地場・旬・自給

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農協に未来はあるのか

2015-02-28 04:21:21 | 地域

政府の方針によって、JA全農の解体が始まった。その結果は各地域農協の力量が試されると言う事が言われている。紆余曲折はあるだろうが、地域農協が株式会社になって、これから自力で経営をして行けるかという事になりそうだ。多分今回の全農解体の過程を見て、自民党の対応の以前との違いがある。地方の農協系議員が、中央では意見を表明出来ない。農協も普通の会社になれ、というのが、競争原理からくる意見として主張されているのだろう。その善悪はともかくとして、農協の一般会社化は進むに違いない。立派な成果を上げる農協が取り上げられて、成果の無い農協が無能扱いをされる事になる。そのときには、農業の背景にある、地域の条件と言うものは一切無視され、評価が取りざたされる事になる。その結果農協としては、農業を負担部門として、放棄する農協も考えられる。西湘農協もそうなる可能性を感じる。農業部門以外の力量があれば、その方が利益と言う意味では正しい選択になる。

農協株式会社と言う事になれば、不採算部門の切り捨ては当然のことである。農業のすべてとは言わないが、特に、西湘農協の稲作と言う事では、間違いなく不採算部門になる。一つの方策としては、学校給食との連動である。神奈川県産米は、神奈川県の学校で食べるという目的意識である。こうした社会的に支持される政策を取ると言う事も、地域社会と共に歩む意味で、重要な事になるはずだ。給食の意義から考えて、この為の負担増加は何らかの手立てが考えられるはずだ。地域の環境を守るために稲作があると言う事は、教育の中でも取り上げられている事である。こうした方向に西湘農協が向かえば、地域の住民とっても意義ある存在になるのではないか。稲作生産者も子供達が食べてくれるお米を作ると言う事で、意欲も湧いてくる。農協が株式会社になるとしても、地域社会に根ざした組織であるという事は大切である。

稲作農業の中でも、中山間地及び、極小の条件不利地域の稲作は、出来たお米の価格と言う意味だけで見れば、国際競争力は無い。しかし、田んぼの中には、地域の環境維持のためや、防災の為、重要な要素になっている場所もある。美しい瑞穂の国がらでもある。食糧生産と言う事を、食育の中で取り上げて行く必要もある。そうした直接の生産価格とは違う要素を、どう価格に含みこむかを分かりやすく、地域社会ごとに見えるようにすべきではないか。残すべきものを決めて、継続できる条件を作る。その条件を社会的に認知させてゆくのも、これからのことが今後の農協の役割ではないだろうか。農協の運営委員会に出ていた時に感じたのは、運営委員会が運営の協議機関になっていないという事である。私が出ていた時には、TPP反対決議が行われて、署名活動を私も行ったのだが。運営委員会では、協議したというより、こう決まったので署名を集めて下さいと降りてきたという感じだった。

地域の農業の現状をみると、産業として継続できる人は、後10年したら、殆ど居なくなると思われる。そのときには、新たな担い手の登場が有り得るかである。その新たな担い手は、農協を頼りにするのだろうか。農協とかかわりながらの新たの農業を展開を考えるのだろうか。それとも、農業企業の社員になろうと言うのだろうか。農協が今ある地域との強いつながりを生かせるのかどうか。瀬戸際にある気がする。農協と地域社会の関係は、私が考えるより、はるかに重いものだとも思った。それが足かせになるのか、強みになるのか。今が分かれ道になる。いずれにしても、農業者が共同して生産から販売まで行う組織としての、農協の本来的意味を見失ってしまったのは、政府ではなく農協自身である。

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18歳選挙権

2015-02-27 04:47:19 | Peace Cafe

18歳以上が有権者になる。悪い事ではないが、益々投票率が下がりそうだ。所沢市の全学校へのエアコン設置を市長が1校で停止した。設置を議会が求めた。話しがつかず、住民投票が行われた。エアコン設置賛成が多かったが、しかし、31%の投票率であった。ネット時代の情報伝達に、日本の政治は取り残されている。あえてそういう道を選択しているのだろう。インターネットを上手く使わない限り、あらゆる組織の運営などできない事は、当たり前のことだ。多分各政党とも、党内ではインターネットの利用は進んでいるのだろう。しかし、国民への発信と言う意味では、進めようとはしない。自民党のホームページのアクセス数など、しれたものだろう。読んでも丸で面白くない。面白い、スマホ政党が出てきてもよさそうなものだ。スマホ以外では選挙運動もしない。スマホを使わない人には、訳が分からないが。18歳層には受けそうである。政治は現実離れしてきている。それを有難いとしているのが、既成政党である。

政治の枠組みを決めるのは、現職の国会議員である。自分が不利になるような新しい制度を望むわけがない。小選挙区制がいい例で、この制度が自民党をつまらない政党にした原因だ。多分議員の間にもそういう自覚はあるだろう。保守系野党が多数あるのもその結果である。小選挙区制を続ける限り、自民党は能力も低下するだろう。党内での切磋琢磨がなくなり、一辺倒になってきた。安倍社長にべったりの政党など気持ち悪くないだろうか。その点で、期待の河野太郎氏の農業改革論の内容の無さにはがっかりした。農業は農業企業に任せるべきだ。こういう第3の矢の本音が自民党から出てくるようでなければ、農業改革などできるわけがない。農協勢力も味方にしておきたいなどと考えるのは、西川元農水相のように献金マヒだからだろう。全農解体では結局補助金の配分でTPPを我慢させるという、最悪の結果になるだけだ。この点暗闇で話はついたようだ。

「インターネット投票」である。有権者はインターネットによって、瞬時に投票できるようにする。小学校の冷房の是非を、直接選挙して見る。わざわざ出向いての投票は、費用もかかるし、投票率を下げて行くだけだ。インターネット投票を実施したら、誰が有利になるとか、不利になるとかは考えない方がいい。早くインターネット選挙を取り入れた国が、一番民主的な国になる。将来の世界ではインターネットは民主主義の基本ツールになる。嫌でも、遠からずそうなる。そうならない国は独裁国家と見られる。あらゆる政策が、インターネットによって、直接民主主義的に行われるようになる。代議員と言う面倒くさい権力者が要らなくなる。政治の費用対効果を考えれば、そうなれる国が一番良い国と言う事になる。総理大臣の安倍氏の本音が世界から、疑念で見られ、諮問会議で決めてもらう国。

インターネットの選挙運動すら、上手く機能していない。それが投票率を下げている最大の理由だ。自分の投票行動が、政治に影響があるとは考えにくい。無関心で済ましている間に、自分の暮らしに影響が出る。そのときに気付いても遅い。時代の変化に対応したくないというのが、職業政治家の陥りがちな立場だ。情報はテレビ以上にインターネットに移行し始めている。特に若い人でテレビを見ないと言う人が増加している。インターネットは、受身でありながらも、発信者にもなれる。万人対等の道具だ。何千万人の対等の人間の意見と言うものを、集約することが可能な道具。選挙運動にもっとふさわしい道具である。そう考えてみると、実は政治家は民主主義が本当の所では、嫌いなのではないか。自分が代議員であるという事を忘れているのだろう。

