地場・旬・自給

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瀬戸際の日本

2024-12-04 04:20:26 | 暮らし


 日本が瀬戸際にあることだけは誰にでも見えてきただろう。日本が瀬戸際にあると考えたのは1970年である。ここで日本は方角をかけなければ、日本ではなくなるだろうと思った。あれから55年も同じことを思い続けて生きてきた。金沢大学での4年間どうすればいいかと考え続けていた。

 そして、絵を描くことにした。全くおかしな話なのだが、絵に逃げたというわけではなく。絵を描く以外に日本の方角は正せないと、そんな馬鹿げたことを考えたのだ。どういう妄想かと思うが、今でもその妄想が間違ってはいなかったと思える。

 一枚の絵によりに一人の人間を変えることができないのであれば、日本が変わるというようなことはない。一人一人の人間が重なり合い、日本という国はできている。人間が変わらなければ、何も変わらない。人間を変え得るのは芸術以外にないと思いつめたのだ。

 人間を変えることができるような力のある絵を描くためには、自分という人間にそんな力がなければあり得ないことだと思えた。しかし、そんな神のような人間どころか、無能などうしようもない人間が妄想を抱いているに過ぎないことは分かっていた。

 あれからあがいて生きてきた。絵をやめようと思い、次にどうしても書かざる得ないほど、描きたくなるまでは絵を描かないと決めて、描かなかった時期もある。そして、自分の身体は食べるもので出来ている。この食べているものを自分の手だけで作れるのかと考えた。

 人間は自分の力だけで生きることはできるのか。そう思い、山北の山の中で自給自足の挑戦を始めた。化石燃料は使わず、自分の体力だけで挑戦を始めた。5年間でできなければ野垂れ死にすればいいと軽く考えた。それができたのだ。誰にも教わったことはない。自己流で田んぼを作り、鶏を飼い、弱っちい肉体で挑戦した。

 それが意外に簡単に実現できた。そうか人間はここに帰れば怖いものはないということだったのだ。縄文人である。なぜ自分の体験から描いたのかと言えば、日本が瀬戸際にあるということだ。瀬戸際に立っているとすれば、自給自足の原点に立つことだ。

 河合雅司氏という人が、今の日本が瀬戸際にあるという指摘をしていたのだ。そうか55年前に私が考えたことを、今になって考えてももう到底遅い。という感想を持った。人口が減少するだろうなどということは、55年前にわかっていたが、誰も手は打てなかったのだ。

 私はその瀬戸際に立ち、まず人を変えることができるような絵を描かなければならないと考えてしまった。恥ずかしいことだが、それは今もそう思って絵を描いて居るのだ。55年間も続けてきて、何もできていないにもかかわらずである。しかも今でもあきらめていないのだ。

 河合雅司氏は「2030年には百貨店も銀行も老人ホームも地方から消える」ことや、「今後東京で高齢者が増えることで手術が半年待ちになる」 2043年には水道代が1.4倍以上になる 「2030年には大型ショッピングモールは維持できなくなる。」などと言われている。

 それで人間が生きる上で何が困るのだろうか。ショッピングモールや百貨店や水道や病院や老人ホームなどなくても江戸時代の人は生きていたのだ。江戸時代はこんなに人が多くなかったから、できたのかもしれないが、私の試算では8000万人までなら、日本列島で生きていける。

 一人の人間は100坪の土地で、毎日1時間働けば、生きていける。これが私が35年かけて行った。実証実験の結果である。その実情を知りたいと思うのであれば、あしがら農の会か、のぼたん農園で実践しているので、見て頂きたい。それだけのことである。

 なぜ病院がなければ、生きていけないと考えてしまうのか。死ぬときには死ねばいいという覚悟さえすれば大丈夫だ。もちろん自分の健康は自分が責任を持たなければならない。健康診断を受けるよりも、体重計の方が役に立つ。体の自己測定を続けることだ。

 私の体重は現在54,3キロである。これから上下1キロ程度で、40年間推移している。身長は最近測ってはいないが、171㎝だったが少し小さくなったぐらいだろう。自己管理である。医療よりに頼るよりも、最善を尽くして、あとはゆだねることだ。結局は死ぬのだ。

 何が瀬戸際かと言えば、怪しい熱情が始まっていることだ。選挙がいかにもおかしい。斎藤兵庫県知事が内部通報者を一方的に処分した、犯罪者であるにもかかわらず、選挙で選択されたのだ。ヒットラーが選挙で選ばれたという事実を見せられたような気がした。

 人間が何かの熱情に取り込まれる。それに対して報道が批判精神をもって発信する力がない。人間はだめなものなのかもしれないと、思わざる得ない現象がいま日本社会でも起き始めたのだ。アメリカではトランプ現象である。ロシアの狂気、イスラエルの狂気、何か空気伝染してゆく未知の汚染が始まっているかのようだ。

 世界が瀬戸際に来たのかもしれない。と言ってもこうしたことを繰り返してきたのが人間なのだろう。地球を崩壊させるような武力を持ってい待ったという所が、今回の一番の利きだろう。それでも人類は何とか乗り越えてきたのだから、今回も乗り切れるかもしれない。

 今回の瀬戸際はコンピューター革命が一番なのだろう。蒸気機関の産業革命に匹敵する革命が進行中と言えるだろう。人間の暮らしが大きく変わろうとしている。この新しい社会の変化に、人間が今のところ対応ができていない。この未来が見えない状況が、人口の歯止めになったのだろう。

 この新しい状況に対して、ショッピングモールがなくなるとか、病院がなくなるなど、どうでもいいこととしか私には思えない。次の時代にどう生きるのかが問われているのだ。その答えがまるで陳腐なのだ。日本語をやめて英語にしろと言った、明治維新の愚かさが再現されている。

 時代の変化が速すぎるのだろう。感覚の変化が追い付かないのだ。感じる力が狂い始めているために、異様な情熱に取り込まれるのではないだろうか。こういう時代の変わり目こそ、社会からできるだけ距離を取り、俯瞰的にみることだ。そして小さなどうでもいい、ショッピングモールがなくなるなどということに動揺しないことだ。

 
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農業者の時間給は630円

2024-12-03 04:46:27 | 稲作


 日本は食料自給が何故出来ないのかの理由は、農業者の減少が一番の原因だろう。何故農業者が減少しているかと言えば、収入が低すぎると言う当たり前の理由になる。農業は産業として成立していないのだ。特に主食作物、米作りはそれが顕著である。

 お米は近年一人当たりの消費量が減少して、かつての半分くらいしか食べなくなっている。これは戦後の学校給食でパンを取り入れたことによる、食生活の変化が大きいのではないか。まず学校給食を米飯急速に戻すことから始める必要がある。

 老齢化した年金農業者か、補助金農業者ばかりが増えている。新規就農する人の中には、就農補助金をもらうために、形ばかりの新規就農をする人も多数存在した。農業者が農業収入だけでは生活できないのでは問題である。スマート農業や企業農業で農業の生産コストを下げなければならない。

 国民皆農も考える必要がある。自給農業の推進である。中山間地の条件の悪い農地は、自給農業者が耕作する。生産コストを考えないでも構わない、農業を楽しみとして働く人が行う。農地を色分けする必要がある。条件不利農地は使いたい人すべてが使えるようにする。

 そして一番の問題は、日本の農業を支えてきた普通の農家はこれからさらに減少することにある。肥料や燃料費が上がり、営農としてはどうにもならない状況である。少しぐらいお米の値段が上がっても、生産コストの必要経費の値上がりには到底届かない。

 日本の実質賃金は長年目減りを続けて、最低賃金が1000円をやっと超えた時代である。OECDの中では最低水準で16位である。これでは企業に勤める労働者が暮らしていけないと問題化している。農業者の場合平均時間給が630円になると出ていた。専業農業者は生活困窮者になる。

 農業だけでは生きていけない。兼業農家が多い理由である。兼業の方が主たる収入になり、農業の赤字が税金を減らすので、農業で利益が出ないでも止めないでいられる。これが年々農業者の年齢が上がって行く主たる理由である。アパート収入の税金を減らすために、農業をしている。

 若い人のことを考えたら、到底農業を始めるなど、考えにくい状況になる。ではよその国はどうしているかと言えば、食料自給を維持するために農業者に補助金を直接払いしている国が多い。補助金を出さないで、食糧自給を達成している経済先進国はない。

 今から45年前になるが、フランスにいたときにドイツで農業をやっているという人と友達になった。その人はある期間だけナンシー大学に勉強に来ていたのだが、ドイツの出身地の農地を維持しているだけで暮らして行けると言っていた。

 ドイツは農業者が急激に減少したために、農業者の増加のために地域が荒れ果ててしまったのだ。そこで農業をやりさえすれば生活できるという条件を作ったらしい。そうしたら減少していた農業者の数が増加に転じて、ドイツは食糧自給ができるようになったと言うことだった。

 日本は主食農業など止めれば良いと総理大臣が発言するような、国の安全保障の根幹を理解いない国なのだ。だから、農業は産業としては崩壊した。しかも国も対策を打ち出さないまま、ここまで来てしまった。日本は気候的にも水環境も恵まれた国である。農業政策の方向は諦める必要はない。

 対策は三つある。まず、政府が今も示している、大型企業農業が中心のものとして重要である。生産コストを下げるためには、農地の合理的な利用方法である。まだまだ、中途半端な状況だ。農地の集積や労働者の問題も農業企業と言えるほど合理化されていない。

 トヨタや三菱商事のような農業大企業が生まれなければダメだろう。日本全体の農地の50%以上をそういう大企業が利用するようになる必要がある。そこまで出来れば農業の生産性も、世界水準に改善されるはずだ。たぶん総合農業会社で有り、畜産と野菜と米などを総合的に回して行くようになる。

 新規就農者は農業大企業に勤める人が中心になる。給与も商社に勤めるのと同等の賃金にならなければダメだろう。日本の農地の条件を考えれば、オランダなどより遙かに良い農地だ。日本で出来ないはずが無い。政府が半導体企業に出資するのと同じくらい力を入れなければ出来ない。

