不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

地場・旬・自給

ホームページ https://sasamura.sakura.ne.jp/

自然養豚

2006-03-31 07:00:07 | Peace Cafe
近くに自然養豚をやる若い二人がいる。
餌作りと、餌やりを教わりに行った。これが鶏とほとんど同じようで、少し違っていて、面白い体験だった。餌は、半嫌気発酵で作る。種菌を別に作りためておいて、それを加える事で、発酵を安定させているようだ。大きな攪拌機で仕込んで、ドラム缶に詰め込む。その他におからのサイレージ。

パン:110キロ(細かくする)、そば粉:80キロ、米糠:5キロ、水20リットル。海草:1キロ水で戻して、そば殻:10キロ。コンスターチ:5キロ?
それを母豚の餌の場合で、ドラム缶につめた発酵餌を1キロ、とオカラのサイレージを1キロ朝夕2回与える。肥育中の豚にはオカラはあまり与えない。1頭が毎日2キロ食べて、25頭で、50キロ毎日食べる。私の所の鶏のえさが、やはり50キロは使うから、餌は鶏の10倍と言う事か。
水はノズルから自由に飲む。他に草をかなり与える。

ここの自然養豚の特徴は、臭いのしないことに尽きる。床が、1、2メートルほどチップが積み込まれている。そのベットの上で豚たちは暮らしている。一箇所で排泄をするので、それをかき回してやらないといけないらしいが、ともかく臭いがしない。豚たちもおとなしく頭をなぜてやると犬のように目を細めて喜んでいる。ぶうぶうう甘えるので、食べにくくなる。

今のところ、週一回の出荷で宅配を行っている。経営はそれでやって行けると言う事だそうです。まだ20代の2人がこのような養豚場を立ち上げるところから、自力で行った事は、全くすごい事で、次の世代の生き方の方向を示してくれているような気がする。

こうした養豚でも養鶏でも、あるいは有機農業全般に、業として成り立つ人は技術を獲得できる人だと思う。観察力と言うか、わずかな違いを見つけられない人は、技術の獲得が出来ず挫折してゆく。志して、技術を身につける資質がある人はどうだろう、30%ぐらいのものだろうか。こうした技術は、ある意味再現性が無いわけで、むしろワザと呼んだほうがいいのかもしれない。私もワザを技術に高めるため、誰にでも出来る様にしようとしてきた訳だが、やるほどにその難しさに痛感するところだ。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自家採種研究会

2006-03-30 07:42:46 | あしがら農の会
技術力を身に着けることが唯一農家としての自立を可能にする。と考えております。私は鶏については、頭の中に整理されて入っているのですが、作物については、デザインできないで居ます。
稲作はある意味段々にデザインできてきたのですが、野菜については何もわからないというのないというのが実情です。たいていのことは繰り返しているうちに全体の構造が見えてくるものですが、野菜の世界は実に複雑で、整理が付かないでいます。

自然農法国際研究開発センターから、石綿氏に来ていただきました。
この方はちょっとすごかった。頭の中が実に整理されていて、複雑な自然の様相が、立体的に映像化できているらしい。それをひきだして、私達の眼前に具体化してくれました。それは一種の手品のようで、不思議なだけで、こちらの頭の中が、曇った上に平面の鏡なので、解った様な気にさせていただくだけで、実は呆然としたままと言う感じでした。
基本的な知識が不足している中で、実践の中で起こってくる、様々な現象だけが、蓄積されているだけなので、思い当たるところはあるのだが、割り切れにと言うことでした。

それでも、いくつかの事が気付かされました。
○稲の自家採種の継続の善悪は、学会でも議論が分かれている。取るなら、水口で行え。稲が変異を起こすにはストレスが強すぎるか、無いか。のどちらかなので、適度なストレスの中で、採種するのが、遺伝情報を安定する事になる。
○トマトが、F1から自家採種してゆく、と言う事自体は意味がない、どのくらい、多様な遺伝情報があるか。また、自分の構想をどう持つかによる。
○畑はデザインが大切である。各作物の持つ特徴を理解し、畑の環境的な総合性を理解し、自分なりの展望を持って作付けをしてゆく事。
○土壌の事は大切ではあるが、作物から切り離して考える事は意味が無い。作物を含めた、土壌の総合性を考える必要がある。
○作物には土壌を自分に合わせて変えてゆく力がある。
○キャベツと白菜では雑草に対する対応力が異なる。白菜は草に弱い。
○小麦とトマトの組み合わせ栽培は、両者に有用である。
○自然農法育成苗の意味は、品種的選抜にある。市販苗は有機栽培にした場合、弱点を出す事がある。
○筋蒔きと一粒蒔きは根自らの土壌を変える違いを考えなければならない。
○もくさく液はペーハー調整、微生物の整え。
○連作障害は3年目ぐらいで、大きくなるが、それを乗り越えると、むしろ連作がよい結果を作ることになる。
○土壌を分離して考える事はよくない。作物と総合的に捉える必要がある。特に根が土壌に与えてゆく物は大きな物がある。
○直播の種、と苗作りはどう違うかは自分の畑のデザインの中で考える事である。

