あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

中国・江南6都市巡り5日間のツアー③(2001年)

2009-01-31 22:00:29 | Weblog
 2001年2月4日(日) 曇り
 揚州、鎮江観光、蘇州泊
 =痩西湖、大明寺、金山、北固山=
 
 起床から出発まではきのうと同じ。今日の気温予想は3度~9度。
まず揚州市内観光に。出発前の揚州賓館の前庭。


 揚州市は2,470年の歴史があり、唐代に発展、杜甫が「きれいな
町」とうたったとのこと。

 人口60万人。一時は100万人いたが天南鉄道が揚州を外れたの
で衰退し、鉄道も空港もない。物資輸送は運河中心。姉妹都市は厚
木市と唐津市。大きな工業はなく、うるし、レーヨン、ギンナンなどが
産業。双子のアヒル卵でも有名という。

 市街地で目に付くのがプラタナスの並木。日本のように真っ直ぐに
伸ばさず、3m前後の高さで枝を横に広げている。夏の日陰づくりの
ためかと思われる。この後回った各都市の市街地にも、たくさん見ら
れた。

 まず痩西湖(そうせいこ)公園へ。ここが公園の入口。


 長さ3㎞の細長い痩西湖は、秦代の皇帝の離宮(ホテル)。湖は途
中2か所で直角に曲がっている。

 揚州はその名のとおりヤナギによい気候。ヤナギや枯れた落葉樹、
反りの多い青瓦の建物などが静かな湖面に映る。


 その湖面を前後に龍を付けた赤や黄色の船体のきらびやかな観光
船が行く…。

 いまは寒々とはしているが、中国ならではの風景である。

 湖の中ほどに、1915年徐氏が作った庭、徐園がある。園内には、
1900年代の作、治水用の3トンの水が入る大きなかめ、800年前
の小金山の鍾乳石、1200年前の唐代に雷で割れたという太いイチ
ョウなどがあった。


 上が3トン入るかめ、下が雷で割れたイチョウ。




 その先、湖畔には秦の玄宗皇帝が釣りをしたという建物・釣魚台が
立つ。1757年に出来た、そり屋根の東屋が五つ建つ石橋は蓮華橋
と呼び、「三国一の橋」と言われるとか、見どころが多かった。


 橋の横から車道に出てバスに乗る。そばの市場に市民がたくさん
集まり、生きたニワトリなど生活用品を求めていた。10分ほどで大明
寺(だいみょうじ)に着く。

 大明寺は秦の時代に開かれ、鑑真和尚が10歳から56歳まで住職
だった寺。山門にはきらびやかな四天王が立つ。



 大きな本堂(上)に金色の本尊、釈迦像を中心に薬師如来と阿弥陀
仏。周囲に十六羅漢が並ぶ。本尊の背は、孫悟空の伝説を彫り込ん
だ複雑な像になっている。

 正月の参拝に来た人達は、30㎝くらいもある太い線香を手に捧げ、
体を90度に曲げて何度も拝礼する。座って拝礼するために変形の座
布団が並んでおり、この後回ったほかの寺にもあった。

 本堂裏手は、日本から奉納された鑑真和尚の記念堂。規模は小さ
いが奈良の唐招提寺を模した造りである。


 その先に、ビルマのラングーンから贈られた高さ70mの九重塔が
立つ(手前左は公衆電話)。

 別の堂には、同じビルマからの大理石の寝釈迦像があった。

 次は市内のうるし細工工場。うるし細工は漢の時代から揚州の伝
統。精巧できらびやかな家具、壺、食器などがたくさん並んでいた。

 上は、うるし細工工場内の売店である。

 昼食地に向かう途中の揚州市街。

                      〈続く〉

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