 そして、自給農業の奨励である。何故自給農業が必要なのかと言えば、国の安全保障である。企業が利用できる農地は競争有利な農地である。しかし、野市が維持されることは、環境のためには重要なことになる。水田ダムが言われるが、農地が人間の生活環境を維持している部分が大きい。

 そして新しい人間の生き方が自給農業にはあるからだ。自給農業で食糧を確保する。そのことで自由な職業の選択が出来るようになる。好きなことをして生きるという人間らしい生き方を出来る、基盤が出来ることになる。食糧自給は一日一時間の労働で可能である。私の40年の体験の結論である。

 1日一時間肉体を使って働くことは健康のためにもとても良いことだ。そして自分で生産したものを食べる。これほどの地産地消はない。SDZSにかなっている。健全な精神を維持することが出来る。本来の人間らしい暮らしがそこにはある。そして好きな仕事をすれば最高である。

 中山間地の環境が自給農業で維持されれば、国の経済としての合理性もある。だから、国は自給農業の農地の時代を負担する。環境維持費用だ。国が農地利用をしない農地所有者に費用を払う。あるいは農地所有者から、購入する。自給農業者が自由に農地を使えるようにする。

 そして最後に今の農業者はどうなるかである。自分の畑を国に貸して、あるいは農業企業に貸す。自分は農業企業に就職すると言うことが一つの選択である。農業者は新しく企業に入る職員の指導をする立場になるのだろう。長年のその土地での農業経験が生きることになる。

 そして、ご先祖から受け継いだ農家として経営を続けたいという人には、直接払いを行う。営農で生活できるだけの収入を保障する。機械の協働利用や周辺農家との連携を作り、ネットワーク農業を受け入れて貰う。小さな農家のネットワーク化で合理性を模索する。

 この三つの農業形態をそれぞれに模索するべきだ。生産効率の良い、企業農業。地域を守る小農。そして、自給農業者。
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当たり前の国になる道

2024-12-02 04:23:58 | Peace Cafe


 日本はアメリカの属国であり、中国を仮想敵国としている国である。これは片時も忘れてはならない現実である。この現実感は日本の大多数の人にはない。つまり、完全な独立国家ではない為に起きていることになる。経済だけに翻弄されて、尊厳ある国家としての方角を見失っている国である。

 その原因は日本人の甘えの体質にある気がする。当たり前の独立し国家とは、国の安全保障を自分たちの手で維持している国である。この点日本はまるで国の体をなしていない。安全保障には、「国防と食糧と防災」の3つがあるだろう。

 それ以外にも様々な国の成立要件はあるわけだが、まずこの3つがなければ後のものはいくら整備されても意味がない。所がこの肝心な三つを持っていないのが日本国である。何故こんなことになったかと言えば、国を挙げての拝金主義である。

 戦後日本人は敗戦の経験から、お金さえあればなんでもできると考えてしまったのだ。お金があっても、食べるものがなければ、外国に滅ぼされれば、大災害がおこれば、どうにもならないと言う現実を忘れて、それは見事に高度成長に邁進した。

 武力については、敗戦をして、侵略国家ということで、世界から武力を放棄しろと約束させられたこともある。非武装中立が国是になったのだ。武力がない以上アメリカの核の傘の下にいれば安全だという事だった。アメリカに前線基地としての基地を提供する代わりに、日本を守って貰うという考え方だ。

 だから、拝金主義からすれば、それはそれで安上がりだと言うことだった。国土をアメリカに売り渡したのだ。だから、日米地位協定が不平等条約と言うことになった理由だ。今や一国主義者トランプは日本の安上がりを許しそうもない。

 食料については、自給率が70%以下の国は安全保障上問題があるだろう。所が日本の自給率はその半分程度しかない。今年のようにお米がちょっとしたことで足りなくなるようでは、話にならない。主食が揺らぐことはあってはならない。40%以下の自給率の国は極めて危うい。

 そして防災については、何度も何度も大災害が起こっている。そして近い内に大噴火や、大地震が予測されている。南海トラフ地震の想定死者数は32万人を超えるというのだ。線状降水帯による土砂崩れも続いている。大噴火も想定されている。その対策が十分でないのは誰もが不安なところだろう。

 当たり前の国になるためには三つの課題の解決法を示さなければならない。残念なことに政府にはその能力がどうもないようだ。拝金主義が続いている間に、当たり前の事を当たり前の国の条件を考える政治家がいなくなったのだ。

 こうした問題を挙げる政治家がれば、お金がなければもっと人は死ぬ。などと反論が入る。確かにそう言えないこともないのだが、国防をどうするかを考えないで、何故お金があれば良いというのだろうか。まず核兵器による世界の均衡は年々危うくなっている。ロシアはこれ以上、ウクライナやナトウのミサイルがロシアに撃ち込まれるならば、核攻撃も辞さないと表明している。

 互いに攻撃を厳しいものにして行けば、最終的には核戦争に至る。それが日本への核兵器の使用だった。二度と原爆は使わないと世界は誓ったはずだった。所が核戦争が現実的視野に入り始めている。この状況を打破するのが日本の役割のはずだ。

 ノーベル平和賞に日本被団協が受賞したのは、世界は核戦争を何としても防がなくてはならないという表明だろう。日本政府は核兵器を使用できないような世界の状況を作る為の努力を行う必要がある。無力に見えても、核武装していない国が同国の安全を確保するかの、「核の傘」ではない安全保障を模索しなければならない。

 そのためにはまずアメリカの核の傘をお断りすることだ。傘のない国でも平和に国を維持できると言うことを死に物狂いで模索することが、被爆国日本の役割である。出来ないと諦めて、何もしないよりは、国の自立のために世界の平和を求めて動き出すことだ。

 次の課題は食糧自給であるが、主食作物は食料生産はお金にならないから、取り掛からないのだ。何しろ菅前総理大臣は国会でそう明言したのだ。国の安全保障を分からない人なのだ。
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280 水彩画 日曜展示

2024-12-01 04:08:09 | 水彩画
280 水彩画 日曜展示







615「のぼたん農園」
2024.11 中判全紙









616「とぅまた田」
2024,11 中判全紙







617「のぼたん農園」
2024.11 中判全紙








618「とぅまた田」
2024.11 中判全紙



 今週は615番の「のぼたん農園」だけが描いた絵だ。ちょぅっと残念なことだ。描けなかった言い訳はいろいろあるが、そんなことは言っても仕方がない。仕方がないので、前から残っていた絵を加えて掲載した。何故残ったのかわからないのだが、記録が絵の裏に書いてない。もしかしたら一度過去に掲載して書き忘れた絵かもしれない。

 絵が変わり始めている気がする。それはいいことだと思ってはいるのだが、絵を描く速度が落ちている。なかなか次の反応ができない時間が長い。考え込んでしまう。無意識で描いて居るので、意識して反応を進めることはない。すると何時間も何もしないでいることがある。

 こういう状態は久しぶりかもしれない。別段絵に苦しんでいるわけではなく、茫然としているような具合だ。小田原に来て描いても同じかどうか、篠窪に行って描いてみたい。何か楽しいような気持ちになってきた。しばらく天気は良さそうなので、寒くはないだろう。

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全国スパー銭湯巡り

2024-11-30 04:44:31 | 水彩画



 日帰り温泉巡りをしたい。今度の写生旅行は日帰り温泉巡りにしたいと思っている。どこに行ってもできる限り日帰り温泉があれば入ることにしている。サウナに入れば、絵を描いた身体と頭が回復するからだ。一ヶ月旅行期間があるとすれば、30の日帰り温泉に泊まれる。

 日本日帰り温泉マップ「ゆるーと」というものがある。そこにサウナがあり、泊まれるかどうかなども調べられることになる。今や日本全国どこに行っても近場に日帰り温泉施設がある。サウナは大抵の所にある。大きな駐車場が有り、車も止めておけるところもある。

 ここで行く気になっ立つ森で、スーパー銭湯を記録しておく。自分用である。行くときにこのページを見れば、次にゆく場所がすぐ探せるようにする。一応は作ったが、この後も時々見ては、それが楽しいのだが、書き換えてよりよいものにして行く。

 まず、福岡に着いたならば福岡港に行き車を受け取る。そのまま糸島にある「伊都の湯どころ」に行く。糸島は朝の連ドラらしいが少し見てあまりにくだらないので、見ていないのでよく分らない。そして次にゆくのが、「玄海海上温泉パレア」加部島など描きたいところが多いので、しばらくいるかもしれない。

 そして平戸。平戸では「平戸タビラ温泉サムソンホテル」がいいようだ。「ハウステンポス温泉」まで行くことになる。それ程の距離はないので大丈夫だろう。そして、島原半島の「YUKULU]稲佐にするか、あるいは「稲佐山温泉ふくの湯」「アークランドスパ」に行く。アークランドスパは宿泊も出来るようだ。

 島原から阿蘇に向かい「七城温泉ドーム」に行く。そこから高森にある「月廻り温泉館」ここからなら阿蘇が存分に描けることだろう。高千穂も描きに行くつもりだ。そこから天草に行く。「スパ・タラソ天草」九重に行く。「九重やまなみ牧場牧場の湯」

 九重から湯布院を通り、別府の「ひょうたん温泉」にゆく。そこから国東半島に行く。「中津スーパー銭湯さくらの湯」からいよいよ九州を出て、下関に。「下関せいりゅう温泉」和布刈山から又描いてみたい。周防大島に向かう。瀬戸内海の景色を描く。

 周防大島では「竜崎温泉千鳥」がある。秋吉台を描いてから、津和野に向かう。「願成寺道の駅温泉」津和野では永明寺に萩野先生をお参りする。日本海沿岸を北上するように浜田に向かう。「湯谷温泉きんたの里」による。出雲市に出る。「白山温泉」に入れて貰う。

 松江では宍道湖を描いて米子にある「おーゆランド」にゆく。ここでは宿泊も出来る。ここから大山に向かい真庭市の蒜山高原にゆく。「蒜山やつか温泉 快湯館 」大山を描いてから、真庭市に向かい醍醐のさくらを描く。

