地場・旬・自給

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石垣島名蔵湾でマングロープの植林

2024-05-22 04:31:02 | 石垣島


 八重山ライオンズクラブ(LC、前里和江会長)は20日、八重山地域の自然環境を保全するため、石垣市の名蔵湾でヤエヤマヒルギの植樹を行った。干潮時に大規模な干潟になる湾内の一部をマングローブ林に変え、豊かな自然環境を次世代に残すため、40年以上前から続けている。ーーー八重山日報 

 1972年に西表島の一部が国立公園に指定された。2007年に石垣島の一部が国立公園になった。そして今回、崎枝から、大崎までの名蔵湾が、国立公園に指定されることになった。国内最大規模の沈水カルスト地形や巨大なコモンシコロサンゴ群集、良好なサンゴ群集などが評価された。

 名蔵アンパルの湿地帯を取り囲むように、バンナ岳の斜面にはパイナップル畑や放牧地が広がり、それを受け止めるように、海岸線には水田が広がる。昔は出作りのための田小屋があった。名蔵に出作りの経験がある方が昨年まで、田んぼをやられていた。

 名蔵の田んぼのある場所では、マラリヤの感染があるために、暮らすことは難しかった。石垣島の自然と暮らしの折り合いの付け方の、奥の深さと、美しさと悲しさを感じさせる場所だ。収穫したお米は舟で、街の方に運ばれたという。

 残念なことに、この素晴らしい名蔵の田んぼに耕作放棄地が出てきた。水田が赤土の流出を軽減していると思われるが、海岸線の水田が無くなれば、名蔵湾の珊瑚礁も危ういことになる。水田は自然を育む農業である。水を浄化し、地下水を涵養する。国立公園になった名蔵湾は、水田が守っている事を忘れては成らない。

  名蔵湾は国立公園に編入された。名蔵アンパルはラムサール条約の日本で最初に指定された湿地帯である。ここで自然再生のために、マングローブを植林して行くことには、賛否両論がある。この名蔵湾沿いを走る道路は石垣島では意外に珍しい、海の見えるドライブロードになっている。

 マングローブ林になれば、海が見えなく成るという反対論があり、八重山毎日新聞紙上でも、賛否両論が掲載されてきた。賛成論は自然保護が第一だという考えである。そもそも、国立公園の中のラムサール条約指定地に道路を通すこと自体が問題と言うことになる。

 西表島でイリオモテヤマネコが発見されたときに、竹富町は人間とやまねことどっちが大事かという議論が、町長選挙でも争点になった。結局、西表島縦断道路や一周道路は出来なかったが、中途半端な舗装道路が整備されたために、イリオモテヤマネコの自動車事故がやまねこ保全の最大の難関になっている。

 道路に飛び出してくるような道路の設計なのだ。日本で最も貴重と言っても良いようなやまねこがいる島で、道路建設をする以上、やまねこが飛び出さないような安全な道路を作ることが当たり前だと思う。道路は人間のために必要である。しかし、やまねこにとって危険な道路を作り、一向に改善できないというこはどう考えても、おかしいことだ。

 名蔵湾も貴重な湿地を潰して、道路を作った。それは人間が大事だから当然のことで、この湿地を埋め立ててをして、田んぼにしてきたのは、江戸時代からのことである。当時は道路がないから、川を舟で渡り、海を舟で迂回して行き来をしていたという。

 石垣島の中心市街地から、川平に抜ける舗装道路が出来たことはそれ程前のことではない。当然アンパルの湿地を埋め立てて道路や大きな橋が出来たのだ。名蔵や川平や崎枝に暮らす人にしてみれば、生活道路であり無ければ成らない道路である。

 ただ、今の自然保護の現状から考えれば、もう少し違う道路の位置取りがあったのでは無いかと言うことは言える。海が見えるもう少し高い位置に道路を作れば、湿地を潰さないでも済んだ。そして道路からの眺めも良かったはずだ。今更後悔しているようなことでもない。

 人間よりやまねこが大事かと言う以上に、経済の活性化と言うことが、人の暮らしの基本になる。石垣島の経済が回して行くと言うことが最も重要なことだろう。直接的には観光産業である。石垣のこれからの経済は観光である。これについては、誰もが納得することだろう。

 経済などどうでも良いという人も3%はいるのだろうが、大多数の人が、経済を重要だと考えて、石垣島の場合広い意味での観光を中心に経済を考えると言うことになる。広い意味というのは、観光のための宿泊施設を作ると言うことに成れば、島の様々な業種が潤うというようなことだ。

 それは農業でも、漁業でも、観光に旨く関連できれば成り立つという所が在る。この観光という所で、具体的には賛否が分かれてくるのだ。ゴルフ場を作れば、観光客が来てくれると言う意見と、ゴルフ場が自然破壊になれば、未来の観光資源が失われるという意見が対立する。

 観光を背景に、名蔵湾のヒルギ植林を考えると、ヒルギを道路の海側に植えて、海が見えない道路になれば、観光資源が失われると考える人達と、同時にマングローブ林が出来ればそれが観光資源になると考える人達が、対立して考えているのだろう。

 マングローブ林が道路と共存するような形であれば問題ないのだが、実は名蔵湾には赤土の流出という問題がある。サトウキビ畑から大量の赤土が流れ出て、マングローブ林も珊瑚礁をも埋め尽くしている。その赤土の上にヒルギ植林は進められていることになる。

 確かに黄土色の海岸はあまり景観的に良くない。白い白い珊瑚礁と言うことにはならない。赤土が丸見えよりもマングローブ林の方が美しいだろう。マングローブ林になれば、石垣島に適合してきた生き物も増えることだろう。その意味ではマングローブ植林は良いと思う。

 ただ、石垣島で海が見える道路はここだけである。この道路を毎日往復しているものとしては、この道路から海が見えるのは楽しみなことだ。特に、西表島に沈む夕日の美しさは他にはないものだろう。多くの観光客が西表島に沈む夕日を眺めている。車を止めて呆然と眺めていることもある。

 ライオンズクラブがヒルギの植林をして、自然環境を守る活動をするのであれば、是非ゴルフ場の反対もして貰いたい。これは自然林を大量に切り払うことになる。ゴルフ場にはホテルや別荘地も出来て、大量の水を使うことになるらしい。

 そのゴルフリゾートで使う水は地下水を汲み上げるのだそうだ。海に近いのだから、海水が混ざり、名蔵アンパルの環境は激変するだろう。ゴルフという発想も、これからは古くなる。テレビのゴルフ放映も激減した。若い人はゴルフなどしない。

 宮古島でも、石垣島でも、自衛隊ミサイル基地は倒産したゴルフ場跡に出来たのでは無かったか。今度のゴルフ場も農振農用地からの転用である。本来出来ないことが行われた。そして、またゴルフ場が倒産すれば、今度は米軍基地になるのだろうか。

 
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空き家の増加の朗報

2024-05-11 04:37:11 | 石垣島
 

 小田原舟原の集落である。私の家の一段高いところからの眺めである。舟原の自治会は、私が舟原に引っ越して以降、20年の間に世帯数が2倍に増えている。人口増加傾向である。新しい家が、いつもどこかで建てられているような状態だ。空き家らしきものはない。

 総務省が発表した住宅・土地統計調査(2023年、速報値)によると、空き家が900万戸にのぼるという。総住宅数に占める空き家の割合は13.8%で、過去最高になった。これからさらに増えて行くことだろう。全国的に見ると7軒に1軒は空き家と言う状況になった。

 これは困ったことと言うより、これからは空き家を直して、誰でも都合良く暮らすようにすべきと言うことではないか。空き家に所有者がいるということが問題だ。空き家は公共が管理すべきだろう。行政が情報を収集し、貸出制度を仲介すべきものだ。

 都道府県別に見ると、空き家比率の高いのは、和歌山県(21.2%)、徳島県(21.2%)、山梨県(20.5%)、鹿児島県(20.4%)、高知県(20.3%)である。5軒に1軒が空き家というのだからものすごい。低いのが、沖縄県(9.3%)、埼玉県(9.4%)、神奈川県(9.8%)、東京都(11.0%)、愛知県(11.8%)である。 私が暮らすかな名川と沖縄は空き家が少ないところなのだ。

 出生率は、1.36(2019年)、1.34(2020年)、1.30(2021年)、1.26(2022年)と著しく低下してきている。2022年の高齢化(65歳以上人口)比率は、29.92%である。平均寿命は、男性が81.05歳、女性が87.09歳である。この数字をみるだけでも、空き家が今後も増加することだけは確かに見える。

 その空き家の有効利用を考えるべきだろう。空き家の少ない沖縄県の中でも石垣島にも空き家だなと思われる家がかなりある印象だ。あそこで住んだ方が良かったのに、と思うような家がある。遠くの小田原にいて捜したのだから、良い情報が見つからなかったのは、仕方がないことだったと、今になってがっかりしながら思う。

 石垣島に来てみれば、上手い家を捜している人が沢山居る。情報ギャップである。その反省を踏まえて、考えるところがある。これだけ空き家が増えている時代だから、地方の行政で、移住者を歓迎するのであれば、この認識の共有化が重要なところなのだが。

 徹底した空き家の調査をやるところからだろう。行政が動けば、空屋の実態を把握するのはそれ程難しいことではない。同時に放棄農地の調査もしなければならない。こちらはなかなか実態調査が難しいが、農業委員会が活動的に生きていて、農業を何とかしたいと考えて居れば可能であろう。

 農業をやって暮らして行くという人だって必ず居る。そういう人と情報で繋がれば、移住者が現われるはずだ。石垣島の実情を見れば、実態把握が不十分と思わざる得ない。家を捜している頃、行政に訪ねたのだが、対応はなかった。多分把握の仕組みがないのだろう。移住者不歓迎の地域なのかも知れない。

 それでも、観光で経済が回っている地域である以上、移住者も受け入れる方向でないと、これからは難しいと思われる。歴史上初めて5万を超えたとお祝いしているのだが、これから人口減少が始まるのだから、早く始めた方が良い。

 やり方はある。まず、地元出身の農家でもある人で、市に勤めていた人を、定年退職後に再雇用するのだ。その人を農業委員会の嘱託職員にして、空き家や耕作放棄地の情報整理をして貰う。これに近い方式を南足柄市ではやっていた。それで耕作放棄地が把握され、新規就農者が増加した。

 その空き家の持ち主はどこに住んでいて、どんな考えをしているか。ご近所の人なら分るはずだ。耕作放棄されている農地を、農業者では無い人が仮登記して場合もある。調べれば分ることだ。地域の人で、市の嘱託職員であれば出来ることだ。

 情報を収集して、どうすれば農地が耕作放棄のまま、塩漬け状態になったものをほぐせるかを、弁護士を含めた検討委員会で調査をする。どの土地も、法律問題が絡んでいるから、専門家が解決に当たらなければ難しい。そして、空き家に対する必要な法整備を行う。怖いようなことも起こりがちだから、その覚悟のあるものでなければ出来ない。

