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地場・旬・自給

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広域ごみ処理

2008-08-31 05:11:24 | 環境関連
昨日は平塚でごみ弁連の梶山弁護士の講演があった。必ず小田原地区での広域化問題で役に立つ事が、あると思い、聞かせていただいた。
1、最新型炉のこと。新しい炉は高度化していて、故障が多く、運転技術が難しい。熟練した運転手がいなくなっている。マニュアル的な対応巾が少ない。運転コストが、80%上がっている。
2、溶融炉のこと。高温化でダイオキシン以上に発ガン性等でリスクの大きい、物質が生成されている。バブフィルターによっても除去できない。
3、炉から排出されている物質のうち、チェックされているのは5物質で、99%のもの、ほとんどのものは検査なく排出されている。
4、焼却炉の耐用年数の20年はあくまで目安であり、30年使って問題ない焼却炉は幾らでもある。
5、ゴミは減少していて、大きい炉を造る必要はない。焼却炉は必要最小限にしたほうがいい。炉がなければごみを減らさざる得ない。
6、事業ごみの取り扱いを考える事。事業ごみがごみの総量の60%と考えられる。これは自治体が取り扱う義務はない。排除しても法律的に問題がない。名古屋市でごみが減ったのは、事業ごみを排除したからだ。
7、家庭ごみの本当の量は一人当たり、1日300グラムと考えておけばいい。
8、人口推計を何処の自治体でも多めに取る。老人家庭はごみの排出量は少ない。ごみの量は減少しているため、大きな炉があちこちで余ってきている。もし、事故や災害で、炉が停止した場合、どこかの余っている自治体と、協定を結んでおくとと良い。
9、費用さえ掛ければ、どんな排ガスも規制は出来るが、費用対効果を何処まで見るかだ。
10、良い焼却を行うには、徹底した分別である。重金属類。塩類。プラステック類。の混入を何処まで防げるか。
11、中途半端な製造者責任でなく、製造者に処理責任を課さない限り,本質的解決はない。
12、老人マンションなどのごみを調査し、年齢別のごみ原単位の調査の必要がある。
13、平塚では現在日量240トンのごみを燃やしているが、315トンの炉の必要を国は指導している。
14、平塚では、市民参加無く進んでしまったため、市民が何も知らない間に、実施計画が出来てしまった。焼却炉の建て替えが、いつの間にか決まっていた。
15、ストーカー炉を使い、投入するごみの事前分別、事前処理、を徹底し、熟練の焼却技術者が操作する。これが、現在の所一番いい方法。ストーカー炉はプラステック類の焼却には向かない。東京都が今このことで、問題化している。
16、諸悪の始まりは97年5月「広域化通知」が招いたもの。交付金を餌にした、国の方針の押しつけ。自治体の専権事項でありながら、自治体の自由度はない。
17、最新炉に変えて、運転コストに悩む自治体が増えている。
18、家庭ごみの有料化は欺瞞。事業系ごみとの関係。家庭は既にごみ処理費用を税として払っている。
19、広域化は多くの自治体で、秘密裏に進めている。市民が知れば、反対がおきる内容である事を知っているからだ。だからこそ、市民が速く事実を知り、市民が必要とする、本当の事を調べて行く必要がある。
20、ごみの減量を本気で取り組む以外、道はない。

小田原は幸いな事にまだ間にあう。今の段階なら、市民が参加して、検討することが可能な段階である。もし、市民参加を認めないなら、ここが戦いどころになる。この先に進ませてしまえば、平塚の事例からしても戦いは困難さが増すばかりである。進んでから、戻る事は城下町ホールの事を見ても、いかにも無駄が出る。今の段階なら、何の無駄も無く、市民が検討に加われる。現在は、環境課の広域担当の数人が、勝手な計画を進めているにすぎない。責任あるものを提案するなどと、発言しているが、人口推計でも、既に間違ってきている。ごみの総量予測は、はるかに大きなものとなっていて、巨大な無駄な焼却炉が提案されることになりそうだ。パブリックコメントで、市民の意見を聞くから、問題ないと。言われているが、あくまでそれは形式だ。城下町ホールですら、充分に市民の意見は聞いて作ったと言っている。ごみの事は、市民の市政参加の良い学習内容だ。一日も早い、市民参加の実現を。

昨日の自給作業:田んぼの畦の草刈2時間 累計時間:14時間
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小田原市のごみ処理

2008-08-30 07:21:58 | 環境関連
昨日は小田原市の環境課とごみフォーラムのメンバーとの話し合いがあった。テーマは生ごみの堆肥化だ。生ごみの堆肥化についての、市民参加の協議会の設置をお願いさせてもらった。ごみは市民の学習材料だ。特に生ごみの堆肥化は、市民がごみについて、考える、適切であり、なかなか深いテーマだ。小田原市では現在生ごみの堆肥化を検討はしているそうだ。しかし、その考えている量はせいぜい生ごみ80トンの内3トンつまり4%程度らしい。これではあまりに消極的で、ダメだ。せめて、生ごみ全量の堆肥化を目指す、町田市のレベルは無理としても、半分の40トンぐらいはやるきで行かなければ、単なる堆肥化もやってますと言うようなお印程度と言うなさけない事に成る。何故そうなるかと言えば、広域化計画に抵触したくないという背景がある。生ごみの量の予測量が変わるようなら、広域化計画がたてられなくなる。

つまり、広域の処理の焼却炉の大きさが決まらない。だから、お印程度にしておこうと、消極姿勢に陥るようだ。市民がこの議論に参加すれば、当然本気で生ごみ堆肥化が議論される事になる。3トンと言う量は、小田原市の青果市場にある、生ごみ処理機の処理量だ。行政が頑張って、この程度をやろうと言うのでは志が低すぎないか。と言う事になるだろう。生ごみの堆肥化は、確かに身近な小さな所からスタートするのがいい。だからと言って、最終目標も小さな所でいいというものではない。堆肥化は確かに100%目指すと言っても、生ごみの回収を止めない限りむりだろう。止めたといっても、混入してくるだろうし。楽に出来るのは50%ぐらいだと思う。小田原で言えば、日量80トンの内、40トンを目標にする。ではその具体策は、つまり、これをみんなで話し合いたい。研究したい。市民の当然の要求だが、もう3年越しになっている。

例えば、生ゴミ回収しない地域と言うのを募集したらどうか。自治会単位で、生ごみを出さない自治会があれば、一定費用を自治会に渡すことにする。そこでは何らかの方法で、生ごみを自ら処理する。これだけでも4%の生ごみぐらいは解決する。久野小学校と報徳小学校には日量50キロ規模の生ごみ処理機が導入されている。この2つでさえ、上手く回れば、100キロになる。このほか学校は38ある。これから導入する学校では100キロ規模の処理機を入れるのもいい。3、8トン。こうやって、あれこれこまめに足してゆけば、40トン規模までは無理なく処理できる。毎日40トンの生ごみは800キロの堆肥になる。これは1平米年間10キロの堆肥を入れるとして、80平米。と言う事は30ヘクタールの農地分。やろうと思えば出来る。できると言う事を、イメージ化することが大切。無理と言う観点から考えれば、堆肥化など出来ない事で終わる。

