転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



久々に実家の母が電話をしてきた。

母「週末から、特に何もしてへんのに急に両膝が痛なって」
私「そーですか。そりゃまた、どうしたんでしょうね」
母「わからへん。まあ動かんかったら、痛ぁないねんけどね」

人間、80歳にもなれば関節のひとつやふたつ、痛いこともあるだろう。

母「せやから月曜日に○○整形外科へ行ってみたのやけど。
 レントゲンを撮ったら、骨と骨の間隔が狭くなってて老化やと。
 膝に水も溜まってて、抜いてもうたけど、でも水は綺麗し、
 特に心配なものではないと、先生は言うてはった。
 血液検査もして貰うたけど、何もなくて、炎症反応も出てないて。
 クレアチニンと尿酸が、ほんのちょっと基準値オーバーて言われたけど」

なら、まあ、とりあえず良かったではないか。
痛いのは気の毒ではあるが、関節痛が急にウソのようになおる、
などということは期待できないから、こればかりは養生するしかない。
・・・・・・と思ったが、母の話は、終わらなかった。

母「でね、それからずっと考えてたんやけど、
 ほら、私、年末に長いこと風邪ひいてたやないの?咽頭炎になって」
私「そうだったね。声はすっかり良いようだけど、まだ咳でるの?」
母「いやいや、それはなおったのやけどね。
 あの、なんやったかいね、咽頭炎のあと、関節痛になって、
 心臓に来る、いう病気があったやないね」
私「まさかと思うが、リウマチ熱のことか・・・」
母「それ!!」

リウマチ熱は、幼稚園から学童くらいの子供の病気かと
私は勝手に思っていたが、80歳目前にして初発のリウマチ熱、
というのが、今時、あるものなのか???

母「このあと心臓弁膜症になったらえらいことやん。
 きょうはこれから、循環器内科に行って来ますわ」

お気を付けて行ってらして下さい<(_ _)>。
風邪と変形性膝関節症を関連づけて眠れなくなる母と、
脚がつったら下肢静脈瘤だと思うワタクシとは、
明らかに親子であると、思い知った午後だった。


追記:さきほど、母からメールが来た。
『循環器の○○先生は、それはリウマチ熱ではなく
「寒いからです」という診断でした』

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算命学のほうでは、私は今年の立春から、
二年間続く「天中殺」に入った。
天中殺の期間は、天と地の自然の恵みが得られないとかで、
新しいことを開始してみても、長続きしないものだそうだ。
例えば一般的に、新たに起業する、家を新築する、結婚する、
などの行為は、この二年間はすべきでないらしい
(だがこれについては諸説ある。他の星回りとの絡みもあるし、
天中殺のときにしかできない就職や縁組みなどもあり、
素人はあまりこういうことに拘りすぎる必要はないとのことだ)。

何にしても、天中殺とは決して「悪いことばかりが起こる」時期ではなく、
自分の内面を肥やし、将来に向けての準備期間とするには最適で、
「勉強する」ことが最大の力を発揮する二年間でもあるそうだ。
動きのある運勢のときに、腰を落ち着けて学ぼうと考えても困難で、
天中殺は天中殺なりに、向いた過ごし方というものがあるわけだ。
では、私は、何を勉強すれば、良いかな?
何か先日来「コレが読めたらなあ」と思うことの多かったスペイン語、
・・・いや、ここはひとつ、長年の課題であるクロアチア語か。
これは、しかし、別に「将来のための勉強」でもなんでもなくて、
結局は、単なる「今年の道楽」に過ぎないような、気も(汗)。

ところで、私の話のあとで甚だ恐縮なのだが、
某宝塚系掲示板に書いてあった話によると、
たかこ(和央ようか)さんは今年から大殺界だということだった。
大殺界は、細木数子さんの六星占術に出て来る用語だが、
これと、算命学のほうの天中殺はだいたい一致している。
たかこさんが大殺界に入ったというのが正しいならば、
事務所の立ち上げや未経験のジャンルである映画初主演など、
たかこさんにとっての新しい動きが昨年までに終わっていたのは、
とても良かったということだろう。
今年は、舞台育ちの彼女にとって『CHICAGO』が新たな勉強の場となり、
将来に繋がるステップとなりますようにと、ファンとしては、願う。