 空き家や耕作放棄地や、放置山林を所有していることが、税制上極めて不利に成るようにする。そして、行政はできうる限り譲与を受ける。これが行政の負担増にならないように国は、行政に対して対応に対して補助を行う。地方の行政の力ではやりきれないことが多い。

 こうして相続に伴い空き家かする家屋を、空き家が使える内に運用できるようにする。現状では相続してそのままにしてしまう、空き屋等を行政で引き取ってくれるところは少ない。負担が大きく引き受けたくても出来ない状態なのだ。相続したものに任せておけば、次の相続がネズミ算的に増加し、困難なことになる。

 この辺のことは公共の責任である。空き家が7軒に1軒というような状態はどう考えても行政の怠慢である。政府が責任を放棄しているためにこういうことが起きている。私のように、移住して地方で暮らしたいものが、住宅で苦労しているのだ。そんな事例ばかり見てきた。

 地方活性化などかけ声だけは聞こえてくるが、実際に地方で空き屋が増えて行くなどあってはならないことだろう。やれることをやらない結果だ。空き家の有効利用など、可能なところから手を付けて、地方活性化に繋げる材料にしなければならない。

 私は石垣島で家を新築した。やってはいけないような事をしたと思っている。空き家があるので、それを借りたかった。しかし、進めようがなかった。今思えば、やりようはあったのだ。行政にも聞きには行ったが返す返すも残念なことだった。

 私は100歳まで、あと26年でいなくなる。その時に空き家になる。それを覚悟で新築してしまったのだ。無駄なことをしたものだ。やりたくはなかったが、それ以外に石垣島に来る方法がなく、やってしまった。同空き家にならないで済むか考えておかなければならない。

 空き家が増加しても、新築させるように政府は動いているのかも知れない。空き家など斡旋するなという圧力が建設業界からあるのかも知れない。そういえば、石垣市長の家は建設材料店だ。経済活性化のためには古いものを大切に使われたら困ると考えるのは邪推か。

 間違いなく50年すれば人口は半減化するのだ。つまり、一人の人生で考えれば、家は半分は空屋になって行くのだ。少なくとも、自給思想のものは騙されてはならない。必ず家はある。ないのは情報だ。民間で情報を掘り起こす仕事をすべきなのではないだろうか。
 
 

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五島市の移住誘致と石垣島暮らし

2024-03-14 04:26:19 | 石垣島


 3月7日の3番田んぼ 1月6日田植えなので、田植え8週間の写真。11葉期ぐらい。穂は入り始めているのだろう。分ゲツは13,4ぐらいか。予定通りの生育。後4枚葉がでて欲しいがどうだろうか。やや不安はあるが、期待もしている。

 石垣島を中心に小田原との2拠点の暮らしている。石垣島は移住する人がかなり多いのだと思う。5万人の人口の半分以上の人が他所から来たと言う感触がある。例えばのぼたん農園のある崎枝地域の人もすべて戦後石垣島に来た人なのだ。玉那覇酒造は石垣島最古の泡盛酒造会社だが、やはり本島からみえた方だと聞いた。

 だから生粋の石垣島の方は今まで3人しか知らない。時代に違いはあるが、移住者の方が多い島だから、新しい移住者でも居心地が良いのだろう。加えて観光客が活発に動いている島である。一次的な滞在者も1万にもいるのでは無いかと言われている。

 そうした特別の事情で、観光客に併せた都会的要素もある離島なのだ。生活者の町と、観光客向けの顔がある。そして、滞在者というひとが暫定的な暮らしをしている。こうして沢山の人が来て、また去って行く島なのかも知れない。

 30代後半で自給自足生活を目指した。シャベル一本で行った自給生活である。それから、一人の自給より、みんなの自給が素晴らしいと考えて、新しい暮らしを目指してきた。35年間日本社会に普通に暮らしながら行う、実際的な自給的生活を模索してきた。

 石垣島には自給的生活を求めて、移住してくるひとは多数存在する。そして、実現しているひとも少数だが居る。一時、のぼたん農園にも来ていた家族の方にもそういう人が居た。電気も自給しているという暮らしだと言っていた。最近仕事が忙しくて来れなくなったと言われていたが、仕事も色々ある。

 自給自足生活と言っても多様だ。一般的な意味では、すこし社会からはみ出たような暮らしだから、ひとくくりには出来ない。その意味でサラリーマン生活というような言葉で、なんとなく分かる暮らしとは、大きく違う。自給自足は、一人一人異なると考えた方が良い。

 食糧の自給と言うことが基本になる。自分が生きているのは食べ物を食べているからだという所から始まる。この食べ物を自給してみる意味が大きい。例えば食べ物の中の一番重要なものが水。どうすれば水が自給できるかである。湧水を見付けることも出来る。水脈を見付けて、井戸を堀り、その水で暮らす事もできる。

 エネルギーの自給だって可能だ。育った山梨県の藤垈では、山の木を燃料にして普通に暮らしていた。電気はあったが、使うことは少なかった。多分50年より前の日本の中山間地は普通にそういう暮らしだった。化石燃料を使わない自給燃料とすれば、それはそれであり得ることになる。

 食糧自給となれば、先ずは田んぼであろう。お米を作る事が食料自給の基本になる。中山間地の田んぼは放棄されてきているので、自分で田んぼを作らなくとも、適地はいくらでもある。しかし、自分で田んぼを作ることほどおもしろいことは無い。出来れば一度は挑戦してみる価値がある。

 石垣島で暮らしているのだから、島暮らしを希望する人に参考になる自給生活について、書いてみたい。そこで調べてみると五島列島の五島市は移住生活を進めやすい案内がある。残念ながら石垣島ではこういう誘致はされていないので、五島市を参考にしながら島暮らしを考えて見た。

 五島市移住促進サイトというものがあり、実に至れり尽くせりの分りやすいサイトになっている。石垣市でもこういうサイトを真似して作れば良いと思うが、石垣市はそこまで移住者を奨励はしているわけでは無い。移住者はもういいよという空気も感じる。

 何故五島市がここまで移住者歓迎の姿勢なのだろうか。それは人口減少の危機感が基本にあるはずだ。石垣島の人口は5万人。これくらいが一つの行政機能が維持される最小限の人口になる。学校や病院や様々な商店が揃う規模が5万人と考えて良いだろう。石垣島も今後は人口減少に入りそうだ。

 五島市の人口は現在33000人。 昭和30年が人口が一番多くて、15万人。推計では、20年後には 18,159 人まで減少するとされている。 人口が一番多かった15万人の時代があるということは、それだけの人口が暮らせる豊かな島が、10分の1の島になろうとしている過程にあると言うことになる。

 そこで、移住定住促進に本気で取り組んでいるのだろう。その結果この5年間で千人もの若者が移住しているとある。それでも自然減がさらに多いので、人口減少は続いている。だからなおさら移住定住を推進している。石垣島と違い、ほとんどの人が五島の人なのだろう。

 この人口で高校が5つあるというのもすごい。半分の生徒が国立大学に進学するような優秀校がある。教育についての心配が少ないという意味では、移住には向いていると言える。石垣島では高校は3つである。石垣市の場合、大学進学を考えて那覇にある進学校に行く生徒もいると聞くことがある。

 石垣島が人口減少をしないで来れたのは、観光産業の存在が大きい。東京や大阪や福岡や名古屋へ直行便の飛行機がある。以前は香港、台北にも直行便があった。観光の島という事で、五島市とは状況が違う。観光の島だから、それに伴う滞在人口もかなりある。

 五島市の明確な人口対策は素晴らしいと思う。若いひとで島暮らしに興味があり、自給自足希望者は五島市に行く方が良いだろう。行ったことは無いのだが、島好きだから昔から興味は持ってみてきた場所である。水田は1600ヘクタールもある。石垣島の田んぼ面積は220ヘクタールとある。7倍もある。一度五島に行ってみたくなった。

 水田が1600ヘクタールあるという事は、水が十分にあり、人間が15万人居た時でも、食料があったと言うことになる。どれほど豊かな島なのかと思う。それでも人口減少が進んでいるらしいから、ここで自給生活を目指すのは、かなり良い選択になりそうだ。
 
 住まいの支援、仕事の支援、子育ての支援とある。子育て支援を見ると、子育て世帯引越し補助、五島市一般・特定不妊治療費助成事業、出産育児一時金の支給、医療費の一部助成(乳幼児・子どもの福祉医療費)、多子世帯の保育料軽減、幼児教育・保育の無償化、児童手当と出てくる。

 病院も充実しているらしい。五島がどんなところなのか、いよいよ見に行ってみたい。今更移住するわけでは無いが、島暮らしに興味がある。参考になることもあるだろう。飛行機の上から五島が見えることが時々ある。きれいな島だなといつも思う。一番高い山が461mとあるから石垣島と似たような地形かも知れない。
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天気予報と雨雲レーダー

2024-01-27 04:57:10 | 石垣島


 外仕事をするものはあさ、今日の天気明日の天気は確認するだろう。子供のころ、時間になると大人達がラジオの朝の天気予報を、耳をそばだてて聞いていた姿を思い出す。それがテレビになって、今は一人でスマホの天気予報で、確認する人が多数派ではなかろうか。

 金沢大学の学生の頃、気象学の授業を受けることが出来た。今の暮らしに最も役立っている授業だ。天気図を書く勉強をした。ラジオで「気象通報・海上気象解説」として、放送されていた。南大東島では北東の風、風力4、曇り25ミリバールとか、ずらずら言ってゆくあれである。

 記号で記載していって、最後に天気図を仕上げてゆく。そしてその後の展開を予測して、天気の変化を判断する。今でも役立つありがたい授業だった。今ならコンピュターで自動的に天気図など描かれるのだろう。しかし、天候の変化を推測する能力はあの天気図を描く中で出来たような気がする。

 農の会を始めて、みんなが集まる作業日の天気を予測する機会が多くなった。私の予測は案外に当たると言われていた。大勢が集まるので、早めに日を決めなければならないが、1週間先の天気を予測するのはかなり難しい事だった。どちらかと言えば楽観天気予報である。

 しかも、作業によっては前日が雨でも出来ないものも在る。当日が小雨なら問題ないという作業もある。雨の法が望ましいという事もある。作業を熟知した上で、天気を読まなければならない。お茶摘みの日程など、1ヶ月先までかんがえて決めていた。あらゆる情報を集めて、最終判断をする。

 石垣島では晴れで作業が難しいと言うことがある。夏の、5月から10月の半年は危ないくらいの強い日照になる。炎天下の作業は避けた方が良い。雨の中での作業の方が心地よい。雨では出来ない農作業も色々ある。稲刈りは雨では出来ない。乾いた稲を刈り取りたい。

 石垣島の天気予報はほとんど当たらない。2日に一回はずれている感じだ。島の天気予報は相当に難しい。天気予報で予定を立てると言うことはほぼ不可能である。雨を待って天気予報を見ている。石垣に来てからは雨が降ると嬉しくなる。天水田をやっているからだ。

