地場・旬・自給

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のぼたん農園1月30日の様子

2024-01-31 04:09:39 | 楽観農園

 1週間ぶりのワカバはどこか歓迎の態度で、寄ってきて膝を嘗めていた。それでも歓迎で頭を振るので、気を付けなければならない。目一杯の旅行だったのだが、水牛と遊んでいたら、疲れはいつの間にか消えていた。水牛はアニマルセラピーの動物だ。


 サクラとのぼたんが最初に慌てて寄ってきた。ああどうしてたのと言う感じだった。一週間居なかったことが水牛にはよく分かって居る。寄ってはきたが、ワカバが後から来ると、すぐ離れた。ワカバがどこか怖いのだろう。怖いと行っても何かするわけでもないのだが。これが水牛の序列なのだろう。


 1番溜め池の睡蓮が5つも咲いていた。睡蓮は一年中咲いてはいるが、今頃が一番元気になる時期のかも知れない。水牛が溜め池に入って一度は睡蓮は見えなくなったのだが、また広がってきた。睡蓮は驚くほど丈夫なものだ。


 7番田んぼ、田植えから2週間である。コロガシをやって水が濁っている。転がすと4日間ぐらいは水が濁っている。細かな土なのだ。活着したような感じだ。石垣島は田植え後の強い風が稲の活着を疎外する。風で白化して枯れてしまうこともあった。

 それで田植えをしたら防風ネットを張らなければならない。これである程度は防げるようには成ったが、20mを超えるような風が吹き続けるのだから、活着するまで時間がかかるのは仕方がない。

 
 6番田んぼも田植え後2週間。コロガシをして、根付いたようだ。ここは風をよけるコンテナと崖があるので、7番田んぼよりは風に痛められることがない。コロガシをすると葉の緑が一晩で緑を増す。やはり、土が攪拌されることは稲にとって息をつけるという感じのようだ。


 下の方の田んぼにあるタイモ。それ程成長はしないのだが、水がなくても枯れるようでもない。もう少し暖かくなれば、一気に大きくなってくれると思うのだが。タイミングを見て、上の溜め池にあるタイモも、ここに移動しようと思っている。


 5番田んぼは相変わらず一面にあかうきくさが繁茂している。他のたんぼでもすこしづつあかうきくさが増えてきてはいる。この調子であれば、肥料はいらない田んぼになるだろう。あかうきくさの安定した栽培法をなんとかみつけてゆきたい。


 4番田んぼが一番生育が良い。田植え3週間である。同じ苗代の苗を、1週間早く苗取りをして、1月6日に田植えをした。6葉期ぐらいだろうか。分ゲツも始まっている。苗が根付いてくれるともう安心だ。この田んぼは十分に肥料があるので、この後の生育が楽しみである。

  小さな水生生物が沢山出てきた。これは期待できる兆候。石垣で初めてこれだけの小さな虫が現われた。やっと田んぼらしい土壌になってきたようだ。ここまで来ると、後は微生物に任せて、良い土壌を作れるのではないだろか。


 3番田んぼの畑。手前がジャガイモが収穫できそうだ。枯れたところから掘ってみようかと思う。どれだけ大きくなっているか楽しみである。多分それ程は大きくはなさそうだ。芽かきはしなかった。小さいいもをそのまま食べるのも好きなのだ。

 まず一回目の試験栽培で、フゲンマルが良さそうだと言うことが分かった。ただ好きな種類は男爵なので、遅れて芽を出した男爵がどんな結果になるかが一番気になっている。

 奥の方でトマトの苗が活着し成長を始めた。蒔いた種がすべて根付いて、生育している。ここまでは悪くない。大きくなり風にやられるだろうから。風よけをもう少ししっかりする必要があるかも知れない。

 玉ねぎは元気に育っている。植えた苗がすべて生育している。これから球がどれだけ大きくなってくれるだろう。普通に玉ねぎが出来れば素晴らしいと思うのだが、今のところ良さそうだ。草取りを今日行ったら草取りをしなければ。

 ニンニクも順調な生育。案外向いているかも知れない。とおもろこしも30㎝ぐらいになった。これは少し肥料不足で、出来るかどうか今のところ、疑問。一度頭を水牛に食べられた後遺症がまだある。ジャガイモが掘り終われば、里芋を植えてみたい。種芋を小田原の渡部さんから貰った。



 3番田んぼの苗も元気になった。田植え後3週間である。田植えをしてしばらく停滞した。堆肥を入れて、コロガシをした。5葉期ぐらいか。ゆっくり成長で悪くない。何とか葉を15枚出すのが今年の目標である。12月播種、正月田植えの栽培ならば、気温的に良いのではないかと思っている。

 小田原の5月育苗と同じになる。昨年までは成長は良いのだが、慌てて徒長気味に成長して、慌てて穂を出してしまうと言う感じだった。気温が原因で葉が15枚揃わないのであれば、12月播種が良いと言うことになる。しかし、まだ原因は他にあるような気もしている。



 1番田んぼのひこばえの出は悪くない。品種は台光。昨日も食べてみたが、案外美味しいお米である。5%位の株がひこばえを出していない。何か理由はあるのだろうと思うが、今のところよく分からない。ひこばえの出方は悪くはない。

 後2週間ぐらいしたら、一度刈払機で低くそろえようかと思っている。そうすれば、出穂がある程度揃うはずだ。このままではばらつきが大きすぎると思われる。



 1番田んぼの様子。田植え2週間。ここも根付いたようだ。これから成長することだろう。水は十分にあるし、流れ水の田んぼなので、一番期待できる田んぼである。見たところ肥料不足の感じがする。しかし苗床があったのだから、これから良くなるだろう。


 麦畑は穂が出そろったようだ。播種してから、鳩が来ていたので大分種が食べられたかと思う。それでも一応は出た株は生育はしてくれている。先日大磯の青沼さんを尋ねて、麦のことを聞かせて貰った。幸せさまさまの製粉機の購入の件だ。青沼さんは随分麦のことを勉強されて詳しかった。

 国光社の石臼製粉機が良いだろうと言われていた。小麦については農林61号が沖縄でも出来るのでは無いかと言われていた。品種特性として、南方系の親が入っているとのこと。ただし、あまり柔らかいパンは出来ないとのこと。パン小麦を石垣で作ることはともかく難しい。
 

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稲の多年草栽培は農業なのか

2024-01-30 04:13:31 | 楽観農園


『稲の多年草化栽培』 ~ 小規模自給農への新たな道 著者: 小川誠 
目次を掲載させてもらう。目次を見ると読まないが、意味が半分は分かる。

目次 第1章 なぜ耕すのか、なぜ耕さないのか   
第2章 不耕起・冬期湛水の米作り  
第3章 稲の多年草化栽培への道筋  
第4章 稲の多年草化栽培  
第5章 なぜ稲は多年草化したのか  
第6章「稲の多年草化栽培」の具体的な栽培方法 
第7章 和み農  
第8章 今後の課題と展開  

 最近、稲の多年草栽培に多くの人に興味を持たれている。稲の一部が再生してくると言うことは、相模原でも無いとは言えない。しかし、全部が冬を越すはずがない。一部だけ再生したイネを、分けて、再生しなかった場所に田植えをして行くという事になるのだろう。

 農業にはならない気がする。最後に書かれている。「農家が認めるか。」とあるが、自給農を35年開墾から始めて行ってきた体験者として、農地をその様に使っていいものとは思えない。自給の為に農地を利用させていただくものは、農地に敬意を払い、甘い気持ちで使ってはいけない。

 自給農の節度は、自分が作った作物だけで命を繋ぐ覚悟である。一般的に反収は2俵ぐらいと少ないと聞いた。しかも、再生することもあれば、しないこともある。穂刈りで実った部分を収穫をする。バラバラに実るので、出来た穂をから順次刈り取る。どう考えても手間ばかりかかり、生産性が低すぎる。

 この農法で始めたものは、収穫がないときは購入すればいいという考えなのだろうか。足りなければ買えばいいという自給農は遊びになりがちだ。本気で農業を行う事で、初めて得られる哲学が自給農の世界観だ。

 問題は、この再生稲栽培を農業の一種だとして、間違った情報に基づき、農業を始める人が居る。一度稲を植えれば、後はほったらかしで、毎年イネが再生して芽を出すかのように受け止めている人がかなりいる。そうした認識で新規就農をしてしまう人さえいる。これは繰り返しある、自然の農の主張の仕方の間違えである。自らの限界をまず示す必要がある。

 農地は人類共有の大切な物だ。全力で生産性を高めることが、農地に対して真摯に向かい合うと言うことだと考えている。妙な観念で、再生してきたイネには不思議な力があり、そのお米を食べると体の治癒能力が高まる。などとなると、これはもうエセ宗教というか、似非科学という事になる。

 農地が放棄される時代にあっても、農地に対して遊び半分でたいする姿勢はあってはならない。収穫という結果の伴わないものを農業とは言えない。いくら何でも反収2,3俵で農法を名乗るのは間違っている。これを素晴らしいもの持ち上げる、農業ファーンの存在も危険な要素である。

 そのそも、叢生栽培も、不耕起栽培も、だめだとは言わないが、一般の農業の半分位収穫が安定してあるのでなければ、農業とは言えないし、農法とも言えないものだ。収穫が少なすぎるものは、農業として継続が出来ない。そういう自然農法を自称する人を沢山見てきた。

 おかしな意味で農業系の教祖的になり、そのお布施の類いで生活するような人間を、認める気には到底ならない。目次には何となくその怪しさが漂う。またそうしたエセ農業を支持する信者達も不安な世界の中で増えている。健全な農業を育てる科学的な精神がない。この点あえて厳しく書いておきたい。

 多くのそういうエセ農業の信奉者が、就農し、忽ちに放棄した事例を山ほど見てきた。信奉者を生み出した、エセ農業教祖を許せない気持ちで見てきた。折角農業が好きになり、始めて見たのことは素晴らしい。所がおかしな農法に洗脳されていたが為に、挫折して行く。

 農業技術は、安定した再現性がなければならない。最小限の労働で、最大限の収穫を上げることが目標である。この最小限の労働を、自然農法は、耕さないし、草も取らない。何もしないで収穫があると、思い込んでしまう。それなら私でもできるという事で始める。これは間違えである。

 草も取らないで良い。土壌を耕さないで良い。森の姿を見てみろ。あの何もしない調和が一番なのだ。大抵はこういうことを言う。森は何万年かけてその豊かな土壌を作り出しているのだ。農業を森に例えるのは、夢があっていいが、科学的な目を曇らせている。

 自然農法は手がかからないと言うことは、間違った理解だ。草を取り、耕した方がはるかに省力的なのだ。だから農家は機械を使い除草剤を使う。草を取らないで、コントロールしながら、その草の中で作物を作るためには、作物に有効な草を生やさなければならない。実に困難なことになる。

