転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



・近くのデパートで岩手の物産展をやっていて、
昼に主人が、前沢牛の焼き肉弁当を買ってきてくれた。
嬉し過ぎた(T_T)。さすが前沢牛、最高に美味しかった(T_T)(T_T)。
日頃、アレ食べたいコレ食べたいという趣味を持たない私が、
ここまで感激したのは久しぶりだった。
主人は催事場でやっていた盛岡冷麺を食べてきたそうだ。

・娘は、朝起きた途端「咽喉が痛い……」と言った。
このところやたらと元気に過ごしてたが、ついに風邪をひいたらしかった。
しかし彼女は予定通り、午前中からお友達とどこかへ出かけた。
何か、よくわからないが、ヲタ仲間の集うイベントがあったようだった。

・有吉佐和子『夕陽が丘 三番館』が復刊されていたので、買った。
70年代初めにドラマ化もされた作品で、題名や設定は知っていたが、
実際に読むのは初めてだった。
小説としての演出はあると思うが、社宅の人間関係の濃さに感じ入った。
私の経験した官舎は、このような付き合いはそもそもなかったと思うのだが
主人がいたのは、特異な職場だったのだろうか。
それとも私が、あまりにも無愛想で冷淡な人間だったということなのだろうか。
よその棟の奥さんたちが、どんな身なりでいつ出かけたなどと、
カーテン越しに見張っているような情熱は、私は持ったことがなかった(汗)。

・確定申告の書類は揃ったので、あとは入力作業だけだ。
某論文の翻訳は、目は通したが一行も訳出していないので、これからだ。
以上の二つが、どうしても今月中になんとかしなくてはならない案件だ。
娘から妙な風邪でもウツされたりしないうちに、
サッサとやることをやってしまって、しかる後に、のたのたしたいものだ。

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よしおぅの彼からメールが来ていた。
彼はメキシコ人で、アファナシェフのファンだ。
もとはと言えば、5年以上前にポゴレリチ関係のネット掲示板で知り合った。
以来、ときどきメールで情報交換する間柄だ。

彼は、『アファナシェフの来日公演に合わせて、日本を旅行してみたい』
と昨年言っていたのが、結局、秋になって都合で断念し、
しかしその後も、折に触れてとても親切なメールをくれていた。
先月後半には、アファナシェフのウィーン公演が素晴らしかったと
演奏会の感想と、現地の様子を伝えるメールをくれたりもしたのだが、
ちょうど、その直後に、私はU女史が亡くなったことをご家族から知らされ、
彼女の愛したアファナシェフの話題で楽しい返事を書く気にはすぐにはなれず、
数日経ってから、そのことも含めて彼にメールを返したのだった。

『よしおぅ、本当につらかったね。
僕も大切な叔母を亡くしたことがあって、それは突然の死だったのだけれど
凄くショックで、しばらくの間は日常生活への意欲なんか戻って来なかった。
でも、よしおぅ、元気だして。
君の大好きな、ポゴレリチのニュースを知らせるよ。
ザグレブ・フィルとの共演で、ショパンの1番を弾くそうだ。
ポゴレリチ大ファンの○○(彼を知っているかな?)からの情報だ。
だからこれから、ポゴレリチの演奏会の続報を、また送るからね。』

いいヤツだ(T_T)。
当たり前のことだが、何語を使っていても、温かい人間は温かいものなのだ。
ヒドいヤツは日本語を使っていたってヒドいことを書くものだし(爆)。

彼は、アファナシェフの来日に合わせてとにかく日本に行ってみたい、
ということを今回も書いていた。
前のメールで、私が、
『現状では、演奏会のありそうな東京・名古屋・大阪・京都など
全く普通に旅行できるし、一般的な観光をするにも何も問題ない』
と書いたので、彼は今年か来年には是非実現させたい、とのことだった。
そもそもアファナシェフ本人は、来ると言ったら必ず来るし、
そうでなくても、これまで、だいたい秋に日本公演を行っていたので、
今年か来年のどちらかならば、大いに来日公演の可能性がありそうだった。
去年など、アファナシェフは3月の地震直後にも来てくれた。
クレーメルの共演者のピアニストが、原発事故を怖がってキャンセルしたので、
アファナシェフが急遽、代役で来日したのだ
(期せずして、クレーメル×アファナシェフなどという豪華すぎる顔合わせになった)。

