地場・旬・自給

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エネルギー暴落が起こるかも

2014-09-30 04:18:43 | Peace Cafe


上の畑 中盤全紙 ファブリアーノ 自分が耕した畑を時々描く。他を描くのとは違うおもしろさがある。





エネルギーはどの時代であれ、暮らしにとっては衣食住と同等の重要なものだろう。江戸時代であれば、家の裏に里山があり、いつでも薪や炭が手に入る暮らしと言うものを願ったようだ。遠くまで採りに行かなければならない暮らし、あるいは購入しなければならない暮らしは、不経済で不便なものであった。戦後の経済発展のなかでう、原子力は化石燃料のない日本の夢のエネルギーとして登場した。石油は枯渇するから、それまでに何とか、新エネルギーを見つけなければ人間の文明は終焉に向かう。小学校の時代に東海村に原子力発電所が出来て、そう先生は教えてくれた。マッチ箱ぐらいのエネルギーで世界を一周できるのだと、新聞の特集には絵入りで書いてあった。現在、政府は再稼働に必死である。代替の自然エネルギーの話はどうなったのかというぐらい、世論の反対を押しても原発再稼動を進めようとしている。しかし、その一方で実はエネルギー価格が暴落する可能性が出てきている。

何と言っても現代文明を産み出したエネルギーは化石燃料だ。産業革命が石炭であれば、20世紀の世界の激変は石油である。しかし、石油偏重が進めば進むほど、産油国との軋轢が深刻化してきたのが、中東の戦争状態の背景にある。特に、ホルムズ海峡の封鎖は日本の命取りだからという理由を上げて、集団的自衛権の解釈見直しまでしてしまった。それなら、代替エネルギーを早急に取り入れ、石油依存を止めると言う道が、平和国家の取るべきかじ取りであろう。しかし、石油を取り巻く状況が変わりそうな気がする。石油はすでに需要も価格も動かない。世界の人口は増加しているにもかかわらず、その消費量は伸びない。「現在の100ドル/バレルの実質価格は、後に石油価格暴落を招いた80年代初めの価格水準と同等である」ということだ。現在さらに100ドルを割り込んできている。日本が石油輸入で国際収支が悪くなっているのは、円安の為であって、石油が上がっているからではない。もしこれが円高に振れていれば、ガソリンは100円程度に値下がりする。当然、原発の再稼働などコストからして考えられない事態なのだ。

世界でのエネルギー源は石油は33%であり、石炭が30%である。石油は70年代には残り2兆バーレルと言われていて、その後1兆バーレル使った。ところが現在の採掘可能量は7,7兆バーレルだそうだ。技術革新である。しかも使用量はさして増加しない。そこへシャルガスを始め、様々なエネルギーが技術革新を始めた。次の時代は、新しいエネルギーに転換できた国が先導するに違いない。過去のやり方に固執して、次のエネルギーに転換できない国が、取り残される事に成る。日本の条件がエネルギーの完全輸入国であるなら、次世代エネルギー技術の先進国に成ることを国の方向にしなければならない。どの角度から考えても、原発に固執している時ではない。既得権政治を抜け出し、新エネルギー産業創出に官民そろって向かうべき時だ。

次のエネルギーの可能性が見えてきたので、石油を値上げできない。石油時代は遠からず終わる。次のエネルギーのめどが見えたときに、石油価格の暴落が始まる。次のエネルギーは日本が傍観者でいるとしても、本気で模索する国が登場し、開発するに違いない。その新エネルギーを獲得した国が、次の文明の中心に位置するはずだ。その時石油に依存している国、まして原発に依存している国は、取り残されると考えて置いた方がいい。日本は幸いにも、エネルギー産出国ではない。そして重大な原発事故を起こしてしまい、国民には原発の不安が存在する。新しいエネルギー技術を創出するには、ふさわしい環境にいる国のはずだ。それを進めないのは、過去の成功体験から抜け出られないからだ。既得権を持つ者の声が強いためだ。それが既得権圧力と成り、政府を動かしている。こんな後ろ向きな方向しか考えられないのだとすると、日本は相当に危うい状態にあるということだ。
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アジア大会での窃盗事件

2014-09-29 04:29:36 | Peace Cafe


志賀高原 田ノ原湿原 中盤全紙 早春である。一番美しい季節だ。5月である。日影にはまだ残雪がある。こういう場所で一度田んぼを作ってみたいものだ。稲は少しでも実るものだろうか。この湿原のそばに温泉ホテルがある。ここの方は10年くらい前には、野菜の畑を作っていた。さすがに生育が悪かった。それでも、少しづつ出来ていた。





水泳の日本選手が、アジア大会で報道陣のカメラを盗む事件を起こした。まさかの衝撃である。しかし、よく考えてみれば、いつ起こっても不思議でない事件だったのかもしれない。エリート教育の実態が背景にある。高校や大学の運動部という環境が、前近代的な暴力が支配する、縦社会であることを経験した人は少なくないと思う。強ければ人格など全く問題にされない、競走世界。これから東京オリンピックを控え、ますますこの傾向が強まるはずである。強ければそれでいいのか。能力主義の限界。金メダルを取れるなら、どんな人間でもオリンピックに出場すべきなのか。柔道の金メダリストが、強姦罪で有罪判決が出た。こんなバカげたことがスポーツ界の根底に存在している。コーチのセクハラや、パワハラ事件など、氷山の一角であることを疑わざる得ない状況である。東ドイツでは強い選手を作り上げるために、国家を背景としたドーピング事件さえあった。

それにしても、今回の窃盗事件は前代未聞である。問題を抱えた選手は今までもいたはずだ。しかし、選手団組織として選手把握が出来ていなかった。競技団体そのものの管理能力を疑わざる得ない状況である。韓国でのアジア大会の意義を、日本選手団は認識できていたのだろうか。金メダル50個を目標として、それさえ取れれば成功という様な認識だったのではないか。東京オリンピックに向けての、足がかりとしての選手強化。そして、スポーツ団体への補助金の増額願望。精神がジャブジャブ状態のスポーツ団体が想像される。何のためのスポーツかをもう一度確認する必要がある。競技者はその底辺と成る健康スポーツの結果でなければならない。バレーボール鬼の大松監督は、前の東京オリンピックで金メダルを取った後、ママさんバレーを普及啓発生涯その目標にした。そして金メダリストたちも、ママさんバレーボール普及を熱心に行った。それは金メダル獲得以上に素晴らしい活動だと思った。

今回の事件にはもう一つの問題がある。確かにトップ選手の存在は、日本全体の喜びである。それと国威発揚が繋がることの危険だ。期待を裏切る選手の人格の意味をもっと深刻にとらえるべきだろう。韓国では反日感情の高まっている。その韓国で日本の選手が犯罪を犯してしまったという、外交的打撃である。早急に政府が謝罪をしなければならない。事の重大さを認識しなければならない。日本大使はすでに駆けつけて謝罪したのだろうか。場合によっては、謝罪のための特使の派遣も必要かもしれない。対応を誤れば、従軍慰安婦問題にまで悪影響をもたらすことに成る。オリンピック開催にも大きな影響が考えられる。事を甘く考えない方がいい。次に考えるべきは再発防止である。こういうことがいつ起きても不思議のない状況がある。今回の事件を特殊な事例と考えない方がいい。ここで対応をお茶を濁せば、次々にこんなことが起こりかねないと考えて置いた方がいい。

スポーツはあくまで自己新である。それぞれの個人の為に行うものだ。国民全体でのそうした積み重ねの結果として、一流選手が登場する。登場しなければそれでもいい。学校の名誉とか、国の名誉が、優先される能力主義の弊害。競争の環境では人間としての選手が薄れて行く。強いという価値だけでの競争。競争の原理を心に植え付けてしまう、むしろ人間をダメにしかねないのではないだろうか。人間が育まれるようなスポーツ環境を作り上げる必要がある。弱くても、ダメでも、人間としての価値は、全く劣るものではない。相撲界では逸ノ城という怪物力士が登場し、新入幕で横綱に勝った。また、モンゴルからである。怪我をしなければ横綱間違いなしの逸材。日本人がなぜ勝てないのか。日本人の暮らしの変化を指摘する人が多い。相撲ファーンとしては書きたいが。江戸時代にあった負け相撲という芸能を考えてみたい。勝つだけが面白いのではない。勝ったり負けたりするのが面白のだ。
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犬は言葉が分るのか。

