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教育は何のために行われているのか。

2018-10-17 04:57:14 | Peace Cafe

自覚のないままに経済戦争中の日本では、教育は経済の勝者になるために行われている。それだけに目標を特化しようとしているのかと思える。小学校で英語が正課になる。競争に勝つための道徳教育が正課になる。日本が経済戦争に勝つための人材作りという事になる。教育基本法で示された教育の目的は「人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成」と示されている。教育基本法に基づいた教育を行う義務が国にはある。全く平和で民主的な国家のことはどこに行ったのだろうか。明治日本帝国に役立つ人間を育てることが教育勅語であったように、経済国家日本に役立つ人間を育てることが、教育の直接的な目的になっている。教育基本法の趣旨を無視して、教育の改編が進んでいる。教育は経済主義に着々と入り始めている。教育の視点からこのことを正面から考えなければならない。

「教育な何のために行われるか」をそれぞれに問わなければならない。人間を人間になるように育てるために教育があるのと私は思っている。人間とは自分の頭で、自分の幸せな生き方を探せる存在である。特に初等教育においては、日本人の目指す方向性を伝えなければならない。日本人が日本で暮らしてゆくためには、社会というものの合意が必要である。どのような文化を持つ国であるか。何を大切にする国なのか。どのような歴史を持つ国であるか。どんな方角を目指してゆくべきなのか。このようなことを考えることのできる基本となる要件を教育しなければならない。憲法に基づく教育である。国語力が最も重要になる。一時間でも多く国語力を磨く必要がある。日本人とは日本語を読み書きする民族である。小学生の時は良い本を大量に読むことが大切である。読書の楽しさを育てる教育が大切だと思う。本を読んでゆくと、自分の中の世界が広がる。小学生の時に良い本に出合う事が出来れば、生きる生涯の宝になる。

次に行うべきは身体づくりの時間だ。身体の動かし方を子供の間に身に着ける必要がある。体育をもう少し広げて考える必要がある。よりよく生きるための身体の動かし方である。作業のできる身体づくりである。作業の授業が必要である。生きてゆく基本となる作業を身に付ける。身体と頭の連動できる身体。図工の時間や農作業の時間を総合的に組みなおす。人間が生きるために基本となる作務の時間である。掃除のやり方なども授業として取り入れる。暮らしの中での体の動かし方が、身に着く授業を行う。体力がないという事では、身体を上手に動かせないという事では、やりたいことが十分にはできない。初等教育では体つくりの基本が大切になる。暮らしが変わってきているため家での子供の生活だけでは、体の動かし方の学習が不足する。家で畑の手伝いをしている小学生はまずいないのではないだろうか。食事を自分で作れるというようなことも、初等教育である。人間は身体を動かし食糧生産をして、その食べ物を食べて生きるという事を身に着ける必要がある。

道徳教育というような枠組みで授業を行う事は無意味である。多くの本を読み、身体を十分に動かす。そうしたことを通して、社会道徳というものを身に着けてゆくはずだ。作業の時間にはみんなの田んぼを行うと良い。田んぼを上手くやるためには、すべてに対する配慮が必要になる。自分だけがでは上手く行かない。力のある人も、力のない人も、能力の高い人も低い人も、それぞれの役割を担う事で協力して作業を行う事が、全体では一番うまく行くという事が体感できる。田んぼを通して社会というものがどのようにできているのかを伝えることができる。思いやりとか、おもてなしとか、もったいない。こうした日本人の徳性を自然と知ることができる。道徳の授業は観念的なものでは効果的ではない。みんなで掃除をするというような作務を通して、身に着けてゆくもののはずだ。

 

 

 

 

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2018年稲作のまとめ

2018-10-16 04:52:32 | 稲作

2018

苗床後の収穫直前の様子。いまだ苗床と通路の違いが残っている。奥の2番田んぼはもう稲刈りが進んでいる。

2018年の稲作が無事終了した。畝取りの豊作であった。サトジマン面積が29.71アールで収量が1799.7キロ 反収で605,8キロ。ほぼ安定して畝取りを達成できる状態になっている。難しいこと、特別なことをしているわけではない。ごく当たり前に有機農業の稲作を行っている。有機農業というものが、様々な農法の中でも優れたやり方という事なのだろう。長年土壌を育んできた結果が出ている。土壌づくりの基本は腐植の増加である。あらゆる手段で腐食を増加してきた。腐植を増加させるには時間がかかる。5年間蓄積するとやっと十分な腐植の土壌になる。腐食は耕作する事で減少する。だから、毎年減少分以上に積み重ねて行かなければ良い土壌にはならない。腐植の継続的な増加努力によって良い土壌が形成される。消毒をしないのだから当然病気も出る。虫もつく。しかし、健全な生育のイネが生育していれば、収量に影響が出るほど病気が広がるようなことはない。周囲の環境を含めた、良好な環境が維持できれば、虫が異常繁殖するようなことはない。わずかな虫を見て、慌てて消毒をして、環境を崩す方が被害は大きくなる。

4月7日に籾洗いにはじまった。4月21日に種まき。5月26日に田植え。9月29日と10月7日に稲刈り。10月14日に籾摺り。例年とほぼ同じ流れである。今年の特徴は梅雨が無かったことだろう。天候が良かったので、苗作りは良好であった。苗が良かったので、ここで7割は成功したとみんなで大いに喜んだ。田植え後も晴天が続き初期生育も良かった。途中のイネの観察日では分けつが23本ほどあり、これは相当に良くなるといよいよ喜んだ。この段階では大豊作の予感がした。ところが、夏になり異常な暑さになった。ここからイネの不調が見え始めた。葉色の緑が浅い。いつものように黒々とした緑にはならないまま、むしろ葉色が落ち始めた。土壌が早くも消耗した感がある。イネの初期生育の良さもあり、土壌の肥料成分が使われてしまったような印象があった。草の勢いも例年よりも激しく、雑草による肥料収奪も多かったと思われる。そこで穂肥は確実に与えた。これが最終的には効果を上げた。

出始めた止め葉は50㎝台で十分とは言えないために、心配になったが、その後出た穂の状態はそれなりに回復して、120粒以上で、粒張りもなかなか良く大粒の穂が目立つようになってきた。ところが、この頃から暑さ負けしたかのように、紋枯れ病が出現した。倒伏したかのように見えるのだが、紋枯れ病で倒れた感が強い。今年の稲わらは田んぼに戻せないとここで確信した。しかし、全体を見れば一部だけのことで、あまり心配まではしなかった。所が穂が出たころからスズメが集まり始めた。このスズメの襲来は日に日に数を増して、数百羽にも及んだ。案山子で脅したのだが、もうついてしまったスズメは離れることはなかった。早稲系の峰の雪糯を作ったことが一つの失敗であった。仕方がないので、出来の悪かった田んぼにスズメを集中させて他の田んぼに入らないようにした。毎朝スズメを追い払う事が、大変な日課になったが、この作戦は一応成功したので、他の田んぼでの被害は少ないもので済んだ。この点今は地獄から抜け出たような気分だ。

来年は稲わらを戻さない分、緑肥を十分に育てなければならない。畦に白クローバーを播く。広めの畔のの草をバンカープランツと考える。同時に大豆も撒く。何故か畦の大豆は出来がそれなりに良い。少し邪魔ではあるが、作業でダメになる株は1割以下だ。畦に稲科ではない植物があることが重要だと考えている。虫が偏った発生をしない可能性がある。ともかく田んぼという単調な世界に多様性を持ち込むことは悪くない。田んぼの周辺を含めた環境に多様性があることが大切だと考えている。作業性も良く、安定してクローバーが生えている畦を作りたい。現在も、播いたクローバーが自然に再生してきている。田んぼの中にはレンゲと、赤クローバーを播く。播き方として、何もしないで播く。耕してから蒔いてレーキで軽く覆土。播種してからトラックターで耕す。この3通りの方法で緑肥の成育違いを観察する。

