地場・旬・自給

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農作業と絵画制作の折り合い

2022-03-31 04:20:37 | 楽観農園


 毎日農作業はしている。毎日絵を描いている。時間的に考えれば、絵を描いている時間の方がたぶん長い。農作業の方は日によってはかなり長いこともあるが、それほど続けて働くことは滅多に無い。少し働くのが一番楽しい。

 絵を描く時間がとれないほどのことは、たぶん一日も無かった。逆に絵だけを描いていて、何も農作業をしなかったという日もなかった。毎日を良い日々だと思っている。のぼたん農園を始めたことは絵を描くことにも良いことだったようだ。

 絵を描くときは田んぼをやるように、田んぼをやるときには絵を描くように。これは意識することにしている。といっても絵を描き始めれば、絵に反応しているだけになるので、制作の場面ではそうした考えが浮ぶこともない。田んぼをやっているときは、そうだ絵を描くようにやろう、と時々意識に登る。

 そんな絵と農作業の日々の暮らしが、石垣島生活にも収まった。農民絵画というものがあるが、私の絵はそういうジャンルのものと言えるのかも知れない。農民を題材に描くわけでは無いが、農民が絵を描いていることは確かだ。農作業をしているから、農地のある場所が描きたくなるに違いない。農作業には深い喜びがある。十分作業が出来ると安心が出来る。

 作業療法というものがある。農作業をすることで、病を癒やされてゆくという療法である。農作業の充実感には食べるものを作っているという、人間の命に結びつく根源的な安心がある。身体を動かすと言うことの良さもあるのだが、それ以上にこの作業によって自分が生かされているという実感がとても心地よい。

 絵を描くときには、自分が描きたいと思うものだけを描こうとしている。絵は自分のためを一義としてに描いているのだから、それでいいと思っている。いわば絵画療法と考えてもいい。絵を描くことが自分の生きる根源と結びついている。

 白い画面の前に座り、大抵は長いこと眺めているだけである。描きたくなるものが現われるまで待っている。出てきたものにうまく従うのは難しいのだが、描き出せば、自分が自動描画器のようなものになっている。

 最初は意識的にそうしていたのだと思うのだが、今はあえて意識しないでも、描く機械にたちまちになる。それが良いのかどうかも分からないのだが、自分に至る道だと考えて、この方法で進もうと考えている。いくらかでも進んでいるという判断が出来るからだ。

 シーラ原で田んぼを始めたときに絵がわずかに変化した事を感じた。そしてのぼたん農園を始めて三ヶ月少し絵は進んだかも知れない。進んだのは自分に向かったと見えるからだ。絵を描くと言うことが、いくらか楽になったようだ。これでは違うと言うことがいくらか見えるようになったのかも知れない。

 何が自分で、何が自分では無いか。絵の上での自分のことがいくらか分かるように感じられる。随分遠回りの要領の悪さである。こういうことは若い内に分かるのが、才能のある人なのだろう。勘が悪く自分の絵というものに至る道にまで来るのが長すぎた。

 まだ時間がかかると言うことは自覚している。未だ自分の入口ぐらいの感触にいる。農作業と絵画制作の両輪で進むつもりだ。この道をあと30年続けられれば、明確な自分の絵に至れる可能性はある。諦めることは無い。

 それは自分の中の確信のようなものが出来上がるのかどうかにかかっている。そこに農作業がある。毎朝動禅を行うが、それ以上に農作業には何か思いがある。農作業は正直身体を酷使する。一種の苦行だと思っても言いかもしれない。

 先ずは、もう一度石垣島での自給生活の確立である。それが出来ないようでは私のやってきた自給生活が中途半端だったと言うことになる。山北で実現したひとりの開墾生活。小田原で農会での自給の実現。石垣島でのぼたん農園が実現できれば3度目の正直で、再現性があると言うことになる。

 毎朝スワイショウ、八段錦、太極拳をする。自己採点すると50点ぐらいの所だ。覚えて40点。忘れて50点。忘れることがやっと出来たところだ。抗したものは覚えたことを思い出しながらやっているのではだめだろう。

 八段錦は呼吸の体操なのだが、良い呼吸を覚えて、そして忘れても良い呼吸になっているよう出なければならない。意識をしないでもできると言うところまで進まなければ、本当のことには成らない。本当のことは無意識の世界まで入り込む。

 太極拳の動きを覚えるには一年間かかった。覚えは悪い方かもしれない。なかなかどう動くのかが分からないでやっていた。やっと一年して一通りを覚えた。ひとりで思い出しながら行うことが出来るようになった。そして今は忘れてゆく課程にいる。

 歩く時に、歩き方を思い出しながら足を出す人はいない。無意識に歩ける。長年の練習のたまものだ。同じことで太極拳も歩くように思い出すのではなく、無意識にやれるようにならなければ。そこから自分の太極拳が始まるのではないだろうか。今やっとそこまで来た。

 絵も同じだと思う。絵の描き方を思い出しながら描いているのでは無く、無意識にやれるようになる。絵を描く技術が自由に駆使できるように成ったら、自分の絵を描く出発点まで来たと言うことだ。ここから自分とは何かという、描くべき本質への道が始まるのだろう。

 今頃出発するというのは、愚鈍な上に、好きなことを追い続けて回り道ばかりしてきたからだろう。ところが今になってみれば、好きな遠回りをしてきた御陰と言うことがある。考えれば、この回り道が良かった。見当違いばかりで、一向に絵のことが分からなかったということが良かった。

 ここから始まることができるのだ。身体がひとりでに太極拳を行うように、筆がひとりでに絵を描く事ができるようになりそうだ。その時に絵を描かせているものは一体何者かと思う。果たしてそれが自分なのだろうか。今はその日が来ることを願って描いている。

 昨日も一日絵を描いていた。作業は雨瀬の間に一時間ほどユンボ作業をした。アトリエに戻って絵を見ると、案外、この先が見えてくることがある。農作業の気分転換はいいようだ。のぼたん農園が出来るまで5年とみている。その頃になれば絵ももう少しましになっているかも知れない。
 
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機械小屋の建設

2022-03-30 04:20:45 | 楽観農園


 のぼたん農園には機械小屋を作る計画がある。この機械小屋は小さなライスセンターの機能を持つようにしたいと考えている。最終的には販売もふくめてである。石垣島で有機農業を始める人が、共同でこの機械小屋を管理して行ければと考えている。

 機械小屋の建設に関しては、石垣市の農業委員会や建設課や村づくり課、あるいは県土木の建築班には農道の使用許可や建設確認に関して相談に行き、建設は可能と言うことだった。それでもまだ実際に届けてみないとまだ分からないところはあると思っている。以前の経験ではそれほど簡単ではないという気がしている。 

 地主さんの国仲さんは大いにやって欲しいと快諾してくれた。これは有り難いことだった。この機械小屋が未来の石垣島の為の、みんなの小さなイネ作りに役立って貰いたい。石垣島にはコイン精米機が無い。小田原には10以上あるだろうか。精米機が営業として成り立っているのだ。

 私が石垣島でコイン精米機商売を始めたいぐらいだが、今はそれどころでは無い。何故農協のゆらていく市場に置かないのかが不思議なくらいだ。農協が精米して販売しているからいらないと考えているのだろう。農家から直接玄米を買う人が増えることを恐れているのかも知れない。

 籾すり精米機方式の機械を置けば、必ず需要はあるはずだ。石垣島でも昔は各集落に精米所があったという話は聞いている。JAの稲作部会は守りの気持ちにあるのかも知れない。守りでいれば、遠からず稲作は衰退をする。それが沖縄本島の姿だ。石垣島の伝統文化に繋がる、よりどころである米作りは何があっても消しては成らない。

 たぶん小田原に水車小屋の精米所があったと言うことと同じことになるのだろう。多く農家がお米を作り、親戚などを中心にそれを分けて食べていたのだろう。それを保米缶にもみ保存していて、取り出して食べていたに違いない。籾保存なら一年問題が起きないからだ。

 ところが稲作農家数は減少して、残った農家は大型化していった。そしてほぼ全員が農協のライスセンター出荷になった。その流れで、地域にあった精米所は無くなった。こうして、農協に出荷しない小さな農家は、お米を作ってもそれを脱穀も出来ないし、精米も出来ないと言う事になった。

 今田んぼをやられている農家で農協に出さない人は滅多にいない。いるとすれば、昔から稲作を行ってきて籾すり機や精米機を持たれている方と言うことになる。そうした方が、機械を使わせてくれているのかも知れない。それでも新しく小さいイネ作りを始めようという人は難しいことになる。

 今後の石垣島の稲作の変化を考えると2つの方向が考えられる。大規模化して自分でお米の販売力も持つような大きな農業法人。米穀店が農業法人を作り経営しているところが2つある。逆に経営を考えない小さな第3種兼業農家である。いくらかそういう農家が存在するが、自給のためのイネ作りは私の他には知らない。自給にいくらか販売を加えるような形に二分されてゆくのではないだろうか。

 自給のための小さなイネ作りが新しく生まれないと、石垣島の水田稲作は縮小されてゆく可能性が高い。大規模農業法人は条件の悪い場所は取り組まないだろう。農協へのお米の出荷価格は徐々に下がっている。逆に生産コストはかなり上がっている。石垣島の場合水を水利組合から購入して行う水田がほとんどである。農協に出すのでは利益が出ないという状態は遠からず来る。もう来ているという話も聞いている。

 大きいにしても、小さいにしても、自分で販売力を持つ農家で無ければ、生き残れないと言うことになる。もし新規就農者が現われないとなれば、石垣島の稲作はさらに減少してゆく。石垣市行政の方針でも水田を維持してゆくという政策はほとんど無いように見える。
 
 新規就農を希望して石垣島に来る人はいないわけでは無い。一年に数人は現実に来ている。しかし、水田を始める人はほとんどいなかったようだ。始めても、維持することが難しすぎるのだ。その難しさを増しているのが、稲作機械である。

 そもそも稲作農家を始めるには2000万円が必要と言われている。どのような職種でも新規に事業を始めるには資金は必要だ。稲作農家を始めるに辺り、最低限の機械をそろえ、機械小屋を持つためにはかなりの費用が必要になる。

