魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

異国の風

2011年05月09日 | 日記・エッセイ・コラム

かねがね思うことだが、このところ、つくずく思う。
閣僚や、少なくとも総理大臣には、絶対的に海外体験が必要だ。
明治の日本を導いたのは、長期の海外視察や海外留学で、異国の空気を吸った連中だった。

もちろん、吉田茂も田中角栄も、異国を知っていた。戦後の成長期は復員兵や駐留外人兵も含めて、いやでも異邦人に接し、良いところも悪いところも見たし、疲弊した国内から、海外に目を向けることが希望の道だった。

ところが、日本が経済大国になると、海外に対する意識が逆転した。
海外は、ゆとりを持って遊びに行くところであり、経済進出は消費や労働力の対象で、相手から学ぶところではなくなった。

しかも、逆に海外から関心を持たれる対象になると、不都合な相手や文化の違う相手を、見下げて受け入れなくなり、都合の良い相手だけを受け入れるようになった。

昔と比べ情報や交通は発達し、異邦人、異文化と接する機会はむしろ増えてはいるが、異文化に対する、恐れも尊敬もなくなり、本当に相手を知ろうとはしなくなった。

アニメ、日本食、クールジャパンなど、耳障りの良いことだけを聞きたがり、海外には、援助や協力などと、気分の良いことだけで出かけようとはするが、海外から「何か得てこよう」とする意識が無くなった。

日本全体が、金持ちの斜陽、「唐様で書く三代目」に陥っている。
原発事故の大事件で、海外の目に対する配慮がない一方で、海外の風評に踊らされる。
これは、日本人が自分は人気者のはずだと、高をくくっている反面、お体裁だけは気にして、他人の言動に右往左往する、プライドだけのいい子チャンになっているからだ。

過去の実績の名誉だけにすがり、自立心と生意気さを取り違えて、鼻持ちならない国民になろうとしている。
災害対応で世界中を驚かせた美点は、一歩間違えば、侮蔑になりかねないことを、どれだけの日本人が心得ているだろう。

少なくとも、際だって世界と違う点があることは、そこが非難の対象になりやすいと言うことだ。

日本人が、異文化を、あるがままに直視する姿勢と、何事にも動じない信念を持てるかは、一人一人の、好奇心と謙虚さ、自立心にかかっているが、
何よりも大切なことは、リーダーの国際感覚だ。
異文化と付き合うには、仲よくなるための喧嘩ができなければならない。いい人だけでは決してモテない。

しかし、海外体験さえあれば良いかと言えば、そうではない。
何と言っても、個人の資質が大前提だ。長い海外留学で物事をハッキリ言うパフォーマンスだけ憶えても、肝心な、仲直りの方法を知らなければ単なるトラブルメーカーだ。

内向き指向の若者は、強制的にでも海外体験をさせる必要がある。就職条件や履修単位に入れるなど、嫌でも外国に接するきっかけがあれば、若さでむしろ、勝手に溶け込んでいく。
人間力を磨くには、徴兵制で鍛えるより、よほど効果的だ。しかも、真の愛国心が育つ。

「かわいい子には旅をさせよ」


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