 耕さないで作物を植えれば、硬い土壌に根が入り込み、強い作物が出来る。不耕起農法ではこう考える。しかし、やってみれば分かるが、硬い土壌にも様々ある。石垣のように石混じりの土壌であれば、石は取らないのだろうか。石に根が当たれば強い植物になるというのだろうか。

 無肥料というものもある。無肥料でも出来る作物や土壌はある。しかし、科学的に考えれば、肥料分の足りない土壌では、一般的に作物が十分に育たないのは当たり前である。どうやって無肥料で、不耕起で、叢生栽培で、豊かな土壌を作り出すかが、重要な課題になる。間違いなく時間がかかる。

 最低でも5年は見なければならない。その間新規就農したとすれば、大半の人が挫折していることが想像できる。問題は、叢生栽培で、不耕起で、無肥料で、豊かな農地が出来るまでの科学的な変化の過程を、農業技術として、つまり誰にでも再現性のあるものとして示す必要があるということだ。

 農業は場所に従うものである。小田原で出来たことが、石垣島では出来ない。石垣島で出来るようになったとしても、サハラ砂漠や北海道では出来ないだろう。農業技術は多種多様な条件の中で、どの範囲で応用が出来るかも示す必要がある。

 のぼたん農園では「あかうきくさ農法」「ひこばえ農法」を石垣島以南の地で、誰にでも可能なものにしようとしている。それは自給農法としてである。農業経験の無い人が楽しく出来る農法だ。74歳の私の体力でも出来る。一日1時間やればできる。そんな自給農法を模索している。

 
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台湾自然農場見学

2024-01-29 04:54:52 | 暮らし
  まず、淡水の幸福農荘の写真です。

農園を見下ろす、テラス作業場

 食べられる台湾の野草
ひこばえの枯れ残る姿。
叢生栽培のパイナップル

この畑で3個だけ収穫があったそうだ。
こちらは食べたパイナップルからの再生株。なかなか大きくならない。
植え付けられたレタス苗。活着したところ。
大きな石積みの階段。下には川が流れている。
セイジは良く出来るとのこと。
大根の叢生栽培
大根の畑
研修生の畑

バナナ
台湾固有種のユリ
畑にはさまざまな花が植えられている。



山東菜か、美味しかった。
白菜が結球するかどうか
イチゴ、株を結わき立ち上げるそうだ。
エンドウの種取り
ジャガイモ、11月植え綺麗に育っていた。


竹のオブジェ
田んぼの冬の様子、水がしみてきている。
田んぼ、ハザガケをしている。
分かりにくいが、崖の下や畑の回りに溝を作る。気の流れを作るとのこと。
足踏み脱穀機


素晴らしい母屋、台湾の古い農家を改造。


種籾が干してある。
水牛の作業具。個ロバシャーが7本刃だった。
高い天井
水牛のくらと漉



 台湾に2泊3日で行ってきた。台湾の秀明自然農法で耕作をされている、2つの農家を見学させてもらった。淡水の陳さんの所と南澳の黄さんの所を見せて頂いた。のぼたん農園の渡部さんご夫妻と3人での台湾農家見学。今になってしみてくるような深い感銘を受ける、台湾の自然農法農場であった。

 淡水の陳さんの畑と田んぼは自然の中に溶け込む、それは限りなく美しい農場だった。全体で1haぐらいではないだろうか。見せて頂いた以外に7反の田んぼがあると言われていた。ご主人は眼科医の方で、聡明で心の暖かい方であった。仕事があるはずなのに、長い間一緒に行動していただいた。台湾の方は本当に心優しい。今思うと何か童話の世界を訪ねたような気がしてくる。

 秀明自然農法はそもそもは岡田茂吉氏に始まる、MOAの中でいくつかの流れが出来た内の一つの組織である。私は開墾を始めた時に、お隣に川口さんという山北町のMOAの方がおられて、一緒に山北有機農業研究会を立ち上げた。その活動が「あしがら農の会」を立ち上げる基になった。

 そのこともあってMOAの関係の足柄地域におられる農業者30人くらいとは、かなり頻繁な交流があった。農業技術を学ばせてもらうという意味で、関係を持たせて貰った。MOA大仁農場も何度も見学させてもらった。私なりに、学ばせてもらい、その農法の優れた面と、限界を見せてもらった。

 限界という意味は、農法の原点に宗教的命題があるという感じか。MOA農法を徹底してしまうと、現代日本では農業には、つまり生業にはならないという事である。お米であれば、1反で5俵が限度である。実際にそれを超えているMOAの農家の方は何らかの意味で、岡田茂吉式自然農法ではなくなり、自己矛盾を抱えているように感じた。

 それは社会での農業の置かれた場がおかしいから仕方がない、ともいえるのだが、新規就農するものがその理想主義で行こうとすると、まず農家としては成立しないことが現実だと思う。だから、MOA農法はいくつにも分かれながら、一般の農業とは一線を引くものになっている。

 滋賀にあるという日本の秀明自然農法は私は見たことがないので、何とも言えない。ただ、岡田茂吉氏の理想とした農業は実現しているのではないだろうか。それで暮して行ける社会であれば、望ましい訳だが現実社会は競争社会で、実業としての農業という意味では限界があるのは止む得ないことだろう。

 MOA農法は良く知っているとおもうのでので、台湾の秀明自然農法もすぐにその世界は理解できた。伊豆の長岡でやられている川口農法の高橋さんの畑によく似ていた。私の絵を描く眼から見ると、その2つは美しい調和のある畑なのだ。作物が環境に溶け込み心地よく生育してゆく畑。

 この美しい世界観の中に生きることは、生き方の一つとしては素晴らしいことではある。評価されるべきものだと思う。川口由一さんも理想を追い求め、晩年は仙人化したように見えた。仙人化したのは、自然農法の先駆者、福岡正信さんも同じである。ある意味徹底した自然農法は仙人化することでしか成立できない世界観なのかもしれない。

 「それでも地球は廻っている。」農業は妄想ではなく、科学的に思考して行かなければならない。周囲の慣行農法を上回る生産性がなければ、農法とは言うべきではないというのが、私の考え方である。その理由は素晴らしい農法であるなら、植物は満作になる。満作であれば化学肥料農法より、多収なはずである。

 満作の作物から得られる食べ物こそ、最高の食糧になる。秀明自然農法の作物は食べさせていただいたが、これほどおいしいお米や野菜は、食べたことがないと言えるものだった。しかし、収量は半分以下ではないかと思われる。清浄な土壌という考え方が、収量に影響していることは確かだろう。

 秀明自然農法は一つの宗教的真理の実践という事になるのだろう。その実践は宗教として評価されるべきだが、農業という事で考えない方がいいのかもしれない。どれほど社会と離れたものであるとしても、信仰に基づくものであれば、その宗教内においては評価されるべきものになる。

 自給農業は科学である。清浄な土壌という考え方は、科学的に考えてみた時どういう世界になるのか。農業では豊かな土壌という考え方が、一般的である。例えばMOA農法では家畜糞を不浄なものと考える。この世界に不浄なものなどあるはずがない。糞尿が不浄なものとするなら、その不浄なものは循環から外れてゆく。

 「汚いはきれい。綺麗は汚い。」である。糞尿や動物の死骸は命の循環の中にあるものだ。不浄なものであるはずがない。何万年糞尿や動物の遺体は循環の輪の中に組み込まれて、地球を作ってきた。それは植物界も、動物界も同じである。森の植物の循環だけが清浄な循環という訳ではない。

 科学的に正しい農法であれば、慣行農法よりも作物は満作になり、生産性が高くなる。しかも永続性がある。慣行農法には科学的な問題があるからだ。循環できない農業である。私としては、満作の作物で、未来永劫続けることのできる農法を見つけることに興味がある。のぼたん農園ではそういう農法を見つけてゆきたいと思っている。

 イネが満作であるなら、必ず周囲の慣行農法の農産物よりも生産性が高くなるはずである。先ずは作物が満作になっているかどうかを見なければならない。石垣島のイネであれば、品種にもよるが15枚葉が出て穂を出すかである。13枚で穂を出してしまうのは満作ではない。何か十分に生育できない要因がある。

 翌日は南澳の黄さんをお尋ねした。10haもの面積の畑で、大豆、イネ、蓮(実)、コヒーを栽培されている。台湾の自然農法農家の中で2番目に大きい農場だ。様々な方法で、人手を集めて農場を運営されている。大型機械で耕耘もされていて、その意味では徹底した秀明農法の再現という訳ではないのだろう。

 秀明自然農法の考え方を取り入れながら、農家経営として行うという姿を模索されている。この挑戦は厳しいものであるだろうが、農業として素晴らしい実践だと思う。広い農地で展開されているすごいエネルギーには全く驚かされた。大豆は本格的に取り組んではいるのだが、今の所充分には出来ていないように見えた。

 松本の自然農法研究センターの、多収の大豆の姿は何なのだろうと改めて思う。石綿薫さんが止められてから、連作は大豆に良くないと考えを変えられていた。確か連作することで良くなるというのが、秀明自然農法の考え方ではないか。確かに、農法に正しいはないとおもう。永続性があり、化学物質を使わず、満作の作物を作る。そして美しい農の世界。このための農法は一つではないのだろう。

 大仁農場も、松本の農場も、岡田茂吉氏の考え方を取り入れて、農業経営可能な農法という事になっている。このあたりで、MOAのなかでは岡田茂吉氏の考え方を徹底すべきだという、様々な流れが新しく出てくるのだろう。科学と宗教の少しの対立。

 真善美と言うが、真と美が対立している。この矛盾の中で、どのような自分の農業を作り上げるのか。それは、のぼたん農園の中でもあることだ。のぼたん農園は自給の農業である。自給という考え方の根本にあるものは、そこで採れた作物以外は食べないというような厳しいものだ。それを忘れると美しい農は生まれない。

 自らの農の理念を確立しないと、調和のある美しい農地にはならない。あらためて修学院離宮を思い出した。あの美しい棚田庭園造営の意味は深い。芸術的な表現なのだと思う。農本主義者としての天皇家の意味。思想としての農業の意味。農業を行い生きてゆくという思想。

 のぼたん農園は自給のを行うものの綜合される農場である。それぞれが自分の思想に基づき、農業を行う。それが水を通して一つのまとまりのある農園を作り出す。個が個として独立して、しかも周りの自給農との協働を行う。

 それぞれが独立して一家族の自給農が成立していて、しかも全体としては調和のとれた美しい農場になる。台湾の美しい農荘を見せてもらい、のぼたん農園の確立に向けて、取り組んでゆく方角が明確になった。

 私個人としては「ひこばえ農法」「アカウキクサ農法」の確立を目指し、満作の作物から食料を収穫する。参加者はそれぞれが自分の自給農を確立を目指して、努力することが素晴らしいのではないだろうか。永続性のある農法に限られることになる。