まだまだ伺った事はありましたが、私の感じた物も含めて、整理してみました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お茶会

2006-03-29 06:00:32 | あしがら農の会
あしがら農の会ではお茶会が何度か開かれてきました。「菜の花茶会」と名づけられ、田んぼで育てられた、菜の花を楽しみ、お茶会を行います。
今年は4月1日の午前中となりました。
昨夜は農の会らしい「お茶会」を目指して、検討が進められました。

農作業を行い、気持ちを整えて、お茶会に進む 導入とする。
農作業は菜の花摘みを行う。
全く初めての人でも戸惑い無く参加できるよう、作法の解説を行う。
但し、作法にこだわることなく、自由にお茶を飲むことも許容する。
静かな空間と、時間を共有するために、緊張感を持って臨む。
茶器、道具、菓子は参加者が製作したものを持ち寄る。
茶室のしつらえは、大切に行う。
茶会終了後、茶話会を行い今度は開放された形で、歓談する。

茶道と言う長い伝統のある世界なので、形式をどこまで踏襲するか、難しい事ですが、農を行う暮らしの中に、無理なく置かれる、改まった時間を求めたいと思います。日々を大切にすること。日常をあらためること。そんな深まりが出てくればいいと思っています。

私は掛け軸を担当します。6号縦型の、春の足柄の景色を、特に菜の花の咲く景色を描くつもりで居ます。

素晴らしい時間になると思います。定員まで後4名です。ご希望の方はご連絡ください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美術9条の会

2006-03-28 06:00:18 | Peace Cafe
私を美術9条の会で名前を見たと言う方に2人続けてお会いした。
9条美術の会というのもあるので、正確にはどちらか解らないが、
私の絵を見ていて、そういう考えの人だと思っていた、こう言われたのがとても嬉しかった。
逆にその2人も、そうした思想をお持ちだということは、絵だけでよく解っていました。名古屋と、新潟の方で、親しくお話した事はほとんど無かったので、絵を通してその方の考え方を感じていたのだと思う。

名古屋の方Sさんは以前から、政治性の強い図柄でしたから、解って当然でしたが、今回の絵が、9条を守る署名活動をされている人を描いた作品でした。Sさんの絵としてはよいものに見えませんでした。私は以前からSさんの絵から深い感銘を受けておりました。通勤電車の車窓にうつる、町外れの情景、路上生活者を思わせる人物像など、魅力的な作品が多数あります。そうした図柄と、黒を基調とした美しい調子が、深い精神性を感じさせ純度の高い絵画性を持っています。人間の尊厳にいつも触れた深い作品だと思っていました。
ところが、今度の9条の署名の作品は、描かれた人物が残念ながら、単なる図像になってしまい、どうかしたのかと思いました。作者にお会いしましたので、率直に私が感じたものを伝えました。「自分の立つ位置を明確に示したかった」こう言われた居ました。私は、絵での表現の強さ、意味を伝える難しさを感じました。

もう一方のKさんは新潟の山の中で暮らされている方です。実に説明の無い絵で、ただ、草原と思えばいい、緑色のくすんだ空間だけが描かれています。でも、小さな木、小屋らしき物が、ポツントあったりしますから、抽象画ではありません。
Kさんの空間なのです。勿論お人柄まで知るわけではないのですが、この方の感性、思想は充分わかります。一つの空間を通し、この方の平和的な生き方、考え方が私には当然のことのように伝わっておりました。
こんなに遠まわしな表現で、良いのかと言う、不思議な思いがします。

