魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

蟹の季節

2011年11月13日 | 日記・エッセイ・コラム

どうも、中国という国は、外国、ことに日本のようなコンパクトに固まった国からすると、国の概念には、当たらないような気がする。

枠組みだけにはこだわるが、まるで大きな風呂敷に、何でもかんでも放り込んだようなもので、運ぼうとすると、ちょっとしたバランスの偏りで、右にガラガラ、左にガラガラと、崩れだして、とても動かせない。あっちやこっちで、突き出したり、転げ出したりして、まとめて担ぐことも、動かすことも出来ない。

指導部と言われる人々は、風呂敷が破れないようにするのが精一杯で、中身の整理など、とても手が回らない。結局、何時の時代も、永遠の張り子の虎ではないのだろうか。

近年の、軍部の暴走らしき状況も、軍部が国を掌握するわけではなく、相変わらず、軍閥の勝手な動きで、朝鮮戦争当時のように、共産党軍が完全掌握した直後の、まとまった動きではないのかも知れない。

尖閣問題や南沙諸島の問題も、一部軍閥の勝手な動きで、指導部との葛藤が起こっている。そう考えると、このところの、何を言いたいのか解らないような、報道の論調のつじつまが合う。

星占術では、中国はカニ座なのだが、そうであるならば、これは当たっているのかも知れない。カニは甲羅は立派だが、中身はフニャフニャぐちゃぐちゃだ。

中国人がこだわる面子とは甲羅のことか
残飯整理で生計を立てるカニは、外見は強そうで、ハサミを振り上げてみせるが、鉄棒で甲羅を突かれたら一溜まりもない。

自分でもそれが良く解っていて、強そうな態度のわりには、ちょっとヤバイと、サッと穴に逃げ込む。
正面切って相手にすると、ハサミに挟まれる。だから、正面の顔「面子」を守ろうとするが、形勢不利と見ると、ころりと態度を変える。

周辺国が、カニのハサミを恐れて連携すると、太刀打ちできないと焦り、「何をする、何をする」と、わめき散らしながら、片足は逃げる体制に入る。

巨大な国境線を抱えていれば、高速鉄道のような軍事輸送路線を確保したとしても、多正面戦争などとてもできない。そんなことは解っているはずなのに、海洋進出を試みる。明らかに行動が、バラバラだ。

中国が、恐れながらも頼りにしているのはロシアだから、日本は経済面も含めて、ロシアを利用すべきなのだが、北方四島の筋道論にこだわって、全く動けない。

その点で中国は、日本を外交的に完全にナメきっている。
また、ナメられても仕方ないだけの、情けない日本外交の過去がある。

ズワイガニのシーズンになった。カニは美味しいが、面倒くさい。