ。中国政府が日本に助けてもらいたいと、本気で考えていた時だ。もう日本はいらないと考え始めた時に、火をつけるのでは、政治家としての展望で失格である。オリンピックの招致もそうだ。世界の中での日本を考えた時、東京誘致に固執することは、視野が狭い。東京と言う事でいえば、都市機能の分散である。大災害の前に、日本の中枢機能をどう分散して置くかである。それを阻止していたのが、石原都知事である。

具体的な政策や、やっている事を考えれば、腹の立つことばかりである。後継として都知事選に猪瀬副知事が出るかもしれない。しかし、猪瀬氏は都知事に成ってつまらなくなった。それまでの地方改革を主張していた頃は、鋭い発言をしていた。石原氏に飲み込まれた感じがする。石原氏はそういうカリスマ性がある。橋下氏もそれには注意が必要だ。石原氏の国政再出馬に対して、第3極と言われる政党が、政策、政策、と言い淀んでいる。石原氏は、そんなものはどうにでもなるということらしい。どうせ自分のいいなりに成る位に思っている。石原氏に首輪は付けられない。維新党が一番政策が明確である。明確であるが、内容は矛盾だらけであるが、具体的な政策で主張しようとしている。地方と言うものを政治の原点にするべき、と言うことは貫いてもらいたいところだ。国政に出るにしても、地方行政を邪魔しないという事を、是非とも忘れないでもらいたい。

三島由紀夫氏を思い出す。政治的な文学者であった。同じく国粋的な思想家であったが、三島氏は耽美的な資質が自殺に進み、石原氏は政治家を実践した。石原氏が会見で吠えた一つに、「行政の会計法が複式簿記に成っていない。」と言うのがあった。私にも複式簿記の重要性は少し分かる。友人のMさんが、会社の経理をしてきた人で、常日頃複式簿記の独立した哲学を力説している。家計簿的に会計をしていたのでは、問題点が埋もれて見えない。地方自治体のごみ会計がそうだ。生ごみを減らした場合、財政にどのように影響するのかが見えない会計法である。イメージとしては、ごみが減れば経費は減少する。又させなければならない。ところが、これが全く見えないのは、家計と同じレベルが行政の会計である。だから、ドンブリ勘定に成っている。

昨日の自給作業:麦畑の電気柵2時間、お茶の刈り込み準備1時間 累計時間:54時間
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舟原田んぼ終わる。

2012-10-28 04:09:33 | 稲作
舟原んぼは24日の籾すりで終わった。家の田んぼも25日に終わった。3つの田んぼが終わって、祭りの後状態。もう田んぼにお米が無いのに、つい明るくなると田んぼの水回りに出そうになる。舟原田んぼの収量は1116キロ、反収7,44俵となった。ただし水路にも作ったので、これがべつに7キロはありそうなので1123キロ反収7俵半と考えればいいかもしれない。舟原田んぼではセシュウム対策と言う事を最優先して、水を例年になく辛めの栽培をして、トロトロ層を作らない栽培。当然、ソバカスの散布もなし。生き物の発生もぐっと減少した。稲藁堆肥を少し入れた位で、ほぼ無肥料栽培のようなものだから、これだけの収量はよく出来た方だ。収量:2007年1152キロ  2008年1048キロ  2009年1125キロ 20010年1300キロ 2011年1168キロ 2012年1116キロ

2012年 舟原田んぼの作業
3月20日(火)  籾洗い。
4月8日(日)   土ふるいと苗床の整備
4月15日(日) ○種まきセルトレー 
6月3日(日)  ○あら起こし 周辺部をしっかりと掘る。畦直し (畦の草刈り)
6月9日(土)   代かき 畦塗り 苗移動と配置
6月10日(日) ○線引 田植え 
6月24日(日)  継続的にころがし(出れない人は他の日)(畦の草刈り)
7月22日(日) ○手取りの草取り全員 中干し (畦の草刈り)
10月14日(日)○稲刈り ハザがけ
10月21日(日)○脱穀(乾燥の具合を見て) 竹と藁の片付け
10月24日    籾すりと配布

今年は木村さんが全体管理をしてくれた。私の知っていることはできる限り伝えるようにした。一番大変だったのは6月の水害、1,5キロほど上の入水口付近が砂利で埋め尽くされたこと。この水路を復活する作業は極めて困難だった。結局4,5回は作業を繰り返して、完全に復旧した。水路を利用している、3軒が協力して何とか切り抜けた。そして、実ってからのイノシシの襲来。このしつこい攻撃には、防戦一方だった。それでもかろうじてしのいだという感じである。被害はハザ掛けしてからの10束ほど。今後、続くだろうイノシシとの戦いには、本気で当たらないと敗北することになりそうだ。今年はそこで採れた稲藁は、そこに戻すという事で、藁堆肥を積んだ。米ぬかでなく、ソバカスを加えた。今年は下の田んぼだけが藁堆肥田んぼだから、味の比較をしてみたい。

稲は分げつが少なかった。13平均と言うところか。初期とても静かな田んぼだった。無肥料の特徴かもしれない。しかし猛暑に成り、そこから稲は勢力を増した。これならと言う状態だったが、後半の伸びがもう一つだった。コナギは結構出た。ソバカスを使わずトロトロ層の形成が薄かったからだろう。ともかく水を減らした栽培なので、ヒエの発生が心配されたが、何故か出ないでくれた。苗作りは木村さんが本気でやってくれて、素晴らしい苗にになった。苗床を狭くしたという事が、良い結果になったと思う。苗が良かったことが最終的な成果につながった。水温が気味悪いように初期から高かった。20℃近い。そのせいだと思うのだが、水路のお米まで実った。不思議と言えば、全くスズメが来なかったことだ。これは欠ノ上もそうなのだが、どういうことなのだろう。どちらも有難いことだが、気味が悪い。

お米の色つやは、素晴らしいものがある。味は格別良かった。今までも舟原のお米は美味しかったのだが、今年はさらに美味しい。実においしい。味での判断は全く個別のことで、人によって異なる。私としてはこんなにおいしいお米は初めてである。と言っても特別のと言う意味では無く、普通に平凡に食べるのに十分であるという意味。飽きのこない味。家の脇に作った田んぼのお米も、食べてみたいのだが、20キロくらいしかなかった。イノシシに相当踏み荒らされた。これは病気が出なかったので種籾に大切に保存する。来年舟原田んぼに参加できるかどうかは、まだ決められない。私が借りている田んぼであるし、同じ集落に暮しているわけだ。

昨日の自給作業:クン炭づくり、畑の耕運、田んぼの片づけ3時間 累計時間:51時間
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プロ野球・ドラフト会議