あしがら農の会の稲作をまとめました。冊子を11月末に発行します。希望者には着払いで送ります。sasamura.ailand@nifty.com まで申し込んでください。

 

 

 

 

 

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アベ政権へ沖縄から帰れコール

2018-10-15 04:29:56 | Peace Cafe

翁長前知事の県民葬が行われた。その場で白々しい総理大臣の言葉が菅官房長官によって読み上げられた。まず賛辞が述べられ、そして沖縄の基地軽減を約束した。このような人間が一番怖いのだろう。口先で本音ではないことをへらへらと述べる。何が沖縄の基地軽減だ。加計学園の獣医学部計画を知らなかった。堂々と口にする。たぶんうそ発見器にかけても、バレないだろう。当たり前の人間の心の反応を失っているとしか思えない。総理大臣という役割だから人間ではないという事なのか。沖縄の基地軽減に全力を尽くすと。こんな発言を翁長知事の県民葬で良くも口にできるものだ。やっていることを見れば、ウソそのものだ。心を失っているとしか思えない。普天間の危険除去を名目にして、米軍基地辺野古拡張計画である。中国との対立無くす為に全力を尽くすと述べればいいのだ。仮想敵国中国を振りまいておいて、何が沖縄の基地軽減だ。今も八重山諸島に自衛隊ミサイル基地を建設中ではないか。

基地軽減どころか、沖縄を日本の犠牲の防衛線にしようという計画ではないか。玉城新知事との面談でも、何ら態度を変えない。民主主義とはどういうものなのだろうか。県知事選の判断も一つも影響しないということで良いのだろうか。このアベ政権の民主主義を無視した対応に対して、豊見城市長選挙でもオール沖縄候補が勝利した。原発推進では県知事選の判断が影響する。政府の都合の良い結果では県民の意思が尊重され、都合の悪いことでは、国防は国の専権事項だと適当な言い草だ。一体誰の為の国防なのか。国防計画を決めるのは、時の内閣である。国民の支持が半分に満たないアベ政権が、国民すべての意思を反映していると言えるのだろうか。しかも、沖縄では辺野古の米軍基地は嫌だという民意だ。これに対して何も対応しないというのでは、民主主義とは言えない。石垣に行く。石垣の市長選では基地推進の中山市長が当選した。その結果は受け入れるつもりだ。それが民主主義だと考えている。最も重要なことはその場所に住む人の意思だと思う。

沖縄はさすがに目覚めた。公明党が躍起になっても自公与党が、ついに選挙で大差で負けた。日本人全体が目覚めればまだ間に合う。今度の参議院選挙は野党連合である。これしかない。このままでは、日本は戦争に突入する。その戦争は経済戦争である。すでに第3次世界大戦は経済戦争として始まったと言える。アベ政権は全く自覚がない。アメリカを敵に回した時に、自衛隊レベルの軍事力で何ができると考えているのだろうか。アメリカは経済力で日本を利用しているだけのことだ。利用できなくなれば、軍事力で搾取するだけのことだ。安倍氏は宇宙戦争とサイバー攻撃に勝利すると自衛隊観閲式で述べた。経済戦争にどのように勝つというのだろうか。アメリカは世界全体を敵に回しても、勝利すると宣言している。資本主義の悪い側面が露骨に現れ始めた。こんなアメリカに基地を貸しておく必要はもうない。軍事力の意味は大きく変わってきている。

沖縄の負担軽減は全くの嘘だ。現実に自衛隊基地の拡張を続けている。さらに新しい防衛大綱ではそのことが強調されるはずだ。そして自衛隊基地は米軍との共用になる。巧みな米軍基地の入れ替えが進んでいるだけのことだ。もう少し時間がたてば、トランプアメリカは沖縄から基地を引き上げると言い出す可能性もある。地上げ屋ならばそういう主張に至るはずだ。自衛隊に役割を移せば、その方が得だからだ。日本の米軍基地の本質は、日本に対する抑止力だ。沖縄は王朝時代から、日本と中国との間を平和外交で生き抜いた国だ。薩摩藩からは人頭税のような極めて苦しい搾取が行われた。その中で沖縄としての文化を確立した。その文化は縄文文化と繋がるような、実に魅力あるたくましい文化だ。今沖縄は、観光立件で目覚ましい成長を遂げている。いくら安倍政権に経済封鎖をされても、生き抜ける力がある。日本政府と一定の距離を持ち、沖縄県独自の自律的政治を行うべき時だ。何も独立するなどというような幼稚なやり方で、事を荒立てることは沖縄的ではない。巧みに生き抜けばいい。アベ政権の汚さを逆用すればいいだけのことだ。

 

 

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貿易戦争始まる。

2018-10-14 04:09:28 | Peace Cafe

世界は貿易戦争の時代に入ったと考え始めた。報道一般では、貿易摩擦と矮小化して伝えている。新しい形の戦争が起きたと考えた方が情勢判断が明確になる。経済封鎖は武力介入に等しい攻撃結果をもたらしている。食糧の自給のできない日本としては、食糧輸入が途絶えれば、食べ物に困窮してしまう。北朝鮮、イラン、ロシアと経済封鎖が続いている。経済封鎖はする方としては痛みは少ないとしても、受ける方は大きな苦しみを受けることになる。世界大戦と考えるべきこととして、米中の貿易戦争は深刻な状況が近づきつつある。武力があまりに巨大化してしまい、さすがに直接的武力衝突が出来ない状況が生まれている。経済の摩擦を高めてゆき、貿易戦争に至る。地上げ屋的トランプが札束で人を従わせようとしている。習近平も、プーチンも、そして日本のアベも、見え方は違うが基本的思想は違わないのだろう。経済力の違いが態度の違いに現れている。

確かに武力よりも経済の方が間接的であるだけに、まだましとは言えるが、力によって相手を黙らせようという事に変わりがある訳ではない。日本は経済戦争に対する新たな国の安全保障を考える必要がある。アベ政権の場合はトランプに付いて行けばという事だが、経済戦争である以上発想を変えなければ、日本は対応が出来ないことになるだろう。経済的側面からの安全保障が重要になっている。武力主義からの意識転換が必要である。トランプにぶら下がろうとしても、アメリカは一国主義である。アメリカ有利になるように脅して従わせる。戦争なのだから、日本の都合など聞くはずもない。日本の自動車のアメリカでの販売が制限されたときに、日本がどうなるかである。農産物輸入が出来なくなった時の、日本の食糧確保はどうなるかである。自由貿易が世界経済を発展させるという共通認識が崩れつつある。資本主義の悪い側面の方が目立ち始めた。力の強い者が、競争の勝利者が暴力的に意思を通す時代に入ろうとしている。国家間の階級が生まれつつある。

