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陰謀論とエセ科学

2022-10-10 04:09:32 | 自然養鶏

 田んぼに植えられたサジオモダカ。

 コロナワクチンを打った人は5年後に死ぬというようなデマを流す人達がいる。情けないことに、こんな悪質なデマに乗せられる人がいる。これが今のご時世と言うことなのかもしれないが、ネットで情報が流れるように成って、どんな馬鹿な話でも、ある意味病的に歪んだ人達の間で蔓延する。

 蔓延し始めると、それほど異常ではない人までうっかりはまる。はまってその筋の情報を繰返し読んでいる間に、本の狭い範囲の歪んだ情報を、世間での当たり前の話だと思い込んで行く。生の人間との交流が不足したまま、ネット社会の中に漂う危険である。

 そもそも人間は一人でいれば歪んで行く動物である。多くの人間と接触し、交流することで、常軌を保てるのだと思う。怖いのはネットでの疑似交流を繰り返している内に、その歪んだか乗用の渦に巻き込まれてしまい、自分が多くの人間の間で生きているような錯覚に陥る。

 そして歪んだ人間同士の情報交換の結果おかしな情報を、みんなが知っている既定の事実のように思い込んで行く。統一教会の中にいれば、おかしいのは外部の人間で、統一教会が被害者のように思い込むのだろう。良い人間と交わることがいかに大事かと言うことになる。

 金正恩独裁者でも良いが、プーチンでも良いが、習近平でも良いが、まともな正しい人間との交わりがないのだろう。独裁者は祭り上げられて行く内に常軌を逸する。プーチンが徐々に追い込まれてゆき、どういう終わり方をするのかは着目に値する。

 それぞれに歪んだ能力は傑出しているから独裁者になるのだろう。ところがまともに批判する人を失えば、人間のゆがみが生じる。一度歪むとそのゆがみに適合する人が集まる。歪んだ人間達の集団が出来る。こうなると取り返しの付かないような独裁が生まれるのだろう。

 批判をしなければならない。あらゆる事を疑ってかかる必要がある。確かにコロナワクチンが安全なものであるかは、科学的な思考をしなければならない。政府の発表を鵜呑みにしてはならない。世界で行われた結果を冷静に見なければならない。

 コロナワクチン陰謀論の根拠は、人口増加を抑えなければ人類の永続性が無いと考える人いて、人口増加を抑制するために、コロナワクチンの接種をしているというような繋がりらしい。そもそも、人口増加を願っている日本社会ではあり得ない話だ。

 陰謀論を信ずる人は、世の中に対する不満が大きい人なのだろう。何か社会の裏では陰謀が渦巻いているために、この社会全般に許しがたい不満な状況が作られていると思い込んでしまう。そう信じんたい心理があるから、陰謀論が生まれる。

 水ビジネスという物がある。水に何か一見科学的と見えるような操作をして、その性質を変えることで、環境で起きている問題が一気に解決できるという、機器の販売をする事業である。人間が環境や健康に不安を抱えている時代である。何かにすがりつきたいという気持ちにつけ込む商売である。

 統一教会の霊感商法と同じである。水ビジネスをやる人は様々旨いことを主張するが、その根底には金儲けが必ずある。創生水という物があった。長野の上田の人で、確か深井さんと言われる方が小田原に営業のために見えたことがあった。

 創生水を使えば、田んぼが無農薬で出来る。養鶏では最高の卵が出来るという売り込みであった。小田原にその営業所のような物をやられた人がいて、その人が農の会でも使うように、深井さんを呼んで農の会で話をして売り込みをしたわけだ。

 私が自然養鶏をやっているので、上手く巻き込めば商売になると考えて、熱心に誘われたのだろう。上田の方に用事があったので、それを使っているという実際の畜産を見せてもらうことにした。エセ科学に違いないと思ったけれど、創生水を使って匂いがまったくない畜産農家があると言うので、実態はどうか見に行った。

 ひどい匂いがしていて、これでは創生水がエセ科学だと言うことの事例のような物だと思った。それでもつべこべ、機械が最近壊れていたらしいとか言い訳をして、余りに熱心なので、そこまで言うならどうぞ田んぼを紹介しますので、そこで創生水を使ってやってみてください。きちっと収穫まで出来たならば、考えましょうと約束した。

 それでその営業所の人が田んぼをやってみた。ひどい田んぼになってしまい、収穫もろくに出来ないで終わりになった。そこでもさまざま言い訳をするので、それならもう一年やってみてくださいと話したが、さすがにやることはなく話は終わった。

 養鶏所の水も創生水にしろと散々言っていた。そう考えるなら、2ヶ月以上経過した卵が孵化できる生命力を持ったときに相談しましょうと話したら、どこかでやるようなことを言っていたが、これも成功せずに終わった。エセ科学は話だけで、実戦すれば嘘は明らかなのだ。

 陰謀論もエセ科学も、理屈だけで現実がない。ネット上の話は実践が伴わなくても、話や映像はいくらでも偽造できる。注目されたいと言うことで、静岡で洪水が起きているという映像を流した人が最近もいた。この注目を集めると言うことが、お金と結びついている事があるから、要注意である。

 ユーチューブでは1000人ぐらいの人が登録をすると、お金になるらしい。そういうことをユーチューブの料理を紹介しているひとが言っていた。自分は料理を紹介したいと考えていただけなのだが、ユーチューブからお金が振り込まれたと言っていた。

 まだ仕組みがよく分からない。何時どこで自分の口座を登録したのだろうか。映像を公開するには登録費用がいるので口座を伝えたのだろうか。お金になると考えて、何かに登録するのではないのだろうか。まあどうでも良いが、ネットが陰謀論の発生源になりやすいと言うことだ。

 プーチンの侵略戦争もネットで影響を受けるようになっている。いかにも事実のような嘘が蔓延している。これを判別するのはほとんど不可能だろう。しかし、様々な物を冷静に判断しながら見ていると、新聞やテレビ報道よりは事実が見えてくることがある。

 新聞という紙媒体が、テレビが出来て機能を変えた。テレビも新聞もネットが出来て機能を変え始めている。まだどこに落ち着くのかは分からないが、ネットは個人を尊重したが、個人がよほど自立していないと、社会全体が陰謀論やエセ科学にだめにさせられる危険があると言うことになる。
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水牛の世話をして

2021-07-09 04:35:00 | 自然養鶏

 水牛の世話をすることに成った。思いもしないことが成り行きでやってきた。動物好きとしては天恵である。と言っても一ヶ月少しの間のことだ。それは緊張する体験である。長くニワトリを飼ってきたので、生き物を飼育すると言うことにはそれなりの経験がある。

 この機会に水牛と真剣に関わるつもりはある。水牛がどういう動物か理解できるところまで観察したい。貴重な機会を充分に生かそうと思う。生き物を飼うと言うことは自分が学ぶと言うことである。思い出すと、顔を見るまでは心配で仕方がない。こんな大きな動物を飼った経験は無い。放し飼いできるのであれば良いのだが、つないでおかなければならない条件である。

 いつか放牧出来る環境を作りたいものだ。昔の石垣島では田んぼの隅にある、湿地のようなところが残されていて、水牛を飼っておく場所になっていたらしい。水があり、木陰があり、草がある。そんな水牛が水牛らしく暮らせる場所があればと思う。

 つなぐ場所が難しい。まず日陰が無ければならない。ところが木下だとどうしても繋ぐ綱が絡んでしまい、動けなくなっている。といって、木陰にやっと届く場所に繋ぐのでは、大きな身体は日陰に入れない。林の中ではあちこちの木に綱が絡んでしまう。

  水やりの容器の置き場も難しい。どういう訳かときにひっくり返してしまう。綱が絡んでひっくり返ることもあるし、水の飲み方でひっくり返ることもあるようだ。丁度良い距離感の日陰の場所に置かなければだめだ。良い場所はあるのだが、そこは車が通るのでちょっと繋いではおけない。

 田んぼの代掻きに水牛を使うという話があったときは、水牛の世話をする部分に関しては、なんとなく他人事のように受け止めていた。トラックターを持ってないし、仕方がない。伝統農法を再現することは意味があるのだからと、覚悟を決めた。ところが、水牛を1ヶ月以上飼育すると言うことはまだ考えが足りなかった。

 水牛の方も困ったことになったと思っているだろう。なにしろ、1頭で人もまったく来ない場所に繋がれているのだ。心細く不安に違いないと思う。ほんらい水牛は群れで生活する生き物だ。しかも世話をしてくれる人間も、見ず知らずである。どうなることかと不安そうだ。

 そこでまずは不安を感じないようにして上げることだと思っている。できるだけ顔を出すことが第一である。朝8時に行って午前中は、一時間に一回は顔を見せる。そして水を持って行って変えてやる。絡んでいる木をすこしづつ切っている。

 エサはその当たりの草を食べている。牛の牧草が繁茂している場所があり、そこを使わせて貰っているので、生の牧草は充分にある。新しい牧草を食べられるようにすこしづつ場所を移動している。生の良い草があると言うことは、水牛には良いはずである。

 毎日糞をよく見ている。普通の牛の糞よりも乾燥気味で匂いもほとんど無い。糞の状態が良いようなら先ずは大丈夫だろうと思っている。川や、水田に入れると、糞をするようだ。下痢便になったらまずいだろうと想像している。今のところそういうことは無い。

 一日一回午後の暑い時間に1時間は水浴びをさせている。水牛なのだから、水浴びをしなければ、気分が悪いだろうと思っている。泥浴びをしたいだろうから、本島は田んぼに入れてやれば良いのだろうとおもう。ただ田んぼに入れると、田んぼで寝転がり深い穴を掘ってしまう。身体を深く沈めたいようだ。

 田んぼに入るか川に入れるかである。田んぼから出たら、水で洗ってやっていたが、泥が付いたままの方が良いようだ。川の水でも寝転がって身体を冷やしている。

 蚊やハエがきて嫌がるだろうと思うのだが、案外に虫は少ない場所である。水牛は身体に泥を塗って虫を防ぐらしい。その意味では泥は洗い落としてはいけないのかもしれない。それでも川で身体を洗ってやるときにはとてもおとなしくしていて、気分が良さそうである。



 そういうときに糞をしたり、おしっこをしたりする。エサもどういう訳か人が見ているときに草を食べ始める。餌を食べて何か表現しているらしいのだが、何が言いたいのかは分からない。歩かせていると、途中にある草も食べたがる。

 木の葉っぱもよく食べるが、食べたがる葉は限られてる。草もそうだが、自分で選ぶことが出来て、おかしな草を食べてしまう心配はない。人が近づくと日向の所まで出てきて、餌を食べている。不安が無くなり食べる気になるのかもしれない。

 6月28日に水牛がきたのだから、12日で二週間が経ったことになる。あと三週間田んぼに居て貰わないとならない。その間に水牛がどういう動物なのか、もっと知りたいと思う。田んぼに入れない日は川に一時間は居させるようにしている。川が好きで、自分から川の方に行きたがる。暑い間は水の中が快適かもしれない。水牛は暑いところの動物だけど、野生の水の中にいるのだろう。

