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日産ゴーン事件と日本の司法制度

2020-01-10 04:11:41 | Peace Cafe


 保釈中のカルロス・ゴーン元日産社長がベイルートまで脱出を計り成功した。そして、日本の司法制度を批判する記者会見を行った。断片的にでは有るがみた。中々迫力のある会見であった。

 森法務大臣もそれに呼応して、緊急記者会見を行った。日本の司法制度は公正なものだ。被疑者の人権も守られている。日本の司法制度の中で身の潔白を主張すればいいと主張した。やや説得力に欠けていたかと思う。

 世界の常識的な目から見れば、日本の司法制度は相当にひどいらしいと感じたことだろう。日本という国の評価が随分下がったに違いない。日本は安全な国だと思ったが、外国人にはそうでもないらしいという評価が生まれたのではないか。

 私にはゴーン氏の主張の方が世界では通るように思える。ゴーン氏は有価証券法違反と言うことで逮捕されている。要するに税金をごまかした、あるいは虚偽の会計報告を行ったという疑いである。税金は大事だとは思うが、即座に人に危害を加えるおそれがある犯罪ではない。100日も保釈をしないと言うことが許されるとは思えない。

 事件の本質は日産社内のクーデターである。社内でおかしいと気づいたのであれば、まず社内で問題にして、解決するのが普通のことだ。日産に自浄能力が失われていたので、検察の手を借りたと言うことではないか。外国人支配排除も感じられる。

 ゴーン体制に抵抗できないために、検察に社長の犯罪を訴え協力を取り付けたのだろう。内部告発でゴーン体制にクーデターを行った。ところがそのクーデターの首謀者である。後任の社長の西川氏も同様の背任行為を行っていて、社長を退任した。何故か、告発した西川氏はおとがめなしで、ゴーン氏は独房に100日以上監禁である。

 企業にはこうした犯罪と言えるのかどうかのギリギリの節税対策はいくらでもあるのだと思う。特に税金に関わることは、やりようで犯罪が節税と言われるものもあるのだから、会社内部で解決出来る可能性も高い。

 こうした検察と日産クーデター派の意図するところは、日本の日産がフランスのルノーの言いなりになるわけにはいかないという背景がある。ルノー経営者でもあるゴーン体制のままでは、ルノーに日産の利益を吸い取られてしまうと考えたのだろう。

 ゴーン氏が独裁者で、手に負えなくなったと言うことなのだろう。そんな過激な人だから、倒産しかかった日産を建て直すことが出来た。当時は英雄のように持ち上げていた。ルノーを今になって排除するというのも、助けて貰って置いてなんなのかという側面もある。まあ、人情で動いているわけではないから仕方がないが。

 そんな、複雑な社内事情でクーデター派は司法取引の上で、ゴーン元社長のあらゆる犯罪的行為を検察にさらけ出したのだろう。しかし、それが明らかに犯罪なのかどうか、少なくとも長期間拘留しなければならないことなのかどうかには疑問がある。

 クーデター派は勾留している間に、ゴーン氏を株主総会で社長から解任をしてしまった。もし無罪であるとしても、拘留されていたために、反論さえ出来ない状況である。このやり方はすべてクーデター派の筋書きと言えるのではなかろうか。汚いやり方とも見える。

 カルロス・ゴーン氏の108日に渡る長期拘留は日本の司法不当性を表している。人質司法と呼ばれているものだ。犯罪を認めない間は保釈をしないのだ。それはえん罪であろうが同じである。

 厚生労働省の村木厚子局長が大阪地検特捜部に逮捕・起訴され、一審で無罪判決が出て確定した。その過程で、主任検察官の証拠改ざん事件が発覚し、検察全体が激しい社会的批判を浴びた「特捜検察不祥事」である。その後、厚労省事務次官にまでなった村木氏が、起訴事実を全面否認していたことから164日にわたって勾留された。これが「特捜的人質司法」である。

 そもそも凶悪犯罪の場合、保釈した場合又凶悪な犯罪を犯す可能性がある。しかし、村木さんの場合や、ゴーン氏の場合は一般の人達を危険にさらすようなことはない。証拠隠滅だけの問題である。

 検察の手法の実態は、長期拘留で精神的に追い詰めて、自白をさせると言うことが主目的である。村木氏もゴーン氏もすごい胆力の人だから耐えきったが、普通の人ならひとたまりもない。この検察の手法は人権を軽視している。間違ったやり方である。

 ゴーン氏は日本から脱出して世界に訴えれば、自分の主張が認められると考えたのだろう。このまま日本の裁判に進めば、自分は犯罪者にされてしまうと考えたに違いない。

 ゴーン氏は日本にいたのではまともに反論する場を与えられていない。情報は一方的に検察から出てくる。世間は垂れ流しの検察リーク報道を読んで、ゴーン氏が相当にひどい犯罪者だと先入観を植え付けられてしまっている。記者会見に日本の報道機関の一部を除外したという所にそれが現われている。

 ゴーン氏は検察によって、国外逃亡という犯罪者になった。しかし、これがえん罪である場合、どういうことになるのだろうか。えん罪で逮捕され刑務所にいた人が、脱獄した場合、犯罪になるのだろうか。日本でまともな裁判が期待できない場合、ゴーン氏はどうすれば良かったのだろうか。

 村木氏は支援団体が出来て、大きな応援があった。日ごろからそんな犯罪を犯すはずのない人だと信頼された人だったからだ。その支援の声がとどいていたから、頑張れたと語っておられた。

 ゴーン氏の場合、そうした応援の声は出てこない。どちらかと言えば外国人だからやりそうなことだのような、差別的な空気すら感じられた。くわえて、大富豪へのやっかみ感情すらある。このままでは危ないと考えたゴーン氏の判断は間違えとは言えない。

 西川元日産社長はこの記者会見に拍子抜けした。何の証拠も出なかった。等と安堵していたが自分の犯罪はどう考えているのだろうか。報道の大半はゴーン氏の会見では無罪の説得力がなかったと言っている。なんとも頼りない見方だ。証拠をこの段階で出さないのは当たり前だろう。裁判が待っている中で、この段階で証拠を出すわけがない。それが戦い方だ。

 いずれにしても,たとえゴーン氏が有罪であろうとも、日本の検察の自白するまで、保釈はしないという人質司法のやり方は、再犯の可能性がない場合は変えなければならない。それがえん罪を少しでも減らすためには必要である。

 
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シーサー作りをやる

2020-01-09 04:20:05 | 石垣島



作ったシーサー。崩れそうなので、乾くまで口の中に新聞紙を入れて保っている。

 石垣の家の玄関にはスイジ貝のあるモザイク画を制作した。毎日の出入りの時に気分がいい。スイジ貝は火防の貝である。ただ置いておくのではもったいない。モザイク画の中に入れることが出来れば、すばらしいことだおもって、スイジ貝入りの大理石モザイク画を制作した。

 前から考えていてまだ果たしていないものがもう一つある。屋根の上にシーサーを乗せることである。シーサーは石垣の家の10%ぐらいには置いてあるだろうか。石垣らしくてなかなかいいものである。様々な個性があり、石垣らしい魅力となっている。石垣の家にも笹村アトリエらしいシーサーを作るつもりでいた。

アッシリアのライオン像
 シーサーのことを考えてみると、どうしてもアッシリアのライオン像にたどり着く。ライオン像は神を意味する。現地で見たことはないのだが、大英博物館などで見たことがある。すばらしい造形である。

 動物彫刻としては傑出していると思う。あの迫力がシルクロードを伝わり、何千年経て沖縄のシーサーになったと思うだけで,悠久と言うことを感じる。中国にも獅子像はある。しかし中国の獅子像で感心したことはない。中国では神格化しようとしたら、竜と同じで幻術的になってしまった。


 シーサーは魔除けである。そもそもは家の入口の地面に1体だけ置いたらしい。いまは屋根の上に阿吽の2体が置かれているのが一番普通である。日本の狛犬は中国の獅子像に比べると、素朴感がありよいものもある。それでも彫刻としては物足りない気がしてきた。

 日本人は立体に弱いのではないかという気がしてくる。野外彫刻は神社の森陰ではどうも合わない。やはり陽射しの強い場所で、陰影が目立つようなところで形が出てくる。日本人の床の間芸術的な弱さを、狛犬では感じてしまう。


 その狛犬が、沖縄では強い陽射しの元魅力的なものに生まれかわれたように思える。あの神社の森的なものから、各家庭の陽射しの強い玄関先に置かれることで、生気を取り戻した。立体には陰影が重要だ。

 それが石垣の漫画シーサーである。全く冗談のような魔除けである。宗教から解放された愉快な世界観。何でもありの中で、自由の翼を得たシーサー。家の壁にサザエさんがあって、大丈夫な石垣の気風なのだ。当然シーサーも漫画シーサーである。



 シーサーを琉球石灰岩で彫りたいと考えていた。良い石がある。それが少し風化してきた感じがいいと思っていた。それで石垣に来てからいつも石を物色していた。昔から石は好きだった。石置き場をただ見て歩くだけでも面白い。石置き場なら一日いられる。

