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苗作りのまとめ

2012-05-31 04:05:35 | 稲作


今年は、家の脇に水田を作り、色々の事を実験してきた。身近でじっくり観察すると、今まで気づかなかったことも少しわかった気がする。来年の育苗に向けて、少し方向が見えてきたということがある。それはセルトレーでなく、苗箱で大苗を作る方法である。楽な方法として、より安定したものにしたい。

まず苗土に関して。これは有機の育苗ではとても重要である。今年の場合蕎麦がら堆肥を混ぜるということで、一歩前進した。蕎麦がら堆肥は蕎麦がらを野ざらしで1年間置いてあるものである。中にはカブトムシの幼虫が沢山いるような、堆肥化した状態になっていた。今年もすでに積み上げ始めている。特に撹拌するようなことはしない。毎週米袋で3から5袋位づつ足している状態。足していても発酵して量が減少するので、さして増える感じはしない。一年ごとに積みあげる場所を変えている。去年は養鶏場の斜面で、今年は小麦畑のみかんの木の脇である。これで全体では1haの苗に使った。完熟たい肥を越えて、風化した行き過ぎ堆肥という感じである。臭いはしない。下の方はかなり土化している。この堆肥だけで育苗を2年した人もいた。それでも発芽障害がないものである。

苗土の配合は山の赤土を5:もみ殻クン炭を2,5:そばがら堆肥を2,5。ビニールハウスに撹拌し、混合して積みあげて置く。この時土が乾いているようなら湿らせた方がいいが、野外にあるものを持ち込むので、大抵は程良い湿度である。2週間置いて置く。温度計を差し込み温度変化を確認。10℃で安定していた。温度が安定していれば問題がないが、上がるようなら、さらに撹拌し時間を置く。完成したら、8ミリ目のフルイで振るう。フルイ終わったものは、大きな土のう袋に詰めておく。5反分で40袋あったが、30袋で足りた。しかしこの土は、苗土として何にでも使えるので、まとめて多めに作った方がいい。これをセルトレーに詰めて播種した。今回、新しく試みたのが、機械苗の育苗箱で大苗が作れないかということである。育苗箱の種類を変え、播種量を変え、水やりの状態を変え、置く場所を変え、実験をした。結果としてむしろ、セルトレー以上の良い苗が出来た方式もある。

結論をまとめてみる。
1、苗箱の播種量は、60グラム以下の少ないものの方が大きな苗が出来る。
2、苗土はやはり蕎麦がら堆肥入りの方がいい。
3、発芽まではビニールハウスで管理する法が発芽がそろう。
4、充分発芽がそろうまでは、麻袋を十分に被せておく。
5、発芽がそろったら、パオパオで覆い2葉期まで置く。水やりは朝。
6、2,5葉期まで置いて、パオパオを取る。
7、この頃からビニールハウスの昼間の高温には注意。ハウスをあけると乾くので、朝晩の水やり。
8、暖かい日を見て、代かきをした苗代に並べる。
9、苗代の水はかぶるほどなくても良い。
10、苗箱は底穴の大きなものほど、苗代に根が伸びて良い。
11、育苗期間は4月17日播種で田植えが6月3日で4,5葉期。47日間。
12、浸種は、低温で、1週間以上出来れば3週間なら発芽がそろう。
13、最後の一日くらい、湧水に入れると、鳩胸状態になる。
14、「3月27日がもみ洗い。」「4月3日が土振るい。」「9日が苗代作り。」「17日が種まき。」

セルトレー方式も良いのだが、苗箱で出来るなら、作業が楽になる。苗箱の数を減らす事が出来る。来年はさらに研究を深める。

昨日の自給作業:4時間 代かき 累計時間:32時間
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加藤コーヒー

2012-05-30 04:13:17 | 身辺雑記
食の自給を標榜しながら、コーヒーを毎日飲んでいる。あることで1年間禁コーヒーをしたことがあるが、それ以外の時期は常にコーヒーを飲んでいる。要するにそのくらいルーズなのだ。しおらしくかきながら、そのくらいルーズがいいと思っている。前は、友人で喫茶店をやっているものが、コーヒー豆分けてくれていた。安かったし、味も気に行っていたので、20年位続けていた。ところが彼も私と同じ年齢で、いよいよ店を辞めた。まあ、これもそう言いながら、完全に辞めたという訳でもなく、店を小さく暇な所に移転させて続けてはいる。好きな時に適等に休み休みという、商売としてはほぼ廃業したと言っても良い。私の養鶏と似ていると言えば言える。養鶏は手を抜いてない、床また注釈つきである。そんなこともあって、しばらく前からコーヒーをどう買えばいいか迷っていた。それでネットで探していたら、加藤珈琲という通販のお店に出会った。

どうも中日の優勝したセールを熱心にやる所を見ると、名古屋のお店でないかと思う。いつの間にか、3,4年は買っているということではないか。別にこのお店がお薦めかどうかは分からない。しかし、続けてきたことを見ると、不満はないということのようだ。実はコーヒーの味の違いが分かるほどの、男ではない。コーヒー通をブルのも恥ずかしい。何故続けているかと言えば、初めて購入した時、トラブルがあった。苦情を連絡しているのに、「いかがでしたか。」というような、多分自動配信のメールが来たのだ。これでかちっときた。「良くないから、文句を言っているのだろう。人のメールが理解できないのか。」と怒りのメールをした。先日の金沢~デズニーランドへの高速バス会社の通販でも、「旅行はいかがでしたか。」というメールがチケットの購入先から来たという人がいた。何と言う無神経かと驚いたが、成るほど自動配信の返信メールという事だと今なら分かる。

全く知らなかったから、コーヒーの銘柄がおかしいとか何とか言っていた訳だ。ところが、何と加藤珈琲から丁寧な謝り状と、代替品が送られてきた。その態度がとても、誠意があり信頼した。それ以来加藤珈琲オンリーである。品数が豊富だ。あの品薄のモカすら結構あった。学生時代からコーヒーと言えば、モカだと思って飲んでいた。柔らかな味が好きというのもあったが、内心エチオピアのアベベが好きだった。アベベの故郷のコーヒーだと飲んでいた。それで長距離部に入部した位だ。今でも、少年アベベ・ミキラ選手は、裸足でアビシニア高原で走っている。クロスカントリーのようなコースを、子供の頃からはだしで走っていた。そのイメージが焼き付いた、ローマオリンピックで優勝し走り終わった時、全く表情を変えず整理体操を始めた。その姿には子供ながら打たれた。まさに走る哲学者であった。話がそれてしまった。そのアビシニア高原ので採れるコーヒーというのは、最高のものに見えた。