 日本海沿いに進んで、「絶景温泉北前館」ホテルからも描けるかも知れない。そして丹後半島に向かう。伊根の舟屋を又描いてみたい。そして、舞鶴に行く。「高雄光の湯」そして福井に向かい小浜町「若狭おばま濱の湯」にゆく。昔美術部で絵を描いた、若桜町美浜町をまた描きたい。

 勝山に行く。「法恩寺温泉 ささゆり」そのまま白山の方に出る。「はくさん比咩の湯 」白山を描くと言うより、手取川を描きたい。そして、「白山インター満点の湯」ここの4階からは白山が描ける。前もって頼まないとならないだろう。

 内灘にある。「天然温泉 湯来楽内灘店」にも行く。能登には行けないので、そのまま富山に行く。「サウナトロトヤマ」は良さそうなサウナがある。そこから立山方面に「舟橋・立山天然温泉湯めごこち」そこから糸魚川に出て、妙高に向かう。「うみてらす名立」ここから北信五岳を描く。「神の宮温泉かわら亭」

 牟礼に出る。「むれ温泉天狗の館」ここでリンゴの果樹園も描きたい。田ノ原湿原にもいって絵を描きたい。そこから、渋峠ホテル標高2015mにある。泊まって絵を描く。ここでゆっくり描ければすごい。そして浅間方面に下って、草津温泉「大滝の湯」にゆく。軽井沢に向かい浅間山を描く。

 戻るように安曇野に出る。「安曇野シャクナゲの湯」安曇野から御嶽山を描きに開田高原にゆく。「ビュー御岳」が部屋から御嶽山が描ける。塩尻にある「信州健康ランド」、次に八ヶ岳を描く。「八ヶ岳グレイスホテル」八ヶ岳を描く。

 そこから甲府盆地に進み、いつも行く「スパランドホテル内藤」出来れば甲府盆地をじっくり描きたい。これで数えると36になる。これだけでかなり長い旅になりそうだ。小田原に出てから、車を東京港に持って行き送り出す。そして自分は飛行機で帰る。
 
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企業献金禁止すべきか

2024-11-29 04:33:53 | Peace Cafe


 企業献金だけを特別に禁止すべき理由はない。ただし、どの企業がどの政党に、いくら出したのかは常に公開しておくべきだと考える。それは個人献金でも、法人献金でも同じことだ。お金の出入りの透明化するのであれば、企業献金も禁止する理由がない。

 企業献金とは自民党の問題である。企業は自民党以外に献金するような所はない。企業は安定して営業して行く為に、自民党にに続けて貰うことを願っている。長年続いたその形が自民党と企業が持ちつ持たれつの癒着になってしまった。

 自民党支持者は国民全体から見れば、多いわけではない。だからどこの企業も、企業経営の為には、献金を公開することを避けたいと考えている。だから匿名での献金になる。所がこの匿名献金が、賄賂に当たる場合がある。そうとしか思えない事件は多いのだが、匿名献金が許されているために解明されない。

 企業献金はどこそこの企業はどこの政党にいくら出したか。これは公開しなければ成らない。公開さえすれば禁止する必要はない。国民は〇〇土建が献金してダム工事を請けたと言うことが分れば良いのだ。分るような形になれば、賄賂献金は出来なくなる。

 企業が政治に関心があることは当然で有り、支持したい政党があるのも当然のことだ。この社会で経済活動をしている企業が、保守系与党の自民党を支持したいという企業が多いのも理解できる。しかし、その献金の実態が見えないところが困るのだ。

 問題は献金した企業に見返りがある事は、あってはならない。政治の方向に支持したいと言うことは良いが、自分の企業活動に直接的に、有利な許認可などに影響がある献金は、賄賂姓が強いことが多い。このけじめが明確であれば、企業献金を禁止すべき理由はない。

 現状の一番の問題は、企業が献金を隠していることだ。パー券キックバックの悪質な部分は誰がいくら献金したのかが、全く見えないところだ。〇〇土建が〇〇円寄付をした。そして、こういう工事を受注した。こういう流れが、国民に見えればそれでいい。賄賂と認定される範囲が明確になる。

 お金の流れを見て判断するのは、有権者である。このお金の流れは良くないと多くの人が考えれば、その政党は選挙で敗れる。所が現状では企業献金の流れが伏流水のように地下に潜っている。多くの企業が業界ぐるみで事業受託や許認可のために献金をしているように見える。実際そういうことなのだろう。

 政党へのお金の入りを明確にする。それは個人も一緒である。面倒なことに見えるが、お金の出入りはすべてクレジット決済にすれば良い。簡単なことだ。そのクレジット明細は届けなければならないことにする。これを自民党も企業もきっと嫌がるだろう。ごまかしがきかなくなるからだ。

 次に重要なことは何に使うかである。ノーパンしゃぶしゃぶで遊興費に使うのではダメなのだ。みんなでガールズバーで政策懇話会を開くのではダメなのだ。企業献金で集めたお金を一体何に使うのかである。政治にお金がかかるという一言で説明を終わらせない。

 これも政治資金をクレジット決済に限定しなければならない。同じクレジットカードからお金の出入りは限定する。それを普通の人と同じに、e-Tax(国税電子申告・納税システム で税務申告させる。ごまかしが出来ないようにすれば良いのだ。

 例えば今斉藤知事のインスタグラム管理を下請け会社に頼んだのかどうかが問題になっている。弁護士は領収書を公開して、この通りポスター製造費等だと説明した。それは確かなことだろう。しかし、裏でSNS管理をこの会社に依頼し、別払いしている可能性が無いとは言えない。

 こういう見えないのが今の政治のお金の出入りなのだ。この事件はポスター制作した会社が、自社の宣伝のために斉藤知事を当選させたSNS戦略は、自分の会社がやったののだと、このとんでもない奇跡を起したのは、自分の会社だと言いたくなってしまったのだ。

 この暴露が問題なのだ。これを盛り上げとするのが斉藤知事側の説明。ではこの会社は何故盛りましたと言わないのだろうか。SNS戦略を指揮したのは事実なのだろう。それが成功したのも見ての通りだ。これをボランティアでやったのかどうかは、会社の書類を押収して調べるいがいにない。

 政治にお金がかかるという現実をどうするかである。SNSがこれからの選挙で重要になるという事は、斉藤知事再選でよく分った。N国党首の立花氏は、SNSで斉藤氏支持のための誹謗中傷を繰り返した。疑惑を追及してきた県議会調査特別委員会の委員に対し、自宅に押しかけて圧力とも取れる演説を繰り返した。

 その誹謗中傷のSNS戦略で、県議の家族は家を出れないほどの不安を抱えることになった。そして議員辞職をした。この選挙はこれからの選挙のSNSの影響の大きさを見ることに成った。何故か、この内部通報者を調べ上げ、一方的に処分した、犯罪者と言える知事を再選させるという驚くべき結果を導いた。

 どうも権力者の犯罪に対して検察が及び腰である事が問題だ。早く斉藤知事を起訴していればこんなことにならなかった。選挙に影響すると言うことで、検察も動かない。そして報道も妙な自粛の及び腰になった。現在の報道は保身が重要で、批判精神を持ち合わせていないのだ。SNSに報道が敗れた選挙だった。

 話が少しそれてしまったが、政治で使われるお金はすべてが表に出ている必要がある。表に出して問題の無い使い方以外出来ないようにするべきだ。それが議会制民主主議を維持させるためのお金の使い方だ。麻生氏が言うところの「民主主議にはお金がかかる。」はどういうお金のことかが想像できる。買収にはお金がかかると言うことなのだろう。

 今回、自民党の過半数割れは良い機会である。一体どういう政治が国民に望ましいかを明確に議論して貰いたい。今のところ、国民民主党は半分自民のような動きだ。企業献金禁止よりも、すべての政治のお金をクレジット決済にする案の方が良い。

 何故こういう考えが出てこないのか。たぶん野党もそれでは困ると言う部分があるのではないか。企業献金禁止ならば、自分たちには影響しないから、自民党だけに嫌がらせをすれば良い、と言うことではないか。野党のお金の使い方だって、クレジット決済で明確にして貰いたいものだ。

 政治の正し目的の為ならば、お金は、公費が良い。節約の必要は無い。

 
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ベイシックインカムは革命後の社会だ。

2024-11-28 04:30:59 | Peace Cafe


 ベイシックインカムは考え方として、やってみる価値が十分にある。資本主義を乗り越える考え方と言えるだろう。能力主義を否定できる希望のある社会の実現がそこにはありそうだ。能力があるものも、ないものも人間が生きる意味は変らない。

 特にコンピュター革命後の社会は、能力主義と向かい合わなければ、生きづらい社会になることが見えてきている。能力で言えば、コンピュターが人間を上回ることは目に見えている。人間の意味が問われることになる。人間は楽しく生きる事ができると言うことが尊い。

 ベイシックインカムの基本的な意味は、生きて行く最低限のお金は何をやっていようと、人間として生まれてきた以上、その存在の意味が生活費を貰うことが出来る社会システムのことだ。例え働かないとしても、一定額は国から支給される。

 それは人間をダメにするだろうという批判的な考え方がある。例えば、貰ったお金をすべて、飲んでしまう人。パチンコをやってしまう人。薬物中毒になる人。おそらくいると考えて間違いはない。そういう人が今より減るのでは無いかと言うことなのだ。

 結論を先に書けば、おそらく人間は大丈夫だと思う。生活費が支給される社会では、むしろそれぞれのやりたいことを見付けて、健全に生きて行く人が増えるはずだ。能力主義に於いて脱落してダメになる人の方が、はるかに多いに違いない。人間を信じて良いと私は判断している。

 具体的にベイシックインカムの社会を想像してみる。日本ベイシックインカム学会理事白崎一裕氏の説明をまず見てみる。
1. 定期的な現金給付
支給単位は、毎月という場合が多いですが、規則的・安定的に配当されます(現在想定されている金額は、月ひとりあたり8万~15万円程度)。コロナ禍で実施された10万円給付金のような一回限りというものではありません。また、クーポン券や商品券でもなく、あくまでも現金です。