 しかしいい石はあるのだが、彫ってダメになりそうなのだ。とてもアッシリアの石像には石自体が及ばない。当たり前のことである。それで、ここは石垣の土で作れないか探していた。テラコッタのシーサーである。
 

 石垣島には陶土があるとは聞いていた。石垣は地質学的に実に複雑な場所で、粘土も存在する。その粘土でシーサー作らせていただけるところが見つかった。それが川平焼き凜火と言う陶芸工房である。35センチまでのシーサーを作らせてくれる。

 石垣の土で作らせてくれるというからやってみたくなった。まず、1月7日に一日かけて作った。しかし終わりまでは出来ない。8日の午後にもう一度出かけて、終わりまで作った。焼き上がりは3月半ばらしい。


 アッシリアのライオン像がシルクロードをたどって、日本まで来た。良いものの勢いはそれくらいつよい。砂漠の乾燥した空気のしたで、くっきりした陰影のあるライオン像。

 そうした力強いものである形であって、シーサーはのどかで、ほのぼのとしていて欲しい。あっけらかんとしているものを作りたいと考えた。漫画シーサーとは少し違うが、迫力あるようなシーサーではアトリエには合わない。

 高い場所に置くので、大きさはできあがりで30センチは欲しい。石垣に土は17%縮小するそうだ。これには少し驚いた。35センチで作って,29センチぐらいだ。屋根の上で何気ないくらいの大きさがいい。

 好きなシーサーはあるので、参考にさせて貰った。ところが全くそうはならなかった。2日間全力で作ったが思うようには行かなかった。自分で作ると別ものになる。スゴク下手でいいのだが、焼き上がりが心配である。粘土の調子から言って、乾く間に割れそうな気がする。かなり心配な作りになってしまった。それで疲れた。絵を描くより疲れた。

 粘土状態の作品も写真を撮ってはあるのだが、タブレットが壊れてしまい、パソコンに上げられない。上げられるようになったら載せるつもりだ。

 


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私人昭恵夫人の桜推薦ワクてなんなの。

2020-01-08 04:55:01 | Peace Cafe

 いつまでも桜を見る会のことを言っているのはおかしいだろうという論調がある。国会ではもっと大事なことがあるだろうというのだ。そうスキャンダルをいつまでも国会でやってないで、建設的な事を議論しろ、というのは確かに正論である。

 それなら、説明責任を早く果たして、建設的な国会にする義務は総理大臣に一番ある。アベ氏が曖昧なままだから、話が長引いているのだ。桜の会のいちゃもんは止めろという人は、清浄な国会のためにアベ氏に説明責任を果たせと言うべきだろう。

 何もかも曖昧なまま終わらせているのが、アベ政権である。この説明をしない態度が日本をダメにしている。日本が前に進めないのは,責任をとろうとしないアベ政権が悪いからだ。そこであえてサクラ問題を書く。

 総理大臣夫人の昭恵氏は私人であると閣議決定されている。インチキ小学校の名誉校長を引き受けてしまうなど、いろいろ差し障りがある人だから、公人という訳には行かなくなった時に、無理矢理閣議決定した。ところが、私人であるはずの昭恵夫人に,桜の会招待推薦ワクがある事が分かった。こういうのを2枚舌というのだ。

 年が明けたら、すがすがしい気分でいたいのにまた思い出してしまう。桜を見る会の招待は功労賞なのだそうだ。長年地道に社会貢献した方々への慰労賞なのだそうだ。だから芸能人や著名人は人寄せパンダと言うことだろう。そもそもこういうやり方で人を動かそうと言うことが大嫌いだ。

 公人昭恵夫人らしい姿である。昭恵氏は電通にいた人である。人間の動きには実にさとい人だ。自分の役割をいやらしく自覚している。名誉校長になる効果をよく知っている。自分の桜の会への推薦がどういう効果を上げて、どんな結果になるかを計算している人だ。総理大臣がするわけには行かないバックアップをしているつもりなのだろう。

 実は昭恵夫人から推薦されたであろう人を知っている。推測だし、個人としては素晴らしい人なので、具体的には何も公表はできないが、推薦されて効果のある人である。どんな効果があるかと言えば、推薦状を自分の所のパンフレットに入れたくなるような人と言うことだ。

 その人は昭恵夫人の支持があることを会う人ごとに話していた。総理大臣夫人が応援してくれているからもう大丈夫だと話していた。その方はボランティアで素晴らしい活動をしていたのだが、とても苦労されていた。問題も抱えていた。だから昭恵夫人が頼みの綱ような気分だったのだろう。その気持はよく分かったが、危ういことだと話していた。

 良いことのために大いに励まされたのだから悪いことでは無い。むしろ良かったわけだ。しかし、この昭恵夫人ルートというのは何なのだろうか。こういう意味不明の権威的なお札を付ける、気持ちの悪い解決法はまずくないだろうか。問題が出なければいいがと思っていたが、結局困ったことになってしまった。

  例えば、昭恵夫人は農業が好きということになっている。農の会の活動は、とても素晴らしいので一日訪れるとする。新聞も来るだろう。小田原市の担当も来るだろう。それで宣伝になり、活動はそれなりに目立つ。話題にもなる。しかし、そういう意味不明の応援はいらない。地道な活動をゆがめかねない。

 昭恵夫人の善意はいいのだが、これがゆがんで偏っている。善意というのは歯止めが無い。幼稚園生が、教育勅語を暗唱する姿を美しいと感じてしまうと名誉校長まで引き受けてしまう。こうした総理大臣夫人の曖昧な推薦の効果の方が怖いのだ。怪しげな人物も群がるわけだ。右翼や宗教やえせ科学が関係してくる。お墨付きの欲しい人が関わりを持つ。

 アベ後援会ワクよりも、昭恵夫人推薦ワクの方が、さらに気持が悪いことになる。この奇妙な権威のようなものが、日本で一番あってはならないものではないか。それが善意であれ、正しい行いであれ、あってはならない気味の悪さだ。

 総理大臣は公務員であるが、その奥さんは何だろう。奥さんは奥さんのほうの世界で活動すればいいのである。総理大臣夫人の役を公人として広げたのは安倍内閣が初めてではないか。どうも気色悪い。

 肩書きを重視するいやらしさである。昭恵さんは総理大臣では無いのだ。内助の功はあるのだろうが、単純に夫人ナノのだ。別人格である。たまたま総理大臣夫人である。それをありがたがってはならない。トランプ夫人は自身で「世界で一番嫌われている女」こう言ったそうだ。イヤ日本では2番目ですと言いたいところだ。

 昭恵夫人がこんなお化けになってしまった理由は、日本人の劣化が背景にある。有名人と写真が撮れることをありがたがる恥ずかしさ。昭恵夫人を忖度する人のおかげで、できない無理が実行されている現実があったのだ。アベ記念小学校の設立である。名前は違うがそっちはもう忘れた。

 著名な詐欺師がアベ推薦ワクの招待状を、詐欺行為の宣伝ビラに利用していた。これは明らかに悪事だと分かるからまだいいが、昭恵夫人を利用した忖度行為は、払い下げに関わる忖度になり、公文書の書き換えになった。出先の官僚の自殺者まで出した。

 実際の社会では,この気味の悪い社会がカビのように広がってきている。日本はそもそもそういう嫌らしい社会だった。それがすこしづつ払拭されてきたと思う矢先、アベ政権が一気に復活させた。日本の身分制度である。封建社会では無く、意味不明の権威による差別が広がっている。

 だから、桜の会に招待されたくなってしまうのだ。そちら側に自分がいることの確認行為である。所属の確認である。こうして桜を見る事のできない、この枠には入れない人に不思議な圧力をかけているのだ。

 日本中にプチ昭恵夫人がいることだろう。この気味悪さで動いて行く日本に戻って行くことは何よりイヤだ。能力主義と言いながら、実は尾ひれで動いている日本社会がみえてくる。昭恵夫人桜ワクは健全な社会の力がしぼんできている表れなのだろう。

 皇室の利用も同じである。象徴である天皇を重要であると考えるならば、一切権威づけで利用しないことである。皇室の園遊会の報道など、やらないことだ。招待された人個人の問題として納めることが大切である。そうそう写真撮影も禁止だ。
 
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第三次世界大戦の可能性 自衛隊の中東派兵の即時中止を

2020-01-07 04:00:45 | Peace Cafe
 石垣のお宅のすごいシーサー、大きさは80センチくらいあるだろうか。

 アメリカとイランの戦争が近づいている。第三次世界大戦になりかねない恐ろしいことだ。中東の状況は大きく変化した。アメリカの失敗である。イラン革命防衛隊のソレイマニ司令官をテロリストだとして殺害した。トランプは戦争の扉を開けてしまった。

 この深刻な事態に至り、今更自衛隊を派遣して情報収集活動どころではない。状況は変化したのだ。即時派兵中止を決めて欲しい。日本がこの戦争に巻き込まれかねない事態である。

