転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



午前中にA中の三者懇談があったので、
美術部活動中の娘と学校で合流し
一緒に教室で先生にお目にかかった。

数学のデキナさを見て私はゼツボー的な気分になったが
全体としては、平均前後の成績が取れた科目が多く、
「あひる」は居ても「えんとつ」は出現しなかったので、
特別なお叱りはなかった。

娘は自己主張の強いタイプではないのだが、
同じ「にほひ」のするお友達の輪も自然に出来て、
順調な一学期だったと先生は仰って下さった。
それから、時間のある中学生の間に、特に夏休みには、
「文学作品」といわれるものを意識的に読んでご覧なさい、
というご注意も頂いた
(「青い鳥文庫」ばかり読みふけるのではなく!)。

大目玉を食らわなかったこと・補習に呼ばれなかったことで、
娘は大いに気を良くし、帰宅してから美術部のお友達と電話で喋り、
明日はふたりで映画を見に行くと決めた。
午後から学校の近所で待ち合わせをするそうだ。

「へんっ。もう友達と行くんよ。ワシとは行ってくれんのよ」
と主人が、たいしたイジけようだった。

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「73人合格」実は受験生1人、大阪の私立高が実績水増し
「大阪市住吉区の私立大阪学芸高校(近藤永校長、生徒数約1500人)が2006年度の大学入試で、成績が優秀だった1人の男子生徒に志望と関係のない学部・学科を多数受験させ、合格実績を事実上水増ししていたことがわかった。』『関西の有名4私立大(関西大、関西学院大、同志社大、立命館大)の計73学部・学科に出願しすべて合格。受験料計約130万円は同校が全額負担していた。大学入試センター試験の結果だけを利用して合否を判定する入試制度を利用したもので、合格発表後、生徒側に激励金名目で5万円と、数万円相当の腕時計を贈っていた。文部科学省は事実関係を調査する方針。』

高校側が実績作りのために、受験料を負担してまで、
受験生の意志と無関係に多数の大学を受験させていたこと、
更に激励金の5万円だとか腕時計だとかを贈っていたこと、
・・・という事情があったから「水増し」と言われるのであって、
「ひとりで73コの合格をしたこと」そのものは、
別段、違法でもなんでもないと思う。

73学部・学科という数の多さは、ひとえに、
センター試験の点数だけで判定される方式だからこそできたことだが、
本質的に、合格実績というものが「のべ人数」の話であることは、
どんな高校だって変わらない。
ある受験生が、入学しない大学をあちこち受けて全部合格したために、
本当にそこに入りたかった受験生が、はじき出されてしまった、
という現象だって、多くの大学で普通に起こっていることだ。

しかし、それにしても、ある種の報道に関して、
私がいつも知りたいと思うのは、
『どうしてバレたんだろう?』ということだ。
学校側は当然、内密にしていたのだし、
受験生やその保護者だって、貰うものを貰っておいて人に触れ回る、
というのは、常識的に考えにくい。
高校の偏差値ランキングに詳しい塾・予備校関係者なら、
「えらく実績を伸ばしたな」程度のことは感じるかもしれないが、
外部からは、そうそう、うかつなことは言えないのではなかろうか。

「うちの学校に、デキるヤツ、そんなにぎょうさん、おったか!?
信じられへん、こりゃ印刷の間違いや、訂正せな!!」
と、卒業生か在学生の誰かが真剣に疑問に思ったのが発端か・・・。

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このところ体調不良だったので、ごろごろして、
『ガラスの仮面』を改めて流し読みしてみた。
もう何度も読んだ作品で、台詞で遊べるくらい熟知しているのだが、
我ながら不思議なことに、今回何よりも痛切に感じたのは、
マヤの天才的な演技でもなく、月影先生の発作のタイミングの見事さでもなく、
どこの楽屋裏にでも「そうかしら?」と登場する亜弓さんの神出鬼没さでもなく、
・・・"劇団オンディーヌ小野寺理事長の頭の悪さ"だった(爆)。

「マヤ・・・。恐ろしい子」
「あの子を甘く見るとひどいめにあいますわよ」
と姫川亜弓から40巻を通じて言われ続けてきたのに、
アホの小野寺は毎回、
「ま、まさか・・・!」
「亜弓くん・・・!!」
などと、今初めて聴いたかのように青ざめていて、
通して読むと、その回数の多さに私は本気で驚かされた。

マヤが天才だっつー話は、亜弓さんが中学生の頃から言い続けていて、
小野寺本人だって、マヤの起こした奇跡の現場に
過去40余巻に渡って、幾度となく居合わせて来たというのに、
三歩歩いては忘れて指摘され、その都度「う・・・っ!」となって、
ほんとに、性懲りもない、というのはこの男のためにある言葉だ。

私は、この作品に関して何を忘れても、
小野寺の頭の不自由さだけは、一生忘れないだろうと今回思った。
小野寺のバカは、マヤの天才よりも明白だ。
どうしてこの程度の男が、劇団オンディーヌの理事長だったり、
日本の演劇界で相当な発言力を持ち続けていられたり、
「紅天女」の演出家候補になったりできるのか不思議でならない。
小野寺の覚えられなさ加減は異常。
演出の才能以前に、これじゃ社会生活そのものが無理では?

ちなみに、亜弓さんのほうは、北島マヤの才能を最初期に見抜き、
以来、ほとんど、かたときも忘れたことはなかった。
彼女こそ、最も早くからマヤの本質に気づいた人だった。
彼女は語彙が豊富であり、その表現は徹底的だ。

「マヤ・・・!道ばたの雑草のように 地味で目立たない
なんの取り柄もない つまらない 平凡な子なのに」

ああ~、亜弓さま、何もそこまで仰らなくても(^_^;。

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主人は今朝、初めて咳き込まずに眠れたと言って、
最近ではいちばん良い機嫌で出勤した。
娘は、ややダルいものの、ほぼ、元気そうになり、
こちらも、夏期休暇中の美術部の部活に行った。

私は、左扁桃の鈍い痛みがハッキリして来たし、
鏡で覗いてみると白い膿栓も見えるので、
やはり、体調不良の主な理由は扁桃炎だったらしいことがわかった。
自己判断だったが、クラビットの服用は正しかったようだ。

それと、私自身の倦怠感や微熱は、もしかしたら、
日曜日から服用を始めた低用量ピルのせいかもしれない、
ということも、昨夜、思いついた。
内膜症治療のために、低用量ピルを婦人科から処方されていて、
この日曜日から飲み始めたのだが、ここ数日の体調を見ると、
どうも、これを飲んで5時間くらい経ったときが、
最もだるく、気分不良になっているような気がするのだ。

そういえば、ピルでエストロゲンが活性化したため、
免疫力が上がり、扁桃炎も悪化した、・・・なんてことは、ないかな。
扁桃炎は要するに、細菌に対して扁桃組織が闘っている状態だからして。
「慢性扁桃炎が更年期以降、すっかり下火になった」
という体験談を、以前、ネットで読んだことがあったのだけど、
それなら、私の場合、リュープリン治療で閉経状態にしていた間には、
あまり出なかった扁桃炎が、低用量ピルに変えたら再燃して来た、
なんてことはありませんよねやはり。失礼しました。

以前、ホルモン量の多い、中用量ピルを服用したことがあって
あのときも、だるくて眠くて困ったものだった。
喉元過ぎればナントカで、今はほとんど忘れてしまったが、
日記を見ると、飲むのをやめたいという主旨のことが書いてあるので
当時は、自分なりに耐え難い気分だったのだろうと思う。

低用量ピル服用時の不快症状については、
多くは一過性で、飲み続けることで解消できるとわかっているので、
特に今の状態に関しては不満はないのだが、
ただ、一部の抗生剤はピルの作用を減じるので、
扁桃炎治療との兼ね合いが、今後は少し不安だ。
この件もいずれ、婦人科または耳鼻科に行って訊いてこなくては。

しかし、それにしても、私の場合、
きちんと検診を受けているときに限って体調が悪くなる気がする。
先日来、婦人科でがん検診を受け、エコーで詳細に診て頂き、
さらに、内科で血液検査もして、全項目、異常なしと言われ、
次に眼科で眼底検査や眼圧測定もして、これも心配ないとのことで、
昨今の私にしては優等生的な検診ライフを過ごしていたのに、
このところ、予想外に、あちこち具合がおかしくなってしまった(^_^;。

日本には健康診断に関する長期的な追跡調査はないらしいが、
海外では、成人を無作為に抽出して2グループに分け、
定期的に健康診断を受け医師から細かく指導される「介入群」と、
普段は検診など全く受けず、病気のときだけ医者にかかる「放置群」とで
その後の平均余命や死因などを調べて統計を取ったものがあって、
それによると、複数の調査で「放置群」のほうが長生きと出たそうだ(爆)。
それで、「健康診断は(害はなくとも)寿命を延ばすことに貢献しない」
という結論が出され、人間ドックなどは欧米には無いとのことだ。

私の、婦人科の主治医などは、
「長生きしたいなら、できるだけ健康診断など受けないように」
と平気で言い放っておいでだ(爆)。

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主人の夏風邪だが、まだ微熱と上気道炎の症状がとれない。
咽喉の痛み・咳・鼻炎、それに37度4分くらいの熱があって、
一応、抗生剤と咳止め、解熱鎮痛剤など貰って飲んでいるのだが、
なかなか改善して来ない。
どちみち、ウィルス感染には薬は効かないのだし、
発病して四日目だから、もう少し様子を見ないと駄目か。
今のところ、主人がいちばん、風邪らしい状態だ。

娘は、なんだかハッキリしなくて、
昨夜は寝る前にも頭痛がすると言って、
再度、アセトアミノフェンを飲んで寝た。
今朝は、咽喉が乾いて痛い感じと、倦怠感とを訴えていたが、
頭痛はおさまっていたし、きょうは終業式で午前中だけだから、
とにかく普通に学校に行った。

私は、昨日は午後から半日、だるかったが、
慢性扁桃炎用に耳鼻科で貰っているクラビットを飲んで寝たら、
今朝は、割と気分よく起きられた。
今のところ熱もないような感じがする。
が、なんとなくだるいのと、咽頭炎の感じは、まだ残っているので、
クラビットがなくなってもなおらなかったら、受診しなくては。

三人三様に、重症感はないものの、どうも夏風邪っぽいので、
この週末に予定していた、姑の外泊はキャンセルすることにした。
我々三人に関しては、舅宅に帰って帰れないことはないが、
姑にまで微熱とか咳とかがうつってしまってはいけないし、
T園に感染症を持ち帰ることになっては、もっと困る。
お盆の法要も兼ねて、8月上旬にも外泊を予定しているので、
おばーちゃん孝行は、そのときにまとめてさせて頂きます。
おじーちゃん・おばーちゃん、ごめんなさい。

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主人が風邪で発熱していたのだが、それがうつったのか、
私もきょうの午後からダルくなり、37度台の微熱が出てきた。
この一ヶ月ほど、我ながら結構元気で、気を良くしていたのに。

そこへ、昼過ぎに娘が帰ってきて、
「頭が痛い」
と言うので、熱を測ったら、こちらは36度9分で、微妙だった。
ともあれ、鎮痛のためにアセトアミノフェンを飲ませ昼寝させた。

娘が返却されて持ち帰ってきた、数学の期末の答案を見たら、
私は、いっそう具合が悪くなった(--#)。

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三連休だったが、あっという間に終わってしまった。

主人が風邪をひいて熱を出していたので
そのほうの心配やら手当てやらで忙しく、
ずっと娘を放っておいたら
彼女はパソコンでゲーム三昧の週末を過ごしていた。
本当は15日に、美術部で倉敷に行くことが決まっていたのだが、
台風が来そうだったために、キャンセルになってしまい、
娘は限りなく時間がありあまっていたのだ。

明後日でいよいよ一学期も終わりだ。
今年の夏休みは、塾通いもないわけだが
果たして、どんな毎日になるのだろう。
スケジュールが詰まっていないのは、楽でいいのだが、
娘が暇過ぎるのではと、今から、ちょっと不安~。

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12日の日記に、私が生まれて初めて観た歌舞伎は、
十歳以前に、祖父母と一緒に関西で観劇したもので、
演目には多分、摂州合邦辻と娘道成寺とが含まれていた、
劇場の感じや神戸からの距離感から、中座だったのでは、
というようなことを書いたら、
なんと某氏が、たったこれだけの情報をもとに、
昭和四十年代半ばの関西での歌舞伎上演に関して、
詳しく調べて下さった。ああ、ありがとうございました!!

それによると、昭和40年代半ば前後に、
関西で合邦が上演されたのは、

42年12月京都南座
45年10月名古屋御園座
47年12月京都南座
50年6月大阪中座

が該当するとのことだった。
そして、このうち、娘道成寺が同時に上演されたのは、
最初の、「42年12月京都南座」だそうだ
(私は47年の8月に、神戸から広島に転居しているので、
もとより47年と50年は、神戸の自宅から祖父母と一緒に出かけた、
という条件には、当てはまらない)。

なんと、もしこれが私の記憶にある舞台だとすると、
そのとき、私は3歳半
そんな、赤ん坊にケの生えただけのモノを、
南座に連れて行ったとしたら、
うちの祖父母って、あまりにもチャレンジャーではないか!?
静かに観たかとか、内容がわかったか、とか以前に、
そもそも、おトイレ、大丈夫だったんだろうか???

その某氏が更に教えて下さったところでは、
この、昭和42年12月の南座(考えてみたら顔見世だ)の配役は、

「道成寺」 花子・・・梅幸
「合邦」  玉手・・・歌右衛門
      合邦・・・(十三世)仁左衛門
      俊徳丸・・・福助(現・梅玉)
      浅香姫・・・松江

今なら30万円払っても観たい面々ではないかっっっ。
こんなものを本当に3歳児が観ていたとしたら、
なんという、なんという猫にコンバンワな世界!!

私の遙かな記憶では、玉手は一種異様な雰囲気があって、怖かった。
自分の生き血を飲ませたら、愛する男性の病が癒える、
と喜ぶ場面は、幼心に鮮烈だった。
脇腹を切られた女が、そこから出る血を思い人(しかも継子)に飲ませる、
というキョーフの物語が、気に入った、いたいけなワタクシだった。
それと、浅香姫が物凄く綺麗でウットリしたことも覚えている。
うちにある日本人形よりずっと美しいと思ったものだった。
松江の若い頃だとしたら、さもありなん、という気がする。
劇場で買って貰った、モノクロの「筋書」(関西だから「番附」か)を
帰宅してから母に見せて、あーだこーだと説明した記憶もある。

しかし何より、このときの道成寺だったとすると、
花子が梅幸だった、ということに驚いた。菊五郎の父上である。
この通りであれば、私は最初に出会ったのが音羽屋だったことになる。
殻から出たヒヨコが、一番に目にしたものを母親だと思う、
みたいな刷り込みで、私は、この梅幸の幻影ゆえに、
菊五郎にこれだけ魅せられるようになったのではなかろうか。
ちなみに私は、梅幸を最晩年まで観た。
平成6年に、出雲阿国歌舞伎に来てくれたときの梅幸の姿を、
私は今も、鮮やかに思い出すことができる。

私を歌舞伎の世界にいざなってくれた、
この初観劇の「合邦」と「道成寺」という作品
(仮に、42年南座でなかったとしても、この二作品だったことは、
ほぼ間違いないと思うのだ)、そして、その出演者だった方々、
それを見せてくれた祖父母に、改めて心から感謝したいと思った。

そしてそして、このようなことを、調べて教えて下さった、
某氏に、この場を借りまして、心からのお礼を申し上げます。
本当に、本当に、ありがとうございました!!


追記:その後、実家の母に確認したのだが、やはり私が観たものは
昭和42年12月の南座だったそうだ。
「顔見世が手に入った言うて、そらもう、おばあちゃんが喜んで、ねえ」
と母は言っていた。1967年の歌右衛門や梅幸を観ていたのか私は(^_^;。

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海老蔵風呂場で転倒、右足裏を15針(デイリースポーツ)
『人気歌舞伎俳優の市川海老蔵(29)が13日、大阪市中央区の大阪松竹座の楽屋にある風呂場で転倒し、救急車で近くの病院に搬送された。転倒した際にガラス戸にぶつかり、割れたガラス片で右足の裏を裂傷。大量に出血し、15針も縫う重傷だった。海老蔵は同劇場で「七月大歌舞伎」に出演中。公演は26日まで続くが、劇場側は「今月の市川海老蔵の出演は未定です」と発表し、復帰のメドも立たない状態だ。』

えらいことになってしまって。
順調に回復されることを祈っております。
エラソーなこと言うようだが、私は、ここ数年に限っては、
役者としての海老蔵を、大変、評価しているので、
スキャンダルもアクシデントも派手なほどイイじゃないか、
と言いたい気分が、なくはない。なんでも芸の肥やしにして頂きたい。

で、代役が、これまたかなり魅力的ではありませんか。
昼の部は、鳴神上人が片岡愛之助、
『義経千本桜』の義経が坂東薪車、
夜の部に至っては、河内屋与兵衛が仁左衛門ですと!?
なんだか観ないと損、みたいな気がしたりして(殴)。

ちなみに、こんなときに不謹慎で申し訳ないのだが、
風呂場で転倒、って一体どんな状況だったんだろうか?
一般家庭の風呂場だと、転んで、打撲や骨折ならともかく、
ガラスが、しかも足の裏にささる、というのは
私には、ちょっと想像できない。
ガラス戸を蹴破ったくらいでは、こんなことにならないのでは?
松竹座の楽屋風呂なんて全然、見たことがないが、
倒れたら足の裏が当たるところに鋭利なガラスがある、
という構造なんだろうか?

「トウシューズに画鋲、みたいな策略にハマったのか」とか、
「コートで走っていて一度転んだだけで、
生涯、二度と走れないほど膝を破壊してしまった宗方仁みたいに、
ミラクルなコケ方をしたのか」、等々と考えてしまった(逃)。

あ、そういえば、ジャイアント馬場もその昔、
風呂場で転倒して怪我をし、野球から引退したんだった。
彼のは足の裏の怪我ではなかったけれど。
馬場は、最初からプロレスラーだったのではないのだっ。
………じゃなくて、言いたかったのは、風呂場は怖いんだな、と。

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・「脳内メーカー」の話を書いたときに、
何か操作を間違ったらしくて、終了しようとしたら、
「まーくんの脳内」がパソ太の壁紙になっていた。
頭の中を「食」で埋め尽くされた男の脳によって
私のパソ太は乗っ取られてしまった。

・きょうは、大学同窓会広島支部の先輩方6名と
某ホテルのレストランで会食した。とても楽しかった♪
そこで、ひょんなことから音楽の話題になり、私が、
ピアニストのポゴレリチのファンであると言ったら、
先輩方はその名を覚えようとして下さって、
英語などにはあり得ない響きだし、
何かとっかかりがないと記憶しにくいので、
『ボンゴレビアンコみたいな名前』ということになった。
きっと今頃、先輩方の頭の中には、
かすかにボンゴレが残っているだけであろう(T.T)。

・台風が近づいている、というのは天気予報で聞いていたが、
どうも、当初の予想より北寄りに進んでいるようで、
広島はどうかすると直撃されそうな気配になってきた。
幸い、三連休で、どこへも行かない予定ではあるのだが、
7月のこんな時期に台風が来るなんて、
やはり地球温暖化の影響なのだろうかと思ってしまった。
そういえば娘は、地学の期末考査で、
「地球温暖化」と書くべきところを、
「地球暖化」と書いて×になっていた(--#)。

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