生ごみを堆肥化するときに大切な観点は、処理費だ。表面的に見ると、堆肥化のほうが高くつく。特に行政が全てを管理するような方法では、今より回収手間だけでも、ぐんと上がる。基本は行政は生ゴミ回収はしない。市民が生ごみを持ち込むことの出来る体制を作る。統計的に30%の市民は協力する。正それをする市民にメリットを考える事。事業系生ごみの徹底した有料化。これも費用削減に寄与する。生ごみの焼却のデメリット・メリットを、もっと市民に説明する。助燃の燃料の問題。生ごみは水であること。これを農地に循環する事は地域の環境にいかに有効なことであるか。現状ではまだ大雑把な、意見しかないが。一日も早く、希望者全員参加の、生ごみ堆肥化協議会を設立してください。
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太田誠一農相の事務所費問題

2008-08-29 07:33:08 | Peace Cafe
又、農水相の問題が起きた。こんな事を繰り返していて、日本の農政はどうなると言うのだ。日本農業が大事な曲がり角に来ていることは、誰が考えても分かる事だ。農水相が鬼門と言うより、農業に関係のある、興味のあるような国会議員のボスは、金にだらしがないという事としか思えない。そう見る以外ない。事務所を秘書の家にしていた。これを問題ないとしている。もちろんそういう実体があるなら、問題はない。所が、誰がどう考えても、そこに事務所があったとは思えない。もしそこに事務所があったと強弁するなら、その太田誠一を育てる会というもの自体が、架空のものと言う事になる。ホームページによると、9月2日に帝国ホテルで育てる会のモーニングセミナーと言うのがあるらしい。言い訳はあるだろうし、事情もないとは言えないだろう。しかし、農水相が繰り返し、同じ問題で辞任しているのを、この人はたぶん知らなかったのだろう。自分とは関係がないことだと上の空だったのだろう。お金に丸でだらしがない。

太田誠一氏が止めようが、続けようがそんなことはかまわないが、日本農業にはいい迷惑だ。これで又、肝心の事が停滞する。今補正予算で、農政関係の事があれこれ言われている。しかし大臣がこれじゃ、強い主張は出来ないだろう。自民党は参議院選挙に大敗した事も忘れたらしい。あれは農業をないがしろにした為に、地方で票が出なかった。こういう自民党自身の総括でなかったのか。何という展望のない政党だろうか。事務所費が怪しげな、議員を農水大臣に選ぶ方も、あまりに間が抜けている。福田首相の用心深さは何処に言ったのだ。実務的である、これが一応の評価ではなかったか。これではその点も怪しいと宣言したようなものだ。農政に力点を置く、その為の太田誠一氏の起用だったはずだ。太田氏が成った時はちょっと意外だったが、それなりに力のある人だと言う事で、期待していた。

具体的な自給率向上には何も出来ていない。それでもあれこれ農政の中で調整が始まっている感じがしていた。石油高騰に対して、水産業者や農業者に支援をすると言う事が出ていた。とんでもない事だと思っているが、案外すんなり進んでいる。世の風潮が一次産業に甘い。石油で困っているのは国民誰でも一緒で、特に一次産業だけ、税金で補填するような事は、おかしいではないか。生産費が上がれば、価格に転嫁せざる得ない。これが普通の流れだ。所がこれが出来ないくなっている。野菜など豊作でもないのに、価格が下がっている。こんな不思議な事がなぜ起こるのか。消費が減っていると言う推測が出ている。野菜を食べる量が何故減るのか。大切に使うようになったのではないか。腐らせるほど、無駄に買わなくなったと言う事ではないか。生ごみも減る。それなら悪い事じゃない。

お米は今のところ豊作が予想される。40万トンは余るのではないかと言われている。お米はここ数年あまり良い出来ではなかった。久し振りの102とか言われている。この40万トンをいかに有効に使うか、先ず学校給食の完全米飯化。お米を食べる習慣を学校給食から行う。日本の国土の保全、農業のあり方、お米をもっと食べるようにしなければ、上手く循環が出来ない。米粉の利用をもっと開発すべきだ。農水には今やらなければ成らない大切なことが、山ほどある。職員にしても情けないだろう。こうも次々、愚かしい大臣が現われ消えてゆく。太田氏は相当の自信家と見える。文体的に見るといかにも、大上段に断定的にものを言う。所が、肝心の農政については、たいした意見がない。農水大臣になったのだから、それなりの農政に関する意見が出るのかと思いきや、経済対策やら、内閣制度のあり方やら、総理大臣のようなことばかり書いていた。情けないが、早めの降板しかないだろう。
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伊藤さんの死

2008-08-28 06:33:24 | Peace Cafe
ペシャワールの会の伊藤さんが殺された。その若い死がやりきれない。伊藤さんの無念は、計り知れないものがあるだろう。最も死んでほしくない若者が死んでしまった。なんと言う理不尽。現地で農業を手伝っていたと言う事だ。テレビに流れる優しそうな現地での姿が、なんとも痛ましく哀しい。26歳の時からペシャワールの会にかかわったらしい。そして、31歳でアフガンの土と成る。ペシャワールの会の中でも、最も現地に溶け込んでいたという。もって行きようのない怒りがこみ上げる。何故、よりによって、アフガンに最も必要な人じゃないか。タリバンは犯行声明を出していると言う。このタリバンと言う組織は、理解を越えた組織だ。どんな、理屈のつながりによって、伊藤さんが殺されなければ成らないのだろうか。ペシャワールの会はタリバンと一定の協力関係があると、言われていたのだが。

平和への道の困難さ。簡単な戦争への道。ペシャワールの会は、中村哲医師のもう20年以上にわたる、医療支援が基本にある。しかし、アフガンで多くの人が死んでゆくのは、水の汚染にある。きれいな水を引くことが、医療より先決であると言う事で、水道の施設を行っている。そして、伊藤さんがされていたように、現地の農業の支援。住民がその地で暮してゆけるように、地道な活動を続けている。アフガンン人の、例えば、ビンラディンですら、一端客人として迎えたら、売り渡す事などしないという、武士道のような民族性があるらしい。ペシャワールの会の人達は、客人としての扱いを受けていると想像していた。タリバンの内部状況も、想像しがたい混乱があるように思う。タリバンが最も恥ずべきとしていた、行為を行った。平和への道は理不尽に満ちていて、本当に果てしない。しかし、伊藤さんの行った農業支援。この積み重ね以外道はない。