 イランはソレイマニ氏殺害の報復として「軍事施設への軍事的対応」を予告。「戦争を始めたのは米国であり、彼らの行動に対して適切な反応を受けるべきだ」と主張した。イランが支援するレバノンのシーア派組織ヒズボラの指導者ナスララ師も「米軍は代償を支払うことになる」と述べ、攻撃を示唆した。

   菅義偉官房長官は6日、BSフジの報道番組で、緊張が高まっている中東地域への自衛隊派遣について「(心配は)していない」と述べ、予定通り実施する考えを示した。米国とイランとの関係が極度に悪化していることについて「両方の国が信頼しているのが日本ではないか。外交努力で緊張緩和の努力を全力でやるべきだ」

 何故アベ政権は自衛隊が攻撃を受ける心配をしていないのか。日本が外交努力を発揮するためには、自衛隊の派兵は逆効果である。信じがたい情勢判断である。驚くべき鈍感力である。アベ氏がイランに訪問したときに起きた、日本タンカーへの攻撃をもう忘れたのだろうか。

 イランが背後にいるテロ集団はアベ氏のイラン訪問に併せて、日本タンカーを機雷攻撃した。それは仲介等拒否するという意思表示だろう。直接のアメリカへの攻撃では無く、日本の自衛隊を攻撃する可能性はないとは言えないだろう。アメリカの報復攻撃の根拠を与えない攻撃である。

 イランの今後の選択に、軍事攻撃を何もしないと言うことはあり得ない。テロ攻撃になる可能性が高い。テロはどういう形で起こるかは分からない。テロを完全に防ぐことが出来ないことは、アメリカ国内の銃撃事件を考えれば分かることだ。

 イランと北朝鮮が連携をとる可能性もないとは言えない。イランイラク戦争では北朝鮮製のスカッドミサイルが攻撃に使われた。核濃縮技術も北朝鮮から導入されたと言われている。両国の持つ様々なテロ攻撃がアメリカに向けて行われる可能性は大きいだろう。

 中国ロシアはイランと中東のオマーン湾で海軍合同演習を実施している。中ロはイランと関係が深い。これも代理戦争になる可能性を高めている。アメリカの方角を分散させるために、反アメリカ諸国が同時多発的にアメリカ攻撃を始める可能性がある。

 イラクは即座にアメリカの軍事基地をイラクから撤去しろと要求している。アメリカは基地を建設した費用を出さなければ、撤去しないと居直っている。日本がアメリカに基地を撤去しろと言えば、同じようにごねることだろう。アメリカの基地はアメリカのためにあると言うことがよく分かる。

  アメリカとイランの対立の歴史は深い。ヨーロッパから戻った革命宗教家ホメイニ師が親米パーレビ王政を打倒。関係は一気に悪化する。そもそも親米のパーレビ政権の独裁は国民からは嫌われていた。石油利権を独占していたのだ。

 イランテヘランの米国大使館が過激派に占拠され、大使館員ら52人が1年以上にわたって人質となった。この事件をきっかけに米国とイランは対立することになる。日本もパーレビ政権時代には石油で関係が出来ていた。(海賊と呼ばれた男,出光興産である。)しかし、ホメイニが革命を実行してからは特段親しいとまでは言えないのではないか。

 日本にはアメリカとイランの仲介をするような能力はない。形だけで済ますようなアマチョロい判断では深刻な中東情勢に関わることは危険すぎる。トランプは「もしイランが米国の人や施設を攻撃すれば、イランの52の重要施設を直ちに徹底的に攻撃する」と叫んでいる。

 トランプアメリカの悪い側面が露呈した。イランの英雄的軍事指導者をアメリカ攻撃をするという訳の分からない理由で無人機からの爆撃で殺害した。意味不明の先制攻撃をしてしまった。アメリカは変わらない。証拠もないまま軍事攻撃を開始してしまう。

 日本の自衛隊が中東で情報活動の中に、イランを背景とするテロ集団の攻撃を受けた場合どういうことが起こるかを考えるべきだ。日本タンカーの機雷攻撃も結局の所うやむやである。日本は抗議すら出来ないでいる。

 日本は即刻自衛隊の中止をしなければならない。理由は情勢の変化である。第三次世界大戦の火中の栗を拾いに行くなど、あまりにも無謀である。そんな経験も能力もない。

 ウクライナ疑惑はトランプとしては逃れることが出来ないだろう。このことでトランプは大統領選挙に敗れる可能性が高まった。そのことがイラン司令官殺害につながっているのだろう。話をそらそうとしている。

 トランプ氏は大統領の権限を利用し、次の大統領選挙で戦う可能性のあるバイデン前副大統領の捜査をウクライナに始めさせようとした。バイデン関係者の捜査をしないなら米軍の軍事援助をやめるとウクライナ政府を脅した。

 これは証拠から言って確定したことと言えるだろう。その弾劾が議会で始まる直前にイラクの司令官の殺害を行った。こんな汚いトランプの盟友を自称するアベ氏は自衛隊の派兵をしようとしている。こんなやり方こそ自衛隊の誇りを傷つけて付けているのではないか。

 そもそも中東における自衛隊の諜報活動とは何だ。アメリカの要求に従う、形だけの派兵に無理矢理の意味づけである。トランプのお付き合いに自衛隊がかり出されるだけだろう。第三次世界大戦前夜に、とんでもない話だ。

 
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石垣島で卓球をやってみる。

2020-01-06 04:19:29 | 石垣島


 石垣島には確かに卓球場が2カ所ある。まだ知らないところはあるかもしれない。家から歩いて10分ほどの所にアックンTT卓球場というところがある。一時間300円で卓球をやらせてくれる。ありがたいことにラケットやボールも貸してくれる。そう「やいま」に出ていた。

 石垣島にいるとどうしても運動不足になる。大体歩数計で5000歩止まりである。1万歩は目指しているので、散歩だけでは不足する。そこで何か運動と思っていた。卓球ならちょうど良いかもしれない。

 ぼけ防止には卓球がいいというテレビを見た気がする。んーん、良く思い出せない。ぼけ防止が必要である。いかにも卓球は反射神経の訓練のようなものだ。目で見てここだと思って身体を反応させる。この反応が遅くなるのがぼけの始まりだろう。

 確かに卓球は反射神経を使いそうだから、悪く無さそうである。ともかく一度やってみようとアックンに電話してみた。今いないので、(多分石垣にいないと言うことと想像した。)鍵の番号を教えますので、自由にやってくださいと言うことだった。お金は箱に入れればいいからと言うありがたいお話だ。

 初めての電話の人に、気持ちよく接してくれてそれだけで嬉しくなる。卓球というものをやるのは数えてみると45年ぶりくらいになるだろう。フランスにいた頃、ユースホステルで良くやった。勝ち抜き戦だったので卓球台を独占したものだ。日本人は卓球が上手いと言われた。多分フランスでは卓球を余りやらないのだろう。

 今でもそれなりにやれるだろうと思っていたのだが、全く出来なくなっていた。玉が消えるのだ。緑内障のためだと思う。ある場所で玉が完全に消える。それで慌ててその当たりで打つと手で球を打つか、空を切ることになった。

 反省して、ゆっくりとピンポンにした。一五分ほどやったらば、それでもだんだん感じがつかめてきた。休んで、又一五分。もう一度休んで一五分と3回やった。だんだんに20回ぐらいは続くようになった。ボールは消えるのだが、なんとかなりそうである。確かに年寄り向きのスポーツかもしれない。もちろん、張本選手や石川選手とは違うスポーツなのだが。

 片目で見ていると言うことがよく分かった。遠近感がかなり狂っている。動くボールを捉えることにはかなり無理がある。無理ではあるが、ぼけ対策の卓球ならそれでもかまわないだろう。ボールが消えるのは一瞬だから、慣れればなんとかなる。

 1時間身体を動かしたら、よたよた卓球でも爽快な気分になれた。疲れると言うこともなかった。ただの体操をやるよりも、卓球は飽きなくて良さそうである。スポーツジムに行って運動をするというタイプではない。卓球なら、やりたいと言う気になる。今度はアックンと言う人がいるときにいってみたい。

 卓球場の名前のアックンが人の名前だとしたら、宮良当栄さんで、全日本に出場した選手だと、やいまで読んだ。その人が、指導もしてくれるらしい。私の場合は旨くなりたいわけでもない。身体を動かせればそれでいいわけだから、指導はいらないのだが。



 県体育館でも卓球は出来るらしい。県体育館だと、あるいて30分ぐらいはかかる。アックンなら運動で急いで歩いて5,6分の場所でありがたい。準備運動のつもりで頑張って歩いた。気が向いたときにふらっと行けるというのがいい。週一回行ければ身体にはいいだろう。ぼけ防止になるかもしれない。一人で行っても誰かとやれるというのもあるのだろうか。

 ノートが置いてあり、使った人が書き込んであった。暮れも正月も誰か来てやっているようだ。夕方学校や仕事が終わってから来る人が多いようだ。午後2時からの1時間くらいだと、余り人がいないかもしれない。

 今回はだれもいないところにおじゃまして、勝手にやらせてもらった。それで様子もまだ分からないわけだが、貸して貰ったラケットはあれで良かったのだろうか。

 それにしても石垣島という所は何でもそろっている。ボーリング場もある。スポーツジムもいくつかある。もちろんスイミングクラブもある。山もあるし、海もある。そして何しろ田んぼがある。石垣島にないものはあるのだろうかと思ってしまう。