2012-10-27 04:48:39 | 身辺雑記
岩手・花巻東高の大谷翔平投手。193センチの長身から投げ込む最速160キロの快速球が持ち味の本格派右腕。高校生で160キロを投げた選手は初めてである。ドラフト会議直前にして、大リーグ入団を表明した。その志が素晴らしい。青年よ荒野を目指せ。内向き志向をぶっ飛ばせ。しかし、ドラフト会議で日本ハムが一位指名していた。直前のため、変更が効かなかったという事もあるだろう。日本ハムが北海道の球団で、岩手出身のピッチャーに関心があるのは、当然のことである。指名があったドラフト会議後のインタビューでは、日本ハムと事前の接触があったことを思わせる部分もあった。アメリカに行くことを明確に表明している。日本では交渉権を獲得したチームが、契約金の上限1億5千万円がある。しかし、巨人軍で6名の選手に上限を越えた何10億円を支払をしていたという事が、朝日新聞では掲載された。

抜け道が色々あり、交渉の背景は複雑化している。例えば、1年目に成績が悪くても2年目以降10億円払うという約束をしても、ルール違反ではないらしい。5年契約をして、二年目以降1試合も出場しないで、莫大な給与をもらった選手もいるらしい。ドラフト会議と言うものが、新人選手の獲得にあまりお金がかからないようにと言う、抑制効果を期待したものであった。抑制効果が実は裏交渉の巧みさの争いとなるようだ。今度は大リーグの入団交渉と言う、新しい方向が出てきた。大リーグでは100億円を越える契約金を獲得した選手もいるらしい。つまり、新人選手にしてみたら、自分をどのように売り込むのが一番よいのか、複雑に考えるのも当然のことである。表面に出てこない、様々な交渉が背景にあるだろうと言う事が想像される。お父さんが日本に残って欲しいというのも、泣けるような話も、つい勘ぐってしまう。

スポーツ選手と言うものが、さわやかで純粋なものである。そう言う選手を眺めたいと言うのは、見る側の勝手な思い込みである。社会をそのまま反映して、クーベルタンのいうアマチア主義とはかけ離れたものに成っている。選手とは別に専門家が交渉に当たるべきだという意見もある。アメリカはすべての交渉を代理人が行う。日本では選手の交渉は代理人は禁止されているが、新人の場合はそうでもないようだ。まだ選手ではない上に、未成年が直接交渉することの方が不自然である。弁護士が交渉を担当し、紛糾したことがあったと思う。ドラフト制度でも、代理人交渉でも、球団側の都合のよい仕組みである。それなら、アメリカに行くという選手が登場するのも不思議ではない。大リーグのスカウトは地方大会まで見に来ている。そして当然、条件の提示もしているだろう。日本の交渉期間が終わった後、アメリカのチームと交渉することに成る。

ドラフト会議と言うものが、いかにも日本的な不思議な制度に変貌した。建前としては、ドラフト会議で交渉権を限定し、契約金の上限内で選手と交渉する。それではアメリカの条件と比べて納得がいかない場合、どうするかである。チームの力量を平均化しようというと言う意味は日米共通である。しかし、話が大リーグとの比較になるから、契約金以外の交渉が主になっている。表面は実にさわやかないスポーツ選手と言う建前、そして背景では泥沼の交渉が起こりかねない。ドラフト会議を見ていると、経団連を彷彿とさせられる。空気が似ているのだ。建前では日本の為、しかし、実は実は自分が勝者に成るため。そう言う事を日本人の多くが感じているにもかかわらず、建前の方で行こうと言うのがドラフト会議に成っている。スポーツ選手にだけきれいごとを期待するという訳ではない。もちろん大谷選手がどうこう言うことは全くない。
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遠隔操作冤罪事件

2012-10-26 04:24:18 | Peace Cafe
パソコンの遠隔操作を利用して、警察の無能をあざ笑おうと言う犯罪者が現れた。犯行声明には13件の詳細が述べられており、4件が誤認逮捕に成っていたと言うことが明らかになってきた。と言うことは9件は見逃していたので、誤認逮捕をしないで済んだ。という事に成るのか。ネットの世界に警察力がいかに及んでいないかを示す結果に成っている。犯人が意図したとおりに警察が踊らされてしまった。専門家の意見では、それも仕方が無いという空気である。ネット利用者が注意するしかないという事のようだ。犯罪者に警察力が負けるというような、怪しげな仕組みが社会に存在する。どうもネットと言うものの成り立ちから言って、完全にこうした犯罪を防ぐことは出来ないとするなら、ネット利用者にそれなりの、用心を社会的にアピールすべきである。そうしないと、おれおれ詐欺の新しいパターンが登場する。

ネットバンキングなど、不正がいつ行われても不思議はない状態ではなかろうか。防御する方法が確立しないまま、便利そうなシステムだけが広がって行くことは、不安この上ない。私がカードが嫌いなのは、その口座にいくらもお金を入れて置かないでも、勝手に買い物をされたり、借金をされることがありそうな気がするからである。アメリカでは60億円が不正操作で送金されたという事件があり、結局は犯人は分からないという事が出ていた。以下のような日本での手口がでていた。
1:無関係の東京都内の会社員のパソコンを乗っ取り(ウイルス感染でID・パスワードが流出)
2:通販サイト運営会社社長のネットバンキングの契約者番号・暗証番号を盗み取る(ウイルス感染による)
3:1で乗っ取ったパソコンを使って、2のネットバンキングにアクセス
4:犯人グループが勝手に100万円を、別の口座に送金
5:その口座から「出し子」である薛容疑者が現金10万円を引き出す

神奈川県警の遠隔操作冤罪事件では、警察や検察の取り調べの、限界が出ている。証拠主義より、自白主義である。この被害者の大学生が、小学校襲撃予告の書き込みを自白させられている。人間はそうしたものである。やってもいないことをつい自白するものだ。どういう取り調べで、自白に到ったのか。徹底的に調査しなければならない。どうも保護観察処分を受けて、明治大学を中退していたということらしい。人生を狂わせてしまった怖ろしい警察の犯罪である。警察が犯罪を犯せば、無知だったからという事ではすまない。こういう時に必要なことは、取り調べの可視化である。いつ冤罪事件に巻き込まれるか分からないのである。捕まった場合、捜査を可視化しない限り、黙秘すると宣言する。どういう取り調べを行うと、やってもいないことを自白するのかを科学的に検証すべきだ。徹底した証拠主義にするほかない。自白を裁判に置いて判断の材料として、重きを置かないことである。

