不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

地場・旬・自給

ホームページ https://sasamura.sakura.ne.jp/

久野にイオンが来る

2013-08-31 04:14:39 | 地域
久野の日本たばこの工場跡地8ヘクタールを、イオンが購入したという記事が神奈川新聞に出ていた。秦野もJT跡地にイオンが出来たのだから、小田原もそうだろうとは言われていた。シティーモールが出来てあの地域の売り上げが、小田原駅周辺の商店街の売り上げと同じくらいと、報道されたことがあった。もし、ショッピングセンターのようなものが出来るとすれば、小田原の商店街はさらに苦しくなるだろう。これが、国際競争力のある社会の現実である。競争の原理が徹底して行けば、強者はより強くなり、弱者はより弱くなる。それが自由競争の姿である。2000年には、ダイナシティWESTの核店舗として小田原にロビンソンデパートが来た。宇都宮まで見学に行った。今宇都宮にロビンソンはない。ロビンソンデパート全体も、今は西武に変わった。商業が大きく変わるなか、激しい競争をしながらデパートも展開しているのだろう。今回の、イオンの進出が実際どうなるかは分からないが、人口減少傾向の中で、小田原に商業施設を計画するのだから、その分既存の商店街の売り上げが減少することは間違いがない。

周辺には、いくつかの中規模のスーパーがある。イオン系列の、マックスバリューもある。これらの店舗が一番影響が強いだろう。交通量の問題がある。穴辺方向に抜ける道路整備のトンネルが出来るということらしい。秦野にもイオンがある。平成7年、日本たばこ産業秦野工場跡地に開業した。面積は4,7ヘクタール。現在はイオンリテール(株)が直営する「イオン秦野店」と、「イオン秦野店専門店会」に加盟する約100店舗のテナントが営業している。全く住宅地の中だったために、出店については交通のことが問題になった。246号の幹線道路からの導入経路が整っていない。迷路のようになっていて、これで大丈夫なのかと最初は思った。今はそれなりに落ち着いてきた感じがする。秦野のイオンもそれなりににぎわっているのだろう。営業の内容はわからないが、賃貸しをしているような感じだ。何度も不振が言われて、専門店が入れ替わり、リニューアルされている。しかし継続して賃貸はされているし、この夏大きな改装が終わった。

国内の大企業の競争力が強く、地元の中小の企業が圧迫されてゆく。今の時代の止め様もない流れである。小田原でも、市長がイオンの進出を反対をしているという噂であった。市がかかわっている駅地下の再店舗化は、至急取り辞めるべきだ。もしこんなことをやれば、税金が無駄になるだけだ。市民にとって商品が買えるのであれば、大企業も地元商店も同じである。商売を行政にはできない。秦野イオンの変遷を十分に研究しなければならない。生半可なことで、商業施設の経営など出来ない。イオンは相当に秦野で苦労しているはずだ。それでもさらに小田原に出店しようとしている。真剣に駅周辺の商業を検討した結果にちがいない。小田原の商店街を調査して、勝算があるから出るのだろう。

新しいショッピィングモールが出来れば、地元の住民は買い物は便利になるのだろう。ネットショッピングに連動した、配達もするようになるのだろう。食事も楽しめるような、それなりの店舗が出店するのかもしれない。ウインドショッピングを楽しむこともできるのかもしれない。勤め先も増えるかもしれない。すでに、久野の地価は下がらないようだとも聞いた。舟原地区に住宅が増えるのは、こういうことが関連しているのかもしれない。確かに、市役所、私立病院、合同庁舎、警察署、ショッピングモールと久野周辺にそろい、小田急線の足柄駅まで遠くない。小田急線にとっても悪い話ではないのだろう。改札口もこれで裏表が変わるかもしれない。足元を見れば地域経済の問題である。強いものが勝利して行くというだけでいいのかである。農業と構図は何も変わらない。国際競争力を、地元の商店に求めるということが、無意味なのであるが、それが現実に起きている。自由主義経済の公正な競争を見直さなければならない。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間ドック

2013-08-30 04:31:58 | 身辺雑記
あれこれ片づけている。絵もずいぶん捨てたし、その他いつか作品を作ろうと考えていた、材木や糸や布や大理石などあれこれも捨てた。もう時間的に、絵以外の作品を作る余裕が少ない気がしたのだ。これからの絵にかける。かなりの本、様々書きためたもの、写真などの記録も捨てた。ずいぶんあった書類も捨てた。この後困ることもあるだろうが、仕方がないと思いながら捨てた。そうしたら、一度捨てた手紙の中に、人間ドックの検査報告というものがあった。捨ててから、思い出して気になって拾ってきた。見ると、40歳の時に送られてきた結果通知だ。山北に来て1,2年経ったころのようだ。世田谷学園にまだ勤めていた。人間ドックの案内が学校を通してきたのだと思う。もう学校は辞めるし、こういうことも今後はない経験になるだろうから、受けてみようと考えて出掛けた。渋谷にある病院だと考えていたが、社会保険新宿健診センターと書いてある。どうも学校とは関係がなかったのかとも思えてきた。あやふやなものだ。

他に覚えているのは、昼食に結構おいしいお寿司が出たことである。前日から食べていなのだから、何を食べてもおいしかったのかもしれない。そして、心臓がEとあり、再検診と書かれている。その再検診に出掛けたのが、渋谷の病院だったのかもしれない。再検診して問題が見つからないということだった。ホッとしたのだが。今思えば点数を稼ぐための、再検診だったのかもしれないという気がする。再検診も、特別な診察とは言えないもので、段差を上り下りしながら心電図を取り、何でもないということだった。その後、24年なんでもないのだから、何でもなかったのだろう。24年前の記録は一応残しておく価値がある。慎重170,6センチ体重54,7キロ、体脂肪18とある。体重は昨晩が55、1キロだから、少し増えたぐらいか。身長はたぶんもう少し小さくなった気がする。そのほかいろいろの項目のデーターがある。良くはわからないが、今度人間ドックを受けたなら、参考になるのではないかと思って保存した。つまり、65歳を区切りに25年間隔で、自分の身体の検査はしておいた方がいいだろうと思った。

慶応大学の近藤誠先生が、がんの早期発見、早期治療は意味がない。と言われている。一理あるとは思うが、自分の身体を調べるのに、近代医学の検査機器を利用しない手はないと思っている。血液検査をして、25年前とどのように違っているのかだけでも興味がある。心配しても仕方がないが、情報がなければ、対応も出来ないとは思っている。今まで情報は内観法でやってきた。自分の感じ方で、おかしいところを判断してきた。要するに気分の問題である。おかげさまで医療とかかわったのは、山北に移ってから、帯状疱疹の一度だけである。医療と言っても見ていただき、後は漢方を飲んで、我慢したというようなことだった。今までが幸運だったのだとおもうが、自分の身体の管理がある程度、自分でできるようになったということもあると思っている。

