地場・旬・自給

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朝鮮日報

2006-07-31 03:49:47 | 身辺雑記
朝鮮日報のインターネット日本版(http://japanese.chosun.com/)に、を時々読む。中々面白い視点から、記事が書かれているからだ。
報道のゆがみという事が、よく分かる。よく日本のマスメディアは大本営発表のようだと怒る人がいるが、そう考えているなら、そう理解した上で読めば結構参考になることもある。

対米関係でも、韓国と日本の対応は、かなり異なるのだ。ノムヒョン大統領が反米ムードを掻き立てて、大統領になったと書かれている。「反何とか」が強く影響する国民性のようだ。反日という事が、今度の大統領選挙では、当落を左右するのではないかと、やはり書かれている。反発の国民感情から何かが決定されてしまう事が多いようだ。対抗心が大変強い国民性とも言える。これは報道から感じる印象で、韓国の日本語ブログを読むと、論理性が強く、大変レベルが高い政治論が展開されている。

BSEの牛肉輸入解禁が最近話題になっている。以前、このことをブログに書いたが、大勢としては、日本の牛肉より、アメリカの牛肉のほうがはるかに安全性が高い、ことを忘れている。日本の牛の飼い方は、狭い囲いで動きも取れないようにして、配合飼料で脂肪太りにして、病気寸前を薬で何とかしているような牛肉だ。アメリカの大変の牛は広大な国土で、放し飼いで、草を食べている。BSEで問題になるのは日本向けのグルメ牛肉のことだ。
日本の牛肉を安全と思い込んで、バクバク食べていれば間違いなく病気になる。

私は食べないから、どっちでもいいとは思うのだが、韓国は簡単には輸入解禁しない。ウルグアイラウンドの時も農民が強烈な、暴力デモを行ったが。そうした背景があるから、簡単なことで、韓国政府は折れることが出来ない。それに較べて、日本政府はまともな対応など全くしないように見える。本音は牛肉などどうでもいいと考えてのことだろう。この辺が巧みな商売人で、自動車の方にでも飛び火したら、えらいことだと内心思っている。論理の一貫性は全く無く、何でも譲る。今回は、扱わない量販店もあるそうだ、食べないという人も多いい。牛どん屋でも扱わない、等インタビューにかこつけて、日本の報道は正義ずらしては、強いことを言っているが、しばらくで忘れるだろう。大本営的よりも、すぐ忘れて一貫性が無い所が良くないと思う。

面白い記事は劇団四季が、ソウルに進出するのに対して、劇団四季は金目当てで、韓国のミュージカルをつぶすので、問題あり、と息巻いている。こういうのは面白い。確か映画でも、外国自由解禁は韓国映画をつぶす。デモがあるそうだ。何かこういう反応が、面白い。一方で、韓国映画の海外進出を、大いに評価している。こういう人達なんだと思いながら、キムジョンピルの事を考えると。さもありなんと言う理屈が、見えてくる。

相手を知る事は大切だ。それは己を知る事だ。
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最小限の家作り:集荷場

2006-07-30 05:43:31 | 最小限の家
最小限の家作りの最初の事業として、集荷場作りが行われた。土台は、水曜日に作ったので、その上に一日でどれだけ家が作れるかを。やってみた。穂田さんの指導で今回も進めた。穂田さんに家作りで指導してもらうのも、これで4回目になる。
午前中は12名、最終的には16名の参加で行われた。

10坪の中は何も無い、小屋だ。棟上までは、午前中の作業だった。ここでは、基礎作りの難しさに較べると、難なく進んだ。ただ、建築用語の、厄介複雑な事はなにやら暗号のようで、部外者を排除している気にすらなる。もやが何処で、火打ちが何処で、意味が無い符丁で困る。いろはと漢数字表記で、材料が刻まれているが、これが、いとりの違いが見えなかったり、表記の場所が決まりがあるようで、そうでも無い。つ六とよ三がどちらが先で、どの辺りかが、一瞬でわかるのだろうか。A1とU6これのほうが判るというのも困るか。せめてアイウエオにしてくれないだろうか。

初めての人もいるとしても、人数が揃っているので、作業は瞬く間に進む。体験者も多いので、そう困ることも無いようだった。技術的には、特段質問は無かったが、構造的に、強くするための、筋交いの入れ方や、張りの持たせ方か。しかし、3坪の最小限の家ではそう心配も無いかもしれない。

いずれにしても、今回は下準備を穂田さんがしてくれて、一番厄介なところが省かれているので、簡単なようだったが、この辺りを、次回では勉強したいと思う。釘一つでもどのサイズがどれだけあればというのは、判りにくい物だ。ちなみに屋根の釘は10坪で、2キロだった。5センチ9センチの釘も、5キロの準備が必要。その他ボルトや、羽子板。カスガイ。

今後、結いのような協力の形を整理することが、大切だと思う。今回は、集荷場なので、農の会生産者の人にはどうしても必要な場所なので、自分のこととしてかかわらざる得なかった。次回は、何処になるかわからないが、個人の最小限の家を作ることになるだろう。その時には「協力した人は、協力してもらえる。」体制の作り方の、合理的な仕組みを作りたいと思う。

自分は作る予定は無いが、協力はしたいと言う人の場合。どのような形を作るか。日当を払うより、何かいい方法があればいいのだが。

午後から屋根を作った。しっかりとした屋根を葺いて、雨樋まで進んだ。その間に壁の方に、ブリキを貼ろうかと準備をしたが、それはやれなかった。下地はあるのだから、すぐにもやれるのだが、どうも、感じがよくないというのもあった。全体としては中々、立派な物になったのだが、外壁がブリキ一枚というのもどうかというので、ストップした。
当面外壁は無くても、むしろ無いほうが、作業場として夏の間はいいぐらいだ。近所の人にも、よく見えて安心だろう。野菜の集荷をするだけだから、屋根さえしっかりしていれば、問題は無い。台などを持ち込めば、作業を始められる。

私が予定している最小限の家は、冬にやりたいと思う。皆の手も少しはすくし。こちらの準備も整う。予定地は、夏草がすごく、2週間に1回は草刈をしている状況だ。竹林の後はさすがに竹の子も出ては来るが勢いがなくなってきた。
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銀座・画廊めぐり

2006-07-29 05:41:49 | 水彩画
月に一回ぐらいは、画廊めぐりをしたいと思っている。同時代に描かれている絵に触れて見たいと思うからだ。だから、余程のことが無い限り、死んでしまった人の絵を見に行くことは無い。

昨日はたまたま、東京での集まりが4時に終わった。それではいざ、という事で銀座に出た。新宿でも、石川忠一さんがやってはいたのだが、どうしても、一辺に見れるということで、銀座という事になる。先ず、急いで「日本水彩選抜展」に行った。これは少し命名が悪く、日本水彩画会という、伝統ある公募団体の中の選抜展だ。友人も、出しているので見れたことは良かった。

いつもとは逆廻りで、急いで、1丁目方向に向かったのは、日本水彩が何と5時終了だからだ。昨年は5時30分にわざわざ行って、閉まっていてがっかりした。どうだろう、5時に閉めてしまう感覚というのは、本当に人に見てもらおうという気があるのだろうか。やはり、「セントラル」の広い会場で、閑散としていた。冨高さんは、黒い線描に変化があり、色合いも若干生っぽくなった。描き込みを減らしたようだが、何故だろうか。水彩人の仲間の小野さんは、いつもの花が無かった。この人の絵は、少し気取った、照れてしまうような時が好い。

次は、「ケーズ」へゆく、獏展女性6人のグループ展。皆さん集まっていて、ビールを頂く。かざり方が上手く、ケーズらしいしゃれた展覧会だが、少し勢いが落ちたようにも感じた。表に出て、「井上画廊」のパステル展パステルという事で関心があったが、今度「ゴトウ」で個展をされる、高橋さんと会って、絵の話をして出る。和光で陶器を見て、文春で油の風景画。そこから、「オリーブアイ」で切り紙を使った絵。これは面白かった。始めてみる人だが、人間の頭脳の根底が切り開かれたようで、本当の個性というのはこうした物だろう。見たとこ日本人ではあるが、スペイン生まれで、スペインで暮している人らしい。この絵を見れたので、今日は満足。

そこから、「花ノ木」ピエール・ボンコンパンこれもちょっとすごい絵だった。いかにもフランス的で、マチス、ブリアンション、の系譜。ギアマン、カトラン、ザバロ、カシニュール、とも同質。私はこの人の絵は始めてみた。この人は実に巧みな人だと思う。塗りが何気ないのだが、上手い。同系色の変化がいい。補色の使い方が絶妙。又見てみたい。

「日動」で細密派のグループ展、柳田さん。いつもの水門だがいただけない。ヨーロッパを描くようになって、絵に対する思いが入らなくなったようだ。「みゆき」で金沢の人、いかにも日本的な油絵でいまどき珍しい絵。すごい古臭さで、それが籠った感じで、絵になっているが、この暗さは私は好まない。「ゴトウ」で版画、仕事が粗い感じが、意外。今の若い作家は、しゃれた技巧を好むから、絵づらにある衣装的な雰囲気は、こういうところで続けられるのか不安。「中和」ここも若者の絵で、少し暴力的な素朴さが、続けて意外。情緒的、文学的雰囲気が、気に成るが、全くあっけらかんとした、個性も持っていて、これを展開してくれると、私は見てみたい。

これらをほぼ3時間で見て、新橋から帰った。
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叢林生活

2006-07-28 05:45:29 | 自然養鶏
世田谷学園では、夏に長野県茅野市の頼岳寺で叢林生活が行われる。私の禅寺体験もここから始まった。叢林とは禅の道場のことだ。私が始めてこの寺に行ったのは、高校1年の時だった。叢林生活に参加する条件は、得度を受けているということで、私は祖父の元で、剃髪を行い、僧侶になった。それなりの覚悟のつもりの事だったので、緊張を高めて頼岳寺に向かった。

あれから40年以上が経過して、世田谷学園の校長から、鶏の屠殺解体の指導をして欲しいという依頼があり、久し振りに頼岳寺に行くことになった。
禅寺での生活は、高校生といえども、全く僧侶と同じで、これは慣れるまでは相当に厳しいものだったが、今ではどうやっているかは知らない。当時は苦行的要素のバカバカしさをどうやり過ごすかを考えていたと思う。

その後寺と離れるには、それなりの経過があったのだが、私自身は曹洞宗の僧侶であるという意識からはなれたことは無い。寺というものの存在があまりに胡散臭くて、この中で係る事は出来なかった。世襲という事が、全く理解できなかった。

何故林校長が、生徒に鶏の解体を体験させたいか、お伺いした。命の意味を生徒に知ってもらいたい。という事だった。私も大切なことだと感じたので、私に出来る役割だと思ったので、お受けした。鶏の解体をするものはいくらでもいるだろうが、寺での暮らしの一環として、いくらかでも理解の下で、指導できるものは少ないのではないかと思ったのだ。

何故寺院で殺生を行うのか、何か不自然な感じがあるかもしれない。基本的には、寺では肉は食べない。何故か。私の育った寺でも、夕食は薬膳と言って、鶏は食べていた。4つ足は食べていけない。鶏とウサギは2本足だから食べていいと、おかしな理由づけをしていた。ほぼ自給自足で暮していたので、肉を買うということは無いのだから、当然それ以外のものは無かったのだ。

命が物になる、経過を、つぶさに体験してもらう。このことは大切だと思う。食べるという事はそもそも、命をいただくという事。この実感が薄れてゆく事は、人間が生き物であるという、基本の自覚を出来ないことになる。命の大切さと一言で言うが、これは学んで知る事である。存在の意味の確認が、禅寺での修行の一つであるとすれば、人間が、命を携えた、生物存在である自覚は、肝心なことだ。これが自覚できない暮らしでは、中空に浮き上がったような、存在感の危うさがあるのだと思う。

屠殺の指導は、おろそかには出来ない。こちらにも真剣な覚悟が必要だ。食べ物を頂く意味が、充分に理解できないまま行うと、とんでもない心理的な障害にすらなる。血という物になれていない現状では、用心深く、扱わないと大きな衝撃になることもある。これらはあくまで個人差が大きいのだが、最悪の事態を想定して、少し大げさに考えておく必要がある。

頼岳寺はそれにしても懐かしいものがある。私が首座法戦式を行ったのも頼岳寺だ。三沢先生のご子息の晋山式(しんさんしき)に伴って行った。今、その方は頼岳寺におられるのだろうか。何もかも教えていただいた、諸先輩は全て亡くなられた。その教えられた事の一部でも、又次の世代に伝えることが出来るなら、幸せな巡り会わせだと思う。
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夏祭りの反省会

2006-07-27 06:15:58 | あしがら農の会
昨夜は最後の実行委員会という形で、夏祭りの反省会が行われた。10人ほど集まった。
参加者数を再度、厳密に計算したところ、500名の参加ということだそうです。延べ人数では、550名を越えるという。予想以上の人の集まりだった。これは予想以上で、むしろ来年の縮小も話し合われた。

さまざまな意見があった中で、議論も色々交わされ、結論も出なかった大切な問題は。農の会での祭りの意味づけだった。農の会として、こうした祭りを、負担してゆくことの意味が問われているのだと思う。何故、祭りをやらなければいけないのか。この点の確認が難しくなっているのだろう。

農の会への参加の仕方は、千差万別なのだから、当然、祭りをやりたいという人もいれば、そんなもの入らないという人もいるだろう。しかし、やるとなれば全員で係らざる得なくなるため、その意義を確認できないまま、こなさなければ成らない仕事という形で、負担感のある行事となっている人もいるだろう。

代表の千田さんが提案されている。「市民的な参加の人に、会の運営は担って貰う方向で。」この意見も、ほぼ同質な、問題提起なのだと思う。専業農業者を目ざす人は農の会の中で、農業をしている訳ではない。一人一人が自立して、夫々が、農業をしている。それを農の会という組織にまとまってやってゆこうと言う事自体、普通は無理なことなのだ。

膨らむばかりの運営という、農業と直接関係の無い、雑務的なことは、むしろ必要とする市民農の人が担うべきではないか。私はこういう気持ちではないかと推察している。

夏祭りの意義は、農業と直接関係が無い。こんな気持ちが、農業者の中にあるのだろう。
何故、農業を生涯の仕事に選び、困難な道を歩んでいるのか。この点は、繰り返し問い直さなければならないはずだ。それは一人ひとり違う物であって欲しいが、自分の農業の方向を抜きにして、農業を行う事さえ出来ればかまわない、とはやはりいかない。まして、農の会というかかわりの中にいる以上、「地場・旬・自給」に表現されている農の会の主張は、ないがしろには出来ない。

昨年の収穫祭でも、実は同様の意見が出ていた。直接祭りに係った実行委員と、当日のみ、手伝った人との気持ちの違いがでていた。収穫祭では、安藤さんが、収穫祭の意味づけを繰り返し、周知していたので、あれ以上情報の共有化することは無理だろう。という事に成って、一応は収まったに見えたが、問題は無くなったわけではない。

しかし、問題はどうもそれだけでなかったのだと思う。忙しくて、係りたくても係り様が無い人にとって、自分の位置が確かめられなくなるのかもしれない。

93年に始めた頃は、土地を借りるという事が全く無理だった。その中で、農の会の社会的認知ということが、緊急課題だった。今では社会的認知に基とづき、地域での信頼性は、行政を含め高いものがあると考えていいだろう。
宅配を始めた当初は、宅配先を探すことができなかった。そうした中で、農の会を社会的に認知された組織にするためにあらゆることをやってきたのだと思う。
しかし、今の状況では、土地は一人でも借りられる。宅配だって出来る。そうした中で、あえて、農の会の中で活動する意味は何なのか。問い直されているのだろう。

農の会の一人一人はこの場所で農業を始めることが出来た。これからもやりたいという一人の人に、やれる環境を提供していきたいと思っている。それが、地域にとっても、日本という社会にとっても、必要なことだと考えている。

夏祭りでも、問題になった、個人の暮らしと、農の会の関係は次世代の課題なのだろう。次世代が農の会を不用なものと考えて、止めるのであればそれもいいとおもう。若い人の生活をかけた、挑戦にとやかく言うことは良くない。自ら問題に直面し、挫折し、切り開く体験こそすばらしいのだと思う。
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集荷場の建て直し

2006-07-26 05:17:14 | あしがら農の会
昨日は、集荷場の解体を行った。小屋が不充分というわけではなくて、手狭に成ったためだ。宅配を行う人が現在、6人になった。おおよそ、65件分の箱を並べなくてはならない。それに持ち込んだ野菜が、並べられるのだ。これには今の面積では無理になってしまった。

無理を承知で長らく不便しながらやってきたのだが、余りに時間が掛かるので、このままというわけには行かなくなってしまった。農の会の集荷は、それは素朴というか、手をかけている。

みんなが、収穫した野菜を持ち寄り、ずらっと並べる。基本的なものについては、自分の届ける箱に、先ず自分の野菜を入れる。だから65個の届ける箱も並んでいる。このとき、自分の担当の箱には、書く届け先の要望を考慮しながら入れる。中には、葉物はダメとか、一種類を多めに、とか家庭家庭の都合がある。先週持っていたものとの兼ね合いが、各ノートに書いてある。これをチェックしながら、振り分けが始まる。

「今日は、8,5品です。ではキュウリから、3分の2入れられます。」と松本さんから声がかかる。持ち込んだものを白板に書いてあるので判るのだ。一軒に8種類から、9種類の野菜を入れられます。ということ。多くて、硬い物からの振り分けになる。箱の底の方に行くからだ。

これが大変時間が掛かる。とった野菜は、持ち込んだ人の一覧表にチェックを入れる。後で精算するためにはどうしても必要な事だ。これを野菜ごとに順次行ってゆく。色々意見は出るのだが、届け先の都合を大切に考えようという事で、このやり方を踏襲している。

朝暗いうちから、自分の畑の野菜を先ず収穫する。集荷場には8時30分ぐらいから集まり始めて、11時までは必ずかかる。それから、配達に向かうので、野菜生産者は大変な苦労をしてくれている。卵や、肉の生産者は、一応この役は免除されている。

だから一人の人が配れるのは、20軒が限界だろうという事だ。これでは、暮らしていけない。この問題があるのだが、それは今はおいて置いて、ともかく、集荷場の建物を建て直そうということになった。これも、忙しさと費用の点から、中々始められないでいた。

その頃、田中君から、「農の会で竹の子を掘って出荷してもいいですよ、という話があります。」これは渡りに舟という訳で、建設資金にしようということになった。7万何がしかになった。これが連休のころだ。その話を聞き及んだ。穂田さんが、解体作業で、丁度良さそうな物が出るぞ。ということで、箱根細工の作業小屋だったものだ。これが6月。

夏祭りが終わったらやるぞ。という事で、今日は土台工事だ。昨日は額田さんの指示で、解体を行った。29日の土曜日には、いよいよ建設だ。

私は基本的にこうした作業は好きだ。子供の頃から、鶏小屋を繰り返し作ってきたので、何となく慣れているし、そもそもものを作るというのは面白い物だ。先日の解体材料からの釘抜きの時も、20名を越える人が集まったので、農業をやる者は、おおよそこうした作業に興味があるといえるだろう。

小屋を自作できるというのは農家の必須の技術だ。小屋作りは創意工夫の総合性が要求される。大工仕事出来ないようでは、百姓の名折れだ。一番難しいのは、土台だ。今日これをやるのだが、水準器を使って、これをきちっとやる手順を覚えてもらうのが、何より大切なことになる。

さぁー、張り切っていこう。
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アンケートの結果報告

2006-07-25 06:33:42 | あしがら農の会
NPO法人にはアンケートが多いい。毎月何かしら来るといっていい。めったに返答することは無い。このアンケートが又長文で、時間がないという事もあるが、結果の返事をよこさないという事が私は失礼だと思うからだ。

全体に返事が来ないのは、大学院や大学の卒業論文のアンケートだ。アンケートをとろうというときは、それなりに熱心であるが、それが終わると、他の世界に旅立ってしまうのか、一言の挨拶も無いのが普通だ。行政のアンケートも、国から町まで色々やるが、これも結果の報告が、明記されていたことは無い。

アンケートは結果など関心の無い人を中心に書く。こういう選別の上で行うつもりという事なのだろう。又、聞きにくい事を平気で聞くのも驚くべき現象だ。財産、収入、学歴、生活の全てを聞きたいようだ。聞きたいのは判るが、それを聞くには何年もかかるということを先ず知らなければならない。紙切れ一枚で、そこまでやるか。といいたくなる物が多々ある。

そんなこんなで、今は内容も見ないで、捨ててしまうものが殆どになってしまった。ところが今来ているのは総理府の農業調査というものが来ている。これにはあれこれ書かないと、政治が変わらないのかと、思いつつ、まだ開封していない。どうしようか。

農の会でも東京大学の大学院の皆さんが、アンケートを行った。以上のことを踏まえて、くれぐれも結果の報告をお願いした。それがやっと、来るようだ。気にはなっていたのだが、来ないのかなど思いながら、言わないでいた。なんでもそうだが言ったから来るのでは意味が無い。

この農の会の調査では、開成町で研究発表会も行った。大勢の人が参加してくれて、それなりの発表会になったのだが、農の会の中ではあまり評判は良くなかった。後の茶話会の食べ物が一番良かったという調子で、つまり、農の会の展望に対して、意味ある意見が無かったからだろう。又社会的に見て、農の会のおかれている位置がもう少し分析されるのではないかと思ったが、期待したほどのものではなかった。(読まれる人がいたら申し訳ありません。)

これは以前自分達で、お願いして行ったアンケートでもそうだったが、一人の意見でも極めて、真実を言い当てていて、聞かなければならない場合もある。殆ど多数の人が言うが、当然のことを確認しただけで、余り意味が無いこともある。だから、私にはものの見える人に、状況を見てもらうことの方が意味があることが多かった。

行政が行うという場合、言い訳に使いたいからだろう。アンケートでは、こう言っている。先日、小田原市は広域ゴミ処理室から、焼却場を小田原にしたい人が、70%だという発表を行った。このアンケートの、ずるい所はここに誘導するために、その前段に、ゴミ焼却を各行政の場所で行った場合の、試算が出ている。当然小田原で行うと一番安上がりだと書いてある。その上で、何処でやるのがいいでしょう。こう聞いている。市民を相当馬鹿にしたものだ。

こんな幼稚な、誘導の基に作り上げたアンケートが、市議会の答弁に使われて、「アンケートを見る限り、市民が望んでいる。」というような回答になる。私は早速こんな発表をするようだから、久野は日に日に反対色が強まっている。こう伝えておいた。当たり前の成り行きだ。

アンケート調査を基盤に置くという学問の手法はちょっと安易では無いだろうか。マスメディアのアンケート結果の利用もどうかと思う場合が多いい。
行政は自己弁護に使う。
結局心ある人には、アンケートは止めて貰った方がいいのではないだろうか。
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農の会夏祭り、続き

2006-07-24 12:04:56 | あしがら農の会
夏祭りは昼の部、夜の部を併せると、450人の参加になった。それは賑やかで、楽しい祭りだった。子供の頃体験した、あの祭りの待ちどおしいようなワクワク感が、作り出せたと思う。10人を越えるのスタッフそして、当日の多数の協力者の気持ちの良い、活躍でささえられた。持ち場持ち場を予想以上に充実させてもらい、気持ちの入ったいい祭りだった。

今回の祭りの一番のテーマだった、地元の方々の参加、これは上手く行ったのだろうか。コンサートの場面での参加は、比較的簡単に溶け込めるという事は判ったが。問題は、ワークショップや、屋台村をどの位、楽しんでもらえたかが、少し気に成っている。黙ってぽつねんといられるような場所が要るのかな。

自分達の祭りを作り出す。これには私達の求める、日頃の暮らしのあり方が、強く反映していると思う。私達の祭りの主要な構成要素は「おだやかな空気感」だ。ゆったりとした、縁側ののどかさ感のようなものが、作り出し、参加者と共有できるかが、大切な事だ。スタッフが用事に追われて、走り回るようでは、まずい。小宮さんが、当日は作業などせず。どしっと、接客に当たられる必要があるだろう。何故か、小宮さんに作業が集中し、肝心な指図が仰げないという事が何度もあった。

「ハレの日を設け、日常を離れるのが祭りだ」とよく言われるが。今の時代に一番味わってもらいたい要素には、この祭りを支える根底に農の会の日常があると考えている。生活の探求、私は勝手にこう読んでいるが、夫々に、日々の暮らしを持ち寄り、その集合体が祭りになるようなものこそ、求めている物ではなかろうか。一人が充実した生活を送くろうとし、その反映が、この祭りのおだやかさとして、自然に表現される事が、何よりの農の会の祭りなのだろう。

外部の人達から見れば、私達は夢の中で生きているようなものだ。残念ながら、その夢は現実の中では、中々人には伝わらない、限界がある。それをこうした祭りを通して、この空気への思い入れのようなものを、何とか伝えてゆきたいものだ。それが、集合体としてのあしがら農の会の会としてできる一番の役割ではないだろうか。

当日も雨の準備で、相当に頭を悩ませた。しかし、幸運というか、天が味方して、何とか、ぱらつく程度で乗り切れた。フォルクローレコンサートでは、最後の「花祭り」が歌われる頃には、全員が踊りだすほど盛り上がった。やはり祭りは、こうじゃなければいけない。傍観者的に、外部的に、冷静に生きている、現代社会から、一気に古代人のように、原始の生命にもどり、ゆだねる時もあっていい。来年は意識的にここに仕掛けをする必要があろう。

具体的反省点は、1、詳細説明入りの出店申込書を作る事。ドタキャンが多かった。2、前売りチケットの管理が不充分だった点。
これからやる事として、小宮さんのところの片付け。と、行政への報告書の作成。配布。だろうか。

私達は一期一会の日々に生きていることを痛感する。昨日の祭りも、こうして終わった。
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あしがら農の会の夏祭り

2006-07-23 06:43:58 | あしがら農の会
大井町山田の、小宮ブルーベリー農園での夏祭りが、今日開催される。昨日は夏祭りの準備と、前夜祭だった。
今年は梅雨明けが遅れていて、そればかりが心配だったが、昨日は雨が降らず、準備もはかどった。要所要所にテントを張る事が、一番の作業だったけれど、天候も何とか持ちそうで、そうひどいことには成りそうもなく、無事開催できそうだ。

予測では、300人、という事で準備を進めていますが、一番大変な事は、駐車場です。アチコチをお借りしても、中々万全ということにはなりません。詰め込み駐車が出来る人を、振り分けて、何とか対応は終わりました。お客さんは、ちょっと離れているけれど。農協の駐車場に行って貰います。

ワークショップは予行演習が行われ、土偶も、ヒスイのアクセサリーも、2時間程度で出来る事がわかりました。これが又面白い物ができて、楽しいワークショップになりそうです。

今日は、この地域の考古学の専門家から、土寓が出土したこの地域の様子を話して頂く事になっています。この地域が暮らし易い場所で、東日本で最初に農耕が行われた場所である事。当時の暮らしに思いをはせながら、縄文人になったつもりで、作業してもらいたいと思います。

ブルーべりーの実りが、このところの日照不足で、大分遅れています。昨年は20日で、今年より黒く変わった実が多かったです。木のほうはこの一年で大分大きくなっているので、総量としては昨年の3割り増しぐらい収穫は出来そうです。

舞台の方は、これは見事に、セッティングされました。ドームハウスの小林さんの指揮で、3人で1時間少しで、組み立てることが出来ました。昨年作った舞台の上に、それは見事な、反響板が出現しました。足柄平野を見渡す、雄大な風景に浮かぶヨットのような舞台での、フォルクローレは、聞き応えがあるに違いありません。

屋台の国際村は夫々準備に奮闘中ということで、今日の搬入が楽しみです。場所もセットが終わり、これも準備は完了です。
心配を続けた天気も、予報で何とか持ちそうなので、いい夏祭りが出来そうです。
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土地探し

2006-07-22 06:28:29 | 自給
私は土地探しについてはちょっと自信がある。それは、どこか新しいところに住もうと、長い間探し続けていたからだ。今の小田原に来て、始めて、ここは死ねる場所なのかなと思った。それは私の住む舟原地域の人達の、率直な人当りのせいだった。

小田原に来て、8年になるが、その前は山北に13年住んだ。山北が生涯で一番長く住んだ場所だが、ここを見つけるときは、それはアチコチを探した。
最初は房総の方を探した。20何年か前になるわけだが、房総の山中に移住する人達が少し現れてきていて、そうした頼りない情報を頼りに、歩き回っていた。しっくりした場所に出会わないまま、北は方角が違うという感じを受けて、南に場所を変える事にした。
 
次に探したのが、伊豆だった。ところが、伊豆は別荘地開発が先行していて、そういうところには住みたいとは思わなかったので、やはり場所と出会わなかった。伊豆は深く探すことも無く、やはり海の周辺という事で、葉山と真鶴で2箇所の場所を見つけた。少し方向を変えた時期だ。この頃、ここはどうかという場所に出合った。バブル前期で、土地がどんどん暴騰している時期だった。
結局、今思うと運命のように、2つとも流れた。あの時買っていれば、その後、5倍にはなったのに、と時々思ったりもしたが、あそこに行かなかった事は、幸運だったと思う。

もう探しに探して、3年ぐらいは経っていた。まだ自分自身が何を探しているのかも、分からなくなっていた時期だ。暮らしを変えたいとは思っていた。絵を描いて暮らしてゆくつもりだった。絵も熱心に売っていた時期だ。東京に暮らしているという事が、辛くなっていて、どこかに移りたかった。

土地探しは、雨、夜、歩き。その土地に寝てみないといけない。夜その場所から、夜空を眺めてみないと分からない。特に夜しか分からないのは音だ。雨に日にそこに立ってみる必要がある。水の状態は重要だ。とにかく歩いてみる事。周辺の植物は、つぶさに観察する事。50年の樹木があれば、50年の歳月が刻まれている。土壌の性質。汚染状態。土は、何万年もそこにあったのだ。動かされている土なら、その由来。

風水という事が言われるが、確かに風水でよいといわれる土地は、地形的に人が住むのには、最適な場所となる。小高い丘の上で、後ろにはさらに高い山があり、そばに流れがあり、南傾斜である。その扇の要のような場所が、いい。
大体そうした場所は古代人の住居址がある。

その土地の人と話すこと。見つかった2つの場所をやめた理由は、その周辺の人が、何故か、うろんであった。私には波長が合わなかった。その土地に長く住んでいる人を作り上げているのは、その土地だから、古くからの人を見ると、土地の性質も見えてくる。

山北は運命のように、見つかったが、見つかってから購入するまで、2年はかかった。道路の問題。水の問題。建築許可。多分不動産屋さんレベルに、土地の法律と、慣習を学んだ。

しかし、そのやっと見つけた、理想と思った土地も、13年暮らして、小田原に移ることになった。山北の暮らしから離れる事には、残念な気持ちもあった。しかし、充分成果があったと思っている。山北の13年は私自身の「生活の探求」には、不可欠な物であった。山を切り開き、自給自足を体験する事は面白かったし。若い内に体験しておくべき、重要な要素だと思っている。

もう町の中で暮らしても、自分の暮らしがぶれる事が無いという気持ちで、小田原に移った。そのときは自分が探している物が、分かっていたから、何も迷う事はなかった。ここに移る前も、周辺の家の方には、遠慮なく尋ねて、お話をさせてもらった。実に率直な土地柄だと感じた。それが決め手だった。
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靖国問題・昭和天皇発言

2006-07-21 05:52:43 | Peace Cafe
小泉首相が8月15日に靖国参拝をするのかどうかが、日本外交の大きな焦点になっている。このタイミングで、昭和天皇、A級戦犯合祀に不快感…富田朝彦宮内庁長官メモが公表された。

小泉首相はアジアとの緊張を高める。という事が、その外交方針だと私は見てきた。緊張を高める事で、日本の再軍備をする。憲法を改定し、軍隊を正式に持てる国に、なろうとしている。

緊張をわざわざ高める事は、まともに考えれば、馬鹿げた事だが、テポドンに発射直後の世論調査では、一気に対抗的軍備の必要性に、傾いた。この単純に振れる国民の傾向が、小泉首相に馬鹿げた手法を取らせているのだと思う。

昭和天皇発言は、靖国参拝を中止したときから、想像されていた事で、それを裏付ける発言メモなので、疑いが無いそうだ。この発言を推察すると、「松岡、白取」が靖国に祀られるなら、参拝しない。松岡、白取は昭和天皇の意に反し、日本の政治を行い、日本の敗戦の責任がある。と天皇は考えていた。
松岡洋右(外相)と白鳥敏夫(駐イタリア大使) のこと。

松岡は日本の国際連盟脱退、日独伊三国同盟の締結、日ソ中立条約の締結など第二次大戦前夜の日本外交の重要な局面に代表的な外交官ないしは外相として関与した。「昭和天皇独白録」にも「松岡は帰国してからは別人の様に非常なドイツびいきになった。恐らくはヒットラーに買収でもされたのではないかと思われる」と書かれている。

白鳥敏夫は外務省内で軍部と近い革新官僚として活躍し、38年にイタリア大使となった。日独伊三国同盟を推進し、衆院議員も務めた。

天皇は三国同盟を推進した、この2人がヒットラーやムッソリニーに洗脳され、間違った方向に日本を進めた責任があると考えていたということか。

メモではさらに、「松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々(やすやす)と 松平は平和に強い考(え)があったと思うのに 親の心子知らずと思っている」と続けられている。
「平和に強い考えがあった思うのに」こうした発言からすると、天皇は戦争を回避したいと考えていたが、三国同盟が戦争へ導いた外交の失敗と考えていたようだ。

小泉首相が、靖国参拝をして、これから起こそうとしている事を考えてみれば、日米軍事同盟の強化だ。松岡、白鳥と同じではないか。日本を戦争に導こうとしている張本人だ。

松岡、白鳥は両者とも自分の取った外交政策の失敗を認めた。そして、白鳥は9条の原型となる戦争放棄や軍備撤廃を新憲法の条項に盛り込むべきだとする提案をまとめた書簡を、当時の吉田茂外相を通じて幣原喜重郎首相に送っていた。

日米軍事同盟がいかに不自然な状況を作り出しているか。日本はアメリカの基地化している。こんな不自然な事は、まともな独立国家の姿では無い。日本の安全が、アメリカという世界一強大な軍事力と一体化することで守られている。これは、都合がいいように見えるが、極めて危険な道だ。

ドイツが、戦争に突入した事で、結局は日米が開戦に至る。松岡は三国同盟は、失敗だった。と言ったそうだ。安全のために結んだ軍事同盟が、戦争に導くというのは当然のことで、今日本は、少なくとも小泉首相は、その道を歩もうとしている。
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小宮農園の夏祭り

2006-07-20 06:54:14 | あしがら農の会
昨夜は7月23日に行われる、小宮農園の夏祭りの最終打ち合わせが行われた。ここ2ヶ月毎週行われてきた打ち合わせがついに、最終段階に来た。9時に打ち合わせは終わった。いつもよりだいぶ早く終わった。しかし、何か残っているような気がして、ついつい、夜中まで話し込んでしまった。

夏祭りは4つの柱で計画しています。
1、土偶作り、ヒスイアクセサリー作り、ブルーベリーのジャム作りと3つのワークシップが、参加型のイベントです。
2、屋台村の出現。35の屋台が所狭しと、軒を並べます。
3、夜のフォルクローレコンサート。
4、ブルーべリーの摘み取り体験。

毎年楽しい事間違いなしですが。どの企画も、前例があってやっていることでは無いので、いつも手探りです。特に3つのワークショップは、全てが始めての事で、担当はあれこれ、心配で落ち着きません。

先日は酒匂川に砂岩を拾いに行きました。これで、古代人のようにヒスイを磨こうというのです。石は面白い物です。そのつもりで見ると、全て個性が、顔つきが違っていて、見飽きません。砂岩はどちらかといえば、余り評価はされない石でしょう。庭に飾ろうなどという人はいません。簡単に崩れてしまうし、石とは名ばかりで相当頼りない奴です。これがヒスイというガラスのように硬い宝石を、身を削って研磨できるというところが面白い。そういわれて見直すと、結構、個性が見えてきて、粗度から細度まで色々揃えました。

土偶作りは指導の名人の兼藤さんが、頭を悩ましていて、他の話は上の空状態というほど、難しそうです。しかし、土偶作りは農園主の小宮家の入り口で出土した。重要文化財指定の土偶にちなんだ、今回、一番大切なテーマなのです。22日の前夜祭には既に、スタッフは制作を予定しています。ここでいいものが出来れば、その勢いで、本番に向かえます。多分縄文が難しい。これは、うどん粉でも用意して、上手く跡が着く様にすればいいかな。

ブルーベリージャムは根本さんが念密に計画されているようで、これは心配ありません。

屋台については、搬入が難しい。沢山の屋台材料が、上手く搬入できるかが、今回の山場になりそうです。時間を振り分けたり、駐車場の順番や車の配置が、中々頭を悩ませます。昨年の倍の数が集まり、それは国際色が豊かです。あしがら農の会は、ジャガイモの冷性スープ。と、冷たいきゅうりのスティク。冷やし野菜。皆さん楽しく、計画されているので、楽しめる屋台村になりそうです。この点は万全と言っていいでしょう。

夜の部のフォルクローレコンサートはルイス・カルロス・セベリッチとリッキー・ロドリゲスが来てくれる事成りました。諏訪間さんの手配で、無理を言ってお願いしていただきました。尺八との競演も行う予定です。小宮さんのオジサンなのですが、以前、ジャズのベースとのセッションですばらしい、尺八の演奏をしてくださいました。

夏祭りも、収穫祭も、だんだん農の会らしい形が出て来ました。地域のお祭りが、自治会に押し付けられた、負担感の強いものに成ってきています。しかも、年々担い手が減少し、開催すら危ぶまれるところがあります。
暮らしには祭りは、必要な事だと思うのです。仲間の共感を高めあう場だと思います。地域の祭りが本来の祭りの役割を失ってきている以上、新しい祭りを提案してゆく事が、農の会の役割でもあると考えています。
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里山再生事業

2006-07-19 06:57:19 | 里地里山
昨年来行政主導で、里山再生事業の、呼びかけが行われている。話の成り行きは、県の事業の中に、里山再生事業というものがあり、城山町の方で最初に行われた。「小松、城北地区」の里山の中に古道があり、それを再生する事業が行われた。その事業に伴い、「小松・城北」里山を守る会が結成された。

この事業は3年間の補助事業と成っていて、その間に組織や活動を起こすという事が主な目的のようだ。県の担当部署から、小田原市に呼びかけがあり、小田原市も重い腰を上げたという実態の気がする。私達あしがら農の会にとっては、会の目的にも合致する、すばらしい活動だとは思う。

昨日は、地元からは5名の人が集まった。星野久野連合自治会長。小田原植木近藤増男氏。小松市会議員(久野在住)もう一人は、よくお見かけするが、名前は知らない方。そして、あしがら農の会の笹村。行政は、県7名。市7名が参加。

この事業は、昨年9月20日に城山と、厚木の方の里山事業の見学会から始まった。そのときは、地元から、28名が参加した。私には、里山事業への感心の深さに、少し驚いたスタートだった。ところがこのバス見学がまずかった。行きも帰りも時間をもてあましたバスの中で、何のための見学会なのか、主催者の市からは、全くの説明が無かった。これは、まだ何も決まっていない段階で仕方が無かった。しかし、意欲があるなら、地元からの参加者の自己紹介ぐらい行うべきだった。

私は帰ってから、この見学会の批判を散々聞いた。参加者には行政の逃げ腰が、ひしひしと感じられたからだ。県から押し付けられて、市はしょうがなく動いているのかな。そんな印象を誰もが受けた。昨夜も申し上げたのだが、「農業特区を小田原市が申請したのは、3年前。しかし、そのときの理念や希望は、今や何処に行ったのか。農政課の方針の中の何処に反映しているのか。今回の里山再生事業も、市に意欲があるなら、8ヶ月も何故間があくのか。この事業を信頼して、乗りかかるということは私達にとっては生活がかかるということだ。」

見学会の後、11月21日に1回目の勉強会が在った。これには私は参加しなかった。農の会のような、外部者が、地元の地権者が動き出さないうちに、意見を述べたりするのは、上手く行くものも行かなくなる。まして、この計画の進め方には批判が集中している。
残念ながら、勉強会に参加した方から、これはダメだという、悲観的な話ばかり聞いた。これで、市は止めたのかな、折角県からのいい話なのに、市の進め方がダメだよなぁー。そう感じていた。

ところが、忘れた頃に、7月18日の集まりが呼びかけられた。本当に忘れていた。

この事業が農の会にとって、会の目的に合致するにもかかわらず。今でも、全面的に乗りかかることには、ためらいが感じられる。
それは、行政は予算が無い、里山作りにお金は掛けられない。市民中心のボランティアで、事業を立ち上げたい。それは分かる。大切な事は、人間としての情熱が伝わるかどうかだ。里山を再生したい気持ちが本当に行政にあるのかだ。仕事だから仕方が無くやる。これにつき合わされるのでは、ひどい目に遭うだけだ。ここを市民は見ているのだ。
要するにこうした市民参加型のしくみ作りが不慣れなのだ。

里山での様々な活動をやりたい人はいくらでもいる。しかし、市の命令で里山作りのボランティアに参加したい人はいない。確かに人の動員はしている。しかし、自主的な動きは作り出せない。市民一人一人がやりたい事を、やれるような状況を作る事が、行政の役目だ。市民がやりたい事は千差万別だ。これを久野の里山で自由に展開できる、条件のホローをして行くのが、行政の役割のはずだ。

面白い事を、楽しい事を、提案してゆけばいいのだ。人はやりたいことなら自主的に集まる。やりたい事は強制するのでなく、一人ひとりに保障するだけでいい。
お米を作りたい人に場所を保障すれば、当然放棄農地はなくなるのだ。この好い関係を作る事こそが、行政の役割のはずだ。あぁー、歯がゆい。
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農の会の課題

2006-07-18 06:00:35 | あしがら農の会
あしがら農の会は、毎年、一人の新規就農者の増加と、10人の市民農の仲間が増えてきた計算になる。こうして、今の規模になりながら、始まりの頃とほとんど同じような、運営のされ方がされてきた。これは時間のかかることだが、大切な基本だと思う。

しかし、人数が多くなることで、負担が大きくなる事も色々あり。例えば意思疎通が悪くなったり。農の会の捉え方が、少々違っていたりして、戸惑う事も起きる。農の会の一つの特徴は、10人10色の農法という事がある。これは案外珍しい事で、農の集まりというと、同じ農法の普及のため集まりというものが多いい。
この違った農法を行う、一人一人が自分の農法へのこだわりを、他の仲間に強要することはないか、この点は私は、いつも気を付けてきた。

それでも、農法の研究は互いに行ってきた。この辺は微妙なところがあるのだが、お互いが、実践者という基盤に立つと、十色の農法も、かえって互いに参考になることもある。参考にする所はしても、自分の農法を崩す事は無いのだと思う。やはり、こうした時代の中で、農業に進もうという者には、自分に対するこだわりは強い。しかし、生産物を見れば、一目歴然として、その実力は見える。そこに学ぶという、自主的な行為が起こるのだと思う。

「生活の探求」古い言葉だけれど、好きな言葉です。これが農の会の夫々の進んでいる道なのだと思う。これが、指導者がいたり、共通の宗教があったりするのでなく。それぞれが、夫々の責任で、歩んでいる事が大切なことだと、一人一人が思っている。私はそう想像している。

夫々なんだけど、ある感触の共通性は、切磋琢磨される中で生まれてくるものだ。
他の人達から見れば、ある意味では一つの塊に見えてしまうはずだ。しかし、夫々があらゆる意味で自立していて、寄りかかることの無い形。そんな形を、自然発生的に求めていたのだと思う。つまりそこに居心地の良さを感じた人が、集まり、残ってきたのだと思う。来るものは拒まず、去るものは追わず。

しかし、こうした組織のあり方は、常に固まることなく動いているのだから、次の世代にゆだねるという部分が大切なのだ。私自身がやれる事は、すでに終わってしまった。新しい酒には新しい器が必要で。常に生まれ変わり、固定することなく、自分が生かされる器を求める事だと思う。又そうした、冒険の出来る人が集まっていると思う。

私は、どう隠居するかという事だと思う。隠居は隠居としての立場で係ればいいのであって、いつまでもしゃしゃり出る事は、何の益も無い。しかし、隠居ならではの役割は、あって。暇なのだからこそ、やれる事もある。たしか、伊能忠敬は49で隠居し、55歳であの日本の測量を始める。

若い人達が、一日一日の暮らしを掛けて、挑戦している。その中で、探求してゆくものこそ、大切な物で、あらゆる意味で、自由な挑戦であって欲しい。
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鳥インフルエンザ ウイルスの変異

2006-07-17 07:01:48 | 自然養鶏
朝起きると必ずトリインフルエンザでニュース検索するのが、習慣になって2年以上が経過した。養鶏のほうでは、今のところ拡大は収まってきていて、水鳥の感染が時々出るぐらいになってきている。

一方人間に対しては、インドネシアが問題になっている。
以下は共同通信の報じるところである。

インドネシアで今春、家族7人が死亡した鳥インフルエンザ集団感染で、患者から分離されたウイルスには世界保健機関(WHO)が公表していない多くの遺伝子変異があり、感染の繰り返しとともに変異が急増した痕跡が見られると、英科学誌ネイチャーが14日までに報じた。

国連食糧農業機関(FAO)アジア太平洋地域事務所は16日までに、鳥インフルエンザの感染者や死者が続出しているインドネシアについて、感染力の強いウイルスができる恐れがあり「最も警戒すべき地域」と警告した。
 同事務所は6月、国際獣疫事務局(OIE)と合同で東南アジア8カ国を対象に実地調査。この結果、インドネシアではほぼ全土にウイルスが拡大し、「感染を繰り返し、ウイルス変異が起きる危険性が高まる」状態にあることが分かった。
 ベトナムやタイなどが鳥インフルエンザの封じ込めに成功している中で、インドネシアでは依然として感染者や死者が増加。

インドネシア保健省当局者は16日、首都ジャカルタ郊外に住む男性(44)が高病原性鳥インフルエンザウイルス(H5N1型)に感染して死亡した疑いが強いことが、同省の検査で分かったと述べた。
 世界保健機関(WHO)の検査で確認されれば、同国の感染による死者数は計42人となり、ベトナムと並んで世界最悪となる。

ウイルスが変異しているらしいという点が、心配される。まだ多いいと言っても42人というから、それほどでもない訳で、何とかなる範囲だと思う。もう少しすると自然に収束する可能性も無いではない。

このウイルスは若い人ほどダメージが多いいのだそうだ。普通免疫力の落ちた、老人ほど、感染、重症になりそうに思うのだが、むしろ若い人の方が、ウイルスに対し、抵抗性が強いために、死にいたることが多いいらしい。確かに死亡者の年齢報道では、若年層が多いい記憶がある。
しかし、このメカニズムは、もう少し調べる必要があるのだろう。

インドネシアの人達は、狩猟民族だっている。本当にはた迷惑な話だ。先進国と呼ばれる、野蛮人が多く住む国が、鶏をぎゅうぎゅう詰めにして、飼育して、おかしな病気を作り出し。世界に蔓延させ。自分達は封じ込めたなど、勝手な事を言って、暮らし方の違う、インドネシアにどうしろというんだ。

日本も、一端の責任はあるのだから、総力を持ってインドネシアに協力をする必要があるのだろう。これは大災害の前触れでもあるのだ。国際災害救助隊が出動し、日本の世界平和の、姿勢をアピールする機会では無いだろうか。
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