 以下参考の日程。
1月23日 石垣空港JAL  11時30分発
      那覇空港     12時30分着
      那覇空港peach13時45分発
      桃園空港     14時25分着
      淡水幸福農荘に宿泊 寒いという事で、ホテルに変更
      所在地: 251 台湾 New Taipei City, Tamsui District, 251 
1月24日 淡水昼頃出発 南澳5時頃着
      水田屋農家民宿 黄仕聴
      南澳村大通路158-1號
      03-998-2183 8863-998-2183
1月25日 11時1分南澳駅発  桃園空港発peach16時55分 
      成田着       22 時
      上野サウナ北欧泊 12時着
 
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第196 水彩画 日曜展示

2024-01-28 04:12:17 | 水彩画
第196 水彩画 日曜展示

  小さな絵だけです。







379「西伊豆」
2024.1








380「三津富士」
2024.1







381「沼津富士」
2024.1








382「箱根富士」
2024,1








383「和歌山漁港」
2024.1





384「あかい花」
2024.1







385「箱根富士」
2024.1







386「あかい花」
2024.1






387「森の家」
2024.1





388「赤崎」
2024.1





389「二子島」
2024.1


 台湾の絵が描きたいと思って、苦労して画材は持って行ったのだが、描く時間がなかった。次に行くときにはぜひ描くつもりで、よくよく見てきた。4月ぐらいに行ければいいのだが。まだ予定がたたない。ともかく時間が足りない。絵を描く時間がもう少し欲しい。

 できる限り自由に描く。今はそれだけである。湧き出てくるものを出来るだけ無意識に受け止めている。見ているものをそのまま描きだすことが多いのだが、いつの間にか絵は違うものになっている。そんな風に何故なってしまうかはわからないが、出てくるものに任せている。

 このまま絵を描いて行き、何も結論が出ない可能性もあるが、それでも仕方がないと思っている。結果よりも、今の描くという行為の方を大切にしてゆくつもりだ。只管打画と言ってもそれほど一筋でもないわけだが、やれることをやるだけやる。眼になって絞り尽くす。どうもそれが印象派でもあったらしい。

 
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天気予報と雨雲レーダー

2024-01-27 04:57:10 | 石垣島


 外仕事をするものはあさ、今日の天気明日の天気は確認するだろう。子供のころ、時間になると大人達がラジオの朝の天気予報を、耳をそばだてて聞いていた姿を思い出す。それがテレビになって、今は一人でスマホの天気予報で、確認する人が多数派ではなかろうか。

 金沢大学の学生の頃、気象学の授業を受けることが出来た。今の暮らしに最も役立っている授業だ。天気図を書く勉強をした。ラジオで「気象通報・海上気象解説」として、放送されていた。南大東島では北東の風、風力4、曇り25ミリバールとか、ずらずら言ってゆくあれである。

 記号で記載していって、最後に天気図を仕上げてゆく。そしてその後の展開を予測して、天気の変化を判断する。今でも役立つありがたい授業だった。今ならコンピュターで自動的に天気図など描かれるのだろう。しかし、天候の変化を推測する能力はあの天気図を描く中で出来たような気がする。

 農の会を始めて、みんなが集まる作業日の天気を予測する機会が多くなった。私の予測は案外に当たると言われていた。大勢が集まるので、早めに日を決めなければならないが、1週間先の天気を予測するのはかなり難しい事だった。どちらかと言えば楽観天気予報である。

 しかも、作業によっては前日が雨でも出来ないものも在る。当日が小雨なら問題ないという作業もある。雨の法が望ましいという事もある。作業を熟知した上で、天気を読まなければならない。お茶摘みの日程など、1ヶ月先までかんがえて決めていた。あらゆる情報を集めて、最終判断をする。

 石垣島では晴れで作業が難しいと言うことがある。夏の、5月から10月の半年は危ないくらいの強い日照になる。炎天下の作業は避けた方が良い。雨の中での作業の方が心地よい。雨では出来ない農作業も色々ある。稲刈りは雨では出来ない。乾いた稲を刈り取りたい。

 石垣島の天気予報はほとんど当たらない。2日に一回はずれている感じだ。島の天気予報は相当に難しい。天気予報で予定を立てると言うことはほぼ不可能である。雨を待って天気予報を見ている。石垣に来てからは雨が降ると嬉しくなる。天水田をやっているからだ。

 例えば、家のある字石垣辺りでは35㎜の強い雨。のぼたん農園のある崎枝では3.5㎜の小雨。15キロしか離れていない場所で、10分の1の雨しか降らなかった。こんなことは普通だ。島の天気は海から雲が流れてくるので、山へのぶつかり方で雨の位置が大きく変るのだ。

 毎日島の東側に在る字石垣から、西側の崎枝へ移動を繰り返しているので、あまりの天気の違いに驚くばかりである。田んぼの水が心配なので、崎枝では雨が降ってほしいもので、朝、雨を期待しながら車を走らせる。途中でバンナ岳を越えるのだが、この辺りから名蔵にかけては石垣島で一番雨多いと見ている。ここら辺りで、キジムナーの不思議な話が多いのも理由が無いわけではない。

 所が海岸線を崎枝に進むと雨は止んでしまうのだ。何かからかわれているような気分になる。名蔵でもバンナ岳の辺りは特に雨が多い。名蔵でアメダスデーターが取れれば、石垣島で一番の雨量になるはずだ。やはり於茂登岳の影響があるのだろう。気象庁のデーターは石垣、盛山、伊原間、川平の4カ所。

 島の中でも雨量が様々な日が実に多いのだ。だから石垣島の天気予報と大雑把にとらえてもほとんど無駄である。気象庁が出しているデーターの中に、過去24時間の雨量データーというものがある。これを必ず朝見る。するとのぼたん農園に近い川平の記録がある。それでのぼたん農園の雨量を確認できる。

 これを見て、雨量による湧き水の変化を予測している。湧き水の変化を正確に見ないと田んぼの作業は出来ない。一度田んぼから水を落として、作業をしてまた戻すと言うことが出来ない場合がある。天水田では水が命である。湧き水は水神龍として祭ってある。

 次にみるのが雨雲レーダーである。ヤフー雨雲レーダーで1時間前から、6時間後までが出る。ウエザーニュースの雨雲レーダーもある。これは有料なので、予報は見ていないが、今の雲の様子は見ることが出来る。この二つの映像が何故か異なる。

 雨雲レーダー予測も良くはずれるのだが、天気予報よりはましだ。何故雨雲レーダーがはずれるのかと言えば、雲の流れは実に微妙でわずかにずれれば、雨がまるで降らないことになる。だから、空模様での自己判断が一番需要。風向きを見て、雲の流れを見て、この後の天候の変化を予測する。

 冬であれば北東からの風が多いので、そちらからの雲を見て作業をする。雨は降り続くと言うより、降ったりやんだりなのだ。天瀬を見て作業が出来ることが多い。水牛を見に行くとか、田んぼの水を調整するとか、短時間で済む作業は雨の日でも、濡れない時間はある。雨が止むまで絵を描いている。

 もちろん当たらないとはいえ、テレビの天気予報は必ず見る。パソコンの天気図も必ず確認する。東アジア全体の天気図を確認し無ければ、これからの気圧配置の変化は分からない。今後の雨の降る可能性は見無ければ、作業の予定は立たない。

 テレビの天気予報で最近は今日の気候に適する服装を教えている。これを聞く度に腹が立つ。多分都会では、窓からも空が見えないような暮らしの人が沢山居るにちがいない。しかし、今日の服装まで自己判断できない人を生み出して良いのだろうか。

 天気予報は外に出て、風に当たり、空を見て、今日の空模様はどうだろうというのが人間の暮らしではないだろうか。人間が自然から離れている。これは決して幸せなことではない。まず自分の肌感覚で今日一日を予測することは、人間を取り戻すことになるはずだ。




 
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災害に備える心の準備

2024-01-26 04:26:53 | 暮らし


 楽観主義である。まず悪い事は自分にだけは起こらないと思っている。病気にもならないし、災害にも遭わないだろうと思っている。中国が石垣島に武力攻撃をしないと確信している。そんな幸運のままに、100歳まで生きるだろうと思っている。これを認知バイアスと言うらしい。意識の偏りである。

 大災害は毎年日本のどこかで起こって居る。遭遇する可能性は高い。例えば先日居眠り運転の対向車が私の走っていた車線に向かって直進してきた。まったく驚いた。これに一種の天災のようなものだろう。何とかしのいで身体は無事だった。私が無事だったのは、冷静に対処できたからだと思う。

 最後の当たるときまで、最小限の衝突にするために運転をした。これは昔レーサーだった友人から言われていたことが生きた。心に備えがあったのだ。事故を避けられないとしても、最後の一秒まで、怪我を軽くする努力をする方法を教えられた。その通り冷静に運転をすることが出来きた。何かに守られているような気がした。

 幸運の経験は子供の頃に3回あった。一度は高い塀の上によじ登り、そこから落ちたのだ。その塀は5mほどあり、しかも落ちた方向は崖だったので8mの落下。崖の下には鋭い巌があり、当たる位置だった。一番上に手をかけたときにそこに泥が付いていて、手が滑った。もうだめだと思いながら一瞬意識を失った。所が衝撃無く崖下にいた。

 よく似たことがもう一度あった。川で泳ぎ場を作っていた。堰堤で大きな石を抱えて、移動して堰堤から下の浅い淀みに石を投げ落としていた。所が、石を放すことが出来ずに、石と一緒に堰堤から落ちた。何故かその時にその石がどこかに消えて、浅い淀みの中に座っていた。浅い水の中で見上げた夏空を今でも思い出す。

 3回目はお寺の本堂で掃除をしていて、灯籠の脚の辺りを拭き掃除していると、何故か大きな鉄の灯籠が倒れてきた。これに当たればさすがにだめだ。しかしよけきれず、肩に当たった。まるで警策(きょうさく )を打たれた形だった。当たる瞬間に頭を反射的にそらすことが出来たのだ。

 子供の頃間違えれば死んでしまうようなことが3回あった。何かの幸運でこの危機を無事通過することが出来た。今思えば試されたかのような気がする。運が強いのだと思うことにした。それからは特段危険と言うことも無く、やってくることが出来た。多分これからも強運だと思っている。これも認知バイアス。

 自然災害は起こる可能性が高い。石垣島に住んでいるから、大型台風は来る可能性が高いと思っている。スーパー台風である。風速60mを超える台風のこと。のぼたん農園では72mの強風が吹いたとされている。風の強い場所なのだ。

 非常に強い台風15号は、2015年8月23日から24日にかけて先島地方と本島地方の一部を暴風域に巻き込みながら北上した。沖縄気象台によると、石垣市登野城で23日午後9時16分、1941年の統計開始以降最大の71メートルの最大瞬間風速を記録した。 ーーー琉球新報