また、よしおぅの彼は以前から、日本で能や狂言を観たい等と言っていたが、
食事についても、「スッシー♪テンプーラ♪」で済む次元では、既になかった。
なんと、このたびのメールによれば、彼は、
塩辛・鶏刺し・ヤギの刺身を試してみたいのだそうだ(O_O)。
どんだけ酒飲みなのか(O_O)。私より主人に案内させたほうが良いのでは。
主人は自称ふらんす人だから、言語が不自由かもわからんが(逃)。
また、『東京の地下鉄の駅に、素晴らしい御寿司屋さんがあって、
客席10か12ほどしかなく、一ヶ月前から予約が必要、という記事を読んだが、
そういうところへ行ってみたい。よしおぅはその店を知っている?』
と、ケンミンショー・レベルではないことも言って来た。

そして彼は、日本で演奏会を聴いてツウな和食を満喫したあと、
更に韓国にも足を伸ばしてみたい、と計画中なのだそうだ。
確かに、太平洋のこっちまで時間も旅費もかけて来るのだから、
休暇中に、まとめてまわってしまうほうが賢明かもしれない。
『ソウルに行ったことがある?旅行するのに安全な場所だろうか?』。
私は残念ながら行ったことがないが、日本から見ると、
韓国、とくにソウルは、割と気軽に行ってみられる観光地という印象がある。
若い女性がひとりでも、オバちゃんたちのグループでも、
皆、楽しく行って帰ってきているので、安全のほうは問題ないのではなかろうか。
そういえば昔、U女史も演奏会のためにソウルまで遠征したことがあったな。
あれは、ルイサダだったか、エル=バシャだったか……。

……ということで、とりあえず、
陽気なラテン・アメリカ人の愉快な極東旅行が実現することを、祈ろう。
彼は、日本語が話せなくても、アファナシェフの東京公演チケット電話予約が
自分一人で出来てしまうヒトなので、とても海外旅行に向いた性格ではあるようだ。
この勢いなら、私がなんのかのと指図などしなくても、情報提供さえしていれば、
それが一番、彼の役に立てることではないかと思ったりしている(^_^;。

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『まいにちフランス語』『まいにち中国語』のテキストを
今年は一年間、定期購読していたので、そのためだと思うのだが、
昨日、NHK出版から、早くも来年度の案内が送られてきた。
4月号からの半年または通年での定期購読のお願い、というのが趣旨だが、
私にとっては、担当講師や講座内容・放送時間などの予定を
この時期に知ることができたのが有り難かった。

来年度の英語関連では新しく始まる講座がいくつかあり、
『英会話タイムトライアル』(ラジオ)、
『テレビで基礎英語』『おとなの基礎英語』(テレビ)、
などがそれらにあたるが、入れ替わりに、
『英語5分間トレーニング』『リトル・チャロ2』『Jブンガク』
『実践!英語でしゃべらナイト』が休刊になるとのことだ。
第二外国語では、中国語講座とハングル講座のラジオ番組のほうに、
それぞれ『レベルアップ 中国語』『レベルアップ ハングル講座』
という中級講座が新しく設けられると書いてあり、
それにより、ラジオの『まいにち中国語』『まいにちハングル講座』は、
4月からは、月~金の5日間全部が初級者向けの「入門編」になるようだ。
中級編だけで独立した番組ができるというのは、英語以外には無かったことで、
この二カ国語は、学習者が目立って増えてきたということなのだろう。

私に関係のあるところでは、来年度のフランス語は、
ラジオ『まいにちフランス語』の初級編が、4月からは新作になり、
担当は藤田裕二先生とシルヴィ・ジレ=鈴木氏、
前期応用編は再放送で、4~6月が2010年の澤田直先生&リリアンヌ・ラタンジオ氏、
7~9月が、現在放送中の北村亜矢子先生&セバスティアン・ジャフレド氏。
……藤田先生とシルヴィさんと言ったら、あの、さくらとジュリアンじゃないか!
新シリーズが、地味に楽しみなワタクシであった(^_^;。

当面、仏検2級の再受験を考えているので、「まずはフランス語をせねば」、
という気分なのだが、遊びでもう1カ国語やるのが最近の私の定番ではあり、
4月からはどうするのが良いかな、とこれも楽しく迷っている。
さきに書いた通り、ラジオ番組としての中国語講座が再編成されるので、
入門編が週5日になるなら、時間をかけて勉強できる機会だし、継続したいが、
放送時間帯を見ると、来年度はスペイン語の時間がこれまでとは変わり、
本放送も再放送も、『まいにちスペイン語』『まいにちフランス語』が
並べて連続で聴ける番組表になっていて、これも捨て難い。