 例えば、家のある字石垣辺りでは35㎜の強い雨。のぼたん農園のある崎枝では3.5㎜の小雨。15キロしか離れていない場所で、10分の1の雨しか降らなかった。こんなことは普通だ。島の天気は海から雲が流れてくるので、山へのぶつかり方で雨の位置が大きく変るのだ。

 毎日島の東側に在る字石垣から、西側の崎枝へ移動を繰り返しているので、あまりの天気の違いに驚くばかりである。田んぼの水が心配なので、崎枝では雨が降ってほしいもので、朝、雨を期待しながら車を走らせる。途中でバンナ岳を越えるのだが、この辺りから名蔵にかけては石垣島で一番雨多いと見ている。ここら辺りで、キジムナーの不思議な話が多いのも理由が無いわけではない。

 所が海岸線を崎枝に進むと雨は止んでしまうのだ。何かからかわれているような気分になる。名蔵でもバンナ岳の辺りは特に雨が多い。名蔵でアメダスデーターが取れれば、石垣島で一番の雨量になるはずだ。やはり於茂登岳の影響があるのだろう。気象庁のデーターは石垣、盛山、伊原間、川平の4カ所。

 島の中でも雨量が様々な日が実に多いのだ。だから石垣島の天気予報と大雑把にとらえてもほとんど無駄である。気象庁が出しているデーターの中に、過去24時間の雨量データーというものがある。これを必ず朝見る。するとのぼたん農園に近い川平の記録がある。それでのぼたん農園の雨量を確認できる。

 これを見て、雨量による湧き水の変化を予測している。湧き水の変化を正確に見ないと田んぼの作業は出来ない。一度田んぼから水を落として、作業をしてまた戻すと言うことが出来ない場合がある。天水田では水が命である。湧き水は水神龍として祭ってある。

 次にみるのが雨雲レーダーである。ヤフー雨雲レーダーで1時間前から、6時間後までが出る。ウエザーニュースの雨雲レーダーもある。これは有料なので、予報は見ていないが、今の雲の様子は見ることが出来る。この二つの映像が何故か異なる。

 雨雲レーダー予測も良くはずれるのだが、天気予報よりはましだ。何故雨雲レーダーがはずれるのかと言えば、雲の流れは実に微妙でわずかにずれれば、雨がまるで降らないことになる。だから、空模様での自己判断が一番需要。風向きを見て、雲の流れを見て、この後の天候の変化を予測する。

 冬であれば北東からの風が多いので、そちらからの雲を見て作業をする。雨は降り続くと言うより、降ったりやんだりなのだ。天瀬を見て作業が出来ることが多い。水牛を見に行くとか、田んぼの水を調整するとか、短時間で済む作業は雨の日でも、濡れない時間はある。雨が止むまで絵を描いている。

 もちろん当たらないとはいえ、テレビの天気予報は必ず見る。パソコンの天気図も必ず確認する。東アジア全体の天気図を確認し無ければ、これからの気圧配置の変化は分からない。今後の雨の降る可能性は見無ければ、作業の予定は立たない。

 テレビの天気予報で最近は今日の気候に適する服装を教えている。これを聞く度に腹が立つ。多分都会では、窓からも空が見えないような暮らしの人が沢山居るにちがいない。しかし、今日の服装まで自己判断できない人を生み出して良いのだろうか。

 天気予報は外に出て、風に当たり、空を見て、今日の空模様はどうだろうというのが人間の暮らしではないだろうか。人間が自然から離れている。これは決して幸せなことではない。まず自分の肌感覚で今日一日を予測することは、人間を取り戻すことになるはずだ。




 
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「ゆんたく」すると言うこと

2024-01-02 04:08:40 | 石垣島
水牛は行く

 沖縄には「ゆんたく」と風習風習がある。ながいながい楽しいおしゃべりのことである。江戸の長屋では、井戸端会議という言葉があるが、かーちゃん連が共同洗濯場で、あるいは炊事場で手を動かしながら、会話している姿を思い出す。水場が共同だった庶民の暮らしの一場面になる。

 ゆんたくがそれとは違うのは、どちらかと言えばやニィニィやオジーの無駄話のことが多い気がする。それくらい石垣のおやじ連は話し出すと長い。その長い無駄話を文化だとまで言うのだ。何故その長い無駄話が文化なのかというなかに、沖縄の歴史があり、必要なことだった。

 地域の暮らしが上手く回るためには、「ゆんたく」が重要なことだった。それだけ厳しい暮らしだったと言うこともある。そして、昼日中からおしゃべりに熱中している。文化なのだから、遠慮無くだらだらと続く。その中から本音が出てきたり、互いに関わる大切な調整が図られることになる。


水牛の働き者の「わかば」

 慌ただしい現代社会では、会社の打ち合わせは立って行い、5分以内。と言うようなことになる。そんなことではすまないことが地域社会にはある。あしがら農の会の月例会は最初の頃は、持ち回りでみんなの家を回った行っていた。すると夜中の0時を過ぎても終わらない。

 話しても話しても結論が出ないことばかりなのだ。大企業の部長をしていた人が加わったときに、この人が無駄話ばかりしていてこれでは会議にならない。終わりの時間の決まっている公共施設で定例会をしようと言うことになり、あの大切だった延々と続く話し合いが終わった。多分大切な物が希薄になった。

 今度の夏に行う、森での活動をどうすると言うことになると、実務だけ割り振りで、進めてしまえば効率も良い。しかし、森の活動の趣旨や方角が全員の中に共有化されることにはならない。それは機械整備をどうするかと言うことだって、同じことで、やればいいというのでは、機械を大事にする気持ちは育たない。

水牛のやさしい「さくら」

 今の暮らしは何やらいそがしい。何故、昔の暮らしはあんなに時間が有り余っていたのだろう。明治時代までは配達に出た丁稚が、お寺の木陰で昼寝をしているようなことが、当たり前だったそうだ。私の子供の頃の、お寺のお茶のみ話が延々と終わらないで、どんぶり山盛りの漬物がなくなるまで話している。

 どこの家でも、お茶請けの漬物は必需品だった。それくらい近所づきあいが頻繁だったのだ。地域社会というものは、こうした人付き合いがなければ回らない社会だったのだ。またそれを文化だと言いておかしくないものだったのだ。そこから生まれる意識があったのだ。

 のぼたん農園には7グループ現在があるが、「ゆんたくガーデン」という1グループが在る。そこの活動の中では、自然保護部という形で組み込まれているようだ。実は「ゆんたく」という言葉が使われる活動は石垣島には多分100はある気がする。それくらい使いやすい言葉なのだろう。

水牛の愛らしい「のぼたん」

 沖縄にはゆんたくのつく食堂が沢山ある。ゆんたくカフェなどというのもある。つまり名前の通り、食事が終わってから何時までもゆんタクしていても、怒らないですよー。と言うお店と解釈して良いのだろう。ゆんたくガーデンは確か何もしないでそこにいるというメニューもあった。

 実際のところ「ゆんたく食堂」を名乗ったとしても、昼食難民のことがある。難民がついているのは、クルーズ船が入ると、一気に昼時は入れる食堂が無くなり、店の前に食事を食べるために並ぶことを意味する。オーバーツーリズムという奴だ。何とも慌ただしい世の中だ。

 最近また観光客が戻ってきて、難民の列が見られるようになるかもしれない。難民が押し寄せてきているのに、何時までもゆんたくしているわけにも行かない。帰船の時間が迫っている。いつも時間に迫られている暮らし。終わり無い繰返しがゆんたく文化を生み出す基になる。

 日本で失われたものは時間のようだ。時間で監視された労働は人間本来の文化と言えるような労働ではない。労働を資本に販売するような、味気ない労働である。そんな労働にはゆん宅の時間は無い。これでは生きる事に不可欠な文化は生まれない。

 人間が生きると言うことは、限られた時間の中のことだ。私であれば、100年時代と言っても後25年のことだ。この限定された生きるという中で、無限の時間を見つけ出さなければならない。それは、掛け替えのない1瞬1瞬のことのはずだ。

 どれだけその時を味わうことが出来るかにかかっている。焦る必要も無いし、油断する必要も無い。それこそゆんたくしている無駄なような時間が一番尊い時間と言うこともある。その時を後悔無く、生きる事ができるかどうかなのだろう。

 沖縄暮らしには無限の時間が合った頃の暮らしが残っているのだ。忙しい食堂ですら、ゆんたくを名乗るのだ。のぼたん農園でもゆんたくを大切にしたいものだ。みんなでやる活動には、約束事を決めただけでは収まりきらないものばかりなのだ。

 のぼたん農園文化が生み出されるためには、時間制限なしでなければだめなのだろう。むしろ何もしない時間を味わうことに意味がある。そういう時間に追われない、無制限一本勝負が、のぼたん農園の自給活動なのかもしれない。

 いよいよ今週から田植えの準備だ。先ずは田んぼの水調整。そして苗取り、線引き、田植えと続く。慌ただしく作業をこなすのではなく。心を込めて、味わえる田植えをしたいものだ。急ぐ必要は無い。時間無制限の作業にしたい。
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春海如笑 石垣ノ空

2024-01-01 04:22:13 | 石垣島
 春海如笑 石垣ノ空(春の海は笑うがごとし 石垣ノ空)

 2024年 元旦 良い年になりますように

 皆さんに出した年賀状の一部を掲載させてもらいます。自分の記録でもある。今年は150枚描いた。まだ、余分がありますのでコメント欄から希望してもらえば、送らせてもらう。ブログを読んでいただく、せめてものお礼です。遠慮無くどうぞ。




































 今年の計画。1月23日から台湾の農家の南澳自然田(宜蘭県)黄さんの所を訪問する。台湾で一番大きな有機農家らしい。日本の川口由一さんのところで研修をしたことがあるらしい。田んぼや大豆、野菜などの栽培をされている。

 月に一度は小田原に行く。今年は田んぼ作業に併せて行きたい。特にコロガシと草取りが人手不足になるというので、その時期に小田原に行くようにしたい。東京での絵の集まりも続けたいと思っている。

 舟原溜め池の管理も続ける。草刈りは2ヶ月に一回は必要。カキツバタ周辺の、田い草とガマの穂をもう少し除去したい。また、右奧の石垣辺りの水漏れを防ぐために、土を入れる。これは2月頃になるか。
 
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石垣島の「水・土・光」

2023-10-21 04:03:59 | 石垣島

 写真は麦畑の準備である。ハンマーモアーで草を粉砕し、そこに石垣島の牛糞堆肥「よみがえり」を撒いた。ハンマーモアー作業がもう少しで終わるので、終わったならば、トラックターをロータリーに変えて耕耘をした。11月11日には麦を蒔こうかと考えている。

 石垣に引っ越したのは2019年11月だ。あれから4年が経過したことになる。田んぼを始めるつもりは無かったのだが、石垣島に来てまた田んぼをやっている。結局の所、田んぼが好きなのだ。暑いときはさすがに作業が辛かったが、動いても何とか耐えられるような季節になったら、また楽しく農作業をしている。