ホヌポぺブランドのブラジルは何となくおいしい。ブラジルというのは苦みの強いまずいコーヒーのイメージだった。ところが、ホヌポぺのブラジルは、確かに上手い。それもそのはずで、ブラジルというのは広大な国だ。ブラジルと全部を一つに言う事自体がおかしい。ブラジルのどこそこの農園の、どういう栽培法の豆だとか書かれている。カップオブマルマルというものもある。もちろん、フェアートレードの豆も扱っている。コーヒー豆がモカだけでないという事を知った訳だ。それ以来、世界各国のコーヒーを買う。これはエクアドルか、これはインドネシア。最近は中国もある。飲みながら、その国に思いをはせることもできる。コスタリカのコーヒーを今朝を飲んでいる。そして、この国の非武装の憲法について頭をかすめる。

昨日の自給作業:代かき3時間 累計時間:28時間
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消費税と衆議院選挙

2012-05-29 04:08:15 | Peace Cafe
消費税について国会で論議が行われている。少しづつラジオで聞いている。最近の国会はパネルを持ち出しての質問が多いので、分かりにくいことがある。消費税の国会議論は内容がなく、まるで通過儀礼のようである。このままでは政治生命をかけてしまった野田内閣は、沖縄の基地移転に何の清算も無く政治生命をかけた、鳩山内閣と同じ進路である。アンケート調査によると消費税の必要性は50%を越える人がやむなしとしている。しかし、その前に行財政改革でやることがあるだろうというのが、大方の考え方のようだ。ところが政府は消費税の議論をしていて、肝心のその前にやるべきことをごまかしてしまおうという作戦。それは野党の方も同じ気がする。三すくみで選挙が出来ないからだ。民主党は選挙をやれば、大敗をするのは間違いがない。と言って、自民党に戻る方がいい、という人も少ない。第3勢力が勢いがあるうちは、選挙を先延ばしにする以外に道はない。

自民党の落選議員は、長い浪人生活を続けている。自民党の候補者は浪人中の長い選挙運動資金に、苦労しているようにみえる。自民党タイプでは、顔をつなぐことを選挙運動と考えているので、お金もかかる。あちこち顔を売るだけで、いかにも大変そうである。しかし、そう言う地縁血縁的土壌も薄れてきているから、今度の選挙は今までのやり方は通用しようもない。政策選挙をやればいいだろうに、そもそも支持母体がそう言う体質ではないので、それは避けている。のらりくらり誰にでも愛想よくしていることを、継続的に続けているのは、限界にきているように見える。エネルギー政策など国民が具体的な改革案を期待している。勉強不足なのだと思う。ブログを読んでいても意見が出てこない。この国難に置いて何のために、何故国会議員に立候補を予定しているのかさえ、偉そうだがよく分からない。まあ、地元民主党議員のブログも現職議員の仕事として、主題をはずしているからどちもどちっちである。

となると、橋本氏や石原氏の地域首長からの国政進出である。地域の首長は独裁的である。それは地域は大統領制だからだ。人気取りにたけた人が、選択される傾向が強い。暮らしに直結した感覚を維持している。石原氏の尖閣買い取りや、橋下氏の入れ墨アンケートなど、話題をさらうことに実にたけている。橋下氏は消費税については、小沢氏と連携して反対である。石原氏はむしろ賛成。良質な官僚との連携。これが地域政党とどう連携できるかが課題だ。小田原市でも同様である。行政職員が本気になれば、能力も高いし実行もできる。誠実な人が多い。汚職や暴力行為をするような、ひどい人もいないとは言わないが、全体としては期待して大丈夫である。問題は方向性である。官僚の中には有能であり、志のある人もいる。国民はそうした人が連携を取れるように政治の流れを作り出す。その意味で、官僚と連携が取れない、民主党政権は末期的である。


国会の議論を消費税に矮小化してはならない。財源はバランス良く多様な方がいい。その意味で消費税も悪い税ではない。税は全体のバランスである。税の累進性は後退している。格差社会が様々な困難を作り出している。企業の競争が激化すれば、即戦力的能力主義が広がるだろう。最低賃金では、生活保護費以下と尉現実。しかし、最低賃金も出せない分野の存在。法人の合理的農業を模索され、不合理な小さい農業者が生きられない状況を作り出す。これが農業分野の改革だとすれば、不利益地域を維持している仕組みを考えなければ、放棄される地域が増えることになる。集落消滅、地域崩壊。すべては日本全体の合理性の中で、この国の方向を示す事が、国会の論議でなければならない。消費税も常に、全体の中で論議されるべきだ。今の消費税国会論議は、問題を先送りにするための、儀式的論議である。野田氏の政治生命をかける場所は、見当違いである。

昨日の自給作業:代かき3時間 累計時間:25時間
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ホルムアルデヒド問題

2012-05-28 04:39:13 | 環境関連
利根川水系の浄水場から国の基準値を超える濃度の化学物質ホルムアルデヒドが検出された。群馬県の廃棄物処理業者が川に流していたことが分かった。広い下流域で汚染が広がった。ホルムアルデヒドを生成する原因物質ヘキサメチレンテトラミンを高濃度に含む廃液は約60トンで、5月10日に化学メーカー「DOWAハイテック」(埼玉県本庄市)から群馬県の産廃業者に処理が委託された。産廃業者は、廃液について十分な説明を受けず、高崎市内の利根川支流の烏川に排出した可能性が高い。今回の事件ではいくつかの解決しなけばならない課題が見えてきた。飲料水の取水口が、川の河口付近にあるような仕組みは、早く止めた方がいい。河口取水口は砂の堆積や、砂浜の減少などの問題もあり、早く撤去した方がいい。上流部に産業廃棄物の処理施設を作ることも、禁止すべきことだ。汚水を流す施設が、飲料水の取水口より上にあるなど危険なことだ。

このDOWAハイテックでは9年前も同様の事件を起こしていた。その時も問題にはなったが、結局は何も対策が取られていない。多分今回もほとぼりが冷めるまで騒ぐに過ぎないだろう。理由は簡単である。対策が取れないのだ。似たような物質だけで100以上あるとされている。それをすべてどうチェックするかということである。実際には、企業も廃棄物業者も実態を知らない訳ではない。構うことはない、法に触れる訳でもない。今言われている、合法麻薬と同じことである。規制をかけるためには、チェック方法が無ければならない。その技術も、対策の費用も、そう言う部局も、人員にも、すべて限界がある。さらに新しい、合成化学物質はあらわれている。100を押さえたとしたなら、新しい1000が登場している。企業は価格競争である。負けたら何にもならないという追い込まれた中で、より安く製造しようとする。怪しげであっても背に腹は代えられない。

今回の事件は氷山の一角である。複合汚染のひとつだろう。ヘキサメチレンテトラミン自体は食品添加物に使われるというから恐ろしい。これが塩素と化学反応を起こしたというのだ。塩素というものはなかなか厄介なものだ。塩素自体はあらゆる所に存在する。別段珍しい元素ではない。ところが、塩素は化学兵器にも用いられるような毒性がある。しかも塩となれば身体に大切なものである。水道水に含めれる塩素が化学反応を起こし、発がん性のあるトリハロメタンを生成していると、よく言われている。水道水の場合、各家庭の蛇口で1リットル当たり0.1 mg以上の濃度を保つように規定されている。そもそも良い水なら、こんな問題はない。上流の下水処理場から流された、病原菌が、下流域の浄水場から混入して、病気を蔓延させたような事故も起きている。

