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杉田議員の計算

2018-07-31 04:12:09 | Peace Cafe

自民党の杉田水脈(みお)衆院議員(比例中国ブロック)が月刊誌新潮45へのへの寄稿でLGBTなど性的少数者について「子どもを作らない、つまり生産性がない。だから税金を使うのはどうだろう」と書いた。それについて、自民党の二階幹事長は人にはさまざまな意見があるのだから、それはそれででいいのだろうというような意味不明の記者会見をした。全く理屈にもならないが、なかなか両者連携の取れた計算された行為と考えた方がいい。人には様々な考えがあるからこそ、こういう人権無視の意見が許されないのだ。子供を産まない人間が生産性がないという言い草はあまりに、ひどい話ではないか。生産性のないものに対して税金を使っても無駄だという思想はいくら拝金主義と言えども恐ろしい。杉田議員の考えこそ、他者を排除する様々な意見を認めない考え方なのだ。子供を産めない、産まない人々に対して、自分の生き方としては違うと考えるのは勝手なことではある。しかし、子供を産まないからと言って、差別されなければならない理由は全くない。杉田議員を調べてびっくりしたのは、同じ人には見えない議員顔をしている。その時々で顔がまるで違う。仮面を付け替えているのだろうか。

世界の人口爆発を考えると、地球が危機的状況に陥っているのは人口増加が問題である。人口増加を、良しとするか悪とするかは、それぞれの考え方である。国家が人口問題の議論そのものを、こうした弱者いじめの感情論で封殺してはならない。杉田議員が何故こういう狭量な考え方を、新潮45に文章を持って、もっともらしく展開したかである。多分視野の狭い頭の鈍い人のように見える。客観的に自分の意見を理解できない人のように見える。それでいて衆議院議員になって勝者意識のつよい、嫌味な議員様なのだろうという事は確かだ。政府の人口増加政策を鵜呑みにして寄りかかっているに過ぎないなどと、思わせているのだと思う。そして、明治の保守回帰の、女性差別や性的少数者差別を垂れ流し的に、吐き出している。とつい考えてしまうが油断してはならない。もし本気で単純にこんな意見をさすがに書かないだろう。何か裏があると考えた方がいい。これで騒いでいれば、モリカケ問題など過ぎ去るのだろう。こういう忖度の点数の稼ぎ方もあるのか。

LGBTなど性的少数の登場が、人類のセイフティーガードなのかもしれない。人類の未来の展望がそう楽観できなくなっているという自覚をする必要がある。こういう状況の中で、単純な生産性云々で大上段に語ったところで何の解決にもならないだろう。あらゆる人間が自由にその人自身の個性や思想に従って生きて行ける社会こそ、日本が目指すべき社会だ。杉田議員のような人であっても尊重はされなければならない。杉田議員のような私にしてみれば、生産性を大いに下げる人に対しても、議員である以上無駄な税金を使うことだって、否定はしない。こんな意見を良しとして言わせておく、自民党というものの傲慢な先祖がえりを、何としても押しとどめなくてはならないという方向だろう。杉田議員は自民党女性議員としての自分の立ち位置が、自民党内で何を発言すれば、喜ばれるかを良く知っているのだ。二階幹事長が本音としては、何を発言して欲しいかを察知している。忖度だけはできる人間なのだ。こんな議員ばかりの政党になった。

そして様子を見ているのだ。国民の本音の反応がどこにあるかを計っているのだ。国民の本音が、LGBTなど性的少数をどうとらえているかを観察しているのだ。それを政策に生かそうというのであろう。現在地方行政によってかなり違う対応が行われている。これをどう落とし込めば自分に有利であるかを、政府は見定めようとしているのだ。その為に杉田議員は新潮に記事を掲載させたのだ。かなり用意周到なバカ振りなのだ。馬鹿仮面をかぶっているからと言って油断してはならない。アベ木偶政権はすべてが、木偶仮面なのだが、なかなか手ごわいのだ。政権を維持するためには手段を択ばない。情報収集者が、有権者という池に起こるさざ波の起こり方を観察しているのだ。そこでこうした石を投ずる人間が登場するのだ。ビックデーター政治と言えるのかもしれない。むしろ差別を望んでいる人がどのくらいいるかなど、冷徹な観察をしているはずだ。正義よりも、支持率アップ。

 

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有機農業市民塾にかんして

2018-07-30 04:02:18 | 地域

有機農業市民塾が小田原市久野のフラワーガーデンのそばの2反5畝の畑で行われている。加藤市長より「有機農業による家庭菜園」が提案され、今年度、有機の里づくり協議会で取り組むことが決まった。あしがら農の会が担当になり、世話人5名を含めて12名の参加によって、まず、本格稼働の為の予備的活動が始まり、半年近く経過した。7月になって、有機の里づくり協議会の取り組みが全面的に見直された。有機農業市民塾が今後も継続できるものか、出来ないものか判断しなければならない。現在、直接の世話人として参加している5名の受け止め方もそれぞれではないかと思う。また、本来であれば取り組みの中心になると決めたはずの、有機の里づくり協議会のかかわりが得られない状況にもなっている。また、事務局であるはずの市行政もかかわりが明確ではない。こういう状況の中で、来年以降どう取り組んでゆくのか検討する必要が迫っている。現状を考えてみると、昨年までの畑の会の拡大版の様な状況ではないのだろうか。参加者としては問題はないとおもう。これを小田原有機の里づくり協議会の事業として成立させるべきなのか、畑の会に戻る方がよいのかということになる。

小田原有機の里づくり協議会では参加している4つの団体が、一緒に何か事業に取り組むという事はなかった。各団体が受け持ちの事業をそれぞれに実施して行くという形だった。このために協議会として共同で力を発揮するという事がなかった。そのことを踏まえて、有機農業による家庭菜園は協議会全体で取り組むという事になったはずだった。ところが、そういう動きにはならなかった。参加団体の協議会の位置づけが、主体的なものではないからだろう。市民塾に参加することが負担という事なのではないだろうか。では単独で取り組んでいる農の会の立場というものはどう考えればいいのだろうか。市民塾の活動が小田原の市民参加の有機農業の活性化につながると考えている。理由は小田原では農業を成立させることが困難で、農業者を増加させることが不可能だからだ。農業は成立しないとしても、自給農は可能である。自給農に小田原の農地の保全を期待するほかないというのが、農の会の認識である。小田原に行けば、有機農業を学ぶ事が出来て、自給農が可能かもしれないと考える小田原への転居者が期待できる。そのなかから当然有機農業者が登場することも期待できる。あしがら農の会の歴史がそのことを証明していると思う。

農地を所有し、家も機械も倉庫も持っている地域の農業者の多くが農業の継続が難しいと考える、社会的状況がある。その中で、誰が農地の担い手になるかである。業として成立するのであれば、大きな資本を持つ企業が農業に参入するのであろう。しかし、小田原の農地の状況はとても企業的に大規模農家が取り組むようなまとまった場所は少ない。多くが条件不利の農地である。傾斜地であり、小さく分割されている。まさにここを逆手にとれるのが、自給農ではないだろうか。傾斜地だから景観が良い。小さいから自分の身の丈に合う。山もあり、川もあり、海もある。そして通勤しようと思えば、東京までも可能である。まさに小田原は自給農最適の地だ。それでも条件不利な場所では耕作放棄地が増加している。かろうじて耕作放棄地のこれ以上の増加を食い止めているのは、自給農ではないだろうか。

