元旦の大江戸初歩きに続き、1月2日(金)は、東京都ウオーキング
協会主催の江戸・東京七福神めぐりに出かけました。
この日は、全部で7つの七福神を巡るコースがあるのですが、私は
東海七福神に参加しました。
集合は、品川駅東口に近い品川セントラルガーデン。私が10数年
前、品川駅東口が職場だったころは、東海道新幹線の電車基地だっ
たところ。現在は超高層ビルが建ち並び、ビルに囲まれた公園です。
毎年この催しに参加しているウオーカーが2~300人集まり、出発
式をして9時45分にスタートしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/47/0432b39a8006c7800b2c88eba002b378.jpg)
コースは、主に京浜急行の東側、旧東海道沿いにある寺社7つを
巡ります。
京浜急行北品川駅の近くで第1京浜国道を越え、まず大黒天の
品川(しながわ)神社へ。社殿は、急な石段を上がった上にあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/c1/db0bfda78059b81f4a8229ad2c2837b5.jpg)
文治3年(1187)、源頼朝が安房国(千葉県)の須崎明神をここ
に祭ったのが創始。室町時代には、太田道灌が素戔嗚尊(すさの
おのみこと)を祭り、徳川家康は、関ヶ原合戦に出陣の折、戦勝を
祈願したとのことです。
階段を下った鳥居のそばにある、新しい大黒天。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/2a/86f861b6ac79473fe07149f2ab2d9ffa.jpg)
新馬場駅そばで再び京浜急行の東に戻り、布袋尊の養願寺に参
拝しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/0b/d2c114338f6a13736af119c21687e9fa.jpg)
養願寺は正安元年(1299)の創建と伝えられ、本尊は虚空蔵菩
薩。牛寅年生まれの守り本尊として信仰を集め、「品川の虚空蔵さ
ま」と呼ばれているとのこと。今年の干支の守り本尊ということにな
ります。
三つ目、寿老人の一心寺はすぐ近くでした。山門をくぐった庭は
広くはありませんが、成田山の提灯が幾つも下がり、七福神めぐり
の人で賑わっていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/87/80efa0a85772610deb79b1060c7b6a4b.jpg)
江戸時代末期の安政2年(1855)に、品川の土地に町民一体と
なり町内発展と守護のために創建。旧東海道筋で裏鬼門を守護す
る寺です。
東海道品川宿や東海七福神ののぼりが並ぶ旧東海道の商店街
を南下します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/b5/7b09c4b9c090a3e9b57ce9d8949700ec.jpg)
シャッター通りの多い昨今の商店街ですが、さすが東海道、この辺
の商店街は結構賑わっています。
目黒川に沿って少し西に入り、恵比寿さんの荏原(えばら)神社に
参拝しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/84/d0ecf75d85a7743775c70b7a5e8c66f4.jpg)
飛鳥から奈良時代へ移る和銅2年(709)創建という古社で、龍神
を祭る品川宿の総鎮守。天正19年(1591)、徳川家康から神領を
寄進され、歴代将軍の庇護を受けたとか。東京遷都の際は、明治
天皇の内侍所となり、菊花御紋章を賜ったそうです。
社殿には、精巧な木彫が施されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/18/fb3f1e962d82e3bc4431b2b5e2fbc7b4.jpg)
神社の前の目黒川には、朱塗りの橋がかかっていました。
さらに旧東海道を進み、緑の多い毘沙門天の品川寺(ほんせんじ)
に入ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/33/c0c576d6b75e86aed6d9ef6c27baaa5c.jpg)
承応元年(1652)の中興で、本尊水月観世音菩薩は太田道灌
の念持仏と伝えられているとか。寺宝の大きな鐘があり、「鐘の寺」
と呼ばれているようです。
境内には、幹回り3.5m、樹高25m、推定樹齢600年という大
イチョウが枯れ枝を広げていました。
門前には、「江戸6地蔵のひとつ」とウオーカーの一人が言ってい
た、大きなお地蔵さまが鎮座しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/c4/e4c142290e8b4e511c71db2f2e1fdeab.jpg)
立会川のなみだ橋を渡ると、福禄寿の天祖諏訪神社です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/89/d6d0e7dfd15d09306f112e88937a5607.jpg)
天祖神社の創建は、建久年間の記録から1100~1190年ころと
推定され、諏訪神社は、寛永8年(1621)以前の創建と思われる
とのこと。かつては、両社とも東京湾に面し、立会川を挟んで祭られ
ていたようです。
お正月でお顔を見せた福禄寿。頭をなでると御利益があるとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/86/f77c3120cde86eed203e0bbade0cfde4.jpg)
その先の品川区民公園に入ってトイレ休憩を。園内のなかほど、
梅林に咲くロウバイ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/55/76a30b76f39e79e57bbecb1d07ee2fc4.jpg)
公園は南北に長く、少年野球場、室内プール、キャンプ場、池
などがあり、緑も豊富な区民の憩いの場。南西端には、「海の散
歩道」と呼ぶトンネル水槽が人気の、しながわ水族館もあります。
ここまでは品川区内でしたが、最後は大田区に入って第1京浜
沿い、弁財天の磐井(いわい)神社です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/9e/77931cdd308d5e3aeb6cbcc18e07c925.jpg)
起源は敏達天皇の2年8月といわれ、1400年の歴史があるとか。
「日本三代実録」官社に列せられとの記録や、延喜式神名帳にも記
されている古社。江戸名所図会には、「鈴森八幡宮」の名で記録され
多くの参拝者で賑わったようです。
国道の歩道の所には、磐井の井戸と呼ぶ古井戸が残っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/10/69e4478d48a6d546953fb8e7296ab3c7.jpg)
神社の社名の由来となった井戸で、東海道を往来する旅人に利用
され、霊水とか薬水とかいわれていたとか。土地の人々は、この井
戸水を飲むと、心正しければ清水、心邪なら塩水という伝説も伝えら
れているようです。
これで七福神巡りも無事満願です。近くの公園で11時50分に散会
となり、私はJR大森駅から帰途につきました。
(天気 快晴、距離(公称) 10km、歩行地 品川区、大田区)
協会主催の江戸・東京七福神めぐりに出かけました。
この日は、全部で7つの七福神を巡るコースがあるのですが、私は
東海七福神に参加しました。
集合は、品川駅東口に近い品川セントラルガーデン。私が10数年
前、品川駅東口が職場だったころは、東海道新幹線の電車基地だっ
たところ。現在は超高層ビルが建ち並び、ビルに囲まれた公園です。
毎年この催しに参加しているウオーカーが2~300人集まり、出発
式をして9時45分にスタートしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/47/0432b39a8006c7800b2c88eba002b378.jpg)
コースは、主に京浜急行の東側、旧東海道沿いにある寺社7つを
巡ります。
京浜急行北品川駅の近くで第1京浜国道を越え、まず大黒天の
品川(しながわ)神社へ。社殿は、急な石段を上がった上にあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/c1/db0bfda78059b81f4a8229ad2c2837b5.jpg)
文治3年(1187)、源頼朝が安房国(千葉県)の須崎明神をここ
に祭ったのが創始。室町時代には、太田道灌が素戔嗚尊(すさの
おのみこと)を祭り、徳川家康は、関ヶ原合戦に出陣の折、戦勝を
祈願したとのことです。
階段を下った鳥居のそばにある、新しい大黒天。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/2a/86f861b6ac79473fe07149f2ab2d9ffa.jpg)
新馬場駅そばで再び京浜急行の東に戻り、布袋尊の養願寺に参
拝しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/0b/d2c114338f6a13736af119c21687e9fa.jpg)
養願寺は正安元年(1299)の創建と伝えられ、本尊は虚空蔵菩
薩。牛寅年生まれの守り本尊として信仰を集め、「品川の虚空蔵さ
ま」と呼ばれているとのこと。今年の干支の守り本尊ということにな
ります。
三つ目、寿老人の一心寺はすぐ近くでした。山門をくぐった庭は
広くはありませんが、成田山の提灯が幾つも下がり、七福神めぐり
の人で賑わっていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/87/80efa0a85772610deb79b1060c7b6a4b.jpg)
江戸時代末期の安政2年(1855)に、品川の土地に町民一体と
なり町内発展と守護のために創建。旧東海道筋で裏鬼門を守護す
る寺です。
東海道品川宿や東海七福神ののぼりが並ぶ旧東海道の商店街
を南下します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/b5/7b09c4b9c090a3e9b57ce9d8949700ec.jpg)
シャッター通りの多い昨今の商店街ですが、さすが東海道、この辺
の商店街は結構賑わっています。
目黒川に沿って少し西に入り、恵比寿さんの荏原(えばら)神社に
参拝しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/84/d0ecf75d85a7743775c70b7a5e8c66f4.jpg)
飛鳥から奈良時代へ移る和銅2年(709)創建という古社で、龍神
を祭る品川宿の総鎮守。天正19年(1591)、徳川家康から神領を
寄進され、歴代将軍の庇護を受けたとか。東京遷都の際は、明治
天皇の内侍所となり、菊花御紋章を賜ったそうです。
社殿には、精巧な木彫が施されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/18/fb3f1e962d82e3bc4431b2b5e2fbc7b4.jpg)
神社の前の目黒川には、朱塗りの橋がかかっていました。
さらに旧東海道を進み、緑の多い毘沙門天の品川寺(ほんせんじ)
に入ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/33/c0c576d6b75e86aed6d9ef6c27baaa5c.jpg)
承応元年(1652)の中興で、本尊水月観世音菩薩は太田道灌
の念持仏と伝えられているとか。寺宝の大きな鐘があり、「鐘の寺」
と呼ばれているようです。
境内には、幹回り3.5m、樹高25m、推定樹齢600年という大
イチョウが枯れ枝を広げていました。
門前には、「江戸6地蔵のひとつ」とウオーカーの一人が言ってい
た、大きなお地蔵さまが鎮座しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/c4/e4c142290e8b4e511c71db2f2e1fdeab.jpg)
立会川のなみだ橋を渡ると、福禄寿の天祖諏訪神社です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/89/d6d0e7dfd15d09306f112e88937a5607.jpg)
天祖神社の創建は、建久年間の記録から1100~1190年ころと
推定され、諏訪神社は、寛永8年(1621)以前の創建と思われる
とのこと。かつては、両社とも東京湾に面し、立会川を挟んで祭られ
ていたようです。
お正月でお顔を見せた福禄寿。頭をなでると御利益があるとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/86/f77c3120cde86eed203e0bbade0cfde4.jpg)
その先の品川区民公園に入ってトイレ休憩を。園内のなかほど、
梅林に咲くロウバイ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/55/76a30b76f39e79e57bbecb1d07ee2fc4.jpg)
公園は南北に長く、少年野球場、室内プール、キャンプ場、池
などがあり、緑も豊富な区民の憩いの場。南西端には、「海の散
歩道」と呼ぶトンネル水槽が人気の、しながわ水族館もあります。
ここまでは品川区内でしたが、最後は大田区に入って第1京浜
沿い、弁財天の磐井(いわい)神社です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/9e/77931cdd308d5e3aeb6cbcc18e07c925.jpg)
起源は敏達天皇の2年8月といわれ、1400年の歴史があるとか。
「日本三代実録」官社に列せられとの記録や、延喜式神名帳にも記
されている古社。江戸名所図会には、「鈴森八幡宮」の名で記録され
多くの参拝者で賑わったようです。
国道の歩道の所には、磐井の井戸と呼ぶ古井戸が残っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/10/69e4478d48a6d546953fb8e7296ab3c7.jpg)
神社の社名の由来となった井戸で、東海道を往来する旅人に利用
され、霊水とか薬水とかいわれていたとか。土地の人々は、この井
戸水を飲むと、心正しければ清水、心邪なら塩水という伝説も伝えら
れているようです。
これで七福神巡りも無事満願です。近くの公園で11時50分に散会
となり、私はJR大森駅から帰途につきました。
(天気 快晴、距離(公称) 10km、歩行地 品川区、大田区)