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石垣島の風の名前を覚えよう

2022-06-25 05:47:53 | 楽観農園


 石垣島では梅雨が明けると、海の方から南風が吹き始めた。田んぼの上を飛ばしている。凧の向きが逆向きになった。しばらく前から、風向きが動き始めていた。それが梅雨が明けると、一定し吹き続ける強い南風になった。

 カーチバイと呼ばれる風だ。夏至の日から吹き始める風という事らしい。風と季節の変化が結びついている。田んぼをやっていると、この風の影響が強いので、日々気にしている、湿度が普通に70%以上あるのだから、風に救われているともいえる。

 一年の半分以上が熱帯夜である。暑いので暮らせないと小田原に居たころ、石垣島から戻ってきた友人がいる。確かに石垣島でクーラーのない暮らしは難しいと思う。この時期からは寝るときにはいつもクーラーをつけたままである。

 それが風の通る家では、夏だって寒いくらいだという。それくらい風がとおり抜ける家でないと居られない。アトリエカーは風が抜ける。窓を両側明ければ、ほとんど外のように風が吹き抜ける。絵を描いているときに、暑いという事がない。

 炎天下に車を止めて絵を描いている。車の中が大変な温度になりそうなものだが、大体外気温程度である。高くて34度である。そして風が吹き続けているから、暑くはないのだ。風のお陰様。快適に絵を描いている。

 ただこれだけ風に吹かれていながら描く絵は少し様子は変わるのではないかと思っている。目の前のものがすべて風に揺れている。そして、影がない。根風景を見続けていると、どこか落ち着かないものがある。気持ちが変わる。それが絵に出ないとは思えない。

 有難いことに、のぼたん農園ではイネに病気がほとんど出なかった。新しい田んぼという事もあるが、風が吹き抜けているという事で空気が淀まない。いつも雨に打たれていて、湿度がこれほど高いのに、イネに病気が出ない。風と上手く付きあって行くことが大切なようだ。

 病気が出ないもう一つの理由はバンカープランツではないかと思っている。回りに様々な植物がある。一律イネというところとは違う。回りが広い畔になっているというのは、防風林もそうだが、イネに病気を出さないという事にもなる。

 ハイビスカスは防風林として植えたがまだ小さい。ハイビスカスが成長するまでの間は、向日葵とソルゴーで腐食を増やしながら、防風効果を期待したいと考えている。ソルゴーは蒔いて3日目に発芽した。上手く成長しそうで期待している。

 風と言えば台風である。7月3日が次の稲刈りなのだが、何とかそれまで台風に来てもらいたくない。その次のイネは8月初めという事になるひとめぼれである。これは台風覚悟に遅く植え付けた。早く始めた1月初めの浸種のイネは台風を逃れてもらいたい。

 そしてどうもこの種まきの時期が稲の成長にかなり影響がありそうである。同じ品種でも1か月時期がずれると生育が変わる。まだ印象としてしかわからないが、6月天気が回復してからのイネの成長が目覚ましいものがあった。

 5月6月と悪天候であった。それでも6月に強い光が短時間だが当たった。雨は降るのだが、短い強い日照がある。この短時間の強い日照がイネを復活させた。丁度穂肥を与えたころからである。イネが再度成長を始めた。

 それから分げつが増え始めた。普通であれば無効分げつになる。ところが結果的にこの分げつから出た穂が、立派な穂になっている。まだ青いのだが、100粒は超えている立派な穂になった。だから大きな株は30本越えの穂が付いている。

 5番田んぼは途中で鴨と、イノシシにやられた。それは対策をして防いだのだが、何とも寂しい状態のイネになっていた。6番が砂地の田んぼという事がある。もうこれはどうしようもないと思っていたところ、5月あたりから回復を始めて、今はそこそこ取れる田んぼに戻っている。

 6番は後から出た穂がまだ青いので、これが色ずくまでは稲刈りはしないで置いた方がいいだろう。少し先に延ばせば、7,8俵は採れる田んぼになりそうだ。2,3,4番田んぼは畝取りも出来るのではないかという状態まで来た。

 稲刈りが楽しみになってきた。とよめきで心配だったのは、味のことであるが、先日少しだけ精米して食べてみた。これが意外においしいのだ。私の好みという事もあるかもしれないが、さっぱり系の味わいのあるお米だった。これを玄米で食べるとかなり美味しいお米と言えるかもしれない。

 有機農業向きのお米かもしれない。もう少し作り続けなければわからないことだが、私には十分なお米に出会えたという気がしている。籾摺りが出来るのは最後のひとめぼれの収穫が終わってからなので、まだ1か月以上ある。可能であれば、一袋だけ籾摺りをさせて貰いたいところだ。

 以下沢山の風の名前を拾い出した忘れないようにここに残しておく。

ニシカジ 北風トゥラヌファカジ(東風)な アーリーカジ
クチカジ・クチブキで、「クチ」は「コチ(東風)」
「午の方位の風」を意味するンマヌハカジ南東風  
ハイカジ・ハイヌカ ジ類 
イリカジ西風
南西風では八重山地方でのサンヌパカジ 
北西風 八重山地方でのニヌパカジ・ニヌフリカジ。 
旧暦 2 月頃に発生する暴風であ る「ニガチカジマーイ」 
4 月に吹く「シガチフキアゲ」
西風に変化し、最終的に強い北風のイーカジに変化する、時計回りのイーカジマーイ 
東をアガリ、西をイリ、南をフェー、北をニシと言う地域 
北東がトゥラヌファカジ(トゥラヌワカンジ)、南東 にンマヌファカジ(ンマヌワカンジ)、南西にサンヌパカジ(サンヌワカンジ)、北西にニヌパカジ (ニーヌワカンジ)という、十二支の語を持っている。 
夏至南風(沖:カーチーベー、宮・八:カーチバイ)、
新北風(沖:ミーニシ、宮・八:ミーニス)(後略)」など 
カジヌナー(風の名)。ニングヮチカジマーイ(二月風廻り)
四月に来る風をフサーギといい、急に天候が悪化して台風状態になる。これは波を伴う。
五月に吹く風をヘーフキ(南風吹き)
種子取南風(タントゥイベー)、歳暮南風(シーブバイ)、星昼間の南風(プスプローマヌパイカジ)、二月風廻り(ニングヮツィカジマーイ)、うりずん南風、穀雨南風(ククウベー)、白鳥北風(スストゥイニス)、芒種南風(ボースーベー)、夏至南風(カーチーベー)、悪風(ヤナカジ)、涼風(シダカジ)な
梅雨どきの初めに吹く風を“黒南風”(くるふぇー) 
梅雨明けの6月中旬ころに吹く風を“白南風”(しるふぇー)


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大豆の植え付け

2022-06-24 04:55:39 | 楽観農園
 
 
 大豆は防風土手の間の谷底に植え付けた。1m幅の平らなベットがある。脇の溝には水が流れている。水は田んぼから染み出てきている。溜まっている状態だが田んぼに水がある間は、この場所は水がなくなると言うこともないようだ。ベットも水でしめっていてぐずぐずしている。

 上の田んぼの水を調整すると、大豆の湿り具合も調整できる。石垣の土壌は乾けばコチコチになってしまうから、このやり方で土壌の硬さの調整が出来るのではないかと思っている。腐食が増えてくれば、状態が良くなると思うのだが。

 ベット半分には大豆の種を苗箱に蒔いた6月19日に、作った堆肥を入れて、混ぜておいた。半分は何も入れてない。成長がどう違うのだろうかと思う。大豆苗は上手く出来た。水遣りが難しいのだが、注意深くやった。雨が結構降ったという御陰もある。

 不思議なもので雨は降り続いたところで大豆の種は腐ることがない。ところが、水遣りはよく乾いてからやらなければ、大豆の種は腐ってしまう。今回苗箱1個に平均60本の苗として、5箱で300本の苗を作ったことになる。

 苗箱の土は1ヶ月ほど前に、堆肥と混ぜて寝かしておいたものである。肥料当たりはなかった。順調な苗になった。苗は本葉が出たところで芽を摘んでおいた。それが、2分けつした芽が出た辺りの大きさの苗である。



 6月19日大豆の苗の植え付けを行った。白っぽく見えるのは籾殻である。中川さんが貰ってきてくれた。のぼたん農園で作物を作ることは、イネ以外では難しいと考えている。イネは水というものが介在している。様々な条件が水によって緩和される。

 しかし大豆を始め様々な作物は、石垣島の特別な気候と特別な土壌に影響されると思う。これからのぼたん農園では、作れる作物を探して行こうと思っている。先ずは土壌の改善をしてゆく過程での試験栽培と言うことになる。

 大豆は苗箱に大豆を6月11日に蒔いて育てていた。苗は意外に順調に出来た。大豆はいつも上手くゆかないで苦労しているので、かなり難しい作物だ。品種は小糸在来。小田原で自家採種して作っている品種だ。家の脇の畑で採れたものである。

 在来種の大豆はそもそも土地を選ぶ。千葉県の小糸川周辺の大豆は小田原では作れるようになった。余りに条件の違う石垣島でうまく出来るとも思えないのだが。この大豆が際立って美味しいので、出来ればこれを作りたいと思っている。

 石垣島に大豆が無いかというわけではない。宮古在来種の大豆を作られている方がおられる。これは土壌や気候に適合しているのだと思う。しかし、ツル大豆なのだ。ツル大豆は一度に収穫するものではない。サヤエンドウのように次々実ができる。

 収穫時期がバラバラになる。ほっておけば、はじけて落ちてしまう。収穫に余りに手間がかかる。味噌、醤油、納豆、豆腐と自給用に作るには難しいものになる。1年分となる。二十㎏ぐらいは必要になる。10人分となると200㎏の大豆。2反みっちりと作らなくては無理だ。

 何とか小糸在来種を作りたいと6月11日に播種した。大豆は水遣りが難しいところがあるが、旨く乗り切った。雨はいくらでも当たってかまわないのだが、水遣りで濡らし続けると、腐ってしまう。雨水の良さは溶存酸素だと考えている。