 エサはだいたい朝晩の涼しい時間によく食べるようだ。炎天下は嫌うが餌を食べるときには、日向にも出てくる。誰も居ないときにはだいたい寝転んでいるようだ。最近は顔を出すと、車の音を聞きつけて、林の奥から人が来たぞという顔で見ている。

 水牛は飼いやすい動物のようだ。預かった水牛の名前は「わかば」と言う。竹富島の水牛車で働いていたようだ。しかし、ちょっといじめられっ子で大勢の中では上手くゆかなかったらしい。そこで、石垣島の方で種付けをして預かっているらしい。



 先日生まれた水牛の子供である。生後10日目のユズマメッコを抱いている栗林さん。いつも水牛の世話をしている方だ。水牛の様子を見に来てくれた。みんなが水牛がどうしているのか心配なのだ。水牛が居る場所を見て、これは良い場所に繋がれていると喜んでくれた。

 今のところ問題は無いようだ。栗林さんも田んぼに参加してくれたので、時々様子を見てくれるだろうから、大分安心が出来る。この子供の水牛を見ると、魅了されてしまうかわいさである。水牛園を作りたくなるぐらいだ。水牛と与那国馬とヤギの居る家畜園。石垣島らしくて良い。
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老人にも大切な役割がある。

2021-07-08 04:21:07 | 自然養鶏

 
 石垣島田んぼの苗代。播種4日目の今日苗は発芽がそろう予定。小田原でやっていた方法のままで、石垣島でやってみて、上手くゆきそうである。ここまでは上々の滑り出しである。後は四週間で5葉期の苗に成長するかどうか。8月1日が田植え予定である。

 70歳を過ぎたら、いくらかでも次の世代の役に立たなければならない。とかく若者は忙しい。年寄には時間だけはある。この時間のいくらかを次の世代の役に立てる事ができれば、有り難いことではないかと思う。役に立てば、友達にも成れるのではないか。それで十分な人生ということだ。

 老人の孤独は何でも無い。などと粋がっている老人がいる。哀れなものである。歳をとったらひとりでも多くの友人を見つけることが望ましいに違いない。どんなことでも良いから人のために生きる努力をしようと言いたい。残り少なくなった人生こそ自分のためだけで無く、周りの人のために生きた方が気持ちが良いだろう。そうすれば知り合いも、友人も出来るかもしれない。

 小田原の久野には、毎日道路際に落ちているごみを拾う人がいた。それを日課として続けていた。現役の頃、環境センターで働いていた人だと伺った。偉人だと思う。お会いしたら心の中で手を合わせていた。後光が差しているように見えたのだ。オーラが見えたのだ。

 小田原市がその方を表彰したいと申し出たら、もしそういうことをするなら、自分はもうごみは拾わないと言われたという。スーパーボランティアである。こころ豊かな老人の暮らしであったと思う。情けは人のためならず。

 老人はどうしたって社会の負担である。医療も福祉も団塊の世代が死に絶えるまでは、当分は困難を極める。労働人口が年々減少して行く。少しでも健康であって、迷惑をかけないことが団塊老人の役目だ。コロナでは無いが、出来れば医療のお世話にならないで死ぬことが目標である。

 コロナでは医療崩壊の主役は、まさに老人であった。若い人にしてみれば、あまり役にも立たない老人なのに迷惑な事だと、思ったかもしれない。それでも若者は自粛しろと言われている。コロナ生活苦にあれば老人を憎んでも仕方がない。本来老人をワクチンを打つまで外出禁止にすれば良かったのだ。

 それでは老人はどこで役立てば良いのか。やはり知識であろう。一緒に肉体的に働けば、どうしても足手まといになりがちである。惚けが来ない限り、知識では若い人に勝っているかもしれない。生涯追求した専門分野があればのことである。

 専門分野の第一人者になるよう生きることだ。このことならあの人に聞いたならば良いと言うような老人になれば良い。知識のある人になれば、若い人に役立てる。江戸時代の村の長老はそういう人であったはずだ。暮らすためには老人の知恵が役に立つ時代がまともな時代である。

 そして聞き上手になることだ。若者の能力を伸ばすような気持ちで接する事が重要だと思っている。自分の知識を押しつけるので無く、自分が知識を積み重ねた経験を、若者自身が成長するヒントになれば良いと言うことだと思う。一緒に考えることができる老人になる。そう出来れば老害など言われない。

 友人のお父さんに商売の神様という人がいた。渋谷で大きな店舗を展開して成功させていた。共同してやっていた会社が息子さんの代になったときにあっさりと若く引退してしまい、次世代にすべてを譲り、房総の勝浦に隠遁してしまった。

 すると、新しく商売を始めようという人が、勝浦へ通うようになった。その人に相談し、商売を始めると成功するからである。隠遁しながらも勝浦でも、結局はあれこれ相談を受け、活躍をしていた。充実した隠居生活だったのでは無かろうか。

 南足柄市の畏友に数学の専門家の方がおられる。この方は若い人達に数学を教えている。大学レベルの数学であれば、教えることができると言われていた。実に立派な方で、地域で尊敬を集めている。若い時代に専門を極めることこそが大切なのだ。

 孤独でかまわないなどと嘯いている老人は、実は役に立つ専門性を持っていない場合が多い。引退した政治家。引退したタレント。老人の絵描き。考えてみないでも、若い人の役立つことはほとんど無い。口を出されればかえって迷惑なだけだろう。

 昔の村社会では、暮らしの知恵の宝庫のような老人がいた。例えば牛を飼うなら、あの人に聞けば色々助かる人。家を建てるなら、あの人に教われば良い。もちろん農作業で種を蒔く前には一言相談にのって貰う人がいた。昔は日々の暮らしが冒険に満ちていたのだ。

 30年前に山北の山中で開墾生活を始めた。そして自然養鶏を始めた。ところが、自然養鶏の技術は完全に途絶えていた。全国にこの方はと思われる人を探し尋ね歩いたのだが、ついに江戸時代の鶏飼育の事を伝え聞いて記憶されている方はいなかった。

 何をエサにしていたのかさえ、誰も知らなかった。技術というものは、新しい技術に押し切られ、途絶えてしまうものなのだ。明治以降の富国強兵の時代は大事な伝統農業の技術を捨ててしまう歴史だったのだ。しかも古くさい、役に立たない技術として、大規模養鶏に淘汰されたのだ。

 しかし、本当の意味で未来に繋がる技術は江戸時代の地域に根ざした農業の中にこそある。自然養鶏でも、自給稲作農業でも、これからの時代もういちど見直す必要が出てきている。その時には老人の出番では無いだろうか。

 ただ、指導的な自分の経験を押しつける老人ではだめだ。偉そうにしたがる農業者は多い。若い人のやっていることが、頼りなくて見ておれない。若い人は優しい人が増えているので、傷つけないように付き合ってはくれるが、人間として学んでいるわけでは無い。

 若い人と同じ地平にたって、一緒に学んで行く老人で無ければだめだ。知識を教えるのでは無く、考え方を伝えなければだめだ。若い人が自分で考え、発見する力を育てなければならない。探求する気持ちを刺激できれば、老人の役割は十分である。間違っても知識を押しつける老人ではだめだ。これは自戒である。

 おもしろい老人になりたい。何事にも面白がる老人になりたい。新しいことに興味を持ち、やったことの無いことに挑戦できる老人である。ついつい笑われる老人が最高である。怖い老人はだめだ。偉そうな老人もだめだ。

 テレビではお笑いタレントが活躍している。せめてテレビを見るときぐらい笑いたいからでは無いだろうか。これからさらに辛い時代を生きて行かなければならない。若い人のこれからの時代は楽観できない厳しさが予測される。せめて笑えることが必要だろう。

 
 
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コロナでの畜産学からの見解

2021-02-12 04:25:00 | 自然養鶏


 石破茂氏がブログで獣医学の知見ということで発言している。
 唐木英明・東京大学名誉教授や宮沢孝幸・京都大学准教授などの獣医学系のウイルス学者から傾聴すべき意見が表明されています。「新型コロナウイルスの多くは獣医が研究をしている」「ウイルス自体が人を殺すのではなく、ウイルスが引き金となって、基礎疾患を持つ方々の症状を悪化させ、あるいは死に至らしめるのであって、若者や持病の無い人が過剰に心配する必要はない」(宮沢准教授)「評価の対象は、軽症者の多い『感染者数』ではなく『死亡者数』にすべきであり、医療対策は基礎疾患がある高齢者の保護に集中すべき。このような選択と集中により多くの人命を救うことが可能となり、国民はほぼ通常の生活を送ることができる」「病床不足の責任を認めず国民の自粛不足に転嫁してはいけない」(唐木名誉教授)

 獣医学においてはコロナはよく知られたウイルスであるという。コウモリだけでなくミンクなども感染する。猫などのペットが感染したというので話題になってもいた。ただ獣医学においては若い内発病しない病気はあまり問題にされない。

 一般の畜産業においてはだいたいの動物が一歳前後で殺されてしまうのだ。しかも、病気が出れば、その畜舎全体を淘汰してしまうと言うことになる。狂牛病も若い内ならば問題がないというので、問題が深刻化した。

 そうした中で、私は10年以上長期的に鶏を飼うという自然養鶏業をやっていた。どうすれば元気に鶏を飼育できるかと言うことをひたすら考えていた。その中で、鶏がどうすれば自然免疫を確保できるかを学んでいた。

 その中で自然免疫と言うことの重要性を見つけた。そしてどうして免疫を強くできるかと言うことで、3つの条件を考えた。一つ目が、2つの発酵を利用したエサ。2つめが放し飼い。3つめが自家繁殖。この3つを通して、より免疫力の強い、ササドリという自分の鶏種を作出した。

 免疫というものはワクチンによるものは限定的なものなのだ。インフルエンザワクチンでも少しでも、型が違えば効果がないことになる。ところが、自然免疫でえた抗体は、交差免疫の力が強く、何故効果があるのかというほど広く対応が出来る。今東アジアで言われている、ファクターXである。

 発病しないようなウイルス感染を繰り返すことで、むしろ強い病原体に対しても、耐病性を高めると言うことがある。それは世代を繰り返すことでその地域での発病する病気への対応力を高めて行くことになる。これが自然養鶏の病気対応の基本となる。

 トリの病気のことをありとあらゆる角度から調べていた。その間には高病原性の鳥インフルエンザの流行なども起きた。そして、私の結論としてはいつか人間に感染するウイルスが畜産から変異して、蔓延するだろうという結論に至った。10数年前になる。そして、その危険を私なりに発信してきた。

 今もコウモリ由来ではなく、今回のウイルスはミンクの養殖場からの変異で人感染が起こるようなウイルス変異が起きたと推測している。この考え方は世界中でどこの誰も主張しないので、たぶん間違いなのだろう。しかし、ありうることだと思っている。