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空き家の増加

2015-02-26 04:32:00 | 暮らし

日本の空き家率は異常な状態である。15%近いと言う。10軒の家があれば、1軒と半分が空き家と言う状態である。舟原で言えば、10軒が空き家と言う事になる。ドイツでは1%、イギリスで4%とあるから、日本が異常な状態である事が良く分かる。総住宅数は6063万戸と5年前に比べ305万戸増加し、約820万戸の空き家があるという。空き家が増えながら、家が立てられてゆく状況。「ビホアー・アフター」と言う、家を修繕するテレビ番組を時々見るのだが、新築より、家直しの方が面白い。新築がされればされるほど、家が空き家になってゆく現実。これはなにも過疎地の限界集落の話ではない。都会の話でもある。小田原でもよくある話である。町を歩いていれば、ここは空き屋だなと言う家が目に着く。それでもすぐそばに新しく家を建ている。こういう信じがたい事が起きていると言う事に驚かざる得ない。産業と言うものは動き出すと、利益を求めてうごめいてゆく。

ビフォ―アフターでは、もうダメかという所まで痛みきった家を、見事に再生する。良くやったと言う気持ちで熱くなる。この番組のテーマは、家族の問題を家を直すことで解決する。と言う事らしい。家が治る事で家族と言うものが再生される。家は暮らしと言うものに大きな影響を与えている。私も家直しが面白くて、この舟原の家はずいぶん直した。自分でも直したし、箱根の本田さんという大工さんにも何度も直してもらった。そして今は、暮らしを反映したものになり、家らしくなった。絵が描きやすくなった。絵を描く場所であり、絵を見る場所であるから、普通の家とは少し違うが、気に入った家に段々なってきた。この家は、関東大震災で壊れた後にできた家だ、昭和五年に建てられた家だと言うから、もうすぐ100年の家。まだ大切にすれば100年以上大丈夫そうだ。人が住んでいるという事はそういう事だと思う。家は住まなくなればすぐ崩壊して行く。

空き家が増えると言う事ほど不経済な事はない。空き家のまま置いておく事は許してはならない。政策できちっと対応しない事が良くない。多くのばあい、空き家になる原因は借り手との良い橋渡しがないからだろう。国の税制も悪い所だ。空いている家は誰が住んでもいいという事になっていれば、空き家など初めからないだろう。人間の所有と言う思想の良くない所だ。すべての資産は預かりものだと考えれば、自分の生きている間だけ利用させてもらうと言う事になる。私の今住んでいる家も、いい形で次の人にバトンタッチしたいと思うが、どうなる事が良いのか考えている。後15年くらいはここに住んでいなくてはならない。その後どうすれば次にリレーできるかの問題である。老後の面倒などみてもらいたくもないが、家等の管理だけは、受け継いでもらわなくては困る。

空き家問題は耕作放棄地と似ている。資産と言うものにしがみつく人間が表現されている。その結果受け渡す事が出来ずに、放棄されてしまう。人生の目的が財産に傾いても仕方がないと思うのだが。目的が達成されても、その意味が生かされる事がない。農地が財産だった時代が少し前にはあり、それが財産価値を失った時に、農地の維持をして行く意味を見いだせなくなる。家も同じことだ。家は直して使う使用価値だ。本当であれば、国から自由に借りて、死んだときにお返しするのが一番だ。家は直す事が面白い。そして直す事は、新しく作るよりはるかに難しい。建築家は自分の創作として、新しく作る事が面白いのだろうが、再生し生かして使うという意味を考えた方がいい。建築家が暮らす訳ではない。自分の暮らしを考える人の家は、直すことで自分の家になってゆく。この家はタダである。土地は母が購入して私に残してくれた物である。その事を書いておかないといけない。

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自民党が怪しくなってきた。

2015-02-25 04:21:34 | Peace Cafe

安倍総理のヤジは異様な感じだった。安倍氏をバックアップしている、人形師たちは、びっくりした事だろう。人形が自分でしゃべってしまった。安倍氏が少し自信を持ってしまって、人形自らがしゃべって大丈夫だと勘違いしたようだ。安倍氏の批判を繰り返しているが、実はこれほどの強敵はいないと考えてきた。それは安倍氏が木偶人形に徹していたからである。それは揶揄はしているが、最も手ごわい総理大臣像である。当然のことだが、総理大臣の行う仕事は、個人がこなせるような範囲の事ではない。聖徳太子とか、徳川家康の様な、1000年に一人の天才であれば、別だろうが、普通の優秀な政治家の範囲であれば、木偶人形を筆頭にして、その背後に優秀な集団が控えるという仕組みではないだろうか。安倍氏の背景に存在すると思われる集団は、日本の伝統的保守層とその培ってきた、頭脳集団と、その発注先ではないだろうか。

所が、安倍氏は自分の役割を段々忘れてきたようだ。自分が売っている物を本物だと勘違いした、香具師。人間だから、そういう事もありうる。何故「日教組、日教組」と異様な叫び声を上げないでいられなかったかである。イスラム国事件が相当にストレスを与えたと思われる。この事件を利用するという、筋書きのすごさに、目が廻ったのかもしれない。それ程悪辣な人では本質は無いのだろう。しかし、台本にはそう書かれてある。そして、それに従ってきたら、恐ろしい事件が起きた。さあーこれを利用して、一気に憲法改定の道を突き進むという、主人公役である。もともと、性格の強い人ではないから、この台本を持て余してきているのではないか。そもそもこの台本に無理があるのだ。さすがに西川農相ではあまりにひどいと考えていた。TPP推進の功績で、農相に就任すると言う事は、農業を崩壊させるための就任に見えた。今回の西川氏の献金の構図は、まさに昔からの自民党の変わらないままの姿である。進歩の無い政党である。

業界と結託している自民党議員の典型である。西川氏だけではない。安倍氏周辺にいる人は何らかの業界と結びついているはずだ。そういう利権目的の議員が送り込まれている。ダンプ関連が誰、パチンコ関連は誰。電気関連は誰。そうなっているに違いない。自民党議員にはそういう枠から離れた人もいる。しかし、安倍政権はこの枠の外の人は、平社員扱いである。巧みな統治体制はここにも浸透していて、いかに力をそいでしまうか画策されている。その結果誰も反抗しない、羊の集団になって飼い慣らされている。そいうう王様の地位に長く担ぎあげられていれば、つい自分が偉いと勘違いしがちである。それが、「日教組、日教組」の叫びになったのだろう。何が日教組なのか分からなかったが、翌日の国会答弁によると、日教組の献金問題は企業献金以上に悪質だ。と言いたかったらしい。またこの回答が、根拠のない言いがかりだったのだから、ひどい話だ。

謝罪はしたが、明確に取り消す事は出来なかった。実に遠回しの未練がましい言い草の謝罪である。この姿に、安倍氏の本当の人間が、就任以来初めて見えた。やっぱり総理大臣は人間でなく、人形の方がいいようだ。人間ではまたお腹が悪くなる。安倍氏自身が、官邸に泊れと言われて、健康であることも総理大臣の仕事だと、子供じみたいい訳をしていたが、何か虚弱児童の教育のようで、本当の姿が出てしまうと少々哀れである。哀れではあるが同情はできない。安倍氏が日本全体を引き込もうとしている世界は、武力抗争の世界である。力の対立の世界である。必ず恨みが高まって行く世界である。日本の戦後社会が巧みに避けてきた領域に踏み込もうと言う事だ。それが普通の国であり、誇りある国家と言う思い込みだ。日本が70年模索した、あり得ない様な武力なしの平和主義の成果は、人類の希望だ。