 本葉が出たところで、芽を摘んでおいた。その結果二本に分ゲツする。そのタイミングが19日で植え付けを行った。大豆のベットは谷底の水たまりの脇である。1m幅30mある。ここに300本を植えた。30センチ角に一本。

 同じ条件の場所が、後三つある。何か試しに植えたいと思っている。本来果樹の苗が植えられる場所なのだが、果樹の苗の植え付けは来年の2月が良いと言うことになっているので、それまで開けておくより何かを試験的に作る方が良い。

 玉ねぎは9月から11月頃が適期らしい。適期らしいと言うだけで、まだ見当も付かない。九月に種まきして苗作り。11月中旬以降に苗の植え付け。玉ねぎの苗販売を余り見ないので、苗は自分で作らなければならないのだろう。

 ジャガイモは10月から12月。9月下旬ごろに畑を耕しながら牛ふん堆肥や有機肥料を散布し漉き込む。今からソルゴーを蒔いてそれを漉き込むのが良いだろう。10月下旬には種芋を購入して畑に植え付け。じゃがいもは作っているのを見たことはあるが、やはり苦労しているようだ。

 ジャガイモの品種は「ニシユタカ」が石垣向きとある。長崎の農業試験場で暖地向きに品種改良されたもの。水はけの良い土壌が良いとある。高い畝にして作ると言うことかもしれない。のぼたん農園の土壌は余り向いているとは思えない。唯一一番下の畑が赤土なので、候補地になりそうだ。

 小麦はどうだろうか。秋まきだとするとやはり11月ぐらいに蒔くのだろうか。本来小麦は気候的には難しいと思われる。それでも合う品種はあるはずだ。本島ではパン小麦を作っている人がいるようだ。先ずは適期を見付けてと言うことになるが、まずは11月になったら播種してみたい。

 こうなるとなかなか秋も楽しそうだ。あれこれ蒔くだけでも試したい。サツマイモは出来るのだろうが、サツマイモの苗をネットで購入した。薩摩はあまり時期を選ばないから、ともかく植えてみるつもりだ。ポットから芽出しをして、苗を採るものらしい。試してみることにしたい。

 紫芋は石垣で作られている人がいるので、芋を分けて頂き、芋から苗を作ってみたい。サツマイモなら余り時期を選ばず出来るのではないかと思う。サツマイモは水はけの良いところが良いから、防風土手の斜面に挿し芽をしたら良いだろう。

 畑の候補地は緑肥を育て、先ずは腐食を増やすことだろう。早めにソルゴーを蒔いて起きたいと思う。トラックターが戻ってこないので、進められないのだが、溜め池上の畑にもソルゴーを蒔いて土壌改善からやらなければならない。のボタン農園では、まだ畑の作物を作れるような土壌ではない。

 
 
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絵画が行いであるとはどういうことか。

2022-06-23 04:01:36 | 水彩画


  絵のことをあれこれ考えている。引き続き 絵画は行いになったと考えていることや、行いについてさらに考えてみたい。と言って考えに当てがあるわけではないので、おかしな文章になりそうな気がするが。それでも絵が行いであると言うことから始まっているので。

 絵画はそれぞれの個人が生きる証を求めて、画面に記しているものである。絵画によって変化をし続ける人間存在を探すよすがにしようと言うことである。絵画は人間の変化の一断面を反映したものであることは、間違いがないだろう。

 只管打坐と道元禅師が言われたように、只管打画という意味ではないだろうか。何かを求めて座禅をするのではなく、座禅をするために座禅をする。これが道元禅師の一歩進めた生き方に対する考え。素晴らしい発想の転換だと思っている。

 絵を描くと言うことで良い絵ができると言うことが目的ではなく、描くという行為自体に意味を求める。何か結果を求めて、描くというのではなく、ただ描くために描く絵画。それが絵画が行いになったと言うことかもしれない。

 絵画することで生きる手応えを持つ。生きているという真相が描くという行為によって、明確になると言うことだろう。生きて変化し続ける自分を確認したいという思いがある。それは生まれてきて死んで行く人間。それを明確にするのが一つの目的だからだ。

 千日回峰行や座禅修行が何か結果を求めて行う行為や修行ではないように、絵画も結果を求める行為ではなくなった。自分の生き方として絵を描くと言うことになる。絵を描くという手応えが自分の生きるという手応えであればそれでいいと言うことだろう。

 行為に対して結果を求めない。行為そのものの充実に生きる。これが絵画が行為になるという意味なのだ。しかしそれは言うがやすし、行うはかたし。その行いの結果としての絵画は、行いの断面を見せているだろうと言うことになる。

 現状では自分の絵画が、行いと言いきれるまで徹底できているとも思えない。徹底したいともがいていると言うぐらいのことだ。たぶん死ぬまでそんなものかもしれない。しかし、今現在、絵を描くと言うことには日々の充実はある。もう少しやればとは思う。あがきかも知れないが、期待はある。

 絵はその点恐ろしいものだ。自分には何のごまかしもきかない。だめになればだめなのだ。本気の精一杯のものでなくなればすぐに分かる物だ。この絵という断面があれば、自分のひたすらさが量られることになる。生涯ひたすらに日々を生きるための、証として絵がある。

 これは只管打坐に生きることが出来ない情けなさなのかも知れない。情けないからと言って諦める訳にいかないのが、日々の自分のことである。自分なりのやり方で、自分なりの行いで、自分を見極めたいと言うことだ。

 これは大きくは間違いではないように思う。その行い意味を世間にも公開するという意味で、水彩画の日曜展示を始めた。日々一枚の絵を描いてその絵を展示する。ブログという便利なものがあるから、やろうと思えば誰にでも出来る方法である。

 良く出来た絵を見て貰おうという、日曜展示ではない。自分の行いとしてのその週に描いた絵を、ともかく展示すると言うことが主たる目的である。千日回峰行と同じことである。苦行ではなく楽行であるところが自分らしいと言うことになる。

 毎朝ブログを書くのは願掛けなのだが、日々の一枚は自分の生き方である。 これが生きがいと言っても良いのだろう。どんな言い訳を言おうが、絵はやはり正直である。そのままである。頑張っている絵もあるし、ダメな絵もある。だめも頑張りも、日々の一枚である。

 本来の行為というのは消えてしまうので、確認のしようがない。絵という結果が残る画面を、行いとして経過をたどりながらと言うことになる。絵を描くと言うことを行為にしたので、自分という人間の有り様や精進が見えるのではないかと言うことだ。

 人間はどこから来てどこに行くのかと思うが。日々の一枚がその日々の航跡になっているのではないか。上ったり落ち込んだり、様々な足跡が付けられている。足跡を残しながら、生きてみようと言うことだ。そうすれば自分という存在が見えてくるかも知れない。

 何故そうなったのかをもう一度書いておくと、人間の暮らしが多様化したと言うことである。藝術の背景になる共通項が失われたのだろう。表現として対象が細分化を続けて、今は対象を失いつつある実感がある。違うものには伝わらないものが絵画のようだ。

 この余りに頼りなく、社会的な反応が狂ってしまった絵画という分野に踏み込んでしまった以上。社会的な反応を目印にすると、大きな間違いをするだろう。だから自らの生き方として、行いとして絵画すると言うことを求めて行こうと考えている。

 その結果伝える表現という意味は手応えがない。絵がそうした表現に至っていないから手応えがないと言うことはある。しかし、社会全体を見渡しても今はそうした絵画がどこにもないというのが、私の考えである。そうである以上、自分なりの方法で絵と向かい合うほかない。

 
 

 
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絵画は表現から個人の行いに変わった

2022-06-22 04:13:27 | 水彩画


 昨日は絵画は表現でなくなったと言うことを書いた。社会に共通となる暮らしが失われたことが原因だとも書いた。絵画は表現でなくなり、個人の行いになったと言うことを考えてみたい。表現でないという意味は厳密に言えば、社会に対する表現ではなくなったと言うことである。

 ある範囲の中ではいまでも表現として成立はしている。その範囲が年々狭くなり、隣の公募展でも話が通じなくなったという実感があるという意味である。芸術が成立するためには共感する社会の範囲が必要になるが、共感の基盤となる、共通の暮らしがほぼない社会になった。

 このことは絵を描き始めた頃からなんとなくは感じていたことだった。大学を卒業して、フランスで制作したときに、ああ絵の基本が通じないとしみじみ思った。私は中川一政を信奉しているのだから、当然のことだろう。共通となる、画法はあるが、通じ合うためには文化の共通基盤がなければ、芸術としての絵画研究は無理だと感じた。

 共通の絵画の背景というようなものは、何時の時代にもないのかも知れない。ゴッホやセザンヌが同時代の人達には理解出来なかった。又同時に無数の評価された絵画らしきものが大量に生産され続けて、消えて言っている現実。

 無理矢理社会的理解にあわせて、乗り越えようとすると、絵画ではなくなる。フジタ嗣治がその好例である。評価されるために自由に画法も、描く対象も変えた人である。その結果フジタの絵画は、藝術としての絵画ではなく、イラストであり、その時代に受け入れられるためのものだと思う。

 その画法が卓越していたために要領よく時代やその社会での受けるものを探す事ができた。芸術的意味は全くないと考えている。これは一般論ではない。一般論など自分の絵を考える場合まったく意味がない。目立つためには裸になって練り歩くような意味は無意味だと思うだけだ。

 案外に芸術が社会への表現であると言うことすら、すっかりと忘れられている。現代美術というジャンルでは今でもそれが試みられている。社会に訴えているとは思うが、まったく社会とは関係なく存在している。社会が影響受けたというようなことはなかった。

 だから現代美術は表現にはなっていない。といって、従軍慰安婦像が藝術だとは思わない。テーマも姿勢もある。しかし彫刻作品としての表現力が乏しい。まさか韓国の芸術の高いレベルから言えば、あれを藝術作品とは思っていないのではないか。日本で取り除かれた軍人の銅像と同じである。

 美術と芸術が混同されている。巧みな美術品であれば、芸術の一種だと間違って理解している人がいる。誤解されるので、簡単に言えないのだが、苦しみや喜びを共感し、人間に対峙する存在物であるものが芸術作品だと考えている。

