地場・旬・自給

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第80回 水彩画 日曜展示

2021-10-31 04:22:35 | 水彩画
第80回 水彩画 日曜展示

今回も10号である。紙はファブリアーノクラシコ






482「猪苗代湖」
2021.10







483「崖の眺め」
2021.10








484「シーラ原」
2021.10








485「松のある田んぼ」
2021.10




486「





487「森のほとり」
2021.10







488「篠窪の畑」
2021.10


 毎日同じような感じで続けている。頭に湧いてきたような図像を、掘り起こしている。どこかに羅針盤があって、それに従って、筆を進めている。そのうち治まるところに治まると、絵が立ち上がる。なんとなくキリッとする。

 絵ができたと言うことなのかどうかは分からないが、そこまでたどり着いた時を終わりにしている。毎日繰り返していると、この終わりまで来たかもしれないという感覚は、身体がなんとなく覚えてきた。そして家に持って帰りアトリエにかけておく。

 その中で1~2週間ほど見ていて、良いかなというものを撮影して、展示作品にする。あの続きがあると感じたものを、次に描きに行くことにする。この繰返しである。このところ、M10号の縦構図を続けて描いている。
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「北海道のお米が美味しくなった理由は温暖化ではない」

2021-10-30 04:08:31 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」


 麻生自民党副総理は北海道のお米が美味しくなったのは、温暖化の恩恵だと選挙応援演説で、発言した。この発言が温暖化を良い側面もあることだと、まるで主張しているかのように受け止められかねないと言うことで、問題になっている。

 温暖化して良いことだって確かに無いとは言えない。床屋談義では聞かないわけでは無いし、冗談でついそういうことを私だって言わないとはかぎらない。しかし、自民党の副総裁としての麻生氏が、公の場でそんな科学的根拠のない話をしては成らない。

 トランプアメリカ大統領は温暖化が問題だなど言う科学者は、陰謀論者だと言っていた。つまり政治家はあえてこういう物言いをして、人気取りをする。これで嫌な気持ちにさせられる人が居ることが分からないのだ。不思議なのは温暖化のことを応援演説で持ち出せば、北海道の人なら喜んでくれるという感覚である。

 寒い北海道の人にしてみれば、確かに温度が1度上がれば助かることは色々あるだろう。お米が作りやすくなったと言うことも確かにあるだろう。だからこういうことを言えば、喜ばれると思う感覚がずれている。有り難いかもしれないが喜んでは居られないのが、世界情勢である。

 世界的危機が刻々と迫っている中で、北海道にとっては有り難いなど利己的な感覚を、副総理に公言されてしまえば、北海道に暮らす人としてはどのように受け止めろというのだろうか。普通は何か自分たちの利己心を暴かれたようで気分が悪いのではないだろうか。

 北海道でお米が作れるようになった一番の原因は、品種改良である。温暖化よりも大きな展開があったのだ。「ゆめぴりか」と「ななつぼし」は特Aを取り続けている。こうした北海道の稲作研究者の品種改良の努力があってこそのことである。

 北海道が作りやすくなったかもしれないが、日本全国夜の温度が高くなり、良いお米が作れなくなっている。こちらの方も稲作の品種改良が、米所では今必死に行われている。そうしたどりょくをしている人達に対して、感謝の気持ちは無いのだろうか。

 麻生氏は過去にもひどい発言をしている。〇ナチスは選挙で選ばれたのだから、日本も分からないようにやれ。〇日本は単一民族説。〇日本人は民度が高いからコロナ対策は要請だけになる。どれも、そういうことを自慢げに言うその辺のごろつき親父のイメージである。

 科学的にもう一度考えてみると言う冷静な部分が欠落している。すべて強い思い込みが元になっている。今だって温暖化の御陰で北海道米が躍進したと思い込んでいるに違いない。事実を事実として発言して何が問題なのかと。北海道のお米の品種改良の努力を軽んじているのだ。

 一方で沖縄ではあいかわらず、「ひとめぼれ」が作られている。その理由は沖縄では稲作を諦めてしまったからである。当然、品種改良の努力が無いから、沖縄向きのうるち米が日本には存在しないのだ。沖縄県や特に石垣市でのお米を作り続ける意志が不足しているのだ。沖縄には稲の品種改良の努力がない。

 亜熱帯気候で美味しいお米を、多収で生産できているのが台湾である。台湾は本当にすごい国だ。このことも最近知ったことを書いておく。石垣でのイネ作りがとても難しくて、何故台湾では良く取れているのかが疑問だったのだ。台湾ではまだ水牛でイネ作りをしているところが沢山ある。

 台湾に行ったときどこで食べたお米も美味しかった。日本のお米と少しも変わりが無かった。中国はお米がまずかった。食べられなくなるからと、冗談では無く、本当に日本から電気釜とお米を持参して行ったくらいだ。本当にまずかったのだ。

 ところが台湾は美味しいお米だ。日本が植民地化していた頃、台湾を日本の米の生産地にしようと日本の研究者が台湾で蓬莱米という品種を作出して作られていた。その品種は石垣にも戦前から導入され作られていたという。今は探しても無い。今の味覚では耐えられないものだから無くなってしまった。

 その蓬莱米から、台湾では美味しいお米を作出したのだ。しかも反収500キロは普通に越える品種になっている。理由は蓬莱米にインディカ種を交配して亜熱帯気候に適合する品種を作り出したというのだ。何という素晴らしい研究であるだろうか。

 台湾では民間の力が働いているらしい。詳しいことは分からないが、美味しくて多収出来るお米を作りたいという農家の方達の思いが品種改良に繋がり、素晴らしい品種が生まれたと言うことが書かれていた。台湾は本当に素晴らしい国だ。石垣島と気候も同じなのだから、こういう努力を石垣島でもしてゆかなければならないのでは無いだろうか。

 こうしたお米こそ、温暖化で苦しくなってきた九州四国のお米の品種なども、こうしたインディカ種を利用するという発想で品種改良を始めなければならない。ところが、日本ではこうしたイネの種苗研究が急速に狭められているのだ。つまりお金にならない研究は止めろという政府の方針だ。

 北海道には農業で何とかしなければならないという、強い米作りへの意志があったから、美味しい北海道の気候に適合した新品種のお米が作出されたわけだ。当然それだけの開発事業に投資がされている。日本では、「こしひかり」以降の品種を目指し、品種がどこの地域でも革新されてきている。

 小田原で今年始めて「はるみ」を作った。神奈川のJAが作出した品種である。やはり特Aをとったものである。「はるみ」は神奈川県では奨励品種になっている。たぶん栽培が難しいかと思っていたのだが、これが案外に作りやすい品種で、有機農業で畝取りの出来る品種であった。

 神奈川県の品種開発の努力の成果である。コシヒカリよりも倒れにくくて、株ががっちりと育つ。小田原ではこれからは作業分散のために、「サトジマン」と「はるみ」を作るのが良いかと思っている。どちらも有機農業向きのお米と言える。

 沖縄と気候の似ている台湾では美味しいジャポニカ種のうるち米が、多収されている。理由は品種改良の努力である。それがどうもジャポニカ種にインディカ種を交配して、新しい品種を作出しているらしい。この交配はなかなか先端的だ。その結果亜熱帯気候に適合したイネ作りが出来上がっている。
 
 しかも、どうも民間の組織が様々な交配を試みているらしい。こういう所に日本という下り坂の国と、台湾という上ってゆくところの国の違いが現われているのではないだろうか。日本ではひとめぼれが作りにくい品種であるとしても、奨励品種で農協が購入してくれるとなると、大多数の人がそれ以上のことは考えなくなる。

 来年石垣島で作ってみる品種は「とよめき」と言うものにしようかと考えている。これは石垣島の熱研でも成績が良かったらしい。筑波の農研機構で作出された品種と言うことである。まだ、最終決定では無いが種籾の購入はしてみた。
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すこしも新しくは無かった岸田総理大臣

2021-10-29 04:40:09 | Peace Cafe


 岸田総理大臣の新しい資本主義はたちまちに消えてしまった。渋沢栄一氏が生きていたら、どれほどがっかりしたことだろう。カジノを経済と考えるような反社会的勢力の政治家に道徳を期待できるはずはないか。少しでも期待したわたしのような者が馬鹿だったようだ。

 岸田氏は何故、倫理のある資本主義を口にしてしまったのだろうか。NHKドラマに便乗したかったと言うことか。少なくとも選挙期間中は、新しい、あたらしいを連呼すると思っていた。総理大臣に対する、こうした圧力は誰からかかるのだろうか。

 経済成長が起これば必然的に分配も増えるとする、アベノミクスは成功だという間違った経済は流されてきた。ところがもう10年間も分配の方は忘れられてきたのだ。新自由主義経済の罠に岸田氏もはまり込んだのだろうか。生長すれば自然と分配が増えると言う言い草に、長いこと日本国民は騙されてきてさすがに限界に達している。今度の選挙でそれが現われてきて欲しい。

 新自由主義経済は一見すると、正しい自由競争によって経済の発展を推進する考えのように見えるのだ。正しい競争とは能力主義競争である。ところがすでに資本が偏在している。人間の能力は様々である。どれほど努力しても100メートル10秒どころか、12秒でも走れない。

 階層が生まれている社会のなかで、正しい自由競争などそもそも無い。どこまでも資本家と有能な強者が有利な競争なのだ。不当な競争を正当化するための新自由主義経済。現実社会では社会的正義をないがしろにした競争になってしまうものなのだ。だから分配が遅れて貧困層が増大し、格差社会が生まれたのだ。

 「テレワークやスマート農林水産業で若い人が地方で活躍できる。農業も経済成長の大きな役割を果たしてもらう」 これが佐賀県での総理大臣岸田氏の応援演説の言葉である。成長も分配もと言うのが岸田氏の最近の主張の訳だが、要するにこの10年間出来なかったことを、また蒸し返して言っているとしか思えない。

 テレワークを現実化するための様々な条件整備をするのは政府の仕事である。岸田氏が発言すべき事は古い標語では無く、倫理に基づいた新しい具体的な政策である。どうやって地方での情報インフラを進めるのかを具体的に知りたい。5Gインフラは日本中同じでは無い。地方格差の原因になりかねない。