2. 個人単位
生活保護制度のような「世帯単位」ではありません。

3. 無条件
生活保護制度にあるような「資産調査」(資力調査、ミーンズテスト)や働くことができるかどうか(ワークテスト)などの条件は必要ありません。福祉制度は、福祉給付を受けられるかどうかの選別的判断を行政がおこないますが、ベーシックインカムではそういうことはまったくなく、「どこでも・だれでも・いつでも」という普遍的な制度です。

 第一印象は随分有り難い社会である。一体それで社会が聖津するとは思えないのだが、と言うのがたぶん大方の人の第一印象である。ベイシックインカムは社会保護制度ではなく、人間として生まれてきた事による権利として受け取る給付金である。

 ベイシックインカムの社会はよりよい社会システムだから取り入れられると言うよりも、あまりに能力主義が行き過ぎて、行き詰まり取り入れられるのだろう。「ここまでくると労働と所得を切り離してしまって、労働とは別の回路で所得を配当したほうがいいのではないか」「そのほうが市場も安定するし、貧困対策にもなり、社会正義としても合理的ではないか」ということで、注目され始めたのがベーシックインカムなのです。 

 ベイシックインカムの社会の良さが羅列されている。そうかなと思うところもあるが、一応転記しておきたい。

●不愉快なブラック企業につとめなくていい!
●パワハラ・セクハラをがまんして嫌な仕事を続けなくていい!
●生活の心配のある不安定な仕事をしなくていい!
●小規模でも、自分のやりたい仕事を起業するチャンスをつくれる!
●お金に関係のない芸術やボランティア活動に従事できる!
●経済的理由のみで、家族をつくったり、パートナーをつくったりしなくていい!
●いつでも怠けてボーッとしている時間をもてる!

 要するに自由に好きなことが出来る有り難い社会と言うことになる。経済力による差別がなくなると言うことだろう。

 そんなうまい話があるはずがないと言うのが財政面だろう。もし国民一人当たり月々8万円支給したとすれば、年間100兆円になる。当然財政破綻になり、政府が持たないだろうという話だ。消費税の総額はは24兆円ぐらいにしかならない。

 まず、いはゆる労働をしない人が増えると思われている。労働意欲の衰退である。働くのは仕方がないからやらされている意識がある。これが資本主義社会の大半の労働者の意識だ。ところが、一部の上層階層にいる人達は、働くことを無上の喜びと感じて、限界まで働いている現実がある。

 しかし、未来社会ではこの価値観が変るだろうとされている。多くの人が、資本主義社会で競争に勝ち抜いた人が働くことに意欲的なことと、同じように働くことに生きがいを見いだすようになるというのだ。好きなことを好きなだけする社会だからだ。この点では私も好きなことで生きてきた人間として共感できるところだ。

 働かないでも働いても良い社会では、大半の人が好きな仕事を見付けて喜んで働くようになると見て良いだろうと私は思う。現実に実証実験が行われた国では、そういう希望のある結果が出ているという。今のところにわかに信じがたい人が多いだろう。いやいや働いている人の実感ではないだろうか。

 実際に経済がどうなるかを明確に示したものはない。あれこれ探すがどうも安易すぎて、経済の全貌を見ていない。ベイシックインカムはこの考えが出来てから20年も経つにもかかわらず、空想的なものとしてしか受け止められていない。

 やはり財政的にどういう構造になるのかを誰にでも分るように説明されんければならないだろう。日本人の人口を1億2千万人、国民1人あたりに10万円のベーシックインカムを支給するとなると1年で144兆円の予算が必要です。

 現在の社会保障費を廃止をまずしなければならない。簡単に言えば生活保護費がなくなるのは分りやすいだろう。そういう形で年金などもなくなるのだろう。結局の所、人口が今の半分位に減少し、GNPは今よりも倍くらいに増加しているような社会にならなければならない。

 コンピュター革命により、労働人口が減少して行くとしても、日本全体としての生産性が今の倍になるという事だろう。つまり、2040年くらいまで、行くとそういうことが起こる可能性が現実化してくる。能力主義が限界に達し、耐えがたい社会になる。

 多くの人が社会の仕組みから離始める。そうなると8万円か10万円を貰い。中山間地の消滅した地域で暮らし始める人が出てくる可能性がある。本当の人生を生きようとする。医療も社会インフラも不足するだろうが、そうしたものより、自由に生きる方を臨む人が多数派になり始める。私はその可能性が高いとみている。

  

 
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公立高校が定員割れなのに不合格

2024-11-27 04:09:34 | 地域
 

 沖縄県の公立高校の不合格者の数は全国一だった。全国では定員に余裕があるのに不合格になった人は2004人もいたのだ。その中で沖縄が226人と最多で、福岡が同153人、高知が同130人と続く。東京や大阪、北海道、埼玉など9都道府県はゼロだった。

 これはどういうことなのだろう。まさか全国的に統一見解がされていないということなのだろうか。まったく 驚いた数字だった。文科省は定員割れが起きないように、できるだけ入学させるように指導はしているらしい。教育の独立性と言うことで、各県に判断の権限がある。

 公立高校に定員に余裕があるにもかかわらず入学させない理由は、一体どんな理由なのだろうが。学力が高校で学ぶ為に達していない。と言う理由が多いらしい。それを決めるのは、各県知事でもなく、教育委員会でもなく、各高校の校長が決定するそうだ。初めて知る意外なことだった。

 「校長には生徒が心身ともに安心安全で卒業まで過ごせる環境を提供する責任がある。障害がある子を受け入れるには専門知識がある教員を配置するなど、人的・物的なサポートがないと厳しい現状もある」 これは元校長の言葉である。間違った考えに思える。

 そんな理由で校長が努力しないで良いものだろうか。定員に余裕があるならば、当然教育を受けたいというものを受け入れ手から考えるべき事だ。それが教育者の姿勢ではないだろうか。校長本来教育者としての思想を持っていなければならない。

 高校教育を受ける意欲や学力がないとするならば、それをどうやって補いその能力を付けさせる努力を、学校側が努力し行う義務があるだろう。校長はまず教育員階にそのことを申し出ある必要がある。校長にそれは出来ないと言う能力の足りない校長なら、教育委員会は出来るという校長に変える必要がある。

 教育を受ける権利は義務教育でない高等教育であっても、日本国民にはある。だから公立高校の無償化が言われているのだ。国公私立問わず、高等学校等に通う所得等の要件を満たす世帯の生徒に対して、授業料に充てるための高等学校等就学支援金を給付することになっている。

 社会全体としても、一人でも多くの国民に、高校教育を受けてもらった方が望ましいからだ。問題は、高校教育を学習する能力が足りないとされた生徒にたいして、高校は何をどう指導するかである。その教育の目的が少し歪んでいるのだ。

 高校で能力が問われるというのは最近の日本の姿を現している。社会で有用な実業能力を教育しようと言うことになる。そしてそれは大学に進学すると言うことが第一目標とされる。高校が大学の予備校化しているのだ。予備校というのは受験教育である。

 受験教育であれば、高校の授業について行けない生徒は多いだろう。ここに高校の教育の目的が間違っている原因がある。本来教育は人間教育である。その意味で高校の3年間は人間になるためには、一番重要な時間になる。それは受験勉強やスポーツに情熱を燃やすのも一つではある。

 しかし、もう少し違う高校で学ぶべきものがある。人間の生き方である。それぞれがどんな人生を選択するのかを決める若者の大切な3年間である。好きなことを見付ける3年間である。今の社会が歪んでいて、良い大学に行くとか、良い職業に就けるようにとか、そういう発想に洗脳されているのだ。

 人間の生きる意味が労働の意味が、コンピュター革命後の社会では大きく変る。生産性が一変する分野も増えるだろう。つまらない装飾画など、一舜にしてコンプュターが描いてくれる。労働は人間でなければ出来ない労働に特化して行くはずだ。

 産業革命で、鍬で耕すことがトラックターに変わり、作業効率は100倍にもなったのだろう。それに類するように、人間の働き方はコンピュターで大きく変るはずだ。人間一人が今の10倍以上の生産性を上げられるようになるはずだ。人口減少など何の問題も無い。

 人口減少が問題にされるのは、資本主義末期の一時的現象に過ぎない。こうした中での高校の教育は、より人間の生きる意味を問うものに変らなければならない。そこでは大学受験に必要な学力は、高校教育の一部の目的に変るだろう。

 高校の在り方も大きく変って行くことを見据える必要がある。障害を持った生徒を入学させることを、専門職員がいないという理由で拒否するなど、将来はあり得ないことになる。そういう理由があるとすれば、そういう職員を一定の高校に配置すべき努力をすべきだ。

 学校の矛盾は社会の矛盾が凝縮される。社会の矛盾、学校の矛盾は、生徒の上に降りかかることになる。生徒はその被害者になる。それをどうすれば解決できるかを、社会全体で考えるのは当然のことだろう。もうそう言う瀬戸際まで時代は来ている。

 沖縄の高校はやはり特殊だと考えたほうがいいのだろう。人口から考えたならば、あまりに多すぎる数だ。何かその背景には沖縄教育界独特の理由があるのではないか。日本の1%ぐらいの人口の地域で、不合格者の数は11.7%なのだ。その特殊事情を考えなければ成らない。

 家から通えないという事情がある。八重山地域では石垣島にしか高校はない。他の島から通うことは出来ない。学校としては、下宿や寮生活の生徒の指導に難しいところがあると考えていないだろうか。学力が不足している生徒の場合、卒業まで続かないことが多いと考えられる。

 教員の熱意はむしろ高いと思う。学校田の関係で教員の方と接する機会が多いが、一生懸命の先生が多い。農業高校の先生とは何名か知り合いになったが、素晴らしい方が教員として織られる。その事が却って、学力不足の生徒を受け入れない方が良いと言うことに繋がっているのかも知れない。

 また沖縄全体の学力の遅れがある。学力テストでは最下位なのだ。その理由は様々あるのだろうが、強化以外のことに力が入る傾向がある。郷土芸能クラブなどいつも全国トップクラスである。東大入学よりも、とぅらばーま優勝の方が地域では話題になる。

