魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

プロとマニア

2008年02月16日 | 日記・エッセイ・コラム

ある分野に通じているのは、プロかマニアだ。
知識や技術では、マニアの方が勝っていることがある。
しかし、マニアでは商売にならない。
もし、マニアが商売を始めるなら、プロにならなければならない。

では、プロはマニアとどこが違うのだろう。
一言で言えば、プロには客がいる。

マニアは自分の興味に任せてすべてやるが、プロは客の喜ぶことをする。もちろんマニアを客とする商売もあるし、興味に任せた行為自体が価値を生むものもある。
例えば、山下清はマニアで、岡本太郎はマニア的あり方を目指したプロだ。

今日、2月16日、東芝がついにHDDVDから撤退を決めた。
ブルーレイとの覇権争いに敗れたワケだが、βのSONYと比べれば、初期での潔い撤退を賞賛したい。

しかし、東芝が敗れたのは必然のような気がする。
SONYやPanaが優れていたと言うより、商戦に敗れたのだろう。
日本の伝統的な企業は、もの作り、技術力で大きくなったが、結局は、ビジネスに目覚めた会社が世界制覇した。

SONYは技術とニーズがたまたま一致した時代、新しい技術が何でも商売になった時代に恵まれていただけだが、ハード的技術が飽和状態になると行き詰まって、ニーズをかぎ取る能力がモノを言うようになった。VHSに負けたのは、画質より録画時間の長さだった。

すると、SONYは今度は目先、売れる物ばかりをつくるようになってとりあえず成功したが、結局、本体(原型と信念)を失ってしまった。
一方で、SONYが世界で本体を失っていく中、頑固に技術にこだわり続ける会社は取り残されていった。東芝、日産、富士重工など日本的な技術会社は行き詰まりを繰り返した。

東芝はマニアには嬉しいモノを出す。ところが、素人が素朴に欲しいものに対する配慮が欠けている。
DVDレコーダーの取説に索引がないので「索引はどこにあるんですか」と電話すると『何のこと?』という反応で、初めから読んでいけば解るはずだという信念?を感じた。
作る側の思考に従うべきだと言う発想が色濃い。これこそが技術屋の発想だ。

今、日本の携帯は海外で外国勢に押されている。
技術屋的発想で、「こんなことや、こんなことや、こんなこともできるんだゾー」と、一生懸命作るのだろうが、客はそんなことは望んでいない。

「出来ること」と、「して良いこと」は違うのだ


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