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飼料米の奨励金

2013-11-30 04:14:36 | 自然養鶏
日経新聞より
飼料用米を作ると10アール当たり年間で8万円受け取るが、収穫量に応じて支払う仕組みを取り入れ、最大10万5000円にする。減反に農家の協力をとりつけるために、10アール当たり最大年5400円の新たな補助金も設ける。
農道の草刈りや水路の泥上げなどに協力した場合、「農地維持支払い」として10アール当たり年最大3000円を配る。農村の景観維持を手助けした場合には「資源向上支払い」として10アール当たり年最大2400円を支給する。


今になって飼料米に奨励金が出る。少し遅いかもしれない。15年前に、これをやるべきだったのだ。そうすればまだ農家に力のある間に、良い方向に変わることが出来たのかもしれない。1反飼料米を作れば、10万円もらえるらしい。もし本当に実行されるとしたら、多くの老齢農家は経営を変えることになるのだろうか。作った餌はキロ40円までなら、養鶏でも使うことが出来る。1反で500キロ採れるとして、2万円にしかならないので、今までは広がらなかった、補助金をいれれば1反で12万円になる。これは1俵15、000円ということだ。これなら農協に出すとかわらない。場合によってはいいのかもしれない。4町歩やれば、500万円に成り、暮らして行ける。4町歩のたんぼを兼業でやっている人はいる。足柄平野でも、牛はかなりいるので、その分の飼料を地元で作るということが可能になる。飼料米であれば、食べるお米より作りやすいはずだ。

有機栽培はお米ならば難しくない。雑草対策が一番の課題であるが、克服する技術は出てきている。次の課題は有機苗であるが、育苗センターで、有機のものを販売するように技術開発すればいい。もし飼料が有機となれば、卵や肉に付加価値が付くから、価格も高めに付けられるだろう。それなら海外の安い畜産製品に対抗できる可能性がある。そうなれば、2町歩位やる養鶏農家というのも、ありえることになる。お米で250万円。養鶏で250万円。私が若かったら始めるところだ。問題はこの政策に乗る若い人が居るのかどうかである。先日この飼料米が減反分すべて耕作されれば、補助金の政府の負担は今の数倍になるという試算が出ていた。財政が厳しい中、本当に政府は実行できるかが問題である。田んぼを私が2町歩やるとすれば、機械に準備などに初期投資が必要になる。安く準備したとしても、機械小屋を始め相当の準備をしてとりかかる。それだけの信頼感が政府の農政にはない。踏み切っていいものかどうかの判断である。

TPPとの兼ね合いがある。この政策はTPP妥結が前提となっている。TPPに加盟するということは、将来関税が無くなるということを覚悟すべきだ。経過措置はあるとしても、日本の食料に関しては、徐々に保護政策を抜け出ることになる。国際競争力のある農業となれば、ベトナムの田んぼで、日本商社の作る安いお米に対抗できるわけがない。工業製品の海外生産と全く同じ経過を経るだろう。TPPに参加するということは、経済的には国境がなくなるということまで、覚悟して加わるべきことなのだ。今加盟する衝撃を和らげるために、様々な措置が取られるだろうが、果たして、新規参入者が自分の人生をかけるだけの、確実な材料と言えるかである。結局はその場その場の政策に翻弄されながら、やってゆく以外にないのだろう。私は、食品リサイクル法にとても期待した。理想を語った農水の方を恨む訳ではないが、廃棄される食品の問題は、10年経っても一向に改善されない。

減反廃止も、飼料米政策も、そういうことにならないだろうか。TPPを妥結すれば、お米の価格は今の半分つまり、60キロ8000円くらいになると言われている。この価格でも可能な農業があるとすれば、大企業農業である。少々の大きさではなく、日本全体が、10社ぐらいの企業農業になるということだ。自動車会社や、JRみたいな規模になる。これは最終的な予測される状態である。それ以外の、小さい農家が経済とは関係なく、伝統農家として、保存されるように残るだろう。伝統工芸の世界を考えたらわかる。しかし、この伝統農家が日本の軟着陸の可能性になるはずだ。これについては、今でも考えは変わらない。世界は新しい生き方を見つけない限り、競争の果てに疲弊する。この深刻度は増してきている。疲弊し、辿りつく岸辺は、江戸時代の循環する手入れの暮らしのはずだ。それまで、細々でも自給の技術を保存して行く価値はある。
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大麦を蒔く

2013-11-29 04:12:43 | 自給

小麦の会の発芽してきた様子。


播種16日目、今年は成長が早い。

今年は麦を家では作らないつもりでいたのだが、畑が冬の間、空いているのも土壌には良くない。大麦の姿はなかなか良いものなので、少しだけ蒔くことにした。11月25日夜雨が降るというので、3時から急いで播いた。昨年は6条大麦を蒔いたのだが、麦茶の味としては、もう一つの感じだった。今年は、2条大麦を蒔いてみた。畑の準備は出来ているので、種が届いて、すぐに蒔くことが出来た。6条大麦が麦茶にするといいというので、昨年は作ったが案外の味だった。その前に作ったたぶん飼料用という大麦の方が、麦茶にしておいしかった。記憶をたどるとそれは2条大麦だったと思われる。2条大麦はビール麦である。雪印種苗の2条大麦が1キロ1000円で売られていたので、ネットで購入した。今年蒔いてみてどうなるかが楽しみである。45センチ間隔で長さが15mで12畝蒔いた。つまり180メートル蒔いたことになる。2畝ほどだろうか。それで700グラムほど使った。播種機の小麦用ゴンベイで蒔いた。

大麦を作る一番の良さはその美しさである。風景を作る仕事をしているという喜びがある。山梨の山村は、田んぼより麦の畑が多かった。どこの家でも麦を作っていた。子供の頃の記憶が残っている。一面の麦の美しさは格別に感じらえる。麦は、踏まれて強くなる。葉を折られて葉を茂らせる。雑草魂を持っている。小田原の気候では冬の寒さに成長できる。冬だから雑草も控えめである。麦踏も家の畑の程度なら、楽しめる。作ること自体が心地よい作物だ。主食のお米と違って、ある程度余裕をもって接することが出来る。麦を作るということは、風景を作るということだと、実感する。舟原あたりでも見渡す山が全て麦畑だった時代があるそうだ。戦中の航空写真を見ると、それは足柄平野の山間部はすべて耕作されている。そして冬場はどこもかしこも麦を作ったはずだ。それは平野部の田んぼから、今里山と呼ばれている場所まで、大半が麦のはずだ。

麦畑の跡はみかんに変わっていった。そして、みかんが採算が合わなくなり、跡地に杉檜の植林がおこなわれた。その杉檜に経済性が無くなり、住宅に迫る形の杉檜が放棄されるに至っている。里山の美しさは半減した。今、山村に残って暮らしを続けているのは、お年寄りばかりだ。世界中がそういう傾向になっている。経済が成り立たない地域だから、若い人が住みたいとして難しい。本来であれば里山の暮らしほど、生きる豊かさの感じられるものはない。子供が育つにはこれほど良い地域はない。日々の暮らしが自然の変化の中に成り、自分が生きているということを確かめながら暮らせる。自分で育てたナス一つを食べて、喜べる暮らしだ。そういう身体を使い、自然に手入れをしながら、面倒くさい労働を経て、食べ物が出来、生かされてるということのはずだ。金融資本主義で、利息や運用で、莫大な利益を得る様な暮らしのどこがいいのだろうか。その方がいいとする人間が、世界の大半に成り始めている。