2014-09-28 04:09:03 | 身辺雑記


山北の斜面の畑 10号 前に住んでいた家のそばを描いた。前畑だった所も、いつの間にか山に戻っている。畑に行く道も、通れなくなってしまった。






犬は人間の言葉を理解する。そういう犬もいた。という話を書きたい。今一緒に暮らしている、ドンちゃんも福も言葉は分らない。大抵の犬には言葉は理解できない。人の様子を想像して対応しているのは明らかなようだ。言葉を理解していたとしか思えない犬は、子供のころから長く飼った、ラブラドルリトリバーのクロだ。この犬ほど人間の言葉を理解した犬はほかには知らない。今そばにいて不満を表明しているのが、猫のリンチャンでこの猫は確かに頭が良い。理解力が抜群である。例えば、私が寝に行くかと声
をかけたら、間を空けてついてくる。誇りが高いから、ひょこひょこは来ない。もったいぶってきてやったぞという感じで、寝床に顔を出す。しかし、こういうのは言葉を理解しているというのではない。全体の気配で、人間の行動を読んでいる。言葉というより、私の頭の中に湧いているものを感じて以心伝心という感じだ。言葉が分る以上にこの方がすごいというのもあるのだが、リンチャンを褒めて置かないと今も怖い顔をしている。自分のことを何か考えているなと推察できるのだ。すべてをお見通しという感じが、猫のリンチャンにはある。

ところが、ラブのクロはそういうことではなく、完全に言葉の意味を聞き分けていた。それは実験をしてそういうことが分ったのだ。クロは私と一緒にあちこちに引っ越したのだが、私が高校に通う頃は、ブルドックのブルちゃんと一緒に松陰神社の家に暮らしていた。そこそこ広い庭がある家で、ぐるりと高い塀で囲われた、庭で自由に暮らしていた。ブルちゃんの方は家の中にいたのだが、クロの方は、縁の下が好きで、そこを勝手に住みかと決めて、離れようとしなかったのだ。たぶん、縁の下には、ブルも行けないし、人間も行けないので、勝手に自分の最善のすみかと考えた。都合の悪い時は、そこに隠れて出てこない。それでは庭だけが好きなのかと言えば、家の中も妙に好きで、高い窓から家に入り込んで、棚の上でうずくまっていたりする。人間が気がつかない状態で、そういう所にジーとしているのが好きだ
ったのだ。暗い中でテレビを見ていると、いつの間にか後ろに来て、這いつくばっているというようなこともあった。

犬らしい面白い行動ばかりしていたのだが、縁の下をあちこち移動しているのだが、おおよそリビングの下に入り込んでいて人間の話を聞いているのだ。何で話を聞いているのかは分からないが、話題をかなりの範囲で理解しているらしいと思われた。だから、クロという言葉が出ると、慌てて縁の下からはいずり出てきた。だから、意識して使わない様に家族で決めた。クロを表すのに、白でない奴とか言うことにしたのだが、それでもクロのことを話題にしていると、すぐばれてしまう。どうもこれは言葉を理解しているとしか思えないので、実験をしてみようと言うことになった。自分のことを話していると理解すると出てくるのだから、いくつかの話をして、本当にクロのことを話題にした時に出てくるかを試したのだ。もちろんクロとかラブとか、犬とかの言葉は使わない。尾の長い奴が、隣の猫を追い回していたが、あれは何でか。等と話す。もう話題がふられた途端に飛び出てくる。それが関係のない話をしてもウンでもスンでもないのだ。

色々試したが、これは言葉を理解しているという結論に成った。何度か書いたが、この犬は最後には自殺をして死んだ。自殺をする犬などあり得ないかと思うだろうが、手すりを乗り越えて屋上から飛び降り自殺をした。しかも、下がテラスに成っている迷惑のない場所へだ。病気に成って、とても苦しがっているので、畜産科の大学院にいた兄が、明日は大学へ連れて行って、死なせてあげようという話をしたのだ。これを聞いてしまったのだ。聞こえた訳もないと思われるのだが、クロはいつも人間の話を聞くのが好きだったのだ。クロから学んだことは山ほどある。ともかく生涯通して、明るくて、陽気だった。一緒にいるとすぐに楽しくなった。怒るということが全くない。ブルが悪いことをしても、代わりに自分がやったと言って謝ってくる。許してやってくれという訳だ。その後色々の犬を飼ったが、クロの様な犬に出逢うことはない。
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金沢にいた頃

2014-09-27 04:16:24 | 身辺雑記


山北の斜面 10号 少し写真が悪い。




水彩人の初日は、目録の印刷に追われていた。10枚、20枚と少しできた順に、受け付けに届けていた。受付で私の知り合いという方が見えていた。お会いしてその雰囲気でなんだかどこかで、会ったことがある様な気分に成った。しかし、記憶が無い。忘れていることは良くあることなのだが、どうもそれでもない。どこか印象から伝わってくるものがあった。名前を聞いて少し震えた。驚いたことに昔金沢にいた頃の仲間の、家族だったのだ。絵を見に行ってあげてと言われて、来てくれたというのだ。とっさに、絵を描いて良かったと思った。金沢の馬小屋に暮らしていた頃、ああ、今日一日、何かやってやるぞ。アートシアターギルド映画の主人公気分で起き上がる。まずメルツバウでも行ってみるか、誰かいるかもしれない。あのままに、今の毎日は続いている。理由がある訳でもないのだが、あのままやってきた。結局のところ、やってきてしまった。という方がしっくりしているかもしれない。絵を描くと言うことにへばりついている。そういうことを忘れないでいてくれる人がいる。

今日は絵を描くか。という毎日が続いて変わらない。20代金沢にいた頃のまま来てた。12年正道を進めば、才能が無くとも結論が出るだろうと、空海は書いている。その12年が、一年進んでも、また12年ということで、結局45年来た様な感じだ。それで65歳に成り、いよいよ残りが12年ということに成ってきた。先延ばしすることのできない、結論を出す12年だ。お前は自分の願った最高の自分に成れるのか。人間は人間に支えられている。倫理的な教訓としてではなく、あの出会いが無ければ、今の自分というものは全くない。そういう変えがたい出会いの積み重ねとして今を生きている。70年代の金沢には、そういう濃密な空気があった。

今は田んぼを仲間とやっている。一人でやるより面白い。人間の出会いがあるからだ。そして、色々の困難を乗り越えることができる。農家の人であれば、一人でやる方が手早いと思うことだろう。しかし、自給の田んぼは一人の田んぼより、楽しい。楽しい共同であれば、頑張ることもできる。ことしは初参加ながら、前半とても頑張ってくれた、Nさんが手首を骨折してしまった。みんなでやっている田んぼだから何の問題もなく作業は進んでいる。これが一人の農家であれば、どうにもならないことだろう。どうにもならないからご近所に頼むか、農協にお願いする。近くの親戚に頼むというのが一番普通かもしれない。いずれにしても、ご主人がけがをしてしまえば、農業としてはどうにもならないことに成る。そのまま終わりに成る農家もある。それぞれに孤立して効率の悪い業として、田んぼが行われている。昔の農村共同体は小田原では失われていると言える。

道元は、自分の修行の仲間に対して、来たるものは拒まず、去る者は追わずとした。座禅など一人でやれない訳でもない。山の中で一人でやっている人も実際にいる。しかし、修行というものは一人でやるのは良くないことだと山本素峰先生は言われた。雲水として仲間を求めて歩くのも修行。そして山門をくぐり仲間とともに座るのも修行とした。絵を描くと言うことにも、仲間が必要だ。金沢の友人たちも、心の中に実在感を持っていつも存在している。そうした今まで出会ってきた仲間がいる。そして今展覧会を一緒にやっている水彩人の仲間がいる。様々な人間と人間の出会いがあり、その支えと励ましの中で、今このように絵を描けることの出来る幸せ。絵は一人で描けるものであるが、一人では本当の絵までは行けない。どこまでも一人であったゴッホも、絵を描く共同体を求めて、ゴーギャンとの共同生活を行った。強烈な個性の2人が上手く行く訳はなかった。水彩人も同じである。上手く行く訳はない。それでもそのぎりぎりの中で切磋琢磨して行くほか、道はない。
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水彩画教室 10

2014-09-26 04:11:09 | 水彩画


山北の斜面の畑 10号 縦長の構図で、斜面を横から描くようなことを良くやった。これを4枚とか、8枚とか、横につなげて一枚にした絵もある。




水彩画教室は10回目になる。結論の様なことを書いてみる。12年かけて、絵というものに到達するつもりが、すでに、自分の絵は「地場・旬・自給」のポスターでいいのではないかと思い始めている。早々思い始めたことは、少し性急過ぎるような気もするが。目的が定まると、結果を考える。結果を考えると不十分なことに気付く。自分に向き合おうとすると、自給という考え方を突き詰める以外になということになる。絵を描くということは、自己確認の手段という側面が強い。農作業と絵を描くと言うことがひとつながりであるように絵を描く。そこに自分の描くべきものがあるように思えてきた。絵を描くことが、自分というものに向かい合うべき手段に成る。自分が何の為に生きているのかということ。人生という生きる期間の今日一日を大切に生きるために絵を描く。生きているということを、全身で受け止めて実感するために絵を描いている。自分というものに到達するために絵を描く。

生きるということが希薄化する時代。人間疎外が現実化してきたということだろうか。私自身は、この疎外感を払しょくするために、自分の食べているものをすべて自分で作り、食べることで、生きるということを現実化したいと考えた。それが、自給生活の始まりであった。それから絵を描くと言うことが、自分の為のことに徐々になってきたようだ。野菜やお米を作るということと、同じレベルの意識で描くようにできないものだろうか。良いお米を作ったとしても、食べたら消えてゆく。人間が生きて、暮らして、死んでゆくということはそれでいいと思うようになった。食べるものがあれば、何とかなる。しかし、心が充足するためには、心が満たされる食べ物を作る必要がある。日々の精神の活動が深く豊かでありたい。今日一日が、良かったと思える為には、絵と向かい合う心を開く必要がある。

絵を見る目とは、心の中を見る目のことになる。心の奥に向かって行く感じと、心の中から出てくるものが、融合して形に成る。外界が心にどのように映るのかを、肉眼を通して、見ている世界が、心の中でどんな姿であるのかを描いている。見ると言うことに手が付いて行く。手は自由に動いているのだが、見ていると言うことが手を動かしてゆく。見ているということをまず心が、反芻する。心が反芻したものを発して、手を動かしてゆく。頭の知識の様なものは、後退する。感覚的であるのかと言えば、視覚的なのだ。感情的であるのかと言えば、心は静かである。目に映るものに、静かに対応している状態。意識的に手を動かすのではなく、心に従って手が動いて行く。どういう絵を描くとか、もちろんどういう絵を描くということではなく、絵は生まれてくる物のようだ。だからその結果が良いものでないということは、自分の目と、心がまだまだ見えないし、感じることが不足しているということに成る。

見ているようでもなく、見ていない様でもない状態。目に映るものに任せて、それを受け入れて画面にあらわして行く。心という器は、自分に従っているものであり、自分の知識の様なものは、総合して現われてくる。空の色がどのようであるかは、千変万化である。それに反応するためには、空の色の先入観を捨てる必要がある。今ここにある空にどう反応できるかである。これが陳腐ないつものやり方に成るということは、知識で描いていることであり、心を自由に開放していないということに成る。目に見えているものに、心をゆだねる。それが陳腐なら、自分の心が陳腐であるのだから、それでいい。自分の心と目を、高めて行くだけである。絵だけ良くなるなどということはあり得ない。まあ、こうなると絵画禅ということに成るが、今回は一応の結論として、私の水彩画の描き方を書いてみた。しかし自分がまだ分っていないということが読み取れる。



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藤田嗣冶の絵の評価

2014-09-25 04:27:11 | 水彩画


明神岳山麓の畑 中盤全紙 良く通る道の脇である。畑も比較的良く耕作されている。





フジタは確かに世界での評価という意味では、生きている内に評価された、ただ一人の日本人画家といっていいだろう。そこまで評価された絵描きは他にはいない。しかし、私には絵画とは思えない。フジタの表現はイラストである。それは彼の生涯を通しての絵を眺め渡せば見えてくることだ。イラストであるから、悪いということではない。イラストとしては良く出来ている。絵巻物もイラストの一種と言えばいえるので、近代絵画ではないと言った方がいいのだろう。近代絵画ではないから価値が無いという意味ではない。近代芸術ではないと言う方が正確かもしれない。芸術には、作者個人の思想哲学が必要であると考えている。藤田嗣治の絵は、私が考え、描こうとしているものとは、かなり異なるという意味だ。イラストという意味は、説明図ということになる。ある意図を上手に説明するのが、よいイラスト画ということに成る。絵画とイラストの違いを説明するなどということは、まだろっこしいことだが、簡単に違いを言えば、作者の思想・哲学があるかないかである。作者の自己表現に成っているのが、芸術としての絵画であるということ。

フジタは依頼に従って、あるいは受けそうなことは何でも絵にした。猫の居る裸婦でエコールドパリのフランスで評判を得る。世紀末的気分、ジャポニスム。いかにも日本的工芸技術を駆使した、受け狙いが的中している。画面にフジタの本質とか、思想とかいうもの見ようとしても、存在していない。この考えではほとんどの絵がイラストいうことに成る。だから世間一般の評価ということでは、案外にイラストが評価されているので、私の考えが少数派である。世界で評価されたから、芸術的に高い境地にあるとは到底言えないのも確かである。特に、現代は商品絵画の時代である。売れるものが投資として良いものなのだ。文学賞でも受賞を商機ととらえて、販売側が多様に賞を作っている。絵画でも同じことで、何とか絵を売りたい。売れる絵は何かと、探っている。商売に成るということが、商品の意味であるから、時代が商品絵画を作り出している。しかし、芸術というものは、売れる売れないが関係ないのは当然のことだ。だから、「私絵画」である。

フジタは、日本に戻り、戦争画も描いた。依頼されて、秋田の風物を描いてもいる。評価されるものを何でも描けた。別に悪いということではない。秋田の風物画は平凡なもので、今評価する人は少ないだろう。そういう生き方もあるということだ。フジタの生涯全体でその絵を見なくては見えないことがある。フジタの戦争画は玉砕を美化するイラストとして描いている。アッツ島玉砕。サイパン島玉砕。当時フジタの絵は全国を巡回し、絵の前には賽銭箱が置かれ、絵を拝んで賽銭を入れたそうだ。あれがフジタ絵画の本質であるなら、フランスで評価された絵はどうなるのだろう。猫のいる裸婦像は世紀末の退廃文化を暗示させる風俗画である。猫がいると言うことは、娼婦ということを意味している。マネのオランピアの受け売り。フジタは当時のフランスで受けそうで、日本人にしかできないような技法を確立する。磨き上げたマチュエールに面相筆で細密的に娼婦を描く。この精神のまま、日本に戻れば秋田の風物詩を描き、戦争画を描く。イラストレーターらしい仕事である。絵の背景には、迎合的な心情や生き方が、見え隠れしている。

フジタ本人にもどこに本心があるのか不明になる様な陶酔がある。この陶酔の尋常なさが、実はフジタの絵である本質部分だ。これは、萎えたような日本の風物にも、玉砕の場面にも、猫の居る裸婦を描く場面にも共通して立ち上る気配。どの絵にも尋常じゃない病的な熱情が秘められている。その只者でない何かがフジタの絵画と言えばいえる。たぶん本人も意識はしていない異常さの様なものが絵に成っている。エコールドパリという不健康な病的な絵画の時代の影響もある。しかし、絵画というものが何を目指すものであるのか。病的な人間の病んだ世界を表して、評価の高い作家もいる。ヒエロニムス・ボスの絵は悪夢のような、奇妙な宗教画である。絵画がすべて健全でなければならない訳ではないが、私の考える世界とは違う。結局絵はその人の生き方である。フジタの生き方がフジタの絵であるとしか言いようがない。
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高齢者のタブレット購入

2014-09-24 04:27:57 | 身辺雑記


志賀高原田の原湿原 中盤全紙 初夏緑の色が鮮やかだった。春先の雪が消える頃、秋の雪が来るころが多いいのだが、緑の美しさというものにうたれる。





ソニーのタブレットというものを購入した。まだ使い方は全く手探り状態である。びっくりしたのは自分のブログをタブレットで読んだら、様子が違って他人事に見えて怖かった。活字の鮮明度で違って見える不思議。田んぼの現場で写真を撮って、記録が書けるようなものが無いか探していた。防水で防塵の様な機種が無いかと考えていた。そういうものがあれば、田んぼや畑で直接、葉の色や虫などの写真を取りながら、記録が付けられると考えた。今までそういうものが無かった。あったのかもしれないが、探せなかった。パソコンの広告でソニーから、私が考えていたような機能がそろったタブレットというものが発売されていた事を知った。実物を見てみようと出掛けたまま、秦野のドコモショップで、つい買ってしまった。珍しく衝動買いである。良くも分らず買ってしまって、今とても操作に苦労している。苦労していることは居るが、電車の中でも、あれこれ調べて読むことができるので、悪くはない。今は時間が無いので、使い方まで進めないのだが、当分四苦八苦である。老化防止と思えば悪くない。

何かおかしいなとは思っているのは、いつの間にか入力されたアプリというものだ。どうもアプリというものは、お金を集める仕組みではないだろうか。最初はその場ですぐ買えるものだと思ったのだが、書類を書き始めたら、1時間30分かかると言う。止めて帰ろうとしたのだが、話している内に、用事を済ませてもう一度来たら早く出来るようなことを言われた。ついお願いして7時に戻ると約束した。それで準備がある程度終わっているのかと思えば、何とすべての購入手続きが終わってお店を出たのは、9時30分だった。お店の人は親切は親切なのだが、説明を複雑化しているきらいがある。たぶん、意識的に分りにくくしているのではないかと疑ってしまった。分りにくくして、あれこれ余分なものまで買わせる。例えば、2ギガでは足りないと断言する。いつでも減らせるのだからまず5ギガで申し込めと断定的に言う。パンフレットにある時間の説明は、車の燃費表現の様なものだ。本当はこうはいかない。いつでも下げられるからというので、ではいつでも上げられるからその時にというと、いや、購入当初が一番使うのですなどと上手いことを言う。

