あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

東京都心を巡る(大手町から有楽町へ)

2009-01-17 22:27:49 | 江戸・東京を歩く
 2009年1月17日(土)

 首都圏の今日は寒さが緩み、日中は過ごしよい日和となりました。

 用事が2つできたので、東京都心へ出かけました。最初に降りたの
は東京メトロ丸ノ内線の大手町駅。

 大手町交差点の北西側、サンケイビル前の広場です。

 交差点を東に進み、JR東京駅北側のガードをくぐると、常盤橋公園
があり、江戸城常盤橋門の石垣が残っています

 常盤橋門は、江戸城外郭の正門として奥州道に通じ、敵の侵入を防
ぎ、味方の出撃を容易にするため、大きな切石で積み上げられた「コ」
の字形の枡方門。

 天正18年(1590)架橋といわれる旧常盤橋は、両国橋がかかるま
では江戸一の大橋だったとのことです。

 公園の中心には、渋沢栄一の石像が立っています。

 渋沢栄一は、幕末の慶應3年(1867)欧州に赴いて民主主義自由
主義を知り、帰国後、産業経済界の指導育成に努め、第一国立銀行を
初め500の会社を開興しました。また、社会事業女性や実業や女子
教育の育成、世界平和の促進などに努めた人です。

 橋を渡ると、渋沢が起こした第一国立銀行、現在の日本銀行本店です。


 日本銀行の横をさらに進み、日本橋の三越本店に入りました。

 今日の目的のひとつは、ここで18日まで開催中の「田淵俊夫展」の
観覧でした。

 田淵俊夫画伯は、日本画の大家。日本美術院理事として日本画壇を
牽引するとともに、東京藝術大学の副学長として後進の育成にもあたり、
この3月、定年で退任されます。

 この展覧会は、昨年9月から2ヶ月間、パリ・三越エトワールにて日仏
交流150周年記念として開催され、大きな反響を呼んだ作品や、永平寺、
鶴岡八幡宮のふすま絵などが展覧されていました。

 先週のNHK教育TV「新日曜美術館」でも紹介されましたが、自然を
中心にした緻密な描写の作品、また、墨のみで画いたふすま絵など、
田淵画伯の力量に感じ入る大作ばかりでした。


 東南の出口から三越を出て、日本橋を渡りました。橋の南詰めに立つ
日本橋の説明板など。 

 それによれば、『日本橋が初めて架けられたのは、徳川家康が幕府
を開いた慶長8年(1603)といわれ、東海道を初めとする五街道の
起点とした。現在の日本橋は、東京市により石造り二連アーチの道路
橋として明治44年(1911)3月に完成した。』などと記されていました。

 橋の先、銀座に向かう中央通り。


 中央通りを高島屋前まで進み、右折して東京駅に向かうさくら通りに
入ります。その名のとおりソメイヨシノの短い並木が続きます。


 東京駅八重洲地下街で遅い昼食をして、再び地上に出て、この銅像
の立つビルに入りました。どこかおわかりでしょうか。

 そう、八重洲ブックセンターです。いつものように地階に降り、2万
5千分の1地形図などを購入しました。

 JRの線路の向こうに建つ東京国際フォーラムを見ながら、有楽町
に向かいます。


 JR有楽町駅東口にある東京交通会館に入り、今日の目的の2つめ、
長野県観光センターを訪ねました。

 ここで、5月に歩く予定の上田市周辺のパンフレットやリーフレットを
入手しました。

 もらったリーフレットを見て、地形図が足りないかなと思い、再度八重
洲ブックセンターに戻り、リーフと地形図を確認したところOKでした。 

 八重洲地下街に入ると、南側の広場にこんな銅像があり、鼻先に触る
人が多いのか、ピカピカになっていました。(写真では、光っている様子
がよくわかりませんが…)

 これは「幸運の仔豚像」といい、イタリヤ・フィレンツェのウフィーツィ
美術館にある「猪」の大理石像を模刻したもの。この仔豚像の鼻先を
撫でると、幸運がもたらされると言われており、フィレンツェを訪れる
人々に人気があるとのことでした。

 写真を撮っただけで、私は撫でてくるのを忘れてしまいました。幸運
が逃げてしまうかな?

 八重洲地下街を北まで進み、線路の下を横断して丸の内北口の地
下街へ回ります。

 ここには、待ち合わせ場所のよい目印になっているSL、C6215号
機の動輪がかざられています。

 C6215号機は、東海道、三陽、函館本線などをかけめぐり、昭和
46年(1971)12月解体されるまで、約263万㎞(地球を65.7周)
を走り続け、鉄道100年の昭和47年(1972)に完成したこの東京
地下駅に動輪をかざり、その歴史を讃えることとしたようです。

 地下街の西側は、近年完成した新丸ビルへのプロムナード。その
一角に「丸の内歴史往来図」というのがありました。

 絵の下部は、建設当時の姿に修復される東京駅丸の内口の模様。
数年後には、このような姿が見られることでしょう。

 そばの、東京メトロ丸ノ内線東京駅から帰途につきました。
コメント (2)
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