不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

地場・旬・自給

ホームページ https://sasamura.sakura.ne.jp/

日本が植民地化されなかった理由

2015-05-31 04:03:00 | Peace Cafe

日本は幸いにも植民地化されなかった。それは江戸時代の鎖国と、その結果の国力の高さの結果だと考えている。明治維新の英雄たちの御蔭というような事ではない。中国が半植民地化されたアヘン戦争が1842年。1853年が黒船来航。明治維新というものを勝者である、薩長の政権の視点から作られた、いわば正史によってだけ理解しようとすれば、本来存在した日本という国の姿を誤解してしまう。そう考えるようになった理由から書く。江戸時代の見直しをしなければ、日本人の事や、日本文化の事は理解できないと考えてきた。その事に気付いたのは、鶏を飼ったからだ。日本鶏というものは、日本人が作り出した鶏である。例えば、尾長鶏や矮鶏や声良鶏どの鶏も独特なもので、世界の鶏の種類に置いても、群を抜いて特徴があり、面白いものである。何故江戸時代にはこういう鶏が誕生したのかと、不思議に思ったのだ。全くの趣味の鶏である。実用性の無い鶏を生み出す、余裕が、百姓のどこから出たのかである。正史では、百姓は搾りあげられてそれどころではないと思い込まされていた。

自給自足を身を持って実験して見た。化石燃料を使わず、山中で5年間で達成した。その体験の結果、人間一人の食料自給は、100坪の土地と、一日1時間の労働で可能という結論が出た。江戸時代の農民が飢餓に苦しみ続けたという正史に、何か不自然を感じ始めたのだ。江戸時代には、明治政府によって作られた貧困像があるのではないかと疑うようになった。江戸時代には浮世絵というものがある。庶民が購入した、版画である。いわゆる幕府のお抱え絵師の琳派の伝統に基づく絵画の様な物とは違い、庶民ものとして、人気がでて売れれば売れるだけ大量に刷るというような作品。版元がいる様な大量生産絵画である。所が今見直してみると、この江戸時代の絵画というものは、やはり独特の文化を形成している。これほどの高い文化を庶民たちが作り出す事が出来たのかという事になる。それは、棟方志功展をパリで見て気付いた事だった。

江戸時代は士農工商の時代であるが、武士の数は10%程度で公務員と考えれば今と同じ比率である。江戸時代は飢餓と百姓一揆の時代では、どうもないらしいという事を考え始めた。明治政府が富国強兵を進めるうえで、国民から、農民から厳しく税を搾り取る。それは江戸時代以上のものである。話しは前段が長くなったが、江戸時代の蓄積というものが膨大に存在したために、日本は植民地化されなかったと考えた方が自然である。西欧の帝国主義は、利益の追求である。利益を上げるために植民地化する。所が日本という国は、交易をすれば利益の出る国であった。江戸時代にそれだけの国内の生産力があった。中国がアヘン戦争で半植民地化されたのは、中国にはイギリスが利益を生み出すような材料がなかったのだ。だから、アヘンを売るほかなかった。列強の植民地政策というものは、材料が無ければ、奴隷として人間を商品化する。そして、安価な労働力を使いプランテーション農業を行い、そこから生産物を吸収しようとする。日本の場合は、日本人と上手く取引をすることが一番利益の上がる道であったのではないか。

植民地にはならなかった日本は後追いの帝国主義の道に向かって、ひたすら歩む事になる。列強に追いつけ追い越せが日本国の目標になる。戦争を繰り返しながら、アジアに権益を広げて行く。その戦争の都度、様々な理由はつけられるが、背景にあるものは日本国が強国にやられてしまうのではないかという不安と、勝たねばならぬと言う競争心であろう。日本が相手国にとって利益の出る国であれば、相手国も日本を占領しようとは思わない。日本が大東亜共栄圏を目指して、戦争に追い込まれて行った流れは、軍拡競争の果てに、経済封鎖で日本は苦しくなり、展望が亡くなる最後の選択だろう。世界各国は違う文化のもとに、出来上がっている。資源的自然条件の違い。国家規模、民族構成、宗教、イデオロギーも様々である。その違う条件の基、産業革命で急速に上がった生産力で競争しようとしたのだ。それがいよいよ切羽詰まって来たというのが、今の世界状況だろう。日本が戦争に巻き込まれない道は、相手国にとって、ありがたい国である事ではないか。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本礼賛モノの理由

2015-05-30 04:26:51 | 身辺雑記

前にも一度日本礼賛テレビ番組の気持ち悪さを、書いた事がある。何度も書くほどのものでもないとも思うのだが、その後、その傾向はさらに強まっているのが気になる。日本的である事と、日本礼賛とは少し違うと思う。背景にある心理は日本の危うさからくる、自信喪失ではないか。アベノミックスで株価が上がり、政府は有頂天になっているようだ。所が一方にそうは安心できる状態でない。大変な危機が迫っているという予感が広がっているのだろう。フクシマ原発事故以来、日本人から不安な気分は消える事がない。あの計画停電という何とも言えないばかばかしい政策で、街が真っ暗だった事を思い出す。あの頃良く信号のない茅ヶ崎の海岸通りを車で走った。別に暴走していた訳ではない。ともかく暗く、月明かりだけが目立った町。微熱が続き、寝汗をかいている様な、血走った気分だった。黒い海に割れる月明かりが、恐怖心を抱かせる。この先日本は何処に行くのだろうか。立ち直る事は出来るのだろうか。海に広がる不安。あの時の反動の様なものが、日本礼賛モノにはある。

あの茫然とするしかなかった、放射能汚染。人が住めなくなるような地域が今もある。確かに日本の国土は素晴らしいと思うが、その国土を放射能で汚してしまうと言うような、取り返しのつかない罪を犯してしまった。それは東電が悪いとか、国の原発推進政策が悪い、というのもあるけれど、この国に生きるすべての人が悪かったという、暗い思い。日本人すべてに問題があったから、フクシマ事故が起きた。日本人は敗戦で懺悔し、原発事故でまた懺悔するしかなかった。日本の危うい高度成長の結論が原発事故だったという、情けなさ。そういうもろもろを誰だって忘れたい。そこに滑り込んだのが、日本礼賛モノではないか。少し前に、まさか日本人が住んでいるなんて想像もできないという所にいる日本人という番組があった。これなんかは、まだまだ、何とかなるかもしれないと言う事ではなかったか。アマゾンの他民族と遭遇した事のない少数民族を、発見したら、フランス人が紛れていたという番組もあった。脱出願望。

民主党政権の失敗とその後の体たらくで、政治という物への期待が、完全に失われた。自民党がまともとは思わないが、変わるべき政治など無い。政治への諦めが広がらざるえない。自民党は、沖縄の民意を無視して、辺野古が由一の選択だと、一つ覚えのように繰り返し述べる。何故他の選択肢がないのか、国民的議論に持ってゆくのが、政治の役割である。辺野古以外にないという事を、国民の頭に刷り込もうとしているだけだ。国の方向に選択肢などいくらでもある。幾らでもあるが、もっと困難だという意味だろう。政治に選択肢の無い訳がない。沖縄以外に移設するには、反対が強いという事にすぎない。何処かの無人島に行くことは、アメリカ軍が受け入れないのだ。選択肢などいくらでもある。幾らでもあるにもかかわらず、辺野古以外にないというのは、安倍政権の選択なのだ。あの民主党の国外、せめて沖縄以外にという、当然の主張が進められなかったのだ。その能力がなかった。