以上を踏まえて考えれば、農業者を増加させるだけでなく、市民的に農地の利用の幅を広げてゆく方策も小田原有機の里づくり協議会では考える必要があるのではないだろうか。その具体策が、有機農業市民塾ではないかと考えている。様々な歴史的背景を持つ4つの団体がかかわっているという事は、農業に対する考え方も農業技術も異なる。各団体が、同じ場所でそれぞれの農業を展開することで、学ぶ合うところが多いいはずだ。各団体に所属して、これから農業を試みようという若い人たちがこの市民塾に参加して耕作してみることは大きな体験になるはずだ。様々な農業とかかわることで、自分の将来の農業を考えてみることができるのではないか。またそういう市民塾にしなければならないのではないか。小田原有機の里づくり協議会の基盤になるような市民塾になると思うのだが。将来的に考えれば、果樹の授業、畑の授業、田んぼの授業とあり、希望のコースを選択して学ぶことができることが良いのではなかろうか。

 

 

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農の会田んぼ緑肥の報告

2018-07-29 04:08:43 | 稲作

この文章はずいぶん前に書いてあったものだが、一応報告として新しく書き加え残しておく。緑肥の効果を考えると、後作の作物がどうなるかという事があり、いつ状態を報告すればいいのかがよくわからないまま、中途半端な報告になった。

舟原の上の田んぼではクリムソンクローバが咲いた。下の田んぼはあまり生えなかったが、先に漉き込んだ。欠ノ上田んぼでは菜の花がある程度は咲いた。大麦が収穫までできたのは初めての経験だった。後はレンゲだがそれなりの出来だっただろう。ミツバチの為もあって、畔に播いたヘヤリーベッチは後になって茂った。久野地域はどこの田んぼも緑肥の生育が悪かった。寒さだと思う。後半にきていくらか回復したが、充分とは言えない。緑肥は継続の問題で、5年の内4年よくできれば、土壌の腐植が減少するようなことはないと思う。小田原有機の里づくり協議会の実証圃場として、農の会の田んぼで緑肥について記録してきた。その中間報告をまとめるている。緑肥というものは短期的なことよりも、永続的に利用して田んぼの土壌の腐植の増加という事になる。緑肥を5年間十分に作ると、畝取りできるになる。これが実証圃場の結論である。こうした長期的な視野に立つ技術が有機農業の技術ではなかろうか。地域に美田を残すのが有機農業である。現在の有機農業基準はやっていけないことが決められているに過ぎない。やるべきことを示して初めて農業技術と言えることになる。

欠ノ上田んぼの苗床の菜の花である。飼料用からし菜を蒔いた。緑肥は同じものを継続しないことが大切だという事が見えてきた。土壌の状況に従って、麦科、菜種科、そしてマメ科。この3つを変化させてゆく必要がある。土壌の窒素分が多くなると、収量は上がるが、稲が倒れるようになる。草を抑えるという事と、土壌をよくするという事は、つながりはあるのだろうが、やはり別に考えるほかない。

大麦は毎年何故か生育が悪い。しかし、今年初めて、大麦からイネの2毛作が出来た。今のその麦茶を毎日飲んでいる。なかなかおいしい。大変だっただけの味である。緑が濃く出ているのが、ソバカスの追肥の後。このように冬の間でもソバカスを撒けば、草は反応してくれる。草が緑の色を増してくるという事は、冬の間も微生物が活動しているという事ではないだろうか。冬の間のソバカス撒きは、田んぼには良い効果を上げる。

苗床準備。菜の花が一面に咲いていて、もう花が終わりかかったところ。歩く部分だけ耕さないで、アラオコシをした。その方が歩きやすいからである。この通路部分は田植えの前日に代かきをした。

この通り、耕さなかった跡が黄色に出ている。毎年のことだが、田んぼと緑肥の関係がここに出ていると思う。二度代かきになる苗代部分と、直前代かきになる通路部分では緑肥の肥料効果が違うのだろう。苗代を作るために、菜の花を漉き込んだ。苗床では過去最高の苗が出来た。7月4日の勉強会で見た範囲では、農の会の田んぼはなかなか良い。7月21日の定時観測でも、例年通り畝取りの可能性が出てきている。天候にも恵まれている。

農の会の緑肥の実証実験は今年で終わる。緑肥の状態の違いが、田んぼにどのように影響するのかは短期間には見えないようだ。緑肥は5年10年と続けて初めて良い土壌が作れるという事とおもわれる。緑肥による抑草対策とはまた別なことになる。

 

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畔の大豆

2018-07-28 04:18:49 | 稲作

畔に播かれた大豆が発芽をした。種類は岩手ミドリ。播種日が14日だから、写真を撮った、26日で12日目である。江戸時代の農家は1反の田んぼがあれば、畔に大豆を作り、味噌醤油を確保できたという話を読んだことがある。アゼクロ豆である。草の中に穴をあけて蒔いてくれた。自分でやろうと考えていたのだが、大豆の会の播種が手間取り、田んぼの方までは到底間に合わなかった。それでたまたま田んぼ下の畑で作業されていた、上野さんに播種をお願いした。できる範囲でという事でお願いしたのだが、田んぼの畔にほぼ全部に播いてくれた。嬉しくなる。みんなでやっている有難さである。これで田んぼの見回りの楽しさが倍増する。出てきた大豆の周辺だけ、草をむしり取っている。畔の高さが、ちょうど目の高さにある畔がある。ここを観察の場所にして大豆の生育の姿を昨年もよく眺めた。これがなかなかいい。例えば、大豆の花というものは、後の後から、下の方の主軸の茎から花がついて、実をつける事を知った。

これは大豆畑の小糸在来。農の会で20年くらいは種を継続しているものだ。収量は少ないが、味が良いので続けている。黄色の線は鳩除け。実は発芽しなかったところに苗を植え付けたものだ。雨がやっと降ってくれたので、根付いたようだ。大豆の種の保存を失敗したために、農の会の大豆はほとんど発芽をしなかった。失敗の原因は種子が乾燥していなかったためらしい。大豆種子は11%まで乾燥して保存。しかも乾燥剤まで入れて保存するとあった。迂闊な失敗であった。それでも、吉宮さんの種と、森田さんの種を太田さんが準備をしてくれていた。太田さんの用意周到な準備のおかげで何とか今年も畑の大豆は間に合いそうなところまで来た。有難いことだ。大豆の種保存が何故ダメだったのか、あれこれ考えているが、まだわからない。実は昨年も発芽が悪かった。それも同じ原因かと思う。保存場所は古い冷蔵庫を改造して、15度に維持できるようにしたものの中に保存してあった。どうもこの冷蔵庫の環境が悪いのか。もう一つは大豆の水分が多く、乾いていないまま保存したために起きたのか。みんなに申し訳なくて。播いた種にカビが生えてきて枯れてしまう。

苗床はこんな感じで湿気た場所に作った。この場所は欠ノ上田んぼの下である。一番水分のある場所。ここに前回残っていた吉宮さんの種を太田さんがまいてくれた。そしてよく苗が出来た。それで試しに、農の会の残った保存に失敗した大豆をすべて播いてみた。いくらか発芽するのか。ダメなのか。見てみたい。いくらか出てくれば、捕植用には使える。森田さんの種の分が総生寺裏の畑で、70%くらい発芽した。その種は100グラムほど余り、諏訪の原圃場にも播いた。ところがこっちは全く発芽しない。畑の何が違うのだろう。土壌は同じように乾いていたのだが、何か不思議な気がする。

畔草の中に埋もれたように発芽した。草の中に播いたものは、草に埋もれていることもあり、ある程度は発芽するようだ。それでも播いた種の半分ぐらいの発芽かもしれない。

 

このあたりの畔にはぐるりと大豆が生えてきている。緑大豆だから、上手くできたら豆腐にしたいと思うが、どんなものだろう。緑のお豆腐はなかなか良いものだ。手前が種籾の田んぼ、左側が1本植、右側が2本植。2本植の方がまだ色が濃い。そして中央が、1本植のいつも生育の良い田んぼ。色の濃い奥の方が、もち米の2本植。その隣は3週間遅れて田植えをした岡本さんの田んぼ。ここもずいぶんよくなってきたが、1本植であった。田んぼ全体で200本ぐらいは出てきているだろうか。これだけで10キロにはなる期待。大豆の会は2000本で100キロがどうしても必要な量。実際には苗は4000本はあるので、上手く進めば200キロの可能性がある。