麦は寒くなる時に緑の芽を吹く。この健気さというか、逞しさが麦を育てて嬉しい。子供の頃の記憶で確かではないのだが、大麦は山梨では寒くて出来ないので、小麦を作ると言っていた気がする。本当は大麦が作りたいのに作れないという前年な気持ちがあったように記憶している。大麦は春になって蒔いていたように思うのだ。麦ごはんを食べていたのだから、大麦をかなり作っていた。持ってゆく通し麦にしてくれるところがあったはずだ。冬の小麦と大麦の栽培が鮮明には思い出せない。ただ春の田んぼに、麦があったことは確かだ。今押し麦にしてくれる場所などないのだから、使い道は麦茶にして、醤油にして、その位のことだろう。ビールまでできれば面白いとは思うのだが。
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軽自動車税値上げの可能性

2013-11-28 04:27:05 | 暮らし
軽自動車の発想は、実に日本人の良さを表している。日本人は白人ほど大きくはないので、十分軽自動車で収まる。この利点を生かして、日本は独自の軽自動車文化とでもいうものを展開してきた。その中でも軽トラックほど日本の農業に適合した車はない。日本の急斜面の耕地を縫うように走る農道は、軽自動車無くして考えられないものである。ケイトラがなければ、日本の小さな農業はここまで保つことはできなかったはずだ。軽自動車の軽減税率を考えた人の、素晴らしい発想を讃えたいと思う。ところがここにきて、軽自動車の税率を一般車と同じにすべきだという主張が出てきている。税収不足を理由にしているが、それはTPPから目をそらそうとしているにすぎない。アメリカの要求である。軽自動車枠を非関税障壁だとアメリカの自動車業界は主張している。日本政府が同様なことを言い出したのは、TPPを成立させたいからもある。

最近自動車は燃費ということがとても重要視されている。トヨタの車が盛り返してきたのは、ハイブリット技術だろう。もしかしたら、軽自動車を作らない、トヨタの主張なのか。軽自動車はハイブリット並みの燃費である。1リットルで35キロの燃費を達成している車さえある。当初は、プリウスのブレーキが利かなくなるなど、アメリカではずいぶん騒がれていた。あの妨害は非関税障壁だったのだろうか。これからの世界全体の自動車を考えれば、軽自動車をもっと多様に展開するべきだ。そのさらなる技術革新の為に、軽減税率を保つ必要がある。軽トラックのジーゼル車とか。軽トラックの電気自動車。需要は間違いなくある。砂漠の中のソーラー発電の村でも、円量の確保が出来る。ケイトラのジーゼル車なら、廃てんぷら油を回収してでも動く。ケイトラで遠出する人はいない。電機の充電の心配もない。軽自動車については、アメリカなのか、トヨタなのか、圧力に負けてはならない。軽減税率の利点を生かし、小さいことはいいことだと技術展開をすべきなのだ。その技術革新が世界中の利益になる。

実は三菱ではケイトラも、軽ボックスカーも電気自動車を出している。私が購入を迷っているのは、4WDがない為だ。私の家には現在、私のケイトラと、カヨ子さんのダイハツミラがある。電気自動車にいつかはしようと思いながら、適当なものが出てこないのでこういう事でここまで来てしまった。これで困る事が一つある。フクちゃんが病気になって病院に行くときである。おとなしくケイトラの荷台にはいられないだろうから、ミラに乗せることになるが、大きすぎて乗らないかもしれない。その時は、レンタカーということになるのだろうか。軽自動車でもボックスタイプなら可能である。最近、運転席まで平らになる車をテレビでやっていた。あれなら、中で絵も描けそうだ。電気自動車のボックスタイプの軽自動車というのがいい。私の家は傾斜ばかりの場所である。泥道も走る。農作業を中心に使う。こういう条件では4WDの車でないと困る。畑の中で動けなくなって、ケイトラは4WDにする以外ないと考えに至った。これで迷っているのだ。

この先、4駆の電動ケイトラは出てくるものだろうか。このことをケイトラ研究会に聞いてみた。構造的に荷台の下に電池のスペースがあるので、4WDのデフ何とかというものが居れにくいと書いてあった。しかし、電気自動車は案外にパワーがあるということだ。がぜん興味がわいてきた。電動自動車なら、水中ポンプとか、夜間ライトとか、スピーカーのアンプなど使い道が広い。大いに研究の余地がある。軽自動車税の値上げなど、どう考えても成長戦略に逆行している。安倍政権の模索する成長戦略に、しっかりした背景が伴っていないことを意味する。美しい日本を主張するなら、軽自動車を大切にすべきだ。軽自動車文化はまだ道半ばだ。これから世界の市場に出てゆける規格の車だ。世界の限界集落の為にも、軽自動車の軽減税率を残してほしい。
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中国の防空識別圏設定

2013-11-27 04:03:04 | Peace Cafe
中国は尖閣問題以来の戦闘的対応を、一段緊張度を高めた。当然背景になっているのは、国内の問題の深刻化である。もし日本との小競り合いが起これば、すべてが解消できると踏んでいる。日本がちょっかいを出すのを待っているともいえる。こういう時に、対抗心が掻き立てられ、暴挙に出る人間という類の人はどこの国にもいる。ここは本気で静かに対応しなければ、中国の思うつぼにはまり、不利な状況に追い込まれる。すでに、興奮して、この緊急時だ。辺野古移転阻止だの、オスプレー反対など、四の五のヌカす国賊の、プロ市民活動家を沖縄から追い払え。こういう発言を勝谷誠彦氏はラジオでしていた。軍事オタクなのだろうか。尖閣にも上陸したと自慢げに語っていた。今重要なことは、中国が何のために、こういう罠を仕掛けているのかを理解しなければならない。日本が中国の飛行機に何かしてくれるのを待っている、中国軍人が居るのだ。かつての日本の関東軍の暴挙と同じことだ。

日本に余計な武力がなければいいと思う。武力がなければ、負けるしかない。負ければ尖閣は取られるだろう。それでも、戦争をするよりはるかにいい。こんなことを読めば怒り心頭の人が居るのはわかるが、それくらい心配をしている。先日、沖縄の恩納村の仲西さんが、沖縄には、「戦わない文化」があると言われた。「武力を持たないものが、どうやって戦わずして、自分達の民族を守るのかの知恵がある。」これは大いにヒントになる。もし沖縄が、中国、朝鮮、薩摩に抵抗し戦ったとしたら、すべてを失っていただろう。確かに、隷属することは辛いだろう。知れば知るほど苦しい歴史に見える。それでも沖縄には、豊かで、優しい人間の文化が残っている。大江健三郎の「沖縄ノート」には、その琉球国に差別され、波照間島の崎山という現在廃村になっている場所に強制的に送り込まれた人の話が出ていた。放棄民にさせられたかなしい民謡の話が書かれていた。確かに歴史は過酷な現実を示している。

中国の主張は、尖閣諸島に領土問題がある。これを日本も認めて、話し合いを行おう。ということである。もちろん奪いたいということが根底にあることは確かだ。日本政府は、ここには領土問題など存在しないという一貫した態度である。私も日本人であるから、そういう心情には成りやすい。しかし、翻って竹島では、日本は逆の立場だ。韓国は、竹島は純粋に韓国の領土であり、一切の問題は存在しないとして、話しすらしようとしない。そして逆手に出て、必要以上に従軍慰安婦問題を取り上げる。こうした韓国政府の対応自体に、神経がきりきりとさせられてしまうのだろう。中国も同様である。国民を切りきりさせたいのだ。そうしなければ、色々の問題が噴き出てくる状況がある。勝谷氏のように、この問題が出たとたんに、辺野古移転でごちゃごちゃぬかすな、という論理に飛躍するように、中国では、ウイグルやチベットの問題は相当に深刻化している。これを、一気に解決できるのが、尖閣での小競り合いである。この非常時に何をごちゃごちゃぬかしているのか。こうして、秘密保護法も強行採決される。