すご技というNHKの良い番組がある。その回は真球を作るという番組だった。ドイツのベアリングの大企業と、日本小さな町工場の若い職人兄弟が、競うという番組であった。そして、職人兄弟の手磨き技が勝利するのだ。確かにすご技に大感動とことだ。親戚にレンズ磨き職人がいたので、球面磨きを少し理解できたのだが、金属とガラスで競うという条件の違いには触れない。日本のレンズ磨きのすごい精度には歴史がある。ドイツの真球は鉄球を大量生産して、その中の一番の玉を使うという事だった。手仕事兄弟は一つの球を磨きぬく。この違いの意味は案外に深い。この意味を考えて行く事で番組の奥行きが生まれるのではないか。競う条件を変えれば、違う結果はいくらでも生まれる。番組制作者の意図は、若い職人兄弟の勝利を想定して作っていると考えてもいい。日本の職人技を評価するのは大切なことだ。そのときに、職人技が何故、消滅しかかっているのかの視点に意識が行くように作れば、もっと良い番組になる。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メダカ田んぼ

2015-05-29 04:42:59 | 稲作

右側は水路で、左側が田植えの終わった田んぼである。水路が2本あるようにしか見えないが、一本が田んぼである。一番の手前道の下に入水管がある。現在は閉じてある。閉じてあっても、水は充分に湧いて、また浸透してくる。

今年はメダカ田んぼを引き受けている。小田原市の鬼柳境という所にある4畝ほどの実に細長い田んぼだ。都市計画道路が田んぼを切り取ってしまい。細長い田んぼになってしまったのだ。地主さんは田んぼを止めると言う事で、それも仕方が無いという事になっていたのだが、そこが小田原メダカのイロコイ生息地であった為に、何とか田んぼとして維持してもらえないかと依頼されたのだ。それであしがら農の会でお借りして、耕作しようと言う事でやってきた。多分今年で5年目くらいになるのではないか。最初の2年は私が引き受けてやっていた。その後2年間は、農の会の中で引き受けてくれていたのだが、昨年耕作を止めらてしまった。気がついた時には、もう田植えの時期を過ぎていて、一年放棄したのだ。この事では農の会として、メダカ生息地維持のために、田んぼを引き受けてきた責任を果たせなかったのだから、大変恥ずかしい失態であった。

中央が田んぼで、田植えの終わった苗が見える。左側は工事中の都市計画道路である。前には、前にやった時には稲を道路側の欄干に干していた。しかし、今度は農人の里の乾燥機が使わせてもらえるだろう。

この鬼柳、桑原地域周辺を最近、農人メダカの里という組織が耕作を広げている。組織として、お米の出荷もしているのだが、ただお米を販売するだけでは、限界があると言う事で、酒米を作ることを計画した。しかし、酒米はみなさん作った事がない。難しいといううわさもある。そこで、メダカ田んぼで作ってくれみてくないかという事になった。日本酒もいい物なので、興味はある。まあ、1度だけなら試みてもいいと思い引き受けた。条件として、借り手を現在のあしがら農の会から、メダカの里にして今後は田んぼの責任を持ってくれるなら、一年間立派な田んぼをやってめせるからと約束をした。実際この様な変則田んぼでは、機械でやることが難しく、手作業中心にならざる得ない。参加メンバーを募集したところ、2名の方が参加してくれた。さらに欠ノ上田んぼのメンバー3名の協力を得て、6名で田植えをした。5月27日朝8時~2時半までかかった。

土の状態が悪く、苗がぐらぐらである。すぐにソバカスを撒きたかったのだが、止めて置いた。苗が安定してから、ソバカスを撒く予定だ。

暑い日で、私はどうも熱中症にかかったようだ。家に帰ってから体調がおかしくなり、39度まで体温が上がり一日寝ていた。2つの田んぼをやるのはもう無理な体力ようだ。体力だけでなく、頭がダメである。欠ノ上田んぼをあれこれイメージトレーニングしている中に、メダカ田んぼが入るとごちゃごちゃになってしまう。何とか今年一年は責任を持って管理して次やる人に受け渡したいと思う。この田んぼの良さは冬季淡水が可能な点である。というか常に水が湧いていて、いつでも水がある。この特徴を生かした耕作をやる必要がある。山田錦の種籾をとると言う事で、20キロは農人メダカの方に必ず引き渡すという事になっている。目標としては、200キロの収穫である。25センチ間隔の1本か2本植えである。

山田錦は古い品種である。間違いなく丈が伸びやすくて倒れやすい。同時に、夏の夜温の高さが悪影響を与えるだろう。小田原には向かない品種と考えなければならない。初めてのことだし、肥料は出来る限り控えめにする。それから、土壌がとても腐敗気味の泥田なので、何度も転がす必要があるだろう。転がしを何度でもやることがいいはずだ。ソバカスは一度だけ蒔いて、終わりにしよう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「寄り合い」の復権

2015-05-28 04:55:34 | 地域

幾つかの市民活動にかかわっている。主体的なものもあれば、遠巻きにかかわっているものもある。自治会というものも市民活動の中の、地域固定型なのだろうと思う。一年間自治会長としてかかわり、ここでの話し合いで最も大切な事は、時間が30分以内で終われば良い会議だと前任者から言われていた。何とか1時間以内で終わる事を心掛けて運営した。政府の閣議というものは、事前に発言内容を提出しておき、13分56秒平均でやっていると言う事だから、さすがの形式会議である。15分を切ると言う事で何かそこで話し合うなどという事はあり得ないだろう。報告をし合う、異論は出さない。これが暗黙の了解なのだと思う。しかし、アメリカの民主主義教育の普及で、公教育に民主的な学級会というものが、作られた。選挙で選ばれた、学級員が会議を取り仕切り、話し合いのまねごとをやる訳だ。今行われている共通認識の、会議のイメージがそこで作られたのかと思う。

日本古来の地域での物事の決め方は、「寄り合い」というものである。何しろ一つの事を決めるのに、泊りがけでエンドレスで行うものだったと言う。小田原評定・久野寄り合いという言葉がある。敵が攻めてきているという肝心な時に、何も決められない会議の仕方を表しているとされてきた。最近の研究ではどうもそう言う事ではなく、日本的な民主主義による決め方を表しているという事が言われている。寄り合いの仕方は、当て所もなく主題も見えないまま世間話を延えんとするのである。決まらなければ、食べて、寝て、翌日もまた延々とやる。その内になんとなくではこれで行こうとなるまで、取りとめのない世間話風の話し合いが続くのである。もうイイヤトいうまで行われる。根回しとか、密約とかいうものもない。諦めるまで、あきるまで話す。最もどうしようもない会議のやり方である。肝心な事を論理的に明確にすると言う事が無いのだ。

ところが、本当の市民活動を長年目指してやってみると、この寄り合い方式以外で物事は決まらないという事が分かる。例えば議事録をとるのは、必要に見えるが、何の意味もない。そこで発言が記録され、あの時ああ言ったではないかと追及する様な事があれば、その人は離れて行くだけの事だ。もしそれが地縁的市民活動であれば、暮らしにくくなるから本音は出てこないという事になる。跳ね返りや状況の理解が遅い、空気が読めない人だけが発言する事になる。何故、自分は避けられているのだろうなど、後になってそっぽに置かれている事に気付く。活動が動いてゆくためには、理屈だけではどうにもならないと思っている。本音というものは実は情動的なもので、そのときの流れや、勢いで動いてゆく。それが、腹蔵なく表面にまで現れ、自由にとめどなく、垂れ流されることが必要なのだ。会議の帰り道やまた会った時につい口に出るような事までもが、でてくる会議が寄り合いである。