 確かにデズニーランドはない。原宿もない。スキー場はない。しかし、今のところなくて困ったというものは思いつかない。大抵のものが、手近にあるから気軽に取り組める。ありがたいところに越してきたものだ。


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2020年の「描き初め」は崎枝の田んぼ

2020-01-05 04:52:55 | 石垣島
 
 一日目の制作

2日目の制作

 今年の正月は玄関先でモザイク画の制作に専念した。陽射しが強く汗をかくほど暑く、不思議な石垣島の正月だった。正月の間に終わらせるつもりだったので、2日の恒例の書き初めが出来なかった。

 元旦には於茂登神社まで若水汲みに行った。於茂登神は山そのものが信仰の対象なのだろう。於茂登岳は石垣島の暮らしをいつも見守ってくれている。麓のどこでお参りしてもいいのだと思うが、名蔵ダムの奥に小さな社がある。

 この場所は私の知る限り、石垣島で最も神聖な空気のある場所だ。ここには小さいけれど清冽な滝もある。ここで若水を汲みお参りすることを初詣とした。ダムが出来る前はもしかするとダムの中に於茂登神は祭られていたのかもしれない。ダムが出来たときにこの場所に移されたような気がするがどうだろうか。

 去年の正月は夜の間に除夜の鐘が響いてきたので、てっきり朝も桃林寺さんは開いていると思って初詣に出かけてみた。ところが何故か7時頃には門が閉まっていた。きっと桃林寺さんとは縁がないのだろうと決めた。

 今年も除夜の鐘は聞こえてきた。高校生の頃豪徳寺さんのそばに住んだときの鐘の音を思い出した。実に良いものである。これを騒音という人が居ると言うことが驚きである。今年は最初から於茂登神社に参拝した。

 汲んできた若水で書き初めをするつもりだったのだが、正月3が日はモザイク制作に専念したので、残念ながら、書き初めが出来なかった。3が日を過ぎてから書き初めというのもどうかと思い、4日になって名蔵湾に描き初めに出かけた。

 書き初めが字の上達のお願いごとであるなら、水彩画の描き初めの方が私には良いかもしれない。絵を描くと言うことは自分の努力ではどうにもならないようなものだ。良い絵が出来るという時は絵が降ってくるような感じだ。だから描き初めで水彩画の上達を願ったとしてもおかしくはない。

 絵はたしかに突然訪れる。そのときを待ってできうる限りの努力を続けているのが、絵を描くことなのかもしれない。絵は来るべき時には来てくれている。絵はそういう願いの集積のような気がする。自分に出来ることはただひたすらに描くと言うことだけだろう。只管打坐というが、只管打描ということになる。

 絵を描くときに何かを考えると言うことはまずない。この点でも座禅と同じである。ただただ無意識に画面に対して居るだけである。画面を前にすると、いつの間にかそうなっている。絵に現われてくるものに対して、自分の意識がそれとたいしているだけになる。

 風景に向かい合う状態が良い形であるように整える。同じ事の繰り返しが大切だと思っている。車にはいつでもかけるように準備がしてある。保温ボトルをもって、ファミマに行きカフェラテを2杯入れる。これも変えない。アイスコーヒーにするとか言うこともない。考えないで毎朝同じようにする。

 ファミマを出るときにさあーどこに行くとするかと決める。現在写生場所は10カ所ほどある。その中から一カ所を選ぶ。いつもの写生場所に着いたらば絵を描く準備を整えて、描き始める。一息ついたならばカフェラテを飲む。二息つき、三息ついた頃に絵は一応描くところが無くなる。

 こんな描き方を、石垣島にいる間は毎日続けてきた。できれば、これからもこんな日々であればいいと思っている。良い絵が描けるのかどうかは,目的と言うより降りてきた結果のようなものだ。



  描き初めは崎枝の田んぼに行った。石垣に戻ってから、鉛筆素描だけやっていたので水彩画は1ヶ月ぶりになる。崎枝では鉛筆素描はしなかった。描きにきたのだが、田んぼに水がなく、描く気持ちになれなかった。

 何を描くのだろうかと、期待もする。こんな絵を描こうという気持ちはないので、どんな絵になるのかは全くこの時点では分からない。ただただ、方向なく描いていることは不安ではあるが、自分を信じて、絵を待っているほかない。

 そして描いた絵が冒頭のものである。もう一日今日も崎枝で描くつもりだ。同時にもう一枚描いてみようかとも思っている。紙をファブリアーノから、アルシュのロール紙に変えてみようかと思う。

 やってみなければ何も分からないが、今日は少し違うように描くかもしれない。制作をしてみたい気がする。写すのではなく自分というものに近づけてみたいと思った。そういうことはアトリエで眺めているときに思う。

 良い絵だと感心する絵はその人の絵だと言う点が一番である。その人の世界観の魅力である。私の絵は自分の感じには近づいているようだが、その世界観が煮詰まったところがないのではないか。

 少し、生ぬるくなっている。もっと厳しく迫ってもいいのかと思う。しかし、それも意識的に厳しくしたところで始まらないのだが。自分の見ているものにもっと肉薄しなければならないとアトリエで思った。

 そうは言いながら、実は「描き初め」で描いた崎枝の絵は希望があると思っている。いい方向に進んでいるような気がしている。ある意味自分のインチキも出ているような気がしてそこがいい。少なくとも自分にないものを装ってはいない絵だ。

 
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小農と言う考え方で自給農の意味がはっきりした。

2020-01-04 04:35:51 | 暮らし


 現代農業に小農の再評価がされていると書かれていた。しかし、小農という言葉には違和感がある。小農は文字通り小さな農家という意味でいいのだろうか。もしそういう意味なら、良い言葉とは思えない。大小で農業を分類することで、誤解を生みかねないと思うが。農業の内容がわかる言葉にすべきだ。

 私は自給農という言葉を使ってきた。一種の造語なので、誤解をする人がいた。農水省の言う、自給的農家と混同するらしいのだ。農水の自給的の的は官僚言語である。的をくわえれば、曖昧領域も含めることができると言うことだ。

 自給農と言う言葉を使ったのは思想的な意味を込めている。人間が生きる基本が食に在ると言う意味だ。食は本来自給するべきものだという考え方である。食の生産を個々の人から、分離したことは産業革命後の資本主義である。大量生産を可能とする労働力の創出が背景にある。

 プランテーション農業の登場により、農業は競争原理に基づき、収奪的なものに変化して行く。これは現代の農業の考え方を支配している。利益の出る農業が価値のある農業とする。大規模化、機械化に巻き込まれて、自給としての農地利用は失わる経過をたどってきた。

 大規模化できない農地。機械化できない農地は放棄されて行く。多角化とか、高付加価値とか、6次産業化とかいろいろ言われるが、中山間地ではそうした方向も上手く行くところは限られているので、農地が放棄され続けている。

 もし高付加価値化や多角化の方向に小農というものを位置づけるとすれば、小農は成立しがたいだろう。農業の特殊解としての小農はあるだろうが、一般解にはならない。それが現状の放棄農地の増大。地方の消滅である。自給農の連帯こそ、次の農業の回答になると考えている。

 放棄農地の一般解としては都市住民の農地利用である。都市住民の余暇としての農地利用の許可である。農地には生産地という農地法の限界がある。農地法の中に都市住民の利用可能な農地を色分けすべきだ。現状では曖昧な拡大解釈の運用である。

 業としての競争が不可能な農地は、経済合理性からの利用ではなく、第3の道の選択が必要になっている。自給農による利用である。それには農地を生産地としてみる今の農地法の改正が必要である。

 自給のための農業には競争の原理が働かない。自分が食べるものの価値は自分が決める事ができる。漁師の漁業と釣り好きの趣味の違いである。楽しみでやる農業には釣りに勝る面白さがある。

 欠ノ上田んぼのお米の価格は1万円を切る会費で120キロの分配である。労働時間は100時間ぐらいであろう。100時間を楽しみと出来るかどうかである。労働と考えれば、1キロ1000円の価格になり、競争力はない。

 この考え方はおおよそすべての農産物に適合する。農の会では今度果樹の会が出来た。タマネギ、小麦、ジャガイモ、大豆、と様々なものが作られている。協働で作れば可能になる。

 日本が今後どんな国になるか。普通の国になると考えるが、普通の国は食料生産を自らの手で行う国である。そのひとつの手段が、自給農への農地の解放である。食料の60%も輸入する国はまともな国ではない。

 農文協には季刊地域という雑誌がある。10年経過して、記念の40号には「新しい小農層」と言う文章を秋津元輝氏が(京都大学教授)書かれている。小農というものを「自律および自立」した農家としている。そうした分類は小さいと言う言葉とは関係がないのではないか。

 自然と自らの暮らしの「同時生産」としている。秋津氏の言うところの小農は私の考える自給農に近い側面があるらしいと言うことは分かるが、何故小農という大きさで表現しなければならないかが曖昧である。