 5Gを日本中に広げるためには膨大な中継基地局が必要になる。これは誰が進めるのだろうか。スガ氏が自慢した携帯電話料金の値下げは、5Gインフラの地方への推進を難しくしたのでは無かったのか。地方の活性化を言うなら、政府は地方の中継局の整備の具体的な計画と、その公費での費用負担を公表すべきだ。

 どうすれば若い農業者が地方で活躍できると言うのだろうか。是非ともスマート農業の具体策を示して欲しい。得に主食であるイネ作りとスマート農業が関係した提案が欲しい。スガ氏は何しろ主食はもういらないと発言したくらいの人だった。

 本来食糧自給を国の安全保障として、考え準備することが総理大臣の役割では無いだろうか。スマート農業のどこが未来への可能性というのだろうか。スマート農業は伝統農業に競べて、はるかにエネルギーを消費する農業である。脱炭素はどうなるのだろう。問題点を含めた農業の展望を示しながらその推進を述べるべきだろう。

 コロナで日本の医療の弱点が見えてきた。病院とベットは充分にあるにもかかわらず、入院できないで感染したまま自宅に置き去りにされて、死んでしまった人が多数いたのだ。こんなひどいことが日本の社会で起こるとは信じがたいことだった。もう少しましな国だと思っていた。

 感染症に関する国の安全保障が抜け落ちていた。これは高病原性鳥インフルエンザが流行したときに、気付いて準備を始めなければならないことだったのだ。養鶏をやっていた私には、次は人間に感染症が広がることが見えていた。その警告は何度も発したが、完全に無視された。

 にもかかわらず、自民党政府はなんとコロナとの戦いに勝ったというような根拠のないデマを流している。喉元過ぎれば熱さを忘れるで、もうあのコロナの恐怖を忘れている。自宅で誰にも気付かれずに、苦しんで亡くなられた方がおられたのだ。アベ、スガと2人の総理大臣がコロナ対策から逃げ出したのが自民党だ。

 何故か理由はよく分からないが、コロナウイルスは急速に感染力を抑えてきた。理由は分からないが、政府の御陰で無いことだけは確かだ。全国希有な例として、石垣島は減らないどころか未だに10万に当たりの1週間の感染が50人と感染が続いている。是非この状況を調査して貰いたい。私は中山市長の無策の責任だと思っている。

 なにしろ、市長は二ヶ月前の今よりも悪い最悪の状況下で石垣島でけは緊急事態から外して欲しいと、血迷って政府に直接陳情しに出掛けたのだ。その上に、コロナ克服を祝う石垣島祭りを開催すると宣言してしまったのだ。こんな状況判断が出来ない市長だと、いつまで経ってもコロナは減らない。やはり選挙は重要である。

 政府がコロナに勝利したのではない。石垣島のように策をとらないでいれば、第六派にやられる可能性が高い。今医療体制に余裕のある内に、感染症に対する医療体制を構築すべきだ。国を挙げて医療関係者に感謝の祭典も必要では無いだろうか。

 新規産業を創出し、成長を目指すのが新自由主義経済である。そうだとすれば、日本では何故コロナワクチンの製造が、先進国から二年も遅れているのか。これが競争に敗れた現実の日本の姿なのでは無いか。新規産業が生まれない原因究明が出来ないようでは、第3の矢どころではない。

 分配を重んずるのが、新しい資本主義では無かったのか。国債を増発して、国の借金を増やして、コロナ対策として分配するのでは限界は近い。新しいどころか、昔の名前で出てきた限界に達した資本主義に過ぎない。岸田氏には標語以上のことは、何も考えが無かったと言うことなのか。

 このままの政治姿勢では新しい産業の創出は出来ないし。分配も増えるはずが無い。何かを捨てなければ、何かが生まれることは無い。新しい産業を興すためには、いままでの産業を否定しなければならない。新エネルギーを見付けるには、旧エネルギーを乗り越えなければならない。

 原発から、再生可能エネルギーへの転換。これを定めることが出来ないところに日本の政治の限界があるのだ。思いっきりが悪い。我慢が出来ない。それでは新しい事などできるわけが無いのだ。危険を承知で挑戦しなければ新しいものが生まれるわけが無い。


 
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石垣島のパフィオ栽培

2021-10-28 04:46:24 | 石垣島


 石垣島でのパフィオペディラム学名:Paphiopedilumの栽培について現時点での観察を記録します。ちょろりさんから栽培法の要望がありましたのですが、気候が違いすぎて参考には成りませんが、少しだけ書いておきます。

 栽培数は原種を30種ぐらい。全体では50株ぐらいがあるかと思います。なんとなく鉢の数は100ぐらいありそうに見えます。子供の頃母がパフィオを栽培していたのが始まりである。山北にいた頃は当時あるとされていた70種の原種のほとんどを栽培していたから、相当数栽培していた。

 今はパフィオペディラムは100種を超える原種の数になっている。全くの新発見も数種はあるようだが、分類のみなおしがあり、別種とされたものが多いように見える。パフィオはアジアの熱帯から亜熱帯に分布している。インドからボルネオ香港当たりまでに生息するラン科植物である。

 近縁種として、南米にフラグミペデュラムという種類の蘭があり、両者は交配することが可能である。コンティキ号で南米に渡ったのであろうか。一度レッドファイアーという品種を属間交配して作出したことがある。但し登録については先を越された。



 パフィオは栽培は困難な植物と考えて良いかと思う。生息地の環境が特殊なものが多く、なかなか温室の中ではその環境は再現が出来ない。一般に小田原や東京当たりの環境では、温室の無い栽培は難しい。冬の乾燥と低温が障害になる。

 温室の中に閉じ込めて栽培をするためにどうしても、ナンプ病などの病気が蔓延しやすい。殺菌剤を時々散布して栽培する事が多いだろう。加温に関しては大半のものは13度ぐらいの最低気温で何とか冬を越せる。むしろ夏の暑さで枯れてしまうものが多いかと思う。

 10年間株を維持できたものは少なかったと思う。一度は花を咲かせられるのだが、その後だんだん弱ってしまうことが多かった。だから大株にすると言うことはほとんど無理な植物である。



 これは原種に関してのことで、交配種に関して言えば、かなり強健になっていると言って良い。雑種強勢というか、強い生き残ったものが品種として残されているからと言うこともあったのかと思う。今はプライマリー交配は少しあるが、ほとんどが原種である。

 石垣で栽培を続けた理由は、たまたま農協のユラテーク市場にあった蘭を購入したら、余りに強健なもので、びっくりしてしまったからである。これなら一番好きなパフィオも栽培できるかと考えて、徐々に様子を見ながら始めたところである。

 置いてあるところは、写真のように駐車スペースの脇の狭い場所である。お隣との境のブロック塀の前に棚を作り、並べてある。上には日除けのダイオネットを二重にしてかけてある。蘭の所の上だけは屋根はない。雨はそのまま当たる。



 但し直射日光は当たらないようにしている。この場所以外に置くところもないのだが、案外にこんな場所がパフィオには悪くないように思う。パフィオの他の蘭ではカトレアの原種トりアネイ何種かと、バンダのセルレアが、並べておいてある。もちろん日当たりを考慮しての配置。

 パフィオだけでも良いのだが、他のものも置くことで、栽培条件の観察をしてゆくためである。バンダの気根がどの程度のびるものかで、湿度環境が分かる。カトレアの冬の様子で、気温の条件が見えてくる。温度計の気温だけでは分からない冷え方などもあるものだ。

 そういう意味ではパフィオは地生蘭だから根の様子が分からず、気がついたら枯れていると言うことがままある。ともかくここまで観察をしてきて、石垣島に向いているパフィオの傾向が、すこしづつ見えてきたところである。

 ロスチャイルドディアナムやフィりピネンセのような大型株になるタイプのもの、緑葉で厚葉タイプが一番向いているようだ。デレナティーやワーディーのような斑入り場の葉の薄い小さなものはナンプ病にかかりやすいように見える。

 株は日本の各地のネット通販で探して購入している。沢山の蘭やさんがネット通販をしていて、訪ねてゆかないでも簡単に購入できる。コロナ時代向きかもしれない。何回か購入している内に信頼できる蘭やさんがどこかがだんだん分かってきた。本当は台湾の蘭やさんを訪ねて購入したいのだが、今のところはできないでいる。

 石垣島は風が吹く日が多く、また湿度が高い。これがパフィオには良いようだ。夏は暑いことは暑いのだが、風があるためか、暑さでやられる様子は無かった。水は乾いていたらやるようにしている。雨が続けば、水やりは当然しない。

 コンポストは植え替えのタイミングを見て、ミックスコンポストに変えている。そこに珊瑚のかけらを混ぜている。ミックスコンポストだと、植え替え時に根を傷めることが少ない。パフィオの栽培では水苔が良いのかもしれないが、水苔は高層湿原に生育する貴重なこけだから余り使いたくはない。ミックスコンポストで充分生育するようだ。

 肥料は液肥のHB-101を一万倍くらいに薄めて、忘れた頃にかけている。植物抽出液ということだが、効果があるのかどうか今のところ分からないが、気分的な意味でかけている。時に、えひめAIも薄めてかける。これも意味があるのかどうかまでは分からないが、いくらかナンプになりにく事を期待してかけている。


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好きなことを見付けることが若者の仕事だ。

2021-10-27 04:29:55 | 水彩画


 「好きなことを見付けることが若者の仕事だ。」これは父が、教えてくれたことだ。72歳まで好きなことをやり続けて、いかに正しいことだったかが分かる。それでも、若い頃は好きなことは何だろうと、悩み続けていた。だから、何度でも言ってくれたことだったのだろう。

 絵を描くことが好きなことのようだとは、小さな頃から思っていたが、まさかこれほどに好きなことだとは、若い頃には分からなかった。子供の頃はニワトリや犬が好きだった。しかし、絵を描くと言うことの面白さは別格なことだった。

 残りの生きている時間絵が描けると思うと、もうそれだけで十分だと思える。それくらい絵を描くことに惹きつけられている。自分の絵にたどり着きたいという目的がある。方角は良いようだが、なかなかたどり着けないということがある。

 小学校5年生の時にははっきりと絵を描くことは好きだと自覚していた。ただ、まさか一生絵を描いていられれば、それで良いとは思わなかった。好きなことは他にも色々あった。やらなければならないというように考えるものは他にもあった。