私にとっては、中途半端に間を空けたりせず一気に2講座勉強する、
というのが、集中力の維持の点でかなりラクで、効率が良いのだ。
二十何年間も放置していたフランス語を、現状まで持って来ることができたのも、
そもそもは、ラジオ講座再開の年となった2008年に、
当時の本命だったスペイン語のついでに、直前に放送しているからという理由で、
フランス語をなんとなく聴くようになったことがきっかけだった
(清岡先生とレナさんが絶妙に可笑しかったお蔭、というのは大きいが)。
来年は、中国語をお休みして、久々にスペイン語に戻ってみようかしらん。

……結局、どの外国語もモノになってないという意味では一緒なんだけどもよ(^_^;。
そこが道楽の道楽たる所以ということで、勘弁して下さい(逃)。
それにしても、来年度も依然としてクロアチア語講座は開設されないのねぇ。
二十年くらい前から、私はときどきNHKに要望を送っとるのだが……。
結構、交流あるじゃないかと思うんだけど。サッカーとかマグロ養殖とか。

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・facebookのポゴレリチCultファンクラブは、文字通り、
マエストロ・ポゴレリチに関してのカルト団体であるわけだが(笑)、そこに、
昨年夏のドゥブロブニク公演時に撮影されたという映像が、UPされていた。
再生してみると、まず、会場のホール前の路上が映って、
そこに向こうからシルバーの乗用車が入って来て、
ドアを開けて降り立ったのが、普段着のポゴレリチで、
拍手に迎えられて、彼はすぐさまホールの中へ消えていった。
後半は、演奏会後に会場を後にするポゴレリチの動画で、
外で待っていたファンたちがやはり拍手で迎える中、
ポゴレリチが通路から外に出て、車に乗り、
何か上機嫌らしい声で言ったあと、ドアが閉まり、
車が発車して、遠ざかっていく、……という、つまり、
『入り出』ビデオだった。宝塚でよくあるタイプの(爆)。
宝塚と違うのは、彼が自動車の後部座席に乗っていたことだった。
宝塚の生徒さんは必ず助手席に座るから(笑)。
ちなみにそのとき彼が使っていたのは、広島のMAZDA車だった(笑)。
アテンザ・セダンみたいな感じだったが……。

・5月のLFJ東京に関して、本日、記者発表とルネ・マルタン会見があったが、
東京のタイムテーブルを見た範囲では、ポゴレリチの出演は無さそうだった。
まだ詳細に至るまで全貌が明らかになったわけではないのだが、
今年のLFJのテーマである「ロシア」と、彼のリサイタルやコンチェルトの曲目は、
今回は全く接点がないので(ポゴレリチが予定しているのはショパンの協奏曲と、
ソロではショパンとリストのプログラム)、仕方が無いかもしれない。
2010年に彼はLFJという催しをとても気に入っていた様子だったので、
うまく行けば今回も参加があるかなと思っていたのだが、ちょっと残念だ。

・中国の音楽雑誌『鋼琴芸術』(2011年第11期・人民音楽出版社)に
昨年夏のポゴレリチ上海公演での演奏会の評が、16ページに渡って掲載されていて、
これを某氏が詳細に日本語に訳して下さり、本日それを受け取った。
いずれ拙サイトにUPしたいと思っているのだが、
日本の音楽雑誌では、ひとりの演奏家にここまでページを割いてくれないし、
また、このように詳しく熱く(笑)、ひとつの音楽会について報じてくれることも
ほぼ望めないと思うので、私は、2006年の北京公演評に続いて、
中国の音楽ジャーナリズムのあり方に、大変感銘を受けた。
それとともに、このように膨大な記事を和訳して下さった某氏には、
なんとお礼を申し上げたら良いのかわからないほどだった。
某氏は中国留学経験がおありで、今回の記事に関しても、
中文和訳の練習、ということでお引き受け下さったのだが、
私は、その妥協のないお仕事ぶりに、これまた非常に感銘を受けた。
私も心を入れ替え(既に何度も入れ替えた筈なのだが、もう一度)、
自分の語学の勉強に、このように真摯に取り組まなければならないと思った。
本当に、ありがとうございました<(_ _)>!!