食糧の自給を日本は本気で進める必要がある。もう時間の余裕がない。食糧生産力の低下が日本の弱点になっている。日本人を経済で脅すのは食糧を断てば、簡単なことになる。アベ政権は自動車輸出の為には、食糧は譲らざる得ないという方針のようだが、食糧を譲れば、今後貿易戦争では極めて不利な状況に置かれるだろう。食べ物がなければ、アメリカの経済攻撃に言いなりにならざる得ない。自動車の交渉だって従わざる得ないことになる。そこが経済戦争なのだ。食糧の自給に関して、緊急的見直しをしなければならない。食糧自給率をまずは3分の2まで戻す。引き続き100%自給を目指す。国家としての基本だ。コメ、麦の生産体制を確立する。大規模化の可能な地域では、地域全体での生産体制の確立。小規模農業しか不可能な地域では、小規模でも可能な農業の形を政府が具体的に提案する。そして、市民の自給的農業の参入を可能にする農地法の改革。食糧生産の30%ぐらいまでは自給的農業で賄う事が可能だ。地域に適合した新しい農地利用の形態を組み直す。ここ数年の間に、危機が来ると見ておいた方が良い。想定外では済まないことになる。

外交的な政策としては新しい重層化した、経済連携を模索する。アメリカ一国主義対して、弱いもの連合を作り対抗する。まとまればアメリカと言えども怖くない。だからアメリカは2国間交渉を求めるのだ。弱いものが仲違いしている場合ではない。アベ政権のアメリカ依存は危険をうむであろう。トランプに媚びれば、日本だけ有利に進むなどと甘いことは考えない方が良い。アメリカの入らなかった、環太平洋貿易協定を逆手に取り、アメリカと対抗する組織とする。アメリカとの個別交渉は受け入れない。そして中国を含めた、アジアの新しい経済の枠組みに入る。互いを必要とする経済関係の構築。強い者が勝つということが通らないような対抗手段。正義が通る世界の構築を日本主導で提唱する。アメリカへの軍事力依存はもうやめなければならない。軍事力の意味は北朝鮮問題以降変わってゆくはずだ。軍事力に寄らない平和主義。ここでも平和主義連合である。弱いもの連合である。正義の通る世界を目指すことだ。

 

 

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比叡山延暦寺

2018-10-13 04:08:51 | 身辺雑記

 

京都で興味がある寺院は、比叡山延暦寺である。行くことができた。おおよそ1200年前に伝教大師最澄の建立した寺院である。日本の国教となった仏教の教育の場である。鎌倉時代までの日本の著名な宗教家はみなここで学んだ経験があるといえるほどだ。天台教学は当時の日本では最先端の学問でもある。浄土念仏の法然上人、親鸞聖人、良忍上人、一遍上人、真盛上人。曹洞宗の開祖道元禅師。浄土宗の開祖法然、臨済宗の開祖栄西、浄土真宗の開祖親鸞、日蓮宗の開祖日蓮と、鎌倉仏教の礎を築いた僧たちは、みな延暦寺で学んでいる。学んでそれを乗り越えようと新しい宗派を作る。否定されるために場を提供しているような姿が興味深い延暦寺。最盛期には3000もの寺院が連ねられたというから驚く。そして武力的な集団ともなり、信長には焼き討ちされる。千日回峰行の寺院として私には興味がある。

延暦寺は深山幽谷の地だと、叔父の草家人が言っていた。仏像の修復に行ったのだと思う。道元禅師は14歳で得度をして、延暦寺で仏教を学んだ。延暦寺の修行の中で様々な疑問を持ったのだと思う。千日回峰行のような修業の道と只管打坐の修業とは、どうとせいであまりに異なる。最澄も日本仏教に大きな疑問を持ち、中国に渡り、日本の仏教を根本から変えるようなことを行った。同様に道元も、大事な生きて死んでゆくという疑問をもち中国で学ぶことになる。道元は延暦寺で学んだ時代こそ重要な意味があるはずだと思っている。どのような環境で、何を学んだのか。近代宗教への変貌。只管打坐をどうして生み出されたのか。それは中国からの完全な輸入なのか。あるいは道元的な考案も含まれているのか。回峰行から只管打坐へ。延暦寺を見たから何か分かるというものでもないが。

深い山の中だけある厳しい空気を感じた。修験道的霊山である。京都に近くでありながら隔絶した場所に、修業の地を置く発想がいかにも天台宗の最澄的である。国立佛教大学校が山の中にある。京都の町はずれぐらいにあっても不思議ではないのだが、あえて山の上に作る。中国の寺院は町中にある。伝教大師最澄が中国から戻り、なぜ、比叡山を選んだのだろうか。腐っていた当時の京都の寺院から離れる必要を感じたのだろうか。最澄の行った修業は相当厳しいものであったらしい。なぜ、苦行から仏教が生まれるのか。宗教と苦行の意味。厳しい現実世界。最澄というと、どうしても空海という事になる。一緒に中国に仏教を学びに行った。二人の関係には諸説あるが、空海は京都からさらに遠い和歌山県の高野山に寺院を開くことになる。いずれにしても、修験道的修業は山の中で行われる。修業に専心するためには、山の中に入る必要がある。

比叡山は全く農業的なにおいがない。暮らしのにおいがない。生活のない修行というものありうるのだろうか。天狗は霞を食って暮らす。険しい山の中を駆け回って、人は何になろうというのだろうか。お布施を頂くという修業。衆生とともに仏道を極めようとする。一人の悟りを求めない。衆生の救済のための修業が回峰行。比叡山にはいたるところに「一隅を照らす、これすなわち国宝なり。」という言葉が掲げられていた。それぞれがそれぞれの持ち場で、光となる。光になるという事は、僧侶だけのことではなく、あらゆる人のその生き方こそが光だという意味のようだ。こういう平和主義と、僧兵を多数抱えて大名のようになったという比叡山。宗教というものは実に不思議なのものだ。

 

 


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修学院離宮の見学

2018-10-12 04:15:07 | 稲作

修学院離宮の入り口にある絵図。ほととんどが田んぼである。一番上に溜池があり、住宅や倉庫や作業小屋に当たる家がある。下の方の2つの家はあとからのものだという。

自分がやってきた稲作のことを考える上で、修学院離宮を見たいと思った。暮らしの理想郷が修学院離宮だったと思うのだ。美しい瑞穂の国のを具体化したものである。循環型の自給農園である。山北で30年前に開墾から始めて試みたたものだ。修学院離宮は国の姿であるが、一人の自給農園を具体化した。絵を描くための暮らし作りであった。暮らしがない絵など意味がないと思った。何のために描くのかを考えたかった。情報を寄せ集めて描くような絵から、抜け出たかった。自給自足の山寺で育ったという事もあった。檀家も少なく、お布施で暮らすというより、自給自足で生きなければ生きていけない。何かそこには本当の地に足の付いたというような暮らしというものが感じられた。昔の禅寺は、葬式などやらずに自給自足で暮らしたのだ。おじいさんは私に教えた。そのことが私が得度をした動機だった。暮らしから見直す。食べるものを作る所からやってみようと考えるようになった。

一番上の家から、下の方の田んぼが見える。その先にあるのが京都の市内である。緑の筋になっているあたりが、京都御所である。ここから通いの造園をしたはずだ。

山の中で暮らしたいという思いは、長年持ち続けていた。愛読書は現代農業だった。いつか、自給自足で暮らせないものかと夢物語を描いた。いつも思うのは修学院離宮的理想郷であった。何故天皇家が稲作を併せ持つ庭園を作ろうとしたのか。その頃はよくは理解できないでいた。移住先を探した。一番に考えたのは水である。水がなければ暮らせないという事である。山北の移住した場所には不思議な水が通っていた。山北の小学校は小高い丘の上にある。この丘の上に水を上げるために反対側にある高松山の中腹から水を引いたのだ。一度谷底を通して、山の上まで水を上げた。明治時代に作られたらしい。この水が山の上に通っていたので、不思議な場所に小笠原プレシジョンという工場が出来た。小笠原さんが高校の美術部の先輩だったという事で、その水を使わせてもらえる事になった。水は暮らしの基本である。水があれば、田んぼもできる。場所は水から見つかった。