 宗達の絵を見た時にはその超絶的な上手さに舌を巻く。しかし宗達の人間は分からない。優れた美術品ではあるが、現代社会における、いま暮らす人間に対しては芸術作品ではない。美術も芸術の一つだとする人は、それでいいのだが、芸術と美術は別物と考えないと、制作者としては大きな間違えをすることになる。

 ウサインボルト選手が100メートルを駆け抜けるのを見て感動をする。人間が走ると言うことの極限を表している。限界に達していると思える完全な人間の行動は、共感を呼び感動を生む。それが芸術の発生だと思う。飛鳥の丘に立ち、柿本人麻呂が朗々と詩を唄ったのも、芸術の表現だと思う。しかし、それもあくまで同時代人だけが甘受できるものだ。

 絵画の描くという行動の中にも芸術行為がある。実際に葛飾北斎は大道芸人として、神社の境内で絵を描いた。現代でもパフォーマンスアートというものがある。見るものへ具体的に目の前で行動をして、何かを作り出したり、あるいは身体表現を行い表現をする。

 江戸時代の江戸という生活空間の中で表現されたものは、その場でのみ成立したものだ。それを現代で行おうとすると、人目を引く奇抜さだけになったり、あるいは卓越した技術だけを見せるものになりがちだろう。

 もちろん大半のパフォーマンスは、社会に対して何の意味もなしえていない。社会を変化させる藝術などそもそもあったためしがない。しかし、その作品がある事で、一人の人間が変わる。これは長年夢見てきたことだ。社会は変えられなくとも、共感できる範囲の人には、伝わる何かを持ち得ると言うこと。

 社会に発信して、社会を変えていない以上、芸術として成立していない。ウサインボルト選手の走りの衝撃にはほど遠い表現と言うことになる。身体表現としては現代舞踏とか状況劇場の演劇とかいうものが、それに近い表現なのだろう。

 行動の絵画で言えば篠原有司男をおもいだす。現代では草間彌生だろう。アーチィストと言うことで海外で評価され日本では、そうなのかと再評価された人だが、残念なことにわたしは今の草間彌生の作品を見ても何も感じない。篠原有司男の作品はどこか伝わってくるものがある。共に同時代の作家である。

 ナンシーにいた頃、ナンシー演劇祭で日本人が逮捕された。教会で裸になって舞踏をしたからである。草間彌生もそうだが、裸になって表現をするというのもあるのだろうが、そういう行動が芸術としてのパフォーマンス表現になっているとは私は思わない。見たくないだけだ。

 表現としての行動ではない。行動そのものが自己完結した芸術行為になるという意味だ。芸術としての行動に成ると言うことは、制作すると言うことが、自己完結しているという意味だ。描くという行為が制作する人間の充実とか生き様とか、その人であるための行為になるのかどうかである。

 行動とは、暮らしの中で作られた身体が生み出す動きだ。百姓であれば百姓の動きがある。禅僧には禅僧の動きがある。絵描きであれば絵描きの動きがある。その身体の動きに伴うものとして、絵画の表現が出てこなければならない。やっとここまで書いた。このことを考えたかったのに。

 書で文字を書く時自分の名前の書き方さえ分からなくなる。絵を描くときも同じである。何を描いているのかというようなことは判断が付かなくなる。画面の動きについて動いているだけになる。別段ごく平静なのだ。静かに画面に従って描いている。

 だからいい絵になると、特別におかしな絵になるとか。そういうことでもない。当たり前の風景画を描いている。筆の動きが自分の行いになるところまで、繰り返すと言うことである。瞑想に陥り、自動描機になりきるわけではない。普通に静かに絵を描いている。一日中車の中に座って絵を描いている。

 このこと自体を一番大事だと思っている。何を描くのかの前段階である。何も出てこないとしてもそれでいい。自分で描いた絵を見て、自分のその時の断面を確認している。そのバラバラにも見る一枚一枚を改めて眺めている。どこかに歩んでいるようでもあり、停滞しているようでもある。

 今それしか出来ない。あるいは今それが出来ること。精一杯やっているだけである。色々の絵が現われる。自分が様々な者だとおもう。自分の名前が書けなくなったときに、それでも線を引いてみているような状態。自分が精一杯になれると言うことが不思議なことでもあり、全力を費やすことだけに重きを置いている。結果など云々したところで始まらない。
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何故絵画は藝術でなくなったのか。

2022-06-21 04:23:34 | 水彩画

 毎日のぼたん農園に行き、この眺めを見ながら、絵を描いている。富士山を描くのこともあれば、伊豆の港を描いていることもある。もちろんこの風景を描くことも多い。すべて意識を消して身体の動きから出てくるものにしたがって描いている。

 筆の動きも意識の動きから身体の反応に進めている。意識が働かないで線を引こうとしている。あの花の花びらは4枚だからと言うようなことは、絵と関係がない。花がみずみずしいとか、艶やかに美しいとうような感性も私の絵とは関係がない。

 絵画は藝術としての表現手段ではなくなったと考えている。それは藝術というもの自体が失われて行く時代という認識でもある。藝術は人間の人間に対する表現である。表現するものと、それを受け取る人間との間に、共通の生活基盤がない時代になったために、現実成立する時間と幅が狭くなった。

 現実を発信するものと、それを受け取る者に共通の感受性がなければ、藝術は成立しない。ルネッサンスの絵画作品を見ると言うことと同時代の芸術作品を見ると言うことでは意味が違う。モナリザを素晴らしいとは思うが、その素晴らしさは同時代の作品から受ける者とは意味が違う。

 飛鳥の高松塚古墳の壁画も素晴らしいものだとは思うが、その素晴らしさはやはり、同時代人の表現する絵画とは意味が違う。同じ平面作品であるから、同様に見ることも出来るが、描いた者の作品に託した内容が、まるで違うわけだから、あくまで想像して作品を解釈する範囲である。

 その意味でいえば、いくら宗達や雪舟の作品がすごいものであるとしても、やはり芸術としての意味が違う。もし一切の時空を越えて、作品を見ているとすれば、それは表現の意味までは見ていないと言うことになる。表現と共感。ここには共通の感性が必要になる。江戸時代の人の感性と現代に生きる人の感性は違う。

 その意味で中川一政の作品から来る感動は同時代人としての芸術的感動である。つたない作品だとは思うが、私もそのつもりで同時代人に向けて描いている。ところが同時代人がいなくなってきた。共感する暮らしの基盤勝ちがいすぎる人間へ表現することは難しい。

 現代のように親子ですら共通の暮らしがないような早さで変化して行く中では、絵画は、今描かれた作品が、モナリザや天橋立図と並立してみる感覚になっている。残念ながら、これでは本当の意味での芸術の表現ではなくなったと言うほかない。

 その原因は時代と空間の変化が大きすぎるからである。私が育った頃にはまだテレビという物がなかった。今はテレビが一般化して、さらにテレビをみないネット中心に情報を得る生活になり始めている。世代ごとに芽を育てているものが違いすぎる。

 見るという暮らしが変わり続けている。私は甲府盆地を藤垈の小高い丘の中腹から眺めると言うことが幼児期の体験である。こうして生の風景で目が育った。この目についての想像は出来るだろうが、あくまで想像の範囲となる。その目は暮らしの中で徐々に出来上がった目だ。

 村山槐多の目や松本竣介の目は当然、現代人の目とは違う。この違いを学んで想像して、味わうと言うことでは芸術作品としての魅力の半分しか見えないことになる。いわばイラストを見る眼でしか、モナリザは見る事ができない。その見方では芸術を共感することは不可能なのだ。

 写真が出来て絵の位置づけが変わった。写真が絵と違うのは写真はこの世の中に実際に存在するものを映像として平面に写す道具だ。写すことへの技術的な訓練は少ない。どこに着目をして、何を見て、どう写すのかと言うことに集中できる道具が出来たことになる。

 もちろん写真も藝術の一つのジャンルではあるが、記憶に残るような写真作品は、対象の意味によることがほとんどである。花や果物の静物画を写真で作ったとしても、芸術表現としての意味はほとんどない。

 ところがゴッホの向日葵の表現はある時代の人間には魂を揺さぶるような力があった。その芸術表現としての力は、未だに維持されている。しかし、ルネッサンス時代の人がゴッホの向日葵を見たら、絵画とは思えないだろう。

 ゴッホの向日葵を絵画として認識できる人間は一定の時代の一定の人である。それがかなり幅広いとは言えるのだが、現代ではその絵画表現も徐々に力を失いつつあるのだと思う。だんだんモナリザが置かれているような位置に、ゴッホの向日葵も置かれることになる。

 芸術作品としての絵画にはそれを見る基盤のある人間がどれくらい存在するかと言うことが前庭になる。分りやすく言えば、文学作品は字の読めない人には存在しない。字が読めて始めて文学を味わうことが出来る。絵画も読むことが出来て始めて成立する。

 ところが、人間の変化が余りに大きいこの時代に置いては、表現された絵画を読むことができる人は実に限られた存在である。現代でも芸術作品のつもりで、大量の絵が公募展や画廊における個展という形で表現されている。しかし、限られた鑑賞者が存在するだけである。

 その鑑賞者の大半は似たような意味があるのかないのか分からない作品を制作している同業者という場合がほとんどである。絵を見る前提となる共通項が失われているのだ。正直に言わせてもらえれば、あらゆる公募展を見に行きたいとも思わない。

 見たところで芸術的な感動が期待できないからである。では何故、公募展を続けているのかと言うことになる。それは同様の基盤のある人間を探しているに過ぎない。分りやすく考えれば、似たような生活体験のある人を探しているのだろう。

 絵を描く同類の仲間を見付けることは困難だ。似たような生活基盤の人が居ない時代の中で、違和感の世界の中に放り込まれた状態では表現は成立しない。ゴッホやセザンヌが時代を超えていたときに、誰にも理解されないで苦しんだことに似ている。

 そんなに優れているという意味ではない。どの程度の自分であれ、自分を表現しているときに反応が無いのであれば、表現は成立しない。また、自分の表現した絵画の不足分に気付くこともない。自分の表現になっていないと言うことも分からない。