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・娘は昨日、めでたく「友チョコの日」を終え、今、我が家は、
色とりどりのチョコレートやクッキー、キャンデーなどがふんだんにあり、
有り難いことに、娘も私も当分の間おやつには困らない状態だ。
皆それぞれに工夫を凝らした可愛いお菓子をくれたようだ。
それにしても、時代が違うのか、共学だったせいか、個人的な性格の問題なのか、
私自身は若い頃、バレンタインデーが特別な日だったという記憶が、ほぼ無い。
チョコレートをあげるとかあげないとか、友達同士で話題にした覚えさえ無いのだ。
もしかしたら、バレンタインデーに最も活発にチョコレートをプレゼントしているのは、
女子校の女の子たち同志なのではあるまいか、……と昨日は娘を見ながら思った。
ちなみに、某掲示板によれば、男子校の男の子同志がチョコレート交換をするときは、
「友チョコ」ではなく「ホモチョコ」という名称があるそうだ。

・いつ、どういう理由で買ったのか思い出せないのだが、
小説『美貌の女帝』(永井路子)が家にあり、読んでみたらなかなか面白かった。
元正天皇(氷高皇女)をヒロインとした歴史小説なのだが、私にとっては、
この天皇は今までは、「大仏建立の聖武天皇の、一代前」程度の印象しかなく、
物語として読んで初めて、この人の時代や、周辺の人物関係が把握できた。
とは言え、読んでいる最中は系図と首っ引きで、かなり苦労した。
あの時代は、結婚相手としては、イトコ同志どころか、異母きょうだい、
伯父(叔父)と姪、伯母(叔母)と甥など、みな可能なので、
血族結婚で系図が入り組み、私は読んでいて相当混乱を来したのだ(汗)。
例えば元正天皇は、父方を辿れば祖父が天武天皇、祖母が持統天皇なのだが、
この人の母親にあたる元明天皇は持統天皇と姉妹だから、
元正にとっての持統は、祖母であると同時に伯母も兼ねているのだった。
そして、そこに長屋王などが出てくるものだから、つまり貴男は元正の何!?と(汗)。
(超簡単に言えば長屋王は元正の従兄、ただし祖父は天武天皇で共通だが、祖母は別。)
それと、推古・皇極(斉明)・持統・元明、までの女帝は皆、即位のとき未亡人で、
元正・孝謙(称徳)と、そのあと850年以上空いて登場する明正・後桜町天皇までは、
すべて生涯独身の女性であったということ、
つまり日本では、「女帝の夫君」なる男性が朝廷に存在したことは無かった、
ということを、……かつて習ったのだと思うが、私は完全に忘れていた(殴)。

・母にメールしてみたら、きょうはまた「ドードー」の耳鳴りが復活し、
改善したのは昨日だけだったと、がっかりしていた。
しかし気持ちは上向きになったのだそうで、午後から確定申告の準備をしたそうだ。
うっ。私は、まだ、だ……。
いい気になって通院介助などやっていたら、テキに先を越されてしまった(爆)。
更に母は、きのう言っていた料理番組の携帯サイトだけでなく、
NHKだかどこだかの、政治番組の放映中に設けられている、
視聴者が意見を投稿するサイトに行けるように教えて欲しい、と遠大なことを言った。
○○を支持するとかしないとかのアンケート形式で、番組中に意見を募集され、
返答を指定の携帯サイトから送信すると、しばらくして集計が画面に出る、あれだ。
先日そういう番組を観ていたときには、母は果敢にも、
『めじゃめじゃしたもの』(=QRコード)から飛ぼうと試みて、失敗したそうだ。
なんという、双方向なiモード利用法を望んでいるのか(O_O)。
しかも政治討論番組だと!?
そんなケッタクソ悪い(逃)携帯利用方法など、
私は、試してみる気になったことさえないぞ(逃逃)。

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午後、実家まで出かけて、母の様子を見てきた。
両親ともに、一応、元気そうだった。
母も、想像していたより明るい表情をしていた。
聞けば、それなりに多少の改善はあったようだった。

母「この前から、ドードー言う耳鳴りにシャーシャー言う耳鳴りが加わって、
 耳鳴りの二重奏になっとってんけど、昨日からドードーが消えて来てん」
私「そうなのか。一種類でも減って、良かったねえ」
母「そうや。それに、シャーシャーのほうは、前にも何度かなったことあって、
 これは半月ほど辛抱しとったら、今までは大抵なおったから、期待してんねん」

