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地場・旬・自給

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高病原性鳥インフルエンザの流行の兆し

2016-11-30 04:02:42 | 自然養鶏

鳥インフルエンザが再流行の兆しを見せている。しばらく沈静化していたのだが、大規模養鶏場の状態に変化がないのだから、必ず再燃する。中国の大規模養鶏の状態はかなり危険な状態である。ワクチンを中途半端に使い、その上に野鳥と鶏の接触にも注意が払われていない。そして鶏の流通は、生きたまま街の路上市場盛んに行われている。これでは最悪の状態が起来ても不思議はない。見たことはないが、インドネシアを見てきた人の話では、中国以上に問題がある状態のようだ。全ての国の巨大畜産は危険があるという事だ。消毒で病気を防ぐという発想には限界がある。それは巨大化すればするほど、危険が高まってゆくことになる。経済優先が問題を深刻化している。野鳥には鳥インフルエンザは常在する。特に集団で生活している水鳥には、普通に感染がある。感染があっても絶滅しない調和の中で野鳥は生きている。しかし、そうした野生の状態が一旦、大規模養鶏場に接触した時には、100万羽というような鶏の淘汰が必要になる。

大規模畜産は常にこうしたリスクの中に存在する。安く、誰でもが畜産品を手に入れることを可能にしたのが、大規模畜産であろう。自然養鶏であれば、私の計算では卵は1個230円で販売しなければ、事業としては生産を継続できないものであった。私の場合、自給の余剰を販売するという発想だったので、55円で販売していた。それは普通の人が食べることのできる価格がそのあたりだと思ったからだ。230円にしても飼いたいという人はいるのかもしれない。しかし富裕層だけの食べられる卵など生産したくなかった。スーパーに行くと大規模養鶏場の卵は20円くらいである。これは自然養鶏の10分の1の価格である。少々問題はあっても、安い畜産品のためには、目をつぶらざる得ないという事がこの社会の矛盾に満ちた現実である。それと同時に引き受けなければならないのが、鳥インフルエンザのリスクである。まさに原発と同じ構図である。

人間は目先の利益に踊らされて、進んではいけない文明の領域に入り込んだ。これがマルクスも考えなかった資本主義の最悪のシナリオだったのだ。大規模畜産を一日も早く辞める以外に、感染の拡大を防止することは出来ない。どれほど安全を高めたところで、原発のリスクは残る。大規模畜産も同じことなのだ。必ず大きな網からこぼれ落ちるリスクが表面化する。病気に薬で対抗しようとしても、人間は病気で死ぬ。どれほど新薬を発見したところで、病気を無くすことは出来ない。消毒まみれの中でしか暮らせなくなるひ弱な人類が、そう長く生き残れるとは思えない。私は不衛生な時代、自然の中に育ち、選抜され生き残った優秀個体である。こういう優秀個体は日本では少なくなり始めている。私が食べても大丈夫だからと言って、今の子供が食べたらどうなるかはわからない。汚いはきれい、きれいは汚い。

鳥インフルエンザの流行は警告である。自然が人間の越えてはならない限界を示しているのだ。日本がどれほど養鶏場の衛生管理を進めたところで、中国で漏れが起これば、日本にも被害が及ぶ。原発も同じだ。インドや中国の原発事故が人類の滅亡になる。人間の暮らしは欲望に従い、自堕落に贅沢化するばかりだ。節度というものがない。人間の欲望を駆り立てて、消費を拡大させようという姿が資本というものの目論見である。自給自足的に生きてみると、どんな暮らしが人間らしいものかがわかる。一杯のご飯をどれほどおいしいものかを知ることができる。これは自分でお米を作ってみたものでなければ、分からないことだ。苦労をするからこそ、有難さを知ることができる。一個の卵を手に入れるためにどういうことが必要かは、いくらでも売っているという状態では見失うばかりである。鉢植えのニガウリ一つでもいい。育てて食べるという体験は人間には欠かせないものだ。

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TPPの新展開

2016-11-29 04:16:30 | Peace Cafe

アメリカと日本が加わらないと、TPPは発効しないという事とは知らなかった。トランプアメリカ新大統領はこの点では朗報であった。トランプ氏は日本との関係を見直すに違いない。今までの隷属関係がおかしいのは、お互い様である。隷属関係というものは、王様にも不満はある。日本政府は選挙の読み違えをして、今になってトランプにしがみ付き媚を売っている。最初に会えたなど自慢げな日本の総理大臣が恥ずかしい。安保ただ乗り論。米軍撤退。費用負担の公平化。日本の核武装。そしてTPP離脱。現在国会でTPPの早期承認を論議しているが、日本の国会が早く承認をして、アメリカの加入を促す方針だそうだ。まともとな政府の考え方とは思えない。何処までもアメリカに依存しようというのである。グローバル企業はアメリカに依存しなければ競争力の点で不利益と考えているのだろう。アメリカは一国主義に転換と言っているが、これはあり得ないことだ。アメリカのグローバル企業が黙っていないはずという読み。

アメリカは中国との関係を見直すはずだ。中国との経済関係を重視する。日本より大きな経済圏である中国を、商売人であるトランプが軽んずるはずがない。日本は中国の台頭を良しとしないアベ政権が、アメリカに依存して軍事的に対抗を計ろうとしてきた。ところがトランプ政権の方は、軍事的対立は止めにして、経済関係の強化を図るはずだ。そのあらわれがTPPの離脱なのだ。日本はもっと早く東アジア経済連携を作るべきだったのだ。その点鳩山氏の展望は正しかった。アメリカ依存を唯一の方針にしてきた安倍政権というか、日本の経済人の浅はかな展望がここにきて崩れようとしている。アベ政権ははしごを外されたにもかかわらず、TPP承認をする。そしてアメリカ抜きの新たな連携を作ろうとなるのか。日本を含めたTPP加盟国よりも、中国の方が商売になると踏んだのがトランプ政権だ。本来であれば、TPPを日本もやめ、アメリカとともに中国との関係を見直そうというのが、トランプと会って話し合うべき内容である。

なぜ中国敵視政策を見直せないかと言えば、アベの背景の圧力集団は脱亜入欧の亡霊を引きづっているのだ。明治の御代を日本だと誤解している日本帝国主義者の愚かさよ。アメリカと中国は経済関係を強めるとみなければならない。悪いことではない。経済が軍事的対立を解消するはずだ。中国は商業国家である。軍事的な増強もあくまで商売の為だ。アメリカが軍事的対抗心を捨てれば、中国は軍事力強化を止めるはずだ。その象徴として米軍は沖縄から引き上げる可能性が出てきた。問題はアメリカの軍事産業がトランプの商売優先という姿勢に対してどう出るかである。一番怖いのはトランプ暗殺である。その可能性は現実味を帯びてきている。軍事産業に対してどこに妥協策があるのか。日本政府もトランプの意図を平明に読み取る必要がある。過去のアメリカの方角に引っ張られて、方向転換に気づかなければ、転覆する。