お2人絵を見てきたことは、私の制作に大変重要な事でした。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

写生会

2006-03-27 07:12:30 | 最小限の家
「水彩人写生会」が志賀高原(木戸池温泉ホテル)で行われます。
新春の志賀高原は装いを取り外し一番その姿を現す季節です。

今春の計画を載せます。こうした写生会に随分長く係ってきました。
水彩連盟での写生会を加えると20年以上になると思います。
プランを紹介します。興味をもたれた方が居られましたら、お申し込みください。
この写生会の特徴は、指導と言う事ではなく、互いの研究を徹底的に行う事です。
水彩人同人も、その場で同じに描き、同じに並べ、相互批評に加わります。
この活動の中で、絵を描く事を探ってきたのは、計画を立ててきた私自身だと思います。

募集人数は40名です。費用は23,000円になります。

開催日時 :5月22日(月)、23日(火)、24日(水)
集合受付 :木戸池温泉ホテルに5月22日13時に各自集まってください。
      
開催場所 :〒381-0400長野県下高井郡山ノ内町志賀高原木戸池温泉ホテル
TEL0269-34-2821 担当 倉科芳俊さん
荷物は事前に送ることが出来ます。
<一人部屋の希望、同室を希望する方の希望>など、はがきで連絡下さい。
問い合わせおよび申し込み先:〒250-0055  小田原市久野3545  笹村 出  ℡0465-32-6733
交通例 :  東京発:8時46分(長野新幹線)長野着:10時20分長野電鉄乗り換え11時51分発 信州中野 11時30発 ホテルの送迎バスがお待ちします。
帰路は13日11時にホテルの送迎バスが出ます。  

進行:1日目・受付が終了しましたら、荷物を整理次第、写生が始まります。新鮮な気持ちで描く場所を見極めてください。自分をひきつける場所をスケッチをしながら探ってください。自分をひきつけてくる要素を探りながら、自分の絵画との関連を考察して下さい。直感が大切です。場所探しは制作の一番大切な要素です。一日の日の光の変化や、画面を置く角度、画面から離れる距離、足場の状態、雨の予測、など充分考慮してください。
      水彩人同人が廻って歩きますので、積極的に疑問点やヒントを尋ねてください。夕食後描いた作品の研究会が開かれます。

   2日目・は本格的に制作をしてください。紙サイズは考え方にもよりますが、自分が考えるものより一回り大きな紙で制作する事が、勉強になります。制作中は同人がいちいち口をはさむことはマイナス面もあります、質問・指導を受けたい人は自から同人に積極的に尋ねてください。同人は複数居ることもあり、指導が食い違う事も当然あります。制作は自分の世界ですから、自信を持って自分の絵画を制作して下さい。講師は出来る限り捜して歩きますが、広い為に見つからないこともありますが、自分から場所をアピールして下さい。
      夕食後描いた作品の研究会があります。

   3日目・は午前中の制作になりますが、各自のペースで描き、解散してください。、夕方まで描いている同人もいますので、自由に批評を受けてください。10時に一応の解散式を行います。ここで総合的な質疑を行います。また、6月頃予定している、「第2回標会」についての話し合いを持ちます。
帰りの送迎バスが11時にありますので、間に合うような簡単なものに成ります。

研究会 :  夜には昼間描いた作品を持ち寄り、研究会を行います。
1日目は制作準備として参考になる点を、研究します。翌日の制作に生きるような点を考えてみたいです。少しでも絵が前進できるよう率直に意見を述べ合います。時間も短い為、きつい言いまわしに成る事もあるかも判りませんが、絵が良くなる為に本気で発言しますので、そのつもりで受け止めてください。

2日目は作品としての課題を研究したいと思います。水彩画としての研究が行えればと考えています。研究は徹底してやりたいので、失礼な言動もあるかもしれませんが、作品向上のため遠慮なく発言させてもらいます。参加者はどなたも対等ですので、発言を積極的にお願い致します。同人も同様に並べて研究します。