 いまの時代多くの若者は勉強をして、良い大学に入学して、良い成績で卒業し、立派と言われる職業に就かねばならないと考えているように見える。それが生きる幸せであると、思っているのかもしれない。私の場合そう言う道ではなかったが、少しも生き方を失敗したとは感じていない。

 幸運にも好きなことに出会い、好きなことを続けることが出来たことに感謝している。たぶん、それなりの時間を生きてきてみると、誰でもが好きなことをやりきれる一生というものを、若い人にもやって欲しいと願っているのではないかと思う。

 「若い人の仕事は好きなことを見付けることだ。」これは父はなんども言って、励ましてくれた。まったくそれが本当のことだと今は思う。好きなことを見付けられない人生の方が多いのかもしれない。余り好きとは言えない仕事をしていると言うこともあるのかもしれない。

 それは暮らして行くと言うことを想像したときに、好きなことなどしていても生きて行けるわけが無いと思ってしまうからかもしれない。周りの大人を見れば、それほど好きでも無い仕事を、どこか我慢してやっているように見えるわけだ。そして、好きなことを選んでしまった人は、生活が大変に見える事の方が多いかもしれない。

 野球が好きだという人の内、プロ野球の選手に成れるような人はほんの一部である。まず普通であれば成れないと考える。好きであってもプロ野球の選手には成れない可能性の方が高い。当たり前のことだ。それでも野球が好きであれば、とことんやってみた方が良い。

 やっていれば、野球をやり続けて生きて行ける道は誰にでもあるはずだ。プロの一流選手になれないとしても本当に好きであれば、野球さえ出来るのであればそれで幸せなはずだ。初めから自分の能力など計らないことだ。好きかどうかが重要なので、それで生活できるかどうかなど、人間の一生の意味から考えれば、後から考えればいいことだ。

 私自身、職業画家を目指した。しかしいわゆる画家には成れなかった。だからといって絵を描き続けて生きている。それで十分である。やせ我慢では無く、職業画家になる能力がなかったことなど、残念だとさえ思わない。絵を売らなくて良いのだから自分の好きな絵を描き続けられているとさえ思っている。

 将棋も好きだった。しかしプロ棋士を目指すと言う気持ちはこどものころから無かった。将棋が人生をかけてやる価値があるとは思えなかったからだ。絵はそれだけの価値あるものだと子供ながらに考えていた。この点はそれぞれの人生の価値と言うことから考えれば良いことではなかろうか。

 別段ゲームが好きだからそれをやり続けたいというのであれば、それでいいのだろう。私はそんなことはくだらないことだと思うが、その人がそう思わないのであれば、それがその人の一生である。金魚の改良に一生を費やす人もいれば、素晴らしい寒蘭を見付け歩いて一生を終わる人もいる。

 私も自分の鶏種を作りたいという希望を子供の頃に持った。それは清平のヒョウタンのように熱心だったと思う。真黒チャボの作出に寝るのも忘れて没頭していた。親はチャボを飼うことに没頭していることを、好きなら好きなだけやれば良いだろうと言うことだった。

 そのことは職業として取り組むことになった。絵を描くだけでは食べることは出来なかったし、養鶏をやりながら絵が描ければそれは悪くはないと思ってやっていた。そうしてそのササドリという鶏種でやる自然養鶏をやったことが、自分の絵に向かうことでもあった。好きなことを精一杯やることで道がみえてくる。

 今も田んぼを続けているわけだが、もうこれは絵を描く為には必要なことのように思えている。ニワトリを飼うことで絵というものが少し見えてきた気がする。田んぼをやることを通して自分の絵に近づいていると言う実感がしている。自分というものが見えない限り、絵などない。好きなことをやることを通して自分というものが分かってきた。

 そういう意味では職業画家になれなかったことは悪い事でも無かったと思う。これは負け惜しみでも無い。野球が好きすぎて少年野球の監督になっている人が、素晴らしい野球人生を生きているのかもしれない。人はそれぞれの人生を生きているわけだ。

 問題は若い時代に好きなことをどう見付けるかにある。一つだけ分かることは好きなことはやり尽くしてみなければ分からないということのようだ。少なくとも2,3年は本気でやってみなければ好きかどうかなど分からない。若い人の好きなこと探しの回り道に無駄など無い。

 とことんやってみなければ好きかどうかは分からない。やってみて、好きでもなかったとなれば、それはそれで一歩前進の発見である。本気で全力でやったことが無駄になるわけが無い。それでも大抵は好きなことが見つからないのが普通だ。

 大人の役割というものは、ある意味子供の手本として、本気で好きなことで生きていることだけである。若い人に好きなことで生きる痛快さを身をもって示していればそれだけでいいぐらいだ。私は幸運にもそういう父を持ち、身近で教えて貰うことが出来た。


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化学肥料や化学農薬

2021-10-26 04:14:25 | 環境関連


 有機農業や自然農法をやっている人、あるいは環境保護活動をされている人の中には、化学肥料や化学農薬を強く否定する人が多い。わたしは必要ならば使う方が良いことだと考えている。実際に化学肥料と農薬と大型機械によって開かれた近代農業が、人類を支えて来たことは感謝されなければならないことだと思っている。

 自分が化学肥料や化学農薬を使わないと言うことと、人が使うことを否定すると言うことは意味が違う。使わないことは自分の生き方である。大型機械農業を否定しているのは、個人的な思想であり、生き方である。使いたくない人は勝手に使わなければ良いだけのことだ。

 使っている人をとやかく言う必要は全くない。法律で許されているものを生業として使用しているのだから、何の問題も無い。それをまるで犯罪行為のように言えば、もうそこで大多数の農業者と有機農業者や環境保護活動家との間に分断がおきてしまう。よほど注意して発言をしなければならないことだと思っている。

 農薬や化学肥料は環境を汚染しているという一言が、農家と消費者の分断を産んでいることに気付かなければならない。いつも主張していることだが、近代農業を犯罪扱いするのであれば、自分の身体でこうあるべきと言う農業を実践体験してから主張すべきだ。

 そして、消費者としてどれだけ高い食料品であるとしても、有機農産物を購入すべきだ。自分で有機農業をやってみて、それでも原理主義的に農薬や化学肥料を批判するのであれば、それは分断される覚悟があると考えるしか無い。分断されて良いことは何も無いわけだが、それも仕方がないか。

 化石燃料を一切使わない自給自足生活を体験した体験から、農業者すべてが仲間であると言うことが、なによりも大切なことだと考えるようになった。農業を続けてくれる人が居なく無ければ、日本人は絶滅するほか無いのだ。農薬や化学肥料の可能な限りの安全な利用は当面必要なのだ。

 今一番心配しているのは稲の栽培期間全体での肥料効果が続く、物理的緩効性窒素肥料 である。樹脂コーティングされていて肥料成分が徐々に溶け出すようになっている。作業が大いに楽になった。ところが、この樹脂成分が海洋のマイクロプラステック汚染に繋がっている。

 樹脂成分を使わない、緩効性窒素肥料 は色々ある。有機肥料は速効性が無くそもそも、何年もかけて土壌を改善してゆくタイプのものである。化学的緩効性肥料 と言うものもある。代替の肥料があるのだから、政府は樹脂コーティング肥料を早急に禁止しなければならない。

 マイクロプラスティクのような化学合成物質が環境を破壊するというのは現実である。それは人間の身体にも溜まり始めている。しかし、自然農法であれ、有機農業であれ、化学物質や化石燃料を一切使わない農業であれば、先ずは販売するほどの生産物は得られないと言う現実も知らなければならない。

 自然農法では生産性が低すぎるのだ。だから、私は自給農業を誰もがやるべきだと主張をしてきた。人に辛い労働を押しつけるようなことは倫理に反する。やりたいものがやればいいだけのことだと考えている。自分はやる気が無いままに、辛い労働を人に押しつけるなど論外である。

 問題は誰が生産を担うのかと言うことだ。農業者は儲かるわけでは無い。地域の文化と食料生産を支えている誇りから頑張ってくれているのだ。だから子供にやらせられない事が多い。日本中で稲作農業者は極端に老齢化して、減少している。この先日本から農業者はいなくなると考えた方が良いくらいだ。現状を支えてくれているのは大型機械と、外国人の技能研習生と偽称された奴隷的労働者である。

 石垣島で始めて稲作を行ってみて、有機農業の限界と言うことを痛切に感じた。昔、八ヶ岳の標高1000メートルを超える八千穂で有機農業を始めた、窪川さんが有機農業は寒いところでなければ出来ないと断言していたことを思い出した。

 多くの生業として農業をやる人が、有機農業に取り組まないのは当然だと思う。ヨーロッパなどで有機農業の普及が進んでいるというのも、気候的なこともあるのかもしれない。たしかに、小田原でやったときは何とか乗り越えることが出来た。初めから、回りの農家に匹敵する収穫をしていた。

 石垣島でも何とかなると甘く考えていて、つらい挫折を味わうことになった。石垣島で有機農業で田んぼが出来るようになるのは、しばらく先のことのようだ。かならずなし遂げてやろうと決意しているが、ともかく難しいことだけは確かだ。ますます石垣島の農業者を尊敬するようになった。

 有機農業でやれると言うことの意味はその地域の平均収量を超えたときに言えることだ。本来、有機農業の方が収量が多くて当たり前なのだ。理由は科学的に当たり前の事だ。自然の摂理に従い、健全に育てることが有機農業であれば、当然収量は多くなる。もし少ないのであれば、作物が自然の摂理に外れていると言うことになる。まだ有機農業の技術が未熟だと言うことに過ぎない。

 有機農業の方が手間がかかるが、作物には良い状態になり、当然収量も多くなると考えて良い。手間がかかるから、有機農業の方が収益が上がらない可能性は高い。倍の価格の食料品を買える人など少ない。だから経営を考えて有機農業をやらないのは当然のことだと思っている。

 有機農業をやっていれば、一般の農家から趣味で農業をやるのだからのんきなものだと、こう思われて当然のことだと思っている。だからこそ、収量では地域で一番だと言える有機農業でありたいと思ってきた。また手間を惜しまなければそれは実現できる。石垣島でもその努力をしたい。

 石垣島の慣行農業のイネ作りも、小田原に比べたらはるかに難しい。皆さんの農業の姿を見ていると、それぞれの農業のやり方が独自である。それぞれに違っていて工夫をされている。どなたにも頭が下がる気持ちである。現実に見事な田んぼを見ては頭を下げて歩いている。