情報もたいしては持たないままではあるが、インド洋の給油継続に対する、抗議ではないだろうか。アフガニスタンの各部族間の闘争は、ソ連とアメリカの狭間で、敵になり、味方に成り、複雑に入り組んできた。大国の利害の中で、翻弄されてきた。タリバンは、ソ連の10年にわたるアフガン侵攻によって、疲弊した内戦の中で、イスラム原理主義による宗教集団として活動を始め、アメリカの支援をえて、巨大化してゆく。それがアルカイーダを育て、アメリカへのテロ。アメリカとの対立から、バーミヤンの仏教遺跡の破壊。国内の民族間の内戦状況はより複雑化している。アメリカの傀儡政権とも言える、カルザイ政権の維持はもはや不可能な状況がある。そして、米軍の空爆の激化。これは民間人も誤爆によって多数死亡している事が、伝えられている。日本の給油が、アフガニスタンの空爆の支援になっている。本当にインド洋の給油が平和活動なのか。問われている。

タリバンの中心メンバーは繰り返し、殺害されている。タリバン自体の思想的な統制も失われ、無差別的な外国人殺害を始めている。バーミヤンの遺跡の破壊時と同様に、論理的な対応などできない状況にある。ペシャワールの会といえども、安全と言う事はない。外国人は全てスパイとみなしている。伊藤さんの行為は、日本の平和に繋がっている。平和への道は、こうした全く空しいような、ほとんど無為にも見える行為の繋がりしかない。白黒つけるような、単純な発想は必ず、武力行為と言う、力の行為への道になる。伊藤さんの思いは、日本の国内に居ても、必ず未来に繋いでいける。伊藤さんがアフガンで農業を行ったように、日本において、農業をしよう。日本において農業を行うことも、伊藤さんの思いに繋がる事だ。伊藤さんの気持ちを私は受け止めます。冥福の気持ちで、伊藤さんの優しい面影を、思い出しながら、畑を耕す事にする。
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いのちの食べかた

2008-08-27 07:01:26 | Peace Cafe
原題「Our Daily Bread」私たちの日々の糧ということらしい。ニコラス・ゲイハルター監督作品。(1972年オーストリア・ウィーン生まれ。)とても冷たい感触の映画だった。養鶏業で生きてきた人間として、見ておかないとならないと思い、二宮まで見に行った。体調が悪かったと言う事もあったのだが、吐き気がしばらく止まらなかった。ショッキングなシーンの連続と言う事もあるが、見たこともある場面も多いし。鶏については何せやっていることだ。私が気持ち悪かったのは、こうした屠場の場面の扱い方だ。いかにも表現者の客観性を装う、意図の放棄だ。自己満足だけの絵を見せられ続けていることが、耐え難かったのだ。これが、オーストリア人の冷血なのか。こういう映画を見ると、人種と言うものの壁があるような気に成る。

いくつもの賞を受賞している。アチコチで評価もされているようだ。日本でも相当の評価がされ、上映が続いている。何でこんな俗悪な映画が評価されるのだろうか。君子厨房に入らず、と言うのではない。いのちを食べるという、切実さを直視する。この点は大切。しかし、「いのちを問う」と言う事はその先の問題に対して、考えを持つから出なくてはならない。それが表現と言うものの責任だと思っている。興味本位に、センセーショナルな場面をドキュメントしたから、それで表現者の責任が完了した、とはとても言えない。例えば、世界中の人間の死刑の場面を撮影できたとして、それをただただ、垂れ流して、済むだろうか。それは、アチコチで評判を取り、評価を受けるのだろうか。ドキュメンタリーだから、それで制作者の責任はないのだろうか。

それでもその映画が、死刑廃止論者の主張のための、手法と言うのであれば、納まる所がある。ドキュメンタリーの客観性という名のもとに、表現者の責任が回避されている。ここが気持ち悪いのだ。フェルメールの絵画のように美しい映像。こういう評論があった。フェルメールの絵をまったく理解していない。親密な人間的な視線が、フェルメールの時代を越えた魅力だ。むしろ、フランシス・ベイコンの絵を思い出した。不気味さとしては思い出したが、その哲学は丸で違う。いかがわしい映画ヤコペッティの「世界残酷物語」ニューギニアの豚に人間の乳を与える人。台北の犬肉レストラン。フランスの鵝鳥の肝臓を大きくする特別食。日本の松坂のビールを飲む牛。こんなものが延々と興味本位に続く。それでもせめてもB級映画らしい視線がある。

原題「私たちの日々の糧」に続く言葉として、監督は「主よ、私たちの罪をお許し下さい。」と語っている。そんなニュアンスは画面には全くない。監督は唯一の意図の表現とした、映画の題名に唯一見える仕掛けたものは、実に遠まわしではあるが、やはり、人間に対する告発なのだろう。いきものを食べ続けていいのですか。これを実に分かりにくく、責任を逃れながら、主張しようと言うのが意図だろう。お前だって食べているだろう。とか言われることに、対して、前もって逃げ腰であり。ドキュメンタリーの客観と言う隠れ蓑に逃れようと言う、姿勢だ。実に実状に対して、悪い映画だ。これを見て、現実の一端を知るなどと言う事はない。これは外部者が、想像している通りの、畜産の現場だ。あくまで外部者のあってほしい、畜産の現場だ断面だ。誤解を広める悪い映画であった。
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めだか協議会

2008-08-26 07:29:58 | 環境関連
「小田原市桑原・鬼柳地区のめだか等の動植物の保全に係る協議会第22回ワーキング」と言うものに出席した。行政以外なら、間違っても付けない判るようなわからない名前の集まりである。「ワーキング」と言うのをはじめて聞いた時に、何の事だか、良く分からなかった。実際上の作業をするところ。と言う事らしい。その後も、時どき開かれて、21回が、2月にあったので、随分長く行われている。協議会と言うものが年に一度ほど開かれる。形式としてはそのワク組みには、地域の人なども加わっているはずのものだ。所が地域の人は出てこなくなっている。昨日は、今年行われる、と言うか今行っている道路工事の説明があった。この協議会は桑原鬼柳の田んぼ地帯を突き抜けるように、大きな国道が出来る。その対策のための協議会なのだ。

神奈川県の水源環境税から、1億1千万からの費用が投じられた。直接丹沢関係以外に使われているものでは、唯一と言う事だと聞いた。田んぼを水源と見る、大きな決断がされている。そうした費用で、酒匂川からの湧水で奇跡的に残っていた、田んぼをちゅうしんとした、自然環境をいくらかでも残そうと言う試みだ。この地区の自然環境は、県西部では特出して豊かな場所なのだ。昨日の話しでは、哺乳類(いたちを想定)が道路の下を通れる、通路の構造が話された。行政サイドから、こうしたものを作ると言う話が出てくる。私などが、改めて意見を言うような段階は過ぎている。道路が出来るという中では、出来る限りの配慮をしようという道路作りになっている。ここまで来るのが大変だった。大変だったと言う意味では、当初は、この道路を作ることに反対だった。どんな環境対策をしたところで、この環境を残す事は、無理だと考えた。