今度どこかで、人間ドックというものに行こうと思っている。どうせやるなら、しっかりしたものを本格的にやろうと思う。どこがしっかりしているのか、何をどの程度見てもらう必要があるのか、調べてみている。細胞の遺伝子情報まではいらない。しかし、雑なところで間違えがある医療機関も嫌だ。24年前も、しばらく嫌な気分で暮らしていたが、再検診と言われたときの覚悟をしておく必要はある。健康に於いては、気持ちというものが極めて重要だと思っている。ストレスが一番の病気の原因である。心電図の再診理由には、Q派ST降下とある。これは何の意味だか分らなからない。インターネットで調べてみると、あれこれ説明が出ている。心筋梗塞を心配するような必要があったのだろうか。そういうことは、知らないで良かったようなものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かながわ里地里山保全促進計画

2013-08-29 04:21:21 | 里地里山
8月29日、神奈川県の条例である。里地里山保全事業の見直しの為の、ヒヤリングのようなものが、小田原の合同庁舎であった。県内に指定個所が16か所あるので、説明と聞き取りを行うという。美しい久野里地里山協議会からは10名ほどの会員が参加をした。正直なところ神奈川県が何を目指しているのか、もう一つわからなかった。予算が減るので、補助が減るという説明があり、今後は自分たちで収入を得るような努力をしてほしい。そのためにコーディネーターをお願いするなら、その補助は行う。そのアイデアの事例としては、直売所、商品開発、加工施設、体験農場、休憩施設、が事例として示された。老齢化の穴埋めに、都市ボランティア育成。里地里山の実態を把握していないとしか思えない条例の提案である。5年間一緒に活動をしてきたのであれば、もう少しは現状把握が出来ていなければならない。たぶん、検討委員会の先生方の、机上の空論の結果が並んでいるのであろう。

里地里山がなぜ、消え去ろうとしているのか。何故過疎地域が出来るのか。農業が振るわないからである。農業を再生することに触れないで、議論をしても無駄な議論である。里地里山地域を指定し、ここだけは特別に残そう。そのことが神奈川県にとっても、大切なことだと考えなければならない。そこでの農業は、里地里山らしい、循環型の農業である。この生き残りのための提案を出来ないのであれば、お茶を濁しているにすぎない。お茶を濁していることが、里地里山地域の人の負担の上に成り立っていることを忘れてはならない。明星岳見晴らし登山道の整備をした。そして、継続して、つつじを植えて、整備をしている。草刈りだけでも大変な労力である。補助のお金などいくらかもらったところで、到底無理である。何故、登山道を整備したかったのか。何故、草刈りを無償で続けているのか。ふるさとの山が大切だからである。そして登山者が来てくれるようになった。そのことが他所から来た私のようなものでも嬉しい。だから草刈りには出ようかと思う訳だ。

TPP加盟の結果、国際競争力のある農業が求められる。このまま同じ流れの中に居たのでは、久野のような傾斜地、小規模農業は存在が難しくなるだろう。そこで、都市近郊の残された里地里山の利点を生かした農業を振興すること以外道はない。その視点が、里地里山保全計画に生かされなければ意味がない。これは、5年前この条例が出来る時も、同じ主張をした。ところが、横浜、川崎の都市の中に残った、里地里山のセンスで都市住民がどのように里地里山保全にかかわるかが、中心の考えだった。そんなことは無意味だと考えたが、予想通り、5年の結果都市住民は、レジャーの場所として、お客さんとして里地里山に来てくれたが、この場所を自ら保全して行く主体になるような方向は芽生えはなかった。このままでは、地元のただでさえ精一杯の農業者が、都会のお客さんにサービスをするということになりかねない。

久野の里千里山の保全は、一つは消費者に来てもらう農業への転換ではないだろうか。例えば峯自然園や、ブルーべリー農園旭である。消費者が来てくれるような農業へ道を開くための、法的な環境整備をするのが行政の役割である。また、あしがら農の会のような、市民参加型の農業の推進も一つの方向である。新規就農者の受け入れもある。新規就農者と言っても、専業農家ではなく、それなりに、仕事を持つ兼業の新規就農である。こうしたことは、地域には芽生えてきている。しかし、新しい試みは、法的な問題の整理。情報の収集。情報の発信。行政の協力があれば、推進される場面もあるだろう。こうした細かな調整こそ、行政の役割だと思う。5年間かけてそのことを学んでほしいと思っていたが、現状では、むしろ後退したとしか思えなかった。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

特別警戒警報始まる。

2013-08-29 04:19:03 | 地域
明日午後0時より、特別警戒警報が始まる。しかし、私の見るところ、久野舟原地区の避難体制は行政が十分に情報を把握しているとは、現状思えない。危険なところに住んでいる人間が良くないのだという意見もこのブログには寄せられた。これから台風の季節を迎える。大雨に対する経過は、自分でするつもりだ。今回和留沢にあるという、雨量計の情報が、県土木のホームページに掲載された。矢住芝という表示である。このデーターと、県の測定している、下流の水位との連動を観察することである。山王川東洋橋の水位の変化。ライブカメラもある。データーが少し大雑把で、細かなところまでは想像できないのだが、情報としては現在一番頼りになるものだ。もちろんアメダスの変化も見ることになる。

全く個人として、これらの乏しい情報をつなぎ合わせて、自分の身辺の警戒に当たることとする。自分の命は自分で守る以外にない。現在の舟原の体制では、一時避難場所は、公民館である。まず公民館に集まり、その後、久野小学校まで徒歩で向かうことになる。この避難経路は全く現実的ではない。申し訳ないが私は、この方法を取らない。私の家は、イエローゾーンの外れにある。指定区域として、イエローに入るには入ったが、久野川の土砂災害が、私の家の高さまで来ることは考えずらい。私の家は、イエローの中でも最も高いところにある1軒である。公民館の一時避難場所は、レットゾーンの中でも最も危険度が高い場所ではないかと思われる。舟原で、わざわざ危ないとされている場所に逃げる気はしない。この一時避難場所を何とかしてほしいということは、行政には何度か申し出た。また、舟原自治会の副会長の立場としては、この場所は危険なので、一時避難所の指定を取り消してもらいたいということは、申し出ている。自治会という組織は、地域防災については、一定の責任が存在するので、この場所では責任は取れないということは申し出た。

災害というものは、たぶん来ないだろうというものだ。めったなことでは来ないというのが現実である。しかし、来る時は来る。そして来た時に慌ててもすでに遅い。行政では現状対応を進めようとしない。そこで、現状では自己責任としての避難をするつもりだ。山の方に逃げる。土砂災害に置いて、低い方に逃げるより高い方である。山の方から、斎場に出る。斎場に身を寄せる。これが一番安全な避難かと考えている。問題は自分だけのことで良いかということになる。この地域にも一人暮らしのお年寄りという人はいる。自治会の役員という立場上、そういう人に対して、知らないという訳にもいかないのではないか。しかし、どの家に何人の人がいて、体の不自由な人がいるのか居ないのか。こういう情報というのは、私にはまったくない。この点について、いざという時にだけあける情報袋のようなものが必要ではないかと、行政にお聞きしたが、そんなことはできないということであった。