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竹の楽器作り

2015-02-24 04:10:20 | 自給

竹の楽器を作る。場所はカヨ子さんの彫刻作業場

竹は暮らしに役立つ便利な植物である。少しの竹藪があれば、自給生活には何かと便利である。子供のころは、ざるから、背負いかごまで、ありとあらゆるものが、竹で作られていた。竹だけで作られたトイレまであった。実に爽快なトイレでトイレの下にせぎが流れていて、しばらく発酵浄化されると、溢れて池に流れ込むようになっていた。大抵はその前に肥料に汲みだされてしまう。その池では鯉が飼われていてお客さんが来ると御馳走になった。壁は割った竹で編まれていた。薄い一枚だけだから、冬場は寒かったが、臭いが籠らないで、爽やかなものだった。床は細目の竹が丸いまま並べられていた。下がすき間から透けて見える。ギシギシは言うが、かなりしっかりしたものだった。屋根は杉皮で吹かれていた。何故あんなに風流なトイレを作ったのかが不思議だ。近くの竹やぶのあり合わせの材料で作ったら、風流な茶室の様なトイレになったという事なのだろうか。窓に覆いかぶさるようなもみじがあって、トイレに入ると眼が緑に色づくようだった。

竹の楽器作りをしている。太田さんと言う田んぼの仲間の方が、竹と民族楽器に詳しいので、この冬はそれを教わっている。太い孟宗竹で以前、打楽器を作った。側面に切り込みを入れて、音階が変わるようにした。これをたたいて楽しんだ。一年くらいは何でもなかったのだが、あるとき虫が入って穴をあけた。中から粉が噴き出すようになってしまった。音もだんだん悪くなってきたようだ。一緒に竹取りをしてくれて、楽器を作ってみようと言う事になった。冬の内に先ず竹を切ると言う事で、坊所にあるお茶畑の上の孟宗竹を一本切らしてもらった。久しぶりに竹藪に入ったが、良く管理されていた。先ずどの竹を選ぶのが良いかである。3,4年以上経った古い竹である。あまり古いものはやはり良くないとのこと。田んぼを新しく始める近藤さんによると6年ものが良いと言われていたが、近藤さんもどの竹が6年ものかは見た目だけでは分からないと言われていた。10月の新月に切ると虫が入らないとも言われていた。少し今まで聞いた情報では9月の新月が一番と書いてある本もある。

どんなものを作るかと言えば、ケチャックの打楽器である。今回は3つの節を使って、低音、中音、高音と三種類の音階が出るように出来ればと考えて始めた。切り込みの入れ方が深いと低い音になる事ぐらいしかわからないのだが、切り込みの入れ方の工夫を考えたい。これはとても難しくてうまく行かなかった。音階は諦めて、今度は低音が籠るようにと節を抜いて、長い空洞を作ってみた。これはある程度は成功したのだが、節を抜くときにできた穴がどういう事になるのかが分からない。古い竹で作ってみたら、音が柔らかく響いてくれる。気が完全に枯れるまでは、案外に良い音にならない様でもある。尺八などは、どうも何年も寝かして、気を完全に枯らしてから作ると書いてある。竹は枯れてゆく過程で随分変化する様だ。

まず、油抜きと言う事を教わった。徐々に焼いて行くと色が分かって来る。そのうちに表面に油が湧いてくる。これをふき取ってゆく。竹の色が変わり、独特の艶が出た。竹の中に虫がいれば、ある程度死んでくれるかもしれない。それから10日程してから、穴あけの作業になった。良い音がどうしたら出るかで色々切り込みを入れて試してみた。節の長さで音が違う。節を通してしまったものも案外に良い音になった。恥の節だけは残してあるが。案がいには時の音も抜いてしまってもいいのかもしれない。この後も色々試してみるつもりだ。結果が出たら、この後に続きを書きたい。

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森の里病院 人間ドック体験記

2015-02-23 06:39:22 | 暮らし

65になったら人間ドックには行こうと考えていた。先日の金沢での同窓会の時に、松木さんからどこの病院でも良いから一度は人間ドックに行けと言われた。病院は何十年も避けてきたという事もあるのだが、一度はやってみるのも良いと思い決断した。決断と言うほどの大げさな気分を持って自分に叱咤激励しなければ、重い気持ちを突破できなかったわけだ。情けない所だ。待ち時間も、長い訳だろうから様子を書きとめておく。先ず申し込みは電話で行った。年内では空いている日が、25日のみと言う事で、しかも大腸の検査もやるなら、25日に入れてあげられる、というありがたいお言葉だった。大腸の検査などいるのか要らないかは分からないわけだが、年内にやれないと、決断が鈍りそうでお願いしますと返事をした。大きな封筒が送られてきて、それまでにやる指示が書いてあった。便を2回取る事と、前日に下剤を飲む事、キノコ、こんにゃく、海草を食べない事とあった。

前日の早朝である。前回は前日になって急に39度の熱が出て、中止にした。怖くて熱が出たのだろうか。検便はしてしまったと伝えたら、又送ってくれた。そしていよいよ、21日に人間ドックの日だ。小田原駅まで送ってもらって、小田急で出掛けた。車を運転してはいけないと言われていたからだ。愛甲石田の駅から、4番のバス停から15分のって、到着。バス停の少し先に病院の看板が見えた。大きな病院ではなかったが、悪い感じの病院ではない。受付で送られてきた書類を出す。ちょっと驚いた感じで、小田原の久野からわざわざ来たのですか。びっくりされてしまった。待合室まで案内してくれた、方は久野には良く行きますよ。森林ボランティアの看護師としてですと言われていた。気さくに話しかけてくれる感じのよい病院である。良くない病院は患者を物扱いする。

9時から計測が始まり、身長、体重、と始まり、あれこれ測定する。エックス線で胸部の撮影もする。そしてCTスキャンも行う。ここで3年間はCTを受けない方がいいですよと、アドバイスがある。それで一段落で、今度は、大腸と胃の内視鏡検診である。2リットルの生理的食塩水を飲んで、体内に残っている大腸内の糞を出し切る。1時間30分かけて飲む。飲み終わって12時だった。水便が6回出て、ただの黄色い水になった所で、チェックを受ける。それで合格になって、2時まで待って下さいと言う事になる。先生が2時には見えると言う事だ。待っている間にも、断続的に水便が出る。2リットル飲むのも気分が悪かったし、その後の水便の継続も疲れた。そして、2時から胃カメラ。喉にゼリー状の麻酔薬を溜めて4分。痛み止めの注射を打つ。同時に、何かあった時の為に、注射針を刺して準備をして置く。

胃カメラ自体はどうとなく終わる。自分の胃の中の映像を眺めているというのも、おかしなものだ。そして続いて、大腸の検査。胃カメラとは逆にまず一番奥まで入れてから、引き抜きながら撮影すると言う事だ。体内に異物を入れると言う事が妙な感じではあるが、痛いとか、苦しいとかいう事はない。3時頃には終わる。終わってベットから立ち上がろうとすると、ふらつく。立っていられない。その状態で先生から、説明を受けるが、全く問題がないので、特段説明のしようもないという事だ。65歳にしては、胃の中が非常にきれいだ。大腸にもポリ―部の様な物は無い。何か質問はと言われるが、口はしびれているし、聞きたい事はあるが、聞くこともできない。しばらく隣の部屋で寝ていて下さいと言う事で、30分は寝ている。夕方から、地域のお祭りの準備会があるので、ともかく急いで帰る事にする。結果は送ってくれる事になっている。その後、22日は草刈りだったのだが、体調が悪く休み。今日になって回復した。

takeさんのコメントもいただいたので、何故森の里病院に出掛けたかという事を書き足したいと思う。

森の里病院と言うのは、亀田メディカルセンターと言うグループの一つの病院である。房総半島で、地域医療を先駆的に行っているという記事で知った。その試みが新しい地域医療と言う事で、なかなか興味深かった。とても良い病院らしいと思ってあれこれ調べていると、厚木の森の里にもそのグループの病院がある。松木さんと言う友人の医師から人間ドックに一度くらいは行けと言われた。この機会にどんな病院なのか、亀田系の所に行ってみようと考えた。私を見てくれた医師は30代の医師でとても良い感じの渡邉先生だった。看護士さんは名前は分からなかったが、明るい方で検査の途中何度も声をかけてくれた、背中や足をさすってくれた。これが不安を和らげてくれて、有難いことだった。