全く、現代の時間に追われた暮らしでは間尺に合わないものではある。だから、寄り合い方式は、世間的には会議が下手だと言う事になる。議事録を残せとというような正論が必ず出てくる。それを民主主義的正義と考えているから、結局形式会議が行われて、体裁を整えるだけになる。話し合いがそうして失われ、実務連絡の集まりだけが残る。それはつまらないし、出たい人はいないだろう。そうして集まりの人数も減少し、義務化しなければ人が寄らなくなる。面白い雑談の会議なら、言いたい事も言えるし、良い話も出てくるから、人は朝まででも話しながら、満足して帰る事になる。「寄り合い」の復権である。本当に市民活動を始めたいと思う人には、お薦めの方法である。忙しいからそんな馬鹿げた事はやってられないと言う人が大半だろうとは思う。しかし、正式会議で実質が決まっていないとすれば、この寄り合い方式の価値を見直してみることだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2、戦争のリスクをどう見るか

2015-05-27 04:22:16 | Peace Cafe

昨日の続きである。状況を考えると、今回の日米軍事同盟の強化は、日本及び、アメリカの世界企業を守る武力協力が第一の目的とみると分かりやすい。次が、巨大な武力で小さな集団の異なる価値観を抑え込む為に、少数派の蜂起をすべからく正義に反するという事なのだっろう。その結果、日本の武力的な安全保障は、リスクが下がる側面と、むしろリスクが高まる側面との両方が、考えられるという事になるのだろう。リスクは武力による反撃を恐れて、攻撃を抑制すると言う事である。リスクが高まるのは、強者の側に立つことで、日本の戦後70年やっと定着してきた、中立性、平和主義が、方向転換したとみられる事であろう。勿論日本は戦後一貫してアメリカの核の傘の陰に隠れて、自己主張を控え、要領よく戦争を回避してきた。その理由として、事あるごとにアメリカの自ら指導した、平和憲法があると言う良い訳が有効だった訳だ。

ベトナム戦争でも、イラク戦争でも、後1歩で直接的武力攻撃を行う所であった。日本は上手く戦争加担を逃れたがために、参加諸国からは、お金で事を済ます汚い奴だ呼ばわりをされ、良くは言われなかった。しかし、韓国の様に積極的に戦争参加した国が、良い目にあったという訳でもない。一方に、日本は武力を使わない、中立的な国だと言う印象を世界に与えることには、わずかに貢献したのではないだろうか。今後、安倍氏の言うように、世界の戦争の危機が高まっているとすれば、大抵の戦争に首を突っ込むアメリカが、日本に対してどういう要求をするようになるかである。一緒に戦ってくれと要請する事は眼に見えている。何度も日本はそういう要請を受けてきた。今も、いつの間にか、ウクライナやクリミヤの問題では有志連合国の一つになっていた。

今回の安倍アメリカ議会演説が、一定の評価を受けたのは、今後はアメリカの言い成りになりますと、受け取られたからであろう。それでも、公明党の粘りで、国会の議決が無ければ参加できないという歯止めはあるようだ。果たしてこの歯止めが有効であろうか。この歯止めが有効であるくらいなら、今回この法律は承認されないはずだ。それでも多分あっというて気な多数である政府案は承認されるだろう。歯止めが有効であると公明党は主張するだろう。アメリカの要請を断れない事は、辺野古基地が由一の方法と考える自民党の姿を見れば、分かる事だ。辺野古以外に様々な道はある。しかし、アメリカがそのように主張する以上、由一の道になるのが、これが安倍政権の姿である。幾らただの平和主義が安倍氏の好みに合わないとしても、積極的という事が、アメリカとの軍事同盟という事では平和主義の看板を降ろさざる得ないだろう。

日本の戦後の平和主義は実は、自ら選択した道ではなかった。世界からそう指導された結果、平和主義のように見せかけることで許しを願い出たという事だったのだろう。その曖昧で、方針の定まらなかった平和の道は、70年続いた事になる。その結果、一応の所日本は好戦的な国ではないとみられるような世界での地位が生まれた。今回安全保障の枠組みの改正を行えば、日本を平和国家とは見ない国が出てくるだろう。また、イスラム国の様な蛮行に理由を与える事になるのだろう。はっきりと日本は、アメリカに隷属的に従う事を世界に表明することになる。アメリカ大使館が狙われるような事件が、日本大使館や海外にいる日本人に向けられる可能性も高まるに違いない。テロ集団にそうした口実を与えるに違いない。すべてを防御するなどという事が出来ない訳である。何処から考えて、日本人の安全性は危うくなるだろうと言うのが結論となる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1、戦争のリスクをどう見るか。

2015-05-26 04:13:27 | Peace Cafe

安倍氏の国会所信表明によると、世界は戦争の危機が高まっているという分析である。同感である。そこで、アメリカとの軍事同盟を強化して、日本も対等に軍事的役割を担うと言う事を主張している。これが安保法制の憲法違反ではないかという、法律の改正である。日米同盟で戦争の脅威を削減できると主張している。一方の主張として、むしろアメリカの戦争に巻き込まれる可能性が高まり、日本の戦争のリスクは高まるのではないかという意見もある。この考え方の違いを考えて見たい。具体的に書くが、中国は軍事力の強化を進めている。それは、驚くほどの急激な速度の増強と、武力の革新を行っているようだ。しばらく前までは、日本と同レベルとみられていたが、現状では日本を追い越したと考えた方がいいだろう。勿論、軍事力の比較はそう簡単なことではないことはわかる。戦力1位の米国の軍事費は6120億ドル。2位のロシアの軍事費は760億ドル。3位の中国は軍事費が1260億ドル。10位日本としているものがあった。

中国は経済力を付けるに伴い、軍事的脅威としてのし上がっている。そして、世界への特にアジア地域での影響力を確保しようとしている。それに対して、アメリカと日本は同盟で対抗しようという意識が強い。韓国等は中国に接近することで、北朝鮮の軍事的不安に対抗する方針のようだ。それが戦争の危機ととなり合わせている国としては、背に腹は代えられない現実的な選択なのかもしれない。本心としては、韓国の中国への警戒感は日本以上に違いない。中国の軍事的脅威の対応は経済の問題と大きく関連している。中国はそれこそ大東亜共栄圏の統括者になろうとしているのだろう。本来大国でありたいという野望の強い国である。しかし、外国を武力支配しようとする性格の国でもない。経済の邪魔さえしなければ、攻めてくる事はない。中国との軍事的リスクを減らすためには、尖閣諸島を棚上げすることである。わざわざ石原氏が、棚から降ろした理由は日本の軍事化の為である。中国を脅威にすることで、平和憲法を自民党憲法に変えて、普通の軍事国家になろうと言う事だろう。