先日、某総合病院の耳鼻科で診察を受けたときには、母は、
ドードーと、シャーシャーのほかに、確かもうひとつ、
ボッボッボと鳴く耳鳴りがあって、合計三種類だ、
と説明していたような気がしたが、私の記憶違いだったのだろうか。
きょうの話にはボッボッボは全く登場せず、行方不明だった。

ヘアカットのほうは、やはり私の腕前には母も不安を覚えたようで
私の提案通り、訪問美容の業者さんをお願いしてみよう、
ということに同意してくれた。
良かった(^_^;。

母は更に、携帯電話を新しくしたい、という話をしていた。
数年前くらいから、母はテレビの料理番組などを観ているときに、
必ずと言っていいほど、「メニュー→テレビ→○○テレビ局……」
などという手順でレシピが見られる、と画面に出ていることに気がつき、
それをやってみたいと思ったのだそうだが、
携帯のどこを押せばそれが出てくるのかが、わからなかったそうだ。
それで先日、携帯屋さんに行って、
「テレビで言っていた、かくかくしかじかのものが観たい」
と告げたら、お店の人が勧め、かつ指導してくれたものは、ワンセグだった。
つまり、母の言っていることは、通じていなかった(汗)。
母の要望は、お店の人には、
『携帯電話の画面でテレビを視聴したがっている』
と受け取られたらしかった。

私はテレビ番組の携帯サイトについて、母に説明を試みたが、
何しろ日頃、母はiモードを使ったことがないのと、
私自身、テレビを観ないからテレビ局名がよくわからなくて(爆)
母の言う番組内容だけでは、番組名と放送局を当てることができず、
母のイメージしている携帯サイトまでたどり着くことができなかった。
とりあえず、次回、その番組に出会ったらまた連絡をくれ、
と言い置いて、きょうは終わりにした。

疲労困憊。orz

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・明日がバレンタインデー、つまり『友チョコ配りの日』なので
娘は昨日の夜になってから、例年通り、チョコレートを作った。
私は、ほとんど手出しをしなくても、娘はひとりであれこれ作った。
しかし、自分で用意した材料では若干、足りず、
予定した分量の三分の二くらいしか出来なかったので、
「できたら、もうちょっと買っておいてくだしゃいませんか(^_^;」
と頼まれ、仕方が無いから私がきょうの昼間、東急ハンズまで、
製菓用チョコレートや、トッピングのキラキラを仕入れに行った。
ついでに(殴)、実家父に私から渡すチョコレートもデパートで買った。
私は菓子づくりの趣味など無く、というより料理全般が大嫌いなので、
手作りチョコなんて、シコシコとこしらえたことなど一度もないのだが、
娘はひたすら、女友達と交換するために、
チョコレート作りを過去5年間の女子校生活で身につけた。偉いわぁ。

・昼前、実家の母がメールをくれた。
それによると、耳鳴りはいっこうに改善せず、昨日は座骨神経痛もあったが、
きょうは腰だけは随分と改善して、動けるようになってきた、とのことだった。
ただ、外はみぞれだし毎日寒いから、外出する元気は無い、というので、
『明日、伺います。何かご注文ありますか』
と訊ねたら、
『美容室にも長い間行けていないので、髪を切ってくれませんか』
と来た。母は日頃は、長い髪をくくって上げて、ピンで留めているのだが、
『来月の初めのMRI検査のときには、ヘアピンはいけないと言われました。
このままでは検査に行けません。留めなくて良い髪型にしたいのです』
ということだった。
うぅむ。私が切ったら、別の意味で検査に行けなくなるのでは……(汗)。
(真面目な話、この件は、かつて姑もお世話になった訪問美容の業者さんを
実家母にも紹介しようと思う。在宅でシャンプー・カット・パーマなど可能。)

・ホイットニー・ヒューストンが亡くなった、というニュースを見ても
95年生まれの娘は、咄嗟に彼女が誰なのかわからなかった。
80年代後半に立て続けにヒットを飛ばし、映画『ボディガード』が92年、
となれば、すべて娘が生まれる前に終わってしまったことだった。
私本人は、ホイットニー・ヒューストンと言えば、
『I Will Always Love You』よりも、彼女のほとんど最初期のヒットである
『Saving All My Love For You』のほうに、いろいろと思い出があるのだが、
「どんな曲だっけ?」と主人に訊かれて、歌ってみせるのに困った。
歌詞も旋律も覚えているが、あの声でインプットされた曲は、
自分の歌の力で再現できる範疇を大幅に超えている、
という気分になったからだ。
転妻「彼女の声は凄いもの。あんなの、私は歌ってみせれんよ」
転夫「別に、本人そっくりに歌えなんて誰も最初から頼んどらん」
転妻「そりゃ勿論わかっとるが、違うものは違う。とてもじゃないが、できん」
という会話をしていたら、娘が、あくびの延長みたいなヤル気のない声で言った。
転娘「ねえ、ホイットニー・ヒューストンって、
 ♪あんだーーーーーいやーーー?」
……転娘、怖い子…!!!!