 

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ギャンブル大国日本でカジノまで始まる。

2018-07-27 04:03:16 | Peace Cafe

アベ政権の程度のひどさがここに極まった。金儲けの為なら何でもやっちまえとカジノ賭博解禁である。ギャンブルというものは戦後の復興期仕方がなくやったものだと考えていた。世の中落ち着けば、徐々に止めてゆくものだろうと漠然と考えていた。情けないことにこれが甘かった。これが拝金主義アベノミクスなのだろう。倫理というものが存在しないアベ政権。ギャンブルにおぼれる人が増えることをいとわない政治姿勢には恐怖すら感じる。政府というものは国民よりはむしろ倫理的なものだと考えていたが、アベ政権に関しては大違いであった。こんな程度の低い政府を選んでいる国民が悪い。政府に絶望しても、日本人を見限るわけにはいかない。辛いことだ、日本人全体に目を覚ましてもらいたい。簡単なことだ、自民党と公明党に投票しなければ次の総選挙で解決できることだ。政府の全てがだめとは言わないが、アメリカを忖度してカジノを奨励するような政治はどう考えてもまずいだろう。ギャンブルは悪事だ。非公認でありひけめがあって悪事は悪事になる。良くないことだが仕方がないくらいの社会の共通認識が必要だ。日本の民衆の伝統的な暮らしの破壊行為が続いている。カジノ賭博を合法化するなど、政府なのか、暴力団なのか。どこか、狂気と怨念を持って日本文化の崩壊を願っているとしか思えない。

賭博というものは一発逆転にかける、危うい人生の選択肢だろう。普通に暮らすことを真っ向否定するものだ。だから法に反する行為だったのだ。権力者の横暴。地道でない生き方を政府が奨励するようではどうにもならない。小学校の道徳の時間では、賭博も時には必要だという事になるのだろうか。政治家というものは選挙というものを繰り返している内に、勝ち負けにこだわる価値観を持つようになるのだろうか。賭博で逮捕され、そのような発言をしたスポーツ選手がいた。価値観の喪失した時代の中で、お金になれば何でも構わないという価値観が、改めて方角として政府から示されたということになる。こんな国がまともな国の訳がない。日本がこんな国になるとは思いもしなかった。公明党が宗教政党というところにさらに驚く。オウムのような宗教すら政治進出を目論んだのだから、創価学会の現世利益の教義から、賭博で儲けることも教義にかなっているという事になるのか。教団の代表たる池田大作氏の声が全く聞こえないが、代表は交代したのだったか。存在しているのだろうか。ここまで悪くなりながらも、まるで鈍感な宗教という物の怖さである。体制翼賛宗教と成り下がった戦時中の宗教団体を思い出す。

すでに日本には十分すぎるほどキャンブルが溢れている。競輪・競馬・競艇と公営ギャンブルが至る所にある。すでに世界一のギャンブル依存国だ。パチンコを含めれば依存症患者が世界一多いと考えていいだろう。カジノ化しているパチンコで身を亡ぼす人が多いのだ。世界中どこを探しても住宅街や文教地区にまでギャンブル場が混在しているような国はないだろう。カジノで地域経済の活性化などあり得ない。アメリカ資本にあぶく銭を吸い上げられて終わりだ。日本の現状のひどさは、ギャンブルがそれほど悪いことでもないというような意識の定着である。これは日本人の歴史においてはじめてのことにちがいない。その原因は社会の閉塞感にある。日本の衰退の空気にある。もうどうでもいいという破れかぶれの何かを感じる。まともにやってもいても良いことはない、希望のない人生のあきらめである。どうせだめなら、一発逆転という感覚。こうした理念のない世界を生み出しているのが、貧困である。格差である。憂さ晴らしをするしかないという、どうにもならなさ感が蔓延して来ている。

みんなが気付けば、遅いという事はない。若い人と接する限り、性格の良い善良な人が多くなっている。ただこの良い人たちが、良い人だからこそ、アベ政権に騙されているのではなかろうか。良い人というのは、強い独立性がない場合もある。体制に流されやすいのではないのだろうか。あるいは政府の誘導に載せられやすい気がする。現状肯定的になりやすい。私のようなひねくれものはなにくそというのでは、反政府的になりやすいのだろう。良い意味では政府に騙されることも少ない。ヒツジになるよりは、はぐれモノの少数派である。無頼派の方が賭け事におぼれるという事だろうが、どうもヒツジを飼いならすための賭博のような気がする。ヒツジをおとなしくさせておくためには、賭博で発散させておく方がいいという発想である。アベ独裁は実にヒツジの飼い慣らし方にたけている。ローマ帝国でローマ市民の娯楽に、人殺しゲームを見世物にしたようなことに近い気がする。一つの独裁政治の手法なのだろう。あぁー世も末だ。

 

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イネの苗1本植と2本植の違い

2018-07-26 04:29:57 | 稲作

今年のイネ作りでは苗の植え付け数で稲がどう変わるのかを観測している。1本植の田んぼ、2本植の田んぼ、3本植の田んぼ、一つの田んぼで、半分1本植で半分が2本植というところもある。7月21日の計測では分げつ数や稲の背丈はほぼ似たような状態になってきていた。今年は田植え以来、晴天続きである。日照不足と低水温が影響しやすい久野の田んぼだが、暑さと晴天続きによって、そうしたマイナス面は全くなくなっている。天候の条件が悪い時に、植え付け本数がどう影響するのかについては、今年は参考にならない。多分もう低水温の問題は無くなるとみている。一番気になる分げつ数は7月21日の時点20本は超えていなければと考えているが、平均で22本だった。この後24本平均になれば何とかなるだろう。峰の雪糯はすでに走り穂が出始めている。驚くほど速い。1本植の方より、2本植の方が穂が早く出ている。これは他の条件もあるので、何とも言えない。峰の雪糯は穂が実に大きなイネである。加えて葉の緑の極端に濃い種類だ。穂が出ていながら、これほど濃いイネは初めてである。

今回分かりやすく比較して気づいたことは、1本植の苗はイネの緑色のさめ時期が遅くなる。黄色に変わる時期が遅くなるという事だ。この理由はなかなか難しい。慣行農法の発想で言えば、窒素分が多いいところが、緑がいつまでも濃いと考える。ところが、同じ田んぼにおいて、明らかに1本植の方が緑が何時までも濃いという事が分かった。理由をどのように見るかであるが、今のところ、1本植の方が根が活性化しているとみている。簡単に言えば、イネが元気なのではないだろうか。根の窒素の吸収能力が高まっているから、緑の色が濃いのではないだろうか。1本植では分げつのしない株がある。理由は遺伝的なもので、そのイネの素質として、分げつが少ないタイプなのだろう。こういう株が無くなれば、すべてを1本植にできるが、選抜を続ければ、そうした悪い遺伝性質のイネが無くなるのかどうかも疑問がある。とすると今のところ実践としては、2本植にするのが、無難と考えている。

 

病気の問題がある。3本植の所が早くから、葉が茂っていた。しかし、現状では過繁茂というほどではなく、収まってきた。3本植えれば分げつが多くなる言うほどのことは見られない。ほぼ1本植と変わらなくなってきている。蒸れなどで病気が出ないかを注意していたが、今のところはそういう兆候はない。植え付け本数で倒伏にはどういう影響が出るかが今後の問題である。根が1本植の方が活性化しているとすれば、3本の方が倒れやすいという事になる。現状では間断灌水で土壌を少しづつ固めている。と言ってなかなか固まらない。2度代かきした田んぼはかなり固めないとならないのだろう。問題最も水を必要とする、出穂期前後の2週間8月前半から穂揃いの8月20日前後どう土壌を固めるかである。昨年は8月後半の台風で倒れた株が出た。倒伏はさせたくないが、水がなければ穂の充実がが悪くなる不安。