何となくわかるのは、デイサービスの車が止まっている家があるということだ。その家がお年寄りだけという場合は、何らかの協力が必要な気がしている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福島海洋放射能汚染

2013-08-28 04:12:20 | 環境関連
福島原発事故は、深刻な事態に至っている。世間の反応がまだまだ弱い。思い出したくもない、考えたくもないことではあるが、このままであれば、日本人の信用が世界から失われてしまうだろう。この水漏れの問題は、当初から私のような素人でも指摘してきたことである。放射能が海に流れ出る事は続いてきたことで、今になって表面化してきたにすぎない。水面下で、事故以来水漏れは続いていた。原発地域だけでなく、日本列島全体に放出された放射能は、その場所にとどまる以上に海に流れ出ている。除染と言ったって流しているだけだ。こういうことは手の打ちようもない。事故直後、原発の周囲をダムのような形で、大きく囲んでしまうしかないというのが、小出先生の指摘するところだった。政府の対策案の中にも、そうした方法は提案されたことがあった。しかし、結局のところその費用が東電にはないということで、海側にささやかな遮断壁を作ったようだった。そんなことでは到底対策が出来ないというのは、大方の見解であり、強い抗議が当初からあった。

私には、分らないように海に流してしまえばいいというような、杜撰な考えを東電と政府は持っているのでないかと思えた。拝金主義に洗脳されてしまった政府は、早々と終息宣言をだして、原発輸出を仕掛けているぐらいの能天気なのだ。もちろん、政府に対する原発企業の圧力というものも強力なものがあるのだろう。経済至上主義の手に負えないところである。汚染水の問題など、海に流してしまえば解決すると考えていたとしか思えない。その暗部がついに明るみに出てしまった。日本が世界から叩かれ始めている。海に出ているとなれば、他人事ではない。何故、日本人がこのことに無頓着でいられるのかがわからない。日本人はこんな対応しかできないと言われ始めている。チェルノブイリ事故対策と較べて、ロシア人よりひどいと、思われているのではないだろうか。日本人として耐え難いことである。そういう負の部分をまったく論議することなく、原発再稼働だけが進んでいる。

汚染水が漏れ出てくるということは、原因がわからないというのが、東電の言い草だった。分らないのではなく、根本対策を避けてきたということは明白だ。そして、流入する地下水を原発の山側で吸い上げて対応するという安易な方法に出た。海に流しだす戦略なのかと思えた。福島の魚業者が心配している通りなのである。東電は表面的にはきれい事を述べ立てるが、真実を隠している。養鶏場で経験していることだが。井戸水というものは使わないと詰まる。井戸清さんに言われたのだが。どんどん流しっぱなしにしてください。そうすれば水道が広がり、つまりが取れて、良い水がもっともっと出てきますよ。その通りだった。家の方の湧水も同じである。栓を抜けばそこに水は集まってくる。汲み揚げれば汲み揚げるほど集まるのであって、組み揚げる程度の量で、水を制圧することなど出来るわけがない。そんなことは、誰でも知っていることなのに、おかしなことをやっているのはすべてごまかしなのだ。本音としては、海に流してしまえば分りはしないということが腹の中にはあるのではないか。

政府が東電に代わって徹底した対策に乗り出すべきだ。政府は確かに乗り出すと発言はしたが、どう乗り出すのかがその後曖昧である。汚染水を入れたタンクは耐用年数を過ぎた、中古品らしい。緊急対策としては仕方がなかったのだろうが、この間手を打てないというのは恐ろしいことだ。緊急対策のまま、次の手が打てない。これでは相変わらずの神話的安全思想としか思えない。お金を惜しんで、また、レベル3の事故を起こしたということになる。ダムのようなもので取り囲むということは、費用は大変だろう。しかし、お金を惜しんで失う日本の信頼は、取り戻すことが出来ない。国際的信用を失うということは、尖閣や竹島の問題にも及んでくる。当然国の安全保障も危うくなる。原発対応をきちっとしないなら、経済制裁をするということがでて来てもおかしくない。外国から見ればそういうことだという自覚を日本は持たなければならない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田んぼの間断灌水

2013-08-27 05:14:45 | 稲作


朝日の田んぼ

田んぼの水管理は、間断灌水を始めたところだ。間断灌水を開始するのは、花の受粉がほぼ終わったところを確認してである。受粉の時期は水を切りたくないという気持ちがある。今までこの時期に田んぼを乾かしてみたことはないので、どこまで水が必要なのかは分からないが、この時期稲が水を一番吸い上げるのではないかと見てきた。それは入水量の増加である。減水深箱の時期かなり少なくなってくる。トロトロ層も厚くなり、縦浸透も減っていると思われる。にもかかわらず、稲は盛んに水をを吸い上げ、油断をすると入水量不足になることが起こる。欠ノ上田んぼではカニが毎日必ず穴をあけるので、分りにくいところがある。それでも稲は花が咲いているときは水を使うということは感じられるほどだ。例えば、1っ個所湧水だけで2畝程の田んぼを行っている。ここは入水量は、ほとんど変わっていない。ここの湧水はあまり雨や乾燥の影響を受けないようだ。今日、明日が穂揃いである。ところがこのところ、水の溜まり具合が少ない。排水量が減少した。

間断灌水はこの水を必要とする時期を越えてから始めるようにしている。間断灌水をすべきなのかどうか、これも毎年迷うところである。今年はやることにした。稲が出来過ぎだからである。出来過ぎというのは、稲穂が出来過ぎというより、稲の株が出来過ぎである。簡単に言えば、苗床後の田んぼが窒素肥料が効きすぎて、わさわさ騒がしい感じになっている。止め葉よりも、その前の葉が大きく伸びている。その頃これは良い出来だと思ったのだが、止め葉は普通どおりであり、穂も普通である。分げつも悪くはないが、大いいとは言えない。穂だけ見れば例年とそれほど変わらない。ところが、稲株が出来過ぎの感がある。今後どうなるのだろうか。分げつが以外に取れなかったことと、出穂が1週も早かったこと。このあたりがどう影響してくるかである。

受粉が終わると、稲穂は少しづつ傾く、止め葉は立ち上がり穂が隠れ始める。この時期に間断灌水を始める。2日水を止めていると、ほぼ田んぼから水が引く。湧水が湧いているところもあるので、こういう場所は水が残っている。場所によっては田面にひびが来る。そこでまた水を入れる。全体に水が溜まるのに、1日は目いっぱいかかる。2日になる時もある。このあたりが天候と入水量次第ということになる。この管理をしばらくは続けてみる。予定では9月の20日ごろまでである。田んぼの地面を固めるということが主目的。深く緩んでしまった場所があるので、ここが固まるように持って行きたい。それでも倒れそうな気配で心配なところである。