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行けるかどうかは例によって全然わからないのだが、
これから観たい・聞きたいものは、以下の通り。

・4月30日~5月8日 東京芸術劇場
小倉久寛『踊る!職業不安定所』
SET(スーパーエキセントリック・シアター)の小倉さんが、
入団30年を目前にして初の『独り立ち公演』を行うという!
長い間オグちゃんは私の理想の男性で、
若い頃の私はもしオグちゃんみたいな男性が現れたら
私から申し込んで結婚して貰おうと思っていたくらいだった。
今はさすがに転妻になったので、そういう夢は持っていないが、
舞台のオグちゃんには相変わらず心からトキメくことができると思う。
オグちゃんはダンスも巧いし、歌だって最高だ。
彼ほど芸達者な人は滅多にいないと思う。
出てきただけで客が笑うので『負けた』と思った、
と三宅裕司に言わしめたヒトである!

・5月3日~5日 石川県立音楽堂・金沢市アートホール
ラ・フォル・ジュルネ金沢
拙サイトBBSで、某様に教えて頂いた情報だ。
ベートーヴェンと仲間たち、というテーマで、
金沢において『熱狂の日』音楽祭2008が催される。
私はベートーヴェンが大好きなので、
これだけたくさんのベートーヴェン作品による演奏会が並んでいると
目の前に食べきれないご馳走を並べられたみたいな気分だ。
金沢には長い間行っていないのだが、ここはひとつ、
早いとこ予定を決めて聞きに行ければ・・・と最近、思案している。
連休なのと、上に書いたオグちゃんとの絡みとで、
うまいこと手配すれば行くことが可能なのではあるまいか?
「旅行に行こうか、行くまいか、と考えると、連休はスリルがあります」
と仰ったのは、ワタクシの大学のときのセンセイだったが・・・・・。

・5月19日 福岡シンフォニーホール
ブルーノ=レオナルド・ゲルバー ピアノ・リサイタル
上にも書いたが、私はもともとベートーヴェンが好きなので、
ゲルバーは贔屓のピアニストのひとりなのだが、
確か99年に、神戸に住んでいた頃、大阪での彼の演奏会に行ったら、
ベートーヴェンが全然入っていないプログラムで
アテがはずれてガックリ来たことがあった。
しかし、聴いてみたらこれが、ガックリどころか大当たりで、
ゲルバーは実に多彩なピアニストだと再認識した次第だった。
一昨年のツィメルマンを聴いたときにも思ったが、
何を弾いても超一流、という演奏家が世の中には居るものなのだ。
今回はオール・ベートーヴェンの真っ向勝負のようなので、
ファンとして実に嬉しいが、もしプログラムが変更になっても、
ゲルバーが弾くのならどんな席ででも聴かせて貰いたいと思っている。


追記:とっても先の予定
2009年1月に、ピアニストのバレンティーナ・リシッツァが、
ヴァイオリンのヒラリー・ハーンと組んで来日する、
ということを、きょう知った。
http://www.valentinalisitsa.com/tours.php
これは是非是非、聞きに行きたいものだ。
リシッツァこそ南斗・最後の将、と私はかねて心酔している。

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この週末、主人がひどい風邪をひいていて
発熱・倦怠感・咳・鼻水でヨレヨレになっている。
朝は少し良いようでも、晩になると熱が上がってくるので、
それはインフルエンザじゃあるまいかと私は思うのだが、
「熱が38度まではないから、違う」
と本人は言い張り、医者に行こうとしない。
そして娘も、熱はないものの金曜から咽喉が痛いと言っている。

