魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

まほろば(7)ゾンビ

2010年09月09日 | 日記・エッセイ・コラム

何でも残す日本は、古代権力を権威に変えて、滅ぼさなかった。
摂政や関白、執権、征夷大将軍などが、政治権力となることで、天皇は実態のない「権威」になり、政権を承認する神のような存在になっていた。

ところが、元々、天皇は古代政権から生まれたものであり、それはシャーマンとして神から承認された代理神の存在だった。
神から承認された古代権力が、近代権力を承認する代理神になることで、神と権威と権力が一体化し、誰も逆らえない力となった。

近代デモクラシー、産業革命の成果である、科学技術や軍事力を、古代王権が動かすことによって起こった、日本の成功と失敗。
その同じ道を、今、中国が辿っている。

もちろん、中国は天皇を祭り上げているわけではない。
同じ道とは、古代の価値観のまま、近代デモクラシーの成果である技術を扱おうとすることだ。
古代の価値観とは、「絶対権力が民衆を従える」古代帝政であり、アメとムチでコントロールする、家畜飼育法だ。

軍事力が国家外交の本性であることは、現代も変わりないが、国家の成り立ちが、民主主義か、軍事力かでは、数百年の開きがある。
近代技術を古代原理で扱うことの失敗は、既に日本が証明している。

では、民主主義なら、現代技術を扱う資格があるかと言えば、必ずしもそうでもない。民主主義によって生まれたナチスドイツ政権が、狂信集団に変質して行った残虐行為は、殷やアステカも及ばない。
「タテ型の権力構造は、成功も早いが、失敗も早い」ということだ。

では、日本の失敗と、中国がこれからする失敗の原因とは何か。
おそらく、民主主義の「情報の共有」つまり、平等な公開性だ。
近現代の技術は、誰でも知っている公開の技術によって成り立っている。軍事機密すら、運用は機密でも、原理そのものは公開されている。

産業革命の技術は公開を前提とするから、特許制度が生まれた。
公開しても、考案者に不利益が生じないようにするためだ。
知の尊重と情報の共有をしないタテ型権力が、産革パラダイムのノウハウを用いることは矛盾する。

パクリ精神で知を尊重しないのに、情報を勝手な価値判断で流すことは、情報化時代の社会をいびつにし、健全な知の発展を妨げる。

自ら矛盾した行動をする者は、天に唾するように、必ず我が身に返ってくる。自分は核兵器を持ちながら、他には持たせないという考え方は、手に入れた者勝ちを意味するから、テロリストに自由に使用される恐怖が生まれる。それと同じだ。

情報化時代に、選択的に情報を流しても、必ず知られることになる。
情報制御による強制権力は、情報が伝わった時、一気に崩れる。


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