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シャンプーも石けんも使わない。

2021-06-18 04:01:16 | 暮らし
 


 石垣島では飛行場に入るとき北からと南からの二方向がある。今回は北からの白保と大里の間の採石場付近を飛行機が降下して行った。

 もう何十年も石けんもシャンプーも使わない。そもそも子供の頃から、体を石けんで洗うなどと言うことは母親に使うように言われてた時だけだった。どだい天邪鬼の子供で、言われるとやりたくなくなるのだ。しかも屁理屈ばかり言う子供だから、石けんなど使わない理由をあれこれ考えた。

 最近石けんでウイルスが除去できて、洗えばきれいになるとコロナで盛んに言われるが、それでも石けんで洗うことはし無い。ウイルスが無くなるくらいだから、皮膚の大切な物も失われていると考えている。皮膚には様々なものが体の中から染み出てくる。油のようなものは老廃物と言うことでは無い。皮膚を保護するものだ。その脂を何度でも取り除いていれば、皮膚のバリア能力はなくなるだろう。

 シャンプーなどと言うものは,合成洗剤と言われるようなものと同じだろうと思っている。ママレモンで頭を洗うのはどうかと思うわけだ。シャンプーは何かでよほど頭が汚れたとき以外使ったことがない。だからといって病気になったことは無い。むしろ使わないから免疫力が付いたのではないかと思い込んでいる。

 しかし、この事実はいままで余り書いてこなかった。それは汚らしい人間だと人から思われるだろうと恐れていたからだ。臭い奴だとはさすがに思われたくは無い。世間では石けんを使わない奴など、エンガチョだと思っているに違いない。人からどう思われようが余り気にしない方とは言え、あえて頭をシャンプーで洗わないというようなことは口にしないで来た。

 ではどうしているかである。風呂にはよく入る。石垣島にいるときには朝晩2回は入る。小田原にいるときでも夜には必ず風呂に入る。サウナに行ける頃にはサウナに行くのが,楽しみであった。風呂に入れば半分解決である。

 あとの半分は風呂に入り、お湯で濡らしたタオルで体はゴシゴシこする。頭もお湯でゴシゴシこする。これだけである。何故石けんやシャンプーを使わないのかには理由がある。汚れを落とせば保護膜も落とすと考えているからだ。昔の人は体など滅多に洗わなかったのだ。体を洗うと言うことの方が特別のことだ。

 人間の表面は体の中から染み出てくる油脂分で覆われている。これが体を保護している。この保護膜を洗い落としてしまうなど馬鹿げたことなのだ。そういうことが皮膚の炎症を起しているかもしれない。もったいなくて出来ない。しかし、そのままにして置くわけにも行かない。そこでお湯で流れ落ちるぐらいは落とす。

 今日は随分汗をかいたと思う日には,お湯タオルで何度もゴシゴシやる。別段これで臭くなるわけでも、痒くなるわけでも、薄汚れて見えるわけでも無い。頭が痒くなるとか、脚が痒いとか言うのは石けんやシャンプーで洗いすぎるからだ。まあ、そもそも見た目の清潔感などない方だから、汚く見えるのは地だからこれは仕方がない。

 歯磨きも一緒だ。そもそも歯磨きと虫歯は関係ないという説すらある。しかし歯磨きはしないよりした方が良いが、しかし歯磨き粉は無駄だし、不用だ。どうしても使わ無ければすっきりしないというような、悪い習慣が付いてしまった人は、もう米粒以下の歯磨きをつけてみがけば良い。

 歯ブラシは電動歯ブラシにしている。これで丁寧にみがいている。歯磨き粉などつけなくともすっきりする。何故、世間では石けんやシャンプーや歯磨きを使うようになったかと言えば、テレビの影響である。何の意味のないものを騙して売るのがCMである。

 報道にとってはスポンサーが神様で、視聴者は金の種だから、騙そうが何しようがかまわないと覚悟を決めている。テレビや新聞では間違っても歯磨き粉は無駄とか、シャンプーは頭皮を傷めて、ハゲになるなどと言う情報は流さない。神様の逆鱗に触れるからである。

 しかし、一億総白痴化現象だから、大半の人はシャンプーは髪に良いなどと思い込まされている。自分で考えてみるというようなことが無い。少し頭を使えば、頭が痒いのはシャンプーが皮膚の油脂を取るからだくらい分かりそうなものだ。

 合成洗剤が頭の中まで染み込んでしまい、頭がやられているのかもしれない。手も洗わなければ、だんだん丈夫になる。今啄木のようにじっと手を見たところ、特別に問題など起きていない。71歳の当たり前の状態である。嫌もう少しましかもしれないと思っている。これは60年間石けんを使わないで来た御陰だろう。
 
 皮膚のために何していないかと言えば、ニュートロジーナという塗るものを風呂から出たら月に一回ぐらいはつけるときがある。泥仕事で手がカサカサになったときだ。これは面倒なでついでに髪の毛にも二ヶ月に1回ぐらいはつけることがある。別段意味は無いがついでだからだ。その結果ハゲにはならないし、抜け毛がひどいとか、痒くて仕方がないなどと言うことは全くない。

 ニュートロジーナなを何故使うようになったからと言えば、使って悪くなかったからだ。ノルウェーのバイキングが北極海の吹きさらしの海仕事の荒れた手に使っていたという、効能書きにやられた。多分そうかもしれないが、現代のニュートロジーナにそんなたいそうな成分が入っているとも思えないが、使って悪くないのでこれだけは使う。

 結果については鏡というものを見たこともないのでよく分からない。ただ、手については今確認してみたが、使うようになる前より良いようである。ともかく長年の石けん不使用の効果はある。コロナでも石けんを使わなかった代わりに、家の外では何にも触らなかった。

 触らなければ入れないような所には基本行かなかった。体で押して入るとか、タオルで触れるとかしてきた。知らないところではそれくらい用心した。タッチパネルは本当に困った。もうそう言うところには行かないことにした。石けんを使わないのだから、必要な注意である。アルコールが置いてあれば消毒は仕方がなくした。回りの方の安心感のためである。あれもしたくは無い。

 汚いはきれい。きれいは汚い。・・・マクベスに出てくる言葉らしい。コロナで汚いは汚いになることを恐れている。汚いをただ汚いにしてしまえば失われるものが余りに多い。美とか正しいとか言うものは,対照的なもので一方から見ると失われるものがある。

 汚れているということは実は保護していると言うこともある。ほどほどに汚いくらいが良い。こんな考え方はコロナの時代では危険思想と言うことになる。土壌は植物にとっては母なる大地である。土壌は汚いを含んだ総合であるから豊なのだ。土壌には病原菌が無数に存在する。土壌だから豊なのだ。

 何でも絵に結びつけてしまうが、絵というものは美しいものを美しく描くようなものではない。汚いきれいを越えたものを描いている。きれいにとらわれてしまうと、自然界の総合性が見えてこないと言うことだ。何でも一面的にとらえるのはつまらない。
 
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石垣島で田んぼが見つかりました。

2021-06-17 04:39:35 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」


 5月16日田んぼを貸してくれることが決まりました。2期作目1回だけ貸してくれると言うことです。私たちが探すことで苦労していることを見るに見かねて、貸してくれることになりました。有り難いことです。

 4月18日田んぼの地主さんから、田んぼを貸せないことになったという連絡があった。こういうことは時にあることだ。貸すことに一度しても、家族内や親戚筋から異論などが出ると言うことは珍しくない。田んぼという物はただの農地ではないのだから、仕方のないことである。

 他を借りるために、午後歩き回った。農業委員会にも出かけてみた。田んぼを貸すと言う話が無いわけではないようだ。今度は少し時間をかけて行うことにしたい。石垣の田んぼに関する貸借の感覚がまだつかめていない。確かに耕作放棄地があるが、不在地主であるとか、石垣島特有の事情もあるらしい。

 田んぼの基盤整備がほぼ完ぺきに進んでいる。これは小田原周辺とは大違いである。農業関連の整備費が神奈川県よりもかなり潤沢なのだろう。どこの田んぼも弁を開ければ水が出るという状態である。その分水の費用は反当り1万円ぐらい必要と聞いた。

 ダメになってから、ここはどうかという話もいくつかあったのだが、今は信頼できる方から、次の2期作の間だけは使ったらどうかという話になった。あまりに探してはダメになるので、見るに見かねてともかく2期作の期間作らせてやるという、親切な申し出を頂いた。

 人が32名以上参加したいと言っているのに、やらない訳にもいかないだろうという状況を察してのことである。その後もぽつぽつ申し込みがあるので、ともかく一度顔併せての打ち合わせをして、参加者の最終確認をしなければならない。

 小田原に居て少し歯がゆかったのだが、石垣島の田んぼのことを頭の中で構想した。かなり不確定な予定表であるが、次の田んぼでも使えることでもあるし、新しく田んぼを始める人に、田んぼを始めるのは田んぼ探しでもあると言うことで、参考になると思うので、考えていることを公表して行こうかと思う。

1,6月19日か20日、田んぼ参加者の決定と方針のとりまとめ。
現状では自給には人数が多すぎる。田んぼを広げるか。今回の2期作目は自給までは行かない試行の田んぼとして、有機農業の田んぼ勉強会としたいと思う。

2,お米は反収4俵(石垣島の二期作目の平均的収量)が目標として、1反であれば、240キロ。30人であれば、8キロとなる。二期作目なので、先ずは田んぼの様子を知るための耕作になるのではないか。

3,来年春からの1期作の耕作が本格的な取り組みになると考える。

   毎年かかる消耗品費用として
地代、年15000円2分の1でいいのか。 作業委託した場合、荒起こし・代掻き、稲刈り。4万円。種籾4キロ2000円、米ぬか10袋 3000円、ビールかす2000円?、ガソリン5000円
 75000÷30人=2500円・・・勉強会参加費としたらどうだろうか。

 備品費用、購入品は10年で分割して負担予算20万?(笹村立て替え)これは本格的な田んぼを借りて、活動が始まってからのことにする。

田んぼ整備費10万円。田んぼグループとしての 必要な備品・・・コロガシ除草機18500円×二台、鳥追いカイト3600円×二個、ダンポール25本2500円。鳥よけネット50メートル8226円。水牛による耕耘の器具50000円くらいか。ブルーシート1500円×2枚。コンバイン袋50枚10000円。トンボ2台5000円。物置をどうするか、材料費は。土壌調査費2000円?
1年2万円×10年償還と計算する。半期1万円。