 それが沖縄の素晴らしいことで有り、沖縄の人達の魅力に繋がっているのだと思う。所が、学校への見えない圧力がある。NHKのニュースなどでも学力テストで、沖縄の小中学生が、どこが延びたかなどと最下位のことは避けるように報道している。

 学校としてはどうしても学力向上に力が入るのではないか。そのために学力の低い生徒を受け入れる余裕がなくなる。高校教育の本来であれば、沖縄で生きる生徒を育てれば良い。何も都会に出て行くための学力を付けること画工工の目的ではない。

 ユイマール精神を育て、東アジアの交流拠点になるべく、高校教育を独自のものにして行けば良いのではないか。学力のことにあまりこだわらず、沖縄らしい緩やかな教育を目指せば良いのではないだろうか。少なくとも、追いつけ追い小瀬のような教育は止めた方が良い。

 
 

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のぼたん農園の田植えの準備

2024-11-26 07:35:01 | 楽観農園

 
 「田植え」は12月8日に行う。11月10日に苗代に播種をした。昨年より一ヶ月早く、進めている。昨年は1月始めに田植えだった。さらに早めて見たらどんな状態になるか試している。もし何とか出来るとすれば、4月末に一回目の稲刈り、8月に二回目の稲刈り、11月に三回目の稲刈りになる。

 一年を通して、3回の収穫を出来るとすれば、11月10日播種になるのではないかと考え計画している。今年一応3回の収穫は出来たが、土壌の状態を良く保つことが出来なかった。自然栽培でどのように稲の活性を一年を通して維持できるかが今年の課題だと思う。

 品種は「にじのきらめき」をやることにした。この品種が石垣の気候に合っているとまでは言えないのだが、農研機構で実証実験に利用して製鋼している品種というので、作る価値はあるかと考えた。また2月に播種をするところを作り、比較実験をしてみる。


 「ひこばえ農法」では、課題になるのが「追肥」である。普通の収穫を得るためには、かなりの追肥が必要になる。この点で化学肥料を使う場合と、有機肥料で行う場合では、違う栽培の手順になる。与えた肥料が効果を上げるタイミングが違ってくる。

 今回は「基肥」として、2畝の田んぼに50キロの牛糞堆肥「よみがえり」をいれた。幼穂形成期に追肥を入れ、稲刈り2週前にひこばえのための追肥を入れてみることにしたい。入れる量は土壌の状態を見て決めたい。かなり多めに入れなければ、ひこばえは十分に育たないことは確かだ。

 また肥料分を加えるためには、アカウキクサを繁茂させることも考えなければ成らない。アカウキクサ繁茂のためのリン酸肥料の追肥も考えておく必要がある。今年は30㎝角植えと40㎝角植えと比較したいともう。比較したいともう。



 「収量」は少なくとも、管理が楽というのが、40㎝角植えである。ひこばえの場合利点はあるということも考えられる。田んぼの土壌管理を十分に行うためには、余裕のある田んぼにしておくことも利点である。コロガシが楽という意味では、40㎝植えになる。

 「田んぼまわり」からの牧草の侵入を防ぐためには、余裕を持ってまわりを歩けるだけ空けることも必要になる。畦際の草を刈るためには田んぼの周りの草刈りが楽に出来るようにしておかなければならない。3回収穫するのだから、少し無駄に感じるが、余裕のある状態は作りたい。

 11月10日蒔きの「苗代の状態」は、暖かすぎて、夜温が25度を超える日もある。育苗中最低気温が20度以下になることがない。これではどうしても苗が早すぎる成長をする。また徒長気味の生育になる。苗代のベットの高さを高くして。水をもう少し厳しくする必要があるかもしれない。

 「浸種」は湧き水の流れ出るところで行った。5日間で十分芽が伸びた。長い芽は3㎜ぐらいはあったが、まだ鳩胸の種籾もあった。一番水温が低いところと言っても、20度くらい有る。どうしても発芽が早く、種にムラが出来る。も手の打ちようがないことになる。



 苗は四週間「育苗」で弱い徒長をした形の5葉期である。播種量はかなり減らして、まばらに撒いている。330グラムを6㎡に蒔いた。それで少しでもがっちりした苗にしたかったのだが、実現できなかった。苗代には「よみがえり」の長く置いておいたものを30キロ撒いてある。

 苗の葉色を見ると肥料不足と言うことは無さそうである。

 田んぼは今年はできるだけ深く耕した。田んぼの一部に岩盤層が有り、稲が十分に生育できない。たまたま深くなりすぎて、トラックターがはまってしまった部分が、一番良く出来た結果になった。不耕起田んぼではまだ良い結果は出ていない。深く耕して、石を出すことが今年の課題だった。



 一番田んぼと二番田んぼは土壌が腐敗気味になっていて、臭いひどい匂いがするようになった。そこで水を流して、4回代掻きを行った。一回ごとに改善されて、四回目にはかなり回復したように思う。酸素を入れることで土壌が回復した。

 12月5日に田植えの「準備」を行う。7日が苗取りで、8日が田植えになる。4日の夕方4時から、田んぼの水の調整を代掻きがしやすいように行う。5日の「田植え準備」は早朝から田んぼをトラックターで耕した方が良ければ、耕す。

 トラックターの必要がなければ、9時から「田んぼの均し」作業を水牛で行う。高い場所から低い方へ土を移動する。土の移動が出来たならば、トンボで均し作業をする。できるだけ丁寧に田んぼの均平を取る。均平がとれたならば、水を抜く。


 当日、あるいは翌日6日に余裕があれば、田んぼのまわりの「土挙げ」を行い。田んぼ周囲に「水路」を作る。「畦塗り」が必要な田んぼはこの時に畦塗りを行う。ただ昨年までの経験では、畦塗りの意味は余りないようだった。むしろ水路作りが重要に思われる。

 7日には苗取りを行う。苗取りを行い苗は各田んぼごとに分るように表示をして、溜め池に漬けておく。苗取りが終わった田んぼは、線引きを行う。一番田んぼについては苗代の苗取りが終わり次第、代掻きをし、均しを行う。畦際の直しも必要になる。

 一番田んぼについては、7日に田植えが出来ればいいが、ダメな場合は8日に行うことにする。田植えが終わった田んぼは、すぐ風よけのネット張りを行う。北風中心になるので、北風を防ぐための田んぼの北東方向をしっかりネットを張る。ここまでが7日田植え日に必ず行う作業になる。

 
 
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MVP大谷翔平選手

2024-11-25 04:05:05 | 暮らし


 大谷選手が大リーグで3度目のMVPを受賞した。長い大リーグの歴史の中でも傑出している一人だ。日本の若者にこういう素晴らしい人がいることを誇らしく思う。投手と打者をここまで両立させた選手はいない。あり得なと否定されていたことを、実現してしまったのだ。

 アメリカに行き、アメリカで出来たベースボールで成し遂げたことだ。そして、今度は怪我をして大手術をして投手が出来ないために、今年は指名打者に専念した。そうしたら54本塁打59盗塁である。すべてに傑出している。それを練習によって成し遂げてしまう。

 文句なしの選手だと思う。所がラジオを聞いていたら、大谷選手がなんとなく面白くないというコメントを放送していた。女性の方の声であった。誰だか分らなかったのだが、著作などもある有名な方らしかった。そのコメントを、何の文句があるのだろうとつい聞き耳を立てて聞いてしまった。

 あまりに完璧すぎで面白くないと言うことが基本だった。要するにひがみ根性らしいのだが、女性のためか、大谷選手の奥さんまであまりに立派で面白くないというようなことまで、語っていた。私など大谷選手が良い奥さんを貰い、選手に専念できることが実に良かったと思えたのだ。

 そうしていたら、朝日新聞にも同じ傾向の記事があった。大谷選手へのどこか割り切れない気持ちは、若い人ほど強いと言うことらしい。「嫉妬もあるんですが、なんというか、ダメなとこもあるけど、すごい能力あったりすると魅力ありますが、全部完璧過ぎると話として魅力ないというか。 マンガの主人公としたら、ライバルにはいても主人公にはなりえない感じじゃないですか? 天才すぎて共感できるとこがない。 わかってもらえないですかね。」

 こういう気持ちは想像は出来るが、「この、なんだと言う感じと言う感じ」は何か今の日本を反映しているような気がする。このことはもう数個し考えてみた方が良いような気がした。健全でないものが社会の根底に溜まり始めているようだ。

 日本が落ち込み始めて、未来が見えない。格差社会に入ったと言うことではないだろうか。格差社会の審理状況が見えるような気がしてきた。戦争だって起こるかも知れない。大災害は間違いなくありそうだ。エネルギー危機も食糧危機も近づいている。

 この日本の状況に対して、やさしい若い人であれば強い不安を抱えた日常ではないだろうか。私の歳になれば、今更と言うことで大体諦めがついている。このどうしようもないはずの未来に対して、世界に対して正面から立ち向かい、完璧に自分というものをやり遂げている大谷選手が面白くない気分になる。と考えられないだろうか。

 誰もが認めざる得ない人がいることで、自分の不十分さを自覚させられる。例えば日本の学術分野が偏向し、しかも財政的にも不十分、だから自分が精一杯やっても学術的結果を出せない。研究室にやっと残ったのだが、何時大学から追い出されるかも知れない。

 と言うような状況のせいにして、憤懣やるせない気分でいる。そのところへアメリカに行って研究生活をして、ノーベル賞を貰う若い日本人がいたらどうだろうか。なんとなく翻って自分のことを考えてしまう。大学の研究室に残り助手生活に上り詰めること自体が、すごい立派なことにもかかわらず。

 あらゆる分野でこういうことが起きていると想像した方が良い。若い人達は我々年代と較べて確かに大変だと思う。それは格差社会が原因している。成功した人と自分を比較してしまうのだ。そして、自分が成功者の湧くには入れないことが見えてしまう。

