魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

運が切れる

2009年10月09日 | 占いばなし

兆候」で、「運が切れる」について解説をしたが、あれだけでは少し言い足りない気がするので、もう少し説明しなければ。

運が切れた人は自覚できない 不満が生む不幸
占いを信じる人も信じない人も、好調な時に「運の良い時だから能力が発揮できている」とは思わない。
信じない人は「実力だ」と思い、信じる人は「神様ありがとう」と思う。
占い的には、どちらも間違いだ。

信じない人は論外だが、信じる人について言えば、神様の手に載ってここに来ているのではない。神様の敷いたレールをがんばって走ったから、ここに来ていると考えた方がいい。
せっかくの線路でも、走らない人がいるからだ。

線路を意識しなくても、がんばれば最高の駅にはやって来る。
しかし、そこが終着駅でも、線路を走っていることを知らないと、そのままの勢いで砂利の上でもどんどん走る。しばらくは走れる場合もあるが、やがて何かにぶつかるか転覆する。

もし、そこが終着点であることを知っていたら、誰もそれ以上は走らないだろう。
それでも、それ以上進まなければならないとしたら、つまり、生きているとすれば、列車から降りるだろう。それが、引き際というものだ。

引き際を悟る人も中にはいるが、最高潮の時に引退する人は滅多にいないし、周りがそうさせない。
ガタガタ道に入って、何か変だなと思いながらも、「こんなハズはない」と言い聞かせて走る。最後には激突する。

占いが役に立つのは、こういう時
運が切れると解っていれば、早々に引退支度ができるし、ある程度やってみて、ダメなら、やはりそうかと納得して引くことができる。

引退しても人生が終わるわけではない。無理のない程度の仕事をすればいいのだ。中川氏の場合なら、政治評論や大学教授、何かの顧問や名誉総裁といった仕事をしていれば、死ぬまでのことはなかった。

残念がっている自民党の中には、選挙の前ならなあと思っている人もいるかも知れない???


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