 やるのは草刈りばかりである。石垣島の農業は草との戦いである。小田原の雑草とは桁が違う。小田原で3ヶ月に一回ぐらいの草刈りで済ませているのが、溜め池の草刈りである。それが石垣ではほぼ毎月やらなければ歩けなくなる。そのやらなければならない草刈りが夏の間は暑すぎて遅れる。

 ハンマーモアーで出来るところは一気にやっている。やっとハンマーモアーが直ったのだ。そして、ハンマーモアーで出来ないところは、ロビンの草刈り機である。それでも作業はせいぜい一時間ぐらいのものである。草刈り機に満タンにした燃料が尽きたら終わりにしている。

 まだ働けるようなら、田んぼのコロガシをやるとか、堆肥撒きをするとか。外の作業をやることにしている。やることはいくらでもあるのだ。草刈り仕事はまだ1週間はやり続けなければメドがつかないほどある。あと7回の満タンぐらいだ。それが終わるとすでに次の草刈り場所がでてきている。

 別段、作業が嫌というわけでもない。やるのはいいのだが、雑草との戦いに追いつかないと言うことである。この雑草を腐食を増やすことに上手く利用できれば、良いと思う。今のところ刈った草を乾かしてから、堆肥を混ぜて漉き込むと言うことぐらいである。

 刈った草を集めて堆肥にするとか、方法はあるはずだが、まだ、しばらくはそこまでは出来ない。のぼたん農園ではやるべき事がまだやりきれていない状態である。本来であれば南側の下の方の畑に、サトウキビやパイナップルも植えなければならない。そこまではまだ進まない。

 やっと田んぼの整備が出来てきたので、来年は下の方の畑や、果樹園の整備なども手が付けられるだろう。「のぼたん農園」は10年計画である。慌てる事は無い。一歩ずつ土壌の改善を続けて行けば良い。去年に較べれば今年の方が大分状態が良くなっている。

 今一番の問題は溜め池である。溜め池の水が停滞して悪化した。死に水になった水が、二番田んぼに流れ込み、二番田んぼのひこばえが弱った。溜め池の水の改善をしなければならない。先ずは溜め池の水面がよく見えるように、全体の草刈りをしなければ始まらない。

 草刈りを続けていて、石垣島の草原を絵に出来るようになった気がしている。身体が覚えて、絵を描くと言うことは身体が石垣島の草のすさましさを覚え込まなければ、描くことが出来ないと言うことかもしれない。最近やっと目の前に見えている草原が見えてきたのかも知れない。

 石垣島の土も少しずつ見えてきたようだ。四年目でやっと土が見えてきた気がする。もちろんまだまだ不可解ではあるのだが、手に負えないとんでもない土だと言うことだけは分かってきたのだ。分からないなりに手応えは感じる土。分からないと言うことが分かったと言うことで、分からないとは描くことが出来る。

 人間が見ると言うことはなかなか奥が深い。目に映れば見えていると思うのは大きな間違いだ。見ると言うことには、観ると言うことである。視るもある。診るもある。目に写るだけのみるでは自分の絵は描けない。私絵画の絵を描く場合の「みる」は観ると言うことだろう。

 見て自分の哲学の理解と合致するところまで見切らなければならない。そうすると眼前に見えてみるものを、どのように描けば良いのかが見えてくる。絵という物をそのように考えている。本当のところがまだ見えているわけではない。見えればその当たりがはっきりするだろうと言うことが分かってきたと言うことだ。

 現状での私のみるは、空・海・草原そして土が同じものだと見て描いている。同じ視線で見る。地球上のものとして同じと言えば、物質として同じと言うことに成るわけだが、もう少し感じが違う。生きる自分の命の関わりとして同じというような感じだろうか。

 そういう自分の世界観がそのまま絵に出てくれば良い。そういう絵を描きたい。そこまで行かなければ、絵を描いてきた甲斐がない。もう一息の所まできているかもしれない。その自然を一つとしてみている見方の中に、自分の何かが反映してくる。自分が観ている世界がそこに現われる。

 何かしら見え始めている気がしている。前とは少し違う。いい絵を描くというようなことからは完全に切り離れた。絵を描く眼で自然が見えるようになってきた。それはこの土地を耕して、汗を流したことで獲得できた体験にもとづく物のようだ。

 風土と言うことかもしれない。風土という言葉も悪い言葉ではないが、農業をしていると、水土という方が相応しいと考えるようになった。風よりも水だろうと思う。風と言ったのは情緒的な文化人的思考である。農業者のような労働者には水と土と光である。

 水の重要性は計り知れない。水と土がなければ命は育まれることがない。石垣島が水のある島なので、豊かに人間が暮らすことが出来たのだ。その土地の水に身体がなじむと言うことがある。石垣島で暮らして4年が経ったと言うことだろう。

 何しろ日本で一番古い時代からこの島には日本人がいたのだ。島で田んぼをやる暮らしはいつも水のことを考えている。雨が降らないかといつも思う。雨が稲を育てていると言うことがよく分かる。雨は草も育てる。一雨ごとに群と草の量が増す。

 この石垣島の自然を観ている世界観がある。厳しい自然の世界だ。なかなか受け付けてくれないが、入り込めることが出来ればこれほど豊かなこの上のない世界だ。この世界観こそ絵にする物だと考えている。石垣島「空・海・草原・そして土」

 絵は光を描いている。光はすべての物に等しく降り注ぎ、すべての物を表してくれる。絵はその光を描く物だ。印象派が野外の光で描くと考えたのは当然のことだ。光で物を見ればすべてが同じ物である。「空・海・草・土」すべてが光として同じである。
 
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ブログ16年

2023-04-20 04:10:02 | 石垣島


 2006/03/05 07:32:05と最初のブログに日付がある。小田原に引っ越してしばらくしてからブログを始めたことになる。その日から、毎日書くと決めて続けてきた。一日でも書かなければ、続かなくなると考えて、何があろうが毎日続けてきた。

   その以前は開拓生活を始めてからの文章の記録が15年ほどある。自給生活というのは、日々の記録をしないことには暮らして行けない。去年の記録がなければ、今年何時何をやるのか側からない。その土地で何時作物の播種をするのが一番良いのかは、何年もやってみて分かることだ。

 必要で始めた記録ではあったのだが、今では惚け防止のようないくらか実用ではないものになった。考えをまとめるために書いている。書きながら書き出したときに書こうとしたこととは、違う結論になっていることも良くある。書いている内に考えが変わるのだろう。考えていたことが、考えている内に変わるのだろう。

 ブログというものは公開日記という形だと考えてきた。加えてブログは小さな報道だと考えて始めた。大げさに言えば、自給農業の活動を続ける人間の発信が社会には必要だと考えた。あの頃はブログに個人が報道を手に入れたと随分期待が集まっていた時代だ。

 巨大な社会に対して一人一人は無力だ。無力だからと諦めてしまえば民主主義は終わる。個人は小さな力しかないが、せめてブログという形で発信してゆけば、思いが伝わると考えた。その成果はほとんどなかったのだが、自分個人にはそれなりにはあったと思う。

 ブログを通して、自給農農業の仲間になり活動を今でも続けている人がかなりいる。ブログで正直に考えを書いてきたために、関わらなくなった人もかなりいる。ブログは敵も作り、仲間も作る。いずれにしても正直にありのまま考えていることを書いてきた。

 16年やってきて良いことがあったのかと言えば、ブログから生まれた人との繋がりが良かったことである。今は都会から遠いい石垣島を中心に暮らしているのだが、小田原にいたときとブログでの繋がりは変わらない。特に水彩画の日曜展示を始めたことで、絵を公開しているということは自分の制作の大きな要素になっている。

 ブログ以外にフェースブックホームページをやっている。良く理解しているわけではないのだが、専門家の方からそうした方が良いと言われて、始めた。グーブログであっても仕組み全体がある日終わることもあるし、事故で内容が消えてしまうかも知れないから、複数にしておいた方が安全だということらしい。

 それなりに面倒くさいことなのだが、そちらは途切れ途切れ何とか継続している。やっていると言えば、ラインというものも「のぼたん農園」の仲間が始めた。これは連絡用である。日常の連絡はラインで行っている。電話として使うことも最近は多い。雑音が多いようだ。

 ただ、グループラインを連絡に使うと問題もある。誤解が生じやすい。スマホで短文を打つからか、昔の電報文のようでトラブルの基になったことがある。互いに命令を下しているかのような受け取られ方や、意味の取り違いをしやすい。ラインはスマホ打ちでどうも嫌だ。

 タブレットを使っていたときにはまだ打ち込みが出来て良かったのだが、ラインはタブレットとスマホ両方では使えないことになっているらしい。やはり、スマホよりもタブレットの方が使いやすいというのが現状である。スマホにキーボードをつなげないものだろうか。

 ブログの実用性ということでは、農作業にはこれほど便利なものはない。田んぼや畑の様子を写真を撮って、すべての写真がブログの画像ページに保存してある。あの田植えは何時だったのかとか、すぐに調べることが出来る。本を作るときには大いに役立った。農文協の方と打ち合わせがやりやすかった。写真保存にブログを利用している。

 もちろんパソコンにも保存はできるわけだが、文章と関連させてあれば、耕作日誌になるわけだ。細かな耕作状況の記録は重要なものになる。常に再確認しなければ、次への最善の選択は出来ない。今年の田んぼの一番の成果は、15枚葉が出るための栽培法があるらしいということだった。

 12月4日の直播きの「とよめき」の稲は15枚葉がでた株もある。栽培環境が良かった場所のものだ。水が足りないため成長が不十分だった株は15枚葉はでなかった。どうも13枚しか葉がでない現象は、生育障害がどこかで起きていると考えて良いらしいことだ。

 それが日照時間の変化から来るのか、夜温の高さから来るのか、まだ正確なことは良く分からない。12月始め蒔きのジャポニカの稲が、石垣では一番健全に生育できるのかも知れない。ひとめぼれも、試してみる必要があるのかも知れない。やる余裕がないか。

 麦の「ニシノカオリ」は12月30日は種で4月22日刈り取りになった。これも11月11日蒔きの方が良いのかも知れない。来期は検討の必要がある。ニシノカオリが十分とは言えないが、一応は実ることは実ることは分かった。分ゲツが足りないが、これはまだ土壌が出来ていないためと考えられる。

 大豆は4月の10日に播種した。一週間でいくらか出てきたが、19日でまだ出そろわない。揃いが悪すぎるのも何か気になるところだ。大豆麦とやりたいから、23日に大豆のは種が出来れば良いと思うのだが小麦の刈り取り次第に成るだろう。

 ジャガイモも里芋もイノシシに食べられてしまい、結果が分からずじまいだった。里芋をもう一度たんぼの畦のそばに植えてみるのは良いかもしれない。今年はあくまで実験だ。水が湧いてくるような8番田んぼの下辺りが良いかもしれない。そうだ、あの辺りに田芋を植えておくのも良いかも知れない。これも実験だ。

 ブログの最近の成果はやはり、日曜展示である。毎日曜日絵を展示している。前回が157回とある。157週とはほぼ3年ということになる。ブログの上にも3年で3年間の日々の一枚の記録である。70歳から毎日書こうと決めたことである。石垣生活の決意である。

