2009年1月10日(土)
![](http://clip.alpslab.jp/bin/map?pos=35/42/42.047,139/48/3.697&scale=70000)
「やまさん」こと山浦正昭さんの関東百駅巡礼歩行、6年目に入
って最初の第51番目は、つくばエクスプレス浅草駅。
このあたり、つくばエクスプレスは国際通りの地下を走っている。
私は、JR上野駅から歩いて国際通りに入り、浅草駅に下った。
今年の初歩きということもあり、参加者はいつもより多い15人。
改札口前で記念撮影をして、10時過ぎ地上に出る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/34/d9f787b51f3465d335647be50b73d8ab.jpg)
西側のかっぱ橋本通りに入り、すぐ近くのテプコ浅草館に入館した。
東京電力のPR施設だが、電気のPRだけでなく、地元浅草ゆかりの
展示がいろいろとあった。
1階では、明治から大正時代の浅草の様子をイラストマップや写真
で紹介しており、ギャラリーでは、漫画家12人による「ヒトコマ漫画
の旅」と題する展示をしていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/f3/739ec2166182a19e23cc5c42f8f6cfb7.jpg)
2階は、「東京浅草下町ストーリー」と題し、懐かしい浅草の雰
囲気にひたれる体験空間となっていて、浅草12階で知られた凌
雲閣(りょううんかく)や、電気館、千住火力発電所の「お化け煙
突」などが写真や絵、模型などで紹介され、また浅草オモチャ店、
浅草文庫、理髪店あさくさなどといった模擬設備が設けられている。
3階の貸ギャラリーでは、はがき絵愛好者数十名の作品を集めた
「第16回彩水回展」を開催中だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/49/fa8bec8de662cd55b4ab5cf5a48ad10b.jpg)
かっぱ橋本通りには、カッパが立って出迎えている店もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/1f/9449321e6f334079e2b7f8ca03043870.jpg)
日輪寺の角を北の通りに回り、天嶽院を訪ねる。そう広くはないが
浅草とは思えぬ木々の多い境内に、こんな立て札が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/a3/ff66887a1c467de673afe1bae24711fe.jpg)
出てこられた奥様にうかがうと、昨年ご住職が亡くなられ、1年間
はこのような立て札を出すのだという。
本堂裏手の墓地には、都の史跡で米沢藩主・上杉治憲(鷹山)の
師だったという細井平洲の墓があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/e9/941c31392441f463b331bd1265bfbcff.jpg)
浅草ビューホテルのところで国際通りを横断し、東側の花やしき
通りへ。ウオーカーとしてはちょっと入ってみたい看板の店がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/43/f653333d478c62b6141da1715533e37b.jpg)
花やしきの門前を通って、浅草観音で知られ、都内最古の寺と
いう浅草寺(せんそうじ)に入った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/57/19f4b6a90fa9459374c6b1b84860922e.jpg)
広い境内は、初もうで客など、多くの参拝者で賑わっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/d9/6c53cc4eb82f06138843c0249f664f46.jpg)
浅草寺は、坂東三十三観音霊場の第13番札所。持参した納経
帳にご朱印をいただいた。
境内東側の広場で、若い猿回しが猿に芸をさせていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/3a/399dc0584379460f85c5fdb5950c3378.jpg)
どのくらい仕込んだのか、モンキー君なかなかみごとな技を見
せてくれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/80/3c7f6d1618ba7a53b54c2007f7290dc0.jpg)
投げ銭もたくさん集まった。
境内にある浅草神社の横から北に抜け、言問(こととい)通りを
東に向かい、隅田川の言問橋を渡る。
橋の下流に立つ、左が墨田区役所、右がアサヒビールのビル。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/d2/6a3d88c15f7efaa4722a0744c76ed476.jpg)
橋を渡ったところは、今年の干支ゆかりの牛島神社。境内には、
撫牛(なでうし)というのがある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/ea/714b12b40933471f648c52a9d4b5f30b.jpg)