 個人の持ち物・・・田んぼ靴あるいは靴下2枚重ね(長靴不可)、作業手袋、帽子、日射病予防、水筒、タオル、長袖服、長ズボン、いずれも汚れても良いもの、マスク、サングラス、日によってはお弁当,お菓子。

現在想定している作業の日程
 最初土曜日を設定しましたが、日曜日で無ければ参加できないという方がおられたので、日曜日に変更しました。

①6月15日石垣に戻る。可能な人がいれば15日から田んぼ準備始める。すでにぼかし肥料を作り始めている。水牛の代掻きの道具と鞍の制作をしている。

②6月20日(日) 9時から 一回目の作業日にする。周辺の整備 草刈り、水の取り入れ口の整備など。苗代を作る。苗代部分の荒起こし。畦作り。1メートル幅。長さ20メートル。シャベル、あるいは鍬など。草刈り機。ある道具を持参で参加して貰う。

③6月27日(日)肥料撒き田んぼ水入れ。苗代畦作り、水を入れて苗床の代掻き。川の水に,ネットに入れた2キロの種籾を漬ける。

④7月4日(日)苗床の種まき。1メートルに100グラム。20メートルで2キロ。蒔いたならば、防鳥ネット張り。ネットとダンポール

⑤7月25日(日)田植え予定。23日(金)に苗取りと田んぼ代掻き。24日田んぼ線引き。水牛を使うので、やってみないと分からない部分がある。苗の生長によっては8月1日に成る可能性もある。鷹の凧を飛ばす。

⑥8月1日(日)からコロガシ。8センチ以上の深水管理。
⑦草取りコロガシを継続する。
⑧9月5日種まき9週目の生育診断。
⑨9月12日前後補肥の予定。

田んぼ参加者の皆さんへ
 改めて干川さんが新しい田んぼを見つけてくれました。場所はシーラ原の条件の良い田んぼです。今回、半期だけ特別な好意でお貸し下さいました。

田んぼ勉強会の参加者の条件
 今回は自給の田んぼとはしません。1反5畝に30人を超えた人数では自給には成りません。又半期だけと言うこともあるので、田んぼ勉強会とします。参加者は出欠表を付けて貰います。それによって出来たお米は配分をします。

1,真剣に田んぼに取り組むことが参加条件です。出来る出来ないではありません。農家の方の真剣な生産の場である田んぼです。農家の方に認めてもらえるような本気の気持ちのある方のみで行います。子供の参加もかまいませんが、親が自分が本気で働く姿を子供に見て貰うということです。子供に体験させたいので、自分は見ているという人は参加をお断りします。

2,作業予定日は土曜日を基本としますが、天候によっては日曜日に移動を行います。土日、無理な方も平日参加出来きるように、平日の作業日も設けます。また、天候と作業内容によっては,とつぜんやらざるえない場合も出てきます。

3,笹村は石垣にいるときには毎日必ず田んぼに行きます。勉強をしたい人はその時間に併せて田んぼに来て下さい。参加メンバーには田んぼの様子は随時メールで写真を送ります。

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コロナワクチン2回接種しました。

2021-06-16 04:01:13 | 石垣島


 コロナワクチンの2回目の接種を完了しました。これで一安心です。石垣島は日本で一番コロナ感染者の密度が濃い場所になってしまいました。ワクチンはインターネットで簡単に予約ができました。一回目から三週間後と言うことで、15日が2回目のワクチン注射となりました。

 実は14日が丁度三週間目と言うことで、この日の4時30分は飛行機の中です。それで一回目の接種の時に一日延ばすことをお願いしました。ところがこれが出来ないというので、ちょっと手間取りましたが、翌日保健センターに電話で事情を話し、15日に変えて貰いました。

 石垣島では基本三週間目と決められていると言うことでした。15日の接種でも何故14日に来なかったのかと、もういちどあれこれ確かめておりました。保健センターで変更を認められたと説明しました。名前と生年月日は3回聞かれました。確実性を求めてかなり真剣な対応だなと思いました。

 接種会場はかなり空いていました。待つことも無く、30分ですべてが終わりました。良かったことは接種会場にみるく節が流れていて実に雰囲気が良いのです。このヤエヤマ古典民謡を聴くとのどやかな気分にたちまちになります。先ずはお年寄りの接種ですから、みるく節はとてもいいです。いい唄だけれど誰だろうとおもっているともう注射を打ち終わっていました。

 上手なためか、少しも痛くない筋肉注射です。何千人に連続打ちですから、注射も上手になるでしょう。子供の頃お尻に打たれた筋肉注射を思うと、少しも痛くないのは歳をとって神経が鈍くなった性なのかもしれません。注射針の進化もあるのか、原因は分かりませんが、緊張するような痛みは全くないので、むしろ驚きです。

 気になるのはどうしても、副反応です。ワクチン注射ですから副反応が無いはずはないですが、どの程度かは気になります。1回目はいくらか注射をしたあたりの筋肉痛が一日ありました。2回目を打ってから、12時間経過現在、筋肉痛も無ければ熱も無い。
さらに24時間後になっても全く副反応がありません。36時間経過しても副反応は出ませんでした。この間アルコールは我慢しました。)

 インターネットではワクチン注射で死んだ人が居るというような、不安を煽るような情報を流す人が居ますが、とんでもないことです。滅多に副反応は無いし、死んだ原因がワクチンという噂ぐらいで、怪しい情報を流してはだめだ。ワクチンによる死亡と断定できる事例は一件もない。

 今回のワクチンは過去に無いほど安全なワクチンとみていい。インフルエンザのワクチンも打ったことは無い。効果とリスクを考えると接種するほどのことは無いと考えている。流行した時期にコロナ対策と同じように気をつければ何とかなっている。

 何故インフルエンザワクチンは打たないかと言えば、弱毒株ワクチンは交差免疫が出来にくいうえに、それなりのリスクがあると考えている。インフルエンザはその年その年で流行するウイルスが違います。少しでも違えば、ワクチン効果がほとんど無くなる。ぴったりと流行に適合した年は無いほどだ。

 それくらいならば、ともかくインフルエンザが流行してきたら、気をつけた方がましだ。その結果インフルエンザにかかった経験がない。もちろん発病はしないでも感染経験が無いとは言えない。年齢のこともあるので、新しい形のワクチンが出来たら、考えようかと思う。

 インフルエンザのワクチンは平気で打つ人が多いいのに、コロナワクチンには特別な過敏反応が起きている。何か、世の中の不安を煽ってほくそ笑むような人が居る。ワクチンを人間に打たせているのは宇宙人の陰謀だというような人まで居る世の中だ。

 今回のファイザー製のワクチンは格段に安全性が高いと見ていい。実際に深刻な副反応が起きた人は万百万人に1人と言うくらいです。石垣島の規模ではまず副反応じたいがひとつも無くて普通。沖縄県全体で一人ぐらいでは無いだろうか。

 しかも副反応が出たからと行って、それほどの心配もない。特に年寄に副反応が出た事例がほとんど無い。副反応が心配でワクチン注射をためらう人が居たら、勇気を振り絞って打った方が良いと思う。打たない人の自由というのもあるのだろうが、医療機関の負担や、正常な社会に戻ることを考えるとできる限り打って貰いたいものだ。コロナに感染して、死んでしまう人の確率の方がはるかにはるかに高いのははっきりしている。

 しかも、ワクチンを打てば心が軽くなる。2回目を打ってばもうほとんど感染しないと考えても大丈夫。今までに185万人 のうち24人が2回目の接種後にも感染が確認されている。つまり、過去に無いほど有効性の高いワクチンである。

 人と会うことも出来る。ファミマでコーヒーも買える。まだレストランで食べる気にまではならないが。もちろん副反応と同じで、コロナ感染が無いとまでは言えないが、やはり何十万人に人一人というような低い確率になる。感染した特殊な事例が、報道される。するとそれだけが注目されることになるが、実際は滅多に無いことだ。

 その結果、2回ワクチンを接種した人はかなり安全な人と見なして大丈夫。お年寄りの家族などにも接することが出来るようになる。何事も確立、天が落ちてくることだって無いとは言えないわけだ。滅多に無いことは私には降りかからないと決めている。

 だから宝くじは買わないし、ギャンブルもやらまお。幸運も無い代わりに不運も無いと考えている。当たり前のことしか無い。アレルギー体質で無いと言うこともあり、持病もない、健康には自信がある。それで、ワクチンで副反応など考えられない。

 ファイザー社製のコロナワクチンは全く新しい方式の、副反応の起きにくいワクチンでは無いかと考えている。ウイルスを使わない方式で、これからのワクチンの主流になると言われている方式。

 ハンガリー人の女性の研究者が見つけた方式で、ノーベル賞確実と言われている。この方式は随分前に出来ていたらしいが、その価値がなかなか認められず、学者としては不遇だった。その技術を製薬会社が買い取って作られたワクチン。

 ファイザー社製ワクチンは、遺伝物質のメッセンジャーRNAを使っていて、メッセンジャーRNAワクチン、もしくは頭文字をとって「mRNAワクチン」と呼ばれています。
 新型コロナウイルスが細胞に感染するときの足がかりとなるスパイクたんぱく質を作るための遺伝情報を含む物質、「mRNA」を投与する仕組みです。
 「mRNA」はいわば設計図のようなもので、体内の細胞によってスパイクたんぱく質が作られ、その後、免疫の仕組みが働き、ウイルスを攻撃する抗体を作るよう促します。
 実際のウイルスは使っておらず、ワクチンを接種することで新型コロナウイルスに感染することはありません。ーーーNHKニュース
 
 
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観察力はどうすれば育つか

2021-06-15 04:36:08 | 暮らし


   観察力は目的をもって、対象を見ることで育つのだと思う。田んぼの観察をするとすれば、どんな田んぼにするかという目的がなければ、観察力は育たない。1反十俵を収穫するという目的を持ち、それに向ってイネや田んぼを観察することで、いろいろのことが見えてきた気がする。

 イネ作りをしてきたこと。鶏を子供の頃から飼ってきたこと。そういう観察する目が、絵を描くときの見る目になっているのだと思う。見という意志的なことは、ただ見えると言うこととは違うことだ。普通に暮らしていれば、見という意志的なことと、見えるという受動的なこともそれほどは違わないだろう。

 絵を描くことは見るという事に始まる。見ることに到達する。多くの絵描きが見ることの重要性を主張している。モネの目は凄いとか、野見山暁治は眼の人だという本もある。絵描きにとって良く見ているという事は最高の誉め言葉ではないだろうか。