準備 :  画材は各自が充分準備してください。紙や絵の具は充分お持ちください。
スケッチブック、イーゼル、水入れ、充分な筆数、ドライヤー、帽子
高原の雨や朝の寒さは真冬と考えてください、防雨寒対策は万全にしてください。
      雨はあるものと考え、作品が濡れない準備(ビニール袋)をしてください。
2か目の昼食はお弁当を用意します。
描き出しは戸惑いが出やすいですので、事前に制作の予行演習を行っておくと、最初から調子が出ます。出発前の準備も万全にして下さい。
注意 :  荷物は事前に宅急便で送ることが出来ます。ついたらすぐに制作できるように、時間の余裕を持って送ってください。
      キャンセルは出来だけ早めに連絡ください。遅くとも1週間前に連絡がないと、ホテルの規約にもとずきキャンセル料が請求されます。
同人も同じように制作します。同人にとっても大切な制作の時間となります。指導は活発に行いますが、その点は了解下さい。
<一人部屋の希望、同室を希望する方の希望>など、はがきで連絡下さい。

写生地の案内
1、 ホテル周辺では、窓からも描ける木戸池があります。ボート小屋や木陰など、ゆっくりと描ける所があります。ホテルに近いこともあり、雨宿りも出来安全な場所です。特に夜明けの朝日が霧の降りた湖水に差し込む頃は、絶好のポイントになります。注意点は背景となる山のラインです。これで失敗しますので注意して下さい。
2、 田の原湿原が高原の春のあたたかい広がりを感じさせているはずです。特に描く位置の高低差が自由に取れますので、湿原の広い空間を大きく自由に構成するには、又とない場所です。
3、 周辺のスキー場もなかなかの写生地になります。残された茂みや潅木、高原らしい白樺など、草地との組み合わせが魅力的です。
4、 道路を少し登ったところに、テント場があります。ここからは遠望する山陰が美しく広がります。高原の春の芽吹きを描くことが出来ます。
5、 15分ほど歩きますが、石の湯に別世界のような廃園があります。廃屋となったホテル、プール、の作られた美しさが、消え去ろうとしながら自然の馴染んでいます。
特に新緑の樹間からの、眺めはすばらしいものがあります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水彩連盟展

2006-03-26 06:39:20 | 水彩画
今日から、4月4日まで、第65回水彩連盟が開かれます。
東京都美術館です。9時から17時まで。最終日は13時までです。
いってみたいと思われる方が居られましたら、
メール(sasamura.ailand@nifty.com)をいただければすぐ招待券を送ります。
700点を越える、水彩画の大作が並びます。
今回が、最後の都美術館での展示になります。

昨日は、一日がかりで、展示を行いました。100人を越える同人が、各地から集まり、各室分担が分かれ、飾ってゆきました。今年は最後と言う事もあり、準備には力が入りました。

作品の搬入から展示までの流れは、今年は画集を作ると言う作業もありましたので、会員、準会員、一般、と言う3種類の流れが出来ました。会員は審査なし、準会員は審査して、1点を選ぶ、一般は入選と落選が審査されます。その間に賞が選ばれます。順次その間に写真が取られ、初日に間に合うように印刷に回されます。

そうした作業は都美術館の地下で行われています。この場所が全く環境が悪く、風邪を引いたり体を壊す人が多数おります。私は気管支が具合いが悪いので、なるたけそこに行くことは避けるようにしておりましたが、やっと来年からは行かないで済むことになりました。今度のナショナルギャラリーが、どんな環境に成るかは解りませんが、今より悪いことはないでしょう。

私は以前はこの会の委員と言う立場でしたが、今は会員と言う立場です。これは私なりの考えがあり、委員を下ろさせていただいたものです。それ以来正直私への風当たりは良くないのですが、あえて私は退会せず、出品を続けております。先日も親しい友人からなぜ止めないのかと言われましたが、私が止めない事で、少しでも民主的な会としての未来があるのではないかと、考えて止めません。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