 しかし、ほとんどの機械は小さな農家が個別に所有する必要は無いものだ。極端に言えば、アパート暮らしでも小さなイネ作り農家が可能でなければおかしいのだ。やりたいという気持ちがありさえすれば始められる。その条件を作る必要がある。

 それがのぼたん農園の機械小屋の役割だと思っている。有機農業で新規就農を希望する人がいれば、その体験をして貰い、先ずは体力と技術を身につけて貰う。そして石垣島で就農をする。その就農の手助けをするためには、機械小屋が必要になる。とれたお米を一次的に置いておくところも必要になる。

 機械で一番の問題は必ず壊れると言うことだ。壊れないような使い方といっても、どうしても壊れる。直せなければ機械は使えない。壊れた都度農機具屋さんにお願いしていたのでは、費用が馬鹿高いものになる。壊さないような使い方。壊れたら自分で直せる技術。この確立である。

 機械整備の知識を学んでゆかなければならない。機械の整備技術の講習も行う必要がある。幸い、石垣島には機械に詳しい方が沢山おられる。福仲先生や干川さんは農業機械の専門家と言えるほどの知識がある。その知識を学ぶ場も必要になる。原さんも詳しい。

 のぼたん農園の機械小屋はそうした機械講習会の場所にも成りたい。そういう考えで機械小屋の計画を進めているのだが、なかなか進まない。お願いした会社が、見積もりを一ヶ月以上しても出してくれない。仕方がないので他の方にもお願いした。

 ヨドコウの沖縄強風仕様の農業用倉庫は一応可能なようだ。シャッターの仕様になっている。これがどう考えても問題である。シャッターは風には弱い。前面がすべてシャッターではもろに風を受けて吹き抜けてしまうはずだ。そこはどうにかして補強できるのだろうか。

 販売をしている、木田商会では石垣の風では無理なので、これは販売出来ないと言われるのだ。ではどうすれば良いのだろうか。また振り出しに戻り、鉄工所で作ってくれるところを探すほか無いのか。その場合設計の方はどうなるのだろう。

 農業用倉庫の設計と言うことに成ると、設計事務所ではなかなかやってくれない。建設業者の中で、そ言う仕事を専門にやるところを探すほか無いのかも知れない。なかなか先が見ない状態が続いている。

 それでも、予定地の整地だけは始めた。できるだけ広い平ら地を作る。そしてコンクリート舗装する。広い土間があれば作物を干したり、様々な仕事に便利である。できれば、6月末までには機械小屋を作るつもりだったのだが、このままでは少し無理になってきている。

 
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石垣島の洋蘭栽培

2022-03-29 04:20:07 | 暮らし
パフィオアーガスアルバ

 石垣島で少しパフィオの原種の栽培をしている。山北で栽培に苦労していた頃を思うと、別天地のような恵まれた環境である。今も3株が咲いている。洋蘭好きが昂じた人なら、石垣島に移住するのは一つの選択枝なのかも知れない。恵まれた洋蘭栽培の環境である。

 石垣島には洋蘭が栽培したくてきたわけでは無い。ただ街を散歩していると庭で洋蘭を栽培している人をよく見かけた。農協のゆらていく市場でも洋蘭が売られている。それを見ていて、つい栽培したくなった。庭で出来るくらいなら、手がかからず出来るはずだと思えたのだ。

 それならと思い、パフィオのことをまた調べ直してみた。自生地の環境をあれこれ調べてみると、パフィオのばあい、石垣島の環境であれば、大抵のものが栽培できそうだった。しかも40年前に競べ、大分丈夫になっているようなのだ。原種の株でもしプリングクロスをして作られている。

 台湾が蘭栽培には適していると思っていたのだが、台湾は案外に10度以下まで気温が下がるらしい。高い山があるためのようだ。その点石垣島は海洋性の気候のためか、14度よりも下がることは滅多に無い。温室なしのパフィオ栽培には予想以上に適している。

 さらに重要な要素としては、湿度がかなり高いと言うことがある。いまも室内にある湿度計が、90%を示している。気温は4時で25度である。それでいて雨が降っていると言うことでも無い。3月中に熱帯夜がもうそこまで来ている。



 夏の高温、特に夜の温度は25度より下がることが無い。こういう高温で蘭は大丈夫か。この点が心配なところだったのだが、これが意外に問題が無かった。風があるからではないだろうかと思っている。風通しの良い家だと、熱帯夜にもかかわらず夏寒いと言われる人がいるくらいだ。

 私の家は暑くて仕方がない家なので冷房をかけなければ眠ることは出来ない。風通しは悪いのだと思われるが、それでも外はいくらか風があるようだ。先ずは恐る恐る栽培してみたロスチャイルドディアナムが簡単に花が咲いた。山北で栽培した頃には一度も咲かすことが出来なかった。

 パフィオは冬の間も少しも寒さは感じていないと思う。比較的温度が高い必要がある、バンダセルレアが一株だけあるが、垂れ下がったどの根の先も生き返っていて、太い根が出てきている。株自体も元気に成長し、花を咲かせた。

 カトレアの原種のトリアネーを数株持っているが、これは今ひとつのようだ。何が悪いのか分からないが、カトレアには向かないのだろうか。アジアの蘭であるパフィオと南米のカトレアでは、何か違いがあるのかも知れない。カトレアは今度、田んぼのそばのヒカゲヘゴに着生させようかと考えている。

 栽培のしやすさは蘭の種類によるのかも知れない。アジアの蘭ならば、石垣島むきということだろう。一番好きなパフィオが元気にしてくれているから、これ以上の望むことは無い。ついでのことだが、昨日熱帯睡蓮も開花した。



 パフィオの栽培については直射日光に当たらないようにしている。雨は当たるようにしている。しかも車庫の屋根の水が蘭に落ちるようになっている。水は乾いてからやると言うことなので、雨が多い今年の1月2月は水遣りが1,2回だけだった。人よりは乾燥気味の栽培かも知れない。

 雨に当ててはいけないと書いてある栽培書もあるが、外での栽培であれば、いくら雨に当たっても洋蘭は大丈夫だ。雨の水は溶存酸素が多く、根を腐らせることは無い。植え込み材料は水苔と、軽石に珊瑚とバークを加えたものと両方あるが、どちらが良いと言うことも無いようだ。植え替えやすいので、だんだんミックスコンポストに変えている。

 私がパフィオが好きになったのは、子供の頃母が栽培していたからだ。青山にあった第一園芸に行き、蘭を購入するというのが母の楽しみだった。植え替えもわざわざ第一園芸に持って行ってやって貰っていた。窓辺に置いて、冬は保温をしていた。

 第一園芸に行くようになったのは第一園芸の裏に、父の姉が住んでいたからだ。叔母さんの所によってしばらく世間話をしていたのかと思う。父が忙しい暮らしだったから、それが楽しみだったのだろう。私はそばにあった青山ケンネルで犬を見ていた。

 パフィオを大切に管理していたのだが、充分に栽培が出来ず、宇都宮大学にいたおじさんのところに持って行った。たぶん大学の温室に置いて貰ったのだろう。その時は戦場ヶ原にあった、大学の農場に連れて行ってくれて、当時始まったイチゴの夏上げなどを見せて貰った。

 洋蘭を栽培するようになったのは、窪川さんと蘭友会に入ることになってからである。移住先を二人で探していた。二人で蘭栽培に関する仕事が出来ないかと考えたこともあった。それで東京の家のベランダで蘭の栽培を始めた。ベランダ全体を温室にした。

 もちろん母も一緒に栽培をした。かなり東京での苦労した蘭栽培であった。それでも蘭友会には休まず年間の花の出品を続けていた。そして、山北で開墾生活を始めたわけだが、もちろん蘭の栽培はますます熱心になった。蘭に関する仕事はバブルが崩壊して無理になった。
 
 洋蘭もいいものだと思っていたら、峯田さんから手紙が来て、カトレヤやデンドロを分けてあげるから、栽培しないかというものだった。峯田さんは蘭友会にいた頃随分お世話になった方だ。栽培の名人である。実にで美しい栽培をされる。

 その峯田さんが、石垣島なら洋蘭を樹木に付ければ活着するはずだから、持っているわけ株を送ってあげるというのだ、何か見えない不思議な縁を感じる。のぼたん農園の溜め池の回りの木に、蘭を着生させたいと思ったところなのだ。のぼたん農園では蘭栽培にも挑戦してみることになった。

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7番田んぼの田植え

2022-03-28 04:11:03 | 楽観農園
田植えの終わったの7番田んぼ

 「のぼたん農園」では3月27日に7番田んぼの田植えを行った。10人で一時間ほどで終わった。その後みんなで9番田んぼの石拾いをして貰った。9番田んぼは今までで一番石の多い田んぼだった。一部に大きな岩石が露出している場所もある。石拾いの方が田植えよりよほど大変だ。

 昨日田植えをした7番田んぼは果樹園の上に作った田んぼだ。果樹園の水遣りのために水を果樹園側に入れたかったので、果樹園の北側になる一番上に田んぼを作るとすべてが解決になると考えたからだ。これは結果的に見た目も良くなり、良い考えだったと思う。

 水遣りがしやすい場所に水を好む果樹を植えようと思う。その当たりはいつも湿り気があるはずだ。田んぼの排水をバスタブに溜めるようにした。すでにバスタブには水が溜まっている。これでいつでも果樹の苗が植えられる準備が出来たことになる。

 果樹苗を植える準備の穴を掘り始める必要がある。6mに1本植えると良いと言われたが、もう少し近くても良いようにも思えるので、考えている。後で作業がしやすいような配置にはしたい。風当たりも考える必要がある。下の道路脇は車が横付けられるから、収穫の大変な果樹が良いだろう。

 水は最初は溜め池から、ホースで通そうとした。太いホースはかなり高価なものだった。工事も難しいことが分かった。色々考えた末に、田んぼを果樹園側に広げるのが一番だと思うようになった。田んぼの排水がバスタブに溜まっていれば、果樹の水遣りにはまず心配がない。

 田んぼが果樹園の上部にあれば、果樹園全体が田んぼから浸透する水でしっとりするはずだ。7番田んぼを作って、果樹園が少し狭くなった分の果樹園は10番田んぼの下と6番田んぼの下に持つ来ることにした。10番の下はサトウキビが良いかと思っている。とすると6番の下はパイナップルか。