 石垣には絵を描く為に来た。それを形として表すことにしたのが、日曜展示である。石垣島に来て、絵を再出発させるつもりである。惰性でなく、心機一転して絵を進めるために場所を変えたと言うことがある。自分を変えるためには暮らす場所を変える必要があった。

 絵はそれまでに手が慣れてしまったものを、切り捨てる努力をしたのが、今までの3年間だったと思う。これから、あらためて再出発の段階に入る。どこまで行けるかは分からないが、日々の一枚は継続するつもりだ。もちろんブログの日曜展示も継続する。

 こうしてブログを始めて、16年失うものと、得るものがあった。失うようなことを書いてきたから、得るものもあったと思っている。自分はだんだん何者か明らかになってきた。自分が出来ることの限界も分かってきた。今はこうしてのぼたん農園の冒険がブログの目的になってきている。
 
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1971年石垣島の191日雨の降らない大干ばつの記憶

2023-03-25 04:35:10 | 石垣島


 昭和46年3月~9月(1971)石垣島は大干ばつに見舞われ農業は壊滅的打撃を受ける。(連続干天日数191日) 南西諸島では稲作1期作の期間3月から9月初めまで少雨が続き、大干ばつになった。アメリカ支配が終わる前年のことだ。今年の小雨を経験して、1971年の大干ばつの話が語られることが多い。

 特に宮古島、石垣島方面でひどく、6月に入ってからは草も枯れ、水もなく、牧牛の餓死が始まった。これを考えると耐えがたいものがある。また、さとうきびは大部分が立ち枯れた。各島では飲料水が無くなり、本土から運んだ。

 なんということか、こんなことが現実として存在したのだ。農作物もほとんどが枯れ、離島を迫られ騒ぎにまで発展した島もあった。この干ばつのことを記憶していた人は、本土の人でどれだかけいただろうか。私も大きなことは言えない。知らなかった。

 沖縄地方と奄美地方では平年より12日遅く梅雨入りしたものの、沖縄地方では平年より13日、奄美地方では18日早く梅雨が明けた。この大干ばつを契機に石垣島のダム整備が進んで行く。伝説の大干ばつから50年以上が経過したのだ。

  191日雨が降らないということがあるのだろうか。まったく恐ろしいことだ。半年以上雨がないということは考えられれない。で、も、石垣島では、それほどの干ばつがあったのだ。島の極端な気象は、どんなことでもありうるということだろう。草が枯れて、放牧牛が死んで行く姿をどう想像すれば良いのだろうか。

 1971年は金沢にいた学生の頃の話になるわけだが、まったくこのことを知らなかったのは情けない。この無知は日本人として恥ずかしいことだ。沖縄返還の問題が本土の沖縄化と言われて国会で問題になっていて、心を騒がしていた。にもかかわらず、沖縄の実態を知らなかった。

 沖縄出身の英語の教師の饒平名先生が世田谷学園にいた。その人はアメリカの軍人と喧嘩するときには、まずつかんで転がすことだといったことを覚えている。寝てしまえば身体がでかいのはたいしたことは無いと言っていた。そうした沖縄の暮らしの実情までは見えていなかった。

 50年経ってみれば、沖縄を日本本土の前線基地にするということだったのだ。沖縄は防人の島ではない。沖縄に前線という厳しい状況を押しつけておけば良いというのは余りにひどくないか。東京から長距離ミサイルを撃てば良いのだ。首相官邸にミサイル発射台を作れ。

 水を汲みに行っている農業用水は名蔵ダムからの水である。以下石垣島の灌漑工事の経過を記録して見る。

昭和46年(1971)3月~9月 石垣島は大干ばつに見舞われ農業は壊滅的打撃を受ける。(連続干天日数191日)
昭和46年(1971)10月 石垣島農業開発調査団が来島同調査団により名蔵川流域かんがい計画の大要がまとめられる。
昭和47年(1972)5月 沖縄県本土復帰 沖縄開発庁沖縄総合事務局石垣島農業開発調査事務所設立
平成3年(1991)2月 名蔵ダム本体工事着手
平成9年(1997)5月 名蔵ダム試験湛水開始(平成10年8月完了)
平成11年(1999)1月 名蔵ダム工事完成検査

 30年かけて完成したダムの水が、今年の小雨で農業用水として使わせて貰えるようになっている。200ℓ10円である。意外に濁った水である。於茂登岳の麓に名蔵ダムはあるから、透明で美しい水かと思ったのだが、濁った水である。畑で使うのだから、もちろんそれで十分なのだ。

 島という場所で暮らして行くためには命の水である。水がなければ暮らすことが不可能になる。現代の暮らしは昔の暮らしに競べて、水を大量に使う。たぶん10倍ぐらい水を消費しているだろう。観光客は住民の倍は水を消費すると言われている。

 水がなければ観光も不可能になるということだ。水を大切にする農業といえば、田んぼである。田んぼはダムであり、治水であり、地下水の涵養である。島の田んぼが無くなれば、地下水の減少も起こるはずだ。田んぼを続けることは地下ダムを造ることと同じくらいの効果なのだ。

 宮古島の地下ダムは総事業費523億円 費用がかかったと聞いた。世界最大級の地下ダムである。宮古島という、山のない珊瑚礁の島では、地下ダムを造るしかない。地下ダムが出来て、宮古島の暮らしは、安定した。水が不安では暮らしは成り立たない。命の水を実感する。

 田んぼダムは地下水を涵養する。たんぼが作られていることは、ダムが出来たようなものだ。田んぼや溜め池で水を溜める。降った雨を流してしまわない仕組みを考えるべきだ。田んぼはお米を生産しながら、地下水も増やして行く。

 田んぼに溜められた水は60%の水が高いに浸透して行くと言われている。これは土壌によって随分違うだろう。代掻きのやり方でも違ってくる。石垣島の土壌であれば、40%ぐらいかも知れない。それでも降った雨を田んぼは旨く地下に浸透させる。

 現在石垣島は水量が減少したと、皆さん言われる。降る雨が一気に海に流れ出てしまうからだと考えられる。樹木に覆われた山が減少している。山だったところが、自衛隊基地や、ゴルフ場や、牧場に変わっていく。田んぼがサトウキビになった場所もある。

 地下水を涵養することが自然豊かな島を作る大切なことではないだろうか。地下に南百億円のダムを造らなくとも、石垣島では田んぼが出来る。ダムや溜め池で溜められた水を田んぼで使えば、上手く地下に浸透させて行くことが出来る。

 地表が乾燥していると、降り注いだ雨も地下に浸透せずに地表を流れ下って行く。しとしと雨が長く続く方が、地下水は増加する。同じ雨量でも短時間の激しい雨は流れていってしまう。どこかに溜めなければ、水資源が利用できないことになる。

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地方移住傾向は終わった。

2023-03-06 04:15:22 | 石垣島


 麦畑、ニシノカオリである。早くも穂が出てきた。どうも12月30日という播き時期が間違っているような気がする。それにしても2ヶ月で穂が出てしまうのでは、収穫は期待できないかも知れない。

 コロナでの地方移住傾向は早々と終わった。ますますの都市集中が進んでいる。東京圏への集中は相変わらずのようだ。普通の暮らしをしたいと考えてれば、地方はどんどん暮らしにくくなるので都会へ出る。と言っても普通の暮らしが日本ではどんどん減少している。

 階層化が進んでいるからだ。富裕層とそれに使われるものに二分してきている。拝金主義の経済だから、設けるための労働者は大いに求められているが、あくまで労働者は金儲けの手段の範囲だ。それでもそれが安定した暮らしと考える人が多数派なのだろう。

 この再燃した都市集中は、過疎化した地方での自給自足の暮らしはいよいよやりやすくなっていると言うことでもある。自分らしい生き方を探そうとするものには悪くない傾向である。ただ、地方の過疎地域のインフラはますます失われて行くのだろうから、この天よほどの覚悟が必要である。

 この地方消滅現象は、得に地方の山間部の消滅である。廃村集落という物が日本のいたるところにあるが、地方の山間部では普通の暮らしを考える人には、暮らし続けたくとも、暮らせなくなっているのだ。隣の家まで2キロ余りの自動車道で繋がっているとしても、この道を誰かが整備してくれるわけではない。

 自分で草刈りを年何回かやるほかない。自分達と言える間はまだやれるかも知れないが、一人で2キロの草刈りを続けるのは可能だろうか。道は整備をしていなければ崩れて通れなくなる。車が通れなければ、まず暮らせ無い。当たり前の事だ。

 そうした道の繋がっていない場所で暮らすということは、ちょっとしたケガや軽い病気でも、死ななければならないということになる。その覚悟がある人なら、そういうことは乗り越えられることかもしれないが、誰しも必ず年を取る。何歳までそうした暮らしができるだろうか。

 普通の人にはそれは無理なことだろう。子供が居れば、学校に通わなくてはならないのだから、なおさら無理なことになる。自分が死ぬ覚悟はまだしも、子供の死ぬことまで勝手に受け入れるという事はできない。だから多くの集落が消滅を続けているのだ。

 日本中にそうした場所が急速に増加している。この先10年で人口が半減する自治体という物が恐ろしいほどにあるのだ。これが自治体単位で起きていると言うことは、部落単位で考えれば、部落消滅は年何百とある事になる。北海道が一番すごい状態のようだ。

 確かに北海道では、自給自足はきつい。暖かい場所を選んだ方が楽だ。その温かい石垣島でも小学校がなくなる地域がある。人口はわずかずつだが増えて、人が中心部に集まる。中心市街地は広がっている。農地を宅地に転用する案が出ている。石垣島の中心部は実に暮らしやすいので、引っ越した私が満足している。

 それでものぼたん農園のある、崎枝では人が増えている。それは日本一美しい場所だから特別である。車の運転が自由に出来れば、崎枝はなかなかいい。週に2回生協の配送車が来ると言われていた。週一で買い出しをするから大きい冷蔵庫が必要ともいわれていた。

 小中学校もある。道路も立派なものがあり、草刈りなど必要ない。それでも時々草刈りや掃除をされている人を見る。たぶん人が出てやる日があるのだろう。のぼたん農園でも出た方が良いのかも知れない。少ない人数で地域を維持すると言うことが、大変なことだと言うことはよくよく分かっている。

 なぜ地方暮らしが出来ないかを考えるべきだ。「多様な仕事がない。優れた病院がない。大学がない。」この3つの必要条件が無ければ暮らせないと言う人が多数派ということになる。地方再生というのであれば、この3つを何とかしなければならない。

 しかしそうした期待は政府にしても無駄だ。人口減少を止めることが出来ないのは、人間という生き物の集団としての本能的な流れなのだ。生活が豊かになりながらも、息苦しい何かに支配されたような状態では、人間は希望を失って行く。希望の感じられない社会では人口が減少するのは当然だろう。

 豊かでありながら、不幸な時代。もちろん豊かさと言っても比較の問題で、スガ氏が言い放った、「生活保護がある」という豊かさである。年金を3万8千円もらい、生活保護費を4万1千円もらい、何とかギリギリに都会で電気も付けずに暮らしている豊かさである。