めだか池

2006-03-25 05:48:17 | 環境関連
めだか池のカイボリがありました。
昔、育った山の中の貯水池のカイボリを思い出しました。
いつもうなぎが出てくるのです。それをみんなが楽しみに、作業を楽しみました。
昨日は、行政の方が市の方も、県の方も多数参加してくださり、感慨深い物がありました。
小田原市桑原のめだか池は、地元の農家の沖津さんが作られたものです。5年ほど前、ここに道路を作ることはまかりならぬと、自分の田んぼをつぶして、ビオトープにしてしまったのです。それで、道路になってしまい、メダカが滅びるだろうから、残地の三角地に「かつてここにメダカがいた」と言う石碑を建てると、石まで用意しました。
その覚悟の前に、徐々に、行政も力で押しつぶす姿勢から代わり始めました。
周辺の方々も、大変な批判を沖津さん一家に浴びせました。夜中に石を投げられガラスが割られる。不審な落書きがされるなど、おかしなことが繰り返されました。しかし、沖津さんは酒匂川の河童として育った事を自認される事です。
普段は植木組合の組合長をされるような社会的にも、尊敬される紳士なのですが、こと地元の環境を壊す事にかけては、絶対に譲らない、頑固一徹に押し通しました。又、その女手一つで沖津さんを育てたお母さん、金子みすず追っかけのすばらしい奥さん、そして、植木屋を一緒にやる頼もしいこれも頑固者の長男。
そして、私としては8年前最初に知り合った、娘さん。この娘さんが、酒匂川メダカの生息地を守る会を立ち上げ、活動を広げていったのです。地道な生態調査を続け、この桑原地区が酒匂川からの湧水に守られ、小田原のオアシスとして、メダカに限らず様々な生物が豊富に存在する事を確認してきました。
神奈川県ではメダカはここだけに生息します。その他、県の希少生物指定の生き物が、コサナエトンボなど4種居るそうです。

昨日は、このシンボルでもあった、めだか池をカイボリし、生物調査をしました。県地球博物館から水中生物の専門家石原技官、この事業の責任者内水面試験場から勝呂技官が見えて、指揮をとってくれました。こうした方は面白いです。私はこうした何かに打ち込み、まっすぐな方を見ると、まだまだ日本も捨てた物ではないと感じます。

カイボリ後、新しいめだか池に生き物は移動しました。これから、市民が自分のこととして、桑原の残された環境を守ることが出来るか。私なりに、活動を続けたいと思います。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

批評と言う事

2006-03-24 05:37:32 | 水彩画
水彩人では徹底した相互批評を行います。展覧会の最終日は会場を閉じて、同人のみの批評会を行います。前持って、各自が他の同人の作品に対し批評を文章化し、全員に配ります。そこには、5段階評価で、同人として共に並べたくないと言う×から、水彩人としてこうした作品を推奨したいと言う◎までの採点も入れてもいい事になっています。×印が過半を超えて、2年連続であれば、退会と言う事の約束になっています。
今までにはそうしたことはありませんでしたが、一年で×印が多く、退会した例もありました。
なぜそこまで厳しい相互批評を行う事を、会則で決めたかと言いますと。本音で自分の考えをぶつけ合う作家の仲間が居ないからです。すぐ、お仲間展になり、互いの批評を行わなくなるからです。水彩連盟と言う会の会員でもありますが、この会の中で、相互批評が行われる事はほとんど無いのが、現実です。これは、本音で作品の批評が出来ない風土が日本の社会にあると言う事でもあります。
物言えば唇寒し、本音を封殺してゆく、遠慮社会が存在します。そのような事で、まともな文化が育つわけがありません。
つい仲間にさえ本音が言えなくなることが、作家としていいこととは思えなかったのです。これは作家にとどまる事ではなく人間としても同様です。

これを打破するためには、根底に人間的信頼を培っていく事だと考えています。仲間の生き方が信頼できるものであれば、本音で意見が言い合える。生き方から離れた、発言、つまり自分の制作から離れた意見を発言していても、信頼関係は構築できないと考えています。制作する仲間は深い信頼関係に従い、感じた事は全て述べ合う事が大切です。これだけが、互いの絵を高めてゆく手段になる。このように考えたのです。

以上の原則は入会希望者にも、全く同じです。この会は意欲があるものは、自由に、加わってもらいたいと考えています。しかし、その人の絵を充分に見て、その考え方を延べてもらい、その上で同人に加わってもらいます。その際、同人と同じ5段階評価をします。同人の相互批評と同じ事を、新規入会希望者にも行う事にしています。同人は資格とか、特権とかではなく。水彩人の作家としての立場に立つことを意味しています。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「たまごの話」

2006-03-23 05:26:52 | 自然養鶏
江戸時代 鶏の改良では、日本は世界一の改良を行っていました。ニワトリはすべて、赤色野鶏1種から人が作りだしたものです。赤色野鶏と土佐の小地鶏は見た目では、ほぼ同一種です。天然記念物の日本鶏は17種いますが、どの鶏を見ても世界で類を見ない、交配の妙と言えます。今の技術力では再現すら出来ない高度なものです。