 これで果樹園が3つに分かれることになったのだが、どの果樹園も田んぼからの排水が利用できるから、水遣りに困らない。バスタブが3つあるから、6番と、10番からの配水もバスタブに水が入るようにするつもりだ。田んぼの水であれば、果樹の肥料にも成るだろう。

 昨日は午後は機械小屋を作る予定地の整地を始めた。農園の一番上部の道路際である。風が強いところであるが、整地を始めて見たら案外に石が少なく、赤土の良い土だった。今思っているのは、ここは与那国馬の放牧地にできないかと言うことだが、まだ考えは定まらない。

 機械小屋が出来れば、そこには電気と水道を引く。バイオガストイレも設置する。機械小屋の周辺はコンクリート舗装にする。そこでお米を干す事もできるし、人が集まるときの駐車スペースにも成る。車がうまく止められるだけのスペースは必要になる。

 整地しながら、機械小屋を具体的にどのように作るかを考えている。ヨドコウにプレハブの農業用倉庫があった。一応沖縄仕様と言うことで、強風対策がされていて、建設許可も取れると言うことである。この設計図と、郷土計算書を持って、石垣市の建設課に相談に行ってみるつもりだ。

 「のぼたん農園」の将来を考えると、機械小屋はきちっと許可を取って進めたいと考えている。私がいなくなっても、将来良い形が残るようであって貰いたい。近隣の人からも喜ばれるような施設にしたいと考えている。

 このところ、水牛の赤ちゃんが生まれたので、崎枝の皆さんも見に来てくれる。子供達はほぼ全員来てくれたのでは無いだろうか。その中に民泊をされている方もおられた。その方に体験農業に来られた方を止めてもらえるか伺ったら、友達価格で泊まって下さいという有り難い申し出があった。

 水牛の飼育場所に関しては、のぼたん農園の東側半分を当てたいと考えている。現在牧草がよく繁茂しているので、このまま維持してゆけば、4頭までの草はまかなえると思われる。東側の一番北側には樹木が多いので、夏の水牛が過ごすには快適だと思う。

 東側には昔は川が流れていた。その川に二カ所水をせき止めて、水牛の水あびばを作った。雨が降ったら早速水牛は入って転げ回っていた。代掻きをしたような状態で水が溜まりやすくなった。雨の度に溜まれば、そのうち安定することだろう。

 水道が来たら東側にも配管をしたいと考えている。今一番大変なのが水牛の水遣りだ。これが水道からすぐ水を与えられるようになれば、随分楽になるだろう。機械小屋のコンクリートを打つ前に水道管の配管だけはしなくては成らないだろう。

 機械小屋は可能であれば、6月までに完成したい。それまでに出来れば、今年のお米の籾すりが出来ることになる。時間は迫っているが、こればかりは仕方がないことだ。今日でも明日でも、役所に行ってみるつもりだ。

 いよいよ田んぼ作りは最後の10番の石拾いになった。ここの石を拾えば、予定どおり、棚田10枚が出来上がったことになる。今のところ、水は充分にまかなえている。1番に入る水よりも、5番に入る水の方が多い状態である。

 田んぼ全体に水が浸透してきているのだろう。下の方の田んぼが水が足りなくなると言うことが案外に無い。この辺は予測したとおりの結果になっている。この後例年であれば雨量は増える。水の心配は大分減ったのでは無いか。

 7番田んぼにはヒトメボレのあまり苗を2枚、福仲先生が、シーラ原の農家の方から頂いてくれたものだ。3本づつ手植えした。2.5葉期の苗だった。随分細い苗で心配だが、自分で播種して作った苗と比較の為に作ることにした。ヒトメボレが、一期作と2期作ではどう違うのかも、確認が出来る。

 8番田んぼは直播きのマンゲツモチである。これも順調に発芽をしてくれた。充分苗が出来るだろうから、9番の田植えも出来るのではないかと思う。そうすると9枚の田んぼに作付けが出来たことになる。1月から始めた田んぼ作りが三ヶ月でここまで到達できた。

 6番はコロバシャのための田んぼだったのだが、わかばが子供を生んだので、しばらく出来ないことになった。そこで、6番には冷蔵庫に入れてあった種籾を蒔いてみようかと思う。少し発酵したような状態なので、上手くゆくとも思えないが、ためしにやるだけの価値はある。

 ここで苗が出来れば、10番にも植えられるだろうから、すべての田んぼに作付けが出来ることになる。始めた頃には考えられないような速度で進んでいる。みんなの一致団結した協力があるからだ。良い仲間と出会うためには、冒険に出掛けなければならない。
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第101回 水彩画 日曜展示

2022-03-27 04:24:01 | 水彩画
第101回 水彩画 日曜展示






677「青い木」
8号ファブリアーノ
2022.3






678「のぼたん農園」
2022.3 6号






679「のぼたん農園」
2022.36号






680「のぼたん農園」
2022.3 6号






681「のぼたん農園」
2022.3 6号







682「のぼたん農園」
2022.3 6号






683「のぼたん農園」
2022.3 6号







684「のぼたん農園」
2022.3 6号







685「のぼたん農園」
2022.3 6号






686「のぼたん」
2022.3 6号


 のぼたん農園の絵が増えてきた。頭の中がのぼたん農園のことで一杯になっているからだろう。具体的にのぼたん農園を写生して描いているわけでは無い。草の様子などに反応して描いている。

 使う紙によって随分絵が変わると思う。最初の677の青い木だけが、ファブリアーノの荒目の紙だ。あとはファブリアーノのロール紙を使っている。透明感がよく出てくれる。ただ筆触がなかなか思うようにならない。

 草の様子がこの紙の方が出るような気がしてしばらく描いている。しばらく描くとまた荒目の紙で描きたくなる。アトリエカーだと色々積んであるので、その時の気持ちで紙を選ぶことが出来る。筆も色ごとに何本も使い分けられるので具合が良い。
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ソビエト崩壊後30年で起きたウクライナ侵攻

2022-03-26 04:45:06 | Peace Cafe
 

 ロシアが無謀な戦争を始めた原因は、ロシア人一般が世界情勢に対してあまりに視野が狭いということにある。プーチンがあまりに長く政権を支配したために、社会のなかに情報のゆがみを生んだのだろう。プーチンはソ連崩壊後のロシア経済を立て直した。生活をすくってくれたという国民全体に崇拝するような空気がうまれた。

 長いソビエト連邦の思想統制の歴史から来る、未成熟の民主主義の結果ではないか。ロシア人の大半がウクライナで行っている残虐行為を想像できないでいる。ウクライナの兄弟を救済するために、ロシア軍はウクライナに向かった。そして歓迎されていると、信じている人の方が多いのだ。

 プーチンの出現によって貧困の克服が行われた。1990年代後半の実質GDPはソ連崩壊直前の水準の6割程度まで落ち込んだ。一 人当たり名目GDPも一時2千米ドルを下回り、かつての東欧を支配したソビエト連邦としての超大国としての力を失速させた。

 原因は市場経済への転換が遅れたためである。効率の悪い経済体制が続いたのだ。そこにプーチンと連携した「オリガルヒ」 と呼ばれるような富豪になる人々が、ロシア経済を立て直して行く。プーチンによって、一部に富が集められ強権的な経済運営が行われた。

 プーチン政権の下で、実質経済成長率は5年平均で5%近くにまで達した。2005年にはソ連崩壊時の実質GDPの水準を 回復、その後に世界金融危機を経験しながらも「繁栄の10年」を謳歌した。 それがプーチン独裁への道でもあった。

 しかし直近の10年間は年平均成長率が1%程度に落ち込み、為替レートの減価 もあって米ドル建ての一人当たりGDPが目減りするなど、ロシア景気は失速が明らかとなる。原油価格の低迷に加えて、欧米からの経済制裁がロシア経済の成長を止めた。

 ロシアの経済は原油価格の低迷に加えて、2014年のクリミ ア危機以降は欧米から経済制裁を受けており、経済は苦境にあえいでいる。 そのために貿易と金融の両面で「東方シフト」を強めている。同じく西側から経済制裁を受ける中国との経済連携が生じてい る。

 ロシア中銀の外貨準備には、金や人民元が占める割合が上昇している。2014年のクリミア危機に端を発した欧米からの経済制裁より前からこうした動きは あったが、経済制裁がさらに拍車をかけたといえる。中国とだけ接近する危険が生じていた。

 ロシアの人々にしてみれば、ロシア経済の停滞は西側の不当な経済制裁にあると考えて当然ということになる。ロシア国民全体に広がった、西側諸国の不当な圧迫が、ウクライナにNATO加盟を望むような裏切り者のゼレンスキー大統領が登場し、露系住民を弾圧していると信じる根拠が生まれた。

 このロシア国内の西側諸国への敵愾心を、ウクライナもEUもアメリカも読み違えていた。クリミアや親ロシア派の地域に対して、武力では無く平和交渉による民主主義的な解決を計るべきだったのだ。武力による解決を目指した失敗が今回のロシアのウクライナ侵攻を許すことになった。
 
 翻って日本のことを考えれば、中国をにらんでの、琉球列島のミサイル基地の建設も同じことである。中国に対しての武力的対決が何も生み出さないどころか、むしろ中国の矛先を日本に向けるだけのことになる。ロシアが武力侵攻したことだけを見て、だから軍事力を強化しなければと言うことは逆効果なのだ。

 日米安保条約も同様である。アメリカに依存しすぎることは中国を仮想敵国にすることになり、平和交渉を行えなくしている。アメリカ依存を止めて、むしろ原爆を持たない弱い国連合を作るべきだ。軍事力の無い国も手を携えれば決して弱いものでなくなる。

 プーチンは常々、日本に北方4島を返すわけにはいかないと言うことを主張していた。返せばそこに自衛隊基地が作られ、アメリカ軍が駐屯し、ロシアを東西から攻撃すると考えていた。結局の所、領土欲の奥には軍事バランスが存在する。独裁者は常に不安を抱えている。

 中国の習近平も同じである。貧困を解決して独裁者になった。その信頼を維持するためには、経済成長が必要である。それが停滞したときには目を外部に向けようとするだろう。同胞の台湾を救済できないのは、アメリカの圧力であり、日本であると。

