転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



清志郎が喉頭がんから復活ソロライブ(日刊スポーツ)
清志郎 武道館で3時間「完全復活祭」
(スポニチ)
帰ってきたぜベイベー!がん克服、清志郎が武道館単独ライブ(サンケイスポーツ)
清志郎「帰ってきたぜベイビー」!(デイリースポーツ)
忌野清志郎:帰ってきたぜ武道館 がん克服し3時間「愛しあってるかーい!」(毎日jp)
忌野清志郎が完全復活ライブ(Yahoo動画)
清志郎完全復活祭 めざましテレビ(YouTube)


『全24曲を歌い終えると壇上に長男竜平さん(19)と
長女百世さん(16)が現れ、花束をプレゼント。
「なぜここで出すんだあ!家族を」と照れまくり。
百世さんはそんな父の姿に何度も目をぬぐった』(スポニチ)

竜平(タッペイ)さんは、辰年生まれだ。
私が24歳だった88年クリスマスの武道館公演のとき、
清志郎は、MCの途中で脈絡もなく、突然ギターを弾いて、

♪タツ 魔法の竜(タツ)が 生まれたぞ
♪おとーさん子だよ

と『パフ』のメロディーで歌ったものだった。
あのときのタッペイくんが、もう19歳!

私がRCサクセションを熱心に聴くようになったのは
82年の『い・け・な・いルージュマジック』で清志郎を知って以降で、
それ以前の久保講堂(80年)どころか野音(81年)すら聴いていない自分は
完全に「遅れてきた」ファンなのだと、長い間思っていた。

でも考えてみたら、RCとの出会いから既に四半世紀が過ぎていたのだ。
これらの記事を読んでいて、自分が清志郎との間に、
ファンとして積み重ねてきたものは、
もはや半端な質と量でないことが、改めてわかった。

そして、KING OF LIVEの復活が実現した2008年2月10日は、
ファンにとって、またひとつの、新しい記念日になったのだと思った。
清志郎の復活は、やっぱり、バンドマンとして、だった!

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清志郎、物凄い、文字通りの「完全復活」だったそうです!
サイコー!!!

レポートしてくれた友人にも心から感謝!!!

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なんとっ
会場では清志郎からの「快気祝い」が配られているそうだっ!!

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今夜、日本武道館で、忌野清志郎が完全復活を宣言する。

さきほど、現地の友人からメールが来た。
九段下で降りた人の数の、あまりの多さ、
そして、その人たちの年齢層の高さに、
ただただ、驚き、感動したそうだ。

私がその場にいたら、田安門までの道を歩きながら、
既に、だーだーと泣いていたかもしれない。

おかえりなさい、清志郎!!!

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娘は、昨日こしらえた生チョコレートを持って、
朝から、私の実家へ遊びに行った。
おじいちゃんにバレンタインのチョコレートをあげるそうだ。
おじいちゃん、感涙モノであろう(T.T)。
お友達と食べるぶんは、あとでもう一度つくるそうだ。

娘が出て行ったあと、主人と私とで買い物に行った。
主人がスタスタと駅ビルのほうに入っていくので、
よくわからないまま、ついて行ったら、
主人は、携帯の機種変更をするのだと言った。
四年近く同じ機種だったので、無理もないなと
私もつきあいで携帯屋さんに一緒に入った。

それでふと思い出したのだが、実は私の携帯も、
最近、充電してもすぐ電池が減ってしまうので、
「ついでにこっちも、電池パックを交換したいんですが」
と店員さんに言ってみた。
そうしたら、なんと、私の携帯はとっくに終わった型番で、
「すみません、もうこの電池パックは製造されていません」
という返答だった。

期せずして、私まで機種変更することに、なった。

ワンセグがどないしたこないしたと選び抜いている主人のヨコで、
私は、テレビは要らないし通話も滅多にしないから、
使い道はメールがほとんど、時々カメラ、あとは特定サイトの閲覧、
という条件で、一番安くて在庫がすぐあるヤツに即決した。
「ようもまあ、そんな一瞬で決められるね」
と主人にはビックリされたが、
携帯がどんなに進化しようが、
私にとってはただの、猫にコンバンワだということだ。

それから私は主人と別行動で眼科に行った。
数日前の夜、目にゴミが入ったようなちりちりした痛みがあり、
その翌日から右目だけ腫れぼったくなったので、
それを診察して貰いたかったのと、
コンタクトレンズの検診も、そろそろ受ける必要があったからだ。
幸い、眼圧も正常で視力も変わっていなかった。
右瞼の腫れは、リンパ液の流れが悪くなった状態だったが、
全く病気ではないということで、これも問題なかった。
私はメルス・プランの会員になっていて、
レンズは毎年新しいものに無料で交換できるので、
今回も遠慮無く新品のレンズにして貰った。

期せずして、お目々も新しくなった♪

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・一時の扁桃炎は抗生剤服用の御陰ですっかりおさまったのだが、
薬をやめるとまた徐々に出て来るのが常なので、不安だ。
寒い季節と花粉の飛ぶ期間中は、特に悪くなることが多いのだ。
とりあえず婦人科手術のあとでもあるので、体力をつけるため
前に書いたキョーレオピンを飲むことにした。それと漢方薬。
あとはプロポリスでうがいをして、家庭用超短波治療器を使って、
鍼に行って、VC3000のど飴をなめて、プロビオヨーグルトを食べて、
・・・ただの健康オタクだ(涙)。

・もうすぐバレンタインだということで、
娘が昼から、生チョコレートをつくっていた。
パウダーをふって、金箔みたいなものを飾って、
パッケージにも凝っていて、なにやら結構、本格的だった。
といっても男の子にあげるのではなく、
中学のお友達と一緒に食べるのだそうだ。
A中のお友達ばかりだからそれはつまり女の子だけだ。
みんなで、連休明けにお手製のチョコレートを持ち寄る計画らしい。
凄く楽しみだそうだ。
バレンタインとは「みんなでチョコレートを食べる日」のことだ。

・昨日から、主人が腰痛で困っている。
この人は、調子よく泳いだりエアロビクスしたりして過ごしているのに、
あるとき突然に腰が痛くなるのだ。これまでにもそういうのはあった。
痛くなり方はぎっくり腰に近い感じで、ウっ!と発作的に来るらしい。
痩せるために運動しているのだが、それによって疲れがたまり、
もともと弱い腰に来て、痛みが取れるまで休んでいるとまた太り、
体重が増えると腰にも負担だからと、焦って運動に復帰すると、
またぞろ痛くなり、・・・そんなことを繰り返していると本人も認めていた。
「結局は、若くないってことよ(T.T)」だそうだ。

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昔、私は職場で、業者さんが入れてくれるお弁当をよく食べていた。
そんなものに頼らず、自分でつくってくれば良いとはわかっていたが、
一人暮らしの気楽さで、朝はぎりぎりまで寝ていたので、
手軽に買って済ませられる昼食は有り難かった。

しかし、値段が値段だったし、そのお弁当は、
たいてい、かなり、適当な内容だった。
材料切って並べたのと、あとは業務用冷食オンパレード、みたいな。

あるとき、同じ弁当を食べていた職場の男性が、
「食う気が起こらんなあ」
と言ったことがあった。
確かに、切ったカニかま、既に冷えてしっとりしたコロッケなど
真夏の食欲のないときに見せられても、嬉しくはなかった。

男「でも、勿体ないよね。食べ物は大事にしないとなあ」
私「そーですよ。それに、このお弁当が出来るまでには、
 どれだけの人の手がかかっているかと考えたら、
 やっぱり感謝して頂かないと、・・・・なんちってな」

すると、同じ部屋で、やはり同じ弁当を食べていた別の男性が、言った。
この弁当が出来るまでには、一体、どれほどの人間が
 手抜きをして来たか・・・・・・


加工食品の品質の問題についてニュースで聞くたびに、
私は、どうも、この発言を思い出さずにいられない。

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1月7日に腹腔鏡で筋腫の手術(子宮全摘および左付属器切除)をして
ちょうど1ヵ月が経過したので、現在の体調を記録しておこうと思う。

気分の良い日には、もう、手術したことを忘れるくらいになった。
下腹部に三箇所、1センチ弱ほどずつある皮膚の切開の跡は、
茶色っぽくなっていて、押すと周辺組織が硬くなっているのがわかるが、
創そのものの痛みは全くなく、表面は触れてもなんともない。

腹腔鏡はお臍の底を切開して挿入したということだったが、
術後にお臍が痛んだり出血したりすることは全くなかった。
ただ退院後、キッチンに立ってみると、お臍の左側に一箇所、
シンクのふちに当たって鈍く痛む部分があって、
しばらくは圧迫されると違和感があったが、それも今は消えた。

術後から、それまでの不正出血より軽く薄い出血が続いたが、
だいたい二週間ちょっとで完全に止まった。
度重なる過多月経が、手術を決断した第一の理由だったので、
出血から解放されたというのが、今は最も有り難いことだ。

術後から、左下腹部あたりに痛みが出やすく、入院中などは、
腸が動くとキュキュ~・・・とお腹の左下が痛くなったものだが、
忘れもしない、1月25日に『茶々』を観に行った日の帰り、
断続的に痛みが出るのが気になってロキソニンを飲んだら、
それ以来、ピタっと、この痛みは止んだ。
どういう仕組みになっているのか、我ながら全然わからない(爆)。

全身的な状態としては、やはりまだ疲れやすいという自覚はある。
家事は普通にしているが、手術前と同じような感覚で動くと、
途中でシンドくて続かなくなったりして、耐久力はまだまだだ。
以前、元気だった頃、朝から一時間のウォーキングをしたうえに、
昼からスポーツクラブでエアロビクスをしていたものだが、
今のところは、とてもとても、そのような勢いは無い。
体調を見ながら、散歩したり、軽いストレッチをしたりして、
無理のない範囲で、運動することを心がけたいと思っている。

ちなみに2月4日に、かかりつけの内科で受けた血液検査の結果では、
血小板30.9、血沈10ミリ、というのが基準値上限ぎりぎりだったが、
あとは、CRPが0.17、T3が1.6、T4が8.3といずれも問題なかった。
手術で貧血気味になり、退院直前の採血ではHb9.6だったが、
全く鉄剤を使わずとも今回の検査では11.3へと改善していた。
赤血球425、MCV85というのも平均的な値で、充分だった。

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きょうは、娘の部屋に、おひな様を飾った。
娘の初節句に実家の両親から贈られた親王飾りだ。
今年もまた、こうしてお人形を飾る日常があるなんて、
考えてみたらとても有り難いことだ。
感謝しなくてはと思った。

さて、前々から書こうと思っていたのだが、
私は、うちのひな人形を箱から出すとき、いつも、
山岸凉子さんの三十年くらい前の漫画『ゆうれい談』を
思い出さずにいられない。

物語は、山岸先生が実際に体験なさった心霊現象が中心で、
何種類か、怖い話や幽霊目撃談などが収録されているのだが、
その中で、山岸先生が九州にお出かけになったとき、
たまたま宿泊先となった友人宅で、夜中に目覚めると枕元に、
『手ぬぐいを顔に巻きつけて、じっと座っているモノ』が見えた
というのがあるのだ。

それは普通の大人くらいの大きさだったようなのだが、
まともな人間が、深夜、自分の顔に布などをぐるりと巻いて
人様の枕元にただ黙って座っているわけがないから、
山岸先生の恐怖は、察するにあまりある(汗)。
漫画によると、それが何であったのか、
どういう理由で出現したのか、詳しいことは不明で、
ほとんど一瞬でその姿は消えていたということだった。

私は、どうもこれが、ひな人形、
それも、男雛のほうだったのではないか、という気がする。
勿論、その『ゆうれい談』で描かれているモノは、
もっと右手を上まであげて、どこかを指さすようなポーズで、
しかも顔に巻いていたのは、豆絞りの手ぬぐいだったようなので、
厳密にいうと、うちのおひな様とそっくり同じではない。

でも私は、毎年、箱の中の、一年ぶりのお内裏様を見るたびに、
『アレって、こんな感じじゃなかったのかなあ?』
と思ってしまうのだ。
おひな様を片付けるとき、顔の部分に柔らかい紙を巻いて保護し、
ずれないようにお人形の後頭部あたりで端をひねって固定する。
それは、人の顔に手ぬぐいを巻いて後ろで縛った姿にとても似ている。
人形の面紙が古くなり、たくさん紙魚(しみ)がついたりすれば、
もしかして豆絞りの模様に見えることもあるのでは、とか。
シャクを持たない時、男雛の右手はただ緩やかに上がっているから、
下から見上げると、虚空を指しているような感じではないか、とか。

『山岸先生の枕辺にいたのは、その家に古くからあった、
ひな人形か何かの霊魂ではなかったか?』
『それはもしかしたら、長い間かえりみられていない等と、
苦情を言いたくて、出たのではないか?』
などなどと、私は勝手に想像してみるのだが、違うかな。

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共学というものを強く推す『共学信者』と呼ばれる方々があって、
「世の中は男女両方のバランスで成り立っているのだから、
男子女子一緒に、共学で過ごすべきであって、別学は不自然」
という言い方をされることが、よくあるのだが、
共学育ちのひとりである私の感覚では、
男女の比率がほぼ半々などというのは学校しかなく、
むしろ、あれこそかなり「不自然」な環境であったと思われる。
「良い」または「悪い」とは、私は一概には言わないけれども。

私が就職した最初の職場は圧倒的に男性の多いところで、
部屋で女は私ひとり、みたいな状態を何年も経験した。
次の仕事では今度は女性が大半で、
男性は管理職の一部にいるだけだった。
そして結婚して社宅(官舎)や地域のつきあいになると、
専業兼業を問わず知り合うのは完全に主婦が主体になり、
子供会や学校関係の仕事や交際も勿論そうだった。

つまり、社会人になってからの私にとっては、
「同性ばかりの中でいかに仲良くやるか」
が課題である期間が長く、そうでなかった何年間かは、
逆に、「男の中で自分ひとり女」という状況で、
いかに周囲に迷惑をかけないか・気を遣わせないか、が大事だった。
男女ほぼ半々などというのは学校くらいのもので、
世の中の実態は、女子校か男子校に準ずる環境がほとんどだった、
というのが、私個人の経験による、今の、正直な感想だ。

だから、せめて学校時代は共学という珍しい経験してみるべきなのか、
若い頃から同性ばかりの中での過ごし方に熟達しておくのが得策なのか、
そこは意見の分かれるところだと思う。
また、上に述べた経験は私だけのものであって、もしかすると、
多くの方は、一生を通じて、男女ほぼ半々の環境で生活なさるのが当然、
ということも考えられなくはないので、そういう場合は、話は逆で、
せめて学校時代は別学という珍しい経験してみるべきなのか、
若い頃から同性異性入り交じった過ごし方に熟達しておくのが得策なのか、
どちらの考え方をするかは、これまた、意見の分かれるところだと思う。

ところで、私自身は共学で過ごし、普通に楽しかったので、
最初は、娘にも漠然と共学に行かせるイメージがあったが、
縁あって私立女子中学に入り、それはそれでいいなと思うようになった。
ということで我が家では、娘は今まさに女子校在学中、
そして主人のほうは男子校出身者だ。
異性のいない環境はどうであったかと主人に尋ねると、
「おってもおらんでも同じや(--#)。ええ思いできるのは一握りじゃ」
というミもフタもない結論だった。
それは確かにそうだ。男女きっちり同数ずついても、
人数を2で割った数のカップルが出来るわけじゃないし、
それどころか、特定の異性にだけ人が群がるのだからな。

一方、娘は共学だった小学校を終えて、これで約一年間、
女子だけの中学に通ってみたわけだが、
本人は、「女子だけである」ということに、
未だ、気づいていないようなフシがある。
娘は小学校時代から、男女どちらとでも同じように遊んで来たからだ。
だいたいが、男女入り乱れて騎馬戦や組体操をして育った連中である。
共学にいながら、というべきか、共学にいたせいで、というべきか、
彼らは男女の区別があることを学習する機会が、全然なかったのだ。

娘は今も、小学校のときいちばん仲の良かった友人たちと
メル友をしているのだが、その中には男の子もいる。
しかし娘がチラと見せてくれた携帯によると、彼らの話は、

男『今、おばーちゃんちに行くところ♪さっきA中の前を通った』
娘『そうなん?今度遊ぼうね』
男『うん。じゃんじゃんメールするね。今ハマってるものある?』
娘『ケロロ軍曹。宇宙人が来る話で、面白いよ』
男『僕は、のだめ。コミックスを揃えているところだよ』

同性同士のメールと、全然変わらないのだった(--#)。
娘はバレンタインのことも、全く念頭にない様子である。

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