処が、不思議な事に江戸時代、産卵鶏を作り出す努力が全くされていません。大正期にウヅラの多産系を作り出したのも日本人ですから、充分技術はあったにもかかわらず、江戸時代産卵性に着目しなかったのです。宗教的な意味かと言うと、肉鶏のほうは比内鶏のようなものもいますし、鶏肉は4つ足で無いと言う事で、食べられていました。卵料理の本「卵百珍」が天命5年に出版されています。たぶん当時の暮らしの中には「多い事はいいことだ」と言うような感覚が、無かったのでしょう。

子供の頃、卵は乾物屋さんで売られていました。乾物屋さんの朝の仕事が、太陽に卵をすかして、悪くなった卵を選び出す事でした。有精卵の時代は1ヶ月ぐらいは平気で食べていたのです。いよいよだめだと言うのを、安く売るかごに入れました。たまごは、鶏の命をつなぐ循環の要ですから、実に上手くできていて、栄養的にも、保存の点でも、完全食品と言える物の1つだったのだ、と思います。

私のところのベスト記録では、70日保存してひよこになりました。これは室温で保存した種卵です。生命力の強い卵を産ませ、卵を9度ぐらいに保ち、日に1回は逆さに返し、中の水分が蒸散しないようにすれば、3ヶ月は生命を保つはずです。1年保存して、卵の状態が変化していなかった記録があります。

江戸時代、庭先で家族の数程度ニワトリを飼い、卵を産めば食べる。産まなければ食べない。こうした、自然を受けいれる暮らしの中で、より美しい鶏を作り出して行ったような、優れた感性を。私達の暮らしの中で見つけてゆきたいと思っています。そこで、私の作った笹鶏は私の暮らしを表していると思っています。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今の農作業

2006-03-22 06:30:10 | 自然養鶏
3回目の雛を孵化しています。笹鶏の純系が赤と白二系統いるのですが、この雛達は既に2ヶ月になりました。その二系統をクロスして実用鶏を取るのですが、
この孵化が今2度目になります。フランキの一台が温度サーモが故障したらしく、
孵化を失敗してしまい、今は一台のみで、やっています。
今年は、4回目もやろうかと考えています。

畑にある作物は、大根、春菊、こかぶ、小松菜、たまねぎ、にんにく、じゃがいも、しいたけ、菜花、等です。今からの1ヶ月が、自給してゆく上では、畑は一番作物が不足する時期になります。菜花ばかりは充分にあります。
一方この時期になると、山には、山菜が一斉に出てきますので、これを楽しみに探して、行くと、食卓は豊かになり楽しみです。
しばらくは、ふきのとうやら、つくしでしたが、のびる、せり、と毎日1品を楽しむようにすると、あきません。
しかし山菜がおいしいのはたまに、ウドやら、タラの芽を食べる時で、これだけしかないと成ると、さすがに野菜には適いません。それでも春先はあくも少ないし、身体も苦い物が食べたくなるわけで、おいしさは格別です。

これからが、苗作り、種まきの最盛期になります。私はトマトに一番の興味があって、毎年挑戦しますが、上手く言った時がありません。上手くいくというのは、10段を越えるということです。一株で、50個以上取ると言う事です。踏み込み温床で作った、苗を友人からもらって、作って一度だけ、10段を越えました。

稲の種まきは、4月の9日が予定なので、そろそろ、浸種を始めます。こちらもいよいよと思うと、緊張してくるものがあります。やはりお米は格別な物です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

酒饅頭

2006-03-21 06:12:30 | あしがら農の会
昨日は、藤野町の篠原の里交流センターに行ってきました。酒饅頭の作り方を山崎おばあーちゃんに教わりに行きました。私の生まれた、境川村の藤垈と良く似た、山間のでした。お米の作れない暮らしはすぐに想像できます。
それでもフジンタでは、酒饅頭はあまり作りませんでした。お祝い事で、小豆餡の入ったものは記憶にありますが。日常ではまず、食べませんでした。

有名になったのは「ほうとう」です。冬場は連日のかぼちゃのほうとう。かぼちゃが無ければ、サトイモ、ジャガイモ、何でも入れました。これをどんぶりで1,2杯食べてから、ご飯です。子供の私は、結局ご飯は食べません。それでも翌朝の冷えたほうとうまで、私は好物でした。
夏場はこれが、「おだら」に代わります。見た目はそばと変わらないのですが、これを小麦粉で作るのです。細く、細く作るので、難しかったのでしょう。汁につけて、食べました。

