あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

『熊野参詣道「小辺路」の魅力』セミナーへ

2009-01-24 22:52:38 | Weblog
 昨日の暖かさから一転、再び真冬の気温となった今日午後、東京・
有楽町駅前の東京交通会館で開催された、表記セミナーに参加しま
した。



 主催は、同館内にある、和歌山県のアンテナショップ・和歌山喜集
館。講師は、和歌山県世界遺産マスターの辻田さんです。

 なぜ、このセミナーに参加したか。それは、昨年10月下旬、熊野
古道中辺路を歩いた中で、熊野本宮大社から歩いた日に、伏拝(ふし
おがみ)まで行く途中で会った人が、「中辺路ではなく、今日は十津
川(とつがわ)村に行く」と言ったのを聞いたからです。



 奈良県最南部の十津川村と熊野本宮がそんな近くにあるあるとは
思っていませんでしたので、帰宅後、地図を見たら、確かに近くて、
十津川村を熊野古道小辺路(こへち)が通過していることも分かり、
小辺路とはどんな道なのかと、興味が湧いたからです。



 たまたま、その後訪ねた東京交通会館の和歌山喜集館にあった
リーフレットで、この催しを知り、申し込んだのでした。

 今日の話のあらましは、以下のようなことでした。

 熊野古道小辺路は、高野山と熊野本宮を結ぶ参詣道で、全長73
㎞、そのうち世界遺産に登録されているのは43㎞(それ以外は林道
や国道になり旧道は残っていない)。

 両端の高野山と熊野本宮は和歌山県だが、中間の大部分が奈良
県の野迫川(のせがわ)村と十津川村を通過している。

 標高1000mを越える峠道が、薄(すすき)峠、伯母子(おばこ)峠、
三浦峠、果無(はてなし)峠の4つもあり、急なアップダウンが多い。

 12~3月の積雪期は注意が必要で、地元ガイドの案内が要る。

 明治22年(1889)8月の大水害で壊滅的打撃を受けた十津川村
民の移民の道でもある(移民先は北海道の新十津川村(現在は町))。

 果無峠には、西国三十三観音の石仏三十三体がある。 

 歩くによい時期は、新緑の4月下旬~5月、紅葉の11月下旬。

 宿泊施設は極めて少なく、高野山の宿坊以外は、野迫川村と十津
川村の民宿あるいは旅館は限られている。十津川村五百瀬地区では、
農家民宿制度を試みている。

 通常はこの区間を3泊4日で歩くのがよいが、早い人なら2泊3日も
可能。その場合の宿泊地(宿のある場所)としては、

 3泊4日 高野山→大股バス停周辺泊→三浦口バス停周辺泊→
       十津川温泉(柳本橋周辺)泊→熊野本宮大社

 2泊3日 高野山→三浦口バス停周辺泊→十津川温泉泊→熊野
       本宮大社

 逆行の本宮→高野山に向かう場合も同様とのこと。

 行程の様子については、写真を映写して説明されましたが、古い
石仏があちこちに残っていること、全世帯が移住してしまった集落
跡を幾つか通過すること、世界遺産になっている部分は道幅50㎝
ほどとの狭いところが多いこと、中辺路などと同様杉などの植林地
が多く、熊野本来の植生である広葉樹林はほとんど見られないとの
ことでした。

 石畳道も、残っているところは1か所だけのようです。

 

 予想していた以上に、高い峠越えの厳しいアップダウンがあること
が分かりましたが、その間の、人は少ないが歴史のある里や、数多
く残る石仏、中辺路から眺めた果無山脈(上の写真)などに興味を
ひかれたので、機会を作って歩いてみたいものだと思いながら、セミ
ナー会場を後にしました。


 

  

 

 

 
 
コメント
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