思い返せば、昨年もこの時期、家族で風邪をひいていた記憶がある。
しかも、順序は主人・娘→私、だった。

ふたりの風邪が、このあと私に来るのも時間の問題かっ

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・地球型惑星
太陽系と似た惑星群発見-名大など(時事通信)
恒星は無限にあるのだから、太陽系と似た惑星系が存在することも、
確率的には充分に考えられるし、地球みたいな星だってあると思う。
しかし5000光年の距離ということは、我々が見ているのは5000年前の
その惑星系の姿であり、今どうなっているのかは謎だということだ。
ときに、私は以前から、岩崎賀都彰氏の描かれる天体画が好きで、
木星探査機ガリレオや、土星探査機カッシーニなどの調査資料から
新たに得られた情報を加えて、どんな作品が制作されるかと
楽しみにしていたのだが、あまりお見かけしないようで残念だ。
この方が、80年代初期の御著書の中で、
『火星の有人探査は1995年頃に実現することになるだろうが』
とお書きになっていたことを、ときどき、思い出したりしている。
あの頃は、プロの岩崎氏がそう判断なさるような情勢だったのだなと。

・火星人
その火星、人間が行くという話は近頃は全くなくなってしまったが、
無人探査のほうはいろいろと成果が上がっているようだ。
Bigfoot on Mars? NASA captures alien figure(Telegraph)
火星探査車スピリットが撮影したパノラマ写真の一部に、
火星人みたいなものが映っていると話題になっている。
半裸の、小さいヒトが、腕時計を見ている(爆)。
地球の極地方と同等か、もっと寒いくらいの気温で、気圧も低いのに、
こんな格好で暮らせるなんて、丈夫なヒトなんだと思った。
そういえば以前にも、火星に「人面岩」ってありましたよね~~

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頭のいい子に育てたいなら子供部屋は“和室”にしろ(日刊ゲンダイ)

北九州市立大の森田洋准教授(生物資源工学)の研究で
イグサに含まれているフィトンチッドやバニリンなどの
香りの成分が、子どもの集中力アップに
効果があると分かったそうだ。

それを言うなら、和室しかないオンボロ官舎は、
子供部屋どころか台所以外の全部が和室だった。羨ましいか?
あれは実は、子供達の成績アップには最適な環境だったのか?

大抵の官舎は築20~30年で、洋間がないし部屋数もないから、
子供が小学校に入学しても勉強机を買ってやっていない、
という家庭が、私たちのいた宿舎では結構あった。
うちも、娘が小学校5年生になるまで、勉強机は無かった。
家族でダラダラと、一部屋の「インテリアこたつ」で
モノを食べたり宿題したりとメリハリなく過ごし、
晩にはそれを壁際にあげて、布団を敷いて寝ていたのだ。

それで成績アップしたのか。
アップしてアレだったのか(爆)。


未だに官舎を思い出すとエキサイトできるアタシってどうよ

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『茶々』の感想をUPしようとするとブログが白紙になる事態が二度続き、
とうとう、書かないうちに『CHICAGO』が来てしまった。

映画を見終わった直後のようなテンションではもう書けないが、
要するに私が『茶々』で印象に残ったことは、

・たかこ(和央ようか)さんの、良い意味での、表情の硬さ
・映画の、前半と後半での、私側のテンションの差
・少女時代から大人であることを強いられた茶々が、
 最後に辿り着いたのは、母親の腕の中だったというラスト

の三点だった。

たかこさんという人は、飽くまで私の観察の中ではだが、
男役だった頃から、表情の硬い人だった。
もちろん、舞台での感情表現は充分にあったのだが、
それでも、私が宝塚のほかの生徒さんから感じていたような、
情感の豊かさとか熱さ、細やかさなどが、
たかこさんからはあまり感じられなかった。
そのことを、『茶々』を見ていて改めて思い出したのだ。

でも今回に関しては、その表情の硬さが、逆に茶々姫には
似合っていたと思ったし、私にはなかなか面白かった。
子役の茶々から既にそれは始まっていて、
茶々は娘時代から、何を見ても、キっと口許を結んで、
表情を動かさない子供だった。
二度の落城や両親の死、不条理な戦を目の当たりにして育った茶々は、
心を閉ざした娘に成長したのも無理からぬことと思われた。