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稲作にまつわる誤解

2015-02-22 06:33:38 | 稲作

稲作にまつわる嘘をよく目にすようになった。例えば、小規模農家の作るお米は、努力をしないので品質が悪い。と言うデマがある。お米の品質を正確に言えば、一番悪いお米は確かに小規模農家の物である。と同時に最高の品質のお米も、小規模農家のお米である。当然のことで、本当に手をかける米作りをやろうとしたら、小規模でしかできない。天日干しのお米が美味しいお米だと言う事は、大抵の農家の人は知っている。自分の家のお米だけは天日干しをするという人がいるくらいだ。良い天日干しをすれば良いお米になるが、手間が掛かり大規模では無理だ。小規模農家は、農薬をじゃぶじゃぶ使う。と言うようなデマも言われる。農薬を使わない農家の大半は小規模農家にあり、また無駄に余計に使うのも、小規模農家である。これは防除が空中散布の様な地域主義であるという事や、農協の方針と言う事もある。小規模農家である私のように日に3回も田んぼに行ってしまう人間もいる。そのくらい田んぼに行くと、何で稲作に農薬がいるのかが分からなくなる。

こうしたうそや間違いが、農業に意見を言う人から出てくる背景は、農業の現状に腹を立てていて、悪意を持って農業の分析に入るからではないか。農業衰退の原因を論理的に見つけ出さなければならない。小さい農家をつぶして、大規模の国際競争力のある農家に集約すればいいという、主張がある。確かに、工業分野で国内の町工場をつぶして、外国の工場に生産拠点を移す方が生産コストが下がると言う事は分りやすい。所が、農業分野では、生産地を移す事が出来ない。日本の農業の可能性を模索する際に出てくるのは、保護されてきた小さい農家を色々分析する事になる。そして、大規模農業にしさえすれば、国際競争力が出てくると言う大雑把な考えになる。これは3つの点で間違えである。1、大規模化が出来る地域は限られている。2、日本の労賃及び土地費用は高い。3、良いお米は手間が掛かり、山つきの小さな田んぼで生産される。

その為に本気でプランテーション農業を考える農業資本は、生産地をベトナムに移すと言う事になる。あるいは外国人労働者自体を受け入れようという考えが出てくる。一部の大規模農家に補助金を集中させて、農地の集約を行う。そして、外国人労働者を研修の建前で導入する。その是非はまた別にするが、そういう稲作農業と、これからの普通の稲作農家は競争しなくてはならなくなる事は確かだ。普通の農家は稲作は辞めてゆくに違いない。そして、農地は放棄されてゆく。過疎地域の山間地は既に放棄されてしまった農地が幾らでもある。限界集落である。稲作という最後の綱も切られて、地域社会が失われてゆく事だろう。これは既に防ぐ事の出来ない流れになっている。今までは魂の意思によって何とか維持されてきた、経済の論理とは別の動機による稲作は終わろうとしている。

こうした、日本の水土に最も大切な中山間地の稲作を失う事は、日本の未来に大きな汚点を残す事になる。経済の論理が優先されれば、今の大半の普通の農家の人達は稲作をやめる事になるだろう。そこで、期待されるのが自給農業者である。一軒の家で食べるお米は100坪あれば十分である。10軒の人達で3反の田んぼをやれば、一日一時間の自給農業になる。この事は、小田原で100軒を超える人達が10年以上、継続してきて見えてきた結果である。農薬や化学肥料は全く使わない。農家の方達の収量を越えている。品質は相当に上等なものだ。自給農業を広げてゆく以外に、今後中山間地の農地は守れない。中山間地の農地の維持は農業とは別の発想で考える以外に不可能なことなのだ。農協が解体されようが、日本でプランテーション稲作の試みが行われようとも、生き残る可能性があるのは、競争経済とは別物の自給稲作だけだと考えている。

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江戸時代の実際の事

2015-02-21 04:17:48 | 石垣島

世の中が物騒になって来ると、江戸時代の平穏な暮らしと言うものを思わざる得ない。江戸時代というものが、克服すべき封建社会と言う明治政府の洗脳によって、その良さが軽視されている。いまだ飢饉の時代という思い込みがある。自給的に暮らしてみると、江戸の暮らしは良くここまでと思うほどに、日々の暮らしを洗練させた社会だと思う。例えばその封建制度の象徴である、士農工商という身分制度さえ、実に巧みに構築されていて、唯の序列的身分制度ではない。克服されなければならないものであるのは確かなことだが、分相応の意味は奴隷制とは別の思想がある。現代の能力主義と言う、化け物に支配された能力格差社会と較べた時、果たして、遅れた社会なのかどうか、大いに疑問になる。明治政府のお抱え学者たちが、江戸時代を貶めた事は当然であるにしても、左翼思想家と自称する人たちが、その罠にはまって、江戸時代の封建性を単純批判しているのは、実にチャン茶らおかしい。花田清輝氏はその意味で、江戸時代を否定的媒介として、と言う言い方で評価していた。

実際に、自給農業で鶏を飼ってみると、江戸時代のすごさと言うものが身に沁みる。多分こういう事は自給自足で暮らしてみないと、なかなか理解できないのではないかと思う。生涯何もしないで、金魚のランチュウの作出をして暮らした、いわゆる道楽者の粋な暮らしをもう一度考えてみる必要がある。楽しく暮らすというものが、どういう事であるのか。その道楽の結果である、ランチュウや尾長鶏の作出が、何故出来たのかである。日本の江戸時代だけ、出来た事なのだ。長鳴の鶏を生み出した作出する技術力のすごさには、自然と一体化した暮らしの中にある。そうした、現代社会では、一見どうでも良いような事に、熱中して人生を費やす生き方を見直す必要がある。努力の結果原爆を生みだした人もいる。大学の時に、イトヨの分類に熱中している先生がいた。それ世の中で全く役に立たない学問だからこそ選択したというのだ。役に立たない生き方から、生徒の私は学んだものが大きかった。

平穏で安定した暮らしを送るという意味では、特段の能力など要らない。能力など無くとも、普通に日々を送る事を受け入れる社会。現代の豊かな社会は、会社の奴隷のような身分と言えない事もない。次の社会を組み直す以外に人類に可能性はない。それは、日本だけにできる事だと思っている。日本と言う社会が、究めて特殊に、例えば中東などのような国とは、全く逆の形で、温存され、海に守られて生きた特殊な国と言う事だろう。海に守らられた場所は世界に幾らでもあるが、それを江戸時代のように磨きあげる事が出来た国は無い。琉球弧と呼ばれる地域と、幕藩体制との関係を見ると、全く悲惨な事が行われていたと思うが、その悲惨な現実の中に、人間らしい暮らしと言うものが存在している。琉球国と言う日本の外延に却って日本の本当の所が残されている。例えば石垣島の田んぼと言うものを見つめて行けば、日本の稲作文化と言う物の意味が集約されている可能性がある。

まだ残っているという石垣島の田んぼを見に行きたいものだ。そういう所に日本人と言うものがあるのかもしれないと思っている。歴史資料館みたいなものが一番興味があるのだが、やはり田んぼほど、文化遺産的価値の高いものはない。田んぼを見るとその地域の暮らしが、推測できる。南の島での田んぼの作り方、水の回し方、水田の生き物は違うのだろうか。どれだけ取れるのだろう。強い風は困らないのだろうか。暮らしの様々が見えてくる。そうすれば当然、魚住けいさんの事に至る。10年前には亡くなられた方だが、石垣から日本全土に平和の南風を送ろうとした。しかも、未来の人々と繋ぎ合っての希望である。死んだら天使になって空から平和の風を送ると言われていたそうだ。私もそういう生き方がしたいものだ。

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憲法改定について

2015-02-20 04:40:21 | Peace Cafe

安倍政権はいよいよ、憲法改定を明確にしてきた。国会答弁でもその意思が感じられる答弁である。そのこと自体は良い事だと思う。本音を隠す政治では、近隣諸国に対しても、日本自体にもよくない事だ。2016年夏に予定されている参議院選挙を、憲法改定の選挙と位置付けると言う事のようだ。そしてその参議院選挙に自民党が勝利した場合は、憲法改定の国民投票と言う事になりそうだ。野党勢力および、公明党はそうした自民党の覚悟、思惑を前にして、どういう姿勢を取れるかである。自民党は、自民党憲法草案を発表している。この憲法の方向に変えたいと言う事であれば、無血革命政権と言う事になる。つまり、自民党憲法草案は、到底改定の範囲の物ではない。根本的に新しい憲法を作ろうと言う考えである。つまり、そこに自民党の党是があり、目指す所の競争に勝つ、経済の国づくりがあるのだろう。

野党は現在力を失っている。憲法論議の前に、与党に対立出来る野党と言うものが存在しない。野党における憲法論議と言うものが、共産党及び社民党以外にはない。この両党は現行憲法を良しとして、政権を取ったとしてもこの憲法のもとに政権を運営すると主張している。特に憲法に関して民主党内は、ばらばらで到底党としての統一の論議すら行えない状況であろう。話す事自体が党の分裂につながる。それは維新の会も状況が似ている。後1年半の間に、憲法改定が論議されるとすれば、野党はその為の体制の立て直しを行わなければならない。安倍政権を動かしている人達が、憲法改定を前面に出してきた背景には、憲法に関しての民主党、及び維新の会がバラバラな状況であることを見越しての上の、賢明な選挙戦略である。また与党たる公明党は参議院選挙前に、与党を離脱する必要がある。今後はリアルに、憲法改定のシグナルを見ておかなければならない。

確かに自民党は選挙戦略に長けている。しかし、国民の総意と言う事を考えれば、自民党は3分の1の支持しかない。これはいつまでたっても増えないし、むしろ老齢化して支持者の総数は減少をしている。その3分の1の支持者も、利権的、地縁的な支持者が多数派であり、憲法に関して明確な意識があるとは思えない。保守的な思考があると言う事は想像されるが、今回の全中の解体の過程を見ても、農村保守層が失われてきているようだ。自民党に圧力をかけられるような、保守層も失われてきているという感じだ。一方に石原党に代表される軍国主義層も殆ど支持者がないという事は、この前の衆議院選挙で明確になった。こうして考えてみれば、憲法に向かい合っているのは、自民党かなりの人達と、共産党と社民党の人達と言う事になる。

その自民党憲法案は、進駐軍の素人が7日間で作ったと、自民党が揶揄する所の現憲法より、品格がある文章であろうか。実に空回りした露骨なな感じのする、印象を受ける。何十年もかけている割には、大して品格ある新憲法案ではない。自民党の場合、最近の議員は自民党株式会社の社員と言うような印象である。ここの社員は会社の方針を述べるだけで、社員としての考えを強く述べる人は少ない。会社内の序列があるようで、自分の意見を言える人はほんの一握りのようだ。つまり、そういう序列のある国に日本をしたいと言う事なのだろう。日本国が一つの会社のようになれば、競争力が高まり、世界の経済競争に勝てるという発想なのだろうか。明治憲法には世界の時代の先端をゆく、憲法を創案する意欲がある。自民党案は、懐古的な物で新鮮な未来志向がない。次の時代に相応しいの価値観の模索がないという事なのだろう。その理想に向かう意思がないために、競争主義の下卑た匂いがするのではなかろうか。

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「楽」しい自給

2015-02-19 04:40:41 | 自給

楽という言葉はなかなか興味深い。行われるようになった漢字一字を選ぶならということになると、目標は「楽」である。やることが楽しい。こういう気持ちで日々を送りたい。どうしても一日のノルマをこなすように、やらなければならない事を義務的な気持ちで過ごしてしまう事がある。しかし、生きると言う大切さを考えれば、そんな義務的な作業はまず一つもない。仕事が片付いたらとか、一段落したらやろうと言う気持ちがある。父親が死ぬ前に言っていた事に、年をとっても一段落する様な事はない。むしろいつまでたっても雑用が湧いて出てくる。今できない事はいつになってもできない、このように教えてくれた。その言葉はいつも忘れないでいる。やっている事は、すべてやりたいからやっている事だ。自治会長をやる事はこの地域で暮らすという総合的な、やりたい事の一部とかんがえている。

自分の役割を果たさないでいたのでは、やりたい事はできない。やりたい事が出来ないのであれば、楽しいという事にはならない。絵を描くのは楽しい事だ。自分の脳髄の思考回路を最高出力で動かして、直接触れている感じがある。こうして文章を描く事も自分のある本当の所だと思うが、絵を描くと言う行為は、もっと命に続く生の行為を感じる。だから、自分のダメな所も現れ出なければ本当のことでなくなる。これがなかなかの事で、自分が造ると言うか、でっちあげる事はそれなりにできるが、自分そのもの至ると言う事は、いつかはできるかもしれないという希望のようなものだ。やれどもやれども、嘘の上塗りのような仕事なのである。それはある意味で言えば苦しい作業である。自分のインチキ性にまでも、到達していないで、それなりに見せかける自分と向かい合っていると言う、頼りない感じ。そういう実際の所を検証してくれるのが、農作業である。これは実りと言う成果がその努力の度合いを示している。

それでもそれを「楽」と言う事にする。歯ごたえがある。生きると言う実感にかなり肉迫する。肉薄はするがその実態に至らないのが今のところの現実である。しかし、その所に向かってはいる楽がある。本質にあと少しかもしれないという感じはある。だから楽という言葉になる。友人が、楽しい水彩画教室と言う名前の活動をやっている。すごく幼稚な命名であるようにも思えるが、思えば奥深い名前である。絵を描くと言う事を楽しい事と、言えるのかである。思い出せない重要な事を抱えたままの様な気分でいると言う事である。これは何とも辛いことだ。このイライラする様な歯がゆい感じを、楽しいとあえて名乗ろうと言う事なのだろう。回答の無い世界に向かうと言う事は、辛い事ではあるが、面白い冒険である事は確かである。この無意味な冒険に乗り出せるのは、同行するものがいると言う事だろう。

それはマチスであったり、鈴木信太郎であったりする。そして、昔からの友人であったりもする。そうでなければ楽しいなどと言う訳にはいかない。先の見通しは無いけれど、同行の人がいる。座禅をするなどと言う事は、自分一人では思いつかない事だろう。日々無駄に過ごせという事だ。しかし、その無駄にかけた先人や同行の人がいるから、人生をかけてしまう仕事になる。だから、楽しくもあるのだろう。自給農の毎日の一時間は、凡人の座禅のようなものだ。食料と言うお布施を得ることを、菩薩行でなく、自己本位にやろうと言う事になる。座禅をする度胸がなかったので、自給農を始めたという事だろう。正直自給農は楽しいばかりである。日日の工夫が面白くて仕方がない。今脇にある醤油麹の育てる感覚など、一種の醍醐味である。絵を描く事には、どうしても至らない苦しさは伴うが、麹を育てる事は、それなりの成果物のある努力と言う事なのだろう。

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醤油の仕込み 2015

2015-02-18 04:03:45 | 自給

醤油麹を塩水に入れた所

3月15日醤油の仕込みを行った。醤油の自給も5回目になったが、だいぶ要領が分かってきた。参加者は6名。好天にも恵まれて、楽しい醤油作りになった。みんなでやる自給作業は心を合わせると言う所がいい。醤油はスパーで買えば安いものだ。自分で仕込んでその労賃を計算すれば、バカ高い醤油と言う事になるのだろう。しかし、自給には労賃がない。むしろ、醤油を作ると言う事が楽しみなのだ。それくらい面白い。興味深い発酵の作業になる。勿論手前みそと言う事だが、またとなく美味しい。味噌づくりより、少し大変になるが、誰にでもできる範囲のものだとおもう。

醤油の仕込みは、私は大豆4キロ。大麦4キロ。麹菌20グラム。塩2,5キロ。湧水を10リットル。これだけあれば、何かのイベントで使っても充分な10数リットルの醤油が出来るだろう。6名全体では、大豆14キロ。大麦14キロで行った。例年は小麦でやっている。今年は、大麦でやってみる事にした。大麦でやる人もいると言う事を聞いたので、ためしである。

☆2月14日14時から 「前日準備」は1時間で終わった。準備品としては、小麦を炒る大きなフライパン、出来れば2つ。釜戸も数がある方がいい。大豆をよく洗い。大釜に入れて浸す。

☆15日5時に かまどに「火を入れる。」大豆の煮るのは結構難しい。12時に火を落として、冷ましながらの昼ごはん。今年は水を控えめと考えて進めたので、火が少し弱過ぎた点を反省している。焦げることを恐れすぎた。7時間煮たのに若干硬めだった。味噌にちょうどいいくらいの硬さだったか。大釜の火の調整は難しいものだ。

☆15日9時大豆を煮ている間に、大麦を炒り始める。炒ったそばからミンチの機械で砕いたが、案外にこれが良くなかった。これならコーヒーミルでも同じだった。来年はもう一度考えたい。ミルをもう一つ買う事にした方がいいか。それでも大麦を炒って、砕き終わったのは、12時にはなっていなかった。

☆15日13時から、煮た大豆を布に広げて冷ます。同時に砕いた小麦を広げて、麹菌を混ぜる。よく混ぜている間に、大豆が40℃より冷めている。冷めた大豆を小麦と混ぜて、良く揉みこむ。そして一人7キロづつ分米袋に分ける。私は2口で14キロと言う事になる。分けた袋は軽トラのの中に入れておく。暖かく日当たりが良かったので、そのままでも温度挟めなかった。分けている間に、片付けや洗いものをしてくれた。分け終わったら、晴れやかな気分で、家に向かう。

☆15日15時。家に戻って固めた袋のまま、発酵箱に入れる。温度は26度。保温をするが27度より上がらない。まあ、このまま置いておく方がいいと考えて、保温も切る。20時になっても、27度。翌2時になっても27度。

☆一番手入れ:16日朝6時になって35度に急に上がった。15時間経過した所で、米袋のなかで塊になっている醤油種麹をほぐして、米袋いっぱいに広げてやる。米袋と床との間はぐっしょりと濡れていた。一緒にやった近藤さんと言う方の経験では、麹菌は早朝動き出すと言われていた。時間経過ばかり気にして、そういう事はあまり考えた事はなかったが、確かに、朝に動き出すという見方もありかも。ほぐし終わって計ると、22度少し低いので保温をして、徐々に温度を上げる。7時ごろには28度になったので保温はやめる。

☆2番手入れ:16日14時に35度になったので、袋を切り開き一杯に種麹を一杯に広げる。その後32度を維持する。

☆3番手入れ:16日21時に3番手入れ。34度だったのだが、もう寝るので早めに手入れ。加温なしだが温度はむしろ高くなりそうで怖い。

☆4番手入れはしないで出麹まで持ってゆく:17日翌朝、4時で31度を保っている。その後30℃で維持。このまま温度を出来るだけ長く維持して出麹にすることにした。結局、55時間くらい発酵させた事になって出麹。

☆17日16時 10リットルの水に2,5キロの塩をとかした塩水を作る。温めないと塩は溶けないが、充分冷ましてから、出来上がった醤油麹と合わせる。初期の1ヶ月は寒い所で醤油を育てたい。

☆18日5時 さめた塩水をビニール袋に入れて、その上から醤油麹をほぐしながら入れる。良くかき回して、しばらく水が浸透するのを待ち、中に空気が残らないように泡を上部に集める。中に空気を入れないようにゴム輪で閉じる。寒い所に置く。

良くかき回して、空気を抜いた所。

全体の経過では温度は25度から35度の間で揺れたが、目標値30℃前後は上手く維持が出来た。発酵の状態は、まあ上出来。イメージとしては、大豆や麦の中に菌糸が入りこんでゆくように、菌のコロニーの成長を期待してして、なるたけ動かさない。湿度管理をこまめに行い、豆や麦の中真に水分を残して、菌糸が食い込んでゆくような気持ちで進める。

 

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悪意のあるコメントの増加

2015-02-17 04:32:06 | Peace Cafe

携帯端末のスマートフォンとタブレットを使い、インターネットを通じてブログやツイッターなどへ投稿した人の4人に1人が、他人や企業の悪口などの「悪意のある投稿」をした経験のあることが17日、独立行政法人情報処理推進機構(IPA)のネット利用者の意識調査で分かった。

世論調査では、イスラム国の殺害事件後安倍政権は評価が8%も上がったと言う。事件への対応も良かったとする人が多いそうだ。安倍政権はヨルダンやアメリカにお願いはしたようだが、何か行動をしたという事はなかったと見える。政権の無策の対応が評価されると言うのは、例の翼賛体制構築ということかもしれない。社会不安があおられ広がったという事だろう。コメントも悪口としか思えないようなものが増えてきた。本山さんと言う方のコメントは、良くある批判型のコメントの代表例だと思うので、何故こんなコメントを書きくなるのかを考えてみる。青色はコメント全文をコピーしたものです。☆印で始まる黒色が私の分析です。

誰かが頑張っているからこそ・・・ (本山敦)2015-02-14 10:09:30

おっしゃることが矛盾に満ちていて、とても納得できません。

☆まず、私が競争を否定するもので、自給生活はぐうたらで暮らせる。とブログに書いていると考えたらしい。競争は自己新を目指せば良いと書いている。自給生活をしてみるには、ぐうたらでは不可能であるぐらい、想像力を働かせれば分かる所と思うのだが。そういう想像は働かせないようだ。矛盾に満ちていると書いてあるが、矛盾と言うのは、文章の中に矛盾があると言うより、世間の常識と私の書いていることが矛盾していると書きたかったようだ。それは矛盾ではなく意見が違うと言う事だろう。悪意のあるコメントをわざわざ書きこむ人と言うものは、思い込みで読んでしまう。出来れば、わざわざ書くのだから、自分が言いたい事だけでなく、ブログ全体を理解する必要がある。それは無理な希望かもしれないが。

空き家に住めばいい。古着を着ればいい。中古の農機具を使えばいい。と、おっしゃいますが、誰かが頑張って働き、お金を貯めて新築の家を買い、新品の洋服を買い、新しい農機具を買うから、そのあとで空き家や、古着や中古の農機具が出てくるのです。しかし、いつか空き家は朽ち、古着はぼろになり、中古の農機具は使用不能になります。ですから、誰かが新品を次々と買わなければ、別の人が笹村さんのような生き方を未来永劫続けることはできないはずです。違いますか?

☆ここがこの方の主張のようです。そういう経済の回り方の世の中で困ると言うのが私の長年書いている主張な訳です。古着は流行を意図的に作り出し、その変化で捨てられている物です。流行を無視して、貰ってあげれば有効です。農機具も同様です。買い取った機械が何処かの国で売られています。国内販売をすると、新機種が売れないので、メーカーは抑制している。農機具屋のセールスに騙されるのです。友人のヤンマーに勤めていた人は、年1億円がセールスのノルマで、農家を騙さなければ、そんなに売れないとして会社を辞めました。消費を美徳とする間違った考え方をまず蔓延させたわけです。所費が増えれば、GNPが増えると言う意味がおかしいのです。先日読んだ農業企業の良い事例では、トラックタ―を毎年買い替えるそうです。壊れるリスクが減らせるというのです。多分補助金を使えばそういう事が出来るのでしょう。それの方が日本経済にいいのだそうです。

新築家屋は政府と、建築業界の思惑で、作られ続けられます。これも将来の経済破たんの要因になると考えています。誰も家等建てないで、今ある家を直し続ける事です。人口減少社会ではそれが可能です。本来の家は5世代200年ぐらいは十分使えるものです。建てては壊すのは、業界の戦略だと考えています。自給生活では結で家を建てる事になるでしょう。服は何世代も受け継ぎ、交換して着る事になる。農機具は最低限の物になり、化石燃料を使う事も最小限になる。そういう経済もあり得ます。しかし、そう成る前に人類は滅びの道を歩みそうです。競争を続け、どん詰まりまで行く事でしょう。せめて巻き込まれないために、自給的な暮らしを不二着地点として、提案しています。空論ではなく実際の暮らしの話です。

私もそうですが、笹村さんも服装に無頓着なのでしょう。私はそのことでいつも妻に叱責されます。
しかし、世の中、服装に無頓着な人ばかりではありません。
逆に服装は大事だと言う人の方が多数派です。
企業でも役所でも学校でも、服装を厳しく指導します。
服装でその人の精神性、考え方、性格、気配りなどがわかると言います。
人と会うとき、自分の身なりに気をかけていないようだったら、会う人を軽んじていると思われます。
服装に引け目を感じている人は、自分自身にも自信が持てなくなります。
私も子どものころ、ぼろ屋に住み、いとこのお下がりを着ていて恥ずかしく感じていたことがあり、それが原因か、引っ込み思案でした。
いろいろな書物で、高価なものは必要ないが、服装には気を使え、みすぼらしいものは着るなとアドバイスが書かれています。私はこれは的確なアドバイスだと思います。だからこそ、企業も学校も服装にうるさいのでしょう。

☆服装で人を判断する様な、集団の中で暮らさない事です。勤めに出ればそれなりの服装が必要でしょう。それは賃金から制服として出せばいい経費です。自給生活では、特段立派な服など要りません。仲間にも服装で人間を判断するような人はいないはずです。ボロ屋であろうが、住み手が手入れを大切にし、行き届いた良い家はあります。物を大切にする事に誇りを持って暮らしていれば、子供も理解できるはずです。引け目を感じると言う事は、派手な服装、豪華な御殿へのあこがれがあるからです。それが消費経済のコマーシャリズムです。

競争は必要です。問題は社会保障、セイフティネットの構築です。

☆競争が能力差別につながる現実があります。そんな世の中を楽しいとは思いません。社会保障も、セイフティーネットも、さらに後退するでしょう。それが頑張りをあおる戦略です。能力差で、格差は年々ひどくなってきています。誰もが格差があると気付いた頃には、もう戻る事が出来ない所まで進んだ時でしょう。日本はまだ間に合います。日本には江戸時代と言う、変化のない事を良しとする経験がある。江戸時代だって資本主義です。そうした経済の中で、拡大再生産を求めない、安定を作り出せるか。この根本に踏み込まない限り、大きな崩壊が待っていると考えざるえません。競争を越えた、自己新の精神に進むほか人類には道は残されていない。

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三線の練習

2015-02-16 04:14:49 | 身辺雑記

三線の練習をしている。ただ音を出しているといだけで、沖縄気分である。楽器をやった事はわずかしかない。ギターとフルートを少しやって挫折した。多分リズム音痴なのだと思う。音階の方はたどたどしいが何とかなるとしても、リズムを取ると言う事がおかしい。ギクシャクして思ったような調子にはならない。3拍子で身体を動かすというような事が出来ない。そこで棒のように音を出すだけをやっている。三線の楽譜と言うものは工工四(クンクンシー)というものでできている。合乙老四上中尺工五六七八とこれがドレミの代わりなのだ。それが縦書きでその脇に、複雑な記号がさらに添えられている。これは見ただけで無理だと思った。所が覚えてしまえば簡単だから、ともかく覚えろと言われたのだが、これがなかなか難しい。覚えると言う事は昔から不得意である。何か意味がある事ならまだしも、三週間は経ったが全く覚えられない。

そこで五線譜の本を買ってきた。小田原のブックオフにも三線を五線譜で弾くフォークソングと言うものが一冊だけあった。なかなか三線は人気があるようで嬉しくなる。気に入った曲は無いのだが、山本コウタローの「岬めぐり」があるので、それを弾いている。四分音符と八分音符が同じ長さになるのだから、おかしなものだがともかく楽しんで弾いている。縁側の暖かい所で気分良く音を鳴らしている。この写真は携帯電話の写真機能で撮影してくれて、その場でパソコンに送ってくれた。段々に沖縄の民謡をやりたいと考えている。安里屋(あさどや)ゆんたの楽譜を沖縄土産に買ってきてくれたので、それも少し始めた。成るほど唄三線というもので、三線は歌の伴奏楽器のようだ。開鐘(ケイジョウ)のカタログの演奏でも、どれも歌とい言うものがある。あくまで三線で演奏を聴かすというものではないようだ。

これは何故だろうかと思う。青森に行き着いた三味線は独立した楽器として成立する。津軽三味線は世界に通用する、唄の無い単独演奏の楽曲になっている。三本の線しかないとしても、演奏楽器に成れない訳ではないようだ。琉球ではあくまで歌が主で、それを支える事を良しとした三線文化なのだろう。歌で伝え残す暮らしの歴史の意味。言葉と言うものは重いもので、唄があれば、曲の方の意味はたちまち従属するものになる。同じ琉球弧でも、奄美の三線は、これはこれでまるで違うものになっている。竹の杓の様なもので演奏する、独特のきつい音色である。沖縄の三線は爪で弾く。爪は水牛やプラスティクのようだ。多分、象牙がいいと言う人もいるのかもしれない。三味線の撥は象牙である。同じ中国から600年前に渡って来た三絃という楽器が、このように地域で異なるものに成長した所が面白い。中国文化の日本の受容の仕方が地方地方で違う。

私の三線は与那国島で作られたものだと聞いた。那覇の親泊さんと言う三線の長老のお店で購入した。上間さんと言う方が作られて、そのお店に預けたものと言う事を聞いた。八重山クルチの棹だということだ。八重山クルチとは八重山諸島に自生していた、黒檀の事である。今は採取は禁じられている。何しろ音色が素晴らしい。私の様な初心者が弾いても響きが強く深い。勿論宝の持ち腐である事は分かっている。身分不相応の贅沢である。意を決して購入した。物欲である。友人の絵を購入したというような気持ちだ。一体音楽の素養のない人間が、年寄りの冷や水か、65の手習いなのか。どこまで物になるものか疑問ではある。ともかく沖縄にへばりついていたいと言う事である。絵を描き、一休みして、三線を鳴らし、また絵を描いている。この呼吸は悪くない。

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琉球布紀行

2015-02-15 04:07:14 | 

「琉球布紀行」澤地久枝著(新潮社出版) 何故琉球弧に布の文化が育ったのか。この事には紅型の素晴らしさを知って以来、興味を持っている。澤地氏は沖縄の文化歴史に興味を持ち、沖縄大学に2年間通ったそうだ。その間、琉球弧に点在する残された布の担い手を訪ねている。この本はその記録である。澤地さんは和服を大切にされている方のようだ。日本人なのだから、確かに和服で暮らすという事も悪い事ではないと思う。しかし、和服は労働には不向きな高価なものである。お寺で僧衣で暮らしたことも少しはある。管理は確かに大変だった。実用から和服が離れて行くのも仕方がないと思う。しかし、琉球弧の布の美しさは際立っていると思う。世界の布の中でも最高の物だろう。琉球弧では島々によって、全く違う布の様相になる。その基本となる繊維すら、絹、からむし、芭蕉、綿と異質なものになる。知識の浅い私には、ただ美しいとしか言いようもない世界。

沖縄の布の素晴らしさを最初に取り上げた人は、日本民芸運動の柳宋悦氏である。その親族の国画会の方と親しくさせていただいたことがあるのだが、常に和服で暮らされていた。日本民芸館には琉球の戦前の貴重な布が沢山保存されているそうだ。確かに紅型を初めて見たのは駒場の民芸館であった。民芸館に保存されていたからこそ、復元された布もある。柳氏は世界で一番美しい布と書いている。沖縄の文化は音楽と布ではないかと思う。何故、ここまで根気を必要とする繊細な布が、暖かい島々ではぐくまれたのか。このあたりの事を考えると、日本人の資質が見えてくるような気がする。古い時代の稲作文化が琉球弧を通して、日本列島に至り、その技術や品種が洗練され、琉球弧に帰ってゆく姿。南方の島々から渡ってきた日本人が、徐々に北上を続け、又、返す波のように、北から南へと分化が影響して行く。離島から抱く都への憧れと、都の需要への応対。

布には薩摩藩の重い人頭税が影響している。澤地氏はあまりその事には踏み込んでいない。あえてその事に頭を巡らさないで、琉球の布の美を味わおうとしたのではないだろうか。あの南の島で、これほどの根気仕事を続ける事は、並の人間にはできない事であろう。雪国の暮らしの中で生まれたと言われたら理解できるのだが、あの明るい陽気な、空気の中で、却って暮らしの重さを思う。からむし織が宮古上布であるという事が、何とも不思議な気がした。あの鶏の好物であるカラムシと言うどこにでもある草の繊維が、繊細な織物を生み出すすごさを思う。宮古島のお土産に、本物の宮古上布の古布の端切れを繋いだ、ものを買ってきた。これを私の絵の間に飾ってある。戒めである。手仕事の意味。

現代の様なあわただしい、金銭が優先される時代でも、琉球の島々には織物に取り組まれる若い方々が存在する。人間と言うものは素晴らしい可能性のあるものだ。究極の布と言っても良い、琉球の織物が次の時代にどのように残されてゆくのだろう。和服と言うものがまた使われる時代は来るのだろうか。化学繊維とは別に、自然素材の布が、評価される時代は来るのだろうか。祖母が蚕を育て繭から絹糸を取り、布を織っていた。嫁入り道具に機織り機を持ってきたのだそう。私はまだそういう暮らしの中にある布の実際を見た経験がある。それを思い出して、カラムシから繊維を取り出してみた事がある。以外に強い繊維と言う事は分ったが、それを繋いで糸にして行く事は、気の遠くなるような事だと分かった。布と言う物の大切さと、それを文化に育てた、琉球の島々に暮らす人々の心の奥深さは、次の時代にとって重要な意味がある。

 

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翼賛体制の構築に抗する言論人、報道人、表現者の声明

2015-02-14 04:10:01 | Peace Cafe

翼賛体制の構築に抗する言論人、報道人、表現者の声明。と言うものが出された。1200人の言論人が賛同の名前を連ねている。こんなことを改めて、行わなければならない状況に情けなさが沁み渡る。イスラム国の誘拐殺人の利用は、安倍政権の悪辣な報道戦に移っている。たとえイスラム国がせん滅できたとしても、テロを生み出した原因はすこしも変わらない。世界の行き過ぎた競争経済が生み出す、格差の状況は変わらない。いよいよテロと戦争の時代に入ったと考えなければならない。能力主義をはき違えた資本主義が弱者を追い詰める。資本主義の弱者を食いつぶす、競争主義の暴虐が収まらない限り、世界の状況はさらにひどい事になる。ゆがみきった能力主義の蔓延である。自己責任論である。その裏にあるものは、特権階級がより支配を強めたいという欲望である。その表れが、能力とお金とだけを結びつける即物文化が格差社会と言う形で世界を覆い始めている。

このひどい状況の原因と、分析は何度も書いているので、自分がどうしたらいいかを考えてみたい。結局の所、暮らしを再考することだと思う。自分が生きると言う事を見つめ直してみる以外にない。人間が産まれてきて死ぬと言う間に何をするかである。人間は、一日1時間の労働で食糧の確保が出来る。食べ物があれば、最低限生きて行く事はできる。これが命あるものすべての、条件のはずだ。この安心が土台である。幸い日本では農地は放棄されている。人口も減少して行く。自給に利用するような小さな畑は、どこにでも存在する。格安に使えるだろう。多分、無料で使わせてもらえる所も多いいはずだ。家はどうだろう。空き家が14,5%だと言う。約820万戸の空き家があるという。仕組みを替えれば、それだけの人が住む場所がすでにあると言う事だ。どこでもいいなら住む家も、格安に見つかるだろう。

衣食住と言うから、服はどうしたらいいかと言えば、貰えばいい。捨てられる服が山ほどある時代。リサイクルセンターにでも行って欲しいと言えば、きっともらえるはずだ。衣食住が足りて、命だけはつなぐ事が出来る。後の23時間は好きに暮らせばいい。出来るわけがないと思う人は、是非私の自給の実験をした30年に思いめぐらせて欲しい。農業をやりながら、世間と同じに暮らせるかと言えば、それは間違いなく無理である。普通とは違うように暮らせば暮らせるという事だ。その暮らしこそ本当の暮らしのはずだ。先日も農の会に農業機械をくれた廃業をした農家の方がおられた。有難いことである。しかし、もう後継者もいない。機械の行き場もないと言う人も結構いる。勿論、農機具屋に出すということだろうが、中には、農の会のような組織で農地を維持してくれる人に、有効利用してもらえばと考えてくれる人もいる。

これから時代は困難さを増してゆくに違いない。テロと戦争の蔓延する時代に入ったと考えて置いた方がいい。われわれ世代がこんな世界にしてしまったのだと思うと、次の世代にもうしわけない限りである。余分の欲を捨てて、日々を暮らす。欲を捨てれば、人を押しのけなくとも生きて行ける。それを競争からの脱落と考える事はない。自己新にひたすら生きればいい。人の上前を撥ねる生き方を良しとしない事だ。能力にしたがって、あるようにそのままに生きれば、暮らしの喜びを深く感じる事が出来るはずだ。私は朝湧水を汲む。この事は、水道の出るありがたさからみれば、何と不便な事であろうか。しかし、日々湧水で暮らす喜びを思えば、何とも深い喜びを伴うものである。一つの卵をいただく。このありがたさがある。すべては物そのもののありがたさを感じられるかどうかにある。金銭的価値に換算した途端に、見事にその価値は消えてゆく。目を覚ました人だけに開かれている暮らしである。可能性は一人にかかっていると思う。

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