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米価高騰続く

2025-04-10 04:25:58 | 稲作


 お米は緊急放出されると言うことだった。高値が続く理由が見えてこないため、備蓄米を21万トン放出して、価格を下げようという政府の考えだった。本来なら昨年の夏にやるべきことだったのだが、政府はやらなかった。その責任を認め国会で農水大臣は謝罪した。

 遅れたわけだが、やっと緊急放出した。緊急放出されれば、いくらかは下がるという予想もあった。入札が行われ、すべて落札されたが、買ったのは90%はJA農協であった。商社、業者は備蓄米には興味がなかったらしい。どういうことかと言えばすでに農協以外は高値で買い付けていると言うことらしい。

 そして、3月末にはスーパーに並ぶと言われていたものが、4月に入ってやっと出てきたところである。10日にはどこにでも並んで、十分供給されると言うことだった。10日になったが、まだそれほど並んだようでもない。何故これほど時間がかかるのか。

 明らかに市場に出ることを遅らせている意図がある。出さないでも下がり始めれば、政府が買い戻すという条件付きだ。この買い戻しは買った量を買い戻すと言うことのようだ。何故そんな条件がつくのかがわからない。政府はどのみち、100万トンは備蓄するつもりなのだろう。

 農協が本気で価格を下げようと考えれば、すぐにでも下げられる。当たり前のことだが、在庫のほとんどを農協が持っているのだから、その出荷一気に行えば良いはずだ。農協の倉庫が空になったところで、政府が責任を持つはずだ。お米は国の安全保障である。

 供給量次第で下がるのは当たり前だ。しかし農協は高値で売りたいのが当たり前だろう。商売で仲買をやっているのだ。わざわざ高値で儲かっているのに、下げようなど思うはずもない。農協は商売で、お米の販売をしているのだ。

 一番儲かる形で販売する義務が農家に対してある。それが出資者に対する義務。組合員として農協へ出資貯金よりも貯金よりもかなり利回りが良い配当金がある。私も出資者の一人である。と言いながらも、米価格は農協のためにも、下げた方が良い。

 農協動き次第で下げも出来るし、上げも出来る。今のままが農協には良いようにも見えるが、それは間違いだ。日本生産のお米離れが起こらるだろう。輸入米がそこそこ食べられるものになっている。先日小田原で渡部さんが見つけてくれた古米の台湾米を食べた。

 一応は食べれる。外食で使われていたら、そんなものだと思える味のものだった。1キロ367円だかの関税を払い輸入しているのだ。日本産米は1キロ800円だから、台湾でキロ400円以下のお米なら、採算が合うと言うことになる。台湾のスーパーのお米はもう少し安い。

 この後のアメリカは相互関税だそうだ。日本は米の関税を下げざる得ないだろう。米の関税を下げて、農家に対する個別補償方式にせざる得ないだろう。農家がなくなれば、食料の全保障が成り立たなくなる。農家を残すことは自動車が売れないとしても守らざる得ない。

 農協には高止まりしている米価はありがたいことに違いない。一日でも長く高止まりを保ちたい。それで備蓄米がスーパーに並ぶのをあれこれ言いつのり、遅らせてきた。全く恥げもなくこういうことをやるのだ。政府は強制力を持って、動向の調査をしなければダメだ。

 農水省によると、23年度の民間輸入量は368トンだったが、24年度(1月末時点)は991トンにまで急増している。民間輸入の場合、関税が1キロ当たり341円かかるが、関税を払った上で価格に上乗せしてもなお、1キロ当たり800円程度の国産のコシヒカリなどより割安になる。

 備蓄米が21万トン放出されて、米価が下がるのかどうか注目された。私は下がらないと予測していた。予測が当たったかどうか、4月に入ればわかると思っていたが、予測通り下がらなかった。しかし、輸入米が入ってくれば、下がるのかもしれない。この関税利益は備蓄米購入費になるのだろうか。

 放出備蓄米の50倍も輸入される輸入米が、これからの米価を左右するものになるだろう。日本にはトランプはいないから、もう今まで以上にあげる関税カードはない。米はどこかで投機のために隠されていたのではなく、やはりそもそもお米は足りなかったと言うことになるようだ。

 これは大問題だ。日本の劣化が農水省の統計にまで及んだと言うことになる。中国の様々な統計数字がでたらめだと常々主張してきたのではなかったか。日本の場合は意図的にと言うより、能力低下で正しい数字が出てこなくなったのと考えた方が良いのだろう。情けない。

 トランプは農産物の関税を撤廃すれば、自動車の関税も下げてやると言うはずだ。関税は下げざる得ないことだろう。政府はその代わり他の形で農家の補償をすることになる。その補償の仕方は、日本の農家の生産性を上げるための補助金にしなければならない。

 日本でも最近はかなり生産性の高い農家は出てきている。しかし生産性が低くてもかまわない農家がかなりある。私などもそうだ。手植えで苗を植えている。こんな農家のお米は産業とは言えない。生産性が低すぎる。政府はこうした小さな農家については、産業としての農業から外すべきだ。

 産業としての農家には、稲作においてもアメリカのお米に負けない努力をしてほしい。実は私は出来ていると考えている。カリフォルニア米の2倍くらいならば、日本のおいしいお米を食べたい。今回食べさせて貰った台湾のお米でもさすがに毎日は食べたくない。

 価格が2倍でも日本のお米は国際競争力のあるお米だと思う。私の作るお米は4倍でも十分国際競争力はあるだろうが、これは自給用だから販売はしない。最高級の寿司屋のシャリは、回る寿司の何十倍だが競争力がある。日本のお米の生き残り方はある。

 小さな農家だって、十分国際競争力のある物語性は作れる。それぞれが努力すればの話だ。実際にはどうしようもない片手間農家も沢山ある基本的には基本的には関税を下げて、自由貿易に加わるべきだ。小さな農家の価値は、多様なのだ。

 小さな農家の生き残り方を政府は示すべきだろう。日本の環境のために、特定の中山間地の稲作りを行うことを補償する。稲作を行うことを戸別補償する。自給用の新規参入のための環境整備も行う。里地里山の保全もその条件に加える。自然保護であり、景観保護であり、災害対策である。

 一方で大規模農家には、世界に対抗できるだけの技術力と、機械力のある農家を推進して貰う。日本でそういう農家が育たないはずがない。そうした素晴らしい百姓魂を見てきた。政府は関税を下げる代わりに、農家の方向性を示すべきだろう。
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米価高騰と備蓄米放出

2025-03-17 04:20:56 | 稲作

 畦の畑のレモングラスに穂が出た。

 米価高騰が起きて、やっと農水省が備蓄米放出を決めた。農水省は応札を10日に締め切り、12日までに落札業者が決まり。13日に落札結果が出た。15万トンのうちの14・2万トンが落札。60キロあたりの平均落札価格は2万1217円だった。 平均落札価格は税込みにすると2万2914円で、直近1月の業者間取引価格(60キロあたり2万5927円、税込み)をやや下回った。 

 これは決して安いという価格ではない。ここには古米も混ざっているし、聞いたこともない銘柄も多かった。3月下旬にはコメが店頭に出回る見通しではある。銘柄米はそれほどは下がらないと思われる。以前農水の予測の中には放出することを決めるだけで米価は下がると言うこともあったが間違えである。

 放出が決まってからも米価は下がるどころが3月初めになってもまだ上がっている。多くの業者が米価は備蓄米放出では下がらないとみているのだろう。業者は昨年の米の収量の実際をもう少し少ないとみている。10キロ5千円を切るようなことはない。6千円ぐらいまで下がるかどうか。

 月内に残る7万トンと今回落札されなかった0.8万トンが競売に出されることになる。その頃には備蓄米が市場に出回るだろうから、次の落札価格こそ、この後の米価の動向を表すことになるだろう。ここでも大きくは下がらないとみている。

 キャノングローバルの山下さんによると、「JAと農水省がついている限り、米価は下がらない。」という意見である。私はもう少し違う考えだが、下がらないとみている。理由は実際に昨年の稲作の経験から、農水省発表のお米の収量がおかしいと言うことを感じているからだ。

 昨年の作況指数があまりに高すぎる。平年作と言うことが言われていたが、あの暑さで平年作はあり得ないはずだ。作況指数の発表でがっくりきたのだ。まさかの100の数値であった。少なくとも小田原では平年作どころか、95ぐらいの不作の感触である。

 田んぼをあちこち見て回って、全体に良くなかった。だから後から、(最後の作況指数は大分後になってから発表される。)作況指数が農水から発表されたとき、平年作100は信じがたいものだった。古い人間のせいか、まさか農水のお役人が嘘をつくとは思えなかったので、あれこれ考え込んだ。

 稲作りをしていたら、当然のことだが、誰でもその年の稲作を総括する。何が良かったのか、何が悪かったのか。そして来年に備えるわけだ。昨年予想外に不稔が多かった。それなりに立派な穂だったし、稲わらの量は例年並みだったのだが、案外脱穀してみると収量が悪かった。

 1等米は減るのではないかとみていた。所がそうでもない結果が出たので、不思議でならなかった。自分たちの田んぼの何が悪かったのか、非常に迷うことになった。有機農法は慣行農法よりも、高温障害に弱かったというのが、あのときの挫折感の中の、私なりの結論だった。それでもいろいろ疑念は残っていた。

 作況指数を決める人の能力が下がっているのではないだろうか。と疑った。この頃日本人はどの分野でも、おしなべて能力の劣化が起きている。今まで測定していた人が、退職して測定の基準が変わったのではないか。あるいは高めに出すようにという指示が農水から出ていたのかもしれない。などと穿った見方もしたくなる。

 その後どこかへお米が消えたという話になった。消えたのではなく採れていないのではないだろうか。と考えざる得なかった。想像以上の量が隠されているのであれば、農水が放出すると言うだけで、相場が下がる可能性も確かにある。しかし、未だ隠されていると言われるお米が出荷されている形跡はない。

 米価格は今のところは下がらない。隠されているのではなく、ない可能性が出てきたのかもしれない。いずれにしても農水省にお米の流通全体を把握する仕組みがすでにない。と言うことだけは明らかになった。これでは主食米の農業政策を決めることは難しいことになる。官僚の能力の低下もあるのだろう。
 
 石破氏が農水省の対応を激怒していると言うことらしい。減反政策を批判したようだ。減反政策は建前ではなくなっているのだが、違う形で実質減反政策は続いている。この点では報道の劣化である。農水の減反政策廃止発表を鵜呑みにして、垂れ流したのだ。

 石破氏の持論は食糧自給率60%である。是非とも手を打ってほしいものだ。農地の大規模農家への集約はまず必要だ。主食であるお米の収穫量に不審がある。これでは食料安全保障の根幹が揺らぎかねないだろう。お米は確かに高いが、今ぐらいの価格が生産コストから言えば妥当な価格である。

 これは小さな農家の生産コストからの感想だ。日本には生産コストが違いすぎる農業が2系統存在する。この高値が続くなら今年もお米を作ろうという稲作農家さんは多いと思う。廃業する人も減るはずだ。それは良いことなのだが、それだけではすまない。

 100ヘクタール以上の大規模企業農家への、農地の効率的な集約には障害にもなる。農水の政策としては、小さい農家が営農を認められる農地を限定すべきなのだ。税制と環境支払いで対応すれば良い。生産性の回復をしなければ、ならないのはどの分野も同じことだ。

 この価格が妥当な生産価格だとするのは、日本の小さな稲作農家にとってということになる。100ヘクタール以上の大規模農家においては、生産費がかなり下がるので、もう少し下がっても経営できる。小さな稲作農家は地方創生にも関係してくるので、止めてしまうと違う問題が出てくる。

 米価格とは別に、地域割りをして個別補償をすべきなのだ。守って貰いたい農地を決めて、そこで耕作する人には生活可能なだけに費用を上乗せする。それは環境保護費用と考えれば良い。その代わり、その地域で行う農業は有機農業に限定して貰う。少なくとも使って良い農薬を限定的なものにする。

 大規模農家と小規模農家を棲み分けをすることだ。百姓を続けたい人たちには、是非とも中山間地で、里地里山の維持管理もやって貰う。その地域で暮らしてくれれば生活して行けるというだけの、戸別補償を行う以外に方法はない。

 いわば小さな農家が、日本の国土保全隊である。消防団や子供見回り隊なども兼ねる。地域維持の隊員でもある。もちろんそれが嫌な人はやらないでもかまわない。ただ戸別補償はない。中山間地には自給農業地帯を作り、無償で農業機械を貸し出す。自給的農家には、子ども手当や、教育の補償を考えて行く。

