魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

流されて

2020年04月09日 | 日記・エッセイ・コラム
マスクはしません 耳なし芳一

マスクをしないで電車に乗っていたら、茶髪でかなりクチャクチャな感じのオヤジにニラまれた。
『自分はマスクをしているのに』の思いがあったのだろう。確かにマスクはしていたが、スキ間だらけで鼻を外に出していた。禁煙をした人に限って、喫煙をうるさく言うのと同じ心理だろう。

マスク騒動に、専門家の多くも、マスクの効用を疑っている。WHOも二転三転だ。
元来マスクが嫌いなので、極力マスクをしないようにしているが、内ポケットには入れている。万一、咳が出そうになったら取り出すつもりだが、それ以外は、口をかたく閉じて、声を出さないようにしている。レジでも身振り手振りだ。
もちろん、それだけに手洗いうがいは、執拗にやっている。エレベーターやバスのスイッチは肘で押し、雨の日は傘の柄で押す。
電車は、ガラガラでなければ座らず、空気が入れ替わるドアの横に立っている。

しかし、ここに来て、電車にマスク無しで乗る人はいなくなった。マスク無しで車内に入れば、一斉に睨まれる。何しろ目だけが、「ザッ」と、こちらに向くのだから、相当な圧力だ。
こうなると、マスク反対運動をしているわけでもないのだから、角を立てることはない。電車など、人のいるところではマスクをすることにした。
渋々マスクをすると、マスクをしていない人ばかり目につくようになった。電車で睨んだオヤジの気持ちが解るようになったが、ご時世に流された軟弱者としては、マスクをしていない人が偉いような気さえする。

この「非常時」にマスクをしないでいるのは、よほど「ボーッ」としているか、ポリシーのある人だろう。観察していると、やはり、ただマスクを忘れたのではない。マスクをしない時の自分のように、口を結んで、人から離れている。そうでなければ逆に、何か必要以上に態度が大きい。無言で「マスク反対!」と、訴えている。
世間に負けた自分だが、今でも馬鹿げていると思っている。しないよりした方が良いことは解るが、これさえあれば、というものではない。
高値でもマスクを買いあさったり、してない人を睨むほどの神器ではない。飛沫を防ぐ、飛ばさないと言うことなら、西部劇の列車強盗のように三角巾をしていれば良いし、タオルを巻いて、ついでにヘルメットとサングラスもすれば良い。飛沫は顔や頭にも付着する。

むしろ、マスクという免罪符で、接触や接近に無頓着になる人もいる。何より理解できないのは、ATMや券売機、エレベーター等に、アルコール消毒薬さえ備え付けられてないことだ。
試食用ツマヨウジのように、使い捨てのステックか、印鑑拭きペーパーのようなものを置いてくれても良いかも知れない。自分では、こういうものに触る時は、アルコールで湿らせてある薄手の手袋を取り出すか、鍵やペンで操作する

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