神奈川県の生育状況を見ると、平年より悪いという事である。分げつも少なく、色も早く落ちているという事だ。稲の生育自体は例年より早くなっているらしい。生育は進んでいるが、イネが活性はしていないのだろう。暑すぎるという気候の影響が悪い方に出ているのだろう。土壌がこの天候で早く分解を進めた気がする。その為に化学肥料での通常の管理であれば、肥料切れになっている可能性がある。しかし、自然栽培ではこの天候のお陰で、土壌の活性化が進んで肥料分が生産されている。むしろ良い結果になっているのかもしれない。これほどの過去とは異なる天候の場合、現状をよく観察して、それに応じた判断をしなくてはならないのだろう。私は田んぼを冷やすようにしている。流し水管理である。幸い川からの水の取り入れが自由になる田んぼであり、今のところ久野川には水もある。7日箱根には相当の雨が降った。その影響が久野川ではまだ残っているのだろう。何とか、8月20日まで水が充分にあって欲しい。幸い久野では、7月26日の夜58ミリの雨が降った。この雨はかなり偏在した雨だった。小田原の中でも100ミリを超えた所と0ミリの所もある。箱根はまったく降らなかった。イネはここからが水が必要な時期なのだ。ここで水が無くなると収量には影響が出る。

 

 

 

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フィットビットFitbit charge2 を買った。

2018-07-25 04:32:26 | 暮らし

生まれてこの方、腕時計というものをしたことがない。それなのに、今回フィットビットという時計のような、心拍計測器を購入して今も腕にしている。ネットで購入して、昨日到着した。最初の関門はタブレットに登録ができるかであった。やってみたら意外に簡単なことだった。私のタブレットは4年ほど前のものだ。ソニー製品でdocomoのもので、androidである。以前、体重やら、体脂肪などデーターを入力できるタニタの体重計を購入した。ところが、これはandroidでは自動登録されないという事が後で分かりがっかりしたことがあった。諦めて使っている。時々数値を手入力で入れている。計測好きで、記録好きなのだ。先日水彩人の会場で、アライさんがフィトビットをしていた。どうも時計ではなさそうで、何かの計測器の様なのだ。根掘り葉掘り教えてもらったところ、時計であり、万歩計であり、心拍計であるという。その上に寝ている間の計測で睡眠の状態がわかるというのである。これは年寄りには必需品ではないかと思った。

娘さんからのプレゼントなのだそうだ。親孝行な娘さんである。すべて、登録もしてくれたそうだ。GPS機能もある。フィットビットを付けていれば、フラフラどこかへ行ってしまっても大丈夫だ。すべてオミトオウシである。親孝行な息子がいないので自分で購入するしかない。何とか自分のタブレットに登録が終わったら我が家では自分のスマホにも登録しておけと言うのだ。畑で倒れて帰ってこないときにわかるというのだ。先日も水彩人の会場の老人3人の会話でも、何処で美しい女性に出会ってドキドキしたのかまで監視されるのかという話題になって大笑いだった。実はこのデーターが百万人レベルで蓄積されていて、医療のビックデーターになっているというのだ。ガンを発症した人の前兆現象として、何かが把握できないかというようなことを調べているらしい。アベ政権の悪口を言うようなやつをどうコントロールできるかも調べているかもしれない。大統領の暗殺者はフィットビットはしていないだろう。全てがお見通しなのだ。それでいいのだ。ニャロメなのだ。

早速つけてみているのだが、驚くべきことは腕を顔に向けると文字盤が見えるようになる。そのほかの時は何も見えない。正直まだどうすれば、画面がどうなるかはわかっていない。指でつつくと画面が変わることは確かだ。しかしうまくつつかないと反応がない。何しろ説明書というものが良く分からないので試行錯誤である。それで何とかなるように、最近のモノは出来ているようだ。たぶんここを押せばいいのだろうということであれこれやってみている。ノートレのようなものだ。楽しみは何歩歩くのかである。計ったことがないので、私の一日が何歩になっているかである。畑や田んぼを歩いているが、どの位なのかは分からない。散歩をするというようなことができない性格である。歩くなら犬の散歩をするという方である。ただ健康の為に歩く位なら、ウオーキングマシンで発電をしろと言う方だ。健康体操も田んぼや畑作業の中の動きに取り入れた方がいいという考えだ。田んぼでも同じ作業は長く続けず、あれこれやるのが良いと思っている。

そこでフィットビットでまずは計測である。どのくらいがちょうど良いかを計測したい。どうも座りぱなしだと、動いた方がいいという合図も来るらしい。しんぞうの動きを監視する。晋三ではない、心臓の方だ。フィットビットにもいろいろタイプがあり、最小のものはその場では何も見えないで、合図に光るだけのようだ。小さいところがが売りという事のようだ。ペンダントにもなるとある。私のはチャージ2というタイプだ。もう一つが、ALTA HR こちらは少し小型である。これは奥さんの監視用ではなく、認知症になった時の為のプレゼントである。 石垣にいても、小田原にいてもお互いおおよその動きが監視でなく、介護できるというものではないか。昨日は階段を14回まで登り、9000歩を歩いたという事だった。翌日は26回まで登り、12500歩を歩いたという事だった。継続してみなければ分からないが、万歩計というから、もう少し歩いた方がいいのだろう。睡眠の方はどうもよく分からない。安静時心拍数は60だったが翌日は58とある。睡眠が5時間46分とあった。もっと寝ていると思ったが、寝ているようで寝て居なのか。まだまだ、使いこなしてはいないようだが、記録されたものを見るとなかなか面白い。

 

 

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猛暑災害緊急対応を

2018-07-24 04:07:57 | 暮らし

埼玉県熊谷市で午後2時23分、観測史上最高の41.1度を記録した。岐阜県多治見市で40.7度を観測した今月18日以降、23日までに全国で熱中症とみられる症状で亡くなったのは、少なくとも30都府県で94人に上った。

暑いというようなレベルではない。死の危険がある熱さである。あの西日本豪雨災害とほとんど変わらないような状態である。申し訳ない気分で冷房の中に避難している。田んぼや畑の作業は当然熱さに対する覚悟が必要である。早朝の作業に限る。30分ごとの休憩が必要である。いつものやり方が危なくなっている。年寄りには相当に危険だと思わなくてはならない。年齢に従って熱さというものに鈍感になっている。この暑さでさえ暑いとは思うが、昔ほどではない。明らかに体感的に鈍くなっているのだろう。久野舟原は小田原では涼しい地域である。しかし、我が家の部屋の中でも、7月24日朝3時20分で29度ある。窓は開けてあるのだが、涼しいとまでは行かない。すぐに30度になるだろう。過去にないような高温状態である。田んぼはかけ流しにしている。そうでなければ夜でも水が冷えない。久野でも高温障害という事が起きるかもしれない。小田原でも酒匂川水系では間違いなく高温対策をしなければ、何か障害が予測される。

子供のころ涼しい場所で育った。山の中の標高350メートルある場所だ。夏でもめったに30度は越えなかった。ここで育ったので、汗をかかない身体になってしまった。汗腺が発達する肝心の子供のころに汗をかかないと、汗をかかない身体になるらしい。高校生の時の陸上部の夏練習ですら汗をかかなかった。身体が濡れないまま塩を吹いた。大学生の時に登山を良くしたのだが、みんなが汗でびしょびしょになっているのに、ほとんど汗をかけなかった。替えの下着が要らないので良かったが、体にとても良くない事だった。新陳代謝が良くないという事になる。熱が身体の中にこもる。良い面では汗臭いという事がなかった。今は汗臭い人間に成れた。それはサウナで体質改善がなされて、汗をかく体質になったからだ。サウナで汗腺の機能が改善したようだ。歳をとってからでも、汗をかく能力は鍛えれるようだ。

この高温状態は8月も続くとみなければならない。というか、もうこのくらいが平年並みになるのだろう。石垣は関東地方よりも涼しい。天気予報で毎日確認しているのだが、沖縄は全国でも北海道、東北に次いで気温の低い日が多い。さらに那覇より石垣の方が涼しい日も多い気がする。南に行くほど涼しいというのは少々変に感ずるが、海の影響を受けて涼しいのだろう。気象台の場所次第という事もある。石垣に避暑に行くというおかしな状態である。アメリカの内陸部では50度を記録したというから、熱波はもう災害と考えた方がいい。40度を超えた地域は熱波危険地域という覚悟がいる。熱波災害地域指定が必要である。こうなると巨大台風が関東を襲うと考えた方がいい。遠からず豪雨災害も関東地方にも起こるだろう。備えあれば患いなしだ。東京に豪雨災害が起こると56万人が被害を受けると予想されている。もう誰もが危険な場所に暮らしいる覚悟が必要である。危険な場所に暮らしているのが問題だと、言った人がいるが、それならもう日本から出てゆくほかない。

雨が降らない。川の水が減少してきた。田んぼは出来る限り水を入れた方がいい。畑の乾燥がかなり進んだ。毎朝、ニンジンに水やりを続けている。1㎡に5リットルくらいやる。それでも昼間に行くとすっかり乾いている。それでも夕方にやったものは翌朝にも効果を上げている。一雨は当分期待できない。もうしばらくはニンジンの水やりは欠かせない。この後小田原の畑では水は足りなくなると考えている。まだ、私の家では湧き水から水が湧いている。8月に入り、この水が止まれば、いよいよ危険水域に入る。土壌自体が乾いたという事になる。植物が乾燥で枯れるほどになる。暑いから、乾燥が早い。我田引水ではないが、川の水を堰き止めるほかなくなる。

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幼穂形成期からの水管理

2018-07-23 04:50:15 | 稲作

 

冬水田んぼが一番生育が遅れている。

自然農法の稲作では一般に中干はやらない。慣行農法とは生育が違うので中干は出来れば止めた方が良い。稲作の情報としては、慣行農法の中干をやる理由が、あれこれ書かれているので混乱をする。しかし、中干をやるかやらないかはイネが倒れるかどうかだけの問題である。自然農法では倒れないのであれば、中干はやらない方がいい。田植え以降8センチ以上の水を張り続ける。深くできるのであれば、20センチの深水でも良い。水が深いと分げつをしないという人もいるが、私の観察記録では深さと分げつ数とは関係がない。水圧で分げつが減るというのは、想像の意見だと思う。水深の深い方が、太い茎の株になることは確かだ。そして、背丈も高くなるのも確実である。今年の欠ノ上田んぼの生育調査ではサトジマンで幼穂形成期7月21日で70㎝~90㎝になっている。分げつ数で19本から25本。倒れる瀬戸際に来ている。幼穂形成期以降は田んぼの土を固めなければならない。但しイネとしてはこの時期は水を必要とするので、田んぼのひび割れるほどの干しはやらないで、何とか土壌を固める方向に進めたい。

11番田んぼ。冬季湛水の田んぼ。走り穂が出始めている。

間断灌水である。間断灌水とは水を入れたり止めたりすることだ。川の河岸であれば、徐々に水が減少してゆく合図である。自然のイネは大河の河岸に生育していた。大河は季節で水位が変化して、水が減少してくる時期になると稲は実を付けた。水の減少がイネの生理にとっては穂を付けなければならない合図になる。それまでの深水をここで徐々に上下に変化をさせて、時には水のない日も作る。間断灌水は雨や台風を予想しながらの水のかけ引きになる。徐々に水を辛くしてゆき、最後は水を切る。イネの実り方や、倒れ方を見ながら、の臨機応変の判断になる。田んぼによっては水がなかなか乾かないところもある。欠ノ上田んぼで言えば、4番。10番。11番。水が地下から染み出てくる。こうしたところがあれば、いくら乾かしても、簡単には乾かない。このあたりも配慮しながらの管理をしなければならない。10番については中干をすでに行った。乾かしやすい田んぼなので、すでに乾かした。今日あたりから、11番も乾かしてみたい。4番については乾かすことができない田んぼだ。5番には4番からしか水が行かない為である。田んぼはさまざまであるから、状況に応じた水管理が必要になる。

種取り田んぼの10番。ここだけ3日間の中干しを入れた。

上から写すと、水がないことがわかる。左が2本植。右が1本植。ほぼ変わらなくなっている。

幼穂形成期の判断は、株を切って確認をすることになっているが、私は中央の一番大きな茎の根元が膨らんだ時を幼穂形成期と判断している。これから、実る稲の穂を切ることは私には可哀想でできない。欠ノ上田んぼでは1本植と2本植の苗を28センチ角植えにしている。この場合、幼穂形成期は中央の一番背の高い茎の根元が、扁平から丸く円柱になった時期と決めている。この時期まだ新しい最後の分げつが出来てくる。22本だった分げつが稲刈りの頃には24本の穂の数になる。その最後の分げつにも穂を実らせたい。その為にはすでに中央の株の根元にはそれなりの1センチほどの幼保が出来て、茎を膨らませ始めている。自然栽培のイネの姿はかなり、成育にバラツキがあるという言ことになる。

中央の9番田んぼは全て1本植であるが、他の田んぼと変わらない生育である。色が黄色い田んぼは岡本さんの田んぼ。一番奥の色の濃いのが峰の雪糯。色がかなり濃い。イネは品種によってこれほど色が違う。だから葉色で穂肥を一般的判断をすることは不可能だ。

中央の株の根元が円柱になったならば、穂肥を与える。こう決めておいた方がまだわかりやすい。13,5葉期ほどの頃だ。だから、イネには油性ペンで葉の数を書いておく。おおよそ、種まき13週目で13葉期になるはずだ。天候によって、4,5日外れるだろう。穂肥は自然農法でも与えた方が良い。お米一粒まで十分に実らせるためには穂肥が必要である。一斉に穂が揃わないのが自然栽培だから、最後まで十分に実らせる栽培が必要になる。穂肥はソバカスで与える。1反あたり、90キロくらいである。窒素分で言えば、1反2キロと言われているが、1キロぐらいでいい。ぼかし肥を与えても良い。この時期の田んぼ土壌は腐植質の分解が最高期になり、土壌からの窒素の供給が高まっている。微生物の活動も活発なのだろう。そこにソバカスが投入されれば、一気に分解されることになる。1週間の間に効果が期待できる。

イネは最後の仕上げである。どこまで倒さず、収穫期を迎えられるか。今後の水管理にかかっている。

 

 

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田んぼ7,21の記録

2018-07-22 04:32:57 | 稲作

田んぼ計測中高さを計っているのが、見回り棒。 分げつ数を7本数えて平均した。

田んぼは例年7月20日前後に定時定点観測を続けている。田植えから13週目。穂揃いまであと30日。以前の写真はここにある。同じ場所で写真を撮り、過去の写真と比較して、その年の生育の判断をする。穂ばらみ期である。その年の分げつが定まるころでもある。最後の仕上げに入る。今年は干しをしない方針である。昨年の写真と並べて比較している。順調な生育と見ていいだろう。種播きから13週目で13,5葉期になっている。5日ほど例年より生育が進んでいる。

私は測定をして、写真はお願いした。後から見たら、どれがどの田んぼかわからないことになってしまった。田んぼの写真は自分で撮らないとダメなようだ。どの田んぼも同じように見えてしまう。今朝、もう一度取り直しておく。取り直したが、写真は明日掲載する。

7番田んぼの生育の悪さが気になる所だ。理由はもうひとつわからない。11番、14番のもち米はどうもまだこの田んぼになじんでいないようだ。購入の種子はどうも気に入らない。今年自家採種すれば、来年は少し良くなるのかもしれない。田植え以来、梅雨がなく、晴天続き、連日の高温。イネは例年以上の出来である。この時期分げつが平均で20本超えていればまあまあである。この後まだ1割は分げつが増える。最終的に分げつ24ぐらいが期待できる。

背の高さもすでに90になっている田んぼもある。という事はこのままで行けば、100を超えるという事である。やはり倒伏には気お付けなければならない。土の固め方である。がっちりした太径になっている株が多いから、土を固めればまずは大丈夫である。株は触って硬い。

この時期穂肥になるが、穂肥は中止の一番太い茎の根元が扁平から丸く変わった時である。遅れている分げつはやっと芽を出してきているところである。このばらつきは1本植であれば、当然大きなものになる。そこで中央の株が丸くなった時に穂肥を与えることにしている。穂肥を与えると一穂に着いた米粒がすべて大きくなる。青米やシイナが減少する。遅れて芽生えた分げつもすべて穂が付くことになる。

今年は干しはやらないことにしていたのだが、10番田んぼまでどうしても水が行かず、3日間水がなかった。10番田んぼだけ干した状態になった。10番は種取り田んぼなのだが、それはそれで比較の為にはなるだろう。この後の違いをよく観察したい。

14番

12番

11番

10番

9番

8番

7番

6番

5番

4番

3番

2番

1番

田んぼ番号

植え苗数

分げつ数

株の背丈

品種

穂肥

1

1~2

24.3

90

 

ソバカス大1袋

1~2

21.7

80

 

ソバカス2袋

3

1~2

21

75

 

二見二分の1袋

4

1~2

19.2

70

 

草取りが必要

5

1~2

24.8

70

 

ソバカス半袋

6

1~2

21.1

70

 

ソバカス半袋

7

1~2

18.8

65

 

ソバカス1袋

8

25.1

85

 

ソバカス3袋

22.1

90

 

二見二分の1袋

10

1と2

22.0

80

 

ソバカス2袋

11

1

16.1

60

峰の雪糯

二見二分の1袋

12

3

22.4

90

 

ソバカス3袋

13

 

 

 

 

 

14

20ページ

70

峰の雪糯

ソバカス2袋

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西日本豪雨、溜池の決壊

2018-07-21 04:25:23 | 暮らし

西日本豪雨で決壊した溜池が21カ所ある。その中で防災重点になっていたのは4カ所。農業用水を確保するために造られたため池は全国に約19万7千カ所ある。年間降水量が比較的少ない岡山県や広島県など瀬戸内地方の7府県に約6割がある。多くが江戸時代以前に造られ、のり面が陥没するなど老朽化したため池が多く危険性が高い。溜池から放流をしていても決壊をしたという事なのだろうか。放流をする人がいなかったという事なのだろうか。正確なところは分からないが、管理者が不明確なところが多いという事のようだ。豪雨になっても特に対応はしなかったところが多かったようだ。農水省は、下流に人家がある場合は指定するように見直すという事である。すでに溜池を農家の手だけでは維持することはできなくなっている。溜池によって稲作が続けられているところがまだまだ多数存在するが、大半が土を固められた江戸時代以前からの溜池なのだろう。こうした堤は草刈り等の日ごろの管理が不可欠である。手入れを怠れば、壊れてしまうものと考えておいた方がいい。

稲作農業者の老齢化の問題が溜池の安全管理に反映している。舟原の溜池は一つ下の集落の欠ノ上の稲作の農家に水利権が存在した。そして、その管理も欠ノ上の人たちが行ってきた。欠ノ上では田んぼをやめてしまう所が多くなった。田んぼをやっていないのに、溜池の管理にだけで参加する事は、負担になっていったようだ。自分が出ることができないので、費用を払い業者にお願いするというようなこともあった。そして10年ほど前からはもう管理に見えることは無くなった。そして水もためないようになった。その頃から少しづつ荒れ始めて、水のない溜池は全体が荒れ地状態になってしまった。それから、少しづつ草刈りなど続けていたが、水を溜めることで崩壊したら怖いので、もう水は溜められなくなった。水を溜めなければ、草刈りなどの日常管理の負担は大きくなる。そこで、現在は浅い水を張ることで、何とか日常管理ができるようにしてある。だから舟原溜池は崩壊するほど水が溜まることはない。

舟原の溜池の歴史を見るにつけ、同じようなことが少なからず全国に広がっているような気がする。地域の稲作農家が溜池の管理を出来ないとしたら、国は税金で溜池を保全することにするのだろうか。あるいは溜池をやめて埋め立てる選択になるのだろうか。江戸時代以前から、溜池を守ってきたのは日本人の稲作に結びついた暮らしである。稲作農業が無くなるという事は、様々な形で日本の自然環境の循環が崩れるという事になる。田んぼがなくなり、水路自体がなくなったところも多い。水路の管理が大変なので、自然型水路をやめて三面コンクリートの水路にする。中には埋設のパイプに水路を変えてしまう。田んぼにはバルブで水が入るというような田んぼも増えている。管理は楽だと思うので止む得ないとは思うが、生物多様性から言えば、大きなマイナスになっている。人手がないとか、国際競争力の合理性というものが優先されれば、日本の自然多様性や循環を破壊してゆくようなことに繋がっている。

地方消滅という事態は、今回の土砂災害の根本的原因でもある。やまで囲まれた地方では、山林の管理に手が入らなくなっている。多くの山では間伐の様な森林の管理が十分には出来なくなっている。何とか間伐まで行っても、そうした間伐材に経済性がないから、山に切り捨てられている。豪雨があると、その間伐された大量の丸太が、濁流に飲み込まれ、一気に下流に流れ下る。橋げた等に溜まる。そして川のどこかでつまりを起こし、川は氾濫を始める。山の手入れができないのは日本の林業が国際競争力を失っているからだ。林業や農業を国際競争力からだけ見てはならないという事だ。経済だけでなく自然環境を誰が、どのように管理するかを決めなければならない。林業者や農業者が今までは国全体で行うべきことを、かろうじて肩代わりしてくれていたのだ。それを国際競争力がないという事で、切り捨てているのがアベ政権の方針である。国際競争力有線で利益の出た企業は果たして、農業や林業がやってい多国土管理を税金で補ってはいないのだろう。社内留保して社会還元が不足している。中には無税の国に余剰を隠すものまでいる。儲かるからというだけで、カジノにまで手を出す政府である。もう駄目なのかもしれない。

 

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有機農業の個人的定義

2018-07-20 04:38:27 | 自給

有機農業にはJAS有機基準というものがある。このJAS基準というものは主として消費者の為にできた基準である。この基準が出来てまがい物の有機農産物が減少したことは有機農業者にとっては基準の成果である。しかし反面、基準で農業を縛るという限界も見えて来ている。JAS基準というものは有機農産物の生産において、使ってはいけない資材が多数決められている。しかし、やるべきことについては全く触れられていない。美味しい安全な作物を作るための基準という意味ではない。JAS基準に従った作物だから、良い作物であるとは限らないことになっている。やってはならないことが決めれたとしても、やるべきことが間違っていれば、良い作物を作ることなど出来ない。私は養鶏を長年やってきた。現在は有機畜産JAS基準が出来たようだ。例えば飼料は70%(正確なところは知らない。)有機農産物でなければならない。こう書かれているとすれば、野山の草はどうなるのだろう。野山が有機認証を受けていなければならないという事になるのだろう。こういうことは実に形式主義である。その結果、JAS有機の卵を生産するならば、草は与えないという事になる。

放し飼いに対する考え方もそうだ。放し飼いは鳥インフルエンザの為に禁止されていた。今はどうなっているか知らない。禁止されていてもJAS有機基準の為には放し飼いをしなければならない。どんな放し飼いになるのだろうか。放し飼いと平飼いは似て非なるものだ。自然状態の原野に放し飼いされることが重要なのだ。自然の野山で遊ぶ鶏は素晴らしい鶏になる。草一本ない野外に鶏が出たからと言って何もよいことなどない。JAS基準では出来た農産物に関しては何の把握もされていない。良い卵とはどういう卵であろうか。卵である以上子孫が未来永劫続いてゆく卵が良い卵と私は考える。良い雛が生まれる卵である。自分で孵化しなければそういう事は全く理解できない世界であろう。自分で雛を孵化して、育てる能力がない養鶏業者が、まともな養鶏など出来るわけもない。有機基準だけを守ったとしても、良い卵が出来るわけではない。最も基本は鶏が好きで、鶏を観察できることである。こういうことが一番欠落しているのが、商品の卵である。