 暮らすことが出来る中山間地を作らなければならない。贅沢な暮らしが出来ないでも良い。いわば最低限の生活保護世帯の補償で良い。半農半国土保全である。自給農家に条件不利な地域の農業を続けて貰い、国土の保全を行って行く。もう一度日本が人らしくあった里地里山を作り出して貰う。

 日本がどこを目指すのかである。能力主義の日本はもういらない。安寧の国日本である。今回の米価高騰はこの国の危機を表している。官僚の能力の低下。報道の衰退。政治の方向性の喪失。世界の危機への対応が遅れに遅れている。まず食べ物の確保だけはしなければならない。

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米はどこに消えたのか。

2025-02-24 04:28:32 | 稲作


 今コメの値段が倍にも上がったので、あれこれ言う人は多いが、正しい見解と言えるものは極めて少ない。消費者向けの報道ではあるのだろうが、あまりに表面的で調査報道とまでは言えない。違っていると思うことの方が多い。歯がゆい。お米は消えたのではなく、あちこちに分散され、保存されている。この夏にさらに上がるのを待つ人がいる。

 コメの増産について、政府は今なにも言わない。21万トン備蓄米を減らして、そのあと21万トンを買い戻すという。この秋に収穫するお米は少なくとも、21万トンは増産しなければならないということだろう。もう田んぼの準備である。政府の増産政策は全く聞かない。

 実際の稲作をしたことがない人は、どうしても百姓の気持ちがわからない。それで、お米の値段が倍になって、これで稲作が続けられるかもしれないと喜ぶお百姓さんの気持ちはわからないだろう。お米の値上がりを待って、抱えている農家の気持ちはわからない。農水のお役人には間違っても分からない心境である。お米はこのくらいが生産に見合う価格である。これならコメ農家は減らない価格である。

 単なる経済のなかの一つの生産物としてコメの価格の倍増を捉えるために、おかしな見解ばかり出て来ている。日本人の主食なのだ。どのように安定的に確保するのか。世界の食糧事情や日本の貿易立国の中で、日本のお米の生産費がバカ高くなってしまった原因をどうするかの問題なのだ。

 お米などアメリカから買えばいいというのが、政府の浅はかな本音なのだ。菅元総理大臣は国会答弁で国際競争力のない農産物は止めてもらった方がいいと言い放った。トランプと同じである。世界は仲が悪いのだから、経済戦時下に甘っちょろいことは言ってられないというのが本音なのだ。

 政治をやる人や評論家の人は、おかしな空想論をでっち上げることがままある。山下氏というコメのことを良く主張する評論家は米価格の高騰の原因を農水省が昨年のコメの生産量について、実数よりも多く公表していている。実際にはお米の生産量はもっと少ないために、すでにお米が足りないので価格が高騰している。と書いている。

 農水のお役人を遠回しに数値偽装を主張している。まさかのことである。農水省がなぜ米の生産量を、過剰に公表する必要があるのか。まさかここは中国ではないし、北朝鮮でもない。そしてロシアでもない。集荷のトレサビリティーがあるのだから、大きなずれを起こすことはできないはずだ。

 昨年、平年作だったというのはおかしいというのは、私が実際にお米を作って感じたことではある。本当に平年作だったのだろうか。小田原でこれほどとれていないのは初めてだった。なぜ神奈川県が作況指数が100なのか不思議でならなかった。有機農業でやっているために、気候変動に弱かったのかと考えている。

 有機栽培が多い縁故米や自給米の世界はお米が不作だったことは確かだ。農の会のお米のように、世間の流通とは関係のないお米が案外にたくさんある。故郷のかあさんが、都会に出た息子や孫ににお米を送る。そうした経済と関係ないお米の生産量が案外にあるのではないか。

 こうしたお米は心を込めて作っているから、孫が元気に育ての思いでお米を作る。農薬や化学肥料を使う人は少ない。これが不作だったのは間違いない。そうした、農水省が把握しきれないお米が瑞穂の国にはかなりあるのではないか。自家消費米に対する、直接買い付けの動きが起きている。この販売が税金逃れもあり、闇になる可能性はある。

 そうした小さな農家のお米は、作況指数が実際もっと低い可能性はあるかもしれない。農協の集荷が減少しているというのもある。縁故米的に農家からお米が流れ出てゆく場合、把握しきれないかもしれない。作付面積についても、農水省がすでに把握できていない可能性はないともいえない。数値偽装ではなく、把握しきれなくなっているということではないか。

 例えば小さいとはいえ、のぼたん農園の田んぼは石垣島の稲作面積には、入れられていないだろう。届け出たことはない。ただ私は自家消費を含めて、わずかなコメ収入として、誇りの表現として税務申告はしている。絵など売れないでもいいが、お米は自分の努力の表現だ。

 牧場だったところに田んぼを作った。それを届けるような制度はない。田んぼに入れていても、実際には作っていないところはある。沖縄ならば、2期作を昔はやっていたが、今はやっていないという所もあるだろう。これも届けはしない。農協も行政も耕作面積を完全には把握していない。まず本当の日本のコメ生産量を把握する必要があるのだろう。

 小田原は異常気象の影響をもろに受けた。化学肥料や新しい耐暑性品種ではそれなりに出来たのかとは思っていたが。私たちの作る「さとじまん」は明らかに高温障害の影響を受けた。古い品種は苦戦している。有機農業は晩稲の人が多い。晩稲は今無くなりつつある。

 農協が把握していない。また行政の補足ができていない、有機農業や自家消費農家は10%ぐらいはあるのだろうか。それが去年の場合は20%に倍増した可能性が想像できる。故郷の実家にお米のことで頼んだ人も多かったし、親心で高くなったというお米を一生懸命送ったおじぃーもいるだろう。トイレットペーパー騒動と変わらない。一人が倍買えば、市場からお米は消える。

 政府がコメ流通を自由にすれば、コメ相場が復活すると言われた。その通りの予測されたことが起きているに過ぎない。米も統制から外れたのだ。このコメ相場に農水も加担したのだ。何故昨年8月に備蓄米を放出しなかったかは間違いである。半年以上の遅れである。農水は意図的に売り惜しみをして、高値誘導をしたのだ。

 備蓄米の放出を政府が売り惜しみをすれば、みんなが売り惜しむということを農水の役人頭では想像できなかったため、よりお米は出回らなくなった。もう少し待てばさらに上がる。農水は売ると言ってから実行までに数か月かかるのだ。売る最善の時期は相場師なら頃合いを図っている。

 農水省はその名前の通り、農業者側に立っているのだ。当然そうでなければ困る。お米の価格が上がるのは当然喜ばしいことなのだ。だから備蓄米の売り惜しみをした。また相場師や転売ヤーや大型農家はそう見ていたので、それぞれに備蓄した。

 問題はこの先である。21万トン放出されて、一時は下がるだろうが、コメの総量は決まっているのだから、また値上がりが必ず来る。お米を保存しているのは冷蔵倉庫である。値上がり分以上にお金がかかるから保存などできないということをいう人がいるが間違えである。

 お米の冷蔵倉庫を利用させてもらったことはあるが、15程度である。ネズミや虫の入らない密閉した部屋にコメを満タンにして冷房機を入れれば、15度に下がる。これで玄米なら保存はできる。籾保存すればさらにいいだろう。誰にでもできる安上がりの保存方法がある。

 小さな部屋に10トンのお米を入れておける。そんな農家の人が1万人いれば、10万トンである。さらにお米の上がる秋を待てば高値で売れる。備蓄米の放出は一時の効果である。思い切ってやるなら、アメリカからのお米の輸入である。もしかしたらこれが政府の本音なのかもしれない。

 トランプは喜ぶだろうが、そう簡単に21万トンのお米を輸入はできない。あのタイ米輸入の再現であるが、どの程度日本がおコメを買えるのか。私の判断では無理だと思っている。世界は食糧不足なのだ。世界全体が異常気象なのだ。

 と言いながら実は、解決策は簡単なことだ。何故誰も気が付かないのか不思議だ。勉強不足だ。緊急対策として飼料米を今年の作付では止めることだ。飼料米の補助金の停止だけで解決である。石破総理は農水大臣をやり、減反廃止論者だから、分かっていながらそのことに触れない。

 飼料米を転作すれば、すぐ飯米の量が回復する。令和5年は飼料米は14.2万ha作付けされた。稲作の面積は 135万9,000haである。1割ぐらいは飼料米であるとすれば、すべてを飯米にすることが緊急対策になるはずだ。まだ今なら間に合う。

 いま休耕田云々を語る評論家が多いいが、今この問題を語っている場面ではない。それではもう間に合わない。休耕田問題の解決は時間がかかる。農業従事者の減少。企業的農家の問題など様々が関係して来る。
ああ、ここで嘆いても仕方がないが、残念である。


 
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米が高くなった本当の理由

2025-02-15 03:59:34 | 稲作
3番田んぼの畦の畑。

 米価格が上がった。もう少し上がれば、補助金なしに米農家の経営が可能になる。こんなことを書けば、食料品の値上がりで、食事を減らさなければならない人もいるのに、怒られそうだ。しかし、お米の価格が初めて、需要と供給の関係で価格が決まりかけている。

 結論から言えば、お米も普通の食料品になったと言うことになる。野菜と同じに価格は動く。高くなれば生産する人が増えるし、安くなれば生産が減少する。お米は保存が利くから、相場的な商品になる。政府が関わらなければ価格は操作される。政府は重い腰を上げて備蓄米の放出を決めた。

 これからの備蓄米の放出は困難を極めるはずだ。どのぐらいの米価が適正なのかが、決まっていない。備蓄米の出し入れで、米価格を政府が決めると言うことが出来るのかどうかである。多分難しいはずだ。米相場のようなもので、流通も政府の動きを見越して、出荷調整をするはずだ。

 米は安すぎた。それは政府が戦争中に作られた食管法でお米を管理してきたからだ。食管法は1995年廃止はされたが、その後の30年かかり、やっとお米の価格が自由競争で決められるところまで来た。この30年政府は農家の顔色を見たり、消費者の顔色を見たり、何の方向性のないままここまで来てしまった。

 それは瑞穂の国日本の幻想との戦いだったのかもしれない。確かに食糧自給率38%の国では、どうにも不安でならない。この状況で米が足りないとなれば、米価格は当然上がる。米はまだ他の食品に比べれば安い。何しろ作況指数が100程度が続いていて、つまり冷害や高温障害でなく、米は生産量が減少している。

 主食米の生産量は1967年が1425万トンあった。その後減少を続けて、半減した。2022年727万トン、2023年661万トン、2024年で669万トン。ということになる。お米を昔の半分しか食べなくなったので、消費量が減少した。

 いよいよ、昨年はお米が足りなくなったのだ。その理由には問題がある。考えてみる。外食が増えたかもしれない。海外からの観光客の増加もわずかは影響しているだろう。丼物がふえた。弁当やおにぎりやお寿司を購入することが多くなった。中食の増加で、ご飯のたくさん入った弁当などを買う方がまだ安いと言うことがある。

 スーパーに遅く行って、値引きされた弁当を買って、2食分にするという話を聞いた。確かにスーパーや弁当屋の弁当は500円で、私ならば2食分の量がある。最近の弁当屋のお米は半値のアメリカからの輸入米を混ぜて使うという話である。食費が上がり、米食が復活しているかもしれない。

 食料品の全体の値上がりで、高くなったとはいえまだ安いお米の需要が増えたと言うことが考えられる。日本食はブームである。インバウンド丼やお寿司などという、ご飯ものを沢山食べてくれる。この消費も外食産業の米の購入に、いくらかは影響している気はする。

 外食産業は稲作農業法人と契約栽培を増やすだろう。直接地方の稲作農家から米の集荷をする人が現われていいる。トラックで小田原あたりでも農家に回ってくるという話を聞く。こうなると売り惜しむ農家も出てくる。お米が相場商品になりかかっていると思われる。

 農協などの集荷業者の集荷量が21万トン減少したから、政府は21万トンを来月半ばに放出することにしたという。言い方が素人いやお役人様のようだ。相手は相場師と考えなければ。価格が安定するまで放出を続ける。と言えばいいのだ。量など決めたとしても黙っていた方が価格が落ち着く。

 なぜここまでお米の生産量が減ったのかと言えば、飼料米に対して政府が奨励し補助金を入れているからだ。飼料米は適当に作れる。石垣でもずいぶんひどい作り方をしている田んぼが飼料米である。作りぱなしでほったらかしだから、補助金が出なかったなど言われた田んぼもあった。

 飼料米への転換は減反政策の延長のようなものである。いざというときにまた主食米に戻れるという所が狙いだったわけだ。しかし、田んぼの中に草だらけの手抜き田んぼが交ざってくると言うのでは、あまり良き影響ではない。むしろ、大豆小麦の輪作奨励の方がいい。