幼かったぶんだけ、おはつや小督は、弱くはあったが、
一方で茶々ほどには、情緒的な世界を損なわれることがなかった。
「姉様」だけが「鬼」になった理由は、
茶々が最初から、浅井家の長姉としての立場を理解していたことや、
落城のとき既に茶々が思春期であったことだったと、見ていて思った。

そうした茶々の前半生、およそ秀吉が亡くなるあたりまでは、
観客としての私はかなり楽しめた。
「た、たかこさんが、時代劇に~~~!!」
というファンゆえの根本的な動揺はあったが(爆)、
映画前半の茶々は、ひとりの少女が秀吉の側室となり、
女の才覚だけで生きていかなければならなかった過程が、
私には、茶々の硬い表情と相まって、新鮮なものに思えた。

初めて聚楽第に到着したとき、門から茶々が、供の者も連れずに
ただゆっくりと自分の足取りで歩いて城内に入っていく様は、
これから少女時代に別れを告げ、秀吉の側室のひとりとして、
たったひとりで人生に立ち向かって行かねばならないことの
象徴のように思われた。
彼女の前には文字通り大きな扉が開かれたのだ。

茶々はもはや、そのようなことにひるむ感傷は持たなかった。
大切だった人々がある日たやすく死んでしまう日常、
信じていたものが一瞬で瓦解する日々を、
彼女は既にいやというほど体験していたからだ。
無表情なまでの茶々に、大らかな愛情で接した秀吉は、
やがて、彼女の素直な表情を引きだすようになり、
茶々は秀吉に対して、次第に微笑みを見せ始め、
秀吉の晩年には母性さえ発揮するようになる。
ここまでの茶々は、私の目にはひとりの女性の前半生として、
とても面白く映った。

だが後半、一転して茶々が、鎧を身につけ、馬を駆って、
家康との会見に現れたところで、私のテンションは一気に下がった。
男役のファンとして、彼女の良さがこうした颯爽とした姿にある、
ということはよくよくわかるのだが、
少なくとも私は、この流れで見たい展開ではなかった。
飽くまで脚本・演出に対する違和感なのだが、
なんとかして、元・男役を起用したからこその場面を成功させたい、
という意図かサービスかわからないが、そのようなものが感じられ、
私には前半の物語と咬み合わない、異質なものに見えてしまった。

ただ、たかこさんのは面白い演じ方だったとは思った。
私は昔、彼女の舞台姿を見て「男役でなくて男装芸」と不満だったが、
今回の乗馬姿は、それらとはまた違う、「女優の男装」だった。
あれは男のような鎧を懸命に着た茶々であり、女性であったと思った。
「女性が、男性の格好をする」という設定でも、
これだけいろいろと、演技的方法があったということ、
それを、男役時代から通じて、グラデーションみたいに
ひとりの役者から見せて貰えたことが私には本当に興味深かった。

さて、和央ようか、といえば「宝塚一のマザコン役者」、
と私は以前からずっと思っていて、
『ファントム』のエリックがその最たるものだったが、
ほかにも『嵐が丘』のヒースとか、『エリザベート』のフランツとか、
隠し味的には『ホテルステラマリス』のビルとか、
とにかく、「ママへの、一筋縄でいかない思い」を演じさせたら、
たかこさんの右に出るものはなかろう、と私は前々から感じていた。

幼い頃から、強い表情の下にすべてを隠してきた茶々が、
人生の最後に見たものは、これまでに愛した人たちの姿で、
時をさかのぼりながら、ひとりひとり、懐かしい人の姿を追い、
最後に彼女が自分からその名を呼んだ相手は、母親だった。
女としての茶々が愛した秀吉でもなく、命がけで守った秀頼でもなく、
茶々は、自分を抱きしめてくれる温かい母親こそを最後に求めたのだ。
お市の方が、娘達に命を託して自害したことに無言でならい、
茶々もまた、妻として母としての人生を全うしたのだということが、
最後に、感じられた。