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『政治家が堕落してるって、しきりに怒るようになると、
どうも人間、体の調子が悪いようだな』
……と、先日読んだ『飼猫ボタ子の生活と意見』(曾野綾子)に出ていたが、
確かに私の場合も、体調の悪いときは物事に対してどんどん狭量になる。
私は政治家がどうこうよりも、もっと目の前の、「テレビの存在」が指標になる。
心身の調子が良く安定しているときは、生来がテレビ嫌いの私でも、
いくらか寛容になり、短時間なら家族と一緒に面白がってみせることさえできるが、
どこかに不調があるときは、テレビの音がし始めた瞬間からムカムカする。
これは私の特異体質か、もしかしたら病気ではないかとさえ自分で思っているので、
家族が楽しそうにしている以上、言わないで我慢しているのだが、実に不快だ。

洗濯機の音、外を通る自動車の音、上の階の人の足音、等々は、
よほど喧しくない限りは気にならないので、普通の生活音はなんともないし、
ボロの官舎にいた頃だって、周囲の音に耐えられなかったことなど全くなかったが、
鳴り止まない音楽、複数の人がけたたましく同時に喋る声には、本当に疲れる。
他者への働きかけのある音や、意味を伴った言語音が流れてくると、
私はそれらを適度にシャットアウトしたり、取捨選択したりすることが、できない。
ひとつひとつが細大漏らさず耳と心に食い込んできて、他の一切を駆逐してしまう。
音を聞きながら読書をしたり、考えをまとめたりすることは、私には全く不可能だ。
テレビは更に、動き続けるカラー画面を伴っていて、これがまた、
私の感覚にはお構いなしに、アップになったり引いたり、アングルが変わったり、
挙げ句の果てには話をぶった切ってコマーシャルになったりするので、
私は四六時中、自分がひきずり回されているように感じる。
もう、へとへとだ。

昨夜は、居間で家族が夕食後から三時間以上もテレビを点けていたので、
私は本当に弱った。
観ていた番組は、最初が何か、物まねのバラエティ、次がフィギュアスケートで、
私も心身の具合さえ安定していれば、一緒に観ることが出来る種類のものだったのだが、
昨日はこちらのコンディションが駄目だったようで、30分くらいでキツくなった。
最初は画面が見えない場所に移動して、我慢して読書をしていたが、
音がどんどん入って来て文字が理解できなくなり、
仕方が無いから本をやめて、携帯で適当にサイトをチェックしたりしてみたが、
これもすぐに、頭の中を音の洪水に邪魔されて、読むことができなくなった。
運の悪いことに、昨夜は一部屋しか暖房していなかったので、
ほかの部屋に移ることも難しかった。
だのに主人は、私の苦痛にはほとんど気がついておらず、
思いつきで話しかけてきたりさえするので、邪険にもできず、まったく往生した。
きっと私の方こそ、日常の様々なことで主人や娘に迷惑をかけ、我慢して貰っている、
そう思って、テレビくらいやり過ごせば良いことだと、自分に繰り返し言い聞かせた。

フィギュアスケートが終わるまで、私は耐えに耐えた。
番組が終わりに差し掛かったとき、
なにとぞこれで家族がテレビを消してくれますようにと
私の動悸は速まり、それこそ全身全霊をあげて祈った(爆)。
私の声は天に届いたのか、やがて主人が立ち上がって風呂に入る支度を始め、
娘のほうは自室に帰ってくれて、私は本当に、本当に安堵した。
難行苦行の三時間だった。ああ。
私はそれからすぐに居間の電気を消して、自分の布団を敷き、寝る態勢に入った。
私の寝室になっている和室は、居間から続いている、すぐ横の部屋なのだ。
昨夜の私の狭量さ、テレビへの拒否感は、最近でも特にはっきりしたものだったので、
私はよほど疲れがたまっているのか、風邪のひきはじめなのか、
或いは、いよいよ更年期障害が出てきたということかもしれない、と自分で思った。

