転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



金閣寺音舞台
たかこ(和央ようか)さんの活動予定が、次々と公表されていて、
コンサートと、ラッセル・ワトソン公演のゲストのほかに、
こういうもの↓も、あることがわかった。

2007年9月8日(土)第20回 JAL金閣寺音舞台

サイトによると、この公演は、
『世界中で親しまれる音楽や新しいパフォーマンスを披露し、
そのコラボレーションを"奉納"する』というイベントだそうだ。

抽選で招待券が当たるということなので、申し込んでみた。
私は、世界の中心で叫んでやりたいほどクジ運の悪い人間だから、
多分、ハズれるだろうとは思うが。

しかし、たかこさんは不思議だ。
退団時、私は彼女に関して、
「まずディナーショー、次にミュージカル・ショーみたいなもの」
をするのではないかと、心密かに予想していたのだが、
完全に大ハズレになってしまった(^_^;。


摂州合邦辻
先日話題にした、『菊五郎の色気』を読んでいて、
菊五郎の演じた玉手御前が素晴らしかったという話が出ていたので、
いつか、もう一度演って貰えないかなと夢想していたのだが、
私はふと、大・大昔に、祖父母と一緒に、初めて観た歌舞伎が、
『摂州合邦辻』だった、ということを思い出した。
私が少なくとも十歳以前だったから、三十年以上前だと思うのだが、
さて、あのときの玉手は、誰だったのだろう(勿論、菊五郎ではない)。

当時は神戸に住んでいたし、祖父母との観劇だったから、
歌舞伎座に行ったとは思えず、多分、中座で観たのだと思う。
昭和四十年代半ばに、大阪で玉手を演った可能性のある役者、
・・・・・・思い出せないというか、見当がつかないというか。

そして、この歌舞伎観劇を機会に、私は「引き抜き」に魅せられ、
家で、四つ身の着物を二枚着込んで、母に「引き抜き」をやらせた、
という、かなり、とんでもない思い出もあるので、
このときの演目は、「合邦」と「娘道成寺」だったのでは、
と思うのだが、・・・・・・うぅむ、今更、調べようもなくて悶々。

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ぽんず様が脳内メーカーについて記事をお書きになっていて
さんざん笑わせて頂いたので、私も、試してみることにした。
そうしたら、これがなかなか、唸ってしまうような結果が出たのだ。
『脳内メーカー』のサイト

まず、私本人の頭の中が、どうなっていたか。
転妻よしこの脳内

なんと、山ほどの秘密が隠され、外側を友人達が囲んでいた。
私はそんなに、人に言えないことの多い人間だったのか。

つづいて、娘。
転娘みーちゃんの脳内

私に叱られるのを恐れて、彼女の頭の中は嘘でいっぱいだ。
どうやってこの場を切り抜けようかと、
いつも都合の良い言い逃ればかり考えているのに違いない。
酒を飲みたいと思っていたとは、意外だったが。

いちばんワロてしもたのが、これ↓転夫まーくんの脳内

これ、ワザと私が操作して作ったのではないのです、
本当の本当に、主人の脳内には「食」のことしかない、
と判定されたのです~~。


最後に、これはやはりご紹介せねばならないだろう。
マエストロ・ポゴレリチの脳内

彼の脳内にあるのは「愛」。神への愛、音楽への愛。
嘘と秘密と、苦悩、そしてH(爆)。
なんとゆー理想的な芸術家なんだろうか。

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今朝方、私には珍しいことに、ポゴレリチの夢を見た。

夢の中で彼は、日本で行われる音楽祭みたいなものに出演する、
ということで、当初の予定になかった来日をした。
そして私は、その記者会見が行われるホテルの会場にいた。
一般人のワタクシがこんなところにいてはいけない、
と夢の中で結構、焦っていたのだが、
怪しいそぶりを見せるとつまみ出されそうな気がして、
なんとか、つじつまを合わせようと苦心していた。

記者会見の会場は、ホテルオークラだった。
ということは、彼の演奏する会場はサントリーホールだ、
とワタクシは夢の中で勝手に納得していた。
記者会見には、マエストロの他に、ラン・ランと、
もうひとり、私の良く知らない男性演奏家が出席していて、
この三名が、音楽祭に出演するピアニストであるということだった。
『ポゴレリチはラン・ランを知らない、と前に言っていたけど、
これで覚えられただろうな~』
と夢の中の私は苦笑していた。
↑苦笑されても仕方ないのは私のほうだっつーに。

マエストロは、相変わらずのスキン・ヘッドで、
しかも、ヒゲを生やしていた。
ハッキリ言おう、かなり見苦しかった(爆)。
だが、御本人の機嫌はとても良さそうで、
記者会見での答えも饒舌だった。

私は、マエストロに尋ねたいことがあった。
夢の中で私は、ちゃんと英語で考えていた。
ただ、その質問を、この場で言ったものかどうか悩んでいた。
こんなところで発言して、変に注目を集めてしまったら、
素人のオバサンのくせにここに来ていることがバレるぢゃないか、と。
さぁ、どうする。
ここで質問しなかったら、二度とこんな機会はないぞ?
しかし、Excuse me と手を挙げるのには、とてもとても勇気が要る・・・。

このへんで、夢は終わってしまった。
これほど、目覚めて惜しかった夢もかつてなかったと思う。
もっと、マエストロの記者会見を見ていたかった。

そして、本格的に覚醒したあと、私は、いくら考えても、
自分が何を尋ねようとしていたかが、思い出せなかった。
多分、英語で考えていた、というのが既に錯覚で、
私は質問以前に、まず、英語を組み立てられていなかったのだろう、
と、あとで思った(^_^;。

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e+ ラッセル・ワトソン(07/8/31(金) 東京国際フォーラム ホールA)

特別出演:和央ようか
演奏:東京フィルハーモニー交響楽団 合唱:東京混声合唱団

フレディ・マーキュリーの曲をカバーしてた若い歌手、
としか私は認識していなかったのだけれど、
たかこさんとなると、どうも接点が見いだせません(O_O)。
強いて言えば、『トゥーランドット』くらい???

ラッセル・ワトソン公式サイト:Russel Watson

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誕生日だった。
有り難いことに、また一年、無事に過ごすことが出来た。
感謝します<(_ _)>。
お世話になっております皆様にも、心からのお礼を。

今だから言えるが、私は二十代の頃、超マイペースで、
人の都合や気持ちに無頓着な、かなりヒドい人間だったので、
それに較べると、年齢を経るごとに自分が、
多少なりとも判断力がついて、人並みに近づいているような気がしている。

まあ錯覚もあるかもしれないが、
今は、若い頃なら出来なかったことがいろいろ出来るようになったし、
些細なことで噴火したり大袈裟に落ち込んだりもあまりしなくなったし、
飽くまで自分比ではあるが、昔よりはマシな人間になったと思うのだ。

ただひとつ、若いときの自分を羨ましく思うことがあるとしたら、
それは、昔は「体力があり、健康不安がなかった」という点くらいだ。
二十代の頃は本当に疲れ知らずで、いくらでも動けたものだ。
あれもこれも同時進行でこなしていても、自分が倒れるかもとか、
重い病気になったらどうしようなどとは、全く考えなかった。

しかし、考えてみれば、輝く活力に溢れた傍迷惑な人間より、
やや生命力には乏しくとも、穏やかに暮らせる人間のほうが、
やっぱり、存在としては、良いものなのではなかろうかと思うので、
この件についても、さほど深刻には残念に思っていない。

ときに、娘の小学校の卒業アルバムを見たら、卒業生全員が、
「三十歳になった私へ」という題で作文を書いていて、娘は、
『夢だった漫画家には、なれましたか。お仕事頑張っていますか』
などと、未来の自分に宛てて楽しそうに問いかけていたのだが、
18年後の自分に手紙を書くとしたら、私の場合は、
還暦を迎えた私へ」ということか。
『赤いチャンチャンコは着ましたか。体重は大台ですか』(爆)。

