このところ体調不良だったので、ごろごろして、
『ガラスの仮面』を改めて流し読みしてみた。
もう何度も読んだ作品で、台詞で遊べるくらい熟知しているのだが、
我ながら不思議なことに、今回何よりも痛切に感じたのは、
マヤの天才的な演技でもなく、月影先生の発作のタイミングの見事さでもなく、
どこの楽屋裏にでも「そうかしら?」と登場する亜弓さんの神出鬼没さでもなく、
・・・"劇団オンディーヌ小野寺理事長の頭の悪さ"だった(爆)。
「マヤ・・・。恐ろしい子」
「あの子を甘く見るとひどいめにあいますわよ」
と姫川亜弓から40巻を通じて言われ続けてきたのに、
アホの小野寺は毎回、
「ま、まさか・・・!」
「亜弓くん・・・!!」
などと、今初めて聴いたかのように青ざめていて、
通して読むと、その回数の多さに私は本気で驚かされた。
マヤが天才だっつー話は、亜弓さんが中学生の頃から言い続けていて、
小野寺本人だって、マヤの起こした奇跡の現場に
過去40余巻に渡って、幾度となく居合わせて来たというのに、
三歩歩いては忘れて指摘され、その都度「う・・・っ!」となって、
ほんとに、性懲りもない、というのはこの男のためにある言葉だ。
私は、この作品に関して何を忘れても、
小野寺の頭の不自由さだけは、一生忘れないだろうと今回思った。
小野寺のバカは、マヤの天才よりも明白だ。
どうしてこの程度の男が、劇団オンディーヌの理事長だったり、
日本の演劇界で相当な発言力を持ち続けていられたり、
「紅天女」の演出家候補になったりできるのか不思議でならない。
小野寺の覚えられなさ加減は異常。
演出の才能以前に、これじゃ社会生活そのものが無理では?
ちなみに、亜弓さんのほうは、北島マヤの才能を最初期に見抜き、
以来、ほとんど、かたときも忘れたことはなかった。
彼女こそ、最も早くからマヤの本質に気づいた人だった。
彼女は語彙が豊富であり、その表現は徹底的だ。
「マヤ・・・!道ばたの雑草のように 地味で目立たない
なんの取り柄もない つまらない 平凡な子なのに」
ああ~、亜弓さま、何もそこまで仰らなくても(^_^;。
Trackback ( 0 )
|