 過去4年間台風が来ていないのは、幸運なだけだ。必ずスパー台風は来ると考えている。家は風には強いものを作った。家の場所も風がよけられる場所を選んだ。その意味で眺めは無い作りにした。天窓は5カ所もあるが、窓は少ない家である。

 鉄筋コンクリートの一階建てだから、比較的地震にも強いと考えている。家が崩れるようなことは想定しなくても良いだろう。海からの標高は5m位だろう。高い場所ではないが、1キロ位の距離がある。どれほど早い津波でも、5分はかかる。冷静で居れば十分に逃げて行けるはずだ。

 一事避難所に指定されている石垣小学校までは350mぐらいだ。大地震が来たら、ともかく石垣小学校までは避難しようと考えている。ブロック塀が多いので、経路は考えている。火事が起きた場合はどう逃げるかなど、想定を考えている。

 時に散歩がてら自分で訓練もしている。災害の時には落ち着いて行動するように、とあるが、落ち着けるわけがない。慌てても出来るように、日ごろ練習して置くしかない。どの経路で行けば、ブロック塀が倒れて道を塞いで居ないか。道路に車が居ないか。火事が発生した場合どうするか。あれこれ想定して、訓練をするしかない。

 先日のJALの羽田事故での脱出避難が素晴らしいものだった。あの事故で良く全員が無事脱出できたものだ。乗務員の日ごろの訓練のたまものだろう。しかも乗客が、冷静に指示されたように動いている。乗客を冷静にさせたのも、乗務員の覚悟が定まっていたからに違いない。

 JALのいつもはまるで淑女のような物腰のスチュワーデスさんが、厳しい声で指示をしている音声が流れていた。あれを見て、飛行機で何かあったときは従うことが一番安全なのだと言うことがよく分かった。誰もが勝手な行動を取らなかったから、助かったのだ。

 災害に於いては、心の置き所が、何より大切だ。私の場合は大丈夫だという、認知バイアスがあるから、危険と考えるのが遅れる可能性が高い。大丈夫であっても、ともかく小学校まで逃げると言うことは、決めておかなければだめだろう。

 巨大台風の場合はどうなるか。台風は突然来るわけではない。家で十分に備えて、閉じこもるのが安全。風で被害は受けるかも知れないが、命に関わるような家の崩壊にはならないはずだ。しっかりと準備して、外に出ないことしかない。のぼたん農園が心配ではあるが、見に行かないのが一番の安全。

 台風でも地震でも食糧の確保はしておく。のぼたん農園にも非常食は確保している。のぼたん農園でも避難できるようにすべきだと思っている。水は湧いているので、緊急避難には向いている。シャルターを作るのも良いかもと思っている。

 農地であっても、緊急避難のシェルターは許されるのではないだろうか。建築許可が無くともシェルターの場合は特例ではないか。何しろ、市民の意思を無視して、ミサイル基地を誘致したのだ。それに対して、住民が自己防衛するのを許さないとしたら裁判で対抗しよう。

 市長は中国からの攻撃があるとして、避難訓練をしている。しかし、九州まで避難するのは却って危険だ。それを前提として、中国の攻撃を避けるためにシェルターを作るのは、住民の命を守る権利ではないか。自分が安全だという場所に、防空壕を作ったのは第2次世界大戦である。防空壕に建築許可は無かっただろう。

 シェルター建設を冗談でなく考えている。戦争は災害ではない。政府がだめだと起こるものだ。早急に政府を変えなければ、危ないものだ。


 
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コロナにかからなかった幸運。

2024-01-25 04:08:15 | 暮らし


 ここまでは幸運にもコロナに感染しなかった。ありがたいことだ。ワクチン注射は全回打ってもらった。無料で打ってくれたので打ったのだと思う。有料なら打たなかったような気がする。効果があるのかないのか分からない上に、注射で悪い反応が起きた例がある。それでも無料ならまあ打つかと言うくらいだった。藁にもすがるという気分もあった。

 過去に他のワクチンというものは、小学校の頃に打った、BCG結核予防ワクチンである。フランスに居た頃結核になったらしい。フランスでは熱と咳が続いたが、病院にも行かなかった。戻って日本で病院に行きそう言われた。重症化しなかったのは、子供の頃のBCGの御陰かと思った。

 他には多分ワクチンは打ったことは無い。基本的に訳の分からないものを、自分の身体に入れるという不安が大きい。だから薬というものは飲まない。昔は風邪を引いたこともあったが、薬を飲んだことは一度も無い。風邪など自己治癒力で治すものと考えてきた。

 コロナワクチン注射で体調を崩した人もかなり居たようだ。どうも死んでしまった人も居るらしいので、これには驚かされた。しかし、統計を冷静に考えて、何千万分の1の話は気にはならない。私の場合に限れば、まったく副反応がなかった。理由は分からないがそれもまた有り難いことだった。

 打ったところが痛くなると言うようなことすら無かった。後は次回有料になっても打つかどうかである。その時の流行の状況で判断しようと考えている。もう世間ではマスクをしている人は少数派だ。私は今でもマスクはしている。多分人混みの密室では、死ぬまでマスクはしていそうだ。

 ワクチン陰謀説のような、おかしなデマが広まったのも、パンディミック社会では起こり勝ちなことなのだろう。ワクチン注射で何かが身体の中に埋め込まれるというような馬鹿げたデマすらあった。あのとき、エセ科学の教祖のような、トランプが感染した。そして自慢げに例の踊りを踊った。ある意味陰謀説が打ち消せたのではないか。

 東京にも毎月行く。混んだバスも、飛行機も、電車も乗る。感染リスクは普通にあったのだと思う。だから人一倍用心してきた。もちろん今でもそういう場所ではマスクは必ずしている。最近マスクをする人は減ったから、マスクによる自己防衛はさらに必要になっている。

 一度、感染した人と食事をしたことがあった。翌日電話がかかってきて、感染したのでお知らせすると言うことだった。しかし、一緒にいた人はワクチン注射を打っていたためか、誰も感染しなかった。この体験で、ワクチン注射の効果があったのかも知れないと考えている。

 マスクを外さなければならないような場所には、滅多なことでは入らない。レストランはよほど気をつけている。できるだけ空いていてお店が良い。テラス席があれば必ずそうする。コロナ後はテイクアウトをよく利用した。美味しいお店がテイクアウトしてくれたのはありがたいことだった。

 家に帰ればまず風呂に入る。手洗いうがいよりも効果があると思っている。コロナだけではないと思う。外から家に何かを持ち込まない方が良い。野外ではマスクはしていない。一度もしたことがない。もちろんコンバインなどを使うときにはマスクをして作業はする。

 あのコロナ流行の当初は海に行くのも行けないなどと、石垣市では海の駐車場が閉鎖された。本当に馬鹿げている。海に居る人に海水浴を止めてくださいと、車で叫んでいた。こうした間違った行動が至る所に存在した。過剰防衛もまた心身に良くない。

 野外で感染するという不安は、まったく馬鹿げている。あの海の広い空間で感染するなど滅多にあることではなかった。逆に言えば、今でも密室空間は感染する可能性がある。声を出すような密集は今でも感染リスクは高い。そういう場所には今でも行かない。

 泡盛で体内も消毒して、よく寝る。これは冗談だが、泡盛会社がアルコール消毒液を作った。気分良く暮らす事も免疫力が高まる。不安は免疫力を下げる。コロナなどに絶対にならない。強い気持ちで暮らすことも免疫力を上げる。これで防衛はそれなりに高まる。後はコロナの攻撃力がどれだけあるかだろう。

 中国はこのウイルスを実は早くから把握していたことが分かった。秘密裏に抑えきろうとしていた。これが裏目に出て世界的な蔓延に繋がったのだ。もしかしたら、上手く抑えきった経験もあるのかも知れない。独裁政治というのはこういう所が怖い。

 あの中国の都市封鎖は何だったのだろうか。中国という独裁社会の内実が浮かび上がる。中国では当然かも知れないが、一番早くコロナウイルスのゲノム解析が出来ていた。それなら世界に対してその解析結果を、早く発表すべき事だ。公表しないで、ワクチンを自分たちだけで製造しようとしていたのか。

 所が結局発表しなかった。後でそれがばれたのだが、ウイルスの実体は未だによく分からない。WHOの調査団も結局の所、明確な原因は分からないままで終わりである。私はミンクの養殖場から発生したものだと、想像している。ミンクが感染することははっきりしている。

 そもそも、ミンク養殖というものは、劣悪な環境で行われている。野外にゲージが並べられ、何層にも詰まれている写真を見たことがある。衛生状態は最悪である。最も過酷な動物虐待の事例だ。世界では毛皮は着ない運動がある。当然だ。今や中国はミンクの主たる生産地。

 病原性の低いコロナウイルスを持った、野生のコウモリやサルなどからミンクが感染する。ミンクの間で感染の何千の連鎖が起こる。感染の連鎖の中で、高病原性のウイルスに変異した。その変異の結果人間にも感染しやすいウイルスに、なってしまったのではないだろうか。
 
 何故か大規模畜産のウイルスの変異の危険が、注目されない。欧米人が、畜産が好きな性だろうか。大規模畜産は止めるべきものだ。ウイルスの変異の要因は大規模畜産にある。鳥インフルエンザの高病原性ウイルスも養鶏場内で起きたと考えた方が合理性がある。

 次のパンディミックも必ず起こる。大規模畜産が止められない以上、ウイルスの変異は繰り返される。新しいウイルスがまた出現する。コロナウイルスも人間の間の何千万という感染の連鎖で、新しいウイルスに変異を続けている。これが収まるためには数十年必要なはずだ。

 中国が賢明な国であれば、大規模畜産を止める選択をするはずだ。そんなことを言う学者が現われれば、多分収監されてしまうのだろう。やはり、コロナを乗り切るためには、年寄の外出禁止であった。コロナの流行当初に、イスラエルの学者がそう主張した。しかし、それを世界中がやれないに違いないとも、その文章にはあった。

 今になってみれば、その学者の主張通りであった。人間が冷静に科学に従い、行動をすることが出来るのであれば、65歳以上の人間の外出禁止だけで、その他の社会活動はそのままで良かったのだ。この間の若い人達が取らされた行動制限は間違っていたのだ。

 そうすれば八重山高校の野球部は甲子園に行けたのだ。間違った判断で若者が被害者になった。マスクマスクで、同級生の顔をよく分からないで、卒業するという、中学生の嘆きは誰の責任だったのだろう。成長期の人間にとって、様々なものが失われたはずだ。そう青春が失われたとすれば、哀れだ。

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のぼたん農園の自給の畑

2024-01-24 04:09:39 | 楽観農園


  ミニトマトの苗を直播きで作ってみた。それが意外に上手く行った。何でも丁寧なことは出来ない、雑な性格なのだが、トマトの苗は直播きでも問題なく出来た。大玉トマトが12本。ミニトマトが24本出来た。そろそろ良さそうなので、キュウリ棚を利用して植え付けた。

 今年から、のぼたん農園の3番田んぼに付随した、畦の畑で作物を作り始めた。田んぼの整備がほぼ終わり、少しだけ余裕が出たので、今度は田んぼと田んぼの間の畦にある。3m巾で33mの100㎡の畑を整備している。何が出来るのか、何が出来ないのか、先ずは試験栽培をしている。

 植えた作物は、トウモロコシ、大玉トマト、ミニトマト、玉ねぎ4種、ニンニク、ジャガイモ10種、サツマイモ2種、白クローバー。どの作物も成長が早い。11月27日に植え付けたものが、1月の内にジャガイモは収穫のようだ。

 ジャガイモについては、もう一度男爵の種芋を植えてみている。ずらして植えてどう違うかが見たい。1月中旬という今の時期に植えて遅くないのかどうか。様子を見たい。何しろ石垣の作物の暦はない。いつでも出来るようで、いつでも十分には出来ない。


 草取り余りしていないので、分かりにくいが、ミニトマトの苗がまとまって出来た。もう少しパラパラと種を蒔けば良いのに、そういうことが出来ない。何でもエイヤーで慌ててやる。それでもやらないよりはましだと思っている。



 これは直播きのトウモロコシ、トウモロコシも適当に蒔いてみた。それなりに大きくなったら、植え直そうと思っていたが、まあまあ、分散しているので、このままで行ってみようかと思っている。トウモロコシは肥料喰いだから追肥はやるつもりで居る。

 一部何かの動物に頭を食べられた。水牛なのか、鴨なのか。今のところよく分からないが、何と枯れないで持ち直してきた。何故か倒れてしまうものもある。風がやはり強いかも知れない。


 これはニンニクである。25本ぐらいある。それなりに大きくなっているのでこのまま様子を見る。これも少し追よみがえりを蒔いてみた。よみがえりを蒔いてみた。

 

 白くローバーの種を試しに蒔いてみた。発芽が良いので驚いた。こんなに密生してしまった。この後あちこちの空いた畑に白くローバーを蒔いた。どこでも良く発芽している。暑いときに枯れてしまうと言うことも聞いたが、ともかく様子を見る。


 サツマイモを植え込んでみた。ここから苗を作ろうという考えである。石垣では何時さつまの苗を作るのかは分からないので、これも実験のつもりでいもを畑に埋め込んでおいた。何とか出てきたから、この芽をあちこちに指してみようと考えている。


 大玉トマトの苗をキュウリ棚の支柱のそばに移植した。全部で20本すべてが枯れないで活着した。今の時期ならばトマトも何とかなるかも知れない。


 これはミニトマトをキュウリ棚のポールの脇に植えたところ。一応すべてが活着した。この通り、やたら石混じりである。これでも随分拾ったのだ。トマトがなれば嬉しいが、出来るものだろうか。


10本の支柱の下にはすべてトマトが植えられている。どこにでも出てくる雑草はアメリカセンダングサである。


 玉ねぎの品種による違いを比べて見ている。今のところどの品種も大差なく成長している。小田原よりもよほど早く成長する。一応結球しそうな所まで来た。この後どの程度の球になるか、期待している。


 これは10種のジャガイモの比較実験。まだどうなるかは分からないが、土寄せをしたときに、もげたジャガイモを食べてみたら、美味しかったので嬉しくなってしまった。それで慌ててまたジャガイモ苗を買ってきて、追加の植え込みをした。

 品種による違いでは、フゲンマルがよくできている。一番好きな男爵波動言うことか、一番発芽が遅れた。あまりに遅いので、もうだめかと思っていた頃出てきた。ジャガイモは好きなので、何とか広く作ってみたい。小田原のようにジャガイモの会も良いかも知れない。


 これは台光の稲刈り後1週間のひこばえの様子である。よみがえりを追肥した。台光を試食したら、意外に美味しい餅米だった。まさかの展開である。うるちだと思い込んで作っていた。台光は長所と短所がある。長所は病気が出ない。短所は生育がばらつくこと。

 この後のひこばえは季候の良い時期の生育になるので、十分な稲になるのではないかと期待している。こまめな追肥と、回りの整備をしっかりしたい。


 麦畑は早すぎる穂を付けている。何故、十分に生育しないうちに穂が出てしまうのか。稲と同じである。もっとゆっくり育って欲しいのだが、慌てて育ち、中途半端で穂を出してしまう。


 3番田んぼのあかうきくさは随分広がってきた。この調子で一面に広がれば、かなり肥料分としても期待できる。


 まったく一面を覆い尽くした、5番田んぼのあかうきくさ。何故このように広がったのか、その理由が分かれば、あかうきくさ農法が見えてくるのだが。


 田芋は生育は遅いようだが、枯れないで成長を続けている。何とか広がってくれれば良いのだが。


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自給農法の探求の意味

2024-01-23 04:01:18 | 楽観農園


 
 水彩人展で絵を語る会をやっている。コロナ以来あまり開催できていないのだが、止めたわけではない。絵を語る会は誰も教えない、それぞれが自覚する会である。その根本にあるのは、偉大な思想家は疑問を示すだけで、解答を提示している訳ではないと言うことがある。藝術は大疑問であり、回答ではない。

 曹洞宗で行う坐禅には、何の回答もない。答えのない只管打坐である。道元禅師は正法眼蔵を書き残した。しかし、そこにあるのはどう読んでも回答ではない。大きな疑問に立ち向かっている姿のような気がする。何度読んでも私には回答を読み解くことが出来ないので、そう思っている。

 そもそも生きるというこに回答があるわけがない。生きると言うことは常に進行形である。死と言うことが結論であるのだろうが、理解しにくい終わり方であり、何らかの回答が出るわけではない。考えれば死よりは生の法が経験したのだから分かりそうなものの、生もまるで意味不明である。

 道元禅師の言われる生と死を明らかにすることが仏家一大事の因縁とは、回答ではなく、大きな疑問を抱えて生きなければならない、といっていることになる。確かにそうなのだ、絵を描くと言うことがおもしろいのは、分からないと言うことを分からないまま、疑問として提示できるからだ。

 生きていると言うことは、より複雑で大きな疑問に立ち向かえると言うことなのでは無いかと思う。命を生きるに値する疑問を持つことのおもしろさではないだろうか。その一番の疑問が、生と死だと道元禅師は考えられたのだろう。

 のぼたん農園では、石垣島での自給農法の技術の確立を目指している。これから時代は、世界はさらに混迷して行くはずだ。そして飢餓に陥るようなことも起こるに違いない。その時に対応できるような、食糧の自給を自分の独力で出来る技術を確立したいと考えている。

 世界の混迷がそれで解決できると思っているわけではない。しかしこの混迷して行く世界に、自分に出来ることはそれくらいのことだと思う。たまたま自分が食料の自給自足を体験した。その経験を生かして、いくらか意味のあることは食糧の自給農法の確立。

 その食料生産技術は、「ひこばえ農法」と「あかうきくさ農法」に回答があると考えている。その技術の解明に全力で取り組んでいる。この2つの技術はかつてベトナムや中国で存在したものである。しかし、近代農業の中で失われたものだ。それを現代的に総合したい。

 この自給農法の確立に挑んでいる。農業技術は再現性が無ければならない。誰にでも出来なければならない。化石燃料の必要のない技術でなければならない。環境を破壊せず、汚さず、自然環境が永続して行くものでなければ成らない。しかも、日々の喜びに満ちたものにならなければならない。

 人間らしい暮らしの中に織り込まれるものでなければ成らない。農業を行うことが、生きる事自体を豊かに、健康的なものにして行くようなものでなければ成らない。朝起きたら、農場に行くことが楽しみになるような、生命を輝かすような農業技術でなけれ成らない。

 この自給農技術の解明に挑んでいる。すこしづつ進んでいる感じはあるが、まだ解明にはほど遠い。出来ることはしている。様々な試行錯誤をしている。分かってきたこともあれば、余計に分からなくなっていることもある。先入観を捨てて、すべてに感性を開いて当たっているつもりだ。

 実に楽しい事である。こんなに重要で、大きな課題に挑む機会が与えられたことが幸せだと思う。しかも、様々な仲間が現在39名で協働している。みんなで試行錯誤することで、一人で行う研究の数十倍の成果が生まれている。しかも、辛い作業もみんなでやるので楽しくやれる。

 自給農法の研究は、自分の身体で試すほか無い。手作業で出来ないことを技術化したところで、無意味である。自分の身体で試してみるほか無い。74歳の私に出来ることなら、普通の人なら出来ることになる。80歳までに何としなければ身体がついて行けなくなると考えている。

 あと6年である。動ける身体でいることも重要なことになる。自給農法の技術の確立は、36年前に山北で開墾生活を始めたときから探究を続けてきたものだ。その後あしがら農の会の仲間と、1反で10票取れる、畝取りできる自給技術を確立した。

 しかし、石垣島に来て、この島の気候水土に合う、自給農法を見付けなければ成らないことになった。新しい課題に出会えたことの喜びが、のぼたん農園を始めることになった。そして沢山の仲間と協働できている。何という幸運かと思う。全力で自給農法の確立をしたい。

 自給農法のことを書いてきたが、実は絵を描くと言うことも大きな疑問として同じなのだ。自給農を行う理由は、自分の絵を描く為なのだ。自分というものが分からなければ、自分の絵が描けるはずがない。所がこの自分というものは分かったようで、曖昧なままである。

 自分が観ている世界を、まだ見えていない部分を含めて、こうではないかという、自分なりの世界の見方を絵にしようとしている。感じ方や考え方、世界の見方は自分というものが、目を見開いてみる以外にない。自分が成長する以外に、より深いところの自分との遭遇はない。

 何故そういう自分がこの先にあると考えているのかと言えば、絵がそれを指し示してくれている。1年前の絵、2年前の絵。そして10年前の絵。40年前の絵。60年以上前の絵。残された絵はその時の自分が描いたものである。その上で、今日一枚の絵を描く。

 絵は前よりは自分にいくらかは近づいている気がする。絵を描くと言うことは、何をどう探求したら良いのかすら分からない課題である。そのために自給農法の探求の日々を生きる必要があると思える。自分が十二分に生きると言うことがまずもって重要だと思う。

 これはおもしろいぞと好奇心が湧いて、日々暮らしていない人間は光を失う。光を失ってしまえば、職人の手仕事になる。絵を描くことに、自給農を行う必要がある。絵という大きな疑問に立ち向かうためには、自給農を続ける必要がある。

 自給農法にも、私絵画にも、結論があるわけではない。それぞれの行き着くところまでが、その人の生きると言うことなのだろう。全力でこの問題に立ち向かえると言うことが、日々を充実して生きると言うことになる。石垣島に来たことが、この素晴らしい日々を過ごせることになった。

 

 
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自民党派閥解散の欺瞞

2024-01-22 04:13:04 | Peace Cafe


 岸田派のパー券販売の3000万円が、申告されていなかったことがばれた。申告の事務的なミスだと、岸田氏は説明をした。日ごろ任命責任を問われ、言い訳に本人に説明責任を果たすようにと、ごまかしてきた。自分の番に成ったら、事務的なミスとは何事か。

 良くもそんな白々しいウソを言うものだ。裏金が必要だから、申告せずに裏金にしたのは、明白なことだろう。誰がこんな子供だましを信ずるだろうか。これが岸田氏の言うところの説明責任なのだ。平然とみじめなウソをつくのが、日本の総理大臣で良いのか。

 そして、慌てて岸田派の解散を言い出した。パー券キックバックがばれ始めたときに、岸田氏は岸田派の代表を辞めた。辞めた理由は裏金を作っていた責任者だったからだ。辞めれば済むはずもない。すべてごまかしである。アベ派、二階派を攻撃したブーメランが戻ってきて、自らに当たった。

 自民党の持ちつ持たれつの金権政治は、必ず攻撃すれば、自らもやられる。だから誰も言い出さなかっただけだ。これに手を付けた以上、泥沼に自民党自体が落ち込む。岸田氏にはそうせざる得ないように、同じ穴の狢として、巻き混まれる事情があったと思われる。それくらいアベ派と二階派から脅されていたと考えられる。

 そして、派閥解散を言い出した。あの政治刷新本部というあきれた名前は一体何だ。派閥と裏金に何の関係があろうか。派閥解散は矛先をそらすごまかしに過ぎない。派閥がなくなったところで、新たなパー券販売法が考案されるだけだ。問題をすり替えようとしている。

 政治にはお金が必要だと、自民党議員のみんなが主張しているのだ。特にそのお金は裏金でなければまずいのだ。当然である。汚い買収資金なのだ。お金でしか人が動かないから、政治にお金がいるようになったのだ。日本人の胸くそ悪い劣化現象。

 日本の政治を志す人の思想、行動に共鳴して、この人のためなら何でも協力してあげたい。こういう政治家がいなくなったのだ。見返りを求めず、名誉を求めず、国のために政治をする。そんな人は自民党に居るようには到底思えない。

 そもそもパー券を買うのは、みかじめ料であろう。暴力団にみかじめ料を払うのは、用心棒という見返りである。ヨソ者の悪に所場を荒らされないように、地回りを頼んでいるのだ。その節度をヤクザ者が持っていれば、一定の安定がある。

 戦後の闇市時代に、アメリカ軍に対抗できたのは、そうした地回りのヤクザ者だったのだ。政治家は政府に力の無い時代にはヤクザと待たれあっていなければ仕事が出来なかった。人を集めるとか、公共工事のための土地の買収とか。政治の弱い時代、政治はヤクザと連んでいたのだ。児玉誉士夫 とか笹川良一とか怪しい人物がいたのだ。

 そして、時代が変った。暴力団排除条例の時代では、暴力団を排除して、政治家自身が地回り化したのだ。暴力団が不要になったのだ。だから何かとお金が必要になる。政治家の武器は暴力ではなくお金なのだ。揉めごと頼み事、解決のためには脅しではなく、収賄なのだ。

 そこに介在してくるのが企業だ。企業は仕事をするときに、パー券を買わざる得ないのだ。政治家に邪魔をされたら、仕事にならない。政治家と連んでいれば、うまい汁が吸える。こういう政治がアベ時代にがんじがらめに強化されたのだ。自民党支持者もそのことは認めるだろう。

 その一つが統一教会である。まさかアベは反日ではない。むしろ、日本帝国主義者である。そのアベが反日の統一教会と連んだのは選挙である。選挙を回すためには統一教会が必要だったのだ。だから統一教会の悪事を承知の上で、統一教会の宣伝ビデオにまで出演したのだ。

 選挙制度が腐ったのだ。まともに人間と政策で選挙が行われていない。選挙に勝つためには、手段を選ばず、金をばらまく。これが政治に金がいる実情である。統一教会は汚い金のばらまき方も巧みだったのだ。そのために企業に恩恵を与えるからパー券を買えと言うことで動いている。だからアベは企業優遇ばかりしていた。法人税だけを下げた。

 日本人はお金でしか動かない人間が多くなった。その反映が選挙の金権化である。選挙にはお金がいるのは、最近もいくつも犯罪事例が出てきた。逮捕され、容疑を認めているから、日本の選挙の実態がよく分かるだろう。日本人がまともではなくなっているのだ。

 この金権体質は、日本人全体が陥っていることだ。その理由は生きる理念を見失って、お金だけが信頼できるものになっている人が多いからだ。ホリエモンが持てはやされ、自民党から立候補したあのインチキを誰もが覚えているだろう。落選して逮捕された。

 あの頃からこの傾向が強まった。今でもホリエモンが消えないのは、日本人が金儲けの上手い奴こそ、頼りになる偉いと思っているからだ。能力主義社会が先鋭化して、金儲けが出来る人間が能力のある人間と言うことになっている。とんでもない間違えだ。

 理念のない、誇れない日本になった。石垣島でもこの美しい自然を破壊しても、ゴルフ場を作る方がお金になるという人達がいる。ゴルフ場跡地を自衛隊に売れば儲かるから、ミサイル基地を誘致する人達がいる。ふるさとをお金に換えて、恥じない人達がいる。

 この根本原因は農業から日本人が離れたからだ。自然の中で折り合いを付けて、地道に生きて行く事を良しとする、農業で生きてきた日本人がいなくなったからだ。農業に生きると言うことは、自然の中で働くことに生きる喜びを感じると言うことだ。

 農に生きる人間の喜びは作物が生長し実りを迎えることだ。それがお金に換えることの方に力が注がれてから、日本人はおかしくなった。生活できないから、農業から離れた。そして、日本人は驚くべき劣化を始めた。身体を使い物を生産する喜びを忘れたのだ。

 だから、お金だけが価値である生き方になってしまった。お金になる人に投票するとすれば、自民党だろうと言うことになる。共産党では自分だけよくなるというのは認められないに、違いない。日本人の劣化が政治の劣化を導いたのだ。

 しかし、これを変えることは出来る。諦めずに自民党と公明党以外に投票することだ。そんなことをしたところで何も変らないと、思い込まされている。実際は一回の投票で、すべてが変る。自分はパー券を買って、金儲けをしたいという人以外は、自民党には投票しない。これだけで良い。

 日本はこのままではどんどん低迷を深める。野党には能力がないとしても、このまま自民党にやらせていれば、日本は品格のない、みっともない守銭奴の集団になる。それよりは一度ご破算にした方がましだ。再スタートしなければ、日本はダメだ。



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第195 水彩画 日曜展示

2024-01-21 05:08:46 | 水彩画
第195 水彩画 日曜展示

今回は最初の中判全紙の2点ばかり描いていた。






373「小山の田んぼ」
2024.1 中判全紙








374「のぼたん農園」
2024.1 中判全紙 








375「富士」
2024.1 6号








376「佐世保赤崎港」
2024.1 4号







377「入江」
2024.1 4号







378「国仲さんのカボチャ」
2024.1 3号




 何故か絵が進まず、眺めてばかりいた気がする。待っているだけで、絵のことをぼんやり眺めている。絵のことを考えないことにしているので、なにも出てこなければ、描き進めることはない。そんな一週間だった気がする。

 何かから自由になれそうな感じがしているのだが、それを抑えようとする自分が居るのかもしれない。カボチャの絵はのぼたん農園の地主さんの、国仲さんから頂いたカボチャ。随分立派なもので描きたくなった。

 入江の絵は石垣島の海。時々見下ろしてみている場所。その場所ではかけないので、思い浮かべて描いた。赤崎には以前時々行った。佐世保から平戸辺りが好きで良く絵を描きに行った。もう一度行ってみたいと思っている。

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石垣島の農業と堆肥「よみがえり」

2024-01-20 04:49:30 | 楽観農園


 石垣市の耕地面積は約7,700㏊、畑の面積が7.300㏊、一番広いのがサトウキビが1、387ヘクタール。田んぼがその次で面積は約378㏊。マンゴー223㏊、パイナップル153㏊、野菜93㏊となっている。その他の畑が96ヘクタールとなっている。(沖縄総合事務所)

 しかし、このデーターはかなり不自然で、文章には「石垣市の耕地面積は約7,700m2、そのうち田の面積は約470m2です。」と書かれていながら、表の法ではでは378㏊となっている。そもそもこのM2は何を意味しているのだろうか。

 そもそも耕地面積が、7,700ヘクタールであるなら、記載された畑面積の内、葉たばこはかなりあるはずなのだが、その他の畑に入るのだろうか。今はほとんど無くなったと言うことかもしれない。5、000㏊という利用不明の土地の大半の面積は牧草地と考えるべきなのだろうか。

 何故牧草地を外して記載しているのだろうか。そもそも石垣島の農業の生産額ベースで考えれば、73%が畜産なのだ。石垣島の農業を考える場合、畜産を考えることが当然重要になる。伝統的にはサトウキビとパイナップルと葉たばこだったと聞いたことがある。

 その畜産を支えているのが草地である。草地は放牧という所も在るが、半分以上が牧草の生産である。石垣では年間5回草を刈ることが出来る。生草を一年中与えられることが出来る所が石垣島の畜産の利点で在る。特に飼料が高騰する中では重要なことになる。

 畜産農家数が526戸で、牛の頭数が24600 頭とある。統計によっては28000頭というものも在った。人口は5万人だから、その半数に当たる数の牛が飼われていることに成る。その牛の飼料は多分ほとんどが輸入飼料と考えられる。

 以下少し古い資料では、肉用牛飼養戸数は600戸でうち繁殖経営が96%を占め、飼養頭数は2万5千頭で1戸当たりの飼養頭 数は42頭となっている。乳用牛飼養戸数は5戸、養豚農家は9戸で、畜産経営のほとんどが黒毛和 牛の繁殖経営である。温暖な気候を活かした暖地型牧草地の面積は採草地が1500ha、野草地も利 用した放牧地が800haとなっている。 ーーー石垣市大浜長嶺畜産

 長嶺畜産ではジャイアントスーダングラスでの放牧畜産をされているようだ。11.5haの放牧地を1.5~2.5haの5牧区に分け、大雨の日を除き周年輪換放牧をしている。 5牧区のうち3牧区と2牧区の2放牧場に原則として同時入牧させるが、2牧区の放牧場は牧 草の状態を見ながら適宜休牧させている。

 現在もう1牧区を造成中である。 冬は牧草地の維持のため昼間だけの放牧とし、夕方には放牧地に付属の採食場に集め、乾草や ふすまなどの補助飼料を少量与えているが夏は昼夜放牧を行っている。 放牧牛の栄養状態は良好である。 
 
 放牧地に利用しているジャイアントスターグラスは、暖地型牧草のなかでも放牧に適した草種 で、耐干性及び耐塩性に優れ高温時での再生力が非常に強く、反収は放牧地で年間70t/haが見込 まれる。

  退牧後は毎回施肥を行い、雑草がなく牧養力の高い放牧地の維持管理に努め、放牧日数や放牧 頭数を適正に管理している。 牛舎からの堆肥は主にサトウキビ畑に還元しているが、年に1~2度放牧場への散布も行っている。 

 肉用種(2歳未満)1頭1日当たりのふん量は17.8kg、尿量は6.5kg。 人間は一日200グラムのふん量だとすれば、牛1頭で人間89人分の糞をしていることになる。石垣島の牛の数が2万5千頭なので、人間でいえばが222万人の糞尿量に匹敵する。

 この糞尿の処理を適正に行わなければ、土地への負荷が高まり、不健全な窒素過多な土壌になってしまう。放牧の場合当然糞尿は放牧地に糞尿はしてしまう。この糞尿が適正に処理されるためには1頭あたり0,5㏊程度の面積が必要である。のぼたん農園での放牧はその程度で、それ以上の牛を飼うことは難しいと考えている。

 2万5千頭の牛を自然放牧するとすれば、12,500㏊の放牧地が必要と言うことになる。それは石垣市の放牧地が5000㏊在るとすれば、倍以上の面積が必要になる。適正に糞尿が処理されなければ、だんだんに草地がおかしくなって行くはずである。

 現在、よみがえりという牛糞堆肥が作られている。2009年に堆肥工場が稼働を始めた。ここに牛舎から出る糞尿が運び込まれ堆肥化されている。1日の家畜糞尿処理能力はは89..2トン。堆肥生産量は1日23トンで、年間6,900トンとなる。

 昨年度は行政が補助金は付けたので、農家には1キロ5円で販売がされていた。私も5回ほど買いに行った。ダンプの軽トラに積んできて、麦畑や田んぼに入れた。2畝の田んぼに一回30キロ入れる。これを4回入れたとして、120キロ。600円と言うことになる。

 使った感想としては十分使えるものだと言うことだ。麦畑や野菜畑にも使っているが、問題は一度も無い。完熟していないので、おかしな雑草が出るという話が流布しているが、2年使ってみて、そういうことは私の使い方では一度も無い。田んぼでは基肥、追肥と使っている。効果があるように見える。おかしな草は堆肥からではなく、どこからともなく出てくる。

 「よみがえり堆肥」は地域循環である。石垣島農業の主産業が畜産であるのだから、よみがえり堆肥を地域で利用して行くことが、何より重要なことになる。そうしなければ、牛の糞尿が地域の良好な自然環境をだめにして行く可能性がある。








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動禅体操の手順と要点

2024-01-19 04:01:08 | 暮らし


 朝の動禅がなんとか続いている。今年も根気よく続けたい。改めてそう書かなければ継続できないので書いた訳で、少し恥ずかしい。なかなか動禅体操が楽しいので、やりたいと言うところまでは進まない。やりたくないなぁー。おっくうだな。と言うのがやる前の気持ちなのだ。

 朝起きるとブログを書く。最近はブログを書きながら、あちこちの記事を読んだりしているので、それが2時間もかかることになっている。ブログが途中でも、6時に成ったら、動禅を始めることにしている。しかし、始めるときにはかなりおっくうである。

 そうかしょうが無い、スワイショウだけでもやろうか。と思いどっこらしょと始める。それでも、始めれば何とかなるのは分かっている。やっている内にやる気が出てくる。スワイショウで身体を回し、頭も振るので、脳の中でやる気のホルモンが絞り出てくるのではないかとおもわれる。

 ドーパミンとかセルトミンとか言うらしいが、ともかく眼を閉じてスワイショウをやっている内に、8段錦まではやろうという気になって来る。不思議なことだが気分が変る。スワイショウはただ手を振るだけなのだが、自分なりにやり方を工夫している。腰を鍛える体操ということに考えている。

 農作業は腰を酷使する。多くの農業者が腰を悪くする。腰の筋力を鍛えておかなければ成らない。と言ってスクワットのような体操は腰を痛める可能性が高い。兄はスクワットで腰を痛めた。自分の身体に合うように、スワイショウの形を変えている。身体の力を抜いて行う。緩めた身体で運動は行うことが良いようだ。

 腕を大きく振る。腕は水平にできる限り大きく振る。手と腕を投網を投げるように振り捨てる。この時に腰は安定させ、腰骨の上に上半身を乗せて、回転しているように大きく振り回す。大きくだが力は抜く。この力を抜くというのは、要点である。呼吸は口を開いて行う。

 往復で一回として、100回を口に出して数えながら行う。200回ぐらいはやりたいのだが、それでは後動禅までが続かないので、100回にしている。良さそうなら、10回。20回と数を加える。それはどの動きも同じで、小脳に任せて数は増えても減っても気にしない。

 スワイショウの瞑想効果かも知れない。ぐるぐる回りトランス状態に入る宗教が確かアフリカの方にある。運動しながら意識が集中を高まって行くと、だんだん気力が増してくる。スワイショウだけでもと思い、気力を振り絞って始めたものが、いつの間にか、8段錦まではやろうとなっている。だから、始めるときにはスワイショウだけでもと思えば始められる。

 八段錦は動禅という意味より体操的な物だから、力が抜居て行いたいと考えても、身体にそれなりに力が入ってしまう。それでも欧州少林寺のように力んで格好を付けてはいけない。百姓の畑仕事のような動き。力が抜けて、長くやれることは何事にも大切である。

 太極拳は力を抜いて行うので、それに較べて8段錦ではいくらかは身体に力が入っても良いと考えている。八段錦にも様々な型がある。流派があるようだ。基本の動きが分かったので、自分に合うように変えている。自分に合うように変えると言うことは、体操では大切なことだ。特に手を10数える間上に上げるのは、血流にとって意味がある。

 欧州少林寺の八段錦から型を学んで取り入れている。ただこれは動きが力が入り、格好を付けすぎている。姿勢が良いのは大切だが、無理を感じさせるものは堅苦しい。もう少し百姓ぽい不細工で地味な方が良いと考えている。見られていることを意識させるようなものは良くない。

 八段錦は呼吸法でもある。口をとがらせて、呼吸を鍛えるつもりで、限界まで呼吸が出来るようにしている。呼気も吸気も絞り出すように行う。動きに合せることで限界を超えられる。そして、呼吸を長く止める事も意識する。吸って止める。吐いて止める。止めている状態も呼吸法である。

 八段錦は本気でやると、それなりに疲れる。疲れて止めたくなれば、そこで止めることにしている。しかし大抵の場合は、8段の最後の背伸び禅をやっている内に回復する。太極拳をやるかなと思えることが多い。太極拳は何時どこで止めても良いと思い始めている。

 太極拳は力を抜いて行う。自動人形が動かされているように、静かに能のような動きである。どれだけゆっくり動いてもいい。これ以上ゆっくりには動けないという所まで行くのが理想である。力を入れないで、ゆっくりとゆっくりと動いて、バランスが崩れない。眼を閉じているので、実はこれが非常に難しい。

 動禅体操全体を眼を閉じて行っている。眼を空けていると視覚を頼りバランスを取ることになる。これでは禅にはならない。禅における眼は半眼である。薄く開いているが見えては居ない状態。半眼が出来れば良いのだが、半眼が出来ないので、閉じる方がましだと考えている。

 太極拳を視覚に頼り行うと、重要な動禅ではなくなるおそれがある。中国の太極拳が競技スポーツ化したように、心の世界から離れてしまった。大切なことは心の深さなのだから、心に集中するためには視覚はないほうが良い。一定の心境に達することが出来たら眼は開けることにしている。

 動禅全体通しての心の置き所は、身体の中をきれいな水で洗い流しているような心持ちである。特に頭の中を清浄な水で洗っているように意識しようとしている。坐禅のように空の状態は難しいので、むしろ意識を身体の動きやバランス一つに集中するようにしている。

 そして、坐禅でも丹田と言うが、腹筋当たりを意識している。ボディービルダーが強くする筋肉を意識すると言うが、お腹の辺りを意識することで、腹筋が鍛えられると言うことがある。丹田を意識するのは内臓脂肪を溜めたくないというのもある。動禅が終わると、お腹が温かくなっている。しかし、お腹は一向に鍛えられた様子はない。

 一通りやって45分ぐらいである。慣れれば疲れるようなものではないが、それなりの運動量はある。歩数計を見ると多くて100ぐらい増えるだけだ。ほとんど動いていない。全体に歩数計には現われないぐらいゆったりとしていることが良い。

 行うのは夜明けか、夕暮れが良いようだ。夜明けだけやっている。夜もやってみたことはあったが、とても継続できなかった。朝が特に人間の身体の体内時計に合う。活動を始めるときに、静かに気持ちを整える。理にかなっている。今日一日に期待が膨らむ。

 
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健康の自己管理と内観法

2024-01-18 04:08:21 | 暮らし


 自分の健康は自分が作るものだ。お医者さんでも、保健師さんでもない。自分がどのように暮らすのかが重要である。健康に日々を送ると言うことは、長生きだけのことではない。その一日を精一杯に生きるためには、健康心身が必要なのだ。

 指の先にトゲがあるだけで、十分の働きが出来ない。良い一日を生きたいと思えば、自分の身体を大切にして、最高の働きが出来るように供えなくてはならない。日ごろの整備が必要なのは、身体も心も機械も同じことだ。油断して整備を怠れば、病気を呼んでしまう。

 身体の計測は欠かさない。病気になりたくないからである。病院は嫌いだから、健康診断とかはやらない。自分の身体は内観法という自己診断を、身体の内部を感じることで行う。体重、血圧、体脂肪率、基礎代謝量、心拍数、睡眠時間、などは毎日確認している。

 体内の総点検の意識を、体内に巡らせて、自己流内観法で行う。と言って気の流れというような、近代科学の及ばない世界は排除する。頭が痛いかな、胃の状態はどうだろう。昨日痛かった肩は大丈夫か。と言うようなことを、確認するという意味だ。

 自分の身体のことは一番自分が分かる。分かるためには十分な材料と、感知能力が必要になる。一日どういう生活をしたか。それによってどんな変化があったか。これを把握することが重要だ。何故体重に変化があったか。何故体重が変らないか。頭から足先まで意識を集中させてたどり、おかしな所はないか自己流の内視、内観法で行う。

 健康に関しての一般論は受け付けない。人間の身体はそれぞれである。人に良いと言うことが、私には良くないと言うことが必ず在る。それぞれに肉体は特殊なものなのだ。たばこは悪い、肥満は悪い、運動が必要。どの項目も、もっともに見えるが、1000人に3人くらいはそうでない可能性さえある。

 もちろん997人に言えることは参考には成るが、もしかしたら、残りの3人かも知れない。やってみて、自己確認するほかない。74歳まで生きてきたから、様々な体験を重ねた。その結果自分の身体に良いこと、悪い事は誰よりも分かっている。当たり前の事だ。

 両親の体質。祖父母の体質。兄弟の健康。こういうことも参考になる。自分が健康で暮らすための材料は、私自身以上には保健センターでは教えてくれない。健康オタクだから、当然のことだ。自分の心身の整備は、身体と本気で向かい合う以外にない。

 健康のために心掛けていることは。1,54キロ台の体重維持。2,適度な運動。3,朝の動禅体操。4,8時間半寝る。5,良い食べ物を食べる。6,好きなことで陽気に暮らす。だいたいそんなところだ。予定としては、あと26年生きるつもりだ。まだ健康法の結論が出るには26年かかると言うことになる。

 先ずは体重である。体重は一番分りやすい材料である。54キロ台に維持している。若い頃は45キロぐらいしかなかった。当時から思えば、9キロも増えたのだ。高校生の頃は陸上部で、過酷な練習をしていた。体力テスト10種競技のようなものでは、総合点では高校同学年300人の中では一番良かった。

 それで45キロだったのだ。身長は当時も、今も171センチで変らない。陸上競技を始めるまえも、運動好きではあった。田舎の暮らしで子供の頃から身体が鍛えられたと言うことはあったのかとおもう。中学高校と学校を病気で休んだ記憶は無いから、健康な方だったはずだ。

 体重54キロ台は痩せ気味と言える。私が最善に動けるのはこのくらいのようだ。それは増えたとき、減少したときの身体の調子を較べて、このくらいが良いという結論になった。先日身体を使いすぎたときには、52キロまで下がった。少し運動を落としたら、また54キロ台に戻った。

 2番目が運動だ。気持ちの問題で長期に学校に行かないことはあった。それで陸上部に入ることにした。むやみに練習していたら、すっきりするかと思えた。これが一生使う身体の、基礎体力の向上には良かったかも知れない。今の健康な身体は陸上部で出来たかもしれない。

 その体力があったので、開墾生活も出来た。そして開墾でさらに体力と気力が付いた。それなりに体力を使う伝統的農業をしてきたし、今も農作業をしている。どこかが痛くなるとか、疲れがとれないとか、そういうことは無い。最高の状態に整備されている。

 一月に入ってからは、毎日身体を酷使する作業を続けているが、酒を飲んで寝て、朝起きれば元気で気分爽快ではじまる。このブログを書いていられる。その体重が54キロ台である。筋肉量はそれ程ない。高校生の時などさらに筋肉量が少なかった。

 痩せた身体で、高校一番のスポーツテストの成績を残せる身体だった。どれほど練習しても筋肉が増えるようなことはなかった。腕立て伏せとか、起き上がる腹筋運動など、何時間もできた。運動したからと行って、筋肉量が増えない身体である。増えないからと行って心配もしていない。

 3番目が朝の動禅体操。これが続いている間はまず大丈夫だ。日常的な継続こそ健康の原点。動禅は運動と言うより、こころの確立。気力が健康には重要。動禅を行うのはお風呂に入るのと似ている。体内を洗い流すような気分になる。これで大丈夫と安心立命して、すっきりした気持ちで一日が過ごせる。

 4番目が良く寝ることかもしれない。寝ることで免疫が増強される。原発事故以来、免疫を考えるようになった。寝て居る間に身体は再生されている。よく寝るためには昼間身体を動かす必要がある。寝れないとしても、8時間半は寝床にいる。

 5番目が身体が欲する良い食べ物を食べる。納豆は自分で作り毎日必ず食べる。自家製ヨーグルトに蜂蜜と果物を入れて毎日食べる。野菜スープ。肉、魚、卵のタンパク質を重視している。菜食は身体に合わない。ご飯は少量。酒は泡盛を100ccは54キロ台の時のみ飲む。毎日の食事の内容と量に変化はない。

 6番目が好きなことをして明るい気分で活動する。社会は悪い方向に進むばかりだが、どうにもならないことは、諦めて忘れているしかない。最近はほとんどテレビを見ていない。好きなことをしていれば、明るい気分になる。笑って暮らすことが健康の源。

 その笑いは今日一日を十分に生きられたという喜びである。やれることはやったと言うことが大切。そうすれば出来ないことばかりだとしても、明るい気持ちで過ごすことが出来る。一日一枚の絵を描く。これが健康法の結論である。

 石垣島に越したことは健康に暮らすためには最善の選択だった。ともかく冬がない。1月が小田原の5月だ。身体が一年中緩んでいられる。寒さに身構える必要が無い。暖かいことで寿命が延びた事間違いなし。しかも好きな田んぼが出来る。田んぼで一日中絵を描ける。
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諦めたら全体主義になる。

2024-01-17 04:15:54 | Peace Cafe


 日本では有権者の半分しか、投票に行かない。以前は7割を超える人の投票が行われていたのだから、このところ民主主義が成立するぎりぎりの投票率になっている。50%を切れば、半分の人の意志が示されていない。つまり、与党支持者は有権者の25%と言うことになる。民主主義が危ういと考えた方が良い。

 投票に行かない理由は投票に行ったところで何も変わりはしないという気分が、若者を中心に広がってきたからだ。投票などめんどくせー・どうせ無駄なことだ。となったのではないか。そんな気分に成るのも、無理とは言えない。説明責任を果たせば終了。などと言う、ごまかし政治がまかり通る、歪んだ独裁政治が近づいている。

 パー券キックバック問題は、派閥解消の問題などでは無い。派閥を解消しようがしまいが、裏金問題には関係が無い。自民党政治には裏金がいるのだ。政治家はお金を必要としているのだ。お金で人を動かすののが、政治になっている。日本人がお金でしか動かなくなっているとも言える。

 政府は今のままが一番の希望なのだから、選挙で何かが変ることを避けるのが当たり前だ。それは香港も自民党も何も変らない。選挙など行ったところで無駄だ。と国民みんなに思い込ませれば独裁の成功だ。半分の人しか選挙に行かないと言う状況は不満がたいしてないから。そうとは到底言えない。

 投票率が半分以下になったら、選挙を無効にしたら良い。その程度の関心しか政治にないと言うことは、選挙制度が無意味化していると言うことでもある。最近の地方選挙では無投票と言う所が多くなっている。村会議員になって村を何とかしようという人が居なくなってきているのが実情だろう。

 政治に関心が無くなると言うことは、民主主義が成立していないと言うことになる。民主主義は国民全員が、自分の意志で参加しなければならない。自分が作っている国だという意識が、民主主義には必要だ。民主主義を守ることは国の安全保障とも言える。

 これもまた議員になったところで、何も変りやしないという気分がある気がする。その原因は民主主義の形骸化だ。例えば、沖縄では住民投票結果が国によって無視されている。辺野古では73%の人が米軍基地は拒絶したのが民意である。この住民の意思が踏みにじられる民主主義があるはずがない。

 石垣島では住民投票を行えば、自衛隊基地が拒否されるという理由で、住民請求が無視された。住民投票条例の不備が原因であるとごまかして終わり。まあ、行政や裁判所が、上手く屁理屈を付けて、間違いなく反対の多い自衛隊基地を、投票させないようにしたのだ。インチキ民主主義だ。

 こうした民主義の芽を摘みとる行為を、政府は政治手法として行っている。またその行為を司法も同調している。官僚は従っている。三権が一致して民主主義を捨てている。これでは投票に行ったところで無駄だ、何も変らないと言うことの方が、正しい判断と言うことになる。つまり、政治への無関心は政府の政策の一つだ。

 その総合的な結果が、日本国の停滞と言うことに成っているのだろう。どうせ何も変らないという気分は、何をやったところでたいしたことは無い。こういう厭世気分を生んでいる。だから、何でも頑張った所で仕方がないと言うことだろう。当然生産性は低くなる。

 頑張れば変る。これが民主主義には不可欠な世界だ。選挙が死んでしまったのは、自民党のパー券キックバック方式がよく表わしている。政治にはお金がかかるというのであれば、どう政治にお金を使ったのか分かるようにしなければならない。所が分からないようなお金が政治には必要という意味だ。

 つまりここで言う政治は、政治には買収行為が必要だと言っているのだ。だから足の着かない裏金が必要になる。こうして国会議員は子飼いの地方議員にキックバックで手に入れたお金をばらまいている。時々ばれて、逮捕される人も居るが、ほとんどはばれずに何十年も続く、慣例になっている。

 子飼いの地方議員は票のとりまとめというのをやる人だ。地域のお祭り、葬式、結婚式、就職の世話。困りごとの相談。いわゆるどぶ板踏んで、面倒見が良い。世話になったあの人が言うのだから、選挙では言うとおりに一票を入れると言うことになる。これにお金がかかる。

 議員の多くは何かをするために議員になるのではなく、議員になりたいから議員になる人だ。議員をステイタスだと思い込んでいる人だ。良い就職先だと思い込んだ人だ。アイドルになりたいという、中学生の希望と大して変らない。ちやほやされたいという人達だ。

 日本も活気のあった時代はこんなではなかった。立派な人が政治家にも居た。日本を何とかしたいからと言う、自民党議員もいた。それがおかしくなってしまった理由は、政治に関心を失わせることに成功をしたからだ。あの民主党政権の失敗が大きかった。

 政権が野党に変ったところで、何も変らないという状況を官僚が作った。官僚にしてみると、どうせ自民党に戻ると思って、民主党に協力をしなかった。多分いくらかいた民主党協力官僚は、政権が代わり左遷されたのだろう。もうそれからは、官僚は政府の補完勢力以外の何ものでも無い。公文章の書き換えすら指示される。しかもそれをした人が、国葬になる日本。

 しかし、ここで諦めたら全体主義になる。脅かしでもデマでもない。当たり前に迫っている近い未来の話だ。無関心が全体主義を生むのが、資本主義末期の世界だ。民主主義を取り戻すことは難しいことではない。自民党と公明党には投票しないだけで良い。

 嫌なものは嫌だと選挙で表明すれば変る。説明で済まして貰っては困る。政治のお金は、すべてクレジットで動かすことを義務ずける。パー券を買和されるお金も、クレジット払い。その集めたお金をどう使ったのかも、クレジット決済払い。そうすれば、子飼いの議員にお金がばらまかれることはなくなる。

 民主主義は投票する一票の行為で変る。野党は政治資金クレジット法案を提出しろ。どうせ自民党は屁理屈を言ってごまかすだろう。しかし、自民党は行き詰まる。そうしたらみんなが野党に投票して、政治のお金はクレジット以外では動かなくさせる。

 野党が政権を取れば、日本の経済はさらにひどいことになる。確かにその可能性は高い。完了が協力をしないのだから、一時さらにひどくなるだろうが、それでも全体政治よりはましだ。そうして、もう一度最初から政治を変える必要がある。

 
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