もう一つの戦争の脅威にはテロとの戦いがある。これには2つのタイプがある。犯罪者的テロ集団を取り締まるという意味と、自分の思想と相いれない集団をテロ集団と判断して、取り締まると言う事がある。テロを行う側には、それなりの理由はある。オウム集団でも、イスラム国でも、狂気に見えるが大真面目に正義の教義を主張している。世界歴史遺産の破壊行為など、全く許しがたい犯罪行為であるが、それさえもその集団の正義と主張している。近隣諸国の女性を略奪して、兵士にあてがう。これほどのひどい犯罪行為であっても、その集団では正義という事になる。異なる正義をどう調整できるのかである。たがいにかかわらないで、行けるかである。オウム集団を犯罪者集団として、監視するのは必要だ。しかし、現状の社会の異常さが生み出した、集団であるという認識も必要である。異なる価値観の国や、異常集団とどのようにかかわるかであって、軍事同盟の意味があるとは言えないだろう。

中国との対立は、経済問題の比重が大きい。日本が中国を後進国の安い労働力として、利用しようとした。そして、次段階では一気に所得が増す膨大な消費者として日本企業の利益対象としてみた。所が、中国自身が生産力を付け、日本の競争相手になってきた。それは韓国の躍進の脅威どころではなく、日本の経済が将来中国に埋没して行くという不安であろう。それは日本という国の不安ではなく、特に日本にいる世界企業の不安という事だろう。勿論この違いはある訳だが、ここの区切りが明確でないのが、安倍政権である。世界企業と日本国が一体のものとして考えている。企業はその時々の都合に合わせて、色分け、使い分けをしている。この日本国と、グローバル企業と呼ばれるものと、軍事力の関係が不明確なまま、海外にいる企業の活動をテロから守るために、日本の軍事力を使う為の同盟である。本来そうした費用は、その企業が出すべきものだろう。まだ途中だが長くなったので、あとは明日に続ける。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田植えまでの準備過程

2015-05-25 04:45:14 | 稲作

5時日の出 苗床では苗とりが始まった。

たんぼの田植えまでの準備を整理しておく。種籾は、その田んぼの平均的な所のものを、1反4キロ残しておく。自家採取した種の方が生育の予測が安定して分かるので、上手く行く。先ず春分の日に海水による籾洗い。その後1ヶ月の川での浸種。そして280穴セルトレー3粒蒔き、及びそこ穴の沢山ある苗箱への40から60グラム蒔き。

田んぼには、秋に藁を田んぼに平らに並べ、上からソバカスを撒き散らしておく。出来れば一度裏返す。その場で藁堆肥を作る。苗床田んぼには特にソバカスは3度ほど入れる。さらに苗床を作る1ヶ月前に鶏糞堆肥を撒く。セルトレーには3粒平均に種を蒔く。2本平均に発芽する。

水の入った、7番田んぼ

苗床は出来るだけ平らにトンボで均す。セルトレーは苗床に、密着する様に強く押し付ける様に置く。並べてからコンパネを載せて、上に乗って抑えてやる。セルトレーは前後となりの箱が密着しない様にすき間をあけて置く。上からビニールトンネルを作る。4穴の穴あきビニールで覆う。しっかりと周囲を土で埋める。

苗作りは6週間で、5,5葉期の苗を目指す。田植え日を決めて、6週間を逆算して種まきを行う。水のやり方が重要。最初の2週間は水やり程度。次の2週がヒタヒタ水。最後の2週は苗箱は常に水没させる。ビニールカバーは遅くとも4週目に外す。

代かきの終わった、4番田んぼ

消毒とか、選別とかは一切した事が無いが、25年一度も病気はない。但しこれは、そういう田んぼになり、そういう種籾になっているという事でもある。

田んぼの田植えまでの準備は、まず、田植え1週前から3日前に緑肥や雑草ををハンマーモアーで刈り取る。漉きこむ2週間前と言われるが、直前の方が抑草効果が高くなる。前日に行ったこともあるが、問題はない。

代かきの終わった、11番田んぼ

荒起こしは草が土に良く混ざる程度に、出来るだけ浅く行う。深い方がお米がとれるということも言われるが、それは手で荒起こしをしていた時代の、辛い荒起こしを頑張れの意味が強いと思う。深い土起こしの農法もあれば、浅いおこしの農法もある。私のやり方はすべてに浅い方が向いている。23日一日で終わった。

荒起こしが終われば、周囲側面をぐるりと掘り起こす。畦が低ければその土を畦の上に載せる。そこまで終われば、水入れ。必ずどこからか水は洩るので、足で洩っている所を埋めながら水を溜める。排水溝で高さの調整をする。排水溝周囲は毎年点検が必要で、後で問題が無い様にこの時点でしっかりしたものに直しておく。

欠ノ上田んぼの苗。理想的な成長の様子。

代かきは充分に水溜まっていなければ、良くはできない。代かきもできるだけ浅く。しかし草が表面で邪魔しない程度に行う。草があると線引の時に引きづり邪魔をする。

畦塗り、棚田では、漏水が管理上の重大問題なので、出来る限り丁寧に行う。草や藁は混ぜないなどと言うが、混ぜても全く問題がない。土壁を考えれば、混ざった方が強くなるはずだ。

代かきも浅い方がいいのだが、畦際などは少し深めに丁寧に行う。畦塗りで土を使うので、注意が必要。畦際が深くなったならば、土をトンボで寄せておくこと。また田んぼの中央でも、水漏れが起こるので、ともかく丁寧に行う事が重要。

次は田んぼを出来る限り平らにすることである。入水口と排水口の高さの差が2センチ以内。排水口を開ければすべての水が抜ける様にする。面倒だがトンボでやるのが一番効果的。特に畦際に土を持って行くこと。トラックタ―で土の移動をしていると田んぼが深くなるばかりである。

線引の為に田植えの前日に一度水を抜く。水の抜けにくい田んぼや、雨予想の際は、2日前。土の状態が良くないと、線引が難しくなる。線引は田植えの直前がいい。例えば、6時から線引を始めて、8時から田植えを始める。田植えの速度もあるが、前日から線を引かざる得ない場合もある。線の幅は24センチで縦横を弾く。この幅が転がしを縦横入れるためにちょうど良い。

苗採りも田植え前日の作業になる。セルトレーから抜いて、箱に詰める。各田んぼにちょうど良くなる様に苗を入れた箱を配置する。この時苗が乾かないように気を付ける。田植えでは、苗運搬と田植えの人に投げる係が一人いても良いくらいである。

田植えはわずかに水がある状態で行う。後で苗が浮き上がらないためである。苗の植え方は深からず浅からず。水を入れて浮き上がるようでは困る。しかし、しっかりと思い深く植えすぎるのも、引き抜いてあるかなければならなくなる。指先を延ばして、土に苗とともに入れて、手を抜きながら、周囲の土を寄せる。セルトレー苗ならば、初めての人でも問題なく植えられる。良い苗で、良い田植えをすれば、翌日には根が水を吸い上げ初め、停滞は全くない。

田植えが終われば、直ぐに水入れ、土が見えなくなった状態で、ソバカス撒き。丁寧に全面に広がるようにソバカスを撒く。ソバカスは軽い物なので、風向きが重要になる。

1週間したら、ころがしに入れる。必ず縦横2回の転がしを行う。ここからはまだ先の話だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フクシマ2号機ベント失敗

2015-05-24 04:23:48 | 環境関連

今頃出てきた驚きの事実だ。フクシマ原発2号機がベント出来なかった大失敗。つまり、冷却を出来なかった、核燃料が溶融し、原子力発電の本体が破壊されたのだ。幸い、爆発はせず、多分割れて、そこから漏れ出したという事のようだ。しかし、ベントが出来たかできなかったのかという事実が、事故から4年も経たなければ分からないという事に驚く。いやそうではなく、4年も経たなければ、公表出来なかった、公表しようともしなかったという事に驚く。ベントされたかどうかぐらい、事故直後でも確認できたはずだ。排出弁付近の汚染濃度を測れば、1号、3号とどう違うか位、直ぐに分かることだ。事故調査委員会等というものは、全くの無能の人達なのか、立場わきまえ有能過ぎて口をつぐむ人達なのか。はっきりしているのは、この程度の事故の原因すら明確にできない人達に、原発の再稼働など任せられる訳が無い。津波や地震で原子炉はこわれた訳ではないという事故調査報告も、いよいよ怪しくなってきた。

事故の一番の原因は運転する人間にある。盛んに想定外と言われたが、ありとあらゆる想定をして、事故に備えると言う事が出来る人間がいるか、居ないかである。原子炉の冷却が出来なくなったときに、ベントする訓練ぐらい充分にしなければならない。多分、フクシマでは想定外で、充分な訓練が無かったと思われる。あのときに管総理大臣がけんか腰でベントしろベントしろ、と叫んだ意味は、ここにきて誰にもわかっただろう。総理大臣が現場に駆け付けて、怒鳴り散らしても、ベント出来なかったのだ。冷却できない状況で、ベントもできない。これは大事故に進む。全員退避したという事になる。これが逃げたと言われていた所だろう。原子炉にヘリコプターから、水をかけた事を思い出す。そして、上海にしかなかった、高所まで届くポンプで海水をかけたのだ。まさかという日本の技術レベルの低さ、対応人間力の低さが際立つ。もうかつての信頼できる日本人ではなくなっている。その低いレベルのいざとなったら頼りにならない人達でも、事故が起きない対策が可能なのかを審査しなければならない。

ところが、ベント出来なかったなどという大切な事故原因を4年間も、口を拭っていた。こんな基本的な事が調査できないような技術レベルなら、原子炉の再稼働などとんでもない。同時にこんな大切なことを、隠しているようなら、原子炉の再稼働などとんでもない。放射能水は完全にコントロール不能に陥っている。当然のことだ。あのようにタンクに切りなく詰め込んでいて、対策などと言える訳もない。結局は海に垂れ流してしまえばいい。と黒い腹の底では考えているのだろう。しかし、日本人は既にこれほどの事故さえ、我慢しようと言う事ではないか。二度は起こらないだろう。今度は何とか対策をとるだろう。全くの幻想である。日本人の人間的な資質は、明らかに低下している。今度はわざと原子炉を破壊するような人が現れる可能性すらある。原子力発電はもう日本人には無理だ。

お茶の補償はまだされない。こちらは請求しているが、その請求が東電の様式に従っていないという事で、無視されている。事故を起こしておいて、自分の様式だけは徹底して押し付けてくる。責任を感じるなら、東電自身が調査して補償をすべきだろう。東電は最低の会社だ。マクドナルドだって、異物を混入させたという事で、責任をとらされている。東電はどうだろう。知らぬ存ぜぬで押し通している。自分が悪かったのなら、自ら償うのは当たり前のことだ。ごまかしとおしてしまえると考えている、怖ろしい会社だ。テレビなどでは、きれいごとの謝罪を並べるが、会社の実態は全く違う。汚染水を海に垂れ流していても、汚染水は完全にコントロールされていると、安倍氏に言わせている。間違いは誰にでもある。間違えたら、ごまかしや弁解をせず、すべてを公表して、2度と同じ過ちが起きないようにするのがまともな会社のやる事だろう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沖縄復帰43年

2015-05-23 04:07:30 | Peace Cafe

15日が沖縄の日本復帰43年という事だ。沖縄が復帰したのは、大学にいた頃である。ミンセイの研究室の先輩が沖縄が返還されると、日本本土は沖縄並みの米軍基地になるから、返還反対だと主張していた。当時共産党がそのように言っていたのだろう。私は、ともかく米軍の占領を終わりにして、返してもらうことが先決だ。何が何でも沖縄を返還してもらって、主権を取り戻してから基地削減に取り組むべきだと、怒鳴った事を覚えている。当時の共産党はまさに、何でも反対だった。政府は、日本本土が沖縄並みにはならないように、でもないのだろうが、米軍基地の削減などまったく取り組まなかった。

中学生のころから、私は沖縄好きだったのだ。伯父の彫刻家の草家人が沖縄大学で、教えていた事があり、すっかり沖縄ファーンになって、家に来ると沖縄の素晴らしさを語っていた。それで、いつの間にか沖縄が好きになった。高校に入ると沖縄出身のヨヘナ先生に出会った。この先生は英語の授業担当なのだが、良く沖縄の現実を語ってくれた。アメリカ兵とのけんかの仕方など、手振り身振りで面白かった。転がって戦うのだそうだ。アメリカに留学して勉強した人で、都立大の大学院に行かれていたように思う。アメリカの占領下である事がいかにひどい事か、様々な事例を上げて教えてくれた。だから、沖縄が返還される事になって、これで差別は解消されると嬉しかった。同じ日本人にもかかわらず返還反対を主張するミンセイには、あきれ返った。アメリカは当時から大嫌いだったからこそ、返してもらってから、基地を追い出せばいいと思っていた。

所が43年間、沖縄の米軍基地はほとんど変わらない。返してもらった所もあるが、新たに作られた施設さえある。そして、今問題になっているのが辺野古の新基地だ。安倍政権が中国に対抗するために、由一の方法だと主張するものだ。この43年の年月を自民党政権はどう考えているのだろう。沖縄に日本の米軍負担を押しつけてきた事に、反省などないのだろうか。外交力を持って、沖縄の基地軽減を図る事が、同じ日本人としての政治のやるべき事のはずだ。安倍政権は口では基地負担の低減を言う。それなら、もっと具体的な成果を見せることだ。43年間出来なかった事が果たしてこれから出来ると言うのだろうか。まして、辺野古基地の建設は対中国の脅威に対するものだと明言している。

安倍政権はアジアの日本の企業権益を中国に奪われまいとしているだけなのだ。日本が軍事力が無いがために、中国にアジア諸国に形成した権益を奪われはじめていると考えているのだ。中国との経済競争に、沖縄の米軍基地の圧力を利用しようとしているのだ。それを日米の胸中の利益と考えている。だからガゥムやフィリピンや韓国に米軍基地が移動したのではだめで、沖縄が由一の選択と考えるのだろう。中国との対立軽減なら、尖閣を国連の司法判断に任せるのもいい。もし尖閣を軍事的に守りたいなら、もっと近くの無人島に米軍基地を作ればいい。選択肢はいくらでもある。それとも山口県に誘致するのも悪くないか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沖縄本島の温泉

2015-05-22 04:13:23 | 日帰り温泉

沖縄本島北谷にあるちゃたん恵み温泉 美浜の湯に行ってきた。北谷という所は、米軍普天間基地のそばである。基地の街を感じさせるアメリカンビレッジのそばにある。58号線の軍病院の前を海の方に行った所にある。観光客向きの様々な施設が集中した場所である。大きなイオンがある。ホテルが並んでいて、お土産屋さん、様々なレストランにカフェ。何故か100円ショップ。夜はネオンが輝いていて、アメリカ人の家族が沢山いた。「からはーい」というリンケンバンドのステージの有る劇場に行くのできたのだ。それに合わせて温泉に行った。リンケンバンドは週末という事で、他の日は別の人が歌っている。唄の方は私の好みの沖縄ソングではない事は分かっていたのだが、オリオンビールを飲んで、唄を聞いて、楽しく大満足であった。沖縄の宮中衣装は実に美しい。琉装という。紅型というのは舞台衣装になると、まばゆいあでやかさである。食べ物は種類はないが、味は悪くない。刺身を食べたがタコが美味しかった。

そして、沖縄一番と言われている、期待のちゃたん恵み温泉である。温泉は平日は1200円。温泉設備だけを考えると少し高めである。隣接ホテルに泊まれば無料である。65歳以上なので、老人料金の1100円であった。何か証明書はいるかと聞いたのだが、受付の女性は曖昧な顔をしている。見ればわかるのか。と確認したら、タオル代50円です。というもう一つの返事をした。温泉マニアとしては、当然タオルぐらいもって来ている。それで、1100円払って入れてもらった。お風呂は中程度の湯船が2つとサウナ。普通の銭湯よりいくらか広いというぐらいだろう。但し、外湯は掛け流しの温泉ということだ。確かに、塩素臭はない。いくらかお茶の様な色である。柔らかな暖まる湯であった。サウナは90度くらいの普通の温度である。問題は3人入ると後の人は入りにくい。所が、希望者が多くて、それとなく待っている感じがして、せわしない。水風呂はない。

実は外には温泉プールとか、低温サウナとかがあるようだったが、そっちには水着が無いので行けなかった。そちらからは、海岸にもそのまま出れるらしいから、外で泳ぐこともできると言う事のようだ。宮古島のシギラ温泉と似ている。それを考えれば、1200円は高くはない。それでもホテルの施設なら、中にもジェットバスや、打たせ湯ぐらい欲しい所だ。変わっているのは、履物をビニール袋に入れて、持ったまま更衣室に行く所である。ついお風呂を出た後、靴を忘れてしまった。お風呂に入るとすべてを忘れてしまうのである。その為にお風呂に入るのだ。習慣にない事は難しい。もう一つ違うのは、刺青の人の入場が制限されていないことだ。多分米兵の関係かと思う。実際に入れ墨を見事にした日本人の人がいた。ここの温泉に行くときは、水着の持参が必要である。水着を着て外に行けば低温サウナや、ジャグジーもある。

ここの温泉は地下1400メートルからのものだと言う。最近は地下1000メートルというものが珍しくないが、1400は入った温泉で一番深くから湧く温泉だ。海の脇だから泉質はナトリューム泉なのだが、それ程塩分濃度は強くない。効能書きにはなかったのだが、皮膚に良いような気がした。美肌の湯かどうかは縁が無いので分からないが、「ちゅらゆ」と名付けられている。ともかく、ここの掛け流しはかなりの量で、これは実に贅沢な感じだ。泉質も重めの感じがあり、シギラの黄金湯と似ている。沖縄の地層ゆえの温泉だと思う。温度は私には少し高めだった。41度くらいか。まさかと思ったのだが、これが町営の温泉なのだ。朝ぶろがあって、6時~8時でこちらは600円だった。入るならこれがいい。外には足湯があり無料。行きも帰りも大勢の人が座っていた。ここで毎日足湯をしていたら、先ずは水虫にはならないことは保証できる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イスラム国と呼ばない

2015-05-21 04:29:50 | Peace Cafe

この所イスラム国と呼ばない報道が増えた。ISと呼ぶが、これはそもそもアイスランドのことではなかったのか。ISになってから、その存在の把握が私にはより難しくなった。集団としての意味不明の存在になった。言葉は難しいものだ。やはり、イスラム国と読んだ方がいい。国と付く事で、問題の深刻さを感じるべきなのだ。ISISアイシスとも呼ぶようだが、ただでさえ実態のつかめない存在がますます意味不明である。イスラム原理主義のテロリスト集団と言ってもだいぶ実態とは違う。その規模と深刻さからも、国を付けた方がいい。国とは何かという事がここにはある。どうも日本政府がイスラム国をやめたのは、国というものの条件が無いと言いたいのではないか。国というものは、大きさでも、人口でもない。支配地域のもっと小さな国というものはいくらでもある。実効支配の程度はどうか。シリアあるいはイラクの一定の地域はは完全に支配をしている。支配する憲法の様な物があるかと言えば、まさにイスラム原理主義の宗派的コーランの解釈がある。

クリミヤ半島の独立も、ロシア編入も、ヨーロッパ諸国は認めない。それに従って、日本もあいまいに同調している。日本自身の考え方というより、アメリカに言われるままにすぎない気がする。国というものについても、安倍氏と私では大いに違う。日本国というものの伝統的文化こそ、イザヤペンダソンの言う日本教が国家原理だと思っている。日本文化というものを失えば、国家の恰好はしていても、そんなものを日本とは呼びたくない。勿論、時代とともに日本という国がらも変わるのは当然のことである。しかし、失ってはならない日本というものがあると思う。以前皇室は奈良に戻るべきだと書いたら、ネトウヨと思われる人達が、一斉に批判した。全く皇室の意義を理解していない。東京にいて、国家権力と結びついた皇室という、明治時代の帝国主義発想に縛られている発想だ。本来の保守主義であるなら、まず日本の国柄を認識して、その日本国を守る保守を主張すべきだ。多分天皇家が何故田んぼをやっているのかという事すら、理解できないのではないか。

近代的国家というものを自覚する前に、日本人というものは成立していて、日本的文化というものを醸成していた。本来国というものはそういうものではないかと思う。そのときに、イスラム国はやはり国と呼ばざる得ない存在である。イスラム原理主義という、他文化を拒絶する異様な民族主義、宗教主義を持った集団である。そのとんでもない連中をどう扱えばいいのかというときに、そもそも国というものは何か、それは実に排他的で、許容度の無いものであるという、共通原理に立ち戻らざるえない。日本はアイヌ民族を例外として、ほぼ一つの言語の民族である。しかも、日本列島という、一地域に居住して長い。日本で生まれれば日本人になる。しかし、果たして日本文化というものを持たないものを、日本人と呼んでいいものだろうか。例えば、日本語を放棄するという考え方もある。企業等は既にそういうシステムの方が利潤を上げやすいといういことになっている。それは既に、日本の企業ではないという事になるのだろう。

世界がグローバル化する傾向は、さらに進むだろう。だからこそ、日本人としての文化をはぐくむ必要がより強まる。グローバルである根に、地域性が求められる。それが日本人として素養なのだろう。そして日本という豊かな自然を生かして暮らしてゆく。たとえ日本の社会に、他民族が入るとしても、日本的な文化を身につけて行くと言う事が大切である。イスラム国の事であった。イスラム国には、世界中から過激思想の持ち主が集まるようだ。それは現代社会が行き詰まっている様相の表れのひとつに見える。能力主義社会の行き詰まりなのだろう。イスラム国は、犯罪集団であり、言語道断ではあるが、そんな国が産まれてくる現実社会の問題点をも、良く分析して行かなければならない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

照屋三線伝統工芸士

2015-05-20 04:04:34 | 身辺雑記

私の三線は沖縄の照屋勝武氏という伝統工芸士の方に作っていただいたものである。一度三線の調整をしてあげるからと言われていたので、今回お邪魔をした。照屋氏は三線の演奏家でもある。三線の練習の仕方も教えていただいた。どのようなところを大切にして、練習してゆけばいいかを知りたかった。照屋氏の三線制作のお話は実に論理的で、合理的で、実践家的である。見てみろここが盛り上がっているだろうといわれて、見てみた。正直よくわからない。駒の作り方を見せていただいたが、三本の糸の違いで、馬の上にある糸の通る溝の深さを変える。そして糸の響きが、共鳴する胴にチーガという部分に、うまく伝わるように極力薄く、正確に削り落としてゆく。素材は竹が一番だそうだ。すごく切れ味のよい、小刀で手際よく、調整してくれた。駒を立てた時にくり抜きの部分が実に美しいアーチ形になっていた。

照屋さんの三線はよい調子で、問題ないということだった。私には問題があるのかないのかさえ分からないのだ。実は今回、もう一つの三線を見てもらうことをお願いした。一番太い男糸ウージルがビビリ音が入りやすいのだ。演奏法が悪いのか、竿の問題なのか、もう一つわからないところがあり、それを見てもらえないかとお願いした。照屋さんにほかの誰ともわからない三線を見ていただくというのは、あまりに申し訳ないお願いであったが、特に音色については気に入っているものなので、何とか直していただきたかった。照屋さんは引き受けてくださった。演奏をまずしてみて、原因はやはり竿だということで、竿を外して、誰が作ったものか見当がついたようだった。頂点方向から通してみてふくらみ部分ができていると言われた。見てみろと言われたが、それが見えない。あるだろ膨らみがといわれるのだが、私には見えなかった。見えるということには、名人の目が必要である。制作上の問題なのか、竿が時間経過で、動くこともあるといわれた。さっそく削って直してくれることになった。

紙やすりの600番ほか、3種を使い、徐々に削った。そして、車の艶出しワックスをつけて磨いた。磨きながらまた仕上げに削った。そして、さらにチーガの差込口が緩いということで、板をはりなおした。竿とチーガが触れる部分は、音が伝わる重要なところである。わずかな空気の抜けも、問題が出る。だから、その支えになる膨らみの部分の形も、適切なものでないとよい音にはならないということであった。これを弾いてみろということで、まだ塗りのない三線を見せていただいた。竿の形が違うのはわかった。静かな、音である。響きはむしろ抑えられているのだが、とても雑音のないというか、深くしみいる余韻である。この音の良さは、竿の作りにもあるが、それは小さいことで、チーガに張られた蛇皮に違いがあるといわれた。1匹の蛇から、8枚か9枚の皮が取れて、尾に近いほうから1番、2番と番号がつけられていて、3番までが表皮につかえて、あとは裏側に使うそうだ

張られた様子でこれは何番だから、張り替えれば音はもっとよくなるといわれた。私には、張られたものが、何番の皮かなど全く見分けられない。ここまで見える人は少ないと思う。不思議な見え方だ。大きな蛇皮を見せてくれて、その説明をしてくれた。そして、ここに爪があると、尾にいちばん近いところを15ミリほど切ってくれた。記念に三線ケースに入れておきなさい、ということでいただいた。確かに蛇には爪がある。これは私にも見えた。今回は、ティーガーという胴の周りを飾る布を、読谷花織のものに変えた。この花織は、素晴らしい歴史と物語があるもので、一度消えたものを、京都に残っていたものを詳細を調べ、一人の女性が子供のころの記憶をたどり、復活したものだ。その布も今では、伝統工芸館で保存維持している。着物を作り端切れが出た時に、ティーガー作るのであまりないものなのだそうだ。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダメと認めるところから

2015-05-19 04:27:51 | 身辺雑記

このブログでは、思いついた事をそのまま書いている。笹村という人間がが生きている日々の暮らしの感覚をそのままに書こうと思っている。当たり前の日常感覚の反映でありたい。聞きかじりや、取り違いや、もう様々な適当な積み重ねの中に生きている。間違いや誤解だらけの恥ずべき日々である。普通に生きていればそんなものだと開き直っている。その普通の人の感じた事をそのまま記録しておくことも、それはそれで必要なことではないかと思っている。正直言えば、その方が大事だと思っている。専門家の意見というものは、あくまで専門家であって、普通の人とは距離がある。そして、普通の人はあまり自分の日々の感想など書き綴ったりしない。そこをあえて書いてみている。鶏の事。稲の事。そして絵の事。これについては、専門家意識がある。専門家と言っても、実践家という意味であるが。

鶏、稲作、絵画を実践してきた結論として、本当の事は一つではなく、多様だというである。稲作の事で言えば、ラジコンヘリーからの、空中種まきが報道されていた。鉄でコーティングするのは種を水中に沈めるためだと、語っていた。これも嘘ではないとおもうが、そもそも種籾は塩水選というもので、沈むものを選んで使っている。しかし、そうでもないかもしれない。ラジコンヘリから落として、種を泥の中に少しでも深く埋め込みたいのかもしれない。それなら代かき直後の濁り水状態で蒔いたほうがいい。その方が稲が倒れにくくなる。しかし、主たる理由は酸欠で種が腐ってしまうのを防ぐために、鉄でコーティングしているのだと思う。鉄の酸化を利用するのである。事実は複合的。田んぼの耕す深さは、深くしろ、浅くしろ、そういう正反対の事が、正しい事であるのが実践の世界だ。10俵以上お米が採れたから、正しい農法だとも言えない。それが5年は継続されて、初めてまあ一応の農法であるらしいという程度である。東洋的4000年の伝統農法の意味がここにある。

自然農法には、福岡農法という有名なものがある。所がこの農法を他の人がやると、上手く行かない。だから、嘘だと言う人すらいた。しかし、福岡さんがやれば何十年も10俵以上で上手く行ったのだ。すべての真実はまさに多様だ。つまり、実践では自分流を見つけない限り、どうにもならないものだ。それは、養鶏でも同じことで、私がこうしてうまくいったという事を伝えても無駄だ。一つの事実を鵜呑みにする事は無駄以上に害悪になる場合がある。伝えられるのは、結果ではなく考え方の方ではないかと思う。このような考え方で、考えれば、その人に相応しい方法が見つかるかもしれないという事以外示す事はできない。私の書いた自然養鶏の本はそういう本である。本当に参考になると言う事はそういう事ではないかと考えている。

従軍慰安婦に関する歴史的事実についても同様である。オウム事件でも、赤軍派の事件でも、真実は当事者自身すら、闇の中に揺れ動くものである。それは人間は複雑で、揺れ動くいい加減なものだからだ。人間自身の真実が揺れ動くのだから、歴史的な真実と言っても、実に多様である。従軍慰安婦だった人の受け止めも、ときによって、時代によって、揺れ動いて当たり前である。まして、朝鮮と日本という、歴史的な複雑な要因まであるのだから、本当の所と言っても、そう簡単ではない。しかし、はっきりしているのは、謝罪してもらいたいという気持ちだ。これには間違いがない。理由とかではない、やりきれない思いを抱えて、生きてきたはずだ。その人が謝ってほしいというのであれば、謝るのが人の道だ。そこに打算とか、真実は違うとか、色々加えるのでは謝ることにもならない。謝る事で少しでも気が収まるのであれば、謝り通し、許しを請う事が日本が行うべきことだ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原爆の危機の増大

2015-05-18 04:21:32 | Peace Cafe

ロシアでは絶大なる人気を誇る、独裁的大統領のプーチン氏は、麻生氏の言う所のヒットラーは静かに選ばれたという、実例になるのかもしれない。核戦争をクリミアでは想定して対処していたと表明した。核戦争を身近なものにした。もしイスラム国が核爆弾を手に入れれば、必ず使う事だろう。核爆弾の所有を目指しているのは、独裁者の等しい政策である。リビアのカダフィー、北朝鮮のキム政権、イランのホメイニ、そしてイラクのフセイン。たぶん中国も同じか。科学技術の進歩で、それ程の技術力の無い国でも、核爆弾の開発は可能になっている。そして、それを所持すれば、どれほどひどい事を繰り返そうが、そう簡単に軍事的に押しつぶされる事はない。カダフィーもフセインも今一歩だったために、殺されてしまった可能性もある。この世界情勢不安の強いものほど、北朝鮮も、イランも核開発を止めるわけがない。この核武装の火に油を注いだのが、ロシアのプーチンという事になる。

日本が少々のところ軍事力を強化しても、ほとんど無意味化すると言う事だ。北朝鮮が核爆弾を持った以上、日本も、韓国も、アメリカも、ロシアも、中国もおいそれとは手が出せない。イスラム国を見て見ればわかる、自分たちがどれほど暴虐な国家であるかを見せつけることで、自己存在を誇示し、国力の増強を計る算段である。北朝鮮も幹部をすぐに処刑することで、その悪辣さで脅しをかけている。悪ければ悪いほど、恐怖が高まる政治の現実がある。このイスラム国の低級なレベルに、プーチンも降りて行った訳だ。それだけ、ロシアが危機的な状況と考えなければならないのだろう。イスラム国には効果の無い経済封鎖が、ロシアには深刻な経済封鎖になるのではないか。ロシアの独裁者は選挙でその地位に君臨する。資源大国として、それなりに世界での地位を保っている。所が、ことごとく欧米と対立する。対立を高める結果選挙で選ばれることは想像できる。

ロシアはやはりヨーロッパに比べて、経済の遅れた国なのだ。それは、アジアの中国と似ている。中国には深刻な格差がある。民族対立がある。国内に暴動の怖れを抱えている。その為に、治安部隊が強化されて行く。武力によって国威を発揚せざる得ない事も、格差の深刻さから来ている。ロシアも同じ事である。世界は悪方向に傾いている。日本がアメリカに隷属しなければならない原因も、原爆を持たないからであろう。日本も格差が広がってゆく。自民党憲法が静かな革命によって制定されれば、必ず原爆保有に向かうであろう。靖国が国立神社になる可能性もある。日本が消滅するまで、その消滅する理由を気付かないでいるのかもしれない。日本が核廃絶を主張しても、核保有国は確かに無反応である。広島や長崎を見に来てほしいとの主張すら、核保有国中国は歴史の歪曲だと主張する。

安倍政権は憲法9条の飛躍した解釈で、国際平和支援法案等というまやかしの名前の法案を国会に提案した。対中国の日米共同の軍事的対抗策である。世界の武力的な危機が高まっているから、日本の安全を守るためには、アメリカとの軍事同盟を強化して、日本も同盟軍として戦えるように法律を変えると説明をした。これはどう強弁しても、平和憲法を破っている。もしそれが必要と考えるなら、自民党憲法に改定を行ってから、やるべきことだ。それ程日本人が愚かであるなら仕方が無いとあきらめも付く。武力競争で行く以上、アメリカに隷属を続けるか、日本も核武装するしかない。日本が非武装の存在として、世界から尊敬を集めるためには、独自の平和外交の道を徹底して進む以外にない。それは、実に危うい、現実味のない安全保障政策に見えるが、どの平和への道も、困難で、どの道がより安全かは全く不明である。分かっているのは、このまま武力で対抗する道は人類の破滅への道だと言う事である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本国の移民と棄民。

2015-05-17 04:18:52 | Peace Cafe

日本の歴史の中に、棄民と呼ぶべき移民がある。明治政府による会津藩の下北への移住。江戸時代の琉球王国に対する薩摩藩。そして琉球王国による離島への移住指示。いつの時代も生産力と耕地面積の限界が、人口の増加圧力に迫られていた。中南米移民のなかには、殆ど棄民に近い悲惨な結果が随所に存在する。満蒙開拓団は、軍事的目的を伴い、さらなる悲惨な結果を産んだ。この背景には人口増加圧力が大きかった。いずれの場合も、食糧生産の限界が要因である。人口は常に増えて行くものであった。江戸時代では、初期の人口ははっきりはしないが、1500万人で江戸末期で3000万人程度というのが、一般的な推計の様だ。江戸時代も初期に急増があり、その後停滞する。明治期に入り、さらなる急増が起こる。2008年の日本人の最大人口12800万人。最近までの人口増加の最大要因は医療の進歩である。子供が死ななくなり、寿命が延びたためである。

人が増えると、家のというものの資産の維持が難しくなる。家という観念が、最大の価値観であった。封建主義という家を守るという価値観に縛られて、日本人は生きてきた。家を守る、を守る。村を守り、藩を守る。その為に家の分家が行われる。一軒の家が、3反の農地を持っていて、子供が3人居れば、一人は、その地域から出て行く以外に道がない。江戸時代は、人間の定着という事が主要な政策になる。農家は農地に限定された存在である。農地を開墾して広げない限り、人口の増加を受け入れる余裕はない。それ以外に藩の経済を広げる手段が無い。江戸時代の人口の倍増は農耕地の拡大と、農法の改良の範囲の限界を示している。その後の人口増加は、明治初期と比べて、農業から工業生産に移行し、海外輸出が始まるという事だろう。食糧生産という意味では農地が増えたということより、機械力の導入という事が大きい要素だろう。山梨の境川地域でも、移民した家族がいた。ブラジルに行ってとても良いらしいという噂話は良く聞いた。

故郷に錦を飾るわずかな人達と、音信不通になる多数の人がいたのだろう。今になって移民2世、3世が日本への移民をしている。政府は1970年代まで移民政策を続けていたのだ。人口増加圧力も、日本帝国主義が捻じ曲げられ、アジア進出に繋がる背景である。国威発揚と人口増加。軍人というものは、農家の余剰人口の吸収先になる。限界まで軍備費につぎ込み、農村の疲弊は江戸時代と比較できないほど、ひどい状態になった。貧困農村出身者の多数存在した軍人の考えが、海外進出に眼が行くようになったのは、当然の事とも言える。現在やっと日本の人口が頭打ちになり、中国のように一人っ子政策などしなくとも、何とか収まりホッとしている。にもかかわらず、政府は人口が減少する事を、問題としている。その理由は、消費者の減少で景気が悪くなるという、企業家の突きあげのようだ。人間を消費者として見ているにすぎない。棄民と何ら変わらない国家経営の意識である。

日本という国土に相応しい人口は、6000万人程度であろうか。それが現在食糧自給が出来る人口と思われる。人口は食糧生産量に従うのが自然な基本であろう。それは世界中どの国もその様になるのがいい。今のまま行けば世界中が人口増加になり、人間は暮らしにくくなる一方である。今の、10分の1くらいの人口であった日本の時代を想像すると、江戸時代の初期という事になる。人口は10分の1でも立派な日本国である。世界に誇れる桃山文化を作り出した。江戸時代鎖国をしてやってゆくことを考えたのは、自然の成り行きでもあるし、正しい選択であっただろう。当時日本は銀生産による輸出で、豊かな国であったのだ。それで一気に社会インフラが整ってゆく。自給的に暮らす安定基盤が生まれた訳だ。江戸時代の250年に育まれた、豊かな文化こそ、次の人間の暮らしの可能性を秘めている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする