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石楠花が来た。

2009-11-27 04:26:40 | 最小限の家
最小限の家のまわりに4本の石楠花が植えられた。丁度人の背丈ほどの石楠花である。石楠花が1本植えられるたびに、あたりの空気が変わって行った。以前からここに来る日を、待っていたようだ。この石楠花は小林ナセーリーさんから来たものである。小林さんは箱根町の町役場に勤めておられた。箱根湿性花園を作る仕事に関わられた話を伺った。それは古いことで山北の家に、山田純さんが連れてこられたのだ。その時は、ダックの問題の相談だった。純さんのコーディネートである。私が蘭科植物に興味があって、その頃は蘭にかなり力を入れており、温室も充実していた。自分で交配して、作出した蘭も見てもらおうという、こともあった。話は、何故こんな山の中で住んでいるのだと言う事になった。小林さんは久野の欠ノ上の人だった。自分は小田原の久野で、農地の為の不動産屋を始める。自分の力で久野に移るようにすると。何故か強い調子で言われた。

まさか、その話が巡り巡って、実現するなどその時は少しも思わなかった。その頃動き始めていたあしがら農の会の活動の事も話したのだと思う。そう言う事をやるなら、こんな山の奥の一軒家に住んでいたらだめだと。厳しい口調で言われた事が印象に残っている。やっと車の免許を取り、行き来が少し便利になったところだった。インターネットはまだやっていなかった。自給自足の暮らしに、のめりこんでいた。ダック問題の集まりに行った事はあったが、まだ久野には誰も知り合いも居なかった。こちらは第2東名の問題の勃発、静岡の県境に起きていた廃棄物最終処分場問題。こういうことにも追われていたのだと思う。久野のダックはまだ遠いい存在で、そこまでかかわれないな状況だった。あれこれ追われる毎日の数年がたち、山田さんから、「小林さんがなくなられた。」と聞いた。あまりの突然で、久野との関係が切れたような気になった。

大船にある植物園の分園が、鎌倉のどこかにあって、花木の交配をしていたそうだ。西洋石楠花と和石楠花を交配して、新しい園芸品種を作ろうとしていた。鎌倉の花木場が閉鎖する事になって、久野の方にも、実験途中だった石楠花の苗が、沢山来たらしい。その石楠花の苗は、欠ノ上の昔棚田だった畑に植えられた。その石楠花が植えられた畑が、里地里山協議会の事業で、田んぼに再生されることになった。石楠花は管理されることもなくなり、草むらの中に隠れていた。膝丈ぐらいのものが、5,6本あると思っていたら。それがいよいよ草を刈り払うと、なんと、背丈ぐらいのものが、20本もあった。しかし、この石楠花の行き場がない。行き場がなければ、刈り払うしかない。工事をしていた菊原さんが持っていてもいいが。と言われて期待したのだが。結局だめとなった。いよいよ工事が最終段階になり、切り払ってしまうかとなった。切羽詰って、まごのりさんに移植をお願いした。

最小限の家のまわりに植えようと思った。最小限の家は小林さんと話した、あの久野に移り住むと言う話の、行き着いたところだ。植えられた木が、摩訶不思議に晴れ晴れしいのだ。所を得たように喜んで見える。石楠花がお礼を言っているので、驚きがあった。木が語るなど、信じる人間ではないのだが、木の命がとても喜んでいるのは、目に見える。この石楠花があることで小林さんの言われていた、久野の農業地域としての再生の夢も、一緒に見る事ができる。今回の事業も、誤解も躓きもある。小林さんの田んぼを管理することになろうとは、めぐり合わせである。小林さんは見ていてくれると思う。大きな方向は間違っていない。石楠花の伝言であろう。まごのりさんが話してくれた。西洋石楠花と言っても、そもそもネパールのもだそうだ。アジアの花である。最小限の家は今日から、「石楠花の家」とすることにしよう。
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樹木の力

2008-08-15 05:55:52 | 最小限の家
最小限の家は入り口のドアが出来て、後は窓を3箇所残すだけとなった。年末までの完成予定なので、急いでいるわけではないので、ここはまだやらないで置こうと思っている。ステンドグラスにしたいと思っているが、それもまだ決めた訳ではない。未完成だがしかし、もう使い始めている。夕食を持っていて食べる。家の中があまりに暑くて、居られないのだ。犬も連れて行って、遊ばせて置けるのもいい。たぶん、舟原は山の中と言ってもいいので、涼しいはずだが、それでも今年の夏は、と言うか去年もそうだったが、暑さが強まっている。冷房のない暮らしでは少しでも涼しい方へ行きたくなる。海も遠くだが、見える。はるかに三浦半島の影もなかなかのものだ。先日の酒匂川の花火は、絶好の位置で楽しめた。以前、酒匂川の花火の日はみんなで天子台の縄文の家に集まって、楽しんだ頃を思い出した。

縄文の家は杉丸太で作ったが、栗材が本当の所か。近くにある材で何でも使ったものだろうか。杉ではないという話はそのときも出ていたが。最小限の家の材料はそこにあった檜である。檜の樹齢は切り株の年輪を数えると、60年位かと思うが、太いものは目通りで50センチぐらいある。畑の風よけに植えられたのではないかと思う。それが畑も早くに放棄され、竹薮になり、その竹薮を取り囲むように、地境の目印の木のような形で、一周取り巻いていた。上にも脇も畑をやっているのだから、日陰を作って、迷惑な木だったと思う。私が縁あって購入させてもらった以上、畑に戻すのは当然の義務だと思っていた。そこでその木を切り倒し、材にして寝かせた。檜の大木が、材になってあるのだから、当然小屋を建てることに成る。

材としては管理のされていない、南片側だけ枝の張る、癖のあるものになっている。節だらけでもある。所がこの材が壁となって張られてみると、なんとも美しいものなのだ。無節の檜板材が珍重されるが、このクセのある、年輪の姿を含め、素晴しい素材の景色になっていると思う。まだ、日焼けが足りないが、少しづつグレーの古色が付いてきている。これが又いい。そこで一つ思ったのが、この家に相応しい樹木を植えたらどうか、マゴノリさんに相談したら、桂はどうかといわれた。現在検討中である。所がそう思っていたら、ここで育ててくれと言わんばかりにケヤキか、ニレかが芽生えている。どうしようか。ケヤキと言えば、一番好きな木で、ケヤキの大木を見ると、つい触りたくなる。たぶん、私のマザーツリーなのだ。最小限の家には、お守りの看板もつける予定だ。これは直径75センチのケヤキの丸く切った板が2枚用意してある。

樹木はすごい力がある。屋久島の縄文杉は文字どうり縄文時代から生き続けている。最近スエーデンで1万年生き続けた、トウヒの仲間が見つかった。這松の様な低木で、わずかに立ちあがっているらしい。大木でないというのもまた、奥ゆかしい。このひとつの命の中に、人類の歴史などすっぽりと入ってしまう。樹木に囲まれて暮すことはとてもしっとりしていて、気持ちが落ち着く。コンクリート暮らしは、殺伐するように思うが。木は出来ればそこにあったものがいい。そして、その生えていた方向で使うと良いと聞いた。今住んでいる家は、そこまで考えて、木挽きを職業とされた方が、自分で木を集め建てた家だそうだ。昭和6年に建てたと言うから、もう80年経つ家だ。最小限の家はとても居心地のよい。森の中にいるような気持ちになれる。来年には、最小限の暮らしを体感したい人が、体験できるように進めたい。

昨日の自給作業:2時間 累計時間:5時間 暑くて農作業が遅れている。
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最小限の家

2008-07-19 06:29:10 | 最小限の家
最小限の家にテラスが出来た。実はこれは自分が作ったのではない。何時までも進まないので、見るに見かねて作ってくれた。これ以上ほっておくと、あちこちが傷んでくるので、やらなければダメだとなった。田んぼも一段落して、丁度いいタイミングだったので、テラスをやってもらうことにした。テラスは家が出来てから作る気でいたのだが、廻りが傾斜地で壁板を打つのもままならないという、状況に到った。つまり、危なくて、はしごをかけて仕事が出来ない。重い板を持って、3メートルも登って、フラフラしながら、壁板を打つようなことは、素人には出来ない。専門家ならそんなことは端からしない。怪我をする前に、周辺を平らにするための、テラスを先行させる事にした。足場を作ろうという訳だ。所が傾斜地にテラスを作るというのは、土台の事から考えると、とても複雑で、手に負えない。最小限の家は、平ら地に作らなくてはならない。

穂田さんが一気に進めてくれた。なかなかの美しい家になって来た。これがちょっと美しすぎる家なのだ。始まりは檜の板にある。檜はそこにあった。それを伐採し。製材し。乾燥し。3年も寝かせた。その間積んである材木を見てイメージを展開した。結構ワイルドな、小屋を思い描いていた。大草原の小さな家のような、継ぎ足し、継ぎ足しの、荒削りのいえだ。大体に、かんな掛けをすると言う事を考えて居なかった。本ザネ加工を湯河原の方にお願いした。これが帰ってきて、あまりにも美しい材に生まれ変わって戻ってきた。これ程のものとなるとは、思わなかった。材に申し訳なくて、繊細に作らざる得なくなった。釘一本打つのも何か材を傷めている様で、失敗が出来ない。流木をおっつけたような、「浜のとまや」のようなわけには、行かなくなった。家作りも材に反応すると言う事があるようだ。

残りは、窓やら扉という、建具だ。だいぶあれこれ試行錯誤したけれど、大体の形は見えてきた。窓は以前から、跳ね上げ式にしたいと思っている。窓からきられた景色はまさに絵の様だ。家の角度の決め方。風景を切り取る形まで、考え抜いた窓だ。舟原の絶景になるように、切り取った。いい風が通り抜ける。日が落ちると、夏でも寒くなるほどの、いい風が抜ける。窓が完成しなければ、風邪を引きそうで、寝てみる訳にもいかない。一箇所は明り取りで、アクリル板をはめた。もう一箇所は壁画を描く予定でいるが、材料の調達待ちだ。丁度はめ込めるパネルで絵を描いて、入れ込みにしたい。窓は縦長がひとつ。横長がひとつある。横長の方はステンドグラスにする予定。バンス礼拝堂のような、ステンドグラス。光が映る位置が大切。縦長の方はガラス入りの、繊細な窓に挑戦したいと思っているが。羽目殺しならできそうなのでやって見たい。

そして、扉。扉は私にとってはとても重要なイメージだ。両開きにする。1460×2170の開口部だ。730で左右に振り分ける。下の方は、縦張りの3枚の板の張り合わせ。上部は横張りで隙間あり。上部は出来れば、枝のようなものを寝かせて、隙間を作りたい。少なくとも、檜の皮を剥いたときの光るよな感じが出ればいい。大きい扉はいいのだが。重いと取り付け部分が心配なので、くぐって入るぐらいにした方がいいだろう。最初のイメージでは、舟の廃材を張り合わせたような、隙間だらけのはずだったが、今は材料の繊細さに推されて、それなりのきれいさのある扉になりそうだ。最初は塗料は塗らない予定であった。腐るに任せるのが感じがいいと。しかし、それではこの材に申し訳がない。そこで、キシラデコールを塗る。水土社の岩越さんが聞いたら、激怒しそうだが。わからないうちに塗ってしまう。

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最小限の家・進行状況

2008-04-07 04:55:15 | 最小限の家
家作りは面白い。ついつい他の事が疎かになっている。畑のほうもだいぶ、何もしていない。家作りが気になり、時間があれば取り掛かっている。屋根はガリバリュームを張った。ガリバリュウ―ム鋼板は4万円だった。星崎金物にお願いした。田んぼの仲間の岩本さんに頼み方を良く教わった。この辺が素人の困る所で、どのように頼めばいいのかが判らないのだ。それで一日延ばしにして、伸びてゆく。岩本さんに、色の指定の仕方、厚みの指定の仕方、長さの採寸法、他に必要な部材、釘の選び方。当然のようだが、案外難しい。ともかく意を決して頼みに行ったらば、簡単に丁寧に対応してくれた。どうしても、お願いしなければならない条件があった。それは、屋根への運び上げの協力だ。一人ではとても無理。配達の人が来た時に、下から押し上げてくれるように頼んだ。

作業は午前中2時間30分、午後3時間ぐらいで、ほぼ全部が貼れた。足腰が疲れた。風があったので神経を使った。先ず飛ばないでおける場所の確保。そして全体での配置。かさね具合の計算。4メートル巾を6枚で貼る。長さの方は、前後5cm出す。その長さにきれいに切られている。もちろんその前に、判ヌキという棒。横の桟として、30センチおきに打ちつけておいた。安藤さんによると、板圧が20ミリぐらいあると。風が抜けて乾燥して具合いがいいそうだ。これはフェルトが飛ばないように、すぐやっておいた。ここに根気よく釘を打つ。傾斜があり、かぜがあり、高い。ふちのほうは怖い。少しやっては休み、落ち着いて進めた。失敗した釘は一本。これを抜くのに苦労した。何せ態勢が悪い所で足を突っ張っているので、何となくふらついてくる。もし落ちたら誰もいないし、問題があるな、などと考えながら、慎重に進める。別に難しい事は何もない。高い方の屋根に3分の2の時間が掛かった。後になるに従い要領、手順が分かり、下の屋根はあっという間に終った。屋根が終われば少し安心。

次は壁に取り掛かった。板を外から打ち付けてゆく。打つというより、インパクトドライバーをつかって、ステンレスのネジ釘で締め付ける。これは釘を打つよりはるかに素人向き。誰でもプロ並みの仕事ができる。一枚でも作業を終われるし、楽しい仕事だった。これもあるだけの板を張って、3分の2の壁が終わった。何故か余るほどあるはずの板が足りないのだ。板が反ったりしていたため、使える状態になったら、3分の2ほどに成ってしまった。ウッドデッキ用にした板を、再度壁板用に切り整えて、又大山さんに、本サネ加工をお願いする。65枚あったが、たぶんこれでも不足する。何か狐につままれたように計算が合わない。どうも加工するときに、相当曲がりが修正されるらしい。そのために極端に巾が狭くなる。それにしても出来上がりは美しい。最初は粗けずりのまま、貼るつもりでいたが、削った板の美しさについつい全部をきれいにすることにした。これが使い込んできたらどんなに美しいかと想像して、床はまだ雨が吹き込むというのに、「キヌカ」という米ぬか油を塗りこんでみた。

四面壁、上からの明かりだけ。こういう予定が、周りの景色が見えなく成るという点もあり、今、どう進めるか、検討中。窓があると1人で居る時に不安ではないか。窓は付けはずしが可能なものがいいか。雨戸か。跳ね上げ式か。これからの検討課題だ。上部に欄間のようなステンドグラスを作ろうかと思っているが、これも慌てる事はない。上部の壁は、フレスコ画にするのもいい。いずれ手をかけてゆっくり進めたい。屋根からの眺めはいい。屋根をどのように生かすか。屋根の上に、魚網を地面から貼る予定。ここをカボチャが這い登る。それが夏の日よけになる。ソウラーパネルはセットで30万円くらいのものもある。実用的かどうか。試してみたい。したの屋根の予定。
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セルフビルドは難しい

2008-03-24 06:45:16 | 最小限の家
建前の終わった所の写真です。立派なものです。とても美しい建物になりそうです。23名で行いました。本当に皆さんお世話になりました。ありがとうございました。思っていたのとは違い、やってみると結構難しいものだと思いました。前日土台石と柱を繋ぐ、羽子板という、正に羽子板のような形をした接合金具の埋め込みをした。石に穴を開ける、大きなドリルで、何故か昔から持っていて、初めて役にたちました。石には以外に簡単に穴が開き、ガラス試験管に入ったような、樹脂の接着剤を先ず穴に差し込み、羽子板をうえから、ガラスを割るように叩き込みました。70分で硬化。これで建前準備完了。次に設計図の仕組みの理解。「いろは」と記号が振ってあります。これは各部材にも同様に記号があります。所がこれが尺貫法なので、三尺が基準単位です。

木材の南側に当る所にその部材の位置が書いてあります。その通り柱を配置します。次に柱と柱を繋ぐ、大引きに当る部材を差し込みながら、柱を立ててゆきます。立てた柱は、人が抑えている間に次々、柱を指し合わせながら、8本立ててしまいます。そのときには床を張る、横に渡された大引きも全部入っています。柱には、実に都合よい穴が開いていますので、付いてきたボクルトをともかく差し込みます。ボルトは軽めに止めて置きます。そして今度は柱の上部を繋ぐ、小屋伏せとか言う梁柱を管柱を開かせながら、穴に落としこんでゆきます。ここで大変だったのが、重い梁の材を上げてはめ込む作業。そのうえに束柱を立て、屋根を支える母屋を渡します。建築用語がわかりにくく、言葉では説明しにくい作業ですが。そう難しいことは無く、ほぼ一時間で、棟上まで、終わりました。ここまでは技術がいる作業ではなく、誰でもプラモデルと同じで、手順さえ間違えなければ、組みあがると感じました。ここで10時の休憩。

ともかく今日は、屋根の下地になる板を張り終えて、フェルトまで貼る。雨が降っても大丈夫なようにそこまではやる。ところが床を張ってしまった方が作業性がいいという事で、一気に床を張ることになる。巾のある立派なものから、床板にしてゆきます。一枚を両端と中央の3箇所、各所2本ステンレスの、ビスで留めてゆきます。淵から3センチ辺り。平行して、屋根の野地板はり、これは上に瓦なり、トタンなりが張られる板です。天井はないので、部屋から丸見えなので、下側に板のきれいな方を使います。床が張られた所で、昼ごはん。もうおおよその姿が見えてきて、その美しい事。もうここで大感激でした。

屋根に入って苦戦しました。本ざねという形の板と板の接合になっています。これが既に曲がっている上に、厚く、硬く、屋根の上、これをはめ込みながら、ビス止めは、専門家の安藤さんタイミングよく登場。相原さん、や小宮さん、など手馴れた人の独壇場。ここは、ちょっと難しいし、屋根は傾斜だし、高い、恐い。これは合いじゃくりという接合の方がいい。とか言いながら、3時に終了。軒先の危ない作業があるので、ここで、穂田さんが足場を作ってくれる。ここで休憩。軒先に雨どいを止める板を張る。後はフェルト梁と、壁板の一段目だけを貼る。ここまでやっておけば、後の作業は1人で出来る。と言う事。全てを仕切ってくれた、本田大工さんが、屋根材の注文は、笹村さんは上にいて、金物屋さんに、上まで配達して貰うように教えてくれて終わりになる。4時に写真のように完成する。素晴しいもんだ。
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最小限の家 建前

2008-03-08 05:12:23 | 最小限の家
いよいよ、建前となった。実は、何時やってもいい状態で、材料が一揃い。そのまま置いてあった。そんなこと何時までもしていたら、木が曲がっちゃうよ。こう言われてもいた。それでも、20.21日の水彩連盟展の搬入が終わるまでは、始めるわけには行かなかった。そこで、ーー「3月23日8時」--から、最小限の家の建前をやります。関心のある方はどなたでも参加下さい。大抵の人が、ひとりで自作できる家。暮らしを最小限にしたら、どんな家になるのか。そのモデルハウスのようなものです。ここまで急いでやったわけではなく。ゆっくりやってきました。もう作らないのかと思っていた。そんな声も時々聞きました。実際に木を切ってからでも、2年以上が経ちました。先日木を削りなおしてもらったら、随分きれいなものになりました。一枚、700円で、きれいに削って、その上で、上下にはめ込む。溝も掘ってもらいました。

木材の材料で、30万ぐらいかかりました。これは加工賃混みです。アレコレ入れたら、40万くらいかもしれません。まだ、屋根材や、釘を買わないとなりません。道具類は、買わないでも揃っているので、道具のない人は、何を買ったらいいかも、判らないわけで、ドリル、と言ってもどのレベルの物がいるかは案外難しい。何と私の家には、ドリルも無駄に4,5種類はある。全て、20年以上持ち歩いている。使えるかどうかも分からないものもあるが、捨てられないのだ。今回使ってみようかと思っているのが、コンコリートを掘削する大型の穴あけ機。土台と、柱をつなげる、羽子板と呼ばれる金物を固定する穴を、土台に空けてみようかと考えている。30年持っていて、一度山北で使ったきりだ。

現在、太陽光発電か、風力発電を考えているのだけれど、出来ればこの組み合わせがいいと、思うのだけれど、70万円はかかる。先日東京国際フォーラムまで、出かけたのは、この組み合わせの新機種を出した、http://www.zephyreco.co.jp/ゼファーが出店している事もあった。ゼファーが、現代農業に記事を出して、すぐ連絡を取って、養鶏場の電気を検討してもらったのが、10年前だと思う。所が、担当者はそんな前には、会社がないという。どう言う事だろう。小田原に来た時だから、間違えるわけがない。山北の家に先ずきてくれたのだ。担当者が、どういうわけか投げやりだった。こんなもの実用性ないですよ。止めた方が言いに決まってますよ。こんな調子で説明しているのだ。これには、驚いたが、何がなにやら分からない。このグリーンキャンペーンは他にも分からない事があった。生ごみのメタン化のシステム。北見市だったかに設置していた会社も出ていた。所が、質問しても何一つ答えられない。良く聞くと、担当でなく、見ているだけのアルバイトだから、担当を呼んでくると、どこかへ言ってしまって、10分も待たせる。やっと戻れば、何と担当は来られないと言う。このイベント、役所の予算消化だったように見えてきた。企業は付き合いで形式的に出ているだけなのだろう。「いきものがかり」に釣られて、のこのこ出かけた方が悪い。

月に2000円の電気代を想定すると、30年かかる。それでもやるべきかどうか。20万円台で、太陽光パネルキットが売られている。これでも、蓄電すれば、最小限の明かりは可能だろうか。この場合は、10年分だから、一応利用範囲かと思うのだが、実用性を確認しなければならない。トイレや、炊事場はスペースはあるがつくらない。畑のそばに、昔から外施設があるので、そこを使えばいい。一応の生活可能形態は整う。小さな家を作るのは、子供の頃からの夢。暖炉はないが、薪ストーブは設置する。山北の家から持って来たものが、やっと出番が来る。この家は作り続ける家だから、完成はない。作ることが楽しみのようなものだ。

昨日の自給作業:ニラ、ごぼう、コカブ、大根、ニンジン、トウモロコシ、種蒔き。1時間。累計時間:6時間
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いよいよ材料到着

2008-02-19 08:15:05 | 最小限の家

プレカットしてもらった。柱材の塊です。まるでプラモデルのように、いノ1はアー1と繋げと言う具合に出来ているようだ。立ち上げる順番も記載されている。これは意外と簡単に柱が組みあがる気がする。

床や壁の板材です。板の厚さが40ミリ。板巾は様々だが、100ミリ位から300ミリぐらいまで様々です。この辺りに生えていた。檜です。長さは33300ミリでそろえて取る予定。両端を切り落としてから、加工に回します。加工費は一枚が700円。枚数はおおよそ100枚。

デッキを作る。材料です。100ミリ巾の厚さ40ミリの檜材です。こちらはもう少し先になりそうです。

こちらはついでに、自給畑のジャガイモの畝たてをしたところ。畝を立てて、鶏土を撒き、土を混ぜてあります。このように周辺の草や、枯れた草はそのままです。あえて、全体を耕運することはしません。畝の長さが、おおよそ20メートルです。写真を撮った高い位置が、最小限の家を作る位置です。

最小限の家は暮らしの展示場です。自給的な暮らしを誰にも見てもらえる。そんな場所にするつもりです。今検討しているのが、ソーラーパネルです。毎時間400ワットの電力を使用可能なセットで、20万円で出来そうです。この最小限の家は100万円を総予算と考えている。今の計算だと、何とか組み入れることが可能になってきている。電気は来ているのだから、引き入れれば簡単に済んでしまう事だが、それでは面白くない。将来的には水も天水利用を考えている。一応の暮らしが、その場で完結できる、自給自足の家を目指している。山の中に、この家のキットを手に入れれば、どんな素人でも、根気さえあれば建築可能な家を考えたい。その点では、私が出来る程度のものならば、大抵の人が出来るものになるはずだ。プレカットのように、お願いした方が、賢明なところは専門家に頼みながら、何とか出来る所は救援無しに、この先も進めたい。
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セルフビルドとプレカット

2008-01-11 05:45:08 | 最小限の家
最小限の家の実施計画を進めた。箱根湯本の本田大工さんに相談した。穂田さんから一度相談したほうがいいと言われていた。あれこれ実施設計は進めてはいたのだが、一番判らないのが、ローコストと材料の関係だ。材料には3メートル、4メートル、5メートルと長さがあるようだ。これが価格が比例してはいない。一番汎用のものが割安のようだ。だから、柱の長さの取り方等、合理的に利用しないと無駄が出ることになる。それに加えて、セルフビルドで、進めるわけだから、誰にでも簡単に作れる構造でないといけない。そんな相談は、やはりこう言う事を理解してくれる。大工さんでないと上手くない。大工さんは職人さんだから、セルフビルドなどと言う事は普通嫌いだ。本田さんとは、アトリエの直しで意気投合した。そのセンスが素晴しいのだ。

アトリエだから、私が気持ちよく絵が描けると言う事が何より重要に成る、これは一般的な事ではない。床材がどういう感じが良いか、など油彩の人とはまるで違う。日本画に近いが、絵を時々立てるという辺りで、これまた違う。その辺の機微を実にすっきりと受け止めてくれる人だった。それ以来なんでも相談させてもらってきた。本田さんは前から最小限の家を、相談に乗ってくれるとは言われていたので、却って迷惑をかけそうで、気が引けたのだが、結局相談した。色々貴重な実際的なアドバイスを聞かせてくれた上で、これはプレカットに挑戦して見たらと言うのだ。設計がきっちり出来ていれば、後はプレカットしてもらえれば、セルフビルドできるだろう。このように言われるのだ。それの方が、これを次にやろうと言う人にも、すぐに利用できる物になるし、たぶんコスト的にも、良い選択のはずだと言う。見積もり価格も最終設計図も、ドンと出てくるそうだ。

それで早速、大山材木店に一緒に出かけた。大山さんにも以前から相談に乗っていただいているプランだし、出来た土台も見てもらっている。大山さんの材料で、プレカットすると言うのが、多くの大工さんがやっている今のやり方なのだそうだ。木組み部分は前から、専門家に頼む方が、合理的とは考えていたが、まさかプレカットとは、目からうろこだった。作った模型が、出向いている。こんな形で役に立つとは思いも寄らなかった。床板の張り方の向きが違うそうだ。出入り口に平行に張った方が、建具の立て付けがいいそうだ。張りの材が、一番太くなるそうで、これが頭に当るようでは困る。これが案外、床下の高さと関係するのだ。床下45センチと考えていたら、あれこれ計算すると、張りまでの高さが、2メートルぐらいになるらしい。

プレカットが進んだ原因はやはりごみだそうだ。大工さんが下小屋で準備するのでは、結構ごみが不合理に出るそうだ。工場で、何棟も作るなら、ごみ量がぐんと減る。これなどは製造者責任の良い例だ。元で責任を取る事が、やはり合理的だ。端材を上手く利用するそうだ。材の価格というより、ごみをどう減量するかを考えて居ないと、大変な処理費用になるそうだ。下小屋が要らなくなる。これも大工さんにとっては、プレカットを選択する理由だそうだ。その結果、大工さんが職人でなくなる。一人で家を建てられない、大工さんが現われたそうだ。プラモデルを作っていても、本当のものとはやはり違う。でも、セルフビルド入門では、案外に良いアイデアかもしれない。プラモデル方式のようなものだろう。
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最小限の家・土台

2007-12-21 06:34:09 | 最小限の家
12月からは、建築を開始できる許可が出ている。整地をして、地縄張りをして、糸を張る丁張り(ちょうばり)というところまでは、ずいぶん前からやってあった。行政の人が見に来るに当って、何処に作るのか、丸でわからない状態では、説明の方法もないと考えて、そこまでは完了して見てもらった。これが合法か、違法かは判らないが、さすがにこの点では注意もされなかった。山の中ではこのやり方しか場所を示すやり方はないだろう。写真は土台だ。自分で作るつもりだったが、ホダさんに話したら、うちの山に丁度いい石があると言う事で、どんどん進めてくれた。総量で2トン以上ある。これに連結すれば、どんな風でも飛んで行くことはないだろう。すごい土台になった。ほれぼれしてしまい。しばらく眺めていたい気分になっている。土台がしっかりしていると言うのは、何よりの事だ。この石に穴を開けて、ボルトを止め、柱を立てることになる。すでに、その墨も打ってある。

この石の土台を見ていると、高床に成る。立ち上がった柱に、段違いで横に桟を入れたい。その横桟には名前があるのだろう。どうも建築用語に無知なので、いけない。上がり框、あがりがまちと読むそうだ。玄関のところにある入り口の板だ。素晴しい用語があふれている。専門家風にこういう言葉を使いたいものだが、残念ながら、全く不案内だ。そして壁板の落としこみとなる。板倉で基本は作る。土台の向こうに置いてある板で、床から壁から、全てをまかなう予定だ。いずれゆっくり、楽しんで作りたいと思っている。

今年も終わりに近づいて、辺りの片付けにおわれている。今年で、新たに始めることは、全て始めた。これは家の周辺や、実際の農業や養鶏の方もそうなのだが、今までやってきたことの方も、整理している。黙っていても、あれをやらないか、これを一緒にと言う話の方が、向かってくる。ほおって置けないこともある。目途がついたことは、終わりにしたいと思う。その一番が養鶏だ。養鶏場の片付けも始めた。こちらの片付けは、2年はかかるので、徐々に進めざる得ないが、家の周辺の片付けぐらいは、年内に終わらないといけない。家の脇にハウスを建て直したので、だいぶ展望が見えてきた。雛の育趨小屋も年内に整備が終わりそうだ。そういえば道具置き場も、整理が付きそうだ。場所がないから、どうしても道具があふれて管理が悪くなる。いざ使おうとして、探すほど馬鹿なことはない。今度はなかなかいい道具小屋が出来た。小屋の前で、整備も出来る場所になった。整理を始めてみると、驚くほどの無駄に気付く。物置と、道具置き場をごっちゃにしたのがいけない。それぞれに分離すれば、3箇所だったのが、2箇所になる。いつも緊急的に広げてきたことの、付けが来ている。

年内に最小限の家の、柱材料の見積もりをする。これはどうも完全には出来ないのだが、模型に基づいて、拾い出すつもりだが、太さが良く見えない。素人には全てを同じ太さでやる方がいいという説もあった。この辺りは、専門家に相談したい。柱は落とし込みにするので、少し太くないといけないのだろう。私は3.2メートル角の家なら、4つの角だけの方が、姿がいいと思うのだが、間に一本柱がいるというのだ。本当だろうか。太い柱が、4つ角にあるだけの方が何しろ作り易い。基本はキュウブだ。同じ長さの柱だけで出来ていれば更に、簡単な素人向きになる。こう言う事は専門家に聞くと、即座に否定されるだけなので、面白がって相談に乗ってくれるような、上手い人はいないものだろうか。
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建築確認申請の認可

2007-12-04 04:46:44 | 最小限の家
ついに、「最小限の家」の建築確認申請がおりた。12月1日から、建築開始予定だったので、それに間に合わせてもらえた。と言っても11月16日に申請して、一度修正に行った。抜けていた所を書き足した。屋根材は何で固定するか。「釘で打つ。」そのように書けというのだ。ともかく腹を立てたらいけないので、言われるままにどんなバカバカしいことでも、やる。長かったが、できることは分かった。最近私の家のすぐ下で、住宅開発が進んでいる。この上部に水路がある。今まで水路と言われ、現況を保たなければならないといわれてきた部分がある。もし現況を改変するなら、関係者の了解の印を貰って来い。関係者は諏訪の原までの両側の家だ。これが水路に関する行政の今までの言い分だった。当然今度の開発でも、この水路は残されるものと思っていた。

所が、何の問題も無く通過だ。周辺の者への了解も無く。「使っていないから、関係がない」というのが、行政の言い分だ。私がそこをまたぐ私道を作るときには、使っていなくとも、水路は水路だと、私道をくぐる水路を作れと、弱い者いじめだけの指導をした。行政は全くの2枚舌だ。一貫性も無ければ、強いものには負けろだ。業者は知識も経験も、行政職員より上だ。たぶん政治力もあるのだろう。その為に普段から、何とか先生のパーティー券を、買っているのかもしれない。築100年と言う、関東大震災を潜り抜けた。古い大きな農家が一軒あった。敷地が、丁度1反。そこを、全て取り払い、6軒だか7軒の家を作るそうだ。その業者は、周辺への説明もしない。確かに、測量の業者が挨拶に来た。その私道の側面がどうなるのか、教えて欲しいとお願いしたが、それっきり来ない。

そもそも、この開発とは別に、その周辺地の農地だった所に、現在何軒もの家が建てられている。これは正式に許可がされたものだ。何故市街化調整区域の農地に家が建つのか、これが判りにくい。私が最小限の家を申請した経験では、倉庫であれほど苦労したのに、住宅など不可能に感じた。蛇の道は蛇だそうで、私にはとても理解が出来ない。と言ってもそこに家が出来ることがおかしいとは、思っていない。住み安いところだし。いい家が出来ることだろう。南傾斜の条件のいい所だ。暮らしには最高の場所だ。新住民が増えることは大歓迎だ。気に成るのは行政の2枚舌のほうだ。

こうした市街化調整区域に、住宅が増えることにはよほど、しっかりした地区指定を行政がして置かないと、後々大変なことになるだろう。小田原の周辺部は田んぼや農地がそのまま、住宅地と成った、防災上も手に負えないような地域が、広がる。こうした状況を見ると行政に、方向性がなかったことがわかる。更に、優良田園住宅をやるそうだ。農村地帯に、乱開発が散在するだけになるだろう。この小田原を、どんな町にしてゆくのか。その全体像の意味が、理解されていないのだ。農村地帯と、里地里山地域と、意味づけた時、それが市民の合意形成によりできたものでないから、なんら市民の共有認識になっていない。しかも、その地域指定を、行政自身が踏みにじるような、ごみ焼却施設を里山地域に計画する。どんな町にするかを、外注のコンサル会社にお願いするのでなく。市民自身が、それこそ小さな範囲から積み上げるように、決めてゆかなくては成らない。
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最小限の家申請終わる。

2007-11-17 07:00:32 | 最小限の家
ついに、ついに、建築確認申請が終わった。5000円で受付けてくれた。長かった。小田原で素人が建築確認申請をした前例は何人ぐらいだろう。役所の様子ではめったに居ないことのようだった。申請方法が難しいというより、役所の追い返し作戦に、いかに負けないかが。分かれ目だ。素人が、農地に家を作ることを、思い止まらせたい、という気持ちが見え見えだ。追い返し作戦は、別に小田原市役所の特許ではない。役所という所はそういうところだと、経験的に判っている。いまや生活保護の受給者数を、前もって決めて、それより増えないようにどこでもしている。上手く追い返せるテクニックを磨いている。一番は届出を面倒にすることだ。植物の新品種の届出がそうらしい。やたら素人の趣味かが申請してきたら、受付ける確かイギリスにあるらしい、認定機関もあふれてしまう。そこで、ラテン語でのみ申請できるようにしてある、と聞いた。

申請途中の、今年の4月から申請方法が変わったことも災いした。構造設計書の偽造アネハ事件の結果、設計士は悪意の人になった。確かに、見落とした行政機関も、賠償請求される可能性が出ているのだから、担当のほうも、それは大変だ。色々面倒になり、何しろ着工件数が、激減して、建設関係の消費下落が、景気後退に繋がるかと言われる。建設省では曖昧な改変を、講習会を行い、判るようにしているらしい。しかし、いよいよ素人に出来ることでなくなったことだけは確かだ。ミカン農家が、ミカン小屋を作るのに、専門家に頼まなければならないような、仕組みが健全なわけがない。本来、百姓は何でもこなす。農閑期には大工になって、出稼ぎをする。軍隊でも一番役に立つのは、百姓だったそうだ。

これほど厳しいから、違法建築などないか、といえばそれがまるで違う。いたるところ違法建築だらけだ。今時作る、農業用倉庫や、作業小屋は、先ずは違法建築物だ。正直私も何度も作った。違法で作ったからと言って、咎められるような事はない。今違法の小屋を作っているから、と役所で話しても、聞こうとしない。取り合わない。これも役所精神のまるで同根で、面倒にはかかわらない。事なかれ主義。
10㎡以下の簡易な小屋を、農地に農家が建てる場合。別枠の簡易な届けを作るべきなのだ。こんなものまで、住宅と同じ確認申請を要求する方が、不自然ではないか。これにかかわる、時間と費用の浪費もバカにならない。不自然な無駄なことをしているという、互いのストレスも、大変なものだ。

とにもかくにも、申請が終わったと、思いきや。では、この書類に各課を廻り、承認を受けて来て下さい。「全く、どうなっているの」7つ8つの都市計画課や、文化財課や、道路課、何と課、かんと課、最後の嫌がらせなのか。全く非効率。各課を回すのを何故、要領のわからない、素人にやらせるのだ。こんなもの役所内で、回せば済むだろう。それから、順番に廻る。どう説明したらいいのかも分からないし、どだい道路課に承認を受けるといって、この道路はどういう種類の道路ですか、担当に質問されても、訳がわからない。それで、私がやろうとしていること、何故素人であるか。などの説明から繰り返さなければならない。全く役所の4,5,6階を走り回った。何とか時間内に終わらせなければ、又役所に行かなければならない。役所がやっている時間に出かけるというのは、本当に困難だ。それで又、延々先の事になる。そうしていたら、今日はノウ残業デーです。と放送が始まる。おいおいどうなる。あせって更にスピードを上げて走る。それでも、あれこれの質問を、省略する課はない。仕事を丁寧にやるのはいいが、夢の中で走っているようだった。だいぶ遅れたが、申請の窓口は待っていてくれた。案外に親切なのだ。
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最小限の家続編

2007-11-06 06:35:12 | 最小限の家
昨日も草刈の続きをした。いくら刈っても終わりがない。まだしばらく続きそうだ。それでも、5時までには時間を1時間残して、市役所に行った。一つは農地の購入をすることになって申請している。家のとなりの農地5畝だ。これで、食糧不足時代が来て、農地を貸さない時代に、戻ったとしても安心だ。これが農業委員会で、理由無く保留になった。農地だから、私が農業者である必要がある。当然、私はもう農業者になって、17年が経つ。所が、これで書類をそろえに行ったら、何と、私が選挙人名簿に入っていない。何故か。私は地域の生産組合に入れてもらえない。理由は良くわからないが、地域でもそういう前例がないから、扱いに困るようだった。それで、入る事もないと思い、そのままになっている。そうした場合、行政や、農協と連絡網が切れる。配布資料などが、取りに行かなければならなくなる。

選挙人名簿は毎年、自ら更新しなければならない。農協支所に持って行けばいいことになっている。所が、基本は生産組合が集めているらしく。農協の支所は個別に持ってくる人は、例外で整理から漏れたらしい。これについては、前回の農道を直す際の届けで気づいたので、届けて何とか修正されていた。とすると、何か他に理由があるのか。農業委員会事務局が言うには、「農地を借りてばかりで、持っていないから」とか「耕作面積が狭い」等言う。しかし、私は6反以上正式に農業委員会を通して、賃貸契約を結んでいる。私が耕作している田んぼ畑を是非農業委員会は、見に来て欲しいものだ。その上でおかしいと言うなら、ともかく。これは、何か「笹村と言う個人」に対し。恣意的な判断が入っているとしか思えない。11月の農業委員会を待つことになった。土地の取引を、理由無く、一ヶ月延ばし。契約に影響があることは良くある。

そのついでに、最小限の家の建築確認に行った。だいぶ時間が経って、忘れかけていたが、担当してくれたKさんは事細かく、教えてくれた。お陰でだいぶ書類が出来た。この調子なら、次回持って行けば、何とかなるか。と思ったら。設計士の資格のないものが、申請するときにはこれらも付けて貰います。新たな書類が出て来た。10㎡以下の農業用倉庫に本当にそんなものがいるのか。さらにもう一つ、又隣の敷地まで3メートル離れていないから、不燃材で作らなければならないと言うのも、復活してきた。これは前回の届出、敷地を最小限の広さにしなければならないと言うので、私が広く取りすぎるというので、あえて狭くしたのだ。おかしい。おかしい。前の届けなら、敷地は充分3メートルあった。役所側で修正しておいて、その為に3メートルない。それを理由に木造はダメだ、とさらに指導する。

こちらでも、何か「笹村と言う個人」にやらせたくないから、意地悪をしているのだろうか。Kさんは親切でそんな風には思えないが、しかし、この人は一年前。「鶏はビニールハウスで飼ってはならない。」そう法律が決めていると主張して譲らなかった人だ。このときは、では「その発言を文章にしてください。それに対し訴訟手続きをします。」こう言うと、相談の上、ビニールハウスでも鶏を飼って良くなった。ともかく、うんざりする対応で、辟易させて、諦めさせる。これが手法だ。生活保護窓口と同じだ。面倒なことは避けたいのだろう。そのことは判らないではない。しかし、農業者が、自分で農業用倉庫を建てることが出来ない。この現実はいかにも不自然だ。この最小限の家という、名称がいけないか。いけないのを承知でやっているのだが。
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住まい方の哲学

2007-10-11 05:55:58 | 最小限の家
最小限の家は申請が中断している。役所に行く時間がない。せめて稲作が終われば、と思っている。その間に、家というもののを少し勉強している。「何故、近代住宅では、玄関と床の間がなくなったか。」玄関とは何か、玄とは禅と同類。老子にある言葉だそうだから、玄の方が思想的には古語。玄が悟りの境地のようなものであるなら、関は関門の関、入り口のこと。玄関を家に設け、日常は利用しない。武家社会で普及する。庶民の家では、玄関を作ることは禁じられていた。もう一つ無くなったものが、床の間、とことある位で、寝る場所が最初。たぶん実用上から、一段高くする。そのうちに高い場所だから、貴い場所に変わる。上段の間へ変貌。その貴さが神聖と、形式化を経て、床の間と言う、象徴性の高い場所になる。これこそ日本人の家の意味を、内包している。

玄関の方から考えて見る。最近の傾向で言えば、エントランスホールだ。ちょっと普段着ででてきにくいような、全くよそ行きな、異国情緒溢れた面構えの、玄関がある。それは個性的であるようで、全く無個性が特徴。日本の伝統から、遊離し。無国籍風。その理由は、建売住宅にある。商品だから、包装が大切、見栄え重視と言う事で、意味のない装飾をつける。これは、風呂屋の玄関屋根と同じ事、跳ね上がった、大げさなもったいぶった造作。冨の象徴としての家屋。一般農家の家屋は本来作業場。家畜小屋。住まう方は従では無かろうか。作業場は没個性の合理性こそ、重視。玄関の省略。土間からの出入り。寺院なども、玄関は本堂と庫裏との渡り廊下を玄関の位置とし、日常では利用しない。出入りは台所につながる、土間を出入り口とする。玄関の奥に存在する精神を求めない以上。エントランスホールだけの家となる。

床の間は仏間とは違う。ここでの神聖は祖先が存在する場では無く。改まった空間を意味する、精神的意味性が強い。この点が面白い。寝床を格上げして、ついには神聖領域に。何故暮らしに、神聖領域が必要なのか。今は神聖など不用だから無くなった。暮らしが、深まった時代があった。江戸時代。茶道の茶室から来たという。茶室は最小限の家には、様々参考になる。仮にとか。形としてとか。作法の見立て。暮らしの形式化。形式を通しての、別領域を暮しに持ち込む。芸術の場。掛け軸の登場。季節、行事、架け替える絵画。置かれる器があり、花がいけられる。壁にわずかにへこんだ、床の間を、小さな農家の家で見たことがある。土壁で囲まれた凹みが、そのごたごたの中で、別空間になる。それを必要とする暮らし。玄関ともども失われた、住まい方の哲学。

家は舟である。確か、「時の舟」家は貝殻のようなシェルター。家は玄関なのかもしれない。むしろ玄関に住んでいるのかもしれない。つまり、その奥がない。暮らしと言う哲学が失われ、入り口の意味性の装飾が拡大した。虚栄の形に一応暮しているのかも知れない。エントランスホールが、実は居間である。靴を脱ぐと言う行為を課すことで、あるいは、刀を置く。裃をとく。ここからは、住まいの場なので、社会を持ち込まない。厳然たる社会の存在の希薄。隠れるべき、時の舟は要らなくなる。隠すべき、奥の奥にひそかに存在する神聖も要らない。最小限の家は、そぎ落とした、ものではありたいが、決して、武士道的な暮らしを感じさせない、やせ我慢の家であってはならない。住まい方を哲学する。玄関、床の間の復権は必要。そして肝心な暮らしの哲学の家。
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最小限の家

2007-08-03 05:34:56 | 最小限の家
ついに、建築許可が出たと思った。役所から、ほぼ整ったので、印鑑を持ってきてください。こういう電話があった。何故か、良く分からないのだが、これで、建築許可が出せる前提が出来ました。こう言っている。どう言う事なのか疑問。「この後建築確認申請するにはとても専門家でなければ出来ませんので、お知り合いの設計士さんにお願いするようにしてください。」話が完全に違う。どうなっているんだ。ともかく役所に行ってみた。今回許可が出たのは、「43条第1項ただし書きの規定に基づき、許可しました。」こう言う事らしい。つまり、この土地で建築申請が出来る前提が出来たと言う事だった。すでに、13回役所に通ったことになる。どうもこの先は素人には無理だ。10度は繰り返した。しょうがないので「農家が自分の畑に、作業小屋を自分で作れないなどと言う事はあってはならないことです。出来なければそこで終わりにするので、了解してください。」と宣言する。

そこまで分からんチンならしょうがないと言う事で、SさんからYさんに担当が交替する。担当も3人目だ。又最初から説明が始まる。素人では無理だから、出来れば設計士さんにお願いしてとコンコンと言われる。又しょうがないので、同じことを力強く宣言する。確かにお役所としては迷惑な話だろう。人が減らされぎりぎりでやっているのに、訳のわからん奴に基本から説明しなければならない。さらに、本当に迷惑なのは、後ろに並んで待っている設計事務所の人だろう。その前で長々と、建築許可申請の講義が始まる。しかし案外に、前回の43条の申請で勉強したことの繰り返しが多い。たいしたことはなさそうだ。前の書類に付け加える程度で、充分いけそうだ。気力が復活する。

現時点で新たに分かった事が2つ。一つは土台は布基礎でなくてもかまわない。自然石の塚石でもしっかりしたものなら大丈夫と言う事になる。これも当然最初は、駄目に決まっているでしょう。こうSさんは言い張る。前も駄目だといわれていたが、もう一度言って見たのだ。奥からもう少し偉そうな人が出てきて、2人で20分あれこれ法律書を持ち出して、研究を始める。ついに、「いけないという根拠になる条項が見つからない為。」結局いいという事に成る。もう一つが新たに、防腐剤。これを使えという。厭だというと、それでは駄目というのだ。何でこんな馬鹿げたことが、農家の倉庫にまで、適用されるのか。地面から、1メートルは駄目という。それなら、地面から、1メートル立ち上げればいいのかというと、そうすれば良いという。意地でも何とか考えたい。

次にいきりたってしまったのが、防火構造問題。隣地から、3メートル離れていないと壁は防火構造でないといけない。勝手に1メートルしか敷地を取れないようにしておいて、何をおっしゃる。空地はいくらでもあるのだ、敷地を3メートルに変更する。こういうとそれはその後の検討材料ということになる。それで、Sさんが戻ってきたので、文句を言うと、あっさりSさんがYさんを説得してくれる。何のことやら。これで木材でいい事になる。更に、筋交いが居るという。板倉構造3坪の家でやるのだから、いらないといってもどうしても駄目。これは今後の課題。それにしても提出書類の中の、構造詳細図というのが厄介そうだ。なんか、例の耐震偽装のアネハを思い出した。早く書類をそろえて行きたいが、なかなか時間が取れないのが困る。
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最小限の家

2007-06-20 07:33:41 | 最小限の家
ついに、建築確認を申請した。6月18日だった。5月始めに、申請内容を整理し、担当のSさんのところに伺った。しかし、まだ不充分のところがあり、もう一度整理修正してくることになった。慣れないことと言う事もあるが、意味のわからない数字とか、倉庫業を営まない倉庫。とか独特の記載様式がある。Sさんは行政マンらしく、かたくなな所はあるが、親切な人ではある。丁寧な人である。しかし、その能力のない私に、説明しなければならないというのは、辛いバカバカしいものがあるだろう。何度か切れていた。何故、私がこんなことで、怒られなければならないのか分からないが、起こりたくなる気持ちは、よく分かった。バカバカしいのだ。何とか建築可能にしてあげようとしているのに、何故その趣旨を理解し、いうとおりにしないのだ。

11回目で申請に到ったことになる。この間空いたのが、田植え。田植えの事で頭が一杯だったので、この申請は気に成っていたが、手がつけられなかった。結局慣れない事で、理解できていない事を、やってしまうには、助走が長くかかる。どの書類も3部いるという。こんなことはすぐやれるはずだが、結構気が重く、渋っていた。そんなこんなで、修正して出せばいいことに1ヶ月かかった。いつも小屋を作る準備のため、積み上げてある、材料の木材の山が、なんとも恨めしそうに見ていた。木の色もすっかりねずみ色になった。これが時間が経過して、良くなっている面と、保存が悪くて問題化している点とがあるようで、木の方が何とかしてくれと悲鳴を上げていた。まだ紆余曲折はあるだろうが、遠からず着工になるようだ。

一番の問題は、ここで養鶏業をやることにある。初めて市役所に言ったのは、「養鶏場をやりたいのですが。」と言う事だ。「養鶏場をビニールハウスで行う事は出来ません。」と言う驚くべき見解から始まったのだ。あれこれたらい回しにされて、Sさんのところに流れ着いたのだが、Sさんも養鶏場というものに触れないで、進めようとしている。養鶏場をやる為に小屋を建てるのは、現実だ。にもかかわらず、現在の書類上は、あくまで、倉庫業を営まない倉庫、だ。私としてはこれをおかしいと感じている。ところが、養鶏作業小屋というと、建てることはできないと言う。それならそれで申請するから、建てられない理由を明確にして、拒否してくれ。これが私の方針だった。ここで手間取った。Sさんが言うには、「行政が養鶏業をここで営む事を、承認したと言う事にしようとしているなら、とんでもないことだ。」このように言われる。

確かにそうなのだろう。養鶏場はトリインフルエンザで嫌われものだ。行政としては、どんな形であれ、かかわりたくないのだろう。しかし、鶏を飼う事が、こうして、暗に排除されてゆく事は、危険だと思う。実際養鶏場をやるには、地域の暮らしから、一定の距離を持ってやるのだろう。それが、情けないが今の現実だ。養鶏が無理としても、ここで最小限の暮らしの畑を体験してもらう事はできる。むしろ主旨はそこにある。自宅のほうも、そうした開放した場に徐々に変えてゆくつもりだ。最小限の家は、それでも、倉庫業を営まない倉庫として、建てられることになりそうだ。養鶏をやれないでも、ここの農地に作業小屋が必要なことは確かだ。作業小屋を建てて、ここで遠くの海を眺めながら、お茶を飲める日が来ることを、待っている。
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