 

土で出来た畔が美しいものだった。修学院離宮は田んぼを作るための家といった方がいい。

引っ越す前に、実際に修学院離宮を見てみることにした。見ないでも十分なくらいに頭の中に姿がある。自分の中ではいつもその構想が広がっていたのだが。やはり見てくると、すごいものだと再確認した。特に水路の作り方がすごい。山からどのように水を集め、ため池にため、緩やかに傾斜する斜面の棚田を潤してゆくか。途中2か所の住居があるが、そこにも池があり、調整池になっている。21号台風では、ずいぶんのありがとうございました。雨風が吹いたはずだ。田んぼに少しの被害もない。どれほどの被害になっているのかと思ったのだが。倒木があったようだが、すでに片付けられている。上野公園では巨木が倒れたままでそのまま置かれてあった。田んぼは写真の通り、稲刈りと、ハザがけがあり、見たい場面を見ることができた。10月10日あたりだろうと予測があたった。イネの出来はほどほどであった。南西の開けた、ゆるい傾斜の扇状地上の田んぼである。古い時代からの田んぼなんであろう。土はかなり粘りのある様子だ。雨で簡単には乾かない田んぼのようだが、倒れるようなぬかるみはない。修学院離宮から続く住宅地はすべて田んぼだったはずだ。そういう田んぼ向きの場所だ。

 

 

右側の大きながけは、ため池の堤なのだと思う。20メートルはある。この上に大きなため池を作り船を浮かべたという。

田んぼを横切るようにある堤が、馬車道と呼ばれる道に明治時代直されたという。明治天皇が行幸する際に、作られ、田んぼの景色をみえないように、道の両側に松が植えられたという。まったく明治時代というものは、天皇の意味を勘違いしている。後水尾天皇にしてみれば、まったく心外であったことだろう。文化で日本を導くという天皇家の意味が全くないがしろにされている。明治帝国主義の欧米かぶれが何か痛ましいほどだ。天皇家は京都に戻り、農のある暮らしをしてもらいたい。それこそが日本の象徴である。

 

 

 

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都市近郊が危うい

2018-10-11 04:00:58 | Peace Cafe

都市はその周辺あたりが面白い。中央部よりも暮らしの実態見えるからだろう。幸せな暮らしは火を上げていると八木重吉の詩にある。都市周辺部の崩壊が始まった。暮らしの割れ目が広がり始めている。日本は豊かな国土の地域だ。恵まれた水土の国だ。この水土を生かすような暮らし方を日本人は失い始めている。都市周辺部に暮らし始めた、農村からの若い移住者たちが、40年経過して老齢化している。この先、人口減少が始まり、空洞化が始まる。老齢世帯が欠けた後に残るのは空き家である。小田原でも人口減少が始まっている。これから空き家が増加してゆくことであろう。地方消滅は人口の流出である。労働人口が都市に移住してしまう結果始まった。都市以外には若い人の希望するような働く場がない。労働人口が減少する時代である。どれほど地方創生などと政府が声を上げようとも都市の周辺は活性化されないことだと感じている。そして、大半の若者が都市中央部に出る。若者達は都市周辺部には暮らさない。

個人的に言えば、良い時代になったものだと思う。私の場合、80年代に移住をしようと考えた。まだ、地方は受け入れを拒絶していた。無理やり移住をしてもいじめにあうようなことが当たり前に言われていた。ずいぶん捜し歩いて、山北の山の中に場所を見つけた。いくつかの幸運のお陰で移住できた。それより前に一緒に探していた窪川さんは、遠く八ヶ岳の山麓に先に行ってしまった。窪川さんもずいぶん大変だったと思うが、彼の独特の才覚でオリザ農園を作り上げた。その農園は今も奥さんがやられている。私は遅れてやっと見つけた山北で開墾生活を始めた。しかし、不当な扱いが続いた。例えば、届け出なく自分の敷地にある杉を1本切ったというので抗議を受けた。始末書を書いて、後追いで伐採申請書を出した。農道を通るから通行料を出せと言われ今も払っている。農道ではなく、そこは町道であるにもかかわらずである。田んぼを借りようとしたら、水利組合からよそ者には水をやらないと拒否された。我慢はしたのだが、付き合いはしないことにした。

政府が掛け声を上げるようなことは、大体は逆方向になるというのが今までの経験である。地方は創生できないであろうし、女性差別は続くであろう。忖度社会は一層拍車がかかることだろう。障碍者雇用では、法を守るはずの法務省や裁判所までが、虚偽申告をしていたくらいだ。日本の社会にある根底の価値観が変わらない以上、掛け声倒れになるのは目に見えている。根底にある価値観とは、拝金主義と競争主義である。もちろんこれは日本の社会だけのことではない。トランプアメリカは人間の姿が醜く浮かび上がる。結果は世界が戦争状態になる。貿易戦争と言われているが、経済だけでは済まない事態に進むだろう。領土領土と騒ぐ理由は競争心を煽ることに利用できるからである。

日本がこの先進むであろう方角を見定める必要がある。そのうえで、行く末を冷静に考えるべきだ。地方は税金が安くなる。医療費も無料になるかもしれない。都市周辺部も案外の穴場かもしれない。そこそこ便利なうえに、消費者も近い。仕事によっては暮らしの適地になる可能性がある。石垣島に越すのは、もう働けないからだ。年寄りが暮らす最高の場所だからだ。思えば、点々として暮らしたのだが、良かったと思う。身体が動く若い間は都市周辺部に暮らした。子供のころは山梨の山中で暮らした。小、中、高時代は東京だった。大学は金沢とフランス。画家を目指したころはまた東京。最もその時にやりたいことの適地に移住を繰り返す暮らしできた。この後、石垣と小田原の2地域居住が一番良いと考えている。地域に縛られない生き方が出来たことが、自分なりの選択と幸運であった。

 

 

 

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教育勅語好きの文科大臣

2018-10-10 04:46:35 | Peace Cafe

自民党の議員には教育勅語好きが多数存在する。またもや柴山昌彦新文部大臣が就任の記者会見で、教育勅語愛を語った。教育勅語を唱えることが、たぶん文科大臣への就任の義務要件なのだろう。別段父母に対する孝行の徳育を考えるのであれば、教育勅語を持ち出す必要など全くない。親孝行は道徳教育に入れたいと言えば済むことである。それを回りくどく、いまさらのように教育勅語を持ち出さずにはいられない理由はあるのだ。何しろ教育勅語というのは今から120年も昔、明治天皇の勅語として示されたものだ。古いからいけないとも言えないが、これは明治帝国主義に基づいた思想だ。この勅語が日本人を戦争に駆り立てたのだ。似たようなものに、軍人勅諭というものもある。さすがにこちらを持ち出すのは自民党議員でもはばかれるようだ。これも遠からず、防衛大臣就任の踏み絵になる時代が来ると思わなければならない。

教育勅語は文科大臣の踏み絵なのだ。過去には、下村博文、稲田朋美も記者会見で教育勅語の大切さを主張した。誰かへのシグナルというか、誓いの言葉なのだ。明治帝国主義の鵺。亡霊。姿なき圧力がある。たぶん人や政治集団ではない。宗教でもない。何かそれぞれの心の中にある、よりどころに住み着いた亡霊なのではないかと最近思うようになってきた。嫌な政治状況だ。何故、拝金主義と帝国主義が結びつくのか。帝国主義というのは、自分さえ良ければという一国主義の変形なのだ。19世紀であれば、軍事力の競争になるのだろう。強ければ、偉いというような野蛮な根性である。これが21世紀では経済力の競争になっている。金持ちが偉いという嫌らしいゲス根性である。こうした嫌な人間の姿が露骨になっている。この経済競争に駆り立てるための教育勅語なのだ。国家というものが一丸になって、競争に勝ち抜こうという方角を示したいのだ。経済競争に乗らない自分とは違う人間を非国民と言いたいのだ。外国人肉体労働者の受入までして、競争に勝たねばならなぬという、資本主義の限界である。