 自分の安全を考えて、台湾有事を考えているのだ。独裁者としての基盤を強化するためには、台湾をこのままにはしておけないと思い続けている。そして、その無謀な夢は、ある日悪夢が現実となる日が来る。その前に平和的な解決を目指すことだけが戦争にならない道だ。

 日本はまず尖閣を国際裁判所にその所有を決める裁判を提案することだ。戦争の口実をまず立つことが、日本の安全保障である。石原慎太郎が、わざわざ東京都知事の時に、アメリカで尖閣諸島を東京都が購入すると記者会見をした理由を考えるべきだ。

 中国と事を起すためだ。その軍国主義的態勢を作ろうとしていたのだ。日本にもそういう軍国主義者がいくらでもいる。安倍晋太郎はその一人だ。石垣の中山市長もその一人だ。ミサイル先制攻撃をしたいと本気で思っているような人間が、日本にもいるのだ。日本でもプーチンを生み出す可能性はある。

 
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のぼたん農園3月24日

2022-03-25 04:21:41 | 楽観農園

 植えたパイナップル。食べたパイナップルの切り落とした頭部分を家で鉢植えしていたもの。今回0番田んぼの上に植えた。7本である。


 ドラゴンフルーツを植えた。道の際である。上の方がのぼたん農園入口。ブルーシートが原さんが作ったトイレ。


 のぼたん農園の旗。丸岡さんが制作してくれた。天気が穏やかな日はこうして掲げている。


 直播きマンゲツモチの発芽。点を打ったように見えるものが発芽した苗。17日に直播きしたので、丁度一週間である。発芽までの一週間の、水のコントロールがとても難しかった。今回は鳥が食べに来ることはなかった。

 だんだん直播きの要点が見えてきた。
1,田んぼは平らで無いと行けない。
2,充分に代掻きをした方が良い。
3,水はコントロールがきかないと難しい。
4,種籾は鳩胸よりももっと芽が出ているものを使う。
5,雨の前日ぐらいに蒔くと良いようだ。



 空堀。もう少し整備するつもりだ。一番下にあたる。この下にはお隣の田んぼが来る。間には10mほどの段差があり、樹木が茂っている急斜面である。間には牧場だった時代のバラ線の柵がある。


 10番田んぼ。ユンボで整地して、その後をトラックターで耕耘する。そして石拾いを一度した。もう一度耕して、二度目の石拾いをするつもり。石拾いが結構辛い作業になる。相当拾ったつもりでも代掻きをすると石がすごい。


9番田んぼ。整地が終わったところ。と思っていたら、福仲先生がもう一度見えて、整地をさらに行った。実に丁寧だ。この後トラックターで耕して石拾いになる。石拾いが終わる頃に、ここにも水が来ることになる。

 8,9,10番への水の導入管の敷設も出来た。


 8番田んぼの直播き田。3月17日に種まきをした。上の写真のように、一週間目に発芽が始まった。張った紐が強い風で飛ばされた。


 7番田んぼ代掻き中。深い田んぼのため、トラックターが動けなくなった。ユンボで引っ張り出した。この後きれいに整地をして、田植えがすぐにも出来る状態になったている。

 苗は福仲先生が、田植えの終わって余ったヒトメボレの苗を貰ってきてくれたので、均して、水を落とし、田植えをしようかと思う。


 6番のコロバシャ田んぼ。いま他に水を回しているので、この田んぼには水は来ない。わかばのコロバシャは出来ないとすれば、コロバシャはもう止めて、ここも田植えをした方が良いかも知れない。


 5番田んぼ。2月23日にみんなでコロバシャを行い、2月27日田植え。4週目の様子。風が収まってきてからの2本植えだったので、一番安定している田んぼ。



4番田んぼ。26日に5人で二時間で田植えした田んぼ。


 3番田んぼ。23日に呼びかけて大勢の人に、雨の中田植えをして貰った田んぼ。何度もコロガシをしてくれている。初めての人達が田植えした田んぼなのだが、随分良くなった。


 2番田んぼ。22日に一度直播きをしたが、23日の豪雨で種が流されたのか。発芽せず。そこで代掻きをやり直して、3月2日になって、補植用苗が充分あったのでそれで田植えをした。

 5枚の田んぼ中では一番遅い田植えになる。三週間経過の田んぼであるが他と競べてむしろ良い状態。やはり天候の回復の御陰のようだ。石垣は風が強いので、田植えの後風が強いと、植え痛みが響く。


 1番田んぼ。ここは「ハルミ」のなえ。2月28日の田植え。苗がよく無かったので、心配したのだが、丁寧な管理が行われていて。随分良くなった。


 0番の溜め池直播き田んぼ。担当は笹村。ここだけは別格に良いが、私がやっているからと言うわけでは無い。直播きの優秀さである。ため池から水は常に入っているので水が動いていることが良いかも知れない。

 奥は直播き部分で、最後に手前の7列を手植えした。最後に植えたにも関わらず。生育は一番良い。

 今後の予定。
1,剪定のチップがくる。
2,ローレルの廃棄
3,向日葵の種が来たので播種
4,4月上旬にシャンティー農園と果樹苗の相談
5,果樹園の植え付け穴を掘り堆肥を入れる。
6,中央道路の砂利敷き。
7,周回道路の整備
8,畑予定地を耕して向日葵の種を蒔く。


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日ロ平和条約北方領土交渉中止

2022-03-24 04:09:19 | 楽観農園



 ロシアが日ロ平和条約の締結交渉を拒否した。北方領土の交渉も中止となった。日本がウクライナ攻撃の中止を求め、経済制裁をしたからと言うのだ。とんでもない理屈なので相手にする必要も無い。ロシアの軍の軍事侵攻は、まったく世界平和の為の、第二次世界大戦後求めてきた平和の構築を覆すものだ。

 ロシアは国連の安全保障理事会の常任理事国5カ国の1つである。核の保有が認められている第二次世界大戦勝利国の1つである。核保有が認められる代わりに、世界平和に対する重い責任を負っている国である。まったく常軌を逸した侵略行為だ。

 いまロシアが行っていることは、北朝鮮以上の残虐行為である。あっては成らないことを、核保有が認められた責任ある常任理事国が行っている。国連はロシアを常任理事国から外さなければならないだろう。プーチンに良い未来は無いだろう。今後世界で一番厭われる人間になった。

 この暴挙を認めることは日本はあっては成らない。北方4島の返還などもうこだわる必要も無い。旧旧島民の方々の平均年齢は86歳に成られるという。残念な気持ちは分かるが、日本には島を離れて暮らさざる得なくなった人は、各地におられる。

 離島で暮らすと言うこと自体が、よほどのことで無い限り難しくなっている。戦争でふるさとを離れざる得なくなった理不尽さを思うと、辛いものがあるだろう。が、その島に渡ったことも、何世代にわたるという長い歴史があるわけではない。

 江戸時代から暮らしていた島でも、離れざる得ない時代になっている。そもそも島暮らしは、遠島島流しといわれたくらいの大変な暮らしだ。島から出られない幕府の決まりがあったので、仕方がなく暮らしていた人も多かったはずだ。懐かしいからとそこで暮らすと言うことは異なる。

 ウクライナの戦争も結局の所領土争いが基になっている。ロシアはウクライナの豊かな土地を取り戻したいのだ。ロシアは近年世界一の小麦輸出国になった。石油資源に依存するロシアとしては、唯一農業が新産業になりつつある。

 ウクライナはかつてはソ連の穀倉地帯であった。ウクライナを取り戻したい気持ちは高まっていたのかも知れない。またウクライナ領内の親ロシア派は現ウクライナ政府に支配されることが嫌なのだろう。国連監視の下に公正なる住民投票で、3分の2以上の賛成があれば独立は認められるべきだった。

 こうした領土欲というものが、戦争の発端になるほど馬鹿馬鹿しいことはない。ロシアは北方4島を返して欲しければ、経済封鎖を解けと言うことだろうが、とんでもない。むしろ、この機会にプーチンとの領土交渉は出来ないと主張すべきだ。

 日本は領土などにこだわらない国に成長すべきだ。領土ほしさに正義を忘れては成らない。いま日本人が住んでいる場所での暮らしを大切にすることだろう。日本列島という素晴らしい国土がある。この国土は世界で一番素晴らしい場所だと言える。恵まれた場所が与えられた日本という国に感謝することだろう。

 政治家は隣国との領土問題で譲れない。北方4島はいらないなどと言えば、選挙で落選するからである。可能性が無い4島返還でも、声高く叫び続けるのが当選の方法だと思っている。また選挙民も領土問題となると、急に愛国者に変貌する。

 選挙制度がプーチンも生み出している。トランプもアベ長期政権もおなじである。ロシアでは多くの人が未だに、西側諸国はロシアを嫌い、押しつぶそうと考えているらしい。国民が正しい情報を判断できず、政府の思想誘導に従う愚民国家になり、愚かな政府が生まれる。

 マキャベリでは無いが、次は独裁政治の時代が選挙によって誕生すると言うことか。ロシアほどでは無いが、アメリカもそして日本も、似たような政府による報道の誘導がある。日本の新聞やテレビも鵜呑みに出来るような公正な正義は無い。各自が判断力を持つほか無いのだ。

 ロシアに対してウクライナ侵攻を認めては成らない。日本がそれによって、4島交渉で不利益を被るとしても、これほどの理不尽を認めては成らない。北朝鮮が核弾頭で脅しているのとは訳が違う。国連常任理事国がその重要な責任のある国が、原爆で隣国に対して脅しをかけているのだ。

 こんなことが許されれば、世界各国が原爆保有に進むことになる。北朝鮮の行為を国連憲章違反などと主張も出来なくなる。人類何度も消滅するほどの原爆の量を保有してしまった人間が、過ちをまた繰り返そうとしているのだ。いまロシアを許すことは間違っても出来ない。

 ロシアが行っている暴挙を見て、世界中は学ぶ必要がある。国家はいつロシアのような、不当な国なるかも知れないのだ。そうなればこれほど大きな軍事力を保有した世界は、たちまちに崩壊する。どれほど平和交渉が不当で、頼りないものに見えても、それ以外に解決法はないと覚悟する必要がある。

 世界はウクライナ支援に軍を動かすことはまずい。一気に世界大戦に突入するだろう。ロシアプーチンの狂気は、アメリカやNATO軍が軍事的に進出すれば、本当に原爆を投下するだろう。もうまともな判断力を持った人間と考えない方が良い。

