goo blog サービス終了のお知らせ 

地場・旬・自給

ホームページ https://sasamura.sakura.ne.jp/

グーブログが終わる

2025-04-23 04:45:23 | このサイトについて
「グーブログ終了のお知らせ」 
笹村出の「地場・旬・自給」は
ホームページで続けます。


 ブログを始めて7000日である。グーブログを続けてきた。長くやっていたので書き慣れていて、発想とブログの様式がつながっていて止められるのは痛手である。せっかく多くの方に読んでいただいていたのに残念でもある。

 止めるときが来ると言うことは分かっていた。そこで書いたものは自分のホームページの方に転記して貰っていた。
地場・旬・自給ここをクリックして貰うとホームページの方に飛びます。https://sasamura.sakura.ne.jp/

 今度はワードプレスで直接書いてホームページだけで公開して行くことにする。ブログは公開性がホームページよりもいくらか大きい。慣れないので実に書きにくい。段落を変えたときに一文字送る方法すらまだ分からない。(やっと分かったがちょっと面倒くさい。)

 今はこういう書き方が主流だと言われたが、自分には小学校の作文以来、一文字下げるのは習慣である。今もそうできないので落ち着かない。書いているときには一文字下げても、掲載したときに修正されてしまう。

公開性
 だんだんに分かることだろう。グーブログだって最初は何も分からないで始めた。そんなことよりも、意識の違いがどうなるかである。公開性が弱まることで、読んで貰う一の数は減少するのだろう。

 ある意味意識改革である。自分自身のために書くという方向に変わるのではないかと思う。絵もそうである。個展を繰り返していた頃に比べれば、公開する意識が弱くなっている。文章を書くということでも、それがいいことかもしれない。

 今までは読んでくれている人がいるから、頑張って続けようと言うことが確かにあった。そのおかげで継続できたのだろう。一万日までは必ず続けるつもりだ。現在7000日まで来ている。まだ先は長いが、どのような形であれ続ける。

 公開性が弱くなる分、自立し継続する意思を強く持つ必要があるのだろう。そうしなければ継続が出来なくなる。一万日の願掛けなのだから、あと3000日は毎日続ける。ホームページに閉じこもるような感じになるのだろうが、面壁9年である。

ピースカフェ

 このブログはピースカフェの活動から始まった。
 ピースカフェー26号は「あしがらの俳句」特集。昔作った句が出てきて驚いた。
「石、ガツッン 鍬、明神に 黒く立つ。」
「冬は来た。 竹踊らせて 鋸を噛む」
「枯葉霜 さくさくさくっと 踏み分けて」
「霜降りて 芽を出す草の 春の夢」
「草取りて ネギ類の自尊 許せしか」

 こんな感じで紙媒体で作り配布していた。市長になった加藤憲一さんの事務所で印刷をしていた。イラク派兵反対が直接の作ることになったきっかけだった。あの頃は良く平和行進もしていた。あらゆる方法で平和憲法を守ると言うことで続けていた。

 この活動で多くの平和活動と繋がり、友人も出来た。衆議院議員になった佐々木さんもその一人だ。その後紙媒体から、ブログの連帯の方が広がると言うことになり、ブログピースカフェが始まった。

 私はそのとき一万日は毎日継続すると決めた。そして現在7000日である。7000日でグーブログ掲載は止めて、ホームページの方に一本化する。結局の所、生きてきて「自給農業、私絵画、地場旬自給日記」の3つになったと言うことになる。

文章の長さ

 この機会に、文章の長さを3000字から離れようかと思う。長さに関係なく書くことによって長さを考えるようにしたい。絵にも大きさがある。中判全紙が一番自分と向かい合える。はがきのサイズでも良く描くが、それはそれで面白いのだが、ちょっと違う気もする。

 文章の中判全紙が、3000字レポートなのだろう。絵では時には10号も絵はがきサイズもあるし、大判全紙もあって良い。内容にふさわしい長さに変える機会にしようと思う。これもやってみなければ分からないが。

 もう少し文学的でも良いかとも思う。花田清輝氏はすべて自分の文章は小説だと書いたことがあった。評論家とみられていたにもかかわらずである。今再読すると確かに小説家なのかもしれないとも思える。

 文章に小説も評論もないのかもしれない。全部日記なのかもしれない。平安時代の文章は日記が目立つ。『土佐日記』は紀貫之。『紫式部日記』。『和泉式部日記』や藤原道綱母の『蜻蛉日記』、藤原道長の『御堂関白記』、藤原実資の『小右記』清少納言の『枕草子』

 
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ブログの点検とその意味

2018-11-19 04:27:05 | このサイトについて
石垣の引っ越しを終え、二地域居住になるにあたり、ブログについて考えておく。 自覚として中レベルのブログである。井伏鱒二さんが好きで、あのような文章を書きたいと思うが、とうていそれは無理。大雑把で、適当な内容が沢山ある。誤字脱字不統一は数知れずで読み返して気付くと恥ずかしくなる。矛盾や誤解も多々ある。それは私の農業のやり方と同じことである。大雑把で、適当な自給農である。しかし、稲作では畝取りはしている。自然養鶏では自負がある。大雑把で、適当だからこそできたことだ。ブログもこの点では怖れていない。正確であることや、矛盾を避けようとしたら、行動ができなくなる。農業をやるという事は、大体の見込みで進まなければならない。自然を相手にする実践というものは、いつも方角を見て、風見をする。方角を見るという事はカンが重要である。大局観が重要である。細部にとらわれず、大局を見なければ方角は見えてこない。細部に矛盾があろうとも、おおよそ方角が伝わることを重視して書いている。多分、絵を描いてきた経験で出来たやり方である。

決めてきたことがいくつかある。まず、毎朝必ず書くという事である。旅行先であろうが、どれほど忙しい田植え時期であろうが、毎朝必ず書く。そうしないと、続けられないからだ。続けるとは平和憲法を守りたいという願掛けである。憲法を守るために私のできることは少ない。デモも時々行く。抗議文も書いて送ることもある。選挙では一番憲法を守ってくれる政党に投票する。しかし、ほとんどなにをやろうとも平和憲法が危うい。何もできることがないようにも思える。せめてもの思いで、祈願のように毎日ブログを書くことにした。今や、書いている間は憲法が守れるというような信仰の気分にまでなっている。以前は誤字の指摘や、矛盾点の指摘など頂くこともままあった。能力不足でもやるしかないので、謝るほかない。大切なことは平和憲法への祈願である。平和に関する文章は二割程度のすることにしている。もちろんすべてが平和につながるのであるが、直接的に平和に関して書くのは、時々書くと決めている。そうしないと平和に興味のある人以外は読まなくなるからだ。

政治的なことばかり書いていると、興味を持って読む人がいなくなる。稲作技術や、自給農のこと等も書いてある。その興味でついでに読んでくれたならば、なんか憲法の事も書いてあるな。という調子にしたい。本音で言えば、平和という事は暮らしという事だと思う。自分が喧嘩ばかりしていて、平和もないものである。平和に日々暮らしている。そのことが大切なのだと思う。私自身の暮らしを表現する。これがピースカフェブログの実際である。日々の暮らしのいい加減さも含めて、書くことにしている。まあ、格好をつけてしまい、なかなか実態というものは案外に書けない。自慢話は嫌味になるからできるだけ避けるようにはしているが、実際には多いかもしれない。コメントいうものを書いてもらう事にしている。時々書いてある。以前は必ず、わたしなりの反応を書いたが、全く無駄だという事が分かったので、今はコメントとして公開して、一ヵ月ほどしたら消すことにした。不愉快なものは読まずに消す。その位の対応がちょうどかと思うようになった。

ブログをあちこち読んでいると、ずいぶんとレベルの高いものもある。学ばせていただき、学べるものが沢山ある。努力をしなければとは思う。このGOOブログというものが出来てから2001年だそうだ。最初の記事は2006年のことだから、できて5、6年目の頃から書き始めたことになる。今度大きく変わると連絡があった。ブログも随分と変化があるようだ。期待して読んでいても、止めてしまう人が多いものだ。私の場合は、ブログが書かれなくなった時は病気なのか。死んだときだろうと思う。最近、百歳時代という。という事は来年は30歳である。つまり、次の年は29歳にしようと思う。逆算してゆくと百歳が分かりやすい。そのつもりで計画が立てられる。いまはあと31年かと思いながら、絵を描いて行こうと思う。毎朝ブログのお灯明を上げることにする。

 

 

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このサイトについて

2012-05-23 03:59:45 | このサイトについて
沖縄でヤンバルクイナを2羽も見た。青ヶ島ではアカコッコを見た。それをブログで確認していたら、青ヶ島でも普通に良く見るという事が書かれていた。それでどんな人だろうと「このサイトについて」を見たら、自己紹介が書かれていた。それで、この「地場・旬・自給」ブログに自己紹介文がないということに気付いた。日記のつもりだったので自己紹介の必要を感じていなかった。しかし、読んでくれる人もいる訳だ。何かの記事でこのブログに来てくれても、どういう人間なのかということが分からないのもどうかと。今更のことであるが、自己紹介させていただく。「あしがら農の会の仲間」「 Peace Cafeの常連」「水彩人同人」「発酵利用の自然養鶏」 ここまでは書いてあった。


自己紹介・・・・
 小田原の箱根山麓の久野の、一番上の方の集落「舟原」という所に暮らしている。笹村農鶏園という自給農業を試行している。1町歩くらいの田畑を管理している。一人でやるというだけでなく、『あしがら農の会』という仲間で、協働でやっている所もある。田んぼをはじめとする農業全般が好きである。特に鶏が好きで、小さな子供の頃から鶏を飼っていた。犬好きでもあり、猫好きで、金魚もだいぶ飼った。その上植物も好きであり、原種の洋らん特にパフィオぺデュラムが好きだ。生き物が好きではあるが、知識が深い訳ではない。ただその周辺にいれば嬉しいという程度のものだ。鶏については、長年養鶏をやっていていてそのことをまとめた、「発酵利用の自然養鶏」という本を農文協から出させてもらっている。鶏の飼い方を書いたものは少ないので、飼育法として有効なものだと思う。好きなことばかりやっているのだが、絵を描くという事は、ほかのこととは自分の中では少し違う。何としてももう少しやりたいと思っている。

 生まれたのは山梨県東八代郡境川村藤垈の向昌院である。1949年夏、曹洞宗のお寺の味噌蔵の上の、中二階に生まれた。その後東京で育ったが、藤垈の自然の中に、何度も戻っては暮らした。多分その体験が自分という人間を作ったと考えている。修業は全く足りないが、、寺院と関係していない僧侶である。僧名は笹村出雲(すいうん)という。1986年山北の山の中へ通いの開墾生活を始める。大島の噴火が見えた。最初はアトリエを作ろうということで1988年に移住した。興味半分でシャベル1本で自給生活に挑戦する。案外と簡単に達成出来る。はじめて安心して暮らせるようになる。自給農業をまとめてみようという気持ちになる。その過程を書きとめておこうということが、このブログの直接の意図である。自給農業で安心できれば、平和な国が出来ると考えている。自給農作業を毎日最後に記録している。この5年間の平均の年間作業時間が300時間程度である。

 平和への道として、段ボールコンポストの普及に力を入れている。イラク派兵を反対することをきっかけに、「ピースカフェ―」という小さな通信を作っていた。参加者のブログの輪を作ろうということになり、設定までしてくれて始めた。今でも分からないときは教えてもらっている状態である。始めてみると、この公開日記という形が、自分には合っていたようである。ともかく毎日継続している。平和への道は安心して自給で暮らす事だと思う。その具体的なきっかけを作るのは、段ボールコンポストを始めてみることだと思っている。循環というものが、言葉ではなく体感できる。もう自給生活で25年が経過した。「100坪の土地で、1日1時間働けば、食の自給はできる。」この事をもっと楽に出来ないか、日々の工夫を楽しんでいる。自給体験をしてみたい人は、手作りした小屋があるので、そこに泊り体験も受け入れている。
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