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たかこさんの八ヶ岳公演
検索語『和央ようか』で来て下さっている方々が多いと思ったら、
きょうは、『和央ようか八ヶ岳WINTER LIVE』が行われる日だった。
私は八ヶ岳には、以前は馴染みだったのだが、
当時はクラシックの音楽会でしか行ったことがないので、
たかこさんがどんなライブをするのか、想像して楽しむのみだ。
八ヶ岳高原音楽堂には、90年代の初め、U女史と一緒に随分行った。
ユーリ・バシュメット、エリソ・ヴィルサラーゼ、ナターリア・グートマンらの、
優れた室内楽の公演に出会うことが出来たし、
ミッシャ・マイスキーのリサイタルには特に何度も行った。

舞台の背景に、ガラスを通して外の白樺が浮かび上がったように見える、
幻想的な高原音楽堂の夜の演奏会が、とりわけ忘れられない。
演奏会のあと、高原ロッジでのパーティにも出て、その晩はロッジに泊まり、
翌朝は高原を散策して、ゆっくりと過ごしたものだった。
どの季節も八ヶ岳は美しいが、今なら雪に包まれた白い風景だろう。
お出かけになる皆様、どうかお楽しみになれますように(^^)。
ときに、マイスキーが、今年は17年ぶりに八ヶ岳で弾く予定だそうだ。
ミッシャ・マイスキー 無伴奏チェロリサイタル(2012年5月23日)
10億円ころころっと当たらんもんかな……(殴)。


転妻 寂しい
このところ、『転妻 寂しい』『転勤先 孤独感』等のキーワードが、
何日おきかに出ていることが繰り返されていて、
知らない人ばかりの新しい土地に行って、困っていらっしゃる方々が、
解決のヒントを探してここまで来て下さっているのかなと、気に掛かっている。
今はインターネットがあるから、「転勤族の妻」が集まる掲示板も容易に見つかるし、
趣味の仲間と出会うことも、とりあえずネットの世界ならば可能だろう。
『寂しい』と思える状態のときには、多分、自由時間もそれなりにあるだろうから、
最初はネットでの、広く浅くのお付き合いから始めてみてはどうだろうか。
掲示板やSNSでの交流は、パソコンを開く楽しみになるだろうし、
引っ越し作業のコツ・社宅の問題・転校の不安・再就職の方法・病院の探し方、等々、
よその土地での手続きや暮らし方についての、体験談を読むこともできる。
その中で、とても気の合う人に巡り会えることもあるだろうと思う。

しかし一方で、日常、一緒に行動する友達がいないというのは、
それはそれで、かなり良い状態なのではないかと私は思っている。
誰に合わせる必要もなく、自分の都合や体調次第で動いて良いし、
誰某を誘った誘わないで失礼になったりもしないし、
宗教やナベや壺の宣伝が目の前で突然始まって困惑する、ということもない。
また、若干違う話だが、転勤先には一生住むわけではないから、
仮に最悪な人間関係になっても、数年も辛抱すればリセットできる。
転勤してしまえば、自らのキャラ変更も自由自在。
これは転勤族だけが甘受している幸福だ。
そういう意味では、友人が出来ても出来なくても、気楽に考えれば良いと思う。
私は転勤のたびに、旧悪の数々を知る人のいない別天地というのが嬉しくて、
毎回、完全な別人・善人として出直そうとしたものだった(殴)。


塾に友達がいない
上記と関連があるのかどうかわからないが、『塾 友達がいない』
というのも、記憶にあるだけでも過去一週間で三回見た検索語だ。
娘も、中学受験のとき校区の違う塾に行っていたので、友達がいなかった。
本人はそれを『つまらない』と言ったが、
『塾は勉強をしに行くところであって、友達と遊ぶために行く場ではない。
わしも塾には友達ひとりもおらんかったで』と主人に言われて決着した(^_^;。
それで今になって私も思うのだが、
良い仲間がいて、励まし合って頑張っているのなら、それは素晴らしいことだが、
もし今、塾に仲良しがひとりもいないのであれば、
むしろ、その状態を大切にしたら良いのではないだろうか。

