『政治家が堕落してるって、しきりに怒るようになると、
どうも人間、体の調子が悪いようだな』
……と、先日読んだ『飼猫ボタ子の生活と意見』(曾野綾子)に出ていたが、
確かに私の場合も、体調の悪いときは物事に対してどんどん狭量になる。
私は政治家がどうこうよりも、もっと目の前の、「テレビの存在」が指標になる。
心身の調子が良く安定しているときは、生来がテレビ嫌いの私でも、
いくらか寛容になり、短時間なら家族と一緒に面白がってみせることさえできるが、
どこかに不調があるときは、テレビの音がし始めた瞬間からムカムカする。
これは私の特異体質か、もしかしたら病気ではないかとさえ自分で思っているので、
家族が楽しそうにしている以上、言わないで我慢しているのだが、実に不快だ。
洗濯機の音、外を通る自動車の音、上の階の人の足音、等々は、
よほど喧しくない限りは気にならないので、普通の生活音はなんともないし、
ボロの官舎にいた頃だって、周囲の音に耐えられなかったことなど全くなかったが、
鳴り止まない音楽、複数の人がけたたましく同時に喋る声には、本当に疲れる。
他者への働きかけのある音や、意味を伴った言語音が流れてくると、
私はそれらを適度にシャットアウトしたり、取捨選択したりすることが、できない。
ひとつひとつが細大漏らさず耳と心に食い込んできて、他の一切を駆逐してしまう。
音を聞きながら読書をしたり、考えをまとめたりすることは、私には全く不可能だ。
テレビは更に、動き続けるカラー画面を伴っていて、これがまた、
私の感覚にはお構いなしに、アップになったり引いたり、アングルが変わったり、
挙げ句の果てには話をぶった切ってコマーシャルになったりするので、
私は四六時中、自分がひきずり回されているように感じる。
もう、へとへとだ。
昨夜は、居間で家族が夕食後から三時間以上もテレビを点けていたので、
私は本当に弱った。
観ていた番組は、最初が何か、物まねのバラエティ、次がフィギュアスケートで、
私も心身の具合さえ安定していれば、一緒に観ることが出来る種類のものだったのだが、
昨日はこちらのコンディションが駄目だったようで、30分くらいでキツくなった。
最初は画面が見えない場所に移動して、我慢して読書をしていたが、
音がどんどん入って来て文字が理解できなくなり、
仕方が無いから本をやめて、携帯で適当にサイトをチェックしたりしてみたが、
これもすぐに、頭の中を音の洪水に邪魔されて、読むことができなくなった。
運の悪いことに、昨夜は一部屋しか暖房していなかったので、
ほかの部屋に移ることも難しかった。
だのに主人は、私の苦痛にはほとんど気がついておらず、
思いつきで話しかけてきたりさえするので、邪険にもできず、まったく往生した。
きっと私の方こそ、日常の様々なことで主人や娘に迷惑をかけ、我慢して貰っている、
そう思って、テレビくらいやり過ごせば良いことだと、自分に繰り返し言い聞かせた。
フィギュアスケートが終わるまで、私は耐えに耐えた。
番組が終わりに差し掛かったとき、
なにとぞこれで家族がテレビを消してくれますようにと
私の動悸は速まり、それこそ全身全霊をあげて祈った(爆)。
私の声は天に届いたのか、やがて主人が立ち上がって風呂に入る支度を始め、
娘のほうは自室に帰ってくれて、私は本当に、本当に安堵した。
難行苦行の三時間だった。ああ。
私はそれからすぐに居間の電気を消して、自分の布団を敷き、寝る態勢に入った。
私の寝室になっている和室は、居間から続いている、すぐ横の部屋なのだ。
昨夜の私の狭量さ、テレビへの拒否感は、最近でも特にはっきりしたものだったので、
私はよほど疲れがたまっているのか、風邪のひきはじめなのか、
或いは、いよいよ更年期障害が出てきたということかもしれない、と自分で思った。
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