 見たものの真髄を描くのが絵描きなのだろう。それが常人の及ばぬところまで見ていれば、その絵が感動を呼ぶという事になる。絵を見て初めてそういう事なのかと気づくことがあった。それで絵をすごいものだと思うようになったのだろう。だから、ただ目に映っているものを画面に映しているようなものを絵とは言いたくないのだ。

 何故絵描きが普通の人より良く見る事のできる眼の訓練を出来るかと言えば、見たうえで描くからであろう。ただ見ているのではなく描くために見ているから、ただの見方ではなくなってゆく。描いては消して見えている奥底のことまで考えて、何なのかを確かめるから、見る力が増してゆくのだろう。

 もちろんそれは本当の絵描きの話である。大抵の絵描きは見ていないという事なのだろう。見ていることが伝わることのすごさが強調されるのではないだろうか。私はまだまだ見えかかっているに過ぎない。どうすれば世界の実相が見えるのか、もがき続けている。

 自然観察会という物がある。自然を見て、植物の名前を教えてもらったり、昆虫を見つけて、その生態を学んだりする。しかし、私の場合はおおよそのことはすぐ忘れてしまう。石垣島の自然観察会では大勢の専門家の方が、指導してくれるのでその面白さは別格なのだが、自然観察会で教えてもらう植物の名前はその場を過ぎると残念なことに忘れてしまう。

 つまり、観察する力をつけるためには、生活に必要なことを観察するほかないという事である。自然を観察するという事も極めて重要なことではあるが、植物のわずかな違いを見分ける力は名前を覚えるくらいでは、どうにもならないことである。自分で見分ける力を付けなければならない。

   観察力という言葉を見る力と考えた方が分かりやすいのではないだろうか。観察とは観て察するという事なのだ。見たものの姿から、その姿の意味を考える力という事になる。葉に穴がある。そしてその穴が開いた理由を推察する。

 見ただけではどれほど緻密に見たところで意味は生じない。葉っぱの穴の形がどれほど正確であろうとも、その葉っぱに穴が空いた理由が見えないのならば、観察したことには成らない。ハイパーレアリズム絵画は見ている主体を消してしまうという事で、ただただち密に描くことを強調し、見る人にその写実のち密さだけで、意味を成り立たせているようなものだろう。

 ところが、物がそのようにあるという事の意味は、私はこういうものとして受け止めるという事が、見ることの目的として存在しなければならない。そこが、自然観察と農業の成育観察との違いである。農業の観察は見たことを材料として、ではどうすれば良い収穫になるのかが求められる。

 今現在、イネの葉色が青竹の青よりも2段階薄いという事を見て確認したとする。問題はなぜそうなっているかである。窒素が土壌に足りないのか。有機農業の為に生育に遅れがあるのか。あるいは除草剤の影響がないためなのか。こういうことを考えるためには、沢山の田んぼを十分に見て、その結果様々な対策を打ち、結果を確認する以外に真実の理解には繋がらない。

 こうした推察を重ねて、では穂肥を与えるべきか、土壌に干しを入れるかというこれからの農作業の方針の判断を行う。そして、最終的にはやったことが良かったのか悪かったのかという事になる。結論が収量の多寡によって現れてくる。

 観察が正しかったのかどうかは収穫時に明確になる。この経験を重ねることが、観察する力を身に着ける方法になる。ところが、見る力が身に着かない人はどうしても居る。よく勉強はしていて、知識はある。もちろん名前にも詳しい。所が収量が少ない。収量が少ないという結果は、見えていないと考える他ない。私は1俵多く採れるようになることが、植物の望むものが見えることに繋がると考えてきた。

 収量不足は見る力がないためである。もちろん分かっていながら努力をしない人も多いわけだが。分かっていながら遣らないというようなことでは絵は描けない。分かっているならその場でやってみる。遣ってみたら分かっていなかったと言うことばかりだ。

 見る眼のない人は植物に対する感がない人という事になる。感、あるいは観はどういう訳か、なかなか身に着かないもののようだ。初めからある人にはあるし、無い人がだんだんに身に着いてきたという事は少ない。たぶん生き方から来ている。

 人間観察では線がまっすぐに引ける人か、どうしても曲がってしまう人かである。どうしても曲がる人は定規で線をひく。畑にまっすぐな線をひこうとすると、紐を当てることになる。何の補助なしに真っすぐに線をひける人に成らなければ、農業向きとは言えないと私は思っている。

 自然に対して良い線が引けるというすごさは、今回田んぼを再生してみて分かった。昔の石積みを見つけながら、田んぼを再現していった。昔の田んぼの畦の形は実に美しい。直線は一つも無い。自然の中に人為を落とし込むことが出来ている。

 なぜか良い線が引ける人は、見える人である。そして体が柔らかい人である。身体の柔軟な人はバランスがいい。そして頭も柔らかい。観察力が大抵身に着いている。何故だかわからないが、そういう事を人間観察してきた。だから普通絵を描くときに定規で線を引く人はまず居ない。定規の線はつまらない線だからだ。

 金魚を飼っていたころ、ランチュウまだ小さな子供分別に際して、頭の煙を見ろと言われた。煙がある金魚が頭が大きくなる良いランチュウの可能性が高いというのだ。然しその煙はどうしても見えなかった。名人だけに見える世界が確かにある。その煙を見ることができないような人間にランチュウは残念ながら飼えないという事になる。

 竹の青さを必要なものとして記憶すれば、竹のことを深く観察することが出来るようになる。竹を見ないでも紙の上にその青さを表せるかである。竹の青さをの色を基準にして、イネの青さを比較する稲の生育観察法があるからだ。竹の青さが身に染みていれば、イネの葉色も分かるようになる。そう思って竹の色を見ると、いままでとは竹を見る深さが変わる。

 イネの葉色はいつも注視しなければイネの良い栽培は出来ない。今日の葉色はどうだろうと、そのわずかな日々の色の違いが分かるようになると、かなり観察力が付いたという事になる。今の時期葉色の黄色い田んぼがある。私はこれでは収量は上がらないと見る。しかし、黄色い苗が良いという考えもあるのだ。

 その色の観察の違いが、それぞれの生育判断の重要なポイントになるから、農業は面白いし、真剣に色を観察できることになる。だから、絵を描くときには田んぼをやるように描く。田んぼをやる時には絵を描くようにやる。これはたとえ話ではないのだ。

 見ることがただの見るための見るであっては本当の観察力など育つものではない。

 
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6月の小田原の農作業

2021-06-14 04:22:12 | 身辺雑記

 欠ノ上田んぼの入水池のクワイ。

 5月25日に小田原に来て、14日の今日、石垣に戻る。この3週間余りの農作業をまとめておく。ますます、小田原の農業生活は充実したものになっている。こうやって、農的生活を送れることは人生の幸運である。良い仲間のお陰である。

 意図したことではないがここに至った。皆さんのおかげで本当にありがたいことだ。今年は何と、植え付けもしていない私のジャガイモが育っていた。感謝して掘らしてもらった。玉ねぎ、麦茶、枇杷、キンカンと石垣に送ることができた。ビールの原料の大麦も無事収穫が出来た。

 25日は 小田原に着いてすぐに、あすからの作業のために田んぼを見に行く。一ヵ月前に来た時には水張りまで行った。畔からの水漏れがどうなっているかが気がかりだった。大きくは洩れていなかった。ずいぶん手直ししてあるいはずだ。幾らか田んぼの均平がとれていない。

 26日は 田んぼの均し作業。高いところから低いところでトンボで土を移動した。体力を消耗する作業だった。ほぼ高さは治ったのだが、削った部分の土が耕されていない土になった。今年は仕方がないが、田植えが不耕起田植えになり、苗の安定が悪く、深植が多くなり大変だった。不耕起の栽培実験と思えばいい。

 27日は 苗取り。強い雨が降り続く中、辛い苗取り。しかしこの日頑張らねば間に合わない。苗は4葉期ぐらいが多く、もう一つの出来。播種量が多かったこととぼかし肥料が未熟だったことが原因。来年は明確に1㎡に200グラム以下で播種にする。出来れば100gでも良い。

 28日は 手植えの田植え。C田んぼをサトジマン1本植で田植え。種取り田んぼである。一人で静かに田植えを味わう事が出来た。疲れているようだと言われたが、そういう訳ではなかった。田植えに入り込んでいた。

 できるだけ浅い植え方にした。後で浮くだろうが分けつをとるためには、浅い方がいい。この後風が強くなり余計に浮き苗が出た。今年は3日目の活着になった。白い根が出ている苗が良い。4.5葉期の苗。いつもよりいくらか小さい。

 今年の冬に田んぼに戻した田んぼを5月末に田植えをするという事に感激しながらの田植えだった。やはり削った土は不耕起栽培で指では穴があけにくいほどだった。逆に土を運んだところはゆるゆるで植えにくいぐらいだった。

 29日は 田植え2日目。D田んぼをサトジマン2本植ぐらいで田植え。この日はまごのりさんと2人の老々田植え。この田んぼは均しで削った部分がなく、田植えはし易い。但し異常な強風が続く。田んぼの中で飛ばされそうになりながらの田植え。田植え後枯れた苗も続出。

 30日は 田植え3日目。こちらは初めて栽培するハルミという神奈川県の奨励品種。午前中にB田んぼ。午後、欠ノ上田んぼの人も手伝ってくれて一番広いA田んぼ。久しぶりの人たちと話しながらの楽しい田植え。こんな作業が一番楽しく、有難いことである。順調に田植えが終わる。

 引き続き風が強かった。2日間強い風に吹きまくられ、結局活着迄3日間ほどかかり、植え直しも多かった。今年の柿の下田んぼは狭いし、少人数の田んぼになっているので、何でも徹底して出来る。これはまたこれで充実感がある。

 31日は 捕植とそば殻蒔き。風でやられた場所が多く、かなりの補植になった。捕植が終わってから、そば殻蒔き。今年はそば殻が大量に手に入り、いくらでも播ける。そば殻は悪くない。少量を何度にでも分けて播くのが良い。

 午後は東さんの6条大麦の刈り取り。額田縛りで結わえてイノシシ柵に干す。そのまますぐに耕運。そして水を入れる。あっという間に田んぼに変わる。

 6月1日は 機械小屋下2条大麦の刈り取り。倒れていたために手刈り。但し天気が良かったので、そのまま畑で倒したまま干す。分げつがよく採れているのだが、粒張りが悪い。ビール用になるのか不安になる。北海道の春小麦を使ったことが問題だったと思われる。刈り取りは午前中で終わる。
 