 このブログもウイルス危機の国の安全保障が目的でもあった。しかし、養鶏屋の親父の主張など、誰にも相手にされないのも当然かもしれないが、政治家も医療関係者も何の準備もしなかったことはどういうことだろう。不幸にも私の予測通りのことが起き始めた。そして、ついにコロナの感染爆発が日本でも起きてしまった。

 相当に手強い病気であることは確かだ。老人に限って深刻であるところなど、家畜由来の病気らしい特徴と言える。野生動物にとってはそもそも老齢の動物など存在しないのだ。衰えれば死ぬ。これが野生動物の宿命である。人間にだけ、老齢病が存在する。

 その意味では人間は極めて特別な生き物と言うことになる。だからこの病気と戦うということは、老人の問題と言うことになる。若い人は普通に生活をしてかまわない。普通に経済活動を続ければ良い。そして、老人のできる限りの接触禁止である。老人のライフラインは若い人が維持するほかない。

 これが一番死者を減らす方法である。これはイスラエルのスーパーコンピュターが出した結論である。私には畜産学的な知見から行ってもこれは正しいことだと思えた。しかし、そんなことをした国はなかった。果たして次に起きたときにおいても、そうした手段が取られることは可能だろうか。

 もう一つは判断で死者数を見るべきと言うことだ。現在が最も悪い状況なのだ。まだ峠は越えていない。100名を連日超えている状況は、その一ヶ月前最悪の状態だったと言うことになる。一ヶ月前の何が悪かったのか、反省するべきだ。

 1月19日に100名を越えて、ついに2月10日121に人の死亡という過去最悪の状況に達した。今はまだ厳しい状況である。と言うことは正しい判断としては12月19日には緊急事態宣言を出さなければならなかったのだ。

 緊急事態宣言は有効だったのだろうか。出すタイミングは遅れたことは確かである。それは医療崩壊との兼ね合いである。家で死ぬほかないような状況は、明らかに政府のコロナ対応の失敗だろう。家で亡くなられた方々の無念を思うと、なんと申し上げたら良いか言葉を失う。

 宮古島では大変な感染爆発が起きた。日本で一番コロナ発生密度の濃い地域になった。しかし、ロックダウンに近いような状態で2週間経過したら、新しい感染者がこのところ3日間いなかった。この病気は徹底した防御をすれば防げると言うことが証明されたとも言える。

 石垣島でも恐怖が伝染したかのように、余り人が出歩かない。もう2週間感染者0である。防げると言うことが分かったことは良かった。人口5万人ぐらいの2つの島で、感染への対応の実証実験が行われたようなものだ。この2つの島で起きたことを比較してみると、どういう対応をすれば、コロナと折り合いが付くのかが見えてくるような気がする。

 まず外部からの流入を止めること。宮古島では完全に止まった。飲食店はほぼ閉鎖された。ほとんどの人が、最低限の外出にした。市内感染が広がっていても、この3つのことが徹底されれば感染拡大は止まると言うことのようだ。次の感染症に備えて、いろいろの知見を集積して行く場面であろう。

 石垣島では2週間患者がいなかったところ、早速昨日あたりから、観光客が増え始めた。よく調べているものだ。観光客が来てくれなければ、暮らしていけないのだから、有り難いことなのだが、今後コロナがどうなるのか。注意深く観察して行く必要がある。

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農水大臣が大臣室で賄賂を受け取る。

2021-01-18 04:01:21 | 自然養鶏


 鶏卵生産・販売大手「アキタフーズ」(広島県福山市)の前代表(87)が、自民党衆院議員だった吉川貴盛・元農林水産相(70)=北海道2区、議員辞職=に6年間で計1800万円を渡した疑いがある問題で、前代表が東京地検特捜部の任意聴取に対し、西川公也(こうや)・元農水相(78)にも2014~20年の7年間で1500万円超を渡したと供述していることがわかった。自民党の「農水族」議員に長年現金を提供し、関係を深めていたとみられる。

 汚職が長年慣習化してきた理由は、養鶏大手は鶏卵価格を維持するために農水省の補助金を使っていた。「成鶏更新・空舎延長事業」と「鶏卵価格差補塡事業」の2つからなる「鶏卵生産者経営安定対策事業」には、2018年度の農林水産省の予算額は48億6200万円にのぼる。事業実施主体は一般社団法人 日本養鶏協会だった。

 鶏卵生産者経営安定対策事業 【5,189(5,189)百万円】 対策のポイント 鶏卵価格が低落した場合に価格差補塡を行うとともに、更に低落した 場合、成鶏の更新に当たって長期の空舎期間を設けて需給改善を図る取 組を支援し、採卵養鶏経営と鶏卵価格の安定を図ります。と農水省の説明にはある。

 卵は安すぎるのである。つまり、余りに安いので日本にまともな卵は無いのだ。消費者は安ければ良いと思いがちだが、必要以上に安いものにはどこか問題が内在している。ところが高い卵なら良いかと思うと、そうでもないのが現状であるから困る。

 一言で言えば、動物虐待の最たるものが大手の企業養鶏である。新自由主義経済教の国際競争力の優等生が、養鶏業なのだ。競争に勝つためには手段を選ばない大手企業が勝つ現実。そしてこれを有り難い優等生と黙認しているのが、日本の消費者である。

 今、鳥インフルエンザで何万羽もの鶏が淘汰され、養鶏業者は困っているのだろうか。インフルエンザがはやらないでも卵の価格が下がると、鶏の淘汰を行って、一定価格に卵価格を維持している。もしかしたら、インフルエンザが流行して有り難いと考える業者もいるのではないか。

 私のやっていた自然養鶏では卵一個の原価計算を、細かくやってみたことがある。一個230円になった。まともな自然養鶏には3つの基本がある。1,緑豊かな自然環境への放し飼い。2,自家鶏種の孵化からの養鶏。3.安全な醗酵飼料。

 本来病気を生み出さない養鶏を考えたときには、この3つを守るような養鶏業になるべきなのだが、そうした養鶏場は日本全国にただの一つも無い。中国にはあった。230円以上の価格で卵は売らないと、まともな養鶏は業としてはなり立たないのである。しかし、現実にはその10分の1以下の価格で卵は売られている。

 私は直接は50円。東京では100円で売っていた。食べる卵は赤字の販売であった。230円の卵を平気で食べるような金持ちのために、養鶏をしたくなかったからである。わたし自身が買えないような価格の養鶏は出来なかったのだ。笹鶏や日本系の種卵やひよこも販売もしていたので、総合的には何とかやれていた。

 日本の卵が安い理由は簡単なことで、生き物とは言えないような動物虐待の環境で鶏が飼われているからである。本来禁止すべきバタリーケージという飼い方である。又高いから良い卵とも言えないところが良くある。消費者が高ければ良いものだと思い込んでくれるので、その心理を悪用しているにすぎない卵だ。

 良い卵は簡単なことだ。昔の農家のように自分で飼えば必ず良い卵になる。出来れば、1,緑豊かな自然環境への放し飼い。2,自家鶏種の孵化からの養鶏。3.安全な醗酵飼料。を守って飼育して貰いたい。

 競争主義のコスト削減が鶏の生き物としての尊厳を無視し、劣悪な環境を強いているのが現状である。安すぎる卵の赤字補てんをおこない。又価格維持のためにまだ産む鶏を調整淘汰すると、生産者へ国からの補助金が交付される。このように、物価の優等生と言われる卵に税金が投じられているのだ。

 こうした余りに劣悪な鶏の飼い方に対して、世界では基準作りが進んでいる。ところがこの基準に対してバタリーケージを良い飼い方だと主張しているのが日本養鶏協会である。その声を賄賂を貰い代弁しているのが、農水相である。

 「アニマルウェルフェア(動物福祉)」に関する国際機関の基準づくりが進んでいた。秋田氏は同年11月12日、業界団体の幹部として大臣室で吉川氏や、農相経験者の西川公也内閣官房参与(当時)らと面会し、この国際基準の内容に政府として反対するよう求める要望書を提出するなどしている。

 日本も加盟するOIE(世界動物保健機関)は、2017年から採卵鶏のアニマルウェルフェア基準「アニマルウェルフェアと採卵鶏生産システム」の策定を進めており、これまで各国と内容についてすり合わせを行ってきた。採卵鶏だけでなく、これまでもOIEは豚や牛のアニマルウェルフェア基準を作っている。だが残念ながらそのたびに日本はアニマルウェルフェアのレベルを下げるようにOIEに意見(コメント)を提出してきた。

 そして「生食文化だからケージでないとだめ」「高温多湿の日本はケージでないとだめ」「平飼いは死亡が増える」「ケージの場合、ケージを掴むことで止り木の役割を果たしている」などと発言しバタリーケージを支持した。

 この発言は真っ赤な嘘だ。自然養鶏で生卵を食べても問題はない。放し飼いこそ健康な鶏になる。弱い鶏が死ぬことは自然淘汰であり、強い鶏種が作られて行くことにも成る。止まり木が無いような小屋がまともなわけが無いだろう。

 ところがこのメチャクチャな主張が通ろうとしている。そのために、OIEと言う養鶏の世界基準を策定中の組織に対して、農水省に強くケージ飼いを問題なしと主張して貰うために、養鶏業界から賄賂が出ていたと考えて、間違いないだろう。

 そして残念なことにというか、その圧力は成功をしたのだ。今年基準が不十分な形でまとめられることになっている。このひどい状況を変えられるのは消費者である。まともな卵を、まともな価格で買う消費者がいれば、たちどころに状況は変わる。

 
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100歳を生きるための免疫

2020-12-21 04:20:27 | 自然養鶏


 コロナの流行で免疫が話題になっている。福島原子力発電所の崩壊の際も免疫が注目された。鳥インフルエンザの流行の際も免疫が問題だった。問題が起こるたびに、古くて新しい着目点として、免疫のことが話題になる。

 人間の身体は細胞で出来ているが、その細胞の数よりも多いと言われる微生物と共生して、人体は出来ている。自分であって自分だけで無い人間の身体。だからこそ、病原菌やウイルスに対して、免疫機能が働くということで、生命は維持されている。

 コロナに感染しても、アメリカ大陸やヨーロッパの人より、アジアの人の方が死亡率が低い。何かが作用している。若い人であれば、普通の風邪と変わらない。老人は重症化して死亡してしまう。これも何か理由があるはずだ。

 自然養鶏をやってきたので、発酵と酵素と言うことを鶏の餌から考えるようになった。健康に鶏を飼うためには三つのことが重要である。1,豊かな自然環境のかなでの放し飼い。2,二つの醗酵飼料を組み合わせた飼料3,自家鶏種、自家育雛。ーーー詳しくは「発酵利用の自然養鶏」を参照

 この養鶏の基本は江戸時代以来の鶏の飼い方の再現である。そして、鳥インフルエンザが蔓延したときに、ますます、自然養鶏の重要性を確信するようになった。ところが政府は小さな養鶏場を辞めさせて、管理の行き届いたと言われる大規模な工場養鶏だけに集約させようとした。

 こうした、理不尽で、科学性を無視した政府の政策と周辺住民の白眼視に、やる気を無くしてしまった。その頃から、自然養鶏から自給のためのイネ作りに関心を変えていった。自然養鶏の意味がコロナパンディミックの時代にいくつか重要な観点があると改めて考えるようになった。

 免疫のことである。日本では10万人当たりの死者数は少ない。東アジアの国では同様の傾向が見られる。そのことをファクターXとして理由が推理されてきた。そして、二つの要素があげられている。一つがBCGの予防注射。もう一つがコロナウイルスの交差免疫。

 自然養鶏では自然環境で様々な病気に感染させながら、免疫力を高めて行くという考え方である。自然環境と遮断させて、殺菌しながらの工場養鶏とは逆の行き方である。病気になることをあえて避けない。生き残った鶏で継続して行く養鶏である。

 自然を観察した結果考えたことである。シベリアの白鳥は高病原性鳥インフルエンザに感染している。しかし、そのことで白鳥が居なくなるわけでは無い。それを克服してきたから、何百万年も種として生きて来れたのだ。死ぬものが居たからこそ、生き残った鳥がインフルエンザを克服できたのだ。

 自然界に生きる生き物はすべて同じである。ワクチンがあるわけでも、特効薬があるわけでも無いが、人類よりも長く生存を維持している種が大半である。どの生き物も生存のための巧みな仕組みを確立しているのだ。ところが、人間は実にひ弱で、弱い生き物になってきている。

 それは自然淘汰の仕組みが外されたことにある。たとえ未熟児で生まれたとしても、何とか保育箱の中で生きることが出来る。様々疾患があるとしても、命を全うすることが出来る。その生活は衛生的と言われる、自然とは遮断された空間で行われる。

 汚いはきれい。きれいは汚い。衛生的であるはずの環境がひ弱な免疫力の無い人間を生み出している。ひと昔前であれば、泥だらけの子供達が野山で遊んでいた。幼児死亡率ははるかに高かった。しかし、生き残った子供はある意味強健に育った。

 昔の方が様々な病原菌やウイルスに感染して居る確率が高い。交差免疫が備わっている可能性がある。たぶん、交差免疫を獲得しているのはコロナだけでは無いだろう。そうして獲得した、自然免疫はワクチンによる人工免疫とは違うと考えられる。

 特定のウイルスの弱毒化した人工免疫は、その抗体の残存期間が短く、他の同類のウイルスに対する交差免疫の効果も弱いと考えられる。なぜ、BCGによる抗体が長く残存して、コロナに対しても効果があるのかについては、不明なことだ。ここには又別の仕組みがあるように見える。

 コロナに感染しにくい人間に成れると言うことである。コロナに感染しても、重病化しにくい人間に成れると言うことである。免疫力を高めればコロナを克服できる。コロナだけでは無い、次に表われる新型ウイルスを最乗越える事ができる。

 実際に老人がコロナに感染したとしても重症化する人は少数派である。基礎疾患が無い人であっても、あっけなく死んでしまう人もいれば、コロナウイルスに感染しても発病もしない老人もいる。濃厚接触しても感染する人としない人がいる。こうした人間による違いは免疫によるものと考えられる。

 免疫作用は人間の身体の中に微生物が侵入することで生まれる作用である。害のある病原菌やウイルスから身体を守るための作用を行う。その仕組みは多様なようであるし、複雑なようで、未だすべてが解明されたと言うことでも無い。

 100歳まで生きるためには免疫力を高める必要がある。免疫力を高めるためにはそう難しいことがあるわけではない。思いつくまま、10点あげてみる。

 1,楽しく充実して生きる。2,適度な運動をする。3,小食で多様なものを食べる。4,よく眠る。5,身体を暖める。6,新陳代謝をよくする。7,病原菌やウイルスとは安全な範囲で接触をする。8,発酵食品を食べる。9,筋肉を付ける。10,適度なストレスの中で生活する。

 以上は生活の中で実戦してきたことである。これが正しいかどうかは私が100歳まで生きたときのことである。健康法と言っても様々である。体質やそれまでの生活履歴にもよるのだろう。あくまで私の場合である。他の人に当てはまるかどうかの限りではない。

 さらに具体的に10点書いておけば
1,朝4時には起きる。2,夜は8時前には寝る。3,一日朝と昼の二食。4,動禅を1時間行う。5,絵を描く。6,発酵食品を食べる。7,サウナに入る。8,酒をいくらか飲む。9,嫌いなことはやらない。10,笑って暮らす。

 これこそ、100歳まで生きたときにのみ、参考にして貰わなければならない。
 

 
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鳥インフルエンザの流行

2020-12-12 04:32:58 | 自然養鶏

 この写真は今回小田原から石垣島に戻る飛行機の窓から撮影したものだ。飛行機は静岡市の上空当たりを通る。天候と時間によって富士山は変化する。空高く富士山がある絵を描きたいと思っているので、いつも目をこらしてみている。

 鳥インフルエンザが流行している。すでに200万羽の鶏が殺処分されている。これをやらされている自衛隊も辛いことだろう。確かにこれは国土防衛の一つである。実はコロナも鳥インフルエンザもウイルスによる感染症で、人間をふくめた生き物すべてが、感染症を乗り越えて今存在している。

 世間はコロナの流行で、ニワトリのことどころではない気分であろうが、養鶏をやってきたものとしてはコロナとは違う意味で心配なことである。野性と人工の軋轢である。人間が社会を形成して、集団で生きると言うことに伴う危険なのだろう。

 コロナの流行でウイルスと言うことや免疫と言うことの実際が、社会的に認識されてきた。前回の鳥インフルエンザの流行時には交差免疫と言うことすら、神奈川県の家畜保健所ですら認識が無かった。ワクチンによる免疫と、感染して怒る自然免疫の違いすら、認識が無かった。

 別段責めているのでは無く、家畜というものは病気になれば、すべてを抹殺すること以外考えられていないのだ。今も同じことが繰り返されている。何百万匹の鶏がただ殺されているのだ。それは、実は殺されることが少し早まっただけのことにすぎない。

 もし、この何百万匹の中には鳥インフルエンザに耐性のある鶏も居るかもしれない。感染して死んで行く中には、感染して抗体をえる鶏も居るのだ。その鶏は貴重な鶏である。こうした鳥インフルエンザに耐性のある鶏を選抜して行けば、鳥インフルエンザにかからない鶏が出来るかもしれない。

 そういうことは植物では常に行われている。石垣島の熱帯農業研究所ではイネのいもち病耐性の品種を世界から集めて研究している。鳥インフルエンザの発祥源である、シベリア地方の白鳥などの水鳥は耐性を得ているから、絶えること無く生存しているのだ。

 自然界というものはそうした総合性の中にある。淘汰や進化を繰り返しながら今の世界があるのだろう。コロナで散々言われたことが都市への集中である。3密の回避である。密集を避けやり過ごすことが第一である。ワクチンの無い病気には唯一の対処法である。

 自然界にはワクチンなど無いのだ。人間界もついこの間まではワクチンなど無かったのだ。それでも人間は今に生きている。自然界には無数とも言える膨大な命が生きている。そのことはウイルスとうまく共存していると言うことだろう。ウイルスだって生きるためにはすべてを淘汰などしないように出来ている。

 ウイルスは新しい形のものが、次々に生成されている。その原因の一つが、3密である。自然界においても三密で起きている可能性が高い。感染の連鎖である。感染を繰り返している間にウイルスが強毒化する。白鳥ですら死んでしまうようなウイルスにも変異する。

 ところがこのウイルスに耐性のある白鳥も居て、感染して南に渡ってくる。そして様々な鳥に感染を広げる。そうして多くの野鳥が感染をして死ぬのだろうが、生き残ったものが耐性のある野鳥として次の世代へと命をつないで行く。

 ところが、養鶏場にそのウイルスが入れば、ひとたまりも無い。人間でも散々言われたことは、3密の回避である。まさに大規模養鶏場は3密の見本のような所だ。大規模畜産は禁止されなければならない。禁止しなければ、そこから新しいウイルスが出現する可能性も高い。

 このことは繰返し前回の鳥インフルエンザの時に繰返し書いた。しかし、全くこの考えは相手にもされなかった。そして今回コロナが蔓延してみて、やっと世間の常識が変わってきた。3密は行けないと言うことが常識になった。大規模畜産は危険なのだ。

 今回のコロナも実はミンクの大規模飼育が原因していないかと考えている。それこそ3密でミンクは何百万匹も飼われている。この中で危険なウイルスが誕生する可能性はあると思える。もし哺乳動物でそうしたことが起これば、すぐにでも人間に感染する危険がある。

 それが、インフルエンザのウイルスの出来る課程である。中国の豚の中に鳥インフルエンザウイルスが入り、変異して人間が感染するインフルエンザになる。今年流行するだろうウイルスを調べるのは養豚場の豚を調べて、予測すると言われている。

 人間も新型ウイルスに対応するためには新しい生活様式が必要と言われている。畜産も同じである。新しい畜産が必要なのだ。それは自然に応じた小規模な自然養鶏である。たとえ鳥インフルエンザが広がってきても感染が起こる可能性が極めて少ない。たとえ感染したとしても対応を簡単に取れる。

 前回の感染の菜も、今回の鳥インフルエンザの感染拡大においても、おきているのは何十万匹も飼っている大規模養鶏場だけである。私がやっていた放し飼いの自然養鶏では起きていないのだ。原因は交差免疫だと思っている。

 自然養鶏は三つの条件がある。1,放し飼い。2,二種の醗酵飼料を使う。3,自家育雛。実はこの三つは昔の鶏の飼い方である。この三つの条件を整えれば、ウイルス感染はよほどのことが無ければ起きない。

 日常から様々な病気にさらされながら鶏を飼う。弱い鶏は自然に淘汰が繰り返される。ウイルス耐性のある強い鶏種だけが生き残り、命をつないで行く。自然の姿に準じた形の鶏の飼い方である。これならば、新しいウイルスが、養鶏場から発生することも無い。

 大規模畜産は新型ウイルスの発生源になり得る。やっては成らない家畜の飼い方なのだ。中国では畜産の規模が日本よりもさらに大きい。大きさに対するおそれが無い。ミンクの大規模飼育は見たことはないが、たぶん劣悪な環境で行われていることだろう。中国政府にはその危険を気付いて貰いたいものだと思う。

 日本でも大規模畜産は止めるべきだ。経済性の追求だけでは日本の安全保障は成り立たない。人間の暮らし方を変えない限り、コロナの危機は繰返し起こることになる。人間の3密の暮らしも避けるというのは、当然の流れである。

 そして、家畜の3密も避けなければならない。肉などそれほど食べなくても良いし、高いことは当然のことなのだ。卵が物価の優等生などと言われて、70年前と値段が変わらない。70年前に戻る方が正しい選択なのだ。

 もう一度経済競争主義から、落ち着いた人間の暮らしを取り戻すべきだろう。と言いながらも、世界はさらに競争を深刻化するだけだろう。それなら、自分の暮らしだけでも安全保障を考える必要がある。自給自足の小さな農業に生きることだ。
 
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コロナウイルス、デンマークでミンク感染で変異。

2020-11-09 04:01:47 | 自然養鶏


 デンマークのミンクの養殖場で、コロナ感染が広がり、ミンクから人への感染を起こしたらしい。まさにこれが私が10年前に予測し、警告をしていたものだ。大規模畜産がまねく、新型感染症のパンディミックである。

 ミンクから人へのコロナ変異ウイルスの感染がデンマークで12人確認されたらしい。12人はミンク養殖関係者だった。コロナウイルスは新しい状況に立ち至ったと考えなければならない。急遽1700万匹のミンクが殺処分されるという。何という大量飼育であろうか。神をも恐れぬ殺戮である。

 今回の変異が、人間に脅威になるような変異かどうかはまだ分からない。しかし、猫やアナグマにもミンクにも感染するウイルスと言うことは確かになった。ミンクを大量に飼育していたと言うことが、ウイルスに変異をもたらしたと考えて間違いが無い。

 大規模畜産が危険な理由は三つある。
 1,信じがたいほどの感染の連鎖が起きているにちがいない。一万回の感染が連鎖的に起これば、どこかでウイルスが変異する可能性は極めて高くなる。自然界ではあり得ない感染連鎖である。

 2,大規模畜産場では大量の薬剤が投与される。抗生物質や化学合成物質が飼料や薬剤として使われているに違いない。特に毛皮の生産では極端な薬剤の使用が予測される。その結果、ウイルスの変異が促進される可能性が高まる。耐性菌の出現と類似のことである。

 3,野生動物と違い、畜産場では人間との接触が頻繁に起こる。そこで何らかの形で、人感染を起こす変異の確率が高まる。鶏の場合であれば、豚を介在して人間である。その変異がヒトヒト感染に繋がるのだろう。今回は人からミンクへの感染が始まりと考えられる。

 1700万匹ものミンクを飼っては成らないのだ。それだけミンクの毛皮需要があると言うのも驚きである。デンマークは兵庫県程度の大きさの国である。人口580万人というから、人口の三倍ものミンクを飼育していたことになる。こうした大量飼育は自然の摂理から外れた行為である。大規模畜産は禁止されなければならないものだ。

 人間はいつか大規模畜産で変異するウイルスによって、滅びることになるにちがいない。もし人間が賢明なものであれば、すぐに大規模畜産は禁止しなければならない。ところが、人間は愚かなもので、むしろ消毒や管理が行き届かないとして、小さな自然畜産業を廃業させようとしてきた。この愚かさが情けない。このブログもその警告のために始めたようなものだったのだが。

 笹村養鶏場もこの人間の愚かさで嫌気がさし止めたといえる。警察がパトカーで乗りつけて警告するのだ。それを見た地域の人達は鳥インフルエンザが蔓延しているのではないかと、恐れ、自治会長と副自治会長が養鶏を止めて欲しいという馬鹿げた警告をしにきた。警察の方から、自治会長に話が入ったのかもしれない。

 こうした非科学的な対応で、あれやこれやですっかり嫌になってしまった。それで、65才までには養鶏は止めると言うことにした。責任が持てない気持ちになった。自分としてみれば、これからの社会のためになる自然養鶏を確立しようというつもりで頑張っていたにもかかわらず、社会の害悪のように見られたのでは、張り合いが無くなってしまった。

 しかし、予測通り新型感染症は繰返し起きている。その原因は今のところ、自然界にいるウイルスがたまたま人間に感染したという推測がされている。人間が未開の自然の中に踏み込みすぎたという説明がされている。しかし、コロナの起きた中国は未開の地ではない。何千年も人間が生きてきた場所なのだ。

 そして、今新しいウイルスによる感染が起きたとすれば、新しい要素として存在するのは大規模畜産場である。センザンコウであろうが、アナグマであろうが売れるのであれば飼育する人はいないとは言えない。もちろんミンクだって同様だろう。中国の毛皮の生産は世界一である。ミンクも同様である。

 大規模畜産を介在して、ウイルスが人感染しやすいように変異している可能性は高い。専門家が何故かそういう可能性は言わない。大規模畜産を養護しているのだろうか。経済に関わることになると急に慎重になってしまうような気が当初からしていた。

 推測させて貰えば、今回のコロナウイルスの発端はミンクの大規模畜産場と考えてもいいのではないだろうか。そもそも野生のミンクの中にコロナウイルスはいたと考えられる。ミンクの養殖場でコロナウイルスの変異が起きて、ヒトヒト感染をするようなウイルスが変異をしたのではないか。

 それが武漢市で一気に感染を広げた。その原因はつかめていないところではあるが、ミンク養殖場が発端という可能性も調査すべき所だ。中国の毛皮養殖場の悪名はすさまじいものがある。劣悪な環境で膨大な数が密飼をされている。次のウイルスの出現を考えればこれを禁止するのが先決である。

 実態を見たわけではないので正確のことは分からないが、毛皮を取るための畜産はエサでも飼育環境でも最悪の場合がある。中国の大規模養殖場が世界の新型ウイルスの発生源になっている可能性はある。

 現在日本では豚熱が流行している。イノシシに感染したからである。沖縄でも感染が広がり、ワクチンを使用することになった。野生のイノシシにワクチンを食べさせるなどと言う無謀なことが行われている。未だに収まりきったというわけでは無い。このことで放し飼いの自然養豚が危機に陥っている。

 大規模養豚場を守るために、小さい放し飼いの養豚を禁止するという愚行である。大規模養豚場はさらに大量の薬剤を使うようになるだけだ。それを安全というのだから、馬鹿げている。ワクチンを使う安全は限界があるのだ。

 今回のコロナパンディミックでワクチンというものの限界、免疫というものの複雑な仕組みがやっと社会的に認知された。ワクチンを使った予防処置を安全で完全なものだと思ってしまってはダメなものなのだ。ワクチンはあくまで一時しのぎだ。

 出来ればワクチンなぞ使わないで、自然免疫を獲得したもので、自然畜産を行うことが良いのだ。大規模畜産では不可能なことなのだ。自然環境の中で、弱いものは自然に淘汰されながら、より強い系統だけが生き残って行く。

 自然と折り合いが付く規模でだけ畜産は可能なものと考えた方が良い。まして、食用で無い毛皮の養殖などそもそも禁止すべきものだろう。動物虐待である。皮や羽毛の利用は食用に使った余剰の範囲で許されるものだろう。新自由主義経済は、利益が出るものであればどこまでも進んでしまう。

 この辺で引き返さないと人間は自然の限界を超えることになる。コロナウイルスの出現はその第一段階と考えなければならない。今回は幸運にそれほど致死率が高くは無かったが、次に人間を襲うウイルスはさらに凶暴なものになる可能性の方が高いだろう。

 
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沖縄本島の豚コレラの発生

2020-01-12 04:15:46 | 自然養鶏
石垣郵便局の壁の絵

 沖縄本島のうるま市の養豚場で豚コレラが発生した。まだ原因は明らかになっていないが、推測ではアジア観光客の持ち込んだ食べ物が原因の可能性が高いきがしている。中部および関東地方での豚コレラと同じ遺伝子と言うことだが、同じようなアジアからのルートと考えてもいいのではないだろうか。

 沖縄での発生は3つの養豚場に広がっている。さらに広がる可能性が高い。最初の発病から、1月10日の消毒殺処分まで1ヶ月もあったとみられる。12月20日頃には死亡した豚が10数匹も出ている中で、出荷もされていたようだ。暮れの25日にはさすがにおかしいと言うことは養豚業者の人も認識していたようだ。しかし年の暮れと言うことで年明けに家畜保健所に相談して明らかになった。

 感染豚が居たと思われる状況で豚の出荷をしているから、他の養豚業者との接触なども頻繁にあったと考えられる。広い範囲の養豚場の調査が必要な状況になっている。

  初期対応が失敗している。しかもうるま市で発生を確認して、三キロ以内の養豚場を調査するとした。そしてすぐそばの養豚場でも感染が確認された。そのさなか、今度は隣の沖縄市で新たな感染が確認された。

 初期対応は大げさなぐらいにやるべきだ。本島全域の調査を行う必要がある。うるま市の処理肉場に豚を出している業者はすぐに立ち入り調査をすべきだった。岐阜での対応もイノシシは移動しないので汚染を拡大はないと考えたために、関東にまで広がることになった。

 沖縄本島でもイノシシの感染を調査しなければならない。もしイノシシに感染が広がっているとすれば、その対策も行わなければならない。沖縄では農家が数頭を庭先で飼育することがある。こうした豚の感染も調査の必要があるのだろう。

 重要なことは感染源である。第一に推測される感染源は、海外からの観光客が肉の食べ残しを何らかの形で廃棄する。それをイノシシがあさって感染する事もありうる。そのイノシシが養豚場に出没し感染を広げる。あるいは食品残渣をそのままエサに使っている場合も有るのかもしれない。エサにされた食品残渣へのウイルスの混入である。

 世界では未だかつてないような家畜伝染病が起きている。当然効果的なワクチンなどない。狂牛病、口蹄疫、高病原性鳥インフルエンザ、そしてアフリカ豚コレラ。大規模畜産が行われるようになったためと見ている。(その過程は何度か書いたので省略)幸いなことに日本は島国である。徹底的な防疫体制をとれば、防げるはずである。

 今、怖いことはアフリカ豚コレラの日本へのウイルスの侵入である。豚コレラが日本に来ているのだから、アフリカ豚コレラの感染が日本で起こる可能性は高いとみなければならない。中国の養豚はこれで大変なことになっている。今から、水際対策を徹底することしかない。

 そのためには、家畜衛生学の研究がまず第一である。鳥インフルエンザの時も、全く学問的に後手後手だった。家畜は病気になれば、淘汰すればいいという安易な考えしかなかったのだ。どうすれば、日本への侵入が防げるのか、防げないのか研究して貰いたい。

 渡り鳥の移動経路なども全く手探り状態であった。そして、何故野生の鳥は高病原性鳥インフルエンザに感染しても、一部の鳥だけの感染で収まるのか。そういうウイルスに対する対応能力の仕組みも分かっていない。

 野生動物というもののウイルス病に対する対応能力と家畜動物との違いはどのようなものか。今後の研究課題である。野生動物は弱いものは死んで行く。過酷な環境である。こうした自然淘汰の状況が強い動物を作り出しているのではなかろうか。

 今回野生のイノシシが豚コレラに感染した。野生のイノシシは感染するものとしないものとがいるらしい。捕まえたイノシシの大半が感染していないのだ。それはイノシシが野生状態では接触が少ないからなのか。

 あるいは健康な野生動物はそもそもウイルスに対して抵抗力があるのか。過去何度となく感染をくぐり抜け、抵抗力のある野生動物だけが生き残っているかのうせいはないのだろうか。

 この辺の実態も今回の豚コレラのイノシシ感染の中で、調査を継続して貰いたいものだ。そうした基礎研究の蓄積が,これからの日本の畜産業を守るものになるはずだ。

 その上で、安全な家畜の飼い方を考えなければならない。現在の家畜の飼い方は中途半端な隔離方法である。中途半端な衛生対策である。そのために、一度蔓延を始めると止まるところがない。

 病気の侵入を恐れる余り、過剰な消毒が行われている。それが、家畜由来の新しいウイルスの発生を起こしている可能性がある。このあたりの研究も充分に行わなければならない。

 ウイルス病というものと免疫力の関係を家畜の場合どうなっているのか研究が必要だろう。どういう形で新しいウイルスが出現するのかも研究すべきだ。自然免疫の科学的な研究も必要だろう。

 水際作戦には現在の数十倍の獣医師が必要であろう。そのためには有効が疑われる狂犬病のワクチン注射を止めて、その人員を入国管理の防疫員として雇用したらいい。狂犬病も水際で止める方が好ましい。

 現状の人員では到底防ぎきれるものではない。飛行場や港からウイルスは侵入する。ウイルスだけでなく、様々な危険生物も侵入している。この対策には今の数十倍の人員の配置がいる。

 生物テロの問題もある。海外との交流が盛んになることは望ましいことなのだから、どうやって検疫を強化できるのか。機材も人財も十分に投入して備えを徹底して行うべきである。カルロスゴーンさんの事例を見えれば、抜け穴だらけのようだ。

 例えば、石垣島にも直接外国人が年間22万人も来ます。石垣島には出入国の管理のための出張所があります。私も台湾から戻るときにはここを通過しました。荷物検査などしないに等しいものでした。

 クルーズ船などの場合はどうでしょうか。多分荷物検査などかなり手薄ではないでしょうか。お弁当などを持ち込んで食べ残しをポイ捨てすれば、それを野生動物が食べてしまう。輸入貨物の検査もかなり心配です。多分石垣島の状況は全国で言えることだと思います。こういう所での検査を徹底して行わなければならないはずです。



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豚コレラはついに埼玉県の養豚場にまで広がった

2019-09-19 04:03:31 | 自然養鶏


 豚コレラが、埼玉県まで広がってきた。一年で岐阜から埼玉まで感染はひろがるようだ。野生動物のイノシシがこの病気を広げていることはまちがいがない。イノシシの感染への対応を考えない限り、こんごのワクチン接種の判断もできない。ところが、農水省のホームページに掲載された、対策本部の発表ではイノシシへの対応は出ていない。打つ手なしと言うことなのか。

 2018年9月に岐阜県で最初に養豚場での豚コレラが確認された。同時期にイノシシの豚コレラを確認後、今までに2150頭を調査して徐々に感染が岐阜県全体に広がっていることが確認されている。長野県では検査した イノシシ318 頭のうち、109 頭で豚コレラ陽性が確認されている。いったんイノシシに感染が始まれば、感染の拡大は防ぎようが無い。

 関東にまで広がるには一年かかったと言うことだろう。今後この感染の拡大は日本全体に広がると見なければならない。養豚をしている人たちにしてみれば、極めて深刻な状況である。当初、イノシシにワクチンの入った餌を食べさせれば拡大が防げるとした判断がいかに甘いものだったかが分かるであろう。

 イノシシの生態の把握ができていないのだ。イノシシは移動範囲が狭いから他の群れには感染が拡大しないという見解でイノシシにワクチン餌を与えたのだ。残念なことにイノシシに対する基礎研究が不足している。ワクチン抗体のあるイノシシは自然界に対してどういう影響があるのだろうか。

 鳥インフルエンザの時も、渡り鳥に対する基礎研究がいかに不足しているかが痛感された。韓国から日本に渡る鳥に関しての調査は無いに等しかった。たしか、福岡で感染したカササギが見つかり、カササギが飛んでくることが確認された。今回の豚コレラでは、人が感染を広げていると言うことばかりに気をとられていた。これがイノシシへの対応を遅らせたのでは無いか。そして現在は打つ手が無くなった。

 放牧養豚をしている知り合いのところも、感染地域になった。どれほどつらいだろうか。自然の状態で豚を飼っていれば、イノシシと接触が起こることは普通のことになる。豚にとって良い飼育をしている養豚場ほど、つらい結果になる。それは、自然養鶏と鳥インフルエンザも同じ状況に陥った。あのときのつらさが、養鶏を止める日を決めた。

 緊急的問題になっているのが、豚にワクチンを使うかどうかである。使うと日本が清浄国で無くなり、豚肉の輸出ができなくなる。野生のイノシシに感染が広がっている状況で、清浄国などと主張すること自体がすでに馬鹿げているのだ。

 豚にワクチンを打てば、豚への感染は防げる可能性は高まる。しかし、イノシシへの感染が拡大した以上、かなり長期にわたりイノシシ間の感染は続くであろう。どういう拡大をして行くか。また野生イノシシの頭数がどのくらい減少するか。この機会にイノシシの生態調査を徹底してやるべきだろう。

 豚コレラは感染イノシシの致死率は高いらしい。それであるならば、案外に四,五年の時間をかければ治まるかもしれない。それでも何十年の間、感染は残るだろう。そのときのイノシシは豚コレラに耐病性を獲得して、また増加すると言うことになるのかもしれない。野生のイノシシが激減してくれれば、ありがたいと言う側面もある。いずれこの経過観察は、貴重な資料になる。

 狼は狂犬病でいなくなったという説があるが、本当なのかどうかも今回のイノシシで分かるのでは無いだろうか。イノシシがいなくなることはなないはずである。豚コレラに免疫力のある、イノシシが登場してくるはずである。野生動物の生き残るものは何万年の時間の中でそうした力のあるものが生き残ってきたものだと考えられる。イノシシは増えすぎた。これがイノシシの感染拡大につながっている。

 家畜の病気には人間にも感染する恐ろしいものがある。家畜を飼うと言うことはそうした深刻なものなのだ。アフリカ豚コレラは人には感染しないが、ワクチンがないので日本で感染が広がれば、対応方法が無くなる。

 中国ではアフリカ豚コレラが3月に発見されて、忽ちに全土に感染が広がり、中国ではほぼ養豚業自体が壊滅の危機を迎えている。中国の畜産の方法は、極めて危険だと考えていた通りの結果になっている。大規模畜産の限界なのだ。どれほど外界と遮断したところで、鼬ごっこである。

 中国は世界の半分の豚肉を生産している。豚コレラは半生肉ぐらいであれば、数週間菌が生き残る。そして感染を広げる。またダニが感染源になるというから、相当厳しい防疫体制を取らなければならない。日本に豚コレラが入ったのは旅行客が持ち込んだ、肉が疑われている。例えば、骨付き肉を持ち込みその調理カスが、ごみとなりイノシシが食べる。

 こうした不安を畜産は抱えている。それもあって、私は65歳で止めることを決めていた。もしもの事を考えると、年寄りには無理な仕事だと思う。自分の都合で、もしもの事態を引き起こしたら、周辺の養鶏家に申し訳が立たない。

 畜産は小さく分散して行うべきだ。そして肉はそんなに大量に食べるものではない。仏教徒の肉は鶏肉までと考えた選択は間違っていない。現代の飽食の食文化が間違っている。

 よりよい畜産を目指すと言うことが、自然界との接触が増えると言うことになる。自然界に存在する病気がいつ家畜に伝染するか分からない危険度が高い。自然と遮断して消毒を徹底すれば、耐性菌や新しい病原菌の出現に繋がる。良い畜産が食べる人のためだと考えて自然養鶏を実践していたが、余りに手間暇がかかり大変なので、笹村方式は次の社会にしか、受け入れられないようだ。

 一方で自然との遮断度が高い、大規模畜産の家畜の飼い方が、とんでもない形になっている。耐性菌などもこうした大規模畜産から出現していると見られる。病気を消毒で抑えるという形は、病原菌との競争になる。だにで感染するアフリカ豚コレラを防ぐためにはどれだけの消毒が必要になるのだろうか。より強い化学薬品で消毒をすれば、病原菌の変異の可能性が高まる。

 今起きている、豚コレラはもっと怖い畜産由来の病気が起こる事の予兆である。こうした家畜の飼育がされている以上、パンディミックが起こると考えて対応策をいまから準備する必要がある。まず日本では外部からの流入を徹底的に阻止する態勢を作ることが、当面の対策になる。

 水際作戦である。狂犬病の予防注射など止めて、その予算と人員で、防疫体制を水際に集中させる。そうすれば、狂犬病予防にもなるし、また他の病気の流入も防げる。幸いなことに家畜に感染する病気は鳥以外では、飼料や家畜の入国審査に手間暇をかければ、阻止できるものが多いはずだ。

 セアカゴケグモは1995年に日本でも見つかった。その後水際で押さえ込めるかと見られたが、結局の所、日本全国で見つかる状態になってしまった。幸いなことに当初恐れられたほど怖いクモでは無かったので、実被害はない。

 どうやって日本への侵入を防ぐのか。輸入が増える中、検疫態勢が手薄らしい。ここにはかなりの費用と人員をかけてもいいのでは無いだろうか。検疫費用として輸入品に上乗せすればいい。これは日本の特殊事情と言えるのでは無いだろうか。輸入品がその分高くなるが、それは仕方の無いことである。国内のまともな畜産製品の奨励にはなる。

 人員は狂犬病予防注射を止めればいいのではないだろうか。その分余る獣医師によって水際で徹底して防疫する。薬を使う病気への対応は必ず大きな病気を呼ぶことになる。今考えることはどうやって日本への病気の流入を防ぐかである。
 

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豚コレラの感染拡大について、岡田衆議院議員の発言

2019-08-02 04:07:39 | 自然養鶏


 衆議院議員岡田克也氏の主張。
 豚ワクチンの接種を求める声が高まっています。私も賛成です。しかし、全国でワクチン使用すると、豚肉の輸出が困難になり、輸出を行っている養豚農家にとっては打撃になることから、反対の声があります。調整には時間が必要なことから、地域限定のワクチン使用が現実的ではないかと思います。

 岡田氏の地元三重で豚コレラが広がっている。緊急対策として、ワクチンを地域限定で接種すべきだという主張である。一見正しいかのようにこの意見は聞こえるだろう。ひとつの意見であるのは確かだが、大変問題のある考え方だと思う。

 大きく見れば筋違いの意見なのだ。原因は家畜衛生学が感染症に関して研究が不十分なのだ。家畜に野生動物由来の感染症が広がったときにどう対応するかが、全く研究不足なのだ。特に島国である日本では、独自の対応策の研究が不可欠である。

 まず野生動物の実態調査がほとんどない。イノシシの生活圏がどうなっているのか。イノシシの中での感染拡大の状況の把握。どうして福井へ広がったのか。感染経路の調査。状況把握がないまま、ワクチンをどういう範囲ですると考えているのか。

 また清浄国の判断は地域単位ではない。日本のどこでワクチンを使用しようとも日本全体が清浄国ではない。しかし、野生のイノシシに豚コレラが広がっている状態で、清浄国であるという主張もどうかと思う。

 日本の獣医学の不十分なひとつの事例が、誰でも知っている犬の狂犬病のワクチン注射の義務化である。犬を飼っている人は、強制的に注射が義務化されている。果たして狂犬病予防注射にはどんな意味があるのだろうか。

 狂犬病は日本で発生したのは1957年のネコが最後。1950年に犬へのワクチンが法律によって強制された。その後60年間無駄にワクチンが注射されたことになる。10年くらいはまだいいだろうが、60年発生がないのに何故、犬だけが被害に遭うのだ。

 犬だけが注射されることになったが、何故ネコはされないで済んだのか。科学的な根拠がないまま、犬に注射さえしておけば気が済んだというか、役所の義務は果たしていたという言い訳になった。

 その上に、一度接種の流れができると、これが動物病院の経営に組み込まれた。既得権益を守るために、動物病院団体は狂犬病接種の有効性を今でもアピールし続けている。

 一度清浄国になった台湾で野生動物の感染が見つかった。それを根拠に、日本でも危険はあるのだから、犬の予防接種は継続しろと主張する。

 台湾で感染したのは野生動物である。日本でもその可能性はある。そうであるならば、犬にワクチンをする前に、野生動物の調査をしなければならないだろう。これがなおざりにされている。

 鳥インフルエンザの場合もそうであったが、渡り鳥の調査がまるで不十分であった。朝鮮半島から、どういう鳥がどう渡るのか。そしてその鳥の生態はどのようなものか。これが曖昧なものである。

 狂犬病は哺乳動物であれば、いろいろに感染する。日本ではネコの感染が最後のものとして確認されている。犬が特に危険なので、特に予防されたのは、当時放し飼いの犬が多く、手段で徘徊し、人をかみ殺すような事例もあったからだ。本当に心配な人ならば、自分がワクチンを打てばいい。

 日本では狂犬病ワクチンは無意味だ。しかし既得権もあるだろうから、まず毎年から3年に一回にレベルを下げる。そうした国の事例もある。そして、次段階で完全に止める。費用対効果と、動物愛護だ。

 予防注射の労力を、海外から日本に入る動物の検疫を徹底すること。そうすれば日本に狂犬病が入ることはまずない。豚コレラの発生原因は肉の持ち込みと言われている。検疫が不十分であれば、ワクチンどころの問題ではない。

 そして、野生動物の調査に全力で取り組むことだ。例えば、害獣駆除で殺されたイノシシすべての血液検査を行う。そして、日本のイノシシの野生群の実態調査をする。豚と交雑しているのではと言う疑問も回答が出るはずだ。日本での適正数を把握する。イノシシを本気で駆除する必要も分かってくるだろう。

 家畜衛生学の基礎的研究が必要だ。ワクチンをしてもワクチンは絶対ではない。効果のない動物も居るし、違う型の病原菌も登場する。

 地域限定のワクチンとしても、豚肉の輸出はできなくなるだろう。行うなら、日本全体でワクチンをすべきことだ。もう豚肉輸出どころでない状況だ。すでに日本は豚コレラの清浄国ではない。ワクチン清浄国であるとしても、これほど発症していて、清浄国と言い張ることのほうがおかしいだろう。

 
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福井 豚コレラ、全国4県目

2019-07-30 15:51:50 | 自然養鶏


 福井県で豚コレラが発症した。この問題を書くのは3回目になると思うが、予測したとおりの展開になっている。イノシシに感染が確認された以上、全国に蔓延するのは当然のことだったのだ。

 政府はなんと野生のイノシシにワクチンを接種するから、感染は防げると馬鹿げた手段に出たのだ。イノシシは移動しない動物だとそのときには分析していた。それほどイノシシの習性に無知では、対応などできるわけがない。

 国の家畜感染症対策は、病気が出たならば薬で対応すれば、何でも解決できるという科学性のない考え方だ。日本の獣医学の知見のなさを、今回の事件で見ておく必要がある。豚コレラより怖い病気が次には発症するはずだ。

 四国に獣医大学もいいが、近畿大学の農学部は家畜感染症の研究に取り組んでいた。こちらは門前払いしておいて、アベさんの盟友に許可を下ろした。こういう姿勢が感染症研究を後退させている。

 鳥インフルエンザの発生の時、何度も書いた結論を繰り返せば、大規模畜産を見直す以外に解決はない。そして、病気を受け入れて、対応することだ。現在行っている、全頭淘汰の考えは捨てなければならない。全島淘汰したところで、野生の鳥やイノシシには何の関係もない。

 問題の根源に目を向けないで、何故か末端の業者にだけ目を向けている。国民向けの演技と言うことなのだろう。本当に抑えるなら、イノシシにワクチンなど考えるわけもない。つまり、抑える方法がないのだ。

 できるというなら感染したのだから野生のイノシシを全頭淘汰しろと言いたい。鳥インフルエンザの時にも、淘汰だけで対応した。しかし、感染した野鳥は淘汰されたわけではない。渡り鳥が居るから、常に感染原因は自然界に新たに登場する。

 養鶏場や養豚場を完全に自然界から遮断するというのが、政府の希望である。しかし、そんな窓もないような環境で飼育されたものしか、食べられない社会がまともなはずがない。その結果政府の好きな大企業畜産だけが生き残ることになる。

 人間の暮らし方が間違っている。間違いで起こる病気を薬で対応できると考えるのは、人間のおごりだ。恐竜だって病気はしただろう。薬などない。絶滅するのは隕石衝突であり、病気ではない。

 暮らし方を変える以外に病気を和らげる方法ない。あくまで手当である。薬は使うべきだ。しかし、病気の原因が大規模畜産にあると言うことは忘れてはならない。

 自然界に存在する病原菌をすべてなくすことはできない。当たり前のことだ。野鳥にもイノシシにも家畜に伝染する感染症ウイルスが存在する。これを完全に遮断しようとすれば、当然限度を超えたような消毒が行われる。

 そういう自然界にないような食べ物が人間の体をむしばまないだろうか。清浄というような考え方は危ういだろう。人間の体の中には細胞以上の微生物が存在するそうだ。

 そうした微生物と共生しているのが人間である。体内の微生物には良いものも、悪いものも、関係のないものも居るはずである。そうした総合によって人間は生かされている。病原菌との関係はむやみに排除するのではなく、上手く付き合うことが必要だ。

 イノシシにワクチン接種ができると考えた人は誰なのだろう。こんなできもしない発想をして、無駄な作業を繰り返している間に感染が広がる。
 
 このワクチンは大丈夫なのか。野生動物が餌から、ワクチンを接種され、野生のイノシシすべてに、免疫ができたというような事例はない。

 こうした手段がとられた原因は、大規模畜産を守る方法が他にないからである。鳥インフルエンザの時に私の養鶏場が要求されたことは、自然界からの遮断だ。放し飼いを禁止された。禁止するなら、野鳥が自然界に居ることを禁止しろと主張した。

 結局の所自然養鶏を行うものを全拒否した。こういう政府の無知蒙昧を憎む。理想の養鶏を行おうとの研究が否定された。こんな愚かな政府は日本だけである。

 そして、江戸時代に作り上げられた、鶏文化を消滅させた。その原因が政府の無知というのだから、情けない限りだ。そして次には、瑞穂の国の伝統稲作文化を、途絶えさせようとしている。

 自然界から遮断などしないで済むように野生の鳥にワクチン接種をしたらいいと主張した。できないことである。放し飼いを禁止すると言うこと。政府が考える衛生管理が不十分だと考える小さな養鶏場は止めろと言うことである。

 一体JAS有機認証の養鶏場というものはどうなるのか。放し飼いができないのでは成立しない。私がやっていた養鶏は日本で唯一の有機養鶏であったと自負している。

 素晴らしいはずの有機養鶏が実は禁止されるというのが日本の畜産の実態なのだ。その要因は大規模畜産を守るためである。


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農産物輸出過去最高

2019-05-13 04:09:46 | 自然養鶏

農林水産物の2018年の輸出額が、9068億円と過去最高になりました。輸出額が最高になるのは6年連続です。品目別では牛肉やリンゴ、イチゴ、日本酒などの増加が目立ちました。鶏卵は、生で味わう日本の食べ方が海外に広がり、約1.5倍の15億円に増えました。魚のサバはアフリカで人気が高まり、22.0%増の266億円となりました。輸出額が多い国・地域は香港がトップ。2位が中国、3位がアメリカでした。--東京新聞

農産物輸出が増加したと書かれていた。日本の農業がこれからどんな変化をしてゆくのかに、関係してくる。養鶏をやっていた人間としても気になるところだ。卵の輸出が増加しているということには興味がある。と言ってもサバの18分の一かと思う。日本の農業生産額の総額で見ると、お米が減少して畜産が増加するということが、大きな流れである。畜産の増加傾向を見ると、なぜ豚肉が輸出が増加しない。むしろ競争力がないとされている。鶏卵は輸出しながら、鶏肉は輸出できない。とすると、和牛とか、生卵とかいう日本独特の文化に由来し、日本人が磨き上げてきたものが、海外でも認められてきたと考えていいのだろうか。お米に関しても、良質の銘柄米が輸出されている。日本のお米が特別においしいということが、評価されている。これで、放射能汚染の輸入制限が行われているのだから、消費者の安全意識は別である。日本産品の評価は農産物においては、本物志向ということだろう。たぶん、輸入してくれる国においては、かなり比較すれば価格の高い商品であろう。高くても買いたい。そう思う人たちに日本の農産物が受け入れられていることは素晴らしいと思う。それは日本のリンゴやイチゴなどの果物に対する評価も高品質ということになる。

畜産に関わってきたものの眼からすると、卵は本物らしい偽物状態。本物の卵など売られていない。商品の世界では、純粋な本物は難しい。卵で言えば、3つの条件を備えた卵が本物である。1、放し飼い 2、自家鶏種の育雛 3、発酵を利用した有機飼料。現在この3つを備えた卵は販売されていない。この卵を作り販売しようとすれば、1個400円ぐらいの商品になるだろう。それを食べたいという人は居ないとは言えないが。しかし、私ならそんな卵を食べれる贅沢な人に売りたくない。だから自分で作ると言うことになる。しかし、世界が求めている本当のものは、ここにある。卵で言えば、中国にはすでに登場している。日本人が中国を侮っている内に、差が付き始めている。これは和牛でも、果物でも似たようなことがある。中国国内では日本にはないそうした徹底した食べ物が存在する。果物なら、有機栽培であって、品質も味も優れている。そういうものが本物のであろう。ところがそういうものは日本にはほぼない。和牛で言えば、脂身を入れるという考え方がおかしくないだろうか。人間の方の味覚が本物を見誤っていないか。健康を損なうようなものは本物の食べ物とは言えないだろう。有機農産物が輸出されるようになれば、農産物輸出も本物になるのだろう。

日本は本物の農産物を生産する、技術を磨かなければならない。どうすれば、養鶏の3つの条件をクリアーできる養鶏が可能になるのか。有機の卵が売られるようになって初めて本物の養鶏ができると言うことになる。今輸出ができている、大規模養鶏の卵を本物に似たものと考えて、本物を作る技術を作り出さなければ、将来の日本にとって有効な輸出品としては、いつまで続くのか怪しいことになる。日本の消費者は本物に似たにせものが好きなのだ。日本人の商売感覚には不徹底がある。養鶏ではそうとしか思えない名ばかりの平飼いばかりだ。3つの要件をクリアーできる卵は、日本でなくむしろ中国に可能性があるように私には思えた。中国をにせもの国などと揶揄している間に、本物らしい偽物の国日本になりかねないと思う。日本酒はどうだろうか。国内の消費は下落しているという。日本酒自体の生産量は減少する中での、輸出の増加である。日本酒は確かに本物がある。本物を外国の方の方が理解してくれるという事例のような気がする。

農産物の輸出が増えていると言っても全体で見ればわずかなものである。その分生産額が増えているわけではない。農業生産そのものはいくらかの増加だが停滞している。ピークが1984年にある。私が養鶏業を始めた頃だ。11兆7千億円だった。2017年が9兆3千億円である。32年間前より生産額で低いという産業なのだ。特にお米の減少が大きい。一人あたりの消費量自体が、半減したのだから、仕方がないと言えばいえる。東北の米農家の農業所得の低下は悲惨といえるほどだ。瑞穂の国後退である。もう日本人はお米を主食とするとはいえなくなっている。稲作の徹底した見直しが必要である。天日干しをすればお米はよくなる。天日干ししないお米は本物ではなくなる。外国の消費者はなかなか鋭い目をしていることを考えておかなければならない。




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豚コレラの感染拡大

2019-02-10 04:59:10 | 自然養鶏

湧き水が来なくなり、乾いてしまった。舟原ため池

何でもすぐ騒動にしたがる報道が多いので、間違わないで欲しい。豚コレラは人間には心配のいらない病気だ。また、アフリカ豚コレラが中国でも猛威を振るっているという報道で不安を煽っているが。別の病気である。家畜伝染病ではある。狂牛病とも違うし、鳥インフルエンザとも違う。豚コレラについてはこのブログで、昨年9月に書いている。その時指摘した通りの展開で進んだだけのことだ。国がやるべき対応をしていない結果である。農水省では養豚場の立ち入り検査等は徹底してやるように指示しているが、イノシシに関しては全く触れていない。9月にもイノシシが感染していることは確認された。もうこの時から、養豚場だけの問題ではなくなっている。イノシシは野性だ。鳥インフルエンザでも、シベリアの水鳥の感染は普通にあることだ。イノシシが感染して死んでくれればまだいい。イノシシの中には、感染しても生き残る奴がいたはずだ。豚コレラに抵抗性のあるイノシシが日本の野山にいるという可能性も否定できない。イノシシが増加して、街に出てくるようになった。このことも関係している可能性がある。当然養豚場にも出没する。

養豚場の豚は強い消毒下で暮らしている。過密の過保護飼育である。ここに豚コレラのイノシシが紛れ込む。忽ちに感染すると考えるべきだ。こうなると、ワクチン接種が言われる。養豚業者は、全頭淘汰など命じられるのだから、ワクチンを使わせてくれという事になる。農水大臣の記者会見では、現状ではワクチンは最終手段であり、まだその必要はないとしている。これは鳥インフルエンザでも同じ対応であった。正しい判断である。人間のインフルエンザを考えてみると良い。ワクチンは完全なものではない。接種したところで感染する人はいくらでもいる。この接種したにもかかわらず、感染するという場合の積み重なりが、家畜では手に負えない状況を作り出す。人間の場合、淘汰できないので、薬でインフルエンザを抑える。ところがその薬に耐性のウイルスが登場する。つまり鼬ごっこである。家畜ではサイクルが早いので、この鼬ごっこに加速がつく。人間はまだ、豚の飼育環境よりはましに暮らしているので、死ぬ人は少数である。

工業的養豚場は何万というような数のものが、過密に一か所で暮らしている。限界を超えた飼育法だ。自然界ではありえない飼育環境。極端な消毒世界になる。この家畜の飼育法に限界があると考えるべきだ。イノシシが直接感染するのではなくとも、様々なルートがある。感染を止めることなど出来ない。野鳥のインフルエンザを止めることはできない。あくまで自然と折り合いをつけた、家畜の飼育という範囲にしなければならない。私の家の鶏にワクチンを打つなら、まず野鳥すべてワクチン接種をしてからにしてほしい。こう家畜保健所には主張をして、ワクチン接種をお断りした。日本に存在する鳥の、何万分の一の鶏にだけワクチンを打つ無意味さ。イノシシの感染が確認された以上、日本は27年ぶりに豚コレラ清浄国ではなくなったという事と考えて対応策を練るべきだ。今回の豚コレラのウイルスは27年前に日本であったものではなく、海外で今流行しているものと同じと言われている。つまり、島国日本であっても感染は海を超えるのだ。これだけ海外との物流があれば、あらゆる可能性が考えられる。もう清浄国という発想を変えなければないのかもしれない。

養豚業者はワクチン接種を強く要望している。しかし、生ワクチン接種にはそこから感染豚が広がる可能性がつきまとう。ワクチンは常に水漏れが生じる。鳥インフルエンザでもあったのだが、極秘に生ワクチンを使った業者から、感染が広がった事例がある。もしワクチンを使うなら、すべての豚に接種が命じられることになるだろう。すべてのイノシシにも接種しなければ無意味になる。ここをどうするかである。全てのイノシシにワクチンを打つことが、あり得ないことであるように、すべての豚にワクチン接種が行われても、完全な防除にはならない。薬というものでの対応は、不完全対応になる。病気が蔓延していても、気づくことができないことも起こりうる。病気が潜在化する可能性がある。本来家畜を飼うという事は、折り合いをつけるという事だ。企業的な家畜飼育という事で、折り合いがつかなくなっている。27年前に豚コレラ撲滅と宣言したときには、イノシシの感染もないと調査したとある。何頭調査をすれば疫学的に正しいことになるのか。9月の感染の際は、イノシシの調査もするとされたが、結果はどうだったのか。野生のイノシシの感染調査などそう簡単なものではない。

 

 

 

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イノシシの豚コレラ

2018-09-16 04:02:12 | 自然養鶏

岐阜県で野生のイノシシが、豚コレラで死んでいた。予想されたことではあるが、畜産業の総点検が必要という事だ。日本で養豚場での豚コレラが確認されたのは26年ぶりである。豚コレラは日本は清浄国とされてきた。何故、一度清浄国になった日本で豚コレラが再発したのか、理由は現状ではわからない。想像では自然界のイノシシにはウイルスが残っていて、イノシシから養鶏場の豚に感染したと考えた方がいいと思われる。人間に感染する病気ではないので心配はいらない。感染した豚を間違って食べたからと言って問題はない。イノシシも同様である。養豚業としては、感染するとかなりの豚が死んでしまうので大打撃になる。まずはイノシシの総点検する必要がある。他にもし感染イノシシがいないのだとすれば、何故岐阜の養豚場で感染が起きた理由が、考えにくい。ウイルスが新しい形だとされているので、イノシシにウイルスが残っていたというのも考えにくい。何処から持ち込まれただろう。調査可能だろうか。鳥インフルエンザでも、侵入経路不明が続いた。

長年養鶏業にかかわってきた。鳥インフルエンザでは、その渦中で大変な苦労をした。地域の人から白い目で見られるような、嫌な思いも散々した。家畜の伝染病は不明なことが多いいからだ。人間にすぐにでも感染し、パンデミックが起こるというデマが流れた。これには製薬会社が、人間のインフルエンザワクチンの接種を推進するための策略に見えた。人間のインフルエンザとはそもそも違う。人の感染はあり得ないと何度も主張した。その主張を広めるという事がこのブログの初期の目的にもなった。私の主張通り、世界で鳥インフルエンザからの直接感染など、特異例を除いて起きていない。騒ぎ立てた人たちは少しは反省をしろ。しかし、製薬会社の戦略は成功して、今やインフルエンザワクチンはたいした効果もないのに、接種をしない人はとんでもない人間だぐらいに言われる社会になった。経済は不思議なもので、この無駄なワクチンに莫大なお金が動くようになった。経済効果は高いのだろうか。費用対効果はいかばかりのものか。

動物との暮らし方を日本人は間違ってしまった。日本では放し飼いの猫が批判される。17年前に横浜の方の猫の保護団体から、猫を引き取った。今でも元気なうずらである。その引き取る時の条件が家から出さないという事だった。それなら引き取るべきではないと猛反対だった。猫を去勢した方がいいとは思った。野良猫が増えることは避けたい。しかし、猫の室内飼いという条件はひどすぎる。団体の方はとても熱心な良い方で、家まで見に来てくれた。それで、外に出すことを曖昧に受け入れてくれたようだった。猫放し飼い禁止。一人暮らしの人はダメ。60歳以上の人ダメ。外国人はダメ。こういう条件の保護団体もある。保護団体から猫を貰い、虐待するような人がいないとも限らない。その防ぎ方はまた別問題だ。私にはそんな猫文化は理解が出来ない。猫は自由にあちこちを歩くことが大好きだ。年寄りの一人暮らしなら、保護された年寄り猫を飼えばいいではないか。人間が自由に猫が飼えるようなところに暮らせばいいだけのことだ。人間の暮らし方の方がおかしいのだ。世界中の猫が野外で遊んでいるではないか。日本人の都会での暮らし方が変なのだ。

日本の大規模畜産は新しい病気の温床になりかねない。餌の中に抗生物質を混ぜて与えるようなことをしている。耐性菌が生まれてくる可能性がある。野生のイノシシからの感染がおこるという事で、また豚コレラワクチンの徹底だろう。鶏だって同じだ。野鳥には当たり前に、鳥インフルエンザウイルスは存在する。免疫すらあるから野鳥は居なくならないのだ。イノシシだって同じだ。免疫のあるイノシシが野生に存在していた場合。イノシシは増えるばかりである。野生動物とどのように折り合えばよいのかを考えるべきだろう。いよいよ、豚を薬漬けにするというのか。その豚を我々は食べ続けろと言うのか。豚コレラウイルス酔いも危険な気がする。大規模畜産の在り方がおかしい。このままでは放し飼いの豚の飼い方は禁止という事になりかねない。問題が起こる都度、小規模の農家畜産がやり玉に挙げられる可能性がある。

 

 

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