 農業の合理性は規模と連動している側面も無視できない。良い共同作業ができるのであれば、小さい農地という意味はない。どれほど大きくとも個々の自立性は維持される。

 あしがら農の会の経験では協働して一定の規模にならなければ、自給農と言えども合理性がない。小さい農業とは小さいものが集まり、緩やかな連合次第規模化するのでなければならない。小さいで分類して終わってしまえば合理性は失われる。

 ところがこの協働が出来ないのが、今までの農業の失敗である。資本主義に洗脳された人間は利己的な意識が強い。自分の利益に専念して何が悪いと言う競争意識である。これを捨てない限り、自給農も小農もあり得ない。

 みんなのために農業をすることが、自分のための農業になる。こうした連携の形の模索である。これは一種の共同体幻想でもあるのだが、もしそれが出来ないのであれば、人間に未来はないと思わなければならない。

 封建社会の半強制的集落共同体ではなく、自立した個人の緩やかな協働である。この緩やかなこそ、次の社会の可能性である。繰り返し失敗してきた共同体幻想のひとつかもしれないが、いよいよ限界に達する資本主義の中で、人間の未来はここにあると考えている。

 小農という言葉が、孤立を意味しないか。ここが気になるところなのだ。小農が高付加価値化を目指すとするが、独自性志向になる可能性が高い。食料生産としての農業技術は独占するものではない。

 自分の商品を作り出すと言うことはもちろん悪いことではないが、この競争は勝者だけを残し、大半のもの敗者にする。食料は当たり前のものである。日常の当たり前のものである。良い農業技術は人類共通の宝にならなければならない。

 
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大理石モザイク画の制作過程

2020-01-03 04:06:57 | 水彩画

入口の両側に火防のスイジ貝を取り付けた。


鳥と月とスイジ貝


光の入る時刻で違って見える。


正面の下部

 私の大理石モザイクの作り方は見よう見まねである。芸大の八橋先生のやり方を参考にしている。割り肌大理石である。石の調子が自然で一番きれいだからである。割り肌にするには道具が必要で、世田谷学園で教えていたときに、生徒と一緒に作っていた。

 割り肌の美しさは水彩画の美しさのようなものだ。紙の地肌が生かされているのにちかい。磨き出しの大理石の調子は少しグロテスクで作品には使えない。王宮の感じで作品にはならない。

 生徒の中にタイルやさんの人が居て、大量に余ったタイルをくれたので、タイルと大理石の混合での作品を、授業でやっていた。生徒と一緒に私も作った。私の授業法は必ず、一緒に作ることだった。私が面白がってやらなければ、伝わらないと思っていた。

 外に置かれる作品なので、光が影響する。遮光で出来る影が影響が強くなる。色は壁の色の下地を生かしたものになる。



1、見えないが、まず壁にパステルで下図を描いた。これはもう一年も前のことである。ほとんどが見えなくなっている。正面の小さい方の作品下図は海と砂浜があり、空には鳥が飛び、太陽がある。

 右側の大きい方の作品は、台地にそびえ立つ生命の木である。果物が実っている。鳥がシジホスのように飛んでいる。ここの上の方には月を配置する。

2、大理石を広げて、貼り方を考える。おおよその石の色を決める。貝は貼るのだが、貝の来る部分を決めて行く。3つのスイジ貝が重要である。


3、下図に沿って貼り始めたところ。下図は参考にはするが、石の成り行きにしたがい、石を貼って行く。

4、下の床との見切り部分には,立ち上がりの帯の石を貼る。床は琉球石灰岩である。立ち上がりが額縁の役をする。額縁の上には貝と珊瑚が並ぶ予定。

5、大理石を張り詰めるところと空白部分のバランスが重要になる。珊瑚と、貝殻の貼られるところは、ホワイトセメントになるので、この関係が難しい。寂しくないように、行き過ぎにならないように。


6、大理石の張り詰める場所の残りは、波の部分。波の表現と全体のバランスを考えてここまでになっている。

7、壁の色をどこまで残すかを考える。予定では波より下の部分はホワイトセメント出塗り込める予定だったが、珊瑚と貝を飛ばして貼ることにして、ホワイトセメントは止める。




8、鳥には花のある枝をくわえさせる予定。


9、木の幹はモザイク模様にして、ほぼ完成。


10、果物は全部で3つ。





11,この上の部分に月を貼る予定。


12、波の右側にもう少し石を貼る。珊瑚の並びの下に小さな貝を散らして貼る。


13、一通り、貼り終わったところ。後は仕上げをしてゆく。スイジ貝は重いので接着剤が乾くまで、ガムテープで補強。

14、暮れの31にち、正月の1日、2日と3日間で8分目まで完成したが、ここで接着剤がつきた。今日接着剤を買いに行き、仕上げをする。

15、残りは、天井に近くの月。珊瑚の下のちりばめる小さな貝。波しぶきの表現。貝と大理石の調和が難しい。

 久しぶりの大理石モザイク製作だったが、かなり面白かった。強い光が入るので、大理石に影が出来て、色がさらに美しい。残念なことは狭いところなので圧迫感があること。ただ自分の暮らしている家という感じが出て良かった。

 
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石垣島の文化の魅力は受け入れることにある。

2020-01-02 04:05:11 | 石垣島
 この白い雲の中に西表島がある。写真を撮ったそのときには時間雨量120ミリの雨が降っていた。被害は無かったと言うことだ。すぐそこに見えている島なのに、石垣島では雨も降っていなかった。島のお天気は気まぐれである。

  元旦は若水を汲みに、於茂登神社まで出かけた。ここには小さな瀧があり、気が満ちている。水を信仰する気持ちになる。水彩画を描くものとして、若水だけは気持ちを込めて汲むことにしている。

 石垣島に来て良かったことは島の人が素晴らしい点である。ほどよく接してくれる点である。親切すぎないし、つっけんどうでもない。ごく普通に接してくれる。その普通の後ろにとてもよく考えた配慮があるようなのだ。見えないおもてなし文化と言っていいのだろう。

 島のあちこちで絵を描いている。道の端に車を止めて絵を描いている。畑の脇で長時間止めている。不審者に見ようと思えば見える。イヤな思いをしたことは一度もない。気持ちよく接してくれて申し訳ないくらいだ。

 わざわざ車を止めて見に来てくれて、何かあったとのと言われた事はある。何しているのでは無い。車の故障と思ったよ。と言う具合である。それで絵を描いているというと、決していい趣味だねとは言わない。よそでは普通そう言われる。もし専門家だったら失礼になると言うことへの配慮まであるのだ。

 描かせていただいたお礼に、絵はがきセットを渡すことにしている。絵はがきを微妙な形で受け取ってくれる。断られたことはまだない。地域によっては受け取ってくれないところもある。ものを貰うと言うことを重く考えすぎる地域だ。

 石垣島の受け入れる文化がよく分かるのが、お墓の姿だ。石垣島では街の至る所にお墓がある。住宅とお墓が入り交じってある。正確なことは分からないが、住宅地面積と墓地面積を計算すれば、墓地面積は全国でも上位にあるのでは無かろう。そんなデーターは探しても分からなかったが、多分歩いている感じでは宅地の3%ぐらいがお墓、そうだと思う。

 そのお墓の形が多様な点も実に面白い。中国式や、キリスト教式は当然であるが、沖縄の伝統的なお墓でも、多様な変化がある。これは本島と比べても変化が大きいと言うことらしい。屋根が亀の甲羅型の風呂屋の玄関のような形のものが「亀甲墓(かめこうばか)」。次に多い形が「破風墓(はふばか)」。日本家屋に見られる三角屋根を模した形をしている。そしていずれにも広い前庭がある。

 石垣島で良く見かけるお墓は、伝統的なお墓の形の屋根の上に、本土にあるような普通の長方形のお墓が乗せられている形だ。最初はこの不思議な形には驚かされた。お墓の上にお墓があるのだから、まさに屋上屋と言うことになる。このお墓の形にまさに、石垣の人の感覚がよく現われていると思う。

 正確に言えば、屋根の前に張り出してある部分を台座のようにして、3段重ねにする。お墓がお墓の土台になっている。昔からのお墓の石塔がお墓の屋根の上に立つ。墓石の下が空洞という所に怪しさがない。

 お墓に伴うお寺があるわけでは無い。臨済宗の桃林寺が一番古いお寺なのだが、お墓は無い。檀家制度というものが無かったので当然だろう。檀家制度は江戸幕府が支配のために作った制度である。そういう意味で、石垣島はお墓を持たない臨済宗の寺だったのかもしれない。

 お寺とは関係なく墓地がある。もちろん墓地と御嶽とも、関係が無い。だから、お墓は宗教的に弔うと言うより、一族で収めると言うことになる。もちろん、司やお坊さんが関わるところはあったと思われるが。ご先祖様と家族とのつながりは、宗教とは別物である。このあたりは沖縄を考える上では、大きな要素になる。