 私の子供の頃同級生の弟が栄養失調で死んだことがあった。小学校の同級生で新聞配達で家計を支えていた人は一人ではなかった。あの頃に競べれば随分と豊かな社会になっている。それでも何か失われたものがあると言う、喪失感がある。それは希望ではないだろうか。頑張れば何とかなるという空気だ。

 日本が停滞社会になったと言うことを認めることが出来ないのは、豊かになったという成功体験を引きずって居るからだろう。まだ団塊の世代は巌ばっえよくなってきたと言う実感がある。60代ぐらいの人でも、まだ暮らしが良くなったという感触はあるのだろう。正直その辺は想像がおかしいかも知れない。

 地方の中心都市以外は過疎化して行く。これはますます深刻化して行く。それは産業の構造が、一次産業から、3次産業に変わったからなのだから、大きく変わることは無い。その上過疎地域は政治的にも力を失うだろうから、政策的にも無視されて行くと考えなければならない。

 そういう前提で私は、石垣島を選んだ。離島でありながら、人口が増加している島なのだ。宮古島もそうだ。子供達が街で遊んでいる島なのだ。この情景を見るだけで、喜びが湧いてくる。子供は希望を感じさせる。小田原では子供を見かけると言うこと自体が希だった。

 南の青い海と緑の島という観光の要素があるからだ。そして、自給生活の可能な島というもう一つの要素がある。これが北海道の離島であれば、到底無理だろう。過疎地域で自給生活をする。その時重要なことは一人の自給を、みんなの自給につなげることだと考えている。

 一人の自給の半分の労力でみんなの自給は可能である。一人の自給では自給そのものが目的になってしまうが、みんなの自給であれば、かなり余裕のある暮らしが考えられる。他の仕事をやりながらの自給が可能になる。食糧自給が出来ていればその仕事も、自分らしいものやれるだろう。

 
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サトウキビに変わるものの提案

2023-02-23 04:26:34 | 石垣島

 9葉期まで来た「とよめき」水が少ない中、何とか水を保ち成長させている。日照不足で株が弱めなところが気になり、追肥に堆肥を入れた。少し回復したようにも見える。まだ土壌が出来ていないから、生育が今ひとつなのは仕方がないところだ。

 南西諸島には自衛隊の基地配備が進んでいる。政府は南西諸島の島々を防人の島にしようと考えている。しかし、この島々で暮らしている人間についてはどうすべきと考えているのだろうか。尖閣諸島には人は暮らしていない。北方4島にはすでにロシア人が多数暮らしている。竹島には韓国の軍隊が駐留している。

 自衛隊基地を作ろうとしている石垣島では、自衛隊基地の賛否の住民投票が拒否された。住民投票をすれば、明らかに反対が多いからだ。これは自衛隊誘致派の集会でも言われていたことだ。もし自衛隊基地に賛成が多いと考えるならば、住民投票を市長が提案して行うことだろう。市庁舎の移転問題はそうして進められた。

 北方4島に移住するロシアの新住民は相当の政府の補助を受けている。ロシア人が暮らす島であることを既成事実化するためである。それでは日本政府は琉球弧の島々の人の暮らしを、どうしようと考えているのだろうか。住民がいなくなってしまうのは困ると考えているのは確かだろう。

 防人の島に我慢して暮らす人が一人でも多く居て欲しいのだ。そのために特別の補助金がある。しかし、沖縄県知事が、基地反対派なのでその補助金もどんどん減らされている。防人の島と観光の島では両立しがたい。その先行事例が与那国島である。与那国島の自衛官でない住民は減少が続いている。

 若い人が就職したいと考えるような仕事先が無い。高校が無いと言うことが大きいだろう。高校に入るときから島を離れると言うことは、家族全体がそれを機会に島を離れてしまうと言う家族も居るようだ。また与那国に移住した人は、基地が出来て離れた人が多いと聞いている。

 サトウキビはそうした意味で多額の補助金を入れて、島々に暮らす人達を支えるという意味で重要視されてきた。与那国島にも製糖工場がある。さとうきびは先行き厳しくなることは分かっている。日本の気候、風土では生産費が余りに高くなるからだ。

 南西諸島のサトウキビは余りに国際価格とかけ離れている。10a当たり資本利子・地代全額算入生産費(以下「全算入生産費」という。)は14万9,014円で、前年産に比べ4.1%増加し、1t当たり全算入生産費は2万4,916円で、前年産に比べ6.2%増加した。 

 ブラジルやインドなどのサトウキビ生産はエタノール生産と砂糖生産の両方向で行われている。エネルギー価格が高騰すると、砂糖からエタノールに移行し、価格が下がると砂糖生産に移行する。その結果世界の砂糖価格は日本で生産する砂糖より大幅に安くなっている。

 もし石垣島の人口減少を起したくないのであれば、サトウキビに変わる農業を政府は提案しなければならない。それがミサイル基地を作る以上最低限の政府の義務だとおもう。それだけ石垣島の住民は日本全体のために負担を負ったのだ。

 原子力発電所を作る以上の危険を引き受けたのだ。核のゴミを引き受ける自治体と同じくらいの負担を強いられるのだ。日本の国民はそのことへの意識がほとんどない。沖縄のことだ、他人事だぐらいにしか考えていない。もし、その負担が嫌だというのならば、核のゴミ施設を自分の暮らしている場所に作ると考えてみたらいい。

 お金の恩恵よりも、石垣島で暮らして行けるように考えて欲しい。与那国島で暮らして行けるように考えて欲しい。その一つが石垣島のサトウキビ問題である。サトウキビに展望が無いというのであれば、サトウキビに変わるべき農業を、提案してもらいたい。

 こういう農業を行えば良いと研究提案をすべきだろう。自衛隊がいるだけの島になれば、それこそ竹島と同じことになる。何のために守っているのかが分からなくなる。住民を守るために自衛隊があるのだとすれば、まず政府は住民の暮らしを考えるべきだ。

 与那国島の町議会はシェルターを希望している。一体どれほどのシェルターが可能だろうか。ウクライナを見れば分かるように形ばかりのシェルターではだめだろう。よほど地下深く住民全員が逃げ込める要塞のようなシェルターが必要である。果たしてそんな物を作れるのだろうか。

 石垣島ではさらに話が困難になる。人口5万人が逃げ込める場所などあり得ないだろう。逃げると言ってもどこに逃げるのだろうか。沖縄本島の方がひどい戦場になるだろう。九州まで行かなければだめだろう。安全に行けるはずもない。

 戦争を回避すると言うことが、唯一の解決策だ。どこまでも専守防衛である。中国まで届くようなミサイルは必要が無い。どうしても敵基地攻撃をしなければならないという事態になるというなら、戦艦から撃てば良いだろう。一番良いのは潜水艦から撃てば良いのだ。

 安易に南西諸島を基地に島にするなどと言うアメリカの戦略構想に乗ってはならない。アメリカは日本を防波堤と考えているに過ぎない。アメリカ本土が戦場になったことがない。常に代理戦争をさせる国なのだ。世界の戦争にはいつも顔を出している。アメリカにとっての沖縄の意味をよく考えるべきだ。

 サトウキビのことだった。サトウキビに変わる農業を考える必要がある。それが正直どうしても思いつかない。それならブラジルのように、サトウキビでエタノール作りか。エタノールを政府が採算の合う価格で買い取ってくれるならば可能かも知れない。

 石垣牛もこれ以上は増やせない。これ以上増えれば糞尿被害が起こるはずだ。すでに土壌汚染が起きていると思われる。十分「よみがえり堆肥」が利用されていないためだ。よみがえり堆肥を回すためには、石垣の農業で堆肥を使えるようにしなければならない。

 サトウキビを作ってみたいと思っている。サトウキビを作り、水牛で黒糖を絞る。サトウキビ栽培は赤土の流出に繋がっている。サトウキビを株だし栽培にすれば、赤土の流出はかなり抑えられる。株だし栽培で8回も連続している国もあるらしい。

 しかし株だし栽培ではネオニコ農薬の使用が伴っている。使わないで出来るのかどうか。今のところは出来ないと言われている。ネオニコ農薬の登場で可能になった農法である。赤土で珊瑚が死んでしまうのも困るが、青い海がネオニコで死の海になるのはもっと怖い。

 株だし栽培が無農薬で可能かどうか、挑戦してみたいと思う。本来こういうことは国が行うべきことなのだが、国は何もしない。提案もしなければ、研究もしない。黙っているわけには行かないので、力量も不足しているが、手がけてみるほか無いかと考えている。
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ウチナンチュー大会

2022-11-14 04:24:09 | 石垣島


  移民については以前から様々に考えてきた。明治以降日本は移民を奨励してきた。日本が明治維新以後、南北アメリカ、中国大陸、フィリピン、南洋諸島など海外に送り出した移民の総数は百数十万にのぼる。そして、その移民の多くは国策として送り出された棄民と言うべきものであった。 

 日本の人口は、江戸時代には約三千万人で推移していたが、明治維新以後急激に増大し、1920年代末には六千万を越えた。この急激な人口増加が、人口過剰になり、土地を分ければ農家の維持が不可能になると考えた。農家の余剰人口を政策的に移民で解決しようした。 

 財閥支配と地主制に起因する明治の帝国主義の方向に問題があった。農地の人口増加に対応する分割が出来ない。富国強兵を目指し帝国主義政策を推進した明治政府は、国策により海外移民政策という、間違った方策を推進した。

 移民の募集にあたっては、甘い夢のような未来が待っているというような虚偽宣伝が行われ、現実の厳しさは覆い隠され、移住以後は日本政府はまともな対応を放棄した。ほとんど面倒を見ないという実態であった。まさに明治期から始まる、暗黒の棄民の歴史である。

 海外移民を推進し、海外に行ってしまえば自己責任とばかりに移民の保護を放棄してきた国は、人口減少による労働力不足のために他国人を呼び込もうというおかしな政策になった。日本の政治家・官僚・企業経営者達には、人間は口減らしの対象か、単なる労働力としか見えないという証拠である。

 戦後在外日本人の帰還が進み、荒廃した国土で職も確保できない状況が続いて、実際、帰還した移民に「祖国」は決して優しくはなかった。国内の寒冷地や高地に開拓移民として戦後開拓が用意されたが、再び過酷な開拓事業に取り組まなければならなかった者も少なくなかった。