そこまでの硬い表情とは正反対に、茶々は、
お市に抱かれて初めて子供のように泣くのだった。
少女時代から通して、そのような茶々の表情はここだけだった。

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和央ようかブロードウェーデビュー!「CHICAGO」主演決定(サンスポ)
『【ニューヨーク12日(日本時間13日)=箱崎宏子】宝塚歌劇団元宙組トップスターの女優、和央ようか(39)が“ブロードウェーデビュー”を飾った。10月に東京・赤坂ACTシアターで開幕するミュージカル「CHICAGO」にヴェルマ・ケリー役で主演することが決まり、現地公演のカーテンコールに登場した。日本人キャストが本場の舞台で紹介されるのは史上初。一昨年の退団後、初のミュージカルに挑む和央は「(本場に)負けないよう頑張ります」と成功を誓った。』

東映の時代劇のあとに、ブロードウェイ・ミュージカルとは、
本当に、退団したからこその面白さだと思った。

それにしても、改めて、たかこさんの背の高さにビックリ(殴)。

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昨日、今日と、娘のチョコレートづくりを手伝わされた。
私は、お菓子作りの趣味なんか全くないというのに。

来年は、傾向と対策について、もっとよく考えなくてはならない。


<追記>:2月15日夜
娘は結局、用意した7人以外にも、何人もの人から貰ってしまい、
14日の晩、家に帰ってからまたまたチョコ作りを再開し、
私はこれで、三夜に渡り、チョコを刻んだり、湯煎にしたり、
くるくる混ぜたり、ハート型に流し込んだり、ヘリを切り落としたり、
ラップで包んで丸めたり、パウダーをはたいたりさせられた。
テンパリングもトッピングもラッピングも、ワケわからんまま、した。
何度も言うが、私はガサツであり、お菓子作りなど向かない人間だ。
A中は普段はお菓子など持ってくることは完全に禁止だが、
バレンタインだけは、先生方も片目をつぶって下さるようで、ただ、
「学校では決して食べてはいけませんよ」
とご注意があったそうだ。
A中ではバレンタインとは、つまり仲良し同士のチョコレート交換の日だ。
ということで、今、我が家には、貰った可愛いチョコやクッキーが山ほど、
ハッキリ申しましてそれはクリスマスより豪華な様でございます。
お友達の皆様、ありがとうございました<(_ _)>。

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・きょうは歯科に行った。前の受診が11月で、
三ヶ月ごとの検診案内が来ていたので、出かけた。
歯石はほとんどなかったそうだが、全体を掃除して貰った。
今月はこれで、8日に耳鼻咽喉科、10日に眼科に行ったので、
歯科も済んで、顔面についている部位の検診は終わった。
「医者に行き始めると、くせになる」
と仰っていたのは五木寛之氏だったと思うが、
蓋(けだ)し、名言。

・主人の腰痛は週末の間かなり深刻だったが、
きょうは鎮痛剤を飲み、コルセットを巻いて、出勤した。
前に整形で買ったコルセットが、ちゃんと残っていたのだ。
腰が痛いと、コタツでパソコンをする姿勢は辛いと言って、
主人は、娘が宿題をするのに使っていたダイニングテーブルを
自分の仕事場として占領してしまった。
それで、空いたコタツを娘が取った。
ほとんど同じ顔のふたりが、入れ替わった(爆)。

・娘達の「友チョコ配り」は大変に華やかだ。
娘は14日に渡そうと思っていたらしいが、きょうから始まって、
お友達が色とりどりの綺麗なチョコレートやクッキーをくれた。
ざっと数えただけで7人に渡さなくてはならないそうで、
娘は今夜、遅くなっても頑張ってつくると言っている。
私は長年、共学に居たのに、バレンタインの思い出なんかない。
高校のとき部活の後輩の女子から貰ったことはあったけど(泣)。

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