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2020年10月21日 | 日記・エッセイ・コラム
コロナによる社会環境の変化で、交通運輸業界は苦境に陥り、この先も回復は難しいと言われている。すべての業界が変わる時が来た。飛行機や鉄道が無くなるわけではないが、使い方は変わるだろう。発想の転換が必要だ。
運輸業は環境面で、輸送機器そのものが変化するが、戦後成長した運輸業のように個別機器の利用拡大ではなく、鉄道、船舶などの連携利用で、合理的な輸送システムが発展するだろう。
人手不足解消に、自動運転トラックの長距離キャラバンが注目されているが、環境とコスパの面で総合的に見て、鉄道とどちらが合理的か、疑問が残る。

また、物流に関して、飛行機は環境的に別物にしたほうが良いような気がする。これこそ、飛行船キャラバンではないかと思う。電気飛行機が進化すれば、さらに可能性が開ける。

今できる改革、発想の転換
こんな夢の話ではなく、今あるものを使ってそのまま出来る改善は、自転車との連携だ。
自転車は、健康面でも環境面でも、世界的に見直されている。現在、自転車で鉄道に乗るのは日本の場合想定外なので、輪行バッグに包むなど、相当な手間を強いられる。
これは、鉄道は人か貨物を運ぶものという固定概念があるからだ。
日本でも、渡し船やフェリーなどはそのまま乗れるが、鉄道も、役割を考え直す時だ。
一畑鉄道は有名だが、全国の鉄道も、「乗客本位の意味」から考え直してほしい。

乗客にすれば、駅までと駅からが、必要なことだ。多くの人は、駅まで自転車で行って、駅から自転車で動きたい。
鉄道側は、これまで、いかに乗っている間を楽しませるかを考えてきたが、それはサービスを提供する側の自己満足だ。
日本人の凝り性はいつでも独りよがりで、日本の電気製品が売れなくなったのも、技術者=提供者の視点で作っているからだ。創業時の電気製品や自動車が売れたのは、物の無い時代、製作者自身の「利用」願望が強かったからだ。
鉄道も、鉄道マニアが動かしているから、何が客のニーズかの発想が無い。
地方で廃線が続くのは、料金や快適ばかり考えて、「鉄道は駅から駅の渡し船」の発想が無いからだ。「便利さの意味」の追求が無い。
鉄道を降りてから何で動くか考えると、家から車で行ってしまおうと、誰でも考える。

観光路線に趣味の輪行客を乗せる電車が出来たことも、客サイドの考えではなく、イベント客寄せの発想で、無理に需要を作り出す、鉄道マニアの発想だ。
鉄道は基本、生活インフラのはずだ。自転車移動のお手伝いをする発想なら、ママチャリのおばちゃんも隣町まで気軽に行ける。
鉄道は自転車のまま乗れる環境を作り、採算が合わないというのなら、別料金を取ればいい。長距離の場合、車まで乗せる発想も必要だ。どうしても自分の車で動きたい人は少なくない。燃費、高速料金、そして運転の労力と安全を考えれば、鉄道側も元が取れる。
これからは、移動する人はどうしても少なくなる。人だけが収入源の発想は、今日からやめた方がいい。

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