世界はますます、経済格差が広がり、より緊張を高めるだろう。武力を強化し対抗しなければ危険だという言葉が、強く叫ばれるだろう。しかし、誰に正義があろうが戦争に入れば勝とうが負けようが、人類滅亡にいたる可能性が高い。我慢した方が賢い選択になっている。不十分かもしれないが国際司法裁判所に、ゆだねた方がいい。尖閣に問題が一切ないという、説明の仕方だけでは、相手を怒りに導く。そしてそのことが、中国軍の影響力強化に利用される。中国では経済発展の膿が深刻化しているに違いない。高度成長期は人権軽視で強引にすべてが進められる。日本ではそうだった。田中金脈事件のようなことも日本では起きた。中国の汚職体質はさらに深刻と思われる。世界はどこに軟着陸するか。墜落するのか。ともかく日本はこのことに巻き込まれてはならない。挑発に乗ることがいちばん愚かな選択である。尖閣で戦争を起こしても何の解決にもならないし、悪い方に進むだけだ。
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徳州会事件

2013-11-26 04:27:43 | Peace Cafe
徳州会が選挙違反で追い込まれている。奄美出身の徳田医師が離島の医療の為に、病院を設立する。それが、医師会の妨害によって、進められない。そのために政治にも乗り出した。こういうイメージが何となくあった。私には、社民党だった安倍知子氏が徳州会の医師だったということの方でも、何となく繋がっていた。しかし、奢れるもの久しからずというか、とんでもないことに進んだ。とんでもないが、ありそうな世の常のほうである。徳田氏という特異な人物の、特異な事件という形で、情報が伝えられているが、実は日本政治は長年こういう形で、汚染が繰り返されてきた。表ざたになったというところが、徳州会事件の特異性と考えた方がいい。徳田虎雄氏は奄美大島で生まれた。弟が医療過疎の為に死んでしまったという、悲しい出来事から医師を目指す。医師になってみてもこの離島医療の問題は解決できない。そこで病院経営に乗り出す。一般にこの人の行動が、理想主義者の善意の人として、知られたのはこの頃だろう。

離島に病院を作ろうとすると、医師会による妨害に出会うことになる。政治に進出して、世の中を変えない限り離島医療の改善の道は開けないと考えるようになる。そして、奄美群島区から立候補する。しかし、たしか2度落選する。それは自民党の根強い地盤に阻まれる選挙に見えた。落選を繰り返す中で、自民党的金権選挙のやり方を、敵から学ぶことになる。そして、ついに当選をする。この頃から病院経営は離島だけでなく、特集会グループとして全国に広がってゆく。そして、日本最大の医療グループというところまで拡大する。当初の離島医療の理想を忘れたわけでなく、離島医療経営を成り立たすためには、全国展開する巨大医療グループにする以外に経営が出来ない、ということだろう。ますます、医師会との対立は大きくなる。そして、二男が国会議員になる。自分は徳修会に君臨し、理想の為には手段を選ぶ必要はないという、独善経営に進む。

石原慎太郎氏は、この徳田氏を盟友としている。まだわからないが、様々な協力関係があったと思われる。想像だが、その石原氏の紹介で、徳田側と面会したのが、東京都知事候補の猪瀬氏ということではないか。猪瀬氏は石原都政の副知事になる前は、作家と言ってもテレビのコメンテーターのような人の範囲だった。その場その場で都合のよい発言をしては、注目を浴びたいというような、一貫性のない人に思えていた。その意味で、石原氏が後継に選ぶようないいなりになるタイプの人だったのだろう。この5000万円献金はその罠の一環である。これで自由に操れるということだ。これが、何かの理由で、公にされたのかということになる。猪瀬氏は東京オリンピックに成功し、調子に乗り過ぎたのかもしれない。石原氏との対立。背景に暗躍する暗い力が見え隠れする。オリンピック利権の約束を守らず、例えば国立競技場の設計見直しのようなことがあるのかもしれない。都庁建設では、丹下事務所との収賄が噂された。

安倍政権の公共事業拡大も、原発輸出も、自民党支持のお礼の側面が強い。美しい日本のことを主張しながら、日本の環境を崩壊の淵に立たそうとしている。先日の国会答弁のTPPなど好例である。守る気もない農業の例外5品目など、忽ち消えてゆくだろう。農業には、それだけの利権がないとなれば、巻き込まれてゆくだけだ。本来であれば、交渉から抜けることが、安倍氏の今やるべきことのはずだ。しかし、もしそういう行動に出れば、忽ちに安倍政権はあらゆる手段によって崩壊させられるだろう。徳州会事件は、田中角栄事件と並ぶ、政治的策謀が感じられる。猪瀬氏は即刻辞めて、責任をとる。そして洗いざらい真実を公にすべきだ。地位に執着した為に、この人は政治家になって変貌した。変貌させられた。5000万円どこから工面したのだろう。あれほど、第2東名高速の無駄な公共事業を主張した人が、こんな馬鹿げた人になるのが、政治の汚染作戦である。
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国際有機農業映画祭2013

2013-11-25 04:21:32 | 身辺雑記
11月23日に法政大の市ヶ谷キャンバスというところに出掛けた。法政大学が市ヶ谷にあるということすら知らなかった。ずいぶん立派な建物で、最近の大学はこういうところなのかと落ち着かなかった。こういうことが地方と、東京の違いだとも思った。映画祭は今回7回目ということで、今年大豆の会に加わった人も、この映画祭の運営にかかわって働いている。他にも何人か知り合いが運営委員会に居る。それでもなかなか東京まで映画を見に行く余裕というものがなかった。今年は、他の活動を休ませてもらって見に行った。勤労感謝の日なのだから、作業より映画を選んでもバチは当たらない。東京に行くということ自体が、年に何度かの特別なことになってきた。実はどうしても見に行きたい内容があったのだ。沖縄の恩納村から、仲西美佐子さんが見えて話を聞けるということだったからだ。紹介には恩納村の百姓とあった。この方を知っているという訳ではなく。沖縄の地元の百姓と自ら言われる方の話を聞きたかった、

予想通り、素晴らしい方であった。沖縄というところはやはりすごいところだ。日本文化の上質なものが、上澄みのように浮き上がってくる。冒頭言われた言葉が、「戦わない文化」ということだ。中国、朝鮮、薩摩という圧倒的な武力に対し、どのように戦わないで、沖縄を継続させるかに腐心した。そこから、緩やかな、したたかな琉球国が生成されてきたという話だった。ヤマトンチューのことを、あくまで日系人と呼んでいた。とても強靭な精神の方であることも分かった。大和政権が北に進みアイヌの人たちを北海道に追いやったように、南に進んで、琉球人を沖縄に追い込んだ。文化的に追い立てられながら、支配されながら優しい世界を作り出してゆく。紅型を見るとそういう文化の受け入れと沖縄化が良くわかる。しかし、この優しさの背景にある、過酷な現実。沖縄地上戦における、地獄のありさま。映画祭では、未来的なチュラ海水族館の向かいにたたずむ島、伊江島の悲惨な、日本軍の命令によって、家族を殺した歴史のドキュメンタリーが上映された。