【沖縄県の移民の歴史】 沖縄県は我が国有数の移民県であり、北米・南米をはじめ世界には約 42 万 人の県系人がいるとされている。戦前・戦後に海外へ雄飛した数多くの県民は、 移住先での困難の時代を不屈の精神で乗り越え、堅実な歩みを続けてきた。特 に、ウチナーンチュ(県系人)のチムグクル(思いやりの心)は、遠く離れて いても強い絆で結ばれ、戦前、戦後においては、仕送りや多くの救援物資によ り経済的困窮状態にあった故郷沖縄の復興を支えてきた。今では各国社会の一 員として信頼を築き、政治、経済、文化、学術等の様々な分野で活躍し続けて いるウチナーンチュは、海外、県外の地においても、故郷を忘れず、沖縄の文 化や精神を大切にし、県人会などでの伝統芸能や三線、空手等の文化活動を中 心に、ウチナーンチュとしてのアイデンティティを次世代に継承している。先 人たちが創り上げてきたこうした沖縄の文化については、沖縄県においても 11 月1日を「琉球歴史文化の日」に定め、沖縄の文化の継承と発展を図り、 もって心豊かな県民生活及び文化的で活力ある社会の実現に寄与することを 目指している。
 1990 年の初開催 以降、これまで概ね5年毎に行われてきた。前回6回の大会では、海外 29 ヶ国・地域から 7,353 名、国内 603 名が参加した。

 第7回ウチナンチュー大会が10月30日から11月3日まで開催された。沖縄のテレビではウチナンチュー大会一色と盛り上がっていた。いわゆる沖縄のアイデンティテーは他の地域にないものである。沖縄は移民に出る人が多い。当然移民から戻る人も多い。石垣島は共和国と言われて、様々な地域の人が石垣に来て島を形成している。

 一方で石垣島ではここ数十年流入人口が増加している。2006年は一年で 1840 人が県外から移り住んだとある。移住しても離れる人がかなりいるようだが、それでも1000人ずつが15年移住し定着すれば、島の人口の4人に一人が移住者と言うことになる。移住者の中には住民票を移さない、半移住状態の人もかなりいるらしい。

 これだけ移住者が多くなると、石垣島にルーツのある人と出会うことの方が少ない。知り合いになった方で言えば、のぼたん農園の参加者30人の中で石垣島にルーツのある人はいない。地主さんの国仲さんも宮古島からの開拓移住の方である。

 私が石垣島に移住して4年間、今まで知り合いになった方でルーツが石垣島の方だとはっきりしているのは2人のみである。1家のお隣の泡盛の玉那覇酒造所は石垣島最古と言われているが、那覇から石垣に移住した方だと言うことだ。地域の組長さんは農家の方なので、たぶん石垣島の方かも知れない。

 たぶん今までに200人くらいの人と知り合ったと思うが、そのうち2人だけが石垣島の方なのだから、知り合いの1%としかルーツ石垣島の方はいないということになる。もちろんルーツ石垣島の人が多く暮らされているのだろうが、私の行動範囲ではまず出会うことがない。

 島に来る人もいれば出て行く人もいる。本島につまり、沖縄本島に出る人も多いし、本土に移住する人も多い。多くの人が進学や就職に際して出ることになるから、若い人が出て行くことが当然多いのだろう。その背景があって、移民として出て行く人が多かった時代がある。

 世界に42万人のウチナンチュールーツの人がいて、沖縄に里帰りして、大会を開いているのだからすごい。こうした活動は沖縄だけのことではないだろうか。たぶん、世界中でそういう出身国との繋がりを大切に維持すると言うことは珍しいのではないだろうか。

 それは沖縄県人の一つの特徴でもある気がする。石垣島では抑どこから来たと言うことが話題になる。私が山梨県生まれであり、東京で育ったとしてもそういうことがどれだけ意味があるのかと思うが、石垣島ではとても重視されることになる。

 あの人は宮古島だ。あの人は与那国島だ。こういうことがその人間の判断になっている。大体名字でどこの人なのかみんな分かるらしい。もちろん名字で最近の移住者であると言うことも、当然に分かる。出自によって付き合い方を変えているのだろう。

 どこの馬の骨か分からない私のような人間は、騙して、一儲けするのが賢いやり方だと言う空気を感じることがある。役所や農協やどこへ行ってもヨソ者はヨソ者扱いして良いと言うことのようだ。ただし、ヨソ者と観光客は又別の扱いになっている。

 こういう背景があるために、移住者は結局の所、移住者相互に関わるようになる。家を作るのであっても移住者に頼むとか、県外の業者に頼むと問題が起きないと聞いた。申請などの困難は業者が受けているのだろう。私も自分の家と、倉庫建築で色々な体験をした。

 移民による過酷な状況を乗り越えたウチナンチュウ達が、ルーツを大切に現地で活動をしている。故郷を懐かしんでウチナンチュウ大会に参加する。素晴らしい機会が作られている。どれほど過酷な条件であっても乗り越えて、暮らしを成り立たせた人達がいる。

 これからの日本は果たしてどうなるのだろうか。外国人労働者が来てくれるような状況は遠からず無くなると考えておいた方が良いだろう。世界のウチナンチューが沖縄の素晴らしさを伝えてくれていることを、忘れないようにしたい。

 
 
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「石垣島」おもてなしの観光

2022-10-24 04:33:52 | 石垣島


 倉庫が作られている。余り進まないので困るのだが、それでも徐々に形が見えてきた。早くできなければ、籾すりも出来ないし、色々困ることが出てくる。この調子では11月後半になりそうだ。まったくあきれてしまうほどマンマンディーである。

 石垣島の未来は観光業にある。それは農業も観光に結びついて始めて成立することになる。今のところ、観光と言えば、大きな道路を作る。何か他にないような施設を作る。いわゆるリゾート開発を考える。これは未来の観光ではなく、むしろ石垣島の観光の未来を潰す可能性がある。

 建設業は土木産業の仕事を作り出すことが、石垣島の政治の目標である。たぶん日本の離島の多くがそういう構図にあるのだと思う。離島の建設業者は例えば大きな港湾設備を建設する仕事をやるために、様々な記事嫌人員を用意して対応する。

 するとその港湾設備が終わったときに次の仕事がなければならない。そこで離島の政治は次の仕事を見つけ出すことが重要になる。公共事業でもいいし、民間のリゾート開発でも良い。石垣でもポンツーンとか言う海洋施設の建設というのも提案されている。

 自衛隊基地建設、隊員住宅の建設、市役所の建設、クルーズ船の港、高級リゾート開発、ゴルフ場建設、ダム建設、大規模農地整備、道路建設、博物館建設、これらのことが動くことで島の建設業とそこで働く人や物の流れがある。その流れが止まればかなりの倒産も起こるだろう。島の経済全体が苦境に陥ることは間違いない。

 必要なものであれ、不必要なものであれ、あるいはやるべきではない事業であれ、島の経済はかなりそうした建設業に依存しているのが現実だろう。だから、島の未来にとって負の遺産になるだろう物でも、建設関連に多かれ少なかれ関わる人の多さが、次の建設の仕事を島の政治に期待することになる。

 一方で多くの人が島の未来は、観光業にあると考えている。この点はたぶん大きくは違わない方向なのだと思う。石垣島が世界でも有数の美しい島だと言うことがある。その美しさは自然と人間の暮らし方の調和に支えられている。

 太古の自然が残されているとか、絶景があると言うのではない。ごく普通の島にごく普通に人が暮らしている。その当たり前の調和が石垣島の一番の魅力だと思っている。これには異論はあるだろうが、今後石垣島で議論されて行くべき部分だと思っている。

 畜産に於いては石垣牛が重要な産業である。石垣は草の生産が年5,6回も出来る有利な草地と言う自然環境がある。牛の飼料が高騰する中、生の草を食べさせることが出来る条件は、石垣での畜産には未来があると思える。この畜産が必要とする草地が、石垣の観光と調和しなければならない。

 石垣牛が安定して売れるためには、観光業がさらに盛んになる必要がある。石垣牛は島民が日常食べるような肉ではない。高級な肉で、観光の一つの要素になっている。台湾や韓国や中国から来る観光客の一つの楽しみが石垣牛になっている。

 しかし農業全般で考えると、サトウキビは未来がほぼない。稲作農業も同様の状況である。観光と結びつかない限り、生き残る可能性は低いはずだ。サトウキビもお土産の黒砂糖であれば一定量売れているが、普通の砂糖としての販売は採算が合わなくなっている。

 パイナップルやマンゴーの生産もかなり苦しいと言われているが、可能性はあると考えている。観光と結びつけることが可能だからだ。お土産と言うこともあるし、ジェラートなど良い材料を使う他では食べられない特別に美味しいものが観光客の人気になっている。

 美味しいと言えばマグロである。生のマグロが食べられる島だ。今は観光と結びつくまでではないようだが、将来は石垣島に生のクロマグロを食べに来ると言うことになると思っている。その他美味しい貝類もあるのだが、これはすでに資源が枯渇しそうだ。

 観光客が楽しめる乗馬クラブもある。もちろんダイビングショップは数多い。きっと石垣島に釣りに来る人もいることだろう。ウインドサーフィンやヨットなどもよく見る。石垣島に何かをやりに来るという人が観光客のかなりを占めているのだろう。野球やサッカーのプロチームがキャンプに来ると言うこともあるようだが、雨が多いいと言うことが、ネックになる。

 観光に結びつく農産物は未来があるのではないかと思っている。その意味で、石垣島のお米がホテルの朝食に使われるというのも良いと思っている。美味しくて、有機農業での生産のお米ならば可能だろう。石垣島の水田が石垣島の環境と景観に寄与していることを考えると、どうにかして結びつけたい。

 そしてなにより「おもてなし観光」である。一番は石垣島の民謡文化である。伝統的な八重山民謡の奥深さは間違いなく日本一である。世界から注目される物だと思う。それと同時にビギンやきーやま商店のような人気バンドもある。島の若い人達が音楽に触れている。

 おもてなし文化の島といえるだろう。泡盛はその象徴である。泡盛もうまく観光と結びつくことが重要にちがない。石垣産のお米で泡盛を造るようになるべきだろう。観光と地元の酒は結びついて成り立つ物だ。価値あるお酒が造られれば、必ず残って行くだろう。

 おもてなしの背景にあるものは、相手の心を読み取る能力である。わずかな表情の変化で相手の心が読み取れなければ、おもてなしは出来ない。これが日本人にはかなり出来なくなってきている。フランスに暮らして一番驚いたことは、相手の表情を読み取る文化がないと言うことだった。

 日本人がまわりの人を気にして暮らしてきたのは、百姓文化である。いつも自然を読み取らなければならない。動じにお隣の田んぼのことも気にしていなければならない。水は繋がっていて、自分だけ良ければと言う人は、我田引水と言われて、地域社会では排除される人だった。

 いつも回りに配慮して手入れを重ねて行く百姓の心。この里地里山の考え方が、実は日本の物作りに反映したのだ。心配りのある、わずかな改変を重ねて、さらに良い製品にしてゆく。一人でではなく、全体のチームで協調して良い物作りを行う。

 このおもてなしと物作りの心の繋がりは、これからの石垣島の観光に一番重要な要素になるだろう。台湾に行って実に気持ちが良いのは、まだおもてなしの心が、日本よりも残っているからだ。それは石垣島にも残っている。これから石垣島が世界一の観光地になるためには、おもてなしの心だろう。

 おもてなしの心がなくなれば、施設の整備では追いつかないのだ。自然を大切にして暮らしているのだな、そういうことが感じられる石垣島にならなければ、観光に於いては単なる消費になり、必ず滅びてゆく場所になってしまう。
 