 表現が表現として成立するためには、受け手となる見るものが必要である。ところがいよいよに見るものが失われ始めた時代なのだ。我々はまだ良い。似たような生活体験をした者がいる。似たような藝術体験をしたものがいる。ところが、現代社会では似たような者などほぼいない。

 こうなると、表現としての藝術は成立しがたい。小田原の欠ノ上田んぼには絵を描いていると言う人が、なんと5人も居る。農の会全体で言えば、10人を超えるだろう。しかし、一定の距離よりも関係を近づけることは難しいと考えている。

 絵を描くと言ってもその意味が余りに違いすぎるだろうと、想像しているからだ。そして絵画は表現ではなくなり、行動の一つになった。だから絵を描くことに一番影響しているのは朝の禅体操である。身体の動かし方とか、呼吸の仕方が絵に出てくる。そのことは又次回に。

 
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のぼたん園の稲刈りが始まる。

2022-06-20 04:22:16 | 楽観農園
0番田んぼ

1番田んぼ

 のぼたん園では初めての稲刈りが始まった。改めて田植えからの経過を載せる。1月1週目に海水選をして、溜め池の種籾を浸した。一週間が経過してはと胸状態になり、苗代には種まきをして。0番田んぼには直播きを行った。

 播種5週目で4葉期前後になり田植え、田植え6週目10葉期前後になり生育調査。
田んぼ名播種日田植日分ゲツ数高さ品種 気付いたこと
0番

1.16直播き
田植え
1262トヨメキ6月18日稲刈り直播きで進んでいる。
1番1.162.28

ハルミ 6月18日稲刈り田植え後の生育が良いが、早く穂が出る。
2番1.163.21048トヨメキ直播きを失敗して、補植苗で田植え
3番1.162.231250トヨメキ
悪天候の田植え初心者
4番1.162.261154トヨメキ
5番1.162.2740トヨメキ
7番不明
3.20
4.3

ヒトメボレ箱苗 稚苗
8番3.27直播き

マンゲツ

 0番田んぼの直播きをしたトヨメキを6月18日に稲刈りをした。153日で蒔かれた種は刈り取られた。水に漬けた日から数えると160日である。一部だけ田植えをした。5葉期の苗を植えたのだが、田植えから125日と言うことになる。

 1番田んぼのハルミも稲刈りをした。生育障害が起きて、初期不安定になるような状態で、13葉期で止葉になり穂が出てしまった。ハルミは明らかに石垣島の気候に適合しないで、生育が狂った。今になって無効分ゲツがでている。穂も小さい上に粒張りも悪い。

 残念な稲刈りだが、石垣島の気候に合わない品種があると言うことだ。一番の原因は夜の気温が下がらないと言うことにあるとみている。夜温度が下がる必要がある品種は石垣島には適合しないようだ。

 2月28日の田植えだから、田植えから数えると、110日の稲刈りと言うことになる。もう少し置いておければ良かったのだが、稲の様子が中途半端なために、これ以上稲刈りを先にのばすよりも早めにかる決断をした。

 トヨメキは多収品種である。問題は味である。今回、早くできたお米を食べてみたい。どんな味になっているかである。有機農法で作るとお米の味は変わる。食べてみなければ分からないと思っている。多収米でも美味しいお米になる可能性があると考えている。

 初めての崎枝での稲作は風が強かった。これから風対策をどのようにして行くかが課題だ。大苗は稚苗よりも風に弱かった。一本上よりも三本上の方が風に強かった。田植えが遅い方が風に強かった。直播きは風に強かったが、その後の生育には問題があった。

 色々まだ分からないことがある。それでもトヨメキのできは良い。トヨメキならば、10俵とれる可能性は高い。トヨメキに関しては問題は味だろう。まだ食べてみていないのでこの点はまだ何とも言えない。
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第113回 水彩画 日曜展示

2022-06-19 04:38:01 | 水彩画
第113回 水彩画 日曜展示
サイズは中判全紙です。





770「川」
2022.6








771「田ノ原湿原」
2022.6








772「シーラ原の空」
2022.6







773「港の風」
2022.6








774「田んぼのサクラ」
2022.6






775「西表島の見える田んぼ」
2022.6







776「宮良川上流部の田んぼ」
2022.6

 
 絵を描くと言うことは自分という存在のその時を表現しているのだと思う。絵を描いたからと言って変化し続けている自分という存在を、明確にすることは出来ない。自分という代わり続ける存在をとらえるためには、その時々の断片をつなぎ合わせるほかない。

 たぶんそれはブログを書いていることも同じである。書いて表現したもののはその時の断片として、もう変わることは無い。絵も描き終われば自分のあるときの絵を固定化したのだろう。それは自分が見ているという変化して行く何かを、何とかつなぎ止めようという行為かも知れない。

 絵画の時代が終わったという背景には、人間に共通な部分が失われたと言うことがある。描く私と、見る人間との作られ型が余りに違う。私がルネッサンスの絵画を見て、随分違うものだと感じるのと、同じくらいに現代では、見る人間との距離が広がっている。

 


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少子化論

2022-06-18 04:48:16 | 暮らし


 少子化は人間が生き残るために必要なことである。一般に少子化論というと、どうやって少子化を脱するかという話になる。それは明らかな間違いである。少子化を人間知恵と考えて、同賞しか社会を作り上げるかという本来の少子化論である。

 世界の人口が今よりも3分の1ぐらいに減少すれば、温暖化も解決するし、戦争は起こらなくなる。それはたかだか100年前の世界に戻れば良いという話なのだ。この人口の急速な増加に人間は追いつけなくなり、おかしな競争を始めた。

 動物は異常繁殖すると、おかしくなる。増えると言うこと自体で生き物は危機を感じるモノがいる。人間も余りの密には耐えかねない。世界の人口が増加して行くために、世界では不必要な争いが起こっている。日本の人口が江戸時代ぐらいまで減れば、日本ももう少しまともな国に戻るだろう。

 資本主義経済と言う考え方は、人間を労働力という価値で評価を加える。だから人口が多ければそれだけ生産性が上がると言うことになり、競争に勝利するという考えである。その資本主義は競争の原理は限界に達し、様々なところで軋轢が生じ始めている。

 どのようなきれい事を並べようが、政府というか、選挙で選ばれて国の運営を考える人は、そんな考えに陥る。よその国勝るためには人口を増やそう。そうしなければ選挙で落ちる。経済を上手く回すには若い労働人口を増やす以外にないだろうなど、とんでもないことを考え始める。

 その結果地球は温暖化が起こり、マイクロプラスティクの海洋汚染は留まることがない。すでに地球環境は瀕死の状態まで悪化している。地球で問題なことは人類という生き物が増加しすぎたことが諸悪の根源である。だから少子化は目指さなければならない方向なのだ。

 人を出し抜き、競争に勝たなければ良い暮らしが出来ないと思い込んでいる人が増え始めている。少子化した国は滅びるとまで言い切る人まで出てきた。それは資本主義の競争の原理を大前提としているからだ。競争に勝つためには労働力が多くあれば有利だからと考えているからに過ぎない。

 映画監督だった羽生進氏が言っていたのだが、都会ではお前が居なくなれば、みんなにとって有り難い。人間が人のためになるどころか、居ることですでに迷惑をかけている。どうすれば自分の存在が人のためになれるのかについて若い頃自問したと言われていた。

 確かに電車が混んでいるのも、大学入試が地獄だとまで言われるのは人が多すぎるからだった。人間が人間らしく生きる許容量を都会では超えた。中学生の私はそう思ったものだ。都会で暮らすと言うことは人間性をかなり損ないながらと言うことになる。損なっていることすら感じなくなるのだが。

 縄文時代の日本列島では滅多に人に会わないぐらいの人口密度だったようだ。日本列島全体で2万人から26万人の人口が気候変動の中で前後した。その数で充分に日本の縄文文化を形成したのだ。充分活立派な人達だと思う。

 石垣島ぐらいの人口が日本列島各所に散らばれば、ほとんど人の痕跡に出会うことすらなかっただろう。それでも滅びるどころか縄文人はたくましく生きていたのだ。そう日本最古の骨が出土した石垣島だって幾人かの人が暮らしていたはずだ。

 自然の営みの中に人間の暮らしが織り込まれている。本来それが一番永続性のある暮らし方である。そこまでは望むべきもないが、せめて現状よりも人が増えないことを良しとするのは当然のことである。まして今の人口の年寄への偏りなど、一時の問題に過ぎない。

 少子化を考えるときに必ず問題にされるのが、国際競争力である。戦時中には「産めよ増やせよ」の標語があった。戦争に勝つためには人口が増えなければならないと言うことだろう。それが今の時代は、労働人口が国際競争力の要になるから、企業は産めよ増やせよと言いたいのだろう。自己本位の間違った考え方だ。

 台湾は国際競争力が世界で7位だそうだ。日本は34位。台湾は日本の人口で言えば、5分の1しかない。2353万人で九州の諸島部を抜いたぐらいの面積。
国際競争力の世界の順位は(1)デンマーク、(2)スイス、(3)シンガポール、(4)スウェーデン、(5)香港、(6)オランダ、(7)台湾、(8)フィンランド、(9)ノルウェー、 10位でやっとアメリカ。

 大きい国にはそもそも国際競争力などないのだ。台湾の2353万人がむしろ多いぐらいだ。日本が競争力で転げ落ちているのは少子化とは関係がない。ここに並んだ小さな国は人口減少している国が多い。台湾はやはり世界トップレベルの少子化国の一つ。

 日本が少子化さえ解決できれば、国際競争率が上がるなどと思うのは大きな間違いである。日本が競争から脱落したのは人口減少とは違うところに原因がある。一人一人の若い日本人の、教育と暮らしの在り方から国の衰えは来ていると考えた方が良い。

 団塊の世代までの日本人は農村出身者である。私の子供の頃は田んぼ休みが当たり前にあった。農作業は子供だってやらされて当たり前。児童労働が批判されるより、薪を担いで勉強している二宮尊徳がまだ奨励されていた。無理をしたって頑張らなければ生きて行けない。それを子供の頃からやったとしても、悪い事などと誰も思わなかった。