 米、小麦、大豆、空けて、また米と回せるのではないか。水稲-麦-大豆-麦の2年4作体系 というのもある。うまく回して2年に一回水田化して作れば、土壌にも悪くないし、除草剤の使用量も減らせる。しかし、これには高い農業技術が必要になる。捨て作りというわけにはいかない。

 大規模農家に輪作技術を習得してもらい、奨励してゆくのが、望ましい農業政策ではないだろうか。大規模農家は機械化が出来る。大型自動運転の機械に補助金を充てることも必要だろう。輪作の難しい技術体系も企業的農家ならば、可能である。農薬も化学肥料もかなり節約できるから、価格高騰への耐久力も上がる。

 大型農家であれば、米の価格変動にも直売方式の契約販売で、安定した価格で販売が出来る。飲食店などの購入側にもメリットが出てくる。これからお米は消費量との関係で価格変動してくる。政府の統制する商品ではなくなった。それは野菜などと同じに、やっとなったということにすぎない。

 飼料米の補助金を大幅に減らした方がいい。小さな農家が飼料米を作り、補助金を狙う。こういう形で存続してゆくことは望ましくない。稲作農家は地域全体で動いている。飼料米をやるということは、主食米を作る全体の稲作農家への影響も出てくる気がする。

 米価格の高騰は、農林水産省の米価格に対する考えの甘さが一番の原因である。米価格の値上がりは小さな農家を救うと政府が考えたに違いない。小さな農家が農協の一番の構成員である。農協の圧力に政府が負けたと言うこともある。

 備蓄米の適切な放出で、価格を安定させなければならない。昨年夏お米が急騰を始めたときにすぐに放出すれば、緩やかな上昇で収まっていたはずだ。そして今年の作付けが増えるように、飼料米の補助金をすぐにでも減らさなければならなかったのだ。

 同時に輪作農業を企業的農家に奨励していくことだ。正しい農業政策をしていれば、今回のような異常な高騰はあり得ない。政府の主食に対する考えが足りなかったのだ。適正な米価格でなければならないことも考える必要がある。正しい米価格は企業的農家が補助金なしに、世界と対等に経営できる価格である。

 その意味では小さな農家の生き残るための米価格は考えない方がいい。そして小さな農家の農地が大規模企業農家に、自然な形で移行してゆくことを進めなければならない。そして小さな農家は特殊解を求めるほかない。棚田米とか、有機米とか、自然米とか、求める消費者を自ら掘り起こす農業である。

 農協は大規模農家にとっては不要な組織になる。農協は小さな農家の特殊解を手助けしてゆく組織に生まれ変わる必要がある。機械の貸し出しや、ファーマーズマーケットの経営。新規就農者の支援と指導。純粋に農業者を支援する協同組合になるべきだ。

 日本のエンゲル係数はこのところぐんぐん下がっている。戦後すぐは66.4%だった。お米を沢山食べた時代だ。1970年代には30%程度だった。その後改善して23%ぐらいになった。ところが2024年には28.3%にまた上昇している。韓国はなんと17%。

 日本がしみじみ中堅国になったと実感できる。エンゲル係数の高い理由を異常気象のためなどと説明する向きもあるが、とんでもない。長かった地獄のアベ政権の間違った農業政策の結果である。企業農業優先の政策の中、主食農業をどうするかという政策がなかったのだ。
 
 
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農家が減った後どうするか。

2025-02-14 03:56:33 | 稲作

のりさんと石川さんの7番畑

 農家は減る。小さな米農家は成り立たない。コメ農家は大型化すべきだ。大型化して独自の販売ルートを持つような、農業企業中心にすべ水田の水田の農地は集約して大型化する必要がある。それがコメの生産コストを下げる一番効率の良い方法である。

 日本の企業が生産性が低いということで問題になっている。それは農業も全く同じで、一度世界一の生産性の高い農業になったことから抜けられない。勤勉で、洞察力の高い百姓に支えられた伝統的日本農業は、日本人を作り出したほど地域に根付いた生き方そのものだった。

 その完成した世界が変れない成功体験となっている。世界全体で見れば、農業も大型化して企業的経営に変わっている。中国は日本以上に農家の経営規模が小さく、その結果生産性が低い。企業的農家の出現が遅れていることが、中国の農村の貧しさにつながっている。

 農家の減少は政府の政策にかかわらず起こる。平均年齢が70歳の分野の仕事である以上、急減は当然起こる。人口減少の上に、肉体労働は嫌われている。大型化された稲作機械農業が登場することは必然である。5年先にはその傾向は顕著化しているはずだ。75歳の平均年齢の産業などありえない。当たり前すぎる結論である。

 農家が減少し、農地が集約されていくことは、何もしないでも起こる流れである。今米価が高止まりしている。誰かが行っているのではなく、コメの流通業者にしてみれば、ここで一儲けしようと勝負をかけているともいえる。政府が今の政策を続ける限り、米が足りなくなるのは現実のことなのだ。米価格については次のブログで考えることにしたい。

 政府は備蓄米の放出をしないとしていたのは、米価格を高値誘導しようとしたためである。未だに自民党にはそうした農林族の生き残りがいる。所が最近の食料品の値上がりで、さすがに高すぎるという国民の怒りに、我慢できず放出することにした。

 しかし、今のところ日銀と同じで口先介入だから、米価は下がらない。本当に下げたいのであれば、一日も早く放出すればいいだけである。なぜ、のろのろしていて、緊急行動しないかといえば、コメ農家や農協がいい顔をしないからだ。

 当然のことで農協は小さなコメ農家の保護者なのだ。大規模企業農家は農協とは関係が薄い。自分で脱穀や精米もする。販売ルートも持つものが多い。しかし数としては小さな兼業コメ農家が多い。自民党農林族議員と、農協の良いお客さんでもある。

 その小さな兼業コメ農家、あるいは年金コメ農家、あるいはアパート経営コメ農家は、米の販売価格はボーナスのようなもので、それで生計を立てているわけではない。むしろコメの経費赤字分が、税金対策になっている兼業農家も多い。だから、80歳でも儲からないほうがいい農家を続けていられるのだ。

 しかし、そうはいってもさすがにこの農業の構造も終末期に来ている。企業農家の拡大は必ず起こる。企業農家は様々な政府の補助金を受けながら、規模拡大を続けている。それは国の安全保障に直結している。基本的な主食の食糧確保ができない。
 
 小さな農家はどんどん減少する。それは地方の消滅に直結する。100人でやっていたことを1人でやることになるのだ。100ヘクタールの経営農家と1ヘクタールの農家では、生産効率がどれほど違うか。生産コストは半減するはずだ。

 大規模農家を育てる政府の考えは正しいと思う。同時に大型化できない農地をどうするかも考える必要がある。特に中山間地の水田農業には様々な環境維持能力がある。地方の中山間地に人がいなくなる現実が、何を起こすかは考えておかなければならない。

 水田農業は基盤整備が行われている農地と、なにもされていない農地とがある。なにもされていない昔ながらの農地は、自分で水源を確保して、水路の整備、ため池の整備、農道の確保。里山の管理までの、地域の基盤を支えている側面があった。

 それが一切なくなった時を想像すると、日本の自然災害はさらに厳しいものになるに違いない。美しい日本が失われるという、耐え難いことにつながる。大規模化は進むべき方角としても、同時の日本の自然や里地里山を管理維持する新たな仕組みを考える必要がある。

 石垣島に来て思うことは、島という社会の単位は、日本の縮図なのだと思う。今ここで書いてきたようなことが、5万人の人口の少し閉じた社会の中で、先行して実験が行われているような気になる。大型化農業の方角。小さな農家の消滅。島全体の総合管理の問題が起きている。

 畜産に起きている輸入飼料の高騰から、子牛の価格の下落が起きている。一方で肥育畜産では、牛肉価格が高騰している。一時石垣牛は島内の需要に生産が追いつかないほどだった。サトウキビの補助金農業の限界も見えてきている。

 石垣の農業の解決策の模索は、日本の農業の未来の模索と重なって見えてくる。例えば、自給飼料の畜産農家、特に肥育農家の場合は、痛手が少ないので切り抜けられるかもしれない。やはり石垣の農業は観光に直結する形が重要になるのだろう。

 農業法人による、稲作の大型農業が何件か出てきている。果たして、人手不足の中どこまで大型化が可能なのだろうか。100ヘクターまで進むだろうか。そして、自給を考える市民の登場。のぼたん農園もその一つであるが、最近、そういう希望の相談をよく聞くようになった

 経営ができる稲作大型農家と、経営が関係のない市民的自給非農家に二分してゆく。そして小さな農家は、特殊解でのみ生き残るだろうが、全体としては消えざる得ない。石垣島で起きていることは日本全体に当てはまることだろう。

 日本ではアベ政権があまりに農業政策に無知で、無策に過ぎた。農業を輸出産業にしようとして、主食の稲作を軽視した。その結果だいぶ危ういところに今ある。大規模化が遅れた。機械化も遅れた。農業者数も激減した。農業の生産性が、世界で起きている革新に追いつけない状況になった。

 その結果、地方の社会は維持できないことになった。一次産業の生産性の低さ、特に主食である稲作の生産性が低すぎるのだ。確かに1ヘクタール以下の小さな農家は一年に1か月働けば、稲作農家は可能だといわれている。いわば内職状態ののままなのだ。生産性云々の埒外である。

 しかし一方で、中山間地の基盤整備されていない農家は、放棄してゆく稲作の基盤の維持で、限界にきている。そうした場所から農家はやめてゆく。それは大規模化してゆく農家にとって、対象外の農地なのだ。それを維持することが環境維持に重要だとしたらどうすればいいかである。

 経営に関係のない、非農家の市民が楽しみで自給農業を行うほかない。1万円で120キロのお米が手に入る共同自給である。この市民自給と地方の行政が協力し合う以外に、中山間地の自然環境の維持はできないだろう。市民自給には行政の協力が不可欠なのだ。

 機械の貸出制度が必要である。精米や製粉や加工場の準備までは行政が行うべきだ。おにぎりを作り販売するとしても、個人ですべてを整えることは無駄が多すぎる。機械も個人が持つよりも、共同利用のほうが合理性がある。製粉や加工には専門知識も必要になる。

 そして農地利用の法整備も必要になるだろう。非農家利用可能な農地の指定がいる。税金や無償貸出制度の整備がいる。所有者との権利調整なども行政の仕事である。農家を減らしたほうがいいが、大規模農家が利用しない農地の、非農家利用の道を開かなければならない。

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イネ作りコロガシを行う意味

2025-01-06 04:00:12 | 稲作


 一番田んぼ2回目のコロガシをやった翌日の状態の写真。現在、縦横縦横と4回のコロガシが終わった。今年は1週間置きに縦横を行い、4週間で8回のコロガシをやる予定。田植え2週間後に1回目を行った。土壌がゆるくて、深くて大変だった。回を追うごとに、土壌も安定して楽になった。

 今年の1番田んぼのイネ作りは12月15日の田植えで始まっている。現在20日が経過して、イネは7葉期から8葉期になっている。今やらなければならない作業は中耕除草のコロガシである。コロガシとは田車で土壌を攪拌して歩くことである。

 田車によるコロガシの目的は大きくは2つある。雑草の初期除草と土壌を攪拌して酸素を入れることである。特に機械による深い代掻きは土壌を攪拌しすぎていることが多い。そのために土壌が還元かしやすいことになる。深い代掻きを生かすためには、コロガシを行い酸素を供給し、土壌を還元化させないで、好気性発酵に持って行かなければならない。

 コロガシというと、転がして田んぼに田植えのための線を引く木製の古い農具もある。線引きをするのは今はこのコロガシではなく、櫛の大きなような農具の方が、早く正確に引けるので、農の会では大櫛線引きで田植えの線は引いている。紐でやる人も居るが、大櫛の線引きで線を引いた方がはるかに早くて合理性がある。

 コロガシは自給のイネ作りでは必ずやらなければならない作業である。除草という意味だけならば、草が生えてこなければやる必要はないのだが、田んぼの良い土壌を維持するためには不可欠である。石垣の田んぼはあまり雑草は生えないので、その意味ではコロガシはやらないでも良い。

 しかし酸素を含んだ活性化した土壌を作るためにはコロガシを8回行う。江戸時代には転がし8回は言われたと書かれている。鍬で荒起こしを行い、代掻きを行ったために、土壌は今よりあらい。そこで何度もコロガシを行い、土壌を細かくすることで根が土壌に広がった。トラックターで代掻きをした場合のコロガシ8回の意味は少し違う意味になる。