子供の頃もそうだったし、山北でもそうだったが、何十年も塩素のない水を飲んでいた。本来、上水と下水を分ける位当たり前のことだが、こういう当然のことが軽んぜられている。田んぼの水でも、普通に家庭の下水が流し込まれる。ちょっと工夫すれば防げることなのに、このあたりがとても杜撰になっている。下水道の普及が言われるが、下水処理場が上流部にあるようでは、下流の暮らしは耐え難いものがある。そうして、塩素殺菌をせざる得ない水になる。塩素殺菌に変えて、オゾン殺菌にするという事もある。問題はこうした、訳のわからない産業廃棄物が、違法でもなく、上流の川に合法的に投棄されている。今回は業者が内容が分からず、一辺に流して数値が上がった。内容を廃棄物業者が知っていたら、徐々に流し基準値以下で判明しない。法で取り締まれないくらい、化学合成廃棄物が複雑化している。上流域での廃棄物処理の禁止である。

昨日の自給作業:アラオコシ8時間 累計時間:22時間
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田んぼの放射能対策

2012-05-27 04:37:46 | 稲作
いよいよ田植えが始まっている。福島県だけでなく関東平野全域が量の差はあっても、放射能が降り注いだ。小田原では箱根山麓に当たった放射能雲が、比較的強く山に降り注いだと私は考えている。政府の公表の数値は意外に低いことになっている。放射能の土壌測定値でもだいたいのことは見えてきている。高度差や地形の違いで、微妙に変化が大きい。しかし、箱根山麓全体に降った量はそれなりのものであろう。それは、結局は海に流れ込む。直接、3月16日前後に風の流れに乗り、関東に到達した。その時葉のあった常緑樹には、こびりつき、吸収された。それが昨年のお茶やシイタケに現われ、驚くほどの高濃度になった。お茶などは深刈りを繰り返すことで、農家では10分の1まで放射能が削減した。しかし、冷凍みかんの騒動でもわかるように、常緑樹は樹木内部まで貯め込んでいた訳だ。それが翌年のみかんにもいくらか表れる。という経過である。現状での農地の土壌への蓄積はさしたることはなく、畑の作物はすでに殆ど放射能は表れていない。

しかし、田んぼでは問題がまだ解決したわけではない。関東地方の稲作農家は万全の対策が必要である。農水省では土壌からの移行を中心に考えているために、土壌汚染のレベルの低い、関東地方については安心している節がある。農水省は土壌にカリ肥料を入れるという対策を中心に主張している。この考えは、土壌放射能が低い田んぼでは充分ではない。確かに、カリがあれば、セシュームを吸収しにくいということは事実だが、土壌にカリがあったとしても、水自体にカリが存在しなければ、田んぼでの効果は低い可能性が高い。玄米にセシュームを貯めるのは、穂が出来てから以降の水根からの吸収という事を疑わなくてはならない。この時にいくら土壌にカリウムがあるからと言って、水根からの直接のセシューム吸収を防ぐことはできない。放射能については、農水省の指導を信頼した所で、放射能が現われてしまってからでは遅いので、冷静に考えて欲しい。

関東の山も多くは杉檜の植林である。この山では、樹木が大量の放射能を吸着させた。それが落ち葉となり落ちている。それは昨年も起きたことであるが、常緑樹であるから今から落ちて来るものもある。そして、その枝葉は地面で腐食し、腐植物から離れセシュウムは雨で流され下流域に流れ下る。かなりの部分は雨で流れ下るのだが、そのピークは東京湾においては来年あたりという予測が京都大学から出た。田んぼへの流入も、今年はまだ安心が出来ないということである。色々放射能数値を挙げて説明したいところだが、数値は風評に繋がるので、控えざる得ない。ともかく、心配が解消された訳ではないと考えている。東京湾では再来年に成って、高い場所のヘドロ中で5000ベクレルになるとされている。これは流入する水が、これからの方が油断できないということになる。平均的にも400から500ベクレルの海底の土壌になるらしい。

これは、水に含まれる量という事では、ただ事ではない数字である。田んぼの土壌に増えるほど水に含まれていれば、稲の吸収では大変な量になる。つまり、土壌に増える量はほぼ、稲が貯める可能性があるともいえる、大変なことだ。対策としては、田んぼで使う水を減らすこと。特に保後半。根が浅くならないような耕作。強めの干し田。また、流入口に溜池や迂回水路の設置。入水口付近にもみ殻、もみ殻クン炭。ゼオライトの設置。粉末状の牡蠣ガラの散布。吸着後の資材は地中に埋めれば殆ど問題ない。水生植物を後半に繁茂させられれば効果が考えられる。お米は就職なので重要である。シイタケや、お茶とは違う。食べる量が多分1000倍くらいにはなる。1ベクレルでも下げることは意味が大きい。対策については、本来であれば専門家が指導すべきだが、大半の人は土壌からの吸収に気を取られている。それであえて、拙い素人考えを書かせてもらっている。

昨日の自給作業;お茶の刈り込み3時間 累計時間:14時間
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生活保護費のこと

2012-05-26 04:05:53 | Peace Cafe
お笑い芸人の笑えないみみっちい話が、国会にまで取り上げられた。そこから始まり生活保護費の見直しが話題になっている。大阪市では18人に一人が生活保護を受け、15万人いる。この制度が限界にきていることが分かる。お笑い芸人の事例で言えば、モラルが全く感じられない。自分が収入が増えた、5,6年前からの分は返還すると、反省した様子でコメントしていた。今までもらった生活保護費すべて返還するというのかと思った。母親は当然の権利で世間の反応がおかしいとしている。保護費で育ち、成人してすべて返還した人を知っている。お笑い芸人になる夢は素晴らしい。それに向けて、貧乏暮しをして頑張って成功する。成功物語としては面白い。しかし、生活保護費で母親を暮らさせているということは、普通なら悩む所だ。親を無視して、自分の夢を果たすのも良い。しかし夢を果たした後知らんぷりしているのでは、情けないではないか。

僧侶だった祖父は生涯そうした福祉にかかわった。生活保護が救済になっていないという話を良くしていた。人間をダメにしてしまう事例が、多々あるという事を愚痴っていた。そう言いながらも、そうした人の世話に本気だった。どうすればいいのか、良く悔み、悩んでいた。それは50年から30年くらい前の話だ。もらう人も気持ちの上でもっと苦しんでいた。生活保護が制度として定着し、現在、権利として意識されている。お笑い芸人を雇用していた、吉本興業は当初、「実名報道は人権侵害であり、何ら法を犯している訳ではない。河本本人においても、河本の親族においても、 大きな精神的負担となっていることをご理解いただき、今後、マスコミ各社及び両参議院 議員においては、人権に配慮した冷静な対応をいただくことを強く望みます。」と、強気の見解だった。その後出した見解では、随分トーンが後退している。暴力団との関連を含め、社員の管理が出来ていない吉本興業である。