冤罪事件は国家権力における犯罪であると、位置づけるべきだ。金銭による賠償と言うよりも、捜査責任者への刑事処罰である。今回の事件でも、謝罪して済ますのではなく、神奈川県警及び検察は、責任を取らなければならない。責任者は辞職すべきだ。そうした処分が待っていれば、安易な取り調べは行われない。そうなれば、取り調べの可視化は、むしろ検察や警察が積極的に行う事に成る。自分の裁判の証拠に成るからである。冤罪事件を恐れて、検挙率が下がるとしても、仕方が無いことである。たとえ、千の検挙が増えるにしても、1つの冤罪はあってもならないことである。遠隔操作した犯人は、罠を仕掛けたのである。あざ笑うだけではなく、警察の捜査のいい加減さを、白日の下にさらそうとしたのだ。今回の事を反省の材料にして、警察は変わらなければならない。

昨日の自給作業:脱穀1時間 累計時間:48時間
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良い農産物は高く

2012-10-25 03:47:09 | 身辺雑記
良い農産物の価格が高く評価されることは、どんな社会でも当たり前のことだ。医療の保険制度の点数制が、良い医師を育てることを阻害していると言われる。腕の良い、見たての良い医師にはそれに相応しい、報酬が必要と言う論がある。勉強しない医師ても、一度医師になれば、医療報酬は変わらないという制度に問題があると言う事。初めて手術をする医師と、名医の手術が同じ価格と言うのは、手術してもらう側の命がけから言えば、確かにおかしなものだ。しかし、価格で命の安全度が変わると言うのも奇妙なものだから、微妙なものではある。農産物の場合、良いものがそれに相応しく評価されると言う事が無ければ、農家の生産方向が質より量に成るのは、当然のことである。例えば、お米の天日干しの方が美味しいのは当たり前のことだ。それが価格に転嫁できるなら、やる人もいるだろう。しかし、農協に出すのであればそんな手間をかける人はめったにいないだろう。

日本の農産物は、安全で質も良く美味しいという事に世間相場では成っている。しかし、そんなことは過去の幻想である。日本人が味の判別が出来なくなったために、ごまかしが効いているだけである。インチキグルメさまさまである。そう言うことは、自給をしてみれば嘘であることに、気付いて行く。化学調味料と添加物で育った味覚感覚では、本当の味を見分ける事は難しい。例えば豆腐の味の違いというものは、微妙なもので、何がおいしい豆腐か分からない、と言う人がいる。大豆の美味しさが豆腐には反映するのだが、美味しい大豆と言うものが、畑ごとに違う位だから、よほどの幸運でもなければ、美味しい豆腐にぶつかることはない。存在しない期間があまりに長いので、豆腐の本当の美味しさは忘れらている。そうなると、今度は本物を食べて、まずいという事まで起こる。うなぎがそうで、天然モノより、養殖の方が柔らかくておいしいと言う人の方が多い。ついでに言えば、安全の方も嘘である。草一本ない農地を除草剤で実現し、化学肥料をおごるのが日本の普通の農業である。

味と言うものの判別が出来ない消費者が多数派を占めるようになれば、天日干しのお米と機械乾燥のお米の価格差はよほどのことでなければ、成立しない。同様に、美味しいお米を作るための様々な工夫も、○○水を使ったとか、○○微生物を投入したとか、まやかしのようなものの方が、付加価値が付いたりする。食の自給などと言ってみても、外食で無いという位にしか受け取られない社会である。こうした環境の中で、本物を生産できるのは、むしろ素人である。自分の為に本当のものを作る。採算抜きで生産されたものだけが、本当のものの可能性がある。そうしてみると、決してコシヒカリが美味しい訳でもないことが分かる。特徴のあるお米は多様なのだ。有機農業で作れば美味しいというお米はアキニシキだった。イセヒカリの硬質性も食べ方である。栽培によって適合する品種がある。長年自家採種することで美味しく成る場合もある。

お米の味だけではない。「地場・旬・自給」は美味しいものを食べるための原則である。美味しいだけでなく、安全であり、医薬同源と言う事に成る。もしこういう事を消費者が理解してくれたら、生産者も良い農産物を作って、生計を立てることが出来る。品質の良い食品と言うものに目を開いてもらいたい。今や、カリフォルニア米でも結構おいしい。と言うことらしい。それは味が分からないから、差が無くなったに過ぎないと、新米を食べながら思う。日本は今もって大量生産農業を推進しているが、それでは良いものは出来ない。こうして海外からの農産物に負けることに成る。良いものが高く評価される環境が出来なければ、海外の安い労働力と、広大な農地を背景にした農産物に負ける。消費者が生産者を育てるし、ダメにもする。全体を変えると言うことは出来ないが、せめて、良い卵を作り、本当の卵の味を伝えたい。

昨日の自給作業:クン炭づくり1時間、稲刈り2時間、籾すり5時間 累計時間:47時間
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自然エネルギーへの転換

2012-10-24 04:22:18 | Peace Cafe
脱原発が日本の新しい可能性に成るのではないか。新エネルギーは世界全体の可能性に成るはずだ。何故日本の企業人は、遮二無二に挑戦しようとしないのかが理解できない。原発がリスクの高い、廃棄物処理に不安のある発電方法である事だけは確かだ。少なくとも日本の世論と、ドイツはそう判断している。原発の数は今後も増えるだろう。次にどこかで原発事故が起こるはずである。テロの可能性も高まる。その時の被害は福島の事故を繰り返す事に成る。その程度ではまだ人間は気が付かず、止めないだろう。経済を考えれば、リスクは承知の上で突き進むと言う信じがたい保守化。事故を繰り返しながら、最後のどどのつまりまで行って、原発ではだめだと言う事に成ると想像している。反対運動でも何でもして、今すぐに全廃させたい。しかし、無理だとうと思ってしまう。

何故、企業人は新たなエネルギー開拓に意欲が無いのだろうか。新エネルギーに転換できた国は、次の世界をリードすることに成る。技術的にも、暮らしかたに置いても、GNPではない、新しい世界基準のリーダーに成るだろう。日本の経済界の衰退は、守りに回っている。現状維持の気持ちにあるようだ。何も無い時代は、ともかく仕事に成ることなら何でも挑戦したのだろう。松下幸之助氏や本田宗一郎氏のような姿である。所が一定の成功をおさめてしまった日本。安定志向に成り、多くの企業人が守りの気持ちに成っている。こういう心境に成ってしまった時には、新たな挑戦である、新興国の企業には負ける。何も持たないものが挑戦する気持ちになれば、今事業化されていない分野に果敢に攻め込むだろう。日本が徐々に経済で遅れをとっているのは、野心的精神を失っているためだ。一か八か、多くの人が挑戦し、わずかの成功したものが育ってゆく。戦後の復興期であれば、多くの事業者が新エネルギーに挑戦したはずだ。

