地場・旬・自給

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水彩筆 3-1

2017-01-31 04:20:14 | 水彩画

水彩画を描く道具では何より筆が大切だ。筆は上野の池之端にある不朽堂の宮内さんのものが好きだった。しかし、その後ご主人が亡くなられて筆も変化した。そのご主人もいつも親父と較べられてまだまだと言われていると話されていた。娘婿の方が清晨堂になって、そこの隈取筆は使っている。宮内不朽堂という別会社も出来たようだ。いろいろある隈取筆で試してみたがは私には別物と思えるほど違う。日本の筆が良かったというのは過去の話で、今は中国の方がむしろ良い筆があると、私は思っている。良い筆があるというより自分に合う筆があるということだろう。中国では大昔文房四宝「硯、墨、紙、筆」と言われた。特に硯の良いものが骨董として大切にされた。私もそれなりのものを持ってはいるが、骨董というより実用である。最近は隈取のような短峰の筆よりも、かなり長い穂の筆を使ったりする。線の表現の微妙な違いは長い穂の方が出る。この場合穂先は鋭くない方が好みだ。洗いほぐすと毛先がまっすぐに並ぶような筆で、しかも腰があるものが使い良い。

重要な選択がその時々に合う筆である。描く気分で筆は選ぶざるえない。弘法大師ではないからだろう。500本を優に超える筆を持っている。ひどい無駄なようだが、それくらいあっても十分という気がしない。使い込んだ筆が戸棚の中にしまってある。以前猫にかじられたことがあったので、厳重にしまってある。当然防虫剤も入れてある。筆の管理には私なりに気を使っている。ぬるま湯で洗いリンスまでしている。リンスでも水の含みを悪くするものではだめだ。自分の頭にはリンスもシャンプーも使わないのに、筆は気が向くと丁寧に手入れをする。好きな筆は30年使っている。同じ筆が30年使える。絵を描くというのはお金のかかるものではない。私の隈取筆の使い方は力業になる傾向がある。自由が利く。穂が短い上に、絵具の含みが良い。自分の感じているものを的確に線に反応してくれる。それで一番使用頻度が高くなる。水彩絵の具は油彩絵の具に比べて案外に伸びの悪いものなのだ。

短鋒の筆でも隈取もあれば、雀頭というものもある。こちらは写経用という事になっている。雀と似ているとは思わない。あえてこれをほぐして使う。雀頭筆は天平筆ともいう。正倉院の御物の筆はみんなこれだそうだ。筆を手に入れたらば、ぬるま湯で良く洗う。糊を落とす。穂先だけほぐして、絵具も穂先以外に付けないというのは書道の流儀。水彩画では筆全体をほぐして柔らかくしておく。その状態で使えないものは、水彩には向かない。柔らかく扱いにくい筆を上手く使う人は水墨画のほうだ。私はそこから学んだ。書道筆で水彩を描く場合でも糊は良く落とす。筆先で描くのではなく筆全体で描く。筆先を使いたい気分なら細い筆を選ぶ。水墨は一本でどんどん進めるようだが、水彩画は色がある分、筆は同じ太さが何本かいる。紙に対して力の限り押し付けて出る調子というのもある。同時に穂先で滑らせても出る調子。中国でも雀頭筆の時代があったという事だが、その意味は少し違うと考えている。短鋒、短穂の筆が好まれたのだと思う。長峰の筆はよほどの毛で、よほどの技術がなければ、その良さは発揮できない。

長峰の筆は人間的なのだ。扱いにくいところ面白い。個性の時代には穂は長くなる。超長鋒 軸の6倍以上。長鋒 軸の4.5~6倍。中鋒 軸の3~4.5倍。短鋒 軸の2~3倍。超短鋒 軸の2倍以下。となっているそうだ。そして書道の筆には太さで号数があり、1号の方が2号より太い。もちろん大、中、小の表示もある。所が水彩筆は逆で太いものほど数字が大きい。硬いものが初心者用というのはありそうな間違えで、油彩用の硬い豚の毛や馬の毛などなかなか扱いにくい、硬い筆だが難しくて面白い。毛の種類はありとあらゆるものがあり、私は稲わらで自分で作った筆も使う。木や竹をつぶして繊維にした筆もある。気持ちが現れる筆はあるのだが、何をどう思うかが分からなければ筆も選べないことになる。その時に的確な筆を選べなければ、水彩画は通り一遍のものになる。水彩画は名人芸なのだ。使いやすい筆にはまり込むと、それ以外の筆を使えない、つまり、一定の絵しか描けなくなる。しかし、筆は使ってみなければどれが良いなどという事はまるで分らない。 

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サウナの入り方

2017-01-30 04:41:14 | 日帰り温泉

温泉よりサウナが好きだ。サウナに入るようになってから、身体の循環が良くなった。肩こりもなくなった。一日狭い車の中で座り込んで絵を描いている。肩こりしないはずがない。ところがサウナに行くと肩こりは完全に治る。体が温まり滞っているものが汗と一緒に出る感じがする。昔は吐き気がするほどの片凝り症だった。夜中余りの肩こりで方の激痛で目が覚めることもあった。足も冷えた。氷のように冷たくなることがあった。そもそも子供の頃から汗をかくという事がなかった。特異な体質だと感じてきた。サウナで汗をかくという事がどういうことか初めて知った。汗のにおいとか、体臭とかいうものを初めて知った。ときどきサウナに行かなければ体の維持が出来なくなっている。果たして、サウナが身体によいものか、悪いものか長い眼ではわからないが、今の今はサウナに行くことで救われている。一日通しての田植えのような農作業をした後でも、サウナに行くと筋肉痛が消える。

サウナの入り方は、良くは分からないのだが、勝手な入り方考えた。10分前後を5回入る。体重で言えば、1キロから1,5キロ減るくらいだ。先日、1回出る度に体重を計ってみた。最初大汗をかいて、だんだん汗の出が悪くなるように思ったからだ。人によって汗の出る量は違うようだ。中には3キロは体重が減るという人も居る。500グラムしか減らないという人も居る。サウナ好きだと言っても、1回しか入らないという人も居る。中にはお医者さんから止められているの、10回もはいるという人も居る。一般に職人仕事や肉体労働の人がサウナに来る人には多いいようだ。ボディービルダーのような人も良くいる。私のような貧相な体の人はめったにいない。すごい巨漢の相撲取りのような人も結構いる。たぶん痩せに来ているのだろうが、サウナで痩せるというようなことは一時的なことに過ぎない。体重の減少は1回ごとに、300グラムの減少を正確に5回刻んでいた。

1回10分前後入る。8分から12分という事になる。サウナの中では3分ごとに、慣らし、味わい、本番、治癒と頭の中で分けている。体調で治癒まではいらないこともある。サウナから出たら、28度前後のぬるいお風呂に入る。これは5分程度。ぬるま湯で身体を普通の状態に戻す。半身浴の時もある。その後水風呂に入る。これは3分。水温は17度が良い。もちろん希望通りには行かないがそのくらいが良いようだ。3分入ると全身を血液が一回りし、冷めたような気がするが、医学的には1分となっているようだ。3回転しないと回った気がしないという事になるのか、そんな早い気はしない。身体が冷める為には、血液だけの問題ではないのだろう。そしてまたサウナに入る。サウナの温度は90度。これを5回繰り返す。だから入浴時間は1時間30分と長風呂になる。汗をかくと塩分が出るという事がある。血圧は下がる。また足がつるようになる。

脱水症状には気お付けなければならない。なんとなくサウナに行って、壊れかかった身体の循環状態を回復させているような気がしている。身体を長く使うためには、無理に元気を出しているような、感じもあり、不健康なものかもしれない。サウナに行くようになって、10年ぐらいのことであるが、なんとなく行くことに抵抗感もある。この気分はよく分からないのだが、サウナに行くと言いながらつい言い訳じみた態度になっている。無駄な時間を使っているような感じがするのだろう。だから、身体によいとか。病気になるよりはましだ。疲れが取れる。よく眠れる。血圧が下がる。眼が良く見えるようになる。私の場合はボーと出来る。何も考えていない時間が1時間30分ある。何も考えないというより、何も考えられない時間。これはこれでいい。

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映画「沈黙-サイレンス-」

2017-01-29 04:15:14 | 身辺雑記

「タクシードライバー」のスコセッシ監督の最新作。タクシードライバーは衝撃を受けた作品だった。今回も待ちに待って見に行った。今もその余韻が残り、何かすごいものに出会ったという感情が、自分の底に漂っている。映画というものの人を変えてしまう力、つまり芸術としての力量を改めて知る。この作品は日本の隠れキリシタンと、ポルトガルの宣教師の話である。厳しい弾圧と殉教。そして、信者を救うために信仰を捨て転ぶ宣教師。江戸時代の長崎の日本に起きた、政治的統治と宗教の問題。それは、一向一揆や島原の乱にも見られた、今の日本人には想像しがたい、宗教的感情の沸騰する時代。戦国時代という激動の中で、江戸時代という徹底した封建社会が形成されてゆく。その中で日本人の精神構造に大きな影響があった時代。この映画は当時の日本社会を腐敗の毒が湧いて来る沼地と表現している。江戸時代に入る前の活発な日本人が、どのように幕府に統治されてゆくかの精神的葛藤でもある。

ポルトガル宣教師の宗教的情熱がなんであるのか。信仰の問題。しかし、裏切り続けるキチジローの存在。何度も裏切りながらも、キリストの許しを願うキチジロー。そして、井上奉行という権力存在。人間というものを、極めて冷徹に、鋭い分析力をもって観察している。物として扱われる人間存在。ゆるぎない権力者。この映画は何か結論や、主張がある訳ではない。見るものに、ここに問題があると指し示している。人間というものがどのようなものであるかを、結論や、安易な解釈を示さず、疑問として提示している。一度見て、何かが分かったというより、何か大きな問題に出会ったという感触である。壁が立ちはだかった。先日、「いつも何度でも」の詩について書いた。ここに有る死というものの感触についてである。この詩も何かを示している訳ではない。死という全く不明なものの周辺を語っている。キリシタンにおけるパライソのこと。一向宗の浄土のこと。こうした天国を実在として感じさせることを可能とするのが宗教なのであろう。

私は曹洞宗の僧侶であるが、禅宗においては、全く来世というものはない。輪廻もなく、今があるだけである。これは私の学んだ解釈なのかもしれないが、私が出会った素晴らしい僧侶の方々はそういう人であった。宗教として、また仏教としても特殊なものなのかもしれない。つまり、道元禅師のことも、お釈迦さまも、ためらいなく踏み絵をするであろう。それで、信者の命とが救われるのであれば、何のためらいもなく、マリア像に唾を吐くだろう。それゆえに踏み絵のような発想が生まれない宗教である。しかし、果たして江戸時代の初期の禅宗はどういうものであったのだろうか。武士階級の信者が多かったとされている。映画に出てくる仏教寺院は天台宗の寺のような感じだった。僧侶が、実に曖昧なものとして表現されている。江戸時代の宗教の姿。権力と結託し権力化する、迷いすらない仏教。では神社はどのようにキリスト教徒向き合ったのだろう。

平戸には何度も絵を描きに行った。島原では2度亡霊に出会うほどひたすら絵を描いた。殉教の問題よりも、隠れキリシタンの明治になっての破門のことである。明治の開国。300年隠れキリシタンとして信仰を継続していたことを、ヨーロッパ人は歓迎の気持ちで迎える。そして、すぐ長崎にローマ法王が使節を派遣する。ところが、そこにあったものは、キリスト教ではなかった。そして破門がなされる。その時の、キリシタン信者の驚きと戸惑い。このことが頭にこびりついていた。つまり、日本という泥沼の中で、絶え絶えとなりながら、生きながらえていたキリシタンはキリスト教徒ではなくなっていたのだ。いや初めからキリスト教は存在しなかったのだ。日本という泥沼に根づいたものは、キリスト教であったのかどうか。キリスト教自身が変化をしているのか。長崎で信仰というもの余韻のようなものを描こうとした。少しも絵に描けることはなかったのだが、眼には何か違ったものが見えた。この何かを何かのまま描けないかと、描いた。この映画では暗い霧の海として、その空気を描いていた。しかし、私には晴れ渡る空と海にむしろ、悲しい歴史が見えた。

 

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世界は転換点にある

2017-01-28 04:18:32 | Peace Cafe

昨年一年間、世界が転換点にあることを書いた。グローバル企業と国家の関係が限界に達した転換なのだと思う。政治的には民主主義の信頼が崩れ始めている。イギリスのEU離脱。アメリカのトランプ政権の登場。日本ではアベ政権への支持。全て公正な選挙結果である。世界は新しい形の第3次世界大戦の最中と考えるべきなのだろう。今起きている戦争は競争主義の限界、能力主義の破綻、国家主義的資本主義の登場。経済競争はトランプの主張通り、強者の有利の正義である。能力主義は差別主義である。競争の勝ち組の国家と、競争から脱落して希望を失った国との、新しい戦争が起きている。戦争の形は難民であり、テロであり、極右勢力の登場である。今後日本はアメリカから見放され、焦りを深めることだろう。自立心のない政治の結果である。経済的には競争に敗北し成長は望めない。企業の過重労働はさらに深刻化する。軍事的には中国との軍事力の差は顕著になり、社会的不安が高まることになる。

国民は選挙によって、独裁的アベ政権への支持を強めてゆく。活路も見いだせない画ゆえに、強いものに縋りつく事になる。アベ政権への依存は結論の出せない政治への反動でもある。戦後の日本社会はひたすら働くことで、経済の豊かさを得た。しかし、その限界が来たようだ。原発事故が起きても原子力を離れなれない政策と、意欲の喪失。沖縄の基地問題では、地域の意思を無視して国防の犠牲を一地域に強いる姿。八重山諸島に自衛隊軍事基地を次々に作る意味は、中国に対しての対抗手段のつもりであろう。しかし、中国との経済及び軍事的な差は広がるばかりである。八重山に自衛隊基地を作り、米軍に共同使用という形で基地を提供し、軍事同盟を強化する方針である。宮古ではボウリング調査が始まり、石垣市の市長中山氏は自衛隊基地の受け入れを発表した。八重山の前線基地が最も危険な場所になるに違いない。これが沖縄防人論の実態である。

日本の安全保障は平和主義への転換以外にない。日本が瑞穂の国の文化国家になるという事である。文化とは何かを再考することで、豊かに暮らすという事の意味を考え直すことだ。競争から助け合う共同へ。物の豊かさから、人間の心の豊かさへの転換である。まずは食糧の自給。日本文化が江戸時代に作りだした、循環型社会の価値をとらえ直することだ。と言っても日本全体が方向を変えることは、しばらくは期待できない。気付いた人だけで構わない、自給的な生活を始めてみることだ。そしてその人たちが緩やかな連帯を徐々に形成してゆく。社会全体は変わらないとしても、3%の同志が繋がることが出来れば、一定の活動の安定性を構築することができるはずだ。そのつながり方をITを利用して、時空を超えることだ。日本の一部であっても、経済崩壊国の中に新しい暮らしがうまれれば、一つの可能性である。それが第3次大戦の終結の希望ではないだろうか。

江戸時代鎖国という形で、日本は文化国家としての存在を深めた。文化という形であれば、中国とも、朝鮮とも、東アジア共通に連帯を探ることができる。経済は競争かもしれないが、文化は互いを評価し、共存するすることでより高みを目指すことができる。日本の平和主義がもう一度新しい形で、世界に呼び掛けることが可能となる。琉球王朝はそういう文化的な平和外交を行った。日本の国内に、競争から離れ、精神的豊かさを求めて生きる人たちが登場することだ。そして、新しい形の連帯を作り出すことではないだろうか。幸いにも日本は人口が減り始めている。自給できる地域が放棄されている。日本の水土は自給的な暮らしが可能である。そこからやり直してみる以外に、第3次世界大戦を終わりにすることは出来ないであろう。世の中はさらに悪くなるに違いない。誰かに期待するのでなく、自分がやる。一人が始めることで、何かに繋がる。一人が諦めることですべてが終わる。

 

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宮古島の自衛隊基地

2017-01-27 06:45:27 | Peace Cafe

宮古島ではすでに自衛隊基地のボウリング調査が始まったそうだ。島中央部のゴルフ場である。宮古島にはミサイル部隊が700人から800人配備される。島しょ部に侵攻があった場合には、航空機や艦艇による対地射撃により敵を制圧した後、陸自部隊を上陸させるなどの島しょ奪回作戦を行う。また、弾道ミサイル、巡航ミサイルなどによる攻撃に的確に対応する。(平成28年度 防衛白書)空自宮古島分屯基地の地下には司令部が設けられる。敵のミサイル攻撃に遭っても作戦指揮を続けることが可能となる。同じような自衛隊基地が石垣島にも計画されている。宮古島では受け入れ派の市長が当選したので、すでに基地建設に進もうとしている。石垣島でも市長は自衛隊基地推進である。選挙もしないまま、地元への説明もしないで受け入れを表明した。南の観光の島が基地化されるのである。アベ政権の哀れな姿。

私は愚かな選択だと思うが、島の人たちが自衛隊がいてくれた方が良いと考えるのであれば、それは仕方がないと思っている。ただ、民主的な進め方を願っている。自衛隊基地が何故、南の島に作られるかは対中国に対して、ミサイル基地で監視し対抗しようという事に違いない。沖縄防人論である。そして、その自衛隊基地をアメリカ軍に提供しようという発想である。日米共同軍事作戦である。トランプアメリカは金を出さないなら引き上げると脅している。アベ政権は何でもいたしますので、捨てないでと、縋りついている。沖縄の米軍基地は縮小するが、代わりに自衛隊基地を作るので、ご自由に使ってくださいという事なのだ。自衛隊基地であれば、米軍の負担にはならない。一見米軍が縮小されたようにも見える。実は、自衛隊基地の共用という形で、南の島を米軍に提供しようという事と考えた方が良い。

オスプレーが来て、四六時中飛び回ることになる。騒音がすさまじくて静かに暮らせないことになる。沖縄の基地負担の軽減など、全くのマヤカシという事がわかる。石垣も、宮古も観光に可能性がうまれている。中国、台湾、東アジアからの観光客である。街では様々な言葉が飛び交っている。まだまだ、観光客の受け入れ態勢が不足している。ホテルも、港湾施設もこれからという状態である。こんな状況で自衛隊基地が押し付けられようとしている。宮古の市長選ではこの深刻さが浸透されていなかったと思う。自衛隊が来て、島の経済が潤うという事が言われた。基地が出来れば経済にマイナスに決まっているだろう。中国の脅威論が、尖閣諸島の領海侵犯問題がことさらに言われる。

中国云々以前に、アベ政権の対中国政策が間違っているのだ。アメリカばかりに傾斜して、アジア諸国との関係が軽んじられている。近い内にトランプが中国との関係をどんでん返しする。日本は取り残される可能性もある。中国と友好関係を作り出すのが、政府の役目のはずだ。何故こうも緊張を高めようとするのだろうか。中国との対抗心は捨てた方が良い。これから、アメリカは一国主義で軍事的には日本から引いてゆくだろう。アメリカ抜きでどのように中国と付き合うかである。軍事力で対抗する必要など全くない。むしろ経済の連携である。自衛隊基地が出来れば、当然攻撃の目標になる。基地がなければ中国軍が侵攻する可能性などない。琉球王朝を思い起こすことだ。敵対するのではなく、文化で融和してゆく。仲良くすることが安全保障である。

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いつでも何度でも

2017-01-26 04:51:48 | 身辺雑記

「いつも何度でも」という歌がある。千と千尋の神隠しの挿入歌だそうだ。映画を見なかったが、この歌はなんとなく聞いて耳に残ってはいた。しかし歌詞まではよく分かっていなかった。ところがこの歌詞がすごいものだという事を、偶然知った。いまさらのことで恥ずかしいことだが、耳に届いているという事と、唄としてしっかりと聞いてみるという事は違う。この歌は死というものを巡る歌だったのだ。しばらく前に死をテノールで歌い上げるという、おかしな歌がはやった。お墓の中にはいないで、空の風になっているというような歌だった記憶がする。これは、欧米人の死生観だなと思って実感なく聞いていた。死というものを妙に美的な世界を歌い上げてしまう。すぐその先が天国。日本もこれからはスピリチュアルな世界が、強まってゆく切迫感がある。

本来死生観というものは、民族が何千年の歴史の中で安心立命として作り上げる幻想である。ところがそうした近代以前の死生観は、明治以降薄れ、絶え絶えとなり、現代社会ではほぼ消滅している。ご先祖様がお盆に戻ってくる訳にも行かないくらい引っ越しを重ねている。生まれた場所で死ねるような人はむしろ少数派であろう。生まれた場所を離れると死生観は変わる。自分の死を親、そして祖先の死とつなげて考えることは出来なくなっている。個の成立という事はそういう事なのだろう。自分は個人的に死を理解し、受け止めなければならない。そこには、参考になる、過去の事例がない。しかも、現生が末世と来ている。現生が天国のようであれば、まだ死のことは遠く、はるかなことであるが、日々死を見つめて生きなければならないような、死ねば楽に成れるという人が多数存在するような時代である。そうであろうがなかろうが、ありとあらゆる人に、死は必ずくる。

こんなに苦労をして、努力をして、頑張って、誠実に生きているのに報われない。日々生きている懸命なものは、来世に花開くためだという考え方がある。そんなことは一切考えない方が良いと思っている。今以外に何もない。今日の今が過ぎ去り、失われ消え去るように、すべては失われる。次の転生など今ある自分には関係ない。馬鹿なすり抜け理論に惑わされないことだ。何かに報われるため、救われるために生きている生き方であるから、そう考えざる得なくなる。そういうごまかしでは安心立命はない。来世などという妄想の中に生きている限り、日々刻々と過ぎ去る自分の生命を味わうことは至難。真っ暗闇の中を真っ黒な自己という塊が走り抜ける。その生きているエネルギーを確実に味わい、確認することだ。死というもので失われものが生命である。来生を考えることにある、まやかしの救い理論。現生のあまりの非道は、報われたと、そう考えざる得ない哀れ。

全てが死によって消え去るのが命。そっけなく、恐ろしく、無残なものであるが、それを受け入れざる得ない生命。無常観。絵を描くという事は、その無常の確認の作業のようなものだ。描けども描けども達することのできない。それでもひたすら描くことの先に、発見があり、前進がある。絵画としての成果など見向かれることはない。消え去るのみ。それでも描くことで生きるエネルギーを画面に印すことになる。絵を描くことによって自分の安心立命を得ることはない。いまを生きているという事に切り込んでゆくことが描くことなのだろう。歌をある人が歌うことで、心に届くということが起こる。上手いだけでは心には伝わらない。その歌をその人のものにできるかどうかなのだろう。私は、この歌詞を自分らしく歌えるのではないか、と、大それて思った。あり得ないことだが、なぜかそう思った。そこで、三線で唄ってみている。

 

作詞:覚和歌子(かく わかこ)

「いつでも何度でも」

呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心踊る 夢を見たい

悲しみは 数えきれないけれど
その向こうできっと あなたに会える

繰り返すあやまちの そのたびひとは
ただ青い空の 青さを知る
果てしなく 道は続いて見えるけれど
この両手は 光を抱ける

さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが 耳をすませる

生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街も みんなおなじ

ラララララララララ・・・・・・・・・
ホホホホルルルル・・・・・・・・

呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも何度でも 夢を描こう

悲しみの数を 言い尽くすより
同じくちびるで そっとうたおう

閉じていく思い出の そのなかにいつも
忘れたくない ささやきを聞く
こなごなに砕かれた 鏡の上にも
新しい景色が 映される

はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ

海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに 見つけられたから

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第72代横綱稀勢の里

2017-01-25 04:12:23 | 身辺雑記

横綱稀勢の里が誕生した。待ちに待った横綱である。日本人横綱という事もあるが、何度も何度も横綱になる機会を逃して、ついにつかんだ横綱である。初優勝も棚ぼた優勝であった。まさか白鵬が平幕下位の力士にこの大切なところで負けえるとは思わなかった。勝負所に弱い稀勢の里としては、幸運が舞い込んだ。緊張さえなければ、今一番強い力士である。白鵬よりも強い。何度も白鵬に苦杯を飲ませた稀勢の里である。千秋楽の白鵬戦に勝たなければ本当の横綱にはなれないと思ったが、私は負けるはずはないと思っていた。それは白鵬がすでに力を落としてきているうえに、後半戦に入ると疲れからかかなり力が落ちるようになっている。以前の白鵬は前半戦は力を抜きながら勝手後半戦に備えていた。今は前半戦から全力を出してしまうので、後半戦は厳しくなっている。その上に稀勢の里はすでに優勝して横綱が決まった如く言われている。これでは稀勢の里は力を出すに違いない。

私は隆の里ファーンだった。それは隆の里の人格である。まさに類まれな横綱だった。おしん横綱と呼ばれた。当時最強の千代の富士が勝てなかった力士が隆の里である。千代の富士には対戦成績で16勝12敗と勝ち越している。花籠部屋の力士で鬼の若乃花の二子山親方が育てた力士である。子供の頃からの若乃花ファーンだったから、その部屋の力士はみんな応援した。中でも隆の里の、武骨で豪胆な姿に魅かれた。私より2歳年下だったのだと思うと驚く。津軽の風雪に耐えた農神の風格のある力士だった。おしん横綱と呼ばれていた。その隆の里が鳴門部屋を引き継ぎ、稀勢の里を育てた。二子山部屋の鬼の指導を踏襲した。それが、暴力指導だと告発される中、汚名を着せられたような形で死んだ。当時、大相撲は興行を停止されていた。大相撲の伝統的な弟子の育て方が問題にされていたのだ。

稀勢の里は汚名を晴らすように、親方の追悼の思いを力に変えて、大関に昇進した。親方を失った稀勢の里は、肝心のところに来るとなぜか勝てない力士になった。待望される日本人横綱の声援が負担になった。相撲の面白さはこの心技体の心が一番重要になる点である。だから、八百長とすぐ言われてしまう。今回も白鵬がわざと負けたという人がいる。がっかりである。あの白鵬の必死な相撲が分からないのかと思う。白鵬を又見直した。立派な横綱である。千秋楽の稀勢の里戦はまさに何もかも打ち捨てて、ただ相撲に挑んだ。あんな必死でひたすらな相撲は久しぶりに見た。見事な敗戦であった。自分のすべてを正面からぶつける姿勢に、白鵬の魂が宿っていた。しかし、緊張から解き放たれた稀勢の里は強い。がむしゃらに一気にの勝負に来た白鵬を土俵際で反り身になって堪え、土俵の下に投げ捨てた。見事な勝ちっぷりであった。

同部屋に高安がいる。この力士も心にまだ芯がない。しかし、横綱をとれる器である。こうした力士を育てたという事が、伝統の鬼の稽古である。これがいじめだとか暴力とか言われるわけだ。どこに境があるのかは難しいことではあるが、もし稀勢の里の横綱を歓迎するのであれば、隆の里の汚名のことも考える必要がある。モンゴル勢に唯一対抗できたのが、日本の伝統的稽古なのだ。同じ時代の千代の富士も、貴乃花も、北の湖も強い日本人力士を育てることは出来なかった。この伝統的暴力稽古を、否定的な材料にできるかではなかろうか。もう一度日本が再生するためには、近代以前の日本をどう否定的媒介にできるかにある。(花田清輝のことば)日本の農業の再生も、東洋3000年の循環農業をどのように未来の食べ物生産に再構築できるかである。相撲の土俵には宝が埋まっている。

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宮古島自衛隊誘致市長当選

2017-01-24 04:38:02 | Peace Cafe

宮古島では残念なことに、自衛隊基地建設賛成の現職市長が当選した。この宮古島市民の判断を尊重するしかない。問題はこの島の未来を大きく左右するだろう市長選挙に、何と野党候補が候補の統一を出来なかったのだ。前県議の奥平一夫氏(67)=民進推薦、医師の下地晃氏(63)=社民、社大推薦の2人が自衛隊基地反対の立場で立候補している。375票の差で奥平氏が敗れたのだから、余りに残念な結果だ。一方当選した市長に対して、もう一人賛成派も立候補しているから、この選挙の正確な判断はできないことになるが、誘致派の市長を選択した結果は尊重されなければならない。宮古島がこれからどう変わってゆくのか、注目するところだ。一方、石垣島でも同じ問題がある。市長は選挙による審判なしに、自衛隊誘致をしようとしている。どのような判断になるにしても、市民の選挙による判断は必要なことだ。それが民主主義の未来に対する責任の問題だ。辺野古の問題では辞任寸前に公約を覆し、建設を認めてしまった、翁長知事は長くその卑劣な行為が記憶される。

日米関係は変化してゆく時代に入った。アベ政権は中国を敵視し、日米同盟に依存しようとしている。日中の経済規模は大きく差が開いた。中国は日本の3倍の規模のGDPになるという。今も、中国の経済は6%の成長をし、日本は長く停滞である。日本では中国崩壊論が好まれる。中国の反民主主義社会への批判は私にも当然ある。しかし、それを踏まえたとしても敵視するのは日本にとって禍根を残すことになる。確かに中国は巨大な国で、様々な問題を抱えている。国家資本主義というようなものを行っている。これは日本のように大企業が国益に反して行動することが目立つ中で、有利な要素でもある。株価の操作や、通貨の操作も、批判はあるとしても日本よりも有利に動かすことができる。しかも、まだまだ成長の余地が残されている。国内消費という意味では日本の10倍もの規模がある。これから中国との経済格差は広がってゆき、中国はアメリカと並ぶところまでゆく可能性があるとみている。

アメリカは中国との関係を変える。日本もアメリカより先に中国との関係を見直さなければならない。いつまでも、脱亜入欧ではだめだ。日中戦争の後遺症を引きづっていてはならない。むしろ日本が中国と連携を強め、アジアの連携を構築しなければならない。そして中国が民主主義国家になることを手伝えばいい。そのことを考えれば、沖縄に自衛隊を強化し、アメリカ軍に自由に使わせるという、防人理論は全く時代の読み違いである。トランプの登場、ヨーロッパの国家主義化。こういう状況で宮古島が自衛隊誘致を選択したことは、大きな間違いを生む可能性が高い。まだ最終決定まではしていない、石垣島では冷静に状況の判断をしてもらいたい。少なくともトランプがどのように出るか。またアベ政権がどれほど沖縄に犠牲を押し付けようとするか。十分時間をかけて判断し、住民投票にかける必要があるだろう。

沖縄は世界の観光地になればいいのだ。少なくとも中国やアジアからの観光客はこれから大いに見込める。軍事基地化は愚かな選択だ。固めるのではなく、柔らかく開く。それが沖縄らしい選択だろう。まず、大型の貨客船が接岸できる港を作ることではなかろうか。現在沖縄の農業は資材や流通の面で困難が大きい。直接港から運搬できることになれば、肉牛の生産も拡大するはずだ。温暖な気候を利用した石垣牛の生産地になる可能性が高い。高級な牛肉の生産は中国への輸出も考えれば、可能性が高い分野になるだろう。観光と相まって美しい豊かな島になるはずである。現実にその可能性が広がってきている。もう一つは世界からの人間ドックを受けに来る病院を作ったらどうだろうかと思っている。快適な人間ドックと観光をセットに出来るはずだ。これを国立病院として国が最先端の設備を行う。軌道に乗れば大きな産業になるのではないか。カジノなど考えるよりよほど健全だと思う。

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麹の仕込み

2017-01-23 04:50:59 | 暮らし

いまが寒さの底だ。小田原当たりでは1月20日から2月10日までの20日間が一番寒い。ここさえ乗り切ればと、耐える。農作業も麦踏と麦の土入れくらいで特にない。昨日は麹を仕込んだ。強い風の中で大変だったのだが、無事仕込めた。お米は2分ツキにしたほとんど玄米という状態でお米に少しきづをつけた。24時間水に浸し、12時間水切りをした。強い火で1時間30分蒸かした。13時ころに菌をつけたので、今そろそろ一番手入れをしようかというところである。一番手入れまで、15時間くらいか。麹の温度は現在36度だ。去年は11キロ麹を仕込んだのだが、今年は10キロにした。味噌には3分の一位を使って、後は甘酒やどぶろくに使う。空気を抜いて冷凍庫で冷やしておく。解凍していつでも使うことができる。冷凍庫は自給生活には必需品だと思う。それほど高くはないし、戸の開け閉めも少ないせいか。電気代もさしてかからない。

畑は玉ねぎがあまり状態が良くない。苗が悪かったようだ。苗はセルトレーで作る方がやはり良いのかもしれない。ともかくタマネギは難しい。少しできればいいのだが。どうなることやら。大麦も小麦も今年は比較的順調なようだ。今年は寒い中絵を描きにゆくのだが、新しい車でこれはとてもうまくいっている。何しろ冬でも車の中で昼寝ができる。ヒーターをかけたりはしない。下からの冷えは2重の廃棄マットレスで防御してある。側面は断熱材を覆った。窓も外を見ない側は断熱材である。後は、場所選びだ。日照があれば、20度より下がることはない。窓さえ開けなければ日照がなくとも10度までで収まっている。まだ本当に寒い日には出会っていない訳だ。人形型寝袋に入り、中にはカイロを入れる。これで絵が描きにくいという事少々あるが、寒いという事はない。外から見られたら相当怪しいことになる点が気がかりである。

寒いとどうしても子供の頃のお寺の生活を思い出す。何しろ隙間だらけの家で、ほとんど外と大差ない気温だったと思う。朝起きると布団の息がかかったところがごわごわに凍っていた。みんな足を炬燵に入れて、放射線状に寝る。一部屋に全員が寝なければ寒すぎて寝ることも出来なかった。立て付けの悪い障子だけで囲われた部屋だから、風が吹き抜けてくる。そこでありったけの毛布で部屋中を取り囲んである。そのかけてある毛布が風でのれんのように揺れた。猫はこたつの中で眼を回してはフラフラになって出てきた。ちゃんと危ない加減をわかっていて出てきた。着替えの服が凍っているので服はすべて布団の中に入れ込む。暖かくしてからしか着ることも出来なかった。たぶん零下20度くらいにはなったのだろう。よくおじいさんはここは北海道より寒いと言っていた。標高も高かったのだが、冬はほとんど日照がない場所だった。雪はめったに降らないのだが、一度降れば解けることはなかった。

あの子供の頃の暮らしから、自給生活は暖かい場所だとつくづく思った。冬でも青物ができるという事が条件である。今畑にはほうれん草と、小松菜、大根、小かぶが元気に育っている。何しろ12月中はピーマンを食べていた。ビニールハウスがあれば、加温しなくとも野菜ができる。もし、自給生活の場所を探しているのであれば、暖かいところにすることだ。小田原でも霜が降りることは降りるが、麦が霜で持ち上がってやられてしまうという事はない。だから麦踏の効果がないのだと思う。

 

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トランプアメリカにどう向かい合うか。

2017-01-22 04:32:13 | Peace Cafe

トランプアメリカは宣言通りTPP離脱である。駐留経費の見直しも就任演説で主張した。日米同盟も強固とは言えないだろう。アベ政権の国会での採決の愚かしさが目立つ。この状況下でTPP反対などと主張する人がいることに驚く。アメリカは経済の分野で、圧倒的な国力を誇る。この背景で、トランプのアメリカが独善的に動き出して世界はどうなるかである。自称世界の警察がいなくなる。他国にだけ正義を振りかざしありとあらゆることに干渉をしてきた。日本の政府はこれに対して、国会で安倍総理大臣の所信演説があり、日米同盟は「不変の原則」だと力説した。何という展望のない、状況を理解しない考えであろうか。アメリカという国は圧倒的な経済大国である。その世界に張り巡らせた経済的利権を守るために、軍事力を動かしている。そのアメリカの尻馬に乗り、虎の威を借りて、利益を得ようというのが日米同盟の本音であろう。この独立国家としてはいかにも自立できない形が、日本を日本でなくし始めている要因である。日米同盟を見直す良い機会が来たとみるべきだろう。

アメリカから独立して、日本も軍事力を増強し、独立国家として行動しろと言う人も居る。ところが国粋主義と言われる安倍総理大臣が、トランプ就任にむけて、永久に属国でいますと、国会で演説をしないではいられない心理状態にいる。情けない限りである。どのように安全保障を考えるべきか。私は徹底した平和主義を世界に主張し、その行動を始めると考えている。平和的行動をしないで、アメリカの軍事力に頼っている属国的安全保障は、アメリカが変わることで成立しなくなる。トランプ氏はアメリカ軍を傭兵として利用するなら対価を出せと主張しているのだ。まさに安倍政権の姿勢は、お金は出すので逃げないでと縋り付いているようにしか見えない。こんな自負心のない国があろうか。欺瞞に満ちている。中国が攻めてくると、国民を脅し続けている帳尻である。中国は遠からず、日本の3倍のGDPの国になる。3倍の軍事力で普通だろう。力の外交だけを考えれば、すでに日本だけはかなわない相手になっている。それでアメリカにすがりつく心理。

日本は国としての尊厳を守るためには、平和主義を進めることだ。トランプに対価を払い、中国を脅してもらおうなどというのは、間違っている。暴力団にメカジキ料を払うのと少しも変わりがない。暴力的に強いものが勝つという世界から、抜け出さなければならないのが、人類の唯一生き残る道である。アジアの平和共存を目指さなければならない。それが世界大戦を繰り返した教訓のはずだ。トランプアメリカは中国との経済関係を、突然に開くとみている。今台湾を使って、中国の一国主義を揺さぶっているが、まさにトランプ的ゆさぶり外交である。中国を経済分野で譲らせようとしているのだ。中国もアメリカで物を売りたいなら、アメリカに出資しなさいという事だ。こういう商売人的交渉術がトランプのやり方だ。それでもアメリカは経済超大国として、さらに大きくなるとみなければならない。それが果たして、アメリカという国の幸せとは思えないのだが。それは勝手なことだ。

競争原理、能力主義、持てる者が有利な社会。こうした弱肉強食を克服しなければならないのが人類ではないか。強いものが勝つという事は、持てる者が初めから有利という事は、決して人間の幸せではない。相手が幸せであるから、自分も幸せを感じられるのが人間だ。みんなの幸せを自分の幸せと感じられるところを目指す。弱肉強食から共存に進化しなければだめだ。アメリカがその理想を辞めるとすれば、日米同盟はもう成立しないという事だ。そいう人間の在り方が生かされる社会を作り出すことが、日本の目指すべき政治でないだろうか。それでもトランプアメリカはまだましである。正直だからだ。利権主義をごまかさない。アベ政治はどうだろうか、アメリカの虎の威を借りて、近隣諸国の危険ばかりを言い募る。

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将棋連盟谷川会長の辞任

2017-01-21 04:15:22 | Peace Cafe

将棋連盟では谷川会長の辞任になった。谷川氏は人間として素晴らしい人だと思う。しかし、今回の事件では責任者として運営を誤った。三浦弘行9段に対する、ソフト疑惑に対する責任をとっての辞任である。人を疑うという事がどれほど罪の深いことになるのか。これに先立ち渡辺竜王も謝罪を行った。謝罪だけで済む話ではない。竜王の返上が当然の責任の取り方である。何故なら、対局相手に対する尊敬の念がないからである。それではこれからの将棋世界は成立しない。自分が竜王なのだ。竜王は誰よりも尊敬されるふるまいでなければならない。もし相手にソフト使用の疑いを感じるのであれば、将棋連盟に対して、お互いにソフトを使えなくしようと言えば済む話だ。以前、たばこの煙が嫌だから、対局時に禁止してもらいたいという話はあった。ところがタバコを吸わなければ思考できない棋士もいて認められない。大山名人は扇風機を持ち込み相手に向けて風を当て続けたそうだ。扇子のぱちぱち鳴らす音が迷惑だからやめてもらいたいという抗議もある。こういうことを含めてすべてが戦いなのだ。その根本に相手に対する敬意がなければ将棋は文化ではなくなる。

渡辺竜王は三浦9段が挑戦者になった時に、三浦9段にたいして疑惑をぶつるだけで、自分が有利になるだろうという勝負師としての計算は無意識かもしれないが、あったはずだ。無意識でもそういう事をしてしまう可能性は、将棋指しの習い性のなかにあるのではなかろうか。三浦9段に対しては久保9段からそいう疑いの意見が、すでに出ていたという事だ。それを聞いてつい渡辺竜王は反応したのだろう。調子者の橋本9段は1万%クロだと叫んでしまった。こうして、三浦9段はソフトを悪用したというレッテルが張られた。今もその疑惑が晴れた訳ではない。証拠が出なかっただけだ、調査員会の調査がどこまで行われたのかなど。様々な疑惑は残ってしまった。私は事件を聞いた途端にそんなことを三浦9段に限ってする訳がないと思い、そのように書いた。その判断は正しかった訳だ。報道はソフトカンニング事件として面白おかしく取り上げていた。これは人権侵害に等しい。

今回の事件は将棋というゲームが、コンピューターの登場で性格を変えてゆくという事だ。コンピューター将棋は時々する。ソフトの強さを私と同等に設定して戦う。勝ったり負けたりするぐらいの強さである。頭の掃除ができる。繰り返している内に私の方がだんだん勝つようになってしまう。それで気分はいいのだが、又、五分五分に直そうと思うのだが、まだその設定の仕方が分からない。ソフトの手筋がだんだんに読めてくる。ソフトは同じところで同じように間違う。人間とやるのとは違った面白さがある。将棋はミスをした方が負けるゲームだという事がわかる。良い手が勝利につながるのではなく、悪い手が敗北になるのだ。勝因よりも敗因を考えなくては強くなれない。これは、何でもそうかもしれない。成功した原因を考えるより、上手く行かない理由を考える方が有効という事。ところが人間は勝因におぼれるものだ。私がコンピューターから学んだことだ。

渡辺竜王は竜王を返上することだ。疑ったという罪をそれによって償わなくてはならない。それによってはじめて、将棋指しの人格というものが、伝統文化の先生と呼ばれるにふさわしいことになる。渡辺竜王は「将棋のわたなべ君」という漫画の主人公だそうだ。奥さんがその漫画を描いて居るらしい。ノンフィクション漫画だそうだ。この卑怯な手段で、三浦9段を退けた手口も、かわいらしいわたなべくんの無意識の悪意という事なのだろうか。もし、竜王の返上がないと、将棋界は衰退の一途だろう。敗因から学ばなければならない。このままでは、ソフトよりは弱いが、人間としては強い方だぐらいのことになる。尊敬される文化人という立場が、無くなる。強いだけならソフト先生だ。将棋界はこのことを深く考える必要がある。私は、人間と指すよりソフト君と指す方がましだと思っている。

 

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小田原 保護 舐めんな

2017-01-20 05:13:12 | 地域

全く申し訳の立たないことになった。職員のジャンパーにひどいことが書かれているとは気付かなかった。小田原市の福祉の職員が差別の服を着用していたのだ。10年間気付かなかった。小田原市役所内部ではどの程度の人が認識していたのだろうか。私は気づかなかった。新聞記者は気づかなかったのか。市会議員なども気付かなかったのだろうか。市の職員ではどのくらいの人が知っていたことなのか。このジャンパー問題が起こった、庁内全体の考え方を徹底調査する必要がある。そして、何故こんなことが実行されて、異論が起きずに実行できたのか。容認されるような空気が小田原市役所に存在した原因を調査しなければならない。64人の人が着用していたのだから、広く合意があったはずだ。そして、それは10年間申し送りされていた。つまり小田原市役所全体の意識を反映しているとしなければならない。この意識の根底からの変革につながらなければ、市役所は良くならない。

 神奈川県小田原市で2007年以降、生活保護受給者の自立支援を担当する市職員ら64人が、英語で「不正受給はクズだ」などと背面にプリントされたジャンパーをそれぞれ自費で作り、勤務中に着用していたことが分かった。市が17日発表した。左胸部分には「HOGO NAMENNA」、保護なめんなと読めるエンブレムも付いており、一部の職員はジャンパーを着たまま受給者宅を訪れていた。

 市は同日までに使用を禁止し、担当部長ら7人を厳重注意処分とした。

 市によると、07年7月、生活保護の受給資格を失った男が同市役所で、職員2人をカッターナイフで切り付けた事件を機に作った。(共同)

個々の福祉課の職員を責める気にはなれない。接してきた範囲ではよくやられていると思ったことも多かった。行政職員の限界という事は感じたがそれなりの対応はいしていた。こんなジャンパーを作った気持ちの背景には、表面的には慇懃無礼に、ケチの付かないように対応をしたという事になる。こんな服を着なければ、やってられない気持ちにさせた全体の問題ではなかろうか。そこに追い込んだのは行政全体の状況であり、私のような市民の無言の圧力もあったと言わざる得ない。生活保護費の不正受給、増加する保護費。そしてそのことで市民から責められる状況。何といっても罪が重いのは行政の責任者であろう。今回も他人事のようなコメントで済ませている加藤市長である。この鬱屈した市役所内のジャンパーを生み出す空気に気づいていたのだろうか。まず10年間見過ごした罪を詫びる必要がある。それは、福祉課の着せられていた職員と、受給者に対してが一番である。そして、このような行政の空気を、何が作り出していたのかの原因の究明である。

なんとなくあのジャンパーは見ていた。しかし何が書いてあるのかなどは分からなかった。英語で書いているところが悪質である。にもかかわらず保護課の職員の内部から、こんなジャンパーはおかしいという声が出なかったというところに、深い闇がある。以前、自宅に生活保護課の職員が来るのでノイローゼになると、訴えていた受給者がいた。家に来るのは職員の義務だから来る前に連絡を入れてもらおうとか、話した私が、ひどいことをしていたことになる。あのジャンパーに見られるように、受給者に対しては犯罪者対応だったのだろう。受給申請者に対しては、警察の尋問のような接し方であったのは確かだ。生活保護者が増加を続ける社会が問題の根源。小田原は今回の事件で日本中に恥ずかしいことになった。それは小田原市民である私も見過ごしてきた責任がある。だから責めるわけにはいかないともいえない。行政に対して、抗議の声を市民全体が上げなくてはならない。このままやり過ごせば、さらに罪の重いことになる。

仕事量が生活保護関係は仕事量が増加しているのだろう。にもかかわらず、人員の増加がないに違いない。それが、このような独りよがりの、相手側に立てない対応をしてしまった原因と思われる。この機会に担当職員の増員を計ったらどうだろうか。

 

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就職の考え違い

2017-01-19 04:44:38 | 暮らし

電通の過労自殺認定が注目され、日本の企業での働き方が問題になっている。就職を出来なかった人間の思いがある。就職はしなかった。自分らしく生きられる勤め先が見当たらなかった。高校生が大学受験で一生懸命になるように、大学生が就職試験に翻弄されているように見える。大学も企業も人生の一手段である。大学はお金を払ってゆくところだが、企業はお金をもらえるところだ。似たようなものでは全くない。子供の頃からの受験の後遺症で、良い企業に入社することが目的になっているのかもしれない。自分の人生は自分で決めなければならない。企業は人生など決めてくれない。企業に入社してそれが生きがいになる幸運な人も居るだろう。自分の生き方を決めることが何より優先される。自分の生き方を貫くためには、企業に入らなければならないこともあるだろう。孤独に山の中に行かなければならないこともあるだろう。全てはその人が選ぶことだ。

入社した企業が労働者を酷使し、人間扱いしないと思えば即やめればいいだけのことだ。お金や身分に捉われることで辞められないとすれば、次の道を見つけられない。生きるという事はたった一回のすばらしいものだ。貴重な時間である。いや嫌日々を送ることは全く必要はない。企業に入れるほどの能力があるものが、普通に働く気になれるなら、間違いなく生きて行ける。好きなことをやるならなおさらのことだ。好きなことならどれほど働いても、消耗しない。寝る間を惜しんで絵を描き続けたこともあったが、少しも消耗しなかった。楽しくその時間を満足した。絵描きにはなれなかったが、誰にも不満を言えないのが自分自身の人生であれば、全て自己責任である。生きるという事は失敗ばかりである。上手く行くことなど半分もない。しかし、それは自分の考えの方角が悪いのであり、能力不足である。方角を改め、能力を磨く以外にない。他人には全く関係がない。企業も関係がない。

酷な言い方になるのかもしれないが、学校嫌なら明日から行かない方が良いし、会社が嫌なら、明日から次の道を考えればいい。まず今やっていることをやめてみなければ次のこと等見えないものだ。何もないところに立ち、次の自分の人生を考える。そこから道は必ず見える。私は画家になる能力はないが、絵は好きなのでどうするか。こう考えた。何とか一生絵を描く道を歩もうと決めた。そして、結局のところ自給自足に歩み始めた。その日暮らしの工夫の面白いこと。あれよあれよと楽しんでいる間に、30年が経過した。その間絵は週に一枚くらいのペースで描き続けることができた。確かに碌な絵はないのかもしれない。全力を出そうとしてきたのだから、それでもいいと思えるようになった。画家がうらやましいどころか、辛そうにしか見えなくなった。辞めなければ次の道は見えてこない。自分で生きるという事が面白い。何とかなるものだ。それが67歳まで、勝手にやってきて思うところだ。

企業に勤めることは、安心立命にはならないという事だ。企業での労働時間や働き型ばかりが話題になっているようだが。企業というものの目的を考えればわかることだ。資本は利潤目的で動いてゆく性格がある。利潤の為の材料が社員だ。もちろんその中でも生きがいもあれば、企業の社会貢献という事もある。しかし、根本には利潤の競争原理が存在するのは当然のことだ。誰しも自分の人生を無駄には出来ない。あとどれくらい時間があるのか、誰にもわからないが、生きている間はやりたいことを精一杯やるほうがいい。何が好きで、何がやりたいのかである。違うと思えば道を変えればいい。それができない原因は、身分や立場がなければ、生きられないと思わされているからだろう。しかし、自給自足の暮らしはほとんどの人に可能なことだ。一日1時間100坪の土地で人間は生きて行ける。私は何の身分もないが、好きにやらしてもらったと思える。

 

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絶景の連発

2017-01-18 04:19:07 | 水彩画

最近のテレビでは絶景という言葉が連発される。「故郷の絶景に出会う」と里山番組に副題を付けている。違和感がある。山や海が出てくると、1分に1回は絶景を叫ぶ番組が本当にあった。余りに絶景、絶景と言われるとなんだか絶景が嫌いになって来る。言葉が単純になる原因は発想が類型的だからだ。食べ物紹介番組では、食べ物の味の表現がなかなか多様になっている。たぶん、ワインのソムリエの影響ではないかと思われる。味を言葉化する文化がフランスにあるらしい。もっともらしすぎる感想を述べているので鼻につくのではあるが。食べ物もおいしいだけでは、伝わらないから、言葉の選択がなかなか難しい。昔どっちの料理ショーの取材の時に、アグー豚のとんかつを食べて感想をを言えと言われたのだが、とんかつは久しぶりなのでなかなか上手いといったのだが、やはり使われなかった。これではアグー豚の特徴は出ない。脂身にさっぱりとしたキノコのような味わいがある。とか何とかいうところだろう。美しい景色を見て、絶景と叫ぶ習慣は最近のはやりのことだ。これでは料理の上手いと何ら変わらない。

やはり風景も見て、その場でならではの実感表現を加えてもらいたいものだ。絶景というのはどちらかと言えば、この世のものとも思えない美しさではなかろうか。だから、それは特別な自然景観という事になる。それは私が見たい景色とは全く違う世界のことだからだ。私も、その絶景を狙って絵を描いて居た時期がある。絵を描くことを見失ったときに、ともかく自分が美しいと感じたものを描いて見ようとした。通俗であろうが、ありきたりであろうが、自分の美しいは何かに正直に向かい合ってみようとした。そのうちにその描く場所が写真を撮りに来る人とぶつかることが多いいという事が分かった。いわゆる美しい風景というものなのだ。富士山は美しいと思う。足柄地域で絵を描いて居ると時々出会う訳だが、格別である。しかし、今は絵に描く気にはなかなかなれない。絶景だからである。美しいと絵との関係である。

今、絵に描こうと思う景色とは、自分が暮らしている空気のある景色である。この世そのものである。里地里山を描くという事は、自分が生きている空気を描くという事だろう。富士山を描くとしてもそれが、自分の暮らしの中の富士山でないと絵を描いた気がしない。絵を描くという事で、生きていることを確認しようとしている。そうであればただ美しい景色を描くという訳には行かない。柳田国男の文章を読んで、ただの自然が美しい訳ではない。秋田のスギ林のような人間の手入れが行き届いた山が美林として美しいのだ。と書かれていて、びっくりしたことがあった。子供の頃植林して山が醜くなると、実際に見てそう思っていた。手つかずの自然というものが一番美しくて、杉檜の植林をすると、面白くなくなる。ところがその手つかずの自然と思っていたものは、いわゆる薪炭林で、手入れの行き届いた里山のことだった。

里山は自然と人間の折り合いをつけたごく当たり前の姿だ。あの頃の藤垈は薪と炭で暮らしていた。山が復活する範囲で木を切っていた。その薪山の範囲が盆地を囲む見渡す限りの半自然林というのだろうか。里の暮らしは周辺の山と結びついた。しかし、手付かずの自然の方がさらに美しいのだという思いもあった。尾瀬に行ったときにこの自然は手つかずの自然なのかと、父親に聞いたことを覚えている。それならこれを美しいものという基準になるのではないかと思ったのだ。今は手つかずの自然を絵に描こうとは思わない。公園のように、整備された場所も描こうとは思わない。富士山に映えるように、菜の花を景観の為だけに植えたという場所は、景観を崩していると思う。まして山にソメイヨシノを植えるようなことも汚しているようにしか見えない。生活の手の入る自然が風景ではないか。それは絶景ではなくごくありきたりのものだ。

 

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お墓をどうするか。

2017-01-17 04:42:48 | 暮らし

まだ死ぬ気もないし、100まで生きるつもりで入るので32年も先の話ではあるが、お墓をどうしようかと思う。父や母の墓は東京の品川にある、海晏寺にある。明治に土佐から出てきて作った墓らしい。明治時代の先祖が、海晏寺の住職の和歌の弟子であったために、お墓を用意してくれたと聞いている。その墓は今兄の家が引き継いでくれている。そこに私が入ることはできないと、住職は主張していた。少子化の時代に2人兄弟でしかも私の家には子供がいないのだから、そこに入れてもらったとしても何の問題もないと思うが、住職は長男さんお一人の家の方のみがお墓を引き継ぐことができるのですと、決めつけていた。その方が檀家が増えて良いと考えているのだろうか。あるいはお墓を新規に販売できると考えるのだろうか。こういう事ではお墓が増えて仕方がないことになる。私は死んだ後のことだからどうでもいいことだが、要するに後に残された人がどう考えるかがお墓の問題である。

私は両親を、海晏寺のお墓に収めた。共に死ぬまで一緒に暮らしていたから、葬式も出した。それが私にも、兄にも、そのほかの親戚にも納まりが良いと考えたからだ。その後、子供が兄の所に入るので、兄にお墓の後のことはお願いし引き受けてもらった。その意味で私の墓はいらないという事になる。お参りをする人に目印がないという事になる。それの方がむしろいい。目印の墓が放棄されて、ひっくり返り、そのうちお寺の敷石に使われていたりするよりは良いと思う。墓石のような無駄なものは間違ってもいらない。知り合いの記憶にある間は記憶され、そうして忘れ去られてゆくのが良いと思っている。つまり、お墓のことを考えるという事は残りの生き方を考えるという事になる。お墓を考えるという事は必然的に死を考えることになる。詩を考えるという事は、残された生きる時間をどうするかを考えることになる。

 

 

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