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石垣市「地域経済牽引事業計画の承認に伴う農用地利用計画の変 更」に関する意見書

2022-06-15 04:50:11 | 石垣島
意  見  書
                            2022年6月15日
石垣市長 中山義隆 殿
                    住 所 石垣市字石垣248-3
                 
氏 名  笹村出
2022年5月16日付けで公告された「地域経済牽引事業計画の承認に伴う農用地利用計画の変更」について、以下の通り、意見書を提出します。
ーーーーー以下意見です。

 石垣市の将来は農業の振興にかかっていると考えています。現在日本農業は厳しい状況に置かれ、耕作放棄地が増加し、農業者の人口も老齢化し減少しております。その結果日本の食糧自給率が37%から脱することが出来ない状況です。

 私は石垣市崎枝地区3.6ヘクタールの農業経営を始めた者です。水田と果樹園と水牛牧場を、体験型の伝統農業の農場を進めています。石垣島に世界から人が来て学べるような、体験農場を作りたいと計画しています。

 ウクライナとロシアの戦争によって、世界全体の食糧事情の悪化が顕著化しました。穀倉地帯での戦争が、世界中に影響を広げています。こうした思わぬ不測事態がさらに起これば、日本の食糧確保は忽ちに危険領域に達します。

 資本主義の行き詰まりから来ている、世界の経済戦争はいつまたさらに深刻化して、どこの国が経済制裁を始めるかも分からない不安定さです。日本はアメリカと軍事同盟を結び、中国を仮想敵国としている。中国と隣接する日本は安全保障上極めて深刻な状況にあると考えざる得ません。

 その一方で、世界の人口は増加の一途です。しかし農地はすでに限界まで達し、自然破壊によって農地が開発されている状況です。熱帯雨林を焼却して、農地を作らなければ、一層の飢餓が起こるという世界の食料生産の状況なのです。森を燃やして地球の温暖化を進めなければ、食糧が確保できないという深刻な状況が世界では起きている。

 これからの世界情勢を考えると、食料生産を守ることこそが国の安全保障の根幹になると考えています。日本政府の方針も食糧自給率を高めることと、農用地を少しでも減らさないための努力をすべきとしています。それは当然石垣市でも同じことでしょう。
 
 この前提からすれば農地を減らすことはあっては成らないことです。まして農振農用地は転用をしないと言うことが大前提の農地です。現在ある農地をどのように維持して行くかを考えなければならないのが、石垣市行政の役割です。又それを後押しして守ることが農業委員会の役割だと思います。

 まして、今回の対象地域はそもそも畜産振興のために、多額の国費を使い農地を造成した場所です。畜産振興と研究のために開発された農地が、その後石垣市の個人農家が払い下げを受けた場所です。あくまで石垣市の畜産と食料生産のために、農地を維持して行くために払い下げが行われたと考えなければ、矛盾が生じます。

 今回の農振農用地農地からの転用の申請は、ゴルフリゾートの建設と言うことです。これは通常ではありえないことです。あくまで特例として今回申請が出ている案件です。特例にして良いような案件であるかを農業委員会には慎重に審議して貰いたい。

 石垣市が観光産業の振興に力を入れる意図は理解できます。又それは必要なことでもあると私も考えるところです。石垣市の農業振興にも、観光産業の活発化は必要なことではあります。しかし、それを計画するには余りに適合しない場所です。優良な農地を潰して、リゾートを計画すべきような場所ではないです。

 前勢岳にゴルフリゾートができると言うことはその下にある水田地帯へも大きな影響を与えると考えるべきです。ゴルフ場やリゾートで使われる水の大半は地下水のくみ上げによるとされています。地下水の大量くみ揚げが、下流域の農地に影響があるかは十分な調査が行われていません。

 長年の農業の経験から上流で起きたことは、下流域に何らかの影響が起こるに違いないと考えています。もし影響が起きたときに、責任をとるのは農地の転用を認めた農業委員会と言うことになるのでしょうか。十分な調査がないままに農業の命と言える水を安易にリゾート開発に当てることは間違っていると言わざる得ません。

 それでも、石垣市の観光産業を考えたときに、どうしてもゴルフ場が必要だと考える人はいるでしょう。石垣市全体を考えたときに北部には開発すべき場所がまだまだあります。もしゴルフリゾートを作るのであれば、北部の方が島の将来計画に相応しい場所があります。

 ゴルフ場は石垣市に一つで充分でしょう。そのゴルフ場が北部に出来ることで北部開発の道筋が出来るかも知れません。これ以上南部に開発が偏ることは島の将来にとって、益がありません。

 バランスのとれた島の発展のためを考えれば、今回の農振農用地という場所のゴルフリゾート転用は、余りに不自然な気がします。牧草地として払い下げを受けた地権者に良くも悪くも個人的な利権が生じるでしょう。痛くもない腹を疑われても、仕方がないように思えます。

 今回の開発はゴルフ場が前面に出ていますが、実際の所はゴルフ場よりもホテルとリゾート開発だと思われます。ゴルフ場自体が日本各地で閉鎖が続いている状況です。ユニマット社は西表島でもリゾートホテルを裁判をしてまで建設をして、それを忽ちに失敗して売り払った前例があります。

 むしろ、強引に行政と結託を測り、公用地の払い下げや農振農用地の払い下げを受け、その後に転売を計ると言うことがそもそもの目的のように見えて仕方ありません。そもそも転用予定地はゴルフ場には傾斜が強すぎて適地とは言えない場所です。

 そこを無理矢理開発する意図は、将来の転売を計画しているとしか思えません。農振農用地の転用が出来さえすれば、リゾート計画は失敗しても十分利益が見込めるとは誰しも思うところでしょう。

 石垣市の農業委員会が農振農用地の転用を行うのであれば、認める前提として、まず地下水の農業委員会と責任としての調査をお願いしたい。現在の不十分な地下水調査では、将来の不安を拭い去ることが出来ません。

 石垣市の魅力は食糧自給が可能な地域と言うことだと思います。石垣市の観光振興も、ここに焦点を当てるべきです。石垣の食の魅力を発信して行く。石垣に来た観光客が、石垣の農産物を食べて石垣の良さを味わう。農地を守ることが、石垣の観光産業の推進にもなるという点を重く考えて欲しい。

 島の水は、大切に守らなければならない命の水です。その水が様々な要因で危うくなっています。理由は分かりませんが、石垣島では湧水がどこでも減少しているという話を聞いています。イネ作りを行っている者として、痛切に不安を感じているところです。農業者を守る農業委員会であって下さい。


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小田原から石垣へ

2022-06-03 04:27:12 | 石垣島

 小田原生活を終えて、成田空港から石垣への直行便に乗った。ピーチである。格安航空機と言うことだが、私には格安どころか十分である。その時の都合もあるが、ともかく安いのでピーチに良く乗る。二万円ちょっとで小田原石垣を往復できる。

 東京で用事があり、半蔵門線で押上げまで行きそこから成田の東武ホテルまで行って、その日は宿泊。気を付けなければならないのはバスは成田空港ターミナルまで行ってから東武ホテル行きのバスに乗った方が良いことだ。成田で降りたら苦労した。

 朝7時20分の飛行機なので、早朝6時のバスと考えていたのだが、ついつい眠れないので、5時30分のバスで空港に向かった。この頃いくらでも余裕があった方が良い。ともかく同時に二つのことが出来ない。一つをやると一つを忘れるのだ。




 何故か第二ターミナルで降りてピーチを探していた。どうも様子が違う、よくよく地図を見たら第一ターミナルにピーチはある。いつも間違えたことなどないのに、ホテルのバスできて様子が違った。それでも早すぎるくらいだから、問題はなかった。

 その日の都合かも知れないが、ピーチの方がJALより沿岸を行く。上空から見て眺めがおもしろい。小田原上空である。酒匂川がよく見える。上空より見ると河のすごさが分かる。私の家が見えることがある。この写真だと左に切れている。山の中にある家だ。



 富士山はいつ見てもおもしろい。この富士山を記憶していて、時々絵を描く。今回は残雪の残り方と、手前の雲に見とれた。さすが面白い形だ。この写真から絵は描けないが、記憶から絵は描ける。記憶は絵のような物だ。


 石垣島に着いた。あっという間である。この島の素晴らしさが上空からでも分かる。素晴らしい島に住ませて貰っているありがたさ。飛行機の中ではみんなの囲碁をやっている。みんなの将棋もやる。退屈はしない。





 ここまでで石垣までの飛行機からの写真は終わる。

 
 ここからは小田原の農の会の畑やたんぼ。舟原溜め池上の畑。ここに玉ねぎと、ジャガイモと、小麦の畑がある。手前は東さんの大麦。上の方まで全体で4反ぐらいか。

 イノシシと鹿がでるので、厳重に網が張ってある。何とか防いでいる。


 溜め池の草刈りが終わったところ。奥にはマコモダケのたんぼが見える。刈り残してあるのがカキツバタ。カキツバタも大分広がってきた。これは小田原へのお礼だと思っている。15年間暮らさせて貰った感謝の印が、カキツバタである。

 溜め池の整備から、草刈り管理。そしてカキツバタの池にするための管理。
花を嫌いな人は先ずはいない。ここにカキツバタが咲き乱れるようになれば、必ず誰かがこの場所を誰かが守ってくれるだろう。もう一息である。

 こうした農業遺構は不用な物として消えて行く。私には小田原城よりも大切な物なので、舟原溜め池はどうしても残さなければならない。小田原城よりも、元治の溜め池 に注目しなければならない。人間の未来のためには武士の歴史よりも庶民の歴史の方が重要なのだ。


 これほどきれいに手植えで植えられるのはすごいことだろう。線の引き方が素晴らしい。縦から見ても、横から見ても、斜めから見ても筋が通っている。30センチ角植えである。

 
 ここは9番田んぼで、笹村が手伝うことになっているたんぼ。 この写真を撮ったのは、苗が実は野菜の苗箱蒔きと苗代直播きとがある。その違いが出るのかどうかを見たいからだ。中央のたんぼの右側が苗箱蒔き。左側が苗代蒔き。苗箱の方がいくらか緑が浅かった。



 田植えの終わった欠ノ上のたんぼ。苗代で作った稲を、手植えで田植えをした。二日間の参加者は27名と40名だった。一日でも出来たものだが、日曜日しか来れない人がいるので、二日の田植えになった。田植えが終わるとすぐそば殻を蒔く。


 マコモダケが又再生してきた。一度取り払ったのだが、根がいくらか残っていて、又このように密生した。一度作った場所はもうほかの物を作るのは難しい。キクイモと同じだ。

 
 収穫して、葉と根を切って、家の縁側に干してある。これで365個以上はあって、1年分の玉ねぎである。良く出来た方である。コンテナで三つ。おく手で比較的保存性の良い品種。今度行ったときに石垣に送る予定。

 奥にあるのが大麦。家の脇の分だけ今回刈り取った。おおよそ100キロ。これも廊下に干してある。ビールにする予定だ。
 


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