そしてアプリである。3つはまず申し込んでもらいたい。これも止めるのはいつでもできるのだから、と力説する。さらに、携行ケースがいるとか、遠隔操作の物とか、あれこれ買った。記録のSDカードが無ければ実用的でないという話だ。その時は特殊なカードで、カメラに入っているものと同じとは夢にも思わなかった。そうした説明を、教えてもらいたいタブレット操作の説明の合間に行うので、何が何やらわからなくなってしまった。混乱した中、分らないことは、後で電話で聞けるというサービスもあるのでそれにも入った。機械の壊れた補償とかにも入ったが、いざとなった時には様々条件があるような気がする。ウイルス対策にも入った。すべてがごっちゃに成って、甚だ、心もとないから、質問をすると、丁寧に答えてくれるのだが、知っておくべきことが分らないから、結局質問も見当違いだった気がする。それで2時間半だ。帰ってから動かしてみたが、よく分らない。やっと電話の遠隔操作でアプリを消せるという所まで来たら、すでに8日目だから、挿入したアプリの費用は発生しているというのだ。この点では高齢者を煙に巻く商法と言えるのではないか。費用は取られた。

悪口を書いているが、それでも後悔はしていない。使いこなせれば、私には有用なものだ。ついに無線ランは設定できた。写真も取れた、メールも一度は出来た。ところがその後できない。何故だろう。これも遠隔操作の電話で、教えてもらえた。一度、wi-hiの設定を外して、ドコモのIDの設定をやり直す必要があるらしい。ブログも書きこむことができた。まだ、グーグルで自分のページを開いてから行かなければならない。そうこうしている内に何とか利用できるように成るはずだ。体重計との連動が出来るらしいのだが、これはまだ分らない。電話の子機の様なものも買ったので、後から送られてきたのだが、接続ができない。習うより慣れろ。年寄りになればなるほど、こういう機械は有効なのだ。最初の関門を越えられなくなってからでは遅い。慣れてしまえば、100歳に成っても便利なはずだ。年寄りに問題なのは、画面に微妙にタッチして画面を動かす点の様だ。指先が固く成りこわばり、どうしても違うあたりを触ってしまう。
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水彩人研究会 東京都美術館

2014-09-23 04:04:42 | 水彩画
東京都美術館で水彩人が主催して、水彩画研究会を開催する。9月27日一日の開催である。朝から行うので、参加希望者は会場で申し込みをお願いしたい。昨年に引き続き第2回ということに成る。今回は水彩人に出品している絵を基にして、具体的に作者が語るいうことをやろうと言うことに成っている。



「黒姫山放牧地」 中判全紙




「北斗台地の畑」 中判全紙




「信濃川河畔」 中判全紙



「妙高山麓の村」 中判全紙

ワークショップ 水彩人討論会
レポート 笹村 出

16回水彩人展に4点の風景を出品している。どれもが日本の里地里山風景である。日本の自然に溶け込んだ、畑や集落を描いたつもりだ。畑や村がまるで自然の一部であるかのように、そこにあるということを描いてみたかった。日本人の暮らしの原風景の様なものに出会って描いた。場所は長野のあちこちである。自分の育った頃の山梨の山村の空気に通じているから描きたくなるのだと思う。もうふるさとには故郷の風景は無い。日本人の暮らしが作り出した風景を直に描いてみたかった。こういう目的のある絵が、本来の絵画であるのかどうかを、研究したいと考えて提出したレポートの様なものだ。

絵画に目的があれば、それはポスターの様な物である。今回の絵はポスターの方が、自分のやるべき仕事かもしれないと考えた所がある。自分の思想信条のポスター。人類の軟着陸地点としての、「地場・旬・自給」の世界。

自分なりに小さな決意して、この4点を出品した。もう年齢的にも結論は近付いている。自分としてはだいぶ変わったものを出したつもりだが、たぶん他の人が見れば、さして変わらないということに成っているのかもしれない。その辺をみんなに聞いてみたいと思っている。水彩人は自分の絵の勉強の為にやっている展覧会である。

少し前までは、暮らしている空間の、畑や田んぼや家のある空間にある、漠然とした雰囲気の様なものを描いていたと言える。それはその場で見て描いているのだが、どちらかと言えば抽象的な表現に成ることが多かった。見れば見るほど抽象的になる所が、多分私のものの味方なのかもしれない。

見えているものを内なる目で見つめて行くとそうなったと言える。私にとっては、良く見ると言うことは、写真機の目から離れて行くことであった。写真機の目で見えているものは、自分の見えている現実の空気を反映していない。そんなものを写すのは絵画ではないと決めていた。

描いているのは「私絵画」であって、見る人のことを基本的に考えていなかったので、説明的な要素については、気にも留めなかったようなのだ。これまでは自分の絵を見る人がいるとしても、極めて少数の、似たような世界に入り込んでしまったような人だけだろうと考えていた。こういう諦めが、自分の繪の方向には影響してきた。

最近どうも、絵画のイデオロギーポスター的役割の様なものが頭に入り込んできている。私の描いた絵画、軟着陸の地点である。というような世俗的な思惑。芸術とは言い難いもの。それでもいいというような居直り。

「私絵画」の意味。絵を描くと言うことが、社会的な意味としては私ごとの行為に成った、と考えている。社会的影響とか社会的意味とかいう方向から考えれば、成熟した資本主義経済の中では、絵は商品である。これは価値観ではなく、社会科学的事実。自分がやっていることを、そういう方向からは到底考えられない。商品という考え方で、私の絵をとらえることが我慢ならない。それは私自身がそういう世界で、挫折したということも当然ある。

それでも絵を描くと言うことが、捨てきれないもので、自分という人間には描くことが、とても重要なことである。たぶん、それぞれにとっては絵を描く事が、人間のすべてであると言えるような人が沢山いる。そうした個人的な思いをどのように紡ぎ合うのかということである。それが水彩人における絵画の研究だと思う。

角度を変えてもう一度考えれば、描いているものの自分にとっての意味は、軟着陸地点である。自分の目指してきた地場・旬・自給の到達した暮らし世界である。このまま競争社会が深刻化して行けば、また戦争に至る。戦争に至れば、今度は核戦争だろう。そうなれば人類には悲惨な結末が待っている。そうならない為には、他人や、他国と競争するのではなく、自分自身を深めてゆくという生き方に転換しなければならない。その目印の地点としての絵図の様なものなのかもしれない。ポスターのようなものかもしれない。

個人の哲学の様なものを、人間の思想の様なものを、あるいは人格の様なものを、そういうもろもろの厄介な物をむき出しにしなければ、絵画ではないと考えている。

何故そんな個人的なことを、共同で研究しなければならないか。そうしなければ本質に至れないと考えたのか。このあたりの模索が水彩人の始まりである。始まりであり、現在進行中の紆余曲折的経過である。
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隠された拉致

2014-09-22 04:18:31 | Peace Cafe


山桜が咲いている。 中盤全紙 インドの水彩紙 山桜の美しさは、格別である。静かにひっそりと咲いているのに、秘めた華やかさがある。







そろそろ北朝鮮から拉致被害者の調査結果が伝えられるだろう。それが簡単なことではないことが今から予想される。北朝鮮は世界中から、拉致を続けたいた。金沢にいた70年代に、何度も北朝鮮に連れて行かれると具体的な注意を受けた。北朝鮮のスパイに捕まって、連れて行かれるという具体的な話である。能登半島では良く言われていた。ハングル文字のボートが置き去りにされたり、隠されていることが良くあったのだ。上陸した北朝鮮の密入国者が、山に逃げたから注意をしてください。などという防災無線を聞いたことさえある。よくぶらぶらと歩いていたから、危ないから止した方がいいと、警官から本気で注意されたことさえあった。当時、石川県では何となくそういう話は一般的に言われていたことだった。その後、フランスに行った。ヨーロッパ中を絵を見て歩き回った。ほとんどの国の美術館に行ったのではないかと思う。おもヒッチハイクで歩いた。このときも出会う旅行者に良く言われた。誘拐されるという話だ。誘拐されて連れて行かれた人の話を、具体的に聞かされたこともあった。今に成ってみればイタリアで絵の勉強をしていたルーマニア人が、北朝鮮に拉致されたのは事実だった。

当時同じような話は、良く聞いた。連合赤軍がヨーロッパを逃げ回っていたこともあった時代だから、日本人というだけで、下宿もさせてもらえなかった。北朝鮮に連れて行かれたという話が、生々しく流れていた。仕事があるなどとだまされてはいけないと成っていた。いまさら思うことだが、何故、日本政府はそういうことに手を打てなかったと思う。金大中氏が日本から、韓国に連れ去られたときは、警察は現場にいて手が出せなかったということが言われた。日本海側まで車で移動するときも、警察の車が後ろを付いて行ったのだが、何もできなくて悔しい思いをしたということだ。日本にいた韓国人が、韓国のスパイによって、誘拐されているの状況を、日本の政府が傍観せざる得ない事情とは何か。日本政府は、北朝鮮が日本人を誘拐しているのを、当時から把握していた、としか私には思えないのだ。この拉致の事実を日本政府が認めるにはずいぶんの時間がかかった。何故、握りつぶしていたのか。

体験的に、具体的な経験として、情報など持たない学生である私が、石川県でも、ヨーロッパでも、拉致を身近に感じて行動していた。明確には分らないが、疑わしい接触すらあった。本当に日本の警察がそのことを把握できていなかったとは思えないのだ。夕方海岸へ行くのは危ないと、石川県では言われていた。ヨーロッパでは、仕事を紹介すると言われたら、誘拐話だと言われていた。亡くなった入佐さんという神戸出身の人から、具体的な誘拐事件の事実を教えられた。今に成ってみれば、本当のことだったのだ。私などいかにも危うい存在に見えたに違いない。しかし、怖い秘密のこととして、他の人には伝えないという前提で話してくれた。北朝鮮のスパイが周辺にいると恐れていたと思われる。日本政府スがパイを把握できていなかったなど考えられない。当時から、拉致を把握していたにもかかわらず、何かの理由があって公表されなかったとするのが、自然な気がする。

日本人を日本から誘拐した北朝鮮は犯罪国家である。日本の主権が侵されている現実に対して、何故手をこまねいていたかの理由。何か裏がある。公表することで日本が不利益になることが、あったと思われる。この日本政府の責任というものは、いつかは問われるべきことだろう。今は確かに誘拐された人達が、帰ってくるということが第一である。同時期に不思議なことは、在日朝鮮人の北朝鮮への帰還運動である。表向きは、貧しい日本でひどい目にあっている同胞の帰還。食糧不足の国が、何故そのような馬鹿げた政策を行ったのだろう。拉致といい、在日の帰還といい、何か北朝鮮は理解しがたい。帰還したり、拉致された人が、無意味に北朝鮮で暮らしている。有効な活動をしていた人は、返してもらえないということか。韓国政府は、北朝鮮の拉致に真剣ではない。その理由が分れば、日本政府の当時の姿勢も分るのだろうか。
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第16回水彩人展始まる

2014-09-21 04:07:03 | 水彩画


三重の尾鷲のそばの半島 20号 アルシュ だいぶ昔の絵である。20年くらい前に描いた絵だと思う。今更のことだ。この場所にこだわって、ずいぶん描いた。このように窓から見える民宿があった。





第16回水彩人展が始まった。といっても展覧会自体は、上野の東京都美術館で9月25日(木)~10月3日まで(金)開催する。同人が17名。会員が24名。の同志的集まりである。全国的な公募展にして、今年は123人の応募があった。今日も審査の続きがあるのだが、水彩人の目指す方向を理解して応募している人が増えた。純粋な水彩画の研究会として始まり、今もその方向に進んでいる。そんなこと当たり前のことのようだが、案外に難しい。水彩画と言っても、水彩の素材の意味を研究している様な絵画展は、他にはないと思う。こんなことを言いきると、まさかと思われるかもしれないが、現実の水彩画の公募展というものは、水彩画は押しやられているのだ。淡彩画とか、下描きとか、スケッチ画とか、アクリル画。水彩という材料を絵画としての本質を表現することにふさわしい材料だと考えている。ところが、水彩の性質を利用した作品が意外に少ない。

水彩人は水彩という素材を絵画表現に生かそうという考えで集まり、研究を続けてきた。まだ道半ばではあるが、水彩を研究する場としては、充実してきたと思う。本来は公募展にしないで、ただの研究グループでいたかった。別に大きくしたらよい研究が出来ると言うことでもない。互いを信頼して、思ったことを腹蔵なく語り合える環境が研究には大切である。しかし、銀座でのグループ展会場が次々に閉鎖ということもあり、上野の都美術館で開催する以外になくなった。始めは都美術館でグループ展を行っていたのだが、改装される機会に、公募展としなくては会場を借りられないということが出てきた。グループ展として進むのか、公募団体に変わるのかの議論は、今でもくすぶっていない訳ではない。公募にして3年目に成る。水彩人という船は動き出してしまった。こうなってみれば、社会的責任の様なものも、ないとは言えなくなってきた。

展示している作品について、本気で批評を戦わそうと言う絵画展である。そういうことが会の規約にも謳われている。規模が大きくなっても、本質を変えることなく、どこまで研究的団体として続けることができるかである。立ち上げから継続している人は、4人に成ってしまった。会場で、互いの絵について、激論が戦わされているような絵画展にしたいのだ。さらに、絵を展示するだけでなく、仲間で絵を持ち寄って研究するような場を作らなければならないと感じている。何故、こうした場を作るのか考えることがある。絵を描くと言うことは、社会的には私ごとに成った、と考えている。社会的影響とか社会的意味とかいう方向から考えれば、絵は商品である。自分がやっていることを、そういう方向からは到底考えられない。しかし、自分という人間にはとても重要なことである。たぶん、それぞれにとっては人間のすべてであると言えるような人が沢山いる。そうした個人的な思いをどのように紡ぎ合うのかということである。

今年の私の担当は、目録を作ることと、絵葉書を作ることであった。会場展示では2室の担当である。そして、27日には会場に置いて、作品の批評会。28日の日曜日には、水彩画研究会を開催する。稲刈りも控えている。イノシシも出ている。それでもともかく今は水彩人展である。

声明文

現代美術は、一見急速な進歩を遂げ、
自由で広大な世界を開いたはずであった。
しかし今日、絵画は 自由とは反対に自らの方向性を失い、
細分化され、窒息状態に陥っている。
刹那的な方法論をふり回したり、
短絡的に新しい表現方法に頼ることが、

絵画の本来もっていた大らかな豊かさを 失うことに
拍車をかけてしまったのではないか。
我々が ここに示すひとつの試みは、
これ以上「外」に向かって切り開こうとする姿勢よりも
むしろ「内」に向かっての探求である。
水による最も単純で素朴な方法を課することは
大きな制約となるが
それは絵画に自由な豊かさを
取り戻す為の 最良の手段になりうると考える。
水彩の可能性や在り方を、
他に追従することなく求めていきたい。

1999年 夏   水彩人


以下、ホームページにある、水彩人の歴史である。

水彩人年譜
1999
4/3 新しい世紀を迎え水彩画の更なる探求のためにここに新しい集団を結成する
  水彩連盟会員5名、無所属1名により立ち上げる
  会の名称を「水彩人」とする
  水彩人同人 大原裕行 川村良紀 笹村 出 平田清隆 松波照慶 三橋俊雄 :事務所 平田清隆
5/17  衛藤壮一 橘 史郎 西原 幹を加えて9名で発会展の開催を決定する
8/18-8/28  第1回展
(アート・ミュージアム・ギンザ 東京銀座)
  退会 西原 幹
2000
7/31-8/6  第2回展(アート・ミュージアム・ギンザ)
  この年より株式会社ミューズより案内状用の水彩紙を提供してもらう
  新同人秋元由美子 尾中真里小野月世 栗原直子
10/22-11/15  小品展(ギャラリーウェスト 佐久市)
10/22-10/21  写生会 長野県佐久市
   事務所  三橋俊雄会計書記 秋元由美子
退会 衛藤壮一
2001
4/11-4/29   小品展(ギャラリークラマー 東京目黒) 
8/20-8/26  第3回展(アート・ミュージアム・ギンザ)
  新同人 郡司 宏
10/12-10/14 写生会 志賀高原(木戸池温泉ホテル)
  事務所 大原裕行
2002
4/16-4/28  小品展-時の流れ(ギャラリークラマー)
8/26-9/1  第4回展(アート・ミュージアム・ギンザ)
  新同人 小笠原緑
10/1-11/4OHARA水彩人展(大原町水彩ギャラリー)
10/4-10/6  写生会 外房大原漁港(大原町文化センター、割烹旅館晴海) 共催:大原町教育委員会
2003
5/5-5/11 第5回記念展(アート・ミュージアム・ギンザ)
  画集刊行 「水彩人」 公開研究会 「紙と水彩」
  招待 折登朱実




8/29-8/31 写生会 黒姫高原(アスティくろひめ)
  第一回しるべ展(杜のアトリエ黎明 流山市)  企画主催:水彩人
  事務所 松波照慶  会計書記 橘 史郎
2004
4/13-4/25  小品展-詩(うた)(ギャラリークラマー)8/2-8/7  第6回展(銀座東和ギャラリー 東京銀座)
   招待 ミズ テツオ
   ギャラリートーク 「水彩紙と画材と技法」
10/11-10/13 写生会 志賀高原(木戸池温泉ホテル)
12/7-12/12  第二回しるべ展(月光荘 東京銀座) 企画主催:水彩人
2005
3/28-4/3  小品展(ギャラリー・コパンダール  京橋)
9/5-9/10  第7回展(銀座東和ギャラリー)
  新同人 佐藤百合子
  推薦 疋田利江 浜崎玲子 松田憲一
  退会 尾中真理
10/10-10/12 写生会 志賀高原(木戸池温泉ホテル)
  退会 平田清隆 郡司 宏
  事務所 笹村 出
2006
5/22-5/24  写生会 志賀高原 (木戸池温泉ホテル)
9/10-9/15  第三回しるべ展(月光荘) 後援:水彩人
10/5-10/14 第8回展 (銀座東和ギャラリー)
  新同人 松田憲一 疋田利江
  招待 奥山幸子 星崎千恵子
11/15-11/16 水彩人研究会(東京都美術館)  講師:川村良紀 小野月世
2007
5/17-5/19  写生会 志賀高原 (木戸池温泉ホテル)
9/10-9/15  水彩人&しるべ展(銀座東和ギャラリー)
10/5-10/14 第9回展 (東京都美術館)
   新同人 奥山幸子 青木伸一
   招待星崎千恵子 郡司 宏 入江英三 大西照恭 野辺雅子 新村慶子 萩原和雄
2008
5/28-5/30  写生会 いすみ市岬町(スカイホテル)
9/8-9/13   しるべ展(銀座東和ギャラリー)  賛助出品:水彩人有志
10/1-10/15 水彩人同人展(ギャラリー一枚の繪銀座) 
2009
1/10-1/18 第10回記念展 (東京都美術館 上野)
  代表(初代)小野月世 事務所 松田憲一
  新会員入江英三 甲本喜胤 佐瀬芙美子清水武男
  画集刊行 「水彩人」
  入場者数5771名
  水彩人研究会 講師:大原裕行 小野月世 
川村良紀 笹村 出 橘 史郎
10/4-10/14 第11回展 (東京都美術館 東京上野)
   招待 (賛助出品) 青木美和 池田ナオ子  大田良一 佐藤すみ枝 滝田一雄 平井勝正
  ・新同人 入江英三
  ・新会員 磯貝雅子 井上雅恵  北野喜代美  御法川 滋 山吉トシ子
   退会 佐藤百合子
2010
6/15-6/27  水彩人 北海道展-神田日勝記念美術館 (同人及び北海道会員)美術館企画
  退会 川村良紀
11/1-11/27 第12回展(シンワ・アート・ミュージアム 銀座)
  東京都美術館改修工事のため公募せず
  ・新同人 佐瀬芙美子
2011
1/1  会計 疋田利江
2/9   全国公募展開催決定 : 於東京都美術館
2012年度から(9/25〜10/3)
3/11-3/29水彩人同人展(ギャラリー・一枚の繪座)
初日 東日本大地震 発生
9/28-10/2  第13回展(アート・ガーデンかわさき )
東京都美術館改修工事のため公募せず
新同人 磯貝雅子 北野喜代美
新会員 岩佐彰三 上田恭子 昆野朋代  杉浦カヨ子 高橋道子 高山登 薬本武則  山本武美
2012
1/1-   代表 松田憲一 事務所 栗原直子
同人 18名 会員 15名 合計33名
 退会 鳥沢明美
2/7-2/16  水彩人同人展(ギャラリー・一枚の繪銀座)
9/25-10/3  第14回展(東京都美術館 東京上野) 全国公募
同人 18名 会員 14名 合計32名
会期中29日、30日の2日間(都美館於スタジオ)水彩人企画による水彩画の実演と講習
2階第1展示室
入場者数 5518名
一般応募 搬入点数 285点 陳列点数 85点
同人・会員 陳列点数 98点
総陳列展示作品数 183点
会員推挙 9名 会員賞 2名
・同人推挙 無
・新会員 浅田ようこ 有川利郎 いとうゆきこ  稲村美保子 鈴木直枝 瀧川信介 西 凉子   平澤 薫  山下美保子
2013
1/1-   事務所 入江英三 会計 青木伸一
4/15-17 写生会 伊豆下田須崎港(いそかぜ)
9/25-10/3第15回記念展(東京都美術館)
・新同人 山本武美
・新会員-7名  榊原康之 関とも子 中村孝夫   堀田由里子 松原遼子 村田信子 山平博子
・水彩人ワークショップ (東京都美術館 スタジオ)
第1部「私と水彩画・私の水彩の方法・絵画について」
第2部 単純な静物の組み合わせを描く 松波照慶
・画集刊行 「水彩人 suisaijin」
・入場者数4,900 名
2014
・3/3-15   水彩人同人展(ギャラリ-・一枚の絵)
・3/31-4/5水彩人会員展(アトリエ・アポロ 神田)
・5/7-9写生会 伊豆下田須崎港(いそかぜ)
・退会 郡司 宏 小笠原 緑


9/25-10/3第16回展(東京都美術館)
・同人 17名 会員 24名
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日本の義務教育に英語はいらない。

2014-09-20 04:14:38 | 暮らし


下田の夜明け 中盤全紙 ファブリアーノ 夜明けは色々書いている。夜明けを描くときは、この世と言うものを始めて見たときと思う。それぐらい新鮮で、真新しい。




日本の初等教育に英語が教科として取り入れられている。これは義務教育の間違った方針である。2つの理由がある。将来英語を必要とする人は、日本人の1割もいない。寺沢拓敬 / 言語社会学-シノドス英語を使う人は日本人全体の5%未満であり、むしろ必要とした人は減少してきている。この数字は、かなり精度がある調査に基づいたものと推測できる。もう一つの理由は、日本の義務教育に農作業がないことだ。義務教育は新しいものを入れれば、その分何かが押し出される。現代の教育は知育に偏重し、作務教育と言うべき分野がなくなっている。英語を必要とする人は、学問をやる人や、海外に進出するグローバル企業の人材である。そうした人が存在するのは構わないが、何も義務教育にまで及ぶ必要はない。学びたいと考えた人が、自由に公教育以外の場所で学べばいいことだ。特に初等教育は全人的もので、企業に役立つ技術を学ぶのであれば、義務教育以外の所で行うべきものだ。

遠からず、優秀な言語変換機が登場する。すでに、インターネットでは役に立つレベルに、言語変換機能がある。今の小学生が大人になる頃には、必ず機械に代替できる事になる。義務教育で学ばせる目的は、英語のような実用的な意味であっては成らない。国際社会で活躍できる人材と言うことが言われるが、日本と言う国ならではの文化を体得した人こそ、国際的な人間である。人間がただの言語変換機であれば、企業であっても意味をなさない。このことを痛感したのは、フランスで2年半暮らした体験である。当然フランス人の様にフランス語を話す日本人とは沢山出会った。しかし、日本の文化を身につけていると言う人には、全くと言っていいほど出会わなかった。多くは絵を描く人であったのだが、日本人でもなく、フランス人でもない人の絵は、私には意味が無かった。フランスで見た棟方志功の絵は、ナショナルであることを極めることが、インターナショナルに成る。と言うことを示していた。と言って、東山魁夷の日本画はやはりインターナショナルではない。

初等教育で必要なことは、日本人としての基本的な教養である。当然まず国語である。これは一番重視しなければならない。そして、理科、社会、も必要。算数もある程度は必要だろう。美術はどうだろう。私は学校教育で行う必要はないと思う。美術技術を含めた、全体としての作務教育を行うべきだと考える。家を作る授業。庭を作る授業。畑を作る授業。食事を作る授業。衣服を作る授業。それを通して、何が美しいのかを自然に知ることになる。日本人として、日本で暮らして行く人間としての素養を身につけてほしい。義務教育で学ぶもの、特に小学校では、暮らしで使えるものに限るべきだ。それはどの教科でも同様で、算数であれば買い物ができる程度の計算は出来なければ暮らしに困る。しかし、高等数学のレベルになれば、義務教育では学ぶ必要はない。数学的な考え方を身につけることは大切であるが、それは、初等教育ではない。子供の内に作務教育を身につけておけば、必ず暮らしが豊かになる。本来の日本人の暮らしが失われてきている。だから、あえて義務教育の中で行う必要がある。

小学校の年代で最も必要なことは、日本語で考える能力である。その意味で、英語を将来学ぶとしても、日本語を十二分に深めない限り、言語感覚の大切なものが育たない。日本語で考えると言うことなしに、日本人には成れない。次に必要は物は暮らしの技術である。分りやすくいえば、ダッシュ村である。ダッシュ村を小学校では併設すればいい。日本人の本来の暮らしの魅力は何かを知らなくてはならない。それは、お金で何とかなる様なものではない。本当の豊かさとは、どんなものかを子供の内に学んでほしい。そうすれば、何でもお金で解決できると考えるような人間にはならない。英語を身に着けさせようと言う考えの背景にあるものは、企業で役立つ人間作りだ。こうなってしまった以上、それに毒されないことを願うばかりである。
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漁獲制限の国際会議

2014-09-19 04:19:28 | Peace Cafe


上の畑 中盤全紙 何度でも描く場所だ。自分の絵の本当に探りたい所がこの先にあるような気がしている。




ウナギ、クジラ、クロマグロ。同時期に漁獲量制限の会議が、開かれた。どれも日本人が食べ過ぎ、取り過ぎで、絶滅が危惧されているものだ。福岡で、ニホンウナギの資源管理に関する初の国際的枠組みに日・中・韓・台が参加して合意した。いけす養殖に使う稚魚(シラスウナギ)の量を「直近の数量から20%削減」する事がきまった。ただし、実現の確認など問題が残る。始めてのことだから、この程度なのだろうが、もっと本格的な調整が必要である。クジラでは日本が南極海での捕鯨を調査と称して、商業的に行ってきたことが、国際法廷で禁止された。にもかかわらず、日本政府は調査捕鯨再開を再度主張している。会議としては出来ないことに成った。しかし、日本は捕鯨を強行するかのような一方的な主張をして終わった。何故こうも粘るのだろう。このままいけば、北太平洋での調査捕鯨も禁止が広がる原因に成る。マグロの資源の会議では半減ということで決まったようだが、実際の効果はほとんど期待できない内容である。報道ではまるで減らすかのような言い方だが、これは意図的なのか、無知なのか、昨年の漁獲量とは変わらないものだ。

クロマグロの交渉で日本のやり方が見える。クロマグロは資源として激減している。このままではマグロが居なくなってしまう。そこで、マグロの漁獲制限をせざる得ない。一応の漁獲制限の枠はできた。このことを調べていたら、三重大学の勝川俊雄准教授が太平洋のクロマグロについて、ブログを作り細かく記載している。WCPFCという会議があって、太平洋沿岸の26カ国が加盟している。この会議が最近行われており、マグロの漁獲制限が一応は決まった。クジラに現われている、日本の外交の下手さ加減が、クジラ規制に拍車をかけている。何故、税金を投入しなければならない捕鯨産業の為に、日本人が動物愛護精神のない非道な国のようにいわれなければならないか。このことは過去何回か書いているので今は書かないが、クロマグロのことで、考えてみる。

クロマグロは、大西洋と、太平洋にいて、大西洋にいるものは規制が別にあって、効力を発揮していて、減少に歯止めがかかったようだ。ところが日本が当事者である太平洋のクロマグロの資源保護では、問題は大きく2点ある。一つは、クロマグロの幼魚をメジマグロといって、この段階で90%を食べてしまうことだ。マグロは産卵できる大きさに成るには、3から5年かかる。そして、大きいものでは400キロとかいう大物に成る。こういうマグロは油ものって美味しい。時には1千万もするということに成る。太平洋のクロマグロは、日本列島から沖縄の近海でのみ産卵をするらしい。そして、太平洋全体を回遊している。この間に、90%の幼魚を漁獲してしまうというのだ。これが太平洋クロマグロが激減している、最大の要因である。大きくなるまで待って漁獲しない理由は、競争と目先の利益だけを追ってしまうあさましさがある。3年待てば、100倍もの大きさに成り、味も載って価格も跳ね上がる。そこまで何故か待てないかである。

そして次の問題は、日本近海に産卵に集まるクロマグロを巻き網で一網打尽に採り尽くしてしまうことだ。大型の巻き網漁船が操業するようになって、一気にクロマグロは減ってしまった。一本釣りなどわずかなものだそうだ。産卵に集まる親魚を産卵前に大型巻き網船で取る。これではクロマグロが激減して行くのは当然のことだ。これらの乱獲が無制限にされてきたのだ。今回の漁獲制限は過去の半減と報道されている。ところが、最盛期の半減は、すでにその数字以下の漁獲量しか捕れなくなっている。26カ国で今回の漁獲制限を決めた。漁獲制限は2002年から2004年のクロマグロがまだ沢山とれた時代の漁獲量を基準にして、その半減が提案され、決まった。規制は有名無実ということだろう。クロマグロ、日本ウナギ、一部のクジラ。日本人が食べつくしかねない状況なのだ。こんな日本が世界からどう見えるか不安に成る。日本人が食べるのだから、資源コントロールは率先して取り組むべき課題だ。ごまかしなく本気で資源が保護されるような、堂々とした交渉をしてもらいたいものだ。
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スコットランドの独立

2014-09-18 04:29:43 | Peace Cafe


畑からの明神岳 中盤全紙 この絵はもう少し描かないとだめだろう。どこで早めに描くのを止めるかということもあるが、やりたらないようでは話にならない。



スコットランドの独立投票が行われる。独立に賛成の人が多数に成るとは思えない。クリミヤが住民投票の結果、独立宣言を行った。これをウクライナは憲法違反だと主張して、独立を認めないとしている。そして、その考えを欧米諸国も支持している。一方、ロシアはクリミヤを独立国として認めたうえで、将来ロシアに組み込むいう考えのようだ。親ロシアは住民というものは、そもそもロシア人であったり、ソビエト連邦時代からロシアと深い関係が存在する人もいるはずだ。スコットランドでは、独立派が議会の多数派と成り、独立の是非を決める、住民投票を行うことになった。いよいよ選挙が迫っているが、スコットランドが独立するということは、英連邦の一員の様な、ニュージーランドや、オーストラリアの様な立場に成るということだろうか。一方にはドイツのように、東西に分かれていた分裂国家が、長年統一を悲願として、ついに成し遂げた国もある。イスラム国を名乗る集団は世界から戦闘員を集めて、現状1万5千人もいるらしい。国というより、テロ集団という事に成るのだろう。

労働者の受け入れの様な事を安倍政権は主張している。技術労働者の研修期間を10年にすべきという意見も、財界にはある。使える技術者に育てるには、10年はかかるということだ。10年も日本で暮らすということは、もう日本に暮らしの基盤ができると言うことで、移民とどこが違うのか不明である。10年日本にいて、当然日本人と結婚する人も増えるだろう。子供を連れてくれば、当然日本の教育を受けて、10年すれば、戻って本国の暮らしを再開するということも不可能に近い。経済の問題だけで、外国人を受け入れると言う結論に至る所が、アベノミックスなのだろう。移民と国家というものとの関係を、経済だけでなく考えておくべきだ。そもそも論に成るが、日本人というものはどう維持されて行くのかである。日本人とは日本文化を保持した人のことである。血液的に日本民族であるということも一つの要素であるが、それだけではないのは、日系人の孫世代が、日本人ではなくなる場合があることでも分る。日本人は案外あっさりと新しい国に溶け込む様だ。

日本でも、沖縄では現在でも一定の独立運動がある。これを中国の差し金だと、決めつける人もいるが、それは歴史を認識できない人なのだとおもう。沖縄の現状は独立運動が起きてもおかしくない状況と考えた方がいい。沖縄はそもそも独立した国家であった。江戸時代では、日本人という意識が、沖縄にもなかったし、江戸幕府も、薩摩藩も、外国を支配するという感覚だった。琉球国というものが、台湾まで示した時代もあり、国家というものが今と違う感覚でとらえられていた。やはり近代国家というものは、明治以降のことであり、琉球処分という明治政府の権力行使。日本編入ということによって、沖縄が国家として日本に所属するということになった。民俗学の研究が進むに従って、実は沖縄人はむしろ日本人の原形を残した人々であるということが解明されてきた。沖縄に残された方言は、むしろ古い時代日本人が話していた言葉が残っている。残された風俗にも、日本本土では失われたものが数多く残されている。DNAでも純粋な日本人であると解明されている。日本民族であるからといって、独立の希望があっていけないということではない。すべては住民の総意なのだろう。

日本国籍を有すれば日本人であるという、法律的な建前とは別に、日本人がどんな国を作り、どんなまとまり方をするのかということは、深い議論を永続的に行うべきことだ。どうもこのことがないがしろにされたまま、日本は瑞穂の国というようなレッテル言葉だけが、独り歩きしている。日本人と田んぼの結びつきには深い文化的背景がある。それが国際競争力のある農業論では、見過ごされている。日本商品の国際的評価は、瑞穂の国で研ぎ澄まされた、美意識であり、清浄感覚である。瑞穂に対する方向付けは安倍氏が持論なのだから、その意味合いを示さなくてはならない義務がある。国家というもは人間の暮らしにとってどういう意味があるのだろう。日本人は日本語を話し、日本食を食べ、日本的文化を体得している。それが日本だとするならば、すでにそういう日本人がどれくらいいるかと言えば、極めて減少しているのだろう。国がなくなるという理想は悪くはないが、民俗が地域に深く由来するということを失えば、国家としても、民族としても魅力も能力も衰退するということだと考える。
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リモンチェッロのようなもの

2014-09-17 04:17:42 | 自給


早川の放棄みかん畑 中盤全紙 放棄された畑が面白いというのも、申し訳ないのだが、自然に戻る過程は興味深い。




イタリアにはレモンを使った、果実酒がある。リモンチェッロとかリモンチーノとか呼ばれている。フランスにいた時にアマルフィーに行った人からお土産にもらったことがあった。もちろん飲んだのだが、それほど美味しいとは思わなかった。最近レモンの木が良く実を付けるので、レモン液を作った。このことは以前も書いた。レモン液を作るときに、レモンの渋みのない所をあっさりと取る方が美味しい、好みである。ただ氷砂糖が溶けて、レモンの液がにじみ出てくる範囲で果汁を取る。これを、レモンシロップとして夏の間中使った。かき氷の定番シロップである。かき氷はかなり好きで、お腹が痛くなってもかき氷が食べたくなる。ひと夏で、3リットルは使いきった。そして、そのエキスを絞った後、ホワイトリカーを入れて置いた。あまり期待はしていなかったのだが。まだ十分使えそうなものを捨ててしまうのが惜しかったのだ。まあ、こうして飲みもしない果樹酒を貯め込んでは、最近死ぬまでには飲みきらないといけないと言うので、最近はせっせと飲んでいる。

昨夜、これを取りだして飲んだ。7月15日の記事に書いてある。。これで果汁の美味しいところは採ってしまったのだが、まだまだ充分に絞れる果汁が残っている。皮を丁寧に取る様な手間をかけることが私にはできない。しかし絞れば苦みが出る。そこで残ったレモンをもう一度、一キロの氷砂糖を加え、ホワイトリカーを2升加えた。しばらくは漬け込んでおいて、れもん酒にして飲む。これは時にやるのだが、あまりおいしいとは言えないが、それでも結局飲んでしまう。レモンを無駄にしたくないということである。と言いながら結構、色々のお酒を飲まないとならない、ならないと、溜まるばかりだ。もったいないがいい訳なのか。と書いているが、丁度2カ月したので、取りだして飲んでみたことになる。これがなかなかの本物なのだ。以前それほど美味しいものに成らなかったのだが、今回は意外に格別なものが出来た。

理由は2つある。一つは最近お酒が好きになった為ではないか。お酒には弱いのだが、お酒の味が好きになった。昔から生ビールは好きで、がぶがぶ飲みたい方なのだが、強いお酒は飲みたいとそれほど思わなかった。ところが、梅酒とか、枇杷酒とか、死ぬまで飲みつくすノルマのように飲んでいる内に、だんだん強いお酒の感じが好きになってきたようだ。その為に、偽リモンチェッロも美味しく感じるように成ったようだ。酒好きという訳ではないのだが、おかしなものだ。もう一つ考えられる理由はレモンが良かったということ。今回のレモンは大ぶりの果実で完熟である。7月まで実らせておいたものだ。ずいぶん大きな立派なレモンだった。レモンは苦みが少なく、完熟させたものが良いに決まっている。採ってすぐ使えば香りも良いことに成る。レモンが美味しいからといって、市販の物は避けた方がいい。ポストハーベストとか、農薬を使ったものは気分的に良くない。絞ってエキスを取りだすのだから、どういうものに成るか不安があれば、美味しいお酒にならない。

さらにこの残ったレモンで、レモンのマーマレードを作る。まだ十分ママレードに成りそうな様子なのだ。問題はレモンの油がどの程度残っているかだが、程よく抜けていて、案外うまく行きそうである。又この結果は後ほど書く。レモンは越してきてすぐ植えたものだから、15年ぐらい経つ。一度台風の時に折れてしまったのだが、また再生してきた。使い道が無い割に最近は良く実るので、もったいなくて仕方がない。レモンが小田原で良く出来ると言うのは、温暖化ということだろう。まあ悪いことばかりではない。家のレモンはまるでアマルフィーの物のように大きな夏ミカンの様なものだった。アマルフィーを思い出して作ってみた。アマルフィーに行ったのは、40年も昔のことだ。あの風景にはそれほど興味は持てなかった。長沢節さんの名作で成るほどあのように見る人もいるのかと再認識した。リモンチェッロを飲むときは、きっと長沢先生のことを思い出すことに成るだろう。
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失敗は進歩の一歩

2014-09-16 04:29:56 | 稲作


明神岳の見える畑 中盤全紙 ファブリアーノ 畑があり、里山がある。今は里地里山と呼ぶようだ。人の暮らしが自然になじんでいる所を描きたい。





田んぼをやっていると、日々失敗である。ああしなければ良かったということは、毎日である。良かった事と同じくらい、失敗がある。それでも田んぼをやって、25年必ず収穫にたどり着くたのだから、自然と言うものは一度や二度の失敗を許さないものではない。大らかに受け入れる力のあるものだ。では何でも許されるのかと言うと、やはり、自然には最善の摂理があり、絶対的な拒絶も起こる。自然の摂理を探すために、田んぼをやっていると言ってもよいくらだ。今年も一部イモチと思われる病気が出ている。何故なのかが分らない。雨が降ると思って行った対策が、雨が降らずに裏目に出る。何故、雨も降らないのに、水路を閉めたのだ。こう責めるのが人間である。失敗を許さないということは、大切ではある。しかし、さらに大切なことは、何故雨が読めなかったのかという反省である。それで天気判断の精度を上げることができれば、一歩前進に成る。この積み上げを、身体が身につけることを目指す。自然の変動に対する読みの力は、稲の生長の読みにもつながる。

大体のことで自分の行為が成功しているのか、失敗しているのかも分らないものなのだ。失敗が分る為には、どういう水管理が良いかを知っているということになる。これはもう神業である。大体明日の天気すら分からないのに、稲の望みがどういうものかを分るというのはよほどのことだ。実は水を閉じるのが良しが70%の成功、水を閉じなくても良しと言うのが80%の成功。自然の摂理はこのくらいの差の積み重ねと思わなくてはならない。このわずかの差の中に、最善を目指して、総合点での高得点を選択する。しかも採点基準も多様で相反するものさえある。すべての結果として収量と言うものがある。美味しいというのもある。健康に良いというのもある。お米に力があるというのや、病気を治すというのまである。要するに採点基準すら大きく違うのだから、成功も、失敗もそう簡単には見えない。それでも、自然と言うものを深く深く探ってゆくと、自然の法則と言う一貫した構造が見えてくると考えている。だからこそ、自然のもたらす最高点を目指すことは面白い。

戦争に敗れたという失敗には、責任者がいた。この敗戦の責任を負う人間を神としてお祭りしようと言う人すらいるのだから、大きすぎる失敗は見えなくなるものらしい。原発事故の場合、誰がどう悪かったために、こういう事故が起きたのかが明確にならなければ進歩が無い。科学の大きすぎる仕組みの中に、責任が隠れてゆく。こうして世界のどこかで原発事故はまた起こる。経済の為の原発再稼動を急ぎ過ぎるあまり、行き詰まる汚染水処理の現状ですら、完全にコントロールされていると、断言してしまうのが、日本の総理大臣である。今度の小渕大臣おおよそコントロールされているとの発言だ。その経済の為も、目先すぎる経済のことで、将来汚染物質が莫大な付けに成ることすら、見ようともしない。それは失敗をわずかでも許さないという、おかしな潔癖主義が事故隠しという裏目に出ている気がする。新潟地震の際の、柏崎刈谷の原発事故で、事故原因に向かい合っていれば、福島第一事故は起こらなかった可能性がある。

失敗は誰にもある。人間の生涯は失敗の連なりかもしれない。その失敗の受け止め方しだいで生き方が前向きに成る。失敗の繰り返しの中で前向きに生きて行けるのは、ダメでもいじゃんと緩やかに考え、失敗に向かい合い、次には何とかしようと考えるからだ。そう思えば、失敗が大きな進歩のシグナルであることに気付く。私の養鶏は、卵に表れる失敗を、一つづつ考察して、総合的によりよい自然養鶏を目指した。その基準となる考え方は、「良い卵とは、生命力の強い卵である。」生命力の強いとは、何日置いておいて、孵化できるかで判断した。70日まで常温で置いておいても孵化できる卵になった。求めるものが明確であれば、失敗というものがいかに、重要な指摘であるかに気付く。一つのことが分ることはすべてが分ることでもある。その一つの事の分り方が、自然の摂理に繋がるという、分り方であるということが大切なのだろう。
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