 しかし、翻って自給農業を考えれば、実に良い時代にあると思う。自給生活においては、昔も今もその肉体的苦労は何も変らない。特に化石燃料を使わない自給生活をしていた私にしてみれば、江戸時代の暮らしも今の時点での暮らしも同じ。

 今の社会は自給するための農地は、ほぼ誰でも借りられる。ただの場合さえ増えている。自治体まで応援してくれる。場所によっては家までほぼ無償で借りられる。こんな良い時代は日本の過去に一度もなかった好条件である。何故こんな好条件になるかと言えば、地方が過疎になり消滅しかかっているからだ。

 自分の方角次第なのだ。野球をやって、一流になりたいという競争はそれは厳しいものだろう。その競争を止めれば草野球は楽しいのだ。楽しい方で良いじゃない。と言うのが自給農業である。職業としての農業から降りた、自給農業に必要なことは覚悟である。自分の作ったもの以外は食べないという覚悟である。

 この覚悟がなければ、自給農業は面白くならない。私の場合は5年後に実現すると決めて始めた。そして達成した。命がけだから面白かったのだ。出来るかどうかなど誰にも分らない。まさに未知の冒険である。冒険の日々ほど楽しいものはない。大谷選手は未知の世界の冒険に乗り出しているのだ。

 冒険は何でも良い。そうは言っても命をかけるのだから、それが社会的に価値のあることでなければ面白くない。命がけだからと言って、賭博に命がけの人はいくらでもいる。ゲームに熱中している人もわんさかいる。しかし、そんなことは冒険でも何でもないのだ。

 本当の冒険は反社会的なものではないはずだ。絵を描くというのもぎりぎりのものだ。絵の社会的意味は失われている。装飾商品というものは藝術としての絵画とは違う。特に私絵画は社会的な意味を捨てた物だ。自分自身のためだけに描く絵のことだ。

 しかし、その自分だけのものと決めたことではあって、描かれた絵は別のことだ。場合によっては人に喜びをもたらすかも知れない。癒やしになるかも知れない。希望を灯すかも知れない。それは目的ではないが、未来への願いである。何百年先の、そういう一人のために絵はあれば良いと思う。記録を残しておくことは誰にでも出来る。そう考えるのも少し卑しい気もするのだが。

 大谷選手に私は強く励まされる。あの活躍する姿が、自分もやれるだけはやってやると思う。大谷選手は世界でまれに見る才能の持ち主である。そして、それ以上の努力家でもある。高校生の時から、今の身体の変化を見ると、どれだけの訓練をしているのかと思う。

 大谷選手を思うと、自分の努力などまだまだ知れたものだと思う。それはわかってはいるが、自分としては精一杯努力して行こうと言う気になる。絵を描くこと、自給農業技術を完成すること、一年一年の目的ははっきりしている。残された時間この二つに邁進したい。

 
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279 水彩画 日曜展示

2024-11-24 04:08:56 | 水彩画
 279 水彩画 日曜展示








610「鳥海山」
2024.11 二号









611「リンコステルス」
2024.11 二号










612「下田」
2024.11








613「のぼたん農園」
20243.11 中判全紙








614「のぼたん農園」
2024.11 中判全紙



 石垣島も夜の気温が21度まで下がった。冷房を入れなくても寝られるようになった。海の色がいつの間にか変った。あの珊瑚礁のブルーの海はもうない。今週は静かに思い出しながら絵を描いていた。また生きたいと思う場所を描いた。

 のぼたん農園も描いているのだが、見て描いているような見ていないで描いているような。絵だけでのぼたん農園を想像するとしたら、どんな所だと想像するだろうか。全く似つかないもの図柄ではあるのだが、のぼたん農園の空気は感じて貰えるような気がする。

 最近明るい絵が描きたい。また絵が明るくなってきたとも思っている。藝術は人間の救済だと思うようになったからではないか。自分の救済でもあるのだが、絵は見るひとに明るい方角を示すようなものだと思うようになった。私が中川一政の絵を見て、絵を信じて良いと思ったようにだ。
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自分になりきること

2024-11-23 04:18:41 | 暮らし


 自分というものが、どういうものであるか、よく考えている。自己中と言うことなのだろう。ダメなものだと言うことは分る。そのことをさらに考えてみると、自分になりきって、その自分が好きなものを感じて、それをやり尽くしたいということに行き着く。

 絵を描くことが好きな自分というものは確かにある。絵を描いているときは無我夢中に成ることが多い。絵を描くことに没頭している。描いていれば時間がいつの間にか過ぎて行く。その絵を描く自分というものは、私自身が長年描けて作り出した自分という気がしている。

 絵が好きと言うことに最初から確信があったわけではない。好きなことを捜せ探せ、とおやから言われて育てられた。子供の頃一番良さそうな答えをしたのが、絵と言うことだった気がする。絵を描くことが好きだと言いきってしまった。そこからそういう自分を作り出したような気がする。

 その時は絵を描いている状態が好きと言うことは分った。描かれた絵が好きなのかというと、そういう興味は少なかった。世田谷中学に入学して、美術部に入りみんなで絵を見に行くと言うことは楽しかった。それで、新入部員の3人の畠山君、井沢君、と私で美術館に出掛けた事は思えている。

 中学一年生の私は何かしたくてうずうずしていたのだ。絵の展覧会を見に行くと言うことでなくても良かったと思う。絵が好きという感じも、よく分らなかった。みんなで絵のことを話したこともあったとは思えない。何が良いのか全く分らなかった。

 絵が好きでなければならないとは思っていたが、ボナールの絵を見たことで、絵に引き込まれてしまうと言う体験をした。何度もボナール展は見たので、何時のどの展覧会かは分らないが、ボナールに魅了されたのだと思う。その体験から絵が特別なものになった。

 たぶん西洋美術館で最初に行われた展覧会は1968年だったとある。もしそうであるなら、19歳の時になるから、この時ではない。中学生であったのは確かだから、1963年くらいのことのはずだ。ラ・トゥールの大工聖ヨセフの真作が1966年に最初に来た。これが17歳で高校生である。この前に模写の方が先に来た気がする。間違いはないと思うが、これも記憶違いかも知れないが、書いておく。

 日本ではラ・トゥールは田中英道氏が本を出版したほどの人気のある作家である。カラバッジオなどよりもむしろ日本人好みなのではないか。ナンシーに行ってから、フランス人にラ・トゥールの話をすると、郷土の画家に対するお愛想としか受け止められないので、不思議で成らなかった。

 「大工聖ヨセフ」の本物が来たと言うことが二回目の展覧会で言われたので、ショックを受けた記憶があるのだが、どこか不確かである。ナンシーに行った理由の一つがラ・トゥールのことがあったくらい好きだったのだ。どこか記憶の底に残っている。

 美術部で描いていた絵は見に行ったルオーの真似をしていた。ルオーのどこが良いのかは全く分らなかったのだが、あの油絵の具の盛り上げ方にびっくりしたのだ。1965年に西洋美術館でルオー展があった。とすると中学3年生の時になる。

 そして、突然ボナールに飛躍して巻き込まれたのだ。家に帰り、ボナールが素晴らしいと言うことを父親に一生懸命話した。すると、昔の画家より現代の画家の方に引かれるのは当然のことだと言われた。自分にはラ・トゥールとボナールの年代差など全く意識がなかった。絵として同じに見ていたことの方に驚いた。

 絵の他にも、鶏とか、金魚とか、犬とか、ベイゴマとか好きなことは色々あったのだ。しかしそれは親が期待していないだろうと、小賢しく考えて絵を描くことと答えたに違いない。そういう嫌らしいところのある子供らしくない子供だったと思う。

 しかし、無理矢理答えた絵を描くことを今までやっていて、今でもまだまだやり足りない気分なのだから、驚く。無理に好きになったような気がしている絵のことが、やってみてやはり、自分の気質に合っていた。つまり良いという基準を自分で作れるという所が好きだったようだ。

 そうであるとしても、絵に才能があると言うことはない。やはり父親が言ったのだが。父の兄の彫刻家の草家人を見ていて、芸術を目指す人間がどういう人間かよく分る。お前は芸術家向きではない。お前にはどこか弱いところがあるといっていた。今思えば父は真剣に私のことを見ていたのだと思う。

 あの頃の子供は良く書を書いた。その字を見て弱いと言われた。書き初めなどを魅せると、字が弱いというのだ。そしてお婆さんの書いた時など魅せてくれて、これが強い字だと話してくれる。父親も良く書を書いたが、上手すぎるような字だと思っていた。自分の字が弱いという意識があったようだ。

 始めてみれば実はどんなこともその奥には宝が詰まっている。宝のそばまで行けば、大抵のことは面白くなるのではないか。ベイゴマだって、強いベイゴマを作るための形態、材質、作り出す方法、そう鉄ごまに焼き入れまでしたのだ。それで誰にも負けないベイゴマ作りから、ものを作るという面白さを学んだ。

 図書館まで行って同じ鉄でも固さが違うことや焼き入れすると鉄はどう変るのかなどまで、色々調べた。あの頃の図書館にいた人は子供が聞くと色々本選びを手伝ってくれた。学校の勉強などまるでしなかったのだが、ベイゴマ作りはもう熱が入ってしまい、学校を早退してまで作っていて、ひどく怒られたことがあった。

 もちろん駒の回し方や、ルールの違いで使う駒の違いなどがある。ガリというルールがあって、上から叩きつけて駒をはじき出す技を使う、ガリ有りルールである。これには又違う駒が必要になる。ガリられ手もはじき出されない駒の作り方まで研究したのだ。駒の角度の問題が大きい。

 そんなことはどうでも良いことだった。ベイゴマでも、絵を描くことでも自分というものになりきることが重要なことだと考えている。やり尽くせば、そのさらに奥にある世界が開けてくる。そこからが何でも面白いのだ。絵は才能はなかったのだが、もうそこまで行けば、才能などどうでも良いことになる。

 今毎日考えているイネ作りでもそうだ。やり尽くすことが面白い。その到達点は、「満作稲による畝取り」である。イネ作りには分りやすい目標がある。小田原では到達した。しかし、石垣島に場所を変えたら、困難な中に入り込んだ。しかし、困難であればあるほど、面白いとも言える。