江戸時代からの風習で、自分の体の悪いところをなで、牛の同じ
場所をなでると、病気が治るとのこと。皆さん、そんなに悪いところ
があるの?…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/50/2fab69c23241e3bcd85a6869490712af.jpg)
そばの、隅田川左岸沿いに続く隅田公園に入り、昼食にした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/98/72bead241127f40eb5a9e4626c0f430c.jpg)
午後は北に向かい、JR常磐線や東京メトロ日比谷線、つくば
エクスプレスの南千住駅がゴール予定とのことだったが、私は、
北浦和でのカントリーウオークグループの新年集会に参加する
ため、ここで皆さんと分かれる。
ひとつ下流の吾妻橋を渡り、雷門前や合羽橋南通を経て、JR
上野駅まで歩き、JR京浜東北線で北浦和駅に向かった。
(天気 快晴後晴、距離 7㎞(上野駅まで)、地図(1/1万)
上野、日本橋 歩行地 台東区、墨田区)
【参考】 浅草寺縁起(由来) <浅草寺Webから>
時は飛鳥時代、推古天皇36年(628)3月18日の早朝、檜前
浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)の兄弟は江戸浦(隅
田川)に漁撈中、はからずも一躰の観音さまのご尊像を感得した。
郷司(ごうし)土師中知(はじのなかとも:名前には諸説あり)は
これを拝し、聖観世音菩薩さまであることを知り深く帰依し、その
後出家し、自宅を改めて寺となし、礼拝供養に生涯を捧げた。
大化元年(645)、勝海上人(しょうかいしょうにん)がこの地に
おいでになり、観音堂を建立し、夢告によりご本尊をご秘仏と定め
られ、以来今日までこの伝法の掟は厳守されている。
広漠とした武蔵野の一画、東京湾の入江の一漁村にすぎなかっ
た浅草は参拝の信徒が増すにつれ発展し、平安初期には、慈覚
大師円仁さま(794~864、浅草寺中興開山・比叡山天台座主
3世)が来山され、お前立のご本尊を謹刻された。
鎌倉時代に将軍の篤い帰依を受けた浅草寺は、次第に外護者と
して歴史上有名な武将らの信仰をも集め、伽藍の荘厳はいよいよ
増した。
江戸時代の初め、徳川家康公によって幕府の祈願所とされてか
らは、堂塔の威容さらに整い、いわゆる江戸文化の中心として、
大きく繁栄したのである。
かくして都内最古の寺院である浅草寺は、浅草観音の名称で全
国的にあらゆる階層の人達に親しまれ、年間約3000万人もの
参詣者がおとずれる、民衆信仰の中心地となっている。
「やまさん」こと山浦正昭さんの関東百駅巡礼歩行、6年目に入
って最初の第51番目は、つくばエクスプレス浅草駅。
このあたり、つくばエクスプレスは国際通りの地下を走っている。
私は、JR上野駅から歩いて国際通りに入り、浅草駅に下った。
今年の初歩きということもあり、参加者はいつもより多い15人。
改札口前で記念撮影をして、10時過ぎ地上に出る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/34/d9f787b51f3465d335647be50b73d8ab.jpg)
西側のかっぱ橋本通りに入り、すぐ近くのテプコ浅草館に入館した。
東京電力のPR施設だが、電気のPRだけでなく、地元浅草ゆかりの
展示がいろいろとあった。
1階では、明治から大正時代の浅草の様子をイラストマップや写真
で紹介しており、ギャラリーでは、漫画家12人による「ヒトコマ漫画
の旅」と題する展示をしていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/f3/739ec2166182a19e23cc5c42f8f6cfb7.jpg)
2階は、「東京浅草下町ストーリー」と題し、懐かしい浅草の雰
囲気にひたれる体験空間となっていて、浅草12階で知られた凌
雲閣(りょううんかく)や、電気館、千住火力発電所の「お化け煙
突」などが写真や絵、模型などで紹介され、また浅草オモチャ店、
浅草文庫、理髪店あさくさなどといった模擬設備が設けられている。
3階の貸ギャラリーでは、はがき絵愛好者数十名の作品を集めた
「第16回彩水回展」を開催中だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/49/fa8bec8de662cd55b4ab5cf5a48ad10b.jpg)
かっぱ橋本通りには、カッパが立って出迎えている店もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/1f/9449321e6f334079e2b7f8ca03043870.jpg)
日輪寺の角を北の通りに回り、天嶽院を訪ねる。そう広くはないが
浅草とは思えぬ木々の多い境内に、こんな立て札が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/a3/ff66887a1c467de673afe1bae24711fe.jpg)
出てこられた奥様にうかがうと、昨年ご住職が亡くなられ、1年間
はこのような立て札を出すのだという。
本堂裏手の墓地には、都の史跡で米沢藩主・上杉治憲(鷹山)の
師だったという細井平洲の墓があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/e9/941c31392441f463b331bd1265bfbcff.jpg)
浅草ビューホテルのところで国際通りを横断し、東側の花やしき
通りへ。ウオーカーとしてはちょっと入ってみたい看板の店がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/43/f653333d478c62b6141da1715533e37b.jpg)
花やしきの門前を通って、浅草観音で知られ、都内最古の寺と
いう浅草寺(せんそうじ)に入った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/57/19f4b6a90fa9459374c6b1b84860922e.jpg)
広い境内は、初もうで客など、多くの参拝者で賑わっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/d9/6c53cc4eb82f06138843c0249f664f46.jpg)
浅草寺は、坂東三十三観音霊場の第13番札所。持参した納経
帳にご朱印をいただいた。
境内東側の広場で、若い猿回しが猿に芸をさせていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/3a/399dc0584379460f85c5fdb5950c3378.jpg)
どのくらい仕込んだのか、モンキー君なかなかみごとな技を見
せてくれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/80/3c7f6d1618ba7a53b54c2007f7290dc0.jpg)
投げ銭もたくさん集まった。
境内にある浅草神社の横から北に抜け、言問(こととい)通りを
東に向かい、隅田川の言問橋を渡る。
橋の下流に立つ、左が墨田区役所、右がアサヒビールのビル。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/d2/6a3d88c15f7efaa4722a0744c76ed476.jpg)
橋を渡ったところは、今年の干支ゆかりの牛島神社。境内には、
撫牛(なでうし)というのがある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/ea/714b12b40933471f648c52a9d4b5f30b.jpg)
江戸時代からの風習で、自分の体の悪いところをなで、牛の同じ
場所をなでると、病気が治るとのこと。皆さん、そんなに悪いところ
があるの?…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/50/2fab69c23241e3bcd85a6869490712af.jpg)
そばの、隅田川左岸沿いに続く隅田公園に入り、昼食にした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/98/72bead241127f40eb5a9e4626c0f430c.jpg)
午後は北に向かい、JR常磐線や東京メトロ日比谷線、つくば
エクスプレスの南千住駅がゴール予定とのことだったが、私は、
北浦和でのカントリーウオークグループの新年集会に参加する
ため、ここで皆さんと分かれる。
ひとつ下流の吾妻橋を渡り、雷門前や合羽橋南通を経て、JR
上野駅まで歩き、JR京浜東北線で北浦和駅に向かった。
(天気 快晴後晴、距離 7㎞(上野駅まで)、地図(1/1万)
上野、日本橋 歩行地 台東区、墨田区)
【参考】 浅草寺縁起(由来) <浅草寺Webから>
時は飛鳥時代、推古天皇36年(628)3月18日の早朝、檜前
浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)の兄弟は江戸浦(隅
田川)に漁撈中、はからずも一躰の観音さまのご尊像を感得した。
郷司(ごうし)土師中知(はじのなかとも:名前には諸説あり)は
これを拝し、聖観世音菩薩さまであることを知り深く帰依し、その
後出家し、自宅を改めて寺となし、礼拝供養に生涯を捧げた。
大化元年(645)、勝海上人(しょうかいしょうにん)がこの地に
おいでになり、観音堂を建立し、夢告によりご本尊をご秘仏と定め
られ、以来今日までこの伝法の掟は厳守されている。
広漠とした武蔵野の一画、東京湾の入江の一漁村にすぎなかっ
た浅草は参拝の信徒が増すにつれ発展し、平安初期には、慈覚
大師円仁さま(794~864、浅草寺中興開山・比叡山天台座主
3世)が来山され、お前立のご本尊を謹刻された。
鎌倉時代に将軍の篤い帰依を受けた浅草寺は、次第に外護者と
して歴史上有名な武将らの信仰をも集め、伽藍の荘厳はいよいよ
増した。
江戸時代の初め、徳川家康公によって幕府の祈願所とされてか
らは、堂塔の威容さらに整い、いわゆる江戸文化の中心として、
大きく繁栄したのである。
かくして都内最古の寺院である浅草寺は、浅草観音の名称で全
国的にあらゆる階層の人達に親しまれ、年間約3000万人もの
参詣者がおとずれる、民衆信仰の中心地となっている。