国家主義というものを考え違いしている。国家の一番重要なものは文化である。日本人というものの文化である。文化を失えば、国家など何の意味もない。では日本人の文化とは何か。「おもてなし」「もったいない」というのはまさに日本の文化的資質の表れであろう。日本人にはそのように暮らしてきた歴史があり、育まれた文化がある。私には稲作から培われた特性であると考えられる。稲作と天皇家とのかかわりという事もある。60年前の子供のころには、一粒のお米を大切にしないと、罰が当たると常々言われたものだ。父の家は稲作など縁のない家であったが、お米の大切さを繰り返し言われた。子供にはお米が特別なものだという事はいつの間にか沁み込んだ。付け焼刃の教育勅語どころではない、日本人になる歴史的な家庭教育がこういうところにあった。今子供たちはお米を食べなくなっている。味がないからだそうだ。お米の味わいが分からないのでバターライスにする時代。日本人が変わろうとしているという事だろう。こちらの方が深刻なことなのだ。

この新しい時代に、日本の方角をどのように示すかが政治家の役割である。果たして教育勅語であろうか。馬鹿も休み休み言え。政治家であるなら、前向きの発想が出来なければダメだ。誰かの顔色をうかがう場合ではない。学校教育に作業の時間が必要だ。というようなことは言うべきではないだろうか。文科大臣ならば頭だけ人間になるのは良くないぐらい言えないのか。人間が生きるという根本を抑えるのが教育である。このままでは未来は有能な人間だけの世界になる。0,1%の有能な人間の為に大半が無駄な教育を受けているのが現実である。普通の人間の為の教育。これが文科省の目指すべきものだ。作務の時間を設ける必要がある。身体を動かし、何かを行う。英語など生涯使う必要もない人間にまで、小学校の正課にする必要はない。必要な人間が駅前留学すればいいのだ。体育と家庭科を併せて、その分を作務の時間にする。当然農作業も行う。そこからやらなければ日本人はダメになる。

 

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2018年の稲作のまとめ

2018-10-09 04:17:56 | 稲作

今年は稲作の最後の年だと考えて取り組んだ。30年の稲作の終わりだと思うと力が入った。来年は、次の人に引き継ぐ年にしたいと考えている。そのつもりで農の会の稲作のまとめの冊子を作ることにした。この本に基づいてやれば有機農業で畝取りが誰にでもできる農法である。農文協で家庭稲作の本を出すことも進めた。そういう事もあり、自分としてはやれることはやってみようと試みた。写真の記録も残した。課題は穂肥を上手く与えることにあった。新しい試みとしては、2度代かきをおこなったこと。そして、去年悩まされた倒伏はほとんどなかった。例年通り中干は行わず、早めの水きりを行った。株は120㎝もの高さに伸びたのだが、何とか持ちこたえたという感じだった。がっちり株なら、大きくても倒れない。一部に倒れたところもあったが、それは田んぼに水の湧きあがるところがある為だった。水路の方が水位が高いために田んぼに水が湧くと思われる箇所が何か所かある。そういうところが、いくらか倒伏したが、それでも何とか持ちこたえた。

穂肥は与えて良かった。もし与えなければ秋落ちになったと思われる。今年は梅雨がなく、日照も多かった。暑かった。イネは初期生育が良く、どんどん成長した。分げつに関してはそれなりにとれた。しかし、7月に入ると稲の生育が滞り始めた。色が浅い。土壌の分解が例年より早く進んだと推測した。これは穂肥を十分に与えないといけないと判断した。二見堆肥を与えた1,2,12番田んぼと、ソバカスを与えたその他の田んぼと分けて観察した。どちらも大きな違いはなかった。秋になって穂のふくらみが良くなって来るのを見ることができた。穂肥を与える時期は株の根元が丸くなって来た時だ。ぷっくり株の根元が膨らむ。この時期に与えればよい。それでも今年は止葉が大きくなるというほどではなかった。やはり異常な夏の暑さで土壌の状態がもう一つ良くなかったのかもしれない。穂肥を与えたぐらいでは、回復できない根の状態の不安を感じた。それでも穂肥を利用できる根ではあったのだろう。何とかふっくらした良い穂を作ってくれた。

2度代かきについては、あまり評価はできなかった。土壌の浸透性が悪くなった。浸透性が悪いという事は、田んぼとして良いという解釈もできる訳だが、どうも私の期待する土壌とは違った。土壌がブカ付くような感じが続いた。こういう土壌の管理に慣れている人なら良いのかもしれない。長年土壌の浸透性の良さを利用しながら、管理して来たのでどうも対応が悪くなった。よい効果としては初期に雑草が少ないことだ。しかし中盤以降の草の状態は同じことになる。それほどの効果を感じないまま、最終段階を迎えた。水を切り始めても他の田んぼよりも水が抜けない。いつまでも乾かない場所が出来て、どうも具合が悪かった。雨のたびに、水が溜まってしまった。こういう田んぼでは当然、中干も必要になるのであろう。田んぼは一枚一枚違うという事を痛感した。それでも収量は悪くない。栽培方法を確立すれば悪い農法ではないのだろう。イトミミズが出るという事を試したかったのだが、やはりほとんどイトミミズは出なかった。イトミミズが出るような土壌は腐敗系の土壌という気がしてならないのだが。水の浸透性の悪さとも重なるような感じがする。

植え付け本数については、何本植でも分げつ数に関しては大きくは違わないという事を再確認した。ただし、1本植では捕植を徹底しなければならない。1本植をしてみると、分げつをしない稲というものがあることがわかる。遺伝的な性格なのだと思う。種取りの田んぼは1本植出なければならないので、今年は2か所で一本植を行ったので、病気の少なかった方の田んぼで種を採取した。100株で7,5キロであった。一株75gである。種取りのイネもハーベスターで脱穀したが、かなり弱めの回転で行った。昨年は100g平均もあって驚いたのだが、出来過ぎである。一株50グラムで4万株ならば、2000キロである。これでおおよそ畝取りになる。これくらいが良いところではないだろうか。反省点は雀である。来年は早稲はやらない。早いと雀を呼んでしまう。また喜寿糯に戻すのが良いのだろう。14日に籾摺りを行う。

 

 

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2018年の稲刈り

2018-10-08 04:58:21 | 稲作

今年は天候異変の影響を繰り返し受けた。夏の異常な暑さ。そして豪雨。大型台風。そして、雀の襲来まであった。何とも苦しい稲作であった。それでもついに収穫までたどり着いた。大きな満足感がある。稲刈りをしながら感謝の気持ちがが湧いてきた。みんなでやっているからできることだ。ひとりなら、今年はどこかで諦めていた。台風では、はざがけがすべて倒された。もう呆然とするほかなかった。一人ならもう建て直す元気もなかっただろう。朝田んぼに行くと、上野さん夫妻が黙々と建て直し始めていた。急に私もやる気が出た。一緒に始めていると、つぎつぎに人が集まり始め、何と午前中ではざがけが立ち直った。あのぬかるんだ田んぼの中で、水に濡れて重くなった稲束が次々に掛け直された。すごいことだと思う。ずいぶんお米も無駄になってしまった。スズメには散々だった。もったいないことだったが、耐えるほかない。それでも、ついに稲刈りは6日で終わった。大勢の人のお陰である。感謝の気持ちがしみじみ自分を包んでいる。田んぼは一人よりみんなが良い。

