共学というものを強く推す『共学信者』と呼ばれる方々があって、
「世の中は男女両方のバランスで成り立っているのだから、
男子女子一緒に、共学で過ごすべきであって、別学は不自然」
という言い方をされることが、よくあるのだが、
共学育ちのひとりである私の感覚では、
男女の比率がほぼ半々などというのは学校しかなく、
むしろ、あれこそかなり「不自然」な環境であったと思われる。
「良い」または「悪い」とは、私は一概には言わないけれども。
私が就職した最初の職場は圧倒的に男性の多いところで、
部屋で女は私ひとり、みたいな状態を何年も経験した。
次の仕事では今度は女性が大半で、
男性は管理職の一部にいるだけだった。
そして結婚して社宅(官舎)や地域のつきあいになると、
専業兼業を問わず知り合うのは完全に主婦が主体になり、
子供会や学校関係の仕事や交際も勿論そうだった。
つまり、社会人になってからの私にとっては、
「同性ばかりの中でいかに仲良くやるか」
が課題である期間が長く、そうでなかった何年間かは、
逆に、「男の中で自分ひとり女」という状況で、
いかに周囲に迷惑をかけないか・気を遣わせないか、が大事だった。
男女ほぼ半々などというのは学校くらいのもので、
世の中の実態は、女子校か男子校に準ずる環境がほとんどだった、
というのが、私個人の経験による、今の、正直な感想だ。
だから、せめて学校時代は共学という珍しい経験してみるべきなのか、
若い頃から同性ばかりの中での過ごし方に熟達しておくのが得策なのか、
そこは意見の分かれるところだと思う。
また、上に述べた経験は私だけのものであって、もしかすると、
多くの方は、一生を通じて、男女ほぼ半々の環境で生活なさるのが当然、
ということも考えられなくはないので、そういう場合は、話は逆で、
せめて学校時代は別学という珍しい経験してみるべきなのか、
若い頃から同性異性入り交じった過ごし方に熟達しておくのが得策なのか、
どちらの考え方をするかは、これまた、意見の分かれるところだと思う。
ところで、私自身は共学で過ごし、普通に楽しかったので、
最初は、娘にも漠然と共学に行かせるイメージがあったが、
縁あって私立女子中学に入り、それはそれでいいなと思うようになった。
ということで我が家では、娘は今まさに女子校在学中、
そして主人のほうは男子校出身者だ。
異性のいない環境はどうであったかと主人に尋ねると、
「おってもおらんでも同じや(--#)。ええ思いできるのは一握りじゃ」
というミもフタもない結論だった。
それは確かにそうだ。男女きっちり同数ずついても、
人数を2で割った数のカップルが出来るわけじゃないし、
それどころか、特定の異性にだけ人が群がるのだからな。
一方、娘は共学だった小学校を終えて、これで約一年間、
女子だけの中学に通ってみたわけだが、
本人は、「女子だけである」ということに、
未だ、気づいていないようなフシがある。
娘は小学校時代から、男女どちらとでも同じように遊んで来たからだ。
だいたいが、男女入り乱れて騎馬戦や組体操をして育った連中である。
共学にいながら、というべきか、共学にいたせいで、というべきか、
彼らは男女の区別があることを学習する機会が、全然なかったのだ。
娘は今も、小学校のときいちばん仲の良かった友人たちと
メル友をしているのだが、その中には男の子もいる。
しかし娘がチラと見せてくれた携帯によると、彼らの話は、
男『今、おばーちゃんちに行くところ♪さっきA中の前を通った』
娘『そうなん?今度遊ぼうね』
男『うん。じゃんじゃんメールするね。今ハマってるものある?』
娘『ケロロ軍曹。宇宙人が来る話で、面白いよ』
男『僕は、のだめ。コミックスを揃えているところだよ』
同性同士のメールと、全然変わらないのだった(--#)。
娘はバレンタインのことも、全く念頭にない様子である。
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