もう一つの目的は、穂を大きく粒張りをよくしたいということがある。根の活性化である。深水を続けてきたので、根にそろそろ実を付け来年に備える必要があると合図を送る。自然の河岸の稲は、川の水の減少が起きてくることを知るのではないだろうか。この時期水の増減が必要という可能性はある。縦浸透を促し、根に変化を伝える。これを繰り返すことで、根は最後まで枯れることなく、稲穂に光合成の結果を送り貯めようとする。今まで葉に送っていたものを、葉から受け取り、実に送ろうという変化を促す。この時期に、分げつがさらに起これば、穂に行くどころか、新たな分げつに栄養分を取られてしまう。自然農法では、この分げつを抑えることが難しい。稲刈りが終わり、田んぼにどれくらい稲株が再生するかである。年によっては、穂がつくほど伸びることもある。これでは良い田んぼの状態とは言えないのではないかと、観察を続けている。稲刈りの時期と、天候による違いが大きいのだが、それを踏まえても、稲刈り後の稲の様子が、その田んぼの状態を一番表現していると思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

消費税の是非

2013-08-26 05:28:19 | Peace Cafe
消費税の値上げには賛成である。税金が高くなることはありがたいことは言えないが、今まで以上に税金が必要な状況だと考えている。税金の値上げをする以上、歳出の見直しが必要条件だ。歳出について国民の理解を得ることが、消費税の値上げの大前提である。財政再建の見通しを示すこと。それもごまかしでなく、どうやって歳出削減をするかの道筋を、わかりやすく真剣に示さなければだめだ。その作業を十分にした上で消費税を上げることだ。この際法人税の値下げもやるべきでない。法人税を下げれば、税金が足りないからやむえず、消費税を上げるという根拠がなくなる。法人税を下げるために、消費税を上げるかのように見えてしまうう。税金はどう考えても足りない。景気が回復すればというような範囲ではない。財政の深刻な悪化は直視しなければならない。財政の状態は1000兆円の借金である。

共産党のポスターには「消費税ではない道がある」と書かれている。良く車で通るところにあるので、どういう道だろうと考えていた。脇に小さくその道が書かれているようなのだが、そこまでは見えない。ある時そうだ、共産主義になれば消費税のいらない経済は在り得ると言うことかと思った。ネットで確認しようとしたのだが、本当のところはついにわからないかった。たぶん、金持ちから取れとか、大企業から取れ、軍備費の削減とか、書かれているのだろう。確かにそういう方法もあるだろうが、やっぱりね。という感じがしてしまう。共産主義経済にしようということで議論するなら、まだかみ合う。金持ちから取るというはまず必要なことだ。累進課税の見直しは徹底してやってほしい。大企業から取るほうも、法人税の値下げなどしない。しかし、それに加えて消費税の値上げも必要だと思う。

税金の値上げはすべてだめだ。大企業から取ればいいとは思わない。あくまで誰にとっても税金のすべてが公平であるべきだ。公平がどこにあるかは分からないが、他の税に比べ消費税の性格は違う意味の公平さが明確である。ある角度というのは、どこの誰でも払わざるえないという性格である。非合法組織であろうが、脱税常習者であれ、消費税は逃れ難い。もちろん、生活保護を受けている人からも公平に取るということになる。弱者対策がかならず必要になる。これも複雑化しないで、その分保護費で上乗せるとか、方法論の問題だけのことだ。共産党や社民党は消費税反対ということだが、その意味するところは弱者の側に立つというつもりなのだろうが、弱者対策も今後さらに格差社会は深刻化するだろう。その中で、消費税なしで、どのように福祉対策を充実させられると考えているのだろうか。

すべては若い人のためだ。このまま国の借金が増えれば、若い人たちはその返済を払わされることになる。団塊世代が一番悪いと、麻生氏は発言したが、この点では全く同感である。国の財政という意味では、団塊世代が一番得をした世代であるのは事実だ。高度成長期に出くわした訳だ。これからの世代は、深刻な格差社会の中で生きなければならない。格差社会が生まれたのは、社会が格差を必要としている側面があるのだろうと考えてみなければならない。能力主義を徹底して、有能な者を高待遇することで、それにおぶさろうという社会だ。みんなが嫌だと思ってもそうなる。その中で、多く消費するものが多く払うというのは、一つの原理にかなっている。消費しない者の税負担が減るということだ。あれこれ弱者対策の案が出ているが、複雑化することより、その分一次産業への従事者の、税の仕組み、あるいは補助金の方を考えた方がいい。明治時代の耕地整理の補助金制度のような、地域回復のための補助金制度のようなものを作ったらいい。これについてはまたあらためて。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

放射能問題 その後

2013-08-25 04:04:38 | Peace Cafe
久野の放射能のその後、最近放射能に関して私の認識があいまいになっていたところがあった。Oさんから確認され、もう一度、考えてみた。私のブログにもあるということで、放射能に関して過去ブログの記載を良く調べてみた。なるほど、3,11以降あれこれ考えは揺れ動いている。誤解されるような文章も確かにある。「大人は100ベクレルのセシューム汚染の食品でも、喜んで食べる。」「自己責任で放射能に汚染された食品も食べるしかない」というのが、私の自身の行きついた結論であった。これ自体は当時も、今も考えは変わっていない。他の人もそうすべきだとは考えていない。ここが誤解される部分だったかもしれない。ブログを書いていると、他の人がどう受け止めるのかの配慮が足りないこともある。100ベクレルに至ったのは、過去の核実験の日本の汚染の経過の経験から、この程度なら、何とかなる範囲ではないではないかと考えた。つまり、核実験による汚染があったにもかかわらず、日本人の平均寿命は延びた。小田原なら自給を続けても問題はないという判断をした。

政府がその後100ベクレルに変更したのに、びっくりした記憶がある。安全という意味ではなく、そのリスクを引き受けるか、移住かの判断基準である。判断したら後は不安を持ちながら出なく、喜んで食べると決めた。ただし、大人という範囲であり、子供は限りなく少なくすべきだとも考えた。それは10ベクレルぐらいだろうと考えた。成長期が放射能の影響に敏感らしいということ。加えて子供には何の責任もないということ。こういう考えに事故後の秋ごろには至り、このブログに書いた。食品残さの堆肥を作り、50分の一ぐらいに濃縮したものを測定してもかなり低かった。行政の調査でも、不検出、われわれ自身の調査でも予想以下のかなり低いものであった。当時は段ボール堆肥の活動も、放射能で基材の販売は中断せざる得ない状況だった。いずれ、放射能に関しては、科学的な結論がないからである。誰もがそれぞれに判断するしか方法がない。私は私の判断の基準としてこういうラインを引いたということのつもりだったが、人によっては基準を主張していると受け取ったようだ。ブログ全体を読んでもらえばそうでないことはわかってもらえるのだが。私自身ブログを読み返しての放射能汚染に対する考えの変遷が分かった。ブログを書いていて良かったと思った。