 一般にお墓というものはなかなか伝統的な様式から外れにくいものでは無かろうか。肉親など誰かが亡くなり、3回忌も済んだ頃お墓が無かった家で、余裕があれば墓石を作ることになる。大体はお寺さんに出入りの墓石屋さんがあって、そこに頼むのが普通であろう。大抵はその墓石屋さんで他と似たようなものの中から、選んで決める。

 もちろん、お寺関係では無い墓石屋さんに頼んでもかまわないだろうし、どんな特殊なものを作ろうともかまわない。自分で設計する人も結構居る。春日部洋さんのお墓は設計士の息子さんが設計された実に美しいものであった。パレットになっているお墓である。へこみがあり、そこに水が溜まるようになっている。それが油壺のようで雰囲気がある。

 石垣でも自由に設計しているのだろうが、石垣特有の条件がある。お墓の前には16日祭の日には一族で集まる。そのスペースが必要である。できればそこに屋根が欲しい。そこで亀甲墓の屋根前の軒を長くせり出して、その下に集まれるようにしているお墓が多いのだろう。

 こうなるとお墓と言うより、集会施設的な要素が強まる。そこで張り出し屋根の上に、普通の石碑型の本土的なお墓を乗せたくなったのでは無いだろうか。ある意味お墓ではあるが、ユーモラスな感じが演出されて、おどろおどろしい感じはまるで無くなる。
 
 さらに驚くべきはまるで一般住宅のような形のものもある。この場合、宅地法上どうなるのだろう。建設許可は必要なのだろうか。暮らそうと思えば住めないことは無い。違法建築と言うことにならないか。と心配なほど普通の家なのだ。中国式の派手なお寺のようなものもある。ピラミッド型は多分有名なのだろう。

 石垣のお墓は自分が良いというものを自由に作っている。自由闊達なものである。お墓ではあるが、過去に縛られない感じがある。しかも、どこかしらユーモラスな印象がある。こんなご先祖との関わりかたならば、何も墓じまいなどと言わないでもいいかと思ってしまう。

 お寺の土地で無いとすると、墓じまいしてあるいはどこかに統合して、広いお墓の土地を住宅として販売できるのだろうか。そもそも、お墓の土地は個人所有なのだろうか。お寺さんの土地で無いとすると、どういう形で墓地が許可されているのだろうか。自分の土地だからと言って、家の庭にお墓を作ることは出来ない。

 私のような二人だけの家族であれば、死ぬことで終わりである。お墓などいらない。しかし、家に死んだ人をいつまでも置いておくわけにも行かない。畑に埋まって、肥料になるというのもいいが、それは違法だろう。そもそも土葬が違法となっている。火葬は温暖化では良いことでは無い。

 渡部さんの話ではアメリカでは堆肥になるという選択肢があるらしい。これならいい。以前ハザカプラントでは、一週間で豚の頭も土になると豪語していたが、人間も同じであろう。上手く堆肥化すれば、人間など豚より早く消えてしまうにちがいない。しかし、肥料となって役に立つというより、人間の場合悪い物質が出てくる可能性もある。それでも燃やすよりはましだろう。私は薬は使わないのでそれが一番いいが。日本にそういう施設ができるまで、死ねないか。

 話がおかしくなってきたが、石垣島の文化の優れた特殊性のことだ。死んだ私をどこかに埋めて貰っても受け入れてもらえそうだ。何でも受け入れながら、自分たちの形にすることができる。サザエさんやケンシロウの壁の家に住んで、お墓はピラミッドである。この自由闊達さは世界でも珍しいことではないだろうか。

 ここにアジアの交流拠点の基本となる資質がある。それは石垣の考古学の中にもあるらしい。石垣には土器時代の後の時代に、無土器時代が来る。これは考古学の常識を揺るがしている。一見。文化が後退しているかに見える。

 ところがどうもそうではないらしい。土器を知っていながら、使わない暮らしを選択していたらしいのだ。こういう人たちは他にはないらしい。そういう考え方をする人は面白いでは無いか。土器よりも便利な調理法を考えてその方が良かったのではなかろうか。

 芭蕉の葉っぱで食べ物を包んで、たき火の中に入れて土をかけてしまう。あるいは、焼いた石を食べ物の中に入れる。土器は無くとも木の器があったのだろう。土器を必要としなければ土器を捨ててしまう文化。固執しない柔軟である。

 柔軟でいられるという背景には自分というものの確立があるからだ。その自分を押しつけるのではなく、まず相手を理解した上での自分なのだ。相手を理解していなければ、自分の立ち位置を示すことはできないと言うことなのだろう。

 石垣の飲み会ではまず演説である。演説してはぐるぐる飲み回す。演説の気の利き方が、酒の肴である。笑わしながら、演説を聞かせる。自分がない人には出来ない話術である。引っ込み思案等言ってられない。宴会でなくても集会では必ず演説回しである。

 いろいろの場面で演説を繰り返す。じつに素晴らしいと思う。でも、私は演説は避ける方だし、そういう場も端で眺めさせて貰うだけなのだが。そういえば、話は違うが、正月のお屠蘇も玉那覇酒造の泡盛だけだった。そろそろ最初の甕が空くな。



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石垣島から謹賀新年

2020-01-01 04:03:03 | 暮らし
 
 2020年元旦
 謹賀新年
 立春大吉
 一陽来復
 天地玄黄

誰に出した年賀状かは分からない。

 石垣島で2度目の正月元旦を迎えた。こころよりありがたいことである。今日から始まる新しい一年が去年以上の実りのある一年であるように。

 ブログを読んでくださる方々にも、良い一年が訪れるように南の島から願っています。



 2019年の極私的10大ニュース。
1,一年を通して石垣の水彩生活を送ることができた。
2,「小さな田んぼのイネ作り」を4月に出版し、再販が決まった。
3,石垣島自衛隊基地住民投票が市議会、市長によって拒否される。
4,あしがら農の会の継続の方向が見えてきた。
5,小田原の家の維持が渡部さんによって可能になる。
6,水彩画の再出発をする。絵であると言う先入観の払拭。
7,三線とでん田楽団が赤松さんの「平和の希求」で前進した。
8,初めての台湾旅行。台湾が好きになった。
9,あしがら農の会の田んぼ、大豆、麦、タマネギに参加できた。
10,石垣島で家庭菜園と洋蘭栽培を始める。



 2020年のやりたいこと
1,自分の水彩画に向けて創作を始める。
2,石垣島と小田原の2地域居住の安定をはかる。
3,台湾の南部を旅行し、台湾の蘭展に行ってみる。
4,石垣島にいる間は毎朝の太極拳を続ける。
5,卓球を始める。
6,絵を語る会を年四回開催する。
7,石垣島住民投票ができるように活動する。
8,石垣島の絵になる場所10をまとめる。
9,大理石モザイク画の完成。
10,農の会の野菜や大豆、小麦,タマネギなどの栽培記録をまとめたい。



 石垣島の空は美しい。いつ見ても見飽きることが無いほどである。実は空が美しいのは、雲の下にある海や広がる牧草地、島影。そうした総合なのだ。特別な空だと思ってしまうが、どこの空も、空は空だ。

 ところが素晴らしい景色の上にある空だから、空自体が特別な空のような気がしてしまう。あるべき所にあるべきものがある。すべてはこの調和なのだ。人間もあるべき所にあると言うことを知ることができればと思う。







 


 






















 沢山書いた年賀状はもうどこかへ行ってしまいました。青い空を旅して、今頃はどこかのお宅に届いたかもしれない。今年は鉛筆で宛名書きをしました。失礼と思われる方もおられるかもしれませんが、これは鉛筆で素描をしている続きなので、あしからずお許しください。



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石垣島の年の暮れにモザイク画制作

2019-12-31 04:08:16 | 石垣島

 30日で絵は終わりにした。年の瀬に急に思い立ち、家の入口の大理石モザイクに取りかかることにした。下書きだけは描いてあったのだ。石垣の家を作るときには,必ず作ると考えていた。取りかかることさえ出来ていなかった。玄関先の狭い部分にモザイク画を描きたいと考えていたのだ。

 モザイクと石垣の貝殻の作品である。メインになる貝はスイジ貝である。モザイクのために良さそうな貝を集めていたものが結構の量ある。特にスイジ貝は石垣島の火防のお守りになる貝である。3つ持っている。この貝をモザイクの作品のテーマに置くつもりだ。

 そして様々な貝やら、海岸で拾ったガラスや珊瑚などで、作品を構成するつもりだ。大きさは120センチ四方と120号ぐらいの2枚だ。ただせまい玄関先なので、余り窮屈な感じにはできない。

 構成は砂浜と海と、波と太陽である。大きい方のモザイク画には生命の木も入れることができればと思っている。下書きは1年も前にしたのだが、取りかかれないままであった。石垣にいると絵を描きたくなってしまって、モザイクに進めないでいた。暮れから正月なら、絵を休みにしてモザイクもいい。

 正月は少し絵を休もうかと思った途端に、じゃ、モザイクをやろうという気になった。このところのお天気は外で作品を作るにはちょうどいい気候である。今日、コンクリートボンドを買ってきたので、いよいよ明日から貼り付けるつもりだ。



 石垣島の年の暮れはかなりさみしい。この写真が午後のユーグレナモールである。年の瀬らしい慌ただしい空気はほとんど無い。観光客が減ることもあって、むしろ街は静かだ。お店の中には「冬は不定期開店です。」と表示して閉めている店もあるくらいだ。

 この20日間ほとんどの日が、昼の最高気温は28度夜も20度。冬と呼ぶ事はためらわれる。クリスマスと言っても、そういうイルミネーションと言うことはなかった。ホワイトクリスマスでは当然場違いな感じなのだろう。

 農協のゆらていく市場に行くと夏野菜が大分増えている。キュウリやトマトがむしろ旬なのだ。葉物もそろっている。こういう場合、身体の旬はどうなるのだろう。家の家庭菜園でもキュウリとトマトはできている。

 果樹などもマンゴーやパイナップルが又出てきている。田んぼは一番さみしい季節である。1月10日になれば、水を入れるところが出てくるだろう。理由は12月は取水を止めることになったと、田んぼに表示があった。取水量が契約量を大幅に上回ったと言うことらしい。絵を描くにはもう少し待つしかない。



 2019年最後の絵。 同じ場所で3枚目の素描。だんだんまとまったが、だんだん大胆さがなくなっているが、まあ、これが私のここでの到達点かな。素描の写真を上げてみたのは、これが令和元年の書き納め。

 石垣の海を透き通る宝石のような緑がかかった青が印象的だろう。しかし、絵を描いていると、その向こうに広がるインジゴブルーのような黒みがかった藍色が印象深い。その黒い藍とおあ緑の間に白い帯の波の作り出す線ができる。この三色の加減が海の色になる。

 これを絵として正確に描くのはとても難しい。さらにその上にけぶるような空がたいていの場合ある。その白の混ざる空色が天空の濃紺まで続いている。そこにわずかに桃色やら、黄色を含んだ白い雲がたいていの場合浮んでいる。まるで目線の高さに雲が浮んでいる。まさに天国の景色である。ここに居るだけで良いという景色である。こののどけさを描くことはできないものかと思う。

 今日は、お飾りを玄関に。お餅をつく。せめてものお正月気分。正月は絵はよし手モザイクに専念。そして、2日の書き初めに備える。今年は「一朝来復」「天地玄奥」「水土天命」「立春大吉」と書くつもりだ。

 書く字の下書きをしておかないとなら無い。書き出すと字を思い出せなくなってしまうのだ。何度も書いたことかもしれないが、中川一政氏は自分の名前を書くために、鉛筆で下書きをしている。もちろん下書きの鉛筆をなぞるわけではないのだが、字を書くときには自分の名前の漢字すら思い出せなくなるものだ。


 ピースに割った大理石である。昔材料として作ったものだ。石垣まで運んできた。芸大の教授だった、八橋先生の関ヶ原の八橋大理石でいただいてきた大理石である。ここでやっと生かされることになる。

 山北の家では、玄関とお風呂の壁に大理石モザイクを貼った。いいものだと思うのだが、今もあるのかどうかは知らない。家に付随した作品は家が壊されるときに壊されることになるのだろうか。

 石垣の家の作品も私が生きている間、生かされればそれでいいと思っている。何年のことかは分からないが、自分のアトリエだなという印になればそれでいいと思う。


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2地域居住をしてみて,これからのこと

2019-12-30 04:39:31 | 石垣島
新しく絵を描かせて貰った場所。牧草地の先にある茂みが面白い。ここをデッサンした。
描きかけの写真,中央がくぼんでいるところが面白いのだがその感じが描けない。

 2地域居住を始めて、1年と2ヶ月が過ぎた。今のところ、2地域居住は良いことばかりである。残りの時間を有効に使えそうで良い選択をしたものだと思う。小田原の暮らしと、石垣島での暮らしのけじめがいい。

 石垣島では絵を描く。小田原では農作業である。このけじめが明確につくようになった。石垣島にいると、ともかく絵が描きたくなるので、絵を描いている。絵を描くというのは他にやることがないと言うことが条件かもしれない。絵を描くことは楽しいことであるはずなのだが、苦しいことでもある。

 思うようには描けないからである。ジーと何時間も座って,ああしよう、こうしよう、ぐずぐずしているから身体にも負担がある。できたという感じにも簡単になるのだが、どうせ又ダメなのだろうという、絶望感が隠れている。絵を描くという達成感のない世界が苦しい。

 だから、他にやらなければならないことがあれば、絵を描くことは紛れてしまう。私の場合、描きたくならない限り描いてもしょうがないと考えているので、いつでも描きたくなるのを待っている状態。すると、何ヶ月も描きたくなることが無いまま過ぎることもあった。

 それが、石垣に居る間はほぼ毎日絵を描いている。午前中は少なくとも絵を描いている。フランスに居た頃に近いくらい描いている。描いたから絵がよくなるというものではないことは分かっている。やはり、描ける終わりが見えてきたと言うことかもしれない。

 具体的に絵を描くという日時に目標がある。今なら、1月17日まで石垣で絵を描くということになる。この期間に描いた絵の中から、一枚を選んで語る会に絵を持って行く。そう思うと自然に絵が描きたくなる。描く意識もはっきりとしてくる。

 上手いことに水彩人の展覧会等は年間計画の中に収まっている。この中で、四回絵を語る会がある。ここに絵を持って行くことがとても大切なことになっている。絵は一人でやっていると,とんでもないことになる。私には人と並べる必要がある。

 年間スケジュールとして、
1月 小田原  1月17日~27日    (①11日間)
4月 小田原  4月24日~6月8日    (②45日間)
7月 小田原   7月4日~16日    (③13日間)
9月 小田原  9月17日~10月20日  (④32日間)
11月 小田原  11月14日~12月14日  (⑤31日間)

 小田原132日。石垣233日と言う計算になる。122日が3分の1である。10日減らせると、ちょうど3分の一になるのだが、これが、小田原に行った時は何かしらあって空いている日がない状態になる。もう減らせないギリギリの線である。味噌造りを止めると、1月の小田原がなくなり、ちょうど加減が良い。もう一回挑戦してみて、寒さに耐えられなかったら、止めることにする。

 年間の内3分の1くらいは小田原に出かけるという感じである。今のところ、このくらいがちょうど良い。やはり、寒い間は余り小田原に行きたくない。石垣で田植えの頃は石垣で絵が描きたい。その結果こんな具合になった。

 小田原の農作業として、田植え、稲刈り、大豆播種、収穫。タマネギ植え付け,草取り、収穫。小麦播種、草取り、収穫。お茶摘み、整枝作業。ため池の管理。そして味噌造り。こんな農作業がこのスケジュール中にうまく収まっている。

 田んぼは苗作りから田植えまでと、稲刈りである。コロガシは一回。草取りも一回だけしか、参加していない。これで何とかイネ作りに参加できるのは,欠ノ上田んぼの仲間が居るからである。小田原に居る間は精一杯田んぼをやらせて貰うことができた。

 タマネギも、小麦も,大豆も、みんなのおかげで加えてもらえている。私も、いくらかは役に立つのだろう。みんなは一人のために、一人はみんなのために。歳をとってくると、元気で何でもひとりで全部やれたときには見えなかったことが見えてくる。助けられている。

 助けられているからこそ、小田原にいるときにはやれることはできる限りやらせてもらいたい思う。小田原にいるときは農作業をやる以外ないのだから、自然そういう暮らしになる。この辺の気持の切り替えが良い。小田原の農業生活は身体を整える貯金である。

 毎日1万歩以上。2万歩の日も10日はあった。身体をかなり使う。身体を精一杯動かせるのは,農作業のおかげである。とことん疲れたというほど身体を動かすことも大切だと考えている。これがいつまでできるかである。

 小田原でやらして貰っている農作業はみんながやっているものに加えて貰っているという状態である。農の会がなければこういう都合の良いことはできないだろう。みんなと同じくらい働ける内はやらせてもらいたいと思う。予定ではあと4年である。大切にしたいと思う。

 と言うことは2地域居住はあと4年と言うことになる。いつまでもと言う思いは夢である。4年経ってみなければ分からないが、4年やれればありがたいとしなければならない。その後は石垣生活になるのだろうが。その先のことは今からでは分からない。すべては身体の状態による。

 2地域居住を選択したことは、歳をとっての暮らしに活力が湧いた。これから絵が描けそうな気持でいる。行き来することが大変ではないですかと言われることがあるが、半日で場所が変わるぐらいが、気持の切り替えになっている。

 
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素描をやっている。

2019-12-29 04:16:14 | 水彩画


1 どの素描も中盤全紙サイズだ。

 石垣に戻ってから、素描だけ描いている。素描が面白いと思いやっている。色彩という要素が無くなるから表現が絞られる。絞られることで、考えていることが何かと言うことが水彩画よりは明確に出てくる。絵を描く上で必要としているものは何か。素描で現われるものは限定されているから面白い。

 素描を絵を描くための下準備としてやっているわけでは無い。まして、絵を描く基礎の訓練としてやっているわけでも無い。自分の見ているものの発見であり、確認である。色がないだけに、分わかりやすいと気づいた。

2
 いつも水彩画を描いている場所で素描をしてみている。少し描きたくなる角度が違うようだ。素描をやれば水彩画が分かるからという事はないようだ。素描で面白いものを描いてみているだけである。素描でこそやれるものがありそうなのだが、まだ分からないので闇雲に描いているにすぎないのだが。

 名古屋で見た木村忠太の素描に何かすごいものを感じた。素描と言うものの魅力に惹きつけられた。要素が限定されることで明確に見えてくるものがある。絵の魅力の原点のようなもの。それがまずなければ始まらないというようなもの。

3
 私の描く素描はきれいないものではない。美しい絵を描きたいという感覚は、素描を描いているときには、かなり少なくなっている。色を使うときよりも、汚くても平気だ。鉛筆の線というものは中々きれいなものなのだが、きれいになるとつい違っていると反応をしてしまう。上手そうな感じはイヤだ。

 きれいでは迫れないから、汚して行きたくなる。同じものを違う意味で描こうとする。影を見て立体として追うかと思えば、輪郭線を追っている。ものの意味の説明をしているのかと思うと、ただその当たりの調子を描いていたりする。

4
  素描をして分かったことがある。以前は絵が終わると、それで何ナノというむなしさが生まれた。絵として、何か上手くいっているのだけれど、それが自分にとってどういうことなのかが分からなくなった。絵が終わりまで行っていればいるほど、それが何ナノ。ということになった。

 ところが素描は終わったと思うと、行き着いた感がある。充実とも違うのだが、自分が描いているという意味に不安がない。いわゆる絵画とはべつに素描は出来上がる。素描をやってみて、こんな自分だと言う納得感がある。これはなかなか良い。

5
 素描には絵としていいとか悪いとか、そういうことは全く関係なく、見ていることは確かにこれなのだという達成感がある。それが人に何かを伝える絵画表現と言うこととは別なのだろうが、それでいいと思っている。

 素描をやってみて、自分の当たり前の所に戻れるような気になっている。絵を見て学んだところから脱すると言うことができるか。当たり前の生活の中で見ているものに戻ること。だから、もうしばらく素描を続けてみたいと思う。

6
 石垣に戻り、今日までに9枚の素描をした。1枚途中で止めたものがあるので、9,5枚か。途中で終わりの素描も写真を撮れたら、とっておく事にする。大量の蚊が車に入り込んできて、到底そこでは描けなくなったのだ。良いも悪いもないのだが、素描をはじめて、だんだんすすんできたもの。この後まだ描いている。

 写真が撮れた段階で又加えるつもりだ。9枚の素描には何故か構図がある。意識しては居ないのだが、こうなった。最初正面の木を描こうとした。そのうち右側にあるヤシの連なりに惹きつけられた。


 その関係を描きだしたら、向こう側の山や茂みも描いた。描こうとしたのは関係としたが、何だったのかと思う。見ている眼の中で生まれる両方の関係によって風景ができていること。

 まだまだやることが出てきた。次の絵を語る会は1月18日なので、それまでは素描を続けてみたい。素描を持って行くことにする。まだ3週間あるから、もう少し先まで行けそうである。


 
 フランスにいたときには毎日人体デッサンをしていた。午後の時間と、夜もダンスデッサンがあればやっていた。人間の研究をする場所がアカデミーで、絵画から人間に迫るのが美術学校という事だった。

 日本に戻ってから、渋谷にあった洋画人体研究所と言うところと、利根山光人さんのところのクロッキー教室に通っていた。どれほど描いても飽きると言うことはなかった。教室の方がなくなってしまい、いつの間にか人体は描かなくなった。



 何10年かぶりに風景デッサンをやってみて、すこしづつ鉛筆の感覚を思い出した。鉛筆は2B中心に4B、6Bと使っている。三菱ハイユニである。春日部洋先生は風景デッサンをやれといつも言われていた。その意味が今になると分かる。描くことでつかめることが確かにある。

 名古屋で木村忠太展を見せて貰ったおかげだ。絵を描くと言うことはやはり、他の人の絵から学ぶことが多いものだ。鉛筆の勢いで、年賀状の宛名も鉛筆で書いた。鉛筆の字も面白いものだ。鉛筆を失礼だと思う人が居るかもしれないが、鉛筆書きの練習なのであしからず。


10,今日描いたもの。

 新しい場所で描いてみた。曇りの静かな陽射しだった。向こうに見えているのが、崎枝の集落当たりである。
 
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年賀状を作りました。

2019-12-28 16:33:18 | 水彩画
 
こんな感じの様々な年賀状を描きました。

 欲しい方がおられましたら、メールで住所をお知らせくれれば、送らせてもらいます。先着10名ぐらいです。sasamura.ailand@nifty.com
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給食で残ったパンを持ち帰った立派な高校教師

2019-12-28 04:45:56 | 暮らし


2015年6月~19年6月、学校給食で残ったパン約1000個と牛乳約4200本(計約31万円相当)を持ち帰ったとして、市立堺高校の男性教諭(62)(25日に依願退職)を減給10分の1(3か月)にした。

 高校の先生が、給食で残ったパンと牛乳を自宅に持ち帰って食べていた。立派な行為である。一体何故この教員が処分されたのか。不思議でならない。確かに、法律を持ち出せば、犯罪行為と言えないことも無い。廃棄しなければ行けないと決められたものを有効利用してしまった罪である。

 この行為は立派な善行である。むしろ生徒に模範として顕彰してもいいくらいである。教育委員会は学校給食が無駄に捨てられている現状をどう考えているのか。その教育的な問題点には目を向けず、持ち帰っていた教員を処分するなど、本末転倒である。この馬鹿げた教育委員会こそ処分されるべきだ。

  養鶏をしていた頃、小田原市に学校給食の残渣の利用をお願いしに行ったことがある。実際はすでに貰っていたのだが、それを正式なものにしたいと考えて交渉に言った。違法行為だから、即座に止めてくれとなってしまった。

 この教師は処分に対して依願退職したという。確かにこんな不当な処分に耐えられない思いだったのだろう。給食残渣には長年の養鶏業をしていたものとして、悔しい思いがある。有効利用できるものを廃棄処分しなければならない法律とは何か。

 まだ食べれるものをごみとして焼却処分している事を正しいとする、教育の問題点である。そして、それでよしとして手を打とうとしない行政の姿勢である。給食は食育である。食べればそれでよしというものではない。教科と少しも変わりのないものなのだ。

 私は給食を食べきれないで残していた。それで怒られてばかりいた。食べ終わるまで食べていろというので、午後の授業時間にも食べさせられていたこともある。こんなことが食育であろうか。生徒の多様性というものに気づかない教師。

 私は食が細かったのだ。虚弱児童の典型的な子供だった。小学生は大食漢もいれば、ある意味病で小食の子供も居る。それを同じ量だけ食べなければ許せない教育を恨んだものだ。持ち帰ることが許されなかった。吐いても今食べろという狭い視野の教師。

 こうした教育に潜む、融通の無い所。教条主義。建前主義。それが、廃棄されるパンの持ち帰りを犯罪としたのだ。食品廃棄が問題になっている時代に、食べられるものを持ち帰った教師が処分される。こんな処分をよしとする、社会のゆがみが怖い。

 この教師は多分こういう事態を憂いたに違いない。少なくとももったいないと感じたのだ。正しい感受性である。本音としては教育のおかしさに警鐘を鳴らしたかったのだろう。その通りの結果になったようだ。日本中が堺市の教育の異常さを知ることになった。この教師の犠牲も無駄ではない。むしろ生かさなくてはならない。

 食べ物を無駄にしてはならない。これは教育の大きな目的である。食育がないがしろにされるのであれば、学校教育など止めた方がましなくらいだ。子供は多様である。体調もその日によって様々である。給食は余るものである。余って健全なのだ。それを焼却処分にしなければ、法律違反という制度がおかしい。

 例えば、それを子ども食堂に融通する。なにしろ、ご飯納入業者は輸送車一台分のご飯を余分に準備しているそうだ。車の事故があったときに対応するためだそうだ。それは使わず廃棄すると説明していた。今でもそうだろうか。

 そのご飯は無事車の到着を確認したら、子ども食堂に運べばいい。必要としている場所はあるはずだ。それができない法律があるのかもしれない。そういう良いことをすれば、法律に触れると言うことを疑問に思わない社会は変である。

 小学校ではイネ作りの授業を行うべきだ。食べ物がどういう過程でできるのかを学ぶことだ。身体を使いイネ作りを行えば、まさか炊いたご飯を焼却処分することを、まともなこととは思えなくなるだろう。

 一次産業から離れてしまった人間は、身体を使い物を作るという最も大切な感覚を失う。食べ物がもったいないという気持を失う。つじつまが合えばそれでいいと言うことになる。それが、デパートの食堂ならまだ許されるかもしれない。しかし、学校の食育の中がこれでは困る。

 もったいない。そう感じた教師の感覚は大切にされるべきだ。その思いこそ教育だからだ。食べ物を尊いものという基本を忘れてしまえば、教育ではなくなる。大切な食べ物を廃棄処分にしなければならないという法律を守る人間の哀れ。


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