私のふるさと山梨の境川では、麺といえば「ほうとう」ななります。手打ちの打ち込みうどんで、生のまま汁に入れて、煮てしまいます。味噌味としょうゆ味がありますが、私の家では醤油味でした。
多分味噌味が農家の暮らしからして、本道でしたでしょう。

この話になると、嫁と姑の揉め事を思い出します。我が家では私の仕事ですが、昔はその家のお内儀の仕事でした。嫁の仕事として渡す時が、権限の移行の様なもので、
結構微妙なところがありました。技術的に難しいので、手打ち製麺器というのが登場しました。
嫁の麺打ちがまずいと言うのを防ごうと言うわけです。おじいさんは機械の方が上手いと、何度もいっていたので、不思議な事だと思っていました。争いごとがあったのでしょう。

上手い訳がありません。随分味のわからんチンだと思っておりました。この小麦の種類が、甲州赤小麦と言って、背丈ほどある。古い品種です。だから、甲州では屋根は麦わらで葺くところが多かったのです。甲州は山ばかりで田んぼがなく、お米が採れない。麦が半分以上はいる麦ご飯よりよほど美味しかった。だから、機械打ちになったときは本当につらかったけど、さすがに何か空気を感じて、手打ちがいいとは言えなかった。

昔の篠原の暮らしの話を伺いながら、昔のフジンタの暮らしを思い出しました。そして、味噌入りの酒饅頭を作りました。このねぎ味噌餡は中々の物でした。今度の4月1日のお茶会では、これを作って出したいです。今仕込んだ酒が、沸いて来ていますので、明日には復習をしてみます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山北森林ホーラム

2006-03-20 05:36:44 | 最小限の家
山北森林ホーラムの集まりに昨日参加しました。
どちらかと言うと、こうしたイベントはいつも企画する側で、他のグループの活動に参加するということは、少ないので、いくつか学ぶ点がありました。
おおよその実際を整理してみると。
日曜朝、10時10分に山北駅に隣りにあるふるさと館に集合。
案内ではそこに集合だけだったので、今日何があるのか。何時までかも知りませんでした。いっても説明が無いまま、そこに居ると。どうも時間に予定の人が集まらないので、携帯電話で状況の確認を主催者はしている。
10時35分になると出発、ここでは挨拶など一切無い、何となく、間伐の場所に歩いてゆくから、いきましょうと言う事で、ぞろぞろ出かける。どこに行くのか、車で行かないのか、など質問が出る。丸山の向こう側に行くのだが、歩いてゆく。
菜の花で美しい山北のまちをぶらぶら、だらだら、かなり遅いペースなので、私はいつの間にか先頭に居る。振り返ると15人ぐらいの集団だと言う事がわかる。

11時10分頃、到着。場所は岸の新しい団地を作ったとなり当たりの、取り残されたような、4反ほどのヒノキ林。
既に、間伐をしていた、山北森林組合の3名を大声で、呼ばわり。
説明が始まる。森林組合の方の名前の紹介があり。いけやさん。
いけやさんによると。「山に親しんでください。木の香を利を味わってください。山の土を感じてください。」どうもこうした森林ボランティアの活動のお手伝いには大変慣れている様子で、では好きな木を要らないような木を切ってくださいということで、ヘルメットとのこぎりを渡される。
ここで、いかにも、わたしたちが期待されていない。どちらかと言うと地元の方にとってはありがた迷惑と言う事が感じられる。
早速間伐すべき木を切り始める。沿うその前に一本切って見てくれと言う声が掛かり、若い人が呼ばれて、チェーンソウでたちまちきる。
好きに始めてくださいと言う事で、12時40分までに3本切る。
それでは終わりと言う事で、声がかかり。降りて、道具を返すと。帰ろうとするいけやさんに、主催者が一言お願いします。と食い下がると。特に話は無いけど、と言う事で、「今日の体験を山で感じた事を又思い出してください」と言う事でした。
では丸山を反対に回って帰ります。と又だらだら歩き始める。40分ほどして、旧町役場まで来た時に、強い雨が降り始める。
私は、走って、ふるさと館まで戻る。
雨宿りしていたとかで、主催者は1時30分頃、戻ってくる。
どこかでご飯を食べてきてください。午後には木工教室があります。
と言うので、それではこれで、帰らしてもらうということで、今日の活動を終わらせてもらいました。

