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言葉拾い

2022年04月26日 | 京都&ケンミン文化

京言葉と言えば「どす」が浮かぶかも知れないが、今、日常で聞くことは、まず無い。滋賀県の農村の年寄りが話しているのを近年、TVで聞いたことがある。この場合、「どす」ではなく、「どふ」に近かった。
半世紀前に、京都市内のお婆さんが、近所に孫を迎えに行き「おやかまっさんどふ」と挨拶していた。この「お騒がせしました」も、「どふ」だった。
発音は時とともに変化していくそうだから。「どす」の原型はやはり「どふ」で、それも近江が発祥だったのかも知れない。あるいは逆に、京言葉が残ったのかも知れない。
大阪弁の「だす」も、今では漫才のギャグぐらいだが、いずれも、現代では「です」に統一されている。近頃は「す」だけで、「そうすか」などと言うが、これも無くなり、丁寧語は消えることになりそうだ。

「むっくり」
近頃、有名な京言葉と言えば「はんなり」だが、こうした形容詞の一つに、「むっくり」がある。しかし、この言葉は解りそうでよく解らない。
単純に聞けば「太っている」ことだろうと思うが、実際に聞いたのは、ほめ言葉としてだった。
「むっくり」は、「もっこり」を連想し、「むくつけき」のように否定的な印象は無いが、「M」音が男性音なので、存在感を表す言葉なのだろう。おっとり上品な感じも含んでいる。
「おたくの坊ちゃん、むっくりとええ感じで、ようモテはるやろ」みたいな使い方をする。とくに太っているわけではないが、赤ちゃんのふっくらした魅力をいうのかもしれない。現代の男優には見られないが、往年の高島忠夫などが思い浮かぶ。

「むっくり」は、欧米風のハンサムが入ってくる以前の、日本的男前の一つかもしれない。
男の和服は帯を下に落として、腹をおし出し気味にするのがカッコ良いとされる。
どうも、昔の日本では、太っているのはステータスで、お金持ちとしてモテたようだ。

世界でも日本人は痩せていることで知られ、スシ・和食ブームも健康食のイメージが寄与した。飽食の現代でも「日本人は痩せている」のだから、昔は太っている人は特殊な人で目立ったはずだ。
「源氏物語絵巻」の光源氏も、高松塚の美女も、あきれるほど太っている。
七福神もモッコリ腹だ。中国人の健康指南の大先生と称する人がアメリカ人に健康法を指南していると、白人女性に「健康そうには見えないけど!」と突っ込まれていた。その先生は相撲取りのように太っていた。また、相撲の英国遠征を見たイギリス女性は「ちっともセクシーじゃない!」と顔をしかめていた。
太っているのが良いとされるのは、ギリシャ文明から遠い極東のパワー信仰かも知れない。ジンギスカンや、フビライに憧れてか、北朝鮮の金一族は太り過ぎで健康まで壊し、超人のイメージのために命までかけている。中国共産党の独裁的リーダーは、毛沢東、江沢民、習近平といずれも太っている。

極東のデブ信仰は、日本にも伝搬したものの、極寒の大陸と違い、温帯の日本は太って暮らすには暑すぎる。平安時代もそうとう暑かったようで、宮廷など壁の無い家が主流で、冬はかえって寒く、十二単はその結果だ。常時寒ければむしろ分厚い服になっただろう。
太ることが苦痛となる日本でも、王朝文化の関西では、やはり魅力の一つとして「ふくよか」が残ったのではなかろうか。
関西人のイメージは、関東人に比べれば明らかに「太い」

「もうし」
もう一つ、面白い京言葉に、「もうし」がある。
これは、子供にシッカロールを塗るような時に、「四つんばいになりなさい」と言う意味だが、「もう」は「モー」と鳴く牛のことで、「モーしなさい」=「牛さんになりなさい」ということだ。
都では牛車が街を行き交っていたでもあろうし、周辺は農地に囲まれているので、どこでも牛を見かけただろう。象もライオンも見たことがないのだから、牛は迫力だった。馬は動き回るので、子供を大人しくさせるには向かない。


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