 それでも結果的には低い生産量である事も確かである。その問題の第一原因は「ひとめぼれ」である。この品種は冷涼地向き品種である。沖縄で作れないことが無いというものの、十分な生育には成らないと考えるべき物だ。そもそも気候の熱帯化に対応する品種の作出が言われている中で、不思議な選択をしている。

 特に有機農業のように、時間をかけてじっくり育てる農法では晩生の品種が良い。ひとめぼれのような冷涼地向きの早生品種は無理だとおもう。ひとめぼれは東北のお米ではあるが、石垣島でも可能な品種だと言われている。そのように考えるからこそ、沖縄県は奨励品種に指定した。そして20年も栽培が続けられている。ひとめぼれは味が良いお米と言うことで指定されている。

 ただし、奨励品種に指定した時の石垣での実証実験の収量は1期作で6俵。2期作では5俵だったのだ。これほど低い収量のものを奨励品種に指定するという理由は何だったのか。他所の地域では普通8俵ぐらいの品種が指定されている。いくら味が良いお米だとしてもこんな低収量のお米を奨励品種にしてはならない。

 今年の石垣島の慣行農法の2期作のイネ作りでも観察を続けた結果、2期作目の作柄は10葉期ぐらいで葉が出てしまう田んぼが多い。ただ、化学肥料で一気に育てるために、それなりの穂がついている。どうしても、多めの化学肥料を使うためにイモチが出やすくなっているのでは無いかという田んぼをいくらか見受ける。

 長年の経験から来る独特の栽培技術だと思うのだが、10葉期でありながら80センチを越える高さまで成長させている。そして、実に大きな穂を付けている。分ゲツはいくらか少ないことが多いようだが、水切りを徹底する管理で、分ゲツを止めているからのようだ。

 有機農業では1期作だけで行くべきだろう。そして裏作の時期には緑肥を育てなければならない。充分の腐食を田んぼに戻す必要がある。またどんな堆肥をどういう手順で田んぼに入れるかも研究しなければならない。苗作りをしっかりと作ること。石垣島に適合する品種を見付けなければならない。


 
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金融所得課税と健康保険税 加筆訂正

2021-10-25 04:24:03 | 暮らし


厚生年金の場合、月給65万円までは保険料がかかるが、それを超える給与を得ても、保険料は一切増えない。月給が1000万円でも、1億円でも、保険料は月給65万円の人と同じなのだ。健康保険も構造は同じで、月給が139万円を超えると、超えた部分には保険料がかからない。 
金融所得に適用されている分離課税および定率課税だ。税率は、所得税15%、住民税5%の定率で、どんなに稼いでも税率は変わらない。所得階級が高いほど、所得に占める金融所得の割合が高くなるから、年収が高いほど、金融所得課税の15%という所得税負担率に実際の負担率が近づいていくのだ。ーーー森永卓郎

 岸田総理大臣は「税負担の高額所得者有利を是正したい」と、総裁選挙の場では発言していた。その意味は森永卓郎氏の文章が分りやすい。ところが総理大臣に就任した途端に、このことには当面触れないと発言を撤回した。理由は自民党の既得権集団の圧力によって考えを変えたと言うことになる。

 自民党は年収一億円以上の高額所得者のために、総理大臣の政策すら変えてしまう政党なのだ。2019年に日本で年収1億円以上の富裕層は数23,550人。その割合は約0.037%とある。 自民党の高額所得者優遇は1%にも満たない人の優遇と言うことになる。

 その理由は株式投資を税金的にも有利にして、国民が株式投資を熱心に行うように誘導していると言うことだろう。株で儲ければ税金も優遇されるということだ。資産家を優遇する。それが日本の経済のためと言うことだが、株価のつり上げの一種にすぎない。今や株価だけが日本の命綱なのだ。

 不労所得を奨励するような政府はあり得ない。最近、人前でも株式投資の話をする人が増えたと思う。本来、どの宗教でも不労所得はあっては成らないとしている。恥ずかしいことのはずだ。政府はカジノまでやろうというのである。
 自民党政府はすでに倫理を失っている。あの1億2000万円の自民党からの助成金で汚職選挙をした、河井杏里氏がその象徴である。何百人にお金を押しつけて歩いたのだ。アベ総理大臣の秘書官が、陣頭指揮をした選挙だった。有罪判決が確定したにもかかわらず、自民党からは何の説明もない。こうした選挙が今の今行われている。

 大半の不利益を被る低額所得になってしまった国民が何故自民党に投票するのかが信じがたい。騙されているとしか考えられない。自分もいつか、高額所得者になれると思うのだろうか。あるいは高額所得者から何か恩恵がもらえるとでも考えているのだろうか。

 どうも洗脳された結果にみえる。能力主義は正しいことで、その競走に破れたことは努力が足りなかった自己責任で、仕方がない。と考えさせられているのかでは無いか。まったくそれは考え違いである。資本主義の行き過ぎた社会の仕組みではどれだけ努力しても脱出のしようが無い、資本を持たない下層階級が形成されてしまっているのだ。

 資本を持つ既得権益を握っている上層階級は、政治と結託して自分たちの立場を擁護しているのだ。例えば国会議員の実に多くの人が、二世、三世議員である。本来民主主義国家であれば、貧困層であってとしても国会議員にも、総理大臣にも慣れる仕組みではある。現実はそうしたことが出来ないような、強固な階層社会が形成されている。

 日本社会は外見だけ見れば、固まった階層はないかのように見える。誰でも選挙に出れる。能力がないから、国会議員になれないだけだと見える。このいかにも自由競争であるかのような外観がくせ者なのだ。残念ながら、今貧しいものは死ぬまで貧しい階層から抜け出られないのが現実である。これは変えなければならない。

 努力次第では無い。もちろん特殊なスガ前総理大臣のような事例はある。例外はないとはいえない。しかし、そこまで登り詰める間にどれだけ人間性をゆがめたのかと言うことが見えたではないか。一般論で言えば、大半の貧困層は貧困層から抜け出られることは無い。そして、そのスガ総理大臣から生活保護がある。などと言われて切り捨てられるのだ。

 これから日本の経済はさらに厳しくなる。世界における日本の立ち位置は、残念ながら年々低下している。もう立ち直る要因はほとんど無い。自由競争であるとすれば、競争に敗れて行くものの立場に日本はいるのだ。問題はその状況を認めて、対策を打たない自民党にある。

 人口減少も今後さらに進んで行く。こんな不安定な社会では当然、人口は減少を続ける。人口が減ると言うことはその国は衰えると言うことだ。問題は人口増加が可能だとして、人口減少すら認めない自民党政権にある。状況がまずいことを認めた上で、対策を考えなければ解決策が見つからないのは当然である。

 間違えを認められないというのは日本の官僚のシステムにある。だから、人口増加を前提としていた以前の展望を変えることが出来ないのだ。間違えを認めると言うことは、誰かが間違えの責任をとらなければならない。だから、アベノミクスは成功したという訳の分からない結論しか出ない。そして、成功したのだから継続するとなると、第3の矢は放たれたことも無いのだから、当然どこに行ったのかが分からない。

 ここはともかく、自民党政権に一度降りて貰うほか無い。コロナ対応で間違えたのだ。国の安全保障に感染症対策が入っていなかったのだ。これだけでも現政権は当然交代しなければならない。間違ったら政権の座から降ろす。そうしなければ、コロナ対応は正しかったという間違ったシグナルを国民が政府に与えることになる。

 日本が死者数がそれでも少ない理由は過去に類似のウイルスに感染した経験があったのかと思う。中国が死者数が少ないことも、東アジア全般に死者数が少ない理由はそこにある。その中では日本は失敗した国である。

 何故か、あらゆる場面で既得権を守ろうとする自民党が支持をされ続けている。まさに、地獄のアベ・スガ政権であった。そして、結局の所何も変わらない岸田政権である。

 これだけ日本政府の債務が増加して、財政破綻が近づいているにもかかわらず、株価は何十年ぶりの高値だと言うことらしい。とんでもない話だが、これも高額所得者を守るためには株価を下げられない状況である。株を投資している一番の存在が、日本政府なのだ。

 それがあるために、投資家は実質経済とは別に、政府は株価は下げることは出来ないだろうと見ているのだろう。とうぜん、株の配当に対する税の優遇も守られる。岸田氏の腰砕けの背景にある、自民党の闇の支配の存在を直視しなければならない。

 そして、自民党・公明党以外に投票しなければならない。その理由は猛攻した闇の既得権者の支配は限界が来たと言うことだ。このままでは大きな破綻まで進むだろうと言うことが見えてきている。背景にあるものは能力主義の限界である。

 総選挙では自民党を敗北させなくては成らない。ここまでひどい政治を続けていながら、自民党に投票が行われるとすれば、自民党は反省をするどころか、ますます上級国民優遇の政党になる。この一点で自民党に投票しては成らない。

 若い人達の自民党支持が言われている。驚くべき事だ。洗脳が進んでいるとしか思えないが、若い人達がこんな現状を良しとしているとすれば、もう日本は終わりが近いと言うことになる。何故、一番の被害者である若い人達が、自民党に投票するのだろう。日本のことを考え、よくよく考えてもらい。

 まず、野党が政権につけば、少なくとも金持ち優遇税制は是正される。いままで間違ってきたことを間違えと認めることが出来る。既得権益集団をある程度、壊すことが出来る。野党に期待ができないとしても、自民党に投票しないだけの利点がある。衆議院選挙で間違えを間違えと認めさせなければダメだ。
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第79回 水彩画 日曜展示

2021-10-24 04:21:49 | 水彩画
第79回 水彩画 日曜展示

今日はすべて10号ぐらいです。紙はすべてファブリアーノクラシコです。







475「房総の畑」
2021.10






476「シーラ原田んぼ」
2021.10









477「大波の海」
2021.10








478「下田港」
2021.10








479「爪木崎」
2021.10







480「川のほとり」
2021.10






481「戸隠山」
2021.10


 
 色々の絵が出てきている。絵を描くときは何も考えてはいないので、こうなったんだという感じである。戸隠山を描いていると思って戸隠山を描いているわけでも無い。戸隠山だなとあとから重い、そのように名前を付けている。

 画題と連番は絵を整理するために付けているが、余り意味は無い。まだ整理されていない絵も、併せて整理をしている。混ぜて展示すると、今の状態が分かりにくいので、今後は止めるつもりだ。

 いずれも描きだした絵に従って進めている。たいていの場合、描きかけの絵が始まりになっている。それでも、「川のほとり」の場合は、描き始めとはまるで違う絵になっている。川を見ていることは良くある。川には他に無い空気がある。


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水彩人展の新人9名

2021-10-23 05:10:56 | 水彩画
 水彩人展では初出品で入選した方が9名おられた。個人的にはコロナへの不安が強く、今回は開催すべきでは無いと考えていた。何も手伝うことも出来なかった。多くの方の御陰で、無事展覧会は開催がされた。

 現在、水彩人のホームページではウエッブ展として作品を展示している。出品作の公開と、会場の動画である。9名の新人達の作品の感想を書いてみたい。


藤井黎子(6室)
水彩絵の具を薄く水に溶き墨流しのような表現の背景になっている。そのにじみが水彩表現らしい独自性があり、優れていて注目される。墨流しと言ってもかなり人為的なコントロールがされていて、その色のシミの具合がある種の幻想を感じさせる。そこには何か毒を含んだような印象が込められていて、それは紫色の色彩から来ているように感じた。
こうした技巧に凝ると、へんに嫌みになりがちであるが、そういう所は少しも無い。一方であじさいの花の表現は花びらを一枚一枚克明に書き詰めている。この対比の意外性がこの絵の主張になのだろう。主張が表現に繋がっているというところが良い。そして葉っぱがその両者の架け橋になっているわけだが、背景の空間と花の個性的な表現に比べると少し、普通になっているのかもしれない。
これだけ水彩絵の具を使いこなしているのだから、鉛筆の線はない方が良い。鉛筆がいかにも葉の下書きが残っているような安易さを感じさせてしまう。


関順子(6室)
小さな作品であるが、少しも絵の世界は小さくない。海が大胆な構成で画面の8割方を占めているのだが、その海の表現が実に爽快なものでありながら、深い絵画感まで感じさせる。この広がる水の表現は素晴らしい。それは空の表現でも同様であり、水彩画における何も無い場所の自由な表現の魅力を溢れさせている作品である。
この絵には海を見ている作者の眼。空を見ている作者の眼が存在する。
残念なことは船と遠景の対岸である。それなりにうまいとは思うのだが、このものの見方が、作者の目という所までは進められていないのでは無いだろうか。ここでも鉛筆の線が絵の説明になり、絵画の魅力を減じている。

岩田央樹(4室)
なんと言っても印象的な線がちりばめられた絵である。筆触の表現法を確立している。水彩画でこうした表現は余り見ないものである。どこかの街角なのであろうが、当たり前のようで当たり前でない不思議な空気感。線描が生み出しているデカダンスの空気がある。
黄色の空の様子からすると、夕景と言うことかもしれない。疲れた街とでもいうのだろうか。日本の当たり前の街角が、こんな奇妙な見方がされて、絵として表されていると言うことには、作者の目のすごさを感じる。
ものの色にこだわらない多様な色の爆発的な表現。この個性を是非とも次の作品に於いて、展開してみて貰いたい。



東条続紀(4室二点展示)
白い向日葵が幻想的に中央にある。その花に反映したように、モザイク的に色彩が広がりうねっている。相当な労作である。二点の表現も統一され、うねりが両者で反映していた。画面全体を分割しながら塗り込めている思いが画面を圧倒している。相当の描写力のある人だと思われる。画面に込められた執念を感じた。
その一方で少し絵画としての世界観への迫り方が足りないかもしれない。何をどう表現したいのかという説得力が不足しているかもしれない。一種画面敷面構成的な平板なものに見えるところがある。水彩画の濃度表現の違いを工夫したらいいのかもしれない。

吉岡一男(3室)
水彩画の人物画はなかなか難しい。どうしても表現と言うより、習作と言うことになりがちである。人間を通して何を表現するのかが重要なのだろう。背景の石積らしきものが、淡い表現で描かれている。その石の表現と人物表現とが、絵画として繋がらないところがある。
服の表現が良い。服の中に人体がある。布の質感が良く表現されている。
いずれにしても重要なことは人物の顔と手であろう。この顔が魅力的なものでない限り、人物画というものは成立しないのでは無いだろうか。


井上るり子(3室・二点展示)
作品として完成されている。相当に描かれてきた人でないかと思う。こういう人が初出品として、水彩人に出してくれると言うことは実に有り難いことだ。抽象画では無く、具象的な静物画の題材を抽象画的な処理をされていると言うことなのだろう。
その抽象的処理法に独特の世界観がある。

竹内よう子(2室)
実に巧みな構成の絵だ。ジグザグに上昇する空間の意識が素晴らしいと思う。草原に思いがこもっている。風景を見ている眼替えを描く目になっていると思う。






松島和代(5室)
画格が高い作品である。上品で良い資質を感じさせる。絵の方向は間違いが無くこれでいいのだと思う。筆触が実に美しい。手前の花の黄色にもう少し変化が欲しいところかもしれない。画面の隅々まで表現であると考えた方が良いのだろう。
青い色の屋根の家のたたずまいが何とも言えなく良い。それを取り巻き見え隠れする、木々の線描に素晴らしいものがある。このままどんどん進んで欲しい作品だ。


山本彩子(5室)
贅沢で静謐な空気感のある作品である。丁寧で上質な絵画だと思う。ものを表現する水彩画の方法を持っている。きちっとものを表現する力があるのだから、自分の世界の何をどのように描くべきなのかを意識して欲しい。表現の方向の明確さが必要だと思う。薔薇を描くという意味でははっきりしているわけだが、薔薇を通して何を表現すべきなのかということになるのだろう。

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絵を真似ると言うことと、絵を創作すると言うこと

2021-10-22 04:20:18 | 水彩画


 絵は真似から始まると良く聞く。子供のころ人の顔を見て描くことは出来なかった。顔には線はない。クレパスの絵の具には無い色をしている。しかし、顔を表す文字であるへのへのもへじは描くことが出来る。顔を描いた絵を見て顔の描き方に気付いた。

 それは図として描かれたものを、これが顔だと教わり、それに従い真似をすることは、見て描くとは別な行為で、それらしく顔が描けると言うことだけのことだと言うことを意味している。そこに描かれた図は実際に見ていると顔とは違ったものだったのだ。当然なことだが、それは顔という図であり絵ではない。

 絵は創作であると言うことに気付いていない絵が多いと言うことである。出来上がった絵を写して出来たものが大半だと思う。それは美術品ではあっても、芸術としての絵画とは関係のないものになる。このことはいつも重要なことだとおもっている。

 絵画の勉強というものは完成図を真似て描くというものであった。それは日本画の世界では今でも残っている。戦前までの学校教育の中の美術は、お手本の絵を真似て書く書画であるのが普通の方法と考えられていた。まだそういう世代の方がいくらかは残っているのではないかと思う。

 絵を学ぶと言うことは真似ると言うことだとまで言われる。確かに間違いでは無い。日本の絵画は創造性よりも、美術品としての完成度が問われるところがあり、磨き上げた装飾品と言うことが当たり前のものなのだ。そもそも日本の絵画は芸術と言うより、美術品だったのだ。

 美術品を作る職人としての仕事を、絵画作品として認めてきたのが日本の伝統絵画である。音楽で言えばクラシックの演奏家に近いのではないか。演奏家に作曲家を求めてはいない。絵画制作者に作品の創造を求めていないのが日本の絵画の流儀なのだろう。

 1000年間かけて出来上がった様式の絵画を模倣するのが絵を描くと言うことになる。これは今でも払拭されたわけでは無い。自分の中に知らない間にそういう絵の要領が入り込んでいるのが嫌だ。だから、絵を勉強すると言うことになると、デッサンからと言うことになる。ここでのデッサンとはそっくりに写す技術という意味である。

 明治時代の学校教育の美術では、絵を写すと言うことが授業内容であった。これは書道が書写とよばれ、出来上がった字を上手に真似ることが授業内容であるのと同じことである。芸術としての絵画はそういう物ではないという話は、それほど古い話ではない。岡本太郎氏はそのことを盛んに書いている。芸術は爆発で、床の間の置物や建具職人が作る襖では無いと言うことだ。

 創作するとと言うことは、未だかつてないものを作り上げると言うことで、職人仕事とはまるで違うものなのだ。まったく正反対というべきだろう。ところが、学校教育でも芸術の時間では無く、美術の時間であるように、出来上がった美術品を上手に真似ると言うことがすり込まれている。

 そもそも日本の美術学校の受験には石膏デッサンというものがあった。今でもあるのかどうかは知らないが、50年前のフランスの美術学校の入学試験を受けたときの実技にはデッサンというものはなかった。

 作品10点とスケッチブックの提出を事前に行う。その上で実技である。好きな画材を持ってゆき、一日かけて描けば良かった。当たりにいる受験生を見ながら教室を描かせて貰った。フランス人はこう言うときに、あまり気付かないものだ。

 私は隣に座ったまるで素人の日本人の絵もついでに描いてやった。完全な素人だったからだ。話していたらなかなか良さそうな人だったので描いて上げたのだ。絵は同じアパートの画家から借りて提出したと言っていた。カルトセジュールが欲しくて受験したと言っていた。

 何も無い教室のその場で絵を描くことが試験だった。入学してからもデッサンの授業はあったが、生の人間を描くデッサンである。デッサンの先生から、出来上がった作品の模造品である石膏の模写など何の意味も無い。生の人間から学ぶのだと言われた。生の人間がいつでも、それは夜でも書ける環境が準備されていた。

 ギリシャやローマ時代の大理石彫刻を模した、石膏像を本気で描けるというような人が、そもそも芸術家になれるのだろうか。高校生の頃からそれは違うとは思っていた。違うとは思っていても、結局そういう勉強をしなければ、日本では美術学校には入れないという不思議である。まあ、訳の分からない数学をやらないと、文学部に入れないのと同じである。

 ついでに書いておけば、古い中国の絵画の学習法は、石を描くことであったそうだ。石を描き、深山幽谷を探求するのだそうだ。岩の存在に向かい合い絵を描くと言うことを繰り返す。これは石膏像を描くよりよほどましかと思う。

 ものを写す力というようなものは自然と身につくものだ。描きたいものを描くことしかやらない方が良いと思う。デッサンからやるなど無駄だから止めたほうが良いというのだが、奇をてらってわざとそういう変なことを言うとしか受け止められない。

 デッサンなどやれば、大事なものが失われると本気で考えている。絵画に練習というようなものはない。すべて本番である。私は中学生の時にピカソの足を描いたデッサンを見て、この程度ならすぐ描けるとやってみた。世田谷学園の美術室には足の石膏像があった。デッサンの最初の経験である。自分では子供ピカソと同じ年齢で、同じ程度には描けると正直思ったのだ。

 ボタニカルアートで洋蘭を頼まれて描いたことがある。そう難しいことではない。絵を描いていれば練習などしないでもその程度のことは出来なければと思う。安野光雅流とか、いわさきちひろ流だって、やれないことは無い。ただそういうことは私の制作ではない。

 以前、イタリアの現代作家の絵を模写して自分の絵として発表していた人がいた。この人は珍しい人の珍しい絵を真似たので、盗作作家の烙印が押された。有名作家の富士山や薔薇を真似て描いていれば、盗作とは言われない。そもそも日本では絵とはそういう物なのだ。何とか先生張りの薔薇の絵はいくらでもある。またそういう絵が売れ来たわけだ。

 では私の絵は真似ではないといえるのかと言うことだ。創作には未だになっていないことは確かだ。直接誰かの絵を真似ていることは無いつもりだが、どこかですり込まれた誰かが作り出した方法を真似ているのではないかと言えないことは無い。

 どうやって創作に至れるかである。自分の眼が見ている顔を描けるかである。見ている顔は絵のようでは無い。ゴッホの描いた自画像、レンブラントの自画像、そのような顔では無い。鏡に映る私は、私の心を含んだ顔である。そ言う顔である事を知っているから、見えている顔をどう描けば良いのか分からなくなる。

 このよく分からないという曖昧さを描けるのが絵なのではないかと思っている。曖昧さの曖昧さ加減を探り続けているというか、結論など無いのかもしれない。こうかもしれない、ああかもしれない。このどうしようも出来ないものをそのまま描くほか無い。
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水平線が直線なのはおかしいのだろうか。

2021-10-21 04:07:31 | 水彩画


 先日水彩人展の会場で同人仲間から、笹村の絵は水平線がまっすぐすぎると言うことを言われた。その人は自分の絵を探して苦悩している。気になっていたことではあるので、有り難いことを言ってもらえた。こういうことを率直に言ってもらうために、水彩人展をやっているのだと思う。

 水平線というものは線という言葉で言われるように、線に見えることは見えるが、線では無い。空と海の境目である。山の端が山のあなたに続いているように、水平線は終わりを示しているわけでは無い。その向こうの海を見せなければならない。

 確かにできる限りまっすぐに水平線を引いてみている。何故絵画的と言われるような線は、定規で引いたような一直線では無いのかと言うことが気になっているからだ。まっすぐに見えているものをまっすぐに引いてどこで絵でなくなるのだろうか。線の向こうに続いているはずの海が感じられないからなのだろう。

 そう考えながら、一生懸命まっすぐに引いてみている。まっすぐでありながら、絵の中で収まって欲しいという感じがしている。水平線のまっすぐな感じはとても良いと思うのだ。絵の中では世界というものの基準線のようにも見える。

 このことが良く理解できたときにはまっすぐな線が絵として引けるのではないかと思っている。同じようなことなのだが、田んぼのイネを一本ずつ描いていては絵にならないと言うことがある。絵にならないとしてもきちっと1本づつ田んぼに生えているようにを描いてみたいと思っている。

 絵になる必要など無いのではないかという気持ちもある。絵になるという感じ方は、絵というものの先入観なのでは無いだろうか。未だかつてない絵というものに向かっているにもかかわらず、ついつい過去の絵らしきものに引きづられている。

 自分のやれることの限界までやってみようというだけなのだから、何も恐れることはない。自分の見ているものを信じるほか無いはずである。自分の目が水平線を見て、まっすぐであると思えば、それをまっすぐに描くべきだと考えている。

 確かにそれだと絵に収まらない。違和感がある。どうすれば良いのかと思いながら、見えている世界に従うしか無いと思う。出来ない理由は自分の技量が不足しているからだ。イネをイネらしく一本づつ描いて絵にならないのもまったく同じ理由だ。

 田んぼには水がある。水の底には田面が透けて見える。そこにはこけが生えていたり、虫の開けた穴などがある。その泥からイネは立ち上がり水面を突き抜けて地上に葉を延ばしている。さらに、その水面には空が映り込んでいる。雲が流れて行くこともある。風が田んぼを騒がして、すべてが揺れ動いている。

 田んぼという世界は実に複雑で微妙で、写真で性格にその表情をとらえることですら難しい。水の温度、田んぼの土の粘り。イネの葉の切れるような鋭さ。そうした総合として田んぼがある。その田んぼは自分の命を支えてくれる、食料を生産する重要な場でもある。

 田んぼを描く以上、そのすべてを描かなければ描いたことには成らない。そのすべてを描く技量が無ければ、描く必要のあることを描くことが出来ないはずである。田んぼの水面は難しいので避けると言うことでは絵にならない。水平線はまっすぐで強すぎたとしても、水平線として描かないわけにはいかない。

 何もかもが描ける技量があった上で、何をどう描くのかと言うことになるのだろう。水の透明かと空の透明感は異なる。絵はそれを透明に描くような幼稚なものではない。まったく不透明な絵の具で、不透明に描いているのに、透明な空と、透明な水が描けていなければならない。絵はそういう物だと考えている。

 絵というものは置き換える作業である。そうあると言うものをそうあるままに描くのでは、写実である。そうあるものを絵として置き換えて描いて、そのものを自分の眼を通して、それらしく描くのが象徴である。写実を一歩乗り越えるために、水平線は定規で引いた直線では無くなることもある。

 ただ、その意味も分からず、そう見えてもいないのに、絵面的にその方が良いと言うことで、絵の中に収まるような味のある水平線を引いて良いのだろうかと考える。まずは、まっすぐに弾くところからではないかと考えたわけだ。まっすぐ引き続けてすべてそれからのことだ。最初から変則的なゆがみから始めては成らない。一直線がいわゆる絵としてはおかしいのは当然であるが、絵はそこからしか始められないという気がしている。

 絵が進むと言うことは実に難しいことだ。普通は必ず後退している。他の人の絵を見ると、だいたいの人は年齢と共に後退していることが分かる。自分のことだと分からなくなるだけのことだ。若い頃の人まねをしていて、そのことすら気付かない頃の絵はそこそこ出来上がる事が多い。その時点で評価されると道を誤る。

 その結果自分の絵の模写を繰り返している内に、かつてないものを創作するという芸術の方角を失う。よほど新しいことをやったように思っても、大抵は前の絵を越えられない。自分の絵がよく分からなかったときの方がまだましな場合が多い。これは自分の悪口である。

 ある程度ましな人は人まねでは無く自分の絵を描こうとする。すると、おもしろくもない絵に普通は成る。その人のが自分の目で見たものだけで絵にするとすれば、それほどの世界観で無いのが当たり前だろう。それを背伸びして立派な風に見せかければ、上っ面だけの画面になる。

 つまり絵はここから本物になるかどうかだと思っている。絵は人と競べることなど出来ない。自分の見ている世界があるかどうかだろう。もし、自分の世界が見えるのであれば、その世界がつまらないなどと言うことは無いはずである。それは平凡であれ、特別では無い一人であれ、一人の人間であると言うことは掛け替えのない、ただ事ではないものだと思うからだ。

 私という存在が見ている景色は、間違いなく私だけが観ている世界だ。この世界は絵としてしか表すことが出来ない気がする。私の観ている世界を写真でとるようなことは不可能だ。この複雑で、捉えどころの無い、千変万化する眼の前の風景を、観念をふくめて総合としてその存りのまま描くのが絵だ。

 見ているものを、在りのままに描くと言うことは、自分の中の記憶や思考の総合で見ていると言うことだ。水は触れば濡れるとか、いまから風がすべてをゆらして行くとか、草いきれの立ちこめた匂いが充満しているとか、現実の眼には見えない物をふくめて描いている。

 そう考えれば、まったく水平線がまっすぐで良いかどうかどころではない。まだスタートの立ったばかりである。何も出来ているわけでも無い。これから挑戦して行くと言うだけのことだ。もう一度、目に映る世界を確認して、何をどのように描くのかを考えてみなければ。
 
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魅力度ランキングなど本気にしては

2021-10-20 04:00:32 | 地域


 群馬県知事が、群馬県の魅力度ランキングが下がったというので、訴えてやると記者会見で吠えていた。群馬県民としての気持ちは分からないでは無いが、ネットのランキングに一喜一憂するのは無意味だ。ネットでの人寄せの材料程度の、ランキングが横行している。

 怒るならこの根拠の無いランキングをニュースのネタにして、〇〇県がまた魅力度ランキングの最下位になったなど、時間つぶしのネタに使うようなテレビの報道のほうである。最近のテレビは調査能力がないから、ネットから適当な面白ネタを拾ってきて垂れ流している。まったくテレビ報道の自負心が無い。

 石垣島では連日のように石垣市が11位になったと報道している。一位が札幌市で二位が京都市である。これは行ってみたい場所ランキングというようなものかもしれない。暮らしたい街ランキングならまだ分からないでは無いが、まさか札幌市に暮らしたい人が一位というわけも無いだろう。それなら人口が減るようなことは無い。

 ネットをよく見ている人なら、馬鹿馬鹿しくてそんなことで怒ったりするはずが無い。知事ともなると忙しくて、ネットサーフィンどころでないので、こうしたいい加減なランキングがどれほど適当な作りなのか分からないのだろう。良い方だけうまく利用すれば良いだけのことだ。

 幸せ度ランキングなどと言うと、自分の地域はどのくらいかなどとつい比べる気持ちが湧いてくる。本格的な調査も無いわけではないが、ネットに出回るだいたいのランキングは実体など何の関係も無いような安易な調査である。石垣市の市長がどれほど問題人間かなどランキングには出てこない。

 ついちょっとクリックしてみようかという気持ちを呼び覚ましさえすればいいだけのものだ。企業コマーシャルを入れて、アクセス数を稼いでいるにすぎないものが山ほどある。つい引っかかって、無意味な誘導に乗せられて10以上もあるページを最後までクリックして読んでしまうことがある。

 いったい誰が仕組んでいるのか、購入した子犬が熊だったという話を延々と興味を繋ぐ文章にしてあるだけの無意味なものをついつい二回も読んで仕舞った。結論を書いてしまえば誰も読まないので、いかにも次の展開を読みたくなるように、何なのか、何なのかと読みつなげて行く、書き方はうまい。次のページをクリックさせる技術を競っているのだ。

 最近はまたあれかと思うから引っかからなくなったが。ネットというものは一見おもしろそうな記事を次々とたどってしまうものだ。例えば、円安に関して読み始めると、それに関係するだろう記事に飛べるようになっている。ついついサーフィンになる。

 こういう記事は有料ものが多い。だから、途中でお代を請求されたところで終わる。さらに、無料で読めるものはないか、他をあれこれ探してみる。さらにさらにと、ついつい読みつなげて行く。そのうちなるほどという記事に当たることもある。そうした記事を載せているものをブックマークしておく。

 サーフィンの波をかき分けている内に、興味のありそうなランキングというものが割り込んでくる。多くの人が競べると言うことが好きなのだろう。特に住みやすい街ランキングというものは目立つ。先日読んだと思うのだが、一位だったか、上位に白山市が入っていた。

 白山市は 河内村、吉野谷村、鳥越村、尾口村、 松任市、美川町、鶴来町、白峰村、が合併して出来た新しい市だ。河内村に美術部の友達が住んでいたので、どんな場所だかよく知っている。鳥越村には大学の寮があった。ここに行ってスキーをよくした。

 鶴来の街は独特の雰囲気があって住みたいくらいに好きだった。50年前に歩き回ったことが何度かある。白山神社の独特の杜がいい。最近も懐かしくて行ってみたが、50年前の山の中の街というような賑わいの感じはなくなっていた。

 これらの地域をひとまとめにして白山市と言われてもどうもしっくりこない。魅力度と言われてもどこに焦点を当てているのか混乱してしまう。山村らしい魅力がある。水田地帯の良さがある。当然そう言うのでは無い気がする。人口の増えて都会化した松任や三河の街場の方だけを見ているのだと思う。整った住宅地である。

 群馬県はランキング下位で怒ってしまったらしいが、ランキング下位に関しては上位以上に根拠の乏しいひどいものだ。まったく怒るにあたら無い。それでは上位だけを示せばいいようなものだが、下位グループの方が案外に興味を引くので、下位の方まで発表するのだろう。

 こんなもの誰も本気で読んではいないだろう。作るがわもそこそこの程度の意識である。だけれども、当事者となると別の気持ちで読むことになる可能性がある。魅力度が低いと名指しで言われれば、気分は悪いのは当然のことだ。

 これが魅力のある温泉ランキングで、群馬県の草津温泉が一番になればついつい気分が良くなる。根拠は同じぐらい適当なものであれ、上位に関してはいかにも根拠があるかのように受け入れてしまうのだろう。ところでこの魅力度ランキングで一位だったのは北海道である。

 一帯北海道のどこが一番になるほど魅力があるというのだろうか。私ははっきり群馬県の方が魅力を感じる。北海道は寒くて暮らしにくいナンバーワンかと思う。だから人口減少が大きいのだろう。白山市だってそうだ。ジトジト雪の頃を考えたら、暮らしにくい場所としか思えない。

 日本海側の県が人気が案外にあるが、暮らしたことの無い人の意見に違いない。鳥取とか島根とか、素晴らしいところだとは思うが、暮らすには大変なので人口減少が進んでいると思うのだが。まあ、白山市には友人が多いので悪くは思っていない。第一中川一政美術館がある。

 気にしてつい見ているのは日帰り温泉ランキングである。この二年間は行かなくなってしまったが、絵を描きに言っては日本全国の日帰り温泉に入れて貰った。一日絵を描いて、日帰り温泉に入る。まさに極楽である。あちこちで入れて貰ったが疲れが取れる。石垣島のホテルでも入れてくれるところが、二つあるが、温泉では無い。

 コロナが収まったらば、アトリエカーで全国日帰り温泉巡りの写生旅行をしたい。まず福岡に車を送っておいて、車をと合流して全国の日帰り温泉に立ち寄りながら、絵を描くつもりだ。来年の9月頃なら可能になっているだろうか。

 石垣の田んぼが終わり、水彩人展の前後である。この頃なら小田原の稲刈りでもある。うまく日程が組めれば、是非行きたいものだ。行ける体力がある間に是非とも行きたい。この時には全国日帰り温泉を踏破するつもりだ。そして、オリジナルの日帰り温泉ランキングを発表したい。

 
 
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衆議院選挙はアベ・スガ政権の評価で投票

2021-10-19 04:33:54 | Peace Cafe

 いよいよ、衆議院選挙である。なんとしても今回の選挙で自民党政権を終わりにしなければならない。これほどコロナ対策に失敗しても、選挙で選ばれるのであれば、あの地獄のようなアベ・スガ政権の対応のまずさを認めたことになってしまう。スガ氏が粘らなかった所は残念だった。

 先ずは立憲民主党に期待するほか無い。自民党と公明党以外であれば、どこでもかまわないわけだ。今回の選挙の判断材料は日本の方角がおかしいと言うことになる。野党に力があるかないかの以前の問題である。アベノミクスと言う格差社会をなんとしても終わりにする必要がある。

 桜を見る会のアベの身内優遇の不愉快。モリカケの説明責任。そしてダメ押しのような学術会議の任命拒否事件。どれもこれも既得権とお友達を優遇する腐った政権の姿が浮き彫りになった。この背後には、政治家一族達の、どうしようも無いしがらみがはびこっているのだ。そういう腐れ縁を一度終わりにする必要がある。

 アベ・スガ政権の是非を問うのが今度の衆議院選挙である。岸田政権は10日天下に過ぎない。看板を掛け替えても、料理人も経営者も同じお店だ。味が良くなるわけが無い。自民党の中には人間をダメにする体質が、はびこってしまった。議員を出世だと思い込んだ連中がしがみついているだけだ。

 岸田さんは鵺に取り込まれて、人間を止めさせられ、人形になって総裁に就任した。まさか行ったことも無かった靖国神社に真榊奉納とは、驚いた。岸田さんは既得権益集団の圧力に飲み込まれたのだ。その靖国神社という踏み絵を踏んだのだ。これからが期待できないことは明白になった。

 お金儲け以外に価値観の無い連中の言いなりにさせられたのだ。岸田さんにも弱みがあるのかもしれない。こんなにもあっさりと自己主張のすべてを取り下げて総理大臣になったのでは、何もまた出来ないだろう。スガ氏の辞めさせられ方を見れば、よく分かる。岸田さんが自分の意志で何かやろうとすれば辞めさせられるに違いない。

 アベ氏の辞めさせられ方だって同じだった。アベ氏は木偶人形であった。言いなりになっている間は使われる。自分の意見を言えば、終わりである。アベ氏が総理大臣が出来ないような病気になったとは、とうてい思えないだろう。今になってみれば、コロナで無能な総理大臣だった責任など全くなかったかのように、意気軒昂である。

 スガ氏は二階氏との権力闘争の末の首のすげ替え。自民党の総裁というのは暗闇の世界で選ばれている。鵺勢力にしてみれば、既得権をどの首なら守れるかだけだから、暗闘をしているに違いない。高市氏を見れば分かるように靖国神社に参拝しますなどというのは何かのシグナルなのだ。今後も木偶で行きますからよろしくと言うことなのだろう。

 選挙で自民党を選ぶ人は既得権益の人だけである。得をするから自民党を選択するのだ。あとの人は騙されて、得をするかもしれないと思って投票してしまうのでは無いだろうか。上級国民以外に得などさせてくれるはずが無い。それくらい、日本の選挙は損得だけで判断されているように見える。

 「立憲民主党が総選挙で政権交代を果たした場合に、初閣議でただちに決定する事項」として7つの項目を発表した。

 1つめには補正予算の編成を初閣議で指示をいたします。
 2つ目には新型コロナ対策の司令塔を設置をいたします。
 3つ目にはすでに概算要求などが出ております2022年度予算編成の見直しを指示をいたします。
 4つめに日本学術会議人事で、任命拒否されている6名の方がいらっしゃいます。この初閣議でただちに任命をいたします。
 5番目にスリランカ人ウィシュマさん死亡案件における監視カメラ映像と関係資料の公開を決定をいたします。
 6番目にいわゆる「赤木ファイル」の関連文書の開示を決定します。
 7番目に森友・加計・「桜」問題真相解明チームを政府に設置をいたします。

 どれもこれも当たり前に早くやるべき事だ。やるべき事をやらないで通してきたのが、アベ・スガ政権の特徴だった。実際にやっていることは国民には説明が無い。説明できる理由が無いことばかりだから、うじうじしているだけだった。鵺は逆らう奴はとことん追い落とす。

 沖縄を八重山諸島を中国へ向けた、ミサイル基地列島にするなど、何の説明もなかった。これは日本国憲法違反の、平和主義を逸脱した敵基地攻撃である。こんな重要なことすら、ごまかしごまかし進めてしまう。しかも最近ではこのミサイル基地を、アメリカの前線基地にすると言うことまで見えてきた。

 いったい、沖縄県のアメリカ軍基地の負担軽減などと空言を言っていたのはどこのどいつだ。基地負担どころか、沖縄は日本の防人になれという差別だ。沖縄の基地負担はさらに深刻になっている。しかもそれに関して、地元石垣島での説明など何もないのだ。当事者である島民は無視されている。

 岸田政権はこの七つの内の一つ足りとて、やれないしやらない。この七つをやれば、正義の光が当たり、闇の中だけでうごめく鵺の命に関わることになるからやれないのだ。原発利権がその象徴である。原発を止める方が日本全体の利益であるにもかかわらず、踏み込むことが出来ない。

 日本で新しい産業が生まれないことも既得権勢力の存在である。日本が新しくなることを押しとどめているのだ。日本はかつては半導体生産で世界をリードしていた事がある。日本が最初に切り開いた産業だった。ところが今や台湾、中国、韓国で生産されていて、日本は取り残されてしまった。何故そうなったかを考えるべきだ。

 かつての日本の電気メーカーは半導体工場を持っていた。ソニーであれば、ソニーの工場で生産した半導体で電化製品を作ろうとしていた。ところがどこの電気会社も半導体の専門メーカーになることが出来なかった。そうしている内に、競争から脱落を始めて、海外企業に買収されて行く部門になってしまった。

 これに対して日本政府の産業政策はまったく無策で何の手立てもうつくことは無かった。米インテルのCPUなしにパソコンもサーバーもスーパーコンピューターも動かないと言う結果になっていた。出だしは良かったにもかかわらず、日本政府には半導体を日本の産業の中心にして行く展望も、経済政策も無かったわけだ。
 
 今も日本の展望を持てないのが自民党政権である。そして落ち目の既得権と連携して、上級国民の立場の維持に躍起になっているだけだ。今自民党議員を落選させることが、一番日本の為になる。先ずはそこからである。革命をやるときに、革命政権が頼りないなど当たり前のことだ。ともかく悪い連中を潰すことからだ。

 
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石垣島が移住に最適な理由

2021-10-18 04:02:13 | 石垣島


 都市から地方への移住を希望する人がいくらか出てきている。たぶん、一定の数にとどまり、地方の消滅を防ぐというほどの流れは起きないだろう。相変わらず都市一極集中は続くと考えておいた方が良い。地方でも中心の都市はある程度集中が進むのだろうが、全体としては日本の人口減少は続いて行く。

 どこか地方でのんびりと暮らしたいという人はいるだろうが、そののんびりの場所は石垣島が日本で一番である。実践してみた結果そう思うのだ。まず、人口が減少してゆく場所に引っ越すことは避けた方が良い。人口が減っていない場所で無ければ移住先としては展望が持ちにくい。これは言いにくいことだが、移住の肝心なところだ。

 人口減少地域ではどうしても社会的インフラが不足してゆく。病院が統合されたり、学校が閉校されたりしてゆくだろう。お店もなくなるかもしれない。道路は壊れても直されないだろうし、橋など老朽化しても直すことが出来ないことになる。生活の最低限のものが失われて行く可能性が大である。日本の社会は膨大な借金の中で進まざる得ないのだ。

 日本のこれからの時代は様々に質素堅実にならざる得ない。そうした時代の経験の無い人達には辛い時代と言うことになる。特に地方の社会は税金不足になり厳しくなること間違いない。そんな時代の中でも、人口が減少しない地域がある。沖縄である。石垣島である。子供の出生率も日本では高い方だ。

 こういう地域で暮らしていて嬉しいのは、街の至る所で子供の声がすることである。街角のあちこちで、子供が遊んでいる。子供がいる街はどこか気分が明るくなる。そういう場所に混ぜてもらえるだけで、有り難いことだ。年寄だけの地域への移住は若い人ならまだしも、年寄は避けた方が良い。

 移住先を探し歩いていた40年前。伊豆高原の別荘地に行って驚いた。年寄だけなのだ。これは大変なところだと思った。こう言うところでは暮らせないと思った。結局はあれこれ探した末に、まったく人のいない山の中で開墾生活を始めた。誰もいない方がよほど良いと言うわけだ。若ければ人が居無くても耐えられた。今は無理だろう。

 地方であり、出来れば観光客がたくさん来るような場所が良い。観光客が来ると言うことは都会的な利便性がある程度そろっていると言うことになる。小田原と石垣島とどちらが買い物に便利かと言えば、石垣島である。石垣島の方がものがそろっている。

 北海道と沖縄は税金が他の地域よりも多く使われている。どのくらい多いのかは分からないが、そうだろうと思われる公共施設を見かける。税金を投入しても沖縄と北海道は支えてゆかなければならないという、政府の考え方がある。

 沖縄及び北方対策特命担当大臣と言うものがいるぐらいだ。今の担当大臣はガールズバーで政治活動をしていた西銘さんだ。石垣島が選挙区である。どうも情けなくなる。選挙対策で大臣になっただけなのだから、落選して貰いたいものだ。

 石垣島に住んでいると、中国が攻めてくるので速く逃げた方が良いだろうと本気で忠告してくれる人が時々いる。中国のことは比較的よく知っている方だと思うが、台湾には軍事的侵攻をしても、日本に軍事攻撃を仕掛けることは無いと判断している。尖閣の問題はあるがこれを解決しないのは日本政府の、中国敵視政策の理由作りに過ぎない。

 石垣島に来て三年である。コロナの時代になってしまったのだが、石垣島に来て良かったと思うばかりである。これ以上に良い選択は無かったと思う。沖縄本島や宮古島も見て歩いたのだが、なんとなく石垣島の方が気性に合っていた。色々の所から来た人がまぜこぜのところが良い。

 八重山合衆国という言葉があって、石垣島に古くからいるという人でも本島から来た、宮古から来た、台湾から来た、そういう人がほとんどである。江戸時代から先祖は石垣島に住んでいたという人は、今のところ一人しか直接は知らないぐらいだ。

 外部の人になれている。慣れているから、抵抗が少ない。抵抗がないわけではないようだが、そういうことには鈍感な方なので、よく分からないぐらいの程度だ。こんな鈍い私でも宮古でははっきりとよそ者感覚がしたものだ。宮古もきれいな人口増加中の島だが、少し違う気がして石垣島を選択した。

 歩いて行けるところにスーパー、ホームセンター、コンビニなどがあるかどうかが条件だった。家から5分ぐらいで、それらのお店はすべてある。自動車でなければ買い物が出来ない場所は除外して考えていた。郵便局、農協、銀行、書店、古本屋、たまには行く場所は10分範囲にある。映画館もあったのだが、残念ながらコロナの御陰で閉鎖された。

 次には病院が重要である。病院は小田原市立病院と同じ程度である。但し、新しく建てられた美しい病院である。たぶん設備も少しは最新機器が導入されて良いのかもしれない。感触としては良いところと悪いところがあるが、この病院で特に困ると言うことは無いと思えた。まだ利用させて貰ったことは無い。

 先日はついに、皮膚科の専門病院にかかった。御陰様で治った。眼科の病院もかかっている。これは小田原の病院よりずっと熱心である。聞けば質問に答えてくれる。当たり前のようだが、小田原の眼科は説明が不足していた。皮膚科のお医者さんは飲み薬を二つ出すと言われたので、ステロイドは飲みませんと言ったら、取りやめてくれた。

 眼に関しては沖縄大学病院で見て貰ったが、とても良いと思えた。普段何しているのかと若い先生から聞かれたので、絵を描いていると話した。「眼のことは真剣ですね。」と先生に言われた。こんなことを眼科医に聞かれたのは初めてのことだった。

 石垣島には様々なライブハウスがある。コロナでしばらく行っていないが、行こうと思えば毎晩どこかでライブが行われていた。これはビギンの島石垣島の最大の特典では無いだろうか。石垣島祭り、街角コンサート、トゥーラバーマ大会、音楽イベントは盛りだくさんである。これに出掛けていればあきることが無い。

 レストランや島料理の店も豊富にある。食べ物が美味しいのだ。魚介類は新鮮で特に美味しい。その上に石垣牛である。食べ物に関しては他のどの地域にも負けないレベルだと思う。台湾にはちょっと負けるが。ホテルのレストランもあるし、世界中の料理を出す様々なお店がある。コロナの前はけっこう食べ歩きをしていた。いつも混んでいて、予約をしなければ入れないくらいだった。

 何か石垣島に引っ越して困ったことが無かったかと言えば、一つだけある。絵のマットを切ってくれる額屋さんが無いことだ。さすがにこれは仕方がない。小田原に絵を持って行ってお願いするほか無い。画材屋も無いが、これは通販で済むので、問題が無い。画廊とか、絵の展示場所も無いが、無い場所で良かったと思っている。小田原でも絵を描く人と関わりたくないと思っていた。地域という関係で絵を描く人と関わることは私には出来ない。絵については思ったことを口にしてしまう。

 改めて考えてみても、石垣島ほど移住に最適な場所は無い。この素晴らしい自然環境と水田がいつまでも残されて行くように、できる限りの事はしたいと思う。それが移住させて貰った島へのお礼である。
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第78回 水彩画 日曜展示

2021-10-17 04:41:12 | 水彩画

第78回 水彩画 日曜展示






465「島の岬」
ファブリアーノ 10号
2021.9






466「楽天地」
ファブリアーノ 10号
2021.9








467「森の中の明るい場所」
ファブリアーノ 10号
2021.9






468「天竜峡」
ファブリアーノ 10号
2021.9







469「島の夕暮れ」
ファブリアーノ 10号
2021.9





470「多古漁港」

ファブリアーノ 10号
2021.9





471「石垣の空と海」
ファブリアーノ 10号
2021.9





472「石垣の海」
ファブリアーノ 10号
2021.9






473「秋田の村」
ファブリアーノ 10号
2021.9







474「西表島を望む」
ファブリアーノ 10号
2021.9


 色々の風景を書いているが、今見ている眼前の風景を描いていても、それは記憶の中の風景である。写真の風景もあれば、他人の絵の記憶もある。そしてそれらの総合として、自分のいままで観てきた世界の記憶がよみがえってくる。

 ここにも秋田の村という絵がある。秋田の村の風景に一番近いと思ったのでそのような題名にした。本当にある場所の風景なのだが、別段どこでも良いとも言える。ただこの絵は山形でも、岩手でも無く、やはり秋田の豊かさを感じさせる農村の絵なのだ。

 石垣島の風景を描いていても、同じことで、伊豆の海を思い出していることもままある。軽トラックが港に泊まっている姿が目に焼き付いていて、現われてきた。もちろん石垣島でも軽トラックは好きだから、よく見ている。

 記憶の中の風景の方が、生々しい絵の上の現実である。それは学生の頃に、落ち葉を拾って描いていた。それをリアルに描いてみていたのだ。ところがどれだけ正確な絵にしても落ち葉らしくならない。落ち葉を捨ててしまい、頭の中に残っている落ち葉を描いてみた。そうしたら強烈に落ち葉だったのだ。人間が見ているものは、カメラのように目に映っているものだけではない。写真の落ち葉では、落ち葉では無い。

 絵に於いての見ていると言うことは記憶の集大成だと言うことに気付いた。木の葉は春に出てきたときの柔らなかなものだ。夏には生き生きとしたみどりそのものになり、あきに成って落ちる。葉が落ち葉になるには時間というものが伴っている。絵は時間をかけて出来上がった落ち葉を描いているのだと思う。

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