日本人らしい細やかな知恵で、新事業を開拓し、世界の歯車を回さなければならない。意欲を失った一つの原因は格差社会である。60年代は格差の消えてゆくものとした社会だった。やりたい事をやっていれば、何とかなると思えた時代。そして頑張ればそれに相応しいものを得た。もちろん今の時代より貧しい社会である。大学に行くにしても、経済的に大変であったが。その気になれば、働いて進学できた。みんなそうだったから、それが当たり前のことだった。現代社会は表面的には豊かな社会である。その為に新しいことに挑戦する意欲が失われた。一度へばりついた原子力エネルギーと言うものを見捨てることが出来ない。それはどの分野の産業も同じなのだろう。いまだかつてないものを作り出そうと言う人間が少ない。意欲的な社会であれば、新エネルギーは大きなチャンスだからもっと、挑戦者が多くいるはずだ。

日本には江戸時代という、循環型社会の手本がある。豊かさの意味を再考する。江戸時代の精神を元に、新しい豊かさを探求する。私の考える新エネルギーは節約である。どこまでエネルギーを使わない暮らしが出来るかである。20年後に電気量が倍に成るなら、電気が半分で今より豊かな暮らしが出来ることを提案したい。自給農農業の生産方法も、省エネで無ければならない。できる限りその場にあるものを利用することだ。農業用水路発電をJAでは主張している。こうしたことも是非取り組んでみたい。畑の斜面に設置する太陽光発電はどうだろうか。屋根だけでない設置場所を考えてみるのもいいと思っている。いずれにしても法的な問題の処理など、小田原電力の事業として取り組んでももらえないだろうか。
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2012年欠ノ上田んぼのまとめ

2012-10-23 04:08:05 | 稲作
欠ノ上田んぼの2012年は21日の籾すりで終わった。まず収量から全体で1218キロ面積が2反5畝だから、反収8,1俵と言う事に成った。まずまずのことである。1番田んぼ91,9キロ 2番田んぼ194,4キロ 3番田んぼ160キロ 4番田んぼ146,4キロ 5番田んぼ21,4キロ 6番0キロ 7番田んぼ76,4キロイセヒカリ 8番田んぼ168,7キロ 9番田んぼ178,8キロ 10番田んぼ172,9キロ,機械から出てきたお米2キロ。合計が1218キロ。1200キロ反収8俵が目標だったので、これは達成した。

2012年 欠ノ上田んぼの作業計画
1月29日(日)  畦の補修 トラックタ―耕運 ソバカスまき、竹片づけ
2月11日(土)  引き続き残った作業
3月20日(火)  籾洗い興味のある人、少人数で良い。その後の籾管理は笹村
4月15日(日)  ○種まきセルトレー 苗代省力化のため舟原(か欠ノ上)に統一
5月27日(日)  ○あら起こし 周辺部をしっかりと掘る。畦直し (畦の草刈り)
6月2日(土)    代かき 畦塗り 苗移動と配置
6月3日(日)   ○線引 田植え  蕎麦カス散布 ★20人の参加が必要。
6月17日(日)  継続的に蕎麦カス散布 ころがし(出れない人は他の日)(畦の草刈り)
7月16日(月)  ○手取りの草取り全員 中干し (畦の草刈り)
   (畦の草刈り、随時)
10月8日(月)  ○稲刈り(予定でこの日にするが、気候で変わる事あり)ハザがけ
10月14日(日)あるいは21日(日) ○脱穀(乾燥の具合を見て) 竹と藁の片付け
10月28日(日)  籾すりと配布

欠ノ上田んぼの管理責任者として初めて一年間参加した。まだ田んぼを再造成する前と、1年目はある程度参加した。その翌年は、欠ノ上田んぼから離れた。そして原発事故がありグループが上手く機能していないように見えた。3年目の継続が危ぶまれた。しかし、始めたいきさつもあって、止めるわけにはいかない田んぼであった。是非参加してもらいたいと言う事で、残ったメンバーの2人の方から頼まれ、参加を決断した。その時の条件は私が思う通りに運営させてもらう事を条件に1年間行うが、それでも良いか。ということだった。田んぼグループには田んぼグループごとの考え方がある。作業が順調に進んでいないことが、見て分かっていた。これを仕切り直すには、すべてにわたって強引に進めなければ進まないと考えた。そこで、一年前に、計画を立ててこれで行くので、予定日には基本的には参加する事を、参加条件にした。そして10家族が参加した。もちろん不愉快なことも多々あったと思うが、今年は仕方が無かったと思っている。

28日の籾すりが21日になったのは、イノシシに入られたことと、乾燥が順調に進み早く籾すりが出来たからである。稲刈りは、8日の予定が、6,7,8日の三日間になった。7日に雨に降られたからである。ソバカスの散布は止めた。それは放射能対策の一つである。草取りについては、田んぼごとに責任者を決めて、コロガシ等は全員ではやらなかった。グループ田んぼでは、稲の生育を見てという事だけでなく、一年の予定を先に立てるということは、グループの場合必要なことに成るようだ。正直、明日は雨が降るから、今日やらなければ一週延びると言う事もあり、日程の変更には迷う事も多かった。稲刈りは来年は2台のバインダーでやりたい。6月に2番の田んぼが水害と崖崩れで河岸が崩壊し、狭めて作り直したことは大変なことだった。これは冬の間に直してくれることに成っている。

その他気付いた事を書いておく。1番の田んぼが日陰であること。入水口の田んぼであることもあり、1週から2週は刈り取りが遅れる。今年は作業上一辺に刈り取ったが、ここだけを早生のもち米にするという考えはどうだろうか。また、6番に当たる今年耕作しなかった調整池のクワイ田んぼは来年は代かきはする必要がある。クワイを出来れば全面に植える必要がある。クワイは一番の上の貯水池に移し、田んぼに変えた方が良いかもしれない。「1番上の池」は、水の流れをもう少し工夫して奥の土の山を何とかどける。水路を西側に上手く回るようにする。ここにもクワイを植えるのもいい。水の保温の必要は欠ノ上ではない。ソバカスの散布をしなかったために、田んぼによっては肥切れの感じがした。粒張りが悪い。来年はコナギの繁茂が予測されるので、除草の担当をしっかりと決め必ず行うようにする。何よりも民主的運営に心がける。