稲作で言えば、水ですべての田んぼは繋がっている。上の田んぼが普通の農業をやっていれば、その隣で有機JAS基準の田んぼをやることは極めて難しい。しかし隣であっても自給の為の有機農業の田んぼをやることはできる。お隣と共存できないようなものを有機農法とは呼びたくない。お隣と共存できないからやらないというのであれば、地域の有機農業は滅びる。ではお隣が有機農法ではない私たちの田んぼのお米が、JAS有機基準のお米よりも、生産物として劣っているとは考えていない。お米をどれだけ分析しようと十分に勝っている自信がある。有機農産物の生産者が、自分で苗を作らず、慣行農法の苗を購入しているというのでは、何か違うと思う。商品としての農産物だけがJAS基準で、商品でない農産物は慣行農法でやっている姿も、何か違うと思う。商品の価値基準から抜け出るためにも、自給農業である。自給でなければ本当に良い作物など作れないと思うからである。

有機JAS基準は良い作物を作るものでなければならない。一番の弱点は生産物の検査がないことである。生産物の残留農薬や、栄養分析位は行うべきだろう。枯れかかった有機農産物が本当に良い食べ物と言えるのだろうか。やってはいけない事だけでは全く分からないはずだ。卵で言えば、生きている期間で測定する事が出来る。一定の条件で生きている期間を基準にするのだ。何か月生きていて孵化できる卵であるか。ダメな卵は2週間もすれば孵化できなくなる。良い卵であれば、10週間たっても孵化できる。もちろん無精卵など、個人的には有機農産物とは呼ばない。良い卵を作るためにはやってはいけない事だけではどうしようもないのだ。ある自然畜産と称する有精卵を孵化してみて一つも雛にならなかった経験がある。自然養鶏にはやらなければならないことが山ほどある。そういうやるべきことに全く触れない、JAS有機基準は何か片手落ちなのだと思う。有機農法は自然の摂理に従う最高の栽培法だから私はやっている。それ故にJAS有機基準にかかわらないで来るしかなかった。自給農業はJAS基準にかかわる必要が全くないところが素晴らしいのだ。

 

 

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有機市民塾で明治大学の佐倉先生の講義

2018-07-19 04:10:47 | 自給

有機市民塾で明治大学の佐倉先生の講義をしていただけた。諏訪の原圃場も見て頂いて、いろいろ実際の栽培についての指導を頂けた。講義を聞いて学ぶ。そして実践してみる。これが市民塾の理想の形だと考えている。一番印象に残ったのは、有機農業でも肥料をたくさんやれば、良くできる。良くできるけれどもたくさんやってはいけないという言ことだった。一般にその場で良くできていれば、当然素晴らしいと思う。しかし有機農法では今の良さを求めていていては永続性がないと言われていた。大きな循環の世界を見れば、肥料という偏りは考えは捨てなければならない。野山には肥料はない。自然の堆肥はあったとしても肥料という概念そのものがない。3つの佐倉指針がある。1、多様性を尊重する。2、循環する姿を求める。3、は忘れた。有機農法というものが、優れた永続性のある農法であること。今起きている異常気象なども、循環する環境を失いかけているからではなかろうかと。地球環境がおかしくなってきた要因の一つに、近代農業がある。

最初に地球の歴史のことが講義された。近代農業の歴史など高々100年である。人間が登場するはるか昔から、様々な微生物が地球という循環する形を作り出してきた。それを近代農業は肥料という考え方を持ち出し、自然環境をダメにしてきた。微生物の存在を見落としててはならない。近代農業の肥料という考え方は、微生物というものが計算になかったからできた考え方だ。同じころパスツールが微生物の発見をしている。もし土壌微生物という考え方が近代農業に生まれていれば、近代農業の形はかなり変わっていたはずだ。このように言われていた。微生物と共存する栽培法が有機農法である。農業という枠で農薬、化学肥料を取り除くことができないのであれば、せめて家庭菜園では有機農法でやるべきだろう。明治大学では10年以上同じやり方で、継続性のある有機農業を実現している。そしてその実際のやり方を説明頂いた。

先生の言葉の引用、「森林の植物や雑草は人間が何もしなくても育つのに、同じ植物である野菜は人間が過保護にして、植物としての本来の力をそがれてしまっている」。そう考えて、人工的な化学肥料や化学農薬は使いませんが、それは野菜の生命力を引き出すための手段で、目的ではありません。野菜は生命力を引き出すことができれば、あとは自然に育ってくれますから、有機栽培は最も合理的な栽培方法であるとも言えます。営利を求めたり、JAS法の基準に縛られたりする必要がない趣味の家庭菜園こそ、生態系の一員として自然に参加し、おいしい野菜を分けてもらう、本来の有機栽培を楽しみながら実践できる場なのです。」

畑での講義では、草は抜いてはいけない。10センチくらいの高さで刈り取っておくぐらいの状態が良いと言われていた。野菜の畑にはバンカープランツとして、ソルゴーのようなイネ科のバンカープランツが必要だと言われていた。害虫と呼ばれる虫は江戸時代には居なかった。あらゆる虫が存在するという事に意味がある。草食性の虫が害虫と呼ばれ、食害をする。すると肉食性の虫が登場して、その虫を食べてしまう。こうした循環の中に作物を織り込ませてゆくことが有機農業では大切な考え方だと。だから有機農業では多様性が必要だ。何かを淘汰することで、何かを得るのではなく、畑の世界を大きな自然循環の中に入れること。バンカープランツとは、畑の多様性の為に必ず必要なものだ。虫の住処を畑の世界に作る必要がある。

私の有機市民塾の畑は、明らかに見劣りする。見劣りはするが、いくつかの良さがある。間違いなく肥料は最小である。草は基本抜かずに押し倒している。燻炭は良く入れた。草の中に作物がある。それでもそこそこ収穫を頂いている。特にキャベツはできた苗5株とも虫にやられず成長している。トマトの葉色はかなり薄いが、なんとか家で食べるくらいのトマトは収穫できている。さすがにダメなのはナスだ。ナスはひどい状態である。最初は取れたのだが、今は瀕死の状態である。これまでもホウレンソウ、こかぶは立派に収穫が出来た。こうして、12人が並んで同じものを作るというのは実に面白い。それぞれの生き方が、作物に表れている。自学自習である。それぞれに学んでもらえれば、ここがそういう仲間の場になればいいと思う。どこへ向かうかはそれぞれが判断すればいいことではないだろうか。

 

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朝の畑や田んぼを巡る楽しさ

2018-07-18 04:51:38 | 自給

 

機械小屋の大豆苗箱播き

毎朝ぐるりと畑田んぼの見回りをする。この1週間は朝のニンジンの水やりが加わったので、張り切っている。少し時間が余分にかかるが、楽しみが増えた。作物が発芽することを見届けるほど面白いことはない。5時に家を出る。だから今日も5時までにはブログは書き終わる。そして、5時から軽トラの後ろに積んだ、3つの桶に水を一杯にくむ。10人の畑がある。一人5mである。150リットルで50メートルぐらいのにんじんの畝に丁度の水やりになる。一人30リットルの水やり人る計算だ。水やりだけで45分くらいかかった。結構歩く距離がある。10リットルじょうろに水を汲んでは繰り返し15回くらい歩いた。1回5分で45分くらいだった。この水やりが良いのは、大豆畑の鳥を追い払う効果もある。まだハトは来ていない。毎朝着ていたハトが幸いのことに避けてくれている。10人の作物をゆっくり眺めることになる。それぞれ播き方の状態が違うので面白い。丁寧な人、おおざっぱな人。私がほかの人と違うのは、蒔いてから足で踏みつけてみた。足で踏むたびに、足で踏んだら種が怒って良い発芽にならないと言っていた人のことを思い出す。ひねくれ者の私はそれから、種をまくと踏みつけることにしている。

