魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

運転無用

2018年11月28日 | 日記・エッセイ・コラム

高齢ドライバー問題を見ていると、事故を起こす高齢者は、痴呆以前に、日常的に自分の足として車に乗っているドライバーだ。
おそらく、慣れすぎていて、凶器に乗るという緊張感が無いのだろう。衰えに気づかず、昨日と同じつもりで歩いて転ぶ高齢者のように、ちょっとした操作を誤り大事故を起こす。
高齢ドライバーには、是非、バイクをおすすめする。二輪車は、緊張無しでは乗れない。しかも、体力が衰えたその瞬間から乗れなくなる。止めるか死ぬかだ。

高齢者が増えれば、高齢ドライバー事故も増加する。一方で、若年ドライバーの保険が高いのは、若者の事故率が高いからだ。
人口比率や事故の種類の比較上で、どちらが危険なのか、本当のことはよく解らない。
しかし、高齢者の激増という、これまで経験したことのない社会背景の中で、これまで無かったような事故が増えていることは事実だ。

若者、高齢者と、一律に定義するのはおかしいが、若者に関しては、統計的に結論が出ているのだろう。だが、高齢ドライバーは状況証拠とセンセーショナルな事故が目立つ割に、客観的な数字が少ないような気がする。結局、それだけ、新しい事態ということだ。

こうなると、何よりも急がれることは、自動運転だが、Uberやカーシェアなど、車の使い方が変化し、「運転する車を個人に売る」ビジネスモデルそのものが、大きな転機にさしかかっている。

これからの自動車
この先、自動運転車が出回るにしても、もはや、個人が車を所有する時代は終わるだろう。かと言って、移動手段はますます必要になるから、ビークルが減るわけではなく、概念が変わるのだ。
例えば、参道の階段を歩いて上がっていた時代から、駕籠屋が現れると、お金のある人は駕籠に乗って上がる。そのうち駕籠が増え過ぎると、金のかかる割に、混雑して事故やトラブルが増える。やがて、技術が進めば、階段そのものをエスカレーターにしてしまう。
自動運転車の出現は、このエスカレーターのようなものだ。エスカレーターは無駄な混雑やトラブル、高い運賃を無くしてくれる。

誰もエスカレーターに運賃を払わないが、エスカレーター会社はちゃんと成り立つ。設置者が別のルートで費用をまかなうからだ。
つまり、これからのビークルは、基本的に社会インフラとして、公共やスポンサーによる乗物になる。
バスや電車だけではない、利用料による個人使用もこれまでの自家用車以上の数や種類があふれ、当然、大量の乗物はシステム制御でなければまかなえなくなる。もちろん、個人所有もあるが、それも、コントロールシステムに組み込まれなければ、動けない。
移動する際は、目的地と経路を告げれば、勝手に運んでくれる、もちろん自由に変更もできる。
これが、何年後のことになるのか、わからないが、現在の激変状況を見ていると、意外と早そうだ。その時は、高齢ドライバー事故も若者の無謀運転も無いだろうが、それはそれで、また別の問題が起こる。その頃にはバーチャルと通信の発達で、誰も、どこにも行きたくなくなっているかもしれない。


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