反対も長かったが、結局、上も下も道路が出来てしまい。どうにも成らない所に来て、妥協的に田んぼが少しでも残る事に努力しようとなった。田んぼが無くなれば、公園的に一部を残した所で、ほとんど環境保全の意味がなくなる。田んぼを残すだけの、地元農家にとって、有利な仕組みを考え出したい。例えば「めだか米」の試み。この地域のお米をめだか保全のための材料として、市民にアピールしてゆく。田んぼの恵の会と言う形で、市民参加の田んぼを展開する。いずれも、10年近い活動になっている。それなりの事はしてきている訳だが、いよいよ、市民が中心になって、田んぼの環境保全をしてゆく、組織作りの段階に来た。これが出来るかどうかで、今後残された条件を生かしてゆけるかにかかっている。正念場である。

昨日は、道路に沿って5メートル巾で、水路にはさまれた、500㎡田んぼが残るが、環境保全グループで、耕作できないかという話になった。当然、やらなければ意味がない。それがやれないくらいなら、ここに環境対策をあれこれやった意味がない。地主さんは出来る訳がないという、姿勢だそうだ。尚更、立派な耕作をして、結構やるな、と言う状態を作らねば話にならない。私の責任で耕作しますと、つい言ってしまった。保全グループと言っても、まだ、形が見えない。形の見えないものでは、地主さんは不安でしょうがないだろう。「農の会」と言う形で借りるのであれば、一応の安心が得られる。この先、水路の管理、農道の管理、ビオトープの管理、保全グループが行わなければ成らない、仕事量はかなりのものが想定される。行政から費用など、大して出るものではない。市民の力が問われている。

ちょっと前の自給作業:鶏糞取りと、お茶畑への投入2時間 累計時間:12時間
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累計雨量276

2008-08-25 06:49:32 | 稲作
舟原の累計雨量が276ミリになった。一日雨量であれば、過去最大量だ。 8月24日12:29 西湘地域に「大雨洪水警報」発令 17:00 「土砂災害警戒情報」発表
幸い舟原周辺で、土砂災害は起きてはいないようだ。朝方から雨も止んでいる。相変わらずの極端な、荒々しい天候だ。田んぼの水も畦を超えて流れていたが、畦が壊れる事はなかった。しかし、なにやら訳のわからないごみのようなものが、大量の流れて、道路に散乱している。久野川も赤土を溶かしたような濁った水だ。幾らか雨が降れば、すぐ濁る。田んぼへの水も砂混じりだ。濁り水を入れたくはないのだが、水を止めていた一番上の田んぼはもう土が出ている。抜けが良く田んぼの土とは言えないくらいの土だ。道路が改修されたときに、田んぼも補修があり、その際に山の土を加えたらしい。

腐食質が足りないと思う。腐食質が増えれば水ももう少し貯まるような土になってくるだろう。稲藁は戻さない。藁は畑に使いたい。今年は特に畑の方で必要としている。稲藁を田んぼに戻さない。これの方がどうもいいような気がするのだ。もし戻すなら、堆肥として積み上げて、その後に、戻した方がいい。ただ撒き散らして、土に戻すやり方は稲藁を大切に使っている気がしない。今年の昨年と続けてのヒントがある。長年腐食が貯まっていたような所では、すごい稲に成ると言う事だ。海老沢さんの休耕地の田んぼ。坊所田んぼの草を積んであった後の田んぼ。これが、すごい稲になった。普通に耕作した田んぼとは、明らかに違う出来なのだ。背丈が伸びる。分結が多い。葉も厚く幅広。茎は太く。穂が200粒はあろうと言う大きさ。

トレス・小川さんの坊所田んぼは、2反にあった緑肥を昨年、一箇所に集めて5メートルの山に積み上げた。コッコ牧場で耕作したのだが、草が邪魔との考えで、積み上げておいた。その前年は私が耕作していて、わざわざ蒔いた緑肥だったのだが、そんなものを田んぼに入れたらいけない。こういう考えで田んぼの一箇所を潰してまで、草を邪魔に積み上げた。それで、「あーぁ、口を出してはいけない。」この事を肝に銘じた。おかしいと思って口を出さない。その草堆肥の山が一年経ち、随分減ったものを1畝ぐらいの所に広げて代かきをして、トレス・小川さんが田植えをした。だからその辺りが浅めの田んぼになっていた。谷戸田の水口の上の日陰。悪条件の場所だ。所が、本当に驚いた。その部分がバリバリの大出来だ。葉色も確かに濃い。しかし、倒れるような柔な感じは少しもない。もしこの形で、田んぼ一面が出来上がれば、すごい出来になるだろう。

腐食質はいい。草堆肥はいい。じわじわと土の改善をして行く。たまたま、偶然の事から、土のよくなる過程の断面を、見る事になった。あらゆる形で草や、落ち葉を入れていく。外から持ち込むことが出来ないなら、草量のある緑肥を充分に作る。これは翌年と言うより、3年先の土に反映するだろう。山が良くなれば、山からの水が最初に入る舟原の田んぼは、いい田んぼになる。山が、杉檜の植林で管理も不充分、表土が削げ落ちる状態。これでは土のよくなる循環が最初で断たれている事になる。これは手入れの仕方だろう。大きく山を改変するのでなく。継続して管理する体制を作り出すこと。そうしたことが、小田原の農業全体にいい反映をしてくる。これから、荒くなる一方の気象の変化の中で、生活環境をやわらげる、最大の要素が田んぼになる、この自覚が重要。
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北京オリンピック

2008-08-24 05:35:22 | 身辺雑記
東京オリンピックのとき、ハラハラして試合が見れない。大人は良くそう言った。こんなにおもしろいものを、見れないと言うのはどう言う事だろう。不思議な事だと思っていた。所が、今は日本の選手が出てくると、試合がいよいよと成ると、もうドキドキしてしまって、見ていられない。何かが年寄りモードに変わったのだろう。子供を育てるのは若い人じゃないと駄目だと言うのも、ハラハラして大胆さが無くなるってことなのかなど思う。客席はどの競技でも空席がある。東京オリンピックは、どの競技も抽選。中国の大観衆がなるほど日本が嫌いらしいと言う事が感じられた。女子サッカードイツ対日本の対戦では、応援がドイツに偏る。ドイツが好かれる理由も特にないから、日本があまり好まれていないのだと言う事が反映する。どの種目でも、反日本的な応援を注意してみると感じられた。しかし、これは音声的であり、映像ではそういう場面は避けられていた。

中国が金メダル獲得数でトップだ。中国人という底力のある大国の姿が浮かび上がる。何でも一番は、昔はアメリカとソビエトだったけれど、ついにその牙城を打ち破った形だ。イギリス選手の活躍も目立つ。次のロンドンオリンピックを目指し、イギリス選手が強化されてきていることが分かる。日本選手も本当に頑張っている。頑張りすぎて、練習しすぎて、出場できない残念な、野口選手のような人も居た。それもそれで戦い方で後悔することはない。身体が壊れるか壊れないかのギリギリのところで、選手は練習している。日本は女性選手の気持ちの強さが目立った。自立した意思を感じる。女子ソフトボールと男子ベースボールをつい較べてしまうが、選手が自分自身の強い決断で試合に挑んでいるのが、ソフトボールだと思った。ベースボールの選手は、背負い込んだ重さに押しつぶされながら、試合をやらされているような、苦しさが見えた。普段の力以上のものが出るか、どうか。がスポーツのおもしろさだ。それが普段の力も出ない精神状態に、入り込む。「プレッシャー」。こういうことも今の日本の社会状況が反映しているのだろうか。

外国チーム同士の対戦を見ていると、実に試合の内容が見えてくる。女子サッカーのアメリカ対ブラジルの対戦。0対0の状態で30分の延長戦に入る。ここでアメリカが1点を入れて勝利する。ブラジルは男子でも言われるように個人技が世界一。マルタというエースが3人ぐらいに取り囲まれても、華麗に抜き去ってゴール前に踊り出る。惜しくも、放つシュートがゴールしなかった。こうした1人の選手に頼るゲームの組み立ては、ブラジル的ではあるが、今回は実を結ばない。アメリカは終始押されていながらも、体力で凌ぎ、中盤でこぼれ玉を拾い、タテ一本のパスで前線突破のカウンター攻撃。全体の防御的フォーメーションも延長戦にはいっても変わる事がない。どうもブラジルには動きの鈍い選手が出てきてと思う頃、急に動きの早くなったアメリカが得点を入れて勝利する。

残念な事にベースボールは破れた。韓国が優勝した。2人の若いエースがすごかった。日本にも、ダルビッシュと田中選手と言う、若いすごいピッチャーが居たのだが、勝負できる形で使えなかった。破れたとはいえ、実はそのプレッシャーと言うものに直面した事も、立派に戦ったと言う事だ。他の競技も同じだ。懸命に走り、投げ、飛んだ。選手がこのオリンピックから得たものは、他に変えがたい大きな宝だろう。それは「負けた」選手であっても、十二分にやったのであれば、結果として「負けた」と言う宝を得たことに、変わりはない。「やりつくす」。平常の暮らしではつい忘れている、人間の限界に挑む姿は、心を揺り動かす。実は、これは畑の草を刈るような、実に地味な事であっても、少しも変わらないことだと、思い到る。自分のやり遂げんとすることを、やりつくす。1人の観客すら居ないが、生きると言う道のりを、己の方法でやりつくそうとしている。そう言う事をまざまざと思い出させてくれた。
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鶏糞

2008-08-23 08:00:20 | 自然養鶏
明日お茶畑に鶏糞を入れる予定だ。私の担当は養鶏場から30袋鶏糞を掘り出し、袋詰めして、お茶畑まで運ぶ事だ。17日に5袋だけ詰めた。これが原因で体調がおかしくなった。翌18日の朝は少し変だったが、草刈などした。所が、19日になって、集荷場にいけない感じになった。その後熱が出てきて、38、8度まで上がった。20日はそんな状態が続いた。21日から体温が下がり。何とか養鶏ができるようになった。しかし、体重も3キロ減って。体が今日になってもまだふらつく。実は鶏糞掘りをして、熱を出したのは4回目ぐらいだ。気を付けなければいけないのに、又やってしまった。結核をやったことなどもあり、肺が弱い事は分かっている。鶏糞がもう少し湿気ていればいいのだが、どうしても埃っぽい所がある。霧状の水が、昼間は時間ごとに出るようになっているので、それなりに湿気ているのだが、風向きもあって乾くところがある。

発酵床をいい状態に保つのはなかなか難しいものだが、今は中出来ぐらいだろうか。掘れば一層下は熱は何処でも出ている。この熱が出ていないのでは気に入らない。熱は出ているが、床が固い。そんな感じだ。この床を鶏糞と読んではいるが、本当の所は鶏糞と言うようなものではない。鶏糞堆肥と呼んだ方が近い。私は鶏糞だけを肥料としてきた。岡山の、赤木歳通さんも鶏糞だけで田んぼも畑も出来ると書かれている。それを目指してやっている。自然卵養鶏の大先輩中島正氏も最近出版された「自給農業の始め方」の中で、鶏糞だけの農業を実践的にかかれている。農業はこうじゃなければ出来ない、と言う事はない。何でも出来ると考えた方がいい。そのやり方を極めるだけの工夫があるかだ。もちろん農業の目的によって、方法も違ってくるだろう。鶏糞はどちらかと言えば自給的農業向きではないだろうか。

販売されている鶏糞は工場養鶏の鶏糞が多い。所謂鶏糞と本などに記載されて、利用法が書かれているものと、私のところのものでは、丸で内容が違うだろう。あまりに違うから、同じ鶏糞と名乗って使い勝手が違っても困ると思い、「鶏土」トリツチはどうかなと考える。窒素分は熱が出ているのだから、相当に飛んでいるのだろう。一般に鶏糞は化学肥料のような使い方をするようだが、むしろ堆肥との中間に位置するだろう。赤城氏や中島氏のような実践の大家が、実践的に切り開いているような、自分なりの「鶏土」の使い方を探りたいと思う。体調がもう少し戻ったら、畑を再開したい。この時にはかなり計画的に、入れてみたい。牛糞の敷き料の事を先日国原氏は言われていた。炭素量の多い鋸クズの混ざったようなものは、窒素を吸収して、使えない。これはヒントだと思った。

針葉樹の鋸クズと、コーヒーカスと、選定枝のチップと、敷き料の違いで牛糞の使い勝手が違うと言う事。選定枝のチップも、荒いものと細かいものでは、畑では意味がだいぶ異なる。しかし、炭素循環農法の論理では糸状菌を回らせてやれば、どんな炭素でも、使えると言う事らしい。鶏糞の場合。落ち葉や、稲藁や、草のくキなどが、充分に混ざり込み、空気が送り込まれる状態で、水分もしっとりとあって、当然発熱している床であれば、いい状態になっているだろう。いい床を作ることと、いい肥料を作ることは同じことだ。頑張って床作りをすることが、いい循環する農業の、基本になる。
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大相撲の堕落

2008-08-22 07:48:02 | 身辺雑記
若の鵬の大麻所持には、もうあきれて、ここまで来てしまったのか。とうなだれてしまう。これではもう好きな相撲も、楽しめない。若の鵬は、初めての幕内力士の解雇処分となった。間垣親方は、事件の責任を取って相撲協会の理事を辞めたいとの申し出が受理されたと言う。あの、元横綱若乃花2代目だ。人気の若貴の若乃花が3代目。この親方はあの暴力事件のなか、さらに暴力事件を起こしたが、伝統を守るためには、少々のかわいがりは必要と居直った弁明をしていた。ところが、その間垣親方の考える、教育は少しも効果を上げていなかった事になる。当然の事だ。あの行過ぎた弟子いじめで、弟子が死亡し。大相撲こぞって改革しようとしている最中に、相変わらずの対応で、相変わらずの弁明。そして、相変わらずの相撲協会の対応。これではダメだと思っていた。間垣親方は理事辞任ではすまない。

子供の頃の栃若の熱戦をラジオにかじりついて聞いた。相撲ファーンだった。相撲が好きになったのは、強い者が立派な人である姿だった。横綱は全てに完成された人間だった。そうしたイメージを裏切らない、栃錦と若乃花であった。もちろんそのイメージも作られたイメージではあったのであろうが、相撲取りはそうした別格の人格も磨く世界として、作り上げられていた。一般的スポーツから、一段と違う世界に、おかれることが特別に許される国技と言う、名称も定着させた。誰もがそれで受け入れられるような、見事さが保たれてきた。それは何時も相撲は神事であると言う、背景があった。神事である以上勝ち負けも超えている世界が求められる。負ける見事さがたたえられるような勝負。他のスポーツとはこの点が少し違うものだ。

相撲は芸能と考えた方がいいと思ってきた。だから、外国人力士は止めたほうがいいと思う。歌舞伎役者に外国人はいらないだろう。日本人だけで、日本人の美学に従った、肉体をかけた勝負の世界を作り出せばいいのだと思う。モンゴル相撲にプロレスラーが勝負を挑むような事は、滑稽なことだ。何でも平均化して世界標準で強弱をつけなければいけないものでない。モンゴルには世界一強いモンゴル相撲がある。日本にも世界一強い大相撲がある。それが本来じゃないだろうか。各地各地に世界一が共存している事をそのまま受け入れればいい。だから、スポーツと言う枠で全てを均して考えてしまう事が、間違っている。強ければ良い。だけでは駄目と言うしっかりとした。考えを持たなければ、もう相撲はプロレスと同じものだ。神事でも伝統文化でも何でもない。

テレビで見るだけだが、相撲取りの態度に緊張感がない。土俵の側で雑談を交わし談笑をしている。もう相撲部屋の伝統的な教育は完全に壊れた。暴力事件以降萎縮してしまい。教育を行うすべを失った。何が良くて、何が悪いのか。分からなくなった親方は間垣親方だけではない。弟子の厳しい教育は人間教育だ。昔は相撲取りを辞めたもので、職に困ったものはない。と言われた。相撲界で人間が磨かれれば、どんな職についても役に立つと言われた。今は相撲界に居た人間と言えば、使う側も二の足を踏むのではないか。その象徴的事件がこの大麻事件だ。大麻が食欲増進になるので使っているという噂もあったそうだ。筋肉増強剤の噂もあった。まさかと思っていたが、強ければいいとなればそう言う事は起こりうることだ。どうも相撲協会は、自己再生の能力がない。昔なら、意見が出来る人間が居たのだろうに。そんな人も無い様だ。
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59歳になる。

2008-08-21 07:43:17 | 身辺雑記
いよいよあと一年になった。60歳までは何とか、世間の役に立つ事もしなければならない、でも、60に成ったら、そんなことはかまわない。それが定年であり、隠居だ。隠居と言うと立場も封建制の時代に出来た、不思議な立場だが、家督を譲り、悠々自適という姿が浮かぶ。しかし、私のイメージする隠居は、伊能忠敬だ。隠居して、日本地図つくりに打ち込む。隠居になってからの事は今はどうでもよかった。今は後1年をどう頑張るかだ。養鶏業は農業の中では軽作業の仕事、と思われている。しかし、なかなかそうでもない。力仕事も結構ある。餌のオカラ運びから、おから詰めは。結構大変だ。餌の運搬や仕込みも、やはり力仕事ではある。30キロぐらいの単位の荷物だ。これを軽トラに載せて下ろして、の繰り返し。だんだんに辛くなっている。出来ないほど衰えているわけではないが、疲れる仕事になってきた。

元来、虚弱体質と言われて育った。今でも風呂屋で、わたしより貧弱な体型の人にはまず会わない。たまにやせた人だなとおもうと、80は過ぎたお年寄りで、そうだよなと思う。子供の頃を知っている人なら、とても農業が出来る訳がないと思っているだろう。少し頑張れるようになったのは、高校のときの陸上競技部に入ったことだ。頭が混乱して、しばらく学校を休んだりして、神経衰弱だと言われていたが、それがどう言うものかはわからなかった。どうするかと言う時に、思い切って運動に身をゆだねてみようと考えた。陸上競技のただ走ると言うのが、良さそうに思えた。毎日最低でも10キロは走って、その上にインターバルなどをやった。練習をしすぎては身体を壊し、の繰り返しだったが、努力では限界があるという当たり前の事に、到った。努力次第では、そこそこの所へ到達できると思っていたが、スポーツはそんなものではないという事を知った。

それでも、そのときのほぼ3年間が体力を、やっと人並みにしてくれた。肉体労働のアルバイトを、随分やったが何とかこなせるだけになった。何よりも、何とかここまで自然養鶏をしてこれた。自給自足の実験をして見ようと思えたのも、体力があればこそだ。今ではそういう発想が出てこない。しかし、そろそろだと思っている。食べ物を作ることは、責任の重いことだ。本気で、全力で取り組む事だ。その責任が取れるのは、60までとした。農業は既に平均年齢で70歳と言う仕事になっている。これは、子供の頃から農業をしてきた人が、今は居るからだ。今の農家では、めったに手伝う子供など居ない。途中から農業を始めた人の身体では、70で農業をやるなど、不可能な事だ。だから、農文協が「定年帰農」と主張したのには驚いた。

あと一年、無事に自然養鶏を継続する事にかけたいと思う。私が考える最高の卵をあと一年生産する。これが社会貢献ではないかと思う。ささやかな事ではあるが、これが一番大切な責任だ。次に、平行して自給自足の探求を進めたい。最小限の家も、だいぶ出来上がった。年内には完成に持ち込みたい。畑のほうは今だいぶ荒れてしまった。草に負けて居る。昔はこんな事はなかったが、今の状態では、夏などあまり働けないと言う事がわかった。養鶏場の草刈で、もう手が回らない。それなら夏の畑はどうするか。今旺盛なのは、さつまいも、サトイモ、大和芋、のようなイモ類。あるいはカボチャ、冬瓜。それなら、夏の間の葉物をどうするか。ヒユ菜とか、田んぼのエンサイとか。何か手のかからない方法を考える必要がある。
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農業の将来

2008-08-20 12:41:20 | Peace Cafe
日本の農業の将来への考え方はいくつかありうるのではないかとは思う。短期的には、世界の食糧需給状況が急激にタイトになることは無いだろうから、超高級食材を生産することにシフトすることが賢いように思える。例えば、岡山の白桃、山形のサクランボ、リンゴの富士、米ならばコシヒカリ、ササニシキ、各地の銘柄牛肉などなどの高価な食材を作って、逆に、中国に輸出して稼ぐ方が賢いのではないか。安井至(やすい・いたる)国際連合大学副学長、東京大学名誉教授
一理はある考えだと思う。中国の富裕層向けに超高級食材を生産する農業。国際競争力のある農業。のイメージだろう。豊かな社会が永遠に続くと考えれば、確かに、ひとつの道である。

オリンピックで湧き上がっている中国は、格差のきわめて大きい社会だ。中国は農業者が70%の国だ。農民のほとんどが貧困層。特に山岳地帯のチベット族のような少数民族が多い。中国は巨大な国だが、アメリカやオーストラリヤのように延々と農業可能な平地が続く国ではない。そうした日本の限界集落のような場所に、自給自足的な農業を続ける人が、大半なのだ。その大半の農民が裕福に成る、都市部を見て、何とか都市部を目指して、移動しようとする。これは基本的には禁じられている。しかし様々な手段を弄して、目先の聞く若者は都市部に出る。オリンピックの工事現場の労働者の多くが、こういう形だったと報道していた。都市部のニューヨークをしのぐような、ビル群。この格差が、どうこの先影響してゆくのか。自給自足的農業を継続してゆくことは可能なのか。

そこで、中国の目先の聞く農業会社の社長が、岡山の桃を作り、山形のさくらんぼを作る。当然の事だろう。コシヒカリを作る農家も増えている。鳴り物入りのコシヒカリは、中国で売れ残ったそうだ。当たり前の事だ。危うい事に、日本農業の将来を、本気で主張する人がいる。要するに日本人が何を目指すのかだ。日本の方向が定まらない限り、賢い農民は岡山の桃を作れと言う話が、通ってしまう。中国での、他にはないほどの格差の激しい社会が、保っているのは、70%の貧困層の農民が、自給自足をしているからだ。岡山の桃は食べないが、その地域で出来るその地域の食べ物を食べて、千年一日のように暮しているからだ。それを当然として、それで満足をして暮す、大半の庶民の暮らしがあるからだ。と言ってもいよいよ危うい感じがするが。

日本の農業は食糧の自給を目標にしたほうがいい。わたしには中国の富裕層に、食べてもらう卵を生産する気にはなれない。日本人が、生きていくと言う事が、他国の不自然な富裕層、言い切ってしまえば、貧困層を搾取している富裕層に依存する。こんな気持ちの悪い、物であってはならない。日本社会だって、格差が広がっている。魚が安い。秋刀魚は100円で売っている。すぐ上がって180円ぐらいになった。それでもいかにも安い。食品を安くすればいいというのではない。高くていい。生産者に正当な対価を払うべきだ。生産者が、消費者と同じ暮らしが出来るようでなければ、おかしな事だ。農業はあくまで、一国完結であった方がいい。農産物はよほど特殊なものでない限り、その土地のもので充分なはずだ。
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左翼と共産党

2008-08-19 06:10:13 | Peace Cafe
左翼=共産党と言う図式がある。以前から記事にも書いているように、日本共産党ははっきり言って嫌いである。いままで何度か、「共産党員ですか。」こう面と向かって聞かれた事がある。日本共産党に関わった事は全くない。学生の頃から、民生は大嫌いだった。なぜか、非戦思想と共産党を混同している人がいる。思想的にはガンジーの非暴力主義に惹かれるものがある。その点から、無防備都市宣言の方法にも、心からの賛同は出来ない。と言って、日本共産党のように、無防備都市宣言を、憲法違反だとは考えていない。どうすれば、戦争をしないで済ます事が出来るか。どうすれば、日本が不時着できるか。を考えている。今の日本を迷走飛行中と見ている。

昭和の始めまで遡って考えて、どのようにすれば戦争を回避できたのだろうか。これは時々は考える。明治政府の富国強兵政策に間違えの始まりがある。それまでの江戸時代は、日本という規模での自給自足の時代。私は江戸時代の形の中に、次の時代のヒントが詰まっていると思う。こういうと江戸時代の人権の問題とか、階級制度の問題、女性蔑視の思想、さまざま否定的要素から、全てを悪い時代と考えてしまう所がある。「前近代的なものを近代を乗り越える武器に」これは花田清輝氏から学んだものだ。江戸時代を再現するのでなく、富国強兵政策を乗り越える材料に、江戸時代を否定的な媒介にする。自然養鶏もまさにそのひとつだ。そうした生き方が、左翼的であると見たい人には見えるのかもしれない。江戸時代の日々の暮らしは知恵に富んでいた。藩と言う単位で外への拡大など、考えてもいない。

先ず、移民は絶対に行わない。経済的支配も、文化的支配も行わない。植民地政策など、あってはならない方法だ。国際法上正しいなど、私には全く考えられない。日本が植民地にされても、国際法上正しいのだから、仕方がないなど、誰が思えるのだろうか。他民族を支配しない。これは戦争を避ける大切な事だ。ロシアのグルジア侵攻も、アメリカのイラク侵攻も、他民族を、経済や利権や文化や宗教的に支配しようと言うことは、あってはならない。確かに、悪いのは日本だけではなかった。日本以上の悪行を行った国が幾らでもある。だから、日本も仕方が無く悪行に加わったと言う論理。日本は止むえずで、それを誘引したのは列強であるから、許されると言えるのだろうか。日本の行為をアジアの諸民族の解放の観点から、正当化する論理もある。

今も丸で同じことだ。日本企業の海外進出は、その国の雇用を創出するため。こう言う事になる。それは民族解放と同じ言い訳で、日本企業の利益のためが大元にある。企業の海外進出が、植民地支配とは異なり、その国の経済発展を創出している場合も確かにある。しかし、企業利益の為に、その国の一部支配層と連携を組み、独裁を支援する結果になる場合もある。企業が利益を生み出してくれなかったら、日本人の暮らしはどうなる。今の日本人の暮らしは、砂上の楼閣に違いない。どの民族も、先ず食糧の自給を最優先すべきだ。食糧生産量に相応しい人口に形成されるべきだ。食糧がないという事は、生命の危機を感じる。これが戦争の第一原因である。昭和初年の恐慌。米騒動。農村の崩壊。植民地支配。満蒙開拓。天皇制。日本と言う国家の、最も恥ずべき、間違ってしまった時代だと思う。過去の戦争をどう回避すべきだったかもあるが、今、日本が加担している戦争をどうにかしなければ成らない。

昨日の自給作業:草刈1時間 累計時間:10時間
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ゆたゆた農園と吉田さん

2008-08-18 05:59:57 | あしがら農の会
農の会では今年2軒の専業を目指す仲間が増えた。循環農園が単独で宅配を始め。1軒減るだけで、随分寂しくなるものだと思っていたら、2軒も加わってくれたので、前にも増して賑やかに成った。2軒が何とか無事農家になれるように、と祈るばかりだが、周辺で出来る事は、ほとんどない。勉強会の機会に2軒の畑を見せていただいて、お互いで勉強しようと言う事に自然なって、いい機会が出来た。農の会はそれぞれの農法に口を出さない。これが基本に成っている。「互いに学び合うが、自主性を尊重する。」これが出来るようで案外難しいことになる。農業グループは農業技術の違いから分裂する。農法は逆も真なりで、自分が実践の結果事実だと認識したものが、案外に他の畑では、違う結果になることがある。自分のやり方から全てを判断してしまうと、間違った事をやっているように見えてしまうことがある。

最初にゆたゆた農園に伺った。諏訪の原の15号古墳の側にある。1反3畝の畑ヶだ。ほかに2反の田んぼもやっている。現在諏訪の原近辺に畑を探している最中だ。これは私に出来る協力なので、放棄地があると、訪ねてみたりするのだが、なかな見つからないで苦労している。畑はよく管理されていた。熊本で一年研修してきたと言う事で、そこの農法が基本のようだ。草は良く採られていた。今年の夏は雨が全く降らないので、土が乾きすぎて、砂のようにサラサラに成っていた。もうあまり草も生えないと言われていた。ズッキーニが良く出来ていて、暑さに弱いと思ったが、元気で第2弾がなり始めていた。追い蒔きのトオモロコシ。トマト、胡瓜が終わりになったようだ。秋物を準備はしているが、雨がまるでないから、種蒔きもままならないと言われていた。黒マルチをしてあり、それでかろうじて、水が保てると言われていた。

次に吉田農園。こちらは住宅地の中で2反。以前の荒れていた状態を知っているから、吉田さんの努力のすごさがしみじみ伝わってきた。こちらは土が乾いてコチコチに固まっている。元田んぼだった所で、粘土質の土に手を焼いているようだ。1人で2反の畑をこれだけきれいにしているのは、驚異的だ。私など、暑さを言い訳に、畑に入らず。畑が草原化している。草があるから、乾かないからいいのだ。と言い訳している。吉田さんは黒マルチを一切使わない。この日照りのなか、大変な努力をされている。皆さんから、土壌改良に緑肥を使ったらどうかと意見が出ていた。もっと有機質が入れば、土が軟らかくなる。広いから、5畝づつ緑肥で廻せるのではないか。こう言われていた。そういえば松本さんは田んぼ後に緑肥を随分使っていた。水路があれば、水が行くのに、と言う場所もあった。水路作りに行くのはどうでしょうか。

こうして、この地域に新規就農されて、本気で農業に取り組んでいる人がいる。素晴しい事だ。これこそがこの地域の潜在力だと思う。新しい農業者に来て欲しくて、行政が全てを準備しても、集まらない場所の方が多い。足柄地域は多様な人達が暮している。農地もそこそこあるが、農業者は少ない。大規模農業を専業でやるにはまとまる農地がない。こまめに、多品種を作り、宅配するような農業には可能性の高い地域だ。2軒の就農者があり、宅配先の増加も心配されたが、皆さんの協力のお陰で、何とかバランスが取れた。先日は、松本さんの努力で、小田原百貨店で野菜が置いてもらえるようになった。ありがたいことだ。新規就農がさらに増える場合にはどうしても、店舗販売も考えてゆく必要がある。

昨日の農作業:大豆草刈、2時間、家の畑の草刈、2時間 累計時間:9時間
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苗実地勉強会

2008-08-17 07:15:54 | あしがら農の会
あしがら農の会では、それぞれが発信する勉強会がさまざま提案される。野菜を作られている、そらやさんが苗の事を勉強しよう。と言う今回の提案だった。12名が参加した。穴部で、苗を生産される農家の国原さんの圃場に伺い、苗を専門に生産されている農家の方法から、何かを学ばせていただこうと言う事だった。国原さんの農場は丁度潤生園という老人ホームの下の谷間だった。谷間には湧水もあり、その水を充分に利用できるよう、井戸が工夫されていた。苗には日に何度も水をやる。特にセルトレーは土の量が少ないから、水遣りが難しいそうだ。国原さんが苗作りを始めたきっかけは、井上種苗さんに余った苗を出していた所からだそうだ。もう少し出してくれないか。と言う事から、徐々に増えて、苗の専業農家になったと言う事だ。今では農協に出したり、3軒の種苗店に出したりで、2反歩ほどの面積に所狭しと、施設が配置されていた。

自己流で研究を重ねてきた方なので、我々にもわかりやすいところが沢山あった。困っていて改善した、というアレコレが、なるほどと言う事が多かった。特にセルトレーの稲苗を作っているので、参考になることがあった。一度伺っただけで、これだけ得るものがあるというのは、国原さんは全てを見せてくれるからだ。自分が苦労されて考案された手順を、惜しみなく話してくれ、又やってまで見せてくれた。これが農家の方の素晴しい所だ。他の産業では絶対のこうは行かないだろう。工場に立ち入り禁止地区があったりして、特許だとか、占有権だとか、くだらない競争で戦々恐々としている。セルトレーに入れる苗土はカネコ種苗の腱苗君とか言うものだった。あれこれ使ってみているそうだが、種の芽出しは購入土の方がいいとの事。

苗土は、腐葉土1、牛ふん1、赤土5、籾殻クン炭2、で全て作られている。そこに苦土石灰、とか肥料を加える。セルトレーに土を入れる具合も、工夫がすごい。そこに水をやり、状態が落ち着いたら種を一粒づつ蒔く。蒔いたら、覆土して又水遣り。これも落ち着いたら、10箱程度積み上げる。苗のトレーの内側にセルトレーを重ねて扱いやすくしていた。種が割れたら、土が持ち上がったら、すぐハウスに広げる。この時慣らしのための、覆いとか、日照の調整とか、微妙なものらしいこのときから水遣りが大変との事。セルトレーで芽だしをして、まだ双葉でわずかに本葉が見えたという初期段階で、2寸バチに移植してしまう。芽出しは種が割れるまで、セルトレーを積み上げておく、本当にいい時期は本場が2,3枚出たところがいいといわれていた。数を処理するので、小さいうちに移植ししまうそうだ。これをしばらくハウスで育てて、今度は外に出し、間隔を広げる。外に出すと、水遣りはさらに大変な作業になる。

一ヶ月くらいで、一サイクルが終わり出荷だそうだ。これを、常に繰り返している。冬場は温床線で保温。最後に言われた事は、「やってみて、失敗してわかる。」と言う事だった。赤土でも、秦野の方の土が軽くていい。と言われていた。この辺りの赤土は粘土分が多すぎるそうだ。籾殻クン炭は水で消してはいけない。トタンの上に、薄く広げれば消えるそうだ。水で消すと必要なミネラルが、流れてしまうそうだ。牛ふんも伊勢原の畜産農家のものだそうで、これもさまざまで、使ってみなければ判らないといわれていた。親戚が協力しながら、やられているが、皆さんお年寄りで、後継者はいまの所いない。もし、国原さんが止めてしまわれたら、足柄平野一帯の家庭菜園は大打撃と言う事だろう。苗半作は本当の事だ。私が野菜が上手くならないのは、見せていただきよくよく分かった。
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