河本氏と同様の甘い考えが、日本の社会に蔓延していないか。息子が住宅ローンが払うために、親が生活保護を受ける。こんなことが許されているそうだ。法律の事とは別に、そんなモラルの社会がまともだとは言えない。生活保護の名目で税金を分捕ることを、権利のように考えるのでは社会が成り立たない。その為にすでに社会保障制度は崩壊し、消費税を上げようという事が論議されている。国の借金は限界を越えている。子供が親の面倒をみるために、自分の夢を諦めざる得ない。こういう苦しみがない社会になってしまったことに、私はがっかりする。親と暮らすということは、有難い体験であった。私のような人間でも、少しは役に立てたという有難さがある。そういう体験の結果、両親が自分の中に居てくれるという安心がある。そうでなければ、自分の生きることがどうなっていたかと思う。

新規就農した農業者の暮らしは、生活保護による最低生活より、収入が低い場合が多々ある。それは河本氏が修業時代そうだったのと同じことだ。ただし農業者の暮らしは、将来良くなる希望ある訳ではない。好きなことは仕方がないとしても。その結果農業者は急速に減少している。他の分野でも最低賃金で働いている人が苦しい。社会のバランスが崩れかけている。農業者だけではない。生活保護の受給者が増えた以上に、限界以下で暮らしている人が多数存在する。そうした結果なのか、仕方がないから、いやいやではあるが耐えて働く。社会からこうした気持ちが無くなりかかっている。親の面倒をみる。これは生きる負担ではなく、有難いことである。そうできることは幸運なことだ。そう思っても限界もある。生活保護を受けるということは、最後の手段である。これは法律では片付かないことだ。社会のモラルである。その歯止めを失ったら、この社会は成り立たない。
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自己責任論

2012-05-25 04:34:32 | 地域
自己責任という事をとても大切に生きてきたはずだった。悪いことも他人のせいにしない。こういう考え方で、自分の生き方を決めてきたつもりだった。すべてを自分の問題として考えるこにしてきたつもりだった。「そうでもなかった。」果たすべき大事な責任を果たさずに来ていたということに、今さらながら責められる。自己責任論がおかしな形で使われだしている。自己責任を他人に要求する考え方とでもいうのだろうか。自分の責任を放棄した人の考え方だ。例えば、政府が津波が来たら、自己責任で避難して下さい。こういう主張をするのは間違っている。確かにいざという時に判断しなければならないのは自分自身である。政府が指示をしてくれなかったとか、逃げる場所を確保してくれなかったとか、そう言う事を考えてみても、死んでしまえば終わりだ。それでも、政府は住民の安全に対して責任があり、自己責任で逃げてはならない。

暮らしている舟原はほぼ全域が、土砂災害危険地域という事が指定された。今の所どこに逃げるかも決まっていない。危険な地域とだけ行政は告げた。それで責任を果たしたと言えるだろうか。自主避難場所という看板だけは、もっとも危険とされた公民館に今でも掲げてある。さらに3キロ近く離れた、久野小学校が一応現在の避難場所である。舟原から、行くとなると、川沿いの危険地域を通ることになる。危険と宣言するときには、対策まで同時に出さなければならない。少なくとも今後のスケジュールを具体的に示す必要がある。現状では舟原の住人は、久野小や公民館は駄目だと考えている。ここまでである。社会とは何なのだろう。地域とは、小田原市行政とはどういう責任の範囲のものだろう。危険であるならば、何が出来るのか、山の再生。上流部の和留沢に雨量計の設置。安全な避難場所として、諏訪野原公園、フラワーガーデン、そして、焼却場等が近くにある。地域の緊急時互いの連絡先など早く体制を確立すべきだ。

災害のことに限定したことではない。食べ物の安全が放射能で揺れている。飼料の化学合成添加物の残留のことも、あるいは、ホルモンなどのかく乱物質。土壌汚染のことなどもある。すべてを、考えてこの位ならばという線を引いて食べて行くしかない。神奈川県の農政担当者に、農地での農薬の残留についての期間を質問した。大気だって農薬汚染されている。全くの清浄な状態などない。だから、そんなに細かなことにこだわっても意味がない。というような意見を言われた。確かに田んぼをやれば、水に何らかの物質が混入している。そもそも土壌は安全なものだけで出来ている訳ではない。先日もホルムアルデヒドの水道水への混入が問題になった。田んぼであれば大半が見逃されているだろう。神経質になリ過ぎれば、耐えきれないような状況があるのは事実だ。しかし、政府が安全のラインをご都合主義の暫定値で、でたらめにして信頼性を失った。この付けが波及している。

全体が良くならなければ、自分も良くならない。しかし、それまでの間は、妥協的ではあるが自分なりのラインを引く。それは生き方の問題なのかもしれない。これは考え方かも知れない。自己責任論の背景には格差社会があると考えている。努力が足りないお前自身の努力の問題だ。社会的な責任というものを隠そうという方向である。暮らしてゆく条件に対して、社会が責任を取れなくなっている。これは江戸時代よりも今の方が、責任を取ってくれていない。原子炉事故で良く分かった。国の経済の為には、住民の命は粗末にされる。自分のことは自分で決めない限り暮らしてゆけない不安な社会。だから、みんながつらい気持ちで暮らしている。自分のことで精一杯で、前向きに成れない社会。こういう時こそ、仲間だと思う。同じ気持ちの大勢の人が、何とかしようと黙々と頑張っている。それが励みである。
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冷凍みかん給食使用せず。

2012-05-24 05:06:22 | 環境関連
何とも情けないことだ。みかんを作リ食べている農家としてダメージがある。ただでさえ経営的に苦しいみかん農家の事をつい考えてしまう。もちろんそう言う事でないことは分かっている。悪いのは放射能を撒き散らした、東電である。学校も、みかん農家も被害者である。横浜市の行った指導は最悪の手法だ。横浜市長は市民はお客さんだと言っている。こういう瀬戸際でそう言うやわな思想が出てしまったのだろう。気になるのは、政府が安全であると決めた、100ベクレルをはるかに下回った最大でも10ベクレル以下というみかんを、食べるべきでないという考え方の流れである。この不安をつのらせる流れに、横浜市が正式に乗せられたという情けなさ。その根拠として3つの考え方をみた。どれも正しいものである。1、放射能のこともあるし、今の時期わざわざ、冷凍みかんを食べる必要はないだろう。2、どれほどわずかでも放射能があるものは、子供に食べさせるべきではない。3、給食という食べざる得ないものでは、できる限り放射能があるものは食べさせない。