このイネの感じは悪くない。

つぎに欠ノ上田んぼに回る。田んぼの水回りである。田んぼはこの時期間断灌水である。川の水も減少しているので、半分の田んぼに水を回し、半分は水を止めるという事にしている。単純に決まったようには行かないので、その日その日で微調整しなければならない。水があるはずの田んぼに水がないという事がままある。それでも初期段階の深水管理よりはだいぶ楽だ。畔の水漏れなどあっても、イネには大きな問題は起こりにくくなっている。病気の観察もしている。昨年はこの時期には出現した紋枯れ病は今のところ見当たらない。紋枯れ病は幼穂形成期の時期に出るらしい。もうそろそろである。ニカメイチュウにはだいぶ入られた。しかし、やられるもももやられて、それなりに収まったところのようだ。田んぼの漏れが所々起こる。これを直していると思わぬ時間がかかる日もある。大体は30分で田んぼの水回りは終わる。そして、舟原田んぼに行く。赤松さんの田んぼの水の様子を見る。イネの状態はなかなか良くなってきた。このまま行けば8俵は超える。穂肥や干しを適切にやれば、10俵に到達する可能性もある。今のところ少し太さが足りないか。びっくりしたのはジャンボタニシがいたことだ。

今度は根付いてくれた。来年は良い花を咲かすことだろう。

次に廻るのが、舟原溜池である。ここで、蓮とカキツバタの様子を観察する。カキツバタは良い芽が出てくれた。活着したのだ。これで一安心である。先日、種を収穫して、乾燥している。良いタイミングで播種してみようと考えている。花が咲くまで3年かかるのでやる人は居ないと書かれているが、3年くらいなんという事はない。種をまいて育てるという事が楽しいではないか。池の一角にカキツバタの種まき場所を作ろうと考えている。溜池はつい眺めていて時間が過ぎる。良い空気が溜まっていて実に美しいものだ。こんな素晴らしい場所を自分たちの溜池として管理できる舟原は本当に幸せな地域だ。私は舟原自治会の環境美化委員として溜池の管理をさせてもらっている。この後、機械小屋に回る。機械小屋の中庭には、大豆とササゲが苗箱に播かれている。この苗箱に水やりをする。大豆も、ササゲも水やりより、水のやり過ぎに気お付けなければならない。大豆は14日播き3日目で持ち上がってきたところだ。ササゲは16日播きでこれから動きが出てくると思う。ササゲは宮古島の黒小豆も播いてある。

家に戻ると2時間くらいが経過していた。何とも素晴らしい時間だ。蒔いた種を見て歩くことほど面白いことはない。彫刻を作る木曽福島の方の人が、何時も発芽する芽の彫刻を作っていた。実に面白い主題だと思った。土からにょっこり出現した植物の、世界を新鮮に受け止めている姿ははつらつとしている。そして点に向っての方角を示している。私も絵を描くという事はこういう姿を描くという事だと思っている。畑巡りは深く楽しい時間だ。負担感は全くない。一人でやるとすれば、ニンジンも毎年上手く行かない。だらしないからだ。まあいいやという事になる。しかし、みんなのにんじんもあるとなれば、さすがに張り切って水やりが出来る。こういう時に、人間は人の為の方が力が出ると言っていた中村さんのことを思い出す。先日大豆の会の種まきに参加した人が、今度中村さんの所の研修生になりましたと、張り切って語っていた。そう、みんなでやればこの場所だけは何とかなるかもしれない。

 

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西日本豪雨の避難の問題

2018-07-17 04:05:32 | 暮らし

西日本豪雨災害ではあまりに多くの人命が失われた。異常気象が極端な気象をもたらしている。連日の猛暑も過去体験のないような状態である。避難に問題があったと思う。もういつでも前例にはない災害が来ると考えた方が良い状況なのだと思う。過去にも局所的には今回よりひどい土砂災害はあったと思う。しかし、これほど広範囲に土砂災害が多発し、ダムを漂流して下流域で決壊する事態というのは無かった。もう多くの人が生活の実感で、何か天候がおかしくなっているのは分かっていると思う。農業をやっていると、おおよそ過去の事例で進めるが、過去の経験を超えているという事が良く分かる。例えば田んぼで言えば、現在、12葉期のはずが、13葉期に進んでいる。田植え以降、少しづつ早やまっている。今まではどちらかと言えば、少し遅れることが普通だった。これが吉と出るか凶と出るかはわからないが、すべてが過去の気象の状態とは少ししづつ変わってきている。梅雨らしい梅雨がないということが去年今年の状態だ。去年は秋に雨ばかりという事だったが、今年も予想外と考えなければならないのだろう。

災害対策を進める行政の対応には確かに問題があった。避難についての住民の考え方にも問題があったと思わざる得ない。以前、自治会長をやらしてもらったときに、舟原地区が土砂災害危険地区という事で、避難所をフラワーガーデンに移動することになって、看板をフラワーガーデンに付けさせてもらった。そして避難体制の実際について話し合いを持った。その時自分は逃げないという人が大半であった。皆さんの意見が非難する方が危険という意見が強かったのだ。舟原は川の両岸に暮らしていて2か所の橋でつながっている集落である。川を渡らなければ、避難所に行けない人が半分はいる。そのような人にしてみれば、川を渡るような危険を冒すよりも家にいた方がマシだという事だった。確かに一番の危険個所が2つの橋の部分だ。という事は集落に2つの一時避難所を作る必要がある。と言ってそういう事は全く考えることができない状態で絵ある。

フラワーガーデンは一時避難所であり、最終的な避難所は久野小学校である。舟原からは川沿いの道を3キロほど下ったところである。歩いて避難しなければならない決まりである。車を避難に使えば道が細いので、車の渋滞ができる。そしてその道路が土砂災害によって川になる可能性も高い。来るまでの避難はどう考えても危険で不可能である。それでは歩けるかと言えば、豪雨の中歩くことなど不可能である。避難訓練では一度、フラワーガーデンに集まり、フラワーガーデンから久野小学校に行くことになっている。フラワーガーデンまでは車で行っても良いのではないかと思う。車が渋滞する可能性はまずない。付近には十分に広い駐車場もある。そういう実際の避難を行政とともに検討した方がいい。申し訳ないが、行政は全くそこまでは考えていない。そしてフラワーガーデンから、小学校には移動しない方がいい。つまり、和留沢、舟原、欠ノ上、留場の4つの集落の人は、フラワーガーデンを避難所のした方が安全性が高い。場合によっては新しく建て直されている、葬祭場を避難所にしても良い。

現在では、現実離れした避難訓練が続けられている。その為に避難訓練が極めて形式的なものになっている。自治会長の時にはそのことも嫌がられながらも何度も主張したが、取り合ってもらえなかった。その結果、無理な訓練を経験して、逃げない方が安全であるという認識が定着したのだろう。訓練のたびに非難をしない方がマシだという事が、経験的に周知されることになる。小田原市の防災計画がいかに無謀な計画であるかが実感される。そのほぼ無意味な訓練がもっともらしく繰り返されているのだから、実際の土砂災害が起きた時にどんな非難になるのかと思うと、恐ろしい気分になる。ではどうしたらいいかと言われても、正直良い考えはない。そこで人のことはともかく自分はどうするかという話になる。まず、小田原市の防災対策課に電話をして、フラワーガーデンの一時避難所の解錠をお願いする。そして車で一足早く、フラワーガーデンに避難するつもりだ。もうそのつもりで、最低限いるものは車に積んである。

 

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