 田んぼでは稲が終わった後には、緑肥が蒔かれていたり、刈り取った後の稲藁が撒かれている。稲の刈った後の根のついたイネ株もある。特に石垣島の「のぼたん農園」の田んぼでは、1年3回の収穫をするので、稲わらなど3回分が田んぼの表面にすべて撒かれている。これをすべて漉き込み肥料にする。その他堆肥なども、収穫前に撒く。

 実際には強烈な日射のためにとろけてしまうものも多いのだが、それでも田んぼの地表に多く積み重なっている。さらに、アカウキクサ型医療に発生している。そのすべてを、代掻きで土壌の中に漉き込むことになる。これが稲の肥料になって行く。有機物が肥料になるためには、良い発酵をさせなければならない。ここが肝心な所だ。

 良い発酵を促進するためには土壌の中に酸素を入れる必要がある。攪拌しないで居ると、土壌の中の酸素が使われてしまい嫌気的な発酵になる。メタン発酵になることもある。そこで攪拌し酸素を含んだ水を土壌の中に入れてやる。すると良い発酵状態になり、土壌が活性化する。

 実際にコロガシをすると、その翌日には稲がピンと立ち上がることが多い。その翌日には葉色があがってくる。黄色っぽい緑から、一段階緑が濃くなる。田んぼ全体を見たときに緑が濃くなる。この感じをよく観察して覚える必要がある。コロガシ効果は速効性がある。もしそうならなければ何か問題が起きている。

 コロガシは稲が根付いたら早く行う。手植えで5葉期前後の苗を田植えした場合は、1週間後くらいが普通である。一日目に縦を転がす。稲がある程度安定しているようなら、翌日横を転がす。そしてその1週間後に2回目のコロガシを行う。やはり、一日目縦、翌日横と行う。

 できれば、これを田植え後の4回行うことが基本になる。何故4回、縦横を考えれば8回も行うかと言えば、それくらいの良い効果を経験してきたからだ。田植え後頑張ってコロガせば必ず田んぼの稲は良くなる。転がして良くならなかったことはかつてない。

 コロガシを行えば根を切ることになる。稲は田植え後1ヶ月ぐらいの間は、根を切ることは良い効果を生むことになる。初期の根は切られることで分根をし、より根量を増やして行く。それが分ゲツの増加に繋がる。しかし、最高分ゲツ期以降は田んぼに入らない方が良い。上根が田んぼ一面に張り始めている。この根は切らない方が良い穂を作る。
 
 田んぼの表面には日光が当たり、光合成細菌などの微生物が沢山生息を始める。そして、トロトロ層が形成されて行く。この微生物が作り出す肥沃な土壌を地中に入れることで、稲の肥料にすることが出来る。田植え後1ヶ月ぐらいの間、時には2ヶ月ぐらいの間。稲に肥料与え、分ゲツを促進する意味でコロガシを行う。
 
 またコロガシをすると、水田の水が濁ることに成る。濁り水が田んぼの土壌をよくする。米は田の土をかきまわすことによって収量が増 すのだといわれている。合鴨農法などは濁り水農法である。濁り水の方が微生物の増殖が進むのではないかと推測している。

 コロガシは畝取りをするためには欠かせない作業になる。しかし、民間稲作研究所の稲葉さんのように全くコロガシなどしないで、有機農法で畝取りをしている方も居るのだから、イネ作りは総合的なもので、それぞれのやり方で進めるほかない。田んぼの土壌の作り方が違うのだ。

 私のやり方は自給が目的で、できるだけ外から持ち込まずにやる農法である。田んぼで肥料まで生産して行くやり方である。以前はひこばえ農法はやっていなかったので、緑肥農法であった。今はアカウキクサを肥料とする農法を目指している。まだ、アカウキクサを十分に繁殖させるところまで完成はしていない。すこしづつ見えてきているところだ。

 コロガシで良い土壌を作ると言うことは、具体的にはどういうことになるかと言えば、田んぼを荒起こしをして、その後代掻きをする。土壌の中に大量の腐植が漉き込まれることになる。その有機物は微生物によって発酵して分解する。酸素があれば好気性菌による分解になる。

 分解して行くことで稲が必要とする肥料になる。可給態と呼ばれる吸収できる肥料分に変って行く。それと同時に、土壌が攪拌され、水の通りが良くなることで、深くまで酸素が入って行く。稲の根が酸素を呼吸し出すことが出来るようになる。酸素によって発根が促進されることになる。

 土壌を反転、攪拌して新しい水と混ぜ合わせることで、肥料成分を可給態(稲が吸いやすい形)に変える。水面にあるアカウキクサが土壌に漉き込まれることで窒素分を地中に漉き込むことが出来る。その窒素分を稲が吸収できる形の窒素分に、発酵作用で変えることができる。

 雑草があり、それを埋め込むことが出来れば、それも肥料分になって行く。堆肥などを追肥で入れるとすれば、入れた後転がすことで、土壌と堆肥が混ざり、良い土壌を作ることになる。田んぼには落ち葉や藁や雑草などを表土に入れて、馴染んだ段階で転がして漉き込むと、土壌の腐植を増やすことが出来る。

 特にひこばえ農法の場合、1年に3回の収穫を行うのだから、かなりの肥料分が必要になる。その肥料を田んぼで生産しながら、イネ作りを行うのだから、何らかの形で、追肥をして行かなければならない。追肥とコロガシを組み合わせることで、効果的な土壌作りが可能になる。
 
 コロガシを行うときには水をどのようにするかを考える必要がある。流し水でおこなうのが基本となる。また深水で行う場合と、淺水で行う場合とがある。雑草やアオミドロなどが地表や水面に有り漉き込みたいときは、淺水で行う。アカウキクサを漉き込むときは完全に水を落としてコロガシをする。

 以上のようにコロガシは、様々な意味で、効果の高い土壌をよくする作業なので、必ず行いたい。稲が元気になる初期の田んぼで行う、唯一の方法と考えて良い。
 
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農業者の時間給は630円

2024-12-03 04:46:27 | 稲作


 日本は食料自給が何故出来ないのかの理由は、農業者の減少が一番の原因だろう。何故農業者が減少しているかと言えば、収入が低すぎると言う当たり前の理由になる。農業は産業として成立していないのだ。特に主食作物、米作りはそれが顕著である。

 お米は近年一人当たりの消費量が減少して、かつての半分くらいしか食べなくなっている。これは戦後の学校給食でパンを取り入れたことによる、食生活の変化が大きいのではないか。まず学校給食を米飯急速に戻すことから始める必要がある。

 老齢化した年金農業者か、補助金農業者ばかりが増えている。新規就農する人の中には、就農補助金をもらうために、形ばかりの新規就農をする人も多数存在した。農業者が農業収入だけでは生活できないのでは問題である。スマート農業や企業農業で農業の生産コストを下げなければならない。

 国民皆農も考える必要がある。自給農業の推進である。中山間地の条件の悪い農地は、自給農業者が耕作する。生産コストを考えないでも構わない、農業を楽しみとして働く人が行う。農地を色分けする必要がある。条件不利農地は使いたい人すべてが使えるようにする。

 そして一番の問題は、日本の農業を支えてきた普通の農家はこれからさらに減少することにある。肥料や燃料費が上がり、営農としてはどうにもならない状況である。少しぐらいお米の値段が上がっても、生産コストの必要経費の値上がりには到底届かない。

 日本の実質賃金は長年目減りを続けて、最低賃金が1000円をやっと超えた時代である。OECDの中では最低水準で16位である。これでは企業に勤める労働者が暮らしていけないと問題化している。農業者の場合平均時間給が630円になると出ていた。専業農業者は生活困窮者になる。

 農業だけでは生きていけない。兼業農家が多い理由である。兼業の方が主たる収入になり、農業の赤字が税金を減らすので、農業で利益が出ないでも止めないでいられる。これが年々農業者の年齢が上がって行く主たる理由である。アパート収入の税金を減らすために、農業をしている。

 若い人のことを考えたら、到底農業を始めるなど、考えにくい状況になる。ではよその国はどうしているかと言えば、食料自給を維持するために農業者に補助金を直接払いしている国が多い。補助金を出さないで、食糧自給を達成している経済先進国はない。

 今から45年前になるが、フランスにいたときにドイツで農業をやっているという人と友達になった。その人はある期間だけナンシー大学に勉強に来ていたのだが、ドイツの出身地の農地を維持しているだけで暮らして行けると言っていた。

 ドイツは農業者が急激に減少したために、農業者の増加のために地域が荒れ果ててしまったのだ。そこで農業をやりさえすれば生活できるという条件を作ったらしい。そうしたら減少していた農業者の数が増加に転じて、ドイツは食糧自給ができるようになったと言うことだった。

 日本は主食農業など止めれば良いと総理大臣が発言するような、国の安全保障の根幹を理解いない国なのだ。だから、農業は産業としては崩壊した。しかも国も対策を打ち出さないまま、ここまで来てしまった。日本は気候的にも水環境も恵まれた国である。農業政策の方向は諦める必要はない。

 対策は三つある。まず、政府が今も示している、大型企業農業が中心のものとして重要である。生産コストを下げるためには、農地の合理的な利用方法である。まだまだ、中途半端な状況だ。農地の集積や労働者の問題も農業企業と言えるほど合理化されていない。

 トヨタや三菱商事のような農業大企業が生まれなければダメだろう。日本全体の農地の50%以上をそういう大企業が利用するようになる必要がある。そこまで出来れば農業の生産性も、世界水準に改善されるはずだ。たぶん総合農業会社で有り、畜産と野菜と米などを総合的に回して行くようになる。

 新規就農者は農業大企業に勤める人が中心になる。給与も商社に勤めるのと同等の賃金にならなければダメだろう。日本の農地の条件を考えれば、オランダなどより遙かに良い農地だ。日本で出来ないはずが無い。政府が半導体企業に出資するのと同じくらい力を入れなければ出来ない。

 そして、自給農業の奨励である。何故自給農業が必要なのかと言えば、国の安全保障である。企業が利用できる農地は競争有利な農地である。しかし、野市が維持されることは、環境のためには重要なことになる。水田ダムが言われるが、農地が人間の生活環境を維持している部分が大きい。

 そして新しい人間の生き方が自給農業にはあるからだ。自給農業で食糧を確保する。そのことで自由な職業の選択が出来るようになる。好きなことをして生きるという人間らしい生き方を出来る、基盤が出来ることになる。食糧自給は一日一時間の労働で可能である。私の40年の体験の結論である。

 1日一時間肉体を使って働くことは健康のためにもとても良いことだ。そして自分で生産したものを食べる。これほどの地産地消はない。SDZSにかなっている。健全な精神を維持することが出来る。本来の人間らしい暮らしがそこにはある。そして好きな仕事をすれば最高である。

 中山間地の環境が自給農業で維持されれば、国の経済としての合理性もある。だから、国は自給農業の農地の時代を負担する。環境維持費用だ。国が農地利用をしない農地所有者に費用を払う。あるいは農地所有者から、購入する。自給農業者が自由に農地を使えるようにする。

 そして最後に今の農業者はどうなるかである。自分の畑を国に貸して、あるいは農業企業に貸す。自分は農業企業に就職すると言うことが一つの選択である。農業者は新しく企業に入る職員の指導をする立場になるのだろう。長年のその土地での農業経験が生きることになる。

 そして、ご先祖から受け継いだ農家として経営を続けたいという人には、直接払いを行う。営農で生活できるだけの収入を保障する。機械の協働利用や周辺農家との連携を作り、ネットワーク農業を受け入れて貰う。小さな農家のネットワーク化で合理性を模索する。

 この三つの農業形態をそれぞれに模索するべきだ。生産効率の良い、企業農業。地域を守る小農。そして、自給農業者。
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石垣島で4つの田んぼでひこばえが実っている。

2024-10-09 04:04:36 | 稲作

 今年石垣島の田んぼではひこばえが穂を付けているところがある。優劣はあるが、4箇所で実っている。品種はミルキークイーンだそうだ。ひとめぼれはだめなようだ。理由は例年どこの田んぼも稲刈りが終わると、一段落した頃、秋起こしをと言うか、夏起こしをして耕してしまう。そのためにひこばえは出ることがない。

 それは昔はどこも行っていた2期作の準備でもあるのだが、今は2期作はしないので、田んぼは耕されてまた春を待つことになる。多分そういうやり方が踏襲されきたのである。しかし、たまたま今年耕さなかったところがあった。遅れて耕そうかと思ったところ、見事に実っているので、稲刈りをして見ようかと成ったらしい。

 稲刈りの後の気候がひこばえを育てるのにうってつけだったようだ。そのために、ひこばえがそのまま成長して、普通の田んぼのような状態になったのだ。ただし、ひこばえが栽培したと言えるまでに、十分実るための条件は実は他にも想像される。