日系人、日系人という言葉が出てきた。つまりヤマトンチュウのことである。琉球国沖縄の異民族感覚。被支配国の悲しい感情。現在も基地負担を押し付けられ、見て見ぬふりをされている沖縄。アメリカ軍という形を借りて、現在も日本国に利用されている土地、沖縄。鳩山氏は学べば学ぶほど、沖縄に米軍に居てもらわなければならないということを知った。と述べて総理大臣を止めた。日本の防衛のために、何故、沖縄に米軍が集中して存在しなければならないかという理由を学んだとしたら、それを総理大臣は国民にわかるように説明する責任がある。米海兵隊の、海外、少なくとも県外移設を主張した鳩山氏が、何をどう学んだのかは、結局一番大切な部分が国民には知らされていない。国内に受け入れる、移転先がないということだけは、分っている。北朝鮮の長距離ミサイルと、核弾頭。中国の軍事力の格段の増強。

すでに沖縄の立地的条件は薄れている。海兵隊のすべてを韓国、グアム島に移転してもアメリカとしては問題がないはずである。フィリピンから引き揚げたアメリカ軍。むしろ問題は日本国の防衛に関する考え方にある。沖縄に押しつけて置く以外にないという、日本国の傲慢と国民の傍観。原子力発電を過疎地域に立地する論理と同じ。お金で、補助金で我慢させる構造。実はこれは農業に対する、政府の考え方と同じことだ。これが農業の映画祭で、沖縄問題を取り上げる根拠だろう。農協には補助金をやるから我慢しろ。その他のものは、圧迫を続ければその内収まるだろう。この馬鹿げた資本主義構造が、金権支配の構造。これ以外には国際競争に勝つ道はないという、国民への脅し。ここを生き延びるためには、弱いものが、強いものを巻き込んでしまう。沖縄の、「戦わないで勝つ方法」は素晴らしい考えだ。「ニライカナイ」の思想。有機農業ではなく伝統農法と呼びたい。(またあらためて。)こうした弱い者の勝ち方こそ、世界の希望だ。
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情報の重要さと危うさ

2013-11-24 04:08:08 | 地域
情報というものは、共有化されて初めて、意味を持つ。情報を独占しようというのが権力の体質である。情報を握ってもらさないことが、権力の安定をはかれるからである。現代社会の階級を作り出すものは、情報の操作であり、独占である。大島土砂災害の避難情報が出されなかったことから、人的被害が拡大した。27号台風の際には、万全の態勢で、避難指示まで出した。今度は空振りに終わったようなものであったが、それでよかった。大島の役場の対応を顧みて、小田原市役所でも今後十分な対応を取ってほしい。そのためには今から準備すべきことが、3つある。まず情報収集力を高めること。災害危険地域における、雨量計と監視カメラの設置。2つ目は、避難所の整備。地域の一時避難所は当然のこと、全体の避難者数と、現在の避難所の収容数の確認。3つ目は情報伝達方法の再構築。小田原には200を超える危険個所がある。この時に情報を公開することは、個人情報であるから行政が公開しないとしたら、どうだろうか。

秘密保持法に関して、国会で議論がされている。国家には秘密があるべきかがまず問われる。国には当然秘密を保全しなければならない情報がある。原子力発電所の保安監視体制は、秘密保全の範囲であると、国会で答弁がなされていた。テロに一番狙われる場所である。当然対策は秘密にされていなければ役に立たない。こういう国家の安全にかかわる国防体制の部分で秘密にしておくべきことはたくさんあるだろう。特にアメリカにしてみれば、日本をスパイした経験から、日本の秘密保持が全く出来ていないので、アメリカの軍事機密を日本にはまずもらすことが出来ないと感じているのだろう。ともかくこういう法律を作らなければ、同盟国としてやってゆけないということが、アメリカの考えだろう。日本は閣議に置いても、文章を残さないということらしい。秘密が漏れるからということらしい。本音は内閣の情報の独占意識が反映している。その結果、政府の原発事故対応がわからないくなっている。分らなければ、次に生かせないということだ。

医療情報がある。これも重要な秘密保持が必要なものだろう。遺伝的疾患の情報が流出する状態であれば、医療に支障をきたすであろうし、差別の原因になる。しかし、政府にすれば完全に把握できる情報であり、利用しているに違いないだろう。今後公務員に関しては、受験に際し精神疾患に関して、徹底的な調査が可能になる。たぶん、思想的分析まで行うのだろう。遺伝的要素も調べても違法にならないことになるだろう。ということは、大半の国民の医療情報が、集められ管理されるということになる。その根拠が公務員の秘密保持能力に関する調査の為とされるだろう。これは言ってい範囲ですでに行われていることを法的に、後追いしようということだと考えた方がいい。個人情報というものが、すべて集められている社会である。そしてその情報量の多さが、社会で勝利する方程式である。スーパーでも、コンビニでも、ネット通販ではなおさら、情報で勝負している。だから、個人商店では特殊なものにならない限り無理になってきた。

すべての人間のありとあらゆる情報を、集めて、利用できる状況が近付いている。国際競争に勝つためには、それをやらなければ勝てないという理由で、国家としてやっているのだろう。それが企業国家というものだ。勝つ企業は社員の把握を管理を徹底しているはずだ。そういう管理国家はすでにあるのだろう。こういう状況を想像しているので、国会での議論は的外れの気がしてならない。報道機関など、取材の自由がどうだこうだと主張しているが、情報の集め方が古臭くないか。007に頼んで情報集めをするのでは、町の探偵社だ。企業や国家のやる情報集めは、意味を考えずに膨大に集めて、その集積から意味を探りだす手法だ。GPSを使って自分の現在地を、自動的に発信する50万人分の情報があるそうだ。こういうことがどういう社会を作るのかを考えた方がいい。どうも、国会の議論が形式論議のような気がしてならない。

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デザインからアートまで

2013-11-23 04:17:42 | 水彩画
吉岡徳仁氏の展覧会が、東京都現代美術館で開かれている。たまたま、ラジオを聞いていたら作者が自分の作品につて語っていた。吉岡氏はそもそも桑沢出身のデザイナーなのだそうだ。三宅イッセイ事務所に居たというから、ファッションデザイナーでもあり、パフォーマンスの手伝いなどをしていた人なのかもしれない。今は自分で事務所を持ち、100もの仕事を同時進行で進めているというから、今どきの人なのだろう。なんでこの人の話に興味が惹かれたかと言えば、「デザインからアートまではグラデーションで繋がっている。」と芸術とデザインの関係の質問に答えていたからだ。この感覚からすると、アートから芸術までの道のりは、まさしく断絶があると言わざる得ない。まさにここに「私絵画の問題」があると考えられるのだ。アートの連なりに芸術というものが存在する訳ではないということだ。

デザインというものを考えてゆくと、いつも経済というものと結びついている。これが現代的な仕事になるゆえんである。その意味で、商品絵画というものは、デザインとグラデーションで繋がっているということは言える。こんな風に書くのは、物の見方であって、個人を批判したり作品の価値を判断しているのではない。小林秀雄氏が近代絵画論で書いていた芸術というものの意味でいえば、芸術の自己表現ということとは、世界が違う。デザインするということは機能性だろう。あるいは説明をするということになる。アート的要素を商品に加えるということが、デザインと言ってもいいのだろう。だから絵を批判する時に、「デザインのようだ。」という言葉と、「文学的である。」は良く出てくる。良く出ては来るが意味は曖昧なままである。大抵の場合は説明的であるとか、絵画以外の要素で描かれている。という意味になる。一方パフォーマンスと言われるものは、一見芸術と距離があるようだが、実は私絵画の連なりにある。実際にはショウ―的な意味に使われるが、行為そのものに価値を置く自己完結行為である。

「デザインからアートまではグラデーションで繋がっている。」という考え方は、このあたりの意味を考える上で、とてもヒントになったのだ。葛飾北斎は自分が芸術家であるという考えは持たなかっただろう。今時の言葉でいえばパフォーマーであり、アーチストである。当時の美術家は、江戸の身分制度の中で画師として形骸化して、別に存在した。日本にはもう一つ、美術というものが存在する。現代美術というのは、どうもアートとは、あるいはデザインとは近いらしい。だから、現代美術館で吉岡氏の作品展が行われるのだろう。現代音楽というものが、クラシックというジャンルにあるのとよく似ている。訳がわからないところが、芸術っぽいというぐらいの位置づけの気がする。芸術がどこかへ行ってしまって、見当たらないので、これも芸術の一種なのかという程度で、きちっとした美術史的把握をする事が出来ないでいる。そのために、伝達性を意識した、デザインとか、アートとか言うものが、何か芸術の枠なのだろうという程度で考えられている。

まあ、そんなことはどうでもいいことなのだが、そこから「私絵画」の意味と姿が確認できそうに思えたのだ。徹底的に私であることこそ、この時代に置いては、自分の哲学を確立できる道ではないか。社会に対して理解を求めるということが、芸術には本質として必要なのだが、この社会を乗り越えるためには、この社会の枠というものに影響されてはならないようだ。枠という意味は、社会状況という意味。すべてが商品的な価値の中に織り込んでしまう、資本主義の徹底化の中で、社会性のない作品とか。商品的価値がない作品こそ、本質に迫る芸術であり得るという逆説。社会を見渡して作品を作るのでなく、自分の内側を深く見ることで作品を作る内行する意味。これが私絵画であり、むしろ次の時代を切り開く可能性さえ、持ちうるのではないのか。自分の中の無限を探る以外、制作というものはないような気がしてきている。
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アメリカの一人勝ち

2013-11-22 04:04:33 | Peace Cafe
このまま行けば、結局は世界の経済競争はアメリカの一人勝ちになるだろう。自由競争の結論は、強いものが勝つと決まっている。アメリカの主張する論理は強いものの論理だ。能力主義の正義は、強いものが勝利するということである。自由競争と言っても、条件に恵まれたものと、悪条件のものとの競争が、公平な競争の訳がない。田んぼをやっている人なら、誰にでもわかることだ。谷間の谷戸田で耕作するものと、1枚が何ヘクタールもあるような田んぼを耕作するものが、自由競争だから頑張れ、こう言われたとしても条件の違いはいやおうなく存在する。江戸時代の田んぼでは、上、中、下と、田んぼの生産力が分れていた。それに基づいて年貢の徴収があったのだ。場所によってはさらに、上の中が又上下に分かれていたところもあるようだ。自然条件の差を認めたうえで、耕作者の努力を見ようとしている。現在行われている、TPP交渉では世界中の農業条件が、同じという、自然を無視した幼稚な条件での競争である。TPPの内容が見えてきて、農業を守ることはできないことが分かった。政府は約束通り、交渉から脱退すべきだろう。

国内では条件不利地域は農業を止めろ、という政策がすすめられている。そのためにTPPを受け入れるということでもある。TPPを受け入れるには、被害を受ける農業分野に補助金を出すということが、でてくる。農協も条件闘争に変わる為の打ち合わせをしているように見える。結局のところ、日本の稲作農業は企業型の10くらいの巨大組織が、食糧生産をする。この企業化とJAの調整だろう。結局悪条件の所は止めろというか、関係ないという政策である。国際競争力のあるとされる、田んぼだけをさらに政府が補助金等でテコ入れして、機械化、大規模化、集約化、を進めようとしている。それが悪い訳ではないが、そういう転換を出来ない農地を耕作放棄させる以外ないというのでは、日本の国土がとんでもない荒れたものになる。耕作放棄地がすでに、拡大し方策が見えない状況である。集落自体が無くなってゆく状況である。第3の道を打ち出す必要がある。

平等な、正義の、経済の国際競争は、必ずアメリカの勝つという競争なのだ。アメリカという国の条件は、エネルギーに置いても、自然環境に置いても、労働人口に置いても、その大きさに置いても、極めて恵まれている。すでに違うところからスタートしなければならない競争なのだ。アメリカの一人勝ちになる条件は明白である。何故そんな無理な競争に日本が巻き込まれなければならないかと言えば、日本の一部の企業にとっては、自由競争にしてもらった方が利益が出るからである。そうした一部の企業は日本の企業というより、グローバル企業と言われるものだろう。良い条件を求めて世界中に広がり、競争している。すごいことだと思うが、日本の利益よりも、自分の企業の利益を優先するのは、当然のことである。その利益のためには、TPP加盟が有利なだけだ。しかし、グローバル化すればするほど、富はアメリカに集中する。アメリカに売らなければ、有利さが得られない社会。

完全な自由競争で行くというなら、国という枠組みも外すことも目標にすべきだ。ユーロ圏はそういう理想で苦労している。環太平洋の経済協力の最終目標が、国の枠組みを取り除くというのであればまた別だ。弱い都合の悪い部分だけ、各国の責任として、輸出産業に有利な側面だけの自由化である。国家という枠を残したうえで、自由貿易を無制限に行えば、アメリカというダントツ有利な条件国が、勝利する競争である。そのアメリカにへばりついて、何とかおこぼれをもらおうというのが、日本政府の方針である。
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東海村原発は廃炉すらできない。

2013-11-21 04:33:54 | Peace Cafe
茨城新聞によると、

国内初の商業用原発である日本原子力発電東海原発(東海村)の廃炉に向け、設備の解体作業が本格化している。関係者は技術やノウハウを、東京電力福島第1や老朽化した原発などの廃炉でも活用したいと意気込む。しかし放射性廃棄物の処分先が決まらないなど廃炉への道のりは険しく、国内で「廃止措置」の1番手として先行する東海原発の作業は、今後も難航が予想される。

原子力発電というものが、どれほど先の見通しのないものかが思い知らされる。廃炉したとしても放射性廃棄物の廃材の行き場がない。行き場が見つかるとしても、間違いなく莫大な費用となるだろう。それはすべて電力価格に反映される。そうなれば原子力エネルギーが安い費用などとは言えなくなる。こんな状態で、新設の原子力発電所も考えなければならないというのは、将来の国民を苦しめてやれという、悪意でもあるのだろう。確かにごみを考えなければ今までは安いエネルギーかもしれない。廃棄費用まで入れてないというのが、見通しのない政策だったかが分かる。これが高度成長期の思想だ。そのうち何とかなるだろう。とすべてを甘く見ていたのだ。関西電力美浜1、2号機や原電の敦賀1号機がすでに運転40年を超え、中国電力島根1号機や九州電力玄海1号機(佐賀県)なども40年が間近だ。しかし、放射性廃棄物の行き場がない。行き場がないのだから、当然廃炉もできない。

放射性廃棄物の処理場所がない原因の一つは、日本が火山国であり、地震国であることだ。大陸の淵に存在して、プレートの沈み込む上に日本列島が出来ている。これは地層が安定していないという地域が広がっているということを意味している。原子炉の設置場所ですら、活断層の近くであることが出てきている。10万年という放射性物質が安定的なものになる時間、何かが起こらないなどという確信が持てない。それが地域で暮らす人の実感なのだ。日本学術会議に置いても、放射性物質の処理方法は、将来の知見に待つしかない。こう見解を出している。今が良ければと、今の競争に勝つためにと、安物買いの銭失いになってはならない。今まで事故は絶対に起こらないと、神話の時代でも、放射性廃棄物の埋葬場所は、見つからなかったのだ。今後見つかるはずもない。福島の放射性廃棄物の行き場ですら、行くところがない。取り出し始めた燃料棒もあくまで仮置き場に置くということで、その先の行き場がない。

放射能が安全だとか、危険だとか言う論議の前に、経済性から言って、原子力エネルギーは将来世代に負担を増加させる最低の手法なのだ。今の日本社会は、すべてを付けで暮らしているようなものだ。将来世代に対して、本当に申し訳が立ない。若い人ほど、このことは怒りを持って欲しい。祖父世代や、親世代の借金暮らしの、返済だけを迫られるのだ。このままでは我々は先の見通しなく、恩恵だけ享受して、次世代に迷惑だけ残して死んでゆく。団塊世代は、戦後日本の祖父世代や親の苦労のおかげで、豊かさを享受して成長した。今度は子供や孫のすねをかじらしてもらって、老後を過ごそうというねじれた根性の世代だ。3本の矢だ。国際競争力だ。景気のいいことを言ってその場しのぎのごまかしをしていれば、どうにかなるだろう。という訳で、若い世代が全てを背負いこんでくれる。あり難い我々世代とお目出度い若者世代。

せめて、死ぬまで働き続けて、罪滅ぼしをしなければ、次の世代に申し訳が立たない。日本の歴史に、団塊世代はずうずうしく迷惑をかけ続けた最悪の世代であったと10万年間の悪証拠として、核廃棄物は記録されるのだろう。解体廃材の行き場だけでなく使用済みの核燃料が、原子炉内に溜まっている状態で、危険分散が出来ていない。原子炉の新設すれば、こんな状況が40年後には待っているのに、さらに作る気でいる政府の見通しのない姿勢では、日本をさらに行き詰まるだろう。今出来ることは、核エネルギーという文明の方角の誤りを反省し、もう少し、身の丈の暮らしを目指すことだ。国際競争力社会の行き先は、国家間の格差は当然強くなる。そして、日本の国内にも、さらに格差が広がる。負けてはならないという焦りで、核エネルギーを選択することは、墓穴を掘ることになる。
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政府の憲法違反

2013-11-20 04:16:55 | Peace Cafe
最高裁判所は裁判官全員一致で、「婚外子」の遺産相続分について、「嫡出子」の半分とした民法900条4号ただし書きは、法の下の平等を保障した憲法14条1項に違反して違憲・無効とする。という初の判断を示した。家庭のあり方に対する時代の変化に対応した予想された判決である。立法府には法律を改正する義務が生じている。それは憲法に基づくもので、3権分立で、国会で司法判断を批判的に議論するような性格のことではない。驚いたことに自民党政権では、この法律を変えると、日本の伝統的家族制度が崩壊して行くとして、法の改正をためらっている。昔の家庭の妾の居る金持ちの方が伝統的とでもいうのだろうか。憲法を変えるべき所であるにもかかわらず、変えられないからこういうことになるというのが、自民党の本音の考えのようだ。しかし、憲法がある以上それを立法府が守るのは義務である。おごれる自民党はついに憲法を変えないまま、憲法を尊重しない態度を取り始めている。これも解釈で済まそうということか。

立法府の裁量の範囲は確かに存在する。それは最高裁の判決にも述べられているところだ。しかし、この問題は、家族制度の変化、世界の法改正の流れ、慣習の変化に伴うものである。以下判決文より。「いわゆる晩婚化、非婚化、少子化が進み、これに伴って中高年の未婚の子どもがその親と同居する世帯や単独世帯が増加しているとともに、離婚件数、特に未成年の子を持つ夫婦の離婚件数及び再婚件数も増加するなどしている。これらのことから、婚姻、家族の形態が著しく多様化しており、これに伴い、婚姻、家族の在り方に対する国民の意識の多様化が大きく進んでいることが指摘されている。」しかし、自民党では法改正を阻止するため、西川京子文部科学副大臣や木原稔防衛政務官ら約二十人が会合を持ち、民法改正に関し「家族制度が壊れる」「正妻の子と愛人の子を同じ扱いにしていいのか」などとの異論を出した。自民党の文教族の保守化は深刻である。

一体、日本の伝統的家族制度というものは、どんなものなのだろうか。そしてこの日本の家族制度の伝統は守られ、尊重されるようなものなのであろうか。女性の社会進出が言われている。こちらは明日にでも家族制度に影響する問題である。女性の社会進出が進むためには、日本の家族制度の伝統をぶち壊してゆく覚悟が必要である。自民党総裁の安倍氏は女性の社会参加の推進を国連で表明した。女性の社会参加は伝統的家庭制度を壊すから、止してくれという議論が自民党内であったとも聞いていない。とすると、どうも伝統的家庭制度は屁理屈のように感じられる。愛人の子供を同じに扱うのはけしからんという、床屋談義の方ではないか。そもそもこの問題は相続の平等が発端である。婚外子が不平等であって当然かどうかである。夫に先立たれた女性のもとに「ご主人の子供だから、財産を平等に分割してくれ」という愛人の子供が現れたとして、それを認めることができるのか。そんなのおかしいだろうという、感情論が背景のようだ。これは子どもの人権の観点から、無視すべきものだ。

伝統的家庭制度の論点でいえば、婚姻を政府に届け出る制度が崩壊しては、社会の成立に混乱が生じて困るということではないか。それなら夫婦別姓の問題の方が、課題としては深刻である。法務省の調査では、選択的夫婦別氏制度を導入してもかまわないと答えた者は全体の35.5%であるのに対し,現行の夫婦同氏制度を改める必要はないと答えた者は全体の36.4%とのこと。女性の社会進出を進めるなら、こういうところから変えてゆくことだ。今回の当然の最高裁判決に対して、世間でもかなりの数の異論が出ている。その異論は日本人の、劣化の現れのように私には感じられる。弱者いじめの気分が背景にある。愛人の子供を、つまり弱い者をいじめたいという気分だ。正当な家庭生活が侮辱されたようなことになると思っている。もう一度家庭とは何かを考え直す必要がある。家族は何を大切にすべきなのか。こんなところに伝統を持ち出す保守性は、さすがに女性差別最悪国の驚くべき古さだ。
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農業における格差のこと

2013-11-19 04:17:26 | 身辺雑記
格差社会の深刻化は、着実に進んでいる。そしてこの傾向は当分はさらなる格差拡大になってゆくだろう。自民党政権の経済政策が、格差拡大拍車をかけているからである。目標は国際競争に勝つ社会である。金融緩和、財政支出の拡大、と打ちやすい1の矢2の矢は放たれたが、肝心の成長戦略の矢は飛んでいるようには見えない。新産業が登場するのではなく、旧来の輸出型大企業が、円安で利益を得ている。そして、利益を出しているのだから、賃金を上げろと政府が主張している。その一方で消費税など上げる。やっていることの先に、格差社会の深い谷間が覗いている。高度成長期の農村の経済は、出稼ぎ労働で支えられた。農閑期に3カ月なり、4カ月、都会に出て単身働くのだから、収入にはなっても大変なことだっただろう。私が1974年に三菱エレベーターの下請けで働いていた時も、秋田から2人の出稼ぎの人が来ていた。細かい仕事は嫌いだと言って、土方仕事を引き受けてくれていた。ずいぶん助けてもらった。私は個人的に助けてもらったが、当時の日本全体はこうした出稼ぎ労働で助けられていた。

農村の経済は、この頃からすでに空洞化していたのだ。農家の次男坊以下は、就職をして農村を離れて都会に出て行く。農家に嫁は来ない。減反政策が始まる。稲作日本一の人が田んぼを止めて、タクシーの運転手をしている姿が思い出される。大学の頃の友人は教員をやり、津幡の家では農家を続けた。彼の家も参加していた。河北潟の干拓事業はその頃も稲作の為に、埋め立てが続けられていた。彼は田んぼが広がることをとても期待していた。当然干拓が終わっても、田んぼをやることはできなかった。かれも定年退職しただろうから、農業に力を入れてやっているかもしれない。彼のことを思い出したのは、彼は児童文化会というサークルで演劇をやっていて、夏休みには地方公演のように、能登半島の先の方まで回っていた。どちらかと言えば、わらび座の学生版のようなサークルだった。農村の文化運動のようなものだ。全国の農村で演劇を上演する活動というものが、地域の上演グループを作り出し、毎年どこかの劇団に来てもらい上演を行う。ところが地方のこうした文化活動が危機的状態になっているらしい。あの頃より今の農村に余裕がない。

格差というものの根源は、能力格差であろう。農業をやる場合、上手にできる人と、できない人とが居る。当然、両者の生活には格差が出来る。江戸時代の農業ではそういうことはほとんど起きない。すべからく横並びで、共同責任のような状態である。この集落共同体が江戸時代の重荷である。しかし、小田原では二宮尊徳が居る。小百姓の子供が、武家の政治にまで関与する。このことを考えると、江戸時代の身分制度の本当の所がどこにあったのだろうと思う。庄屋とか地主はいる訳だが、何とかその地域が良くなるためであれば、と同時に悪いままでいるためにも、全体責任のような社会である。人と違うということは、極力避ける。そういう社会の枠すら抜けてゆく、個人の能力というものがある。尊徳は経済の人である。その能力を自分個人に使わず、社会再生に生かそうとした。江戸時代の勤勉、倹約、奉仕の儒教的思想。理財に長けた尊徳が、向かった先の社会改革の限界。

今後農村は老齢化と、貧困化が急速に進むはずだ。放棄される集落もますます増える。山梨県の境川村の1960年までの青年団活動は、生活改善や、文化運動が結構盛んだった。お寺の本堂を使った、青年団の集まりなども、おこわれていた。おじいさんは家族には、あまり良い話はしないのだが、その日は挨拶をにこにこ顔。格差社会というものの一番のこわさは、人間の交流から生まれる文化の衰退である。すでに農村の稲作から生まれた文化は消えたと言っていい。人間というものが大切にされない。安倍氏の美しい日本には、農村の現実を直視しせず、日本を作り上げた思想が空白になっている。肝心の人の暮らしが、抜け落ちている。大企業の労働者が賃金が上がり、消費をすれば、景気が良くなる。大多数の人間はおこぼれを拾えばいいだろうという程度だ。農家を継続できる環境は、どんどんなくなってゆく。農村の本当の格差は、文化的格差ではないだろうか。
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水彩画における筆触

2013-11-18 04:14:57 | 水彩画
水彩画は、水墨画に一番近いのだと考えている。西洋のもので油彩画に近いと考えたら間違う。色のある水墨と言えば、中国画ということになる。現代の中国絵画は、とんでもない代物だが、古い時代には素晴らしいものがある。原因は現代の中国紙では色が出ない事が大きい。日本の水彩画も、現在の中国画をとても笑えない状況だと思っている。その理由は色彩というものの手ごわさである。色彩というものは哲学的な抽象世界であり、音楽に近い。説明的、意味的な、線の世界とは別物なのだ。話がどんどん離れてしまうが、アニメと漫画の違いである。何故、童話の絵が絵画ではないか。岩谷ちひろの少女像は良く出来ているが、絵画ではない。同時に、はやりのジブリ映画の絵はもおもちゃだと思う。文学的であるとしても人間あんな単純なものではない。ジブリ映画自体は見たことがないので、分らないのだが、あの絵をみると見に行く気に成れないのだ。

筆触の意味を書きたかったのだ。筆触というものは作られたものだ。現実の事物には線はない。筆触もない。だから、子供の描く人間像は、へのへのもへ字が人の顔になるが、それは記号であり、顔という漢字と変わらない。気付いてしまうと、子でも輪郭線というものはおかしなものになる。江戸時代の庶民は、オランダの婦人像の影を見て痣があるように見えたということだ。そもそも影も、線も移ろうもので、一応の合意に基づく手段に過ぎない。本来ない物をあることにした説明なのだ。その極端な例が、書ということになる。「土」一文字を書いて、作品にすることもできる。そこには土という意味と、墨の表わす微妙な筆使いで、書く人の人格を残し伝えようとする。私の見たいのは、坂本竜馬の字であり、代書屋さんの字を味わいたいとは思わない。この筆跡というものは、鉛筆や、ペンでも筆跡鑑定というものがあるように、筆の跡となればそれこそ指紋に匹敵するほど多様なことになる。その多様さの中に、伝達をしてきた世界が、日本の芸術の中にはある。

こうしてた歴史を踏まえて、筆触に敏感であるのは、東洋人の特徴でないかと思う。自分の感じている物を筆の調子に乗せることが出来るような気がしている。これは水墨画と、書の伝統からきている。西洋の伝統的絵画では、筆跡は消してしまう技法が多い。もちろんベラスケスやゴヤのように見事な筆使いで表現している絵画もある。しかし、これらの絵に置いても、筆の調子の中に作者の精神を乗り移らせようとしている訳ではない。あくまで、表現法の一つとしての筆使いである。日本人的にいえばのことであるが、モネやスーラーの筆使いをみると、案外下手なものである。たぶん日本人が求めるような筆触で語らせるということは、嫌っているのではないかと思う。そういう意味ではボナールあたりから筆触の意味が意識されているのではないだろうか。ボナールの筆触は様々なことを語ろうとしている。実に日本人的だと思う。相当に日本の絵画から学んだのではないかと思う。特にボナールの水彩になると、筆触の意味を完全に把握している。書でも、水墨画でも筆触を大切にしているから、墨一色なのだ。ところがボナールはこの困難さを見事に乗り越えている。

線で微妙に感情や意味や哲学を伝えようとして、その複雑の中に色彩というものまで登場すれば、複雑化しすぎて訳のわからない物になる。そこで水墨という、色彩の意味を捨てて、墨絵的な水彩になってしまう他ない。しかし、水彩画が「私絵画」に置いて可能性を開けるのは、この複雑化の部分にある。この厄介で手に負えないことが出来るのは、水彩画だけだと思う。土の横棒を引くときに、大地の地平線を感ずる。そして大きく立ちあがっる植物のような生命力を書く。そういうことを絵画に置いて行おうとすれば、水彩以外に方法が無い。絵画に置いてということは、眼前にある具体的なものや、頭の中にある世界を描こうとしながらも、「土」という字の意味のようなものを併せて、表現しようとすれば、筆触と色彩という複雑な組み合わせに、入り込んでゆくほかないということになる。それを人に伝えるというより、自分が確認したいのだ。
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ダメでもいいじゃん。から、ダメだからいいへ

2013-11-17 04:04:35 | 
悪人正機という考え方を親鸞は法然から受け継ぎ、様々に語っている。とても魅力的な考え方のようではあるが、どう受け止めたらいいか、理解の難しい言葉である。簡単に考えると逆説的な考え方なのかと。悪い人だって成仏できる。良い人ならなおさら極楽に行けるという解釈である。しかし、どうも親鸞は馬鹿まじめに、正面から悪人こそ成仏できると言っているようなのだ。親鸞というのは、こんなヘンチョクリンなことを言うぐらいだから、よほどいい加減な奴なのかと思うと、そうではなくて、日本の宗教人の中では論理性抜群の、知性派である。親鸞の生きた時代、悪人としてしか生きることが出来ないほど、世の中が乱れ困難な時代だった。飢え死にをして行く人を、生きるためには何でもせざる得ない時代を見ながら、悪人正機と考えた。ダメでもいいじゃんは私の口癖である。ごく当たり前に勤勉に、真面目に暮らそうとして、適当にダメだからである。ダメぐらいじゃなけれべやってゆけない時代だ。居直って悪人だという自覚の立場に立てれば、これは楽だろうとは思う。

だからといって、悪人と自覚するほど突き詰めて生きている訳でもない。要するにあいまいで、行ったり来たりで、その日暮しである。人間そんな程度のもので、悪人には到底なりきれないが、善にとは到底言えないのが普通人である。普通が一番なのだが、普通で収まらない時に、ダメでもいいじゃん。と吐息をつく訳だ。最近も又、約束を忘れてしまった。情けなく申し訳ないのだが、こういう頻度が増してきている。その場でやらなくてはならないことが出てくると、ついつい他のことを思い出さなくなった。ひどい状態になっている。目の前のカレンダーに書いてあるのだが、全く意味なくダメだ。色々の約束事に自信が無くなっている。その意味もあって、業としての養鶏を止めることにした。食べ物を作る責任を持てなくなりそうだ。何かとんでもないことをやらかす前に止めなければ怖い。農の会の当番の定例会を忘れたり、水彩人の同人会議も忘れてしまった。アルツハイマーという気もしないのだが、ひどいことになっていることは確かだ。責任のある約束事をともかく減らす。来年一年の自治会長は引き受けた以上やりきるしかないが、怖くなる。

浄土教でいう悪人というのは、人間すべてをさしているという考え方がある。確かに近代的な解釈論である。このように分析してしまえば、悪人正機説も実に常識論になる。人間はすべからく悪を内在している。その悪に気付くということが大切で、悪の自覚のあるものこそ、極楽浄土の行けるという考え方である。悪を自覚すれば、悪事を侵さないという、常識論である。一つの考え方であるとは思うが、親鸞の言わんとするところとははるかに違う。もう一つあるのが、悪とする価値観の巾である。何を善悪とするかは仏という宇宙の絶対から見れば、皆一緒のことだという視点もある。確かなところはわからないが、どうも親鸞はそういう、まともなことを言ったのではないと直感する。善人もいれば、悪人もいる。そして悪人の方が生きるという真実に迫り、まだ増しだ。こういうとんでもないことを含んでいる、と思われる。ここがややこしいのだと思う。

吉本隆明氏の「今に生きる親鸞」を読むとその辺の分りにくいことがある程度分かるように書かれている。この分りにくいが、一番大切な部分を、少しでも明確にしようと書いている。という方が正しい読み方かもしれない。悪人正機が努力して少しでも良くなろうという、努力を妨げないかということがある。大切なことをすぐ忘れてしまう気休めに使っていてはだめだろう。忘れない方がいいに決まっている。人間自分には甘く、他人には厳しく要求をしてしまう。良いことをすれば、浄土に行けるという、安易な考えだけはするな。自分の感じたままに行動すればいい。行為に善であるというような意識を持てば、自分という人間の奥底に至る為の、障害になる。というように、吉本氏は親鸞を解釈しているようだ。
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水彩画のバルール

2013-11-16 04:01:50 | 水彩画
絵画にとても大切にされている見方に、バルールというものがある。色価と、色の価値と日本では何故か名ずけられている。フランス語のValeurに対応する英語ではValueである。何故このことが大切かと言えば、西洋における、個人主義の確立と関連しているからではないか。画面という空間を作者の頭の中では、どのように見ているかの問題だからだ。画面が作者の思想、哲学を反映していて、その空間を示すことが絵画の目的となる。空間さえ示すことが出来れば、哲学が示せるということのように、抽象画が生まれる道である。どういう絵画においても、自分の脳の中の空間意識を画面上に表そうとすることになる。この作業をまともに行えていれば、バルールがくるっているということはあり得ないことなのだ。つまり頭の中に空間が出来上がっていれば、言いかえれば、明確な思想があるのであれば、バルールが狂うというようなことは、ありえないことのはずになる。それくらい、論理の一貫性を求めたものが、バルールである。つまり、価値観の確立という言葉の方が分かりやすいのだが、一応、それを色価という言葉にしたところが、なかなか含みのある巧みな訳語である。

水彩画に置いても、当然バルールということは重要なことなのだが、実はこの点について材料から来るのか、曖昧なところが、いまだ水彩画の弱点になっている。理由は水彩に置いて、バルールを整えるということが、油彩画より困難なことに起因している。水彩画では一度置いたことと、2度描きしたことでは、意味も違ってくる。これが絵が哲学であるという意味なのだが。2度塗りでバルールは落ちることになる。暗く成り、彩度も落ちることになる。だから、修正が難しいことになる点では、色のない書や墨絵と同じである。色価の問題が、頭の中で的確でなければ、自由な筆さばきが出来ないのは当然のことである。これが水彩画の難しさなのだ。そこで淡彩と呼ばれる、一度塗りの薄い絵画と、ほぼ油絵という水彩画に分かれる。水彩は、技法が無いようで、実は高度に技術的な側面がある。小学生でも描くのだが、水彩画家と称する人でも、ほとんどの場合この水彩の本質には至ることができないでいる。

先日、偶然に銀座の大通りにある画廊で、浅井忠氏の「花筐の栗」という水彩を見た。すごい技術でびっくりした。今だこの人を越えた人はいないと思った。油彩画のベラスケスに位置する絵だ。他の絵はそれほどでもなかったのだが。つまり、水彩技法の背景にバルールに関して確かな力量を確立している。つまり頭の中が絵画的な意味で明確になっている。その明確な上で、一筆、一筆を確実に置いている。その為に、色がその位置に揺るがなく置かれることになる。その一筆の集積が、一枚の画面になっている。水彩画は基本画面の上で修正するようなものではない。それは書の場合に近い。鉛筆による、下書きも止めるべきだ。それも書の場合と同じだ。それでいて色が的確な位置と量で入っている必要がある。

中国画が墨絵に着色したような、バルールの狂いが、というか、色価に意識の無い理由は、近代絵画に開眼していないためである。個人の確立が無い。一方日本では早い時代に目が開かれたのかと驚異的なことになる。江戸時代の絵画思想の深さが思われる。この空間意識というものの変化こそ、近代的自我と関連している。つまり江戸時代にも個人というものの確立が日本なりにあったと考えられる。水彩画では明確な絵の骨格が、描き出す前に成立していなければならない。何をどう描くとしても、大きな骨組が無ければ、空間は作り出せない。あとは下描きもなく、一筆を的確に置く。こういう類まれな技量が無くては、本当の水彩画は描けないものだ。出来上がるものは実に柔らかなものになるが、本質はなかなか奥深いものとなる。これが「私絵画」と水彩画のつながりである。近代的自我の確立は、疎外ということが待っている。社会の中での芸術の交流の不能。それそれの世界観になり、互いに途絶した状態。全体性の欠如から、一部での世界の共有。この点はまた書いてみる。

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