 田んぼ社会で培った能力が工業化社会と結合したときに、日本は力を発揮したのだ。ところが、田んぼを止めた日本人というか、田んぼに伴う協働社会を止めたことで、日本人は変わったのだ。百姓力を失った日本人は国際競争力を失ったのだ。日本を武家社会と考えた明治維新の失敗である。武士など少数派だった。

 日本の高度成長期はブラック労働で国際競争力を得ていた。今はそういう力任せではどうにもならない競争になった。むしろ競争力の高い国ほど、ホワイト労働なのだ。国際競争の質が変わった。日本的な頑張り抜くような仕組みではないらしい。

 この変化に日本は対応が出来ないのだ。トヨタ自動車が今になっては唯一の日本の成功企業例であるが、電気自動車分野ではどうも対応が遅れている。中国が電気自動車時代を作りそうだ。トヨタ自動車でさえこの先だめに見えるのから、日本の産業は残念だとは思うが、今後世界から脱落して行く。

 少子化はそれこそ低迷社会では、結構な話になる気がする。一人当たりの農地面積が増加していく。一人当たりの水資源が増加して行く。一人当たりの二酸化炭素の排出が減って行く。ごみの量は減少する。食糧自給率は増加する。

 少子化をむしろ好機とととらえて、新しい社会の仕組みを見付ける必要がある。それにしても政府は少子化を食い止めるべき、様々な努力をしているらしい。子供の教育の無料化。保育士の給与の値上げ。子供の医療費無料化。当然のことだ。大いにやるべきだ。

 それでも少子化は止まらないはずだ。それは人間に備わった生き物としての本能的予感だからだ。


 

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絵は色彩の組み合わせで出来ている。

2022-06-17 04:22:04 | 水彩画


 色彩が美しいというのは色と色の関係が美しということだ。ある黄色が美しいというような意味での色彩と絵画での色彩は意味がつがう。画面での色の関係により出現する世界が絵画である。絵画としての色彩の美しさと言うことになる。

 美しいという言葉で書き始めたが、美しいという言葉も、一般論としての美しいという意味と絵画としての美しいは少し違うと言うことがある。絵を描くと言うことは、美しさに向かっているわけではない。自分の哲学を画面上に露わそうとしている。

 それぞれの哲学、あるいは世界観を画面上に表現しているのだから、美しいという側面がある人もいれば、醜いという者を表現する人もいるということになる。美しいという世界の捉え方をする人が多いいと言うことは言えるので、絵画が一般的に美術という言葉の枠に入れられる。

 私の場合は、美しいと極めて近いような調和というようなものを画面では探っている事が多い。調和はと言ってこれも一般論の調和という言葉に置き換えてしまうと、絵画での調和は又違うと言うほかない。一般の言葉での調和は安定と言う意味を含んでいるが、絵画での調和は緊張が高まり、限界に達したような調和である。

 調和という中に、飽和というような意味を含んでいる。それは具体的に説明すれば、画面上で色彩の組み合わせが調和すると言うことなのだが、それは風景であっても、人間を描いても、花を描いていたとしても、その意味では違いはない。

 何を描くかと言うことは最も重要なことであるはずなのだが、そのことを意識しないで絵を描いていることになる。だから鳥を描いていたはずがいつの間にか花の絵になったり、海の絵になったりすることは良くある事なのだが、別段そのことは気にならない。

 もちろんその絵が抽象画になったとしても差し支えないのだが、抽象画に見えると言うことはあるが、具体的な意味は常にある。海だか、草原だか、空なのか。揺れ動きながらも、結果的には何か具体的な記憶の中の風景を描いていると言うことになることが多い。

 描きながらずいぶん変わって行く。絵が上下、縦横が変わることもある。画面上の具体的な意味とかけ離れて絵を描いていると言うことになる。宗教画を描く人が、聖母子像を描いていて、いつの間にかリンゴの静物画になったらおかしいのだろうが、私はそれでいいと思っている。

 画面の図像としての意味はほとんど考えていない描き方である。しかし、絵を見るという意味では図の中にある意味がまず大きい。当然のことだと思う。空の絵としてみることで、画面に表現されている色や調子への理解が限定されている。

 もしそれが炎を描いていると見えるように描かれていれば、意味の理解という所から、違う内容を読み取るはずだ。者の意味が重要であるという理解はしているのだが、今のところ描いているときにそのことを整理し、意識できないでいる。

 絵を描くと言うことはその絵で社会に表現をしている。だから、見る人にどう見えるかと言うことは重要な要素だとは理解している。しかし、描く上でそのことを意識して、無理にはめ込むことは予想と思っている。自分というモノの絵画世界に入り込んで行くためには、どうもその結論は先延ばしにしておいた法が、間違えないような気がしている。

 色彩はその調子でかなり違う。マチスの色彩を見ると、色の調子を排除している絵が多い。調子を色彩の中に入れると、余りに複雑化してしまい、論理的な整理が難しくなる。しかし、色から調子を外すことは私の絵画ではあり得ないことになる。

 色彩というモノに透明の度合いや、にじみや、変化して行く要素が大きく存在する。マチスが書いているように1c㎡平方の黄色より1㎡の黄色の方がより黄色である。というようないみで、透明の黄色より、マットの黄色の方がより黄色である。

 いわば墨絵が黒の濃淡だけで絵を描くように、色というモノはすてて、黒の濃淡の調子だけに限定することで表現を絞っている。私は各色の濃淡を含んだ色の調和が重要な表現になっている。マットな黄色とにじんだアカの組み合わせは必要な表現なのだ。

 そのために水彩画を描いていると言うことが言える。水彩絵の具は墨のように各色が多様な濃度で描くことが出来る。マチスのような論理性を重要視する人であれば、煩わしい要素を加えないで、絞り込むことで明確化したのだろうが、その煩わしい複雑系を取り込むことで、自分の世界観に近づくと考えている。

 ついでに書いておくと墨絵で色を感じるという文章を読んだことがあるが、たぶん目がおかしいのだと思う。墨絵はどう描こうと墨の単色である。単色の世界に色を感じるというような思い入れは絵に入らない。色を感じたいのであれば、色を使えば良いだけのことだ。

 絵には何か精神論のような思い入れは排除しなければならない。絵は科学の一つの方法であり、自分の世界をより正確に表現しようとしているものだ。東洋では書道というように字を書くことを人間の道にしようとする。絵も画道にしたがる流れがある。

 確かに絵を描くことは人間の生きる道ではあるが、どこまでも科学的に考えなければ、えせ宗教のエセの道になってしまう。絵に尾ひれはいらない。絵は画面に見える結果だけのモノだ。その結果に向かう、自分の生き方は道であるかも知れないが、そんなことは絵を見る他人にはどうでも良いことになる。

 熊谷守一氏が仙人と呼ばれ、その生き方は一日中ありと向かい合う画仙人のようであった。しかし、問題はすべてを取り除いた絵だけ見なければ間違う。物語はできるだけ取り除かなければ、目が曇る。時間というモノはそういう物語を消し去って曇りを取り除いてくれる。

 水彩画はあらゆる色を水墨のように使う手法である。だからその技法は複雑で、一筋縄では行かない。これほど難しい絵画技法はないのだと思う。そのために、入口で留まることになりかねない。水彩画は今考えられている物よりも、はるかに奥深い世界が存在する。

 まだ水彩画はその画法を十分には切り開かれていない。入口が十分魅力があるので、そこで留まり水彩画が済まされている。しかし、こんご100年もすれば、油彩画よりも表現幅が広い、自由で可能性が無限の画法であると言うことが認識されるはずだ。

 水彩画は色彩の複雑表現に対応した画法である。中川一政の岩彩画がその可能性に近づいていると思う。田だし、強い表現にこだわっていたために、弱い表現を必要とせず、水彩画の魅力に踏み込まなかったのではないだろうか。
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文化国家日本を目指そう。

2022-06-16 04:17:33 | Peace Cafe


 プーチンとトランプはよく似ている。世界の害悪を作り出すどうしようもないところが瓜二つだ。トランプ氏は驚くべきことに、プーチンのウクライナ侵攻を天才的な手法だと評価している。プーチンをよく知る自分ならばウクライナ侵攻をさせなかったと主張している。

 つまりプーチンの悪の天才を読み切れるだけの悪事を自分はしているとトランプは言っているわけだ。世界はこういう悪人が選挙で選ばれる時代になっている。世界がどうしようもないところに来ているから、悪人のほうが政治家向きで、まともな人間では頼りにならないと言うのだろう。

 昔からアメリカ嫌いなところは、アメリカに潜在していた、トランプ的な資質だ。自己本位で人に対する思いやりがない。行き過ぎた能力主義のために、弱いもの能力のないものを、平気で踏みにじる横柄な態度だ。もちろん、一方のアメリカにある限りない博愛的な精神は尊敬しているのだが。この両極がどう共存しているのか理解しがたい。

 プーチンはウクライナの病院や学校へのミサイル攻撃を、ウクライナ自身の自作自演だと主張している。誰が考えてもそれほど馬鹿げたことを自国民に出来るはずがない。それを出来ると考え、世間もそう考えるはずだと。主張しているのがプーチンなのだ。プーチンならやると告白していると言うことだろう。原爆だってやりかねないというのが本音だ。

 ウクライナ政府はネオナチだと繰返し主張する。一方的な軍事侵攻を行っていながら、良くもその被害国の大統領をネオナチだと言えるものだと思う。誰が考えても不自然な発言を堂々と主張してしまう。余りにひどい嘘でも国の代表が堂々と主張すれば、それなりに通用してしまうらしい。

 世界はそういう悪い空気がすこしづつ広がり始めている。戦争の時代にさしかかっているのかも知れない。この76年間の平和の時代の方が特殊な時代だったような気がしてきた。戦時が平時で、平和は特殊状態だったらしい。人間は争いごとが好きすぎる。

 トランプは自分が大統領として再選の選挙戦を行った。いわばその選挙の責任者である。そして選挙で敗れた。すると選挙は不正な物だったと主張して譲らない。不正ならそんな不正を許した大統領が最悪と言うことになる。不正の根拠を示せば良いのだが、不正の根拠は自分が選挙に負けるはずが無いという思い込みだけだ。ただプロパガンダとしてあえて根拠のないことをひたすらに主張する。

 少なくともロシアではプーチンますます支持をされている。アメリカでも選挙で一度はトランプは選ばれたのだし、今もって極右勢力には絶大な人気がある。プーチンは病気らしいという憶測が流れている。余りにまともではない主張をするので、頭がおかしくなったのかと見えるからだろう。トランプだって病気に見える。

 もう一人似たような人物がいる。北朝鮮の金正恩である。三人そろえば「三バカ大将」である。昔のテレビでそういうスラップスティックコメディ があった。余りの馬鹿さ加減が大受けなのだ。底のないバケツで水を汲むようなギャク満載だった。

 考えてみれば、日本でもアソウ、アベ、スガはそんな傾向がある三バカ兄弟だ。言うことがまるで漫画。こんなことを書くと侮辱罪になる時代が近づいている。しかし、当人たちは大真面目。真面目であればあるほど、何かずれが目立って気になるのはコメディーの常道。昔の衛星放送のような音声が遅れてやってくるような、真実味のなさ。

 その時代とのずれの部分こそ、本音の感覚なのだろう。本音が垣間見えるだけで後は建前ごとを述べる人間。本音と言うか生まれつきというか、ここには論拠がない政治家達なのだ。いつの間にかすり込まれた思い込みから来ているから腹話術の木偶人形に見えてくるのだろう。

 この碌でもない連中が世界を揺るがす権力者達なのだから、笑っている場合ではない。トランプはメキシコ国境では、プーチンのウクライナ侵攻から大いに学べる。とまで主張しているのだ。一体何が学べるというのか狂気である。

 世界はなにかが狂い始めている。その結果こういう権力者が登場しているのだ。その原因は結論から言えば競争主義である。勝つことが正義なのだ。勝者はあらゆる事が許されるという妄想である。経済競争が限界を超えたのだ。

 残ることは勝つためには悪事を働いてもかまわないという所に行き着いたのだ。経済が良くなれば、他人がどうなろうとかまわないという限界の争い。こんな世界は耐えがたい。どこかへ逃げたい。そうも行かないのが地球という一つの星だ。

 日本はその競争から脱落した。あらゆる分野で世界から周回遅れになり始めた。これは政治の責任だけでは無い。日本人全員の責任なのだろう。新しいことに挑戦する機運が失われた。政治がそうしたと言うこともあるが、これが日本人の限界だったような気もする。まあ良いじゃないかと思う。

 明治維新以来、富国強兵で結局第二次世界大戦の徹底した敗北を喫した。それで目が覚めたように、エコノミックアニマルで頑張ったのだろう。それなりに達成したような気になって、もう頑張りすぎるのは格好悪いと言うことのような気がする。日本を高度成長に導いたのはブラック企業だ。

 日本にはもう一つの頑張らない文化の流れがある。禅の哲学。茶の湯。農本主義。能や琉球舞踊。絵巻物。浮世絵。園芸文化。江戸時代の経済停滞期に文化隆盛の時代を形成する。これも経済成長のジャパンアズナンバーワン時代以上の、日本独自の世界に誇れる文化隆盛期を作り出している。

 日本は方角を変えるほかない。経済競争はトランプやプーチンにお任せして、競争から降りて日本独自の文化国家を目指せば良い。日本人にはその降りる資質の方が世界で特別だと思う。文化で世界に影響を与えるぐらいの国になれる。

 経済だけではないと言うことを競争に負けて、文化で方向を示せば良い。文化には勝ち負けがない。競争がない。それぞれの物だ。それぞれが文化的に一日一日を充実させて暮らせばそれで十分なことになる。日本人にはその資質が充分にある。

 現代の若者は肉体労働を嫌うらしいが、その柔なところは文化人には向いているかも知れない。文化は深めるだけである。お茶を飲むというようなことを命がけの物に出来るのだ。絵を描くと言うことも同じだ。絵を描くことにすべてをかけて充分おもしろいのだ。

 文化国家日本に向けて一日を大切に暮らして行こう。一日ボーとしているのも文化だ。文化がなければボーとなどしていられる物ではない。今日本の方角を、少しだけでも変えれば、行き着く先は随分違うことになるだろう。
 
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石垣市「地域経済牽引事業計画の承認に伴う農用地利用計画の変 更」に関する意見書

2022-06-15 04:50:11 | 石垣島
意  見  書
                            2022年6月15日
石垣市長 中山義隆 殿
                    住 所 石垣市字石垣248-3
                 
氏 名  笹村出
2022年5月16日付けで公告された「地域経済牽引事業計画の承認に伴う農用地利用計画の変更」について、以下の通り、意見書を提出します。
ーーーーー以下意見です。

 石垣市の将来は農業の振興にかかっていると考えています。現在日本農業は厳しい状況に置かれ、耕作放棄地が増加し、農業者の人口も老齢化し減少しております。その結果日本の食糧自給率が37%から脱することが出来ない状況です。

 私は石垣市崎枝地区3.6ヘクタールの農業経営を始めた者です。水田と果樹園と水牛牧場を、体験型の伝統農業の農場を進めています。石垣島に世界から人が来て学べるような、体験農場を作りたいと計画しています。

 ウクライナとロシアの戦争によって、世界全体の食糧事情の悪化が顕著化しました。穀倉地帯での戦争が、世界中に影響を広げています。こうした思わぬ不測事態がさらに起これば、日本の食糧確保は忽ちに危険領域に達します。

 資本主義の行き詰まりから来ている、世界の経済戦争はいつまたさらに深刻化して、どこの国が経済制裁を始めるかも分からない不安定さです。日本はアメリカと軍事同盟を結び、中国を仮想敵国としている。中国と隣接する日本は安全保障上極めて深刻な状況にあると考えざる得ません。

 その一方で、世界の人口は増加の一途です。しかし農地はすでに限界まで達し、自然破壊によって農地が開発されている状況です。熱帯雨林を焼却して、農地を作らなければ、一層の飢餓が起こるという世界の食料生産の状況なのです。森を燃やして地球の温暖化を進めなければ、食糧が確保できないという深刻な状況が世界では起きている。

 これからの世界情勢を考えると、食料生産を守ることこそが国の安全保障の根幹になると考えています。日本政府の方針も食糧自給率を高めることと、農用地を少しでも減らさないための努力をすべきとしています。それは当然石垣市でも同じことでしょう。
 
 この前提からすれば農地を減らすことはあっては成らないことです。まして農振農用地は転用をしないと言うことが大前提の農地です。現在ある農地をどのように維持して行くかを考えなければならないのが、石垣市行政の役割です。又それを後押しして守ることが農業委員会の役割だと思います。

 まして、今回の対象地域はそもそも畜産振興のために、多額の国費を使い農地を造成した場所です。畜産振興と研究のために開発された農地が、その後石垣市の個人農家が払い下げを受けた場所です。あくまで石垣市の畜産と食料生産のために、農地を維持して行くために払い下げが行われたと考えなければ、矛盾が生じます。

 今回の農振農用地農地からの転用の申請は、ゴルフリゾートの建設と言うことです。これは通常ではありえないことです。あくまで特例として今回申請が出ている案件です。特例にして良いような案件であるかを農業委員会には慎重に審議して貰いたい。

 石垣市が観光産業の振興に力を入れる意図は理解できます。又それは必要なことでもあると私も考えるところです。石垣市の農業振興にも、観光産業の活発化は必要なことではあります。しかし、それを計画するには余りに適合しない場所です。優良な農地を潰して、リゾートを計画すべきような場所ではないです。

 前勢岳にゴルフリゾートができると言うことはその下にある水田地帯へも大きな影響を与えると考えるべきです。ゴルフ場やリゾートで使われる水の大半は地下水のくみ上げによるとされています。地下水の大量くみ揚げが、下流域の農地に影響があるかは十分な調査が行われていません。

 長年の農業の経験から上流で起きたことは、下流域に何らかの影響が起こるに違いないと考えています。もし影響が起きたときに、責任をとるのは農地の転用を認めた農業委員会と言うことになるのでしょうか。十分な調査がないままに農業の命と言える水を安易にリゾート開発に当てることは間違っていると言わざる得ません。

 それでも、石垣市の観光産業を考えたときに、どうしてもゴルフ場が必要だと考える人はいるでしょう。石垣市全体を考えたときに北部には開発すべき場所がまだまだあります。もしゴルフリゾートを作るのであれば、北部の方が島の将来計画に相応しい場所があります。

 ゴルフ場は石垣市に一つで充分でしょう。そのゴルフ場が北部に出来ることで北部開発の道筋が出来るかも知れません。これ以上南部に開発が偏ることは島の将来にとって、益がありません。

 バランスのとれた島の発展のためを考えれば、今回の農振農用地という場所のゴルフリゾート転用は、余りに不自然な気がします。牧草地として払い下げを受けた地権者に良くも悪くも個人的な利権が生じるでしょう。痛くもない腹を疑われても、仕方がないように思えます。

 今回の開発はゴルフ場が前面に出ていますが、実際の所はゴルフ場よりもホテルとリゾート開発だと思われます。ゴルフ場自体が日本各地で閉鎖が続いている状況です。ユニマット社は西表島でもリゾートホテルを裁判をしてまで建設をして、それを忽ちに失敗して売り払った前例があります。

 むしろ、強引に行政と結託を測り、公用地の払い下げや農振農用地の払い下げを受け、その後に転売を計ると言うことがそもそもの目的のように見えて仕方ありません。そもそも転用予定地はゴルフ場には傾斜が強すぎて適地とは言えない場所です。

 そこを無理矢理開発する意図は、将来の転売を計画しているとしか思えません。農振農用地の転用が出来さえすれば、リゾート計画は失敗しても十分利益が見込めるとは誰しも思うところでしょう。

 石垣市の農業委員会が農振農用地の転用を行うのであれば、認める前提として、まず地下水の農業委員会と責任としての調査をお願いしたい。現在の不十分な地下水調査では、将来の不安を拭い去ることが出来ません。

 石垣市の魅力は食糧自給が可能な地域と言うことだと思います。石垣市の観光振興も、ここに焦点を当てるべきです。石垣の食の魅力を発信して行く。石垣に来た観光客が、石垣の農産物を食べて石垣の良さを味わう。農地を守ることが、石垣の観光産業の推進にもなるという点を重く考えて欲しい。

 島の水は、大切に守らなければならない命の水です。その水が様々な要因で危うくなっています。理由は分かりませんが、石垣島では湧水がどこでも減少しているという話を聞いています。イネ作りを行っている者として、痛切に不安を感じているところです。農業者を守る農業委員会であって下さい。


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日本の食料生産について

2022-06-14 04:11:56 | Peace Cafe


 日本は食糧自給率が37%しかない、極めて低い国の一つだ。合せてエネルギー自給率も極めて低い国の代表である。江戸時代完全自給の鎖国していた国柄だったことを思うと、国のありようが様変わりである。どうすれば食糧自給率が上昇するかを考えてみたい。

 食糧自給率が低い要因は国民一人当たりの農地が少ないことにある。戦後の初等教育では、人口密度が高く、農地が少ない。資源も少ない国だ。だから日本は人間が資源だ。一人一人が精一杯努力しなければ生きて行けない国なのだ。このように教えられた。

 東アジアの三つの気候風土の似ている日中韓を比較してみる。総人口をこれら耕地・樹園 面積で割り、1 ヘクタールあたりの扶養人口を求めると、日本と韓国はほぼ同じで 1haあたり 28 人に対し、中国は 1haあたり 10 人と日韓の約三分の一である。

 日本と韓国の現状ではおおよそ100坪3アール。で一人の食料を生産する必要がある。中国も少ないとは言え、300坪で一人となる。実際の農地は中国では広大な牧草地が含まれるため、食料生産という意味では日本や韓国と変わらない状態である。

 中国の農地面積は 1 億 2,254 万ヘクタールで、国土面積の 12%となる。 日本の耕地・樹園面積は 463 万ヘクタールで、やはり国土面積の 12%、韓国は 175 万ヘクター ルで、国土面積の 18%である。

 農家 1 戸あたりの耕地・樹園面積では 0.48haと、日韓と比べて三分の一以下である。 一戸農家当たりの農地は逆に中国が一番狭い。しかし、この一戸あたりというのは少し土地の所有形態が違う。土地の個人所有と言うことはない。

 ヨーロッパ各国の一人当たりの農地面積も日本と競べれば、数倍はある。フランスが33アール、英国が9.6アール。ドイツが14.7アール。日本は森林面積は極めて広い。しかし、林業は産業としての経済規模が小さい。広い森林を産業として有効に使えているわけではない。

 では狭い面積を有効に使い食料生産ができるかと言えば、可能ではある。100坪での有機農業による一人の自給は可能だ。しかし、食糧自給率で見るように、一人の食料の3分の1しか生産が出来ていない。

 農地が狭くて問題が起きているのかというと、年々耕作放棄地が広がり、農地は縮小されている。理由は日本の中山間地と言われる農地は規模拡大が難しい場所ばかりである。人間が自分の手で開墾をして農地を作り上げてきたのだ。大きな機械は入れないという農地ばかりである。

 日本の食糧自給の問題点の第一は、明白に農業人口の老齢化と減少にある。何故農業者人口が減少するかと言えば、1,若者が肉体労働を嫌うという傾向がある。2,農業で生計を立てることは、農業後継者であっても困難になっている。3,農業分野が大規模企業の新規参入が困難な理由がいくつもである事。

 国が食糧自給率を上げることに本気であれば、以上の三つの点を解決することだ。不可能な問題ではない。要するに農業が儲かる物になれば、就農者は増える。看護師さんや介護士さんや保育士さんの不足が問題になるのは給与が低いからである。

 農業は個人経営が多い。大規模農業法人は規模拡大が可能な地域の農地では広がるが、多くの場所で個人の農家が、老齢化して止めて行くのが現状だ。農業機械や施設や優良農地を所有していても、自分の子供に継がせることは無理だと考える人の方が多い。

 農業は主に自営業であるから、どれほどブラックで働いたところで問題は無い。しかし、現状は労働力不足で海外からの技能研修制度でかろうじて労働力を確保している範囲である。日本人の若者が肉体労働を希望しなくなっていると言うこともある。

 日本の競争主義経済の厳しい中では、まったく儲からないのが農業分野なのだ。特に稲作は厳しい状況にある。稲作に関わる物仕事で利益が出るのは耕地整備ぐらいである。整備された農地の耕作者がいないという、困った農地が沢山ある。会計検査院はそういう所を調査して貰いたい。

 結局日本の食糧自給率が上がらない原因は、農業者が増加しないところにある。日本には職業選択の自由が憲法で保障されている。農業をやりたくない人間に、農業を強制してやらせることは出来ない。北朝鮮では軍隊で食料生産をしているらしいが。日本の自衛隊では出来ない。

 では、農業を儲かるようにすれば良いのだが、政府の主張は国際競争力のある農産物を作れと言うことだ。主食農産物を作るのを止めろと言うことになる。国の安全保障から考えたときの食糧の確保と言うところからみれば、極めて危ない政策に見える。

 日本人は昭和37年度には118kgの米を消費していた。平成30年度には、その半分以下の53.5kgにまで減少している。日本全体の米の需要量は毎年約10万トンずつの減少している。日本人がお米を余り食べなくなっている。私がお米を食べる量は40㎏ぐらいだろう。一ヶ月に3㎏少し。毎日120グラムぐらいの物だ。申し訳ないようだが、それぐらいしか食べない。

 お米を食べなくなっているのでお米が余る。イネ作りを奨励できないのが日本の実情である。お米は年々安くなっている。しかし水田を減らすべきではないと政府も考えている。いざというときにやはりお米を作る態勢だけは維持しなければと考えている。

 そこで飼料米や加工米に補助金を出して、水田の減少を食い止めようとしている。しかし、2011年の農地面積は456万1000ha。この10年間で21万2000ha減少した。減少率は約4.6%となる。田の耕地面積は毎年減少を続け236万6000haとなり前年に比べ1万3000ha(0.5%)減少している。

 背景には続けたくとも続けられない老齢化がある。そして企業的農業の参入は利益が出ないのだから、当然増えない。どう考えてみても、当分の間、産業としての稲作農業には展望がないと言うことになる。それならばどうしたら良いのかである。

 一つには石垣市のようにお米屋さんがイネ作りに参入することを奨励する。需要を把握している例えばパックのお米を販売するようなところが、直接生産を始めることを推奨する。つまり、販売戦略を持たない農協を通しての販売では今後ますます難しいと言うことになる。売れるお米を生産する体制を作る。

 もう一つの方向が、イネ作りに市民参加を促すことだ。今後日本は厳しい経済状況に陥るはずだ。その時に備えて、市民自身が食糧自給を確保する体制を作る。市民の自給農業の形態は専業農家とはまるで違う。市民がイネ作りが出来るような体制を公共が保障する。

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果樹園に防風土手を作る

2022-06-13 03:59:18 | 楽観農園


 のぼたん農園の果樹園にする場所は二反余りかと思う。果樹園を作ろうと思ったのは、やはり石垣島の良さは熱帯果樹が栽培できると言うことだからだ。農園の参加者が食べたいだけ熱帯果樹を食べれるようになれば、楽しいだろうと思ったのだ。

 果樹園で大切な物は水である。そこで一番上に田んぼを作った。田んぼの水が果樹園全体を潤して、よい土壌環境になると考えたからだ。上部の田んぼから、徐々に果樹園全体に水が行く。田んぼの余り水は風呂桶に溜まるようになっている。それで苗などの水遣りをしている。

 斜面である果樹園全体としては、雨が降ったときに一気に水が流れていかないようにしなければ成らない。水がゆっくりと浸透して、いつも果樹園の土壌に湿り気が残っているようにしたいと考えた。もちろん乾いた土の方が好きなものもあるので乾いた部分は作る。そこで全体を四つの土手と谷間で構成した。土手は防風を兼ねた物だ。

 果樹園は下の方にも三枚の田んぼがある。その周囲も果樹を植える予定である。のぼたん農園は名蔵湾に開けた風の強い吹きさらしの場所である。風をどのように防ぐかが課題になる。そばにある果樹園を見ると扇芭蕉やヤラブなどの大木で防風をしている。
 
 しかし、すぐに防風林が大きくなる出来るわけではないので、先ずは他の方法で、防風をしなければならない。それが防風土手とソルゴーの防風緑肥だ。そるごーは太く堅く作れば、防風壁を作れる。枯れてからも防風壁には成る。

 中間に作業道を作った。作業道の南に当たる下側には扇芭蕉を62本壁になるように植えた。すこしづつ大きくは成っているのだが、防風効果が出るには後2,3年はかかりそうだ。その道を挟んで反対側には島バナナを30本植えた。ほとんどが活着して成長を始めている。



 その他の40本ほどの果樹苗をシャンティー農園から購入した。その穂から15本ど購入した。現在養成中である。来年の2月頃大苗にしてから植える予定である。それまでの間に果樹園の暴風対策をするつもりだ。果樹園予定地に1.5mほどの土手を4本作った。長さは70mある。この土手で風を防ぐ予定である。

 土手の高い部分にはソルゴーをまく。防風土手の上でさらに高く伸びたソルゴーで防風をするつもりだ。合せて、たんぼの畦にもソルゴーをまくつもりだ。田んぼは現在向日葵で防風をしているが、向日葵もそろそろ終わりである。向日葵の後ソルゴーで防風をする。

 「ソルガムスダックス」カネコ種苗のタネである。二キロ購入した。2mに成るとある。上手くすれば、三メートルはある防風壁が出来上がることになる。谷底から見れば、かなり高い物になるだろう。7月初めには播種したい。枯れてもそのままにして、冬の西風が防げればと考えている。



 これが上の田んぼから流れ出ている水を溜めるバスタブである。上手く機能している。ここから下に植えた、扇芭蕉に水遣りをした。このすぐ脇に大豆畑を今度作る。予定だ。果樹苗を植えるのは来年の2月頃なので、それまで作れる物があればやってみたい。一番上の土手の下ではまず大豆を作りたい。その他やれる作物があれば、何が向いているのか試しに作ってみたい。カボチャなら出来るかも知れない。

 土手の下には水が溜まるはずなので、水が上手く流れるようなゆるい傾斜を考えたい。土手の側面も次第に草が生えてくれば強くなるはずだ。石垣の土はただ盛り上げただけでも乾けば堅くなり、しっかりした土手になると考えている。

果樹の邪魔にならないものであれば、何でも作れるのではないかと思う。果樹は5mおきに1本植えたとしても、50本は植えられる。果樹の苗が大きくなるまでの間は苗の間に色々の物が出来るはずだ。試しにサトウキビなども植えたらどうだろうか。裸地にしておくこと土壌を悪くする原因なのだから、何か作物を作りながら、果樹を大きくして行きたいと思う。

 防風の役目を終えた枯れたソルゴーなどは果樹の敷き藁にしたいと考えている。2月に苗を植えた際にそのまわりをソルゴーの敷き藁を使えば良い。ソルゴーが終われば、又向日葵の種を蒔けば良いかもしれない。ソルゴーは種取りもしてみたいと考えている。

 今回大きな4本の土手を作ってみて分かったことは、この半年間でも随分土壌が柔らかくなってきたと言うことだ。畑の各所に縦穴を掘ってあった。これで果樹園のコチコチになっていた土壌が、水を含んでかなり柔らかな物に変わってきた。

 果樹園予定地には沢山の縦穴を掘り、その周囲には向日葵の種を蒔いてあった。向日葵は今花が終わるところなので、すべて土手を作りながら土壌に混ぜた。土壌も以前よりは大分腐植が増えたのではないかと思う。少なくとも土が良くなる方向は見えてきた。

 果樹園には樹木チップも大量に積んであるので、果樹苗を植えたならばその周辺にはチップを充分にまくつもりだ。草押さえにも成るし、土壌の湿度を保つことにも成る。土壌が良くなれば、果樹も元気に育つはずだ。

 先ずは土壌に腐植物を増やして行く。緑肥も良いだろうが、落ち葉を積んできて田んぼに入れたい。石垣は雨は多い。雨を上手く土壌に浸透させれば、微生物が増加して良い土に変わるはずだ。溜め池上部も将来は畑にするつもりだが、現在は穴を掘って、樹木チップを入れてある。溜め池の湧き水はすこしづつ増加してくれないかと思っている。

 土壌をよくするためには時間が必要である。あと4年半で完成するように、来年2月には果樹園が始められるように進めたい。おおよその形が出来れば、あとは根気よく、自給農業を続けることだ。農業を続けることで、土壌が良いク成り、自然と防風林が作られる。

 そんな進め方にして行きたいと考えている。先ずは良い方向付けである。防風土手はたぶん他には例のないおかしなやり方である。失敗の可能性も無いとは言えない。すこしづつ調整しながら、良い果樹園にしたいものだ。ここの果樹園の果実を味わえるまで元気で頑張りたい物だ。
 

 
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第112回 水彩画 日曜展示

2022-06-12 07:40:36 | 水彩画
第112回 水彩画 日曜展示
写真が撮れないで、掲載が遅れた。サイズは中判全紙








763「ひまわり」
2022.6






764「代掻き始まる。」
2022.6







765「南アルプス」
2022.6






766「石垣の海」
2022.6







767「桂林・7星岩」
2022.6






768「林の中の町」
2022.6







769「岬の眺め」
2022.6


 今回は雨続きで写真が撮れないで、日曜の朝明るくなってから撮影が出来た。
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良い田んぼの土壌とは

2022-06-11 03:47:46 | 楽観農園
 6番田んぼは砂が多い。

 昨日はひこばえ農法を行うことで、田んぼの土壌をよくすることを考えた。引き続き田んぼ土壌について考えてみる。イネ作りという主食作物の優れているところは、4000年の永続性にある。同じ場所で継続して耕作できる農業は他にはない。

 同じ場所で、持ち込まず、持ち出さず、4000年の間同じ田んぼの土を使い続けて、主食の生産を継続できる。これがイネ作りの優れたところである。近代農業では農薬や化学肥料を使うようになって、収奪的なプランテーション農業が経済的な優位性を持って、世界の農耕地を疲弊させてきた。様々な文明がその結果滅びた。

 農薬や化学肥料を投入し続けない限り、農地の土壌条件が維持されない。そうした収奪的農業と、国際競争をして勝てないなら、日本の永続性のあるイネ作りも止めた方がましだというのが、政府をはじめ多くの日本人が考えるようになってしまった。愚かすぎる。

 世界の食糧事情は悪化を始めている。今も貧しい国は飢餓状態で、子供達が栄養失調で死んでゆく。世界の人口増加はまだまだ続きそうだから、食糧危機はさらに広がり、日本にも迫ってきていると考えなければならない。

 経営的にイネ作りが不可能なのであれば、自給的に田んぼを作らなければならない。大きな農業は経営で不可能になるとしても、産業としての経済のサイクルから外れた自給農業であれば、違う合理性で維持が可能だ。スポーツジムに行くつもりで、デズニーランドに行くつもりで、イネ作りを行えば良いのだ。

 自給農業はできるだけ化石燃料を使わない方が良い。手作業で完結していた方が、永続性がある。伝統農業はそういう物であった。何も持ち込まない方が良い。農地が生み出す生産力で、お米を頂く。耕作をすることでより豊かな土壌が生まれる農法を行う必要がある。

 良い田んぼの土壌を作り出す農法でなければ永続性が無い。田んぼの土壌と言っても、一様な物ではない。特に田んぼでなかった場所を田んぼにして、田んぼの土壌に変えて行く為には、土壌を粘土化すると言うことがあるはずだ。

 粘土土壌は微生物が作り出す土壌だ。微生物が増えて、田んぼの土壌の中で生活をする。微生物が土壌を粘土化して行く。トロトロ層を生み出すことになる。田んぼ土壌にするための農法があるはずである。その知恵のが東洋4000年の永続農法の中にあるはずである。

 35年前に山北町の山の上で始めて田んぼを作った。この時は土の上部を60センチほどの厚さで覆っていた、富士山の火山礫をまず取り除いた。その下にあった関東ローム層、いわゆる赤土の山土で田んぼを作った。赤土は短期間に良い田んぼ土壌になっていった。

 この関東ローム層では小田原でも畑から田んぼにする作業を何度か行った。とても田んぼにしやすい土であった。水持ちが良く肥料を充分に抱えてくれる土であった。新しく耕作する土壌であるにもかかわらず、1年目から田んぼとして十分の耕作が可能だった。石が全くない土壌なので、田んぼを作ること自体も苦労が少なかった。

 1年目は田んぼ自体がゆるめになる傾向があったが、2年目以降は普通にトラックターが入ることも可能な堅さになった。もちろん手作業だけなので、トラックターなど使わなかったが。田んぼ向きの粘土土壌と言うことではないただの赤土が、1年目から充分に田んぼは可能と言うことが分かった。

 石垣島の土壌はかなり複雑な印象がある。土壌の中に瓦礫質の部分や粘土層などがある。石もかなり多めである。一番の特徴は水持ちが良すぎるほどで、畦塗りなどしないでも水はそれほど漏れることがない。縦浸透がない土壌と言うことが特徴だろう。

 この土壌でイネがどの程度出来るのかは心配であったが、まったく問題は無かった。むしろミネラル分が豊富で、イネが堅く育つ印象がある。倒伏しにくい土壌と言えるかもしれない。まだ半年の耕作で十分には分かっていないのだが、田んぼ土壌に育て甲斐のある土壌だと思われる。

 湧いてきている水も量は少ないのだが、田んぼにとって良い水である事は分かった。良い水が良い土壌を育てる。通年二反の田んぼを維持することが出来る事は分かった。砂分の多い5,6,8,9,10番の田んぼの土壌が良くなれば、水管理ももう少し楽になるはずだ。

 どこの土壌も腐植がないという印象である。腐植が少ないと言うことは微生物も多くならないと言うことになる。そもそも牧場だった山の斜面を削って、石を取り除きながら、田んぼを作ったのもので、耕作された歴史がない部分が多い。粘土層が出てくるのだが、それは田んぼで作られた粘土層ではなく、本来の地層に存在している粘土層ではないかと思われる。岩石の間から出てくる。

 この細かな土が、田んぼにしたときにかき回され、沈殿をして、田んぼの縦浸透を止めている。田んぼには中央山側は深く削ったため、瓦礫質の部分があり、そこは耕土が浅くしか存在しない。他よりも生育がかなり劣る。両側の低かった部分の盛り土して深くなった部分のイネはとても良く出来ている。

 耕耘さえ出来るのであれば、できるだけ深く耕した方が良い土壌に思われる。深く耕して出てきた石をどれだけ取り出せるかという辺りも課題になる。2期作が終わる12月に、田んぼ中央部山側をできるだけ深く土壌を耕す必要がある。

 通年通水の田んぼでは、腐植質を増やすためには水生植物を増やすことが必要である。アカウククサが増やすことが先ずは目標である。案外に増えないというのが、今のところの印象である。糸条の藻類が一番増える。これは8番田んぼでも発生している。

 アカウキクサは増え始めれば一気に増えるのだろうが、まだその条件が整っていないという印象である。糸状の藻の上にアカウキクサは乗っかっている印象である。浮遊物に乗るようにしてアカウキクサは生活域を広げている。この状態を継続する必要がある。

 土壌を乾かさないことだろう。湛水状態を継続して、様子を観察して行く。2番溜め池、7番田んぼにも少しアカウキクサがある。今後増えるのか消えるのかを見ておくこと。アカウクサが増える条件を見付けなければならない。

 一方アオウキクサは8番田んぼまでどこの田んぼにも自然に発生している。ミズオオバコは1番田んぼには広がった。これがイネにどういう影響が起こるのかも気になるところだ。本来は水田雑草だったミズオオバコだが、今のところではイネの邪魔まではしないように見える。

 一番溜め池にはミズオオバコがほぼ全面を覆い始めている。出来れば2,3,4番溜め池にもミズオオバコが広がることを期待している。溜め池にミズオオバコが広がれば、田んぼ全体に腐植が増えるかも知れない。田んぼ土壌が時間経過で良くなるのかどうか。観察を継続して行く。

 
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