 ウクライナ停戦のための平和交渉である。世界が仲介して、戦争を終わらせることに進むほか無い。中国は予想通り、漁夫の利を狙って動かない。習近平も似たような気持ちを秘めているのだ。プーチンの気持ちが世界で一番理解できるだろう。

 しかも、この戦争で唯一得をするのが中国である。ロシアは中国に依存す他ない。中国に対して軍事援助を依頼しているほどだ。中国が裏で武器を援助することを認めては成らない。もし怪しければ、証拠を明確にして、中国とも断固交渉しなければならないのだろう。

 まったく何をしでかすか分からない独裁者が生み出されたものだ。そこまでプーチに洗脳されてしまった、ロシア人の愚かさが情けないが、その理由は西側諸国の経済封鎖にある。プーチンはプーチンに溺れている。自分が全脳になったような幻想を見ている。ロシアの若者を戦闘に駆り立て、何千人を殺している自覚があるのだろうか。

 独裁者は常に恐怖と隣り合わせだ。ウクライナがNATOに加盟すれば、ロシアの安全保障が危機に陥ると考えたのだろう。北方4島を返還すれば、そこに自衛隊基地を作り、同盟国アメリカが基地を強要するだろう。そしてミサイルでロシアを恫喝する。プーチンはこのように考えている。


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水牛の子供が生まれた。

2022-03-23 04:19:22 | 楽観農園


 3月21日早朝、水牛の若葉に雄の子供が生まれた。のぼたん農園バンザイである。未来に続いて行く姿が見えてきた。3月22日にはついに10番田んぼまでほぼ完成した。10番田んぼの下には空堀も作った。これで赤土の流出を防ぐことが出来る。

 12月末に始まったのぼたん農園も基本的構想が具体的に現われてきた。現在、6つの田んぼで実践が行われている。10人の自給が出来る体験農場である。食糧の自給は化石燃料を使わないで、可能なのか。人類は化学肥料や農薬を使わないで、生きて行けるのか。

 その答えはのぼたん農園に来て、やってみて貰えば分かる。農業はやってみない限り分からないものだと思う。見ただけでは半分しか分からない。自給農業が、それぞれにとってどの位置に来るかは、やった人以外には分からない。

 私の37歳からの開墾生活の総決算がのぼたん農園になった。伊能忠敬では無いが、歳をとってから大冒険を始められたのは幸運に恵まれたと言うことだろう。石垣島に来て心より良かったと思う。充実した日々を送ることが出来ている。

 神奈川県山北町高松山の標高三〇〇mの杉林で始まった開墾生活である。それが二回目の冒険であった。一回目の冒険は絵を描いて生きると決めた冒険。三回目がのぼたん農園の冒険である。高松山の冒険はシャベル一本で出発した。若かったのだ。

 車も使わない。水も山北駅で汲ませて貰い。山の上まで担ぎ上げた。世田谷学園の美術の講師をしながらの開墾生活だった。学校の生徒も、同僚の教師も、私が開墾生活に挑戦しているなどとは誰も知らなかったはずだ。あれも素晴らしい体験だったと思う。

 絵を描くことに行き詰まり、新しい自分を作るための開墾生活だった。希望に向かっての冒険と言うより、自分探しの冒険だから気持ちは苦しいものだった。苦しい思いをシャベルに込めた。杉林を切り開き養鶏場を作った。田んぼを作った。畑を作った。5年間で自給生活を達成した。

 この自給生活はあまりに過酷なものだった。できる人は正直少ないと思う。私の千日回峰行だったのだ。だから、シャベル1本の自給生活は誰にでも出来るとは言えない。のぼたん農園の自給体験は半分の人には可能だ。千日回峰行だって達成する人はいるのだから、もちろんできる人はいるし、千日回峰行より生きて行くためには具体的に役立つものが身につく。

 この時好きな鶏を飼い始めたことが、笹村農鶏園になり生計にも役立つようになった。山の中で鶏を放し飼いしていることを知った人が、だんだん卵を買いに来てくれるようになったのだ。これならもしかしたら養鶏業が出来ると考え、玄米卵の宅配販売を始めた。

 そこからあしがら農の会が生まれた。あしがら農の会の30年の経験がいまのぼたん農園の第三の冒険を始めることに繋がった。すべては人との出会いである。自分の生き方を探求するつもりで始めた自給生活だったが、結果としては多くの人の御陰で「地場・旬・自給」の活動になった。

 石垣島に来たときはあしがら農の会が未来に繋がるためには、私が距離を置いた方が良いという気持ちがあった。中小企業の社長が交代しないで失敗するようなものだ。未来に繋がるためには創業社長は迷惑な老害になってはいけない。

 石垣島では絵を描く生活に徹しようと考えた。3年間はそうしていた。ところが、干川さんと出会いその開墾生活に共鳴した。農の会を石垣でもやらないかということになった。相当のためらいがあったが、田んぼをやってみるかと言うことになってから、まだ一年も経たない。

 干川さんと出会い、シーラ原の二期作から始めたのが昨年の5月14日ことだから、まだ10ヶ月である。様々な出会いがあり、「のぼたん農園」にたどり着いた。35年前にやったように、お米を作ると言うことは田んぼを作ることからだという姿をもう一度やっている。

 のぼたん農園が実現できたことは、水牛を飼われている福仲先生との出会いが大きい。水牛での伝統農業の展開である。わかばとの出会いでもある。干川さんは石垣島で最後の水牛を使った伝統農業の体験をされた方であった。福仲さんの水牛を借りて荒起こしや代掻きを復活させようというのだ。

 福仲先生は農業高校で45年教えてきた方である。与那国島出身の方で、与那国の天水田のことを熟知されている。水牛や与那国馬を飼われていて、なんとしても残そうと考えられていた。その考えとのぼたん農園の方向が重なった。

 自然農法から、伝統農業である。石垣島の文化の根底にあるイネ作り文化をもう一度復活させたいと考えた。豊年祭のお米が大規模機械化農業では少し違うと思うのだ。やはり、伝統的な手植え、手刈りの稲が相応しいだろう。石垣島に残さなければならないイネ作りは、伝統的なものだ。

 先ずは溜め池を作った。天水田とほぼ同じような少量の水で、二反10枚の棚田をまかなわなければならない。溜め池は4つで作った。1番溜め池からは0番田んぼ、1番田んぼ、そして7番田んぼ、から果樹園へ。1番田んぼから2番田んぼ、3番田んぼと繋がる。

 4番田んぼには3番溜め池から水が加わる4番田んぼに入った水は5番田んぼ、6番のコロバシャ田んぼへと行く。そして5番から8番に入った水は9番、10番と流れて行く。水道から出てくる程度の水で、10枚の田んぼに水は回って行く。

 これは石垣島の土壌が特殊な土壌のために可能なのだ。天水田が出来る土壌なのだ。昨年シーラ原田んぼをやることでその土壌の性質を知った。だから、小峰先生が牧場をしていたとき、1年間ほぼ毎日通っていたので、ここで田んぼが出来るとは考えていた。

 田んぼには6枚イネが植えられている。熱心にコロガシや補植が続いている。風が強いので、イネは苦戦している面もある。風の当たらない0番はやはり一番順調である。今後は強い風対策を考えなければならない。扇芭蕉をもう少し植えること。

 畦の畑にはハイビスカスの防風林。ハイビスカスの苗木があれば購入したい。果樹苗も考えなければならない。ノニの取り木は50本やった。マンゴーやパパイア。島バナナに、パイナップル。10家族が好きなだけ食べれる果樹園である。

 畑には先ずは向日葵を植える。土壌に腐植を増やし、改善するところからだ。いまのままの土壌では乾けばまるで日干しレンガである。これでは作物は出来ない。チップも運んでもらえることになった。土壌を改善しなければ何も出来ないだろう。

 基本となる10枚の田んぼが出来上がった。わかばは子供を生んでくれた。ののぼたん農園の大冒険の中間報告は、順風満帆である。

 
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中国の貧困克服の二面性

2022-03-22 04:17:38 | Peace Cafe


 3月19日に行ったノニの取り木。50本ほど行った。ノニは薬用植物である。地主の国仲さんがノニによる農業振興を考えられていて、3年間果樹園のノニを提供するので、事業化を考えてくれと言うことになっている。先ずは黒糖でエキスを絞り出すジュースを作り自分の身体で試している。

 中国の農村には1992年に最初に行った。その後2007年と2012年にも行った。30年前に行ったときには、戦後の貧しい山梨の山村で育った私でさえ見たこともない、農村の貧困の状況だった。それから20年の間に明らかに見た目にも急激に農村の貧困は改善された。

 そして2021年には習近平氏は貧困は解消されたと宣言した。それは客観的事実である。絶対的「貧困」は解消された。この成果は評価すべき事だ。飢餓によって飢え死にするほどの貧困は中国ではほぼ無くなったと言って良い。それは相対的貧困率が先進国では一番深刻な日本でも、絶対的貧困は無い事と同じではあるのだが。

 所得格差は日本よりも極端な不思議な共産主義を一応は建前とする国なのだ。国家資本主義国中国には、貧困問題の混沌がある。富裕層に自由が無ければ、新産業の創出は無い。中国では新しい産業が次々に出現し、経済成長が続いている。そして、一方に相対的貧困層は固定化されている。 

 1978年の改革開放に端を発し た市場経済への移行と一連の経済自由化改革により、中国 は高度経済成長の道を歩み始めた。2010年に国内総生産 が日本を超え、世界第二位の経済規模を誇る国に なった 。その後も高い成長率を続けてきている。近年鈍化はしてきてはいるが、5%程度の成長はしている。日本はほとんど成長はない。

 中国で「改革開放」が打ち出された1978年の貧困基準は 100元以下であり、全国労働者平均年収の615元の1/6弱であっ た。その基準で計算された中国の貧困人口は2.5億人にも 上り、世界最多だけでなく、絶対数でも巨大な数字であっ た。 飢餓で死ぬ可能性がある人が、2.5億人もいたのだ。 

 1978年から2010年までの22年間で中国は 2.5億人の貧困人口の削減を実現し、国際貧困基準の1日・ 1.25ドルで計算した場合は6.6億人の削減になり、世界の貧 困削減事業にも大きく貢献した事は、中国の大きな成果である。飢餓的貧困を克服した唯一の国である事は評価できる。