人から期待されない、何の意味があるかもわからない活動をする。これほどつまらない事はない。
参加者こうした活動に参加したとき、何を感じるのか。いい体験になりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

崖の眺め

2006-03-19 21:33:42 | Peace Cafe
水彩画で、2メートルを越えるものです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アンニョンさよなら

2006-03-19 06:45:08 | Peace Cafe
昨夜、鴨宮のマロニエで、「アンニョンさよなら」をみました。
つらい映画でした。とても普通の気持ちじゃ帰れませんでした。
加害者としての日本人、アジアで2000万人殺して、反省すらしない日本人。
中でも、植民地として、許されない、行為を数々行ってしまった、朝鮮。

その後60年間、その事に直面せず、アメリカの尻馬に乗って、醜い日本人。
このことを肝に銘じない限り、日本人は人間として許される事はないだろう。
西欧帝国主義のアジア支配に対する、開放の聖戦として、60年前の戦争を捉える、論調が紹介されていた。

ここでは自らの帝国主義の問題が、口を拭っている。確かに、世界を植民地化して、搾取を続けていた、西欧諸国が、許されるものではない。しかし、そこに割ってて入り、自らも利益をむさぼっていた、醜い自らの姿を、いまさら正当化できるはずが無い。

今日本は、自民党政権は靖国問題を全く譲ろうとしない。結果アジアからの孤立、アメリカへのますますの傾斜。その原因は、アメリカと共に行っている経済による世界進出にある。経済的権益を守るためには、武力によって安全を確保するしかないとするのが、アメリカの姿勢。それに便乗してゆくためには、日本の武力化がどうしても必要になる。
世界に進出している、喜ばれて進出するだけではない、工場や駐在員の安全は、アメリカと協力して日本が武力化してゆく以外守ることは出来ない。
特に、石油にまつわる権益は、日本経済の死活である、とする考え方は、過去の戦争と変わらず、今もある。経済封鎖から戦時体制に代わる危険は、日に日に高まっている。その第一歩が、教育基本法の改定。そして、第二歩が、憲法の改定。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あしがら農の会「研究発表会」

2006-03-18 06:55:22 | あしがら農の会
さる2月18日、研究発表会がありました。
「地域自給の可能性を考える」と言うテーマです。
開成福祉会館で89名が参加して行われました。
多かったと言う意見と、若干少なかったと言う感想がありました。
発表者は東京大学の池本教授。及びその教室の研究者、
吉野さん、金さん。
そしてアメリカの有機農業の報告として、久保田さん。(国学院大学教授)
午後は講演会、夜は茶話会と言う形で様々な事が話し合われました。

私達にとっては、あしがら農の会の活動を見直す機会として、重要な集まりだったと思います。外部的な目で、考え直してみる事はいつも必要だと思います。

12月に取った念密なアンケートに基づいて、議論が展開されました。
会の内部的には、あの分析は実態を把握していないと言う話が、
しばらくはありました。この辺を考えて見ます。
特に、ABCDの四つに分類した、会員の性格付けが話題になりました。
A専業的、B自給的、C自給+消費者、D消費者
この枠付けだと入らない人をどう考えたらいいのか、この分類はおかしいのではないか。と言う意見です。

つまり、穂田さんや、沖津さん、中島さん、古屋さんのように周辺で農の会を支えてくれている方々のことです。
地域の方で、新規就農者に深い理解をもって、係ってくれている方々の重要性です。見えないところでの、多くの支援で成り立って行くのが、こうした会の必然ではないでしょうか。この点をどのように考えてゆけばいいのだろう。

どこの地域でも、新しくこうした会を始めようとした時、最も重要な事は地域社会側の理解と言う事に成ると思います。一般に新しい活動が、社会に受け入れられるまで、様々の軋轢があることは当然の事です。
この軋轢部分の解決のためには、先進的に新しい動きを支援してくれる地域の方の存在が重要に違いありません。この点が見えていない、分析になっているといところが気になっています。

さらに言えば、内側の輪から会の活動を見てゆく視線より、むしろ外側の社会と言う輪から、徐々に狭めてゆく分析が、必要な気がしております。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする