あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

与野七福神めぐり

2009-01-27 18:49:59 | 七福神めぐり
 2009年1月25日(日)



 JR京浜東北線の北浦和駅西口を11時25分に出発、活気ある商
店街、ハッピーロードに入る。大規模スーパー・サティで弁当を求め、
大戸小の横を北に進んだ。

 里見通りの北に入ると、桜やサザンカなどの木々に囲まれた二度
栗山と呼ぶ台地に、弁財天の弘法尊院(こうぼうそんいん)がある。

 弘法大師が関東行脚(あんぎや)の途中で立ち寄り、栗の実を年2
度実らせ、霊水もわき出させて災難を除去したといわれるところ。

 川崎大師、西新井大師と並ぶ関東三大師霊場のひとつとのことだ
が、お堂は改築中で、プレハブの小さな仮堂に本尊が祭られていた。


 境内の中心に、四国八十八か所の仏像が円形に積み重ねられて
いて、その周囲を4周すると四国霊場を巡拝したのと同じ功徳が得
られるのだという。

 琵琶を弾く石造毘沙門天像は、その横に屋根無しで鎮座していた。


 里見通りに戻って西へ、若いケヤキ並木の通りを与野中央公園の
テニスコートそばまで進む。鴻沼川の中里橋を渡り、JR埼京線や
東北・上越新幹線の高架下を抜けたすぐ先が、毘沙門天の鈴谷大
堂(すずやだいどう)である。

 石段を上がると左で、寛文7年(1667)造立という六地蔵が迎え
てくれる。


 正面の方形屋根の本堂は、嘉永2年(1849)の再建。小さな木造
毘沙門天像は、堂内に祭られていた。


 与野西中グランド横から、「彩の国さいたま芸術劇場」の北に回る。
ステーキ「どん」の角の小さい交差点を北に入り、布袋尊の円福寺
(えんぷくじ)へ。山門前の右手に、石造の布袋様が立っている。


 室町時代以来という古寺。正面の大きな本堂内にも鋳造の布袋
尊が立ち、釈迦堂には、市内でも古いもののひとつという鎌倉時代
後期の木造釈迦如来座像が祭られていた。

 境内にはほかに、鐘楼や石造の十三重塔などがある。

 東に少しで本町西1丁目の住宅地に入り、北に進んだ突き当たり
が、今は枯れ枝が広がるが木立の豊富な与野公園である。


 公園内にあるのが、寿老神の天祖神社(てんそじんじや)。白木造り
の簡素な社殿の隅に、寿老神の小さな社が置かれていた。


 神社の左手の池には銭洗(ぜにあらい)弁天があり、池の中央の噴
水の周囲で、カルガモがたくさん泳いでいた。

 園内の日だまりのベンチで昼食を済ませ、東の本町通りへ向かう。
途中、「彩の国七福神せんべい」の看板の立つ喜多山という店があ
ったが、この日は閉店していた。

 本町通り面して、新しい仁王門のあるのが大黒天の円乗院(えん
じよういん)。鎌倉時代の武将、畠山重忠が創建したという名刹(めい
さつ)だという。

 広くて樹木も豊富な境内には、大きな本堂を中心に、客殿、大日堂、
多宝塔、納骨堂など、幾つもの建物が並ぶ。特に目につく多宝塔は、
高さ30mあり、日本三大多宝塔のひとつらしい。


 本堂前には、「千代桜」と呼ぶ樹齢約3百年のエドヒガンザクラが
大きく枝を広げ、その下に、石造の大黒様がにこやかに座っていた。


 本町通を北に向かう。通りには、中山道脇往還をしのばせる蔵造り
などの建物が、何棟か残っていた。


 与野高入口の先まで進んで、恵比寿神の一山(いつさん)神社境内
へ。嘉永年間(1848~53)に木曽御岳講中が創立したものとか。

 冬至の日には、境内でユズなどを供えて火をたき、行者や参加者
が火渡りをする冬至祭があるという。


 鳥居のそばに、枯れ枝がいっぱい伸びた大イチョウが立ち、社殿の
周囲は、うっそうとした常緑樹に覆われている。

 さらに本町通りを進み、八幡通を越えた先に、最後、福禄寿の氷川
神社がある。現在の社殿は宝永6年(1709)再建とのこと。


 ヒノキの高木の多い境内は、入口から奥の社殿に進むにつれ、境
内が末広がりになり、「扇の宮」とも呼ばれているという。


 八幡通に戻り、両側に幅広い歩道のある通りを東に進む。交差する
国道17号を南に少しで、JR埼京線北与野駅がある。埼京線や東北・
上越新幹線の高架下を抜け、けやき広場に上がって、JR京浜東北線
さいたま新都心駅に15時02分に着いた。

(天気 快晴、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 浦和、歩行地 さいたま市)
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