この「ロシア演劇の話」というカテゴリーを設けたのは、
そもそも、私が83年に初めて観たソビエト演劇の、
「レニングラード・ボリショイ・ドラマ劇場」の話を
どうしても一度は書き留めておきたいと考えたからだった。
ロシア演劇の話2で書いたことなのだが、最初の出会いは、
大学1年のとき偶然に選択した、「ソビエト演劇」の授業だった。
担当なさった佐藤恭子先生の講義が物凄く面白くて、
私はこの分野の虜になり、翌年からは第二外国語をロシア語に変え、
専攻の言語学とは直接関係のない科目だったにも関わらず、
佐藤先生には在学中4年間のうち3年間もお世話になった。
いつかお礼を申し上げたい、と思っていた。
佐藤先生は電話がかかってくるのが嫌いだ、と仰っていたから、
そのうち、お手紙か葉書などのかたちでご挨拶してみよう、
私のことなど、もう覚えていらっしゃらない可能性が高いけれど、
・・・などと、懐かしく思ったりしていた。
その佐藤先生が、既にお亡くなりになっていたことが、今夜、わかった。
母校の大学に勤務している元・同期生にメールを出し、
佐藤先生の現住所や御近況を知る方法はないだろうかと尋ねたら、
そのレスがさきほど来て、それに、
『大変悲しいことですが、佐藤恭子先生は数年前に、
突然、お亡くなりになりました』
と、あったのだ。
学期途中の、本当に予期せぬご逝去だったとのことだった。
今でも持っている、『ソビエト演劇』を受講したときの、
講義のノートを、改めて開いてみた。
1983年5月13日、ちょうど今から25年前のこの時期のページを見ると、
テーマは「ソ連の民族演劇」となっていた。
「民族演劇―形式的には民族色ゆたかであるべき、
イデオロギー的にはソビエト社会主義路線を守るべき
→創作の自由がせばめられる クレムリン色が強い」
→統制の中で実ったもの」
「例1:グルジア共和国
・グルジア劇団(グルジア人によるグルジア語の芝居)
・ロシア劇団(ロシア人によるロシア語の芝居)
―民族の独立を建前としながらも、ロシア文化を輸出
・アルメニア劇団(アルメニア人のため)」
グルジアは、ソ連の一部ではあっても、ロシアとは異なり、
民族性を反映した『グルジア風写実主義』を持っている、
と佐藤先生は仰った。
それはつまり、現実を誇張した、すべてにおいて大袈裟なものである、と。
「そして、なぜか、詐欺師を主人公とする芝居が多いのよ!」
と仰って、楽しそうに笑われた先生のお顔や、
その素敵なまろやかなお声を、
今も私は、ありありと思い出すことが、できる。
この世でお礼を申し上げることが、ついぞ出来ませんでしたが、
先生から教わったことは、今でも私の中に、大切な財産として、
たくさん蓄積されています。
先生がいらっしゃらなければ、メイエルホリドを知ることもなく、
ロシア演劇を観る機会も得られなかったのではないかと思います。
本当に、心から、お礼を申し上げます。
ありがとうございました。
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