 午後は東さんの田んぼの田植え。紐を使った田植えは久しぶり。やはり時間はかかる。昨日まで麦畑だったことが嘘のように田んぼに苗が植えられた。ここは山田錦でとても苗が良かった。水の冷たい田んぼだから、この後どうなるか少し心配である。

 2日 小さな直播田んぼの苗取り。まず朝から捕植をして、10時半から直播田んぼからの苗取り。午後も苗取りが続いて、終わったのが4時。思いのほか時間がかかった。良い苗である。直播田んぼはハルミで、この苗をAとB田んぼの捕植に使う。苗としては良かったが、筋蒔きの量が少し多く。もっと疎に播くべきだった。ただし、直播田んぼが今のところ一番良いできである。

 その後、大豆の苗の畔への植え付け。1か月前に苗箱に播いた大豆が、大きく育っていた。これをC田んぼの畔に植えた。畔が広いから、充分に植えることができた。これは夏に枝豆に食べたいと思っている。8月21日の誕生日が目標である。ビールが出来ていると最高なのだが。

 3日 機械小屋下の大麦の脱穀。80キロ以上ある。東さんの田んぼから大麦を運んできて、これも一気に終わらせる。これで北海道に送る大麦の準備はできた。良く乾いていたので、楽な脱穀であった。
 
 機械小屋の下の2.5畝ほどの畑は80キロは超えた収穫である。東さんの所は1畝で30キロあった。両者ともよい成績のほうだった。春小麦を冬作ったことは無理があったようだ。

 4日は 一日雨なので、箱根に絵を描きに行く。小田原に来て2回目の雨。豪雨と言えるような雨が降っていたが、車の中から描くので問題はない。久しぶり絵を描いてとても気持ちが良かった。

 5日は 総生寺裏の畑の大麦の刈り取り。ハザガケ。午前中は雨でぬれていたこともあり、少し苦労したが、午後乾いてきてから一気に作業が進んだ。初期何故か畑がおかしくなった。やはり排水不良ではないかと思う。畑にタテ穴を空ける必要がある。

 6日は 午前中溜池の草刈り。10名もの人が参加してくれて、溜池が何とかなりそうな気がしてきた。上の池が水が足りていないので草がすごい。池に降りて一通り草刈りが出来た。カキツバタがさらに広がっている。秋に株分けをしたい。

 午後C田んぼの横コロガシ。1時間半ほどかけて丁寧に行う。その後、玉ねぎの収穫。

 7日は 午前中麦茶づくり。午後C田んぼで縦コロガシ。畔の草刈り。今年は草が全くないので、一回コロガシでいいことにする。大豆の周りの草刈りが難しい。

 8日は 午前中は大豆の播種。大豆を播種してから、麦わらを播く。鳩をごまかすため。ところがこの麦を狙って鳩が来た。午後はタマネギの整理。枇杷とキンカンの収穫。枇杷は石垣に送るため。石垣には玉ねぎ、麦茶、枇杷、キンカンと送る。荷造りがいつも大変。

 9日は 総生寺裏の大麦の脱穀。1時間余りで終了。完全に乾いていて。脱穀がしやすかった。そのまま3人でたて穴掘り。と言っても私はあまりやっていない。4畝の畑に25個の縦穴を掘る。深さ1メートル。

 午後はチップを渡部さんがチップを軽トラ一杯買ってきてくれて、穴に詰める。根守さんが協力してくれる。1時間余りで終了。その後に図栗をして荷物の発送。

 10日は 朝、田んぼの見回りをして、そのまま山梨に向う。

 11日は 山梨から夕方戻る。朝4時から夜明けを描く。

 12日は ジャガイモの収穫。ジャガイモは自分が作ったというよりみんなに作ってもらった。それが大豊作。35キロぐらいあった。そのあと、水路の草刈り。かなり大変と言えばいえる急斜面の草刈りだった。午後荷物を送る。

 13日は 大豆畑の準備。午前中草刈り、肥料蒔き、トラックター耕運。碁円柱で終わる。14名が集まり、一気に作業をした。今年の大豆の畑は3反5畝になるという話だった。午後は田んぼに行ってのんびりする。8日に播いた大豆が芽を出し始めている。鳩が食べようと来ているので、食べられない様に昨日は見張っていた。

 14日に 今朝、田んぼと大豆畑を見納めして石垣島に帰る。今回も農作業の充実した小田原生活であった。農の会の仲間で新しい田んぼも、今年2つ始まった。次8月に来ることを楽しみにして、小田原を離れる。
 
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第60回 水彩画 日曜展示

2021-06-13 04:24:03 | 水彩画
第60回 水彩画 日曜展示




320「甲府の空」
2021.5
ファブリアーノ中判全紙






321「舟原の庭のながめ」
2021.5
ファブリアーノ中判全紙






322「ホテルの庭」
2021.5
ファブリアーノ中判全紙








323「ホテルの庭」
2021.5
ファブリアーノ中判全紙









323「山の夜明け」
2021.5
ファブリアーノ中判全紙








324「志賀高原のホテルの庭」
2021.5
ファブリアーノ中判全紙







325「塩山桃霞」
2021.5
ファブリアーノ中判全紙

 庭を描くことに興味がある。庭という物は作られたものである。それぞれが気に入った風景を作り出したものだ。自然のようではあるが、自然ではない。耕作地の風景と似ているが、またそれとも違う。

 自分の内側と外側の違いのような気がする。庭を眺めている自分というものがいる。庭にはそれを眺める人の気配がある。その眺めている人間を描いているようなものになる。その庭を良しとした感覚を描いていると言える。

 家を描くとすればそれを考えた設計家や大工さんを描くという事になる。あるいは住んでいる人を描くという事になる。そういうものを描きたいと思ったことはないが、庭という自然が支配しながらも、人の手が入ったぐらいのかかわりならば、描いてもいいと思う。それが庭の畑ならば、もっと描きたくなる。人の手の支配がもっと行きわたっているからだろう。

 と言って日本庭園を描きたいと思ったことはない。イングリッシュガーデン風なのも描きたくない。作られ過ぎたフラン風の庭はもっと困る。田舎の家の日本庭園は良く刈りこまれている。たぶん、周りの山の自然の木とはちがうのだということを強調しないではいられないのだろう。

 要するに描きたくなる庭はなかなかないものだ。
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葛飾北斎はイラストレーターである。

2021-06-12 04:28:00 | 水彩画


 葛飾北斎はイラストレーターである。絵師であって画家ではない。私の考えている、芸術としての絵画を描いた人ではない。自己表現としての絵画ではない。一時代前に出現したイラストレーターの元祖なのではないだろうか。この絵はアイデアで出来ている絵だ。

 北斎のことを考えると、反証として絵画という物が何かが分かってくる。イラスト的という言葉は絵の批評としては悪い意味で使われるのだが、イラストレイター北斎の意味はすこしも悪い意味ではない。北斎の絵は私絵画的な要素はないという意味である。

 北斎の絵は大量印刷される版画である。かけ蕎麦一杯程度の価格で売られていたという。500円ぐらいのものだろう。彫る版木の数を減らし、刷りの版数を減らす。傑作「凱風快晴」は4枚の版木で7回刷りで完成させている。この絵はこれが最善で十二分である。

 版元がそれで利益が出るという条件の元、制作を絵師に依頼する。絵師は様々な下絵を制作して、版元が行けると思えば、版画にする事になる。売れれば何枚でも印刷した。大ヒットすれば版木がすり減る。版木を新たに彫り直し何枚でもする。

 現代の版画に印刷枚数を入れて、希少価値を煽り価格を吊り上げるようなみみっちいものではない。2000枚以上刷られれば大当たり。1万枚越えもある。江戸時代の庶民文化である。版元、絵師、彫師、摺師の流れ作業で作られて、絵師は淡彩の素描のみ描くことが普通であった。

 赤富士は評判がよく2万枚刷られたと言われている。摺師の1日で刷る数が200枚。これを1杯と呼ぶ。10杯行けば大当たり。100杯行ったのだからすごい。初版は絵師の指示どおりに刷られるが、後は摺師に任されるから、ぼかしを減らすなど手抜きになることもままある。刷られた日によって版の色を変えてゆくことも普通にある。

 シリーズ物が多いのも、富嶽三十六景というように、次々と買ってもらうためのアイデアである。もちろん売れなければ中途打ち切り。そもそも素描であった原画は残っていることはまずない。この時代の人は素描は筆と炭で描く。文字も筆で描いていた時代だから、そもそも筆になれている。



 よほど筆に慣れていなければ、北斎漫画のような自由自在な線が引けるものではない。総図数は約3900 あり、絵を描くときの手本として作られたものだ。北斎が達者であった証拠であろう。これも残念ながら原画はなく、本として残されているだけだ。

 ダビンチも素描が良いと思うが、北斎にはかなわないだろう。版画の元絵が残っていればと思うのが、残念なことだ。

 こうした前提で描いていた絵師北斎は浮世絵として500円でじゃんじゃん売れる絵を描くという事を狙って長年描いたのだろう。45歳くらいから肉筆画を描き出す。そして下の絵が最晩年の88歳の時の双竜の富士。竜が松になっている。



 北斎の肉質画はそれほど面白くないと思う。絵画を描こうといしているのだが、イラストレーターの資質がでてしまう。世界観が絵画として表現されてはいない。それが画格を下げている。色が良くない。色で描いていない。その結果表現する目的が明確なものではなくなっている。



 この「富士越龍図」が絶筆ではないかと言われている。90歳の死ぬ3か月前の作品である。龍に見立てられた立ち上る黒雲の中にさらに小さな竜がいる。これが北斎自身を描いたと言われている。こんなことをするのが北斎である。

 この絶筆の絵こそイラストレーター北斎の真骨頂であろう。筋書きがある。アニメーションの原画のように見える。日本最初の長編アニメーション白蛇伝はこの絵の影響を感じる。富士山の山肌の垂らし込みは凄いと思う。

 死という現象をイラストで挑んでいるような絵だ。自分の死を物語にしている。絵に意味を持たせている。自分の死を絵で説明しようとしている。イラストレーション化しようとしている。絵画とは向かうところが違う。

 3作の富士は絵柄としての富士である。版画の富士は色によって助けられて傑作になった。名前もわからない摺師の力であろう。肉質画では色彩がない。素描を中心に制作していたために、色への反応が弱かったのかもしれない。肉質画を見るとそう感じざる得ない。江戸時代の日本人の共同することで力が出る姿。

 自然は色彩にあふれている。光である。色彩の持つ豊かな自然観がなかったのかもしれない。意味としての富士という霊峰はあるが、それは龍と少しも変わりがない富士である。絵が向かい合うべき世界観をイラストとして示そうとしている。