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メガネ屋さんに行った話や、七夕の話や、
A中の期末考査の話や、娘の卒業アルバムの話や、
いろいろと書くつもりだったコトはあったのだが、
あまりにもあまりにも多忙過ぎて、書けませんでした。

ときに娘は、願いごとは「七夕に一心不乱に願うと叶う」と言った。
出典不明だ。もしかしたら娘の妄想かもしれない。
第一、七夕だったら願いごとは短冊に書くのが普通では。
娘は、七夕と流れ星を一緒にしているのではないかと私は思った。

***************

追記:これはとても可愛かったのでご紹介します。
七夕★オーレリアンとジジ(みかんの宝塚FLASH箱)

お友達の「みかん」様が七夕にちなんで制作なさいました、
たかこさんと花ちゃん、ではなくてオーレリアンとジジです。
ふたりは、短冊に何を書いたのでしょう~~

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久間氏発言、参院選に影響=小池防衛相(時事通信)
『小池百合子防衛相は6日午前の閣議後の記者会見で、久間章生前防衛相の原爆投下に関する発言について「広島、長崎の方々は大変つらい思い、怒りを覚えられたと思う。(参院選への影響は)今まだ若干残っているかもしれない」と語った。』

この話をあまりにも執拗に追求する人々に対しては、
私はほとんど共感を覚えない。
私自身はいわゆる被爆二世であるにも関わらずだ。

久間氏を責める(一部の)人々に関して、私が気色悪いと思うのは、
『原爆は過ちであったと日本人ならば無条件に思わなくてはならない
『原爆を肯定するような発言はすべて誤りであり悪である
とでもいうような、思想的に極めて硬直したものを感じるからだ。

日本国憲法で言論や思想の自由が謳われている以上、
自分の責任において発言するならば、
誰が何を言うのも、基本的に自由ということだと私は思う。
つまり、原爆を肯定するのも否定するのも、
個人の思想としては、完全に自由ではないのだろうか。

勿論、社会通念としての、最大公約数的な感覚から言えば、
その立場にふさわしい発言とそうでない発言があるし、
防衛相の地位をもって発言したのでは、
国民に受け入れられない言葉もあるだろう。
公務員などは、思想信条の自由より職務が優先するとも思う。
だから久間氏は辞任した。自分の非を認めて責任を取った。
それで終わりにすべきではないか、と私は思っている。
辞任した前防衛相に対し、これ以上の追求をしようとする動きには、
かえって、一種のファッショとか、思想統制的なものを私は感じる。

原爆投下が多くの日本人を救ったとする見解に対しては、
個人としての私は愉快ではないし反論もあるが、それでも、
原爆を是とする発言を徹底的に封じるような動きには賛同しない。

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姑のベッドに寝そべり、日記を携帯からUPしたあと、
私は、昼寝してしまった(^_^;。
姑の介護ベッドはマットレスも特別で、とても寝心地が良いのだ。
私は、窓を開け放ったまま、風に吹かれて半時間ほど寝た。

ああ、このまま、このベッドに寝つづけよう。
自宅には「じーちゃんち泊まる」とメールでもして、
本格的に、ここで、のたのたしたいよぅ。
晩は、主人と娘なら多分、ピザの宅配を取るだろう。
私は、この家で、お好み焼きの出前でも取るのだ。
それ食べて、風呂入って、夜9時から寝てやる。

わ~い、天国♪


・・・・・・なこと、できるワケないだろうが(--#)。
夢想は、やめて、私は起きた。

戸締まりをして、私は、じーちゃんちを出た。
腕がすっかり筋肉痛になっていたが、
ばーちゃんに会いに行こうと思った。
T園に行ってみたら、ばーちゃんは平穏無事だった。
「うちはね~、いろいろ、思いよったんよ」
と、姑は、私を見て言った。が、
「どんなことを、考えておられたんですか?」
と尋ねてみたら、予想通り、軽くシカトされた。

同じフロアの、どこかのおばあちゃまが、なぜかご立腹だった。
席が遠かったので、別段、うちの姑や私のことは
そのおばあちゃまの目には入っていなかったし、
多分、空想の中の相手に向かって苦情を仰っていたのだと思うのだが、
とにかく、おばあちゃまは、まるで演説でもするようによく通る声で、
「なんで、こんなことになったのか!なさけない!」
「前から私が、これでは駄目だと、何度も言っていたではないか!」
と怒っていらした。

そして、怒りが増幅されたのか、だんだん、おばあちゃまは、
「わりゃ、なにしよんなら。かばち、タレなや!」
とガラ悪くおなりになった。
広島のおばあちゃまは迫力が違います(^^ゞ。
「出て、並べ、言うたろうが!おいっ!!」

おばあちゃまのあまりの勢いに、なんとなく、
フロアじゅうが、シーンとなった。
うちの姑は、お構いなしに、広告の紙で折り紙をしていたが(^_^;。

そして、くだんのおばあちゃまは、今度は唐突に、
「こんにちは!」
と皆に向かってご挨拶をなさった。
私は普段なら、「こんにちはぁ!」と答えるくらいの、
サービス精神は持ち合わせているのだが、
きょうは、なりゆきから言って部屋じゅう静かだったし、
ちょっと、声を出しかねた。

すると、おばあちゃまは、
「人が挨拶をしているのに、誰も返事もしないとは。
礼儀がなっていませんね!」
とお叱りに、なった(激爆)。

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ずっと気になってはいたのだが、
このところしばらく舅宅を掃除していなかった。
最近は姑に会いに行って、舅宅に寄っても、
郵便物をチェックする程度で、
庭は出入りのときに横目で見ながらも
《なかったこと》にしていたのだ。
折しも梅雨で、雨の日は庭掃除が出来ないし、
などと心の中で言い訳もしていた。

だがもう限界だった。
舅宅はついに、どこから見ても廃屋みたいになってしまった。

それできょうは掃除した。
朝から来て、まず家の中、次に庭、そしてガレージ。

外はまたしてもジャングルになっていて
じーちゃんのユーレイが出てきて掃除してくれている
などという気配は相変わらずなかった。
シンド過ぎ。

四時間ばかり労働した今、私はヘトヘトになって、
居間の、ばーちゃんのベッドに寝転んでいる。

このへんでヒト風呂浴びたいのだが、そんなことをしたら、
今度は浴室掃除までせねばならないから我慢している。
ああ、リポDを買って来なかったのは失敗だった。

疲れたよう。
今夜はこのまま舅宅でひとりで一泊したいくらいだ。

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「行く川のながれは絶えずして・・・」
このところ娘は毎晩、『方丈記』の出だしを暗唱している。
国語の期末考査に出るのだそうで、暗記せよと先生が仰ったそうだ。

娘「行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。
 よどみに浮ぶうたかたは・・・・」
私「・・・・・・・・・・?」
娘「あり?『うたかた』って、なんか、なかったっけ?」

よくぞ、そこで思い出したな。褒めてつかわす。
宝塚歌劇団の名作『うたかたの恋』を、キミは私と一緒に仙台で観たのだ。
2000年5月の宙組全国ツアーだ。

私「『あなたとご一緒なら、どこへでも!』」
娘「ああ!それ!」
私「『うたかた』とは『泡』のことだ。
 ルドルフとマリーの恋は、泡のように儚く散ったのだ」
娘「♪愛は たら~り たら~り たらり♪」
私「ちゃう!♪愛は さら~に さら~に さらにだ!」
娘「えっっ、うそーーーー(O_O)!!」

『愛は更に更に更に強く』、だ。
たらり、たらり、たらり、では、まるでガマの油ではないかっっ。

気を取り直して、娘は『方丈記』に戻った。

娘「よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて
 久しくとどまりたるためしなし。
 世の中にある人とすみかと、またもとの水にあらず。
 猛き人もついには滅びぬ・・・


おいおい。ちょっと待て。どこまで行くのだ。
キミの暗唱は、まるで、最初は『恍惚のブルース』だったのに、
途中から『港町ブルース』になったみたいな感じよ。
アタシが何を言っているか、キミには到底わかるまいが。

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