アベ政権のやろうとしていることは世界の政治情勢の変化の読み違えだ。八重山自衛隊配備など即刻中止すべきである。自衛隊を与那国、石垣、宮古に配備して、中国に対抗心をむき出しにして、良い結果が出るわけがない。配備して米軍に共同使用していただきますのでお助けくださいという、隷属作戦なのだろう。世界情勢の変化を見れば、いまさら日本が軍事化をしたところで世界の笑い者になるに過ぎない。アメリカと中国という軍事大国の間に挟まれてどう動こうというのか。アメリカにへばりつくだけを展望にしているアベ政権は取り残される。もし日本が軍事的対抗できるとすれば、トランプの主張通り核武装しかない。トランプ氏は今になって、そんなことを言った覚えはないと前言を翻したが、日本の核保有の現実化の深刻さに気付いたのだ。そんなことは北朝鮮を見ればすぐわかることだ。過去にとらわれず、いちいちの中国の政府の態度など問題にせず、日本の方角を、日本自身で見定めなければならない。

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フィリピンのドゥテルテ大統領

2016-11-28 04:07:24 | Peace Cafe

フィリピンのドゥテルテ大統領が来日した。暴言大統領が暴言を吐かずに帰られて良かった。ドゥテルテ氏はどこか日本の大統領であるアベマリオ氏と似ている。ドゥテルテ氏はアメリカに暴言を吐き、中国と接近して経済援助を引き出す。アベマリオ氏はロシアに対して欧米からの経済制裁の中、ぬけぬけと経済援助を打ち出して、北方領土の返還を試みている。日本はフィリピン・ダバオへの農業開発支援に約50億円の円借款を供与する方針も打ち出した。結果どういう事が起こるのか、何もないのか。アメリカの大統領はトランプ氏だ。末世の世の中では、とんでもない人が選挙でえらばれことになるようだ。政治家はすべからく頭の黒い猫という事のようだ。石原慎太郎が日本主義の堕落を嘆いているが、いったい日本とは何なのか。日本の伝統と考えるものは一体どこから生まれたものなのか。日本人の資質が醸成されたその根源を探るべきだ。

世界はグローバリズムの競争の嵐に翻弄され、多くの国家が他人を慮る余裕を失っている。他国を出し抜くことだけが生き残る道だと世界中が喚きたてている。そういう資本主義の末期的状況に世界は立ち至ったと考えなければならない。独裁的で独善的な政治家が選挙で選ばれる状況である。安倍晋三氏が最悪だと思わない方が良い。日本にもドゥテルテ氏が登場するはずだ。鶴保氏などそれを狙っている気がする。悪い世の中になったものだ。日本の伝統を壊したのは石原慎太郎的なものだ。力で相手をねじ伏せれば勝ちだというような考え方が、そもそもの日本主義からは全く程遠いい、列強の帝国主義的思想の反映なのだ。日本主義という時振り返るのは明治維新以降の日本のことだ。そして都合よく戦国期の武将などを思い返す。そもそもの日本を形成してきたのは、庶民なのだ。常民なのだ。ごく普通の人の生活の水準の高さが日本だったのだ。

西表の今は消えた仲良田集落で産まれた唄が、世界に誇れるものとしてある。この文化力を日本だと考えなければならない。その日本の文化が世界の希望だと思う。人を出し抜くとか、一番になるとかではなく、自らの内なる世界の充実こそ安寧な暮らしを送れるという日本人である。その多くのものは稲作から生まれた。戦国の武将がバカな戦に躍起になっていたときも、大半の日本人はごく当たり前の日常として、普通に田んぼで耕作をしていたのだ。 そうしたごく当たり前の暮らしの深さこそ、日本の文化の特徴である。それは世界中にある人間のすばらしさの一つなのだろう。人間は原子力という文明を発見し、エネルギー革命がおこると考えたが、それによって滅びの道を歩み始めている。ものによる充実は抑制できる倫理がなければ、崩壊につながる。北朝鮮の原爆が飛来して日本はいつ終わるかもしれない危機にある。競争の結末とはそういうものだ。

相手を罵倒することを止めなければならない。相手を土人扱いするものが人気を博するような日本から降りるしかない。それでも日本は滅びに向って競争を続けるのだろう。現実はそれほど悲惨である。民進党はカジノ法案の推進議員連盟が集会をしたという。こんな野党に期待ができるわけがない。こういう自民党に入りたいが、入れてもらえなかった人たちが野党を作るという最悪の政治状況。経済政策が賭博奨励では、まさに地獄の釜の蓋が開いた。儲かれば何でもありの世の中である。たぶん多くの日本人が賭博が好きである。それを無くせというのではない。政治はそれをコントロールしてゆく役割である。悪所は悪所であるから成り立つのだ。政府と不健全野党でこぞって声高に奨励するようでは、世も末だ。心有る少数者は、この末の世をどう生きるかを考えるほかない。

本当の日本の姿は、帝国主義を目指した明治時代ではなく、それ以前の日本人の当たり前の暮らしの中に在る。石原氏等は、明治日本を日本であると誤解しているに過ぎない。安倍氏が昔間違って書いて、今は忘れている瑞穂の国が日本の国柄である。一人の人間が生きるためには1反の土地があれば十分である。家族であれば3反の百姓である。日本の農地は日に日に放棄されている。ここに有難く生きることだ。つまらぬ競争に心を煩わされないことだ。日本の国柄は競争では無く共存である。江戸時代のは循環型社会の良い事例である。ここ戻れば何とかなる。そのうち世界の庶民は競争のむなしさ、苦しさ、困難に気づくはずだ。その時に江戸時代の暮らしが大切になる。100年は待たなければならないだろう。その時参考になることもあるかと自給の暮らしを書き残す。

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日本版トランプ鶴保庸介沖縄北方担当相

2016-11-27 04:34:32 | Peace Cafe

鶴保庸介沖縄北方担当相は八日の参院内閣委員会で、沖縄県の米軍北部訓練場の工事反対派に大阪府警の機動隊員が「土人」と発言した問題について「差別だと断じることは到底できない」と述べた。鶴保氏は入閣直後、菅氏とともに政府の沖縄振興策が米軍基地負担の見返りともとれる発言をした。九月には名護市辺野古(へのこ)での米軍新基地建設を巡る県と政府の対立を「早く片付けてほしい」と述べた。ーーー東京新聞

鶴保氏は元小沢一郎の秘書だった。そして今は二階幹事長の派閥である。野田聖子氏と結婚をしていたこともあるらしい。何故、土人とヘリポート反対派の人のことを罵倒して、差別的発言ではないのだろうか。鶴保、お前は土人だ。土人だと決めつけたのだ。これは差別である。鶴保氏の考えは間違っていると思うが、まさか土人ではないと思う。鶴保お前トランプだ。これは差別にならないという意味なのか。両者がけんか腰で罵倒し合う時に、相手が一番嫌がることを口にするのは、良くあることだ。お前のカーチャンでべそというのは子供には致命傷だろう。この土人発言をした大阪の機動隊員をねぎらってご苦労さんと発言した、大阪知事はゴマカシで終わりのようだ。橋下氏の後継として、これもトランプ氏を気取っているのだろうか。下品な政治家が受ける時代のようだ。末世だ。気にしないようにするしか、平穏に暮らせないのだが、沖縄差別に関してはさすがに黙っていることは出来ない。

この問題には敏感でなければならない。報道も書かないようにしているようにみえる。すでに本土の人間の多くは洗脳され聞く耳を持てなくなっているのかもしれない。これで済ませば、沖縄差別を本土の人間が認めたことになる。在ってはならないことだ。沖縄には防人に成れと櫻井氏は述べている。米軍基地の建設。自衛隊基地の各島への配備。沖縄諸島の軍事基地化はむしろ強まっている。沖縄がやられている間に、アメリカに助けてもらおうというでたらめな防衛政策。あり得ない戦略だ。北朝鮮が潜水艦から核弾頭を日本に打ち込む状況なのだ。軍事的に防ぐことは不可能になっている。沖縄に自衛隊配備は日中関係の悪化になる。トランプの思うつぼである。トランプは中国やロシアと関係修復をする。アメリカのお先棒を担ごうという事だと安倍氏は考えているが大間違いだ。トランプを考えればこれがいかに馬鹿馬鹿しい話になるかわかるだろう。

軍事力で対抗する考えはもう無理なことだ。トランプは自分のことは自分で守れ、強盗が来るから銃を各家に装備しておけ。こういう主張だ。それがアメリカの本音だろう。第2次大戦の世界の反省が全くない。このままでは世界の軍事的競争はエスカレートしてゆくことだろう。と同時に、米中は軍事的対立を無視することになる。八重山の軍事化は現実的ではない。危険を増すだけだ。日本は軍事力の弱い国の生き抜き方を探すほかない。なまじの軍事力を持つことは、太平洋戦争の失敗の繰り返しになるだけだ。日本国憲法にあるように、国際紛争を平和的手段をもって解決する方法を見つけ出すことだ。それが日本の役割である。中国とアメリカという軍事大国の間に入り、両国と等しい距離をとることだ。日本がいくらアメリカの奴隷のままでいたいとお願いしても、本音ではそれが不可能とわかったはずだ。

平和外交とはどういうものか。まず、日本の自主独立である。エネルギーや食糧を自給できる国家になること。外国に依存しない国家。迷惑をかけない国になること。それは自給で生きてきて分かったことだ。自立していれば、自分の道を歩むことができる。ところが、日本のグローバル企業はそれでは自分の儲けが少ないと言って、海外依存を高めようとする。企業の恩恵で暮らしが良くなるという幻想を振りまいている。それは出来ないことだ。韓国を見てみればよく分かることだ。企業は良い時もあれば、悪くなることもある。国家のような総合的な安定はない。企業に依存しないに依存しない日本を目指す。鶴保氏のことから離れてしまったが、鶴保氏は日本のトランプを狙っての発言だ。そのうちもっと気に障ることを叫ぶはずだ。

 

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断捨離ではなく生前整理

2016-11-26 04:18:30 | 身辺雑記

生きている内に身辺の整理をしなくてはならない。断捨離ではなく生前整理と呼ぶことにした。生前葬がご挨拶なら、生前整理は身支度である。要するに遺品整理を人任せにしないという事である。せめて寅さんのような空カバン一つであの世には旅立ちたいと思っている。絵は徐々に整理の方向がついてきたのだが、今度は本である。まずは本棚一つぐらいにまで減らすのが目標である。まだ本は読みたいので少しは残すつもりだ。必要な図鑑の類も残して置きたい。調べるにはついインターネットで調べることが多いいのだが、やはり図鑑で見るというのは楽しみである。開く可能性が少なくなった本は捨てる以外にない。読みたくてとって置いた本ばかりなので、もったいなくてできないことなので、ブックオフに頼むことにした。25箱を依頼したが、一回は19箱までだそうだ。昨日佐川急便が取りに来てくれた。もう一回15箱を頼んだ。

本来無一物という事がある。禅に生きるものはこうあるべきだということになっている。新参者の慧能の主張であった。最上位の僧の主張の否定として言われた言葉とされている。一種皮肉な反骨精神の主張であったが、今ではそれが禅の一つのありようとして言われることが多いい。僧侶が富裕層になるようなおかしな檀家制度へ、姿勢を正す修行の在り方として江戸時代に広まったのだろう。描いた絵をすべて捨てるべきという事なのだろう。本がなければ安心できなかった。本を読むことで自分の中に世界を作ってきた。本来自分自身の中に探るべきものを、本を通して学ぶことで安心しようとした。絵に関する本も山のようになった。画集もすごい量である。今回その大半を整理した。農業関係、養鶏関係も大半整理した。それでも井伏鱒二全集、フランスで買ったマチスの画集は残した。捨てきれない本は一応第2弾の整理分として本箱1とつに入るだけは残しても良いルールにした。これ以上整理は今回できなかった。

それでもずいぶんのものを減らすことができた。清々した。必要なものだけを残してある。木工とか、楽器作りとか、篆刻とか、染色とか、は残してずいぶん場所をとっている。これは今現在使っているのだから、どうにもならない。筆もすごい量ある。しかしこういうものはネットですべて販売できるものだ。ネットで買ったものが多いいのだから、最後の段階でネットで整理がつくだろう。この際油彩画関連は廃棄した。今迷っているのはイーゼルである。良いイーゼルだが使う人はいるだろうか。集めた壺などはどこかの時点で欲しい人に差し上げて整理できるだろう。今はクースづくりに使っているので整理ができない。もちろん中のお酒はぜんぶ自分の腹の中に整理したい。他の諸々は制作が出来なくなり次第、差し上げるつもりだ。

人がまだ使いたいような価値あるものは、残してもいつでも整理がつくから今整理しないでも大丈夫だ。土地とか家もどこかで整理しなければならない訳だが、これも世の中に欲しい人がいるようであれば、最後まで使わしてもらえるだろう。まだカバン一つの軽さには程遠い。こうしたネット上のものはどう残るのだろうか。ホームページを作りそこに残しているのだが、そのホームページは費用さえ払えば、100年とか残してくれるものなのだろうか。私の絵もどこかで残しても良いと考える絵の写真は撮り、ホームページに整理しようと考えている。今回多くの人から頂いた画集を整理させてもらった。個人の記録など残せるものではない。叔父の草家人の作品集は残した。明治天皇像を明治神宮に残したとき安心した。私はそういう意味では作品は残すほどのものだとは思えない。この後世の中が悪くなるだろうから、生き抜く1事例にはなると思うぐらいだ。

 

 

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大豆の収穫が終わる。

2016-11-25 04:07:20 | 自給

家の畑の2畝に植えられていた大豆は乾燥前で13,5キロの収量だった。自給用には足りる量だった。今年は農作業が追い付かず、だらしない状態だったが、自給分が出来れば大満足である。大豆は自給生活の要の作物になる。昨年は乾燥後16キロだったから収量は減少した。原因は手抜きである。播種した後油断をした。ハトに食べられてしまった。それで半分になってしまった。がっかりして手入れが今一つになってしまったこともある。後半は草の中に埋もれていた。それでも残った株自体の出来は昨年より良かったと思う。大豆の会のみんなが手伝いに来てくれて、枯草の中から拾い出して集めてくれた。一人でやれば何時間もかかる仕事を30分足らずで完了できた。大豆の会の活動はとても良い空気が流れている。今年は3か所の畑で大豆を栽培して、学ぶところが多かった。豆腐の分も出来たし、全体では145キロという事になった。まあまあというところか。

大豆を作るのは肥料ではなくやはり土づくりというのが終わっての総括。窒素肥料で作ると蔓ボケする。これは肥料の窒素で根粒菌がつかないという事らしい。実際に畑でそういう違いも見た。昨年の鶏糞を入れたために失敗したことでもわかる。株段階ではいいぞいいぞと思っていたが、収量が半減してしまった。株は出来ても、一株に2,3粒しか成らない様になる。どれほど大株になっても、幹が木のようになっても、成らないものはならない。それでは全く肥料なしで良いかと言えば、そういう事でもない。ここが難しいところだ。充実完成した良い土の畑の方が出来が良いことも見えてきた。大豆は芳醇な土壌が良い。やせた土地では大豆はダメだ。その充実完成した土壌の方向はどこにあるかだ。落ち葉草堆肥のような気がしている。これを作り入れるのは大変なことになるが、これお根気よく続けて来て、家の畑では大豆は以前よりは豆の付きは良くなった。わざわざ落ち葉堆肥を作るのは大変なことなので、畑を作りながら藁堆肥、草堆肥が入るような畑づくりではなかろうかと思っている。

麦と輪作で作り麦の藁をたい肥化して戻す。この形なら、連作障害が起こらないという、石渡説は継続する価値がある。また稲葉方式の断根挿し木、芽の除去も一定の効果はあるようだ。ある程度の効果ぐらいなら、時間がかかりすぎるので、畑を広げて収穫する方が正しい選択とも思える。今は畑が足りない時代ではない。自給で庭の隅で作るならいいのかもしれないが。庭の畑の株と、機械小屋下の株を比べると、一株当たりの実の付く数は庭の畑の方がいくらか多かった。それは、土の完成度の違いだろう。とすれば、機械小屋の下の畑もあと数年作れば、もっと実がつくようになるのかもしれない。大豆づくりも良い土を作ることが方向のようだ。大豆の場合、田んぼに作り水を入れる方式が、今までのところ一番確実であった。もう一度この方式は試みてみたいものだ。良いタイミングで水を入れることが、実の付けるためには影響が強い。

もう一つの観察は案外日照は影響少ない感じがした。今年の大豆の生育期間、後半は過去最低の日照時間だった。9月、10月の様子からして、これでも大丈夫なら日陰の畑でやってみる価値はあるかと思える。連作障害についてはあるのかもしれないが、克服できるような気がしてきたことも今年の結果にある。ハトやウサギにどう対処するか。これが現状では一番の課題になってきた。近くまでシカが出てきているから、これを防ぐには新しい対策がいるのだろうか。山の畑は諦めて、下の方の畑に移るしかないのか。来年は山の畑で作るにしても、下の方に予備の畑は作る必要がある。みんなで味噌づくりまで進めるとすれば、大豆が獣害で出来なかったでは済まない。ネットに大豆の有機栽培技術の研究が出ている。これを読むと大豆栽培がだいぶわかる。なるほどという事と、違うなという事はある。

 

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水彩人石川展

2016-11-24 04:43:15 | 水彩画

水彩人石川展出品作「欠ノ上田んぼ」中判全紙

水彩人石川展があと1週間になった。水彩人では毎年都美術館で行う本展と、もう一つ展覧会を行うようにしてきた。これは会が出来た時から続けている。今年は巡回展という事で、石川県の白山市で行う。会場は松任の駅前にある「市民工房うるわし」である。12月1日(木)~12月6日(火)の1週間である。作品は都美術館で展示した作品を同人会員は1点づつ出品する。12月3日には研究会を行う。講師は同人の大原裕行が行う。すでに参加者は定員に達した。私は事務所として、3日を除いて会場にいる。私に会いたくはないが、作品は見てみたいという人は、その3日に来てもらえば大丈夫だ。私もそういう時がある。絵描きはとんでもない人が多くて、私もその一人で間違いないが、絵には興味があるとしても人間がいただけないという事は普通だ。今年の水彩人の本展から、えりすぐりの絵が50点並ぶので、見ごたえのある展覧会になることは間違いがない。以前水彩連盟の名古屋展は準備の係だったので、5,6回行った。本展よりは良かった。

実は3日は農の会の自給祭だ。一度小田原に戻り翌日また松任に向う。とんぼ返りになるが、自給祭も出る予定だったし、つまり三線で海の声を唄う予定で、練習をしているところだ。これをやらない訳にはゆかない。それで、どうにもならなくなり、1日だけとんぼ返りすることにした。このところ何やかやと、いろいろのことが重なる。今は生前整理をしている。断捨離という言葉を聞くようになったが、それは若い人の話で、死ぬ前にすべてを整理して死ななければならない。死ぬ前に読みたい本だけ残している。本棚一つに入るだけにしようと思っている。後はすべて古本屋に送ることにした。そうしたらなんと、段ボール箱に25箱はある。これでも一回軽トラに一杯図書館に寄贈で整理したことがあるのだ。何という馬鹿げたことか。

水彩人の事務所の仕事は石川の展覧会が終わると終了。引継ぎの総会を残すだけとなる。これも生前整理の一つだ。どんどんやることを絞り込まないと、こなせる能力の衰退に追いつかない。今でもそれで周りに迷惑をかけている。完全に役に立たなくなる前に、人とかかわることは極力減らす。そして、70までは何とか自給農を続ける。そして絵を描く。絵は死ぬまで描きたい。絵を描くことが良いのは一人で出来るからだ。これが舞台の上で死ぬのが役者だなど言う人ではとても困る。そんなことになったらどれだけ回りが迷惑することか。いつ死ぬかがはっきりするともう少し生前整理の見通しが立つのだが。案外にここが難しい。金沢で絵を描いて生きることを決意した。その石川で一応の区切りをつけられるのもありがたいことだと思っている。どういうめぐりあわせでこういう幸運が来たのかと思う。

今回の出品作は自分らしい絵だと思っている。自分というものに少し入り込めたかなと思った絵だ。自分が見ている世界と画面が近づいた気がした。昔の美術部の仲間も来てくれることになっているが、見てもらえることはうれしい。水彩人という今の絵の仲間を見てもらえることもうれしい。私は金沢大学の美術研究室出身である。水彩人の同人には堀田さんという同じ美研出身の人がいる。美研の卒業生は10人ぐらいだろうから、これも全くの奇遇という事になる。堀田さんはとても可能性のある人だと思っている。また、同人の北野さんは能美市の人で、なんとこの人は長沢節モードセミナーの人だ。セツモードも先生が亡くなって、今年で終わりになるらしい。私は長沢先生の生徒だと長年思われていた。別に否定もしないくらい親しみがあった。だから北野さんとは同窓のような気分がある。石川展が一緒にできることは、これまた幸運なことだ。

 

 

 

 

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緑肥の発芽

2016-11-23 04:33:06 | 稲作

大麦の発芽 9番田んぼ

緑肥を蒔いたのは、11月6日になる。16日経過したことになる。今年はレンゲ、赤クローバー、大麦はうまく発芽が揃った。黄からしなはダメだったようだ。雨が多く田んぼはぬかるみ状態が多いいのだが、発芽までは乾いているより土が湿っていた方が発芽揃いが良いようだ。大麦は昨年は10月半ばの播種で、この後霜枯れしてしまったのだが、今年は3週遅らせてみてどういう結果が出るだろうか。大麦に関しては、11月末か12月10日ゴロにもう一度家の畑に播種するつもりだ。成育の比較をしてみたい。大麦はバラマキより、覆土をきちっとした方が明らかに発芽が良い。今年は播種器で蒔いたので、実によくできている。これなら刈り取りも楽であろう。ただ肥料分が全くない状態と思われるので、この後の生育は良くないと考えている。収穫となると、どういう状態になるだろうか。実をとれないでも、ここでは麦わらと、麦の根を緑肥と考えている。

 

赤クロバーの発芽

昨年よりだいぶ良く発芽している。この調子なら花までゆくかもしれない。昨年ははなまでほとんど咲かなかった。ぜひ今年は咲かせてみたい。

自然に発芽したレンゲ。4番田んぼ昨年レンゲが出来過ぎて、倒れた田んぼである。一切種も蒔かずに藁だけを散らしてある。ある程度発芽しているので、このまま経過を見たいと思っている。桑原の田んぼでは自然にレンゲが再生してくれた。少し標高の高い舟原では無理だった。欠ノ上ではどういう結果になるだろうか。

冬水田んぼ 11番田んぼ

湧き水の流れ込み

一ヵ月経過した冬水田んぼ稲の様子。まるで田植えをしたような状態に見える。生き物は今のところ活動している様子はない。鳥に関していえば、全く来ない。サギはいつでもきているのだが、この田んぼに入ることはない。まあ、生き物のことより、来年の稲作にどういう影響が出るのかに興味がある。もし鳥を呼ぶなら、ソバカスを撒くといいと思うが、あえてなにも蒔かないで様子を見ている。ソバカスとか一切使わないで土がどう変わるのかが見てみたい。

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石垣島を描く

2016-11-22 04:35:41 | 石垣島

石垣島で描いた絵である。タイルの壁に張らせてもらい眺めていた。こうして並べて眺めて、明日はどの絵を描くかなど考えている。中判全紙が3枚。10号ぐらいのものが、5枚。4号が1枚。これだけの壁があるとありがたい。何とライトが画廊使用になっている。壁がタイルだと、壁を汚さないので心配がない。描いた場所は3か所である。

1、バンナ岳の鳥観測所の手前。道路の脇、すすきが邪魔をしているので、押し倒して描いた。毎朝立ち上がってくるのでまた押し倒した。

2、宮良川の上流の橋の上から下流方向。上流方向も悪くないのだが、田んぼが見える下流方向はいつの季節も面白い。

3、於茂登岳を望む、水道タンクの下のへご苗の生産畑。畑のご主人のお話では、大切に育てられていた、見事なへゴの苗が、台風でなぎ倒され枯れてしまったそうだ。

バンナ岳から名蔵方面を見ているところ。この日は空が面白かった。手前のオレンジがどうなるか、1日描いた途中の状態の絵。ここからもう描き継いでしまった。

昼間の様子

夜が明けてきたところ。4時に起きて、ブログを1時間ぐらい。その後朝食を作り食べる。6時ごろホテルを出る。まだ真っ暗である。バンナ岳に行く途中にあるファミリーマートによる。ココストア―がすべてファミマに変わった。ファミマ独占だ。石垣の生活にファミマは欠かせない。車の中で飲むコーヒーを2杯買う。ごみを捨てさせてもらう。ごみはほとんどがファミマの購入品なので、許されると思っている。沸きの水道で、水を2カップもらう。車で着くころに徐々に空が明けてくる。光線が斜光の時間にその場の、凝縮されたような姿が現れることがある。朝焼けと夕間暮れ。もうこの場所を10回ぐらい描いて居るのだが、面白さに尽きるところがない。車で描くという事は、夜明けだろうが、夜景だろうが、雨の日であっても、変わりなく描くことができる。

車の中から描いている様子。この場合運転席の側から描いている。この車は運転席がフラットになるので、この方向からも描くことができる。

これは運転席側に絵を立てかけて描こうとしているところ。車を汚さないように、布を引いてある。布は大きな袋になっていて、画版を仕舞う事が出来る。筆は4本の隈取筆。新聞はファミマで買った八重山毎日新聞。小さい車であるが、充分に描ける。場合によっえは後ろのドアーを開いて、車の外から見たりする。石垣ではレンタカー屋さんが絵を描くならこの方が良いと言われて、8人乗りのワゴン車で描いたこともあるが、車を止められる場所が限定されてしまった。やはり、軽自動車が良い。中判全紙までなら、狭くて困るというようなことは全くない。ただ、今まで車種指定が出来なくて、とても困っていた。今回は運よく、最高の車に偶然当たった。次回も何とかこの車種にとお願いはしているが、システム上上手く行かないようだ。今から不安で困っている。

 

 

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石垣島の面白さ

2016-11-21 04:25:49 | 石垣島

石垣の11月は昼は30度を超え、夜は25度を超えの熱帯夜がある。夕立もあるし、雷もなる。小田原の夏と似ている。絵だけ描いているのだが、楽しい毎日である。今日も思い切って絵を描こうと思うと、早く寝たくなる。石垣島のどこが良いのかと聞かれたことがあったが、その時は思いつかず、空気感がいいと答えたが、答えになっているとも思えなかった。石垣島は農業が盛んなところだ。その意味では、宮古島のほうがさらに熱心に農業がされていると思う。農業に熱心だから好きなことは確かだ。島だからよいのかといえば、小浜島のほうが離島らしくていい。海がきれいということはあるが、特に海が好きということもないし、海を描こうとも思わない。空がいいかといえば、絵になる空の日は少ない。変化のない空が多く、どちらかといえば絵になりにくい空だ。やはり、田んぼや畑の自然との具合がいい。自然にしたがって農業がおこなわれている様子がいいとしか言いようがない。

宮古島もその点いいのだが、田んぼがないところが残念なところだ。山がないから水がないのだ。石垣には於茂登岳という山がある。526メートルとあるから結構高い山だ。バンナ岳という頂上まで自動車道路がある山もある。そこに上ると島全体の田んぼの様子がよくわかる。そのふもとから川が幾本も流れ出ているのだが、今はどの川も上流にダムが作られている。だから5万人の人口と、その数倍の観光客が暮らせる十分の量の水がある。田んぼの水も困ることはないといわれていた。川は宮良川と名蔵川と轟川があるが、自然河岸である。そういう川の姿がいい。田んぼはその流域にある。マングローブ林を切り開き田んぼに代わってゆく。そういう河岸の湿地帯は田んぼを作るには向いていたのかもしれない。島の北東のはずれには平野という開拓集落があり、そこには多良間島から出作りされていた田んぼ跡がある。山があるから水がある島。

田んぼが面白いのは水との多様な関係だ。人間が暮らすためには水がいる。その水とうまくかかわる技術が、瑞穂の国を作り上げた文化。その原初の姿が残っているのが八重山の田んぼだろう。大型のユンボヤ、トラックたーが至る所におかれている。田んぼは大型機械で作られている。よく区画整理された田んぼだ。田んぼの土は悪くない。粘土質もしっかりとある。水持ちも良いし、水自体が岩清水を上流でためて使っている良い水だ。澄んだ清流が流れてきたので、世界一ともいわれるサンゴ礁が形成されたのだろう。ただこの暑さと台風に対応するのは難しいことだろう。土壌的にも、火成岩の隆起したような地層の場所もある。、サンゴ礁の隆起した石灰岩の風化したところもある。かなり複雑で多様な地層と想像される。田んぼも畑も、土壌に対する工夫が必要だったと思われる。絵を描いていて土壌の違いが、風景に変化を与えてるのを見つけたりする。これがまた面白い。白保地区では日本最古の人骨の完全なものが見つかっている。考古学的にも興味深い地域なのだろう。

多様な自然環境を持った石垣島には総合性がある。その結果人は古い時代から継続的に暮らしが行われてきた地域だ。そして、日本で一番の唄の島、芸能の島になった。昨夜、「鷲の鳥節」を聞いたが、いわゆる沖縄民謡とはまた違うものを感じた。奥深く、大きな深淵ともいえる世界が浮かび上がる。「とぅばらーま」だけが傑出しているわけではない。素晴らしい唄がたくさんある。こうした唄を生んだのが、石垣である。それを描きたいと思っている。その唄に漂っているものを絵にしたい。私の絵からそういう世界が少しでも出てくれればと思う。そんなことを思うと、歯が立たない。少しもできない。そんな絵を目指して絵を描いていると、面白しろくてきりがない。住んで描くとまた違うことだろう。私の石垣の絵を見て、旅行者の絵は無意味だと語った人がいた。むしろ、こうして通いながら描くことだから、見えるものもあるかと思っている。いずれ私の里地里山の絵だ。

 

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石垣島で描く

2016-11-20 04:25:05 | 石垣島

石垣島で絵を描いている。日産のルークス6824という軽自動車の中で描いている。ありがたいことに、後ろの座席がフラットになるスライドドアの車が借りられた。スカイレンタカーの車だ。5日間借りて、15000円である。高いようで安い。ここで寝ながら描いていても別段同じなのだが、一応寝る場所はウイクリーマンションだ。描く場所はいつもの2か所である。山の上と川添いの場所を描いている。やはり面白い。この場所を描いて3回目である。最初から面白いところが変わらない。自然と人間の暮らしの調和したような場所だ。石垣にはそうした古い時代の土地に密着した耕作の様子がある。自然とのせめぎあいであり、折り合いのつけ方がいい。マングローブの群生地から続いて田んぼがある。自然そのままの川が残されている。川と道と畑の関係が面白い。そしてなんといっても土の感触。田んぼも地形に沿って作られている。当たり前のことだが、こういう様子を描くのが、うれしい限りである。

気温はまだ30度まで上がる。1度は熱帯夜があった。田んぼに水が張られている。どの時期でも田植えが出来るといわれていた。石垣は農業の情熱がある。それは耕作の様子を見ればわかる。田んぼが残っているところが何よりその証拠である。収益だけを考えれば、止めてしまうだろう。古い時代から稲作が始まったのだろう。日本に最初に稲作が伝わった地域かもしれない。その後大和との関係で、日本式の稲作法が行われるようになったのではなかろうか。描いている場所はそういうマングローブの林を切り開いて田んぼにしたような場所だ。あるいは、小さな川の淀みを広げて田んぼにしたような場所だ。今は、牧草地になっている場所もあれば、サトウキビ畑になった場所もある。田んぼが続いているところもある。やはり、田んぼは減少しているのだろう。田んぼにできるのにとつい考えてしまう場所が牧草地になっている。沖縄本島では、まず田んぼを目にすることはない。田んぼのない景色では日本の農のかかわりを描いている気にはなれない。

マングローブの林と山との間の平地を田んぼにする。石垣より急峻な西表では、田んぼは少ない。田んぼがすくなければ人口も少ない。その少しの田んぼも減少が進んでいる。仲良川添いにあった、田んぼも集落もなくなり、仲良田節が残っている。あの仲良田節のような絵が描きたい。年貢を納めてなんと満足なことかという歌詞がある。そこには悲惨な薩摩藩、その手先としての首里王朝の二重の搾取があるのだが、同時に暮らしに対する愛着のようなものが深い。それは唄になった時に強く感じられる。歌詞だけではわからないものが唄にはある。石垣に来て描きたいのは農の暮らし。日本人が作られた暮らし。そのほんとうの空気。明るく、澄み切っている安定した暮らし。どの農地でも2人で働いている。これはもう小田原では少ない。日本人が作られたもの。日本人が求めていたもの。絵なら描けるのではないかと思う世界観。

石垣に来るとただ絵を描くだけである。ご飯を食べる。寝る。それ以外は楽しく絵を描いている。絵を描くということは、創造の苦しみというようなこととは程遠い。私の目が見ているものを、そのまま絵にしようということだ。創造しているというわけではない。ただ写している。問題は私の眼に見えているかどうかである。目に映るということと、見るということでは違う。見るということは行為である。努力や苦しみがあるとすれば、見えない自分を見える自分に成長できるかである。スポーツ選手のようなものだ。日ごろの練習の成果が今問われる。日ごろの練習とは、自給的な暮らしのことだ。自給的な暮らしを身をもって行うことで、自分の眼が鍛えられ、深まると考えている。自給の田んぼは一種の修養である。立派なお米がとれるという明確な結論があるから、その修養の方向ははっきりしている。身体も頭も、感じる感性を磨かなければ、よい田んぼはできない。よいお米はできない。その日ごろの鍛錬の成果が、絵を描くことに表われると考えている。田んぼが見えるようになった分だけ、絵の眼も深まる。

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水彩画の技法

2016-11-19 04:16:07 | 水彩画

水彩画は絵の具を水で薄めて使う。紙の白さを生かしながら色に輝くを持たせる。同じ色でも水の薄める量で色が変わる。薄める方向では色は無限というほどに変化してゆく。しかし濃度を濃く使おうとした場合、紙の白さが色に反映しないために、暗さを増して、その絵具の色を発色することができない。油彩絵の具に比べて一番、使いずらいてんである。油彩画は乾いても顔料は油に包まれて発色している。コバルトブルーであれば、絵の具そのままに塗ってコバルトブルーの色見本のような色が出る。ところが水彩絵具を水に溶かずにそのまま塗ったとしても、乾いた段階では黒ずんでしまい、絵の具のラベルに印刷されているような色は出ない。そのために、コバルトブルーそのままの空を描きたいという希望は、実現が難しいということになる。コバルトグリーンの海の色といっても同じように実現できない。つまり、頭の中にあるエーゲ海の色や、コートダジュールの空の色は、水彩画では実現が難しいということになる。

ところがいま目の前にある現実は、憧れの世界ではなく、現実の生きている世界である。この世界には、いわゆる色見本の絵の具の色で出来てはいない。石垣の空の色も、広がる海の色も、何色とは言い難いものである。この何色とは名付けがたいものが現実世界である。描くということは世界を画面上に置き換えるということである。だから、水墨画のような無彩色のほうが実は自分の世界に近いということが起こる。水墨画に色彩を感じるというような頭の中の操作が言われるのは、絵があくまで観念的なものであるからだ。水彩画は水墨画や油彩画のような観念的な世界のものではないと、私は感じている。実に目の前にある世界は水彩画のような、何色とも言い難い色で存在している。つまり、現実の日本の自然にリアリストとして接すると、水彩画以外では描くことができないと私には思える。

私だけのことではなく、たぶんリアリストであればそう感ずるはずだと思っている。もちろん絵を描いているのであるから、どれだけ観念的であろうとかまわないし、むしろそれが一般的と考えたほうがいいのだろう。中国画では目の前の世界を描くのではなく、観念の中の世界を描くものを絵と考えていた。だから写生画というものは存在しがたいものだった。絵の目的によって画材が違ってくるということになる。中国画では水墨というものが基本である。観念の世界を表すためには、現実的な色彩をまず除くことが必要だった。書画一如。その水墨の上にとってつけたような色彩が、塗り絵のように着色されるようなことになりがちである。日本画では絵の具そのものの色で、顔料を大きくして色を置き換えようと考えたのが、明治以降の考え方だろう。油彩画の影響だと思う。これも観念的な絵の世界を構築し、操作したいという結果だろう。

水彩画は曖昧模糊とした現前の世界を、不可思議なままにとらえることに向いている。世界はそれほど明瞭なものではない。常に動き変化し続けている。風の流れ、自然のにおい。太陽の位置。変化の中の一瞬をとらえるのが水彩画である。えもいわれぬ現実世界の色を、薄い色を塗り重ねることで出してゆく。色彩のある水墨画でもある。同時に、筆触によって、作者の行為を示す。筆跡は書と同じである。描き方で描く人の個別の世界観を残す。筆跡を残さない手法はどれも、作者を感じさせないことを目的にしている。書で言えば、代書屋の筆跡であり、活字のプリントアウトである。作者の見方を示すのが私絵画である以上、筆触は重要な要素になる。薄い塗り重ねと、自分の見方を伝える筆触。これが水彩画だと考えている。

 

 

 

 

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象徴天皇の意味

2016-11-18 04:19:49 | Peace Cafe

「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」は以下の人々に意見を聞くことにした。石原信雄(元内閣官房副長官)▽今谷明(帝京大特任教授)▽岩井克己(ジャーナリスト)▽大石眞(京都大大学院教授)▽大原康男(国学院大名誉教授)▽笠原英彦(慶応大教授)▽櫻井よしこ(ジャーナリスト)▽園部逸夫(元最高裁判事)▽高橋和之(東大名誉教授)▽所功(京都産業大名誉教授)▽平川祐弘(東大名誉教授)▽古川隆久(日大教授)▽保阪正康(ノンフィクション作家)▽百地章(国士舘大大学院客員教授)▽八木秀次(麗沢大教授)▽渡部昇一(上智大名誉教授)有識者会議のメンバーどうも聞く人がおかしいようにも思うが、どういう結論が出すのか興味深いものがある。だいたいメンバーを見れば何を言うかなど想像がつく。つまり結論は出ているともいえる。国民90%の生前退位容認の感覚とはかけ離れた意見を聞くことになる。政府は時間稼ぎをしている。

平川氏は昭和天皇が天皇の役割を拡大解釈していると、政府の諮問機関で意見を述べた。象徴天皇が行うべき役割を、先日ビデオメッセージで述べた点に関するものであろう。天皇が全国を回り国民と親しく話す。あるいは海外での戦地での慰霊。災害地域の慰問。こういうことを平成天皇は象徴天皇の役割と考えている。平川氏はそれを拡大解釈であると明確に意見を述べた。では、平川氏は象徴天皇はどのようなものと考えてのことであろうか。それを述べなければ意見とは言えない。日本の天皇家の意味は、国政に直接関係せず、「続く」ことにより、そして「祈る」ことにより、民族の象徴となっていることにある。万世一系という命の永続性こそ、今の憲法が定義する「国民統合」や、世間が目を向けがちな「皇室外交」より、さらに大事な歴史的意義があると私は考えている。

私が考える象徴天皇の役割は、日本文化の象徴である。イザヤペンダサンの日本教の教祖のようなものである。日本というあいまいな枠組みを、文化の側面から体現する存在が象徴天皇ではないかと考えている。それは江戸時代の天皇の姿である。京都に戻ることである。東京という政治や経済の中心地から離れることである。文化庁が京都に移ることと同じである。より日本とは何かが見えるようにすべきだ。徳川幕府の江戸城が皇居で在るのは、明治政府のゆがんだ天皇利用の結果である。想像するに、安倍政権を形成している人たちは、この明治政府における天皇の形の再現を願っている。日本が軍国主義、帝国主義に進む象徴としての天皇である。意見を述べるならそこまで明確に述べるべきだ。天皇の役割に関して意見を述べないで、生前退位の可能性を論議することはできない。天皇は象徴の役割を具体的に明確にした。日本人にとって天皇がどうあってほしいのかということだろう。日本軍を率いてもらいたいなどと考える日本人など、極めて少数派だ。その少数派が安倍政権のブレーンに存在することは確かだ。

日本とは何か、日本人とは何かを考えるうえで、天皇が日本人らしい暮らしをしている存在であることはとても大事なことだ。国民ともっと親しく接するのも良いが、接し方は全国行脚するばかりではない。被災地に行ってくれることは尊いことだ。それ以外は、京都の天皇の暮らしを訪問できるようにすればいい。天皇一家が修学院離宮でやられる農の姿を見られるようにすればいい。直接お目にかかる必要もない。歌会始が京都御所で行われ選ばれたものが、京都にお訪ねすればいいだろう。勲章の受章者も京都に招かれることの方がふさわしい気がする。この機会に象徴天皇はどうあるべきかを議論することが根本である。天皇は象徴天皇の役割はこうではなかろうかと提議された。それを、平川氏のように単に否定するのは学者とも思われない。今のところ一番肝心なこの問題に言及する人がいない。天皇を観念的にしかとらえていない人ばかりだ。そして、天皇を都合よく利用したいかが先行している。法律論など、有識者会議に任せればいいことだ。天皇とは日本人にとって何かをこの際述べなければ、右翼の名が泣く。

 

 

 

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配偶者控除のおかしさ

2016-11-17 04:19:19 | Peace Cafe

税制というものはその国の政治の姿である。政府の考え方は税金の入りと、出に表れる。配偶者控除は無くすという事が当初言われていた。女性活躍の思想から言えば、女性を配偶者と考え、ご主人の収入を主体として考え、ご主人に使える女性を配偶者控除の対象とする。これは女性活躍という事からほど遠いい考え方である。この税の仕組みを見ると家族主義を政府は願っていると考えるほかない。女性は家庭にいて、夫を支える存在で在ればいいと言う、明治時代の思想の復活である。自民党憲法草案にある家族主義というか家長制度の復活を願う精神。配偶者控除など一切なくせばいいのである。ところが政府は選挙対策ばかり気にしている。その為に決定段階になると、又配偶者控除の枠の拡大である。女性であろうが、男性であろうが、対等は当たり前のことだ。まして、一人暮らしの人と家族ものが違う扱いは許されないだろう。

私の家では配偶者の控除があったことは一度もない。農業従事者としてふさわしい給与を出してきた。それが税金に於いて得なのかそんなのかは知らないが、ともかくカヨ子さんは税金を払ってきた。充分な給与を出せたわけではないが、精一杯払った。私は経営者ということになる。カヨ子さんに給与を出せば、私の給与分はない。だから私は常にただ働きであった。税金を考えてそうした訳ではなく、そうしなければおかしいと思ったからだ。私の場合、親の残してくれた家があり、食べるものは家で出来る。恵まれていたと思う。お陰様で雑収入という項目に入るものが入ってくることがある。たまには絵が売れることもあり、ボーナスのようだった。こういう収入は10%の天引きがされている。だから申告すると税金が戻ってくる。今は年金生活者だ。年金の積立金が払えたのは親のお陰だから、親のお陰と言えるのだろう。

税制を変える目的は、格差の解消である。このまま格差が拡大すれば、社会の不安定化が増してゆく。資本主義の弱点はゆきすぎてしまう競争主義だ。競争が努力を生むということはある。競争を他人を犠牲にする競争は、犠牲にされた大半の人が、耐えられないことになる。そして暴力的抑止をしなければ、おさまらなnいい社会になる。利己的な社会のゆくつく先は、差別の社会だろう。社会の格差を解消するのが税制でなければならない。女性活躍は差別の解消でもある。しかし、競争主義に拍車をかけることで、世界との競争に勝とうというのが安倍ノミクスである。日本の問題というより、日本のグローバル企業の問題なのだ。競争で選ばれた、競争向きの社員以外は不要なのだろう。もちろんそれは日本だけのことではなく、世界中がさらにその競争を先鋭化している。それは国家間の格差につながり、戦争という暴力を生み出している。日本がその国際競争にこぼれ落ちかけているということなのだろう。

日本はこの競争から降りて、江戸時代に体験した、自立循環型社会を目指すべきだ。それだけが世界が競争によって、破壊されることを食い止める道だ。日本は全く奇跡的にそうした特殊な実験を成功させた。鎖国という特殊な方法ではあり、世界との競争から遅れた面も当然に目立つ。しかし、平和な社会を継続することができた。江戸時代を考えるときに、その封建制とか、身分制度とか、割る面が強調され、そのよかった面が軽視されている。税金も今よりはるかに安かったといわれる。配偶者控除が150万になることが、差別社会を生んでいるということを考えなければならない。日本国憲法の基本的人権すら守られないまま、憲法を変えようとしている。このままゆくのでは、日本は韓国や、中国や、アメリカの後追いをして、そのまま大したこともできないで脱落するのは目に見えている。

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あと10年の希望

2016-11-16 03:51:25 | 暮らし

多分、たぶんだけど、その時々に、なにかをやりつくそうとしてきたのだ。やりつくす以外に生きる充実が得られない、と思ってきたのだ。やりつくすだけの甲斐のあるものを探してきたのだと思う。それは絵を描くにしても、やりつくす絵を探していたという事。どこまでやったからと言って、やりつくした気持ちにはなかなか成れない。それでも近年はそれなりにやりつくした感がある。体力と能力の衰えによるところが大きい。つまり疲れ切ったのでそれ以上やれなかったことが多かった。若い頃は寝ないでも絵を描いたが、今はすぐ眠くなり寝てしまう。それでも今年は衰えたなりに疲れきるまでやれたというところがありがたい。一つには、水彩人展への絵の出品。もう一つが自給農。この30年この2つを中心にほぼ同じことを繰り返してきた。同じことをやっているのは変わらないのだが、ここへきて、やることがはっきりしてきた。年齢的に残りがそうないという事で、やれることを限定せざる得なくなった。その結果どうしてもこれだけという事に絞ってきた。

やりつくした感があるのは、やることがはっきりして来たという事にかかわっている。やることとは生きる目的という事だろう。生きる目的などと大上段に書くとまたわかりにくくなるが、やりたいことをやりつくすことさえできればと考えている。絵を描きたいのだから、絵を描きつくすことだけになる。それ以外のことがどうでもいいことになってきた。今のところ、畑や田んぼをやることが絵を描くこととは絵を描くために必要なことだ。逆から見れば世間的なことには、ずいぶん手抜きをさせてもらった。地域の運動会の日には田んぼの稲刈りをしていた。川掃除のときは田植えだった。夏祭りの時は水彩人の集まりに出ていた。久野の里地里山の会や有機の里づくり協議会のことでも、田んぼや畑に直接関係のないことからは、離れようと考えている。今までの主張や成り行き考えれば、そんなことは出来る義理でもないのだが。顰蹙は受け入れる。

自分のやりたいことに集中しなければ、年齢的に余力がなくなったという事である。またこの歳になれば、世間体は関係が薄くなる。勝手な奴だと嫌われることが平気になった。そう決めているというようなことではないが、自然そうなってゆく。舟原の溜池のことも努力してきたことだが、役所の対応で腹が立ち一度はもうかかわらないことにしようかと思った。人にかかわるといつもこうなる。この後は見極めてかかわろうと思う。こうして非人情になれるようになって、やっと自分としてはやりつくした感を感じられるようになった。日々の暮らしにごまかしが無くなってきた。それは死ぬという事が実感としてそこに来たからだ。死ぬ以上他人のことなどどうでもいい。自分がうまれて死ぬ間に自分というものをやりつくしたいという思い。

しかし、一日にやり切れることが減ってきた結果、ずいぶんやり残しがある。以前より明らかに忙しい。今もあれもこれもやり残している。水彩人のホームページもやらなければと思いながら、やれないでいる。昨日、お願いしてまずはやっていただくことができた。三線の練習もやれない日が増えてきた。絵の片付けも何とかやり切ろうと思うのだが、まだ残っている。それでも、来年の春までにはすべての雑務を整理出来そうである。父は77歳で亡くなったのだが、死ぬ直前に片付くという事はないものだと言っていた。終わらない何かを受け流してゆくようにすると言っていた。それは私に言い残そうと話したことのようだった。やりつくす人生という事が目標であった。やるべきことを見つけて、それに集中することのようだ。あと10年絵を描いていたい。絵が描けるなら他のことはどうでもよい。いろいろ、申し訳ないことをしながら、絵を描かせてもらいたい。私にとって絵を描くことに、創造の苦しみのようなものはない。そのことも考えてみなければ。

 

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