 絵は説明ではない。絵は筆触一つでその人の言葉を示さなければならない。だから筆触は誰でも引けるようなものなった方がいいと思っている。誰でもわかる言葉で、たどり着けないような世界を描き示すのが絵画だ。上手すぎると絵空事になってしまう。

 松もいらないし、龍もいらない。余分なものがない版画の赤富士は赤という色によって惹きつけられるわけだ。実はその世界は北斎のものではなかったのだろう。江戸時代の共同制作力。おもんばかる能力の高さ。

 絵師として北斎があと5年描くことが出来たなら、という最後の言葉は絵にたどり着けなかった本音のような気がする。版画家から、肉質画の個人作家になって、失うものが多かったのではないだろうか。もし北斎が色彩家になれていればと思う。北斎がもっと下手になれていればと思う。


 
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絵が見えかかった状態が続いている。

2021-06-11 04:53:01 | 水彩画


 この水面の変化をどこまで見ることが出来るだろうか。19枚ある田んぼはすべて違う様相をしている。この違いの意味が分からないまま田んぼを描くという事には耐えがたいものがある。水面には雲が映る。森が映る。そして田面が透けて見える。この田んぼの世界をどのように描けるか。

 今は1カ月ぶりに、甲府盆地に来ている。故郷の景色を確認しに来ている。この景色は祖母と母の風景である。何故そう感じるのかはわからないが、祖母が私を負ぶって梅の木の下で、甲府盆地を眺めていた。あそこの笛吹川の向こうのあたりが生まれた油川だと良く話してくれた。

 母が生まれた寺尾の景色を何度も何度も話してくれた。よほど藤垈より寺尾が好きだったようだ。それが何故だったのだろう。藤垈の空は3角形だとよく言っていた。寺尾の甲府盆地に突き出た地形からの、明るい南アルプスの眺めが好きだったと良く話した。



 私の生まれた場所は藤垈である。甲府盆地を湖のように眺めて、奥秩父の連山を対岸として眺めていた。湖の底は季節で変化した。田んぼに水が入ると光り輝き始めた。夜は甲府の街が夜空の天の川を写したように、横たわっていた。

 絵を描いていて、いつも違う描き方になる。何故だろうと考えてみると、どうも絵が見えかかった宙ぶらりんな状態が、続いているような気がし始めた。完全に見えているなら、明確に見えているものを描くのだから、描き方が変わるはずがない。

 全く見えていないにも関わず描いているとすれば、何かの絵の見本で描いているのだろう。この場合も絵は見本と同じ描き方になるだろう。見本は自分の過去の絵かもしれない。あるいは好きな絵描きの描いた絵かもしれない。それになぞらえて描くなら、絵の描き方は変わることがない。



 ところが、何か見えそうな感じがあるのでそれに従おうとしている。ところが完全に見えているわけではないから、見えているように感じるものをその場その場で、変化しながら追いかけてる。今の眼力でその見えているものに従うという事は絵が変わってゆくという事になるのではないだろうか。

 絵を描くという事は見るための能力を高めるためと考えた方がいい。見て描いて見て、見えていることを確認している。絵を描くときには、画面をどうこう考えるより、今目の前に見えている状態をよくよく見て考えなければだめだ。絵になるものが見えないのであれば、それを見えるように努力する。見えないものを描くことはできない。

 良い絵を見ると私が見えていないものを、見えるようにしてくれている。ゴッホの描きだしている世界観は、ゴッホが見て、明確に画面に映した世界観である。その世界観があまりに真実なので、震えが来るほどのことがある。ゴッホの世界観に共感しているわけではない。世界の実相の真実を明確にしてくれていることのすごさに驚いている。


 
  絵は自分の世界観を明確に感じるという事がなければ始まらない。そこに至る為の努力を、絵画修行と呼んでいることになる。こうして20日余りの農作業をさせてもらうことが、絵を描くことの基になる。これがなければ今の状態では絵が嘘のままになる。見えていないことを描いていることになる。

 農作業は本当も嘘もない。正しいか、間違っているかである。この自然界の成り立ちを、身体で感じて理解したいから農作業をしているともいえる。毎朝田んぼに行って、3人で観察をした。知っていることや、田んぼの見方をすべて伝えたいと考えた。

 それは指導するとか、教えるというようなことではなかった。私自身が田んぼをよく見ることであった。新しい発見が沢山あった。田んぼをよく見ることは農作業ではあるが、絵を描くことでもある。田んぼが見えかかっているように、絵も見えかかっている。

 欠ノ上田んぼから柿の下田んぼまで19枚の田んぼはそれぞれの変化をしている。この変化の結果には、必ず原因がある。1週間で草の生える田んぼもあれば、少しも草の生えない田んぼもある。何故だろう。必ずこの背景にある原因を考えてみることが、とても大切である。

 先日、その19枚目の田んぼだけが濁っている。その原因は何だろうという事になった。すると富田さんがそれは19枚目の田んぼは流れ出ることがないから、上にある18枚の田んぼで生成されたものが流れ着いているのだろうというは推察をされた。

 上にある5反分の田んぼで生成された、たぶん微生物とその生産物が次々と下ってきて、貯まってゆくのかもしれない。もしそうであれば、19枚目の田んぼは素晴らしい田んぼになってゆくことだろう。実際に一番出来が良い。

 しかし、それだけだろうか。きっとまだまだ自然の綜合性は完全に把握できたわけではない。新しく田んぼにした土壌の何かが作用している可能性もある。いつもと違う微生物の発生もあるのかもしれない。単純に淀んだ水は濁るものと言う側面もあり得る。

 濁りという違いに気づきその原因を推察する。これは絵を描くことと少しも違わない。田んぼの耕作をして、田んぼの絵を描いてきて、見えるという意味が少しわかってきたと思う。この少しが完全にと変わることはないのかもしれない。それでもここが自分のものにならなければ、絵を描くことなど出来ない。

 こんな具合に考えて、絵を描こうとしている。描く度に絵が変わってゆくことになっている気がする。今は変わってしまう眼に従うほかない。絵らしいものを描こうというようなあさましい気持ちだけは捨てなければならない。

 自分の目が今見ているものに従う。ここに徹底してみる。それがいつまでも揺らいでいるとしても、その揺らぎに従うほか今はないと思う。最近、山梨に描きに来たくなるのは、自分の見てきた原点に立ち返りたいからなのだろう。

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政府の尾身会長への失礼すぎる言動

2021-06-10 04:01:24 | Peace Cafe

  野良猫

 尾身会長はオリンピックは止めるべきだ。こんな状況で開催するのはまともじゃないと国会で発言した。私にはそう聞こえた。そのように解釈すべき発言だと思う。それに対して無視すると厚労大臣が述べている。個人的な研究の発表だと、まるで馬鹿にしたような言い草である。

 今までの尾身会長が検討委員会の発言を一人でゆがめてまとめていたものが、ついに限界にきて本音で語ったのだろう。学者としての良心がついに現れたと見るべきだ。オリンピックで何かあった時の予防線という意見もあるが、そんなことではないと思う。

 政府の言いなりだったときには、政府の発言を代弁させておきながら、政府の態度は何という手のひらの返し方か。この尾身会長の意見をおかしいと考えるのは構わない。きちっとした政府の考えを示せばいいのだ。そこから議論が始まり、国民の理解が深まるのではないのだろうか。国会は討議をする場である。大いに語り合うべきだ。政府が何故オリンピックが開催可能と考えるのかを語ってもらいたい。

 党首討論を聞いたが、オリンピック開催に関する安心安全は少しも明確にならなかった。オリンピックを開催の際にどうやって人の動きを抑えるかがわからない。政府が充分な対策をしているとは全く思えない。記者などの行動をGPSで把握するとしているが、それが出来るなら、具体的に方法を示してほしい。

 尾身会長はしかるべき形で検討委員会の考えを示すと言われていた。是非とも実行してもらいたい。それを議論の出発点にしなければ、政府は今の不十分な対策もないままにオリンピックに突入することだろう。運が良ければ何もないかもしれないが、たぶん100名位の死者は増加すると考えて置くのが普通である。

 100名位なら経済的損出はいくらだから、オリンピック開催の方が儲かるというのか、IOCから違約金が請求されないで済むというのが、菅政権の本音と思える。頭が金銭ウイルスでおかしくなっているとしか思えない。

 このままコロナウイルスの感染連鎖が続けば、さらに強毒に変貌する可能性がある。菅氏も同じことを言っていたがワクチン接種を急ぐことしかない。自衛隊の14日からの東京の大規模接種会場は予約が1割しかないという。一体どうなっているのだろう。

  菅総理大臣の国会での答弁では「私自身は主催者ではない。東京都や組織委員会などが最終決定する」総理大臣として無責任極まりない発言だ。五輪を開催できるか否かの具体的な判断基準は示さずじまい。国民の安心安全に全く無責任な総理大臣はあるだろうか。

 政府は科学者に対して誠に失礼なことを言っている。幾ら自分に不都合な発言だからと言って、自分がお願いした検討委員会の会長に対して失礼すぎるだろう。意見は進言として受け止めるが、最終判断は政府が行うというのが、ごく当たり前の政治の在り方であろう。こうして政府が科学性を放棄するのは政府の劣化そのものである。政府がぐずぐずにだめになっている。

 もうそこまでに迫っているオリンピックが観客はどうするのかすら、決まっていない。何という無能なことか。選手のワクチンはどうするのだろう。選手をサポートする人間はどのくらいの制限をするのか。開催する以上不安な国民に対して説明が必要だ。

 経済の為にはオリンピックを強行する。これも一つの選択肢であるのだろうが、感染症の専門家の意見は無視してはならない。意見を受け止めて、自分の考えを主張すればいいのだ。はっきりとコロナ感染拡大の恐れが50%ぐらいはあってもオリンピックは開催すると主張すべきだ。

 そう考えれば、オリンピックを強行するとしても様々な方策が出てくる。オリンピック開催も一つの選択肢である。それを前提とする政府が今一番はっきりとさせなければならないのは、明確な感染防止策である。ひつこく書いているが、やるべきことをやらないことは政府の罪である。

 オリンピックに参加する選手と関係者にはワクチンを出来る限り接種したうえで、来日してください。と言えないものなのだろうか。もうワクチン接種の期限は来てしまう。こんな間際になっても行きどころのわからないオリンピックがあるだろうか。選手の気持ちを思えば、ひどすぎる。

 この状況ではすでに平和の祭典とは言い難いものになっている。オリンピック3か月延期が一番現実的だ。丸川氏はなんと延期は宿泊施設などの都合で無理と主張した。宿泊施設というのはお金のことだろう。人の命をおろそかにしていいのだろうか。いま緊急事態であることを理解できていない。

 まして、自ら無理とオリンピック大臣が発言してしまえば、IOCとの賠償金交渉が成り立たない。それを読むのが政治家だろう。この人は政治家向きではない。芸人的資質はあるからお笑いタレントが良いだろう。

 ワクチン接種が進んでいる。11月ごろまでならば、70%セントくらいの人がワクチンを打ち終わっているだろう。ある程度安心な気持ちでオリンピックを迎えることが出来るようになる。これ以上のストレスが加われば、日本人の精神が破たんを始める。

 イスラエルでは60%の国民がワクチン接種を終えた。一気にコロナ患者が減少した。20%くらいから効果が出始めるらしい。何が何でもワクチンを早く打つことだ。医療関係者が総動員でワクチン注射打っているところに、オリンピックで医療関係者が必要になることは許されないだろう。

 オリンピックをこのまま強行すれば、選手に対しても温かい気持ちで見れなくなる。安心安全なオリンピックだとわかるような説明を是非ともしてほしい。そしてIOCに、3ヵ月の延期を打診してもらいたい。唯一の残された選択肢ではないだろうか。

 確かにそうなると衆議院選挙前にオリンピック開催は無くなる。そんなことは今どうでもいいことだろう。オリンピック開催を強行し、無事に終わることに賭けている。それ以外では菅政権もつぶれるだろう。そんなことは国民の安心安全とは関係がない。選挙ありきの政治の行き詰まりである。

 野党だって同じだろうという意見もある。もっとだめだろうという意見もある。その通りだとおもう。日本の政治が劣化していると思う。残念なことだが、その原因は結局のところ国民の劣化である。国民の意識が拝金主義的になってしまったのだ。そのようにいつの間にか静かに洗脳されたともいえる。

 政府はまずオリンピックの安心安全の具体策を明確にする。そして、その案を検討委員会に諮問する。これが今やるべきことだ。その結論を待って、政府が判断する。是非ともお願いしたい。菅、橋本、丸川、の3名に日本の安心安全をゆだねるわけにはいかない。

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麦茶の焙煎:淺煎り、中煎り、深煎り、黒煎り

2021-06-09 04:09:44 | 自給


 東さんと麦茶づくりをした。半日で8キロの麦茶を作った。いつもはドラム缶を半分にした釜で、いっぺんに大量に作っていたのだが、今回は昔卵油を作っていた、60㎝の鉄の平鍋で作った。どこかに行ってしまったかと思っていたのだが、機械小屋で見つかった。

 今回は試飲が目的である。どの位の焙煎の具合が自分に合った美味しさなのかを試すためだった。麦茶の焙煎も様々で人それぞれに意見がある。だいぶ繰り返してきたが、深い焙煎が好みである。コーヒーの焙煎で言えばイタリアンローストである。

 コーヒーのイタリアンローストはフレンチローストよりも煎りがさらに深い。脂が浮いてくるくらいまでローストする。今回は浅煎り、中煎り、深煎り、黒煎りと4段階の焙煎を試した。麦茶も、焙煎でコーヒーと同じくらい味が変わってくる。

 と言っても焙煎の途中で取り出しただけだ。最後に黒煎りまで行ったという事になる。以前から私は黒煎りイタリアンローストの麦茶が好みだった。所がみんなで麦茶を作ると中煎りぐらいの状態でもうできたという意見が圧倒してしまって、進められないことが多かった。

 みんなの麦茶だからそれは仕方がない。今回は思う存分焙煎をさせてもらった。私の飲む麦茶を作らせてもらう計画だからだ。もう一つは2条大麦と、6条大麦の味が異なるかである。一般には6条大麦が麦茶用とされて出回っている。しかし、ビール用と言われる2条大麦の麦茶もない訳ではない。

 焙煎は強火のたき火で行った。一度よく燃やして熾火になった状態で焙煎をした。黒煎り迄おおよそ1時間である。以前、ドラム缶ガマの時はもっと時間がかかった。卵油用の鉄の平鍋はなかなか良い調子で焙煎が出来た。

 10分程度で淺煎りを取り出す。20分ぐらいで中煎り、45分ぐらいで深煎り、そして1時間ぐらいかけて、黒煎り取り出した。全体で3回やったのだが、だんだん釜が熱せられたためか、時間は短縮された。量は1回に2キロである。

 3時間ぐらいで6キロの麦茶が出来たことになる。焙煎の間はかき回し続けていた。最後には大きな杓子が黒く焦げた。そしていよいよ、試飲である。試飲は4名で行った。味はそれぞれの好みがあるので意見を聞きたかった。

 麦茶の抽出の仕方は、500ccのみずに20グラムの麦茶を入れた。多く入れた方が美味しい。そのまま火にかけて、沸騰してから5分間沸騰したままにして置く。そして火を止めて、30分置いて置き飲んだ。順次4つを作り、較べながら飲んでみた。

 色は明確に焙煎時間に従って濃くなってゆく。色だけで言えば、黒煎りが一番美しい。コーヒーのような色である。色に関しては、全員が濃いほどおいしそうに見えるという事だったと思う。そして、飲み味に関してはどうだったか。

 これはそれぞれのものだと思うので、何とも言えないが、淺煎りを評価した人は居なかった。一人から、中煎りが麦の味が出ていて、甘さも感じられてよいという意見があった。後の3人は強い焙煎の方が苦みも出てきて、麦茶としては良いのではないか。特に冷たくして飲むとすれば、濃い方がさっぱりするのではないか。という意見があった。

 そして、2条と6条の違いは、2条の方が麦らしい繊細な味がしたようだ。6条の方が麦茶らしい味がすると思えた。これは6条の味に慣れているからかもしれない。意外に2条も悪くないというのが、全員の感想だったかと思う。

 補足で、以前小麦で作った時には麦茶の味とは言えないものだった。たぶん裸麦では麦茶は出来ないという事ではないだろうか。麦のもみ殻の焦げた味が麦茶の香ばしい味を作っている気がした。その為裸麦である小麦では麦茶は出来ない。

 本来、2条大麦の方が6条大麦よりも粒が大きい。今回北海道の2条大麦は春蒔き小麦である。小田原の冬に蒔く栽培では十分なものは出来なかった。この2条大麦は北海道の地ビール会社から種籾を頂いたものだ。次回は冬小麦の2条大麦を栽培してみたい。

 暖地向きの2条大麦を作れば、粒の大きい実が収穫できて麦茶の味も変わるのではないだろうか。6条大麦に関しては東さんの大麦で、田んぼへの転換という事があり、少し成熟が足りなかったという事がある。粒は十分大きく、むしろ2条大麦よりも大きいくらいであった。

 2毛作の課題として麦の成熟にはあと2週間ぐらいの時間が欲しかった。麦の苗作り栽培の考えを取り入れる必要があるのかもしれない。麦茶は夏の飲み物の定番である。一番さっぱりしている。温めた麦茶もいいし、ぬるめのものも良い。

 カフェインが入っているものは午後は飲まないことにしているので、どうしても麦茶が良い。さんぴん茶という物を石垣では飲むが、どうしても子供のころから飲んでいた麦茶の方がいい。麦茶を飲んでいれば脱水症にはならないだろう。

 
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コロナウイルス感染は昔からあった。

2021-06-08 04:19:21 | 暮らし


 草刈りの終わった溜池。今回は過去最高の参加者数で10名もいた。有難いことである。もう一息で何とか継続できるところまで、来たのではないか。あの荒れ果てた舟原溜池が、美しい場所に戻ろうとしている。

 今回のコロナの蔓延でウイルスのことで新しく分かってきたことがいろいろある。実はコロナが過去に流行したことがあったこともわかってきた。中国の奥地では、5年前に健康診断のため住民から採取した200名の血液が保存されていた。

 その血液にコロナ感染の証拠である抗体が6名から見つかったという事が明らかになった。今回の流行の5年以上前に、たぶんもう少し病気としては軽いタイプのコロナが、すでに中国奥地で広まっていたことを意味している。

 そのために、コロナの死者数は一度過去の感染の広がった東アジアでの感染はかなり少ない結果になっているのだろう。ウイルスの考査免疫が出来ていたと考えられる。過去に流行のなかった、他の地域ではすごい数の感染が広がる結果になっている。

 感染の連鎖で起こるウイルスの変異についても、各地で変異株が出現して、新しい感染爆発が起こることもはっきりしてきた。以前から心配されてきた、大規模畜産のウイルス変異の危険がはっきりしてきたと言えるだろう。

 人間の場合何万回の感染の連鎖はなかなか起きにくいが、それでも大都市での感染の連鎖では人間の中で感染を繰り返して変異してゆくことが、世界各地ではっきりとしてきた。

 コロナウイルスは動物も感染することが分かっている。一番心配なのはミンク養殖である。デンマークではすべてのミンクを淘汰した。私の想像では中国でミンクが過去に感染したのではないかと思う。そして感染の連鎖が起きて、人間に強毒化のウイルスが出現したのではないかと考えている。

 これは全くどこでも言われていな説なので、たぶん私の考え過ぎなのかもしれないが、大型畜産から、新しい人間に危険なウイルスが登場するだろうという考えは、かなり科学的な証拠が出てきたと言える。

 10年前、鳥インフルエンザの流行のときに、大型畜産は止めなければならないと主張したことは間違えではなかったという事が分かってきた。あの時には私自身の養鶏の経験で、すべては推測であったわけだが、今回のコロナウイルスでウイルス学が一気に進展した。その結果は大型畜産の危険を意味している。

 ところがそのことはあまり主張されていない。経済に結びついているからだ。報道は利害があるために、そう考えても主張できないでいるのではないか。ミンクや豚や鶏が、1万頭が密飼いされている。そこで起こる感染の連鎖は新しいウイルスの出現に繋がることがはっきりしてきたのではないだろうか。

 大規模畜産から起こる可能性のあるウイルス危機が、相変らずあまり発言されていないのはじつに残念である。今回のコロナももともとはミンクの密飼いにあるのではないかと疑っている。ミンクの飼育は相当に劣悪な環境のようだ。

 大規模畜産は禁止されなければならない。これは10年前から主張してきたことだが、いよいよその危険が迫ってきたという事だろう。今回のコロナがエイズやサーズよりも病気としては軽いものだったことは、単なる幸運に過ぎない。

 畜産は小さく分散して行う以外にない。そして自然の中に溶け込んで、自然を乱さない範囲でしか行えないものだ。規模が大きなればなるほど、新しい危険なウイルスを生み出す可能性があるという事だろう。

 今も、人間が自然の奥に入り過ぎたという事が、新しいウイルスの出現だと言われているが、これは間違っている。野生動物と人間は昔から接触してきた。むしろ昔は野生動物の狩りをして生活していた時代もあるのだ。

 コウモリだから食べない、センザンコウだから食べないなどという事はなかった。食べられるあらゆるものを食べていたはずだ。人間は自然と接触しながら、病気になりながら、どこかで折り合いをつけて生き抜いてきた動物である。

 その人間が一番密な動物になった。そしてむしろウイルスを変異させる宿主になっている。大規模畜産を行い、新しい危険なウイルスの登場をさせていると考えるべきだ。今回のコロナでいかに密が危険なものか身に沁みてわかったではないか。動物の密飼いも危険という事を学ばなければならない。

 これからの社会は拡大再生産ではなく、縮小してどこに収束するかを考えなければ人間は生き残ることができない。人口も減少しなければならないだろうし、人の暮らし方も自然の中に織り込まれるようなものにならなければだめなのだろう。

 富裕層の金銭に依存した暮らしよりも、自然の中に溶け込んで自給的に暮らす暮らしの方が、はるかに豊かで実りある人生になるという事を自覚すべきだ。人間はシャベル一本で、100坪の土地があれば自給的な暮らしが可能なのだ。しかも、一日の内2時間を食料生産に充てれば、後は絵を描いていても大丈夫なのだ。

 この暮らしの原点にいつでも戻ることが出来る。私の絵は今だろくでもないものではあるが、何にも媚びてはいない。自分の為だけに描いている。こうしていて平気なのは、自給的生活を体験してきたからだ。精魂込めて作ったお米も、食べてしまえばなくなる。

 自分の人生をかけて描く絵も、重要なことはどこまで描くことにひたすらになれるかだろう。それが自分のひたすらであれば、他所からの評価など大したことではない。実にやりがいが湧いて来るし、未来を思うと明るい希望に満ちてくる。

 今回のコロナはまだ序の口であり、予兆のようなものと考えておかなければならない。愚かな守銭奴たちは、金儲けのために地球を壊し続けることだろう。これはもう人間のどうしようもない愚かさなのだろう。今はもうそういう物を変えることはできないと思うようになった。

 せめて、自分の生き方だけは地球と共存できるものに変える以外にない。一人が変わることから始める。大きな流れは変わらないのかもしれないが、結果はむなしいかもしれないが、そんなことは考えず自分の生き方の方角だけは間違えないでおこうと思う。
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世界は食糧危機が来る

2021-06-07 04:30:11 | Peace Cafe


世界の食料価格が急上昇している。国連が3日発表した5月の食料価格指数は1年前から4割上昇し、2011年9月以来約10年ぶりの高水準となった。中国の旺盛な需要や、天候不順による供給減少が背景にある。企業の値上げもじわりと広がり、景気への影響が懸念される。--日本経済新聞

 世界中でコロナ感染が広がった中、食糧価格が上昇している。一年で40%も上がったというのだから、深刻なことである。こうしたことは今後も繰り返され、最終的には必要な分の輸入が困難な時代が来るとしなければならない。

 中国の食糧輸入の増加と気候の不安定化もあるが、それ以上の理由は世界の人口増加である。地球の人口は私の生まれた1949年が25億人だったものが、2000年には60億人。そして2050年の予測では97億人とされている。一生の間に世界の人口が3倍になる稀有な体験をしたわけだ。

 地球の耕地面積はすでに限界に達している中で、人口は今も刻々驚くほど増えている。このことを深刻に考えなければならない。この話をしたら、30年前も同じことを言う人がいたが、いまだに食糧危機は来ないと言われる人がいた。確かにその通りだが、そのいよいよの時が近づいているとと考えて間違えがない。

 これ以上の環境破壊しての農耕地の造成は出来ないだろう。収奪的農業で農地の永続性が危ぶまれている。気候変動の結果砂漠化する農地も増加している。そこに人口増加が進んでいる。食糧危機は必ず来るが、いつ来るかだけが問題なのだ。

 日本の人口が減少傾向になったのは生物としての危機反応と見た方がいい。先進国の多くが人口減少をしている。世界人口は今の4分の1まで減少しなければ、永続性のある地球は取り戻せないだろう。幸いにも日本人は危機を察して人口減少をしている。

 ところが日本政府は相変らず人口増加を目指している。経済競争の為の間違った政策である。労働人口の減少を企業は競争力の低下と考えているに過ぎない。経済競争に勝つ為だけの人口増加は最終的には地球の崩壊につながる。

 世界全体が平等に食料を分配すれば、今の時点では足りない訳ではない。ところが日本で起きている食料廃棄物の総量は2000万トン。これは途上国の5000万人分の食糧にあたる。無駄に廃棄している国もあれば、飢餓で死んでゆく人子供たちが毎年1000万人近く存在するのが世界である。

 考えるほどに悲しくなる現実がある。日本では主食のお米が余るので、換金作物に変えることが奨励されている。特に国際競争力のある農産物17品目への転換が進められている。そして、そうした政策の結果として、日本の食糧自給率が一向に上がらない状況がある。国が自ら掲げた政策を裏切っている。

 バイオエネルギーを農業で生産したところで、飢餓はさらに増加してゆく。どの国家も国家単位での食糧自給の達成が、基本的な国の基盤として、求められている。日本が経済的に有利だからと言って、主食食料の生産をやめ、輸入に頼ることは国の安全保障上間違った政策である。そんなバカげた先進国は他にはないのだ。そうかもう先進国ではないのか。

 自動車を販売して、食糧を輸入するという事は経済としての合理性は当面はあるだろう。しかし、日本の国土を荒廃させ、日本の文化を変貌させてゆくことになる。日本人という塊が出来上がるためには何千年かのイネとともにある暮らしが大きく影響した。日本人の故郷の映像は、田んぼの赤とんぼである。

 田んぼなどなくなっても、工場で自動車を作っていればいいんだとはいかないのが、その国の文化という物だ。日本人が日本人になった暮らしぶりは、すでに失われつつある。そのことは致し方ない一面もあるのだろうが、日本人の特性を考えるときに、失ってしまうにはあまりに惜しい稲作に基づく文化である。

 日本人は田んぼで生まれたと考えているほどである。民族は主食を作るという事から成立してくると言ってもいい。つい何世代か前まではイネ作りをしている人が日本人の大多数だったのだ。日本人が産業革命を取り入れ、いち早く先進国に追いついた理由の一つには稲作で培われた日本人の観察力が作用している。

 後進国化した日本人が再生してやり直すためには、もう一度主食の生産を考えてみる必要がある。主食を作る文化が日本人の感性の細やかさを作り出した。共同作業とか、思いやりとか、もったいない文化とを生み出してきたのだ。それを失えば日本は再生できないだろう。

 と言っても国全体は資本主義経済の末期状態に巻き込まれ、正しい方角を取り戻すことはできないだろう。だからこそ、一人一人が次の時代を生きるために、自給の為のイネ作りに取り組むべきだと考えている。

 それは大抵の人に可能なものだ。週一回食糧生産に充てれば、食糧の自給は可能である。それは毎日1時間の農作業で食糧自給が出来るという事である。これは私自身が30年の体験をキロした結果出てきた数字である。面積は一人100坪である。

 現在の放棄農地の状態や中山間地の消滅してゆく村落の状況を考えれば、かなりの人が挑戦可能な暮らし方ではないだろうか。残念なことであるが、誰にでもできるとまでは言えない。植物に対する感が働かないと無理である。

 体力はなくてもできる。71歳の私が今でもまだ可能なものだ。今日は田んぼのコロガシをやるつもりだ。一番必要なことは観察力である。植物を見る眼である。植物を感じる力である。的確な植物に対する状況判断が出来れば、イネ作りは可能だ。多くの農業希望者を見てきた結果からすると、2人に一人ぐらいの人が出来る人のようだ。

 もう一つのことだが、この自給の食糧生産は能力主義であってはならない。共存共栄の助け合う農業である。自分さえ良ければ他の人のことは構わないというのでは、田んぼは成り立たないものだ。回りの人に配慮が出来る人に成らなければ、稲作は出来ない。このことも忘れてもらいたくない。


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第59回 水彩画 日曜展示

2021-06-06 05:24:32 | 水彩画
第59回 水彩画 日曜展示





313「庭の畑」
2021.5
ファブリアーノ中判全紙





314「大里の小屋」
2021.5
ファブリアーノ中判全紙







315「ふさきの草地」
2021.5
ファブリアーノ中判全紙







316「伊豆高原」
2021.5
ファブリアーノ中判全紙






217「桃と南アルプス」
2021.5
ファブリアーノ中判全紙






318「信濃川」
2021.5
ファブリアーノ中判全紙






319「信濃川河畔」
2021.5
ファブリアーノ中判全紙


 随分様々な時期に描きだした絵だ。今回は途中でやめていたものを再度描きだしたものが多い。石垣島で描きだした絵は一枚もない。こうしてずいぶん前に止めていた絵が、見ていてその続きを描けるような気がし始める。

 たぶん、描いている画面で見ているものは自分の頭の中にある記憶が大半のようだ。描いているとその場に座り込んで描いていた時のことが、まるで今そこにいるような状態になる。それでも今目の前にあるのは石垣の風景である。

 目の前にある空間がないとどうやって進めて良いかの確認ができない。アトリエで描いても同じようなものなのだが、それがそうでもない。思い出はセピア色とか、黒白写真というような話だが、どうも思い出す世界は空間があいまいなのだ。

 ボアーとあいまいな空間が広がっていて、絵に描いて行ける具体性とは少し違っている。そこでこの曖昧模糊とした、空間を具体的な描けるものにしてゆくために、目の前に空間が必要なようだ。

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大麦からイネへの二毛作

2021-06-05 04:06:22 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」


 今年の小田原の東田んぼでは、イネから麦の2毛作の2巡目に入っている。だんだん良くなっている。その昔私も2毛作を試みたのだが、出来なかった。余りの煩雑さに、頭の整理がつかなかった。イネを重視していたので、ついに麦は止めることになった。

 そこを東さんは見事に乗り切っている。今回、麦から田んぼへに変わる所を一緒にかかわらせてもらったのだが、2日間で麦畑が、田んぼに変わっている。麦刈りを始めたのが、31日の午後である。そのままアラオコシ、畔づくり、水入れと、夕方までには終わらせた。

 水を入れ始めて、翌朝には田んぼの均しを行った。トンボ均しだけで田植えをする予定である。そして、午前中は機械小屋下の大麦の刈り取りを行い、午後2時30分からもう一度トンボ均し、そして3時ごろから田植えを始めた。暗くなる前に田植えは終わった。



 ほかでも田植えをしたり、大麦刈をしたりしながらの、作業だったから、それなりに大変だったはずなのだが、流れるように進んでいった。3人で進めたのだが、3人の息が合っていたという事が、手順よく進んだ原因だろう。

 作業は午後の短時間の2日間である。1畝少しの狭い田んぼであるが、自給農の体験には理想的なものである。東さんは他にも広い田んぼや畑をやっているのだが、ここでは実験的な麦からイネの二毛作を試みている。

 麦は6条大麦で収量は30キロあると思われるので、反収300キロである。これは周辺の農家の収量よりも多収しているという事である。有機農業でやれば、多収できるという一つのモデルになる。今度は田んぼに変わって山田錦を田植えした。さて何キロ採れるだろうか。

 イネは一本うえで30㎝角で植えていったが、最後苗が不足しそうになったので、最後4畝は45cm間隔にした。分げつが変わるものかどうか。たぶん感覚が広ければそれだけ分げつ数で補ってくれると思うがどうだろうか。

 ここで出来る山田錦は将来酒米を作る時の種籾の維持でもある。やはり良くできた株から種籾を残したいものだ。山田錦は多収できるお米である。倒さず畝取りした経験がある。粒張りが良いから、収量も多くなるのだろう。

 自給の為の田んぼであれば、このイネから麦の2毛作が一番だと思う。一番というより当然こうでなければならなかったのだろう。小麦を作り、イネを作り、畔で大豆を作る。これで生活の基本が賄えることになる。これが自給農家の基本ではないだろうか。

 今回苗作りは欠ノ上田んぼの苗床でやらせてもらった。そのことも成功した一つの要因である。別の所で苗作りが心配なく進んでいれば、麦刈りの手順や田んぼの準備が安心して出来る。子供の頃を思い出すと、苗床は庭にあった。水路が庭の中に曲がって入り、洗い場があり、苗床に続いていた。

 庭先で観察をしながら苗は作り、麦が終わるのを待って、一気に田んぼに変えて、田植えをしたのではないだろうか。昔の2毛作の伝統農業はもう消えてしまっている。この形を研究することは大きな意味があると思う。


 田植えの終わった田んぼである。ここは紐を張っての田植えだった。代掻きをしていないうえに、水が引いていないので、線をひくという事が出来ない土の状態であった。小さな1畝ぐらいの田んぼだが、3人で植えて1時間30分ぐらいだったと思う。苗は5葉期半、2分げつという理想的な生育状態である。

 苗床1メートルに山田錦を播いたのだが、100グラム以下の種だったのだろう。最後行って苗が不足したので、45㎝間隔で植えた。植えてしまうともう度も同じに見える。この田んぼは水が相当に冷たい。冷たい水をなんとか回して入れている。

 水を入れる量も極力減らして、水が冷えない様にしている。水は排水口から田植え後しばらくは排水しない。水位を保つだけ入水する。暑くなってから排水するように変える。一昨日迄あの見事に実った6条大麦の畑がもう思い出せないほどである。

 イネは苗床で準備している。同時に麦も苗床で作って移植するという方法がある。これをやれば、栽培期間の調整は付けやすい。何かで読んだのだが、千葉の方で、麦の移植栽培で1トン取りの世界最高記録になる多収した人の話を読んだことがある。

 今回この大麦で麦茶を作らせてもらいたいと思う。麦茶があれば石垣島の暑い夏を気持ちよく過ごせるのではないだろうか。暑いときは農の会の麦茶が一番である。この大麦を分けてもらいたいものだ。
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農作業連続10日でも大丈夫

2021-06-04 04:03:41 | 暮らし

 蕎麦ガラが田植え後の水面に漂う様子。この状態が上手く維持できれば、田んぼの草は発芽できない。風ですぐ流されるので、少しづつしか撒けない。多すぎると苗を押し倒すことにもなる。細やかな調整が必要になる。

 小田原に来て5月26日から農作業を始めた。6月3日の大麦の脱穀まで、連日農作業三昧である。充実した日々を過ごしている。疲れて手が止まると、渡部さんから笹村さんの農作業は修行ではないのですかと、言われてしまった。確かにその通りだが、修行は足りていないようだ。渡部さんは1000日回峰行の行者のように働き続けている。農の会の大阿闍梨と言えるだろう。いくらかでも学びたいものだと頑張っている。

 6月2日の作業で言えば、6時30分に田んぼに行って水回り。少し捕植。土の状態の観察。田植え後日々土が変化している。畑から戻したばかりの土に植えた稲がどういう事になるのかを興味津々で見ている。土を均すためにトンボで土を動かした部分のイネが、一番強風にやられた。田んぼのトロトロ層がイネに重要なことが良く分かる。

 風で葉が白くなり枯れてしまった。2日間強風が吹き続けた結果である。これほどの強風が続いたことは過去に経験がない。枯れた所と、何でもないところがあった。風の通り道のような場所も良くなかったようだ。直播の田んぼのイネは全く影響もない。やはり、植え付け直後は風の影響を受ける。

 土に赤虫が大量発生した。初めての経験である。ミジンコも大発生しているが、これはいつものことで驚かないが、D田んぼでは水が濁るほどの大発生である。イトミミズは居ない。D田んぼは最後の田んぼで、上部の18枚ほどの田んぼの水がここに集まる田んぼである。

 田んぼの水は外には出さない。必ず次の田んぼに流し落とす。落とす時に落差があれば、曝気効果を期待して石に落とす。次々に流れ落ちて最後が19枚目のD田んぼである。水は田んぼで作られているので、もったいなくて捨てられない。
 
 最後の19番目の排水しない田んぼはいつも濁り水である。きっとこの田んぼは良い田んぼになることだろう。草を抑草するほどの濁り水で田面が見えない。現在田んぼは8㎝ぐらい水深で水が張られている。水深を図る棒を昨日設置した。

 今思い出したことだが、稲葉式有機農業では田植えの後は田んぼには一切入らない。草が出ないので、草取りにもコロガシでも田んぼに入ることはない。農の会では吉宮さんがそれを実現している。吉宮さんは3回代掻きをしている。どういう土壌の状態なのか、私は理解できないでいる。私の土壌管理とは真逆である。

 吉宮さんは1反分の種籾として700gしか播種しなかったそうだ。それで苗は足りたと言われていた。計算してそれで十分という結論になったのだそうだ。それを実行してしまうところがいかにも吉宮さんで、すごいものだ。播いてから田植えが終わるまで心配でなかったですかと聞いたら、それはそれは心配したそうだ。それでも実行してしまうところが超人である。

 私は1反1キロと考えてきたのだが、それ以下の人がいたとは驚いた。そして、1㎡に70gぐらいしか撒かないのだそうだ。私は一㎡に200グラム播く。吉宮さんの田んぼは確かに素晴らしい苗が出来ていた。苗取りも根が絡まず取りやすかったそうだ。

 9時30分から田んぼの捕植。風でやられた株を引き抜き、新しい株を植えた。これが一時間ぐらいでCを完了。C田んぼはすべて一本植えでサトジマンの種取り田んぼ。この田んぼの分げつの多い株から種籾は取る。分げつの多い品種に固定したいと選抜を繰り返している。

 C田んぼでは一部でガスの発生がある。捕植しているとそうした部分的な違いが分かる。但し、ガスは二酸化硫黄の匂いはなく、問題のある腐敗ではない。一日一日田植え後に田んぼは安定してきているようだ。ここも赤虫もいるし、ミジンコも出ている。

 10時半から直播田んぼの苗取り、昼までやっても終わらず、昼からも続けて苗取り。これが終わったのが4時過ぎていた。直播田んぼ16㎡の小さなものだが、ここは筋蒔きをしてあり、1畝ほどの東田んぼの苗床にもしている。疎に播いてあるので良い苗が出来た。1㎝間隔に一粒の種が播種量としては適当なようだ。

 その後水漏れなど直して、少し捕植。そして畔に大豆苗の植え付け。50本ほど。畔大豆を昔からやりたいと考えてきたのだが、これが出来ないできた。今回は苗を1か月前に蒔いて、田植えが終わり植え付けである。草刈りが出来ないからやめてほしいという事だったが、どうしてもやってみたかったので、ぜひともとお願いしてやらしてもらった。

 私には田んぼの畔に大豆が作られてこそ、自給の田んぼだという考えがある。ところがそう思いながら、案外に実現できないできた。種をまいても発芽しなかったり、発芽してもよく実らなかったり。もちろん良くできた年もない訳ではないが。

 今回はC田んぼが3畝のちょうど自給用の田んぼぐらいの大きさなので、その畔に大豆があってほしいと考えた。畔大豆の風景が見たいという気持ちだ。前にも9番田んぼにある大豆を毎朝の水回りの時に観察した。これで大豆という物がだいぶ理解できた。9番田んぼの畔は目の高さだから観察には絶好だったのだ。

 ほぼこんな感じで何らかの農作業が続いている。こうして何らかの農作業があるのは悪くない暮らしである。3日も朝6時半から田んぼの水回り。昨日より入水を弱めたのだが、どういう結果になるか。興味津々で見に行った。少し土が出ていた。

 そして9時から大麦の脱穀。12時まで機械小屋下と、東さんの畑の大麦の脱穀にかかった。良く乾燥していて、機械は順調に稼働した。機械小屋の下の3畝ほどの畑は80キロは超えた収穫である。東さんの所は1畝で30キロあった。両者ともよい成績だった。

 今日は一日雨なので、箱根に絵を描きに行く。5日が総生寺裏の畑の大麦の刈り取り。ハザガケ。6日が溜池の草刈り。7日には田んぼでコロガシ。8日にはタマネギの収穫。9日に大麦の脱穀。10日11日は山梨に絵を描きに行く。11日に枇杷とキンカンの収穫。12日にジャガイモの収穫。13日に荷物の発送と大麦で麦茶づくり。そして14日に石垣に帰る。

 というのが残りの小田原生活である。折り返しまで来たが身体も別段おかしいところはない。まだ普通に農業生活ができた。有難いことである。こんな充実した暮らしが出来るありがたさは農の会のみんなのお陰である。もう、ジャガイモやタマネギを食べているのだが、何と美味しいことか。今朝は豆ご飯をこれから炊く。

 
 
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