転勤先に知り合いが居ない話と似ているが、塾内でひとりぼっちならば、
つまり、誰からも注目も干渉もされないわけで(成績がトップなら別だろうが)
テストの点数も、合格不合格も、自分ひとりが気にすれば良いことだ。
誰の顔色を伺う必要もないし、友達と引き比べて妬み嫉みを感じることもない。
皆で仲良く一緒に頑張って、一緒に入試に行って、一緒に合格発表を見に行き、
最後にスベったのは自分ひとり、……などということになったりすると、
仲間たちの幸福そうな笑顔を見なくてはならないぶんだけ、つらいだろう。
だいたい、勉強は本来、浮かれて喋りながらするものではないのだし、
もし今、運良く(!)塾で誰とも口をきく機会がないなら、
期せずしてひとつの理想が実現しているととらえたら良い、と思う。
よく知らない人たちのことは、仲良しでないかわりに敵でもなんでもないし、
子供も保護者も、塾内での振る舞いに関して、限りなく自由だ。
塾だけでなく、学校でも近所でも、未だかつて誰とも仲良くなったことがない、
というのであれば、これはまた、別の問題だと思うけれども。

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それにしても、昨日の検索キーワードのうち、私が最も感銘を受けたのは、
紫苑ゆうのルドルフしか見たくない』だった。
いや~、そういうヒトは、いらっしゃいますね。わかりますよ(苦笑)。

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・娘は明日、友人宅に5人だか6人だかで集まり、
チョコフォンデュ&チーズフォンデュのパーティーをやるそうで、
材料を、参加者それぞれが割り当てられ持ち寄ることになっているらしい。
娘の担当は、ウインナソーセージ2袋とプリッツ2箱だそうだ。
そのあと、明後日は娘は、例年の如く友チョコ作りをせねばならない。
食いもんの話になると、このうえなくマメで行動的なのは相変わらずだ。
最終的には、きっとチョコ作りを手伝わされるのだろうと思うと、
今、私は気持ちが沈んで来るのを、とめることができない(^_^;。

・曾野綾子『飼猫ボタ子の生活と意見』を先日来、読んでいた。
かなり昔、同じ著者による『ボクは猫よ』を読んだことがあって、
裏見成平・阿野文子という作家夫婦の家に飼われている猫が、
自分の見聞きしたことを風刺の効いた視点から語るという意味では、
『ボクは―』も『ボタ子』も全く同じ設定だったが、
特に今回の話が『ボクは―』の続編になっているというのでもなかった。
猫は代替わりして、前にいた猫のことなんか知らないのだろう(^_^;。
曾野綾子氏に関しては、特にその発言内容について賛否があるとは思うが、
彼女の作品は、私は中学生だった頃からかなりの数を読んでいて、
「ミもフタもない本当のこと」を恐れげもなく(^_^;書かれている点を、
今も昔も、とても気に入っている。
この人の話は、なんというか、真っ正直に読んで大真面目に怒るようでは、
読者として、負けだ(^_^;、と私は感じている。
そういう意味合いで、感銘を受けた箇所はこの本にもいろいろあったが、
敢えて今回の私的ヒットを挙げるなら、
『人間には、生来、絵になる人と、漫画になる人とがいるんだわ』。

・歌舞伎『四千両小判梅葉(しせんりょうこばんのうめのは)』を
YouTubeで発見し(http://www.youtube.com/watch?v=uwRzkLrGhsc)、
このところ、私の、初代 辰之助への愛が(笑)再燃している。
この録画は、昭和58(1983)年に二代目 松緑が『富蔵』を演じたときのもので、
辰之助は『西大牢の場』で『隅の隠居』として出演している(55:50頃から)。
当代 松緑(昭和50(1975)年生まれ)がまだ小学校低学年だった頃に、
彼の祖父と父とが務めた舞台の録画ということになり、
両名のみならず、出演している主立った役者さんの大半は、既に故人だし、
團十郎や三津五郎も、それぞれ、前名の海老蔵・八十助で出ていたりして、
私には割と最近のつもりが、よく考えてみたら30年近く前の舞台だった。
辰之助の記憶は私の中には残っているが、改めて検索してみると、
ネットで読める記事にはもう、彼の記録はあまり見つからず、
私は今、古書の『現代若手歌舞伎俳優集〈4〉尾上辰之助』を買うかどうか
割と真剣に悩んでいる。なにしろ高くて(爆)。
amazonだと、目下、一番安くて6799円、高いやつだと17880円。

・………などと、ウかれたことを考えていないで、早くやれよ確定申告。

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