以下再録であるが忘れないためにここにあげておく。
「1番の田んぼ」は水ため側にもう少し広げる。北側の通路の所に石があり、水漏れの原因になっている。川側の土手が無駄になっている。大きな石があるようなので、代かきで注意。
「2番の田んぼ」は田んぼの土にとてもこぶしくらいの石が多い。がけ崩れの改修を進める。粘土層が浅い所がある。川側の土手は無駄になっている。日陰があるので木の枝はもう一息切る。川の改修の際に可能なら崖の高さを高くしてもらう。
「3番の田んぼ」は排水口の位置を一番北側に移す。田んぼの高低差が大きい。北中央部が高い。現排水口付近に土を移動。水持ちは良い。
「4番の田んぼ」は北の道路際に高い所ああるので、土を東側の通路部分に移動する。この田んぼは代かきを良くしたため、水持ちが良かった。良く平らになっている。
「5番の三角田んぼ」は水不足になる。代かき不足、粘土分も少ない。排水場所が壊れている。
「6番の溜池」クワイには良さそうだ。冬季湛水を続けて、水漏れと畔の改修。冬の間に一度代かきをした方がいい。全面クワイにするのも良いが、代かきをして田んぼに戻すのもあり。水が生活排水で汚染されているという話もあったが、使ってみて目立つ程ではない。この水路に排水をしている家は、どうも1軒である。
「7番の田んぼ」蟹穴があきやすい田んぼ。3角から水が落ちる南西側に高い場所があるので改修。北側の畔は全体の強化。水持ちは良い。一番色が濃い田んぼ「イセヒカリ」の為か。
「8番の田んぼ」水持ちの良い田んぼ。北側の水路畔が蟹穴があきやすい。何故か草がでやすい田んぼ。
「9番の田んぼ」水回りでは最後の田んぼ。東側の通路畔が大きい穴があきやすい。水が増えると繰り返し水漏れが起こる。最後の田んぼなので、多少の水漏れは問題が少ない。水路から直接水を入れないと、水が足りない。緊急に作ったが調子は良い。改修の必要あり。南西側が高いので土の移動が必要。出穂が一番早い田んぼ。
「10番の田んぼ」水が淀みやすいが田んぼであるが、水回りの形状から止むえないか。9番に繋がる排水口の位置は東に変更が必要だが難しい。一番早く出穂した。周りの稲は良いのだが、中の方に行くと分げつ少ない。

来年度の作業計画
1月 ハザ掛けの竹伐り。終わって新年会などどうだろう。
2月 水路の見直し。改修
3月 籾洗い。その後の籾管理は誰か出来ればお願いする。
4月 種まきセルトレー 苗代は出来れば4番の田んぼにする。
5月 あら起こし 周辺部をしっかりと掘る。畦直し 草刈りは担当を決める。
6月 代かき 畦塗り 苗移動と配置
6月 線引 田植え  蕎麦カス散布 ★20人の参加が必要。
6月 継続的に蕎麦カス散布 ころがし縦横2回は最低行う。
7月 手取りの草取り全員 中干し 4年目に入り雑草対策は不可欠。
10月 稲刈り ハザがけ
10月 脱穀 竹と藁の片付け 藁堆肥積み
10月 籾すりと配布

昨日の自給作業:麦畑の耕運3時間 累計時間:39時間

   
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自給技術の伝承

2012-10-22 04:50:46 | 自給
自給の技術をどうやって伝えるかである。以前、自然養鶏の本をまとめさせてもらった。自然養鶏の技術を書いておく必要を強く感じたからだ。鶏が草を食べるとどうなるか。こういうこと一つでも、きちっと書かれたものが無い。それはやってみたものが書いておくしかない。近代養鶏では草を食べさせない方がいいという事で終わっているからである。技術が大量生産法に変わって行く。そして、江戸時代確立された自給型の循環技術が、遅れた古臭いものとして消えてゆくことを痛感した。戦前鶏にどんな餌をやっていたのか。これが分からない。そう考えてみると、稲作技術も実は同じ運命であることに気付いた。稲作は研究者がたくさんいるし、国には研究所もある。しかし、江戸時代の技術は、有機農業で部分的には残っているが、ほぼ消え去ろうとしている。各地域の苗床の作り方など、ビニールの無い時代どうやったかどれだけ残っているだろう。

今ハザ掛けをしている。この方法も様々で、内山では田んぼに並べていたそうだ。お米の乾燥法など、どうでもいいと言えばいえる。しかし、ハザ掛けをとおして見つけてきた技術は、ないがしろには出来ない。稲刈りはどのタイミングで行えばいいか。どうすれば風に強いか。イノシシの届かない高さはどのくらいか。竿竹はどういうものをいつきればいいか。自給の技術の深い所に繋がって行く。つまり、どのことも自然に対応して、作物の様子で、その年ごとに判断が違う。日々、状況変化で判断を変えて行く。稲の様子によってはハザ掛けをしない方が良い場合すらある。脱穀してから干したこともあるし、干さずにそのまま脱穀したこともある。自給技術には基本はあることはあるが、常に応用と言う感じだろう。応用と言うことは、その時の状況を感じる力を養わなければならないという事になる。

それには、本に書いただけでは到底無理がある。多分2,3年一緒に暮らしてやってもらうしかない。多くの有機農場ではそういう研修制度がある。しかし、それはそれで視野が狭く成る問題点がある。私の考えは、無数ある中の一つと言うこと。雲水修行をしなければならない。師を求めて渡り歩く必要がある。一人の師ではだめだ。洗脳されて終わる。自分の中にものの見方を育てるのであって、師匠のものの見方を覚えると言うのは駄目だ。自分が失敗を重ねながら、自然に圧倒されながら、自然に織り込まれる手法を見つけると言う事だ。自然への対し方を、自然の感じ方を、自分なりに育てなければならない。それは実際に自然に対してみて、失敗を繰り返しながら、対応力を広げて行くと言うことだろう。技術を学ぶのではなく、その技術を作り出した考え方の方を学ぶという事に成る。ここに書いてあることは、笹村と言う人間の自給技術である。他の方には直接参考にはならない。しかし、こうやって成立させている人間もいる。この事は参考に成ると思う。

その為には、ブログと言うものはとてもいいと思う。自給をやってみようと思い立ちながらも、どうもうまく行かないと言う人に、これを根気よく読んでもらえば、私の感じ方、見方は伝わると思う。多分そんな人はめったに居る訳はないが、何十年が経ち、自給を本気でやってみようと思い立つ人がいれば、その人には必ず役に立つと思う。迷惑な内容も多いだろうが、実際に役に立つこととはそういうものだ。小麦の種は11月11日に蒔く。こういう情報は農業では殆ど意味が無い。こういう事だけが、情報だとすると大間違いである。小麦はいつでも蒔けると言う方が、相当に良い情報である。実際年明けに蒔いて、充分に出来た。それもあくまで久野あたりのやりやすい、おおよそのことだ。それより、その年の蒔く畑の状態とか、天候の読みとか、自分の都合とか、植物の生理以外のことも総合的に考えた方が良い。

昨日の自給作業:籾すり3時間、脱穀の片づけ、鶏糞の輸送など3時間 累計時間:36時間
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橋下氏と週刊朝日

2012-10-21 04:49:16 | 身辺雑記
橋下氏が週刊朝日に抗議をした。地区に関するひどい記事だそうだ。読んでいないので、詳細は分からないがデジタル版に出ているだけでも、いかにも程度が低い。週刊誌は今こんなことに成っているのかとびっくりである。何故、こんな角度からしか政治家批判が出来ないのか。週刊誌の出版精神の低劣さを痛感する。これは売れればいい以上にひどいものだ。私は、橋下氏は評価は低い。このブログでも何度も批判を書いてきた。しかし、それは政策の問題である。維新党は政策を出している。この政策批判をすればいいだけのことである。記者会見の質問でも、橋下氏にどこの地方の出身であるかは選挙民の選択の材料ではないか、と食い下がる記者がいた。この場合でいえばへ理屈である。そんな意味の記事ではない。ただ、橋下氏を厭らしく貶めようと言うだけのことだ。確かに週刊紙にはそう言う悪役的役割もある。きれい事だけでやれという訳でもない。

今回朝日が態度を翻した原因に差別と言う事で、解放同盟のような所から抗議があったのではないか。それで慌てて取り消しを行った気がする。この、軟弱さにさらに驚く。イジメても大丈夫と思われる者はとことんいじめるが、暴力の恐れを感じた途端、手を返すようにいじけてしまった。橋下氏は以前地区に暮らしたことがあると、自ら語った。ああこの人は弁護士として、差別のない人だと思った。政治家はこういう事には神経質にならざる得ない立場だ。それをあえて口にするのは勇気が必要である。他の人より差別意識が無いと思った。しかし、週刊朝日が仕掛けたことが、どのような影響を与えるか。この記事を書いた人はすでに目的を達したという事に成る。政治家を育てると言うことは、政策の論議をするという事だ。維新の会の政策は良いものもあり、悪いものもあり、矛盾している。そして、自民党も民主党も駄目な以上、どうしても維新党に注目せざる得ない。

週刊誌と言うものは無くなる媒体である。多分朝日新聞でも軽視されているのだろう。週刊誌の方に左遷されるという感じかもしれない。当然職場環境が悪くなる。警察などがそうだと思うが、職場の環境が悪いと、良い職員が育たない。投げやりな仕事が行われる。こうした質の悪い記事が、外部から投げ込まれた時の判断力が編集長にまで失われる。編集長は河畠大四と言う人。慶應義塾大学法学部卒業。小学館に入社。1989年に朝日新聞社に中途採用。『週刊朝日』を担当。朝日新聞経済部、論座などを経て、2011年4月より週刊朝日編集長。この人は、原発事故後、巻頭コラムで原発評価を書いたという。世の中の空気に逆らいたいタイプの人なのだろう。橋下人気が許せない人なのだと思う。許せないのであれば、直接政策論争を行えばいいものを、こうした足をすくうような角度からしかものが言えない。朝日ジャーナルの仕事をしたかったと発言しているが、こうした嘘がその場の空気で言える人間である。

週刊誌の問題と言うより、これはいじめ問題である。多くの人がいじめの対象を探している社会。どうやって、誰にケチをつけようか鵜の目鷹の目で探している。もちろんそれを講読者が期待していることを、察知しているからである。今回も即売り切れたと言う。政治家が相次いで狙われた。それだけ政治に注目が集まっているということでもある。週刊朝日にはイジメではなく、維新の会の政策を検証し、批判をしてもらいたい。それが朝日ジャーナルで仕事をしたかった人間の、反省の仕方ではないか。各党のマニュフェストが議論されることは必然である。次の衆議院選挙がマニュフェストが論議される、初めてのことに成る。各報道機関はこの機会にまともな政策論争がおこなわれるように、盛り上げて行くことが役割ではないだろうか。1、原発2、年金3、憲法4、食糧5、TPP6、消費税、話し合わなければならないことは山積である。

昨日の自給作業:ハウスの片づけと小松菜播種1時間 累計時間:30時間
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麻布大の被災犬

2012-10-20 04:16:53 | 暮らし
麻布大で福島の被災犬を調べたという話が、新聞に出ていた。ホルモンに後遺症が表れているということらしい。私の家にも被災犬の「ふく」がいる。2匹目の預かり犬である。セントバーナードである。我が家に来て1年4カ月になるが、特別な兆候はない。犬は1歳まで生活をしていた場所を離れると言う事に、大きなストレスが生ずる。その傷と言うか、影響は生涯解消されることはないと感じる。犬と飼い主の関係は、犬にとってはかなり深いもので、特に子犬の時代ともに過ごした人との関係は、生涯消えないものだ。私は大学に行くときに、飼っていたブルドックと分かれた。その犬は、高校時代の恩師であり、獣医さんでもある堀越先生の所に移った。たまに家に戻ると先生の所に伺った。それは大事にされていて、先生にはお子さんがいなかったので、お子さんのようにされていた。ちょっと何かがあると、自分ではなく、獣医さんになった生徒さんを呼んでみてもらっていた位である。

それほど大事にされていても、私が行くとまるで態度が違うのである。いつもは完全に堀越先生になついているのだそうだが。連れて帰ってくれと泣きついてくる。余りに辛いことなので、だんだんに尋ねることが出来なくなった。もちろんいろいろの犬がいるので、何とも言えないが、寒川にはまだ200頭位いの被災犬がいる。週に一度は手伝いまで出来ないのだが、伺う。その時見る犬達は、確かにさみしそうだ。大切に飼われているのだがそれとは別のことだ。これは、被災したからという訳ではない。飼い主の下を突然離れたという事が大きいと思う。子供の頃育てた飼い主との間の関係がどのようなものだったかで、犬は全く変わってくる。我が家の「ふく」はとてもいい飼い方をされていた犬だ。一通りの訓練もされているし、服従心もきちっと確立している。誰にも甘える犬でもある。

実に大人しい犬である。雷田に噛まれても丸で攻撃的な反応をしない。ドンチャンと一緒にしても仲良くしている。こんな飼いやすい犬は無いと思うほどだが、この犬が実は避難所で繋がれていて、人のお尻を噛んだのだそうだ。全く信じがたいことだが、それくらい特別の環境で、怖かったのだろうと思う。麻布大も福島の犬を保護している。里親募集をしている。良さそうな犬たちなので、ぜひ飼ってあげて欲しい。寒川のUKCにも沢山の犬が、里親を待っている。UKCではシェルター建設の為に、動き出している。いつまでもこのままと言う事も出来ない。多くの犬がすでに福島に戻ることが出来ない状況に成っている。ふくの飼い主さんもついに連絡が無い。入院されているということは聞いていたのだが、多分ふくも福島に戻れることはなさそうである。

UKCの新構想は「ティアハイム:命の家」建設である。「保護したペットの中でも心に傷をおっていたり、病気を抱える子もなくありません。その子達も、現在の生きる為の一時避難場所であるシェルターではなく心安らかに楽しく生活しながら、新しい出会いや再会を中長期に渡り待つことのできる環境を整えてやる時期に来ております。」先日代表の細さんに話を伺ってきた。細さんが本気であることが分かった。この事業は多くの人が試みて、実現できないで来た。日本人の暮らしがおかしいからである。犬や猫を飼うのはいいが、ちゃんと飼う事が出来ない人が多数存在する。そして21万匹もの犬ねこが殺処分されている。到底まともとは言えない状況である。そしてこの事が放置されたまま、政治は真剣に取り組もうとしていない。UKCの「ティアハイム」は大変な困難な事業に成るだろう。しかし、本気でこの事に向かっている細さんがいることは事実だ。

昨日の自給作業:さつま掘りと畑の片づけ1時間 累計時間:29時間
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情報売買市場

2012-10-19 04:35:20 | 暮らし
情報と言うものが何よりの価値に成る。情報の闇市場では、個人情報が一見10万円とも言われているそうだ。本来情報は安価で、平等のもので無ければならない。愛知県警が摘発した、情報密売グループが12億円の収入だったそうだ。携帯電話の番号や、自動車の登録ナンバーなどを販売していたようだ。これが氷山の一角であることは明らかなことである。情報には密売されるものもあれば、販売されているものもある。例えば音楽のデーターのダウンロードが刑事罰に成ることになった。インターネットが出来て、映像・音声・文字データーなどが無尽蔵に流通できることになった。これがアメリカでは、世界から手に入れている収入が11兆円を越えているそうだ。次の時代の情報産業の前兆である。蒸気機関による産業革命で、資本主義社会は拡大再生産の路線に進む。そして、電気、ガス、エネルギー供給システム、水道、通信網、道路、鉄道、港湾、空港、食料生産供給システムが完成して来た現代社会。

次の世界の展開は情報を重視する社会ではないかと言われている。人間が生きる上で、生活の利便性はほぼ達成された。残るのは人間の知能の満足である。見る喜びと言う事がある。絵を見て何が嬉しいのかと言われても困るのだが、その喜びが計りしれない、生きがいと言う人もいる。本を読む、学問をする。そこには、出世するとか、大金を得るとか、自己顕示欲とかを越えて、知識を得る喜びに生きるという真実の満足感を求めて行く人がいる。人間が生活をすることに余裕が出来た分、何に生きる満足を求めるかと言えば、自分と言う存在が十二分に生きると言うことだろう。それは知的満足であったり。日々の活動の充実感であったりする。農作業をするという事も、食糧を得るという切実なものがきばんとなり、作物の成長を日々感ずることで、自分の感性を豊かにしてくれる実感が伴う。江戸時代にはその豊かさへの気持ちが生産効率だけでない、作物の多様性を生み出した。

社会的インフラが整ってきた社会では、もう一度人間の感性の満足に向かうはずだ。それに大きな役割を担うのが、情報である。この状をいかに平等で、安価なものに出来るかが、課題である。現在情報と言うものが資本主義による、資産と言う事に成っている。売れる情報を作り、それで稼ぐことが重視されている。音楽の著作権は良い音楽を作るためには、経済的な見返りが必要と言う価値観の中で、音楽文化が形成されているかのように見える。しかし、これは本来の音楽から考えれば、資本主義と言う一過性のことである。良い音楽を作る喜びがあり、それを味わう喜びがある。そこに経済が存在しない社会の方がいい。お金にならなければ頑張れない。こういう頑張りの意味が減少して行く。お金に成ろうとなるまいと、自分の音楽を作りたい。そしてそれが、経済を越えて情報として広まる可能性は高い。それを可能にした情報の社会が生まれてきている。

これを遮ろうと言うのが、TPPである。偽物を取り締まると言いながら、実は情報を経済でコントロールして利益を上げようと言う事に成る。日本でも本の再販制度が問題にされてきた。出版業界が自己保身のために、良い出版を維持するためには、経済的な管理を必要とすると主張してきた。良質な書物は採算ベースには乗らないが、くだらない週刊誌で利益を上げてバランスをとる。と言うようなことが言われた。しかし、個人によって情報が自由に発信できる状況が生まれた。例えば、お米の栽培について、様々な情報が存在する。その中から自分に適合する情報を選択すると言う事が出来る。この情報は安価で、平等であるという事が、もっとも大切なことだ。絵画であっても、名作を個人が資産として秘蔵するのでなく、自由に誰でもが見ることが出来るほうがいい。それを遮っているのは、資本主義経済の仕組みに過ぎない。
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森口尚史氏にこだわる報道

2012-10-18 04:19:34 | 身辺雑記
森口尚史と言う、でたらめな人間が人騒がせな嘘をついている。不思議な人間である。何故こんな幼稚な嘘をついてしまうのだろう。そしてどうでもいい馬鹿話に、マスコミは群がっている。群がるからこそ嘘をつく。この原因は日本人の根底に抱えた共通の問題があるからだと思う。コンプレックスが反映している虚栄心が、こんなグロテスクな人間を育てた。哀れな人生である。医師に憧れ、看護士になった人。その人が医師のように生きている。医科歯科大を卒業して、東京大学で博士を取得している、東京大学の中の不思議な位置にいる人。優秀な人ではあるのだろう。ネットで殺人予告事件を起こして騒ぎいでいる「真犯人」とよく似ている。コンプレックスが肥大化した、現代人の姿の反映。攻撃的な人間。世の中を憎んでいる人間。孤立した人間。嘘をつくことで目立とうとする人間。目立つことでその孤独を解消しようとしている人間。現代社会はコンプレックスを持つように仕組まれている。

こうした人間が現われると、異様な注目が高かまる原因は、コンプレックスを抱えて孤立している人が多数存在することを意味している。森口氏的要素が誰にでもあると考えるべきだ。それは東大の研究者で、それなりの研究をしていたとしても満たされない、いかんともしがたいものだ。山中教授のノーベル賞に触発されてしまい、嘘をつかざる得ない心の闇。この嘘は競争社会で育った怪物。常にある不満のはけ口として飛び出てきている。人を攻撃することで満たそうとする、苛立ちの人間、そしてそういう社会。その場にただ暮らしているだけでは、満足できない上昇志向。資本主義社会の作り出す、グロテスク化した欲望に破壊された人間の姿。資本主義の競争社会は、欲があるから世の中は回っているのだが、この回転がきしみ始めている。歪んだ人間に必要以上に反応してしまう、危うい状況。

自分が注目されることを生きる目的にしてしまう人がいる。これが人間をダメにする、大きな罠である。人間が生きる障害には、様々な欲があると仏教ではいう。名誉欲も五欲の中に入る。欲から離れることが人生を深めると言う意味。名誉欲の裏には、何くそと言うような、コンプレックスバネがある場合が多い。。ホリエモン的生き方。ホリエモンも衆議院選挙に出て落選した。浅原彰晃もそうだ。その他政治に進出したがる現世利益の宗教勢力。最近の政治家の多くはそういう人たちと言えそうである。目立たなければ選挙に勝てない。とそう言いながらも目立ちたいから政治家に成ると言う事の方がが先行する。そう言う現実が政治家をダメにしているのだろう。政治に理想があり、社会を良くしたいと考えているような政治家は、実に少ない。欲望が肯定される社会が限界にきている。

森口氏の単純な嘘に裏付けもとらず、報道した読売新聞の能力低下。読売新聞社と言うものの信頼性がはっきりとと崩壊した。世界初の快挙を報道するにあたり、最低限の確認行為も行わない。提供された情報を垂れ流す読売新聞社はすでに報道機関とは呼べないほどひどい。むしろこうした怪しげな情報には週刊誌なら引っかからないだろう。その後のテレビ局での、イジメ感覚が社会のうっぷん晴らしに成っている。強い人でイジメ手も良い人が出て来ると、テレビ局は意気揚々としている。森口氏に対する補助金の問題も出てきて、政府も洗い直すと見解を述べていた。それはそれで必要だけど、森口氏のような人はこれからもいくらでも登場する。視聴率がとれるから、大衆報道はついつい安きに流れて行く。こうしてみると、森口氏の虚言癖は、読売新聞にもあったという事だ。スクープをとって目立ちたい。そう言えば、読売を支配するとされる渡辺氏も似たような感じの人だ。こうした独裁者が存在する会社では、良い人材が育つはずもないのだろう。
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ハザ掛け乾燥

2012-10-17 04:06:19 | 稲作
ハザ掛けでお米は乾燥している。今その盛りである。地方地方で色々のやり方があるが、私たちは竹竿と竹の足で干し場を作っている。一段掛けである。ハザ掛けの姿はとても美しい。風景を作る。そして目立つ。残念ながら私たちのハザ掛けは、明らかに下手だ。私など、25年もやっているのに、上手にならない。簡単に見えるが案外難しい。昔台風ですべてのハザ掛けが飛ばされたことがあった。その時隣の田んぼのおじさんが、「お前の所のハザ掛けは、夕方には飛ばされちまった。俺んちのハザ掛けは夜中の2時まで飛ばされなかったんだ。」と誇らしげに言われた。大した違いはないと言えないところがいい。ハザ掛けの姿は農家の技術の見せ場だ。高さがそろっている。まっすぐである。間隔もとれている。そして足が並んで揃っている。そもそも切りだした竹が太さも長さもそろっている。真竹ではなく、孟宗竹の細い竿が良いと言われている。

小田原ではこのハザがけ乾燥法だけは、続けている農家が多い。農業が近代化され、大体のお米がコンバインで刈り取られ、その日の内に乾燥機で乾燥されるようになった。景色としての秋のハザ掛けが立ち並ぶ姿は、稲作地帯ではすでになくなった。自家用米だけがハザ掛けで干されている事が多い。それくらい、天日干しは味が違う。毎年出る話で本当には思えないが、逆さに成って干されてから、茎や葉に残っている成分が、お米の方に下がって行く。農家ではそう言う事に成っている。天日干しが美味しいのは、自分で魚を干してみれば、すぐわかることで、水分が抜けて行くと言うことは、ただ乾燥すると言うのでなく熟成作用のようなものがある、と考えた方がいい。日光で変化する成分もあるかもしれない。いずれ天日で1週間ほどゆっくりと乾かされると、お米がおいしく変化して行く。稲刈り時期の玄米の水分含有量はおおよそ、20%前後である。25%の部分もあれば、すでに15%の所もある。穂の根元の方が水分が多い。

見た目でいえば、穂の軸付け根の方にいくらか緑が残っている位が刈り頃である。多分普通の農家のかたより、刈り時が遅い。根に力がある内はできる限り田んぼで稲を育てる。水管理も稲刈りが出来るぎりぎりまで間断潅水する。土にもよるが1週間前ぐらいまで、入れておきたい。このやり方では稲が倒れる田んぼが多いいので、土にもよるが、固め方も重要になる。枯れるまでお米を田んぼに置いておくという感じ。早刈りの方がおいしいと言う人もいるが、味比べは何度もしたがそんなことはない。乾燥のしすぎで味が落ちる。水分量は17%位が味的には良い。そこまで置いて、刈りとってすぐハ―ベスターで脱穀したこともある。農協では15%以下のお米と言う事に成っている。これは倉庫での保存の為には、その位が良いということらしい。味から言えば過乾燥だと思う。味は明らかに落ちる。17%位でも保存できるのは、籾保存である。半年以上置くお米は籾保存している。こうしておけば劣化は明らかに違う。あの籾と言うものは実によく出来ている、一粒ごとの完璧なパッケージである。

今年のハザ掛けは5日間で16,5%まで落ちた。3か所を計って平均した数値である。途中で3時間ほど強い雨が降ったが、水分が戻るようなことはなかった。雨で水分が戻ることはないと言われているが、今回は確認できた。いつもは1週間が基本だが、これでは水分が抜けない年も多い。今年は昼の気温も高いし、空気も乾燥していた。良い風も吹いた。ハザ掛けには最高の天候だった。残念だったのが、イノシシにやられたことだ。ハザ掛けを高くしなかったことがいけなかった。飛びついて落とされた。50束ほどやられた。がっかりである。まだ、欠ノ上田んぼは籾すりはしていないので、出来は分からないが後半良くなかった。理由は土がまだ出来ていないという事だと思う。舟原は逆で、後半良く成っていった。舟原の方はほぼ無肥料であるが、土が良くなってきている感じがある。田んぼが良く成るには、最低5年はかかる。
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