農の会のような活動になると、共同の活動がある。100ベクレルの土壌の畑に子供を入れるべきではないという考えの人も当然いる。すべては自己判断する以外ない。そのことが排除につながったというか、対立のもとになった。共同で作業する畑は、土壌測定を行い参加者にお伝えする。しかし、毎年行わなければ、納得出来ないということで2回か3回行ったところもある。田んぼや、くぼみの畑であれば水が入り込み、セシュームが溜まる可能性のある、しかし、田んぼでも土壌のセシュームの数値が高くなるようなことはない結果になっている。むしろ、セシュームの減少速度以上に、どこかに流れ去るのか、たぶん川に行き海に行くのだろうが、減少は早い。しかも、今回の事故ではない放射能の、いまだ残っている放射能の測定がされるらしいということも見えてきた。核実験、チェルノブイリの事故、世界中放射能汚染が存在する。高い場所では、いまだ、100ベクレルに近い土壌の場所もある。ただし、時間とともに土壌の何かとの結合が強くなるのか、作物は不検出になることが多くなった。

以上が久野の放射能の現状と自分の対応である。肝心なことはほとんど書いていない。というか書く訳にはいかない。放射能のことを書くだけで、風評被害が広がるので辞めてもらいたい、という意見がある。確かに0でなければ食べないと決めている人に対して、この地域の農業を守るということは不可能である。今回も具体的な数値は避けている。自給する以上、喜んで自給する以外にない。土壌を汚染されたことは、これ以上苦しいことはないが、出来る限りの対応をして乗り切る以外にない。忘れていた方がいい。それがこの土地で生まれ、この土地とともに生きている地元の農業者の一般的な気持ちだとおもう。原発事故によって、私の生き方が問われた。原発事故は起こるべくして起きた。日本人すべての責任である。「地場・旬・自給」の理念も問われた。そして、誠実に判断をしたつもりであるが、その中で矛盾が、逃げが、問われていることなのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

TPP賛成論

2013-08-24 04:16:35 | Peace Cafe
TPP交渉が始まっている。アメリカから今年の暮れまでに結論を出したいという方針が打ち出されている。これでは日本の意見は、十分に聞いてもらえるのかどうか、不安が大きくなるばかりだ。米の例外品目の要求は、現段階で入れていないということである。交渉事だから、色々のやり方はあるのかもしれないが、米自由化問題を軽んじているとしか思えないが、大丈夫なのだろうか。主食の生産は、安全保障の問題でもある。経済を越えて自給して行くことが、国としての基本要件になると考えている。TPPが単なる自由貿易協定圏の設立を目指すのではなく、国家を越えたものとして、国家解体の方向が含まれているなら、別である。いまのままではグローバル企業の為に都合のよい、自由貿易圏の設立だけが先行する。瑞穂の国日本の文化を失ってからでは遅い。日本人が、パン食民族になっていいとは思わない。

TPPの思想自体は、まちがっているばかりではない。賛成の人に良識のある人が居ても当然である。TPPがEUのように、当面の貿易協定を越えて、未来に、国家の枠が取り払うことにつながるかもしれないという期待がある。TPP賛成論には、良識派の知識不足の意見がある。例えば熱心な農家はむしろ、TPP加盟を望んでいるという意見だ。もちろんそういう農家も沢山あり、テレビではバランスを取るために、必ずそういう農家の撮影をする。良く確認してもらいたいのだが、その農家は、果樹農家であったり、野菜農家であったりするはずだ。その通りで、すでに関税などない農業分野の農家なのであり、TPPなど関係のない農家なのだ。そういう農家をわざわざ取り上げて、努力する国際競争力のある農家もいるのです。一方頑迷なTPP加盟反対農家として、全農の集会などが取り上げられる。そして反対する農家として取り上げられるのが、田んぼを前に苦悩を語る稲作農家か、乳搾りをしている酪農家ということになる。

TPPで打撃を受けるのは、畜産農家と、稲作農家なのだ。これは別段稲作農家や、畜産農家が努力不足なのではない。ここを間違えないでほしい。ここを十分に調べてもらいたい。是非この違いを自覚したうえで意見を主張してもらいたい。農業は自然環境に大きく影響される産業である。沖縄を中心にしたサトウキビ農家もTPPで明らかに経営できなくなるのだが、それは、熱帯のサトウキビと、沖縄のサトウキビでは自然条件が違いすぎるのだ。沖縄の人がのんびりしていることが理由ではない。労賃の違いも当然出てくる。一次産業だから、労働費の占める割合が大きい。努力では越えられない壁もある。稲作では歴史的、文化的な側面もある。水土の成立と、地域社会の関係を深く考えてみる必要がある。縄文後期から、稲作を続ける中で日本人の成立に深くかかわったものだと思う。

日本が稲作を止めてもいい。と考えるかどうかである。国際競争力のある稲作は、ありえないことである。日本の稲作農業の特徴は、永続する農業である。同じ場所で、肥料もさして必要とせず、豊かな山の形成があれば十分に収穫がある。治水を兼ねたため池である田んぼ。総合的な経済性が、砂漠に井戸を掘り収奪的に土地を利用する、国際競争力だけを問題にする稲作と、競争をせざる得ないかになりかねない。それでも稲作など要らないというのであれば、国際競争力など言わずに、稲作を止めるべきという意見にしてもらいたい。そうでないと、努力不足の稲作農家を救済するために、TPPの交渉が不利に展開しているというような認識になりかねない。稲作が成立するためには、総合的な条件が必要である。稲作を残すべき地域を明確化する必要がある。それは残すべき地域ということでもある。そういう国のあり方を踏まえて、TPPを議論しなければならない。
コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どぶっ田の改良

2013-08-23 04:23:45 | 
「どぶっ田の改良」著者岩田俊一(文芸社)田んぼの仲間のまごのりさんのお母さんの実家の祖先のかかわった話である。秦野の大根の耕地整理を中心とした、田んぼの経済にまつわる話である。大根村落幡地区のどぶっ田をどのように改良していったのか重要なことが書かれている。以前武士の家計簿という話が、とても面白かった。家計簿から、武士の本当の暮らしを推察して行くものである。この田んぼの話は、まさに田んぼの家計簿から、百姓の本当の暮らしを浮き上がらせてゆく。厚木生まれの農民小説家和田伝を思い出しながら読んでいた。和田伝はこの地域の百姓の姿を、私小説的に浮かび上がらせた。小説であり、文学としての思い入れで書かれている。長塚節の「土」や吉野せい「洟をたらした神」山下惣一「減反神社」等どれも百姓小説として興味深いのだが、「どぶっ田の改良」にはそれ以上の現実世界という面白さがあった。

江戸時代の田んぼの権利関係はどうなっているのか。どこの誰の、領分になっているのか。支配体制と年貢の違い。落幡地区では何と3つの種類の権利が生じている。幕府直轄の御領地と、旗本成瀬、松平の2家の知行地とがある。直轄のご領地は後に、佐倉藩主堀田家に与えられることになる。落幡村の石高は、1200石。うち74町4反が田んぼ80町4反が畑。農家数が119軒とある。1件当たりの平均面積が、1町歩を越えているから、三反百姓という言葉からすれば、広い方と言える。明治初年の資料では田んぼ84町7畝。畑83町1反。121戸あって、内農家数が103戸とある。収穫高は1反分を1石とみなしている。1石=1,000合(1年に一人が消費する米の量)1年では150キログラムとなる。江戸時代の田んぼの生産性はどうだったか。反収150キロとは、2俵半ということである。私たちの田んぼが、8俵であるから、その3分の一以下である。しかし、一般に1反1石、一人の消費量と言われていたようだ。その貴重なお米の半分が年貢となる。

江戸時代は米以外の農作物に力が入る。秦野大根村では、葉たばこは江戸時代から作られていた。国の経済が、つまり税金の大半が、米からである。それは明治時代には地租という形に変わり農地すべてから、農民はさらにきびしく吸い上げられることになる。大正期に入って、田んぼの面積が85町、畑が84町である。明治6年の記録でも田んぼは反収150キロを切っているから、本当に生産性の悪い田んぼだったのだろう。江戸時代の豊作の記録で、反収八俵480キロというのが限界と書かれたものを読んだことがある。このほんではこのどぶっ田を良田にしてゆく、耕地整理と河川改修がテーマである。ここにの普請と現代の公共事業との違いをみる。つまり、江戸時代の普請はたいていの場合、自己負担であり、の共同事業ということになる。河川の改修すら、その地域に暮らす人たちが、改修して行かなければならなかった。当然、藩を挙げての大干拓事業なら別であるが、一般には暮らしている者の責任とされた。

江戸時代は自己責任の時代のようだ。お上は下々の者の暮らしの面倒までは見てくれない。農地を改善する水土普請事業は自己責任の中で、どのように進められたのか。相談事はどのように行われるのか。地域というものが間違いなく、重要な枠組みであったのだろう。どぶっ田がまず耕地整理される。田んぼの耕地整理は明治政府の重要な政策であった。1割程度の補助金が出る政策が行われる。1反を一区画として、道路と水路が直接接するようにする。田んぼは河川を中心にして出来上がるため、常に洪水などで位置が変わる。そのために、関東地方の田んぼは権利関係も複雑化し、不整形化したところが多かった。明治に入地租に変わり地主や自作農は、土地所有権を持つが、その地租は重く、耕地整理を行うのは、政府、地主、そして小作農すべてにとって、行わざる得ないこととなる。この本が提起していることが、あまりに面白くて、一気に読んだだけだが、もう一度じっくり読みこんでみたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水彩人15回展

2013-08-22 04:13:56 | 水彩画
「水彩人15回展」
が東京都美術館で、9月25日から公募展として開催されます。

水彩画に興味を持っている人は、是非とも参加してください。水彩人のホームページに応募の方法がのっています。

子供の頃から絵が好きで描いてきた。描いては来たのだが絵というものが、分ったと思ってはまた分からなくなり、それでも絵を描いてきた。今でもまるでわからないまま描いている。わからないながら50年もやってきたのだから、絵というのは不思議な魅力があるもののようだ。この水彩人の15回で絵というものがますますわからないものだと、煮詰まって来たのだと思う。水彩人は現在は、公募展として水彩画であれば、誰でも出品できる公募展になっている。当初は、仲間で始めた勉強会であった。そもそもと言えば、20代から続けてきた勉強会があった。毎月描いた絵を持ち寄って勉強しようという集まりである。今はなくなった、渋谷のゆうじん画廊などで行った。自分の描く絵が一体この世の中で、どういう意味のものかを、いつも考えていた。考えすぎているので、ついついそういう類の人間で集まろうということになったのだろう。当時は、若かったこともあり、絵描きになろうというものが集まっていた。しかし、私のように途中であきらめざる得なかった者も、そのまま一緒になって勉強会だけは続けてきた。

私は40歳から、春日部洋さんという魅力的な水彩画を描く画家に指導してもらうことになった。春日部先生は世間では油彩画の人と見られていたが、水彩画の方が面白かった。その面白い水彩画はあまり発表はしなかった。たぶん職業画家としてやって行くには、油絵を描くしかなかったのだと思う。そういう意味では、山下尚さんなどもそうなのではないかと思う。中西利夫という水彩画家の人もそうだったと思う。日本の画壇に対して、水彩画を絵画として認めさせたいという気持ちがあったのだと思う。それで、春日部先生は水彩画の勉強会を始めたのだ。それは先生がなくなるまで10年ぐらい続いた。毎月の勉強会を銀座の美術家連盟の会場でやることが多かった。水彩連盟という組織に絵を出していたのだが、この会は水彩を使う人もいるが、本質はアクリル画の会のような気がしてきていた。違和感を感じるようになった。大きいことや強い絵ばかり評価していた。安井賞を受賞した人が2人もいたので、なおさらそういう傾向が強くなった。

水彩画は頭の中に湧きあがる発想なのだと思う。日本画の人でも、油彩画の人でもスケッチは水彩で行う人もいる。簡便ということもあるが、頭に浮かんだ絵のヒントのようなものを書きとめておくには、素早いし、的確なのである。たぶん水彩画を描く人は、そのヒントだけでいいと考える人なのではないかと思う。文学でいえば、俳句である。極めて短い中で、言い足りないことばかりである。しかし、その短い詩形が自分にふさわしいと感じる芭蕉のような人もいる。水彩画も同じような傾向がある。本画とスケッチを分けて扱うような作家にしてみれば、水彩画では物足りないことだろう。しかし、頭に湧きあがるイメージというものに一番近いのが、水彩画であることは確かだとおもう。マチュエールとか、質感等も、頭の中のイメージでは水彩的である。そこにむしろ絵画の本質が秘められているのではないかと、私は考えている。

最近水彩画を描く人は急増している。絵画というものが、立身出世の手段とか、生計を立てるためにとか、言うような職業目的ではなく、自分自身の生きることの確認の手段として考えられるようになってきたためだと思う。絵を描くのは、発表するためでないという人が、沢山いるのだとおもう。そういうむしろ多数派の人にしてみれば、公募展など論外だと思う。私たち水彩人同人の多くも実はそう考えている。そう考えているのに公募展をやるのは、矛盾のようではあるが、実はそういう個人的に絵を描いている者でも、互いの本音をぶつけ合う場が必要である。それが自己確認であり、成長であると考えたからだ。是非、本当の仲間を求める水彩人は、応募してきてほしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

80歳の私に

2013-08-21 04:04:27 | 身辺雑記
80歳の私へ、
あなたに私は会えるのかどうか。このメールをあなたは読んでいるのだろうか。それともすでにこの世とおさらばしているのだろうか。80歳の老人として生きているとして想像して手紙を書いてみる。今日64歳を迎えた私が、16年後の私にメールを書いている。何か想像しがたいものがあるが、もし生きているとすれば、まずは、おめでとうと言うことになる。何がおめでたいかは分からないが、長生きすることは悪くはない。何をやるにも時間はかかる。2013年時点での、日本人64歳の平均余命はおおよそ20年ということである。後1年生きれば65歳で、考えていた最低ラインのクリアーである。平均余命からすれば、後16年だから、80歳のあなたは生きている可能性の方が高いということになる。65歳まで元気でいられれば、納得しなければならないと思っていたが、後一年までついに来た。別段年を取ることは情けないとか、逆に老人力とかいうほどのものでもない。一年づつその年齢らしく十二分に生きてゆき、80歳のあなたに会いたいものである。

早速のことですが、絵はどうしましたか。それが一番気になるところです。納得したものを少しは描けましたか。そもそも絵を描いていますすか。64歳になった今の状況では、もうしばらく絵を描くことが出来れば、少しは絵らしいものを描けている可能性はあると思っています。16年前の絵を見て、どう思いますか。今海の連作を書いています。今描いている絵とあなたの絵は似ているのでしょうか。それとも全く違うものなのでしょうか。最悪の場合を想定すれば、あの頃はまだ絵に元気があって良かったなどと思っているのでしょうか。自分らしい絵を描きたいと、自分がみている世界を絵にしたいと。自分の世界というものを確立したい。こういうことで、今はあがいていますが、80歳になったらそういうことはどうなるのでしょうか。そうでもないのでしょうか。何かをつかんだと、思えているでしょうか。あるいは諦めているのでしょうか。心配する訳でもないですが。今日も絵が全く描けません。一日絵と向かい合って唸るばかりです。

まだ農作業は出来ていますか。失礼な言い方になるかもしれませんが、農作業は無理なのではないかとおもっています。あと75歳まで畑に出ていれば、大したものだと思っています。人間何歳まで、自給できるものでしょう。自給できなくなれば、終わりという訳にもゆきませんが、自給できないあなたはどうなっているのでしょう。まあ、80歳で細々でもやっているならば幸いなことです。80歳のあなたになるまで、後16年の時間があります。この16年は今までの64年間に比べて、質が変えたいと考えています。64年間はこの先があるという意識で、学びというか探求ということでした。この先は、明確に結論に向けて生きているはずです。ダメなのは結論を出す能力がないということになります。最後の結論は死ということですが。死ぬときに、臨んだ自分に到達したいものです。死はまだ先と思っていても、そうとも言えない年齢です。80歳になれば、いつでもお迎えが来るという覚悟でしょうか。それとも相変わらず、90歳の自分など想像しているのでしょうか。

日本人の男性は、平均寿命が80歳。世界一だそうです。この結果というのは、すべての総合なのでしょうから満足し、感謝しなければならない事だと思う。だって、寿命というのはすべての総合の結果です。子供の頃の核実験は福島の比ではない。今の中国以上の大気汚染でした。食べ物の添加物の急速な使用。農薬の使用量は世界1。寿命は減少過程に入るという学者もいたが、たぶんまだまだ伸びて、平均寿命が90歳くらいにはなることでしょう。100歳の人だってそう珍しいことではなくなるでしょう。64歳まで特別な病気ということもなく、幸運というしかありません。体力は年々落ちてきていますが、いまのところ田んぼが無理というほどでもないですが、一年一年が重要になります。田んぼは少しわかりかかっていますが。予想を越えたことが新たに出現してまた出直しになります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

庭の蓮池

2013-08-20 04:32:45 | 身辺雑記

庭にある池の蓮の花である。すでに花弁が落ち始めていた。この蓮池は雨水が流れ込むだけだから、今は水もお湯のようになって淀んでいる。庭に池があるというのは、子供の頃からの家のイメージである。お寺育ちだからだろう。夏になればその池で泳ぐことが出来るほど広く深い池があった。それは山からの湧水を池で貯めて、温まった水を田んぼに流すようにしてあったのだ。池には鯉が飼ってあって、時々釣っては食べた。池には家の洗い水が流れ出るようになっていた。それが鯉の餌である。同時にトイレの貯水槽が2槽になっていて、1槽の底から2槽に押し出されるようになっていた。そのコイダメの2層があふれでると池に入る。これが鯉の餌である。大半の糞尿は落ち葉にかけて堆肥を作っていた。別段臭いようなことはなかった。その2槽からさらに溢れ出る分があれば池に流れ込む訳だ。お寺の畑は、確か全部で1町歩あったので、肥料はいつも不足ぎみで、溢れるでるようなこともめったにない。鯉頭でっかちで、痩せていた。

この池の鯉を日本カワウソが食べに来た年があった。昭和30年ころの話である。大きなコイが何度かとられ、池の傍で立ち上がっているカワウソがいたそうだ。お婆さんと和真おじさんと2人で何度も観察したということだ。鯉を取られるので、おじいさんは怒っていたが、二人はカワウソが食べるのだから、勘弁してほしいと主張して譲らなかった。これを河童というのではないかと、20代で死んだ和真おじさんが本気で言っていた。今はほとんど水のない川になってしまった境川もその頃は豊かに水が流れていた。夏になれば毎日泳ぐ川だった。堰き止めては深い淵を作った。近所の子供たちはそれには加わらなかった。どこの子供も小学生ぐらいになれば、それなりに働いていた。私もおじいさんに草取りなど仕事は云い付けられていたが、怒られても川遊びの誘惑には勝てなかった。仕事をやらなかったのは、よく状況が分からない子供だったからだ。今思えば恥ずかしい気分なる。

今ある池は、屋根の雨水を集める小さな池である。水はよほどのことがなければ半分しかたまらない。やはり2段式になっていて、水が余れば、奥の池まで行くようになっている。絵を描く位置から水面が見えるようになっている。狭い場所ではあるが、絵を描くにはとてもこの池が参考になる。小島善三郎もモネも絵を描くための庭と池を作った。池があると描くことの出来る庭に変化をする。今は睡蓮と、花蓮と、クワイだが、以前は田んぼの雑草を取ってきては植えて観察した。ところが雑草と言いながら池では環境が合わないのか、雑草のはずがすぐ枯れてしまう。以外にしぶとさのない情けない奴らである。オモダカなどなかなか野趣があり、眺めるには良いものである。花が来る花丙の枝ぶりなど、カンランに引けを劣らない風情がある。今生き残って咲いているのは、睡蓮と、この花蓮と、クワイだけである。池では園芸種が元気なのかと考えさせられる。

雑草たちはみんな枯れたのだ。黒グワイも、あのコナギまで枯れたが、食用のクワイを植えたのは元気である。池という環境が、あまりに人工的な環境で、野生のものには、順応できない何かがあるのではないか。今度また屋根の水が池に行くように直した。雨が降るのが楽しみである。上手くゆくようなら、本当は金魚を飼いたい。金魚に凝ったことがあったが、金魚は奥が深い江戸趣味である。金魚だと猫がとるかもしれないので、メダカぐらいだろうか。以前、この池に自然にメダカが湧いたことがある。多分、桑原からとってきたカナダモにメダカの卵が産みつけられていたのだと思う。そういえばあのカナダモも今はなくなった。そのメダカもいつの間にか消えてしまった。その時は、銅板の屋根の緑青がいけないのだと思い、雨水が入らないようにしたのだった。今度は作業場の屋根は、アクリル板なので、この水なら大丈夫だろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野遊び探検

2013-08-19 04:13:50 | 里地里山
8/18日に行われた美しい久野里地里山協議会の野遊び探検は100名を越える人が参加をした。今年の内容の変更点は、生き物観察をやめて、いろはもみじ苗植栽100本の植栽を行いました。当日参加スタッフは10名程度。私はこの活動には出来る限り参加するようにしている。小田原植木さんの、舟原の圃場で行われる活動で、この地域の良さを一番アピールできるものだと考えている。小田原植木さんの圃場は舟原集落から久野川沿いに200mほど登ったところにあり、大木が生い茂り、珍しい植物も沢山ある。2ヘクタールくらいの場所だ。里地里山協議会では、久野川の上河原橋から、散策道を和留沢に向けて作る計画である。地主さんの了解を得ながら、すで峯自然園までは整備が進んでいる。河岸が秋には紅葉で埋められるように、モミジなどの樹木の植栽が進められている。

今回の野遊び探検では、苗木の植栽をしてもらった。参加者は1本は植えられたのではないだろうか。良い思い出になり、いつか紅葉が大きくなった頃また見に来てもらいたいものだ。野遊び探検は危ないギリギリの川遊びや、焚き火などやってもらおうと考えている。危ないからやってはいけないのでなく、危ないから経験して置く場になればと思っている。だから運営側には、事故が起きないよう細心の注意が必要になる。事故に関しては自己責任ということになってはいるのだが、やはり事故は起こす訳にはいかない。と言って川に入ってはいけないではなく、子供たちが川に入ってけがをさせないようにする。川に入ってくちびるを紫にしていた子供たちがいた。今年で4年目になるが、事故が起きたようなことは一度もない。私は火の係だったのだが、子供が薪を入れたいというので、どんどん入れたいだけ入れさせ、熱くて近づけないような大きな焚火にした。火が熱くて危険なものだということだけでも知ってもらえればと思う。

食べ物は、その火で煮たり焼いたりして食べる。100数十名の食材を準備して、調理して、食べつくすというのも、なかなか大変である。しかし、火で焼いて食べる経験だけでも、美味しく食べてもらえたのではないかと思う。今回は4回目ということで、過去に参加したことのある人と言うので手を挙げてもらったら、かなりの人が手を挙げていた。そうした人が増えてくると、流れが自然と良くなる。アユを放流して、つかみ取りというのもやるのだが、子供たちがそれは大騒ぎで捕まえる。やっと捕まえたアユを、自分たちで作った竹串で刺して、塩焼きにする。小田原植木さんの森には、そういうアユを放流してつかみ取りが出来る場所があるというところがすごい。大木から大木に縄をかけて、そこを滑空する遊びも子供たちには人気だった。はらはらするほどスピードが出て、林の中を飛んでゆくのだから面白いはずだ。

毎年野遊びも工夫が加わり、楽しくなっていると思う。竹細工を行い、刃物を使うのだが、昼食べる食器は自分で作ったものということになっている。集まり最初にみんなにやってもらう作業だ。お皿、スープの皿、竹串、箸。何とか出来たようだった。今年は楽器を作ったりしている人たちもいた。楽器作りはもう少し、内容を広げられそうに見えた。今年の特徴は片づけを参加者が自主的に行ってくれたことだ。参加費はこの内容で、一組1000円は格安である。今年は、この活動が、わんぱくランドの活動とも連動してということだったようだ。それもあって、スタッフが不足したのかもしれない。内容からいって、同日開催は少々無理なことのような気がした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

欠ノ上田んぼの穂揃い

2013-08-18 04:11:24 | 稲作

稲藁たい肥が積んであった場所。



一番下から見た田んぼ、色の濃いのは走り穂状態の喜寿モチ


猪柵



後から補強した、部分。

今年は例年より、1週間も早い穂ぞろいだ。8月17日の段階でサトジマンが6番を除いて穂揃いしている。穂が大きいことも特徴である。このまま収穫まで行けば、昨年より良い出来になるだろう。問題はイノシシである。3日おきに田んぼに現われて、4回出没した。進入口がだいぶ狭められてきたので、何とかイノシシ対策が完成すればと思う。何故穂揃いが1週も早いのかと言えば、例年になく、日照が多く、気温が高い。積算で言えば、日照も温度も、穂が出るのに十分ということだろう。サトジマンは気候対応性の良さではないかと思う。今年の気象は今までとかなり違う。暑さもすごいのだが、雨の降り方もいくらか夜降ったというぐらいだ。極端な少雨が繰り返されている。幸い、箱根の方ではまだ雨があるので、久野川の水はまだかろうじて枯れない。枯れてはいないが、相当に減っている。25日まで雨が降らないと、水はかなり危うくなる。月末まで水があれば稲の結実はなんとかなるだろう。

穂揃い時期の稲の生育調査事項
1、穂の大きさの確認
2、1株の穂数を確認
3、穂の軸の太さを確認
4、下葉の刈れ具合の確認
5、止め葉の大きさを確認
6、全体を握って、稲株の堅さ大きさ、葉の厚さを確認
7、入水口、排水口の水温の確認
特に記録を取ることはない。記録を取ると見るという意味が減ずる。観察する際のポイントにしている。

1、穂は中心の株では、130粒はある。かなり大きい穂である。
2.一株の穂数はかなり幅がある。10から25くらい。
3、軸はグキッととぐろを巻くようならば太さがほしい。力がある軸。毎年触ってみるが今年もまあまあである。
4、下端が枯れている株もある。枯れていないところもある。この違いの理由を確認したい。昨年も下葉の枯れはあった。
5、止め葉の大きさは大きいほど、この後の光合成が進み、粒張りの良いお米になる。サトジマンは止め葉が大きいのが特徴でもある。
6、握りきれないほどの株がある。堅い方だと思う。株の根元の太さも十分である。葉の暑さも確認する。分ゲツが20以上ある株もある。
7、朝6時の水温。入水口23度。かなり今年は高い。排水口25度。田んぼの中央部ではもう少し低いはず。

堆肥が積んであったところと苗床の周辺の稲がかなり傾いている。肥料が多かったのだろう。土も緩んでいるのだろう。よく見てみると、止め葉の大きさがかなり大きい、60センチ以上ある株まである。これは行き過ぎということなのか。あるいは倒れなければ、良い兆候なのか。雨が降れば倒れるのか、気になるところである。写真の状態より倒れてくることもなく、立ちあがる株もある。穂が結実したら、水を減らしてみたい。

イノシシが今年の一番の脅威だ。今朝来なければ、対策が効果を上げあ可能性がある。イノシシは何かをすると、3日ぐらいは用心して近づかない。だんだんに慣れて、乗り越えてしまう。だから、必要に対応していれば、対応できることもある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする