魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

沸き立つ

2011年11月22日 | 日記・エッセイ・コラム

東日本大震災の後、「上を向いて歩こう」が再ヒットしているそうだ。
東日本大震災を「戦後」のように、「災後」と呼んで、復興景気を呼ぼうという話もあるが、今の状況を見ると、とても望めないような気がする。

終戦直後、日本は、ほとんど無政府状態になり、国民の間で、「何でもあり」の気分があふれていた。
それを表すのが、当時の歌謡曲だが、
「リンゴの歌」「東京の花売り娘」「東京ブギウギ」「青い山脈」「芸者ワルツ」・・・など、もちろん暗い悲しい歌もあったが、開放感あふれる、明るく爽やかな歌から、ノー天気でハチャメチャな歌まで、

暗い世相をはね飛ばすような「沸き立つ」歌が、戦後を知る人の脳裏には、焼き付いているのではなかろうか。
また、戦中から戦後まで、映画や芸能は喜劇一色だった。

東日本大震災が、「涙の癒し」文化の東日本であることが、「上を向いて歩こう」のヒット理由かも知れないが、もしかすれば、日本人全体として、まだ事態の重大性を実感していないのかも知れない。

人間は、本当に悲惨な状態になると、「笑うしかない」。
敗戦前後の、究極の放心状態に、現実離れした明るい歌が流行ったことは、日本人全体が、居直りと開放感の中で、本当に「上を向こう」と思っていたからだ。

「上を向いて歩こう」がヒットしたのは、決して暗い時代ではない。むしろ、高度成長の真っ最中だった。ゆとりがあったから、感傷を受け入れることができた。

「災後」の深刻な現実が、だんだん心に蓄積されてくれば、もうセンチメンタルな歌を歌えなくなるだろう。
今必要なのは、心の沸き立つような「応援歌」だ。だからと言って、何でも騒がしければ良いというものではない。

「そうだ、今日より暗い明日はないんだ」と気づかせ、「希望の未来に向かって歩いて行こう」という気持ちにさせる、誰でも口ずさめる歌が必要だ。

音楽が、高度に技巧的になり、イヤホンで聴くプライベートな物になったことで、世代を超えて同じ場で口ずさめる歌が無くなった。
無縁社会と言われるような状況は、ひとつには、街に流れる歌さえ、お店の歌など、商戦目的で、誰もが口ずさめる歌では無くなったことと、関係あるような気がする。

年の瀬に流れるクリスマスソングも良いけれど、
「♪こんにちは~こんにちは~」とか、「♪はぁ~れたそら~」とか、
聞けば、誰でも顔がほころぶような、ノー天気で明るくなる歌を、歌作りに関わる人にお願いしたい。

お金を寄付するより、技巧も気負いも捨てて、今こそ日本全国に、競って「応援歌」をプレゼントして欲しい。