 11月10日の播種を始めてやってみている。ここに可能性が潜んでいるかも知れないと考えている。毎日苗を見るときにドキドキする。種まき一週間で10センチ2葉期になってしまった。今日で二週間、随分徒長しているのだろう。これはまずい。しかしまだ可能性はある。

 
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昔の写生地旅行を計画する

2024-11-22 04:26:07 | 水彩画


 旅行に行きたくて仕方がない。特に台湾に行きたい。つまらないことで台湾に行けない。石垣から台湾航路ができるという話が繰り返し出てきて、楽しみに待っている。石垣ー台北の飛行機が再開されるというので、それもまた待っている。待っていて行けない。別にないと思えば遠回りもできるのだが。

 あったことを考えると、再開されたらぜひとも行こうとついつい思うのだ。それならばその前に、アトリエカーで日本国内を旅行したいとおもうようになった。稲刈りが終わる4月から5月の良い季節に回れればと思う。連休中の込む季節は小田原にいればいいわけだ。

 日本全国車で写生をして歩いていた。描きたいという場所で車を止めて描く、それを繰り返している内に、何度も行く場所が日本全国に30箇所くらいになった。小田原のそばで言えば、下田、三津浜、箱根、篠窪、それ以外の場はだんだん描かなくなった。

 だから九州に写生に行けば、どこと決まっていた。四国なら、瀬戸内海なら、紀伊半島ならば、何度も行くので、その場所は見ないでも描けるようになった。つまり記憶に残った。今男鹿半島のあの場所という風に記憶の風景を描くことが出来る。

 その場所をもう一度行って描いてみたいと思っている。もう行ったのは昔のことだ。行けば記憶とは違うのだろうが、何か新しい発見があるかもしれないと思っている。その旅行のためにアトリエカーを作ったとも言える。あまり先に延ばせない年齢になっている。来年は実行しなければならない。

 予定だけは考えている。車を福岡港まで送る。帰りも福岡かあるいは東京港から石垣までかフェリーでアトリエカーを送るつもりだ。小田原の家に残してあるもので、送りにくいものを車に乗せるぐらいは出来るだろう。もうこんな機会は少ないだろうから、今度小田原に行った時に捜して置くことにする。

 車の輸送料金は5万円ぐらいのようだ。飛行機代は1万円ぐらいであるから、それほど高いわけではない。全国のサウナホテル宿泊の旅である。のぼたん農園のみんなには少し迷惑をかけるが、それも致し方ないことだ。何かを諦めなければ、長く家を空けることはできない。

 まず福岡に着いたならば、海岸沿いに平戸に向かう。唐津から玄海町。この海岸線も何度も描いた場所がある。名護屋城趾から、波戸岬。加部島にも面白い場所があった。浜野浦の棚田も面白い。平戸までの日本海沿岸は面白い場所が沢山あった。

 平戸や島原には一番多く行った。平戸にはここという場所がある。今ならどんな風に見えて、どんな絵を描くのだろう。もう一度見て描く必要がある。阿蘇から高千穂へもゆく。考えれば、もう一度描きたい場所が日本全国にあちこちにある。アトリエカーで移動するなら、かなり自由に絵が描けるはずだ。

 今やらないと、この先アトリエカーでの遠征旅行はだんだん無理になる気がする。運転をして疲れるようでは、アトリエカーで絵を描きながらというわけにもいかないだろう。今のところ車の運転を一日してもまだ大丈夫だ。と言っていつまでできるかには、不安があるのも感じている。

 九州を出たら、今回は山口から日本海側を移動したいと考えている。山口では萩野先生の菩提寺津和野の永明寺にゆく。萩野先生は一番苦しいときに助けてくれた方だ。島根鳥取とゆっくり歩くつもりだ。行きたいところが色々ある。そのまま大仙蒜山高原をまた描きたい。岡山では醍醐の桜を描きたい。

 桜は終わっているのは残念だが、稲の様子が大丈夫なら、3月に出て、4月の稲刈り前に戻るという計画もある。この辺りは田植えをしてから、いつ行けるのかを検討しなければならない。3月に出るというのも悪くないかも知れない。

 天橋立から、丹後半島ももう一度描きに行きたい。今なら雪舟の様に描けるのかもしれない。まあそんなはずもないが、前よりは描けるかもしれない。そして福井も懐かしいところがたくさんある。美術部の合宿でいった、三方五湖も。越前大野や勝山や丸岡城も描けるかどうかは分らないが、行きたい場所だ。

 そして金沢に行きまた懐かしい景色を描きたい。内灘も随分変ってしまったが、もう一度昔を思いだして描きたい。金沢から富山に行き、富山湾を描きたい。富山湾越しに立山が見える景色はもう一度ぜひ描きたい場所だ。北陸へ行くとどこか懐かしい。こうなると感傷旅行のようだ。

 糸魚川から長野に入り、懐かしい妙高山、斑尾山、黒姫山、戸隠山、飯綱山の北信五岳を十分に描きたい。雪が残っている、新緑の頃が良いだろう。そうすると、志賀高原も描きに行かなければ、いつも泊まらせてもらった懐かしい木戸池温泉ホテル。別天地は今どうなっているだろう。

 長野にはもう一度描きたい場所がかなりある。更埴の辺りの杏畑も気になる。小諸からの浅間山も描きたいところだ。桜越に雪の残る浅間山が良かった。小海線に沿って描きたくなるような場所が何カ所かある。そうなると御嶽山を描きにに行きたくなる。

 そして甲府に出て甲府盆地の懐かしい景色。今回は少しゆっくり描きたいものだ。そして小田原に戻る。予定があるわけではないが、四月の月末あたりがいいかと思うが、それでは稲刈りが問題になるか。この辺の計画はもう少し先に、田植えをしてから稲の様子を見て決めたいと思う。

 荷物などは小田原で積み直しをすればいい。小田原から、今度は東北を回りたいと考えているが、それは次の機会にして、今回は東京から帰るのが良いかもしれない。東北も描きたい場所が山ほどある。福島をめぐり、宮城では蔵王は外せない。蔵王に雪が残る景色はぜひともまた描きたい。となると季節が限定されてくる。しかし、これは次回に回した方が良いのかも知れない。

 盛岡の兄のところによる。その前に花巻でイーハトーブに行くつもりだ。それから岩手山を描きたい。宮古から、海岸沿いに、絵を描きに行きたい。昔ずいぶん描いたのだが、描けなかった。そのまま八戸から下北半島へ行く。寂しい景色だったが今行けば描けるだろうか。

 津軽山のリンゴ畑も描きたい。良い場所があるのだ。弘前城のサクラも是非描きたい。そして津軽半島を巡り、秋田に向かう。あの辺りの秋田は実に良い。花の時期の男鹿半島の日本海と山の兼ね合いが見事なのだ。次回は東京発で東北旅行を計画した方が良いようだ。

 
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1番でなければいけないのです、。か。

2024-11-21 04:46:03 | 暮らし


 資本主義における技術開発というものは、1番でなければならないのは当たり前の事だ。二番目であれば、もう特許が取れない。特別な新製品にならない。しかし、これが資本主義のくだらなさなのだ。次の世界では、二番目でも意味は十分にある。

 資本主義と言うのは、つまらない競争を優先する考え方なのだ。競争させなければ、人間の能力は高まらないと割り切っている。オリンピック選手は確かに素晴らしい。しかし、市民ランナーも違う意味で素晴らしい。個人個人にとっては自分を高めることが重要で、他人と較べる意味は小さい。

 「コンピュターの計算速度が世界1位であることの意義は何か」「このコンピュターを利用するのは誰か」「計算速度が速いと、どんな効果があるのか」など、事業仕分けの議員たちからは質問が行われたが、資本主義の競争の意味にまで踏み込んではいなかったのだ。

 文科省の官僚たちは、世界最高レベルの研究のためには最高のマシンが必要といった抽象的な、いわゆる官僚国会答弁を繰り返すことしか出来なかった。 そこで蓮舫議員が2番ではダメなんですかと、詰め寄ったのだ。その後この言葉は切り取られ一人歩きをした。

 回答としては、先端技術の特許の問題だから、2番ではダメなのです。と言うべきだった。それでもあの時代は日本が最先端技術に挑戦し、一番を狙っていたのだから、今から考えれば驚くべき事だ。もうそんな挑戦を官民協働で行うようなことは、今の日本では独自にはできない。

 もし特許が確立できれば、あらゆる産業に於いて使われることになる。コンピュター革命の先端技術が世界中で使われるようになる。あの頃が日本が遅れ始めるときだったようだ。完全に日本は革命に乗り遅れ、2番目から、50番目ぐらいになり、IT後進国と言われるようになった。

 昔東郷青児という画家がいて、自分の画風を特許申請をするという話を聞いたことがあった。よく考えてみたら、デザイン意匠登録のことだったのだろう。実際には具体的なものに付随しない絵では登録できない。そういえば扇子に描かれた東郷青児の絵はあった。

 そもそもこの話は、東郷青児氏の絵をデザインだと馬鹿にするための作り話だったのだろう。二科会のドンと言われていた。ドンファンでもあったようだが。芸術院会員であったのだから、日本の藝術の考え方のゆがみがよく表れている。文化勲章ではなく文化功労者だったと思う。

 実際の所東郷青児氏の絵を踏襲したのは、娘さんの東郷たまみさんだった。今見るとどちらの方の絵なのか分らないぐらいに良く似ている。随分高額の絵だったのだが、下品な絵だと私は思う。画格が低く見ていて恥ずかしくなる。良くも親子でこんな絵を描いたものだと思う。あえて失礼とは思うが書いてしまう。

 商品絵画の時代というのは、こういうものなのだろう。最近の絵画はほぼ東郷青児を踏襲したようになっているからだ。日本の絵画文化が地に落ちた。日本が下降線にあるということなのだろう。二番で良いんだと言える為には、文化的な自信がなければ不可能なことだ。

 特許を取り保証をされなければ、安心が出来ない。技術開発のお金も出ない。今や研究自体が、商品化と結びついていなければ、研究費が出ない。学問の世界も絵画の世界と同様に商品化されたのだ。江戸時代に育まれた、日本の文化レベルが、今や商品化されているに過ぎない。

 新しいものを生み出す能力が日本人から消え始めている。売れたもの勝ちの世界。お二人は商品絵画の先駆者で、今の時代はこんな傾向の絵が蔓延しているとも言える。まあ、売れないわたしのようなものでひがんでいるとしか受け取られないのだろうがそれで構わない。

 資本主義と言うものは藝術分野まで、2番ではダメなんですか。と言うことになぜならないのか。二番煎じの美術が日本の商品絵画の世界だろう。確かに贋作ではないが、日本画の大半のものは模写のようなものだ。ある形式的な画面を再現する。

 あるいは現実をお手本にして、写実ということになった。ものまねではダメですということでは日本画など成立しない。師匠の絵を模写して学ぶのが日本画の学習法である。それが商品絵画には一番の道なのだ。師匠の大家が画商に絵を渡すときに、そえて弟子の絵を渡す。

 コンピュター革命後の世界では、商品絵画はコンピュターがいくらでも描いてくれるだろう。ものまねならコンピュターの得意分野である。人間がやるべき事は、行為としての絵画制作だ。藝術行為としての、人間の精神の問題になる。コンピュター革命後の世界では出来上がった絵面の問題は装飾品としての意味しか無くなる。

 行為としての絵画制作には、一番も2番も、順位はない。それぞれの深さと言うことになる。あるとすれば自己記録である。その人がその行為によって、悟りまで至れるかであると、言い切れば分りやすいが、もちろん宗教的な信仰の問題でも無い。

 行為の深まりを絵面が表わしているだろうと言うことだ。中川一政氏の作品を見ていると、人間が深くならなければ、絵が深くならないと言うことが分る。では人間が深くなると言うことはどういうことか。見る力が深まる。そうすれば見えなかった世界が見えてくる。

 行為としての絵画制作を「私絵画」と呼ぶことにした。コンピュターの出現によって、絵画の意味が根本から変ると考えたのだ。今のところ、コンピュターがやるような作品を、人間がやっているがそれは移行期の現象だ。コンプーターと競争して1番となろうというような作品がかなりある。

 順位などない世界が本来の人間の暮らしだ。普通に充実した日々を送る事ができればそれで十分なのだ。その結果としての生産物に優劣はない。それが自給農業である。お米を作れば食べることが出来る。自分で作ったお米を食べれば、生きる元気が産まれる。

 自分が描いた絵画が世間的にどう評価されるかなど、考える必要もない。そういうことを考えれば、ゴッホでもロスコも ド・スタール 、も死ななければ成らないことになった。何故理解されないのかという苦しみの中に落ち込むのだ。

 十分に生きればそれで、自分をまっとうしたことになる。どこまで十分にやれるかだけが問題になる。それはダメな自分をも含めてのことだと思っている。ダメというのは人と較べるからそう思うことになる。人間はそもそも誰だってダメななのだ。誰でも一番ではない。

 ダメな絵を一枚描く。ダメであっても、自分にとっては掛け替えのない一枚になる。願わくはその絵が他の人を明るくさせるものであればと思う。元気を産むものであればと思う。そのためには私自身が前向きで元気でなければならないと考えている。

 
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アメリカ一国主義と日本の政策転換

2024-11-20 04:47:49 | Peace Cafe


 トランプ氏が再選されて、円安が進行した。年末には160円まで下がると言われている。ネットであれこれトランプ氏の経済政策のことが書かれている。一つは関税を高くして、輸入品に競争力を無くそうと言うことのようだ。その関税を財源に、大幅な減税を行うという。

 「対中国関税60%」と「それ以外の全輸入品に対する一律10%関税」、及び移民政策として「合法・不法を問わない移民流入の抑制」が挙げられる。どれもアメリカの経済に良い面と、悪い面がある。移民の強制送還はトランプ氏でも簡単には実現できない政策になる。

 アメリカでは大統領、上院議会、下院議会、すべてが共和党になった。トランプの選挙中の発言はそのまま実行され動き来出すと考えた方が良い。

 トランプ氏の政策は全てインフレを誘発する。減税策は消費需要を刺激する。関税は輸入物価の上昇に繋がる。中国製品はあらゆる分野に広がっているだろうから、価格が倍以上に成っても使わざる得ない企業も多いだろう。製品価格はかなり上昇する。

 移民抑制はできない可能性が高いが、もしこれを行えば、アメリカ経済を低賃金で支えてきた、移民労働力が不足することになり、賃金がかなり上昇するだろう。インフレが再燃する場合、FRBの計画している利下げサイクルは進まないことになる。

 利下げがされなければ、アメリカ経済自体の活性化が起きない可能性が出てくる。住宅投資や設備投資の回復が遅れる。関税引き上げは相手国の報復措置がどうなるかによって、アメリカ経済への影響は変るだろうが、輸出減少、移民抑制は人口成長率の鈍化を通じて国内景気を悪化させる可能性はかなりありそうだ。

 株価はトランプ減税期待からプラスの影響を見込実すでに上昇している。インフレ再燃と財政収支の悪化から、長期金利が上昇する可能性はかなり高い。その結果日米金利差の拡大を通じてドル高円安がこのまま加速的に進んで行くと予想される。 
 
 一方で米国経済が、拡大されればは、輸出拡大を通じて日本経済にもプラスの波及効果をもたらすことは期待される。トランプ氏当選が予測された6日の東京市場では、ドル高円安が加速したほか、日経平均が前日比+1,005円(+2.6%)と大幅な上昇を示した。その後も株価は高めである。

 一方、トランプ氏が保護貿易政策をさらに先鋭化させて来るに違いない。日本の自動車産業を中心に、日本の輸出産業への悪い影響が起きてくる可能性が高い。特にメキシコ生産の車に大きな課税をするとしていることは、自動車産業は後退する可能性がかなり高そうな気がする。

 トランプのアメリカファーストが極端化すれば、保護貿易政策は輸入物価の上昇とこれによる消費減少、移民抑制は接客業や建設業における人手不足の深刻化を招くだろう。アメリカ孤立主義はアメリカにとって、良い結果にならないと思う。

 特に対中国の関税60%など、自由貿易国として異常な対応である。これは中国に経済で負けるという恐怖から出てきた政策ではないだろうか。アメリカは長らく世界一出来たために、経済で自分より強い国が表れることに耐えがたいのだろう。

 中国は確かにアメリカに関税を60%もかけられたらば、苦しいことは間違いがないが、中国はアメリカ同盟国に対して、経済分野での切り崩しを図るはずだ。日本などのアメリカ同盟国も、トランプ関税の同じ被害者になる。トランプに対して、中国と連携して対応する可能性が無いとは言えない。

 日本にとっても対中国関係で良い方向が見つかる可能性がある。両者の対立のガンになっている、尖閣諸島問題も棚上げして、外交交渉に乗り出せるかも知れない。 日本はアメリカよりも経済的には中国の方が規模が大きいし、将来の可能性という意味では、中国の潜在力に期待した方がいい。

 特にトランプ政権は、同盟国に対して軍事費の増加を要求してくるだろう。対中国への軍事的圧力を高めろと要求するはずだ。そして在日米軍の経済的負担増も要求するはずだ。しかし、アメリカのそんな一方的な要求に対して、受け入れてばかりいられないはずだ。

 むしろ中国との関係の模索がアメリカの一国主義を抑制させる効果があるのではないだろうか。長い将来を考えれば、日本は東アジアの一因として中国と手を取って進むことが一番である。現状では習近平の独裁がその障害になっているが、それもいつまで続くのかは分らないことだ。

 中国人には有能な人が多い。習近平の問題点を当然理解している。ただ、中国の膨大な人口と、他民族と、他宗教の、複雑化した国家を一つにして、経済を立て直すためには、一定の強権を持った政治が必要だった。そうでなければ中国は世界中から浸食を受ける国のままだったのだ。

 日本だって増長して満州国の建国までしてしまったのだ。そうした中国国家の最悪の状況から、世界一の経済大国を目前とする国を一気に作り上げたのだ。政治的な問題点が無いはずがない。これからこの人権無視の独裁政権が、どこまで民主主義的な社会主義国家に変るかだ。

 対アメリカ一辺倒から日本が抜け出す機会が来たのだ。アメリカが米軍負担の増加を求めるだろうから、まずそれを断り、日本から出て行って貰って構わないと主張すべきだ。アメリカの属国ではないと言うことを、まずトランプに理解させなければならない。

 それが当たり前の独立国家の姿勢だ。日本はアメリカを抜きに東アジアの諸国とアジア版EUを作る必要がある。それは軍事的なものではない。通貨や経済を統一するような経済圏である。それは中国が中心になるものだろう。現状では確かに不可能に見えるほど困難であるが、将来の方角として東アジア共同体を目指す。

 日本の経済は厳しいことになる。手取り増もいいが、経済の好循環が生まれなければならない。手取りが増えても使わないで貯金するのでは始まらない。まず社会に明るい展望を持てなければ成らない。貯金より投資を誘導する政府がまともとは思えない。

 先ずは普通に働いて、不労所得になど依存せず生きていける国である事、安定した社会をを具体化する。それは食糧自給から始まる。日本の不安定の一番は食料をアメリカに依存している点にある。アメリカに依存しているのは国防けではないのだ。

 まず食糧自給を実現する。生産性が低いという意味ではあらゆる産業がそうなってしまったのだが、日本農業ほど生産性が低い分野はない。この生産性を改善すること。国が関与して、機械化農業を推進する。一方で自給農業の自由化を行う事だろう。食糧自給が7割を超えなければ、独立国家とは言えない。

 自給農業の推進のために、機械の貸し出しや、農地制度の見直し。そして地方社会での自給的な暮らし方が可能な社会インフラの整備をしなければならない。トランプ氏の登場は日本の社会がアメリカの属国からの自立の良い機会にしなければならない。


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