 条件が揃えば、どんな品種でもそれなりにひこばえは出るとも言える。ただ同じ条件の中で、ひとめぼれの田んぼはひこばえが出なかったと言われていた。ミルキーサマーがひこばえが出やすいと言うことがあるのかどうか、これはまだ分らない。

 ひこばえが良く育った田んぼでは、穂肥を入れすぎたために、田んぼが倒れたそうだ。一期作の田んぼは十分出来て、倒伏したらしい。石垣島ではそういうことは余り見たことがなかった。その結果田んぼには肥料が残ったと言うことになった可能性が高い。

 同時に、倒れた稲を刈るときに、根元まで刈り取れないで、高刈り状態になった気がすると言われていた。肥料が残っていたと言うことと、高刈りになったと言うことで、ひこばえが良く育ったのではないかと言われていた。まだ他にも要素があるはずなので考えてみたい。


 田んぼはひこばえを育てるなど考えても居なかったので、稲刈りのあとは当然水も入れないし、何もしなかったと言うことだ。稲刈り前田んぼの水を3週間前には水を切ったと思われる。それ以降水が来ない田んぼだから、乾燥環境でひこばえは発芽したはずだ。

 稲刈り前の田んぼに肥料が残ったこと。稲刈り前後の乾田化が長かったこと。その後十分な水が続いた。この3要素が揃い、ひこばえは勢いを付け成長し、背丈も通常まで育った。分ゲツも普通に採れた。穂も割合大きく、十分に実ったのではないだろうか。

 例年よりも夏暑かったわけだが、これは良かったのか、影響したのかは分らない。台風が来なかったと言うことは間違いなく良かった。いちど40m位の風は吹いたのだが、不稔には影響しない時期だったと思われる。ひこばえが育つ時期だった可能性が高い。

 最初乾燥して、その後雨が多い天候のため、いわば畑苗代で稲の苗を育てたような状態になった。田んぼの土壌が一度乾田化されることがひこばえには必要なようだ。想像されるのは、刈られた稲の根がひこばえと同様に水を求めて再生したのではないか。しかし乾燥がそのまま続けば、稲は枯れて行く。


 所が、7月以降石垣は雨続きになった。この雨が天水田を作ったのではないか。田んぼは特に水を入れなかった。成長が良いことに気付いてから水を入れたかも知れないが、水は入れないでも構わないくらい水は十分にあった。10月半ばで、稲刈りが出来るところまで来ている。

 問題はひこばえの田んぼが散らばっていて、鳥が寄ってきていることだ。田んぼの周囲から鳥に食べられている。やはり、もしひこばえをこういう形でやるとすれば、周囲の人と協力して、同時に進めなければ無理なのではないだろうか。

 少なくとも3ヘクタールぐらいは同時に実る田んぼがあれば、鳥の害も減るだろう。一箇所だけであれば、鳥の害が集中してしまうだろう。それは今の2期作も同じことで、やる田んぼが減っているために、被害が広がる傾向にある。地域の協力がなければ、営農としての稲作は難しいことになる。


 何か鳥を追い払う方法があれば良いのだが、これがなかなか難しい。小田原の鳥の数とはまるで違う。鴨、キジ、孔雀、シロハラクイナ、山鳩、半端な数でない鳥が寄ってくる。これを防ぐ方法を考えなければ、ひこばえ農法も成立しないのだろう。

 ただ今年の4箇所の田んぼを見るところでは、ひこばえの生育は十分出来ると言うことは証明されたのだろう。品種はミルキークイーンと言うことだった。と言うことは栽培法さえ発見できれば、普通に栽培できると言うことになる。これがもしひこばえ向き品種であれば、さらに良いかも知れない。

 ただし、一期作でも大して出来ているわけでは無い。6俵ぐらいが平均だと思う。だから、ひこばえでの収量もその程度が目標になるのだろう。原因は「ひとめぼれ」も「ミルキーサマー」も13枚しか葉が出ない。これでは満作にはどうしても成らない。

 特に肥料を必要とするこうした最新の奨励品種を、有機栽培で作るのはさらに困難なところがある。ジルカスで作出された「カーチバイ」という品種は熱帯向き品種のようだ。これを作ってみたいのだが、どうすれば種籾が手に入るのだろうか。

 
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小田原欠ノ上田んぼ9月6日の様子

2024-09-09 04:22:13 | 稲作


 残念なことに欠ノ上田んぼは苗作りに失敗をした。主たる原因は苗土の熟成が十分でなかったためかと思われる。例年通りの苗作りで他に思い当たるところがなかった。そのこともあって、苗が不足したためもあり、30㎝×40㎝植えにした。もう一つの理由は病気が増えてきたということもある。

 イネ縞葉枯病 (病原ウイルス Rice stripe virus(RSV))だと思われる。バイラス病で、ヒメトビウンカ によって感染が広がる。ウンカは多く発生する年と、そうでもない年もある。ツマグロヨコバイによるイネ萎縮病やイネ黄萎病 とみられる病気も見られるようになった。

 ウンカの害は田んぼの中の空気がよどむような位置で多く出る。田んぼであればどこでも現れるのだが、病気が蔓延するようなことはめったにない。風が強いと飛ばされてしまう。風速7mを超えると留まれない。風通しの良い田んぼで健全に育っていると、ウンカの被害は減る。

 30㎝×40㎝植えは成功していると思われる。昨年より縞は枯れ病も萎縮病もかなり減少した。抜いてはいるのだろうが、現状ではほとんど見られない状態であった。もちろんウンカが出にくい気象条件だったということもあるだろうし、周辺の田んぼをもう少し見てみないとわからない。



 9月6日欠ノ上田んぼの生育状況を渡部さんと見て回った。立派なものであった。生き生きとしていて、全体に勢力を感じた。病気はない。この後もどんどん稲穂を良くしてやるぞと止葉が立ち上がっている。もち米の止葉が一段と立派だった。

 良い止葉は、「サトジマン」では50センチ以上、葉幅は20ミリ以上で、厚みがありしっかりしたもの。葉先より5センチほど下にくびれが生ずる。止葉は内側にたたまれて谷ができる傾向になる。また、稲穂の下の茎に、グキットしたよじれが茎にできる。

 そして、穂は雄穂になる。雄穂とは稲穂の茎からの枝分かれが、一番下のものが対生になる穂のこと。こうした、素晴らしい稲穂の状態に欠ノ上田んぼのイネは成り始めていた。初期生育が悪く分げつ不足になった株の中には、一部では分げつが15程度のところが見られた。

 そうした分げつ不足の原因は苗が弱く、初期生育が遅れたことが主原因で、その後の管理が良かったこと。水を1週間程度落として乾かしたことが良い結果になったように思われる。またその後の気候も悪くなかったために、よい健全なイネになってきたのだと思われる。

 粒張りもすでによく、大粒になってきている。現在の葉色も健康的なちょうど良い、緑色色見版で3ぐらいが残っている。全体で見ると下の方の田んぼが実りが早めで、分げつも充実している。水温と日照の影響かと思われる。15番田んぼは対岸の木が覆いかぶさってきていて、日影が影響して一部が分げつが取れていない。


 全体に川沿いに日照不足の影響を感じた。川からの取り入れ口が大雨でふさがってしまっているが、緊急に直さなくとも、上からくる小川の水を入れて何とかなると思われる。あと2週間ぐらいでイネは水を必要としなくなるだろう。

 5判、6番、7番の「何とか娘だったか」初めて作る早生品種はほぼサトジマンと同じようだ。ここは小さい苗だったが、実に固い苗だった。その結果かもしれないが、きれいな感じの元気な田んぼになっている。これで味が良ければ、作りやすい品種なのかもしれない。

 よくあの弱い苗でここまでよいイネが作れたと、この管理能力の高さに驚いた。暑い中すごい努力をされたのだと思った。田んぼ勉強会の時には、何しろ農の会の田んぼの中で、一番悪い状態だったと思えた。それが現状では実に健全で見事な穂をつけている。



 この後は倒れないように祈るばかりであるが、かなり背は高くなっている。この後さらに穂が重くなりそうである。重い穂を支えるだけの茎ができているので大丈夫だとは思うが、台風が来ないことを祈るばかりである。

  いくらか暑さによる不稔が生じている株がある。全体で見れば数が少ないので、問題はないと思うが、暑さに強い品種が必要だとイネが言っているような気がした。今年の夏が異常気象なのではなく、こういう暑い夏が普通になってくるような気がする。

 苗土の熟成は1か月以上どうしても必要になる。できればさらに長くてもいいのかもしれない。苗土の熟成期間の気温にもよる。全体の苗土の量や加える水の量や攪拌する回数も影響してくる。よく熟成した苗土のにおいを覚えておけば、間違いがない。熱がなくなり、心地よい発酵した香りになるのがいい。






 苗土づくりはかなり難しいと考えた方がいい。一昨年良い苗土で、苗箱のものが特別良い苗になったのは、苗土が成功したためだと思われる。あのやり方を思い出して、再現することが大切なのだと思う。苗半作である。

 30×40㎝植えで、収量は落ちるかもしれないが、作業の軽減を考えたならば、この植え方に一理あると思われる。何しろあの広い田んぼを、一日で手植えができたのだ。苗量を減らすことも、意味があると思う。一年でやめないで、もう少し続けてみることが必要かと思う。
 
 また、下の方の田んぼがよくできたのは、冬の間にソバカスを多く入れたということだった。緑肥の出来もあるが、冬の間にソバカスを入れることは、障害にはならない。腐食を増やす意味でも、もう少し入れた方が初期分げつが多くなり、もう少し収量が上がるかもしれない。
 
 

 9番田んぼに作った。種大豆である。種を更新するために小糸在来種保存会から種を分けて頂いた。今まで継続してきた種が、紫色になる病気が出てしまった。それで、種を更新することになった。従来の畑から話して作ることになった。

 大豆の出来は家のわきの畑が一番良かった。今花が咲き始めている。花が咲いて、また暑すぎる。35度になっている。この暑さで大豆も不稔になる可能性があり心配だ。早く涼しくなってくれないと困る。よく草取りができているところがすごい。大豆の会の努力が素晴らしい。
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米不足の理由

2024-08-31 04:36:07 | 稲作


 2024年8月は家庭の多くが米不足になった。その理由は様々あるが、一番は国の食料の安全保障政策が、硬直していて柔軟性が無いところにある。お米は9月になれば新米が採れる。美味しい新米が家庭で食べることが出来ることになる。石垣島では新米は6月のことである。

 お米は政府は備蓄米制度があり、足りないときには放出して対応することになっている。大阪の吉村知事は政府に大阪のスーパーにはお米がないから、備蓄米を放出して欲しいと要請している。所が政府はお米は9月になれば新米が出回るから、備蓄米の放出はしないと説明をした。

 当然のことで、今の備蓄米制度では政府が放出を決めたとしても、そのお米が家庭まで届くのは早くても3週間かかる。政府が検討会議を行い決定して、業者の入札があり、そのお米が精米されて、家庭まで届くには早くて3週間はかかると農水省では見ている。

 では8月一週目に備蓄米の放出は決めなければ間に合わないことになる。そもそもこのお米が不足した直接的原因は、南海トラフの大地震の喚起情報であった。びっくりして西日本を中心にお米の確保が始まったのだ。地震が起きたのは8月8日のことだ。

 もし農水省に先が読める人が居れば、米の買い急ぎが始まり、米がスーパーから消えるだろうから、備蓄米の放出の準備をすぐに始めただろう。もちろんそんなに先の読める人は、AI職員がいない以上、農水省職員では無理なことであろう。今お米がないのは、結果である。

 もし、食料安全保障に関して真剣な職員がいて、日夜スーパーの棚を見ているような熱心さがあれば、8月の一週目に備蓄米の放出について、頭を巡らせたことだろう。実際には吉村知事に言われて、備蓄米があることを思いだしたぐらいのような気がする。あれが誰が担当だったの、ぐらいの話はあったかもしれない。

 全く責任の所在が、お役所でには存在しない。お米が足りなくなったところで、何吹く風かで、他人事に過ぎない。これは嫌みである。しかし、お米がなければ、1週間ぐらい、パンやらうどんを食べて置けばなんでもない。こういう感覚のようだから、先回りして何が起こるかを考えるなどあり得ないだろう。

 お米が店頭から消えた実際には、いくつかの原因が重なる。商品は足りなくなれば当然値上がりする。値上がりを見越して売り惜しみが起こる。米相場ではないが、流通業者の中には、飲食業者向けの大きな流通を担うところもあるだろう。農水とは違い先を読んでお米の確保は必死なはずだ。

 すでに今年の早場米相場は3割高だそうだ。これは農家にはありがたい。もうだめかと思っていた稲作を続ける気になる。農水省はこれを期待していたのだろう。足りないぐらいが丁度良いと思っている。中国の台湾侵攻は明日にもあると、叫び続ける自民党議員と同じだ。

 流通業者は買い占めたのだ。お米を押さえたはずだ。必要な銘柄米を押さえておけば損はないと踏んだだろう。スーパーだってそうだ。いち早く消費者が買い占めに走り出したことを把握して、少しでも多く確保しようと動いたはずだ。この時点で、農水大臣がもし足りなくなるのであれば、備蓄米を放出するので、心配しないで下さいと、口先介入をすれば良かったのだ。それをしないで、お米が上がるのを期待した。

 もし口先介入が適切にあれば、家庭の買いだめ勢いも止まったし、業者の値上がり見込みの買い占めもなかったはずだ。確かに、日本の官僚は優秀だったはずだが、そうしたことも過去の30年の停滞前の話なのだろう。何でそんなことを自分が考えなければ成らないのと言う、責任者の所在が見えない。

 1918年明治時代の米騒動は、第一次世界大戦の長期化やシベリア出兵を見込んだ米の買占めがあって、米価が急騰する。一升11銭だった米の値段は、およそ3倍にまで跳ね上がった。1918年7月、富山県の魚津で、米を船に載せて運び出そうとするところを目撃した住民が、それを阻止した。

 さらに安売りを求めて米屋におしかけるという事件が起きた。これが新聞で紹介されると、同じような暴動が全国各地に広まっていった。食べ物は命の不安に繋がっている。パンやらうどんで我慢しろというようなことでは済まなかったのだ。

 今回起きた米不足は政府の不在もある。総裁選挙で慌ただしくてそれどころではなかったのだ。岸田さんは外交で海外に行くのも止めて、何をしていたのだろうか。総裁選挙の裏対策でもしていたのだろうか。南海地震の警報の発令で何が起こると考えていたのだろうか。

 起きてしまったことは、うどんでも食べて我慢するとして、日本の食料安全保障は大丈夫ではないと言うことが、今回明白になったと言うことを考えておかなければならない。まず備蓄米の放出は1週間あれば可能な態勢を作らなければ、ならない。緊急放出なのだから当たり前だろう。

 精米機が無いわけではないし、玄米での放出でも構わないはずだ。備蓄米の供給ラインを整えれば済むはずだ。その仕組みが出来ただけで、米の流通業者の考え方が変るはずだ。今回は次の総選挙が頭にちらついて、お米の価格が上がれば良いという気持ちが、行動を左右したのだ。

 農水省としては、お米が大事だと言うことを、国民に知らしめたいという気持ちも働いただろう。値上がりも必要だと考えているのだ。お米の価格が上がるためには、需給が締まる必要がある。だから、ぎりぎりまで生産量を減らす方向で政策が進んでいる。

 実際に、数字に表れない形で、お米の生産量は減少している。小さな農家がなくなれば、企業農家がそれを担い、大型化されるから、安定供給されるという意見があるが、それは止めざる得ない小さな稲作農家の実態を知らない大きな間違いなのだ。

 止めて行く小さな農家の農地は、中山間地の効率の悪い、企業農家なら手を出したくない農地なのだ。耕地整備が進められた田と、未整備の田んぼではまるで効率が違う。耕地整備が進んだ田んぼから企業的農家が工作を始めている。耕作放棄された田んぼは未整備の田んぼが多いのだ。

 しかし、お米の安定確保では、こうした小さな農家のお米が、縁故米などの形で流通を補う方で、機能してきた。安全弁になってきたのだ。足りなければ故郷でお米を作っているおじさんに頼めば何とかしてくれたのだ。しかし、そういう統計に表れないお米の余裕が消えた。

 1993年の米の作況指数は74であり「著しい不良」だった。この時には本当の米不足が起きて、備蓄米制度が出来たのだ。所が、101の作況指数で米不足になるなど、端境期であるとしても、あまりのことである。米不足は先送りされこれから翌年へと続くことになる。米の生産力自体が下がっている。

 気候の劇症化により、戦争の頻発により、輸入を食料安全保障の材料には出来ない。国内でお米を確保することだ。それは、もう自給以外にない。作りたいという人が、誰もが稲作ができる態勢を政府が作る。これが一番確実な食料の安全保障になるだろう。

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米不足の本当の理由

2024-08-26 04:51:30 | 稲作


 9月に新米が出荷されるまで、米不足だそうだ。あれこれ米不足の理由が指摘されている。中には実際にお米がないにもかかわらず、デマだ、風評被害だという意見まである。嘘だと思うのであれば、スーパーに行ってみて確認すべきだ。確かにお米は無いわけではないが、欲しいお米がないと言う状態のようだ。

 と言ってもこれは小田原で確認したことだ。実は米不足はばらつきが大きく、どんなお米でも良いというのであれば、並んでいた。欲しいお米がないと言う状態は確かに起きていた。石垣島ではお米は常にあった。稲刈りの中心は6月だから、今お米がなければこれは大変なことになる。

 一部のお米は確かに不足気味になった。それは猛暑と日照りで、コシヒカリが今ひとつの出来だったと言うことがある。多分銘柄米一般に猛暑の影響は出ているはずだ。やっぱりお米は新潟のコシヒカリに限ると言うような人にとっては、手に入らない状況はあったのではないか。

 昨年の作況指数は101で平年並みであった。ただこの作況指数ももう一つ当てにならない。殺教師数の調査は、全国で無作為に抽出した約8,000箇所の水田で実測調査を行って当年の「10a 当たり収量」、「収穫量」、「作況指数」などを算出している。

 全国で無作為の8000箇所だとすれば、田んぼ面積から言って石が川県で185件。沖縄県全体で3から4箇所程度になる。それにより日本各地で「どれだけ の量のお米が穫れたか」、自分が住む地域ではどうかをみている。

 無作為と言っても、農の会の田んぼが対象になることもあるだろうが、過去35年そういうことは無い。本当に無作為とは言えないのではないか。のぼたん農園の田んぼは余りに一般的では無い。対象に入れば、石垣島の作況指数に客観性があるとは思えない。

  調査の結果には、飼料米もあるし、有機栽培もある。作況指数が正確に捕捉できなくなっているような気がする。美味しいお米は作りにくい。美味しいお米は有機栽培だろう。有機栽培米は昨年は多分80くらいまでの、低い作況指数ではないかと思う。

 病気や害虫はひどい物があった。気候変動で以前は南の方だけだった虫が、関東でも広がる。夜の気温が下がらないというのも、お米の品質が悪くなる原因だ。山からの冷たい絞り水が来るような田んぼで、流し水栽培をしていれば、良いお米が取れる。

 そんな田んぼはどんどん減少している。そういう田んぼが水不足で昨年何度もテレビで放映された。新潟の魚沼地域である。多分良いお米が取れるような所は、中山間地の棚田と言うことが多いはずだ。そういう所が一気に耕作されなくなってきている。

 10軒の同じ水を使う農家の内2軒が止めれば、そのために水管理が大変なことになるというような地域もある。実際の所、中山間地のイネ作りは危機的な状況なのだ。頑張ってやられている方は今も沢山居るが、止めざる得ない人も居る。小さな農家の減少が全体に響いてきている状況が想像される。

 伝統的なイネ作りは、地域全体で支え合う物だったのだ。今はそれを大型機械が補ってくれているが、棚田では機械任せと言うことにはならない。どうしても人力の管理が必要になる。しかも水も水源の管理まで、やらなければ水が来ないというのが当たり前なのだ。

 小田原の田んぼでも、川からの取り入れ口が、年がら年中壊される。年に何度も自分たちで直さねばならない。過去になかったほどのゲリラ豪雨が毎年繰り返される。予想以上の土石気流が川を走る。大量の石が、流れ下り、水の取り入れ口を破壊する。

 水不足になれば、いくら川をせき止めても十分には水が来ない。やっと水を取り入れても、その水は良くない水である。生活排水の混入が目立つような水になる。水温は上がるし、本当ならば入れたくないような泡立つような水と言うこともある。

 しかし、農の会のようにみんなで耕作しているのであれば、まだ対応が出来る。個人でやっていれば、もう諦めるほか無い。行政にお願いしても、行政にも稲作に当てるような経費もなければ人員も居ない。現物支給で材料を貰って直してきたのだが、それも災害復旧であれば、国から出るらしくそれを待つしか無い。

 米不足は気象の激化が原因している。極端化した気候に、ついて行けない農家が特に中山間地に出てきている。そうしたお米は直売であったり、縁故米であったり、そして自家消費米が多いだろう。国は中山間地の稲作など止めれば良いと考えているから、何の対応も長年していない。確かに中山間地の補助金はありがたいのだが、それでは対応しきれない状況だ。

 そして農家の老齢化。中山間地の農家は平均年齢が70歳を超えている。どう考えてももう先の見通しは立たない。私だって、75歳になって頑張っては居るが、あと5年もてばと思っている。こうして団塊の世代が去れば、間違いなく日本の中山間地農業は、終了を迎える。

 そんなことはどうでも良い、あるいはどうしようもないがたいしたことにはならない、と国も農水省も考えているはずだ。大規模化した企業的農家が、耕地整理された田んぼで、スマート農業をやると言うことになっている。確かにそうなるだろう。しかし、全体で見れば、それは半分の話なのだ。

 日本は山ばかりの国なのだ。中山間地ばかりの国で、そこで自分が食べるお米だけを作るような人が、沢山居て日本の稲作を下支えしてきたのだ。その人達のお米は農協は関与していないものが多いだろう。統計にも出てこないところも多いかも知れない。

 そこから消え始めたのだ。これが米不足の第一原因である。作況指数101で起きた米不足である。企業的農家が頑張ってくれているから、何とか去年の米不足は乗り切れそうだ。今年もそういうことになるが、もしこれが作況指数が100を切るようであれば、どういうことになるだろうか。

 貧乏人は麦を食えと言われたわけだが、今や金持ちは麦を食え状態で、麦こそ補助金で作られている。結局輸入だよりの安全保障と言うことだ。買えば良いだろうと言うのが、日本の安全保障政策の考え方だったわけだが、もう円安で、海外のお米が安いなどとおも言えない時代が来る。

 輸入が出来ればまだ良いが、中国と買い付け競争になれば、日本は負けるのだろう。経済力では差が付いている。中国も食糧不足である。この状況を考えたらば、食糧危機が迫っていると考えるほか無い。所が自民党はぐちゃぐちゃ。野党も頼りにならない。

  私の見方などあちこちおかしいのだろうと思うが、米がこれから足りない時代が来ることだけは間違いが無い。今年起きた米不足は美味しいお米の不足だったが、本当にお米がないという怖い状況が近づいていると考えなければ成らない。

 自助努力以外にない。自分の食べるお米は自分で作る。国民皆農の国になるほか無い。政府がここまでダメである以上、政府が何とかしてくれると考えているわけには行かない。食べるものがないほど辛いことはない。しかし、食べるものがありさえすれば何とかなる。

 田んぼは全国至る所にある。中までやる気になれば、何とかなる。一日一時間米作りに当てれば、何とかなる。日曜は農作業の人言うつもりになれば、お米は作れる。年寄でも、子供でも何とか役に立つことが出来る。私の子供の頃に戻れば良いだけの話だ。

 あの頃は田んぼのある農家は憧れの大家だった。今の時代はやろうと思えば、田んぼはある。家だってある。条件はある。後はやる気だけだ。田んぼは難しくはない。やれば誰にだって出来る。ただ現代人の出来ないことは、協働である。みんなで助け合ってやれるようになることだ。

 田んぼが出来るようになるには3年は必要である。今始めればまだぎりぎり間に合うだろう。もしやり方が分らなければ、教えてあげたい。自分で出来る一切機械のいらない米作りである。そうだ籾すり機だけ居るかな。みんなで共有すれば、それ程の費用はかからない。

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円安時代に米を輸出しよう

2024-05-28 04:01:44 | 稲作


 円安時代である。米輸出を考えるべきでは無いだろうか。世界では食糧不足が続いている。日本のお米の生産費は高いので、米は輸出できないと言われているが、そう決めつけない方が良いだろう。円は一時の半分の価格になったのだから、お米の生産費も半分になったと考えて良いのだろう。

 農家の大規模化や機械化が進んでいることを考えれば、米の生産費はまだまだ下がるとも言える。企業的農家が増えて、一般農家が減っている。そして農地の集積は進む。集積された農地で合理的経営を行い、お米を輸出産業に出来るはずだ。

 このまま何も手を打たないで居れば、水田が失われて行く。水田がなくなれば日本の環境のためにも問題が起こる。そもそも稲作がなくなれば、日本文化が見えなくなる。主食であるお米を大切にしなければならない。そのためにはお米の輸出のための環境整備を国が行うべきだ。

 お米は2018年に減反が廃止された。減反が廃止されて米農家が成り立たなくなり、廃業が進んでいる。減反奨励金でかろうじて生活していた農家は、競争価格になり、下落した米価では成立しないことになったのだ。そこで、農地の集積が始まり、日本にも大規模企業農家が出現した。

 しかし、政府は農協や農家からの強い抗議を受けて転作奨励金のような形で、作らなければお金を上げる減反奨励金はさすがに止めたが、稲作を止めて、畑にすれば補助金を出している。様々な形の補助金が今もあるが、あくまで経過処置のような、宙ぶらりんの方向の見えないものになっている。
 
 国は年間2300億円の補助金を出して、小麦や大豆を生産させている。生産量は130万トンに満たない。しかも、国産の小麦は品質が安定しないので製粉会社は使いたがらない。2300億円出せば、500万トンの小麦を輸入できるのだから、やることがちぐはぐである。

 家畜の餌となる飼料米を作れば、補助金が出る。年間950億円の補助金をあてて、主食用米から餌米への転作を奨励している。その費用で生産されるのは66万トン。にすぎない。同じ財政負担を飼料の輸入に回せば、その数倍の飼料が輸入できる。

 すべては農家を守るための補助金である事は確かなのだが、補助されなければ成り立たないような産業はいつか終わる。農家の生活保全がまるで生活保護費の代わりに農業補助金があるような気がしてくる。農家を守ろうとして、農家を廃業させているような結果になっている。

 そして、農業基本法が見直されたが、農家が増えるような政策はどこにも見当たらないのだ。これからも農家は減少して行くだろうし、農地も放棄されて行く。生活保護費が出るような産業を誰も始めようなどと思わないはずだ。日本農業が世界で対等に経済活動できるようにすべきなのだ。

 日本の自然環境は確かに、規模拡大しにくいところはある。しかし、小さな国オランダが、穀物輸出国なのだ。日本独自の農業技術を開発して、世界と対等に商売が出来るようなものを考えなければだめだ。そのためには大規模化は機械化は必要なことだ。

 日本では長く、農家は自民党の票田と言われていた。しかし、さすがに今では農業者数が減少し、それこそ票田の減反が進んで、自民党への圧力団体と言っても、それ程の影響力は失われている。今では地方でも農協よりも土建業や建設業分野の方がパー券キックバック裏金の影響力がはるかに強い。

 そこで、確かに政府は今度の農業基本法の見直しでも、農業を輸出産業にする。農家にITを取り入れた、スマート農業の研究開発なども打ち出している。しかし、肝心なことは具体的に、どうやって輸出産業にするのか。どういうスマート農業なのかは見えてこない。

 具体策ないのは、政府には農業に対する、未来像がない。農業が一次産業だと言うことが分っていない。農業基本法が見直されても、農家は減少するとしか思えない。もっと具体的に考えて、農家になりたくなるような提案をしなければならない、国の未来の緊急事態だと思う。

 もう一般農家の延命策のようなものは止めるべきだ。例えば、沖縄ではサトウキビの奨励金というものがある。1トン当たり補助金額は16800円とある。これを無くせば、間違いなくすべてのサトウキビ農家は継続できないだろう。

 補助金を止めて、サトウキビ農家が、その後どういう農業経営をすれば良いかの、具体的な農業の形を示すことが、農政の役割ではないだろうか。何時までも補助金だけで経営を維持することは、さらに苦境が続くことになる。これはどの農産物でも大きな違いはない。

 米を輸出品にすべきだ。日本のお米は特徴があるものだ。ブランドとしての評価もある。何故、米輸出量が少ないかと言えば、輸出手続き等が極めて煩雑と言うことがある。農家が輸出に手を出せるほど簡単なことではないのだ。間に商社が必要になる。この流れを農水省が協力すべきだ。

 各国には自国の農業者の生産農産物の関税等の輸入規制がある。衛生・安全面では、輸入国の食品衛生法や食品表示法などの規定条件がある。また自国の農産物に害虫や菌などの悪影響の原因となるものを水際で抑止する動物・植物の検疫検査制度がある。

 さらに米輸出のための物流が整備されていない。米の品質を落とさず、輸出するための輸送船や港湾設備の整備が必要になる。当然、それぞれの国柄によって、米販売のマーケティングも違う。どうやって日本のお米をアピールして行くかには、高級品販売の戦略が居る。これも専門家の仕事だ。

 農家レベルでは手が出せない高いハードルがある。日本には優秀な大商社がある。そうしたところの力を借りて、そこに政府の補助金を入れて、日本のお米の輸出を試みることが必要だろう。農家に補助金を出すのを止めて、世界に輸出するための方策を、政府が試みて行くことが必要になる。

 これからの農業は国民皆農と言えるような、自給の農業と育成が一つの道。同時に世界に流通する大規模農業の輸出への政府の支援がもう一つの道。政府の農業政策はこの2分野に分かれて行なわなくてはならない。現在の農家はこの2つの道を選択して貰わなくてはならない。そうならなければ、日本の食料の安全保障は達成できない。

 これから新規就農をする人も居る。農業は魅力的な仕事だから当然のことだ。そうした人はよほどの特殊な回答を用意する必要がある。普通に補助金を当てにして、農家を始める人が多いいが、それでは農家経営は不可能になる。補助金も遠からず出なくなる。政府はさらに困窮するはずだ。

 40年近く農業に関わってきたが、40年前に予測したとおりに進んでいる。多分これからの予測も概ね間違えない。普通の農家はほとんどなくなるだろう。大規模農家と特殊な農家と自給農家の3つに分かれる。農業に興味があるとすればそのどれが自分に合うかを考える必要がある。

 米を輸出品にする。農家への補助金を止めて、輸出奨励金に変える。直接的に輸出奨励金にすると、海外の拒否反応も出るだろうから、輸出環境の整備に国は力を注げばいい。田んぼ大規模化の為の道路、耕作地、水利の整備。専用船の準備や、海外のマーケティング、輸出可能な品種の開発。等々国が担うべき事は様々ある。
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台中65号の種籾を直播きした。

2024-02-12 04:14:56 | 稲作

 台中65号蓬莱米を直播きにした場所。

 台中65号の種籾を頂いた。長く石垣島でも作られていたお米である。沖縄で30年前の1995年までに奨励品種として作られていた 品種なのだ。今は日本ではほとんど失われてしまった品種のお米である。沖縄では未だに作る農家が残っていたのだ。それを、島根出雲市の台雲酒造会社が酒米として復活させた。

 台湾農業の父と言われ、台湾で勲章を授与された磯永吉博士と末永仁 技師の作出した蓬莱米と呼ばれたお米である。1929年に作出されたとあるから、95年の歴史があるお米である。沖縄では奨励品種として30年前までは普通に作られていた。石垣島の農家の方は大正から昭和50年代まで、多くの農家の方がこのお米を作られていたはずだ。

 蓬莱米と呼ばれ、台湾で広く作られ、沖縄でも作られるようになったお米である。石垣島でこのお米を作られていた方が、今作っているひとめぼれよりもずっと作りやすかったし、多収できたと言われている。西表で8俵採れたという記録があるのは蓬莱米と思われる。

 

 同じ台中65号でもかなり違ってきているらしい。95年の間に品種に変異が生じていると言われている。日本に来て沖縄で作られていたものと、島根で作られているものと、台湾で今に残っているものとは、形質の変化があり、どうも違うらしい。

 一度作ってみたいと考えていたのだが、今回150粒の種籾が入手できた。今回頂いた種籾は遺伝的に、変異のない正しいものと言われていた。種子保存しているものを分けていただくことが出来た。おろそかに出来ない種籾である。慎重に栽培してみたい。

 ともかく作ってみて、味を確認してみたい。自然栽培で作るとお米の味は変るものだ。沖縄の奨励品種としては、味が良くないので売りにくいと言うことで、ひとめぼれに変えられたらしい。実証主義を標榜している者としては、確かめてみないではいられない。


わずか発芽してきたが写真ではよくは見えない。

 評判の高い「ひとめぼれ」という銘柄米なら売れると言うこともあって、沖縄県では奨励品種の変更になった可能性があるのだろう。しかし、ひとめぼれは石垣島では葉が13枚しか出ない、満作にはならないお米の品種と言うことも確かである。これはどの農家の田んぼでも同じ結果が出ている。

 台湾ではミルキーサマーが最近ではコシヒカリよりも人気が出てきたそうだ。多分コシヒカリよりは作りやすくて、味覚が良いからだ。のぼたん農園でも昨年作ってみた。ひとめぼれよりは作りやすいが、13枚しか葉がでなかった点では一緒だった。そこで今年は1月6日田植えならば、何とかなるかも知れないと、現在挑戦している。今のところ順調である。

 そう作ってみて、蓬莱米の生育の観察も行いたい。発芽まで1週間かかった。ゆっくりしている。何枚葉がでるかは健全な生育を判断できる重要な確認の要素である。石垣島の気候に適合している品種であれば、葉は15枚出るはずである。台湾でも稲の葉は何枚でるかを質問したのだが、確認はされていなかった。

 もし台中65号が葉が15枚出れば、磯博士の作出品種が亜熱帯気候に適応した、優れたものであるかが確認できる。まずお米を満作に作ると言うことが私の目標である。満作の作物のお米が一番美味しいし、栄養も豊富で、滋養も深いと考えている。満作であっても、気候と土壌の結果、畝取りできないかも知れない。

 石垣島のお米の収量はかなり低い。だいたい6俵平均である。それは、石垣島の JIRCAS のお米も、県の農研センターのお米も同じに収量は低いはずである。見てそう思った。沖縄のお米の収量が日本で一番低い結果は、農家の栽培が悪いためではない。

 ひとめぼれが亜熱帯の気候に合わないために良く出来ないのだ。沖縄の農家の人はいい加減な捨て作りが多いためだと、主張した人がいたが、それはは全く見当違いだ。見ていて熱心にやられている方が多い。条件に合わないお米をつまり短期間の生育で良くもここまで収穫していると思う。

 東北地方向けの寒さに適合した品種である。夜温が25度以下に下がらない気候の栽培では、東北のお米が出来ないのは当たり前である。それでも良く出来ないでも、売れれば良いというので奨励品種は変えられたと考えられる。まあ採れすぎたら売りにくいというのもあるかも知れない。

 何故、100年も昔のお米である、台中65号を作ってみたいと考えたかと言えば、自然栽培で作れば美味しくなる可能性があるからだ。100年前のお米であれば、当然自然栽培を前提に作られたお米である。化学肥料で作るようになり、まずくなった可能性はあるかもしれない。

 お米の味は栽培法で相当に変るものだ。あしがら農の会では「サトジマン」を長く作っている。サトジマンは神奈川県の奨励品種であった時代がある。所が美味しくないので売れないというので、奨励品種から外された。所が農の会で作るサトジマンは美味しいお米である。何故あんなに美味しいお米をまずいというのか不思議である。

 今も毎日食べているが、サトジマンの味に大満足している。その理由はサトジマンは自然栽培で作ると美味しくなるお米のためだと思われる。化学肥料で作るとまずいお米になってしまう品種なのではないか。お米は栽培法で味が変るのだ。自然栽培で作れば、絶品になるお米もある。

 その意味で、蓬莱米と呼ばれた台中65号は美味しかった可能性は残されている。所が現代の化学肥料時代になり、まずくなってしまい作られなくなった可能性は無いとは言えない。何でも作ってみなければ分からないものだ。もし自然栽培ならば美味しく食べれるお米であれば、復活した方が良い。

 台中65号は1月31日に浸種をした。2月7日に直播きをした。稲刈りは5月末ぐらいになるだろう。まず100株程度実験栽培をした。試食は出来る量採れるはずだ。美味しければ、ひこばえから種籾を収穫して、広げれば良いと考えている。

 種籾は見たところかなり弱い稲に見えた。それでも発芽はした。発芽をすれば、種籾の弱さは問題が無い。遺伝形質的には種に力が無くとも、問題は無い。後は栽培を旨く出来るかだ。大切な種なので、慎重に栽培して行かなければならない。
 
 
 

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お米の値段

2022-07-07 04:01:53 | 稲作


日本の消費者はコメに国際価格の2~3倍を支払っている。ーーー高崎経済大学柿埜真吾 氏
 
 これはいわゆるフェークニュースである。もしこんな単純な間違えをしているとしたら、大学の先生としては相当無能な方だと思われる。なぜ今更こういう虚偽のデーターを専門家が主張するのかと思うと情けなくなる。こんな間違った情報を消費者が信じて、お米を食べなくなるのかも知れない。

 日本国内にもコメの価格差は2~3倍はある。おいしいとされる銘柄米は高いし。安い業務用米もある。タイのインディカ米と日本のコシヒカリを比較しても無意味である。車の価格を車種を考えないで比較する人はいない。

 確かにお米の生産コストは日本のお米はアメリカの6倍くらいになると言われている。様々な条件が違いすぎる。極端な例えで言えば、マンゴーを石垣で作るときと東京で作るときでは、まったく生産費が違ってくる。農産物はそういう物である。

 水がない地域で、費用をかけて水を引いてくればその費用がお米の生産費に上乗せされるならば、日本よりもいくらでも高いお米は存在する。そもそも主食に関して言えば、国際比較すること自体よほど注意深く考えなければ、正しい材料にはならない。

 新聞でそういう記事が出るのは、その程度の物なのだから仕方がないことだが、専門家の議論は材料が雑では議論が出来ない。果たしてご飯1杯が30円くらいだとして、これが外国では10円の国があるのに、高いご飯を食べさせられていると言えるのだろうか。

 日本人にはご飯に対する相当なこだわりがある。お米の味に関してこれほど問題にしている国は他にはない。最近徐々に日本と同様に美味しいお米を食べたいと言うことになり、日本の銘柄米が高くても売れるようになってきている。

 香港で日本のコシヒカリが3倍で売られていたとして、買う人がいるからその価格なのであり、高いお米を香港の消費者は食べさせられているわけではない。

 もう一つが日本のお米の生産費が高いという問題。まず経営規模が違う。一つの稲作経営体の規模が1000倍にもなる。広大な平らな土地がある国がある。日本では稲作農家の経営規模は3㏊ぐらいである。一区画は0.1㏊程度である。アメリカでは1区画が10㏊もあって、しかも日本の何百倍の経営規模である。そのアメリカよりオーストラリアはさらに広い。

 日本の国土にはそれほど広い農地は存在しない。そんなまとまった平野があるとしても、稲作にだけ使えるわけではない。本来稲作の適地は農地ではなくなり、宅地や工業地帯に転用されている。しかし、日本より条件の悪い稲作など不可能な地域の方が普通だ。

 気候はどうだろうか。オーストラリアは水さえあれば、稲作には向いている。しかし大半の場所に水がない。だから地下水を汲み上げて稲作をする。地下水が出なくなれば、農地を放棄する。そもそも、こういう収奪的な農業地帯のお米の価格と比較する意味があるのだろうか。

 日本では外国人労働者によって農業が維持されるようになってきた。こういうことも価格比較には影響している。そのほか、水田ダムのような環境調整能力を価格はどう反映するのかも検討が必要だ。水田がなくなり、赤とんぼがいなくなって、寂しい思いは価格にどう影響するのか。

 稲作の教育的効果を価格はどう反映するのか。日本人の道徳心はイネ作りと結びついている。日本教の神様にはお米が奉納される。私が5穀を作らなければ、豊年祭が出来ないと言われた小浜島のイネ作りのお米の価格はどう考えれば良いのだろうか。

 主食はその国の人を作り出している。日本の高度成長は日本の稲作文化に支えられた物だ。主食は文字通り、その国の人間を生み出している。主食はよその国と比較して考えてはだめな物だ。主食に関しては国際貿易と切り離して考える必要がある。

 生産コストは下げる努力をしなければならないのは当然のことだ。お米の価格が政府に高値で保障されていたために、いびつな産業になったことは確かだ。しかし、そうして稲作農家を維持しなければならない、様々な理由があったことも事実だ。

 かつては東北地方から、金の卵と呼ばれる若い労働者が都会の労働力として供給され、日本の高度成長を支えた。そして東北の農家は農閑期には出稼ぎ労働者となり、高度成長を支えた。その基盤としての稲作農家の維持が必要な物だった。

 日本の工業の成長は米価に支えられた側面もある。そうした時代を経て現在は価格は政府は直接は関与していない。お米の輸入を制限している。稲作農家を守るためである。大所から見れば水田がなくなることが日本の損失になると、政府はまだ考えている。

 そうした諸々の末に現われているのがご飯一杯30円である。私は安いと思っている。赤とんぼが飛んでくれるのであれば、30円は高くない。キュウリ1本30円はする。栄養価から考えれば、30円は主食として適正な価格ではないだろうか。この30円だって、15円くらいの日本産のお米もある。高いと思うならそれを食べたらどうだろうか。

 プランテーション農業によって、主食を奪われた民族は国自体が疲弊した。綿を作る農業者が飢え死にをしたのだ。サトウキビを作っていて、胡椒を作っていて、飢え死にをしたのだ。国際競争力を主食に当てはめては成らない。

 一つの国が成り立つのは食糧自給の規模が適正である。主食は貿易品から除外して考える必要がある。主食が作れる範囲でそれを大きくは越えない国健全な国だ。たまたま石油が出るから、すべての食糧は輸入するというような特殊な事情の国もある。

 しかし長い目で見ればその国も石油は出なくなり、食料の生産が出来る範囲で、国を成り立てて行かざる得なくなる。それが健全なのだと思う。特殊な事情の国もあるかも知れないが。日本はお米を主食として生産して、この適正価格は日本の生産費から考えればいいものだ。

 現在稲作農家は経営が出来ない。だから後継者はすくない。とくに稲作農業者の人口は減少を続けている。それに変わって農業法人が登場している。しかし、生産の条件の悪い地域では田んぼの放棄が進んでいる。機械が入らないような田んぼは放棄され、農地でも無くなっている。

 そういうことを良しとしているのが、冒頭に書いたような悪質なデマをかく人間だ。日本のお米は決して高くない。日本の風景を残したいと思うなら、高くない。

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欠ノ上田んぼの稲刈りが終わった。

2020-10-08 04:14:51 | 稲作
 

  欠ノ上田んぼの稲刈りが終わった。天候に恵まれて順調な稲刈りだった。田んぼがぬかるんでいなかったので、作業は楽だった。近藤さんの水管理のお陰だ。今年も稲刈りまで参加できたのは幸せなことだった。

 この幸せ感は厳しい作業をしている間も、ずーと感じていた。イネ作りをやり遂げる達成感と、良い仲間と同じ目的で頑張る充実。生きるという喜びを深く感じることが出来る稲刈りだった。そのことは小田原を離れてより一層感じる所だ。

 石垣島に住んでいて、小田原の田んぼに参加できることは、稀有な幸運であるにちがいない。何年こんなありがたい生活が出来るのかわからないが、身体の方は、まだ何とかみんなに着いて行けるようだ。田んぼ仕事はその人に応じた仕事がある。それぞれが自分に合った作業を見つけて行う事が出来る。

 石垣島では畑仕事をしていないでいる。突然稲刈りだから、大丈夫なのか少し心配はあった。昨年よりはだいぶ披露するようになった気はした。だから、あまり無理をせずやらせてもらった。そのおかげで何とか乗り切れた。

 翌朝に疲れが残っていないことにむしろ驚いたぐらいだ。筋肉痛などは全くない。少し、さぼりながら働いけば大丈夫だ。かなりの時間座り込んで仕事をしていた。座ったまま、畔の稲を刈ったり、イネを束ねたりしていた。バインダーなど全くやらなかった。もう私がやらない方がいいと思っている。

 こうして次の世代に作業が受け継がれてゆくことこそ素晴らしい。厳しい作業が出来なくなったものは、全体の流れが滞りなく進むように作業の手順を先回りして準備することだと思う。長年やっているので、次は何を準備すればいいかだいたい理解している。

 ただその時難しいのは若い人もわかっているのに、押しつけがましく指導するようなことになるとやる気をそいでしまう。今年は新しいハーベスターを使った。渡部さんが前日に試運転をしましょうと言われた。これが良かった。

 このハーベスターは難敵で、今までのものと違って、癖が強かった。中古の程度もそれなりのもので、エンジンの力も少し弱くなる。このあたりの加減が結構難しかった。前日に問題点の把握が出来ていたので、翌日はそれなりに順調にできた。

 稲刈りは10月3日と4日朝8時からの作業で、4日の午前中で終わった。それは午後、富田さんの田んぼを併せて進められればと思っていた。なかなか冨田さんの田んぼはよくできていた。整備も実に良いし、生育が統一されていた。それが終わり機会の清掃が終わったのが4時30分。

 ハザガケも美しくできて、欠ノ上の景観が実に見事なものになった。ハザガケも地域の風物詩であるという時代は終わりつつある。残念なことに今年も作業中に写真を撮るようなことは全くできなかった。作業に入るとそれだけになってしまって何もできない。

 引き続き、昨日つまり、7日に脱穀になった。7日の夕方から雨になり、8日はかなりの雨、そして10日には台風が近づく。もうなんとしても、7日の水曜日にやり切るしかなくなった。6日に準備して、試しに15番田んぼ分を刈った。乾いていて、問題なく脱粒できた。一安心である。

 翌朝7時から開始した。機械も悪くない調子で稼働した。しかし、一台では夕方までにすべて終わることは難しい。もう一台のハーベスターを、井関さんの田んぼで使っている。すぐ渡部さんに手伝いに行ってもらって、作業を早く終わらせて、持ってきてもらうことにした。

 これは正解だった。1時間半ほどすると、もう一台のハーベスターが作業に加わった。これで機械が順調に動けば、何とか夕方までに終わるめどがついた。15枚の田んぼがあり、1枚が1時間平均で脱穀できたとして、15時間になる。脱穀自体は2時に終了した。

 ハザガケの棹の片付け。藁の片付け。そして、一部の人がハーベスターの清掃。5人は冨田さんの田んぼの脱穀に移動。冨田さんの田んぼが始まると小雨が降りだす。それでも何とか4時には終わる。みんなの手分けした作業がすごい。

 そして機械をよく洗浄して、5時ごろにすべての作業が終わった。すぐにお風呂に入った。なんとお風呂から出ると、35キロのクエを釣ったという人から、おすそ分けを頂いた。お礼に丁度絞っていた自家製醤油を渡すことができた。

 この間少しづつ醤油を絞っているのだ。大きな金網が無くなったので、少しづつ絞っている。それでももう4本絞れた。帰るまでに醤油を絞り切りたい。一日2本絞れるから、この調子で、あと4本ぐらいは取れるだろう。もう醤油を仕込むというようなこともできないので、最後の醤油になる。

 荷物の方もいよいよ最後のものを送るようなことになる。後のものは小田原に残しておくほかない。小田原の農作業の方も何とかあと5年は続けたいものだが、今年の身体の調子だと何とかなるかもわからないと思えた。

 わずかなことであるが、新しく農業を始めた人たちに自分のやってきたイネ作りの技術を伝えることができた。これはいくらか役に立ったこともあるだろう。もう来年は自分流で大丈夫だ。私も石綿さんに一年間みっちり石綿農法を教えてもらった。

 今やっているやり方とはずいぶん違う農法ではあったが、一年間言われる通りの農業をやったことは後々役立つことがあった。石綿農法は7俵で良い農法で、私の農法は畝取り農法である。有機農業を広めるためには慣行農法より、収量が低いというのではだめだと考えたためだ。

 7俵の方が美味しいとか、生命力があるとかいうのは、私の領域ではない。イネを元気よく育てることが第一目標である。万作のイネのお米が一番良いお米だ考えている。それは養鶏で知った命の仕組みである。

 残った作業は籾摺りである。これを日曜日に行う予定だ。それで今年のイネ作りが終わる。田植えと稲刈りしか参加できなかったが、素晴らしいイネ作りに参加できた。来年も良いイネ作りになればと思う。

 昨日の晩から夜の間強い雨が降り続いた。昨日脱穀を無理をしてもやり遂げて、本当に良かった。突然の招集にもかかわらずほとんどの人が駆けつけてくれた。この気持ちがなければ、イネ作りは上手く行かない。無理をしても頑張ろうという気持ちになるのは、仲間だからだ。

 主食を作る仲間。命の仲間。これほど素晴らしい人間関係は他にはないだろう。あしがら農の会の仕組みは案外に他にはないらしい。是非とも、ここで試行錯誤された仕組みを、他でも利用してもらいたいものだ。田んぼの仕組みは誰も得をしない。誰も損をしない。本当の平等というものがどういうところにあるかを体験しているのだと思う。

 人の倍もできる人もいる。人の半分しかできない人もいる。それでも仲間として互いを支え合う気持ちが生まれて、良い分配をして誰も不満が出ない。能力主義ではない人間の在り方を体験する場なのだと思う。こういう活動が失敗するのは、現実社会の分配法を取り入れるところから始まると考えている。
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