魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

大阪の役

2011年05月19日 | 日記・エッセイ・コラム

江戸幕府の参勤交代は、他にちょっと例を見ない、良い仕組みではないかと思う。

事実上の連邦国で各地の独自性を保ち、電話もない時代ながら、隅々まで相互に情報を行き渡らせ、産業の発展を促した。
しかも、各々の地域で、互いに認め合う気風があったようだ。

渡来文化の名残がある平安王朝以前は、中央集権で、中央が地方をおろそかにして搾取する事が当たり前だったが、
鎌倉、江戸の武家政権が、複式の国家、複層の国を造ったことで、日本は、均等に生活と文化が向上した。他国からの脅威が少ない、島国の幸運だろう。

島国の幸運とはいえ、一方で自然災害からは逃れられなかったが、隔絶した環境で、長い時間をかけて試行錯誤したおかげで、災害に向き合う姿勢を、民族性として身につけた。
災害は試練ではあるが、異民族支配よりは、付き合いやすい。

異民族とよそ者
世界には、日本と全く逆の環境が多い。
自然災害がなくても、常に異民族との葛藤の中で暮らしてきた人々は、日本人が災害を前にして、むしろ元気になるように、異民族を前にすると、むしろ元気になる。
異民族や異国に警戒するが、一方で、利用することを考える。異民族に溶け込むことに抵抗がない。

日本も、鎖国以前はずいぶん積極的に海外に出ていたようだが、江戸を通して、箱入り娘になってしまった。

日本人は、異民族には無警戒で、そのくせ、溶け込もうとはしない。
好奇心は強いが、相手に合わせて自分を変えることを嫌う。異民族と溶け込むためには、自分の生活も発想も変えなければならないが、江戸時代の鎖国と、狭い藩内暮らしで、「自分を変えないで異国を取り入れる」ことに慣れてしまった。

これも、一人っ子国家、日本の特徴だ。一人っ子は、自分を変えることが苦手だが、他人に興味を持ち、良いところは自分なりに取り入れようとする。人をおだてて利用することは苦手だが、人の良いところは認める。自分に適した物だけ真似て、コツコツ磨き上げ、邪魔が入ることを嫌う。

日本人が移民の受け入れを嫌い、積極的には出たがらないのは、生活や発想を変えても、自分が自分でいられる自信がないからだ。
なにしろ、1500年間、そういう生き方をしていない。

日本人は昔から、海外情報に関心が強く、海外旅行や国際交流には熱心だが、それは、向上心と好奇心のためだ。
しかし、自分を変えてまで「異民族」にどっぷり溶け込むことを恐れ、進んで入り込んでくる「よそ者」は、閉め出そうとする。

地球幕府
「だから日本人はダメなんだ」と言うのではない。むしろ、日本方式の方が、世界はうまくいくのではないかと思う。

今は、参勤交代の代わりに、情報ネットワークで、居ながらにしてローカルの活性化ができる。世界中が地元で世界の情報を共有し、アレコレ思っているだけで、物流もスムーズなら、侵略の必要はないし、互いの国を思いやり、協力し合うこともできる。

国境問題は、強い権限を持った幕府、国際司法機関が生まれれば解決するが、そのためには先ず、豊臣の五大老のような拒否権を持つ常任理事国を止める必要がある。

その第一ステップが、関ヶ原の合戦にあたる東西冷戦だが、中国の台頭は、大坂の役になる。
一党独裁の中国は、共産主義の国ではない。古代家父長主義の国だ。

豊臣家の血筋と、徳川連合政権(近代民主主義)の、大阪の役が起これば、日本はどの大名になるのだろう。


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