間違っている訳ではない。その通りだと思う。それでも、このやり方は返す刀で農家を切り捨てている。初めから、県内の冷凍みかんなど使った人間に知恵が足りない。誰が考えても放射能がいくらかはあることは、想像できるだろう。あえて使おうと決めたのなら、それを厳守すべきだ。こうやって、揺れ動くことがただでさえおかしく成っている神経を、めちゃくちゃにしてくれる。確かに放射能の健康被害は、分からないことだらけだ。分からない以上、特に子供たちには出来る限り避けるべきだという考え方はまっとうなものだ。誰だって子供の健康を大切だと思う。しかし、同時に農家の生活もある。やっとこさっと続けている県内のみかん農家である。両者が大事なのだ。こんな形で農家を踏みにじるやり方が、許せない。子供の大切さ以外見えなくなって、法を越えて農家を切り捨てている。今インターネットの世界では、子供の命を守るの正義を振りかざして、魔女狩りが行われている。手柄のように、どこの何から幾つのセシュームが出たとしている。

こうした流れが様々な活動を制限している。例えば段ボールコンポストでも、出来た堆肥の利用法で制限が受けている。堆肥は400ベクレルという範囲があるが、小田原の段ボールコンポストでは、不検出か、20ベクレル代である。この程度であれば問題がないというのが、堆肥としての利用だと考える。ところが全部の堆肥を計れ、0,1だって駄目なものは駄目だの理屈を一人の人が主張するだけで、すべてが止まる。このことから生じる問題点は、放射能を前にして無視される。学校でお茶でうがいして、インフルエンザから身を守るとしていた活動が、お茶には放射能があるからと言って、中止される。お茶うがいで、何ベクレルの放射能が取り込まれると考えるのか。この農家に対しては無神経な対応が美談のように報道され、当然のように受け止める人たちがいる。冷凍みかんに放射能があることを知りながら、それを生徒に伝えないことがおかしいと、東京新聞が報道したのがことの起こりだったと思う。そんなことを事件として騒ぎ立てる報道の姿勢が許し難い。

子供たちの命を放射能から守る。それは確かに大切なことである。最大限努力はしたい。そしてそれを長期にわたり本当に行うためには、総合的な判断が必要である。横浜市の判断は県内の給食に使って居る他の自治体にも影響する。日本に農家が居なくなれば、子供たちの命は守れない。基準線を引く以外にない。成長期の子供と、大人とを同じにしている基準はおかしいと思う。乳幼児の基準と、成長期の基準と、成人の基準を作り、作った以上互いにそれを大切にすることだ。もし、横浜市のような対応をするなら、学校給食の基準というものを作り、それに従うべきだ。何か特定の産物が、やり玉に挙げられる状態は最悪である。その上で、食べたくない人は食べなければいい。そうした選択が気持ちよくできる、学校給食でなければならない。
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このサイトについて

2012-05-23 03:59:45 | このサイトについて
沖縄でヤンバルクイナを2羽も見た。青ヶ島ではアカコッコを見た。それをブログで確認していたら、青ヶ島でも普通に良く見るという事が書かれていた。それでどんな人だろうと「このサイトについて」を見たら、自己紹介が書かれていた。それで、この「地場・旬・自給」ブログに自己紹介文がないということに気付いた。日記のつもりだったので自己紹介の必要を感じていなかった。しかし、読んでくれる人もいる訳だ。何かの記事でこのブログに来てくれても、どういう人間なのかということが分からないのもどうかと。今更のことであるが、自己紹介させていただく。「あしがら農の会の仲間」「 Peace Cafeの常連」「水彩人同人」「発酵利用の自然養鶏」 ここまでは書いてあった。


自己紹介・・・・
 小田原の箱根山麓の久野の、一番上の方の集落「舟原」という所に暮らしている。笹村農鶏園という自給農業を試行している。1町歩くらいの田畑を管理している。一人でやるというだけでなく、『あしがら農の会』という仲間で、協働でやっている所もある。田んぼをはじめとする農業全般が好きである。特に鶏が好きで、小さな子供の頃から鶏を飼っていた。犬好きでもあり、猫好きで、金魚もだいぶ飼った。その上植物も好きであり、原種の洋らん特にパフィオぺデュラムが好きだ。生き物が好きではあるが、知識が深い訳ではない。ただその周辺にいれば嬉しいという程度のものだ。鶏については、長年養鶏をやっていていてそのことをまとめた、「発酵利用の自然養鶏」という本を農文協から出させてもらっている。鶏の飼い方を書いたものは少ないので、飼育法として有効なものだと思う。好きなことばかりやっているのだが、絵を描くという事は、ほかのこととは自分の中では少し違う。何としてももう少しやりたいと思っている。

 生まれたのは山梨県東八代郡境川村藤垈の向昌院である。1949年夏、曹洞宗のお寺の味噌蔵の上の、中二階に生まれた。その後東京で育ったが、藤垈の自然の中に、何度も戻っては暮らした。多分その体験が自分という人間を作ったと考えている。修業は全く足りないが、、寺院と関係していない僧侶である。僧名は笹村出雲(すいうん)という。1986年山北の山の中へ通いの開墾生活を始める。大島の噴火が見えた。最初はアトリエを作ろうということで1988年に移住した。興味半分でシャベル1本で自給生活に挑戦する。案外と簡単に達成出来る。はじめて安心して暮らせるようになる。自給農業をまとめてみようという気持ちになる。その過程を書きとめておこうということが、このブログの直接の意図である。自給農業で安心できれば、平和な国が出来ると考えている。自給農作業を毎日最後に記録している。この5年間の平均の年間作業時間が300時間程度である。

 平和への道として、段ボールコンポストの普及に力を入れている。イラク派兵を反対することをきっかけに、「ピースカフェ―」という小さな通信を作っていた。参加者のブログの輪を作ろうということになり、設定までしてくれて始めた。今でも分からないときは教えてもらっている状態である。始めてみると、この公開日記という形が、自分には合っていたようである。ともかく毎日継続している。平和への道は安心して自給で暮らす事だと思う。その具体的なきっかけを作るのは、段ボールコンポストを始めてみることだと思っている。循環というものが、言葉ではなく体感できる。もう自給生活で25年が経過した。「100坪の土地で、1日1時間働けば、食の自給はできる。」この事をもっと楽に出来ないか、日々の工夫を楽しんでいる。自給体験をしてみたい人は、手作りした小屋があるので、そこに泊り体験も受け入れている。
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迷い犬の保護

2012-05-22 04:11:20 | 暮らし
舟原で先日シェパードを保護した。朝、6時になるのを待つように下の家の方が、犬がうろついていると知らせに来てくれた。見に行くと2歳ぐらいのシェパードの雌である。首輪に鎖が付いていて、引きちぎられている。足の裏を見ると、少しも痛めていない。それほど遠くない所で飼っていて、逃げ出した犬だ。と言っても散歩で見かけたことはないから、2,3キロ以上は離れているだろうと想像した。人懐こい犬だが、今は不安でこうなっているが、飼えば相当に手を焼く犬に見える。下の道路のガードレールに繋いで、誰か探しに来るのを待つことにした。水だけは与えたが、飲もうとはしない所を見ると、まだ逃げて時間が経っていない。10時くらいまでそうしておいたが、誰も探しには来ないようだ。警察に電話をかけた。警察からはすぐ人が来た。犬の状況を説明し、飼い主は探しているにちがいないから、昼ぐらいまで様子を見た方がいいと話す。

それで探している人が来なければ、私から、平塚の保護センターに電話をしてみると話す。警官はその前にと話を遮って、私の名前や年齢、家族構成など職務質問をする。激怒する。何故、犬を保護した人間が、自宅にいて話している。家族構成や、年齢など聞かれなければならないのか。失礼ではないか。どういう権利でそう言う事をするのだと主張する。警官は決められたことで、このような指示を受けているとか、のらりくらり言い訳をする、さらに怒りを爆発させてしまう。それなら、もう帰ってくれ。犬は私が必ず何とかするから、警察は関係しないでくれ、と追い返す。昼まで待っても、誰も来ないので、平塚の保護センターに電話をする。そっちにも連絡がない。ともかくセンターから見に来るとのこと。1時間もすると2人でワゴン車に乗って駆け付てくれる。1週間保護してもらい、連絡を待って欲しい。飼い主が見つからないときには、私がその後の面倒をみるから、絶対に殺処分をしないで欲しい。こう約束して連れて行ってもらう。

今はそんなに簡単には殺処分をしない。引き取られる犬も多いと言われていた。5日目に成って、平塚のセンターから飼い主が問い合わせがあり、無事引き取られたということである。良かった、ほっとした。先日、狂犬病の予防接種に福ちゃんを連れて下宿の方の公民館に行くと、そこにお爺さんとお婆さんが、そのシェパードを連れてきていた。やたら引きづって、おじいさんが手を焼いていた。この犬逃げたでしょう。と話しかけると、何度も逃げるんだとのこと。この前も逃げてだいぶ上の方で見つかったという事だなど言われていた。何も言わなかったが、良かった。今度は逃げられないようにしてほしい。しかし、あれでは散歩もできないだろう。それで余計に逃げるようになる。なにしろペット殺処分30万匹の国である。むごいことだ。許されないことだ。今の日本という国の命との向かい合い方が表れている。ペットを飼うのは、個人である。日本人のかなりの数人間がおかしくなっているきがする。

福島第一の原発周辺のペットの保護数は3000匹と聞いた。UKCジャパンでは、必死に保護活動を今も続けている。その活動は、殺処分0を目指す活動にもつながっている。寒川の施設では、毎日ボランティアさん達が犬ねこの世話を続けている。そのひたむきな努力はすごいものがある。カヨ子さんは継続的に出掛けている。申し訳ないのだが、わたしは行けないでいる。大勢の方が、犬や猫の保護に淡々と継続されている。全く素晴らしいし、頭が下がる。一方で殺処分30万匹である。今日の日本がそのまま表れている。犬猫を守ろうという素晴らしい精神の方々と、捨ててしまって平気な無残な人たちとが、混在している国。殺処分などない国は、幾つもヨーロッパにはある。日本では目に余る、それなら飼うなよ。と言いたいようなひどい飼い方をしている人も多い。よほどの覚悟がない限り、生き物を飼うことはしてはならない。脱走したシェパードはひとまず良かった。

昨日の自給作業:枝豆の植え付け1時間 累計時間:11時間
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2012年市長選の結果

2012-05-21 04:33:27 | 暮らし
小田原市の市長選は、現職の加藤市長が圧倒的支持で再選された。対立候補の大野氏の政策が30万都市小田原ということに象徴されるように、時代離れしていた。これでは支持したくとも出来ないという人も多かったのではないだろうか。それが低い投票率になった。加藤憲一 41,818 無 現 大野眞一 19,010 無 新 前回の加藤氏の得票数は、44108 票。かなりの票が減っている。しかし、対立候補に対して言えば、2倍以上の得票だから、選挙としては明らかな加藤氏の圧勝というところだろう。この間本人も発言しているし、又周りからの期待も加藤市長が4年間準備してきた、市民参加の形を具体的にどこまで進められるかにかかっている。中途になっている懸案事項も、結論を出さなければならない。それが2期目を支持した市民の共通の思いではないだろうか。

今回の対立候補の大野氏は市議としての実績が長く。小田原の旧来の勢力を代表しているはずであったが、充分な支持は得られていない。つまり、本来の小田原保守層は現状を静観しているというのが、実態ではなかろうか。今度の4年で何としても成果を出すように、市民参加を求められた市民は、その力を発揮しなければならない。また、行政職員はいよいよ変わると思われる。今回大野議員を担ぎ出したそもそもが市行政職員の幹部であるという噂を聞いたことがある。ありそうなことだ。しかし、もうそういう市の幹部職員は定年というサイクルである。いよいよ、加藤市政に対して、市の職員も本気で動き出す事になるだろう。市の職員の汚職問題が何度も出た。どこからかの内部告発的な文章もあちこちに回るようだ。いずれにしろ、もう一度加藤市長に機会を与えることで、心機一転して小田原を変えて欲しいというのが、市民の出した結論だと思う。

地下街の問題などでは、大野氏の提案した政策の方が可能性がある。つまり商業施設と言っても、様々である。いわゆる商店を作るような時代ではない。商店を作れば必ず失敗する。むしろ、カルチャーセンター的な施設。スポーツジムのような施設。デイケアーセンターのようなものもありうる。成功している駅そば施設を十分に研究してみることだ。商店にこだわるとするならば、元経営コンサルをしていたという、時代を読むセンスが疑われる。市民会館についても、あの場所に作るものは、何も急ぐ必要はない。これも大野氏が主張するように、広域的な施設との連携が必要である。南足柄も大規模ホール施設を持て余している。街中の活性化と大ホールとを結び付けること自体が、おかしい。充分空間の採れる場所にホールは考えるにして、お城のそばに相応しい、町を活性化する施設を作る方が価値がある。現在本当の意味では美術作品の展示スペースがない。この事を含めて、改めて場所を模索した方がいい。私は文教地区として、競輪場跡地がふさわしいと考えている。

市議補選では大川氏が当選した。若い世代に変わったという意味では良かった。私としては、原発反対という意味で、檜山氏を支持したので残念であった。それにしても若い女性で議員を目指す人は居ないものか。可能性を感じる人は沢山いる。いつまでも檜山さんではないということが結果に現われてしまった。新しい人を見つけられないという所に、まだまだ小田原の限界がある。他所の街の市議には、30代の女性はいくらでもいる。小田原でも次の選挙ではそう言う人の立候補を期待する。
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裁判員制度の3年

2012-05-21 04:13:15 | Peace Cafe
裁判員裁判の導入から3年が経った。この法律では3年での見直しが定められている。裁判員制度には当初から反対であった。是非この見直しの機会に廃止して欲しい。裁判員裁判で十四人に死刑が言い渡された。17人の検察の死刑求刑に対する結果である。重罪化が予測された通り進んでいる。死刑制度については、いろいろの角度から考えてみているが結論は出ない。裁判員においても心理的負担は大きい。死刑判決後心の重荷になり、被告の姿が脳裏に浮かぶという裁判員の談話がある。死刑執行の絞首刑実行する役目も、国民等しく負うべきだという訳ではない。その内死刑執行の立ち合いが義務ずけられるかもしれない。法務大臣が経ちあったことがあった。立派な身の処し方だとは思ったが。全くやりたくない裁判員を法で義務付けるなど、耐え難いことである。

それぞれの道に専門家がいる。それだけの訓練を積んだ人にお任せする。こうした考え方は悪いことではない。裁判官という権威あるものが裁判を行うという、了解はあったのではないだろうか。裁判官の判決の権威というものも、低下して行くことになる。国民が等しく信頼し、尊敬する。その信頼に対して誇りを持って答える。そうした従来の裁判制度の復活を望む。訓練を積んでいない、素人の集団に判断などして欲しくない。何十人もの犯罪者を見てきて、分かるということもあるはずだ。殺人をする人に対して、普通の人は生涯接することも無い。そうした人間が殺人を犯した人の更生の可能性など、考えられるだろうか。まだ、高裁があると思っていたが、1審尊重ということで裁判員の判断が優先される傾向である。裁判員制度は、司法関係者に対する信頼がない為に出来たものであれば、逆行である。司法関係者に対する、国民の不信が根拠か。裁判官より素人の方が良いという理由がどうしても理解できない。

裁判で一番恐れるのが冤罪である。冤罪で死刑にされる怖ろしさ。子供の頃から何故かそう言う夢を見た。政治家の裁判では、起訴するということで政治生命を絶つということがある。過去裁判で政治生命を断たれた人は多々ある。官僚の策謀ではないか。アメリカ政府の差し金ではないか。こう言う千作が今でも行われている。裁判員裁判ではないが、小沢裁判では検察審査会という素人の判断で、総理大臣とも言われた人物が政治生命を断たれた。もちろんその審査会にかかわった人たちが悪という意味ではない。専門家達は基礎出来なかった重い判断を、素人がしたということである。検察が不当に起訴しない事件を無くす。これが目的である。政治家の場合、基礎の影響が強くでる。ふさわしい人材を集め第3者機関が検察審査会を構成すべきだ。不審に思えば、国民等しくこの第3者組織に訴え出ることが出来るようにする。そして判断を公表する。偏向した不起訴判断をできなくする方法はある。

そもそも人間が人間を裁くことなど出来る訳がない。裁判制度はやむを得ずやることである。死刑判断は全員一致に変えるべきであるという事が言われている。そうなると死刑廃止論を持つものが、偶然紛れ込むかどうかが、死刑か懲役かの分かれ目になりかねない。疑わしきは場合は無罪ということが原則である。100日にわたる長期審理となった木嶋佳苗被告の裁判が好例である。検察は被告による連続殺人だと主張。一方、被告側は無罪を主張して真っ向から対立している。決め手となる直接的な証拠はなく、あるのは間接的な状況証拠のみ。専門家ですら判断の難しい事件で、市民から無作為で選ばれた裁判員たちが決断を迫られた。死刑判決は辛かったことだろう。このようないやな事件と3カ月も向かい合わなければならないこと自体が、避けたいことである。3カ月思い悩んだことが、これからの生涯に影響する可能性がある。私が当たる前に、廃止して欲しいが本音である。

昨日の自給作業:田んぼの草刈り2時間 にんにくの収穫等 2時間 累計時間:12時間
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沖縄で考えたこと 6

2012-05-20 04:10:43 | 暮らし


沖縄に着いて以来、祈りということを考えてきた。今までの自分の暮らしの中に祈りがなかったということ。願いが祈りに繋がっていなかった、傲慢。自分が生きるということの意味を考えた。一日一日が充分に生きれるか。明日はどうなのか。生きるということは思うに任せないということが何とおいいことか。残念な後悔に満ちている。それでも今日はしっかりと生きよう。その思いを祈りが支えるのではないか。何を祈るか。沖縄にしばらくいた草家人叔父は毎朝太陽に祈っていた。形のないものに祈るということは難しい。沖縄では祈りの場をいたるところで見た。要するに何も無いただの場所もある。ご先祖に祈るということもある。自然に対して祈るということもある。それが仏壇であったり、神棚であったり。形というものを必要とする。祈るとすればそれらを代表して、太陽というか、東方ということはある。

沖縄には祈りの場が残っていた。朝の太陽を礼拝するという何かが、自分の中にない。むしろ、祈りはご先祖に繋がる、父と母を通してである。そして、自然に繋がる水土である。自身坊さんでありながら、宗教的な臭いが嫌いだ。どちらかと言えば仏壇を拝んでも良いのだが、猫がいたづらするので、そういものは部屋には置けない。とすると、壁に何か簡単なものを張るということになる。となると言葉がいる。「父母成水土」こういう紙きれ一枚でも偶像と言えば言えないことも無い。信仰というものを自分で立てるというのも難しいものである。これこそ沖縄の水土であれば、ぐるりと石垣を囲んでそれだけでいいということもある。沖縄の諦めなければならないことに対して、対する姿勢のようなものに感じた。少し違うか、祈りの力を信じていた現実を見たような気がした。

今回の福島第一原発の事故で、どうにもならないという事を身にしみた。この40年間何を生きてきたのかという、虚無的な気分に捉われる。そしてこの事故ですら、安全を顧みることなく即座に原発輸出を続けると発言した、驚くべき政府と経済界。日本政府の目指す方角は地球破壊の道としか見えなくなった。政府つまり、この世界の方角と自分の生き方との開き。必ず、次の事故が待っているとしなけばならない。この愚か過ぎる選択を変えるには、何が出来るのかと思うと、全く絶望的にならざる得ない。エコノミックアニマルと言われた日本人の姿だ。人間が生きる本当の幸せな姿とは何なのか。祈り。願い。かなわぬ時の神頼みかもしれない。それでもそれ以外出来ることはない。聞得大君(きこえおおぎみ、チフィジン)とは、琉球神最高神女(ノロ)。沖縄王国が滅びゆく中でも沖縄の平安を祈り続けたそうだ。

沖縄について、旅の感想を続けて書いてきた。知識も特別にある訳でもない。専門家の方から見ればおかしなことばかりに違いない。それは承知であるが、自分なりに書きとめておくことの方がいいと思っている。戻ったら沖縄に移住するのですか。何人かにこう言われた。全くそんなことは考えてもいない。小田原でもう少しやろうと思っている。又沖縄に行くことがあるかあるのかどうかすらわからない。ただあのグスク(沖縄での城)の祈りの場は、心の中にある。神聖な空気こういうものを描くことが出来るのか。小田原で祈りの場が作られたとしたならば、天子台あたりだろうか。ともかく小田原という場所で、生きてみようと思っている。畑や田んぼがやれる間、鶏が飼えなくなるまでこの場所でやってみたい。
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小田原市市議会議員補欠選挙

2012-05-19 04:38:57 | 暮らし
小田原市では、市長選挙に合わせて、市議の補選がある。5月13日告示、明日20日投開票で行われる。今回は、原発推進か、反対かの選挙だと考えている。市民の暮らしの目線で、この事を判断することになる。結局選挙で自分達の方針を表明する以外、社会は変わらない。本来原発の是非を問う国民投票をすべきである。直接請求が成立しても、国民投票はない。それなら、あらゆる選挙で、原発推進派を通してはならない。議員は市民の投票で選んでいる。消費税だ、TPPだ。景気対策だ、雇用だ。色々ある訳だが、小田原で原発事故以降初めての選挙である。ともかく原発に対して、イエス、ノ―を表明したいと考えている。

 大川裕氏(47)は小田原高校、信州大学卒。大川染洗工場取締役。小田原青年会議所理事長等を歴任。商店街連合会青年部副会長を務める。この人は桑原のめだか田んぼには来ていたと思う。小田原青年会議所のネットワークはなかなか行動力がある。もし押されて出るのなら、最有力候補と思われる。暖簾を作る染色工場をやられているようだ。年齢的に、加藤市長とは小田高で同期くらいか。舟原に来た自民党の宣伝カーによると、大川氏は自民党の推薦のようだ。一番の有力候補であると思われるが、原発廃止を考えるとこの人ではだめだろう。

 元市職員篠原弘氏(60は相洋高校卒。1970年から小田原市に奉職し、今年3月に定年退職。小田原水泳協会理事(事務局長)を務める。定年退職後の再就職先として、市議会議員というのは最近よく見るパターン。植田理都子現市議が市民ホールを職員として推進した時、一緒に仕事をしていたのが篠原氏。植田氏もホールの加藤市長の進め方に反論があり、職員を止めて市議になった。同じ発想なのだろうか。元市職員という人が市議会議員になる。市役所の職員時代何をしていたのだろう。この点どうもすっきりしない。前に葡萄舎があった所に事務所が出来ていた。

 元民主党衆院議員秘書吉田良和氏(40)中央大学卒。大手ハウスメーカーなどを経て、09年3月から今年3月まで神山洋介衆議院議員の秘書を務めた。つまり、民主党から立候補するという事かと思いきや、無所属らしい。民主党に反旗を翻したという事でもないだろう。「小田原に住まうことが誇りになるような街を創っていきます。」こういうのが一番意味不明。政策選挙から遠ざかる民主党らしい主張。この人はブログがある。ともかく、この人は原発容認派と考えざる得ない。民主党関係の小田原市議2名は、小田原市議会の「原子力発電に頼らない社会の実現に向けた決議」に反対をしている。

 檜山智子氏は03年に市議会初当選し、昨年まで市議を2期務めた。小田原高校卒、津田塾大学中退。介護施設デイみどり理事長。3選を禁止している、神奈川ネットワークを止めて、3期目の市議選に立候補して落選した。ネットワーク運動で後継者を作れなかったというのか、自分でなければだめだというのか。この辺が分からないが反原発では、主張が唯一はっきりしている候補である。反原発の人は、この人に投票するしかないのだろう。この人もブログがある。事務所は茶半家具のそばにあった。残念ながら、反原発を打ち出している明確な候補となると、唯一この人である。私はそのことを優先して選びたいと思う。
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小田原市長選挙

2012-05-19 04:06:30 | 地域
加藤憲一氏が市長になってから、随分歯がゆい思いをしてきた。期待が大きかった分、失望も多々あった。1期目が終わろうとしている。つまり選挙が近づいてきた。評価をしてみたい。まず問題点からあげてみる。きれいごとの建前だけが目立つ。本人の自己評価が85点という位だから、考え方が甘いということだろう。大体の事にはまず、耳当たりの良い発言をする。耳当たりの良い、明確な意思の見えない発言をする。具体的に見れば、鬼柳、桑原地区の野生メダカは大切なものだから、守りたい。保護活動を長年して来た人には、感謝の言葉を述べる。ところが、それが政策の実行となると、どうしたのという位結果が違う。この4年間でめだかの保全は相当に苦しくなった。それは市長の責任とは言えないが、何の手だても打てなかったというのも事実である。具体的な手立の希望を出してあるが、実行が伴わない。耳触りのよい言葉を聞いていた、保全団体としては失望が大きい。

同様なことが、生ごみクラブでも起こっている。小田原市自身、生ごみ堆肥化の事業は評価している。しかし、3年で打ち切りという意見が財政サイドの意見として出てきている。ごみを減量することは、財政の軽減に役立てようという意味もある。必要経費と減量効果を考えれば、明らかに効果がある。ところが、それを財政サイドは認めない。こんな原則的な事で生ごみクラブが悩まなければならないこと自体がおかしい。二度この事で市長に生ごみクラブとして、面談をした。とてもこの活動を評価している。是非とも進めてもらいたいという。行政としても、この事業を小田原市のごみ処理政策の中で、きちっと位置付けたいと発言している。言葉は素晴らしい。議会でも8000世帯まで配布を続けたいと回答している。それなら、生ごみクラブが安定して運営できる具体的な基盤を作る必要ある。

さらに言えば、小田原電力でも同じだ。2回行われた審議会の議事録を読んだが、市民を排除し(笹村は希望していたが排除された。)即効的な具体性を持たせるという意味は、まるで見えない。環境再生プロジェクトというものが、実効性がほとんどない。パフォーマンスに終わるのか。こういう不安がある。市民会館。駅前地下街。どれもこれも、先延ばしのままで、空転しているように見えてしまう。市民協働の市政というやり方自体が、建前のきれいごとで、耳触りは良かったが、実効性が上がらなかったというのが現実ではないか。その自覚が無く上手く行っている、85点というところが、先行き不安要素。この4年間行政組織自体が、本気で市長を信頼していたようでもない。何とか市長を変えられないかという、市庁舎内の圧力のもとに動いていたように感じるときがある。2期目をやってもらわなければせっかくの、変えようとした成果が確かめられない。市長の方角に乗って、動いてきたものとしてもう一期やらせてもらわなくては困るということがある。

加藤市政の一番の評価は、脱原発をめざす首長会議に参加したことである。きれいごとや建前だけでなく、現実の中で進めるためには、小田原電力を実現しなければならない。本当に事業を進めるなら、担当者は専従が必要。そして、最低でも週一回の全体会議は普通のことだ。どこかに専従で進めているのであればいいのだが。それでももう一期、加藤市政でやってもらわなくてはならない。2期目になれば、行政職員も相当に変わる。新しい人たちは、本気で加藤市政を支える可能性がある。有能な人も多い。市民も参加の仕方が少しは見えてきた所だ。すべてがやりかけである。このまま終わらせる訳にはいかないだろう。地域が良くならない限り、自分の暮らしも良くはならない。私はもう一期やってもらうしかないと考えている。
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