 今後は相対的 な貧困問題を解決しなければならないという新たな段階にはいった。収入を貧困ライン以上にすることだけでは、社会安定問題の解決にはならず、社会保障制度の整備など、経済政策、社会政策、民族政 策等、総合的な改善が中国に とって今後必須である。 

 貧富 格差・所得格差が広がり,貧困問題をはじめ多くの弊害をもたらしているが,その格差がまだ縮 小の傾向に向かっていない。国家統計局のデータによれば2018 年現在,ジニ係数は0.468 の高いレベルとどまっている。日本は税金などによる所得再配分機能により0.3791 となる。

 中国で上位1%の富裕層が持つ富は全体の30.6%で、2000年から10ポイント上がった。上昇幅は日米欧のほかインド、ブラジル、ロシアなど他の新興国も上回った。高度経済成長を続ける中、富裕層はさらなる富を蓄積している。それは世界全体の傾向でもある。

 中国で絶対的貧困が克服されたことは確かなことである。飢餓で死亡してしまうような貧困が無くなったと言うことである。しかし、相対的貧困は解消されたわけでは無い。そこで昨年習近平氏によって提唱されていることが、共同富裕という政策になる。

 都市部の極端な富裕層の存在がある。農村部では相変わらず都市部とは比較にならない所得である。中国では戸籍制度により、農村から都市への移動が禁止されている。ここに来て労働人口減少が顕著になったこともあり、戸籍制度が廃止されてきている。

 常住人口が300万人未満の都市では戸籍取得制限の全面撤廃を確実に実施する。都市部の常住人口都市化率を2025年までに65.0%に引き上げると盛り込まれたことを受けたものだ 。中国は一人っ子政策により、極端な人口の偏りが起きている。

 労働人口の増加を行うために、むしろ人口増加政策に変わっている。しかし、人口が増えない状況は日本と変わらない。そのこともあり、農村人口を都市部に移動させる必要が生じている。農業中心の経済から工業中心の経済に変わっている。

 中国の貧困政策と言えば、農業改革であった。農業の基盤整備を行い、貧困を無くしてきた。しかし、農業中心の経済では、都市部の高度成長を続ける経済とは比較すれば劣るものである。成長を続けるためには、農村部からの労働力を都市部に移動させる必要が出てきているのだろう。

 都市部の豊かさは目を見張るものがある中国であるが、農村部を見れば都市部の豊かさとは見劣りする。しかもその格差は開きつつある。共同富裕政策が今後成功するかどうかが課題なのだろう。中国の貧困対策はあくまで農村改革であった。それは一定は達成されたわけだが、結局の所と支部との経済格差は開くことになった。

 中国による貧困対策は世界の貧困対策のモデルになるものである。アフリカや、アジアにある絶対的貧困の解決には中国の農業改革は、参考になるものである。中国のアフリカやアジアの貧困解決の支援は実際に農村で成功をしている。

 中国農村部での農業改革の経験が生きている。優良品種の導入。灌漑設備の導入。先端農業技術。等を直接出向いて指導している。中国での経験を生かした方法を、現地に則した農業を模索して、飢餓の克服に貢献している。日本では余り報道されないことだが、アフリカでのインフラ整備以上に効果を上げている。

 そのやり方は一つの貧困家族を飢餓から救うという所から始める。そして、その地域の人達がその家族の姿を見て、自然に村を挙げて中国の指導する農業改革に取り組むように促す。中国では個人所有の土地というものはない。だから、このムラはキノコ栽培で行くと上層部が決めれば、キノコ村になる。

 しかし、アフリカでの支援はそのような方法では進まない。どの地域の農業者も伝統的農業があり、簡単には変えない。実際の成果を見ない限り変える人はいない。日本でもサトウキビの展望が厳しいといっても、何十年もサトウキビ農家としてやってきた人が、農業形態を変えると言うことは極めて難しい。

 20年前に自然養鶏がこれからの中国で生かせる方法では無いかと考えたわけだが、中国実際にやってみて貰うことは難しかった。私自身が現地に暮らして実践してみない限り無理だと思えた。当時、現地でそれを実践していた有機農法による桃の栽培を指導していた、日本人農業技術者がいた。

 農業の指導と言うことは結局の所実践しなければ始まらない。研究者が口先でいくらこういう農業が可能だと主張してもほとんど無意味である。それならおまえがやればいいだろうと言うだけのことだ。農業に経営コンサルはいらない。
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嘉田良平四条畷学園大学教授の講演会

2022-03-21 04:01:13 | 楽観農園


 嘉田良平教授は地球総合環境研究所に所属、四条畷学園大学の教授。「環境保全型農業」を提唱された方である。持続可能な農業を研究されてきた。石垣島では環境に大きく影響する、大型観光施設の開発がいくつも提案されている。ゴルフ人口は10年で30%の減少である。消えて行くものと考えた方が良いくらいのものだ。

 観光で成り立つ経済の島である以上、どのような環境に調和した観光開発が、石垣島に必要に成るかを視察ということで来島されたのではないかと思う。特に農振農地を観光施設に転用する事が許されるのかどうか。そもそも補助金を使い農地に整備した場所を、ゴルフリゾートにすることに問題が無いか。環境農業の専門家として興味を持たれているようだ。

 この折角の来島の機会にお話を伺おうと言うことで、名蔵アンパルの会が講演会を企画した。6時からの講演会だったのだが、のぼたん農園の作業終わりを気付いたのが、崎枝では6時になると夕方の家に帰りましょうの放送が流れてである。6時であわてて大浜記念館に急いだ。

 ところが、途中名蔵の集落まで来ると、とつぜん道路に手を上げる人がいたので、車を止めた。「水彩画を描いているのだが」と言う突然の話だった。急いでいるときに限ってこういうことが起こるものだ。仕方がないことなので、さらなる後れを覚悟した。

 アトリエカーを新聞で見たというのだ。有り難いことなのだが、いま急いでいるとも言えず、あせりが顔に出ないようにしばらく話を聞いた。いっしょに描いてくれないかという希望だったのだが、ちょっとそれは無理なのでお断りするほか無かった。

 絵はどこで見れるかというので、4月号から「月間やいま」に載せて貰うからと話した。近いうちにアトリエ展を考えているという話をした。本当にアトリエ展はやる必要がある。人口5万人の島ではだいたいの人は知り合いになるのだろう。しかし、その呼び止められた方も様子から、やはり移住者のようにお見受けした。

 遅れて、嘉田教授の大浜記念館の講演会場に着いた。今度は駐車場が満員で他の駐車場に回るほか無い。やっとの事で会場に着いた。お話は一般の人向けの、日本の農業の課題と環境への影響の解説と言うことだった。

 食糧自給率37%の問題点。食の安全が脅かされている海外の食品に対する情報不足。里山経済学と中山間地の保全の意味。そういう農業に関わってきた私としては当事者なのでもう少し突っ込んで解説して欲しいところが満載だった。

 お話はよく納得できる日本の農業の危機ということであった。一番お聞きしたかった環境と農業の関係については、詳しい話まではなかった。この危機的な農業の状況をどうすれば抜け出せるのかという論点が今ひとつ曖昧な気がした。そこまで話す時間も無かったのかも知れない。

 それで農業には環境破壊型もあれば、環境保全型もあるのではないか。特に水田農業の重要性を少し聞かせていただきたいと質問した。沖縄で起きた、水田を潰してサトウキビにしてしまった背景が知りたかった訳だ。

 石垣島では、いよいよここに来てサトウキビが限界に達した。日本は国際競争力のある農産物を提唱して、37%の自給率になってしまった。サトウキビはまさに国際競争力の無い作物である。補助金を付けてサトウキビへの転作を促したのは政府の方針だった。サトウキビこそ環境には余り良くない農業である。

 石垣島製糖工場は50年前の施設である。立て替えが問題になっている。石垣島ではサトウキビについては、悩ましすぎる問題で、一種のタブー化しているのだ。この工場は古すぎて環境対策も不完全である。排水の汚染があると言われている。本来であれば、操業を止めるべき状況という人もいる。

 それなら建て替えるべきなのだろうが、黒砂糖は斜陽産業である。沖縄島嶼部のサトウキビは売れないで在庫が山住になっていると新聞には書かれている。サトウキビの補助金も年々減少が続いている。このさきの展望はたぶん当事者自身にとっても、見通しが立てにくいくらいなのだろう。

 ではサトウキビを止めて、次なる作物があるかである。もっとマンゴーで頑張った方が良いと、会場から意見が出ていた。そもそも、政府が1960年代に行った減反政策で田んぼからサトウキビへの転作奨励に問題があったのだ。

 かつて田んぼだった場所は田んぼに戻すべきだ。田んぼほど環境に調和する農業は無い。田んぼが増えれば石垣島の水資源は豊になる。問題は田んぼを産業として成立させる経済性が無いところだ。サトウキビと水田農業は同じくらい厳しい。

 しかし、稲作農業は主食の産業である。主食を自給する人を育てるべきだ。もし、準備がされていれば、田んぼをやってみたいという市民はそれなりにいる。人口の3%は必ずいる。石垣島には必ず1500人はいる。どんなものでも3%の人は興味を持つ理論がある。

 実際に水田を始めて見て感じているのは興味を持つ人が、小田原よりも多いと言うことだ。特に若い移住者の方の中に、農業への関心が大きい。主食を自給するような生活を求めて、石垣島に来た人も少なくない。稲作が誰でもやれるものだと言うことを分かって貰うことだ。

 1500人いれば、一人0.2平方キロだとすれば、150ヘクタールは耕作できる。つまり石垣島で現在行われている水田の半分は市民が自給のために使えると言うことになる。半分は企業的経営の大規模農業法人が継続すると見れば言い。

 水田が維持されることが観光に繋がると考える必要がある。東アジアの伝統的水田農業である。水牛を使い農業が行われる。環境に調和した農業の提案。湿地として考えられる農業。自給のための農業であれば、農薬は使わない。化学肥料は使わない。