一昨日はすべてのイネがハザガケをされた。はざがけは美しい。風景を作る。田んぼはその地域の風景作り出すのだと思う。田んぼが無くなると風景は実につまらないものになる。伝統農法の田んぼは遠からずなくなるであろう。トンボもカエルもいない大規模な田んぼは残るかもしれないが、里山の田んぼは無くなる。田んぼは楽しいものだ。その楽しい行為が主食を作る作業になる。人間の生きるという事において、これに勝る作業はないかと思う。小学校の正課にした方が良い。それほど大切なものが田んぼにはある。今も学校田は数多くあるだろう。そのやり方に伝統農法を取り入れるべきだろう。苗作りからハザガケまで、その地域の田んぼの伝統を残すべきだ。そして子供たちに一度は体験してもらう事だ。昨日も九州の人が九州のはざがけについて話してくれた。直径30センチほどの大きな束にして、結わえる。そして田んぼに立てておくのだそうだ。なるほどそれも良さそうなやり方だ。各地にその地域の伝統的な田んぼの作り方がある。それぞれに意味があったはずだ。それを残すことは、日本人を残すという事だと思う。

7日は脱穀を行った。ちょうど半分の脱穀が終わった。雨やら大風やらで、上手く干せないできた。水分量を計ると、15,6まで乾いていた。一昨日干した稲も、18,2%まで乾いていた。先週干した稲は7日にすべて脱穀ができた。そして、6日に刈り取った稲も8日には脱穀することにした。この2日間なにしろ30度越えのカンカン照り。風もほど良く吹いた。まるで自然の中の乾燥機に2日間入れて置いたような状態であった。忽ちに乾いた。たぶん今日には15%台まで乾いていると思う。そもそも稲は刈らずにおいても、後半はどんどん乾いてゆく、こうしてみると田んぼはお天道様次第である。どれほど努力しても、ダメなものはダメである。雨に勝つことはできない。ところが、ウソのように都合の良い天気にもなってくれる。何にかお天道様に許されるような気分だ。

今日7日には、脱穀は何とか終わらせる。そして、来週の14日に籾摺りを行う。今年もほどほどの収穫はあったようだ。台風、雀の襲来とひどいことになった。イネの病気もなかったわけではない。それでも何とかしのぎ切った。収穫までたどり着けそうだ。これはそれぞれ一人一人の思いと、技術が高まったという事だろう。農の会の稲作は畝取りの稲作技術に完成している。今回、この稲作法を冊子にする。欲しい方には差し上げるつもりだ。すでに冊子の原稿はほぼ出来上がっている。この農の会の技術は残す価値がある。有機農業が優れている証明だと思っている。他のどの農法よりも優れている。素人がやる稲作が、有機農業でやれば、農家に勝る稲作になる。こうして真剣に、有機農業の稲作に取り組めば、必ず畝取りに稲作になる。有機農業が自然の循環に織り込まれているからだ。自然というものをよくよく観察すれば、有機農業しかないという事がわかる。あともう少しだ。

 

 

 

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水彩画の公開制作

2018-10-07 04:48:03 | 水彩画

水彩人展で初めて会場で制作を公開した。なかなか興味深いことであった。ターナー社から提供された水彩絵の具で松田さんが制作を公開した。手振り身振りでなかなかの話し手である。中央が同人の松田さん。脇にいて仕切っているのが、同人の佐瀬さん。ターナーの絵の具は青が良いんだと言いながら、描いていた。常々、絵の具など何でもいいのだと言いながらも、いろいろの会社の絵の具を使ってみているという事が分かった。そして制作を始めたら、なんと下描きがある。即興的な制作方法だと思っていたので、これも意外だった。制作の手順は実に安定していて、松田流の水彩画の独特の手順が確立している。当たり前のことだが、こうして直接見せてもらうと、なるほどと思わざる得ない水彩技法であった。12人が取り組んだ訳だが、それぞれがかなり違うのだ。これにも驚いた。水彩画の技法は多様なようだ。紙と水彩絵の具という材料から、素朴な印象を受けるが、実際の手法を目の当りにすると相当に違うという事が分かった。これが2時間で描くという事でこんな違いがあるという事だが、じっくり取り組む制作となるとさらに違う事だろう。初めての企画であったが、良い結果が出たと思う。

 

 ターナー社提供の絵の具をパレットに出しているところ。違うのは技法だけでない。実に道具も多様であった。筆は大いに違っていた。ひとりとして同じ人がいない。100円の刷毛から、数万円するコリンスキーの水彩筆。どれだから良い絵が描けるなどという事ではない。私の場合は沢山の筆が手元になければ描けない。1本を巧みに使い分けてゆく人もいた。水彩の材料が素朴でがあるがゆえに、むしろそのひと流に変容するようだ。変容させなければ、自分の表現にならないがために、あれこれの自分流に至るという事だろう。その結果が作品という事になる。ふき取る人もいる。ふき取る為のスポンジや布、紙でも様々。鍋の隅でも磨くものだろうか、見たこともない削り出すような道具の人もいた。絵の具をスプレーに入れてきて、あれこれ吹き付けて制作した人もいた。いずれにしても、それぞれ相当に巧みな筆さばきに見えた。

 

 自分のやり方がずいぶん薄い着色なのだという事を自覚した。私はほとんどの場面で絵は寝かして描く。寝かしていなければ筆の動きが出ない。書道の人が紙を寝かして描くのと同じなのだと思う。水墨画の人で絵を立てて描く人はまずいないだろう。日本画の人の大半が寝かして描くのだろう。しかし、水彩画の人にはどうしても立てて描かなければだめだという人もいる。油彩画は立てて描く人の方が多いいのだろう。画面を立ててみるのだから、立てておかなければよく分からないという事のようだ。絵を描くという事は全くそれぞれのことである。描き方一つでも似ているようだが、まるで違う。芸術としての絵画は内容が違うから方法も異なる。ボタニカルアートであれば、ほとんど同じことになる。多分アメリカン水彩画というようなものであれば、同じ材料で、同じ技法なのであろう。つまりお手本があり、それをなぞればいいというのであれば、同じやり方が良いという事になる。

 

 

 代表の大原さんが描いているところ。

 

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水彩人作品評 自己作品評

2018-10-06 03:57:54 | 水彩画

 

水彩人の作品評を続ける。ブログで作品評を書くと、水彩人の考え方を表しているかのように考える人もいるかもしれない。ここでの絵に対する考えは水彩人の中の一人の考えである。水彩人は多様で、絵が違うように、絵に対する考え方も違う。今回は私自身の絵の感想を書いてみる。石垣島の風景3点である。大きさは中判全紙である。紙はファブリアーノの厚い紙。中央の絵は画集に載せてもらった絵。

工夫は止そうと考えている。緑に見えるものをわざわざ他の色にする意味が見えない間はそのまま緑に描く。見えるという事を重視ている。海の色もその時に見えるようにやってみている。それが正しいというよりも、あえて他の色で塗る意味が今のところ見えないからだ。全く途上である。作品とは何かという事は離れている。自分の絵に至る為に、自分が学んだものや、癖のような描く手順を捨て去ろうと考えている。時間はかかるだろうし、無意味なことに終わるかもしれない。ただもう一度、自分を確認したい。別段良い絵でなくともよい。今までの自分が獲得してきた、絵画を磨き上げるようなことはやりたくない。ただただ、自分といものが見ているのもに正直にありたい。まだ見えているように描けたことはない。この不思議を解決したくてそれだけである。

「名蔵湾 夕照」中央の絵、見えたように描いている。風景の中にある動きというものを描いている。絵での動きの事はムーブマンとフランス語で言われる。この意味はどういう事だろう。確かに風景を眺めていると、空間の中に力が働いている。方向性もある。然し絵のムーブマンがそれなのかはわからない。もう一つに絵作りのための画面上の動きというものもある。風景の中の動きと、柵が的な構成の動きとは同じなのだろうか。自分の眼ではそのことをどういうものと見ているのか。よくわからないまま、風景の中にある方向性のようなものを追ってみている。

左の絵は「石垣島名蔵湾」朝日が昇るころに名蔵湾に行くと、この世界にこれほどの色の美しさがあるのかと驚く。一瞬この色の饗宴のなかに巻き込まれる。ありきたりであるが、地球がこれほどの美しさ多様さを表現できるのかと信じがたいものがある。この色の美しさをなんとかそのまま写し取れないかと思い描いた。到底不可能である。出来るはずもないのだが、一瞬の色の輝きと言うとボナールの絵を思い出す。ボナールならどう描くだろう。いつの間にかボナールの絵の色で風景を見ているところがある。学習した目で見ていては、本当の自分に至れないのかどうか。全ては学習して獲得した美意識なのかもしれない。悩みどころだ。どうも絵の上に置き換える色の美しさには工夫がいる。この工夫が、絵を描く技術というのだろう。見えたとしても、描くことはまた違う。見えたように描く為には技術は必要である。まだまだ努力不足。

右側が「石垣島の田んぼ」この田んぼは冠鷲が来る田んぼだ。奥の方から水が湧きだしていて、その水で作られた田んぼだ。多分何百年前はマングローブの茂みだったのだろう。切り開きその地形に併せて田んぼが作られている。何とも良い加減の田んぼだ。この田んぼを出来る限り水彩画の薄い彩色の美しさで描いてみようと考えた。水彩画を白い紙に薄く乗せると、純粋に色としての一番の美しさがある。この美しさだけを生かして描く方法が淡彩画であろう。鉛筆の素描に、あっさりと色を載せたような絵である。一般的にはこのやり方を水彩画と考える人もいるのだろう。あのやり方では、絵画は出来ない。そう考えて薄い彩色で絵画に挑戦してみた。せいぜい2度塗りぐらいだ。色は美しい。ただ描くべきものがまだ描けていない。この不十分な感じをどうしたらいいのか。そう考えながらもこれは終わりにした。これでもよいのかもしれないと見ながら考えている。

 水彩人展が研究会展であるという原点がうれしい。水彩画を研究するために集まっている会だ。研究は結論だけの世界ではない。互いの研究途上を見せることも意味があると思う。絵を語る会を会場でおこなっている。これをおかしいという人がいた。見に来てくれるお客さんに迷惑だというのだ。それは違う。違うどころか困った考えだ。水彩人展は研究の場を公開しているのだ。見て頂くというのも研究であるが、ここに絵を集めて互いが学ぶという事以上のことはない。余りに鑑賞の邪魔になるのも困るが、水彩人展は研究の場を公開をしている。絵を語る会を含めて、研究をしてゆくことが目的である。また必要なことだと考えている。研究を無料で公開しているのだ。邪魔にならない範囲で研究している姿を迷惑だと考える人はいないはずだ。

 

 

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水彩人展作品評 続き

2018-10-05 04:20:32 | 水彩画

水彩人展の一般出品者の作品評を書きたい。今年も良い絵に出会う事が出来た。絵の出会いがあるという事は有難いことだと思う。お会いしたこともない人もいるので、作品をブログに写真掲載するのははばかれるが、会員推挙された人については、ホームページにも掲載するので、一応良いかと思い載せさせてもらう。

 前田陽子さん清々しい絵だ。清らかなもののを感じて見るものとして心洗われる。描くものに対する誠実な心が作る画面。モノに対する態度が良いのであろう。それは人柄の表出。絵に確信がある。モノひとつひとつに対して、揺らぎなく一貫している。それはテーブルにも、背景にも心持ちが行き渡っている。それが描き方に現れている。水彩画では何もない場所を描くという事が難しいのであるが、何もない場所ほど心が配られていて抑制が効いている。と言って、細密描写ではない。ここが微妙に良い。自分の眼で物を見ている。写し取るというのではなく、自分という人間を通してみている。

 

 米倉三貴さん。抽象的な表現の中に、穏やかな世界観が示されている。水彩絵の具の美しい塗り重ねがある。塗り重ねながら、作者ならではの世界に入り金で行くことがわかる。クレーの水彩の美しさに繋がるものがある。積み重ねられる深い色調から、少しづつ複雑な印象が加わる。色彩の構成が心象の世界へ繋がってゆく。そもそも水彩画はこのような絵の為にできた絵の具だったのかと思わされた。素朴に始まり、限りない深さをのぞかせる。これからどういう世界が示されるのかと思うと、期待が膨らむ。

 

 高橋皐さん。面白い風景の描き方である。全体がガッシュ的なマットな表現である。構成が良いのであろう。画面が回り収まる。田面の光りと、山の木々の塊が上手く配置されている。抜け感のない色面が、暗さになっているのだが、微妙なところでその暗さが絵の味わいに繋がっている。今までの水彩人には無かった水彩絵の具の表現の絵である。田んぼを描くものとして、お互い学び合えるところがあるのではないかと思うと、大いに刺激になる。

菱沼幸子さん。色が深い。深いうえに美しい。確かに水彩絵の具があらわした色なのだが、ここでは絵の具で塗られたというより、にじみ出てきたというような自然さがある。紙とのなじみがある。幻想的、永遠性。思いとか、祈りのようなものも感じる。内面的な世界を絵にする力量がある。ここでも水彩絵の具の可能性が良く示されている。人間の心が表現される為の水彩画。紙と水とが作り出す、素朴な色調に戻れば戻るほど、心情のような肉声が聞こえてくる気がする。

 

以上の4人が会員推挙になった。素晴らしい新人が登場する会になった。正直、水彩人は驚くべきことになり始めた。水彩人という場があってよかった。この4人の絵は水彩のそれぞれの方角を示している。なるほどと思う。こういう水彩画はあったのだろうが、それでいて新しい。見せて頂き気付くところだ。どなたもどちらかと言えば、いわゆる公募展的な絵ではない。公募展的な絵というものがあるのかどうかは明確ではないが、目立てばいい。印象が強ければ勝ちというような世界が公募展にありがちであった。大仰な身振りではなく、自分の世界で作者が毅然としている絵が4人登場した。これから水彩画の仲間としてやって行ければ、どれほど嬉しいことか。 20人もの初入選者がいた。その分だけ飾ることのできなかった人もいることになる。全部飾ることが出来ればよいのだが、それだけの部屋の面積がない。水彩人は絵を見て頂くという飾り方をするので、絵はすべて一段掛けである。水彩画をゆっくりと味わっていただきたいから、こういう展示になっている。止む得ない事なのだが、残念なことだとも思う。

 

 

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水彩人展作品評

2018-10-04 04:32:51 | 水彩画

水彩人展の作品評を書く。毎年書いているのだが、今年は会員の人の作品が目覚ましく良くなっている。会員の人は水彩人で育った人だ。水彩人で育った人が、素晴らしい水彩画家になっている。このことは水彩人をやってよかったと思えることだ。良い仲間がいるという事が、自分の絵の励みである。水彩人展は東京都美術館で開催されている。5日の14時までだ。水彩画をやる人であれば、ぜひとも見て欲しい。これほど多様に水彩画が並んでいる場所はない。連日、水彩画の制作の公開も行っている。これがなかなか面白い。みんな本気で描いているので、ついつい見に行ってしまう。

山下美保子さん。迷いの中で描いていた。このように迷いが作品になった。迷いから抜け出たともいえるが、むしろ迷いが絵として現れたと言った方がいい。表現というものの意味を教えられる。何か分かったことを表現するのが絵ではなく、分かろうとしてり、探ったり、そして迷いというものをそのまま表現する。普通は迷いに一定の結論を求めてしまうものだ。これをしない新しい絵だ。実に今後の展開を見せてもらう事が楽しみである。

 

 関とも子さんは素晴らしかった。絵がある境地に至った感がある。真実を見ている眼がある。今回同人に推挙された。水彩画というものの在り方を示した。特別のものを描いて居るわけでもない。どこにでもある日本の風景である。特別な技術を使っているわけでもない。上手な絵でもない。素朴に、紙と向き合い、誠実に見えるものに向かい合っている。そこに人間がいる。たぶん、この絵の素晴らしさはコンクールのような世界で見落とされるのかもしれない。派手な見せ場など全くない。静かにこの絵と向かい合う。いつの間にかこの里山の姿から、そのままで、生きていてもいいよ。というような声が聞こえた。

 

 

高木玲子さんは絵が面白くなってきた。何とも言えないエスプリがある。しゃれている。モノを見る目がすばらしい。のどかで、明るい。人を動かす力のある絵だ。こんな絵が部屋に飾られていたら毎日の暮らしが明かるく成るだろう。絵というものの意味を再認識させられる。つい哲学とか、世界観とか大げさに考えてしまうが、普通の暮らしの目が必要だ。暮らしの中で意味があるというものほど、大切なものはない。ここでも学ばせてもらった。

 稲村美穂子さん。不可思議な絵だ。樹木を描くという事は木に反映させて自分が描かれる。樹木を描く人は多いいが、この林との組み合わせが格別に良い。林の空気は静かで和やかである。秋のさわやかな風さえ感じる。そこに一人佇む取り残されたような老木。この林の守り神のような古木が、若木の林に取り残されている。哀れささえ感じる。しかし、毅然として立つ。孤独なのか、孤高なのか。木魂の響きが伝わってくる。細部に迫りながら、全体性を失わない。すごいことだと思う。

 

 鈴木秀雄さんの流れの絵。鈴木さんも今回同人に推挙された。水彩画では水の絵は様々ある。水彩だから水を描くことに向いていると思いがちだが、そういうものでもない。透明感を表すために、透明水彩が良いというようなものでもない。ここまで水を描いた絵は少ないのではないだろうか。濡れる水である。この場所を見つめる人がいる。描写の絵画はその技術をどこまで徹底できるかが重要であるが、とことん進むとその先にいる人間が見える。鈴木さんの精密描写はこの方の誠実な人間が見えてくるのだ。以前、苔の学者のボタニカルアートの作品を見たことがあるが、あの時の感動を思い出す。作者は描写に徹することに専念しているのだが、自ずとそれを表す人間というものが立現れてしまう。

会員の人達はいつも顔を合わせているので、こうして写真を掲載しても許してくれるので、写真を載せさせてもらった。ホームページの方にもまた紹介させてもらった。

 

 

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沖縄県民はアベ政権を選ばなかった。

2018-10-03 04:09:20 | Peace Cafe

沖縄ではついに、自民、公明の極悪タッグが敗北した。沖縄では創価学会員による、期日前投票の送り迎えがささやかれていた。これが選挙違反に当たる可能性があると、沖縄の弁護士会が意見を表明した。何しろ、確かに期日前投票をしたという証拠の写真を撮り、送るというほどの状況になっているらしい。石垣島では期日前投票所が一か所で遠い。車に乗せていってもらえるならという人も多いと聞いた。期日前投票がこんな選挙違反まがいのことになるなら、何らかの制度の改善が必要になっている。民主主義制度は悪意の運用がないことで成り立っている。今回の知事選挙でも創価学会が全力で自民党候補を応援に動いた。この理由が良く分からない。以前沖縄公明党は辺野古基地反対であったはずだ。いつから辺野古基地推進に変わったのだろう。一体この変節は何が原因なのであろうか。思想が変わって、平和の党から軍事力依存の党になったというのならまだわかる。相変らず平和の党の看板は下ろさない。それでいて何故、態度を変えたのか。変えた理由を明確に示すべきだ。

創価学会幹部も沖縄入りして、自民党候補の応援で駆けずり回ったらしい。こうした行動の裏には、何か創価学会でまずいことが起きているとしか思えない。尻尾をつかまれたというのだろうか。ともかく本気の自公タッグが、沖縄の人々の魂に敗れたのだ。さすがに安倍政権の好きにさせてなるものかという、沖縄魂に火が付いたに違いない。これ以上ないがしろにされていいのかという怒りだ。中国を仮想敵国にして、その防人を沖縄にやれと言うことだ。琉球列島にミサイル基地を並べて、中国をにらむ。中国に沖縄がやられている間に、日本本土が体勢を立て直そうという作戦なのだ。琉球列島が占領されてから、奪還作戦というのが自衛隊の防衛計画になる。本土が安全であれば沖縄が犠牲になるのは、仕方がないという発想が見え隠れしてくる。これはアメリカ軍も同じだ。日本が最前線の防衛線。ロシアや中国と対峙するのは在日米軍。遠くアメリカは安全地帯にいる。ところが北朝鮮の大陸間弾道弾でアメリカは目を覚ました。もう日本の基地に関心が薄れ始めている。

米軍の運営費を肩代わりしえくれるなら、居てやってもいいと言い出している。これがトランプ一国主義。そもそもアメリカは日本の為に駐留しているなどと考えているわけもない。安倍政権は百も承知だ。日本がアメリカの虎の威を借りることなのだろう。その犠牲として、沖縄県民を騙すために、中国を持ち出して、いつ中国が攻めてくるかわからないというような、馬鹿話をしているのだ。本当に中国が怖いのであれば、中国と仲良くなることが先決だ。中国の悪ところばかりをあげつらって居るのでは、到底仲良くなれない。問題は常に互いにある。お互いが譲り合う事が平和への道だ。それは人間も、国も同じだ。生きていれば様々な問題が生ずる。相手と五分五分というのは、自分が7対3で不利だと思う位の所なのだ。相手もそう考えていると思う事が大切である。

尖閣諸島であれば、国際司法裁判所にゆだねることだ。それが公平とは言えないのかもしれない。しかし、第3者に決めてもらいもめ事が無くなるならありがたいではないか。そうしない理由は、一つだけある。中国を仮想敵国にして日本の再軍備を進めたいのだ。その為に沖縄にミサイル基地を作るなど、北朝鮮と同じではないか。辺野古米軍基地も同様に、世界情勢の変化に乗り遅れている。沖縄が返還されてから大きく変わった。普天間基地の意味も、移転を決めた20年前とは全く異なる。何時までも過去の間違った判断に固執してはならない。「普天間基地の除去。辺野古米軍基地建設の即時中止。」これが沖縄の民意だ。極悪タッグでも勝てなかった沖縄の魂だ。日本が民主主義国家であるならば、辺野古米軍基地の建設は行えないはずだ。アベ氏はこの選挙結果に真摯に向かい合うと口先だけだ。もういい加減にしてほしい。

 

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