魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

権力行使

2020年12月29日 | 日記・エッセイ・コラム
近代以降、メディアと戦争は切り離せない。反戦を盛り上げるのもメディアなら、戦争を仕掛けるのもメディアだ。  
メディアが起こした戦争で有名なものは19世紀末の米西戦争がある。太平洋戦争でも日本のメディアの責任は大きい。
メディアは司法・立法・行政に次ぐ、第四の権力と言われてきた。中国は、日本政府にメディア報道を何とかしろと注文をつけるが、ものすごい認識不足か勘違いだ。でなければ、露骨な恫喝だ。

メディアを党の宣伝機関とする、ナチスや中国共産党なら成り立つ意見かもしれないが、民主主義社会ではメディアは国民のツールとして存在する・・・ことになっている。
メディアは民間の組織であり、独立しているからこそ第四の権力の側面を持つ。
しかし実は、この力に、メディア自身が溺れ、利益のために定見無く国民を煽る。その弊害の最たるものが戦争扇動だ。
現在なら視聴率、新聞時代は販売部数のために、ひたすら扇情的に報道を垂れ流す。しかも、メディア報道は、あたかも知的考察のようにふるまい、都合の良い情報を列挙するから始末が悪い。

噂を信じるのは、日頃よく知る人から聞くからだが、その伝える人もまた、馴染みの人から聞いてきた。メディア情報を信じるのもこれと同じで、現代人は、学校や本を通して、自分が確かめたこともない情報を信じる習慣が身についている。
そのメディアは、テレビの普及で活字媒体が劣化し、さらに、ネットの普及で影の薄くなった電波メディアは視聴率に追われ、報道精神が失われる一方で、第四権力の座を取り違え、揚げ足取りの、愚劣で独善的な制裁を正義だと信じ込み、ますます堕落している。

情報の国アメリカ
メディアの思い上りがあからさまに行使されたのは、今回のアメリカ大統領選挙だ。
メディア、IT業界は、総掛かりでトランプの妨害をした。トランプは初めからアメリカ立前社会のヒールであり、まさかのトランプ大統領に、感情的に反発してきた。
自分たちが信じる知性の安寧のためには、何が何でもトランプを退治しなければならず、そのためにはどんな下品な対抗策も許されると信じている。
日本のメディアも、アメリカメディアに追随し、一方的なスタンスで情報を垂れ流した。

このアメリカ立前社会は裸の王様を信じる大人であり、トランプは「王様は裸だ」と叫んだ子供だ。アメリカの分断は、現実を直視しなくなった大人と、上手く説明出来ないが現実を見ている子供との断絶であり、中国の現実に気づかされた大人も態度を変え始めた。
分断分断と騒がれるトランプ現象は、アメリカ民主主義の知性が偏狭な世界に入り込んでいることに対する、現実感の反乱だ。

「売り家と唐様で書く三代目」(学芸道楽の果てに家がつぶれた)
人は満ち足りると現実を忘れ、観念や知識に支配されるようになる。優しいお姫様は強盗の恐ろしさを知らない。衣食足りて礼節を知った先進国は、強盗に追い銭をする。
温暖化が事実でも、CO2の排出を抑えれば解決すると考えるのは短絡だ。温暖化の原因はCO2だけではないし、排出の抑制より利用の道もある。このような現実を見ない偏った知識信仰が、過剰な運動や排斥を生んでいる。差別を無くすつもりで、逆差別を生み、途上国や弱者を救うつもりで自分の首を絞め、結果的に、ウイグルやチベットのように、弱者を追い詰めている。

アメリカは、教育、新聞、ラジオ、テレビ、ネットの国だ。
広大な国土に見知らぬ者が集まれば、必然的に共存のツールとして発達し、当然のことながら、世界共存のツールとして普及した。
しかし、古くからの一体感がある国は、ナチや中共のように、むしろナショナリズムなどの潜在意識を、利用する道具として使う。

上から目線の野次馬
日本も一体感の国だが、ドイツや中国より遙かに一体感が強く、メディアは高札の「お知らせ」であり、事実広報として受け止められる。高札を引き抜いたりすれば処罰された。したがって、日本のメディアは自身の正当性をアピールする必要がない。メディアは意図せずとも権力の座にある。
民衆と共に考える立場ではなく、民衆に迎合し民衆を煽り、国家権力に媚びながら、さも、正当な見識かのように粗探しに明け暮れ、視聴率や販売数を稼ぐ。

トランプを支持するわけではない。コロナ防疫を否定するわけでもない。
ただ、分断や、コロナパニックを演出しているのは、この定見のないメディアそのものであることは、忘れてはならないだろう。

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