 自給のためのイネ作りは、誰にでも出来る簡単なものだ。道具など簡単なもので、機械などまったく使わないで出来る。一日一時間の労働で可能だ。のぼたん農園でその実践を見て貰える。のぼたん農園はその体験農場である。世界から、自給体験のためにのぼたん農園に来るようになる。ゴルフよりも未来の観光産業だと思う。

 嘉田教授にもそのことは理解していただけただろうと感じた。イネ作りは環境保全型農業では無く、型を取った環境農業といって良い。その地域の環境の多様性を作り出す農業が稲作農業なのだ。その環境農業を担う人は市民である。
 
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第100回 水彩画 日曜展示

2022-03-20 04:30:30 | 水彩画
第100回 水彩画 日曜展示





667「のぼたん農園」
2022.2







668「のぼたん農園」
2022.2








669「のぼたん農園」
2022.2







670「のぼたん農園」
2022.2







671「天草」
2022.2






672「崎枝の眺め」
2022.2






673「夜明け」
サムホール、ファブリアーノモルドメード
2022.3







674「海」
サムホール ファブリアーノモルドメード
2022.3








675「のぼたん農園」
2022.3







676「のぼたん農園」
2022.3


 今回の作品は6号前後である。紙はファブリアーノロール紙が多い。このところロール紙を切った紙で描いている。紙に影響されて少し塗り方が変わっているかも知れない。中判全紙とは少し描き方が変化しているかも知れない。

 小さいものをのぼたん農園の作業の休憩の時に描く。のぼたん農園の作業がおもしろすぎて、なかなか絵の方には入れない。描き出せば何も変わらないのだが、少し気楽に描いているのかも知れない。まったく描かないと言うことは無いようにしている。

 朝の動禅と同じで、ともかくできる限り続けることにしている。続けることで新しいものがでてくるかも知れない。それは分からないことだが、自分が変われば絵も変わるはずだ。すこしづつである。


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アメリカで大量離職が続いるらしい。

2022-03-19 05:17:24 | 暮らし

   
  果樹園の上に出来た7番田んぼ。この田んぼから流れ出る水を果樹の水遣りに使うつもりだ。田んぼの幅より果樹園の方が少し広い。それでも33mのところに水を溜めるバスタブを入れたので、果樹園の水遣りはかなり楽になる。

 田んぼは8番は完成しているので、餅米の直播きをやった。どうなるのか少し不安だ。種を蒔いた後強めの雨が降ったら、かなりの籾が見えなくなってい待った。土が違うと直播きも随分違うことになる。

 9番田んぼもほぼ昨日遅くに形は出来上がった。今日トラックターで耕耘するつもりだ。2度は耕して石拾いである。これが結構大変である。日曜日にはやらなければならない。そうすれば水を入れることが出来る。そして、いよいよ最後の10番だけが残る。

 10番田んぼはかなりの傾斜地に作ることになる。位置は決めたのだが、まだ水糸は張ってない。水糸を張るにも無理なぐらい傾斜がきつかったから、おおよその均平をまずとった。出来れば今日水糸張りもしたい。そうすれば工事が開始できる。

 その前に今日はノニの取り木である。ノニは挿し木でも活着するらしいが、確実に行うために、取り木をさせて貰うことになった。皮を剥ぎ取り、根が出るように、水苔を巻き付けておく。30本ぐらいはしたいと思っているが、可能だろうか。木が弱ると行けないから、1本には一つが良いと考えている。

 話は一転する。アメリカではこの一年の傾向として、退職希望の若者の3人に2人はいるそうだ。コロナの蔓延の中、働くという意味の問い直しが起き始めている。アメリカが風邪を引いたわけだから、日本はもう少し深刻な病になるのだろう。

 退職してしまう人が増加して、労働人口が急激に減り始めている。人手不足はどの職種にも広がり、給与の上昇は大きい。先日、港湾労働者が不足して物流に停滞が起きた。そうしたら、なんとマクロなるどのポテトチップが販売休止になったと言われていた。

 アメリカでは給与を倍にして人を集めても、どの業界でも人集めが難しいことに困難になっている。どうもそれぞれの人生にとって、労働を資本に売り渡すという意味が、疑問になってきているのでは無いだろうか。新しい生き方が模索されているとすれば、それは望ましい傾向になる。

 資本主義の未来が楽観できなくなってきたことがその根底の要因だろう。このまま行けば世界はおかしくなると言うことが、若者の間に感じられ始めているのだろう。アメリカのような豊かな社会では、純粋に働くことの意味が問われ始めたと言えるのだろう。
 
 何しろあり得ないと思われた、核大国が強大国に全面戦争を仕掛けたのだ。代理戦争は絶え間なくあったが、ロシア派確かに隣国に何度も攻撃を仕掛けた。しかし、今回の攻撃は話し合いが可能なレベルのことであった。そもそも強大国の同胞を、その一般市民を攻撃の対象にする等狂気の沙汰である。

 こうした狂気が生まれる要因が世界には高まってきた。コロナで2年以上も悩まされたと言うこともある。コロナによる経済の低迷もある。そして異常気象が続き、世界の食料生産も危ういところが見えている。この先の世界に暗雲が立ちこめている。

 これからの自分の人生をどのように生きようかと迷う人も出てきて当たり前の事だ。そして、誰かに雇われて、指図を受けているのはつまらないのではないかと感じ始めたのかも知れない。人間至る所に青山ありでは無いか。何かをやってみよう。

 という気分になって不思議は無い。若者は荒野を目指す。荒野とまでは行かないでも、自営業が良い。自分が経営者になるのが良い。その冒険の準備を充分にして、出発する。その日和見の期間ならば、冒険に役立つ技術を身につける仕事が良い。

 私も人に雇われていたことはある。金沢にいた頃は、北国工藝社といった気がするが、いわゆる看板やさんである。忙しいときとか、夜中のデパートの展示替えとか。友人が紹介してくれて行かせて貰った。お城の発掘調査員もやった。東京の家に帰れば、スポーツ店でフル稼働で働いていた。その3ヶ月で1年分の生活費を稼いだ。

 その後三菱エレベーターの下請けの、そのまた下請けで働いた。渋谷に会った職安で一番給与の良い仕事を紹介して貰った。危険な仕事だから給与が良いと言うことだった。この仕事はフランスに行く資金を貯めるためだった。その後は世田谷学園の美術講師。

 務める仕事はそこまででだった。務めると言っても非常勤ばかりで、絵を売ると言うことが中心だったこともある。やった中では一番嫌な仕事だったかも知れない。失敗して良かった仕事だ。失敗したから偉そう書いているわけでは無い。色々のものを売ってきたかが、絵を売るという気分はまったく湯鬱だ。

 絵を欲しいという人にあげるのは良いのだが、絵を売るのは何とも気分が悪い。何か魂を売り渡しているような気になるのだ。自分の中に売りたいという気分が充満しているのが、辛いのだ。何をお金にしようとしているのかと思うと辛くて成らなかった。それで個展を止めたのだ。

 なんだかんだとあれこれの自営業で生きてきた。農家が一番長かったことになる。養鶏業は充実していたと思う。そうして、楽しく生きてくることは出来た。玄米卵を食べて貰うことは誇りだった。日本で一番良い卵だという自分が持てた。

 いまでも2ヶ月間生きている卵を売っているところは無いだろう。そういう卵を作り、販売できたことはいわゆる仕事が生きがいになる。自営業は良い。何時間働いても良いのだ。自分の限界まで働けたことは他に代えがたい喜びである。勤務するのではそういうことは無いだろう。

 いまものぼたん農園で気持ちよく、楽しく働いている。それは監視もいない。自分の生き方に沿って、自分のやりたいことで働いているからだ。田んぼのイネも活着している。のぼたん農園の土壌が、イネに悪くはないらしい。イネを見ているだけでも、元気が出てくる。
 
 田んぼほどおもしろいものはない。しかも、何も無いところに溜め池を作り、田んぼを作る。まだ始まって3ヶ月であるが、10枚2反少しの棚田が出来つつある。といってもこの農場は5年で完成予定である。その後、5年続けられれば冒険は達成されたことになる。

 こうして楽しく働いていれば、あと5年は大丈夫だろう。水先案内人が倒れるわけにはいかない。5年すれば相当よぼよぼだろうが、あと5年みんなの邪魔にならないように働きたい。

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急激な円安が進んでいる。

2022-03-18 04:34:54 | 暮らし


 過去最大のジャンボタニシを発見。のぼたん農園に生息していた。50年以上田んぼでは無かったところにいたのだ。鳥が運んだのだろうか。
 ロシアのウクライナ侵攻で円安が加速している。17日には対ドルで一時1ドル119円台を付けた。1週間あまりで4円ほど下落し、主要通貨のなかで下落幅が一番大きい。日本は資源高が進む状況では経常赤字になりやすくなった。

 円安が日本の経常赤字を拡大させる。財政赤字の莫大な日本にとっていよいよ苦境が迫ってきた。それでも株価はそれほどの値下がりに無い。国も、個人もお金を株式投資以外の投資先を見付けられない。お金があれば、自分に投資する。

 絵の具が日に日に高くなっている状況である。しばらくは購入を控えるほか無い。といってもさらなる円安に進みそうである。いよいよ日本の絵の具を使うことになるのか。特定の色以外ならば慣れれば何とかなるのかも知れない。

 円安の原因は日本が輸出産業の国では無くなった事による。販売力が低下していて、資源輸入国であれば、ロシアの軍事侵攻で、経済封鎖が行われて世界経済はコロナ以上の衰退が起こる。こう言うときに一番打撃を受けやすい日本は当然円安が進む。
 
 以前の日本であれば、世界で問題が起きる緊急時には円高に振れた。比較して純資産の大きかった日本は、緊急時の円高と言われたのだ。ところが今回は一気に円安が進んでいる。それに対して日本政府は何の手も打たない。日銀も対応をしない。出来ないと言う方が正しいのかも知れない。

 円安が日本の大企業を有利にするという側面だけを見てきたからだ。その結果食料輸入に頼り、エネルギー輸入に頼る日本。国民の消費生活は円安の影響をもろに受けている。円安に振れれば、安いと言われる給与が海外に競べてさらに下がるという結果になる。

 このまま行けば景気の減速と物価の上昇が同時に進むスタグフレーションのリスクが高まっている 。安い給与の労働者だけが日本の評価になる日が来るのだろうか。中国の企業が日本に工場を作る時代が来るのだろうか。

 すくなくとも外国人労働者は日本には働きに来なくなるだろう。日本人が海外に出稼ぎ労働に行くのだろうか。また海外移民の時代が来るのだろうか。大変な経済不況の入口にいるのかもしれない。いまできる限りの対応をしておくことだ。

 いまの日本の若い労働者には肉体労働者としての力量が無い。肉体労働を出来ない人が増加しているのだ。72歳の私が、20代の若者と働いて、私より働ける人は少ないと感じている。私ではとうてい海外で肉体労働は出来ないだろう。日本の大半の若者が、海外で肉体労働に耐えうるとは思えない。

 こうした「安い日本」が現実である事をまだ日本人は自覚できていない。これが一番の危うさだ。高い技術力の国日本。新しい技術や製品を開発できる日本。こうした時代は過ぎ去った。この自覚から再出発するほか無い。いまの悪い状況を悪いと認識すら出来ないのでは、新しく訪れる危機の時代への対応策は打てない。

 一番の原因はあの長いアベノミクスの最悪の時代の結果だ。一番重要な第3の矢が失速したのだ。にもかかわらず、アベノミクスは成功したという政府の認識がつづいて、選挙民はいまだ自民党を支持している。これではますます日本が苦しくなる。悪いという状況をまず理解したい。

 放たれなかった第3の矢とは新産業の創出である。新産業とは新エネルギー開発だと私には思われた。20年前には日本が先行していたこうした分野が、その後衰退の一路を歩んだ。何故だろう。アベ氏がだめだっただけでは無い。アベ氏を支持した日本人が悪かったに違いないのだが。

 アベ氏に依存し、アベノミクスは買いだ。と思い込んだ間違い。アベノミクスは売りだったのだ。だから、いま円安となっている。半導体が世界で不足している。その昔半導体をリードしていたのは日本だった。何故半導体産業から日本は脱落したのか。

 1980年頃は日本が世界の半導体市場を席捲していた。日本高度経済成長を支えた産業の一つが「半導体産業」であった。1988年度の日本の半導体の世界シェアーはなんと50.3%で,アメリカが36.8%,アジアが3.3%であった。 いまでは想像すら出来ない。

 地獄のアベ政権は,グローバル化・新自由主義に洗脳されて「自国の産業,自国の商品にはこだわらず,モノは世界で一番安ものをどこからか調達し,消費すればよい」と考えていたのだ。主食作物など作らないで良いというのがスガ政権であった。

 日本的な強い商品を捨てて,世界市場で価格の切り下げ競争に翻弄された。拝金主義の蔓延。培った技術力を捨て,新産業の創出能力を衰退させてしまった。海外に工場を移し、生産活動を海外に移したことにより国内の職場が無くなり,GDPは減っていった。 

 1985年ころの日本のGDPは世界の16%以上を占めていたが,今や6%以下になっている。それはアジアの各国の成長と言うことでもある。日本はアジアの中堅国になった。その自覚の上に立ち、日本の経済政策を根本から見直さなければならない。

 いつ株価が下がり始めるのか不安で成らない。海外資本が日本から離れ始めれば、いくら政府が買い続けたとしても、株価維持は出来ない。そんな日が近づいている気がするのだが大丈夫だろうか。いまできることは食料生産を自らが始めることだ。

 様々な輸入品は高騰していく。生活費が一気に上がるだろう。こうなれば本気で自給生活を考えるほか無い。先ずは田んぼをやるのが一番である。田んぼをやっていれば食料に関しては切り抜けるはずだ。食べ物が確保されていれば、何とかこの危機を乗り越えられるはずだ。

 こう言うときがいつかは来ると思っていた。その日のために、自給技術をみがいてきた。「小さな田んぼのイネ作り」は初めての人でも、田んぼができるように書いた本だ。この本読んで始めて貰いたい。分からなければmailで問い合わせて貰えば、分かる限りお答えする。

 厳しい時代を乗り越えるためには、仲間を作ることだ。良い仲間がいれば、何とかなる。自給生活は一人でやれば1日2時間働かなければ不可能だ。仲間とやれば、半分の1時間になる。そうして次の時代に繋いで行くほか無い。
 


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韓国との友好関係の構築

2022-03-17 04:23:36 | Peace Cafe


 小田原の反原発で作った太陽光発電設備。10年目と言うことになる。10年で設置費用は回収したことになる。この後、設備が壊れなければ利益が出ることになる。その利益の2年分ぐらいがこの発電設備の処理費用となる。日常の管理費用もそれなりに必要にはなっている。

 韓国では革新系の文政権から、保守系野党の尹錫悦 新大統領に代わった。この機会に日韓の友好関係の再構築を計って貰いたい。この機を逃せば、また冷え切った悪い関係が続くことになる。互いに感情的なこじれまで進んでいる。

 これまでの文政権は日本に対して耳を傾けることが無かった。日本にとっては残念な政権だった。北朝鮮対応も成果が無いままに、今に至ってしまった。日本に問題もあるわけだが。今回の選挙を見ても、日本と付き合わないとする事が選挙には有利なことは見て取れる。

 アメリカのトランプ大統領もそうであったが、民主主義の選挙制度はなかなかやっかいなものだ。人気煽り政策が票に繋がる。不人気には成るかも知れないが、本当は国のためになるというような政策を主張しにくいのが、民主主義の選挙。

  国会になだれ込め等と暴動を誘導したアメリカの大統領が、次の大統領選挙を目指しているなどと言うことが信じがたい。そしてロシアではプーチンのように狂信的な軍国主義者が、圧倒的な支持率を背景に長期政権を続けている。

 ロシアでは戦争を始めたプーチンが世論調査では支持率がさらに上昇したという。ロシア国民がそこまでおろかなのかとも思うが、そうではなく人間というものは、そんな愚かな反応をしてしまうものと考えるほか無い。

 選挙制度は問題があるとしても、やはりこの制度以外にない。国民が正しい選択を出来るように、成長しない限り、どこの国にも危険は起こりうるのだ。日本の場合、今の選挙制度は野党が成長できないという、良くない結果を生んでいる。

 韓国大統領選挙はほぼ半々で国民の意思は二分したという結果だ。当然なことだが、いくらか少なかった候補者が即座に敗北を認めたことは良かった。トランプとはその点違う。韓国が健全な議会制民主主義国家だと言うことが想像できる。

 韓国も日本も、これからの問題は中国との関係である。韓国は日本よりも中国との関係が深いものになっている。中国との経済関係が極端に大きい。生産拠点を中国に置くことも、韓国政府の奨励している方針である。一方でTHAAD配備のアメリカからの支援も行うという、結構難しい綱渡り外交である。

 その背景には分断国家であり、北朝鮮が核開発を続ける、独裁政権である。そして両国は休戦はしてはいるが、戦闘状態が未だに続いている。ウクライナと似たような事情が存在する。中国、ロシアと対峙せざる得ない。韓国は日本批判をすることで、求心力が生まれる政治体制である。背景に戦争態勢の国家という事情もある。

 日本でも領土問題とか、憲法問題とかを持ち出して、選挙に勝とうとする勢力が目立って来ている。石垣島でも自衛隊誘致の現職が4選されている。仮想敵国中国を持ち出して選挙に有利に動こうとするようなろくでもない候補者はどこにでもいる。

 韓国のことで言えば中国による、文化の細部までの影響の強さは、私には今後深刻なことになる気がしている。経済や軍備のこと以上に文化的な影響というものは、深刻になりがちである。日本批判をいまはしているが、歴史的に見れば中国支配の屈辱が朝鮮という国を成長させたという側面がある。

 今後中国批判が、求心力を産むような政治が登場する可能性がある。韓国は経済での中国依存が大きい。中国からの原材料なしには韓国の産業は成立しがたいところまで来ている。韓国が輸入する品目のうち1850種類で、中国企業のシェアが80%を上回っている。 

 韓国の米国からのTHAAD配備問題 で、中国は韓国に対して経済制裁を始めた。韓国を衛星国としてコントロールしようとしている。韓国の全輸出に占める対中輸出の割合は25.8%で、米国(14.5%)、日本(4.9%)を合わせた金額を上回る。 

 韓国人は批判精神が極めて旺盛という特徴がある。中国への批判も目立つようになってきている。この点でも文政権の交代は転機になるのかも知れない。加えて、日本にある問題と同様の問題が、関係が深いだけにより深刻な形で中国との間に起こりうる状況にある。

 韓国では近隣諸国との関係や、経済政策は大きな困難が待っていると思う。もちろん日本も同様であるが、深刻度が一気に来る。中国が揺らぎ始めている状況では、深刻なところがあるだろう。中国としては、韓国を引き寄せることで、対中国の周辺諸国の連携を分断しようとしている。中国は巧みな外交を行う。

 日本は韓国に対して、日本から進んで友好関係を作る必要がある。韓国には植民地化した歴史に対する深い反省が無いという認識だ。韓国における、日本嫌悪の原因である。従軍慰安婦問題がその象徴であるが、もっと根は深い怨念が横たわる。

 植民地化されたという屈辱感が根本にあり、消えることは無いだろう。フランスに植民地化されたベトナムという状態よりも、同じアジアの遅れた国に支配されたという屈辱があるのだろう。優れた日本が近代国家にしてあげたというような態度が腹立たしいのだろう。

 日本の中には確かに、植民地化などしたことが無いと主張する、反歴史主義者まで存在する。あるいは日本が行った恩恵ばかりを主張する人もすくなくない。日本が行った植民地政策を、どのような言い訳も主張すべきで無い。心より反省して謝罪するところからしか友好関係は生まれない。

 近隣諸国と仲良くして悪い事など何も無い。先ずは竹島問題である。日本が謝罪の意味も込めて領有権を放棄すれば良い。選挙を意識する政治家の発想にはそういうことは無いだろう。国民の中からそうした意見が湧いて来ない限りだめだろう。日本の安全保障を考えれば、あり得る考えでは無いだろうか。

 領土を欲張るなど、無意味なことだ。大切なことはそこに暮らす人達の思いだ。台湾であれば、台湾の人達の大多数が中国になりたいというのであれば、そう成るほか無い。台湾の国民が何を選択するかがすべてのことだ。国の未来のことだから、よほど慎重な住民投票が必要なことになるだろう。

 
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